「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「疲れる音」の正体とは~前編~

2021年05月31日 | オーディオ談義

「オーディオ愛好家」と自認している人たちは1日のうちでどのくらいの時間(システムの)スイッチを入れておくものだろうか。

これは会社などに勤めている人、あるいは自由業、さらには現役を引退してたっぷりと時間がある人など、置かれた環境によって様々だろう。

たとえば前者の場合、土曜、日曜などの休日は別にして、平日の夜のうちのせいぜい3~4時間程度充てることができれば上出来だろうし、一方、後者の場合ともなるととても大きな時間が割り当てられることになる。

そこで、我が家の事例を挙げてみよう。

まず早朝4時頃(とにかく早寝早起きです!)に起床してすぐにスイッチオン。

朝風呂(別府ですから温泉です!)や朝食の間もつけっぱなしの状態で、9時頃に自宅周辺のウォーキングに出かけるときに、ようやくスイッチオフ。

これで連続5時間。

帰宅してから昼食までミステリーを読み耽り、午後1時ごろから前日までに録画したテレビを鑑賞するためにスイッチオン。

3時ごろにいつも「運動ジム」(市営)に出かけるのだが、今はワクチンの接種会場となっているため休館中なので、(録画番組を観ながら)自宅のエアロバイクで50分ほど汗を流す。

それから、夕食、風呂、音楽鑑賞となって8時ごろに就寝。

これで連続7時間スイッチオン。

結局、1日〆て12時間の試聴時間となる。

何と1日のうちの半分は音を聴いている勘定となるが、
一つのシステムだけでこんなことをやっていると、早晩、故障の憂き目を見るだろうし、さらには同じ音ばかりだと飽いてくるのも必定なのでその間とっかえひっかえする。

2種類のDAコンバーター、3台のプリアンプ、8台のパワーアンプそして5種類のスピーカーなど手駒は豊富である。

というわけで、我が家で何種類ものオーディオ機器が必要な理由が少しはお分かりいただけただろうか(笑)。

いずれにしろ、これだけの時間をオーディオに利用していると、ときにシステムのスイッチを入れるのにどうも気が進まないことがときどきある。

身体の不調や睡眠不足などの理由は言うに及ばず、体調がいいときでも一度聞いた後にある程度の時間を経て再びシステムのスイッチを入れようとしても何だか億劫に感じるときがある。

いったい、なぜ?

結局、「音」は「鼓膜の振動」を通じて脳で聴く(情報処理する)ものなので、脳自体が疲れているのだろうと素人なりにおよそ推測がつく。

しかし、「脳がなぜ疲れるのだろう?」と考えるうちに、思い当たることがひとつ~。

以下、続く。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →     


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ワクチン接種」に行ってきました

2021年05月30日 | 独り言

昨日(29日)の午後、ワクチン接種に行ってきました。

ワクチンの副作用と、打たないときの重症化のリスクを比べた場合、どちらが有利かといえばやはりワクチンでしょう。

5月の連休のときに娘が帰省していたのでネットで予約してもらったが、「かかりつけ医」が満杯だったので昨年の12月に開業したばかりの新しいクリニックにせざるを得なかった。

「14時」の予定だったが場所がハッキリわからないので早めの13時半ごろに到着すると、先客が1名だった。5分ほど待たされてからさっそく診察室に呼び出されて予診開始。

いかにも若くて親切そうな医師だった。

「ワクチンを投与した場合、10人に2人くらいの割合で夜に発熱の症状がみられますが少しくらいの熱なら心配いりません。そのうち確実に冷めます。あまりに高熱でしたら家庭にある解熱剤を使用してください。ロキソニンでも結構です。注射した箇所が少し痛む方もいるようですが良くなりますから心配いりません。」

ハイ、分かりました。

看護婦さんから左上腕部に打ってもらったが、まったく痛みもなくあっという間に済んだ。

その後30分間、待合室で待機したがまったく異常なしで無事解放された。

送り迎えは家内のクルマだったが丁度、テレビで「巨人 VS ソフトバンク」の試合観戦中だったとみえて少し「ご機嫌斜め」。

というのも、巨人がソフトバンクにまったく勝てないのだ(笑)。この日も”ぼかすか”ホームランを打たれてあえなく敗戦。

大の巨人ファンだが、もう口惜しさを通り越してあきらめムードだ。

「こういう調子なら阪神が優勝して(日本シリーズで)ソフトバンクと対戦した方がいいわね」とまで言い出した(笑)。

まったくその通りだと心から思う。何しろ「対ソフトバンク14連敗」なんだから~。

この際とばかり「金満球団がお金に任せていろんな選手を引っ張って来るけど、(お金に見合って)まともに働く選手が一人もいないじゃないか」と、からかってやった。

それにしても、年期明けのトレード該当の年になると野球選手は張り切っていい成績を残すが、念願の移籍を果たすと翌年からパタッと成績が落ちてしまう。

巨人の「丸」がそうだし、海外に目を向ければ大谷選手が所属する「エンゼルス」の「レンドーン」がそうだ。

ずっと以前から気になっているのだがこれはいったいどうしてなのか。

大枚の契約金を手にして選手の緊張感が緩みオフの練習をサボるんですかね。ご存知の方がいたらぜひご教示願います。

最後に、ワクチンを打った昨晩のことだが発熱もなくひと安心。しかし注射を打った箇所が今でも(午前4時40分)少し痛みますね。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →      

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おい、この「落とし前」をどうつけてくれるんだ?

2021年05月29日 | 独り言

つい先日のブログ「読書コーナー」で県立図書館に返却したはずの本が行方不明になっている話題をご記憶だろうか。

昨日(28日)が返却期限になっているので、いよいよ白黒を決着させるために眦(まなじり)を決して図書館に向かった。

1冊でも「未返却扱い」だとすべての本(10冊)が借りられなくなるのでことは重大ですぞ(笑)。

図書館の「中央カウンター」で、係りの方に「もう一度館内を探してくれませんか。それでも見つからないときは事故処理に応じます。本を弁償してもいいですから」

と、言い残してから新刊コーナーへ足を向けた。そして20分ほどあれやこれや散策してから再び中央カウンターへ。

「どうでしたか?」すると係員の方が「探してみたらありました」と、しおらしそうに現物を持ってきた。

やっぱり・・・。

「いったい、この落とし前をどうつけてくれるんだ!」と、喚きたくなったが教養が邪魔して自制した(笑)。

「見つかったのはいつですか? 早く連絡してくれたらよかったのに
」と恨み言をいうと、「ハイ、たった今見つかりました」

どうもそういう気配ではなかったので「ウソを言うな」と言いたかったが、こればかりは証拠がないので「水掛け論」になってしまう。

ま、いっか・・・。人間がやることだからミスは起こる。

この一件で、これから返却するときには「スマホ」で撮っておく癖をつけておくことにした。

この日も図書館の駐車場に着くなり、クルマの助手席に5冊の本を置いてパチリ。



慌てていたので「焦点呆け」でした(笑)。

もう一つ読書がらみの話を。

いつぞやのブログで古今東西のミステリーの最高峰として紹介した「Yの悲劇」(エラリー・クイ-ン)だが、メル友の「I」さん(東海地方)から「読みましたよ!」とご連絡があった。

「なるほど名作ですね。深い!!

この作品は、以前一度借りましたが、1行目から入りにくくて、読まずに返却したものでした。今回はなんとかプロロ-グを通過して読み進めることができました(笑)

緻密な作品ですね。

実は、中盤で、犯人はジャッキー・ハッターだと思ったのですが、自分の中で動機が成立せず断念! 後半にマーサ・ハッターを犯人と想定しましたが、やはり動機がわからず断念! 要するにお手上げ! 

