「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」

2023年02月28日 | 独り言

先日のブログ「読書コーナー~広重ぶるう~」の中で触れた浮世絵の二大巨匠「葛飾北斎」と「歌川広重」だが、実は「川瀬巴水」(かわせ はすい)も入れようかとつい脳裡をよぎったのだが、時代が100年ほど下がるので、まあいっか・・。

すると、さっそくメル友の「I」さん(東海)から次のようなメールが届いた。

「広重ぶるう、面白そうですね。蒲原宿の絵、そして富士山の写真は日本平から富士を見る構図です。蒲原も入っている筈です。

ところで川瀬巴水はお嫌いですか?

ビッグ2に比べると100年ほど時代が下がります。私は好きです。」

以上のとおりだが、「I」さんとは本の好みが見事に一致しているので常に一目置いている存在だが、絵もそうなんですか・・。

アップルの創業者「スティーブ・ジョブズ」(故人)が愛好したという「川瀬巴水」の代表作がこれ。「雪の増上寺」



素敵です!

さて、本日は2月28日で2月の最終日。新年に入って早くも2か月が経った。

「1月」は「行く」、「2月」は「逃げる」、「3月」は「去る」とそれぞれ頭文字をとって「光陰矢の如し」のように喧伝されているが、同時にこの時期は「別れ」の季節でもありますね~。

つい感傷的になって、「広重ぶるう」の中で触れていたモーツァルトの「ポストホルン・セレナーデ K320」にまつわる亡き母(享年94歳)の想い出が蘇ったので以下、ご迷惑だろうがひとくさり~。

「もう40年前ぐらいになるだろうか、NHKのBSハイの深夜番組でオペラを放映していた。長大なオペラの場合、3分程度の幕間休憩というのがあり、そのときに間奏曲として演奏されている曲目が実に心に沁みてきた。

こんこんと尽きせぬ泉が湧き出てくるようなごく自然な楽想で、これは絶対にモーツァルトの作品だと確信したが、如何せん曲名が分からない。

普段はそのまま聞き流して忘却の彼方になるのだが、あまりに強烈に印象に残ったので地元のNHK放送局に、放送があった時間帯をもとに問い合わせてみたところ、当然、すぐに曲名が判明するわけでもなく、ご親切にも「後日、返答します」ということになった。

当時は仕事に追われる毎日で残業続きのため家を留守にすることが多かったが、NHKからの回答を受けてくれたのが同居中の老母だった。

「NHKから電話があったよ」と、帰宅後に母からメモを渡され、そこに書いてあったのが「モーツァルト ホトホンセレナーど」。

「ウ~ン、ホトホンとはありえない言葉で、これではちょっと分からないなあ!」と、ため息をもらしつつ、もうはっきりと覚えていないがきっと自分で再度NHKに問い合わせたと思う。

そして、ようやく具体的に判明した曲名が「セレナード第9番ニ長調 K.320 ポストホルン」。

急いでネヴィル・マリナー指揮のCDを取り寄せて聴いてみたところ、気に入った間奏曲に該当する部分は、同セレナードの第3楽章「Concertante(Andannte grazioso)」(9.02分間)だった。

          

「モーツァルトの音楽、ここに極まれり」と、胸を打たれるほどの旋律で、これを聴くと「ホッ」として、心痛、愁いなどあらゆるマイナスの心理状態をはるかに超越させてくれる心境になる。音楽の効用はいろいろあるんだろうが、これが一番である。

昨日は午前中からこのCDを聴き耽った。当時の(母の)不自由だった手で書かれた「金釘流の文字」(画像右下)も今となってはたいへん懐かしい思い出だ。よくぞ捨てずにこれまで保管しておいたものだと我ながら感心する(笑)。

終わりに、別れの話に戻って人間はすべて生命に限りがあるが、自分が逝った後に身内を除いてどれだけの人の記憶に残っているかと考えると何だか儚くなる。

このブログだって店仕舞いのときがきっとやってくる。

せめて、「そういえば、昔、モーツァルト狂いでオーディオに随分熱心な奴がいたなあ~」と、ときには思い出してくれる人が一人でもいてくれたら本望だが、はたして?(笑)


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「見てくれオーディオ」へ 一歩前進

2023年02月27日 | オーディオ談義

先日、投稿した「見てくれオーディオの是非」について、「見てくれがいいに越したことはないのでこれからはそういう視点も必要かもしれない」と、殊勝げに述べていたのをご記憶だろうか。

「音さえ気に入っていれば見かけなんてどうでもいい」の信念はいささかも揺らぎが無いが、「音もいい、見かけもいい」となると、もっと素敵だよねえ(笑)。

「いや、いい音は見てくれも絶対いいはずだ。たとえばマランツ7がそうだ!」と力説される方もきっといるに違いない。

というわけで、「見かけ」にも配慮した取り組みを少々やってみた。

小型のスピーカーはどう弄ってみても大勢に影響がないので、対象になるのは我が家の本丸「ウェストミンスター」である。



この姿を眺めてみると、多少なりともフィルターがかかってきて「違和感を感じる・・」かもねえ(笑)。

で、およそ丸1日かけて改造した姿がこれ。



かなり、印象が柔らかくなったのではあるまいか・・。

そして、肝心の「音」の方は確実に前進したのだから、自分で自分を褒めてやりたいくらいだ。

はたしてどこをどう変えたのか、「したり顔」して解説してみよう(笑)。

☆ スコーカー(スーパー10)の入れもの交換



平面バッフルに取り付けていた「スーパー10」だが、家にあった木製の植木鉢の寸法が奇跡的にピッタリでユニットの4か所のネジ穴が丁度植木鉢の周囲に収まることを思い出した。



いわば後面開放の小さな箱に容れたようなもので、手間暇かからず、まずは理想的な入れものだ。これならユニット後方からの音の回り込みも気にしなくていいだろう。

第一、見てくれがいい・・(はず?)。

ただし、これで聴いてみると明らかにウーファー(ハイカット:700ヘルツ)とのつながりが悪く(薄く)なったので、慌てて弁当型サイズのコンデンサー「22μF」に代えて、ローカット「900ヘルツ」にしてようやく落ち着いた。

「平面バッフル」と「植木鉢」とでは、さほど変わりはないと思うのだがなぜ繋がりが希薄になったのか非常に不思議~。

スピーカー周りの作業は物理的に説明がつかないことが多い。いや、つくんだろうが、あまりに細かいというか計算が煩雑すぎて未解明の部分が多く残されている気がする。したがって、実際に実験してみるに限ると思っている。

さあ、次の対象はツィーターで、「075」(JBL)に未練を残しつつも、とうとうワーフェデールの「スーパー3」に交換するに至った。巨大かつ強力なマグネットが魅力的な代物である。

   

以下、続く。



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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・2・26~

2023年02月26日 | ウマさん便り

ブログを17年間やってきたが、「画像」の持つ説得力については身に沁みて十分わかっている積り。

そこで、友達の中でパソコンに一番詳しい「Mさん」(大分市)に相談を持ち掛けてみた。

「南スコットランド在住の方とメル友になってねえ・・。とても筆達者な方で、内容も面白いし、お願いして転載させてもらっているんだけど、文章の方は簡単にコピペできるけど、画像がどうしても無理なんだよねえ。なんとかうまい方法はないものか、教えてくんない~」

すると、さっそく昨日(25日)来てくれて、10分ほど弄っていたら「(画像の取り込みが)上手くいきましたよ!」

結局、タブの「保護ヴュー」で「編集を有効にする」をクリックするとOKだった。

言葉にすると簡単だが、自分なら未来永劫に気がつかない箇所だった。Mさん、ありがとう。

というわけで、遅ればせながら取り込んだ画像を一挙に公開といこう。

まずは「スカートではござらぬ。スコットランドの民族衣装キルトです。」とのコメント付きで、これがご夫妻の写真です。



次いで「アニー・ローリー」さんの生家がこれ。



そして「ウマさんと次女様」の画像がこれ。


最後に、「ウマさん便り」をご紹介。

「キャロラインさん、女王と会う」(女王がご健在だった頃の話です)

去る7月14日、女房のキャロラインさんが、地元ダンフリーズ市御訪問のエリザベス女王の歓迎レセプションに招かれ、女王陛下と親しく言葉を交(かわ)したと云う。

親しくしているダンフリーズ市の助役のトニーに聞いた話だけど、公的関係者以外の一般招待者リストで、キャロラインは三番目にその名があったと云う。

謁見(えっけん)の時、「女王陛下」と呼びかけたキャロラインに、女王は、なんと、「エリザベスと呼んでください」と言われたそうや。皇后陛下を、「美智子」って呼ぶ日本人はおらんやろ。

そして、女王は、キャロラインの平和活動のことをお尋(たず)ねになり、「あなたの平和活動に携(たずさ)わっておられるすべての方によろしくお伝えください」とおっしゃったそうです。

会った時の感想を聞くと、「歳(とし)の割には、まあ元気やった」とそっけない。特に感激した風でもない。

キャロラインさんって方、ミーハーのウマと違い、相手がどんな人であれ、態度が全然変わらん人やから、ま、無理もないか。

そこでです。わたくしウマが、以前、バッキンガム宮殿に招かれ、女王陛下と親しく歓談(かんだん)した時の、非常に貴重な体験の記録をここに再録(さいろく)しておきたい。まことに光栄至極(こうえいしごく)、忘(わす)れ難(がた)い想い出でございます。

