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「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「早咲きタイプ」 と 「遅咲きタイプ」

2025年05月02日 | ウマさん便り
ブログのネタに困っていた時に「ウマさん」(南スコットランド)から待望のお便りが届きました。

「遅咲きの人」

日本からゲストがやって来た。
この婆さん、80歳ぐらいかな?
一見、穏やかそうに見えるけど眼光は鋭い。彼女は、手相、顔相を見る権威だと聞いている。
で、僕も診てもらった…
電灯の光より自然光が良いとのことで、昼間、窓辺で、かなりの時間、熱心に僕の両手を熟視し、顔相もじっくり診てくださった。

その結論…
「ウマさん、あなたは遅咲きの人です。昔から何かやりたい事はありましたか? 或いは、何かやってみたいと思うことはありますか? もし何かやりたいことがあるのなら、決して遅くはないですよ。ぜひ、チャレンジしてみてください」

僕って遅咲き?…そんなこと今までまったく考えたことはなかった。で、ちょっと沈思黙考…だけど、すぐ、アッ!と思った。
そうや! 僕の夢見た職業ってジャズピアニストやないか! そうや!ジャズピアニストや!
画家の堀文子さんは、77歳でアマゾンに行き、82歳でヒマラヤに登った。高校同期の森島くんなど、70歳でヴァイオリンを始め、75歳で武蔵野市民交響楽団のメンバーになった。凄いよね。
そうそう、静岡県富士宮市に住む、僕が敬愛する今(こん)さんも熱心にジャズヴォーカルを習ってらっしゃる。やりたい事をやるのに年齢は関係ないんや! 年齢のことなんか、あっちゃ行けーッ!なのね。ええ歳こいて…なんて禁句や!

日本を代表するビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」で長年活躍した名ピアニスト、藤井貞泰さんが言ってた…
「ジャズは聴くより演るほうが楽しいですよ」
そうか! よっしゃ! やろう! ジャズピアノの基礎からやろう。猛練習しまっせぇ。もう、ルンルン気分や。
ほんでなー、そうやなあ? 7年後にデヴューすることにする。ルンルンでっせぇ〜。
デヴューの晴れ舞台は、あの有名なモントルー・ジャズフェスティバルにしよう。
僕のステージネームは、もう決めてあるよ…

「レディース アンド ジェントルメ〜ン!…
グレイト・ジャズ・ピアニスト フロム ジャパーン!
 ミスター…ウマ〜…ウマー・ルンルン・トンマー!」
 ワーッ!ワーッ!ワーッ! (拍手拍手拍手!)

藤井貞泰さんもきっと喜んでくれる(んとちゃうか?)。

藤井貞泰さん80歳! …指を使う人は歳をとらないね。



ハイ、ありがとうございました。

昔のブログ記事をふと思いだしました。功成り名を遂げた実業界の仲良し3人組が旧交を温めたときに残りの人生に対して3つの誓いをしたそうです。

「奥さんを大切にする」「健康に気を付ける」「夢を持ち続ける」

このうち、「遅咲き」は「夢を持ち続ける」に通じるところがありますね。

で、おいらの夢って何だろう・・、明かすと実現しそうにないのでそっと胸にしまっておこう。どうせ、「音楽&オーディオ」か「ブログ」がらみで大したことないです(笑)。

最後に「チャットGPT」さんのお出ましです。

質問:人間は早咲きタイプと遅咲きタイプがあると思います。どちらがいいと思いますか?
ChatGPT:

とても良い問いですね。「早咲きタイプ」と「遅咲きタイプ」、どちらが「良い」と一概には言えませんが、それぞれに強みとリスクがあります。

早咲きタイプのメリット・デメリット

メリット

  • 若いうちに成果を出すことで、自信や社会的な信用を早く得られる

  • 挑戦する時間やリソースが多く残っている

  • 成功体験を土台に、さらに成長できる

デメリット

  • 早く成功した分、プレッシャーや期待も早く・重くのしかかる

  • 成功が早すぎて、その後の成長が鈍化する(燃え尽きや迷い)

  • 周囲とのギャップや孤独を感じることも


遅咲きタイプのメリット・デメリット

メリット

  • 時間をかけて自分を深く理解し、地に足のついた成功がしやすい

  • 挫折や経験が多いため、視野が広く、柔軟な対応ができる

  • 成熟したタイミングでの成功は、周囲に深いインパクトを与えることが多い

デメリット

  • 成功までに時間がかかることで、自己肯定感を保ちにくいことがある

  • 周囲と比較して焦りや不安を抱えやすい

  • チャンスが少ない、あるいは遅すぎると体力・気力が続かない可能性も


結論

どちらが「良い」というよりは、「自分に合ったタイミングで咲くことが大事」と言えるでしょう。成功の時期に「早い・遅い」はありますが、価値がある・ないという話ではありません。

咲くタイミングは、自分自身の準備や環境の巡り合わせに左右される部分も大きいので、他人と比べるより、「自分にしか咲けない花をどう咲かせるか」を大切にしたいですね。

あなた自身はどちらのタイプだと感じますか?

あなた:
遅咲きタイプだと思います
ChatGPT:

遅咲きタイプだと感じているんですね。それは決して悪いことではなく、むしろ深みや芯のある魅力を持っている可能性が高いと思います。

遅咲きの人は、

  • 時間をかけて経験を積んでいるので、本物の実力や信念を持ちやすい

  • 成功したときの説得力や影響力がとても強い

  • 「なぜ自分はこれをやるのか」という軸がブレにくい

という特長があります。歴史上の偉人やアーティストでも、40代、50代、あるいはそれ以降に花開いた人は数多くいます。

大切なのは、まだ咲いていない自分を「未完成」と見なさず、「育っている途中」と捉えることです。時間がかかっている分、根はしっかり張っていますから、咲いたときの強さは早咲き以上かもしれません。

以上、励ましていただきありがとうございました。

「音楽&オーディオ」や「ブログ」もすべて「成長途上」と思うことにしましょう(笑)。



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「明治屋の盃」~ウマさん便り~

2025年04月21日 | ウマさん便り

南スコットランド在住の「ウマさん」からお便りがありました。このブログがマンネリ化して読者からそろそろ飽きられてきた頃に絶妙のタイミングで送られてきます(笑)。

ありがたいことです。感謝しながら転載させていただきます。

「明治屋の盃」

僕には座右の銘はありません。敬愛する画家の、故・堀文子さんが、おっしゃってたコメントを思い出します。

「座右の銘を持つようになったらおしまいね」…

でも、座右の本はあるんです。

丸谷才一さんの「星のあひびき」それに田村隆一さんの「詩人の旅」
丸谷さんは、なんと言っても、その旧仮名遣いの文章がいい。なんか、ほのぼのしてくるんだよね。
「ヘルマン・ヘッセといふドイツの小説家は、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』について、人間によって作られた最後の完璧なもの…と言つたさうですが」…

田村隆一さんって、いつも飄々(ひょうひょう)としてらっしゃる。僕に詩ごころはないけど、田村さんの詩を眺めていると、自分も飄々としてくるような気がして嬉しくなります。そして、彼には独特のユーモアのセンスが… 「いいですか、越前カニを食べに行くのですよ。だから、汽車弁はおろか、ビールなどもってのほかです」…凄い酒呑みなのに「ビールなどもってのほか」だって!

丸谷さんのユーモアもしかりです…「アジアでは星も恋する天の川」…

このお二人に共通するのは、外国の文献をよく読んでらっしゃることかな。田村さんなど、アガサ・クリスティ作品の翻訳もしておられる。でも、お二人とも、そんなことに言及されることがありません。自慢しいの僕など、見習わないとね。

で、僕のデスク…つまり、座右には、上の二冊の文庫本が常に鎮座してるんだけど、実は、鎮座している物が、もう一つあります…それはね…
僕の最愛の居酒屋であり、大阪最古の居酒屋でもあり、僕が大学浪人時代に通い出した居酒屋…
その「明治屋」のお猪口、おちょこ、つまり「さかずき」が、常に座右に置いてあるんです。

大学浪人時代、朝「予備校に行く」と家を出る。天王寺に着いても予備校には行かない。
天王寺公園にたむろしているホームレスのおっちゃん達の輪に入る。10時になると、おっちゃん達に「ほな、また…」と阿倍野筋のチンチン電車沿いを歩いて明治屋に向かう。そう、当時は朝10時に開店していた (今は午後1時)。その理由を明治屋の大将、松本さんは「夜勤明けの人が来はるさかい…」
今、思うに、すごく暖かい営業方針だったね。
昼過ぎに、また、とぼとぼと歩いて夕陽丘図書館へ行き、好きな本をたらふく読む…
で、午後4時ごろ、再度、明治屋へ。ちょっと背伸びして、常連のおっちゃん達とカウンターで肩を並べる。帰りの電車賃がない時など、天王寺公園派出所のおまわりさんに借りるんです。
「また君かいな…」

家に帰ると母親に言われましたね「あんた予備校へ行ってるんやろ?なんで毎日酒臭いの?」
大学浪人の分際で酒臭い…実は、明治屋の存在を教えてくれたのは親父なんです。
「酒を呑むなとは言わん。が、まともな店で呑みなさい」

かなり後年、女房のキャロラインを初めて明治屋へ連れて行った時の彼女のコメント…
「サムライが出てきそう」…

そんなこんなで、明治屋は僕にとって忘れ難い店だということですね。

自分のデスクに「お猪口」を置いてる人間って、ほかにいるやろか?

 まほろばはるか 思ふは 日いずる国
 虚心坦懐 詩酒生涯ありや
 明治屋の 扉開くるは いつの日ぞ
 暖簾くぐるは いつの日ぞ…

ま、せめて、その「お猪口」を座右に置き、そして懐かしむ…の図でしょうか。

唇が触れる部分が絶妙のカーブを描いて外に広がる。これが酒を一層旨くする。



以上のとおりです。

この「盃」は外人さんにも好評のようですね、ずっと以前の「ウマさん便り」の中で、この盃を近くの天文学者から所望されて差し上げたところ、たしか交換にクルマを頂いたという記事がありましたね~。

ところで、冒頭に出てくる「座右の銘を持つようになったらおしまいね」…、その是非について。

おそらく、人間は自由で柔軟な生き物なんだからそんなものに縛られて生きる必要はない、否・・その通りに出来るはずがない、という意味でしょうか?

