「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

画竜点睛を欠く

2016年03月30日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

お客のSさんから伺った情報によると、オリジナルの「タンノイ・オートグラフ」(ユニットはモニター・シルヴァー)のお値段のスタート価格は850万円とのこと。

「高いことは高いですけど、お得な買い物になるでしょうね」と申し上げた。なにしろ世界遺産に匹敵するほどの代物だから年数が経てば経つほど値上がりするのは間違いない。仮に20~30年愛用して持ち主が亡くなるときはおそらく倍以上の値段になっていることだろう。そのときは遺族へのいいプレゼントになる(笑)。

S財閥なら不可能な話でもないので「どうですか」とお薦めすると、「いやあ、そんなことをすると家庭崩壊ですよ」と仰ったが、もしかしたら・・・。

いずれにしろ、「一生に一度しか聴く機会が無いでしょうから、近々聴きに行ってみます。」とのことだった。

話は戻って今回の試聴会だが、ウェストミンスターばかりではなく、「AXIOM80」も「AXIOM300」にもご満足いただけたようだ。使用したアンプは「PP5/400」(初期版:英国マツダ)のシングルアンプ。散々迷った挙句の選択だった。

          

貴重な出力管なので整流管にはあえて傍熱管を使うことにして「GZ33」(ムラード)を充てた。問題はドライバー管で切り換えスイッチで3種類の系統の球を差し替えられるようになっているが結局「3A/109B」(STC)に落ち着いた。

「AXIOM80」で女性ボーカルを聴いていただいたが、Sさんによると「100点満点」、同じCDを「171」シングルアンプによりウェストミンスターを鳴らしたときは80点、そこで整流管をSPARTONの「480」(メッシュプレート)に取り替えたところ90点ということで、「AXIOM80」の完全勝利に終わった。ボーカルや小編成の音楽になると「AXIOM80」の独壇場である。

5時間の試聴を終えられて16時12分「鉄輪口」(かんなわぐち)発の高速バスで帰途につかれたSさんからつぎのような車中メールが届いた。

「今日は、お陰様で長時間にわたって好きな音楽を堪能できました。好みの音色が同じ人に聴かせて戴けると、とても気持ちが癒されます。いくら一般的に言う良い音がしていても、好きな音の系統が違うと長く聴くには苦痛になりますから。

正直なところ一時期は、もうウェストミンスター箱は諦めて処分された方がいいのではないかと思っていましたが、フィリップスユニットと新たに改良されたアンプを得て、大編成オーケストラを聴くためのスピーカーとして見事に生き返りましたね。あの小さな171アンプが鳴らすブルックナー8番のハーモニーは、なかなかのものだと思いました。

残るは、プッシュプルアンプが高域で飽和するのを解消するか、若しくはシングルアンプの低域があと少し豊かに出るようにするか、どちらを狙うのかは難しいところでありますが、それが実現したならば、オーケストラ用のシステムとして言う事の無いレベルに達すると感じました。私なら後者を選択しますが、Kさんなら前者と言われるでしょうね(笑)。

勿論言うまでもありませんが、PP5/400アンプとAXIOM80の組み合わせは、音楽再生装置として既に完成の域にありますので、もうあれ以上は手を入れられないよう希望します。」

とのことだった。Sさん、お疲れ様でした。ご要望のとおり「AXIOM80」と「PP5/400」アンプの組み合わせはこれ以上弄らないことにします(笑)。

ただし、ちょっと気になるのが「71Aプッシュプル」アンプの高音域の飽和状態だ。実は同じことを感じていた。

恐れ多くも「北国の真空管博士」から改造していただいたアンプだから、回路上の問題ではないはずと睨んだ。

「きっと何らかの原因があるはず」と翌日の27日(日)は朝から究明に取り掛かった。

            

ただし原因究明といっても素人がやることは限られている。例によって「球転がし」だ。

まず出力管71A(4本)をナス管からST管へ変更したところ、かえって悪くなってしまってこれは完全にアウト。次にドライバー管の一次管をカニンガム327からSPARTONの427へ交換したところ、かなり良くなった。名門CARDON社の流れを汲む「SPARTON」ブランド恐るべし。

次に、整流管をレイセオンの5Y3G(ST管)からナショナルユニオンの5Y3G(ST管)に取り替えたところ、見事に高音域の暴れが収まった。

な~んだ、原因は整流管だったのか!ついレイセオンを信用し過ぎてしまった。どうやら相性が悪かったらしく完全な盲点だった。

すぐにSさんへメールで報告したが、あれだけ念を入れて調整したのにとガックリ。

「画竜点睛を欠く」とはまさにこのことだろう(笑)。


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AXIOM80愛好家の集い~第11回~

2016年03月29日 | オーディオ談義

スピーカー「AXIOM80」をこよなく愛している同好の士が3名集まって毎月1回のペースで開催している「集い」も今回で11回目を迎えた。持ち回り開催なので今回の当番は我が家。

何とか“ええカッコ”しようと、ここ2週間ほど無い知恵を振り絞っていろいろ実験を繰り返したところ、どうにか収まりがついたのはギリギリの前日のことだった。

実験といっても何もご大層なことではなくスピーカーに組み合わせるアンプの選択を
迷っただけの話だが、アンプ次第で音の表情がコロコロ変わるのでつくづくアンプとスピーカーは持ちつ持たれつの関係であることを再確認。それに真空管アンプなので出力管、ドライバー管、整流管の組み合わせも大切でブランドごとに挿し替えながら相性を確かめるのだから時間がいくらあっても足りない。

今回の試聴会の目的はただ一つ、大型エンクロージャーのウェストミンスターの復権に絞った。

既にAXIOM80(以下「80」)の凄さは全員の骨の髄まで沁み込んでおり、分かりきった話なので無駄な努力はよそう。むしろ「80」が苦手とするオペラや大編成のオーケストラのスケール感をいかに引き出すかに焦点を絞ったわけだが、試聴結果から言えば一応上出来の部類に入れていいだろう。

5時間にわたる試聴のうち「AXIOM80」がおよそ30分、「AXIOM300」もおよそ30分、残りの4時間はウェストミンスターの出番となった。

今回はKさんがやむを得ぬ所要のためあいにく欠席となりSさん(福岡)さんと二人での試聴となったが、お互いにクラシック一辺倒なのでジャズ系の出番は無し。

はじめにオペラ「マクベス」(ヴェルディ作曲)を聴いていただいた。指揮はガルデルリ、主人公マクベスにはフィッシャー・ディースカウ(バリトン)、その夫人にはスリオティス(ソプラノ)という黄金コンビである。ヴェルディのオペラはあまり好みではないが、このオペラだけは別格。

        

声量豊かな歌手たちの畳み掛けてくるような迫力が凄い、中でもスリオティスのソプラノがこの世のものとも思えないほどの超絶技巧でもって迫ってくる。極め付きの名盤だと思うが、残念なことに現在廃盤になっている。

システムはパワーアンプに「71A・PP」、スピーカーはウェストミンスター(口径30センチのダブルコーン入り)。

「これまで聴いたことがない凄い低音が出てますよ。印象がまるっきり違います。このアンプを調整した北国の真空管博士さんは凄い腕してますね。」と、Sさん。

「そうですよ。私にとっては、もう博士を通り越して神様みたいな存在です。」(笑)

ひとしきり聴いていただいてから、今度はパワーアンプを「171シングル」に交換。

「これはこれでとてもいい味を醸し出してますね。中高音域の素直な響きにはウットリさせられます。71A・PPの低音域と171シングルの中高音域が合体すると最高でしょう。」

まったく同感です!

