「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽談義~クルマの運転中に「マタイ受難曲」を聴くなんて!~

2010年01月30日 | 音楽談義

正月早々のブログと、つい最近のブログで、今年に入って2回も取り上げたバッハの「マタイ受難曲」。

                   

信仰心の厚いバッハが「キリストの受難」を題材にした畢生の大作であり、数あるクラシックの曲目の中でも別格とされる作品。

この曲を好きと広言される方はクラシック・ファンの中でも「ホンモノ」であり「極めてハイレベルの鑑賞者」と断言して間違いなし。

このまま知らん振りをして人生を終えるのも「何だかシャクだし勿体ない」と、心境の変化を来たしたので、とにかく
耳に馴染ませるのが先決とクルマのCDチェンジャーに3枚セットを歌謡曲やポピュラー音楽に紛れ込ませてここ1ヶ月ほど運転しながら聴いているのはこれまで記載してきたとおり。

ところがつい先日、ブログが取り持つ縁で交流している方から次のような興味深いメールが入った。

 1月3日掲載の「年頭に思うこと・・・」(マタイ受難曲に挑戦)のブログで気にはしておりましたが、その回答を1月24日付のブログで拝読しました。 

小生の現役時代にこんなことがありました。
仕事をしながら、「マタイ受難曲」を鼻歌で歌って作業していたところ、「マタイ受難曲ですよね、受難曲を鼻歌で歌ったら困ります!」
と不機嫌そうな顔。

(さらに)もう一度「キリストの受難を鼻歌で歌ったら困ります」真剣でした!後で知りましたが、〔その人は)「キリスト教の信者」でした。もうこの話、昭和48年の頃の昔話となりました。
 
(全部で78曲の)CD3枚を連続して聴くと退屈そうなので”歌謡曲、ポピュラー音楽などと交互に聴けるように”してみた。(1月3日付けのブログ中の文言)
 
ここを彼が読んだなら、きっと抗議のメールが・・・。

ところで、読書家の○○さん(自分のこと)に質問なのですが、音楽なら「”マタイ受難曲”を知らずにあの世に行くのはもったいないと思うのです」が、「読書でしたら、これを読まずして・・・」は、なにを御推奨されますか?
 
なお、N響のオーボエ奏者の茂木大輔さんですが「オーケストラは素敵だ」の著書のなかにマタイのこと、ロ短調ミサのこと、”バッハのカンタータを知る”などが出てきます。僭越ですが是非読んでみてください・・・。

いやあ、前段部分には驚きましたねえ。

敬虔なクリスチャンにとって
クルマを運転しながらマタイ受難曲を聴くなんて不敬もいいとこ、しかも歌謡曲やポピュラー音楽と同列に聴くなんてとんでもない!」というわけ。

思わず「そんなお堅い事を」と言いたいところだが、宗教〔信仰)の前には是非もない。

自分は、まあ一応仏教徒、とはいっても困ったときの「神頼み」、あるいは葬式や法事のときに必要な定番みたいなものでそれほど厚い信仰心を持ち合わせているわけではない。おそらく大方の日本人がそういうもんだろう。

そういうさしたる信仰心も無くクリスチャンでもない人間が、「単なる音楽鑑賞の一環」として「マタイ受難曲」を聴くことに対して本家本元の西洋人たちは一体どういう意見を持っているんだろうか。

と、何だか鋭く盲点を突かれた感じ。

そういえば似たような話で「クリスマス」に対する日本人の言動が思い浮かぶ。

本来はキリストの「降誕」を敬虔に祝う日なのに、神様そっちのけでのあの浮かれ様。

数年前のテレビ番組だったが、クリスマスかイブとかの夜に高級ホテルの客室がカップルの予約で埋め尽くされるという会話の中で、出演していた外人タレントが”どうも日本人は・・・”と、苦虫を噛み潰したような顔をしていたのが妙に記憶に残っている。

しかし、程度の差こそあれ、自分なんかも運転中に(いくら耳に馴染ませるためとはいえ)「マタイ」を聞き流している行為なんて同じようなものかもしれない。

宗教音楽に本格的に”はまる”と、ベートーヴェンやモーツァルトの音楽でさえも聴いていてバカらしくなるそうだよ」
とはオーディオ仲間の話だが、もともとクラシックはキリスト教への信仰が大元になって発展を遂げてきたのだからこれは十分うなづける話。

クラシックを聴くことは「神と対峙することだ」なんて言うとちょっと気障で大げさだが、それなりの心構えが要るんだろう。

ともあれ、今回のメールはクリスチャンでもないのにこの崇高な「マタイ受難曲」を好きになる、理解するということは一体どういうことなのかと大いに考えさせられることだった。

イエス・キリストは普遍的な神になり得るんだろうか?