「バッキンガム宮殿、いかに女王と盛り上ったか」

先日、バッキンガム宮殿に招かれました。

わたくしウマが、「英国<孫の手>愛好家協会」 「英国<キムチ>愛好家連盟」、そして、「英国<冷やし中華>友の会」、さらに「英国<モモヒキ>贔屓(ひいき)の会」などなど、英国や他のヨーロッパ諸国に於いて類例を見ない、かなり特殊と云える団体の会長という要職を務めている関係での御招待でございました(いつもと言葉遣(づか)いがちゃうな)。

バッキンガム宮殿「エディンバラの間」 に於ける晩餐会(ばんさんかい)に於いて、エリザベス二世女王陛下から親しくお言葉を賜(たまわ)るという、まことに得がたきひとときに、んまあ、感激至極(かんげきしごく)のウマだったのでございます。

  女王陛下は、わたくしが想像していたより遥(はる)かに気さくな方でございました。宮殿の暖房装置が急なトラブルで具合が良くないことをお気になさり、わたくしに直接お尋(たず)ねあそばされたのでございます。

「ウマさま、寒くはございませんか?」

その細(こま)やかなお気遣(きづか)いに感激しつつ、ご心配をかけてはいけないと、わたくし、元気よくお答えしたのでございます。

―ハ、ハイッ、女王陛下、お気遣(きづか)いまことにありがとうございます。ですがわたくし、まったく寒くはございません。モモヒキはいとりまっさかい!―

そして、「英国<孫の手>愛好家協会」会長としての威信(いしん)をかけた、ウマ渾身(こんしん)の特製自作の<孫の手>を、恐れ多くも女王陛下に献上(けんじょう)したのでございます。ローズウッドに英国王室のクレストを彫刻し、さらに日本の伊勢志摩から取り寄せた真珠をふんだんに埋め込んだ、「スクラッチ・グローリー」と命名した特製折たたみ式<孫の手>…

女王陛下は、もう、この上なくお喜びになり、「ウマさま、孫のウィリアムもハリーも、わたくしがどんなにお願いしましても、背中を掻(か)いてくれないのでございますの。嫁のダイアナもそうでございました。ですから、ウマさまお手製の、この素晴らしい<孫の手>「スクラッチ・グローリー」、いつもバッグに入れておくことに致しましょう」と、満面の笑(え)みでおっしゃられたのでございます。

わたくしにとりまして、背中が、んもう、めっちゃこそばくなるほどの光栄至極(こうえいしごく)でございました。どなたか<孫の手>お貸しくださいませぇ~!

さらに、女王のリクエストに応じまして、その「スクラッチ・グローリー」の使い方をお教え差し上げたのでございます。

わたくしウマが女王陛下の背後に立ち、陛下のドレスの背中側襟元(えりもと)から「スクラッチ・グローリー」をそっと慎重に陛下のお背中に差込み、お背中をスクラッチさせていただいたのでございます。 

女王陛下は、この上なく御興奮あそばされ、んもう、官能的な表情で、「ウマさま、も、もうちょっと右、アッ、行き過ぎ、も、もうちょっと左、も、もうちょっと上でございます、あっ、ソ、ソコソコ、ソコでございます。ああ、幸せ…」

英国女王のお背中を搔(か)かせていただくというこの上ない名誉に、ウマは感激至極、んもう、たまんなく背中がムズムズしたのでございます。

どなたか、孫の手をお貸しくださいませませ~~~! 

シャンパンによる乾杯のあと、ただ一人の日本人ゲストであるわたくしへの御配慮であろうかと思われる、日本の最高級吟醸酒が供されたのでございます。バッキンガム宮殿で、なんと日本の吟醸酒でございますよ…

それも、「越(こし)の寒梅(かんばい)」のような通俗的なダサいものではございませんで、なんと、石川県の「菊姫」、それも山廃吟醸(やまはいぎんじょう)なのでございます。

まったく予想もしなかった嬉しいお心遣(こころづか)いに、ウマさん、んもう…なんと云ってよいのやら…背中がムズムズするほどの興奮を覚えたのでございます。オーイ! どなたか<孫の手>お貸しくださいませー! 

意外なことに女王陛下、日本の地酒がたいへんお好きで、しかも、かなりお詳(くわ)しいことに、わたくしウマは驚嘆(きょうたん)いたしたのでございます。

日本御訪問の折、天皇陛下主催の晩餐会(ばんさんかい)で、初めて吟醸酒(ぎんじょうしゅ)をお呑(の)みあそばされたのが、そのきっかけだったそうでございます。 

石川県の『菊姫(きくひめ)』が最愛のお酒だとおっしゃる女王陛下に、恐れ多くもウマは申しちゃったのでございます。

―『菊姫』という典雅(てんが)な名はこの上なく女王陛下に相応(ふさわ)しいかと存じます―すると女王陛下は満面の笑みでお喜びあそばされ、「では、ウマさまのお好きな銘柄は?」と、たいへん興味深(きょうみぶか)そうにお尋(たず)ねあそばされたので、

―わたくしは、静岡県の『おんな泣かせ』が大好きでございます―とお答え申し上げたのでございます。そして、―ちなみに女王陛下、わたくし、女を泣かせたことなど一度もございません―と申しちゃったのでございます。

すると女王陛下はニヤニヤと声を落とし、「あーらウマさん、それ、ホ、ン、ト、ウ?」と、ウマの顔をのぞきこむように、疑わしげにおっしゃったのでございます。で、ウマさん、大いに狼狽(うろた)えちゃった次第でございますえ。


それと意外や意外、な、なんと女王陛下、日本の花札(はなふだ)にもこの上なく造詣(ぞうけい)が深くていらっしゃるんでございます。んまぁ~、驚(おどろ)きモモの木、サルの木、じゃなかった、サンショの木、でございますねんでござるんるん(ウマさん、もう酔うとるんでございます…)。

「世界中のあらゆるゲームカードの中で、<ハナフダ>ほど芸術性の高いものは他にないでしょう。賭(か)け事にまで、春夏秋冬・花鳥風月(かちょうふうげつ)の美を盛り込まずにいられない日本人の心情に瞠目(どうもく)いたします」とおっしゃられた女王の、その慧眼(けいがん)には、もうわたくし、感激至極(かんげきしごく)でございました。 

御亭主(ごていしゅ)のエディンバラ公フィリップ殿下と、バッキンガム宮殿の寝室で、 

「寝るのも忘れてハナフダ、そう、オイチョカブに熱中してしまうのですよ」と、やや恥ずかしそうに、でも、たいそう嬉しそうに、お顔を輝かせて仰(おお)せられたのでございます。で、わたくし…

―女王陛下! 今をときめく『ニンテンドー』も、その昔は花札メーカーだったのでございます―と、お教え申しあげたのでございます。

女王陛下は、このわたくしの発言に大きく瞠目(どうもく)され、「アラッ、ウマさま、それは初耳でございます。そのお話、『ニンテンドー』大好きな、孫のウィリアムやハリーにも言わなくっちゃ」と、満面の笑みで、この上なくはしゃいでおられた次第でございます。

かような次第で、エリザベス二世女王陛下とは、日本の地酒と花札の話題で、もう、この上なく盛り上がちゃったのでございます。

で、アンタ…い、いえ皆様…、とうとう今秋、ウィンザー城で、女王陛下主催の「エリザベス記念花札大会」 (競馬みたいやな) が急きょ催される運びと相成(あいな)った次第でございます。 

女王陛下は、「日本からタタミマットを取り寄せ、ウィンザー城の貴賓室(きひんしつ)をタタミ・ルームに改装し花札大会の会場といたしましょう。

盆栽(ぼんさい)や梅の花を飾り、そして大英博物館から江戸時代の掛(か)け軸(じく)や書画骨董(しょがこっとう)などもお借りしましょう。そして、サンドウィッチの代わりに御寿司もご用意いたしましょう」と、実に、実に嬉しそうにおっしゃられたのでございます。 

その女王陛下の、かくも嬉しい御提案に対し、ワクワクしちゃったわたくしウマは、ポンと膝(ひざ)を叩(たた)き、我ながらまことに当を得たアイデアを、恐れ多くも女王陛下に申し上げちゃったのでございます。 

―女王陛下閣下に申し上げたてまつる…。江戸幕府の市井(しせい)におきましては、かような賭博(とばく)場を<鉄火場(てっかば)>と呼称いたしまして候(そうろう)。この鉄火場で食されたのが『鉄火巻(てっかまき)き』でござりまするで候(そうろう)。

賭博に忙しくしていらっしゃる<ヤローども>のため、軽便(けいべん)につまめる食べ物として開発された寿司が、ツナ…つまりマグロを巻いた『鉄火巻き』でございまするで候(そうろう)。

当英国に於きまして、かつてトランプゲームに忙しいサンドウィッチ伯爵が考案された、パンになんやかんや挟(はさ)んだものを「サンドウィッチ」と呼ぶに至ったことと、少々似ておりまするで候(そうろう)。

従いまして、陛下におかれましては、それがしのこのアイデア、『鉄火巻き』を、ウィンザー城に於ける「エリザベス記念花札大会」会場に於きましてのお品書きの一隅(いちぐう)に、是非ともお載(の)せつかまつりますよう、しかとお願い申し上げる次第でござりまする、で候(そうろう)…―

