「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「蔵」→「修」→「息」→「遊」の境地

2022年04月30日 | 独り言

もう50年以上にわたって飽きもせず、懲りもせず「ああでもない、こうでもない」と取り組んでいる「音楽&オーディオ」だが、これまで授業料を相当払ったつもりなのでその分だけ初めのころより進歩しているとは思っているが、いったいどの辺の「到達レベル」にあるんだろうかと考えることがままある。

で、先人たちがご丁寧にも「すべてにわたって何か物事を習得していく上でのレベル」を細かく区分してくれているのでこれを当てはめてみよう。 

その誰が書いたとも分からぬ著作の一部分をメモって保管していたのがこれ。
 

 → 書物や前例を基にして覚えているレベル

 → 修練して己の血となり肉となっているレベル

 → 学んだことがまるで息をしているように自然と身についているレベル

 → 学んだ内容にとらわれずゆったりと遊べる境地

最初の「蔵」の段階から順にレベルが向上していき、最終的に「遊」が究極のレベルとして位置づけられている。

先年の参議院予算特別委員会で首相が答弁の中で「学問は”遊び”だと思ってます」と言ってたが、ちょっとニュアンスは違うが「遊」に言及していたのは面白い。

また、ずっと以前にプロ野球の実況中継を見ていたら解説者の星野仙一氏(故人)が「このバッターはピッチャーから遊ばれてますね~」と言ってたが、ある程度通じているかもしれない。

で、これらの「蔵」「修」「息」「遊」だが「音楽&オーディオ」に当てはめてみるとどうなんだろう。

ちなみに「音楽&オーディオ」は端的に言えば「違いを理解し、それを楽しむ」趣味だと理解している。

たとえば非常に細かな「演奏の違い」「音質の違い」に気が付かないと始まらないので、かなり繊細な神経の持ち主じゃないと無理でしょう、この趣味を楽しむのは~。自分でいうのも何ですけどね(笑)。

そこで、自分なりに当てはめてみると、

 → ブランドを盲信したり、他人の評価やオーディオ誌の記事を鵜呑みにする段階

 → 自立したポリシーのもとに市販品を気に入るように改良したり自作する段階

 → オーディオを意識させない自然な音質で音楽に没頭する境地

 → いかなる音楽、いかなる音質といえどもいっこうに構わない。脳の中でイメージを創造して聴くので単なる"きっかけ”を与えてくれさえすればそれでいい


で、肝心の我が家の「オーディオのレベル」だが、欲目かもしれないが「修」と「息」の中間ぐらいかなあ(笑)。

読者におかれましても、もし独自の尺度がありましたらどうかご教示くださいな。


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これだからオーディオは止められない!

2022年04月28日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

1か月前に心臓のカテーテル手術を終えてから何だか身体の動きが良くなった気がしている。

ウォーキング中の息切れがみるみる減ったし、感覚の方も鋭敏に・・。

で、研ぎ澄まされた聴覚とくれば、即オーディオの話となる(笑)。

いつも以上にやる気になっているオーディオだが、このところの関心事は立て続けに改造してもらった2台の「71A系」アンプ。

これまでも悪くはなかったのだが、「スーパーツィーター」用のアンプとして、「インターステージトランス」(国産)を外してもらい、回路も一新したところ、思わずふるい付きたくなるほどのサウンドへ変身(笑)。

「スーパー・・」用どころか、WE300BアンプやPX25アンプと遜色がないほどの活躍ぶり。

何といっても真空管アンプ特有の潤いがあって「音楽をこなしている」感じがするのが気に入っている。それに、小ぶりなので上げたり降ろしたりするのも楽。

このところ、我が家のオーディオは全体的に「シンプル イズ ベスト」への回帰現象が続いているが出力管も「71A」系へ落ち着くのかなあ。



画像の中段の左側のアンプが「71A系1号機」、右側が「71A系 2号機」。

1号機は「前段管」が「AC/HL」(英国マツダ)、「2号機」の「前段管」は「ECC83 or 12AY7」で、出力管と整流管のブランドは別にしてほとんど一緒。

目下のところ、「1号機」をメインに使っており、「リチャードアレン」(口径20cm)がまるで生き返ったような鳴りっぷりで、どこといって不満が感じられずこのままずっと聴いていたい気持ちにさせてくれるほどだった。



1週間ほど堪能してから「AXIOM80」(復刻版)と入れ替えてみたが、ボーカルや小編成はいけるけど「オーケストラ」となるとちょっと物足りない。

これは明らかに自作の箱の方に責任があるのだが、こういうときは仕方なく「サブウーファー」の出番となる。

で、そういうタイミングの時に、降ってわいたような「ブルックナー」の交響曲第8番「リスボンライブ」盤の話。

この「音の大洪水」のような曲目に対応するとなると一筋縄ではいかないが、なんとか「サブウーファー」の力を借りないで鳴らしたいものだがとスピーカーを交換した。



このユニットはマグネット(赤帯)が強力なせいか、仲間に言わせると「コーン型ユニットなのにまるでホーン型みたいに音が飛んでくる」という代物だ。

この英国「ワーフェデール」の「スーパー10」(口径25cm)をグッドマン指定の箱(ARU付)に容れたものがこれ。(バッフルだけ自作)


「スーパーツィーター」を付けようかどうか迷ったが、無くとも十分いけるものの、これがあると音響空間でス~ッと音が消えていくときの微かな余韻がことのほか美しくなる!

で、「スーパー10」には「71A系1号機」を充て、「スーパーツィーター」(デッカのリボン型)には「2号機」を充てて「リスボンライブ」を聴いてみたところ、想像もしなかったほどの豊かな音が出てきたのには驚いた。

アンプの出力はせいぜい1ワット前後なのに音がクリップすることなく、低音域から超高音域まで絶妙のバランスでまったく不満が無い。

「アンプ&SPユニット&箱」の「三位一体」の効果による「特上のサウンド」の出現だと、いつもの自画自賛(笑)。

これならクラシックからジャズまであらゆる音楽ソースに対応できそうだ。

これまで「クラシックとジャズを満足に聴こうと思ったらそれぞれ専用のシステムが要る」が持論だったが、こういうサウンドを聴くと揺らいでくる。

「ほんとうに「いい音」はクラシックもジャズも良く鳴らす」という説もあって、いったいどちらが本当なんだろう。

そもそもオーディオに公式を当てはめようとするのが間違いなんだよね、これが・・、あまりにも変数が多すぎて(部屋の大きさからして違うし)最後は「ケースバイケース」に落ち着くのが関の山でしょうよ(笑)。

ささやかな小出力アンプの改造がもたらした今回の結果に、これだからオーディオは止められない(笑)。


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疾風と怒涛の「最後の3分間」

2022年04月26日 | 音楽談義

現役を引退したときに「暇つぶし」のつもりで始めたこのブログも早いもので16年目を迎えている。記事の総本数は「2772件」(4月25日現在)に及ぶ。

しゃべるのは得意じゃないけど書くのはあまり苦にならないのが長続きしている理由だが、「暇つぶし」の動機以外にも少しでも他人様の「音楽&オーディオ」の進展にお役に立てればいいという殊勝な気持ちがまったく無いと言ったらウソになる(笑)。