動機の構成の完璧さに参りました。根拠を一瞬だけ或いはひとことだけ示すのではなく、ストーリーの中で示していますね。ミステリーはこうでなくては。いやあ、面白かったです。」

以上の通りだが、「好きな本」で意気投合するのは音楽でいえば「好きな曲目」が一致するのと同じで、まるで「百年の知己」に巡り会ったような気がしますね。

その「I」さんが、つい最近ブログをはじめられた由。

タイトルは「ジャズとテニスの雑記帳」。

「雑記帳」と銘打つところがいかにも偉ぶらない「I」さんらしい。「自慢」とか「見栄」「上から目線」とはまったく無縁の飾らない方である。

ブログのモットーを次のとおり設定されている。

〇 テーマはシンプルに

〇 表現も簡潔に、欲張らず

〇 批判は控えて、愛されるように・・少なくとも初めは(笑)

あの「名言」(末尾に紹介)を遺したジャズマン「エリック・ドルフィー」の大ファンで、オーディオにも精通されている「I」さんの記事なのでこれから楽しみが一つ増えた。

“When you hear music, after it’s over, 

it’s gone in the air. 

You can never capture it again. ”

「音楽を聴き終った後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」

この言葉は、音楽が「時間の芸術」であることを再認識させてくれますね。


この内容に共感された方は励ましのクリックを →      



 








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオの二つの相貌

2021年05月27日 | オーディオ談義

つい先日搭載した「システムの大幅な入れ替え~第3弾~」の終幕で我が家の5つのシステムを5人兄弟にたとえてみたのはご存知の通り。

勝手に長男とか次男とかそれぞれの持つイメージをスピーカーの性格になぞらえてみたが、実はその日の気分によって印象が左右されるのがほんとうのところだ。

たとえば睡眠不足とか体の不調とかでいとも簡単に音の嗜好が変わり、ときにはあまり聴きたくないシステムに変身したりするので、日によってご機嫌が良かったり悪かったりする「気分屋」さんみたい~。

もちろん人間側に原因がある。(笑)。

このように捉えどころがないオーディオに対して、少しでもアプローチがしやすくなるように我が家では独自に「二つの貌(かお)」に分類している。

すなわち、表の貌としては「いい音」「普通の音」「悪い音」の3種類があり、裏の貌としては「好きな音」「どうでもいい音」「嫌いな音」の3種類がある。

前者が「物理的な貌」とすれば、後者が「情感的な貌」ともいえる。

というわけで、すべての「音」に対して勝手気ままにこの二つの範疇で割り切ることにしているが、すると現実的に「いい音」なんだけど「嫌いな音」というのがどうしても出てきてしまう。

たとえば、「オートグラフ」なんてその最たるものですかね(笑)。

その点からいくと我が家の5つのシステムはこの「二つの相貌」が複雑に織り交じった文字通り「混成旅団」といえる。

自ずから自分が組み立てたシステムばかりだから「好きな音」ばかりのはずなんだけど、それでも微妙な濃淡の差というのは如実にある。

そこで毎日のように聴きたくなるという意味で、目下のところ「好きな音」の順番を挙げると、次のとおり。

1位 グッドマンの「AXIOM150マークⅡ+デッカのリボン型ツィーター」

2位 リチャードアレンの「ニューゴールデン8」+ワーフェデールのコーン型ツィーター

3位 ワーフェデールの「スーパー10」+075ツィーター

4位 「ウェストミンスター」(改)+「AXIOM80」(復刻版)

5位 「AXIOM80」(オリジナル版)

という結果になる。

その反面「いい音」の基準でいくとこれらの順番が簡単に逆転したりするところがとても面白い。

ただし、こうやって実際に書き出してみると、「普通の音」や「どうでもいい音」を調教していく手間や時間が多ければ多いほど「好きな音」と密接に繋がっていくことに気付いて、これは我ながら新発見だった。

つまり、「手がかかる子供(システム)ほど可愛い」というわけ(笑)。

そこで、今回は「好きな音」の1位に輝いた「AXIOM150マークⅡ」(以下「マークⅡ」)+デッカのリボン型ツィーター(以下「デッカ」)に焦点を絞ってみよう。



おそらく世界中の誰もが試したことがないこの組み合わせに大いに満足しながら、いろんな音楽ソースを聴いていたのだが、そのうちやっぱり欲が出てきた。

どんなに気に入ったオーディオシステムでも聴きこめば聴きこむほど欲が出てくると断言してもいいくらいだが、その倣いでいけばもう少し「シンバル」の輝きがあってもいいかなあ・・・。

クラシックもジャズも両方うまく鳴らせたいと欲張ると、どうしても「二兎を追うもの一兎をも得ず」という教訓が浮かんでくる・・(笑)。

クラシックではデッカのリボン型ツィーターがベストだと思うのだが、試しにJBLの「175ドライバー」(以下「175」)を載せてジャズを聴いてみることにした。



ただし、とても能率が高いユニットなので「オイルコンデンサー」(ウェスタン製)を1個(1μF)外して、ローカットの周波数を5千へルツあたりから7千ヘルツあたりに上げてみた。

これで、シンバルを聴いてみるとやっぱりいい!

同じJBLの「075」ツィーターがチャリ~ンと冴えわたった響きだとすると、「175」はズシ~ンとやや重めの響きだがとても浸透力があってこれはこれで惚れ惚れする響きでどちらがいいとは簡単に言えず、もう好き好きですね、これは~。

ちなみに、「175」の仕様によると、比較的低い周波数の1000ヘルツから使えるようになっている優れものだが、クラシックの試聴に使う場合は7000ヘルツあたりからの使用がベストだと思っている、少なくとも我が家では~。

さて、このシステムを100点満点で採点するとクラシックでは90点、ジャズでは85点、総合点は175点となる。

その一方「150マークⅡ+デッカ」の場合はクラシックが95点、ジャズは70点で総合点は165点。

さあ、どちらを選択しようか。

ここで、ふと高校時代のときのことを思い出した。

必ずといっていいほどクラスの中に全科目まんべんなく平均点以上を取る「優等生型」と1科目だけ飛びぬけて良くできる「秀才型」の二つのタイプが居るものである。

たとえば、数学はずば抜けているけど国語や英語はサッパリというタイプがそれ。

歴史に名を遺したり記憶に残るのは概ね後者の方だが、これはオーディオにも当てはまりそう。

はたして我が家ではどちらを優先しようか~、実に悩ましい
(笑)。


この内容に共感された方は励ましのクリックを →      

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨の時期に相応しい「ヴァイオリン協奏曲」

2021年05月25日 | 音楽談義

昨日(24日)の午前中、NTTの光テレビで録画していた黒沢明監督の往年の名作「七人の侍」を鑑賞した。

過去、何度でも観た映画だが今回もつい惹きつけられてしまい、3時間半もの大作を一気に見終った。いやあ、実に面白い!

映画に求められるあらゆる要素がびっしり詰まっていて、改めて黒沢監督の偉大さに思いを馳せたが、それはいいとして、ここで話題にしたいのは芸術家にも二つのタイプがあるということ。

一つは年齢を重ねるにつれて才能をますます開花させる「才能昂進型」、一方では才能がますます朽ち果てていく「才能枯渇型」。


たとえば、後者の例として挙げられるのが冒頭の「七人の侍」だ。見終ったときに「こんな完璧な作品を若い頃に作ったら後が大変だろうなあ」というのが正直な感想だった。

事実、黒沢監督は以後、この作品を越える映画を作れなかった。後年の映画にはいずれも緊張感の持続性というのか、根気が続かない印象を受けてしまう。

晩年には「自殺未遂」騒ぎまで起こしているが、理由はいろいろあろうが、この才能の枯渇現象が一因であったことは想像に難くない。

芸術家にとって命ともいえる閃きや才能が加齢とともに失われていく苦しさと悲しみは自分のような凡人にはとても想像もつかないが、一方では加齢とともにますます才能を開花させていく芸術家だっている。

まずは江戸時代の浮世絵師「葛飾北斎」が有名だ。

88歳という当時ではたいへんな長生きの生涯だったが「死を目前にした(北斎)翁は大きく息をして『天があと10年の間、命長らえることを私に許されたなら』と言い、しばらくしてさらに、『天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』と言いどもって死んだ」とある。その意気たるや凄い!