次に、Sさんが最近ブルックナーの4番(レコード)を手に入れて、ドレスデン・シュターツカプレの重厚な響きを愉しんでおられるとのことから久しぶりにブルックナーの交響曲8番を引っ張り出した。

言わずと知れたチェリビダッケ指揮の「リスボン ライブ」の稀少盤である。チェリビダッケがリスボンで行ったコンサートをコッソリ誰かが録音したもので、HMVなどの正規ルートでは手に入らないのでオークションでしか手に入らない盤である。(チェリビダッケはコンサート至上主義で録音を許さなかった。)

            

このリスボンライブ盤についてネットではこういうコメントがあった。

「これはいわゆる海賊盤ですが、とてもそうは思えない素晴らしい音質です。さらにそれ以上にライブの雰囲気が実にうまく捉えられており、臨場感に満ちています。演奏は第1楽章と第2楽章も最高に素晴らしく、第3楽章と第4楽章の美しさはミュンヘン・ライブに優るとも劣らないものです。

ブルックナーのCDのなかで最高の1枚であるだけでなく、クラシックCDすべてのなかで最高の1枚にも思えます。これに匹敵するCDはとっさに思い当りませんが、ワルター指揮ウィーン・フィルのマーラー交響曲第9番あたりでしょうか。

このCDを聴かずにクラシック音楽ファンと言ってきた自分が恥ずかしいくらいです。CDを聴いて、こんなに深く感動したのは久しぶりです。この実演を聴いたら、感動して倒れてしまったかもしれません。」

クラシックファンたる者、このリスボンライブ盤を知らずして人生を終えるとなると大損すること請け合い(笑)~。

さて、三度の飯よりオーディオが好きな人間が集まると耳よりの情報が手に入る。ここでSさんから伺ったニュ-スをご紹介しよう。

オーディオ界では旧くて新しい話として次の2説が根強く存在している。

ほんとうにいいシステムならクラシックにもジャズにも両方対応できてうまく鳴ってくれるはずだ。」

その一方では

「クラシックは教会やコンサートホールで
直接音と壁や床などに反射した間接音が微妙にブレンドされた音を鑑賞するもの。しかし、それとは違ってジャズは直接音を聴くように出来ている音楽だからこの二つはまったく別物。したがってシステムも分けてそれぞれ専用にして聴く方がいい。」

どちらの説に与(くみ)しても一向に構わないし、いいも悪いもないが、いったいこの両説のどちらが正しいのか、その妥当性に一つの示唆を与えるのがスピーカーのタンノイ・オートグラフの存在ではないかと思う。

音が膨らみ過ぎてジャズはからっきし聴けないスピーカーだが、クラシックとなるとオーディオルームがたちまちコンサートホールに変身するという逸品である。わざと寝ぼけたような音を出して雰囲気感をことさらに強調するのだから、ここまで徹底するともう降参するしかない(笑)。

ただし、国内に出回っているオートグラフは大半がティアックなどの国産品の箱なのがちょっと物足りない。やはりオリジナルで聴いてみたい・・・。

オリジナルのオートグラフといえばすぐに思い浮かぶのが五味康祐さん(故人)だが、内蔵されているユニットは「レッド」だ。ところが、このたび「レッド」よりも1世代前の稀少な「シルヴァー」が内蔵されているオリジナルのオートグラフがはるばるイギリスから、とあるオーディオショップに入荷されたというのだ。

日本でも1~2台あるかないかだそうだが、たいへんな高値を呼んでいるとのことで、どのくらいの額か皆さま想像つきますか?

以下、続く。


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インターステージトランスの活用

2016年03月26日 | オーディオ談義

すっかり忘れていた。

2週間ほど前の記事「AXIOM80愛好家の集い~第10回・その2~」(2016.3.10)の中で、次のようなことを記載していた。


Kさん宅の
「WE349A・PPアンプ」はインターステージトランスを使っていないのにどうしてあんなに「いい音」がしたんだろう?

<昨日(9日)、この疑問を率直に「北国の真空管博士」(以下、「博士」)にぶつけたところ、実に興味深い回答が返ってきたが長くなるのでここでは省略し、稿を改めて紹介することにしよう。>

その「稿を改めて」が今回の記事。

もっとも、読者から「あの続きはいったいどうなったのか?」との問い合わせがいっさい無かったので、気にしているのはおそらくじぶんだけだろうが(笑)。

さて、博士の回答はこうだった。
 

「インターステージトランスの可否についてはPPであるかシングルであるかには関係しません。どのような球にどのようなインターステージトランスを組み合わせるのか、OPTやインプットトランスの合成特性がどのようになるのかにかかっています。
 
インターステージトランスを使用したアンプの作製は複雑なパズルを紐解くようなものなのです。
 
うまくいけばCR結合アンプには無い耳当たりの良い音が実現できますが、使い方が拙ければCR結合には及びません。(出力管の)171系、245系、250系はインターステージトランスをあまり選ばない傾向がありますが、WE300B、PX25、DA30、2A3等の出力管はインターステージトランスとの相性問題があります。
 
インターステージトランスを使いこなすにはそれなりの経験と技術が要求されるといえます。ご存知のとおりWE349Aは五極管ですが、五極管やビーム管は高価なインターステージトランス使用しなくても良いように開発された球です。
 
また、五極管は三極管よりも入力容量が小さいため、三極管の使用を前提に設計されたインターステージトランスと組み合わせると高域に著しいピークが出ることがあります。出力管が多極管の場合インターステジトランスを使わない方が好結果を得られることが殆どです。 
 
個人的にはCR結合でトランス結合的な音が出ないか日々考えていますがいまだ良い案は浮かんでいません。独SIEMENSが製造したクラングフィルムのシアターアンプは、出力の小さなRE604のシングルを採用したCR結合タイプです。
 
私はその音を聴いたことがないのですが、ヨーロッパのマニアの間では非常に評価が高いようです。今、私が少しずつ製作を進めているアンプは、このクラングフィルムのアンプの回路を参考にしています。どのような音がでてくるのか楽しみですが、完成は少々先になりそうです。」
 
というわけで疑問が氷解した。

インターステージトランスの活用はいろんな条件のもとで「複雑なパズルを紐解くようなもの」というのだから、まずもって製作者の力量に負うところ大で、ただ単純にアンプの回路に挿入すればいいというものではなさそう。

ところで、なぜ、それほど「貴方はインターステージトランスにこだわるのか」と問われそうなので我が家の実例をご紹介しよう。

          

まったく同じタイプの「71A」アンプが二つ並んでいる。初めに左側のアンプを購入し、とても素直な71Aの音に惚れ込んでスペアとして右側のアンプを購入した。前者を「71A・1号機」、後者を「71A・2号機」としておこう。

ところが程なく「71A・2号機」が故障。2台とも同じアンプでは芸がないので、この際とばかりドライバー管を「AC/HL」(英国マツダ)に、そして「UTCのインターステージトランス」を挿入して大幅改造してもらったところ、音が激変。

「71A・2号機」の方が、音の艶といい、奥行き感といい、分解能といい段違いに良くなった。そこで真空管アンプはインターステージトランスを挿入したものに限ると思ったわけだが、前述どおりそれほど単純なものではなくこれでは短慮の謗りを受けても仕方がない。

さて、いよいよ今日(26日)は我が家が当番となって「AXIOM80愛好家の集い~第11回~」の日である。

まるでピアノ教室に通う小学生が発表会を迎えるような気分だ(笑)。

この「71Aアンプ・2号機」をはじめ「71A・PPアンプ」そして「PP5/400アンプ」たちと3系統のスピーカーの百花繚乱となるが、試聴結果やいかに~。 

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ケーゲル指揮の「アルルの女」

2016年03月24日 | 音楽談義

ネットオークションというツールが無ければ我が家のオーディオは成り立たないと言えるほど頻繁に利用しているが、何も古典管を集めるばかりではなくCDソフトの方も大いに恩恵を蒙っている。

つい先日もCDをまとめて32枚落札。バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトがほぼ1/3づつ。

            

同じ曲名のCDをほとんど持っているが、指揮者や演奏者が違うとどういう風に演奏しているんだろうとつい興味を惹かれてしまう。

実際に手に取ってみると予想した通り興味のある演奏がズラリで思わず舌なめずりしたが、その中でふと目に留まったのがケーゲル指揮の「英雄」(ベートーヴェン)。先日(3月12日)、福岡のオーディオ仲間たちが持参した有名どころの指揮者たちの「英雄」を6枚聴いたばかりなので、どれどれと真っ先に試聴。

とても真面目な演奏で律儀ともいえるほど。筋金入りの共産主義者だったケーゲルは東西ドイツが一緒になったときに前途を悲観して拳銃自殺をしたほどの人物だからさもありなんと思わせるが、もっと英雄らしい“ふてぶてしさ”が欲しい気もするところ。