で、このほど読者のお一人「T」さんから「ありがたい」メールをいただいた。

この4月13日付で搭載していた「チェリビダッケ指揮の交響曲第8番(ブルックナー)」の記事を見て、このほど復刻された「リスボン・ライブ」盤を購入された方である。

「しばらく待ちましたが今朝(24日)配達され、今演奏終わりました。全体的に満足ですが、特に最後の3分間は感銘を受けました。」

「お気に召したようで良かったです。最後の3分ですが、私も聴いてみます。」と、返信すると、

「この交響曲の中の白眉のパートだと思っています」

この「リスボン・ライブ盤」は、クラシックファンなら一度は聴いておきたい名盤だとされているが、記憶を呼び覚ましていただくように改めて先日のブログの一部を再掲しよう。

日経新聞の記事(2022・4・10)が出発点だった。



文章の部分をさらに拡大すると次のとおり。



これ以上の「表現」は不可能と思わせるほどの的確な文章だと思います。

この曲は個人的には「第3楽章」(34分)が聴きどころと思っていたが、「T」さんのコメントにより「第4楽章」(31分)をずっと通しで聴き、特に最後の3分間にじっくりと耳を傾けた。

うねるような弦楽器の壮大な響き、突き刺すような管楽器群の咆哮とが相俟って、「疾風と怒涛の最後の3分間」という感じ。

大好きなモーツァルトとはまったく違う世界だが、ブルックナーもなかなか聴きごたえがありますなあ。

クラシックファンの中で、もしこの「リスボン・ライブ」盤を聴いたことないという方には騙されたつもりでぜひ一度は聴いて欲しいですね。

そして、もし満足できない方が居るとすればその責任はオーディオ・システムに帰します(笑)。

で、我が家の場合のこの重厚で雄大な響きを身上とする曲目を聴いたシステムだが、細身と繊細さが売り物の「AXIOM80」ではまったく歯が立たなかった。

そして、予想だにしないアンプとスピーカーの組み合わせが躍り出たのには驚いた!

以下、続く。


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「七転び八起き」でがんばろう

2022年04月24日 | 独り言

つい先日搭載した記事「失敗談と成功談のどちらがお好き?」についてだが、一般的に人は「失敗談」を好むものだが、本人にとってはやはり「失敗談」は思い出したくもないのでつい敬遠したくなるのがホンネ。

今回は、今思い出しても忌々しくなるが、もしかして読者が同じ轍を踏まれないように、その失敗談を投稿してみよう。

このところ、我が家のオーディオは段々と手間がかかるものを敬遠していく傾向にある。

たとえば、レコード再生の方が音がいいに決まっているのだが、構成部品が多くてその調整が大変なので、まあこの程度ならいいかとつい手軽なデジタル再生に走ってしまう。

ほかにも、重量級のアンプやスピーカーも動かすのが大変だし肝心の腰を痛めては元も子もないので「シンプル イズ ベスト」を兼ねて全てが自然と「軽薄短小」に向かいつつある。

そういう中で、手間のかからない代表的なものが「ブルーレイレコーダー」で、CDを10分ほどかけて一度取り込んでおくと後はリモコンボタンで手軽に再生できるのでこれほど便利なものはない。

たしかにCDトランスポートで再生するよりもちょっと音質が落ちる気もするが、ブラインドテストで聴いてもほとんど差がないようにも思える。

「悪貨は良貨を駆逐する」ように「簡便は手間を駆逐する」(笑)。

で、その「ブルーレイ・・」だが、性能も日々向上しているようなので例によって「もっと良くなるかもしれない」という期待と現行機器のスぺアを兼ねて新たな機器を購入してみた。

映像機器だけは新品を購入することにしているので、某専門ショップ(東京)を選択した。

「パナソニックブルーレイディスクプレイヤー史上最高グレードの高画質・高音質設計」という触れ込みだし、オーディオ関係の数々の賞を受賞しているほどなので、まず間違いはなかろう。



2~3年ほど前に発売された現行機種で「UB9000」という型番だ。

で、ネットで代金支払い後すぐに到着して、梱包を解いてさっそくCDを取り込もうとしたら、大きな勘違いをしていてこれは「ブルーレイ・CD・DVD・USB再生」専用のプレイヤーで、CDは記録できないことが分かった。

しまったあ~!

急いで購入したショップに「勘違いしてました。CDを記録できるものと交換してくれませんか」と、申し出たところ「一度梱包を解いたものは交換できません」と、つれない返事(笑)。

それもそうだろうなあ・・。

方向転換して「最新のCDトランスポートを購入したと思えばいいか、USBも再生出来ることだし」と前向きに考えることにした。

で、この「UB9000」からデジタルコード(RCA)でDAコンバーターの「A22」(GUSTARD)に繋いでCD再生を試みたところ「期待の176.4KHz」の再生ができず、小窓の表示には「44.1KHz」のままだ。

さあ、直接パナソニックと交渉開始。

「どうしても176.4KHzの再生ができません。故障じゃないでしょうか、返送してもいいので確認してください」といった調子で、2~3回やり取りするうちに、「リモコンに”音質効果”というボタンがありますのでそれを押してご確認ください」という返事があった。

そんなことは付属していた10頁ほどの「薄っぺらな説明書」にはつゆほども書いてなく、ネット掲載の40頁ほどの活用書に書いてあった。

こんな大事なことが書いてある活用書なら、最初から添付してくれればいいのに~!

この「音質効果」のボタンでようやく「176.4KHz」の再生が可能になって愁眉が開いた。

このボタンは詳細に再生対応が区分されていて「リマスター3」が、クラシック用とされており、「真空管サウンド」も6種類ほど分かれているほどのサービスぶり。

肝心の音質の方だが、お値段相応に「可もなし不可もなし」かな。

いつもの「七転び八起き」の精神で、気を取り直してこれからせっせとCDを聴きまくろう。何としても元を取らないと~(笑)。


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ヤナーチェックのオペラ「利口な女狐の物語」

2022年04月23日 | 音楽談義

何となく気になって「ウォッチリスト」(オークション)に登録していた20枚ほどのCD。



出品価格は1000円也。1か月ほど「店晒し」の状態で、まったく人気がない。今さらCDなんてということだろう。

とうとう、しびれを切らしたかのようにたったの1000円ぐらいなら「聴いてみるか」と落札。

出品者側との連絡もスムーズにいってほどなく我が家に届いた。送料が1300円だったので〆て「2300円」也。

見た目は綺麗だったが、コロナウィルスなどが心配だったので1枚づつタオルでていねいに拭き上げたところ(タオルを)何回も洗いに行くほどの汚れようだった。

どんなところに保管されていたのかおよそ想像がつく(笑)。

それから、ゆっくりと1枚づつ点検していったところ、オッと驚いたのがヤナーチェックのオペラ「利口な女狐の物語」(2枚組)。



何と未開封の新品(外盤)だった!