作曲家モーツァルトも35年の短い生涯だったが、わずか10代の頃にあれほど優れた作品を残しておきながら益々才能を開花させていき、とうとう亡くなる年に作曲したオペラ「魔笛」が彼の生涯の集大成となる最高傑作となった。

意見がいろいろあろうが、楽聖「ベートーヴェン」そして文豪「ゲーテ」が最高傑作だと言ってるのだからそう決めつけてもおかしくはないだろう。

その一方、作曲家でも「才能枯渇型」が居ることはいる。それは北欧フィンランドが生んだ国民的作曲家「シベリウス」(1865~1957)。

とても長い生涯だったが、40歳ごろを境にプツンと才能が切れてしまった。ご本人の慟哭たるやいかばかりかと思うところだが、92歳まで生きたのだから意外と苦にしないで、のんびり余生を送ったのかもしれない(笑)。

そういうわけで、ふとシベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」を聴いてみたくなった。彼が37歳の時の絶頂期の作品である。

              

上段左から順に「ジネット・ヌヴー」盤、「カミラ・ウィックス」盤、「ダヴィド・オイストラフ」盤、下段左から「ヤッシャ・ハイフェッツ」盤、「サルヴァトーレ・アッカルド」盤、「ヒラリー・ハーン」盤の6枚。

昨日(24日)は梅雨のせいで朝から雨がしとしと降って出かける気にもならず一日中巣ごもりだったのでちょうどいい機会。

日課となっている「運動ジム」(市営)通いは隣接する室内競技場がワクチン接種会場となっているため生憎の休館中なので、行く当てもなく午後からの試聴となった。

この曲の聴きどころは、

「北欧フィンランドのリリシズム、透明な抒情とほのかな暖かみ、強奏するときのオーエストラが常に保持する暗い、激しい響き。これらはシベリウスの音楽を愛する者を直ちにとらえる要素である」(小林利之氏)

この中で一番感銘を受けたのは「アッカルド」盤。オケの指揮がコリン・デーヴィスだが、シベリウスには定評のあるところでたしかに申し分のない演奏として安心して聴ける。

ヌヴー盤もさすがでとてもいい。第二楽章はダントツといっていいくらいで、録音とオケさえ良ければ言うことなし。

カミラ・ウィックス盤は、シベリウスが存命中の録音だが「これが一番私の作曲の意図を再現している」と作曲家ご本人が推奨した曰くつきの演奏だが「老いては駄馬」(失礼!)だった作曲家の言うことにしばられる必要はないと思うが・・(笑)。ただし、この演奏は五味康祐さんの好きな演奏のベスト20位に入っているので無視できない。

オイストラフ盤とハイフェッツ盤は巨匠同士だが何だか新鮮味に乏しい。

最後のヒラリー・ハーン盤だが「プレイズ バッハ」でたいへんなテクニックを披露したものの、同時に若さを露呈したハーンだが、この盤でもまだまだの感がある。

しかし、この人、ますます「大化け」しそうな雰囲気を漂わせる未完の大器であることは間違いない。

以上、いかにも梅雨の時期に相応しい北欧のリリシズムに覆われた沈鬱で暗いヴァイオリン協奏曲に、しばし耳を傾けるのも一興ですよ。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「音響」と「木の共鳴音」について

2021年05月23日 | オーディオ談義

オーディオをやっていると、ときどき脳裡をよぎるのが木の共鳴音をいかに活用するか、ということ。

      

なぜならクラシック音楽に欠かせないヴァイオリンにしろピアノにしろ木の共鳴音を利用しているのでスピーカーにもぜひ応用させたいと思うから。

この画像は、ずっと以前に、とあるマニアから頂いたものだが、ピアノの響板を参考に製作されたという円形のバッフルに強い衝撃を受けた。

これまでバッフルをいくつも作ってきたが、これに比べるといずれもチャチなものばかりで恥ずかしくなる(笑)。


しかも、ときどきバッフルに開けた穴の寸法が合わないときに2枚重ねにしたことがあったが、木を共鳴させる観点からすると絶対やってはいけないことで今となっては背筋がゾッとする。


SPユニットを取りつけたバッフルはあくまでも1枚板によって木の共鳴音を最大限に引き出さねばいけないというのが痛切な教訓だ。

そこでの話だが、日本の女流ヴァイオリニスト「千住真理子(せんじゅ まりこ)」さんに次のような著書がある。

「聞いて、ヴァイオリンの詩」(2000.11.1、時事通信社刊)   

日本でも有数の現役ヴァイオリニストが書いた本ということで興味深く読ませてもらった。

幼少のころ「天才少女」とうたわれ、ヴァイオリンを肌身離さない生活がずっと続いていく中で、母をはじめとした家族との関係や学業との両立など生い立ちからのエピソードがこと細かに綴られている。

ヴァイオリニストとしての成長と人間的な成長とが一貫して調和しているところがいかにも千住さんらしい。


さて、本書の59頁~66頁にかけて「謎のストラディヴァリ」という小節がある。

彼女は後年になってあのストラディヴァリの中でも名器とされる「デュランティ」を手に入れることになるのだが、この著作の時点ではまだ手に入れてないが名器に対する憧れを率直に語るとともにその音色の謎ともいえる特徴に言及している。

いまから約300年以上も昔、北イタリアの”ヴァイオリン作りの村”と呼ばれるクレモナにアントニオ・ストラディヴァリという男の子が生まれた。

親族同様に物心つくころには自然と楽器を作るようになったが、猛烈な仕事ぶりで次から次へと楽器を作ったが楽器の出来のほうも他とはまるで違っていた。


93年の生涯で約3000台の弦楽器を製作したといわれているが、今日までに戦争や火事、交通事故、虫食いなどによって破壊され、いま世界に残っているのは300~400台といわれている。

当時の人々はみな「まずそのニスの美しさに心を奪われた」という。たしかに「ストラディヴァリの秘密は、そのニスにあり」という説があるほどだ。

(筆者註:かなり前に見たテレビ番組では、「ニスの中に混ぜた防腐剤の独特の成分が時間の経過とともに楽器の木目にしみこんで密度が程よいものとなりいい音が出る、これがストラディヴァリの秘密だ」と実験を積み重ねた科学者が登場して得々としゃべっていたのを憶いだす。)

ともあれ、不思議なことにストラディヴァリが考え出した板の厚み何ミリとか、ネックの長さ何センチ何ミリといった緻密な寸法は、そのままほとんどのヴァイオリン製作者のモデルとなって現代にも定着している。

それに見た目も美しいが何といっても魅惑的なのは音色だ。300年前には考えられなかったはずの現代の2000人にも及ぶ大コンサートホールに持って出ても「極めて小さな音を出しても客席の一番後ろまでピーンと美しく聞こえる」という現象には驚かされる。

ほかの楽器になると”そば鳴り”といって近くでは大きくきれいな音が聞こえるが、大ホールに持って出るととたんに音が貧弱に鳴り、後ろの座席まで音が通らない。ここに、両者の大きな違いがある。

もうひとつ特徴的なこととして、ストラディヴァリほどの名器はある程度長い年月をかけて弾き込まなければ音が出ないという点がある。ギーといったり、かすれたり、大変苦労する期間が最低1~2年、場合によっては10年近くある。

その間、「もしかするとこの楽器はニセモノなのではないか?」という不信が生まれるが、あきらめずに楽器を弾き続けると、あるときを境にカーンと鳴りはじめる。

これはある科学者によると、「一定の振動を与え続けることによって木の細胞がみな一定方向に向きを変え、ある種の振動に対して極めて敏感な反応をするようになるため」ということらしい。