 

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読書コーナー~「最近、目を通した本」~

2010年01月26日 | 読書コーナー

タイトルを「最近、目を通した本」にしようか、「最近、読んだ本」にしようかと迷ったが、今回は「ザッと目を通した」だけなので「読んだ」という表現は遠慮させてもらった。

つまり、内容を十分咀嚼していないという意味合いなので「悪しからず」~!

☆ 「松尾芭蕉この一句」(2009・11・29、平凡社刊)

                  
   

表紙の副題に現役俳人の投票による上位157作品とある。

芭蕉の俳句は昔から大好きで感銘を受けっぱなし。凝縮されて選び抜かれた語句に
「洗練の極み」といったものを感じるし、わずか17文字の世界に下手な長編小説なんかでは及びもつかないほどの広がりと深さがあると思う。

そういう俳句群に対していわばプロともいえる「現役俳人」の方々が、どういう句を選出されているか、また自分の大好きな句がどのくらいの順番なのかと興味は尽きない。

いきなりだが、上位15句を紹介してみよう。

15位  さまざまの  事(こと)思い出す  桜かな
14位  行(ゆ)く春を  近江(おうみ)の人と  惜しみける
13位  古池(ふるいけ)や  蛙(かわず)飛び込む  水の音
12位  象潟(きさがた)や  雨に西施(せいし)が  合歓(ねぶ)の花
11位  面白うて  やがて悲しき  鵜船(うぶね)かな
10位  秋深き  隣は何を  する人ぞ
 9位  五月雨(さみだれ)の  降(ふ)り残してや  光堂(ひかりどう)
 8位  石山の  石より白し  秋の風
 7位  この道や  行(ゆ)く人なしに  秋の暮(くれ)
 6位  海暮れて  鴨(かも)の声(こえ)  ほのかに白し
 5位  五月雨(さみだれ)を  集めて早し  最上川(もがみがわ)
 4位  旅に病(や)んで  夢は枯野(かれの)を  かけ廻(めぐ)る

 3位  夏草や  兵(つわもの)どもが  夢の跡(あと)
 2位  閑(しずか)さや  岩にしみ入る  蝉(せみ)の声

 1位  荒海(あらうみ)や  佐渡(さど)に横たう  天(あま)の河(がわ)

獲得ポイントを見ると、
1位から3位までが他を圧してブッチギリ。特に1位は、宇宙的な視点ともいえるスケールの大きさから「奥の細道」を代表する句とされるもの。

個人的には順位に色づけした句が好み。

取り分け
3位の句には「栄枯盛衰の理と無常感」の見事なクロスオーバーに芭蕉の俳句中一番の魅力を感じるが、全体的に15位以内に自分の好みの句がすべて網羅されていたのがうれしい~。

☆ 「ベストセラーの風景」(2009.11.7、塩澤実信、展望社)

                     

毎年、膨大な本が出版される中で「売れる本」「売れない本」が出てくるのは仕方がないが、通常「短い期間に勢いよく売れ、華やかな話題となった本」「ベストセラー」というそうだ。

「出版事典」の「ベストセラー」の項目によると、生み出す手段として「できるだけ多数の真理や感情の動きを見抜き、大衆の最大公約数的な関心を刺激するような主題を、平易でしかも扇情的な表現を盛り込む必要があり・・・」と書かれてある。

このニュアンスから感じとれるのは「大衆の安易な好奇心や欲望、関心を刺激することに腐心しその結果として生まれる本」というのが「ベストセラー」の一般的なイメージ。

自分なんか”へそ曲がり”なので「ベストセラー」と聞いただけでまったく敬遠してしまうが、結局
「時代を映す鏡」「時代と添い寝する本」というところに大きな価値があるんだろう。

こういう視点のもと、本中にあった「芥川賞作品」「直木賞作品」の歴代の発行部数ランキング〔100万部以上)を掲載してみよう。

≪芥川賞作品≫

1 村上 龍 「限りなく透明に近いブルー」 354万部
2 柴田 翔 「されどわれらが日々」 187万部 
3 庄司 薫 「赤頭巾ちゃん気をつけて」 161万部 
4 安部公房 「壁」 138万部 
5 綿矢りさ 「蹴りたい背中」 127万部 
6 池田満寿夫 「エーゲ海に捧ぐ」 126万部
7 大江健三郎 「飼育」 109万部
8 石原慎太郎 「太陽の季節」 103万部

≪直木賞作品≫

1 浅田次郎 「鉄道員」 219万部
2 司馬遼太郎 「梟の城」 194万部
3 向田邦子 「花の名前」「かわうそ」 186万部
4 宮部みゆき 「理由」 154万部
5 青島幸男 「人間万事塞翁が丙午」 134万部
6 景山民夫 「遠い海から来たCOO] 113.5万部
7 つかこうへい 「蒲田行進曲」 113万部
8 佐木隆三 「復讐するは我にあり」 111万部
9 山田詠美 「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」 109万部

さて、以上の作品のうち現在でも読み次がれている本は果たしてどのくらい?