ヤナーチェックの作品なんてこういう機会でもないとまず聴かない。

ラッキー!

このオペラは7作目にあたりヤナーチェックの代表作だそうで、指揮者は「マッケラス」(オーストラリア)、オーケストラはウィーンフィル。

マッケラスといえば「魔笛」を指揮したCDを持っているが悪くはなかった印象がある程度。

随分とヤナーチェックの音楽の普及に尽力した指揮者とのことで、オーケストラが超一流だからそれなりに企画された演奏だろう。

さっそく耳を傾けてみたが、第一印象は「思ったよりは馴染みやすそうなオペラだな」。

クラシックは一度聴いただけで好きになれる曲目と、何度も何度も聴いてある日突然「闇夜に光明が走る」ように好きになる曲目とがある。

わが経験では「魔笛」(モーツァルト)が後者だった。

30代の頃、遠距離通勤の時にカセットテープで朝夕繰り返し聴くことで、最初のうちはサッパリだったが、そのうち「病膏肓に入った」記憶がある。

この「利口な女狐・・」も、少なくとも30回ぐらいは聴いてみようかな。もし好きになればしめたもの。

そういえば、ずっと以前に五味康佑さんご推薦のオペラ「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー)を購入して聴いたときに比べれば、随分取っ付きやすそうな気がする。

ここ当分は「ヤナーチェック三昧」といきますか(笑)。


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予測不能、五里霧中の我が家のオーディオ

2022年04月21日 | オーディオ談義

まったく我が家のオーディオは何が「きっかけ」となってどう転んでいくか、予測不能、五里霧中であることをこのほどつくづく痛感した。

経緯を述べてみよう。

そもそもの出発点は「スーパーツィーター」の活用だった。これを専用に鳴らすアンプが手薄だったので予備をつくっておこうと、71A系のアンプが2台あったのでそのうちの1台を知人に改造してもらった。

何てことはないごく軽い気持ちだった。



ところが、このアンプが期待した以上に素晴らしかった(笑)。

「スーパーツィーター」専用どころか、ほかのスピーカーに使ってもまったく遜色がないというか「シンプル イズ ベスト」で音声信号に対する反応のスピードが申し分ないし、素直な音質の「71A系」のメリットが十分生かされていると、感じた。

あくまでも自分勝手な思い込みですから念のため~(笑)。

それに当初の前段管は「μ=ミュー=増幅率」が高い「12AX7」(BRIMAR)だったのだが、この球を「μ」が半分くらいの「12AY7」に代えたところ、これでも十分いけると確信した。

となると、もう1台の方の「71A系」アンプにも当然のごとく食指が動く。

というのも、同じような「μ」の値を持つ「AC/HL」(英国マツダ)を前段管に使っても充分鳴ってくれるんじゃなかろうか・・。

「善は急げ」とばかり、さっそく知人宅に持ち込んでご相談。

「前回改造していただいたアンプにはとても満足しています。で、同じ様に今回も国産のインターステージトランスを外して改造していただけませんか?」

「前段管のAC/HLの特性がよくわからないけど、調べてみましょう。多分、できると思いますが・・。」

実はこの改造のために、直前のオークションで「カップリングコンデンサー」用として「旧ソ連製のシルバード・マイカコンデンサー」を調達した。



前回のアンプの時にそっくり同じものを使用して好結果を得ていたので迷いはいっさいなかった。解説にはこうある。

「旧ソ連製シルバードマイカコンデンサー0.1μF未使用2個です。ご落札いただいた方からは、真空管アンプのカップリングにとても良かったとの声をいただいています。」

たしかに・・(笑)。

このご時世に「ソ連製」という言葉は排除したいのだが、背に腹は代えられない。

それに、小ぶりなつくりのシャーシの中に余裕をもって組み込めるほどの手ごろな大きさも魅力の一つ。

前回と違って今度は1週間ほどで完成した。



前段管が違うとアンプの風格も変わりますな~(笑)。



この「AC/HL」(英国マツダ)を真上から撮った画像だが、マイカの部分が細長い長方形なので「初期製造の真空管」であることがわかる。

とても希少な古典管でオークションにはまず出てこないほどの我が家のお宝的な存在である。

で、肝心の音だが期待に違わぬ素晴らしさだった。

試聴に使ったスピーカーは「リチャードアレン」。



前回のアンプが「10代後半の溌剌としたうら若き乙女」だとすると、今回のアンプは「イギリスの貴族階級の品のいい30代の女性」みたいな印象を受けた。

それぞれに良さがあって「甲乙つけがたし」という感じかな。

この「アンプ」と「AXIOM80」との組み合わせでどんな音が出てくるか楽しみ~。

ここ当分は退屈しなくて済みそうだ(笑)。


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オーケストラにおける「いじめの風景」

2022年04月20日 | 音楽談義

日本人として初めてウィーン・フィルハーモニーを指揮した岩城宏之さん(1932~2006)の著作に「いじめの風景」(朝日新聞社刊)というのがある。



端的に言えば「指揮者には音楽以外にも管理能力というものが要る
」という話だがまずは、
「叱り方の難しさ」が挙げられる。

一般的に中高年になって管理職になると部下の叱り方は誰もが当面する課題で、ことさらに意識しないで自然体に任せるのが一番いいのだがこれがまた結構難しい。

しょっちゅう叱ってもただの口やかましいオッサンになるし、それかといって逆に遠慮して叱らないでおくと”なめられて”しまう。

それに叱り方もいろいろあって、ある種の人間性が問われるところがあり、「叱り方=管理能力」という一面がたしかにあるのは間違いない。

ところが、音楽の世界でも「指揮者=管理職」、「オーケストラ楽員=部下」という構図の中で会社や役所とそっくり同じことが繰り返されているというのだから驚く。

☆ 指揮者の叱り方の実例

楽員のちょっとしたミスを指摘し、それを直し、あるいは自分の解釈に従って演奏者の演奏法を変えさせるのは指揮者の大切な役割で、練習ではいつもやっていることだが、これがときには「いじめ」と紙一重になる。

誰もが大人数の中で一人だけミスを指摘されて注意されるのは快くないが、あえてそれをするのが指揮者の仕事。問題はそのやり方で往年の名指揮者トスカニーニとカラヤンが実例として挙げられている。

トスカニーニの叱り方

全員の前でよく注意し、怒り、ときによっては出て行けと怒鳴ったそうで、クビにされた楽員がのちに演奏会の楽屋に爆弾を仕掛けたという話も伝わっている。

何回も注意をしたあとに、しまいには癇癪を爆発させて「アウト!」と叫ぶと、その途端にその楽員がクビになったという。

現在は世界中でオーケストラのユニオンが発達してそういうことはありえないが、指揮者にとって古きよき時代といえども、トスカニーニのワンマン、独裁力は抜きん出ていた。それでも、彼が指揮する音楽が素晴らしかったから許されていた。