「ウマさま、それはまことに素晴らしいアイデアでござる、で候(そうろう)。その『鉄火巻き』間違いなくメニューに入れてつかまつる、で候(そうろう)でござる。

で、ツナはトロ? 中トロ? あるいは赤身? どれがよござんすか?」

―女王陛下、中トロが相応(ふさわ)しいかと存じまする…。出来ますれば地中海はシシリーで水揚(みずあ)げされた本マグロがよろしいかと…

ワサビは『ヱスビーの本わさび』そして醤油は日が閉まる、じゃなかった『東(ひがし)マル』の薄口の方がタマリ醤油などより「鉄火巻」にはよろしいかと…

あっ!そうやそうや! わたくしウマは、日本の静岡から、是非とも『おんな泣かせ』を取り寄せることにいたしましょう、きっと鉄火巻きに合いまっせーぇー、でござる、と申し上げたのでございます。 

女王陛下は、んまあ、もう、この上なくお喜びあそばされ、「それではウマさま『おんな泣かせ』に相応(ふさわ)しいクリスタルグラスも用意させましょう」と仰(おお)せられたので、―いいえ女王陛下、クリスタルグラスなど必要ございません。タタミの上で立(た)て膝(ひざ)をつき、安物の湯飲(ゆの)み茶碗(ちゃわん)でいただくのが、花札には格別に相応(ふさわ)しいかと存じます―と箴言(しんげん)したのでございます。

すると女王はますますご興奮あそばされ、「んまあ!日本人はそのような優雅(ゆうが)な呑み方をされるのですか」と感激されたのでございます。 

さらに、「では、首相のゴードン・ブラウンとも相談し、花札大会開催の前に、立(た)て膝(ひざ)をつき湯飲み茶碗でお酒をいただく講習会を設けましょう」とご発案(はつあん)され、そして、そしてわたくしウマが、その、栄(は)えある講師拝命(こうしはいめい)という、日本人史上初、いや人類史上初の、まあ、まことに得がたい名誉(めいよ)をいただくことに相成(あいな)っちゃったのでございます。

まことにエライこっちゃ…、でございます。 

わたくしは、女王陛下に、お酌(しゃく)の作法、つまり、やや首をかしげ、流し目で (ちあきなおみ風に) ―おひとついかがぁ~?― という艶(つや)っぽい所作(しょさ)もお教えしようと密(ひそ)かに計画しておるのでございます。

ついでに、英国女王にお酌(しゃく)を賜(たまわ)る人類史上初の日本人になるのでは?という歴史的予感に胸震(むねふる)わんばかりの興奮を覚えるのでございます。

もちろん女王陛下にお酌(しゃく)を賜(たまわ)った際の言葉はすでに用意してございます。 

「ウマさま、おひとついかがぁ~?」 「…ウム、苦しゅうない…」 

以来、わたくしと英国女王エリザベス二世陛下とは、「ウマ!」 「ベス!」と呼び合う、この上なく親しい間柄(あいだがら)になっちゃったのでございます。

さらに、女王陛下とは、ケータイで頻繁(ひんぱん)に連絡を取り合う今日(きょう)この頃なのでございます。

 ちなみに女王陛下のケータイ着信音は『河内音頭(かわちおんど)』でございます。

♪ ア、ヨイヤサッサー、♪ エンヤコラセーェ、ドッコイショー…♪ 

(このはなし、かなり無理があるなやっぱり…女王陛下ごめんなさ~い!)

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オークション情報~2023・2・25~

2023年02月25日 | オークション情報

このところ「プリアンプ熱」に浮かされているが、先日のオークションでひときわ目を引いた「プリアンプ」が出品されていた。

FM Acoustics Of Switzerland FM255 MK II プリアンプ



スイスの「FMアコースティック」の製品は使ったこともないし、聴いたこともないしで、皆目性能の見当がつかないが、お値段だけは飛びっきり高いので有名だ。

過去記事によると、この機器は定価が「535万5千円」なり!

入札に参加する気はないが、いったいどれくらいで落ちるんだろうか?

そして、結果は「50万5千円」だった。およそ定価の1/10・・。

このくらいならまったく手が出ないお値段でもなさそう。気に入らないときは再度オークションに出しても同じくらいの値段はするのではあるまいか。

実は、つい最近オーディオ仲間のYさんがFMアコースティックのプリアンプを注文されたとのこと。お値段を伺ったところ「軽く1千万円を超えますよ」

それは・・・と、思わず絶句したが、すぐに「ぜひ我が家で試聴させてください」

しかし・・。

人間は知らないでいることの方がかえって「幸せ」なケースがあることを長い人生の過程を経て自然と学ぶものだが、オーディオも同じでなまじ聴いたりすると欲しくなって「塗炭の苦しみ」を味わう羽目になるかもしれない。

やっぱり、「聴かぬが花」で止めとこうかな・・(笑)。



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読書コーナー~広重ぶるう~

2023年02月24日 | 読書コーナー

読書といえば、いつも図書館に行って「何かめぼしい本はないかな~」と「新刊コーナー」へ一目散、で少し気になった著者とタイトルを見かけると最初の方をぱらぱらとめくって面白そうだなと直感したものを借りてきているのが常。

それが最初の「篩(ふる)い」で、自宅に帰って腰を据えて読み始めて1/5ほど読んだところで、これが2番目の「篩い」になるが、あまり引き込まれないとわかるとあっさりポイ・・。

結局、この「二つの篩い」にかけて面白い本にあたる確率は1/4くらいかなあ。

これを3か所の図書館(県立図書館、地元の図書館、隣町の図書館)で定期的に繰り返しているが、新聞の書評などで見かけた本はまずもって「新刊コーナー」で展示されることはないので、どうしても予約することになる。

滅多に予約はしないのだが、この本はどうしても読みたくて・・。1か月ほど待たされた。



なぜ「(歌川)広重」かと問われると、好きだからとしか答えようがない。

浮世絵といえば「葛飾北斎」と「歌川広重」の二人に尽きると思っているが、北斎は少し筆が躍りすぎて「仰々しい」ところがあるように思っている、その点「広重」は「構図」といい「写実性」といい、「色使い」といい、いかにも落ち着きを感じさせる、とまあ素人なりに気に入っている。

ちなみに、広重の絵で一番好きなのは「蒲原の雪」で、パソコンの表示画面にしたところ、白色が多すぎて・・、無念。


「蒲原」(静岡)でこういう豪雪はありえないとのことで、「東海道シリーズ」の構成上、作者の想像の産物とされているが、この絵を見る度に「素敵だなあ~」といつも心が和む。

音楽でいえば「ポストホルン」(モーツァルト)の「第三楽章アダージョ」みたいな感じかな。

さて、本書だが現在、1/3ほど読み終えたがまだ先は長く感想を述べるには早すぎる。

ネットから「読者レヴュー」を2件引用させてもらって終わりにしよう。

「火消し役の安藤家の息子が浮世絵画家になった顛末、「東海道五十三次」を完成させるまでのいきさつが描かれる。舶来のプルシアンブルー、広重は、ベロ藍と呼ばれるその最大限に染料を活かせるのは空だと確信する。

澄みきったベロ藍は、どこまでも美しく、なんの屈託もないように見える。だが、安藤重太郎の生涯は、家族関係でさまざまな苦労に満ちていた。彼がこの青に惹かれたのは、その青がすべての苦悩を流し去りそこに明るさだけを残すかのように澄みきっていたからかもしれない。」


「江戸の風景が大好きで、貧富の差なく、老若男女どんな人にも観て喜んでもらいたいと描いた『名所江戸百景』や、『東海道五十三次』で有名な浮世絵師・歌川広重が主人公。

本作を読んでいる間に訪れた「大阪浮世絵美術館」で広重の浮世絵を鑑賞し、今までは永谷園の商品に入ってるカードの絵の人だなぁくらいにしか思ってなかったけど、広重の絵に込めた想いなどを知ってから観ると、とても感慨深いものがありました。」



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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・2・23~

2023年02月23日 | ウマさん便り

アラントンハウスとは何か?

アラントンハウス…その正式名称は「World Peace Prayer Society Allanton Sanctuary」…「ワールド・ピースプレヤー・ソサエティー・アラントン聖地」といいます。(以下WPPS)

このWPPSは、ひとことで云うと、「非政治・非宗教を標榜(ひょうぼう)する国連認定NGOの平和活動組織」ということになります。本部は米国ニューヨーク市郊外のアメニアにあり、アラントンWPPSは、そのヨーロッパでの活動拠点ということになります。

では、なぜ、女房のキャロラインがアラントンWPPSの代表となったのか、そこらへんの経緯(いきさつ)を説明しておきましょう。

日本の街角に「世界人類が平和でありますように」という、ちょっとわけのわからないステッカーが貼ってあるのを御覧になったことがあると思います。

戦後、五井昌久(ごいまさひさ)と云う、詩人で教育者で声楽家という方が興した「白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)」という、割と穏やかな宗教法人があるのですが、その宗教法人が五井氏の提唱を受けて掲(かか)げている標語が「世界人類が平和でありますように」…なんです。

非宗教を標榜するアラントンにも、同じ標語を掲(かか)げたポールが何箇所かに建っていますので、ちょっとまぎらわしいと感じる方がいても不思議ではありません。で、まず、そこらへんの関連から説明いたします。


五井昌久氏のあとを継いだ方が、<宗教での平和活動には限界がある>と判断し、非宗教・非政治を旨(むね)とする純然たる平和活動組織を、二十数年前にニューヨーク郊外に設立したのがWPPSの始まりです。さらにその後、国連のNGO認定を受けたこのWPPSを支援する目的で、東京に、財団法人・五井平和財団が設立されました。

この財団は、後年、政府より公益法人に認定されています。公益法人の認定を受けるのは非常に難しいと云われていますから、五井平和財団の存在が公的社会的に貢献するものであるとの認識を、政府により認定されたと云うことになるわけですね。

そして、そのリーダー・西園寺昌美女史の世界平和実現に向けた理念に、かねてより私淑(ししゅく)していたキャロラインは、その活動を積極的にお手伝いをすることになったわけなんです。


ヨーロッパにも拠点(きょてん)を設けたいと考えていた西園寺女史は、キャロラインが大阪からスコットランドへ移住する機会を捉(とら)え、キャロラインにその場所探しを依頼、そして彼女が見つけたのが、南スコットランド・ダンフリーズ郊外のヴィクトリア時代の貴族の邸宅アラントンだったというわけなんです。

さらに、西園寺女史から、アラントンWPPSの代表者として、英国をはじめヨーロッパでの平和活動を展開して欲しいとの依頼を受け、キャロラインがその活動を始めたのが、今から23年前のことでした。

非宗教のアラントンが、宗教法人の標語である「世界人類が平和でありますように」を使っているのは紛(まぎ)らわしくないのか?