「時の流れ」という悠久の”ふるい”にかけられて、古典となって残っていくもの、あるいはすぐに消え去っていくものなど実にさまざまだが、その自然淘汰は一体どこに起因するものなのか。むしろそちらの方に興味が湧く。

文学と同様に音楽にしても”しかり”だが一つの大きな謎である。


    


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独り言~「高(たか)ころび」~

2010年01月22日 | 独り言

最近の民主党「小沢幹事長」の騒動を見ていてふと連想したのが「高(たか)ころび」という言葉。

「高ころび」とは絶大な権勢を振るう人間が、突然「仰向けにひっくり返って」失脚することをいう。

由来を探ってみよう。

時計の針は大きく遡って、織田信長が天下取りを目指して日の出の勢いで権勢を振るっていた安土桃山時代へ。

以下、ネットで「戦国時代 えけい」〔検索)でヒットしたうちの「江戸の散歩道」さんから引用させてもらいました。

当時、
安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)という毛利の外交担当として働いていた僧侶が、山県越前守・井上春忠に宛てた書面(1573年12月)で織田信長の将来をこんな風に予見した。

「信長の勢いはあと3年から5年ぐらいは続くのではないでしょうか。来年あたりは、朝廷から要職をいただいたりするほどで、今とても勢いがあります。だがしかし、その後は高ころびに仰向けにひっくり返って織田信長は没落してしまうように見えます。」

「本能寺の変」が1582年なので、その10年も前に織田勢力は長く続かない事を予見していたが、そもそもどうしてこんな予見ができたのか?

織田信長という人物がもっていた
凶暴な側面(旧来の譜代家臣を突然追放したり、寺社を焼き討ちしたり)は周囲の人間から反感、怨恨をかい、敵をつくりやすかった性質といえる。

日本で活動していたルイスフロイスなども、信長の残酷性を実例をあげて言及している。

   ・ 果物のカスを捨てなかった侍女を切り殺した。

   ・ 竹生島に参詣に行っている間に安土城から抜け出していた侍女た 
     ちを皆殺し。

   ・ 茶坊主に不手際があり、棚の下に逃げ込んだ茶坊主を棚ごと切り  
     殺した。

「こんなことをしていれば、あと4、5年もしたら、いずれ誰かに恨まれるなり、討伐されるなりして殺されるだろう」というような予想を、安国寺恵瓊はしていたに違いない。

「自分の家臣、明智光秀に裏切られて天下を取れなかった」というのは織田信長という武将の妥当な結末であり、近畿圏とその周辺あたりの統一までが戦国武将としての織田信長の限界だったのかもしれない」という見方も成り立つ

以上のような内容で、後世のいろんな歴史小説や資料でもこの安国寺恵瓊の指摘を称して
「高ころび」と紹介してあり、頻繁に出てくる逸話なのでご存知の方が多いかも。

因みに安国寺恵瓊はこの予見で歴史に名を遺すこととなったが、さらに秀吉の隆盛を早くから見込み、のちに側近となって戦国大名にまで取り立てられた。

しかし、目先が利いたのもここまでで「関が原の戦い」で西軍に組したため敗戦
後に「刑死」。

さて、冒頭の話に戻って「小沢一郎」さん。

あの田中角栄に実の息子のように可愛がられ、脱税容疑で逮捕された金丸信とも密接な関係を持っていた、いわば自民党の金権体質を色濃く引き摺ってきた人物である。

政治資金管理団体の「陸山会」という名称も田中角栄の「越山会」と「陸奥の国」(東北地方:本人の出身地は岩手県)の両方に由来している。

実際に、新聞やテレビ、ネット情報なんかでは大好きな不動産の取得を含めて蓄財にすごく熱心だそうで、やっぱり政治家の
「氏素性」(うじ すじょう)というものは争えない。