さて、延々とストラディヴァリにかこつけて話を引っ張ってきたが、今回のテーマのねらいはこの箇所にある。

すなわち、「一定の振動を与え・・・・」云々はオーディオ機器の生命線ともいえるスピーカー(SP)の箱やバッフル(木製の場合)にも通じる話ではないだろうか。

スピーカーはユニットよりもむしろ、箱(エンクロージャー)やバッフルの方が大事とはよく聞くが、時間が経てばたつほど音が”程よく”こなれてくるのを実感している。

オーディオ仲間での間では”木が枯れてくる”という表現をよくするが、今回「木の細胞が一定方向を向くので音が良くなる」という科学的な見解を知ったのは初めて。

周知のとおりスピーカーはオーディオ機器の中では唯一楽器にたとえられるほどの華のように優美な存在である。まずアンプなどと違って機械くさくないところがいい。

スピーカーをヴァイオリンやピアノにたとえると弦と鍵盤の部分がユニット(振動箇所)に該当し、胴体と響板の部分が箱やバッフルに該当するといえる、胴体と響板のどちらもが木製なのはいうまでもない。さらに人の声ともなると声帯がユニット、肺がボックスみたいなものだ。

結局オーディオも単純化すれば「ユニット+箱」という「楽器」をいかに鳴らすかということに尽きるわけで、そのためにCDプレーヤーがあり、アンプがあるのであって、スピーカー以外の機器は所詮その程度の存在でしかない。

とはいえ、とても無視はできませんけどね(笑)。


以上のとおり、とても大切な「木の共鳴音」については、日頃からあえて「薄い板」(1.2~1.5mm)で箱を作成して共鳴させるなど身を以って実践しているものの、せいぜいその程度が限界で冒頭の画像のようにまだ奥義を極めるところまでは「ほど遠い」のが残念(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
    
  



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書コーナー~刑事に向かない女~

2021年05月22日 | 読書コーナー

週に2~3回は図書館巡り(3か所)をして面白そうな本を物色しているが、かなり頻繁に借りたり返却したりを繰り返していると、どうしても手違いが起こる。

3か所の図書館とも会員番号を登録して「ネット」で借りた本の題名、返却期限などをいつもチェックしているが、このほど返却しているはずなのに借りた状態になっている本が1冊見つかった。県立図書館だった。

「おかしいですよ、確実に返却しているはずですが」と電話で問い合わせてみたところ、「職員が3人手分けして探してみましたがご指摘の本がどうしても見つかりません。もう一度ご自宅とか心当たりを探してくれませんか」と図書館側。

「いや、もう何回も探しました。クルマの中にも落ちていませんでしたし、間違って他の図書館に返した可能性もありますので問い合わせてみましたが該当なしでした。おたくの図書館は以前にもミスがあって未返却の本が実際には館内にあったという経験をしていますよ」

と、食い下がったが結局「水掛け論」に終わった。

「一度、館内の中央カウンターにお越しいただいてご相談させてください」と、どうやら「事故扱い」になって本代を弁償ということらしい。

県外の娘に(ついでのときの電話で)こぼすと、「お父さん、これから返却するときは返す本をまとめてスマホできちんと写真を撮っておくといいよ、日付が入っているからね」

図書館には年から年中お世話になっているので、たまには1冊分のお金くらい弁償してもいいかなと思っている。オーディオ機器に比べればたいしたことはないし~(笑)。

さて、このほど面白い本に出くわした。


裏表紙の解説にこうある。

「都内の解体中のビルで男の首吊り死体が発見された。男は元警察官の岡田亮介。強制ワイセツ致傷罪で服役し、出所したばかりだったという。

現場の状況から自殺の線で終わらせようとする方針に対し、荻窪東署の刑事・椎名真帆は他殺を疑い操作を開始する。

一方、警視庁副総監に呼び出された捜査一課の芦川は、ある人物を内偵照査することを命じられるが・・・。椎名と芦川の捜査が交錯する時、事件は思わぬ方向へ展開していく。」

以上のとおりだが、ミステリーと名がつくものはすべて目が無いのでいつもダボハゼみたいに飛びつくが、面白い本の打率となると2割ぐらいでなかなか確率が悪いが、本書は合格点の出来栄えだった。

初めて読む作家で「山邑 圭」(やまむら けい)さん。蛇足だが「邑」という字の読み方が分からなかったので知識が一つ増えた。

ミステリーの楽しみは、もちろん「参った!」と思わせるようなあっと驚く予想外の展開と快刀乱麻の解決にあるが、もう一つ「お気に入りの新しい作家」を発見することにもある。

上から目線の物言いになるが、この山邑さんは「才能あり」とお見受けした。

ただし本格的な重量級ではなく、「ライトミステリー」という感じだが、ほかの作品にも手を伸ばしてみようかと思わせる魅力がある。何よりも人物描写が巧い。

以下、ネットから応援「レヴュー」を引用させてもらおう。

「登場人物一人一人が、性格や背景など、丁寧に描かれていて、ストーリーの面白さはもちろんですが、人物描写が巧みな作家だと思います。
今日も事件の捜査をし、賢明に生きているように感じます。

人間観察の鋭さが、刑事物というカテゴリーだけで終わらない、深みのある味わいを感じます。毎シーン、動画の映像が浮かびます。小説の中から飛び出した実写版を、ぜひ見せてほしいものです。 」

もし機会があれば読んでみても損はしない本だと思いますよ。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
    
  


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

システムの大幅な入れ替え~第3弾~

2021年05月20日 | オーディオ談義

一つのシステムのどれかを弄るとまるで「玉突き衝突」のように他のシステムに波及していく。

5月の初旬から始まったシステムの入れ替えがどうにか収まりつつある。

その経過を「第1弾」(5月8日付)、「第2弾」(5月16日付)と搭載したが、続いて今回は「第3弾」といこう。

今回の一連の騒動でこれまで「4つのシステム」だったのが幸か不幸か「5つ」に増えてしまった。

いい歳をして縮小するのならともかく、ますます増えるんだから「いい加減にしろ!」と外野席から声が飛んできそうだ(笑)。

勝手気ままの際限のない広がり様だが、本人が自己満足していればそれでいい世界だし、誰にも迷惑をかけていないつもり~。

というわけで、新たに誕生した5番目のシステムに言及してみよう。

JBLの「LE8T」(初期版:16Ω、口径20センチ)を外して空き家状態になっていたエンクロージャーだが、ベテラン(知人)が作った本格的なツクリなので、遊ばせておくのは実にもったいない。

そこで、これまで「AXIOM80」(オリジナル版)の低音域用に使っていた英国製の「ニューゴールデン8」(リチャード・アレン)を容れてみることにした。



寸法が「LE8T」と同じ口径20センチなので、まるで誂えたようにピタリとハマったのには感激したが、バッフルのブルーとユニットの赤の縁取り、そしてツィーター・バッフルの緑の3色の取り合わせがカラフルで映えてると思いませんかね!(笑)

このユニットは英国製だけあって明らかにクラシック向きの音だが、フルレンジとはいえ少し高音域が物足りなかったのでワーフェデールの「スーパー3」(赤帯マグネット)を付け足してみた。

加齢のせいで高音域の聴き取りが劣化しているのにもかかわらず、やたらに(高音域が)気になるのは理屈からいってどうもおかしいけど仕方がない(笑)。

ちなみに、高音域を担当するツィーターは、低音域と同様にサウンドの命運を握っており、透明感に大いに寄与しているのでゆめゆめおろそかにできない代物であり、これまでいろいろと収集してきた。



右側の上から「175ドライバー」(JBL)、ジェンセンの「フォノリック型」、デッカのリボンツイーター、左側の上からワーフェデールの「スーパー3」(赤帯マグネット)、そして同じワーフェデールの大型マグネット付きのツィーター、これに常用している「075」(削り出しステンレスホーン付き)が加わる。