そこで「チャットGPT]さんの出番です。

「座右の銘」を持つことの功罪について。

面白いテーマですね!
「座右の銘を持つことの功罪」は、こんなふうに整理できます。


【功】メリット

  • 指針になる
    迷ったとき、自分の選択を支える「軸」になる。ブレにくくなる。

  • モチベーション維持
    落ち込んだり迷ったりしたとき、励みや再起のきっかけになる。

  • 自己ブランディング
    周囲に自分の考え方や価値観をシンプルに伝えられる。

  • 成長を促す
    理想とする座右の銘に近づこうと努力することで、自分を高める動機づけになる。


【罪】デメリット

  • 柔軟性を失う
    座右の銘にこだわりすぎると、状況に応じた柔軟な判断ができなくなる場合がある。

  • 自己矛盾に苦しむ
    座右の銘と現実とのギャップに悩んだり、自分を責めたりしてしまうリスク。

  • 他人を裁く基準になる
    無意識に、自分の座右の銘を他人にも押しつけてしまうことがある。

  • 成長を止めるリスク
    座右の銘を固定観念にしてしまうと、新しい考え方や変化を受け入れにくくなる。


要するに、
「座右の銘を持つなら、柔軟にアップデートしていく」
ことが大事なんだと思います。

もしよかったら、あなた自身は座右の銘を持っていますか?

ハイ、持っていませんし、これから持つ積りもありません(笑)。


 
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トップサイダー~ウマさん便り~

2025年04月05日 | ウマさん便り

「トップサイダー」

インターネットで日本の週刊誌や雑誌をリアルタイムで見られるようになって久しい。
高齢化社会を反映してか、病気、医療、医者、病院、介護、相続、遺言などの記事が多く見られます。

食品に関する記事もかなりありますね。健康にとってダメな食品…

牛乳、マーガリン、ハム、ソーセージなどは身体に悪い…これらは、かなり以前から、複数の雑誌に同様の記事が見られます。かなり以前、ある医師が新聞に個人広告を出し「牛乳は身体に良くない。特に子供には飲ませるな!」と訴えた。これに対して、牛乳関連の業界からいっさいの反論がなかったのを覚えている。

某・伊藤ハムに勤務していた友人が…「ハムやソーセージなど、加工食品は食うたらあかん。身体に悪い」…製造している現場を見た人間のコメントです。マーガリンが身体に悪いのも、かなり以前から言われてますよね。


問題はビーフやポークなどの食肉です。大きく意見が別れます。健康にとって諸悪の根源だと言う専門家がいれば、歳をとるほどタンパクが必要だから肉を食べましょうと言う医者もいる。僕は後者の意見をとっています。

一目も二目もおく医師の和田秀樹さんが、そのように提唱しているからです。和田さんは、昔から常識と言われて皆が信じていることを、再度じっくり検証して新たな意見を構築する方なんです。もちろん、僕は、健康にとっての肉類の悪い面も承知してますよ。良い点もあればそうじゃない面もある…二律背反だよね。


沖縄の爺ちゃん婆ちゃんで90歳過ぎて仕事をしている方はごく普通です。母親の故郷・久米島の親戚の、90歳過ぎた婆ちゃん爺ちゃんの多くが、日々、働いているのを、僕は、目の当たりに見ました。
彼らは豚肉をたくさん食べている。ビタミンB1の宝庫ですね。それと、沖縄では昆布は採れないのに、彼らは実に多くの昆布やワカメを食べています。そして、太ってる方のなんと少ないことか!

さて、そんな記事の中、老齢の人間が、こけたりひっくり返ったりすると、とんでもない事態になることが少なくない、との警告の記事がありました。すぐに思い出した…僕の祖母は、何かにつまずき、こけて、入院した。そして、一週間後に亡くなったんです。

濡れた路面で滑ってころり、そしてコロリと逝っちゃう…洒落にもならんよね。
こけてひっくり返らないためには、どうすれば良いか?
日頃から足腰を鍛える…もちろん正論でしょう。しかし、ジムへ行って筋トレするなどは、老齢の人間にとって、たやすく出来る事ではないですよね。で、現実的な方法を考えましょう。
そうなんです。靴です。シューズです。

1935年、アメリカのスペリーさんは、ある日、雪道や氷の張った池で、平気で歩いたり走ったりしている愛犬を見て考えた…「犬の足の裏はどないなっとるの?」…で、犬の足の裏をつぶさに研究した結果、滑りにくい靴のソール(くつ底)を開発し特許を取った。それが、スペリーのソールです。



僕は、かなり以前から、このスペリーソールを採用した靴「トップサイダー」を愛用しています。
僕はヨットが好きなんだけど、デッキで滑ると生死に関わる。で、この「トップサイダー」のソールを使用したデッキシューズを愛用するようになった。

そして、いつの頃からか、日常的に、この「トップサイダー」の靴を履くようになったんです。ギリシャのパクソス島のヨットハーバー沿いを歩いていた従姉妹のジャッキーが、濡れた路面で滑ってひっくり返り、瞼の上を数針縫うけがをした。その時、僕は、同じ濡れた路面を、平気で歩いてましたね。


で、おのおの方、どうでしょう? 滑って転んでとんでもない事態に遭遇するのを避けるため「トップサイダー」の靴を履いて見ませんか?「トップサイダー」で、ググると、めちゃぎょーさんのトップサイダー・シューズが出てきます。

男性用・女性用とも、あらゆるデザインが揃ってます。しかも、それほど高価なものではなく気軽に買えるお値段です。

念のため言っとくけど、僕は、トップサイダーから一円も貰ってないよ。でもさ…
こんだけ宣伝してあげてるんやから、一足くれへんかなあ?

滑りにくい特殊なスペリーソール…。

南スコットランド在住の「ウマさん」から、以上のようなお便りがありました。

転倒! 実は筆者にも身に覚えがあるんです。今にしてようやく気楽にお話しできる事柄です。

忘れもしない昨年(2024年)の12月5日のこと、玄関先で小さな段差に躓いてドウッと転倒したんです。

それから1週間ほどは打撲した左の膝が曲がらずウォーキングもできず大変でした。もちろん、整形外科に駆け込みましたが(骨のヒビと靱帯損傷)それからおよそ4か月、ウォーキングは何とか出来るようになりましたが今でも後遺症が残って、膝が130度くらいまでしか曲がりません。

目下リハビリ中ですが、おそらく完全な回復は無理ではなかろうかと思っています。少なくとも「正座」は到底無理です。

まあ、音楽&オーディオを楽しむにはあまり支障が無いので不幸中の幸いでした。玄関の柱や敷石に頭でも直接打ちつけていればもう「お陀仏」でしたね。

読者の皆様方もくれぐれも「転倒」にはお気をつけてください。筆者みたいに気忙しく動き回らないことです。

そういえば、「トップサイダー」ならぬ「サンダル履き」でしたがね!(笑)



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「家元」ほか~ウマさん便り~

2025年03月28日 | ウマさん便り

南スコットランド在住のウマさん・・、なかなかメールが来ないのでもしかしてご病気ではと心配していたら、かなりの長期にわたって日本に帰ってきていらしたとのこと。

故郷は関西地方とお伺いしているが、まずは安心しました。そして再び「ウマさん便り」の復活です、有難いことです


それでは、いつもの「ウマさん節」をご紹介させていただきましょう。

「家元」

家のあちこちに花を生けるのは僕の担当です。
長女のくれあは「風水」に詳しく、花を置く場所を指定する。
特に、家の玄関ドアの両脇には、必ず花を生けなければならないと力説する。なぜなら…
玄関に花を生けると、グッドラック、つまり、幸運がやってくるんだって。
うちとこは、実に、様々なゲストを迎えるけど、それらの方々が幸運を運んでくれるそうです。
そう言えば、思い当たることがかなりあるなあ…なるほど。

邸内すべての場所に花を生けるのは、結構、大変な作業なんです。二十数箇所すべてに花を設置するのは、ほぼ半日仕事だと言っていい。まず、ガーデンじゅう廻って花をカットする。カットする時は、必ずお花ちゃんに声をかける…「綺麗ね。ありがとうね」…ガーデンで、この言葉を百回は言うよ。昔、ある方から言われたんです。「花ってね、人間が語りかけるのを聞いてるよ」
大きなバケツ三つに山盛りのお花たちを入れて家に戻り、花瓶をたくさん並べて、色のバランスを考えながら生けて行く。ここらは美意識が問われるね。そして、すべての花瓶に生けると、地下から3階までの家じゅうに運ぶ。各トイレやシャワールームにも置くよ。かなりの時間がかかるけど、やり終えるとね、清々しい気分になる。だってさ、家中が花のかほりに包まれるんやからね。

日本からのゲストの方に訊かれることがある…
「ウマさんはお花を習ってらしたんですか?」
僕の返事…
「いえ、実は、僕は華道の家元なんです」
皆さん、驚かれる。
「へぇー、何流ですか?」
「ウマ・トンマ流・左巻き千家でございます、はい」
「わぁーすごい!」
冗談を信じた方がいた時はずっこけてしもたがな…



流石は「お城」を取り囲む「お花さんたち」ですね!