こういう人物が「弱者の味方」を標榜する民主党にいること自体に改めて「違和感」を覚える。

先般のブログでも紹介したように、首相の地位にあった小泉さんが当「民主党は小沢を取り込んだのが失敗のもとだった」との発言も、今にして思えばこの辺に真意があったのかも。

民主党の総選挙大勝利後の「小沢」氏の権勢振りについては改めて言うまでもなかろう。まさに「織田信長」並みの「当たるべからざる勢い」。

党の人事をお気に入りの側近で固め、優柔不断の首相をこれみよがしに”ないがしろ”にし、大事な時期にもかかわらず予算編成の要の財務大臣にプレッシャーをかけて辞めさせるなど、
民主党の最高権力者として君臨し、誰もが「もの言えば唇寒し」とそっとしているのが実状。

地検の任意聴取に応じなかったのも、自分の権勢に過信があったのが背景だろうが、多忙を理由に断っていたくせに、ナンと囲碁の名人位と対局中の様子がテレビ放映されてしまった。ネット情報によるとこれを見た地検の幹部が「バカヤロー」と言ったとか。

こういうナメた態度の結果ともいえるのが、秘書、元秘書などの3人逮捕でうち一人は現職の国会議員。

今となっては厳しい世論の勢いに押され、しぶしぶ地検の任意聴取〔23日予定)に応じるようだが、果たして今後の展開はどうなるか。

「高ころび=逮捕」か「七転び八起き」になるか世間は固唾をのんで見守っている。





 

 




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読書コーナー~「患者を殴る白衣の天使」~

2010年01月15日 | 読書コーナー

看護婦さん(現在では看護師さん)のことを「白衣の天使」という。

傷つき、病む者にとって手厚い看護をしてくれる爽やかな白衣を身につけた女性はまさに天使のごとくにも思える存在。

今回は、その白衣の天使が
「手術室で手術を受けている患者を怒声とともに殴りつける」
という話である。ちょっと変わった面白い話なので紹介してみよう。

先年亡くなられた作家「吉村 昭」さんは個人的に好きな作家の部類に入る。冗長なところがなく実に簡潔な文体やリズムがこちらの呼吸(いき)とピッタリ合って読みやすく自然に作風に溶け込んでいけるところがいい。

大方の作品は読んでいるつもりだが、どちらかといえば長編よりもエッセイ風の小品が好みで、この
「殴る白衣の天使」は次の
薄い文庫本に収録された小編。吉村さんの実体験にもとづいた話である。
   
    「お医者さん・患者さん」(中公文庫)      

吉村さんは20歳のときに喀血し、診察の結果、結核と判明、自宅で絶対安静の日々を過ごしたものの、体力が衰える一方で兄の知り合いの東大助教授の診断によると余命6ヶ月と断言された。

「死にたくない」その一念で、ある雑誌で知った手術による結核の治療法「胸郭成形」を受けるため東大付属病院に入院。

当時、「胸郭成形」術は開発されて間もない手術で、術後1年生存率がわずか40%、しかも肋骨を5本ほど取ってしまう土木工事のような荒っぽい手術。

また、麻酔法が未発達で全身麻酔をすると肺臓が圧縮されて患者が死亡してしまうので局所麻酔だけで手術するが、想像を絶する苦痛のため当時の手術場は阿鼻叫喚の巷(ちまた)だった。

「阿鼻叫喚」の表現とはまさに当を得ており、隣室にいた逞しい体をした中年の男性は手術途中で「やめてくれ!」と泣き叫んだという。

一方では25歳前後の○○さんという気丈な女性もいて、看護婦さんたちが言うには「○○さんは手術中泣き喚くこともせず、頑張りぬくんだから凄い、××さんも殴る必要がないと言っていた」。

××さんとは「患者を殴る白衣の天使」のことである。手術は通常5時間前後かかるが、その間、患者は激痛に耐えかねて泣き叫ぶ。慎重さを必要とする大手術に患者の絶叫は外科医の神経をいらだたせる。必然的にそれを制止させる行為が要求される。

そうした手術場の要請に応じて××さん、つまり殴る専門の看護婦さんが配置についていたというわけ。

彼女は、泣き喚く患者に「黙れ!」という怒声とともに頬に平手打ちをくらわす。
色白の肌をした目の細いちょっとした美人だが、腕も太い大柄の女性で、痩せこけた患者からみればすさまじい体力に満ちた巨漢にも思えた。看護婦たちの話によると大半の患者が××さんの殴打を受けているという。