今回はこの中から「スーパー3」を使ってみることにした。

振り向ける真空管アンプはリチャード・アレンに「PX25シングル」を、「スーパー3」には「6098(6AR6)シングル」を充てた。

ワクワクしながら音出しすると、家庭で音楽を聴くのならこれで十分という鳴りっぷりで、口径20センチのユニットが持つ、音のスピード感やバランスはやはり捨て難いものがありますな。

また、「スーパー3」はコーン型ツィーターなのにシンバルの響きと透明感は格別で、金属製の「ダイヤフラム+ホーン」にいっさい引けを取らず、思わずうれしくなった。艶やかな弦楽器はお手の物なので万能ですね、これは。

これも駆動するアンプを専用にしているおかげかな。

これで我が家では5つのシステムが勢ぞろいしたが、一つ一つに独特の個性があってまるで5人の子供みたい。

まず、長男が豪快そのものでクラシックもジャズも何でもござれの「ウェストミンスター」(改)、次男が緻密なサウンドを誇る「AXIOM150マークⅡ」、三男がやや控え気味な「スーパー10」(ワーフェデール)、四男が前述の伸び伸びとして屈託のない「リチャード・アレン」、そして末っ子がやんちゃで"じゃじゃ馬”振りを発揮する「AXIOM80」(オリジナル版)といったところかな。

毎日が5人の子供に取り囲まれて賑やかで、まるで「酒と薔薇の日々」みたいですね~(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →      




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作家・村上春樹さんの素敵な「哲学」

2021年05月19日 | 音楽談義

それほど好きな作家というわけでもないが、いつも気になるのが「村上春樹」さん。

なぜかと言えばたいへんな「音楽通」だから。



本書の中に次のような一節がある。(72頁)

「文章の書き方みたいなものは誰にも教わらなかったし、特に勉強もしていない。で、何から書き方を学んだかというと音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうとリズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです」

音楽愛好家の一人として、村上さんの文章がなぜ読みやすいのか、その秘密の一端に触れる思いがした。

けっして表面に出てくることがない「リズム感」は人間同士の「以心伝心」を始めとして社会のあらゆる場面に潜在しており、理屈では説明できない「サムシング」(雰囲気など)の要となっているのではなかろうか、なんて思ってしまった。

その村上さんの本に、「雑文集」というのがある。


            

膨大な作品群があって、とても”ひと括り”には出来ない作家だが、タイトルに「雑文集」とストレートに銘打つところがいかにも”偉ぶらない、もったいぶらない”村上さんらしい。

周知のとおり、村上さんは作家デビュー前にジャズ喫茶を経営していたほどの音楽好きでその「音楽論」には心惹かれるものがある。

たとえば、いつぞやのブログで「指揮者小澤征爾との対談集」を題材にしたことがあるが、ジャズのみならずクラシックにも造詣が深いことが伺える。


ただし、オーディオマニアではないのが残念(笑)。

日常聴かれているのは「レコード」が主体で、それはそれで十分頷けるのだがシステムのほうがアキュフェーズのアンプとJBLの古い3ウェイのSPというずっと不動のラインアップ。

「この音が善くも悪くも自分のメルクマールになっている。そりゃあ、いい音で聴くのに越したことはないがオーディオに手間と時間をかける気にはなれない」とのことで、いっさいシステムを変えようとされない。

たしかに一理あるが、
第三者からすると実に惜しい!

作家だけあってものすごく筆は立つし、前述のように音楽への造詣は深いし、カリスマ性もあるし、もし村上さんがオーディオマニアだったら、立派に「五味康祐」(故人、作家)さんの後継になれたのにと思う。

もしそうなると読者の一部がオーディオに興味を持ったりして日本のオーディオ界も少しは潤い、元気が出たかもしれない。転落の一途を辿る「オーディオ界」には村上さんのような救世主が求められている。

さて、話は戻ってこの「雑文集」の中に「余白のある音楽は聴き飽きない」の標題のもと、以下のような文章があった。

「僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさは何か?

それは、いいものと悪いものの差がはっきり分かる、というところじゃないかな。大きな差もわかるし、中くらいの差もわかるし、場合によってはものすごく微妙な小さな差も識別できる。

もちろんそれは自分にとってのいいもの、悪いもの、ということであって、ただの個人的な基準に過ぎないわけだけど、その差がわかるのとわからないのとでは、人生の質みたいなのは大きく違ってきますよね。

価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。

それは人によって絵画であったり、ワインであったり、料理であったりするわけだけど、僕の場合は音楽です。

それだけに本当にいい音楽に巡り合ったときの喜びというのは、文句なく素晴らしいです。極端な話、生きてて良かったなあと思います。」

以上のとおりだが、以下、文中の音楽という言葉を勝手に「再生音」に変換させてもらうことにしよう。

長いことオーディオに熱中し、常にいいの悪いのと価値判断を続けていると時折り自虐的になることがある。

いったい何をやってんだろう、こんなに手間と時間を費やしている割りには目立った効果がいきなり上がるわけでもないし、むしろ、一歩前進、二歩後退のときだってある。

このブログの読者だって「少しばかりの音の差にこだわっていつも騒々しいが、どうもこの人の心理状態がよく分からん。」と、きっと眉を顰める向きがあることだろう(笑)。

そういう多勢に無勢のときに、世界的作家の村上さんから「微妙な小さな差を識別できることで”人生の質”が違ってくるし、価値判断の絶え間ない堆積が人生を作っていく」なんて言葉を聞かされると、まるで「百万の味方」を得たようにうれしくなる。

ここで村上さんが言う「人生の質」とは人それぞれの受け止め方になるのだろうが、少なくとも「お金持ち」になることや社会的に成功する事で得られるものでないことはおよそ想像がつく。

ほんのささやかな「音楽&オーディオ」というフィールドだが
、これからも「微妙な差」にこだわりながら「ボケ防止」も兼ねて「人生の質」をたかめていくとしよう(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →      



 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「薔薇が満開です!」の後日談

2021年05月18日 | 独り言

「エッ、今頃から?」と、今年は例年になくメチャ早い梅雨入り。

随分楽しませてくれた我が家の薔薇もここ数日来の雨で散りつつある。



一昨日(16日)のこと、部屋でオーディオを弄っていたら「こういうものが郵便受けに入っていたわよ」と家内が持ってきた。



「ほう、口先だけでなくこまめにメモを入れてくれるとは実にありがたい話だな~。鉛筆とカードを持ち歩いているところをみると俳句をやる人じゃないか」

「こういう反応があると頑張りがいがあるわ」と、ますます張り切る家内。

人のお役に立てたり楽しむ様を想像すると、何だか気持ちが暖かくなりますね。

「ボランティアは究極のエゴイズム」という言葉の意味が分かるような気がする。

若い頃とは違って「自分が楽しむよりも人を楽しませる」ことに段々と比重が移っていくのが歳の取り甲斐というものかな、なんて「柄」にもなくつい殊勝な思いに耽ってしまった(笑)。

その流れで行けば、このブログも読んで楽しんでくれる人が少しでもいてくれるとありがたいのですがね。

そこでだが、このところオーディオがらみの記事のアクセス数があまりよろしくないのが気になっている。あまりに専門的過ぎるのかな~。

何ら思考することなくありのままを書けばいいので記事の作成としては(オーディオは)ずいぶん楽なんだけどね(笑)。

その一方、オーディオ以外の話の受けが良くなっているのが喜ばしい。

たとえば音楽、読書、身の回りの些細な出来事など。

音楽といえば、目下のところ「モーツァルト再発見の旅」にはまっている。

毎朝のように起き抜けに聴いているのが数年前に手に入れた「モーツァルト全集」(ドイツ・グラモフォン)だ。



全部で111曲、CDにして55枚が収録されている。

実を言うと、つい先日のブログに登載したように、大好きなモーツァルトをとことん聴きまくって「ガンを撃退しよう」という狙いが秘かに込められているのだ(笑)。

「天馬空をかける」ようなモーツァルトの音楽に呑めり込むと、ほかの作曲家が物足りなくなると何かの本で読んだ記憶があるが、音楽の自然なリズム感、何ら作為が感じられないままにこんこんと泉から湧き出てくるような自然なメロディの流れに触れるとそのことを身を以って実感する。