現在、日本では各地で「桜」が満開です。そして大好きな「紫木蓮」も目を楽しませてくれます。日本中が「花だらけ」の状態です。



昨日、小雨交じりの中をウォーキングしていたら、「虹」が海の中にかかっているのを見つけました。団地の展望台から別府湾を眺めた風景です。



「春息吹く 海面刺さる 虹の橋」・・、お粗末でした!(笑)

つづいて、「ダンフリースのレコード屋さん」

地元ダンフリースの街にレコード屋さんがオープンした。早速、訪ねてみた。
人口3万2千人の地方の街で、二軒目のレコード屋さんです。僕のようなレコード愛好家にはとても嬉しいことです。
僕は、毎夜、お香を焚き、LPレコードに針を落とす。ありきたりの表現だけど、至福のひとときなんだよね。

僕が初めてLPレコードを買ったのは小学校五年生の時で、ロシアの巨匠、ダヴィッド・オイストラフの演奏によるチャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲だった。今でも、自転車に乗って鼻歌を口ずさむ時、このチャイコフスキーの第一楽章のさわりの部分が出て来る。続いて、必ず、橋幸夫の「潮来笠」が出て来るけど、はて?何でやろ?
そんなダヴィッド・オイストラフが27歳の時、国際コンクールで二位になった。その時の一位は、若干15歳のフランスの女の子だった。後年、世界的巨匠となるオイストラフの、その時のコメント…「彼女の一位は当然だ」…
僕がそのフランスの女の子に興味を持たないわけがない。で、その彼女、ジネット・ヌヴーのレコードを買い漁ることとなった。天才と言われ、超売れっ子の彼女が、アメリカへの演奏旅行の途中、飛行機事故で亡くなった。1949年10月、30歳の若さだった。超売れっ子が飛行機事故で亡くなる…大好きな脚本家、向田邦子さんが台湾での飛行機事故で、帰らぬ人となったことを思い出す。
ジネット・ヌヴーによるブラームスのヴァイオリン協奏曲は、今に至るも、僕にとって、最高のブラームスです。

剣豪小説で世に出た五味康祐 (ごみやすすけ)さんは、そこらの提灯持ち評論家などまったく寄せ付けないほど、クラシック音楽に造詣の深い方だった。彼は、世界的演奏家や有名評論家に対しても、容赦のない辛辣な批評をする方でもあった。そんな彼が「ジネット・ヌヴーの早逝は惜しまれてならない」と述懐しておられたのを思い出す。

さて、そのダンフリースのレコード屋さん。結構、お客さんが入っていた。アメリカでは、何年か前に、レコードの売り上げがCDを上回ったらしいけど、こんな田舎の街にもレコード愛好家がいることに嬉しくなった。
そのレコード屋さんの店主は、とても人懐っこい人で、ニコニコと僕に話しかけてきた。「日本人?」
ハイ、そうですと答えた途端、彼は、たくさんの17センチEP盤を出してきた。驚いた。なんと、箱いっぱいに60年代70年代の日本の歌謡曲がぎっしり。
都はるみ、黛ジュン、ちあきなおみ、研ナオコ、石田あゆみ…もう、びっくりや!
スコットランドの こんな小さな街に、日本の歌謡曲のファンがいて、これらのレコードは結構売れると言う。
で、ふと思いついた…
こんな方々を集めてカラオケ大会をするんや。NHKの「のど自慢」の真似をすれば良い。
丸太ん棒のような太い腕に、ちっちゃく「愛」のタトゥーを入れたおっちゃんが…
「一番、あんこ椿は恋の花…」
なんか、楽しくなるよね?

レコード屋さんで売ってた日本の歌謡曲のほんの一部



千昌夫の「星影のワルツ」・・、もう50年以上も前のこと、職場での新入職員の歓迎会のときに下手ながら歌わされたときのことが走馬灯のように蘇ってきました。

「別れることは つらいけど・・」、とにかくあの頃は若かったなあ~(笑)。

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ソプラノ歌手「エディット・マチス」の訃報

2025年02月15日 | ウマさん便り

南スコットランド在住の「ウマさん」からメールが届きました。

「オペラ歌手エディット・マティス(ドイツ)死去の一報がありました。
86歳だったそうです。

中学に入った頃、確か「音楽の友」だったと思う。
巻頭のグラビアでその白黒写真を見た僕は
「うわーっ、可愛いい人だなあ!」と、その写真を切り、取り机の前の壁に飾りました。
マリア・カラスやシュワルツコップを知るはるか以前のことです。

悲しい一報ですが、まだ生きておられたことにも驚きましたね。

ご冥福を…」

情報提供、ありがとうございました。

実はブログ主も彼女の大ファンでした! 



とにかくすごい美人なんです! それに知性も兼ね備えているので(何といってもオペラ歌手ですからね!)「鬼に金棒」です。声も抜群です。オペラ「魔笛」(DVD)の王女役「パミーナ」(ソプラノ)の役どころで、存分に魅力を発揮していました。



日本公演でオペラ「フィガロの結婚」に出演し、その美貌に驚愕してファンになった方が沢山いたと聞いたことがあります。

享年、86歳・・、ほぼ日本女性の平均寿命ですね。合掌。

追加して、ウマさんから「ジネット・ヌヴー」に関するメールをいただきましたので、掲載させていただきます。

ヌヴーについては、先日のブログ「シベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴く」で、取り上げて以来「私もファンです!」という方々が全国各地で次々に手を上げられて反響をよんでいます。

飛行機事故で没後、およそ70年余・・、彼女の力強くて「神聖な炎」
まだ完全に燃え尽きてはいないようです!

それでは、ウマさんからのメールを・・、タイトルは「向田邦子とジネット・ヌヴー」です。

テレビドラマなどで、教訓めいたセリフを書く脚本家はあまり好きじゃない。なんか上から目線を感じるんやね。もっとも、僕がひねくれているせいかもしれないけど…。だから、教訓めいたセリフの少ない向田邦子の脚本には共感を覚えていたし、ハッピーエンドでさえ、ふと考えさせる何かがあったようにも思う。 

先月だったか、YouTubeで、向田邦子のドキュメンタリー「没後20年、向田邦子が秘めたもの」を観た。驚くべき内容だった。

数々のドラマを書いてきた彼女だけど、彼女自身が誰にも明かさなかった秘めた恋こそがドラマではないか?と思ったね。いつもそばにいた彼女の妹さえ知らなかった秘めた恋…

向田邦子の恋文5通が、亡くなった相手の遺族によって発見され、彼女に返却された。その手紙を向田邦子はタンスに秘蔵していた。後年、亡き姉の部屋を片付けていて、その手紙を見つけた妹は、とても驚いたという。 

妹の判断で、20年後に公開されたその恋文を読むと、向田邦子が、病に伏せる彼に、献身の心遣いを見せていたのがよくわかる。が、妻ある人への恋は、彼女の作品にどのような影響を与えたのか?

あれだけ多くのドラマを書いてきた向田邦子だけど、自身に秘めたストーリーだけは書けなかったんでしょうね。 

向田邦子は、書くドラマがことごとく高視聴率を記録し、さらには、様々な人間模様を描いた「思い出トランプ」が直木賞に輝いた。そんな絶頂期の彼女が、台湾での航空機事後で還らぬ人となって久しい。 

絶頂期の突然の死…で思い出すフランス人がいる。

ジネット・ヌヴー … 

今から80年以上前に彼女が弾いたヴァイオリンは、今に至るも、ぼくにとって日常の癒しとなっている。

小学校一年の頃だったと思う。家にあったソノシート(これ懐かしい人は歳がわかるよ)で、ヴァイオリンの巨匠、ロシアのダヴィッド・オイストラフを知った。

どういうわけか、そのチャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルトに痛く惹かれたんやね。ませとったんかいな? ま、それがクラシック音楽に親しむきっかけとなった。

時が流れ、高校時代やったと思う。たまたま、そのダヴィッド・オイストラフの伝記みたいな文章を読んだ時、27歳の彼が国際コンクールで二位になった時の話が僕の興味を惹いた。

一位になったのが若干15歳、フランスはパリ産まれの女の子だという。僕は、あのダヴィッド・オイストラフを超える15歳ってどんな娘や? さらに、二位の27歳オイストラフに「彼女の一位は当然だ」と言わしめた、その15歳のフランス娘に、僕が興味を持たないわけがない。 

さっそく、心斎橋の日本楽器のレコード売り場へ行って、そのフランス娘のレコードを探したら…あった! ジャケット写真を見ると、めちゃ可愛い娘やないか。嬉しくなってニコニコしながら地下鉄に乗った。

ところがや、えらいこっちゃ。家に帰って解説を読むと、ジネット・ヌヴーは、30歳の絶頂期に、アメリカへ演奏に行く途中の飛行機事故で亡くなってる。もうこの世にいないんや。ショック!

7歳でオーケストラと共演、天才少女と絶賛され、成長とともにその人気はうなぎのぼりに高まり、ヨーロッパ各地での演奏はもちろん世界中で演奏し、アメリカへも毎年のように演奏旅行をするようになる。

初レコーディングが1938年で19歳の時、今から80年前、もちろん、はるか戦前のことです。 

クラシック音楽に造詣の深い芥川賞作家の五味康祐さんの本を読んで嬉しかったのは、世界的演奏家や高名な評論家でさえ容赦無く切って捨てる辛辣な彼が、ジネット・ヌヴーを絶賛していることです。

…彼女の早い夭折が惜しまれてならない…と。 

当時、ぼくが集めた彼女のレコードは、今の時点で言うと、どれも70年から80年前の録音で、音は決して良いとは言えなかった。ところがCDの時代になってリマスタリングの技術が向上したせいか、音が格段に向上した。

今、彼女のCDは全部持ってるけど、彼女のヴァイオリンの音色を、現代の録音と比べても遜色ない良い音で聴けるのはとても嬉しく思っている。

彼女の残したレコーディングはどれも素晴らしいけど、特に1948年3月に録音された「ブラームス・ヴィオリン協奏曲」には、もう言葉もない。 

さて、今宵は、人生の絶頂期に飛行機事故で亡くなったお二人のご冥福を祈りつつ、YouTubeでこのお二人を偲びたい。おのおの方も是非一緒にご覧下さい。

エッ? おいらの絶頂期? あんたなあ、あたしゃ、まだまだこれからでっせー! エッ? なんやて? すでにもうろくしてる? ほ、ほっといてんか!

向田邦子…1981年8月22日 51歳没

ジネット・ヌヴー…1949年10月28日 30歳没 (ぼくが産まれた4ヶ月後) 

YouTube →「没後20年、向田邦子が秘めたもの」

YouTube →「ジネット・ヌヴー /ショパン夜想曲第20番」

ショパン夜想曲第20番…

映画「戦場のピアニスト」で、廃墟に隠れていた主人公がナチの将校に見つかり、ピアノを弾くように命令されて弾くのがこの曲。元はピアノ曲です。多くのヴァイオリニストがこの曲を引くけど、亡くなる3年前のジネット・ヌヴーのこの演奏を聴くと、目が潤んできて、もう…」



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「寂聴」(じゃくちょう)~ウマさん便り~

2025年02月06日 | ウマさん便り

「寂聴 」(じゃくちょう)


「火宅の人」檀一雄も真っ青になる「火宅の人」女性版…



そう、作家の瀬戸内晴美さんです。この人、もう、えげつないどころとちゃいまっせ。

夫・子供がいるにも関わらず愛人と出奔、そして、まあ、その後の男遍歴ったら、すごいですねえ、いやはや。

もちろん、そんな恋愛沙汰の経験や「体験」が、小説のネタになってるのは明らかです。
そして、そんな恋愛、いや「愛欲」遍歴の挙げ句の果てが出家です。本人も、思いもよらない成り行きだったと述懐してるけど…
出家した時、大阪は八尾に住む、住職で作家の今東光さんが彼女に電話した…
「法名は寂聴にしたらどうだい?」晴美さん、即座に弾んだ声で返事した。
「はい、喜んでいただきます」