そうした恐るべき白衣の天使が控えている手術場にいよいよ吉村さんが送り込まれる日がやってきた。

肉を切り裂き骨を切断する手術の激痛は、まさに地獄そのもので叫び暴れた。殴る白衣の天使もたしかに手術台の傍に立ち、決して本意ではないだろうがその日も殴らねばならぬと心の準備を整えていたはずである。

しかし、吉村さんは結局、彼女から殴られなかった。その理由は簡単、手術中「痛クナイッ、痛クナイッ」と、わめき続けていたから。

「痛い」と叫ぶかわりに「痛くない」と叫んだのは、我慢しようという気持ちがあったからでそれは「痛い」という叫びと同じ意味を持っている。
しかし、看護婦としては「痛くない」と泣き叫ぶ吉村さんを殴るわけにはいかない。

こうして手術は無事成功し、1ヵ月後には無事退院できた。切断された5本の肋骨は1年たつと両端から伸びてつながった。

その後社会人として働き、結婚し二児の父となったがこれはすべて手術のおかげと感謝しているものの異様な体験であっただけに、手術前後の2ヶ月に満たない期間のことが鮮明な記憶として今でも胸にやきついている。

殴る専門の白衣の天使もおそらく結婚して家庭の人となっているのだろうが、もしも看護婦を続けているとしても患者を平手打ちすることはもうないだろう。

現在は、麻酔術が急速に進歩していて、手術場で泣き喚く患者はもういない。

以上が、「患者を殴る白衣の天使」真相である。

この話、「白衣の天使が患者を殴る」という意外性とともに、「大音声で叱り飛ばす、殴りつける」という暴力行為が時と場合によっては有効な手段になるというのが面白い。

たとえば、地震や火事など命が掛かった災害時の緊急避難の際にも大いに使えそう。

さて、舞台が随分と変わって昨今の日本の政界は相変わらず政治資金がらみなんかでうるさくて仕方がない。

以前、「佐藤優」氏と「亀山郁夫」氏の対談本(「ロシアという闇の国家」の中で、理念がない、求心力がない、座標軸が一定しない日本のような国家はふらふらと漂流するばかりとあった。その責任の一端は国策を担っている政界にもあると思う。

「重要閣僚をいびって辞めさせる強もての幹事長」をはじめ「優柔不断で何とも頼りない首相」など、こういう政界を「しっかりしろ」と大いに叱り飛ばし、殴りつける役割は一体誰が果たすんだろう(笑)?


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音楽談義~ブルッフの「スコットランド幻想曲」~

2010年01月07日 | 音楽談義

マックス・ブルッフ(ドイツ:1838~1920)

ドイツ・ロマン派の作曲家。あのベートーヴェンが亡くなったのが1827年、ブラームスの生涯が1833~1897年だからほとんど、
軌を一にしている。

幅広い作品群があるがそのうち
「スコットランド幻想曲」が有名。当然、ご存知の方も多いと思うが実に美しくて甘い旋律を持っていてヴァイオリンが好きな方には是非お薦め。

「ウィキペディア」によるとスコットランドの伝統へのオマージュとして、
この作品が世界的に知られるきっかけになったのはあの名ヴァイオリニスト「ヤッシャ・ハイフェッツ」が愛奏してからのこと、とある。

現在の手持ちのCD盤は、チョン・キョンファとダヴィド・オイストラフの2枚。しかし、この曲ばかりはハイフェッツの演奏を聴いておかなければ心残りなので、湯布院のA永さんにお訊ねすると「持ってますよ。いつでもお貸しします」といつものようにご快諾。

気が逸るものの31日から元旦にかけて、天気が大荒れで九州といえども別府から湯布院までの山間部は一面の銀世界。昔、雪道の凍った道路で無謀な追越をかけて対向車線に反対向きに、はみだしてしまい死ぬような思いをしたことがあるので以後、神経過敏なまでに用心している。

2日になってようやく好天に恵まれ、昼近くの安全な時間帯になって、いそいそと「夢想園」までひた走り。30分ほどで着いたが広い駐車場なのに、福岡など県外ナンバーのクルマがびっしりで駐車スペースを探すのがたいへんだった。

洒落た喫茶室で新年早々のオーディオ談義に耽ったが、あまり営業のお邪魔をしてはと30分ほどで退散。

結局、ハイフェッツ、パールマン、アッカルドのCD盤をお借りした。これで、スコットランド幻想曲は次の5枚のCD盤となった。

                 
        オイストラフ           キョンファ           ハイフェッツ

                      
                 パールマン             アッカルド

また、ついでといっては何だが同じくブルッフの「ヴァイオリン協奏曲1番」も餌食にさせてもらった。この作品も評判が良くて「スコットランド・・・」と並んでいわばブルッフの2枚看板ともいえる代表作。ものの本によると、ヴァイオリニストとなった暁には必ずレパートリーに加えなくてはならない曲とある。