さらにモーツァルト以外にも「ガンの撃退」に利きそうな曲が「エンヤ」(アイルランド)だ。



先日、福岡在住の姉から電話がかかってきて「エンヤの音楽ってとてもいいねえ」と言ってきた。

つくづく「血は争えないなあ」と思った。実は自分も大好きなのである。声もいいけど豊かなサウンドの響きを聴いているとメチャ癒されて、まるでガン細胞が消えていく感じ、がする(笑)。

食わず嫌いの方もいるかもしれないので、次の曲などいかが~。

「エンヤ・ベスト曲集」(ユーチューブ)



この内容に共感された方は励ましのクリックを →      

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

システムの大幅な入れ替え~第2弾~

2021年05月16日 | オーディオ談義

ひょんなことから始まった今回の「大幅な入れ替え」作戦だが、「第1弾」の続きとして「第2弾」といこう。

ところで、いつも来ていただくオーディオ仲間から「音の良し悪しは別として手数(てかず)の多さにはいつも驚かされます」という言葉をいただいたことがある。

手数ですか・・・。言い換えると選択肢ですかね。

そういえば人生の節目、節目において「選択肢が多くなればなるほど質的に向上する」という考えをずっと持ってきた。

たとえば、進学先、就職先、結婚相手など人生の大きな転機において選択肢が多ければ多いほど質的に向上することについて全員納得されるのではあるまいか。

オーディオ機器の選択だって例外ではない。

せめてオーディオぐらいはとまるで人生の「うっ憤」を晴らすかのように、その手数とやらを増やしてきたので今回はここぞとばかりに披露させていただくとしよう。

ちなみに現在の結婚相手にはいっさい不満が
ありませんので念のため。娘がこのブログを読んでいる可能性があるので申し添えておきます(笑)。

さて、これまで「ウェストミンスター」(改)の上に載せていたワーフェデールの「スーパー10+075ツィーター」(以下、名称「スーパー10」)の行く先だが結局こうなった。



ご覧のように「独り立ち」を果たした、といいたいところだが小編成やボーカルはいいとして、この小振りの箱でオペラやオーケストラとなるとちょっと物足りない。

そこで、背後に控えるウェストミンスター(改)の低音域を「サブウーファー」として活用する手が浮かんでくる。

両者の位相の差は低音域だからそれほど意識しなくて済みそうだ。

ちなみに、自己流の計算では音の秒速は「340m」だから、100ヘルツのときの波長の長さは「3.4m」だ。この範囲内に両方のスピーカーの振動板が収まっていれば音像定位の違和感は無いはずと踏んだがはたしてこれは正解かな・・。

また「ウェストミンスター」(改)内蔵のユニットは「スーパー12」(口径30センチ:赤帯マグネット)と、同じワーフェデールだから音色が一緒という強みもある。

実際に聴いてみても、ウェストミンスターの上に置いたときとまったく遜色がないし、むしろ耳の高さにユニットが降りてきたので聴きやすくなったほどだった。早くからこうすりゃ良かったなあ(笑)。

駆動するアンプの方はウェストミンスターが定番の「KT88プッシュプル」だが、「スーパー10」の方は幸いなことに気難しいユニットではないので何でもござれの状況。

たとえば「WE300Bシングル」「PX25シングル」「2A3シングル」「6098シングル」「71Aシングル2台」「171Aプッシュプル」といった調子

日頃聴くのであれば「2A3シングル」か「71Aシングル」あたりで十分だろう。「WE300B」は お盆と正月用として飾っておこう(笑)。

これにて「スーパー10」の件は一件落着。

次は、AXIOM80(復刻版)が抜けた後の始末に移ろう。

久しぶりにJBLの組み合わせが聴きたくなった。「D123」(口径30センチ)と「175ドライバー」のコンビだ。

鳴らし始めは「やっぱりJBLはスカッとしてええ音やなあ」と、感心することしきりだったが、3時間ほど続けて聴いていると何だか耳が疲れてきてしまった。だいたいいつもこうなるんですけどね(笑)。

やっぱりクラシックには向いてないようで、管楽器はいいけど弦楽器の響きがどうも物足りない。クロスオーバーを7000ヘルツあたりに設定したのでそのせいもあるかもしれない。次回を期して研究するとしよう。

そういうわけで、ためらうことなく「ブリテッシュ・サウンド」へ一直線。



ユニットを「D123」からグッドマンの「AXIOM150マークⅡ」(口径30センチ、以下「150マークⅡ」)へ交換した。大きなマグネットを持つ強力なユニットで、我が家の中では一番の重量級だ。

バッフルのネジ穴を統一しているのでものの5分もあれば交換可能。

まず「150マークⅡ」をフルレンジで鳴らしてみた。カタログ上では「1万2千ヘルツ」まで高域特性が伸びているようになっているが、実際には少し不足を感じたので、久しぶりにデッカの「リボン型ツィーター」を引っ張り出してみた。

ウェスタン製のオイル・コンデンサーを使って5000ヘルツあたりでローカットしてみた。



やっぱりホームグラウンドに戻ってきたような感じで安心して身を任せられるような音。やっぱりクラシックはこうでなくちゃ~。

あえて形容するとすれば、心の複雑な襞(ひだ)を一つ一つ丁寧になぞってくれて、そっと優しく癒してくれるような奥の深い響き・・。分解能よりも重厚なハーモニーを優先した音といえよう。

こういう音じゃないと伝わらない音楽というのがたしかにありますね。

駆動するアンプは同じ英国製の「PX25シングル」で決まり。

問題は「リボン型ツイーター」だ。リボン型の特徴ともいえるようにメチャ能率が低くてアンプの選択には四苦八苦した。

あまりにうまく鳴ってくれないものだから、とうとう窮余の一策で高出力を誇る「KT88プッシュプル」で駆動してみた。

識者からは「そんな無茶な!」という声が聞こえてきそうだが、「やってみなくちゃ分からん」の積りだったが、これはサッパリだった。

いくらパワーがあっても、高音域特性が優れていないとツィーターには使えないというありがたい教訓を身を以って体験したことになる。

結局、落ち着き先は小出力ながら一番高音域特性が優れた「6098シングル」となった。5極管だが3極管接合にするとあの銘管「PX4」と同じ特性になるという謳い文句に間違いは無かった。前段管はSTCの「CV569=ECC35=6SLGT7」。



このアンプのボリュームを全開にし、「150マークⅡ」用の「PX25シングル」のボリュームを抑え気味にし、プリンアンプのボリュームを上げ気味にして何とか問題解決。

このデッカのツィーターはサウンドへの溶け込み方が上品で、自己主張は少ないけど無ければ寂しいというクラシックにはもってこいの素性を発揮してくれた。

これで「AXIOM150マークⅡ+デッカのツィーター」も一件落着。

さらに、まだまだ「大幅なシステム入れ換え」の余波が続いていく。

次は「第3弾」へ。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
    
  








 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな音楽を聴いてガンを撃退しよう~後編~

2021年05月15日 | 独り言

去る11日(火)に登載した「前編」からの続きです。

音楽が生物の細胞と深く結びついており、うまくいけば人類の宿敵「ガン」を撃退できるという話だが、半信半疑ながらもっと深く立ち入ってみよう。

☆ 生き物に働きかける「タンパク質の音楽」

<トマトの生育実験>

1999年ベルギー人によりトマトの成長に及ぼす効果が実験で確認された。ラジカセにより2ヶ月間、一日につき12分間、エクステンシン(成長を促進するタンパク質)、シトクロムC(光合成を促進するタンパク質)などのメロディを聞かせたところ、そうでないトマトとでは平均で高さ20cmの差が出た。