なぜ、瀬戸内晴美さんが、今東光さんの提案「寂聴」を即座に受け入れたか?…
これが今回のテーマです。

以下、彼女の述懐です。(カッコ)内はウマの注釈。

「音楽嫌いと思い込んでいた私に四十歳をいくつか超えたある日、年下の男の友人(愛人)が一枚のレコードをくれた。彼の意を迎えるため、あわててステレオを買った。そしてそのレコードをかけた。それが、エリック・ドルフィー(ジャズミュージシャン)の『ラスト・レコーディング (LAST DATE)』だった。

私は、全身に震えを感じ、聴き終わったら涙を流していた。なるほど、音楽とはこういうものかと思った。私は深い森の中で無数の小鳥に囲まれているような感じがした。湖が見え、白い霧が林のこずえを流れるのが見え、せせらぎの音が聞こえ、森の外から角笛が聞こえてきた。

(中略) 私は自分が才能なく音楽に無縁で、一度印刷されたら、消すことの出来ない小説を書く仕事を選んだことが、不幸のように一瞬思った。

その時のステレオは国産の上等だった。それでも何だか不安になり、すぐもっと上等のものに買い直した。機械が変わっただけで、レコードの音が全く違ったものになるのに驚嘆し、私はそのレコードがすり切れるほどかけつづけた。ジャズならわかる。その時が私の音楽への開眼である。何と遅いめざめだろうか。四十年も私は耳がありながらつんぼでいたのである。

(中略)その時以降、月に二十枚ほどジャズのレコードを買った。不思議なことにレコードがたまるにつれ、クラシックの音楽を聞いても眠くならなくなった。特にバッハなどがとても好きになった」


「小説を書きながら、その場のバックミュージックにジャズを選んでひとり悦にいる楽しみも覚えた。たいてい真夜中に一人で聴く。疲れきっている時、ジャズは全身の細胞にしみとおり、涙のようにかわいた軀をうるおしてくれる。

エリック・ドルフィーでジャズを覚えたせいか、その後の私の好きなジャズ曲も、静かなものが好きなようだ。もちろん、彼の他のレコードも集めはしたが、何か決定的なことを決める時とか、心がめいった時とか、むやみに高揚しすぎる時とかに、私におまじないのように最もはじめに私にジャズというより「音」を教えてくれた最初の一枚をかけることにしている。

それから、何年かたち、私は全く思いがけないなりゆきで出家した。その時、今東光師からいただいた私の法名は「寂聴」であった。私は電話で今師から、「寂聴」はどうだい、と聞いた瞬間、耳にあの「ラスト・レコーディング (LAST DATE)」が聞こえてくる気がした。

「いただきます」と、私は弾んだ声で答えていた。
今でも、私は尼姿で、嵯峨の寂庵の夜を、ジャズレコードをかけてひとり聞いている」
 
さて、瀬戸内さんが今和尚からの電話で「寂聴」と聞いた時、彼女が、なぜ、エリック・ドルフィーの音楽を思い浮かべたのか?

僕の見解です…

瀬戸内さんは、つまり…エリック・ドルフィーの音楽を、かねてより「寂」の音楽だとの認識で「聴」いていたんだと思う。寂と聴…
しかし、一つ謎があります。なぜ、今和尚が「寂聴」の法名を思いついたのか? 御本人亡き今、永遠にわからなくなりました。

エリック・ドルフィーは、アルトサックス、クラリネット、バスクラリネット、そしてフルート奏者です。

彼の演奏は、決してウキウキする楽しいジャズではありません。かなり前衛的で内省的な演奏です。彼のアルトサックスやバスクラリネットの演奏を「馬のいななき」と評した方もいます。

しかし、彼のフルート演奏は、内省的で、かつ緊張感があるものの、この上なく美しいと感じるのは僕だけではないと思います。エリック・ドルフィーの宇宙世界を感じると言うと大袈裟やろか?


瀬戸内さんが心が震えたとおっしゃる「LAST DATE」に収録されている「You don’t know what love is」(あなたは恋を知らない)を、あとでおのおの方にお送りするんで聴いてみてください。

この有名なジャズのスタンダード曲、ドルフィーのフルート演奏は、いきなりの即興演奏で、なんとテーマが出てきません。すごい演奏だと思います。音楽嫌いだった瀬戸内さんが、一気にのめり込み、涙を流したのがよく理解出来る演奏です。


それにしても、瀬戸内寂聴さんが、嵯峨の寂庵で、尼姿でジャズのレコードを聴く様子を想像すると…う〜ん…いいよなあ。

僕は「生きざま」と言う言葉が好きではありません。自分を語るのに「生きざま」を使う方はちょっと敬遠したいですね。やはり「生き方」でしょう。

九十九歳、亡くなる直前まで健筆を振るい、天寿を全うした瀬戸内寂聴さんの「生き方」は、世に移ろいがあるように、人生にも移ろいがある一つの見本の提示のような気がしています。ご冥福を…

https://youtu.be/Pksfz8uycLk?si=LTxaf1SFtDZHEi9H
 
 

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ポートレート~ウマさん便り~

2025年01月31日 | ウマさん便り
先日、久しぶりにロンドンへ行きました。
スコットランドの田舎から行くと、ほんと、おのぼりさんですね。

…うわー、大都会だあ!…あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ…
おのぼりさんのことを「カントリー・ンプキン」って言うけど、僕は冗談で「カントリー・ンプキン」と言ってます。
 
ロンドンで、時間があれば必ず寄るのが、トラファルガー広場にある「ナショナル・ギャラリー」です。
その圧巻の展示内容には、毎回、我を忘れる。事実、我を忘れて、帰りの電車に乗り遅れたことがありました。

いつも、その作品の前で動けなくなるのが「ターナー」です。あの、光と水、そしてその陰影の表現は他にはないと思う。
同じ「光と影」でも、レンブラントとは全然タッチが違います。
 
英国の画家ターナーを知ったのはレコードジャケットだった。



かなり昔、そのLPジャケットの絵を見た僕は、即、レジにそのレコードを持っていった。ジャケットの裏には、ベニスを描いたその素晴らしい絵がターナー作だと書いてあった。

さらに、MJQ (モダンジャズカルテット)によるその演奏「One Never Knows(人知れず…)」も、ストーリー性を帯びた実に素晴らしいもので、今でもちょくちょくCDで聴いています。その中の一曲「ベニス」では、ドラムのコニー・ケイが、スティックではなく、ブラシでスネアドラムを擦り(こすり)、ザーッ…ザーッ…と水の音を表現している。見事な職人芸ですね。
 
今回、そのナショナルギャラリーのお隣りの「ポートレイト・ギャラリー」を初めて訪れた。ポートレイト、つまり肖像画です。
歴史上の人物や有名人など、貴族趣味を感じる作品が圧倒的に多く、市井(しせい)の人々を描写した作品はない。ま、当然かもね。
ナショナル・ギャラリー同様、入場無料だけど、僕にすれば一回訪れたら十分です。

英国の美術館・博物館は、特別な催しを除いて、通常、入場は無料です。でも、僕は、毎回、少しだけど寄付金を置いてきます。だってさあ、素晴らしい多くの作品群…タダだなんて罰が当たりますがな。

英国の美術館・博物館は入場無料だけど、英国は医療も無料です。この事実に、国としての矜持あるいはポリシーを感じると言うと大袈裟やろか?
 
さて、実は、そのポートレイトなんだけど…
僕の娘たち、くれあとらうざ(ローザ)…この二人、かなり絵が上手なんです。くれあがパステルで描いたローザなど、表情を実に上手く捉えている。
そのローザが初めて描いた油絵など、その巧みで精緻な描写に写真だと思ったほどです。


 
で、ローザが描いたウマ、つまり、僕のポートレイトがあるんやけど、まつ毛が長くてさあ、ちょっと可愛いんだよね。照れちゃうなあ。
あとでお送りするけど、どんなポートレイトか、ちょっと想像しておいて下さいませませ。
 
複製画をよく見ると、CDの写真が反転していることが分かる。単なるミス?

             

追伸


 
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「家はインフラ」~ウマさん便り~

2025年01月23日 | ウマさん便り

前回、アラントンハウスには鏡が多いと言う話をしましたね。
下の航空写真を見ていただくと、邸内に、陽のあたらない箇所が数多くあることが、容易にわかると思う。



二万四千坪…甲子園球場のほぼ二倍ある敷地は、林あり森ありで、様々な動物が住んでいる。
野ウサギ、キジ、リス、おこじょ(イタチの一種)、無数の野鳥、鷹や鷲、巨大なフクロウにモグラ、そして鹿など…
鹿は家の裏の森に住処があり、毎年、春になると親子で散歩している姿をみる。
しばらくすると娘たちバンビだけで散歩に出る。だけど、母さんから言われていると思う…
「変なおっちゃんがおるから相手しちゃダメよ」
しかし、ウブなバンビちゃんたち、興味津々で僕の部屋を覗く…
「…おっちゃん、何してんの?」

このアラントンハウスは、東京にある公益法人「五井平和財団」の全面的サポートを得て、ヨーロッパに於けるNGO活動の拠点として運営されている。

公益法人の資格は政府により厳正に審査されるので取得はかなり難しい。アラントンもそれに準じたスコットランドの資格を得ている。「チャリティ・ナンバー」と呼ばれるのがそれで、認可を受けるのは簡単ではない。NGO組織アラントンが、チャリティ・ボランティア団体として、政府からこの認可を得た時、その値打ちを知らなかった僕は、アラントンのスタッフが歓声をあげているのを不思議に思った。


この「チャリティ・ナンバー」を取得すると社会的信用度が断然違ってくる。取得してすぐに、地元ダンフリースの市長や警察署長からの挨拶があった。つまりアラントンは半ば公的存在だと認められたんですね。


アラントンハウスは、築二百年は優に越えるヴィクトリア時代の建築です(推定240年)。当時は豪勢な貴族が住んでいて、敷地は今の十倍はあったと言う。

ここで、彼我(ひが)の違い…英国の住宅事情を説明しておきましょう。
例えば、日本では…「家を建てるんです」「家を建てましてね」…こんな会話は珍しくないよね。

しかし、英国で、このようなコメントは、まず聞かない。なぜか?…

家は「既にあるものを買う」のが普通なんです。つまり、家はインフラ、社会資本だということです。木の家と石の家の違いも、これに影響している。

日本では年月を経た家の価値はどんどん下がるのが普通だけど、英国では、通常、古くなっても価値があまり下がらないんです。

特にヴィクトリア時代の家など、かなり人気があり、決して安くはなく、高価な物件も少なくない。

ついでに言うけど、日本人の間違い英語の筆頭が「ホテルのフロント」と共に「マンション」です。これは何度も述べてきたよね。昭和30年代に、無責任な不動産業者が勝手に名付けた。

「アパートよりかっこええ名前がないやろか?…そうや!マンションがええ」…で、日本じゅうのアパートがマンションになってしまった感がある。マンションは一戸建ての大邸宅のこと。2DKや3LDKのマンションなどあり得ない。アラントンハウスのような大邸宅がマンションなんです。

数年前だったかな?うちに初めて来た若いポストマンが、僕に郵便物を手渡しながら言った…「素晴らしいマンションですね」

日本のマンションを英語でいうとアパートメントです。

「ホテルのフロント」は、正しくは「レセプション」で、英語で言う「ホテルのフロント」は、ホテルの玄関、つまり建物の外です。ホテルのフロントで待ち合わせした外人さんは玄関の外で待ってるよ。

大阪の阿倍野にあった「ホテルエコー」…一階のロビーに入るとエスカレーターがあり、案内板に「フロントは二階にあります」とあった。ところが英語でも書いてあり「 Front of the hotel is upstair」…「ホテルの外は二階にあります」…なんじゃこれ?