当然の疑問ですよね。が、平和活動組織として多彩な活動を展開するには、イメージ作りとしてのキャッチフレーズが欠かせません。で、上記標語を各国語に翻訳したものを使わせていただくことになったわけです。さいわい、この標語は非常に評判がよく印象深いものであるとの判断から、以後ずっと使用させていただくことになったわけです。

宗教とは一線を画しているアラントンに、「世界人類が平和でありますように( May Peace Prevail On Earth)」の標語があるのは、そういう経緯があったからなんです。

今や、アラントンWPPSは大きく成長し、地元ダンフリーズ市当局はもちろん、アラントンと関わりのある公的機関や公的諸団体、民間組織、学校などの数は年々増え続け、共同プロジェクトの数も増え、さらに、スコットランド政府のほか、EU政府の支援を受けるまでになっています。

取得が非常に難しいと云われている「チャリティ団体」の認定もスコットランド政府から受けています。これは、なかば公的機関として認められたことを意味しています。日本でいえば、公益法人に該当するでしょうか

さらに、スコットランド政府の環境大臣や文化外交担当大臣、さらに、英国国会議員もアラントンを訪れています。

ここで、アラントンを全面的に支援してくださっている在東京の公益法人・五井平和財団の理事や評議員の方々の一部を御紹介しておきます。

明石康 (元国連事務次長) 豊田章一郎 (トヨタ自動車名誉会長) 千宗室 (茶道裏千家家元) 大橋光夫 (元昭和電工名誉会長・現最高顧問) 田島義博 (学習院院長) 植芝守央(合気道道主) 龍村仁 (映画監督) 佐藤禎一(前文部省事務次官)

どうでしょう? 上記の方々を見れば、アラントンがいかなる組織かおわかりいただけるんじゃないでしょうか?

NGOとしての平和活動団体は世界中にたくさん存在していますが、実は、胡散臭(うさんくさ)いものも少なくありません。上記の説明によって、アラントンWPPSが、金銭的利益をまったく求めない純然たる利他的平和活動組織であることを御理解くだされば嬉しく思います。

さらに、アラントンWPPSは、世界平和、恒久平和の実現を目指し、数多くのプロジェクトを通して、常に多彩なアイデアを実践している組織であることもお伝えしておきたいと思います。


アラントンのスタッフ構成は、キャロライン、グレンダ、ジェシカの主要三名を含めレギュラースタッフが九名、順レギュラーを含めると15名になります。

あっ、そうや! そのほかにね、レギュラースタッフがスムーズに活動出来る様、そのサポート役として、まあ、実によく働く、大阪から来た、ほんのちょいと間抜けなヨッパライのおっさんが一名おります、はい…



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「見てくれオーディオ」の是非

2023年02月22日 | 独り言

オーディオは気に入った音さえ出てくれば「見てくれ」なんてどうだっていいというのが永年の持論だ。

つまり、オーディオに関する限り「名を捨てて実を取る」タイプだと自認しているが、昨日(21日)の午後のこと「プリアンプの試聴会」のため、仲間の「N」さん宅(大分市)へ向かう道中で助手席の「Y」さんが「Sさん(自分のこと)は見かけにはこだわらないタイプですね」とポツリと洩らされた。

「そうですよ、私はことオーディオに限っては気に入った音さえ出てくれれば見かけなんてどうだっていいです」と即答したが、後で冷静になって考えてみたら、はたしてそれでいんだろうかねえ(笑)。

たとえば、次の画像。



自分にはまったく違和感は感じないのだが、見る人が見たら、とりわけ美的センスに恵まれた方だと、「何じゃ、これは~、とても神聖なクラシック音楽を聴く雰囲気じゃないぞ」と、宣う可能性がありそうだ。

Yさんはこうも追い打ちをかけた。「オーディオは聴いていない時間の方も多いので見てくれも大事だと思います。」

なるほどねえ~、そういう考え方もあるのかと、目からうろこだった(笑)。

我が家の場合は、1日のうちで聴いていない時間帯といえば、就寝の時、それに1時間以上外出するときに限られており、まず家にいる間は「音楽」以外にもテレビの映画やミステリー番組などにも出番があってまずはフル回転の状況だ。

しかし、「見てくれ」がいいに越したことはないのでこれからはそういう視点も必要かもねえと、思ったことだった。

さて、「見てくれオーディオ」という言葉ですぐに脳裡に浮かぶのが「タンノイ」と「グッドマン」というイギリスの有力なSPメーカーだ。

実力も格としても「グッドマン」の方が上なのは「知る人ぞ知る」なのだが、片や「見てくれ」のいい「エンクロージャー」を製作し、片やユニットだけを製作したというその差がはっきりとその後の明暗を分けてしまった。

今や「グッドマン」という会社は影も形もない。若い人たちは「グッドマンって何?、それって良い人のことですか」という始末(笑)。

もしグッドマンが当時エンクロージャーまで手を広げていたらという思いを捨てきれないのは自分だけだろうか・・。

最後に、肝心の当日の「プリアンプ試聴会」について一言。

3台のプリアンプの試聴だったが、注目の真空管「13D3」(CV4068)について、優れものだという印象は三者とも意見が一致したが抜群の存在というほどではなかった。

Nさん宅のスピーカーを含めた一連のシステムとの相性があったし、それに音の入り口がレコードだったというのも大きい。

つまり、出発点が違うようで、CDの場合は「70点」がスタートラインだとすると「レコード」の場合は「80点」がスタートラインという優位性があるイメージを持った。

これだと明らかに「レコード」の方が差が付きにくいですよねえ。

どんなに素性のいい真空管でも、周辺環境に大きく左右されるという体験をこれまで嫌というほど積み重ねてきたのに、懲りずに幻想を抱いてしまうんだからまったくもう始末に負えませぬ~(笑)。



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「プリアンプ騒動」の第二の波

2023年02月21日 | オーディオ談義

先日のブログで学生時代に凝った「麻雀」には人知の及ばない摩訶不思議な「浮き沈みの波」が存在することを引き合いにしながら、ブログのアクセスにも「波」が存在する・・、そして実は今回の本題であるオーディオにも周期的に「波」が襲ってくるようでして~。

こうなると、人生を含めて全てが波に翻弄されている感じ、かな(笑)。

あっ、そういえば「音」も空気の波だっ!

さっそく、具体論に入ろう。

ずっと以前のブログで「プリアンプ騒動記」を投稿した記憶があるが、タイトルはとにかく内容はサッパリ忘却の彼方だが、今回も第二の波がやってきた。

きっかけはオーディオ仲間の「YA」さんが貸してくれた「プリアンプ」だった。



我が家のプリアンプにはない「透明感」に少なからずショックを受けた。

オーディオは自分さえ満足していればそれでいい趣味だが、やはり「井の中の蛙」になってはいけないと、改めて痛感。

現場に行くなり、借りるなりの他流試合を通じての「比較=刺激」は、もしご本人に向上心があるとすれば、必須だと思いますけどね~。

なぜ我が家のプリアンプにはこいう音が出ないのか・・、そこで行動開始、とはいってもプリアンプの複雑な回路なんて専門外なので、せいぜい素人同然の人間に弄れるところといえば「真空管」の交換ぐらいしかない。

まずは「安井式プリアンプ」に使っていて、低音域には無類の強さを発揮する「E80CC」に代えて、1年ほど前に「北国の真空管博士」から譲っていただいた「13D3」(CV4068)を、藁(わら)をもすがる思いで4本ともすべて交換してみた。



ちなみに「E80CC」の増幅率(ミュー=μ)は「20」、「13D3」は「33」、12AU7は「18」となるが、「33」とは絶妙の値のように思えるがはたして~。

そして、耳を澄ましてみると・・!