ケーゲルにふさわしい演奏といえばまず筆頭に来るのが「アルルの女」(ビゼー作曲)だろう。この「アルルの女」はずいぶん昔の20歳前後にレコード盤でそれはそれは熱心に聴いたものである。

当時はオッテルロー指揮だったが廃盤になっていたのをようやく8年ほど前にオークションでCD盤を偶然見つけて激烈な入札競争のもと、ようやく落札したがケーゲル指揮盤もそれ以上の激戦だった。後者は当時はマイナーレーベルからの販売だったが、今では販売元が変わって容易く手に入るようである。

             

現在7人の指揮者の「アルルの女」を所持している。上段左から「オッテルロー」「マルケヴィッチ」「デュトワ」下段左から「ケーゲル」「クリュイタンス」「オーマンディ」「トスカニーニ」。

オッテルローは刷り込み現象が強いので除外するとして、一にケーゲル、二にクリュイタンスといったところ。

ちなみに、この曲はドーデの戯曲「アルルの女」の上演に際して伴奏音楽として作曲されたもので「第一組曲」「第二組曲」に分かれている。物語のあらすじはこうである。

「南フランスのプロヴァンス地方を流れるローヌ川、その下流にアルルという小さな町がある。町にほど近い農村カマルグにはママイという富裕な農家があり、そこの総領息子フレデリがアルルの町の美しい女に魅かれて結婚したいと思うのだが家中の人が猛反対。

失意のフレデリはいったん隣村の幼馴染ノヴィヴェットと結婚しようと考えたが、アルルの女が別の羊飼いの青年と駆け落ちするということを聞き、嫉妬のあまり、村人たちがファランドールの踊りに沸き立つ聖エロワの祭りをよそに、高い納屋の窓から石畳に身を投げて若い命を絶ってしまうという悲劇。」


当時、世間知らずの初心(ウブ)なことも手伝って、「人間には好きな人のために命まで捧げる情熱がはたしてあるものだろうか」と衝撃を受けたものだった。今となってはすっかりスレッカラシになってしまって、もうアキマヘン(笑)~。

昨日(23日)、久しぶりに思い出してこのケーゲルの「アルルの女」を聴いたが、とても録音もいいし大いに感銘を受けて、やっぱり名演との思いを強くした。

ちなみに、このケーゲル盤はクラシック評論家の「許 光俊」氏(慶応大学教授)が「名指揮者120人のコレを聴け!」の中でこう絶賛している。


「弦や木管の奏でる旋律はもはやこの世の音楽とは思えないように淡々とした風情、舞曲はブルックナー9番のスケルツォみたいに抽象的であり、遅い部分はマーラーのようだ。私はこんなにゾッとするような音楽をほかに知らない。

アルルの女がこんなにうつろに、こんなに透明に、こんなに感覚的な刺激抜きで、こんなに裸型の精神のように響いたことはなかった。大芸術家が死の前に達した恐るべき境地としかいいようがない。


そして最後にひと言。忠告めくが、ケーゲル晩年の音楽を決して気分が落ち込んだり、失恋したりしたときに聴いてはならない。命の保障は出来かねる。」

いやはや(笑)~。

とはいえ、まだケーゲル盤の「アルルの女」を聴いたことが無い人に是非ご一聴をと、お薦めしても「これは期待外れだ!」と恨まれない自信はあります。

ただし、第一組曲と第二組曲との間に他の曲目が沢山挿入されているのでご注意を!こんなCD盤もたいへん珍しい。


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聴かぬが花 そして 聴かせぬが花

2016年03月22日 | 独り言

「秘すれば花なり」という言葉がある。平たく言えば「秘密にするからこそ価値がある」という意味合い。

たとえば手品を連想すると分かりやすい。手品のタネを知らないと「凄い」と思うが、いざタネを知ってしまうと「なんだ、そんな簡単なことか」と呆れることが多い。

このブログでいつもグダグダ書いているオーディオシステムにしても、これと似たようなもので読者にとっては「聴いていないからこそ値打ちがある」とも言えそうだ。

たとえば全国津々浦々の方々の中にはもしかして「この人は珍しいスピーカーや古典管を使っているようだし、一度、音を聴いてみたいものだ」と思っている方がいるかもしれない。

          

しかし、止めとき、止めとき~「聴かぬが花」なんだから。おそらく実際に聴いてみるとガッカリする人が大半だろう(笑)。

たしかずっと昔の「ステレオ・サウンド」誌だったと思うが、ジャズ・オーディオの大御所「菅原昭二」さんの投稿した記事の中で、懇意にしている和尚さんのオーディオシステムを聴きに行ったところ、その和尚さん、世間話をするばかりでとうとう聴かせてもらえず、そのうち亡くなられたという逸話が妙に記憶に残っている。

「音は実際に聴いてみるとそこで終わってしまう。想像の中に留めておくからこそ時間と空間を超越して無限の広がりを持つ。」というのが和尚さんの当時の心境だったのではなかろうかと、今にして何だか分かるような気がするのである。

「聴かぬが花」
とは、そういうことである。

もう一つ、今度は読者側からではなくてホスト側から「聴かせぬが花」。

「2・6・2」の法則というのがある。別名「パレートの法則」とも言われる。ご存知の方も多いと思うが、以下、ネットから引用。

「人間が集団を構成すると、『優秀な人が2割、普通の人が6割、パッとしない人が2割』という構成になりやすいという法則。例えば、集団で何らかの活動をすると、2割の人が、率先してリーダーシップを発揮し、6割の人が、そのリーダーシップに引っぱられて働き、2割の人が、ボーっとしてる、という傾向がある。

次に、その2割のサボった人達を除いて、残りのメンバーだけで同様の活動をすると、やはり、メンバーの中の約2割の人が、新たにサボり始めます。逆に、サボった人ばかりを集めてグループを作り、活動をさせると、その中の約2割の人がリーダーシップを発揮し始め、6割の人は、それに引っぱられて動き始めるそうです。

これは、優秀な人ばかりを集めてグループを作った場合も同様で、6割は普通に動き、2割はパッとしなくなるといいます。スポーツの世界でも、お金をかけてスタープレイヤーを集めても、ズバ抜けて強いチームができるわけではないというのはこういうことなのでしょう。逆に、スタープレイヤーを引き抜かれてしまったチームには、次のスタープレイヤーが出てきたりします。

実は、生物の世界にも、似たような現象があります。アリは働き者というイメージがありますが、数%のアリは、働かずにふらふら遊んでいるそうです。そして、このふらふらしていたアリたちだけを集めて別の場所に移して、しばらく観察していると、その中の数%のアリだけがふらふらと遊び出し、他のアリたちは働き者に変身するそうです。逆に、働き者のアリばかりを集めて集団を作っても、まもなく数%のアリは遊び出すといいます。この数%という比率は、いつも変わらないそうです。」


プロ野球の巨人軍が金に糸目をつけず大物選手を引っ張ってくるものの、その割にいつも優勝とならないのもこれで頷ける。

さて、我が家のオーディオシステムを実際に聴いた人も実はこの「パレートの法則」が当てはまるのではないかと思うのである。

全体の2割は「とてもいい音だ!」、6割は「な~んだ、口ほどにもない普通の音じゃないか!」、残る2割は「これは最低の音だ!」

結局、8割方の人はガッカリするというのがせいぜいのオチというところだろう。

しかも、絶賛してくれた肝心の2割も2~3日経って“ほとぼり”が醒めてみると、結局「我が家の音が一番いい」と、こうなる。人間とは最終的には都合のいいように解釈して己を納得させる人種だから。

したがって「四面楚歌」になるのは目に見えているのでホスト側からすると「聴かせぬが花」

しかし、分かっちゃいるけどお客さんが来るとなると何となく心が弾むのはいったいどうしてなんだろう(笑)。
 


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モーツァルトの最後のオペラとは

2016年03月19日 | 音楽談義

「クラシックといっても、つまるところバッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、この3人に尽きるよ。」とは、よく聞く言葉。たしかに彼らが欠けたクラシック界というのは想像するだに恐ろしい。