カラヤンの叱り方

非常に民主的にその人を傷つけないやり方がカラヤンだった。たとえば、練習で第二ホルンの音程が悪いとすると、パッとオーケストラを止(と)めてヴァイオリンのほうに向かって自分の解釈を伝えてこうしてくれと注文する。そうしながら、ホルンの第一奏者に向かって目配せをするのだそうだ。

こうしてオーケストラの誰にでも個人的に皆の前で恥をかかせることはしなかったので、非常に働きやすく楽員から凄く人気があった。帝王として君臨したカラヤンの背景にはこうした楽員への心配りがあった。

☆ 若い指揮者へのいじめ

同じ人間同士に生まれていながら、片方は指揮者、片方は楽員で、楽員にとってどんなときでも指揮者の一挙一動に注目し従わなければならないというのは本来面白くないはず。

だから指揮者がちょっとした統率上の油断をしたり、音楽的に納得できないことが続くと当然反発する。

その反発は指揮者とオーケストラの力関係によって種類が変わってくるが指揮者が大変若くて新人の場合は集団での”いじめ”になることが多い。

職業上のいびりは学校のいじめと違って可愛げがなく、指揮者という職業をあきらめる新人が後を絶たないという。

いじめの実例 1

ある若い指揮者が日本のあるオーケストラを指揮したところ、練習中いろいろと難癖をつけられた。約百人対一人だし、若い指揮者の欠点というのは無数にある。

どんなことでもケチがつけられる。しまいには練習中にその指揮者はボロボロ涙を流して泣きながら最後を終えたそうである。

後日、岩城さんはその指揮者を呼び出してこう注意した。

「オーケストラの前で涙を流すヤツがあるか。どんなに悔しくても、悔しい顔を見せるな。泣き顔を見せたら、オーケストラは面白がって、ますます君の言うことを聞かなくなる。尊敬しなくなる、軽蔑する。それだけだ。泣きたいなら練習が終わって、一人で部屋で泣けばいい」

いじめの実例 2

今度は別のオーケストラの話で、例によってある若い指揮者をさんざんいびったところ、その指揮者は気が強くて、しまいには腹を立て、棒を叩き折って投げつけて出てきてしまい、音楽会をキャンセルした。

逆にいびったほうのオーケストラは非常に感心した。見所のあるやつだ、おもしろい。この指揮者はそのオーケストラにその後もよく指揮を依頼されたということだった。

以上のとおりだが、オーケストラの団員といえば「芸術の創造」という高邁な志のもとに
俗世間を超越した存在かと思っていたが所詮は人間同士の集まりなので、意見の食い違いは日常茶飯事だろうし、「いじめ」や「管理能力」なんて陳腐なものから逃げられないんですねえ。


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ご主人の歩くスピードが速くなりましたよ

2022年04月19日 | 独り言

2月末から4月初めにかけて、心臓のカテーテル手術を「2泊3日」「3泊4日」「3泊4日」と3回に分けて行った。

現在、最終の治療から2週間余り経ったわけだがその効果となると、本人にしてみると体調がドラスティックに変わった気がしていなかったが、つい先日勤務中の家内に「早朝のウォーキング仲間」からわざわざ電話が入ったとのこと。

「お宅のご主人の歩くスピードが速くなったわよ。それに歩く姿勢もよくなったみたいで良かったわねえ~」

まったく、ご近所の目はうるさくてどこで観察されているか油断も隙もならない(笑)。

しかし、ご親切なことではある。

で、いちばん顕著だったのが体重で2月末よりも3kgほど減少した。

病院の食事の量がとても参考になって、アルコールを厳禁、少食に徹したところこの結果に~。

ただし、何となく元気がなくなった気がするし、寝つきはいいんだけど夜中に目が覚めると、それから眠れなくなったりするマイナス面もある。

そのせいで、ときどきブログの投稿時間がやたらに早くなったのをお気づきだろうか(笑)。

「細くて長い人生」がいいのか「太くて短い人生」がいいのか、と、つい考えてしまう。

で、私事のついでにもうひとつ「クルマのリコール」について。

ここ10年ほどハイブリッド車を愛用している。何といってもエンジン音が静かなのが気に入っているし燃費もいい。

最初に乗ったのは「アクア」で、燃費が「28km/リットル」、次に乗ったのが「プリウス」で「24km/リットル」、その次が「CHR」で「19km/リットル」、そして現在の「ハリアー」で「17.2km/リットル:走行距離1万8千km」。

クルマの排気量に応じてだんだん(燃費)が悪くなっているが、昨今の石油の高騰があまり気にならない程度には落ち着いている。

その「ハリアー」だが、このほどディーラーから連絡があって「リコールが発生しました。修繕するための日程を調整したいのですが・・」

「えっ、どこの部品が悪くなったのですか?」

「いいえ、部品じゃなくて横滑り防止装置の(パソコンの)書き換え作業です。1時間ほどで済みます」

「フ~ン」

現在では、クルマもパソコンの塊なんですねえ~。

この土曜日(16日)の午後に出かけて、きっかり1時間かかって書き換え作業をしてもらった。

ついでに、世間の話題になっている「ハリアーの納期」について訊ねてみると「1年ぐらいです、というか、もう現在は受注を受け付けない状態になってます。半導体や部品がそろわなくて~」

発売してからおよそ2年も経つのにこのありさまだから驚いてしまう。

この機に乗じて(ハリアーを)売ったらプレミアムが付いて儲かるんじゃなかろうかと、つい卑しい考えが脳裡をよぎった。

やはり、典型的な「胡散臭い」人物だね、この人は(笑)。


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失敗談と成功談のどちらがお好き

2022年04月18日 | オーディオ談義

「物事の本質は失敗事例に現れやすい」とはよく聞く話である。

数年前だったか、このブログでもいくつかオーディオの失敗事例を挙げたところ、読者からメールが届いて「どしどし失敗事例を紹介してください」。

そう言われてもねえ、年から年中失敗するわけにもいかないし~(笑)。

まあ、人間というのは他人の成功事例よりも失敗事例を喜ぶものと相場が決まっている。いや、悪い意味じゃなくてどうも失敗事例を聞いて「自分だけは同じ轍を踏むまい」と心がけるようなのである。

その一方、成功事例を聞いて自分もその通りにやろうとする人は少ないようだ。

なぜなら(成功事例の中では)多分に「運」に左右される要素も無視できないし、そもそも「人真似は嫌だ」という思いが強いのではなかろうか。

             

そのことを裏付ける例として、東大名誉教授の「畑村洋太郎」氏の「失敗学のすすめ」によると、講義中に学生たちが成功談にはあまり興味を示さないのに、失敗談となると途端に目を輝かせて熱心に聞きふけるという話が出てくる。