低音域はほとんどそのままに、中高音域が見事に澄み切った音に変身~。

真空管の差し替え程度でこれだけ変わるんだからやはり真空管オーディオは面白い、そして怖い・・。

それにしても、借りたプリアンプを聴かせてもらったおかげで、思わぬ僥倖に恵まれて日曜(19日)の午後ルンルン気分で近所をウォーキングしていたところ、オーディオ仲間のNさん(大分市)からご連絡があった。

「あなたはBRIMAR(英国:STC)のCV4068を持ってるでしょう?」

エッと驚いた。「CV4068なんて持ってませんよ!」

すると「おかしいなあ・・。CV4068でググってみたらあなたのブログが出てきたんだけど~。別名「13D3」とも言いますが」

「ああ~、13D3なら持ってますよ! 
まさに現在差し替えてその性能を満喫しているところです。」

何という偶然の一致だろうか・・。

さっそく、Nさんに「13D3」について自分に連絡するに至ったいきさつを伺ってみた。すると、

「実は・・。今日(19日)あなたにプリアンプを貸しているYAさん(B市)宅に行ってきましたが、それはもう素晴らしい音質でした。使っている球が13D3でした。我が家でも新しいプリアンプを製作中ですが、12AU7を13D3に代えてみたい気がするというわけです」

「なるほど・・。そういうことでしたか。それにしても13D3という希少管をよくもYAさんは持っておられましたね。オークションではめったに見かけない代物ですが・・。」

「どうも、輸入品を取り扱う東京方面からのルートみたいですね」

「そうですか・・。
Nさんにはこれまで一方ならぬお世話になっていますが、13D3だけは現用中なのでお譲りするのはちょっと無理です・・。ただし試聴用として持参するのは構いません。いつ頃がよろしいですか?」

「ハイ、それでは21日(火)の午後はいかがですか」

「わかりました。行くときに、YAさんから預かっているプリアンプも持って行きましょう。ついでにYさんにも声をかけてみます」

昨日(20日)、YAさんに(プリアンプを)他家に持って行くことのご了解を求めたところご快諾、「ただし、13D3はμが高いのでアンプのボリュームコントロールにはご用心を・・」「ハイ、わかりました」。

以下続く。



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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・2・20~

2023年02月20日 | ウマさん便り

「ご近所にいたアニー・ローリーさん」 

南スコットランドのダンフリース郊外にある我が家の周辺は、すべて、羊、牛、馬の放牧地で、家のまわりには、野うさぎ、リス、鹿などが出没する。

最近も、二匹の可愛いいバンビがぼくの部屋を覗いてた。 

さて、おのおの方は、かつて文部省唱歌にもなった「アニー・ローリー」をご存知だよね。実在したスコットランドの絶世の美女に夢中になった方の、その熱い想いを綴った詩に曲がつけられ「アニー・ローリー」となり、明治の日本に「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」や「麦畑」などと共に紹介された。 

ぼくの家を出て右方向に田舎道を十分ほど走ると、アニー・ローリーの生家、マクスウェリントン・ハウスがある。丘の上にある立派な白亜の邸宅です。その家の前を通るたびに、かつて小学校時代、音楽の時間に親しんだ「アニー・ローリー」を懐かしく思い出す。アニーさんはあの白い邸宅で生まれ育ったんや…  

そして、ほのぼのとしたあの優しい旋律、とても好きやなあ。だから、時々、自分勝手流にピアノで「アニー・ローリ」を弾くことがあるよ。下手やけど… 

ぼくの家を出て車で左方向にほんの3分ほど行くと、とても素敵なリゾートホテルがある。自然溢れる静かな環境が素晴らしい。このフライヤーズ・カースは、かつて貴族が住んだヴィクトリア時代の邸宅です。  

すぐそばを流れる美しいニス川は、サーモン釣りで知られ、シーズンになると、このホテルには多くの釣り人がやって来る。

白鳥も舞い降りるこのニス川沿いの道は、うちの犬クリが大好きなので、ちょくちょく散歩に行く。散歩のあとは、このホテルのラウンジで、ビールやワインをいただくのが楽しみになっている。クリはテーブルの下でおとなしくしているよ。 

かなり以前のこと、このフライヤーズ・カースで大きなパーティーがあり、ぼくも女房も招待された。いつも静かなこのリゾートホテルには、着飾ったおおぜいの人が集まり、呑み唄い、そしてダンスに興じていた。

その華やかな雰囲気に、つい飲み過ぎたぼくは、外に出て、芝生にあるテーブルで、ワイングラスを手に、目の前のニス川に落ちる夕日を眺めてた。ま、爽やかな宵のひと時だよね。

それで、ワインのお代わりをもらおうと邸内に入ろうとした時だった、どこからともなくピアノの音色が聞こえてきたんや。 

びっくりした。このフライヤーズ・カースに、立派なアンティークのグランドピアノがあるのは知らなかった。

淡いパープルのロングドレスを着たおばあさんが、ブラームスの子守唄を、たどたどしく、でも、とても楽しそうに弾いておられた。

生のピアノの音に嬉しくなったぼくは、そっとピアノに近づき、ピアノに合わせてハミングしたんです。そしたら、ぼくに気づいたおばあさん、ピアノの演奏をやめ「あなた、弾いて見ない?」だって。

ほろ酔いですごく気分の良かったぼくは心臓も強かった。なんと、おばあさんと交代して、あの「アニー・ローリー」を弾き始めたんや。

そしたら、あんた、とんでもないことが起こったのよ。

ぼくが弾く「アニー・ローリー」を聞きつけたおばあさんたち数人が、ピアノのまわりを囲んだんです。 

弾き終わった時は、大きな拍手をいただいた。

そして、ひときわ品のあるおばあさんが、やや興奮しながらおっしゃった。

「あなたねえ。彼女、すごく喜んでるわよ」

「エッ? 彼女ってどなたのことですか?」

そのあとのおばあさんの言葉にはもうびっくり。めちゃ驚いた。

「もちろん、アニー・ローリーよ。彼女は、この屋敷で晩年を過ごし、そして亡くなったのよ。ほら、あそこの壁に、彼女が使ってた湯たんぽがかけてあるわよ」 

日頃、犬の散歩で慣れ親しんでいたこのホテルで、あのアニー・ローリーが亡くなったとおばあさんはおっしゃる。半信半疑のぼくは、思わず

「それ、本当ですか?」

その後、十年ほど経た頃、日本から送られてきた本に、アニー・ローリーがフライヤーズ・カースで亡くなった事実が記載されていた。あのおばあさんが言ったことは本当だったんだと、とても嬉しくなった。 

で、ふと気がついた…

ぼくの家を出て右に行くとアニー・ローリーの生家マクスウェリントン・ハウス、左に行くと彼女が晩年を過ごし亡くなったフライヤーズ・カース…と言うことは…つまり、彼女は、間違いなく、うちアラントンハウスの前を馬車で通ってたんだよね。でもな、将来、この地に、大阪のおっさんが住むことになるとは、アニーさん、夢にも思わへんかったやろなあ。

文部省唱歌として小学生の頃から親しんだ「アニー・ローリー」をこんなに身近に感じることになるなんて… 

夢に彼女が出て来たらきっと言うやろね…

…アニーさん! あなた日本でも親しまれてますよ…

アニー・ローリーの生家・マクスウェリントンハウス。小高い丘の上にある白亜の邸宅 

アニー・ローリーが晩年を過ごし亡くなったフライヤーズカースにて次女のローザと。壁にある丸いのが彼女が愛用した湯たんぽ。

アニーさんもこのソファに座ったんとちゃうやろか。

(註)残念なことに素敵な写真(白亜の豪邸と「ウマさんと次女様」の映像)がコピペできませぬ~(涙)。



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我が家のオーディオは「一寸先は闇」

2023年02月19日 | オーディオ談義

前々回の「新たなプリアンプの試聴」からの続きです。

「一寸先は闇」とは、「ホンのちょっとの先でも展開が読めない」という意味だが、そのことを身をもって体験したので述べてみよう。

このところ大いに気に入って出番が圧倒的に多くなったウェストミンスター(改)。



100Kgにも及ぶ重量は伊達ではなく、低音域のスケール感と力感はなかなかのもので、この箱じゃないと出ない音がたしかにある。

我が家のポリシーである「低音域はユニットではなく箱で出す」言い換えると「中高音域には箱は要らない」を今更ながら実感しているが、「クラシックのオペラやオーケストラを聴くときでの話ですからね」と、前提条件を付けておく方が無難だろう(笑)。

もうこのスタイルで決まり~、「これでずっと行こう」と思っていた矢先にたまたま試聴の機会に恵まれたのが仲間から借りた「プリアンプ」。



中高音域の澄み切った透明感に圧倒されて、金属のダイヤフラムを持つ「175ドライバー」(JBL)のやや尖った鮮烈な音から「(紙の)コーン型」のワーフェデール「スーパー10」(口径25cm:フルレンジ)に代えてみたらどういう音が出るんだろう、という気がムラムラと湧き起こってきた。

それに低音域は同じワーフェデールの「スーパー12」(口径30cm:赤帯マグネット)だから音色が合わないはずがない。

まったく「175」に不満はないものの、万一故障でもあったときにスペアにもなるしで「思い立ったが吉日」、さっそく木工「工作」開始。

小さ目の箱に入っていた「スーパー10」をバッフルごと引っ張り出して、ジグソーで両端を切ってみた。



さあ、このままウェストミンスター(改)の上に載せてみよう。



「スーパー10」は従来通りローカットが「2000ヘルツ」(-6db/oct)~ハイカット「8000ヘルツ」(-12db/oct)でいこう。

(箱入りではなく)平面バッフルの欠点はユニットの後方に出る「逆相」の音が前面に回り込んで「正相」の音と混じり合って打ち消し合うことだが、波長の長い低音ほど回り込む量が多いが、2000ヘルツぐらいだとそれほど気にしなくていいんじゃないかなと、これは希望的観測~。

「スーパー10」はフルレンジのユニットなので「075」(ステンレス削り出しホーン付き)は無くてもいいのだが、繊細かつ華やかな高音域は「075」なしでは考えられないのでそのままにしておこう。

駆動するアンプは例によって「71A系3兄弟」。



さあ、どういう音が出てくるか、ワクワク・ドキドキ~。

そして、おお~っ、なかなかいいじゃないかっ!(笑)

総合判定では管楽器やアコースティックな楽器は「175」の方が上で、弦楽器系は予想通り「スーパー10」の方が音楽の「佇まい」が非常によろしい。

平常は「スーパー10」を使い、ジャズ愛好家がお見えになった時は「175」といったところかなあ~。

そして、この状態のままでお借りしている「プリアンプ」と既存の「3台のプリアンプ」の計4台のプリアンプの「勝ち抜き合戦」が始まった~。

その結果は~。

もう「言わぬが花」だろうね(笑)。


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男性は女性よりなぜ早死になのか

2023年02月18日 | 独り言

昨日(17日)の読売新聞にミステリー作家「鏑木 蓮」(かぶらぎ れん)さんの訃報が報じられていた。

「東京ダモイ」で江戸川乱歩賞を受賞されたときに、上から目線の表現で恐縮だが「この人は才能有りだね!」と感心し、それからは新刊が出る度に図書館から借りてきて楽しく読ませてもらった。

死因は「多臓器不全」で、享年61歳とはまだ早すぎる~、残念!