ただし、じぶんの場合はこの30年ほど明けても暮れてもモーツァルトなので、別にバッハとベートーヴェンが居なくなってもさしたる痛痒を感じない(笑)。

よくもまあ飽きもせずといったところだが、あの天真爛漫の何ら作為のない音楽は唯一無二ともいえるもので、とうてい他の作曲家が追随できるものではないと思っている。

楽器のフルートに堪能なオーディオ仲間が「モーツァルトの作品を吹くときは不思議にウキウキして楽しくなる。」と言ってたが、とても分かるような気がする。

さて、音楽から人物像までだれにも負けない「モーツァルト通」だと秘かに自負し、大概のことは精通しているつもりだが、唯一いまだに気になっているのがオペラ「皇帝ティートの慈悲」。

実はまだ耳にしたことが無い。あまり評判が良くないのだ。

モーツァルトは1791年に亡くなり、その年に作られたのがあの最高傑作とされるオペラ「魔笛」だが、その作曲を中断してわずか18日間で作曲したとされているのが「皇帝ティートの慈悲」。

「にわか作り」の失敗作とか、最晩年の作品にもかかわらず「音楽の密度が低い」など散々。

ただし、あの有名なケッヘル博士の分類による作品番号では「魔笛」は「K・620」で「皇帝ティートの慈悲」は「K・621」なので、最後のオペラの称号は「皇帝ティートの慈悲」に当てられてもおかしくないはず。

ここでモーツァルトにおけるオペラの位置づけについて少々述べておくと、それは他の作曲家たちとはまったく違っておりまるで「金城湯池」のようなもので、世にモーツァルトファンを自称する人は数多いが、真のファンかどうかを嗅ぎ分けるポイントは「オペラを好むか否か」の一点にかかっていると言ってもいいくらい。

彼の音楽の神髄はオペラでしか味わえないのものだからである。

たしかに傑作は山ほどある。

珍しく己の心情を素直に吐露している「ピアノ・ソナタ群」、(コラムニストの石堂淑郎氏によると「湧き出る欲求の赴くままに、報酬の当てもなく作られた故か、不思議な光芒を放って深夜の空に浮かんでいる」)をはじめ、筆舌に尽くしがたい美しいメロディを持った幾多の名曲があるのを認めるのは吝かではない。

しかし、芝居の中で音楽によって命を吹き込まれた登場人物が生き生きと「天馬空を駆ける」ように躍動する感覚と、展開時におけるリズム感、たとえばレチタティーボ(語り口調の叙唱)からアリア(詠唱)などへ場面が切り換わる時などの間合いの美しさと妙味にはとうてい及ぶべくもないのである。

さて、話は戻ってモーツァルトは35年の短い生涯だったにもかかわらず15ものオペラをモノにしているが出来がいいというか有名なのは5つ前後で後はほとんど顧みられることがない。

あの天才にしてアタリ・ハズレがこれほどあるのだからモーツァルトの作品といっても盲信は禁物というわけで「皇帝ティートの慈悲」にしても、おそらく出来がイマイチなので「最後のオペラ」にふさわしくないとされてきたのだろうとずっと思ってきた。

そうは言いつつも、「皇帝ティートの慈悲」を実際に聴いてみるに如くはない。どうやら長年の疑問にやっと終止符を打つときがきたようだ。

      

いつものようにオークションで手に入れたCD盤(2枚組)だが未開封の新品だった。指揮はつい先日訃報に接したばかりのアーノンクール。

昨日(18日)じっくり腰を据えて聴いてみた。

モーツァルト晩年の音楽に共通している「寂寥感」と「透明感」はたしかに感じられるものの、どこといってとらえどころのないオペラとの印象はどうしても拭えなかった。

「天才とは努力し得る才だ」(「ゲーテとの対話」)と、文豪ゲーテは言ったがモーツァルトほどの天才でもある程度の(作曲する)時間は必要だったのかと思うと感慨深い。


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「ウェスタン」には「ウェスタン」をもって制す

2016年03月17日 | オーディオ談義
「腐っても鯛」(クサってもタイ)という言葉がある。

日常よく使われるのでご存知の方も多いと思うが、念のため意味をググってみると、

「高級魚の代表である鯛は傷んだところで、それでも下魚よりは価値があるということから高級なものが多少悪くなっても何らかの価値があること。特に家柄が良かったり、昔業績を上げ評価された人が落ちぶれたところで、やはり気品があったり役に立つことを言う。」

これを真空管の世界に当てはめてみると、「WE300B」にこそピッタリ当てはまる表現ではなかろうかと思うのである。

オーディオ界きっての名門「ウェスタン社」(アメリカ)の真空管のうち、代表的な銘球とされているのがWE300Bで、とりわけ今から60年ほど前に製造されたオールドと称されている球はもはや使い古されてしまい、初期の性能を保っているモノは極めて少ないものの、やはり「クサってもタイ」でいまだに珍重されておりオークションなどではたいへんな高値で取引されている。

たしか一昨年(2014年)の12月だったか、WE300Bの刻印(1940年代)ものがペアで90万円を超えて落札されていた事はまだ記憶に新しい。落札者は関西在住のちゃんと存じ上げている方である。

今回は「泣く子も黙る」(笑)その1951年製の「WE300Bオールド」が見事に蘇った話をしてみよう。

前々回のブログ「秘儀~真空管の電極叩き~」(2016.3.13)で、古典管の青球「180」(ARCUTRUS)の復活劇を記したが、実はもう1本「北国の真空管博士」(以下、「博士」)に修繕を依頼したのが「WE300Bオールド」だった。

      

コード番号が「139」だから1951年の39週目に製造されたことが分かる。

「球切れ寸前の状態なので危険だからもう使わない方がいいですよ」と識者からアドバイスを受けたものの、捨てるに捨てられず未練たっぷりに部屋の片隅にずっと放っておいたものだが、ふと思いついて「180」と一緒にダメ元でもいいからと送付したもの。

送付してから2~3日後に博士から飛びっきりうれしいメールが飛び込んできた。


「WE300B復活しました。
顛末を申し上げますと、

① ベースピンが激しく変形しているのでイヤな予感

② ゲッタは経年変化ではなく別な理由で減少した可能性あり

③ チューブテスタではエミ減の兆候あり

との所見をもって対応にあたりました。
 
ベースピンの半田はそれほど劣化しているように見えなかったのですが、ピン自体がかなりつぶれたり変形していたのでベースピンに大きな力がかかり内部で半田不良を起こしている可能性ありと判断しました。古い半田を全て除去した後ベースピンの変形を補修し再半田しました。

チューブテスタで再試験するとエミ減の兆候は無く、他の300Bと同等の数値です。ライフテスト、ガステストともに合格で安心して使えると思います。手元の300Bアンプに装着して試聴しましたが雑音も無く良好でした。」

いやあ、ありがとうございました。オークション相場では少なくとも20万円前後はするであろう球が見事に蘇ったのだからうれしい限り。とはいえ、博士から(修理代の)請求が無いことをいいことに、「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでいるのはちと心苦しいが(笑)「古典管のファンとして復活するだけでうれしいことです。」との(博士の)言葉にすっかり甘えている。

これで我が家のWE300Bは5本になった。

既存の1951年製、1967年製、1988年製(2本)、そして今回の1951年製が新たに加わって5本。周知のとおり軍事用として使われていた経緯があってとても丈夫な球で知られており、これで我が命尽きるまでは大丈夫だろう。

ただし、このWE300Bは我が家ではメインの位置づけではない。個性が強く、うまく鳴らしづらい球として有名で、案の定「171系統」「PX25系統」の後塵を拝しているのが実状。

しかし、このまま手をこまねいておくわけにはいかない。

先日(3月5日)、同じAXIOM80仲間のKさん宅で衝撃を受けたWE349A・PPアンプに対抗するにはWE300Bの出番を待つしかないと考えている。何とか息を吹き返させて本来の実力発揮といきたいところ・・・。

「毒には毒をもって制す」ではないが、「ウェスタンにはウェスタンをもって制す」(笑)。

着々と計画が進行中である。


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様変わりしたオーディオシステム

2016年03月15日 | オーディオ談義

高校時代の同窓生であり、クラシックとオーディオが大好きな仲間たち3名(福岡在住)とここ数年に亘って交歓を続けている。

これまで年に2回くらいのペースで我が家にやってきて試聴会を開催してきたが、今回は9カ月ぶりの開催となった。3名のうち2名はまだ「お役御免」ではないので日程の折り合いがつかなかったのがその理由。