で、このたびの真空管アンプの改造の話だが、成功談に属するので「もういい加減にしてほしい」という読者が大半だろうが、わかっちゃいるけど止められない。もっと聞いてほしい(笑)。



この4月9日(土)に完成品を受け取ってから早くも1週間余りが経ったが、いつものように我が家独特の迷走が始まった。

現状にまったく不満はないが、もしかしてもっと良くなるかもしれない、あるいは違った面貌を見せてくれるかもしれないと期待しながら、ああでもない、こうでもないと弄り回すのである。

これが実に楽しい!(笑)

まったく真空管アンプならではの楽しみ方になるのだが、具体的に述べてみよう。

まずは前段管を「12AX7」から「12AY7」へと交換。増幅率(μ=ミュー)が前者はおよそ「100」で後者は「50」と、2倍前後違うが、逆に内部抵抗が低くなるというメリットもあるし実際に聴いてみなくちゃわからん。

また、出力管も「471B」(デフォレ)からより電流値が大きい「071」(ARCTURAS:ブルー管刻印)へと交換。

これで、やや音の重心が下がって音色の方も渋くなりぐっとクラシック向きに近づいた感じで、我が家ではこの方が相性が良さそうだ。

それにつけても、このアンプが来てから他のアンプにまったく心移りがせずますます魅力に嵌っていく感じだが、大概1週間ほどで飽きてくるのにこういう事例は非常に珍しい。

で、5日間ほどみっちり堪能したスピーカー「スーパー10」(ワーフェデール:口径25cm)を、久しぶりに「リチャード・アレン」に交換した。

「AXIOM80」や「スーパー10」に比べるとやや格落ちの感は拭えないがやはり「ブリティッシュ・サウンド」というDNAはきちんと引き継いでいて、何とか本領を発揮させたいという思いはずっと捨てきれなかった。



専門家が作ったこの箱にはもともと「LE8T」(JBL)が入っていたのだが、とうとううまく鳴らしきれないまま、この「ニューゴールデン8」に入れ替えた経緯がある。

箱の中はかなり複雑な構造になっており、吸音材として適量の「羽毛袋」を容れている。

で、このシンプルで素直な特性を持つ「071シングルアンプ」なら、うまく鳴らせそうだとの予感がしていたのだが、実際に聴いてみて腰を抜かさんばかりに驚いた。

いや、けっしてオーヴァーじゃなく~(笑)。

スピーカーはアンプ次第でこれほど豹変するのかという好事例!

低音域から高音域まで、周波数の谷間や山がいっさい感じられずにとてもバランスがいいし、しかも高音域の伸びが特に素晴らしくてこれなら「スーパーツィーター」の出番は不要だ。そういえば、このアンプが来てから「スーパーツィーター」の出番がめっきり減ってしまった。

音声信号に対する素早い反応、徒に音像が大きくならないなど口径20cmのユニットのシンプルな良さを堪能させてくれたが、家庭でクラシックを聴くのならこれで十分だと思わせるものがある。

むしろシステムが大型化し複雑化すればするほど、本来の音楽鑑賞から程遠くなる、これが現在の偽らざる心境である。

とはいえ、偉そうに言えるほどの資格は持ち合わせていないですけどね(笑)。

それにつけても、我が家のスピーカーはすべて「アルニコ・マグネット」のものばかりで、このユニットが唯一の「フェライト・マグネット」だが、これから認識を改めないと・・。

一時、置き場所に困って手放そうかと思ったこともあったが、とんでもないことでほんとうに粘って良かった~(笑)。


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「心配性」が巻き起こした真空管アンプの改造~後編~

2022年04月16日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

「スーパーツィーター」用のアンプがきっかけとなって思いついた真空管アンプの改造だが、依頼主のNさん(大分市)から待望の「完成しました」の一報が入ったのが去る9日(土)のこと。

ちょうど県立図書館(大分市)に居たので、これ幸いとばかり駆け付けた。

Nさん宅の試聴用のシステムはご愛用の「アルテックA5」である。



Nさん自作のプリアンプがこれ。



レコードを愛用されており、ジャズを主体に聴かれている。



駆動
されているパワー・アンプは自作の「WE300Bシングル」(モノ×2台)である。

で、その代わりにこのたび改造していただいた「71Aシングル」に繋ぎ代えて既に試聴されていた。

「とてもレンジが広くてたっぷりとした音ですね。出力1ワット程度の音とは信じられませんよ。これで十分です!」

「出力管71Aを最適の位置でスウィングできるようにしましたので、これまでよりもずっと良くなったはずです。また手間でしたけどアースを一点接続にするなど回路を全面的に見直しました。それから電解コンデンサーから抵抗まで「海神無線」で新品を調達したのでもっとエージングが必要です。

おそらく半年くらいは必要でしょう。鳴らし込めば込むほどもっと音がこなれてきますよ。それにしても71Aという真空管はとても素直でいい球ですねえ。これなら我が家の300Bアンプと取り換えてもいいくらいです」


嬉しい言葉を背に受けて、まるで追い風に乗って滑るように別府へ向けてクルマが快走。いつもは50分ほどかかるのに45分で到達~。

やはりオーディオの楽しみの一つは機器の改造や新調にあるようで、腕のいい熟練者と仲良くしておくのも必須要件ですな(笑)。



このアンプの概要を述べておくと、前段管が「12AX7」(英国:BRIMAR)、出力管が「DEFOREST」の「471B」(刻印)、整流管は「80S」(BRIMAR)で、我が家の手持ちのエース級を総動員した。

ちなみに、「カップリング・コンデンサー」は我が家から提供した定評のある「旧ソ連製のシルバード・マイカコンデンサー」(0.1μF)を使ってもらった。

最初に繋いだスピーカーは、薄板(1.5cm)で作った箱に容れた「AXIOM80」(オリジナル版)。



まずは、スーパーツィーターへの接続なしで鳴らしてみたところ、やっぱり「アメリカ球」ですねえ。とにかく溌剌として元気がよくて陽気で明るい音に尽きる。

しかも、高音域方向へのレンジがよく伸びていて「スーパーツィーター」なんか必要ないと思わせるほどの勢いがあり、このアンプを「スーパー・・」専用にしておくのはもったいない気がしてきた(笑)。

120%満足しながら、スピーカーを切り替えて今度はワーフェデールの「スーパー10」(英国:口径25cm)を設置した。重量級の赤帯マグネットが付いた代物である。



このユニットをグッドマンの「指定箱」(ARU付き)に容れている。



一気に音の重心が下がって重厚なサウンドへと変身したが、それでいて華やかさも失わない。「AXIOM80」よりも、むしろこちらのサウンドの方が好きだなあ・・。

様々なソースをじっくり4日間ほど聴いてみたが、周波数レンジやパワーの不足を微塵も感じさせず、これまでこのSPを鳴らしたアンプの中ではベストの感を深くした。まだエージングが十分済んでいないのにこれだから末恐ろしい。