僕の地元ダンフリースの街には、創業四百年以上のパブが何軒かあり、当時の建物を今でも維持している。そして、そこら中に、築二百年〜二百五十年の家があるよ。10年ほど前かなあ、街に住む一人住まいの婆さんを訪ねた時…「婆さん、この家も古いね」…ところが婆さん…「いや、ウマ、まだ新しいわよ。百年ぐらいじゃない?」もちろん、住宅開発業者による新築の分譲住宅もあるけど、古い住宅の「使い回し」がごく普通だということですね。家はインフラ…わかってもらえた?

アラントンハウスのようなビクトリア時代の大きな邸宅に住んでいるのは、例外なくお金持ちです。古い分、その維持管理にかなりのお金がかかるからです。我々は決して金持ちじゃないので維持管理は自分たちでやる。外壁の高い場所での修復作業など、クレーン車を借りてきて自分たちでする。
つまり、僕、ウマ自身は、NGO活動のお手伝いをするかたわら、家の維持管理、家の内外の修理修復、ガーデンでの野菜類の栽培・収穫、それに主夫として、毎日、結構忙しくしています。

一日の仕事を終えた夕べ…お香を焚き、レコードに針を落とすひとときが、至福の時間なのでございます…(急にお上品になっちゃったりして…)

「宵のひととき…脇に、ちべた〜いシャルドネをはべらせ、椅子に深く腰掛ける…漂い流れ来る音楽…その心地よい響きに、我、一人ため息をつく…」
わーい、ウマさんて、詩人かい?

ところで、あんた…「大きな家に住めていいじゃない…」と思ってない? …ところがね…
家の中でケータイが要るのでござるよ…「どこにおるー?」「ゴハンやでー!」

塔があるから城だと言った方がいる。塔のてっぺんからの景色は360度絶景です。

猫のマルコは森にあるモグラの巣で寝込んでしまったのか、朝帰りしたことがあるよ。
門限は9時〜5時だけど、守らないねえ、この娘…



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ブログにアクセスできない・・、そして復活~「ウマさん便り」~

2025年01月17日 | ウマさん便り

南スコットランド在住の「ウマさん」はこのブログの読者として、とてもありがたい存在である。

このブログに関してもメールをちょくちょく頂いており、もちろん抜かりなく、「ウマさん便り」として「カテゴリー」を設けて、その都度ご紹介させていただいているが、何しろ国際的な視野からの文面なので(ブログの)「彩」(いろどり)が豊かになって大いに助かっている。

しかも大好きな「大英帝国」ですからね~(笑)。

このブログの読者ならご存知のように、我が家のスピーカー群の9割方は英国製のスピーカーだが、そのサウンドを一言でいえば「思慮深くて気品のある音」に尽きる、明らかにどことは言わないけど他国とは違うようで・・(笑)。

その「ウマさん」から3日前にこういうメールが届いた。

「新年のご挨拶がかなり遅くなりました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。ですが…
 
実はちょっと困った事態になっております。
新年1月1日、いつものように「音楽とオーディオ」の小部屋のブログを拝見しようとしたのですが、なんと…
アクセス出来ないんです。他に週に1回ほど開けさせてもらってる札幌在住の方のブログも開けることが出来ません。
こんなこと初めてなので、大いに困惑し、たまたま家にいた、コンピュータに詳しい長女のくれあに相談しました。
 
パソコンの問題はいつも娘たちが解決してくれました。今回も、いつものように、即、直してくれるだろうと楽観してたんですが、くれあは、ほぼ半日がかりの作業の末「おとーちゃん、これ、日本のサーバーの問題や。こっちで直すのは無理」…
 
で、日々の楽しみであるブログを覗くことが出来なくなってるんです。まことに残念な事態です。ああ困った!
 
なんとか直したあとでご報告するつもりだったんですが…
ま、取り敢えず、ご報告しておきます。う〜ん、なんとかならんかなあ?」

で、次のように返信。

「実はしばらく音信が無いのでご病気かも・・、と心配しておりました。結局アクセス不能ということでしたか、不幸中の幸い(?)でした。

たしか去る2日のことでしたか、「グー」(NTT系)がハッカーから攻撃を受けて閲覧不能となりました。こちらは半日後に回復しましたが、その余波が続いていると思います。早く良くなるといいですね。

ふと思いついたのですが、メールの交換ができるのですから、ブログをコピーして送りましょうか。

それほどには及ばないというのなら、別ですが・・。いずれにしても早くネット環境が回復するといいですね。」

そして、昨日になって待望の「復活」のメーが届いた。

「朗報です。インターネットの回線が復活しました。久しぶりに「音楽とオーディオ」の小部屋を嬉々として開きました。
ご心配をおかけしました。もう大丈夫だと思います。

で、元旦からのブログを一気に読ませていただきました。もっとも感銘したのは鎌田實医師のお話しです。

ネットで日本の週刊誌や雑誌を読めるようになって久しいですが、日本の高齢化者社会を反映した記事が目立ちます。病気の話、医者や病院の話、病気を予防する食べ物の話などなど…。しかし、玉石混交で、医者によって言うことが違ったりと、誰を信用して良いのか迷います。そんな中で、この人ならと常に信頼をおいてきたのが鎌田實さんなんです。

かなり以前、「人間には魔性の面がある」と、父親との確執を正直に書いておられたのを読み、この人は信頼出来るなと感じたわけです。彼のコメントを見て、凶悪犯罪者の過去を調べて見たら興味深い結果が出るのではと思ったこともあります。そのような人間が「音楽を愛し読書に励む」ことがあったのか? ですね。で、「音楽とオーディオ」の小部屋の主や僕などは、決して凶悪犯罪者にはならねえよなあ…と (一応) 安心?もするわけですね。

長野県の短命の村を指導し、長寿村に変えた功績は、そこらの医者では無理でしょう。なぜなら、鎌田實さんは、医療行為ではなく、生活の習慣や食事を指導することで、それを成し遂げた稀有な医者だからです。

医学部では食べ物と健康に関する授業はほとんどないと思います。しかし、健康の85パーセントは食事によると僕は思っているので、友人の医学部教授に「食と健康」の授業は必要だよとコメントしたことがありました。


ごく最近、中学高校同期で、とても仲良しだった人物と56年ぶりに連絡が取れました。音楽大好きな彼は、タンノイの「エディンバラ」をマランツで駆動していると、その写真を送ってくれました。そして70歳になってヴァイオリンを習い出し、現在、東京の武蔵野市市民交響楽団のメンバーと言います。嬉しいじゃないですか。で、早速、彼に「音楽とオーディオ」の小部屋のブログを紹介しました。」

さっそく返信~。

「ありがとうございます。それにしても復活してよかったですね! 実はホンネを申し上げますと、これで今まで通りブログのネタを提供していただけそうだと、内心 ほくそ笑んで おります(笑)。」



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メリークリスマス!~ウマさん便り~

2024年12月29日 | ウマさん便り

この拙ブログに無くてはならない存在になっている「ウマさん便り」(南スコットランド在住)。

お便りをいただきだしてから早2年近くになるが、今ではオーディオ関係記事を軽く凌ぐ勢い(アクセス)になっているので、「庇(ひさし)を貸して母屋(おもや)を取られる」状態といっても過言ではない(笑)。

とはいえ、ブログ主にとっては「労少なくして功多し」なので、とてもありがたい存在である。

1週間ほど前に、「メリークリスマス」のコラム(万人向け)をいただいたものの、少し登載のタイミングが遅れましたがお許しください。


「メリークリスマス !」

 
このコラム「日々是好日 (ひびこれこうじつ)」では、こちらと日本の違い、つまり、彼我(ひが)の違いなどもお伝えしてるけど、キリスト教の祝祭日にも、日本と大きな違いがあります。
 
先々月末やったか、YouTubeで日本のニュースを見てびっくり!
渋谷はかつて僕も親しんだ街だけど、その渋谷区の区長さんが、ハロウィンのために街に集まらないようにと強い口調で述べていた。

さらに、渋谷駅周辺のあちこちに「ノー・ハロウィン」のポスターが貼ってある。毎年、大騒ぎしてケガ人まで出るんやね。これね、こっちの人が知ったらビックリ仰天するよ。
 
ハロウィンはキリスト教の祝祭日の一つだけど、街に繰り出す習慣はまったくない。幼い子供達がよそのうちを訪ねてプレゼントを貰うという微笑ましい習慣や、魔女のコスチュームなど着てパーティーをすることはあるけど、街におおぜい集まって大騒ぎ…これはあり得ない。

そもそも、渋谷に集まるそんな烏合の衆 (と敢えて言う) は、ハロウィンの意味を知ってるのだろうか?
「キリスト教の諸聖人を祝する日の前日」…ちょいとオタクらね、これを分かってて渋谷に集合して大騒ぎしてんの?
 