ようやく、1か月ほど前に3月12日(土)と決定。12時に高速バスで別府の「鉄輪口」(かんなわぐち)到着といういつものパターンで、当日は底冷えはするものの心配していた雪とも無縁で快晴となった。

今回の日程は、12時15分~17時15分まで5時間に亘る試聴会、17時半から市内の居酒屋で「反省会」、そして20時の「北浜発」の高速バスで3名とも帰福の予定。

周知のように人間、酒が入るとホンネがポロリと出るものだが今回はどういう辛口が聞けるかと楽しみではある(笑)。

オーディオルームに入るなり、「すっかりシステムが様変わりしたねえ!」と、驚きの声が上がった。

前回(昨年6月)のときと比べて変化した機器を上流部分
から列挙してみよう。

 DAコンバーターをワディアからdCS「エルガー プラス」へ交換

 プリアンプに「大西工房製」の「HK-2010」を導入。出力管が12AU7のプッシュプル、出力トランスが「ファインメットコア」が特徴

 使用しているパワーアンプ3台はいずれもインターステージトランスを挿入するなど改造

 3系統のスピーカーのうち「AXIOM80」を除いて2系統ともユニットを入れ替え

こうして見ると、これまで40年以上にわたって取り組んできたオーディオの中でこの1年がいかに「シュトルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)であったかが分かる。

具体的に今回聴いてもらった3系統のシステムを順に紹介すると、

共通部分

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS) → DAコンバーター「エルガー プラス」(dCS) → 「大西工房製プリアンプ」

第一系統

パワーアンプ「PP5/400」シングル・アンプ → 「フィリップスの口径30センチのダブルコーン」(タンノイ・ウェストミンスターの箱入り)

第二系統

パワーアンプ「71A」プッシュプル・アンプ(以下「PP」) → 「AXIOM80」(グッドマンの指定エンクロージャー)

第三系統

パワーアンプ「171」シングル・アンプ → 「AXIOM300・口径30センチのダブルコーン」(アルニコ・マグネット)

フ~、何だか機器の紹介だけで息切れしそう(笑)。

自分の目論見では5時間のうち第一系統で2時間の試聴、以下、第二系統で2時間、第三系統で1時間の配分を考えていたが、もちろんその場の雰囲気次第で臨機応変に入れ替えていく事も考えていた。

結果的には予定どおりで順調に推移した。

今回の試聴のハイライトはO君が持参したベートーヴェンの交響曲3番「英雄」(エロイカ)のCD6枚。

懐かしいなあ!20代の頃にフルトヴェングラーが指揮する「エロイカ」をレコード盤が擦り切れるほど聴いたものだが・・、と青春時代がつい蘇った。それにしても歳を取るにつれベートーヴェンと段々縁遠くなっていったのはいったいどうしたことか。

自己分析だが人生の酸いも甘いもそこそこ噛み分け、すっかり「リアリスト」に変質した人間と、終生、ロマンチストであり続けたベートーヴェンとの間に生じた乖離(かいり)のせいだろうと秘かに思っている。

          

上段左から、フルトヴェングラー、チェリビダッケ、カラヤン、下段左からワルター、ベーム、ジュリーニと錚々たる指揮者たちが並ぶ。

第一楽章の前半部分を順次聴いていったが、一番好評だったのは「チェリビダッケ」。演奏のテンポがユッタリズムということで有名な指揮者だが、それが今回は功を奏したようで悠揚迫らぬ演奏となって「英雄」にふさわしい雄大なスケール感を醸し出しているのが好評価に繋がった。

肝心のフルトヴェングラー盤は録音が悪すぎる。明らかにCD収録の失敗で、これは絶対にレコードで聴くべきだろう。

次に、もう一つのハイライトはU君が持参した「リン」(イギリス)のデモSACD盤。
音が消え入るときの静寂感と音響空間に漂う余韻の素晴らしさはさすがにSACDと一同唸った。

「近々、AXIOM80仲間との試聴会を我が家で予定しているので、その時まで是非貸してほしい」とお願いしたところU君から快諾を得た。

よし、これで強力な武器を一つ確保したぞ!(笑)

最後に、飲み会での皆の意見を交えて総評を記してみよう。

 相変わらず音の違いを鮮明に出すAXIOM80だが、ようやくオーケストラが聴けるようになった。「火の鳥」(ジュリーニ指揮、シカゴ交響楽団)は音の反応が早いので作曲家の意図がよく伝わってきてこの曲が好きになった。

 AXIOM300が想像以上に良かった。AXIOM80と対峙するとどうしても身構えてしまうが、その点、AXIOM300は癒し系の音としてとても捨てがたい。さすがはグッドマンのユニットだ。

 目立つ存在ではなかったけどプリアンプのファインメットコア付きのトランス、12AU7のプッシュプルの効果が縁の下の力持ちのように利いていた気がする。

総じて好評だったようで、ひと安心。次回までにさらなる進化を秘かに誓ったのは言うまでもない(笑)。


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秘儀~真空管の電極叩き~

2016年03月13日 | オーディオ談義

オーディオ仲間との物々交換で手に入れた整流管「180」。

なにしろ稀少管として有名なARCTURUS社(アメリカ)の青球なので喜び勇んでアンプに挿し込んだところ残念なことにフィラメントが点灯しない。

         

1920年代の球なので経年劣化によるハンダの不良だろう。しかもプレートの形状をよくみるとかなり傾いている。これはいつものように「北国の真空管博士」(以下「博士」)にすがるしかない(笑)。

さっそく、ご了解を得てから送付したところ次のような速報が入ってきた。
 

「Arcturus180復活しました。やはり半田不良でした。引き出し線の先端が酸化していましたのでクリーニングして再半田しました。状態は廃棄値すれすれですが、エージングで多少は改善するかもしれません。電極が大きく拉げてフィラメントが変形し、将来的にプレートとショートする可能性があったので秘技「電極叩き」を行い正常位置に戻しました。」

いやあ、ありがとうございました。そして当然のごとく「秘儀~電極叩き~って何ですか?」とお訊ねしたところ、次のような回答が戻ってきた。

「実は私はユリゲラー並みの超能力者なのですよ!というのは嘘ですが、古来真空管マニアの間で秘儀とされる電極叩きという技です。中の電極をどの方向にどれだけ曲げるか見当を付けた後、破損防止に真空管にタオルを巻きつけて強くもなく緩くもなく片方の手で固定します。気合を込めてもう片方の手で衝撃を加えることにより電極を正常位置に戻します。
 
この方法による電極の修正には限界がありますので程々のところで良しとしないと球の破損につながります。180のプレートの曲がりこそプレートとグリッドがショートしそうになった原因ですので、なんとしても曲がりを直す必要がありました。電極叩きは、元々不動球ゆえ実施できた荒業なのです。今回は非常にうまくゆきました。知らない人が見れば激しくプレートが曲がっていたことなど分からないでしょう。」

恐れ入りました。降参です!

もう一つ。

この電極の曲がりに関して博士から次のようなアドバイスがあった。

「球販売店で直熱管を寝せて陳列しているのを見たことがあると思いますが、私などはゾッとします。運搬は勿論ですが、保管も縦置きが基本です。重力でフィラメントが変形し電極タッチやマイクロフォニックノイズの原因になります。寝かせて陳列保管している販売店は古典球の知識に乏しいと見て間違いないでしょう。」

 ウヒャッ!我が家では寝かしてある真空管がほとんどだ。すぐに100円ショップに走って紙コップと容れ物を買い求めて次のように縦置きに変身。
            

これでひと安心(笑)。
 


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BSハイ番組「ちあきなおみ」特集

2016年03月12日 | 独り言

退職後の“手すさび”にと、はじめたブログだがこれまでに投稿した記事が1450件前後に達した。よくもまあ9年半も飽きもせずというのが正直な感想だが、年間当たりにすると150件で、これは2~3日毎の更新というペース。

どの記事も気合をいれて作ったつもりだが読者受けという面からすると、ピンからキリまであって千差万別。たとえば意気込んで書いた自信のある記事がサッパリだったり、アッサリ流した記事がアクセス数が多かったりで、世間との感覚のズレをしょっちゅう感じるが、これがいい意味で刺激になっている。

ちなみに、人気記事を過去記事ランキングの
常連組として挙げてみると「サマセットモームの短編小説・雨」 「松井を甘く見過ぎたペドロマルティネス」 「ユダヤ教徒が豚肉を食べない理由」などがある。

いずれもこのブログの中枢に据えているクラシックやオーデイオとは程遠い記事ばかりで、いかに特殊でマイナーな趣味であるかがよくわかる。また全般的に作者の主観が入った記事よりも客観的で情報提供的な記事が好まれる傾向があり、これは日変わりで読み流されていくブログの宿命だろう。

「内容の深さは二の次でいいから目新しい情報を出せ」というのが読者の声だろうが、いわば広くて浅くて軽い内容はじぶんにピッタリなので、こういう傾向は歓迎(笑)。

さて、一昨日(10日)の早朝パソコンを開いて過去記事の「ページごとの閲覧数」を観たらダントツだったのが「“ちあきなおみ”はなぜ歌わない」だった。2009年11月11日に登載した記事だからおよそ7年前の古い記事がなぜトップに?