こちらはもっと豊富で次の8枚。うちお借りしたのがヴェンゲーロフ、イダ・ヘンデル、前橋汀子、パールマン、アッカルド〔同上)、ハイフェッツ〔同上)の6枚。

      
    
ヴェンゲーロフ    イダ・ヘンデル    前橋汀子        パールマン

      
    ハイフェッツ      アッカルド       キョンファ      グリュミオー    


≪試聴後の感想≫を述べる前に一言。

昭和の評論の世界で一時代を画した小林秀雄さんの作品「美を求める心」というのがあって、正式に音楽教育を受けたことのない音楽愛好家にとって実に心強いことが書かれている。

「極端に言えば、絵や音楽を解るとか解らないとかいうのがもう間違っているのです。絵は目で見て楽しむものだ、音楽は耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとかいうべき筋合いのものではありますまい。まづ何を措いても見ることです、聴くことです。」

という趣旨のもと、「感動」を心強い尺度にして聴いてみた。


☆ スコットランド幻想曲

まず、何はさておいても音楽評論家によるランキングでもダントツ1位のハイフェッツ盤を聴いてみたが期待したほどではなく自分にはどうしても「いまいち」だった。テクニックは凄いんだけど、どうも波長が合わない。ハイフェッツは「ツィゴイネルワイゼン」が一番いい!?

ほかの盤のうち特に魂を揺り動かされたのがオイストラフとパールマン。優美さが際立っていてウットリと聴かされる。自分にはこの両者で決まり。

☆ 「ヴァイオリン協奏曲1番」

ヴェンゲーロフの「持続した緊張感と求心力」、グリュミオーの「音色」に感心。

取り分け
ヴェンゲーロフ(ユダヤ系ロシア:1974年~ )にはたいへんな感銘を受け、日を置いて何回も聴いてみた。帯封には100年に一度のヴァイオリニストとあったがまったく誇張でもなんでもないと思った。

この素晴らしい演奏ではじめて「スコットランド幻想曲」よりも「ヴァイオリン協奏曲1番」の方が作品としての完成度が高いことがよくわかった。

ネット情報を漁ってみたところ「2007年右肩の故障で公演を相次いでキャンセル、2008年から演奏活動を休止、現在ロンドンで王立アカデミーの客員教授」とある。まだ30代半ばの物凄い逸材が休止中なんて実に勿体ない限り、果たして再起可能なんだろうか。

最後に、これは余談になるが「前橋汀子」さんについて。

以前、暇つぶしに俳優・萩原健一の赤裸々な自伝「ショーケン」
(2008年、講談社刊)にザット目を通したところ、一時期、前橋汀子さんと大人の付き合いをしていたことが記載されていた。エンタメ用の芸能人とヴァイオリニストの異質な組み合わせにビックリした記憶が思わず蘇った。


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独り言~「年頭に思うこと」二題~

2010年01月03日 | 独り言

☆ バッハの「マタイ受難曲」に挑戦

クルマを運転しながらFM放送などで流れてくる音楽を何気なしに聴いているうちに雷に撃たれたみたいにその曲目にハマッテしまう人をよく聞く。

たとえばクラシック好きの元首相の小泉さんは移動中のクルマの中で好みの曲を聴くとすぐに秘書に曲名をメモさせて同じCDを購入するといった話を読んだことがある。

最近では高校時代の同窓のS藤君がカルロス・クライバーの「ブラームスの交響曲第4番」を聴いてすっかりノック・アウトされて同じCD盤を買い求め熱中して聴いている。

自分にも経験があって長距離通勤の行き帰りにモーツァルトの「魔笛」を聴いてとうとう病みつきになった思い出がある。

というわけで、クルマの中で聴く音楽というのはユメユメおろそかには出来ませぬ。

そこで「柳の下のどじょう」を狙って、今年はバッハの「マタイ受難曲」に挑戦してみることにした。

いつぞやのブログで「バッハが苦手」なんてことを書いた途端に奈良のM中さんから「信じられません!」といった趣旨の冷やかしのメールがきたことを思い出す。

およそクラシック音楽に親しむものがバッハを敬遠するなどとは「いい悪い」は別として「こんな素晴らしい音楽を素通りするなんて勿体ない!」ということに尽きるんだろう。

よ~し、それならバッハの中でも「代表曲」とされる「マタイ」に挑戦してみようじゃありませんか。

自分のクルマのCDチェンジャーは6枚収容が可能となっている。これまで、歌謡曲とか1960年代のR&Bやビルボード誌のヒット曲などを収納していたが、年頭に当たってこれらのうち3枚を入れ替えて、3枚セットの「マタイ受難曲」を挿入してみた。もちろん、これらは4倍速のコピー盤で大晦日に作業済み。