こっちのハロウィン…スーパーのレジの婆さんが派手な化粧をして魔女の格好をしてるのは笑えます。いつやったか、そんな婆さんが背中にほうきを担いではった。もう、笑いをこらえるのに苦労しましたね。スーパーでみんなニコニコ…
 
今も見られるキリスト教の影響…
通常、こちらの普通のお店は午後5時か5時半には閉店する。これね、キリスト教が言う「安息」の影響なんです。仕事をそこそこ終えたら安息の時間を持ちなさい。じゃあ、お勤めしてる人の勤務後の買い物時間はどうなるの? つまり、商売 (金儲け) よりキリスト教の教えが優先なんやね。

世界中のゴルファーの憧れ、ゴルフ発祥の聖地セントアンドリュース…そのオールドコースは世界一の憧れのコースと言える。しかし、このオールドコース、日曜日はキリスト教の安息日で、なんと!お休み。ゴルフ場の日曜日って、かきいれ時じゃないの? やっぱり金儲けよりキリストの教え優先なんですね。
 
さて、クリスマス…
これはキリストの降誕を祝う、こちらでは、年間を通して文句なしの最大の「宗教行事」です。が、日本とは大きな違いがあります…

この日、街から人通りが消える目抜き通りに人影はないほぼすべてのお店がこの日は閉店する。開いてるのは一部のパブぐらいやね。つまり、クリスマスは家で祝うもので、街に繰り出すものではないんです。
 
自分の子供の頃を想い出してみる…
あの、ワクワクする、サンタクロースからのプレゼント…夢があったよねえクリスマスには…ウキウキ・ルンルン♫やった…(当時、ルンルンという言葉はなかったけど…)
 
で、結論…
だから、ハロウィンも、クリスマスがそうなったように、いずれは「子供達がワクワクするような催し」になればいいと僕は思ってます。ま、宗教はちょいと置いといて…さ。
 
玄関ホールのクリスマス・ツリーは、うちの裏の森に群生してるモミの木の枝を切って作ります。以前は3メートルぐらいの枝をカットしてたけど、もう、担ぐのがしんどいので、今は自分の背丈ぐらいの枝ですね。

東京にいる次女のらうざ (ローザ) が三年ぶりにスコットランドに帰ってくる。歓迎せんといかんので、LEDのイルミネーションで 「ROZA」をこさえた。びっくりするやろなあ。

ちなみに、おとーちゃんが音楽を聴く部屋では、年がら年中、輝いてまっせ、イルミネーションが! …もう、毎日がクリスマスでございます。ルンルン気分でミュージックでっせぇ〜♫〜

ところで、あのLEDの光やけど、長いこと「青」だけは存在しなかったの知ってる? 世界中の専門家が試行錯誤したけど「青」だけは出来なかったんです。そんな「青」のLEDを日本人が発明して久しい。四国の中村さん、ありがとう!

     

ハイ、ありがとうございました。

ちなみに、ウマさんが最後に触れられていた四国の中村さんの青色LED開発の件です。

先年のこと、ノーベル賞受賞者となった彼のサクセス・ストーリーを読んだところ、次のようなこと(要約)が強く記憶に残っています。

「在籍していた徳島大学は地方大学のため非常に予算が少なかったので、開発の手順をコツコツと一からこまめに手掛けざるを得なかった。ところが、何とその初期的な段階に鍵を握る大きな発見があったのには驚いた。その点、予算が潤沢にあった他の大学や企業はお金に任せてその手順を省いていたのがネックとなって青色LEDの端緒を発見できなかった。まったく何が幸いするか分からない」

つい、我が家の「ビンボー・オーディオ」を連想しましたねえ~(笑)。


 
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俳句が変えた人生~ウマさん便り~

2024年12月09日 | ウマさん便り

こちら(南スコットランド)のお葬式は教会で執り行われるが、その昔、驚いたことがあった。

教会に入った途端、びっくりや! 
なんと大音量でロックが流れているのよ。なんで?

葬儀で、故人の好きな音楽を流すことは珍しくないと知った。
僕がメルヘン爺ちゃんと呼んでいたヒュー爺さんは、星を観察しながらモーツァルトのソナタを聴く人だったので、葬儀では、ピアニストがずっとモーツァルトのピアノソナタを演奏していた。

それと葬儀では、必ずB5サイズほどのチラシが配られる。
故人の写真やプロフィールなどに加え、故人作の俳句が紹介されていることも珍しくない。

Haiku は、もう日本だけのものではない。
俳句の授業がある中学校があるし、毎年、師走に入ると、スーパーや本屋のカレンダーコーナーに、俳句カレンダーが並ぶ。まず、草書で書かれた俳句(もちろん縦書き)…それの読み方(ローマ字)…その意味…そして、七五調で英語に訳したもの…

ところで…
地元ダンフリースの市営ジムにはちょくちょく行く。ま、たまには筋トレもするけど、いちばんの楽しみはサウナ。銭湯大好き人間が、銭湯のない国で、せめて銭湯代わりに行くのが、ジムのサウナというわけやね。

いつだったかなあ…サウナで派手な花柄ビキニを着た婆さんと出逢った。
とても立派な体格に花柄ビキニ…いいじゃない!自分の体型を気にせず、派手な花柄ビキニを着用しておられる。

こんな方って、裏おもてのない方じゃないか?と、とても好印象を抱いたね。


ついでに言うと…

人間ってさあ、体形と年齢を気にするのが必要な場合と、それらを忘れていい場合があるように思う。

それらを気にして節制したり体力作りに励むのはいいことだけど、それらを全然気にすることなくやりたいことをやる…これもいいことだと思う。例えば…


僕の大好きな画家、堀文子さん…
100歳まで作品作りに励んだ彼女、ご自分の年齢を気にしたことないんじゃないかなあ。
69歳でイタリアへ移住、トスカーナ地方にアトリエを構える…(イタリア語は出来ない…)
77歳の時、アマゾン旅行、マヤ遺跡、インカ遺跡など探訪…
82歳の時、ヒマラヤ登山、念願だった幻のブルーポピーを探しに行く…(のちに作品となる)
どお? 年齢を気にしてたら、こんな行動ちょっと無理じゃない?

で、サウナの婆さん、自分の年齢と体型を顧みず、派手な花柄ビキニ…立派だと思うなあ。

挨拶を交わしてすぐ、その婆さん、僕に…「あなた、日本人?」
ええ、そうですと答えると、エライコッチャ、あんた、とんでもないことが起こったのよ…
いや、驚いた。

そのビキニの婆さん、僕が日本人だとわかると、もう、ニコニコ…

なんと、俳句を暗唱しだした。しかも日本語や!

「フルイケヤ〜…カワズ…トビコム…ミズノオト〜…」

もう、びっくり! 呆気にとられてしもた…

そして、僕は、彼女が語る「俳句が変えた人生」に惹き込まれてしまった…

学生時代は、バイロンやジョン・キーツ、ボードレールなどの詩に親しんだとおっしゃる。
だけど、エドガー・アランポーの詩にも惹かれたと言うので、あれ?と思った。
「エドガー・アランポーって、詩人じゃなく推理小説家じゃないんですか? ほら、モルグ街の殺人…」
「そう、でも、彼は素晴らしい詩人でもあるのよ」
「エドガー・アランポーが詩人? 初耳や。昔、日本の推理小説家が、自分のペンネームをエドガワ・ランポにしましたよ」

俳句を知ったのは、今から50年以上前、造船所に勤めていた御主人が事故で亡くなった頃だという。

落ち込んでいた彼女に、友人がくれた一冊の本が「俳句入門」だった。

そして、その本で、芭蕉を知ったことが大きな転機になったとおっしゃる。言葉の戯れごとだった俳句を芸術の域まで高めたのが芭蕉だった。芭蕉なくして俳句はない。

こちらの俳句ファンは、芭蕉をニックネームのバナナと呼んでいる。昔、僕の祖父が果物のバナナをバショウと言ってたのを思い出す。


ビキニ婆さんは言う…
その「俳句入門」を読んでるうちに、シンプルな表現の中に様々な感情が込められているのが分かるようになった。
そして次第に俳句に惹かれるようになり、とうとう自分でも俳句を詠むようになった。
すると、過去を振り返ることがなくなり、悲しみとサヨナラすることが出来たとおっしゃる。そして常に前を向くようになったとも…
俳句なくして今の自分はないとまでおっしゃる。

僕の友人の数学者で芭蕉の研究家として知られるロナルド・ターンブルを紹介してあげたらすごく喜んでいた。
後日、彼が芭蕉のことを書き、僕の書が掲載されたトレッキング雑誌を彼女に進呈することになる。

ほかに人がいなかったせいか、サウナで汗を拭きふき、随分話し込んじゃった。
別れ際、彼女の名前を尋ねた…

その次に彼女に会ったとき、彼女の名前を筆で和紙に書いたのをプレゼントした…
彼女の名前ティナのティを「茶」とし、古池のある奈良の「奈」を加えて「茶奈 (ティナ)」…
緑茶が大好きだと言うティナ、もう飛び上がらんばかりに喜んでくれた。そしてハグハグ、ハグ…ちょっときついハグだったけど…

PS: 僕の葬式のチラシに載せる俳句はもう決めてまっせ…

「…まあ、しゃーない、三途の川のお出迎え…」(季語なし)… 上田敏子さんや、これ英語に訳してくれへん?