すぐにピ~ンときたねえ!

前日(9日)の夜、民放のBSハイ番組「武田鉄矢の昭和は輝いていたSP」~ちあきなおみ特集~(2時間)放映のせいだ。

この番組を観たあとで気になった人たちが「ちあきなおみ」でググってみたらこの記事が上位にあったということだろう。

もちろんじぶんも目ざとくこの番組に気が付いたので逃さず録画した。

この番組をじっくり拝見したところ、これまで数々の「ちあきなおみ特集」を観てきたが、今回の番組が「ちあきなおみ」の魅力を一番浮き彫りにしていた。

武田鉄矢の司会も良かったが、作曲家、作詞家、プロデューサーなどのゲストが彩りを添えていて作曲や歌唱にまつわる裏話がとても面白かった。

取り分け難しい歌唱力を求められる「かもめの街」の語りの部分にまつわるエピソードは秀逸。また、ちあきなおみがレコーディングするときは黒幕を周囲に張り巡らして作曲家でさえ立ち入り禁止にして独りきりで情感に浸って吹き込むなどの興味深い話が満載だった。

            

          

この番組を見ていて「ちあきなおみ」の魅力には改めてホトホト参ってしまい、もう一度歌ってくれないものかと切実に思った。しかし、彼女も寄る年波には勝てず年齢も60代後半になったことだし、もう無理かもねえ。実に惜しい!

「ちあきなおみ」がなぜいきなり早期引退して歌わないのか、気になる方は次の記事にクリックをどうぞ。

「ちあきなおみはなぜ歌わない?」(2009.11.11)


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「AXIOM80愛好家の集い」~第10回 その2~

2016年03月10日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

Kさんがこのほど新調された「WE349A・PP」アンプの音にはただただ感心するばかりだった。


また、細身で繊細な佇まいが持ち味の「AXIOM80」だが、どちらかといえばヴェジタリアン(菜食主義者)的な要素が強いスピーカーにもかかわらず、まるで肉食主義者に変身したかのような鳴りっぷりで、「これがAXIOM80ですか?」と、度胆を抜かれてしまった。駆動するアンプによって変幻自在の顔を見せる「AXIOM80」の潜在能力に改めて刮目したのは言うまでもない。

カタログ上では再生周波数帯域が20~2万ヘルツとされているが「20へルツの低音まで再生できるなんて嘘でしょう」と、ずっと思ってきたが、「新世界より」(ケルテス指揮)の冒頭のティンパニーの音で窓枠のサッシがビリついたのだから恐れ入った。


「やっと理想のアンプに巡り会えました。これでアンプは打ち止めです。」と、Kさん。

10数台持ってある真空管アンプの中でも明らかにベスト1であることは衆目が一致するところだろう。

お値段のことを持ち出すのはちょっと品位に欠けるが、気になって仕方がないので単刀直入に伺ってみたところおよそ80万円ぐらいかかったそうで、「この音ならそのくらい出しても惜しくないですね~」と、Sさんともども頷いたことだった。

製作にあたった「チューブ・オーディオ・ラボ」さん(新潟市)の店主さんが長年「349A」アンプの構想を暖め、それにマッチした部品をこつこつと集めてあったそうで、ニーズとサプライのタイミングが見事に合致して、こういう名品が誕生したのだろう。

2時間半ばかり「349A」を聴かせていただいてから、今度はスピーカーをローサーの「PM6」に切り替えての試聴となった。

      

左側が45のシングル、右側が「50」のシングルアンプ。

通常出回っている45や50と違うところは、いずれも、めったに市場に出回ることのない「メッシュプレート」タイプというところ。通常の板プレートの出力管と比べてどこがどう違うかというと音の純度というか透明感がまったく違うのがメッシュプレートの持ち味である。

「45」も良かったが「50」の音にはひときわ痺れた。口径の小さいPM6がまるで大型スピーカーのような鳴りっぷり。

「349Aと50があればもうアンプは十分じゃないですか!」との我々の言葉に対してKさん曰く「やはり171や45、1枚プレートの2A3じゃないと出ない音がありますので捨てきれません。」

ハイハイ、わかりました(笑)。

時間の経つのも忘れてたっぷり「Kサウンド」を堪能させてもらってから、ようやく夕方近くになって辞去した。

「いい音楽」と「つまらない音楽」を分ける尺度については自分の場合、時間の経過に依ることにしている。つまり、聴いたときの印象をどれだけの時間、持続させることができるかだ。例を挙げるとショパンなんて聴いたときにはたしかに美しい音楽だが、そのときにもうケリがついてしまってまったく後に尾を引かない類の音楽である。

「いい音」と「つまらない音」についても同じことが言える。

今回のKさん宅の音はいまだに尾を引いているが、そのうち素朴な疑問が2点ほど湧いた。

1 「349A」はインターステージ・トランスを使っていないのにどうしてあんなにいい音がしたんだろう?

 どうやらグッドマンの指定エンクロージャーでは「AXIOM80」から本格的な低音を出すのは無理かもしれない。

<昨日(9日)、についての疑問を率直に「北国の真空管博士」にぶつけたところ、実に興味深い回答が返ってきたが長くなるのでここでは省略し、稿を改めて紹介することにしよう。>


帰りの道中は珍しくも巡航速度の安全運転で走りながら物思いに耽ってしまった。

「次回の開催は我が家の順番になるが同じ土俵で勝負するとなると、とても適いそうにないなあ。意表をついてフワっとゆったりして空間を漂うような音を狙ってみようか。柔よく剛を制すという言葉もあることだし~。」

順調に1時間半後に我が家に到着するとSさんからメールが届いていた。

「いや~、今日のKさん邸の音は凄かったですね。私の中では余り評価が高くなかったPPアンプもWE球も見直しました。これからも、本質を知らずに見損なう事が無い様に気を付けなくてはなりませんね。また切磋琢磨すべき目標ができましたが、越えなくてはならないハードルが、どんどん高くなるのは困ったものです。〇〇邸も前回から随分と手を入れられ、変化された様ですから次回の会も楽しみにしています。」

すぐに返信メールを打った。

「今日の音は正直言って想像以上でした。しかし、これにめげずに次回の試聴会では私なりの持ち味を出してみたいと思います。乞う、ご期待です(笑)。」


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「AXIOM80」愛好家の集い~第10回 その1~

2016年03月08日 | オーディオ談義

長らく東京に単身赴任されていたSさん(福岡)が、昨年(2015年)4月、めでたく勤務替えになって帰郷されたのを機に始めた「AXIOM80愛好家の集い」だが、早くも区切りとなる第10回目を迎えた。

「集い」の趣旨を端的に言えば稀代の名ユニットとされているものの、とても気難しい「AXIOM80」をうまく鳴らすためのノウハウを同じユニットを使っている者同士(3名)の交流を通じて探求していきましょうというわけ。

終着駅がまったく見えないオーディオの世界だが、これまで9回の試聴会を通じて三者三様の個性が見事に炙り出されてきたように思っている。Kさんは「骨格のしっかりした剛直な音」を、Sさんは「繊細かつ優美な音」を、じぶんはといえば「中庸」という言葉が大好きだが、そのとおり両者の中間に位置する音が狙い目となっている。