一段落したら、71系のうちで一番パワーがある「071」(ARCTURAS:刻印)に交換してみたい気もする。



それに、久しぶりに「リチャード・アレン」(口径20cm)も鳴らしてみたい。



ここ当分は日々新しい発見がありそうで「退屈」や「マンネリ」という忌避すべき言葉と縁遠くなることは確実ですぞ~(笑)。


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「心配性」が巻き起こした真空管アンプの改造~前篇~

2022年04月15日 | オーディオ談義

「あなたは気に入ったとなると、同じようなモノをいくつも買いたがるわね。」と、家内からときどき皮肉めいたことを言われる。

たしかに言われてみるとその通りで、身の回りのモノのうち非常に大切と思うものは失ったときの不安感に駆られて、日頃からとかくスペアを準備しておきたがる癖がある。

まあ、用心深いというか、いわば「心配性」というのかな。

それでも、さすがに「家内と一人娘」のスペアだけは確保できなかったが(笑)、日常的にその癖が顕著に発揮されているのが例によってオーディオ機器。

その中でも最たるものは真空管アンプで、現在の手持ちは改造中のものを含めて10台あまり。

それぞれ個性に応じて使い分けしているが、このたび「心配性」がもろに出てきたのが、このところめっきり嵌っている「スーパーツィーター」用のアンプのスペア。

現在、使っているのは「6AR6シングル」(三極管接続)だが、まったく音質に不満はないものの
万一不調になった時が心配だし、それに「スーパーツィーター」専用にしておくのはあまりにももったいないほどの優れもの。



我が家のアンプ群の中では低音域から高音域まで周波数レンジの幅に対応できる数少ないアンプの一つなので、もっとほかに有効活用したい道がいっぱいある。

そこで目を付けたのが「71Aシングルアンプ」。まったく同じようなアンプを2台持っているのでそのうちの1台を思い切って「スーパーツィーター」用として改造してもらうことにした。



改造の主眼は駆動する対象となる「リボンツィーター」の能率が低いのでできるだけ「ゲイン」を上げてもらうこと、また、この際インターステージトランスを外してストレートな回路による峻烈さを発揮させようとの2点。

さて、どちらのアンプを改造してもらおうかと迷ったが、結局左側のアンプを選択した。いずれもオークションで手に入れたものなので製作者の顔が見えない代物だ。

改造していただくのは緻密な設計で鳴らすベテランの真空管アンプビルダーの「N」さん(大分市)。

実際にアンプを持ち込んでご相談したところ「インターステージトランスを外すのですから回路からして全面的な改造になりますが、それでいいですか」

「はい、お任せします。せっかくですから思い通りにやってください」

Nさんは地区の名士として幅広くボランティア活動をされており、3月は年度末でお忙しいとのことだったが、およそ1か月ほどかけて改造が済み、この9日(土)に完成したとのことでワクワクしながら受け取りに参上した。



以下、続く。


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チェリビダッケ指揮「交響曲第8番」(ブルックナー)の復刻

2022年04月13日 | 音楽談義

ずっと以前の記事にチェリビダッケ指揮の「交響曲第8番」について搭載したことがある。

「はるか忘却のかなた」のことなので、おそらくご記憶にある方は少ないと思う。ちょっと長くなるが再掲させていただこう。

東京フィルハーモニーのコンマス(当時)「荒井英治」氏
が理想のオーケストラとして「チェリビダッケ〔指揮者)+ミュンヘン・フィル」を挙げていた。

ウィーン・フィルやベルリン・フィルとかの超一流オーケストラなら分かるが、なぜ、ミュンヘン・フィルを?

実は思い当たる節があるのである。

チェリビダッケはフルトヴェングラー亡き後、ベルリンフィルの常任指揮者のポストをカラヤンと争って敗退した。〔楽団員の投票によるもの)。敗因の一つにスタジオ録音をことさら嫌悪し排除したことが上げられているが、いわば音楽にコマーシャリズムの導入を認めなかった頑固者。

後年「自分がベルリンフィルを継いでいたら、もっとドイツ的な響きを失わずに済んだであろう」と豪語した話は有名だが、ともかくミュンヘンで「配所の月」を眺めつつ徹底的に楽団員をしごき上げ、理想の響きを追求した。

つい「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけだ。」という言葉を思い出す。

そして、その成果ともいえる「名演奏」が誕生した。

それはブルックナーの「交響曲第8番」のリスボンでのライブ演奏。世に言う「リスボン・ライブ」である。

チェリビダッケは録音を許さなかったし、ライブでもあるのでこの演奏は後世に残るはずがなかったのだが、何と海賊盤
が存在しているのだ。

誰かが当日、こっそり録音機器を持ち込んで録音したという曰くつきのCD盤〔2枚組)。正式に陽の目を見ない盤だが、知人によると過去にオークションで法外な価格〔1万円以上)で登場していたという。

念のためネットで「HMV」を確認してみたがやはり「正規盤」としては流通していない。

巷間、ブルックナーの交響曲のうち最高傑作は8番と9番〔未完成)とされており、この8番は100分ほどに及ぶ大作だが幾多の名指揮者の録音があるものの、この「リスボン・ライブ」を一度聴いておかないと話にならないそうなので、まあそれ相応の価格と言っていいかもしれない。

フッ、フッ、フ・・、実はこの「リスボン・ライブ盤」を持っているのである。

   

手に入れた経緯? 海賊版なのでそれはヒ、ミ、ツ(笑)。

荒井さんの記事に触発されて久しぶりにこの「リスボン・ライブ盤」にじっくりと耳を傾けてみた。(音楽には刷り込み現象があるので最初に聴く演奏が大切だが自分の場合この演奏だったので助かった。)

やはり、旋律を楽しむのではなくてたっぷりと大きなスケールで豊かな響きを楽しむ音楽である。はじめからお終いまで「豊潤な美酒」(五味康佑氏)という言葉がピッタリ。

取り分け3楽章と4楽章が圧巻でオーケストラの躍動感に痺れてしまった。

通常、チェリビダッケの指揮はテンポが遅すぎると敬遠される方が多い。

それはオーケストラの直接音とホールの残響音とを綿密に考慮して「響き」を重視した指揮をしているからで、良し悪しの問題ではなくて各人の好みの問題なのだが、その点、このリスボン・ライブはホールの響きとのマッチングもあってかテンポもそれほど遅すぎず、絶妙〔だと思う)なので人気がある所以だろう。