3枚連続して聴くと退屈そうなので歌謡曲、ポピュラー音楽などと交互に聴けるようにしてみた。

オーディオ・ルームで正対して聴くとどうもかた苦しくてやりきれないマタイなので、とにかく、何回でも聴いて自然に耳に馴染ませようという作戦。名曲の誉れ高いマタイだが果たしてこれで好きになれるかどうか、けだし見ものである。

元旦のお宮参りのときに早速BGM風に音量を小さくして聴いてみたが、どうやら違和感がなく繰り返し聴けそうである。

もし、「マタイ」がうまくレパートリーに入ってくれれば「今年最大の収穫」(?)になりそうだが。

                  

 鳩山首相の政治資金偽装問題

これには本当にガッカリした。

相続税の対象となる額が何と12億円。
ちょっと庶民には想像のつかない多額の資金に驚く。

元旦のテレビ放映で鳩山さんが就職難で生活苦の男性たちと野外で懇談しているのを見たが、ケタ違いのお金を湯水のように使った鳩山さんにそういう人たちの苦境がホントに肌身で分かるんだろうかと、両者のあまりの落差にソラゾラしい思いがした。

もうひとつ、そういった多額の資金は一体どういう使われ方をしたんだろうかとそちらのほうも気になってしまう。

慈善団体への寄付や道路などの社会基盤整備に鳩山さんがお金を出したという話を聞かないので、おそらく資金の大半が政治がらみの経費に流れたんだろう。

それにしてもご本人が関係する政治団体の経費や秘書の人件費などにしては多額すぎる。そうすると相当の額が民主党の議員に配られたのではという推測をしてもおかしくはなかろう。

もらう方の議員側も企業がらみの利権の絡んだお金ではなく、個人の資産からなので、おそらく安心してこだわりなく懐に入れたことだろう。

ナ~ンダ。これでは「首相」のポストも「金次第」ということではないか。人の上に立つ者にとって必要なリーダーシップとか情熱、度胸、弁論の巧みさといった個人的な資質によるものではなかったのかと、ガッカリしたというわけ。

道理で、早くも迫力不足、優柔不断という馬脚が表れつつあるが、これではちっとも自民党の金権がらみの体質と変わらない。

アメリカなんかは何やかや言われても、家柄とか二世、金満家とは縁のない大統領をきちんと選ぶところがやっぱりすごい。

NHKで「坂の上の雲」や「竜馬がいく」〔3日から放映)をやってるが、原作者の司馬遼太郎さんが愛したのは、私利私欲を離れ、己の栄達をかえりみない幕末から明治期にかけての純粋な人物像だった。

早く日本も高潔な政治家がリーダーになれるような世の中にならないといずれ沈没してしまいますぞ!
 


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オーディオ談義~新春初夢・理想的なオーディオ・システム~

2010年01月01日 | オーディオ談義

「明けましておめでとうございます。本年もよろしく~。」

さて、大晦日は午後から例年どおり今年の音楽の聴き納めとして「第九」を。

                     

モノラルだし録音が”いまいち”なので、今さらフルトヴェングラー(指揮者)でもないんだろうが・・・。


その後は、「娘」推奨のテレビの日曜ドラマ「Jin ~仁~」を観た。主役は「大沢たかお」という俳優だそうで、娘がずっと以前からぞっこんの大ファンだったとのこと。

「顔もだけど、何といっても雰囲気がいいのよね~」

フ~ン、「そんなに”いい男”なら一度観せてくれ」というヤキモチ半分のオヤジの要望に応えて、11回の連続ドラマ(12月20日終了)をすべてダビングしたDVDを大阪から持って帰ってくれた。

現代と江戸時代をタイム・スリップする奇想天外な「脳外科医」の話で、第一話を観たが、なかなかの魅力に渋々(?)納得。

内容の方もまるで軽薄さが感じられず、主人公が次々と降りかかる試練の都度成長を遂げていくというストーリーで、思わず二話、三話と立て続けに観てしまった程の面白さ。これは上質のヒューマン・ドラマだ。

ところで、話は変わってあんなに楽しみだった1等前後賞合わせて3億円という年末ジャンボも予想どおり縁がなかった(ネットで確認)ようで、相変わらずだが今年も引き続き、懲りずに「宝くじ」にチャレンジする積もり。