とにかく、それぞれの性格が見事に音に反映されているようで、オーディオの愉しみは好きな音を楽しむだけではなく人間同士の交流、いわば個性のぶつかり合いにあることにも気付かされたのは大きな収穫だった。

さて、前回が1月9日(土)のSさん宅だったので今回はおよそ2か月ぶりの開催となったが、この間、道路の凍結や年度末で忙しかったりと、日程のやり繰りがたいへんでちょっと間延びしてしまった感は否めない。

今回は持ち回りの順番で3月5日(土)にKさん宅(福岡)での開催となった。

Kさんの横顔を紹介すると、古典管アンプを10数台所有されている完璧なアンプ党だが、併せてたいへんな古典管マニアである。たとえば、お気に入りのレイセオンのエンボス・マーク付きの稀少管ともなると、まずディスプレイ用に1ペア、実際に鳴らす用として1ペア、スペアとして2ペアを揃えて計4ぺアを確保しないと気が済まない方である。

したがって、マニア垂涎の貴重な古典管が唸るほどゴロゴロしているが、「どうせ命尽きるまでには使い切れないんだから少しぐらい譲ってくださいよ」と、ときどき“からかう”のだがガンとして応じてくださらない。たいへん困った御仁だ(笑)。

待ちに待った当日は前日までの厳しい寒さがウソのように、すっかり春の気配が漂う穏やかな天気のもと、いつもの旧型のクラウンとは違って家内のクルマ「アクア」を運転して片道120kmの高速をぶっ飛ばした。

さすがにハイブリッド車だけあってメーター上での燃費が1リットルあたり84kmをたたき出したのには驚いたが、少しでもガソリン代を節約して古典管を買う足しになればと“さもしい根性”の持ち主である(笑)。

予定の13時前にきっかり到着。すでにお二方とも揃い踏みだった。

今回の試聴会のハイライトは次の2点に尽きる。

☆ 新しく導入されたWE349Aプッシュプルアンプ(以下「349A」)の実力拝聴

☆ 稀少なメッシュプレートの出力管「50」「45」のお手並み拝聴

はじめに「349A」アンプから試聴に入った。

          

見るからに重装備といった感じだが、使ってある部品が由緒ある物ばかりだった。

入力トランス「ランジバン408D」 ドライバー管「77」(パンチプレート・タイプ4本) 出力管「WE348A」(4本) 出力トランス「WE171Cリビルト品」 整流管「シルヴァニア274B」 電源トランス、チョークコイルはともにウェスタンのリビルト品 配線材と板抵抗もすべてウェスタン、ハンダはウェスタン指定のナッソ 

つまり名器とされる「WE131」アンプと同じ回路と部品が使ってあるそうでいわばそのコピー品といっていいが、このアンプを製作した「チューブ・オーディオ・ラボ」(新潟市)さんのホームページ(クリック可)に製作過程が公開してあるので興味のある方はどうかご覧になってくださいな。


肝心の試聴結果だが、聴いているうちに「これは・・・・」と、つい冷静さを失ってしまったことを正直に告白しておこう。

とにかく凄い音なのである。低音域の制動力をはじめ、分解能、奥行き感、繊細な表現力など音質に関わるあらゆる要素が満たされている音といっていい。しかもプッシュプル型式なのにまるでシングル型式のような緻密さを持ち合わせていることにも驚嘆した。

以下、続く。
 


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あの日、あの時、聴いた音

2016年03月06日 | オーディオ談義

オーディオマニアだと自負する人なら「あの日、あのとき、聴いた音」として絶対忘れられない音というのがきっとあるに違いない。

もう30年以上前になるかなあ・・・。仕事の手を休めて、たぶんお昼休みだったろう、職場から歩いて20分ほどのオーディオショップに立ち寄ったところ、それはもう素晴らしい音、何と表現していいのか、キラキラと音が輝いてまるで小さな宝石が辺り一面に四散しているような感じの音だった。

衝撃を受けてすぐにアンプとスピーカーをチェック。

アンプはパイオニアのエクスクルーシブ「M5」(A級:モノ×2台)、スピーカーはヴァイタボックスのクリプッシュ・コーナーホーン「CN-191」だった。

しっかりと胸に刻み込んだが、なにしろ当時の安サラリーマンにはとても手の出せる価格ではなかった。まことに適切な表現があって、これを「高嶺の花」という(笑)。

爾来、オーディオ遍歴をいろいろ重ねてきたが、片時も脳裡からこの組み合わせが離れたことはなかった。

しかし、時代の流れは残酷で肉体のみならず夢までをも風化させていく。

「M5」は今でもオークションでときどき見かけるが、「A級方式」とあって、電力の大飯ぐらいで昨今の家庭の電気事情にはとても合わない代物になってしまった。性能的にもパワー面ではともかく、あの「古典管アンプ」の幽玄、繊細さにはとうてい及ぶべくもなかろうとおよそ想像はつく。

簡単に諦めはつくのだが、問題はクリプッシュホーン「CN-191」だ。

当時の盲信状態からすると、ネットワーク部分などをはじめいろいろと弱点が分かってきたが、基本的な畏敬の念は今日までいささかも薄れることはなかった。

そういえば、「CNー191」で思い出すのが湯布院温泉郷の盟主「中谷健太郎」氏だ。昨年(2015年)3月の記事でも紹介したが再掲させてもらおう。

「高価なオーディオ機器を購入するときのカミさんへの口説き方」で思い出すのが湯布院町在住の「中谷健太郎」氏(旅館亀の井別荘経営者)が、ヴァイタボックスの「CN191クリプッシュ・コーナーホーン」を購入されたときの新聞記事。

中谷氏といえば周知のとおり今日の湯布院観光の立役者であり、オーディオマニアとしてもつとに知られた方である。

「ゆふいん音楽祭を前に」~想念に身をまかせ世界漂う~と題して朝日新聞にコラムを寄せられていた。

以下、概略。

『わが店の珈琲(コーヒー)ルームに音楽を持ち込んだ。まずはスピーカー「ヴァイタボックス・CN191」、イギリス製の大型コーナー・ホーンだ。~中略~。30年ほど前、「ゆふいん音楽祭が」始まって数年、私が40台後半であったか。
1日200円で25年間、音楽を楽しもうぜ」とカミさんを口説いて買った玩具だ。アンプはアメリカの「ウェスタン・124型」。350Bという大きな真空管がウリのパワーアンプ。軍隊の通信用に国費で開発されたという伝説があり、「だから凄い」という人と、「だから音楽には向かない」という人がいる。私はどちらでもヨロシ、黙って夜の帳(とばり)に光る真空管を見つめるだけだ。~以下略~』

余談はさておき、その憧れのマドンナ「CN-191」がこの程オークションに出品されていたのをご存知だろうか。

中古の専門ストアからの出品でスタート価格は1000円!

図体ばっかり大きい「ウェストミンスター」(タンノイ)さえなければすぐに飛び付くのだが、今となっては家内の目はウルサイしと、ハナから諦め気味だが価格の推移だけはこの1週間ほどずっと注視した(笑)。

初めのうちは5ケタの価格帯で推移していたのが落札期日が迫ってくると、みるみる価格が上昇していく。

良かった!微妙な心理である。喩えて言えば、昔好きだった女性が歳を取って落ちぶれてしまい粗末に扱われるのを見たくない心境とでも
いおうか(笑)。

落札期日:3月5日(土) 入札件数:127件 落札価格:901、000円

           

さて、前出の中谷氏の口説き文句「1日200円で25年間」だが、満期になった25年後に上記のように90万円で下取りとなるとものの見事に「1日100円で25年間」音楽を楽しめることになる。

安いッ! 