僕には俳句を詠む素養はないなあ。学生時代、友人のK君と車で北海道へ行った。

札幌から旭川を過ぎ、最北端の街、稚内(わっかない)を目指した。途中、サロベツ
原野で、雲にかすむ利尻島の利尻富士を望んで詠んだ一句…

「利尻富士…見えるかどうか…わっかない…」…K君、ドテッ!…

おあとがよろしいようで…。

最後に、ブログ主から~、

俳句じゃないけれど、文豪「スタンダール」(フランス)の墓碑銘は「書いた、愛した、生きた」と簡潔なものですが、もしかしてウマさんにピッタリじゃないかなあ。

ちなみに、ブログ主では「聴いた、読んだ、生きた」でしょうか。

読者の皆様も3語で己の人生を表すとしたらどうなんでしょう。

まさか「食べた、飲んだ、生きた」じゃないとは思うけど~(笑)。



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「I’ll be seeing you」~ウマさん便り~

2024年11月16日 | ウマさん便り
南スコットランド在住のウマさんから投稿直前に「ホットメール」が届きましたので、ご紹介させていただきます。

タイトルは「I’ll be seeing you」
 
英文学者・夏目漱石は「I love you…」を「月がきれいですね…」と訳したそうやけど、これ、文学的「意訳」と捉えるか、単に「気障(キザ)」な表現ととるか、どうなんやろ?  僕やったらどう訳すかなあ? いろいろ考えてみたけど、これやね…

「I love you…」→「好かんタコって言わないでね …」
 
僕の好きな古いアメリカの歌「I’ll be seeing you」…この歌詞に「I love you」はない。だけど「I love you」の心は溢れている。初めて聴いたのは高校時代やった。

心斎橋・日本楽器のレコード売り場をウロウロしてた時に流れていた。思わず、おっ!…聴き惚れてしもた。で、売り場の人に「この歌ください」…ビリー・ホリデイのレコードを買ったのは、その時が初めてやった。で、毎晩、聴いてましたね。
 
そうこうするうちに、この「I’ll be seeing you」…どう訳すんやろか?…気になりだした。

調べてみると「また、会いましょう」だって。挨拶言葉かいな? しかし「I’ll be seeing you」に続く歌詞を訳すと「かつて尋ねた場所で、一日中ずっと、想い出を愛(いと)おしんでしまいそう…」…するとや「また、会いましょう」は、ちょっと違うよね。未来進行形として「私はあなたを見ています」も、なんかおかしい。以来、その適訳を考え続けて今に至っている。

そうそう、ある時、高校同期で、クラスでいっちゃん英語が出来た中村敏子嬢に尋ねたけど「う〜ん、ちょっとわからない」…そらそうやろ、歌の一節だけ取り出して訊くのは無茶だわ。

ところが、あんた、最近、ネットでググったら、なんと、素晴らしい訳を見つけた。
「I’ll be seeing you」→「あなたを思い浮かべるでしょう…」これや! いやあ嬉しかったね。「seeing」って「見る」にこだわってたらあかんわけや。…心の中で seeing…→「思い浮かべる…」なるほどなあ。

今まで何度か言ってきたけど僕は英語があかん。中学三年間、英語の試験で50点を超えたことは数えるほどやった。せやけど、和訳とか英訳とかは、人によって出来が違うからクリエイティブな要素があるやろ? だから、和訳とか英訳とかを「クリエイト」することには興味があるわけです。

スタンダード曲「I’ve got you under my skin」を「あなたはしっかり私のもの」と訳した方がいた。偉い!  世界的な空手ブームを巻き起こしたブルース・リーの「燃えよドラゴン」…この訳は、原題の「Enter The Dragon (ドラゴン登場)」よりはるかにいい。どお? 和訳・英訳にクリエイティブな要素があるってわかってもらえる?
 
ところで、おのおの方には「思い浮かべる方」っている?
実はね、ここだけの話やけどさ…僕には、密かに思い浮かべる方がいるのでござるよ。

エディンバラに住んでるジュリア…めっちゃ美人…
僕はグミが好きなんやけど、ジュリアが作るグミって最高なのよ。歯や歯茎にくっ付かない絶妙の柔らかさなんや。搾りたての果汁を入れ、人工添加物は一切なし。ちょくちょくうちにやってくるけど、そのたびに、最高のグミを、ぎょーさん持って来てくれるのよ僕のために…ジュリアって、その碧い瞳に吸い込まれそうな美人、そして、グミ作りの名人。
 
ジュリア…この名前を思い浮かべるだけで、もう、ワクワクドキドキ、ルンルン気分やでぇ〜。ええ歳こいて…
めちゃ美人でスタイル抜群、長〜い足にジーンズがすんごく似合う。ファラ・フォーセット風のブロンドが大きくウェーブして、キラキラ輝いている。

ま、そんなわけでね…しょっちゅうジュリアを思い浮かべて、つぶやくのでございます…「I’ll be seeing you」
彼女、今でも独身や。若い時は、めっちゃモテたんとちゃうか。エッ? ジュリアの歳?…そうやなあ? 今、85歳ぐらいかなあ?
 
ビリー・ホリデイの「I’ll be seeing you」は、村上春樹さんが「夜中に聴くと堪らない…」言うてはった。

もちろんビリー・ホリデイもいいけど、僕が、最近、よく聴いてるのが、ロサンゼルスのシンガー・ソングライター、Lauren Coleman (ローレン・コールマン)。彼女がギターの弾き語りで唄う「I’ll be seeing you」…下をクリックして聴いてみてね。ええよ…
 
ほな、おのおの方、まったね〜…I’ll be seeing you ! でっせぇ〜…ルンルンの (めでたい) おっさんより
 
 
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「くちなしの花」最終回~ウマさん便り~

2024年11月11日 | ウマさん便り

南スコットランドの粋人「ウマさん」からメールが届きました。前回の「くちなしの花」の最終回です。

「いいですね、ストレート・ノーチェイサー!」
その方が口にした言葉に、思わず仰け反りそうになった。
確かに僕のウィスキーの飲み方はストレート・ノーチェイサーだけど、まさか、ジャズのスタンダードになっている曲のタイトルを彼が口にするとは思ってもいなかった。

ジャズの歴史における巨人の一人で、数多くの名曲を書いたのが、ピアニストのセロニアス・モンク。その代表曲の一つが「ストレート・ノーチェイサー」です。彼のそのコメントを聞いて、この方はジャズを知ってるなと思った。さらに、そのあと、彼が言ったことには膝を叩いてしまった。
「くちなしの花って、ほら、ビリー・ホリデイが、よく耳に飾っていた花ですよ」
そうか!あの花、くちなしの花だったのか。
ビリー・ホリデイはよく花を耳に飾ってステージに立った。そんな写真は数多く残っている。

僕は、店のマスターとそのお客さんに、なぜ、僕がこのバーに入って来たかを説明した。
「1970年春に、すぐそこの南青山4丁目に住み始めたんですが、その頃から、この石垣沿いにあるこの店の木のドアが気になってたんです。今、スコットランドに住んでるんですけど、実に久しぶりにこの街に来て、この通りを歩いてみたら、なんと、昔のままにドアがあるじゃないですか。いやあ、もう、驚くやら嬉しいやら…。それで少し迷ったんですけど、思い切ってドアを開けたんです。そしたら、素晴らしいバーだったんで、もう感激してしまって…」

「それは良かったですね。このバーの創業者が、周りに店などないこの地を選んだのは卓見だったと思います。私は知人に連れられて来たんですけど、中に入って目を見張りました。まるで船のキャビンですからね。人が人を連れて来る…創業者はきっとそう考えて、この場所を選んだんでしょう」

彼とは、ビリー・ホリデイや、そのほかのミュージシャンの話題でかなり盛り上がった。とても楽しいひとときだった。自分の考えを押し付けることもなく、僕の話をまばたきもせずに聞いてくれた。もちろん、上から目線など全然ない。そんな態度に、とても気遣いする方だと好印象を持った。

やがて彼が席を立ち「じゃあ、私はお先に。どうぞゆっくりしていってください」
「お相手してくださってありがとうございます。またいつかお会い出来たら光栄です」
すらっと僕より背の高い彼は、ドアのところで僕を振り返り、軽く手を挙げてくださった。僕は立ち上がって頭を下げた。

思いがけず楽しいひとときを持てたので、当然、マスターに言った。
「あのかた、かっこいいですねえ。すごくダンディーで言葉使いも丁寧で、しかも、とても気遣いされるので嬉しくなりました。彼、きっとモテるんじゃないですか?」
「ええ、そうなんです。彼のファンは多いですよ。でも、ここには誰彼なく連れて来ないですね。彼が連れてくる方は、どなたもいい方ばかりです」

「何をされてる方ですか?」
「う〜ん、いろんなことをしてきた人だけど、今は作家ですね。元々CMディレクターをしておられたけど、作詞もしてましたよ。近藤真彦って歌手知ってます? 彼のヒット曲で〈ギンギラギンにさりげなく〉ってのは彼の作詞です」

三代目だというマスターは、やや躊躇したあと、思い切ったように言った…
「夏目雅子ってご存知ですか?」「ああ、カネボウのポスターのモデルだった方ですね。懐かしいですね。砂浜での小麦色の肌、すごく新鮮だったのを覚えています。あのポスター、よく盗まれたんですってね」
「今の彼、その夏目雅子のご主人だった方です」
「エッ!?」

その時、僕は、その彼、伊集院静氏の名前は知らなかった。が、後年、週刊誌などに連載されていた彼のエッセイはよく読むようになった。常に、見識のある、しかも心遣いを感じる文章だった。
伊集院静氏は、昨年、2023年11月に逝去された。ご冥福を…

以上でした。

夏目雅子とくれば栗原小巻も思いだす・・、懐かしいですね。

昭和は遠くなりにけり~。

            

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「くちなしの花」~ウマさん便り~

2024年11月06日 | ウマさん便り

粋人「ウマさん」(南スコットランド在住)から、久しぶりにお便りが届きましたのでご紹介します。

タイトルは「くちなしの花」

前々回の訪日だから、もう数年前のことになるかな。
東京で所用を終えたあと、時間があったので、昔住んでいた懐かしい南青山を訪れた。4丁目11番地の吉田さん宅の二階の四畳半に4年住んだけど、その家は跡形もなく、綺麗なファッションビルに変貌していた。

住んでいた当時から気になっていたことがあったので、外苑西通りから一つ西に入った通りに向かった。

この通りにはほとんど家がなく、人通りも少なく静かで、通りの西側には、やや傾斜した石垣が続いていた。
1970年春、この街に住み始めた頃、この通りを歩いて六本木へ行こうとしたことがあった。

しかし、途中で道に迷い、前を歩いている方に尋ねた。振り返ったその顔を見てびっくりや。なんと、伊丹十三さんなんです。彼は笑顔で丁寧に説明してくれた上「私もあっち方面へ行きますから、途中までご一緒しましょう」だって! 緊張したなあ。

「ヨーロッパ退屈日記、読ませて頂きました。とても面白かったです」
「ああ、あれ、読んでくれたんですか。嬉しいですねえ。ありがとう」
「美味しいスパゲティの作り方と食べ方、LとRの発音のコツ、それと、ジャガーではなくジャギュアですよ…は初めて知りました」
「あの本は、私の初めての本だったんですけど、最初ボツにされたんで、出版された時は嬉しかったですね」

その時の伊丹さんの装いは、迷彩服に編み上げブーツ…なんでそんな格好をしておられたのかな? 懐かしい想い出です。

さて、久しぶりの東京で、なぜ、石垣が連なるその通りを歩いたのか?
実は、その通りに、ポツンと、バーらしき店のドアがあり、ここはなんだろう?と興味を持ったのを覚えてたんです。いや、バーかどうかはわからないけど、とにかく、重厚な木のドアがあったんです。にじり口ほど低くはないけど、丸く弧を描くドアの上端は、僕の背丈ほどだった。当時、静かなその通りには、店などなかったように記憶している。

で、何年か振りで、その石垣が連なる通りを歩いたんだけど、あった! ありました。あの分厚そうな木のドアが、昔のままにあったんです。

いやあ、懐かしいなあ。縦に何列か鋲を打った厚そうなドアの上の方に、丸い船舶用の窓が、鉄格子と共にしつらえてある。

窓はうっすらとスモークがかけられていて、向こう側はよく見えないけど、ほのかに明かりが見えた。時間は午後7時過ぎ…バーを示す看板やサインがないどころか、なんの店かよくわからない。いや、店かどうかもわからない。

いったいこのドアの向こう側はなんだろう?興味をそそられるそのドアの前で僕は躊躇した。どうしよう?ドアを開けてみようか? 