しかも、鮮明に録れているのでおそらく最高の位置で録ったものだと推測される。

とはいえ、チェリビダッケの意図した響きを我が家のオーディオシステムがきちんと再生しているかどうかとなると別問題。

オーケストラのトゥッティ〔総奏)ともなれば、どんなシステムだって五十歩百歩で、〔生演奏に)とても及ぶところではないが、少しでもうまく騙されたいものである。

「このリスボン・ライブを聴いて退屈したら、それはシステムがダメな証拠」と知人は断言するのだが、はたして我が家のシステムはどうかな~?(笑)。

という、内容だった。

ところがこの曲について、「日経新聞」の日曜版(2022・4・10)に新たな情報が掲載されていたのである。



何と、このほど「遺族の許可」を受けてこの「リスボン・ライブ版」が正式なCD盤として発売の運びに至ったというのだ。

嬉しいやら、悲しいやら複雑な心境である(笑)。

P.S

「モーツァルトは好まないけどブルックナーは好き」という「T」さんからメールが届いた。それも充分ありでしょうよ(笑)。

サービス精神旺盛なので、新聞記事の活字部分を拡大して再掲してみたのでご一読してください。




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オーディオに「絶対」という言葉はない

2022年04月11日 | オーディオ談義

このところ、すっかり惚れ込んでいるのが3台のアンプを使った「変則3ウェイ・マルチシステム」で鳴らしているスピーカー「PL100」(英国:モニター・オーディオ)。



これまでの経験からして、どうせ一時的な「熱病」に過ぎないのだろうが、それにしてはいつもより「満足度」が高く、長続きしている気がしている。

小型スピーカーによる小さな音源というメリットが音像定位などに見事に発揮されていると思うし、スーパーツィーター効果と相俟って小編成のジャンルや女性ボーカルなどは思わず息を呑むほどの生々しさでようやく「理想のサウンド」に出会えたかな・・。

これからは「絶対にスーパーツィーターを外せないぞ」と決意を新たにしたのはいいものの、久しぶりにモーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲K364」を聴いてみたところ、悪くはないんだけどもっとゆったりとして豊かな低音域が欲しい気がするなあ・・。

やっぱり、本格的なオーケストラの再生を目指すとなると別物のようでして~。

で、今度は「スーパーツィーター」(デッカのリボン)を外して、その代わりにSPコードをサブウーファー(ウェストミンスター)の方につなぎ代えて鳴らしてみた。

結局、システムの構成は次のようになる。

「PL100」のウーファー「~2800ヘルツ」は「EL34プッシュプル」アンプで鳴らす、ツイーター「2800ヘルツ~」は「WE300Bシングル」アンプで鳴らす、そしてサブウーファー「100ヘルツ以下」は「6AR6シングル」アンプ(3極管接続)で鳴らす。

スーパーツィーターが無くなった分、WE300Bアンプ(2800ヘルツ~)のボリュームを上げ気味にして聴いてみたところ、やっぱりオーケストラを聴くならこれで決まりというほどの見事に豊かなサウンドへ。

オーケストラには超高音域よりも低音域の豊かさの方が必要のようだ。

この辺の事情について抽象的でわかりづらいだろうから「自己満足度」による点数で具体的に表現してみよう。

たとえば「スーパーツィーター」を付けたときの小編成やボーカルの再生を100点だとすると、オーケストラでは80点となる。

その一方、「サブウーファー」のときのオーケストラの再生を95点とすると、小編成やボーカルはせいぜい85点くらいになる。

で、これだけの差があるとなると、いったいどちらの音楽ソースを優先させたらいいんだろうかと、大いに迷ってしまう。

強いて言えば汎用性の高いのはサブウーファーを使ったときの方で、これで通していくのも一つの方法だがスーパーツィーターを使った時の録音現場の空気感や歌手の真に迫った生々しい息遣いもとうてい忘れられるはずもない。

結局、それぞれの音楽ソースに応じてSPコードをこまめに繋ぎ代えるしか方法はないようだ。(かかる時間は1分もあれば充分)

つくづく、オーディオにおいて「これで絶対だ!」と決めつけるわけにはいかないことを痛感した(笑)。

何しろ音楽ソースが違えば(録音状態も含めて)、再生の方法もガラリと変えざるを得ないんだから。

極端な話だが100枚のCDがあったとして、これらをそれぞれ完璧に再生しようと思えば百通りもの再生方法が必要となる。

いくらなんでもそれは無理なので、結局各自の好みを織り交ぜながら平均点主義での「十把一絡げ」の再生に落ち着くことになるのが関の山。

しかし、それではあまりにも淋しいので出来るだけ音楽ソースに応じて臨機応変にシステムを変えられるようにしておく余裕度こそが肝心ではなかろうかとの結論に、今のところ至っている。

で、くどいようだが現実論として「PL100」を3ウェイマルチシステムで鳴らしながら、それぞれ3台のアンプのボリュームの微調整、超低音域と超高音域の切り替えをしながらできるだけ柔軟に音楽ソースに対応することにしている。

もちろん、その日の気分次第で面倒くさいときもあるので、そういう時は「まあいいか」と凸凹道を強引に走破することもある。

それにしても、人によって好みのサウンドは様々のようで「低音重視派」もいれば「高音重視派」もいるし、いや、低音とか高音とか言っているうちは初心者同然で「中音域の透明感こそ一番大切だ」と力説される方もいる。

以上のとおり、各自の感性も含めてあまりにも「変数」が多すぎるオーディオはまるで「八岐大蛇」(やまたのおろち)みたいなもので、これだという「絶対的な決め手」はないと今のところ思っているのだが読者の皆様のご感想はいかがでしょうか?

最後に「絶対」の語源を「広辞苑」で調べてみた。

「他に並ぶものがないこと。他との比較・対立を絶していること、いっさい他から制限・拘束されないこと」

つまり、「絶対」は「他との比較・対立を絶している」に由来するが、オーディオは他との比較・対立なしには成り立たたないので「絶対」が通用するはずがないですよね(笑)。




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オーディオが教えてくれた人生の教訓

2022年04月09日 | 独り言

おそらくこのブログをずっと続けて読んでおられる方ならお気づきのことだと思うが「お気に入りのわりには、日常的にAXIOM80を使っている様子がないけど、いったいどうして?」。
           

そうなんですよねえ。

たとえば同じ英国製でも「PL100」(モニター・オーディオ)と「AXIOM80」(グッドマン)のどちらが好きですかと問われたら「それはPL100です」と、答える用意がいつもある。

音の良しあしからすると「AXIOM80」に軍配が上がるのにいったいどうして?