ずっと机にへばりついて原稿の執筆作業に追われる作家やオーディオ評論家たち(たとえば瀬川冬樹さんもそうだった)が短命に終わるケースが多い。

寸暇を見つけて運動に時間を割かれていたんだろうか・・。

合掌

それにしても、総じて男性は女性に比べて早死になんだよなあ・・。

なぜか~。巷間、言われているのは次のとおり。

周知のとおり男性はXYの染色体(女性はXXの染色体)を持っているが残念なことにそれは基本仕様ではなく、生まれたときに片方にそのY遺伝子という貧乏くじを引いたばかりに女性よりも短命になっている。

その辺を詳しく探求した本がある。(「本が好き」月刊誌:光文社)

    
本誌に「できそこないの男たち~Yの哀しみ~」(36頁)というのがある。著者の福岡伸一氏は青山学院大学理工学部(化学・生命科学科)教授。

2018年時点で日本人男性の平均寿命(生まれたばかりの男子の平均余命)は81.25年であり、対して女性の平均寿命は87.31年。ゼロ歳の時点ですでに6年もの差がある。

「女性の方が長生きできる」
この結果はすでに人口比に表れている。現在、日本では女性の方が300万人多いが、今から50年たつとその差は460万人にまで拡大する。

男女数の差は年齢を経るほどに拡大する。80歳を超えると男性の数は女性の半分になる。100歳を超える男性の数は女性の5分の1以下にすぎない。中年以降、世界は女性のものになるのである。

どうして男性の方が短命であり、女性のほうが長生きできるのだろうか。

 
男の方が重労働をしているから

 危険な仕事に就くことが多いから

 虐げられているから

 男の人生の方がストレスが大きいから

いずれももっともらしい理由だが、6年もの平均寿命の差を生み出す理由としては薄弱である。

著者が着目したのは上記の理由がいずれも環境的要因に限られていることで、むしろ生物学的な要因
に原因があるのではと焦点を当ててさらに検証が進められていく。

その結果、世界中のありとあらゆる国で、ありとあらゆる民族や部族の中で、男性は女性よりも常に平均寿命が短い。そして、いつの時代でもどんな地域でも、あらゆる年齢層でも男の方が女よりも死にやすいというデータが示される。

結局、生物学的にみて男の方が弱い、それは無理に男を男たらしめたことの副作用
とでもいうべきものなのだという結論が示される。

その証として、取り上げられるのが日本人の死因のトップであるガン。

ガンは結構ポピュラーといっていい病だがそれほど簡単にできるものではない。細胞がガン化し、際限ない増殖を開始し、そして転移し多数の場所で個体の秩序を破壊していくためには何段階もの「障壁」を乗り越える必要がある。

つまり多段階のステップとその都度障壁を乗り越えるような偶然が積み重なる必要があって、稀なことが複数回、連鎖的に発生しないとガンはガンにはなりえない。

それゆえに、確率という視点からみてガンの最大の支援者は時間
であり、年齢とともにガンの発症率が増加するのは周知のとおり。

もうひとつ、ガンに至るまでに大きな障壁が横たわっている。それが個体に備わっている高度な防禦システム、免疫系
である。

人間が持つ白血球のうちナチュラルキラー細胞が、がん細胞を排除する役割を担っているが、何らかの理由でこの防禦能力が低下するとガンが暴走し始める。

近年、明らかになってきた免疫系の注目すべき知見のひとつに、性ホルモンと免疫システムの密接な関係がある。

つまり、主要な男性ホルモンであるテストステロンが免疫システムに抑制的に働く
という。

テストステロンの体内濃度が上昇すると、免疫細胞が抗体を産生する能力も、さらにはナチュラルキラー細胞など細胞性免疫の能力も低下する。これはガンのみならず感染症にも影響を及ぼす。

しかし、テストステロンこそは筋肉、骨格、体毛、あるいは脳に男性特有の男らしさをもたらすホルモンなのだ。

男性はその生涯のほとんどにわたってその全身を高濃度のテストステロンにさらされ続けている。これが男らしさの魅力の源だが、一方ではテストステロンが免疫系を傷つけ続けている可能性が大いにある。

何という「両刃の剣」の上を男は歩かされているのだろうか。

以上が「Yの哀しみ」の概略である。

結局、「男性がなぜ女性よりも早死に?」の理由は「男性に生まれたばかりにYというありがたくない染色体を無理やり持たされ、男らしさを発揮した挙句に早死に~」というのが結論だった。

しかし、何やかや言ってみても今度生まれ変わるときはまた男性に生まれたいと願っているが、皆さまはどう思われますかね?(笑)



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新たなプリアンプの試聴

2023年02月17日 | オーディオ談義

「B市(県内)在住のYAさんがとても優れたプリアンプを作ったらしい」との噂が自然と耳に入ってきた。

こういう「いい噂」の伝播速度はとても速い(笑)。

現在、3台のプリアンプを持っておりいずれも個性豊かで大いに気に入っているが、もしこれらを上回るものであれば購入するのにやぶさかではない・・。

なぜなら「プリアンプ」は音質を大きく左右する力を秘めており、それはもう怖くなるほどの体験をいくつもしてきた・・。

プリアンプの名器といえば「マランツ7」が有名だが、完璧にリストアされた逸品ともなると軽く200万円を超えるんじゃないかな。

まあ、それほどの魅力的な存在といえるわけだが、とうとう「矢も楯もたまらず」1週間ほど前のこと「YA」さんに連絡してみた。

「とてもいいプリアンプを作られたそうですね。何でも5台作って3台はもう”はけた”そうですが、よろしかったら試聴させてくれませんか?」

「ハイ、いいですよ。来週の水曜日なら空いています」とご快諾。

YAさん宅は本格的なJBLの3ウェイシステムでジャズを愛好されており、すべてアンプ(真空管式)を自作されているほどのマニアである。

クルマで1時間ほどのご自宅に一度お伺いしたことがあるが、それはもうバランスの取れた実にいい音で「ぜひ聴かせてください」と、来客が「引きも切らない」とのことだった。



「ありがとうございます。ただし、我が家ではプリアンプに3系統の出力が必要ですが、その点は大丈夫でしょうか」とお訊ねすると「ハイ、現在出力は2系統ですが、3系統にするのは簡単です」

というわけで、あっという間に15日(水)がやってきた。

当日は朝から快晴で、おそらく関係者の日頃の行いがきっといいに違いない(笑)。

さっそく、まずは現行の3ウェイシステムを聴いていただいた。



YAさんは寡黙で落ち着いた方なので、音に対する直接の論評は避けられたが「この音ならほかのスピーカーはもう要らないんじゃないですか」

「いやあ、それがですね、どんなに気に入った音が出ても1週間も続けて聴いていると飽きてきてほかのシステムを聴きたくなるんですよねえ・・」

実に困った落ち着きのない性分である。生来の浮気性かもしれない、オーディオに限ってだけどねえ~(笑)。

ジャズの名盤とされる「サキソフォン・コロッサス」や「エラ&ルイ」など、次々に聴いていただいてから、現用の「安井式プリアンプ」から持参されたプリアンプに交換。

いよいよ「真打」の登場である。



レコードも聴けるようにフォノイコライザー付きのアンプである。そして整流は真空管方式というのが実に興味深い。

ちなみに、我が家のプリアンプはすべてダイオード整流である。製作者に言わせると、「電源部の強化が出来るので・・」とのことだった。

さあ、ワクワク・ハラハラしながら耳を傾けると、高音域の透明感が際立っていることにすぐに気が付いた。これはもう安井式を明らかに上回っている。その一方、低音域の重量感となるとちょっと物足りないかなあ。