ドアは内側に開いた…
左右にカウンターが広がっている。やっぱりバーや。
カウンターの右のほうにバーテンダーとおぼしき初老の方がいた。カウンターの、向かって左側はL字型に折れていて、そこに一人の男性客がいた。オーセンティックなバーでは常連客の席はほぼ決まっている。だから僕は勝手に席に着くという無作法はしない。

「初めてお邪魔します」
僕の顔を見て、一瞬、怪訝な顔つきになったバーテンダーは「どうぞこちらへ」と、カウンターのほぼ中央の席を示した。怪訝な顔つき…やはり一見の客は入ってこないバーなんですね。

店内は船のキャビンを模したウッディな造りで、やはり船舶用のランプが、天井から、程よい明るさでカウンターを灯している。バックバーの棚を眺める…なるほどシングルモルトの逸品が並んでいる。

が、ボトルの数を誇る雰囲気がないのは好感が持てる。いいバーだなあ…その落ち着いた雰囲気に非日常性を感じた僕は嬉しくなった。音楽はない。大の音楽好きの僕だけど、時に、音楽がない静寂もいいもんです。

「何になさいますか?」「まず、ビールを少しください」
バーでビールを注文する時、僕は「まず」を付ける。つまり、他のものも注文しますよというサインですね。

で、すかさず「ラガブリンの16年をよろしく」…バーテンダーは、一瞬、僕の顔を凝視した。そして「どのように入れましょうか?」「スニフターグラスに注いでください」「チェイサーはどうしましょう?」「いえ、結構です…」

僕の反応に、バーテンダーがやや微笑んだように見えた。
バックバーの棚にスニフターグラスを見た時は嬉しかった。スニフターグラスというのはウィスキーの香りを楽しむためのグラスで、ワイングラスをかなり小さくして上部を内側に絞り込んだ形をしている。もちろんストレートで飲む。

ウィスキーをストレートで飲む場合、水をチェイサーとして飲むのが普通だけど、僕はあまり好きじゃない。舌や喉を程よく刺激するウィスキーの芳香を水で台無しにしたくないんだよね。

ラガブリン16年は、ウィスキー評論家として世界的な評価を得ていた、故・マイケル・ジャクソン氏が、ウィスキー年鑑で最高点を与えた、スコットランドのウィスキーの聖地、アイラ島のウィスキーです。アイラには二度訪れたことがある。

バーテンダーの僕を見る目つきが明らかに変化した…(この客、知ってるな…)
この一連のやりとりを自慢話として受け取ってもらうのは本意じゃない。いつもの僕の作法なんです。

さて、L字型カウンターの端にいる客のそのすぐ向こう側に、かなり大きな寸胴型の花瓶があり、いくつもの大きな白い花が、ほのかな灯りの店内に、可憐ではあるけど、何かしら自己主張をしているように咲き誇っている。

ラガブリンを僕の前に置いてくれたバーテンダーに「きれいな花ですね。なんて言う花ですか?」
「ああ、これですか…」バーテンダーが花の名前を言おうとした、まさにその時、その白い花のそばにいた客が「これ、くちなしの花ですよ」と告げた。

僕はバーにいるほかの客に声をかけることはまずない。同様に、まともな客ならほかの客に声をかけない。この人は、僕とバーテンダーのやりとりを聞いていて、ひょっとして僕に興味?或いは好感を抱いたのではないか?

そして、そのあと、彼とは、非常に興味深い話を交わす展開となる…
が、彼が直木賞作家で、後年、僕が、彼が週刊誌などに書くエッセイを楽しみにすることになるとは、その時は夢にも思わなかった。さらに、僕がとても好感を持っていたモデル兼女優が、彼の奥さんだったことなども、まったく知るよしもない…(以下、続く…)



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南スコットランドからの「ウマさん」便り

2024年06月30日 | ウマさん便り

前回のブログ「イギリス人の おちょぼ口」と題して紹介したイギリス人気質について、いちばん詳しいのは長年日本人として現地に暮らされている「ウマさん」のはず・・、そこで、拙文の末尾に「ご意見をお聞かせくださいな」と、あつかましくも勝手に振ったところ、さすがに 筆まめ なウマさん・・、すぐにメールをいただきました。

ついでといっては恐縮ですが、この際最近いただいたお便りをまとめて「3題」紹介させていただきます。

☆ 「忍耐」

「ご意見をお聞かせくださいな」…と言うことだけど…

長年住んでて思うんだけど、英国人には、間違いなく忍耐強さがあると思うなあ。そして、それが社会的規範にまで昇華していると感じる。
どう言うことか?

例えば、スーパーのレジ(英語→キャッシャー)で客が並んでいる…
ある客がレジのおばちゃんの知り合いなのか、どうでもいい世間話をぺちゃくちゃやっている…並んでる他のおばちゃんたち、きっとイライラしてると思うよ。

だって人間だもんね。ところがや、文句を言うおばちゃんを見たことは今まで一度もない。これが僕の出身の大阪やったら…「ちょっとちょっと、あんたらええ加減にしなはれ!ンとにもう…」英国のおばちゃんたち、なぜ文句を言わないか? …「文句を言うのはハシタナイ」と言う社会的規範があるからとちゃうやろか?


何年か前の年末…僕の姉が大阪から来ていた時…
クリスマス後に二人で街に買い物に出た帰り…近郊では最大のランダバウト(交差点代わりの大きなサークル)に入った途端、車が動かなくなった。

年末、しかも夕方のラッシュ時で、何台もの巨大なトレーラーを始め、ひしめく多くの車で混乱を極めてしまった。姉が「押してみる」とは言うものの、僕の車は1.8トンもある。交通が完全に麻痺した状態の中、元中学体育教師だった姉の(火事場の)馬鹿ちからで、車をランダバウトの外に押し出すことが出来た。よかった。

帰宅後、姉が言った。「ウマなあ、あんな交通渋滞で大混乱やったのに、クラクションを鳴らす車が一台もなかったなあ」

「クラクションを鳴らすのははしたない」…英国人は忍耐強いと言うことですね。

そうそう、ブログの主どのも忍耐強いと思うなあ。だってさあ…
毎日毎日、取っ替え引っ替え、ああでもないこうでもない…かくもアンプやスピーカーをいじり倒す忍耐強さ!スゲェー

☆ 「ソプラノ歌手 レグラ・ミューレマン」



いやあ、癒されますねえ、レグラ・ミューレマン。

ほとんど音楽に関心を示さない女房ですが、どう言うわけか、昔から「ソルヴェイグの歌」は大好きだと言います。

カラヤン指揮のオーケストラによる「ソルヴェイグの歌」は、時々聴いているようですが、そんな彼女にレグラ・ミューレマンを聴かせました。

すると…「癒されるなあ…」
そうそう、音楽大好き人間の長男ジェイミーもいつだったか「ソルヴェイグの歌は大好きや」と言ってたのを思い出しました。
 
レグラ・ミューレマンの歌声に健気さを感じるのは僕だけかな?
ねえ、主どの、やっぱり見た目も大事だよねえ。美人で健気…しかも癒される声…
もう、言うことなし! サンキューでっせぇー!

☆ 「ヴァイオリンの名器」

「ストラディバリウス」「グヮルネリ」「アマティ」などの名器は広く知られてますけど、そのほかにも多くの名器があるようですね。
奏者の愛器を、ほんの少しだけ調べてみました。
 
ヨーゼフ・シゲティ…1694年製と1724年製「ストラディバリウス」1710製年「ピエトロ」1710年製「グヮルネリ」1740年製「カルロ・ベルゴンツィ」
 
D・オイストラフ…1705年製 「ストラディバリウス・マルシック」
 
ズッカーマン…1699年製 「カルロ・ジョゼッぺ・テストール」
 
「ピエトロ」「カルロ・ベルゴンツィ」「カルロ・ジョゼッぺ・テストール」なんて名器があるんですね。
 
木野雅之…1776年製 「ロレンツォ・ストリオーニ」
 
巨匠ルッジェーロ・リッチが引退を表明した時、その愛器を譲る相手を、世界中にいる弟子達の中から木野を選びました。LAのリッチ宅へその名器を受け取りに出かける前日、大阪で僕と呑んでた木野はやや興奮してました。師匠のリッチは「お金はいつでもいいよ」…ところが、まだ若い奥さんは、こっそり「木野、いつ払ってくれる?」(笑)
 
スコットランドの我が家を自分のリゾートハウスだと思ってる木野は、しょっちゅううちに滞在しますが、そのたびにキッチンで焼酎を呑みながら演奏してくれます。

上記のシゲティの1724年製「ストラディバリウス」ズッカーマンの「カルロ・ジョゼッぺ・テストール」なども、うちのキッチンで鳴りました。ズッカーマンから、当時の金額で6千万円で譲ってもらったそうですが、後年、彼から返して欲しいと言われた木野は「ダメ!」(笑)
 
ある時「長年欲しかった弓をとうとう手に入れた」と大喜びの木野…「楽器屋が僕の熱意に折れて、かなりまけてくれた」

でいくらだった?「千二百万円!」ギョッ! 馬のしっぽが千二百万円?
その後、彼は毎月50万円づつ支払っていたけど、もう全部支払い終えたようです。彼が言うに、弓はフランス製がいいそうです。
 
世界最高の「ストラディバリウス」は、クレモナのヴァイオリン・ミュージアムにあり、もちろん値段などありません。その超々名器が一度だけ日本で披露されたことがありましたが、選ばれた奏者が木野でした。彼、曰く…「文句なく素晴らしい。ねぇねぇ、ウマ!買って!」(笑)
 
余談ですが、パガニーニ生誕200年の時、木野は、パガニーニが実際に使っていた愛器をパガニーニの墓の前で演奏し、その様子はヨーロッパのテレビで放映されました。

以上、ウマさん・・、このブログに彩を添えていただき大変ありがとうございました!


 

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