しかし、薬と同じように適量の使用を守ることが大切で、度を越して聞かせすぎるとかえって害が出たり、合わない音楽を使ったりすると逆に副作用が出る。

☆ 「タンパク質の音楽」と「人間が作曲した音楽」の関係

さて、「タンパク質の音楽」と「人間が作曲した音楽」の関係だが、具体的な曲目を明らかにして話が展開されていくが、ここではとりわけ人間にとって極めて厄介な病気「ガン」
について詳述してみよう。

これまでに見つかったガン遺伝子は100個以上にのぼるが、そのうち初めて人のガン細胞から見つかったラス遺伝子
が非常に有名である。

このラス遺伝子は細胞の外から中へと情報が伝達されるときの中継役を担っているわけだが、各種のガンで異常が見られるケースの割合は次のとおり。


肺ガン → 30%、大腸ガン → 40%、 膵臓ガン → 80%となっており、そのほか甲状腺ガン、子宮頸ガン、造血系ガンなどにも広範に関係している。

この恐るべきラス遺伝子の働きを抑制するメロディの断片を含んでいるのがサイモン&ガーファンケルの「サウンド・オブ・サイレンス」(出だしの部分)
である。
 

さらに、ガン細胞を殺すNK-TRタンパク質にはベートーヴェンの「第九交響曲」の合唱部分「歓喜の歌」の出だし部分とそっくりのメロディが隠されている。日本では年末に「第九」が恒例のように各地で演奏されるがこれはガンを退治する上でもまことに結構なこと。

「音楽を聴くことで癌を寄せつけない」となるとこれぐらい”いい”ことはないが~(笑)。

くどいようだがさらにガン対策を続けよう。

ガンを殺すのに重要な役割を担っているナチュラル・キラー細胞だがストレスによってその活性が低下する。そのためストレス解消を謳ったCDが市場に数多く出ている。

その中の曲目でよく用いられているのがドイツ・バロック時代の傑作パッヘルベルの「カノン」
である。この曲は特にストレス軽減に良いと言われているが、効果に科学的な根拠はあるのだろうか。

94年に「カノン」その他の音楽が身体に及ぼす影響を調べる実験がアメリカで行われた。被験者は男性外科医50名、平均年齢は52歳、自己申告によると全員音楽好き。

連続して引き算をさせるというストレスを与えながら、

1 パ
ッヘルベルの「カノン」
2 被験者が自分で択んだ曲
3 音楽なし
の3つの場合で、血圧、心拍数、皮膚の電気抵抗を調べた。

すると、1の「カノン」を聞かせたときには3の音楽なしのときと比べて明らかにストレスが減ることが分かった。この「カノン」の特徴は出だしの八つの音符にあるが、このバリエーションに関係するのがGTP分解酵素活性化タンパク質(略してGAP)の主題のメロデイである。このGAPは前述したラス遺伝子を不活性化する働きがある。
 

ただし、1の「カノン」より2の自分で択んだ曲を聴く方がストレスがはるかに少なくなる結果が出た。因みに好きな曲は46人がクラシック、2人がジャズ、残る2人がアイルランド民謡を択んだが、面白いことに択ばれたのはすべて異なる曲であった。

この事実から、ステルンナイメールイ博士は次のように語っている。
 

「ストレスといっても人によって千差万別で、自分の好きな曲を聴くのが大切である。これは人によって問題のあるタンパク質が異なっていることを意味している。

だから、聴いた人が心地よく感じる曲を分析してその人のストレスにはどのタンパク質が関っているかを知ると、より適切なストレス低減ができる。このことはストレスだけでなく、病気にも当てはまる。」

続いて、ガン遺伝子の合成を促進するメロディを含んだ歌(「キス・ミー」)を長年歌い続けたばかりに2000年に肺ガンで亡くなったフランスの歌手C・ジェローム(53歳)の実例が紹介される。

彼は晩年、「この曲を歌いたくない」と言っていたが「持ち歌」だったので仕方がなかったらしい。


用心しないと「タンパク質の音楽」を不用意に聴きすぎて副作用が出たケースも沢山あるそうで、音楽は自分の好きなものだけを好きなだけ聴くことが大切
で、イヤなものを強制されて聴くということがあってはならないとのことだった。(さもないとガンになってしまう可能性がある!)

以上のような内容だったが、興味のある方は原典を読むに限ります。

将来、自分のいろんなタンパク質のメロディを分析することで、病気になったときに薬や手術に頼らずに症状に対応した音楽を聴くことで治ってしまう夢のような時代がいずれやってくるかもしれないと思った。

いずれにしても、聴いて快感を覚える音楽が自分のある種のタンパク質が求めている音楽であり、病気の予防・治癒にも大いに効果を発揮するに違いない。

日頃、ふと、あの曲が聴きたいなんて思うことがよくあるが、無意識のうちにDNAが要求しているのかもしれない。

「好きな音でモーツァルトを聴く人間はガンにならない」という統計結果あたりが出てくれると、おおっぴらに「音楽&オーディオ」に打ち込めて「けっして無駄な投資ではない」と、家内への何よりの説得力になるのだが(笑)~。


 この内容に共感された方は励ましのクリックを →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薔薇が満開です!

2021年05月14日 | 独り言

薔薇の季節がやってきました。

我が家では玄関に向かって左側の「深紅の薔薇」がこれ。



群生の状況はイマイチだが一つ一つのツクリが大きい。

そして玄関に向かって右側の薔薇(ロンサール)がこれ。



ブログ用の写真を撮っていたら、通りがかりの方から「いつも目の保養をさせてもらってます。我が家では本を読んで研究するんですがどうもうまく咲いてくれません」と、お声がかかった。


「薔薇の栽培は奥が深いようですね。幸い近所に専門家の方がおられて家内が習ってそのとおり忠実に実行していますが、不要な枝葉を切ったり肥料をやったりと年から年中手入れをしています。深紅の薔薇の方は、11月頃が挿し木に適した時期のようなので、うまくいったら差し上げますよ。」

その方法だが、専門家によると「バケツの中に栄養の入った溶液を浸し、葉がついた小枝を容れておく、そして白い産毛のようなものが生えてきたら藻にくるんで鉢植えする」というものだが、成功確率は低いというから安請け合いをしない方がよいそうだ(笑)。

この深紅の薔薇は今は亡き母(享年94歳)が植えたものだが、すっかり年数が経ってしまい年々花の数が減っていくのでぜひ「挿し木」を成功させたいものだが~。

さて、薔薇といえば「酒と薔薇の日々」(Days Of Wine&Roses」という映画があった。1962年の製作だからおよそ60年前のことだがアルコールに溺れる夫婦の物語だった。

「酒と薔薇」という言葉の組み合わせに奇異な印象を覚えて何となく記憶に残っているが、「ワインと薔薇に包まれた日々」という意味のようです。

同名の主題歌(ヘンリー・マンシーニ作曲)を「ジュリー・ロンドン」が歌って栄えある「アカデミー賞(作曲部門)」を受賞している。

それでは「酒と薔薇の日々」(ユーチューブ)を。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →      







 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

システムの大幅な入れ替え~第1弾~

2021年05月13日 | オーディオ談義

まったく意図しないことから事態が予想外の方向へ展開することは人生においてままあることだが、オーディオも例外ではないようだ。

去る8日(土)のこと、それは何気ない誘いから始まった。

近くに住むオーディオ仲間に「AXIOM80の復刻版とオリジナル版を同時に鳴らす実験をしますのでお見えになりませんか」。

こういう類の誘いに対して断ることが皆無なのが仲間の非常にいいところだ(笑)。

すぐに駆けつけてくれたのでさっそく実験に入った。

二人して小振りの箱に容れた「AXIOM80」(復刻版)をオリジナル版が入った大振りの箱の上に載せた。

そして、両者を1台のアンプで同時に鳴らす、あるいは別々のアンプで同時に鳴らすという試みだったが、その結果、お互いに顔を見合わせて「あまり効果はありませんね」で一致した。