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7カ月ぶりに戻ってくるCDトランスポート

2016年03月04日 | オーディオ談義

昨晩(3日)のことだった。

夕食後のひと時、ほろ酔い加減でムターが弾く「ヴァイオリン協奏曲」(モーツァルト)を聴いていたら、リリ~ン。

どうせ家内にかかってきた電話だろうと取ってみたら、東京のオーディオショップのSさんだった。

「ご無沙汰しております。お預かりしていたCDトランスポートのヴェルディ・ラ・スカラがようやく修繕できました。長らくお待たせしました。日曜日には到着すると思いますのでよろしくお願いします。代わりに送付していた代替機については、折を見て返送してください。」

「エ~ッ、修理に出してからもう7か月経ちますよ!てっきり修繕を諦めて代替機との交換だとばかり思ってました。それにしても購入してからたった1年半で故障したんですから修繕代は大いに勉強してくださいね。」

「分かりました。」

経緯を説明しよう。

10年以上愛用してきたワディアのCDトランスポート「270」のトレイが開閉しなくなったのは2年前の2014年3月のことだった。ホトホト困ってしまい修繕中の代替機器を購入先のショップに泣きついたところ、代わりに送られてきたのがdCSの「ヴェルディ・ラ・スカラ」(以下、「スカラ」)だった。

          

「dCS」(イギリス)と「ワディア」(アメリカ)では勝負は目に見えている。今にして思えば禁断の木の実を口にしてしまったことになる(笑)。

結局、スカラを購入し故障が治ってきたワディアと一時並走状態が続いたが、そのうちワディアをオークションに出してしまった。

ところが1年半ほど経過した昨年(2015年)の8月のこと、今度はスカラのトレイの開閉がおかしくなったので修繕に出す羽目になったが、代替機器としてまったく同じスカラを借り受けた。信用のある大きなショップから購入するとこういう時に応用が利く。

しかし、それからが待てど暮らせど修繕が直ったという一報が入らない。7カ月も経つと諦めてしまい「まあ、代わりに同じものが送ってきたんだし、交換したと思えばいっか」と考えていたところ、冒頭で紹介した電話があったという次第。

どうやら本国のイギリスから部品を取り寄せたために時間がかかったらしい。

「今のスカラで十分だからもう送らなくてもいい」という選択肢もあるわけだが、修繕が直ったばかりの機器の方が長持ちしそうな気もするところ。

2台聴き比べて悪い方を返送することにしたが、おそらく差は分からないだろう。それにしても新旧区別がつかなくなる恐れがあるから現在手持ちのスカラの方に目印を付けておく必要がある。

なお、スカラについては余談が二つある。

☆ ピックアップの確保

CDトランスポートで故障が来る可能性が高いのはトレイの開閉だが、ほかにもピックアップが経年劣化のため信号が読み取れなくなる事が多い。ほかのどんなところが修繕できてもピックアップだけはすぐに製造中止になるのでぜひスペアを確保した方がいいよと仲間からアドバイスがあった。

購入先のショップに問い合わせたところスカラにはソニー製のピックアップが使われていることが判明した。

型番は「8-820-132-09」だそうで、機器としては
「SCD-555ES」、「SCD-XA333ES」、「SCD-XB7」。

いずれもSACD仕様である。このタイプは信号読み取り部分が独特でSACDとCDの二つに分かれている。

したがってピックアップ補充用としてオークションで「SCD-555ES」(完動品)と「SCD-XB7」(ジャンク品)を手に入れたが、2台あれば十分だろう。

☆ オーディオ関係ランキングからの脱退

2年ほど前の話だが、当時音楽やオーディオ関係で3つのランキングに参加していた。じぶんで言うのもおかしいが、ときどき三冠王になったりしていて、とりわけオーディオ関係のランキングはいつもダントツだった。

したがって当時もこのスカラの記事を当然のごとくブログに登載したところ、どうやら自慢話と受けとられてしまったようで見ず知らずの他人から「口撃」をうけてしまった。

「その程度のCDトランスポートで“はしゃぎ回って”いい加減にしろ。もっといい機器があるんだぞ、この世間知らず奴」と、いった趣旨。

いま思うと、こういうおバカさんと同じ土俵に上がったことが間違いだった(笑)。ただ無視すればそれでよかったのに~。ブログ上で応戦してしまったせいで、とうとう嫌気がさしてきてこのランキングを脱退してしまった。

このブログを書きながら、ふと思い出して「このおバカさんはいまでもオーディオ・ランキングに居るのかいな」と、仔細に眺めてみたら影も形も見えなかった。どうやら良心の呵責に耐えかねてトンズラしたらしい(笑)。

世の中には他人を攻撃することで生きがいを見出している人間がいることを実感したことだった。

そういえば、NHKテレビを四六時中観ながらアナウンサーのおしゃべりや字幕のミスを発見してすぐに抗議する老人がいると聞く。

どうやらミスを発見することが生きがいとなっている模様で、もっと生産的な活動や人を喜ばせることを旨として考えればいいのにと思うが、自分だって似たり寄ったりかもしれないと思うとあまり偉そうなことは言えない(笑)。
 


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犬も歩けば棒に当たる

2016年03月03日 | 独り言

たしか半年ほど前のブログでも話題にした「犬も歩けば棒に当たる」という諺の意味。

再掲すると、「犬も歩けば棒に当たるとは、でしゃばると思わぬ災難にあうという戒め。また、じっとしていないで、何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあうことのたとえ。」

今回は「思わぬ幸運」に出会ったので紹介してみよう。

☆ ミステリーの文庫本をゲット

昨日(2日)は不要になった新聞紙や段ボールの回収日。生ごみや風呂掃除などの雑事はじぶんの担当なので、溜まった段ボールなどを括って車庫の前に置いた。オークションで真空管などの買い物をすると知らず知らずのうちにかなりの量になる。

それが済むと午前中の日課である30分ウォーキングの開始。久しぶりにカラッと晴れあがった天気のもとで快調に飛ばしていると、ふと目に留まったのがあるお宅の玄関前に積まれた文庫本の小山。

つい気になって作者やタイトルをチラッとながめながらいったん行き過ぎてから、「待てよ」とふたたびバック。仔細に眺めてみると松本清帳の「黒い画集」をはじめ和久俊三などのミステリばかり。大いに食指が動いた。どうせ不用品だから黙って持ち帰ってもいいのだろうが、心理的に悪いことをしているような気がして家主のTさんに一言申し出ることにした。

Tさんは、数年前に自治会の会計担当をしているときに顔見知りになって、以後、道でお会いしたときに挨拶を交わす程度のお付き合い。

ピンポ~ン、出てこられたTさんに「ミステリ好きなもんですから、玄関前に置いてある文庫本を持って行っていいですか。」

すると「どうぞ、どうぞ、実は近くのマンションに引っ越しすることにしたものですから荷物の整理をしているところです。こんな広い家に一人で暮らしてもしょうがないもんですから。」

「それは淋しくなりますねえ。」

この団地では次から次に独り暮らしになった高齢者が引っ越ししていく。自分もいずれ辿る運命になるかもしれないと思うと身につまされる。とにかく家内よりも先にポックリ逝くに限る~(笑)。

       

全23冊。和久俊三と松本清張のものがほぼ半々。図書館から借りてくる本で日頃アップアップしているのに、読む時間があるかどうかだが、返却期限が無いのが強味(笑)。

ところで、他人様の玄関に捨てられた本をカッコ悪く頭を下げてまで持って帰った理由がチャンとある。

それは1週間ほど前に民放のBSハイで観た「松本清張」原作の「家紋」というタイトルの映画(2時間)。実に怖~い内容だった。

「粉雪の舞う1月16日の夜、北陸地方で農業を営む生田市之助は、本家からの使いと称する釣鐘マントの男に呼び出される。本家の当主の妻・スギの容体が良くないとの話を聞き、市之助はマントの男と外へ出る。その男が本家の家紋の入った提灯をぶら下げていたので簡単に信用したのだ。23時半頃、マントの男は再訪し、スギの容体が急変したので、市之助の妻・美奈子と娘・雪代も本家に来るよう求める。熱を出していた雪代は隣家の主婦・お房に預けられ、美奈子はマントの男と外へ出て行く。それが雪代の見た母親の最後の姿だった。」

大きく成長した雪代が無残にも惨殺された両親の殺された理由と真犯人を追及していくというミステリだが、実話に基づいた話らしい。常識ではありえない真犯人の意外性には誰もが驚くこと請け合い。

観終わったときに一度、松本清張の原作を読んでみたいと切実に思い、その思いがつい今回の“はしたない”行動に結びついてしまった。

「家紋」はおそらく有名な「黒い画集」(短編集)の中に収録されているのではと推察したわけだが、確認したところ入ってなかった。残念!

仕方がないので図書館で見つけることにしよう。
 


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