もちろん、スピーカーなどとの相性があるので一概に決めつけるのは早計である。

「よろしかったら、現行の12AU7(2本)をE80CC(独:ヴァルボ)に代えていただけませんか。ピン配置は同じはずです」

気持ちよく応じていただいて、交換後に改めて試聴すると、明らかに低音域の量感が増えた。好き好きだろうが自分はこっちの方が好き。

うっとりと聴き惚れていると、YAさんから「しばらく(プリアンプを)置いていきましょうか」「あっ、ぜひ・・・」。

ご友人とお二人でお見えになっていたが、「せっかく別府に来たので温泉に入っていきます」とのことで、1時間半ほどで辞去された。

さあ、このプリアンプを我が家のラインに参入させるかどうか、現在悶々とした日々が続いている(笑)。

そして、このプリアンプに触発されてとうとう「175ドライバー」(JBL)を代える羽目になってしまったのだから、まったくオーディオって奴は「一寸先は闇」ですな~。

以下、続く。



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捨てる神あれば拾う神あり

2023年02月16日 | ウマさん便り

学生時代は人並みに「麻雀」に凝っていたが、一番タメになったのが「波」の存在だった。

たとえば、「和了」(あがり)に恵まれないときはそれがずっと続く。そしてその波を我慢強く耐えていると、そのうち運が向いてきて和了が出だす。

単なるゲームなのにどうしてこんな波が生じるのか、人知の及ばない世界があるんだと、今でも不思議でたまらない~。

そして、このブログにも「波」があるんですよねえ(笑)。

ある程度の期間をおいて読者(アクセス)が増えたり、減ったりする傾向がずっと続いている。

別に内容に手を抜いているわけでもないし、オーディオ、音楽、読書、そして「独り言」を適当にばらまいて偏りが無いように心掛けているのにこのありさま。

とりわけ、昨年の11月頃から今年の1月まではずっと低空飛行が続いていて、そろそろマンネリ気味になって飽きられたのかなあ、このままでは「ジリ貧」かもねえとやや悲観的に~。

なにしろ「音楽&オーディオ」という極めてマイナーな分野だから仕方がないか・・。

ところが2月に入ってから我が目を疑うほどの絶好調ぶりで、往時の勢いを取り戻すかのようにアクセスが快走している。

その原因はといえば、そう、あのスコットランド在住の「U」さん、通称「ウマさん」から寄稿していただいた「モーツァルトが変えた人生」なのだ!(笑)。

内容もさることながら国際色豊かだし、しかもイギリスという国は「オーディオ機器」をはじめ、とても品の良さを感じさせますね。日本人にとってはイメージがとてもよろしいのも一因かな(笑)。

そこで、ときどきこのブログに彩を添えていただくために「ウマさん、これ以外にもおもろい話がぎょーさんあるのとちがいまっか~」と、投げかけてみたところ、すぐにご返事が来て~、

「実はぎょーさんありまっせ~、いやはや「ウマ便りと題した文章は、もう膨大な数があるんです。過去を振り返ると少なからぬ予期せぬ展開に驚きもします。そもそも、中学一年の英語の成績が零点だった人間が、英語を喋る奥さんと英語の国に住むなんて、いさはやではございますねえ。

モーツァルト関連で言うと、思い出す人(故人)がいます・・。

うちの近所の丘の上に住み、モーツァルトを聴きながら星の観測をしていた、僕が「メルヘン爺ちゃん」と呼んでいた方がいます。彼の話はほんとにメルヘンそのものなんです。いずれ彼の話も「音楽&オーディオの小部屋の大将に知っていただきたいですね。

で、こうしましょうか?

まず、その昔に書き始めた時の「口上」のあと、折に触れ、随時、気ままにお送りすることに致しましょう。そこで、一つお願いがあります。

勝ってきままにお送りさせていただきますので、ご返礼やご感想などゆめゆめお気遣い内容にしてください。ただただ、読み捨ててくださるだけで嬉しく思います。

袖触れ合うもなんかの・・ですよね。ありがとうございます。

南スコットランドにて・・      ウマ拝

以上のとおりで、まさに「捨てる神あれば拾う神あり」ですぞ(笑)。

そういうわけで、このブログにも新たなカテゴリーとして「ウマさん便り」を設けました。

その第1号を以下のとおり掲載させていただきましょう。実はご夫婦のとても素敵な写真も掲載されていたのですが、どうしてもコピペできませんでした(涙)。

スコットランドほろ酔い通信・ウマ便り

「はじめに」(2010年冬)

この「スコットランドほろ酔い通信・ウマ便り」は、主に、大阪のミニコミ誌、タウン誌、PR誌、お寺の回覧板(かいらんばん)、寿司店、バー、その他、親しい友人などに、2007年の春頃から不定期に(無理やり)送りつけてきたものです。読者の多くが、ぼくにとって気の置けない気楽な方々と云えます。 

では、なぜ、こんな文章を書くようになったのか? 

「平和活動組織「アラントン・ワールドピース・ソサエティ」のスタッフとしてNGO活動に参加するかたわら、フリーランスのライターとして、日本のいくつかのメディアに、こちらの様子を伝えるリポートを送っています。ですが、これらオフィシャルと言えるリポートには間違いが許されません。そんな文章を書くことにやや緊張感をおぼえたんですね。

で、この「ウマ便り」では、その反動と云うわけで、思いついたことを気儘に書いたものなんです。大阪の読者がかなり多いので、大阪弁が多用されている点は御了承ください。 

政治・経済、移民問題など、やや硬(かた)い話が出て来る場合、僕の習性として、つい軟(やわ)らかい部分を挿入してしまう癖(くせ)があります。皆様方が「アホなこと書いてるなあ」と呆(あき)れる部分は、そんな事情があるのだと御理解ください。 

時々、エンターテイメントとしてショートストーリーを書くことがあります。そんな文章には必ずオチを付け、作り話だとわかるようにしていますが、誰が見ても作り話だとわかるものにはオチは付けていません。それ以外の文章は、誇張や飛躍した部分はあるものの、基本的には事実を基に書いていると思ってください。 

各文章は、アットランダムに並べてますので、はるか昔に書いたもの、最近書いたもの、それぞれ順番はめちゃくちゃです。その点もご留意ください。 

そうそう、この「ウマ便り」…ほろ酔いっちゅうぐらいやから、イッパイひっかけながらが書くことが多いのよ。で、誤字脱字などをめっけた場合など、どうぞお知らせくださいませ。 

(この前口上(まえこうじょう)…、芋焼酎(いもじょうちゅう)で酔っぱらってるわりには、うまいこと書けたな…)

「君の名は?僕の名は?」(2007年春) 

放送中、日本中の銭湯(せんとう)の女湯(おんなゆ)を空(から)っぽにしたという戦後の名作ラジオドラマが「君の名は」でした。その映画版で主役の真知子(まちこ)を演じたのが岸恵子さんです。

相手役の佐田啓二さんとのすれ違いが、はらはらわくわくさせ、このドラマを大いに盛り上げたんでしたね。そして彼女のスカーフの装(よそお)いが<真知子巻(まちこま)き>として一世を風靡(ふうび)したのは、ぼくもなんとなく覚えています。 

たまたま、岸恵子さんのエッセイ集「ベラルーシの林檎(りんご)」を読む機会があったんだけど、その温(あたた)かくも含蓄(がんちく)ある文章に触れ、すごく爽(さわ)やかな気分になりました。そして、この方は知的でしかも優しい、とても素敵な方だろうなと思ったんです。 

彼女の父親の葬儀に参列した会社の同僚(どうりょう)や部下たちは、喪主(もしゅ)をつとめる岸氏の娘が、あの、一世を風靡(ふうび)した「君の名は」の高名な女優だと知り、たいへん驚いたという。岸氏は、勤務先で、自分の娘が有名女優であるなどと、自慢話をいっさいしていなかったんですね。いい話ですよね。

さて、この「ウマ便り」を書くに当たり、その一人称をどうしようかと考えた。「私」や「わたくし」ってのは、どうも馴染(なじ)めないんだよなあ。なんか自分を表わすのに適切じゃないように感じるんや。

明治維新の立役者の一人、蘭学(らんがく)に通じ英語も出来た、あの偉大な勝海舟(かつかいしゅう)の残した文章を見ると、彼が「僕」を多用してるのに驚く。 

そんなわけで、この「スコットランドほろ酔い通信・ウマ便り」では、勝海舟に習って「僕」「ぼく」あるいは「ボク」を使うことにしたい。そうそう、 他人事みたいに、ニックネームの「ウマ」 「ウマさん」を使ったら、自分のドジさ加減も表わせるんじゃないかな。じゃ、これも使うことにしましょう 

英国在住の世界的空手家・冨山惠嗣(とみやまけいじ)さんは自分のことを「わし」と呼ぶ。僕と同じ歳にもかかわらず、この「わし」が、とても良い響きで伝わってくる。 「わし」、いいよなあ…、そこで、鏡の前で冨山氏の真似(まね)をしてみた。

「わし…」、吹き出してしまった。ぜんぜん似合わないんやこれが。でもね、いつの日か、冨山氏みたいに、「わし」が似合(にあ)う日が来るのを期待したいんだよなあ。まだまだ遠い先のことだとは思うけれど…

で、もし、そんな日が来たらね、是非ともエッセイを書いてみたいんです。

「わしがボクだった頃…」 。



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果てしない「音楽の泉」

2023年02月15日 | 音楽談義

前回からの続きです。

神奈川在住の「I」さんが熱心を通り越して猛烈なクラシックファンなのに、なぜオーディオにはさほどご熱心ではないのか・・、本題とはちょっと逸れますが格好の実例が生じたので便乗して自説を述べさせてもらいましょう。

先年のこと、「演奏家がオーディオに関心を持たない理由」について投稿したところ、ある「メル友」さんから次のようなご教示をいただいた。

私も貴方同様にいつも「聴衆・観客」の一人で、演奏をした経験は皆無なのですが、あるピアニストと話をしていて貴方とまったく同じことを感じました。

彼女は、私が持ち込んだiPodスピーカーのトランジスタ・ラジオと変わらぬ貧しい音響にすぐに感激して”良い音ですね”と言うのです。聞かせた演奏の特徴もズバリ言い当てて楽しんでいます。身体がすぐに反応します。

私が感じたのは、随分と想像力が豊かなんだなあということでした。元の音を想像して実際の演奏の様子をすぐに復元できるようなのです。その復元を楽しんでいる。とても我々のできることではありません。

オーディオは単なる「手がかり」に過ぎない。想像による復元のために最低限の情報を提供してくれればよい。それで充分だと思っているようです。彼ら音楽家にとっては(オーディオとは)その程度のものでしかないようです。

また、オン・ステージで演奏する側では聞える〔というより身体で感じる)「音」そのものが違います。他方、我々が求めるオーディオの「音」は客席の音です。

この二つは決して同じではない。そして彼ら演奏家は客席でどう聞えるかをあまり気にしていないのではないか。どうもそう思えてならない。我々との間には、越えがたい溝があるのではないかという気がします。~以下、略~


非常に興味深い話です、演奏家(熱心な音楽愛好家も含めて)にとって、オーディオの役割がおぼろげながらも見えてくるような気がします。


つまり、クラシックを鑑賞するうえでオーディオは単なる手がかりに過ぎず、それを媒体とすることで脳内で豊かな想像力を働かせているリスナーが現実に存在しているんです!