もし1億円ぐらい当たったら何に使おうか。そりゃあ、もちろん「オーディオ・システム」へ。

この際、年頭の初夢にふさわしく現在考えている理想的なシステムを頭の中に思い描いてみた。

☆ オーディオ・ルーム

「オーディオは何やかや言っても、最後は部屋で決まりですよ~。」とは、装置に軽く一千万円以上をつぎ込んだ湯布院のA永さんの弁。

自分の現在の部屋は6m×7mなので、せめて広さは9m×9mは欲しい。天井の高さは7mほど、それに壁と天井の形は共鳴音と定在波を防ぐために不整形に。また防音に配慮し、出入り口は分厚くて重たい鉄の扉、窓は厚めのガラスで二重窓に。と、いうわけで結局、新築する羽目になる~。

 システムの設置場所

「システムは三通り」にして出入り口を除いてそれぞれ3つの壁に配置する。室内の真ん中ほどに椅子を置いてクルリとまわしていけばそれぞれのシステムに正対できて試聴できるというわけ。

その三通りとは、自分なら「室内楽」用、「交響曲」用、「ジャズ」用に分ける。室内楽にはヴァイオリン演奏やボーカルを含み、交響曲にはピアノ演奏を含む。

なぜ三通りかといえば今のところこれらのジャンルをすべて一つのスピーカーで”100点満点”で鳴らせる代物はないから。いくら1000万円クラスの万能スピーカーを持ってこようと到底無理だと思う。迫力と繊細さは両立しない。

 室内楽用

まだ聴いたことがないが、いつぞやのブログでも紹介したことがあるスピーカー
「エヴァヌイ」(ペア420万円)を使ってみたい。「ダンパーレス」「エッジレス」の画期的なつくりの威力は「アキシオム80」でおよそ想像がつくが、性能的にずっと上をいっていると見ていい。

                 

 交響曲用

大編成のオーケストラが奏でるシンフォニーのファンダメンタルな重低音の豊かな広がりを再生するのは「オーディオの中で一番の難所」だし醍醐味でもある。もちろんコストが最もかかる。

この部分の再生をちょっと割り切る(諦める?)だけでオーディオに対するアプローチは随分とたやすくなる。極端にいえば「ヘッドフォンの世界」で、間に合ってしまう。

結局、本格的に取り組むとなると相当の大型SPシステムに限られる。「大口径ユニットつきの大型ボックス」にするか、「中口径ユニットを複数内臓した大型ボックス」にするかは各自の好みといったところ。近年の流れは音声信号への応答性を考えて独自の素材を使った後者のようだ。

さらに、このハイエンドのSPにマッチしたメイン・アンプともなると真空管タイプでは高出力とメンテナンスを考え合わせるととても無理。やはり、ここは最新型のトランジスターアンプの出番。

「ジェフ・ローランド」などは設計思想もしっかりしているし大音響の振動にも耐える筐体がしっかりしたセパレート・アンプを造っている。それに電源部分もセパレートになっているもの(モデル9はまだあるかな?)があり都合4つの筐体となるが自分ならこのアンプにしたい。

また、プリアンプは「マークレヴィンソン」の最高級タイプに。

 ジャズ用

「JBL」にするか「アルテック」にするか或いは最新のアヴァンギャルドみたいなスピーカーにするかといったところ。ほかにも自分が知らないハイエンドのSPが随分あることだろう。もし「JBL」なら現行の最高価格のSPシステムを持ってくれば十分足りる。メンテナンスも当然、安心で楽。アンプには相性がいいと定評のある
「マッキントッシュ」に。

ただし、自分ならアルテックの「604-8K」ユニット〔38cm同軸2ウェイ)を購入してタンノイ・ウェストミンスターに取り付けて真空管アンプで駆動してみたい。明るくてこだわりのないスカッと抜けきった音になることだろう。

CDシステムについては高級品になるとメーカーの差はないように思う。

SACD/CDトランスポート、DAコンバーター、マスタークロックの3つを合わせるとおよそ1000万円程度を見込んでおけばよかろう。

アナログも欲しいところで、「ノッティンガム」あたりの最高級品を。

以上「理想のオーディオ・システム」に向けて勝手な御託を並べたが、3通りもあれば毎日、日替わりで聴いても飽きがこないしホントに楽しくてたまらないだろうなあ~。

それと、自分ひとりで楽しむのではなく「若い人」を中心に広く開放して「オーディオ文化」の衰退に少しでも歯止めをかける役割を果たせればなんて思ったりする。
        

 


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