ここがオーディオの面白いところで、物理的な側面と感情的な側面とが入り混じっていて、結局「いい音」と「好きな音」とは違う・・(笑)。


はてさてと、よ~く掘り下げてみると次の結論に至った。

「AXIOM80はたしかに音が良いし繊細な表現力にかけては右に出るユニットはない。しかし、完成度が高すぎて弄る楽しみがないのが唯一の難点~」

これには「お前、いったい何のためにオーディオをやってんだ!」というツッコミが入りそうだし、その一方では
「いい音を出したいけど、そういう音が出てしまうと逆に面白くない。」ともいえる。

このパラドックス、もしかして思い当たる方がいるのではあるまいか(笑)。


「出来が悪くて手のかかる子供ほど可愛い」とは巷間よく聞くところだが、その気持ちわかるような気もする。

ま、ありていに言えば「AXIOM80」は「可愛げのないスピーカー」ともいえるわけだが、この「可愛げ」という言葉は世の中を上手に渡っていくうえで仇やおろそかに出来ない言葉のようである。

前置きが長くなったが、いよいよここから本論に入ろう(笑)。


ずっと以前に、高校の同級生と電話で次のような会話をしたことがある。


「先日のブログに書いてたけど谷沢永一の”可愛気が一番”という話は実によく分かるんだよね。」
 

「へェー、どんな風に?」

「実は以前、自分が部長をしていたときに他所の部門から異動してきた部員がいてね、適齢期なのに課長になり損ねて回されてきたんだ。」


「ほぉ~」

「元の部門の部長とはざっくばらんの仲だったけど、『○○君を課長に出来なかったけど、お前のところで是非、課長にしてやってくれよな』なんて虫のいいことを言うから、思わず『そんなことを言うくらいなら、なぜお前のときに強力に推さなかったんだ?』と言ってやったんだ。」

「ウン、ウン、そのとおりだよ」

「すると、そのときの彼の弁がふるっていて『だって、彼、可愛くないもんな~』だって」

「その○○君、学歴もいいし、真面目で仕事もそこそこできるんだけどねえ。人間には可愛さが大切だって改めて思ったよ」

「なるほど!」

因みに、このブログに登載した谷沢永一氏の"可愛げ"云々をご参考のため次に再掲。

※「才能も知恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛げがあるという奴には叶わない。」~谷沢永一「人間通」(新潮選書)~

以上の話、組織に従属して働いた経験のある方なら体感的に納得されると思うが、どんなに”きれいごと”を言ってみたところで所詮、人間は感情の動物であることを物語っている。

で、問題はこの「可愛げ」ってモノが先天的なものなのか、あるいは後天的に身に付けられるものかどうか、そこがポイントなのだが、谷沢氏の書きっぷりによるとどうも先天的な資質の方に比重を置いているようだ。

これを我が身に置き換えてみると、まず典型的な「可愛げのないタイプ」のようである(笑)。

まず世渡りが下手だったし、それほど偉くもならなかったのでだいたい分かる。

どうやら「可愛げ」の根底には先天的、後天的な資質のいずれにしろ、相互の信頼感や、リズム感、好き嫌い、などのさまざまな感情が織り交じっているようで、ほら、口には直接出さなくても「以心伝心」という言葉がある・・。

で、我が身を振り返ってみて「可愛げのなさ」を
客観的に分析してみると、第一に「何といっても気が利かない」こと、二番目にはどうも他人行儀というのか「遠慮し過ぎる」ようなところがあった気がする。

いい意味で、人にある程度の手間とか負担をかけさせる、ひいては「寄りかかる」ことも大切なことではなかったかと年甲斐もなく反省している今日この頃。

以上のとおり、愛用のスピーカーから人生の教訓を学んだ一幕だったが、いくら“つべこべ”言ってみても、もはや「手遅れ」なのは言うまでもない(笑)。


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あ~あ、楽しみは「音楽&オーディオ」だけになったか

2022年04月07日 | 独り言

「先生(医師)、この心臓でせめてあと10年は持ってほしいんですけどどうでしょうかね?」

「それは、あなたのこれからの生活態度次第ですよ。適度な食事と運動に尽きますね」

「アルコールはどうですかね、止めた方がいいでしょうか・・」

「少量なら構いませんが、アルコールは脳を麻痺させますので食欲のブレーキ役よりもむしろ昂進させるところがありますから、止めておいた方が無難じゃないですか・・」

2月末から小刻みな入院による「心臓治療」も、ようやく今回の「4月3日~6日」の3泊4日の入院で終わりを迎えて、術後の医師との最終面談がこれだった。

なにしろ無事終わってホッとしているが、これで食べる楽しみと、飲む楽しみが無くなって、残るは「音楽&オーディオ」だけとなった。

これ以上、老醜をさらしたくないのはやまやまだが、もう少し「音楽&オーディオ」の本質に近づきたいという意欲だけは残っている(笑)。

それにしても病院の食事の小量さには驚いた。1日2000キロカロリーということだが、ご飯が小さな茶碗に8分目、一汁2菜と魚、少量のデザートというパターンだった。

いかに日頃から食べ過ぎだったかというのがよくわかったのが今回の一連の小刻みな入院を通じての最大の収穫だった。

心臓はたとえて言えばクルマのエンジンみたいなものだが、小さな排気量になったのだから必要最小限のガソリンによる省エネ走行が一番合っているのだろう。

で、今回の入院中に持って行ったのが次の2冊



どちらも隣町の「鄙びた図書館」の「本屋大賞コーナー」で借りてきた本。

「夜のピクニック」は「恩田陸」女史の著書で、あの「蜜蜂と遠雷」で好印象を受けたので借りたもの。

いわば青春小説というのか、高校3年生の男女の心理状態が克明に描かれていてとても興味深かった。

ストーリーの設定は、父親が愛人に生ませた子(女性)と主人公(男性)が高校3年生の時にたまたま同じクラスになるというもので、学校行事「夜通しの80Kmウォーキング」を通じてお互いの距離感が近づくというストーリー。

共感を覚えた読者のレヴュー(ネット)がこれ。

「全校生徒で夜通し歩く行事の中で綴られる青春物語。ただし学生の恋愛や友情ではなく複雑な事情でコミュニケーションを拒絶してきた二人が向き合うという話なので大人の自分でもすごく楽しめた。

そして、その舞台が歩行祭という学校行事だからこそ、限りある時間の尊さも浮かび上がって、たしかに学校行事ってかけがえのないものだったな・・。友達の新しい面を知ったり、新しい人と話すきっかけになったりして。

主人公に親友が話す雑音の話や、最後はもう戻れない新しい現実に向かう感覚も描かれたのが素晴らしかった。心から読んで良かったと思う作品」

次に読んだのが「羊と鋼の森」。

タイトルに大いに興味を惹かれて手に取ったのだが、小さな山村に生まれた主人公(男性)が「ピアノ調律士」になって修行するというストーリー。

ピアノは周知のとおり「鍵盤と連動したフェルトで鋼鉄の弦を弾きその音を響板で響かせる」という楽器だが、はたして打楽器なのか弦楽器なのか。

なにしろ低音域が一番豊かな楽器なのでオーケストラの代役でも勤まる代物。

クラシックの本場ヨーロッパで活躍されている指揮者「大野和士」さんがオペラの練習の時に楽団員のストライキに遭遇し、困り果てて代わりにピアノを弾いて歌手の練習を強行した逸話がテレビで放映されていたのが記憶に残っている。

で、フェルトは羊毛を固めたものであり、弦は鋼で出来ているので「羊と鋼の森」というタイトルの所以となっている。


ピアノに興味のある方にはもってこいの本だと思うが、読後の感想としてはどうも蒸留水のような淡白な印象が拭えなかった。

こういう本を書けと言われても自分には書けないので、たしかに「力作」には違いないが、もう少し全般的に「人物像の彫り」が深いとよかったのに・・。

題材が見事なだけに惜しい気がする。


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