そういえば五味康介さんの著作「西方の音」の中でフォーレの音楽を聴いて海浜で貴婦人に抱かれているシーンを妄想するくだりがあるが、豊かな想像力を磨くとはそういうことなんでしょうか。

いくら「いい音」とか「悪い音」とかいってみても、結局「いい音楽」とはリスナーの頭の中で創造するものなのだ・・・。

おっと、身の程知らずで少し「上から目線」になったかな~(笑)。

とまあ、そういうわけで「I」さん、オーディオに熱心ではないからといってけっして引け目に感じることはありませんからご安心を~。

ついでに、オーディオ愛好家の立場から一言弁解しておくと、音楽を深く追求するというよりも、音の変化によって音楽の様々な表情を浮かび上がらせて楽しむということになりますかね・・。

それから、前回のブログで登場した東独のピアニスト「ペーター・レーゼルのコンサート」について、「I」さんから「音楽評論家、東条碩夫さんのブログ(該当部分)をご案内いたします。」と追加のメールがあったので紹介させていただこう(抜粋)。

「昔、旧東独系の演奏家が出していたこういう真摯な音色は政治体制の変化とともに雲散霧消してしまったが、それでもこのようにそのDNAを脈々と受け継いでいる演奏家が少なからずいるのは、うれしいことだ。~中略~。

そしてソリストは、これも旧東独出身のレーゼル。彼の真摯で深みのある情感、独特の温かみを感じさせる語り口、安んじて心を委ねられる演奏は、もちろんモーツァルトやベートーヴェンなどでも感動を呼び起こしてくれたが、ブラームスの音楽ではそれがいっそう強いものになる。

アンコールには、なんとモーツァルトのピアノ協奏曲第27番の第二楽章が演奏された。たっぷりと遅いテンポを採ってじっくりと歌い上げたその演奏は、むしろ耽美的なほどであり、底知れぬ陶酔感を与えてくれた。ソロとオーケストラを含めて、これだけ深い味のあるブラームスとモーツァルトをナマで聴ける機会は、もう私には二度とないかもしれない。」

以上のとおりだが、いやはや「ペーター・レーゼル」なんて初めて名前を聞くピアニストですが絶賛ですね。自分が知らないだけでこういう名ピアニストがごろごろいるかもしれないと思うと何だか焦ってきますよ(笑)。

前回のブログで紹介した「I」さんのメールの中で、「モーツァルトという大天才の作品には、自分の知らない名作がもっとあるだろう、それを聴かずにこの世を去るのはあまりにもったいない」というコメントが強く印象に残っているが、演奏家も曲目も含めて「音楽の泉」は果てしないです。

いずれ、稿を改めて「浅学非才」なりにもモーツァルトの隠れた(あまり有名ではない)名曲があれば紹介してみたいですね・・。

あっ、そうそう、想い出話を含めて広く投稿を歓迎しますよ(笑)。



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「モーツァルトが変えた人生」の反響

2023年02月14日 | 音楽談義

スコットランド在住の「U」氏から寄稿していただいた「モーツァルトが変えた人生」(6回にわたって連載)は実話だっただけに胸を打つものがありました

ストーリーもさることながら、一人の人間の人生を一変させるほどのモーツァルトの音楽の持つ魅力に改めて感銘を受けました。

反響も大きくて「ショートストーリーの傑作ですね!」というメールも舞い込んできたし、初めてメールをくれた方もいらっしゃいました。

ブログ主にメールを送るのは、面倒くささに加えて少々の勇気が必要だろうし手間もかかるしで、よほどのことだと思いますよ~。

オーディオ記事なんてどんなに「いい音」が出たと書いてみても、スルーされるのが関の山ですが(笑)、「音楽への共感」となると軽くそういう垣根を乗り越えられるみたいですね。

ご了承を得たので、あえて原文のままのメールを紹介させていただきましょう。

「突然のメールで失礼いたします。神奈川在住の「I」と申します。週末の朝からお騒がせして恐縮です。

自宅には簡素なオーディオセット(B&Wとマランツの組み合わせ)があり、所有CDは1千枚超、コンサートに行く回数は年間三桁というクラシック音楽ファンです(オーディオに関する知識は貴台の足元にも及びません。

もうすぐ65歳を迎えるため、完全リタイア後毎日をどう過ごそうかと思いを巡らしております。

さて、貴ブログをいつも楽しく拝読しておりますが、現在進行中の「モーツァルトが変えた人生」を読んで小生にも思い当たるところがあり、思わずこのようなメールをしたためた次第です。

かなり前になりますが、旧東独出身の名ピアニスト、ペーター・レーゼルが来日し、都内の紀尾井ホールでブラームスの協奏曲を演奏したときのこと、鳴りやまぬ拍手に応えて演奏されたアンコールがモーツァルトのピアノ協奏曲27番の第2楽章でした。

あの子供にも簡単に弾けそうなシンプルで非常に少ない音符で構成される旋律に体中に電撃が走るようなショックを受け、感動のあまり終演後、座席から立ち上がれず、しばし放心状態となったことを覚えております。

そのとき感じたのは、モーツァルトという大天才の作品には、自分の知らない名作がもっとあるだろう、それを聴かずにこの世を去るのはあまりにもったいない、という強い感覚でありまして、その勢いで日本モーツァルト協会の会員になり例会に足繁く通うようになりました(笑)。
https://www.mozart.or.jp/

今は事情により例会からは足が遠ざかっておりますがモーツァルトという大天才への思いがけっして衰えたわけではありません。

かって、カール・ベーム(指揮者)が「もしこの部屋にベートーヴェンが入ってきたら、自分は彼の前にひざまずいて最大級の敬意を表するだろう。

だが、もしこの部屋にモーツァルトが入ってきたら自分は興奮のあまり卒倒してしまうだろう」といった趣旨のことを述べていた記憶がありますが、歳をとるにつれ彼の作品への愛着というか、感じる魅力は徐々に強まっていく(深まっていく?)ようにも思っております。


話は変わりますが、「タンノイⅢLZ(オリジナル・イン・キャビネット)+「ラックスの真空管アンプSQ38FD」に関する五味康佑さんの激賞のくだりも懐かしく拝読しました。

小生の記憶によれば、もう一人、タンノイ&真空管アンプをクラシック音楽を聴く際のベストの組み合わせと強く主張した人がいて、それは上杉佳郎さんではなかったかと思います。
http://www.uesugilab.co.jp/outline.html

真空管アンプの優位性を主張され、それを実践すべく自ら製造にも乗り出した御仁ですが、小生の亡父(やはりクラシック音楽ファン)はそれに影響されたのか、タンノイのスピーカー、ラックスマンのアンプ、フィリップスのCDプレイヤーを購入(いずれもそんな高級品ではありません・・スピーカーはスターリング、アンプも真空管ではないですし)、レコードプレイヤーはパイオニアの中級品ですが、サテン、オルトフォンなどのカートリッジがありました。

凄いと思うのは、今でも帰省してレコードをかけてみると(比較的安価なダイレクトドライブだからでしょうか)ちゃんと普通に音が出るのです。

かっての日本の電化製品の優秀さ、信頼性を改めて痛感している次第です。このレコードプレイヤーを購入したのはもう50年ほど前ではないかと思うのですが。

以上、勝手な思い出話ばかりで失礼いたしました。貴台の益々のご健勝を祈りつつ、切れ味鋭いご論評を楽しみにしております。徐々に春の訪れを感じる毎日なっておりますが、ご自愛ください」

とまあ、以上のとおりでした。メールありがとうございます。

こういうメールをいただくと「ブロガー」冥利に尽きますね!

それにしても父子二代にわたってのクラシックファン、そしてCDが千枚超、年間のコンサート参加が3桁に達するとなると、熱心を超えて猛烈なという形容がふさわしいようです。

たいへん素敵な方だと思います。爪の垢を煎じて飲みたいくらいです(笑)。

そして、オーディオシステムについて言及がありましたが、私の知識の範囲内ではクラシックに造詣の深い方ほどそれほど(オーディオに)熱くならないようですね。

オーディオに熱心ということは、言い換えると「音楽に対する脳内イメージの欠如」ともいえますからね。

なぜなら・・。

以下、続く。



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