もっと情報量が豊かになって部屋中が音楽に満ち溢れるかもという期待があったのだが、それは無残にも打ち砕かれた(笑)。むしろ1台だけ聴いた方が良かったくらい。

あまりにもアッサリ決着がついて、これからの展開をどうしようか。

せっかく仲間にわざわざ来てもらったのに「このまま」でお引き取りしてもらうのはとても忍びない~。

というわけで、いっそのことウェストミンスター(改)の上に「AXIOM80」(復刻版)を載せてみましょうかと提案したところ、仲間も「諸手」(もろて)を挙げて大賛成。

「これまで載せていたワーフェデールの「スーパー10」(口径25センチ:赤帯マグネット)もとてもいいのですが、やはりAXIOM80の艶と輝きには及びませんからね」と仲間。

これが従来のシステムの画像。





これが入れ替えた後の最新の画像。

鳴らし方は、まず「AXIOM80」(復刻版)をフルレンジで鳴らす、次にウェストミンスターをサブウーファー的な活用をしてクロスオーバー100ヘルツ以下で低音域を補強するというもの。

この場合「AXIOM80」に大音量を入れた時の事故防止用としてローカット用のコンデンサーを取り付けたいところだが、「音が曇りますよ!」という仲間の指摘で泣く泣く諦めた。

極めてデリケートなユニットなので余計なものを付けると途端にご機嫌が悪くなるのがつらいところ。

まあ、小さい箱なりに「ARU」を付けているので大音量を入れても壊れないとは思うが、明らかにリスクを伴うことは疑いを容れない。

駆動するアンプは前者に「PX25シングルアンプ」を、後者に「KT88プッシュプルアンプ」をあてがった。

試聴してみると「いやあ、とてもいいですねえ。この組み合わせならまさに鬼に金棒じゃないですか」と、仲間から感嘆の声が上がった。

「唯一の心残りはJBLの075でシンバルが聴けなくなったことぐらいですかね~」と自分。

「AXIOM80でもシンバルは十分鳴らせると思いますよ」と、応じる仲間。

それではと、シンバルのテストを行うことになった。



ビル・エヴァンスの「モントゥルー・ジャズ・フェスティバル」の第4トラックの「ナーディス」はシンバルの独演が長々とあることで有名だ。

「これだけシンバルが鳴ってくれれば十分ですよ」と仲間。

AXIOM80がクラシックのヴァイオリンからジャズのシンバルまで何でもござれなのは分かっていたが、改めて万能であることを確認した。

唯一の欠点ともいえるのはオーケストラが物足りないことだが、容れる箱さえうまく工夫してやれば可能かもしれないと思っている。

いずれにしても、これで我が家の第一システムは完了した。

そして、当然のことながら「玉突き事故」のように他のシステムへ波紋が広がっていった。

「第2弾」は次回以降へ続く。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
    
  



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな音楽を聴いてガンを撃退しよう~前編~

2021年05月11日 | 音楽談義

通常、音楽の効用といえば、ストレス解消や癒し、あるいは精神の高揚などが言われているが、それ以外にもたとえば乳牛にモーツァルトの音楽を聴かせると乳の出が良くなったとか、酒の酵母を活性化させて発酵を促進するなどの不思議な現象の話もしばしば散見する。

その因果関係については科学的な根拠がハッキリと示されたわけでもないので「偶然の産物」とか「眉唾モノ」という受け止め方が一般的だ。

しかし、こうした生物と音楽とを結びつける不思議な現象の「科学的根拠」として提唱されているのがここで紹介する
「タンパク質の音楽」だ。

「生命の暗号を聴く」(2007.8.14、深川洋一著、小学館刊)    

これをうまく利用すると人類の宿敵「ガン」を撃退できるというのだ。

我が家でも20年ほど前に家内に早期胃がんが見つかって大騒ぎしたことがある。すっかり治癒したが、国民の2人に1人が
ガンになるというのだから確率的に見ておかしくはない。

それでは、以下やや”理屈っぽくなる”が順を追って紹介してみよう。

ただし、最終的にこの内容を信じる信じないは貴方の自由であり、決して押し付けるつもりはないので念のため申し添えます!

☆ 「音楽の不思議な力の由来」について

「音楽」とは一体何か。音楽を知らない人はいないのに、言葉で説明しようとするとうまく説明できないのが音楽だ。(そもそも音符を言葉で表現するなんて、どだい無理な話だ。)

まず、音楽の起源について。

中国では音楽を意味する文字として「樂」という語が一般に用いられていた。「樂」は象形文字で、楽器とそれを載せる台の組み合わせでできている。上辺の中心文字である白という字が鼓を象(かたど)っているとすると、太鼓のような楽器を叩いて音を出したことが、音楽という概念が生まれるきっかけになったとも考えられる。

西洋に目を転じると、「音楽」に対応する英語は「ミュージック」である。その語源をたどっていくと、ギリシャ語の「ムシケー」に行き着く。

これは「ムーサの技芸」という意味で、これに対応する英単語が「ミューズ」(学芸をつかさどる女神)→「ミュージック」(ミューズの技芸)となる。因みにミューズの女神を祭った場所が、美術館や博物館を意味する「ミュージアム」である。

ミューズ(女神)は全部で9人いる。いずれも神々の頂点に立つゼウスと記憶の女神ムネモシュネとの間に生まれた娘たちである。それぞれ、天文学、喜劇、舞踊、宗教音楽、悲劇、音楽、歴史、叙事詩(2名)を担っている。

(音楽には終始優しい女性的なイメージがつきまとっているがこの辺に由来しているのかもしれない)

なお、天と地の結びつきによって生まれた女神ムネモシュネ(天空の神ウラノスと大地の女神ガイアの娘)がミューズたちの母であるというのは音楽の意味を考える意味で示唆的である。

アフリカでは「音楽は神々の言語である」と見なされているし、カトリック・キリスト教でも、「音楽は天国の言語であり、それを人間が発見して真似したのが教会音楽である」とされている。

音楽が天と地をつなぐものであれば、神秘的な力を持っているのは当然で音楽の不思議な効果は古今東西を問わず、物語の形で多数残されている。

☆ 「細胞が奏でる音楽」
とは

こうした不思議な効果を持つ音楽と生物を科学的に結びつけるカギがステルンナイメール博士(素粒子論を専門とする理論物理学者)による「タンパク質の音楽」の発見である。ご承知のとおり、タンパク質は生物の身体を構成する基本材料である。細胞の中で必要に応じて必要なタンパク質が合成されるから生物は生きていける。

たとえば皮膚のコラーゲン、髪の毛や爪のケラチン、赤血球に含まれるヘモグロビン、それに血糖値を下げるインスリンなどの酵素もそうだが、これらは壊れては新たに合成されるという新陳代謝によって生まれ変わっている。

ステルンナイメール博士によるとそれぞれのタンパク質は独自のメロディを持っているという。「コラーゲン」という題名の曲、「インスリン」という題名の曲があるというのだ!それぞれの曲はDNAの中に「生命の暗号」として隠れている。

DNAが四種類の塩基からなることはよく知られている。A=アデニン、T=チミン、G=グアニン、C=シトシンである。これらの塩基が決められた順番で並ぶことで一種の「文章」が作られている。つまりDNAとは四種類のアルファベットでできた書物であり、「辞書」を作ればそれを読んで理解できるようになるはず。

ステルンナイメール博士は理論的な研究に基づき、同じDNAという書物を文章としてだけでなく音楽としても読めることを発見した。タンパク質のアミノ酸配列を解読してメロディに変換する規則を見出すとともに、そのメロディの持つ意味まで明らかにした。その規則にしたがって得られたメロディを「タンパク質の音楽」と呼ぶ。

ひとつのタンパク質には合成を盛んにするメロディと合成を抑えるメロディとがあって、それぞれ独自の非可変式チューナーがあり、そのメロディを同調させて電磁波に変換して細胞に伝えていくという。 

以下、続く。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →      

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする