「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

2021年を振り返って~最終編~

2021年12月31日 | オーディオ談義

今日はいよいよこの1年を締めくくる「大晦日」。

このブログも「2021年を振り返って~最終編~」へといきましょう。

6番目はこれ。

6 「スーパー10」の復活

小型スピーカーに目覚めていろいろ試行錯誤していくうちに辿り着いたのがこのシステムだった。

我が家では「フルレンジ+サブウーファー」スタイルが定着しているが、その代表選手がこのシステムである。

繊細さはエッジレス仕様の「AXIOM80」に及ばないが、それを補って余りあるほどの「ハイスピード」(強力なマグネット)と「豊かな響き」に酔い痴れている。

これまでいつも日替わりメニューだったのに、このシステムばかりは1か月近くも「センター」の位置を確保しているのだからその実力のほどが伺い知れるところ(笑)。

クラシックもジャズもボーカルもあらゆるジャンルを問わず「何でもござれ」の万能選手である。

となると、SPユニットの位置が高くなったので「ルーム・アコースティック」にも気を配りたくなる。

7 ルーム・アコースティック

リスナー席の高さを20cmほど上げたりと、室内の上方空間の環境整備に勤しんだ。

その結果、左右のユニットの中央に位置する「テレビ」(55インチ)の画面の反射を警戒してカーテンをかけたりしたが、最終的にはこういう風に落ち着いた。



これでカーテンが随分動かしやすくなった。そして、当初テレビにかけていた「卵トレー」は、外の通路側に面したガラス窓の反射を警戒して7個ぶら下げた。



「ルーム・アコースティック」は、これにて一件落着(笑)。

8 DAC「A22」の黄金ヒユーズ

2021年の掉尾を飾るのが「ヒューズ」とはあまりにも「小物」過ぎて気が引けるが(笑)、効果は絶大だった。



オーディオは音の「入り口」からアンプなどの「増幅系」そしてSPなどの変換系の一連の流れの中でどこも手を抜けないが、とりわけ入り口部分の「微小信号」はその後良くも悪くもすべてひっくるめて増幅されていくので、この部分をおろそかにすると”てき面”に罰が当たりますね(笑)。

以上、今年のオーディオの主なものといえばこれら8点に尽きるが、ソフト面に目を向けるとDACとパソコンの共同作業による「モーツァルト専門チャンネル」(ドイツ)が存分に楽しめたのは特筆すべきことだった。

情報の取得などをはじめ、オーディオ仲間や関係の方々に深く感謝申しあげます。

それでは読者の皆様、この1年間懲りずにお付き合いいただきどうもありがとうございました。来年もよろしく~。

どうか「良いお年」をお迎えください。


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クラシック音楽の未来

2021年12月30日 | 音楽談義

一介の「市井の徒」が心配してもどうにもならない話だが「クラシック音楽の未来」はどうなるんだろうと考えることがある。

ジャズファンは一様に元気がいい印象を受けるが、クラシックファンとなると先細りの傾向だと思うのは自分だけだろうか。

それにクラシック音楽は「静謐感」の中でしか鑑賞できない音楽だと思っているが、身の回りにこうも情報が氾濫してやたらに騒々しい世の中になると、ますます環境が悪くなり時代に取り残されていくばかりのように思われてならない。

以前の日本経済新聞の文化欄に次のような記事が掲載されていた。

    

タイトルは「クラシック界の未来」。記事の作者は「片山杜秀」(かたやま・もりひで)氏で、音楽評論家であり、また現役の慶応大学教授としてご活躍されている。

内容をかいつまんでみると以下のとおり。

「クラシック音楽はポップスなどと比べると効率が悪く、コンサートの開催などにとてもお金がかかる。そこで関係者が心配しているのが文化芸術に対する公的規模の助成の削減だ。オリンピック後は予算が介護や教育で手いっぱいになってしまうし、そもそもクラシック音楽の優先順位は決して高くないのでこれから衰退の一途をたどるばかりではなかろうか。

日本の豊かさのモデルは欧米にあり、品のいい欧米の上流・中流家庭のイメージに見合うのはまずその種の音楽だった。大正や昭和初期の富裕な高学歴層のステータス・シンブルの一つは西洋クラシック音楽であり、それが理解できることが先端的な教養だった。

しかし、それは一時の夢だったようで、60年代以降の若者たちは高齢世代への反発も手伝ってロックやフォークに自由な気分を求めていった。この世代は歳を取ってもクラシック音楽になびかない。日本に限らず欧米でもそうなっている。

クラシック好きの割合は「40~50代」は上の世代よりも激減しているのがコンサートの客層からして見て取れる。今後、先進資本主義国の経済と社会の様相は変貌する一方であり、厚い中産層が解体して貧富の差が広まる。それはすなわちクラシック音楽の趣味を持ちうる階層が壊れていくことである。

それでも西洋諸国にとってのクラシックは「伝統芸能」であり「観光資源」であるから無くなっては困るというコンセンサスは残るだろう。だが日本は歌舞伎や文楽や能もある。クラシック音楽は援助しないと成り立たない厄介な外来文化にすぎない。その事情がますます顕在化するのが平成の次の御代になるのだろう。

厳しい時代だ。とはいえ、クラシック音楽は一定規模で定着している趣味には違いない。たとえ縮小するにしても市民権はある。適正な規模での生き残りの主張をしていけば、なお未来はあると信じている。」

とまあ、大要は以上のとおり。

やけに悲観的な見方だと思うが、メル友の「I」さん(東海地方)のご提案によると、もっとクラシックを現代風にアレンジしてはどうかとあって、楽器のパートを代えたり、ジャズ風にしたりで大胆な編曲も大いにありだと思う。とにかく親しむ機会を増やす。

さらに、個人的な意見としてはこれからクラシック音楽を若い世代、とりわけ幼少期にどうやって広げていくかが課題ではなかろうか。

別にクラシック音楽に親しむことで他人に優しくなれるわけでもないし、世の中のお役に立てるわけでもないが、人生の豊かさにつながることはたしかだし、情操教育にもいくらかは役に立つことだろうから、幼少期からのクラシック音楽への触れ合いはとても意義のあることだと思う。

自分の経験で言わせてもらうと、小学校の低学年のときにプラネタリウムを見学したときのこと、星座が投影されていく中でBGMとして流されていた音楽が何となく頭の片隅に残り、ずっと後になってそれがシューベルトの「未完成」交響曲の一節だったことが分かった。

したがって学生時代になって最初に購入したレコードはいまだに忘れもしない「運命/未完成」(ブルーノ・ワルター指揮)だった。

ことほど左様に「三つ子の魂百までも」である。何しろ「食わず嫌い」が一番良くないので小中学生ぐらいのときに、どうやってクラシック音楽に触れ合う機会をつくるかが肝要だと思う。

たとえば学校に安価でもいいからそこそこの小型システムを設置して授業などを通じて音楽鑑賞をしたり、時間外にはオーディオシステムによるコンサートを開いたりするも一つの方法かと思うが、こればかりはひとえに教師の熱意にかかっている・・。

そういえば物故したマニアの遺族が不要になったオーディオ機器類を小中学校に寄贈できる仕組みがあったりするといいかもしれない。すると管理もたいへんそうなので「校医」ならぬ「音楽&オーディオ医」が必要になる・・。

そういうときはもし元気だったら応募させてもらおうかな~。

おそらく「モーツァルト」ばかり聴いてもらうことになりそうだが(笑)。



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2021年を振り返って~中編~

2021年12月29日 | オーディオ談義

先日の「2021年を振り返って~前編~」に続いて、今度は「中編」といこう。

「他人のシステムの足跡なんて興味ない」という読者が大半だろうが(笑)、筆者としては1年のけじめとして残しておきたいので、興味のない方はここでストップしてください、
ね。

さて、前編で「1~3」まで記載したので4番目はこれ。

4 モニターオーディオの「PL100」

久しぶりに他家の試聴に出かけたときに、たまたま聴かせていただいたのが口径10cmの小型2ウェイシステムだった。

周知のとおりオーディオを評価するうえで「ボーカル再生」は避けては通れない音楽ソースだが、歌手の
口元がいたずらに大きくならず等身大で再現されることに非常に斬新なイメージを受けて、我が家にも「ぜひ一つ」と欲しくなった。

そういうときに、たまたまオークションで定評のある「モニターオーディオ」(英国)の「PL100」が目にとまった。



モニターオーディオは過去の「オーディオ・フェア」(福岡)で試聴したことがあるし、中高音域のリボン型ツィーターの独特の音色に魅了されていたので迷いはなかった。(10月上旬)

そして、その「小さな音源と引き締まった音像」は我が家のサウンドに革命をもたらした。

たとえば、現在フル活用しているワーフェデールの「スーパー10」がそれで、バッフル無しの「贅肉のない音像」に極めて満足している。



このブログではいつも当たり障りのないことばかり書いているが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」(「徒然草」)なので、ここで思い切ったことを書かせてもらうと「湯水のようにお金をかけた末にやたらに大きなシステムを持っている方をときどきネットなどで見かけるが、劇場や映画館じゃあるまいし、この人少し耳がおかしいんじゃないか!」といつも思っている。

そういうことが分かってきただけでも大きな進歩だと思っているが、はてどうかな(笑)。

5 スピーカースタンド

前述の「PL100」を十全に生かすために購入したのが「SPスタンド」(材質は楓(かえで)材)である。

これで音がガラッと変わったのには驚いた。SPの下側の空間が実に有効に機能しているのに気付いたが、同時にSPスタンドが単なる「飾り」ではないことが分かったのは大きな収穫(笑)。



このSPスタンドのおかげで蘇ったスピーカーが4つもある。

画像の左から「ニューゴールデン8」(リチャード・アレン)、「AXIOM80」(復刻版)、「PL100」、「トライアクショム」(グッドマン)といった具合。

それぞれに持ち味があるのが楽しくなる。

ちなみに、「トライアクショム」(口径30cm)以外は「サブウーファー」として「ウェストミンスター」(100ヘルツ以下)を活用している。

以下、「後編」へと続く。


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「今が良ければすべてよし」に思う

2021年12月28日 | 独り言

猛烈な寒波の襲来で震え上がっている。この冬はひときわ寒そうで要警戒だがどうかコロナが追い打ちを掛けませんように~。

さて、「ウォルフガング・サバリッシュ」(1923~2013)という指揮者がいた。N響の桂冠名誉指揮者だったので、全国放映の機会も多く演奏風景をご覧になった方もあるかもしれない。



いかにも大学教授然とした風貌の持ち主で享年89歳だったので行年に不足はないが好きな指揮者の一人だった。

周知のとおり、本家、ヨーロッパのクラシック界ではオペラが重要な演目になっており、「オペラを振らせると指揮者の実力が分かる」とまで言われているが、彼が指揮したオペラ「魔笛」は大のお気に入り。

個人的な感想だが、極めてオーソドックスな解釈のもと、どこといって破綻のない、まことに中庸を得た演奏だったので安心して「魔笛」の世界に浸れたものだった。

改めて手持ちを確認してみるとサバリッシュ指揮のものはCD盤(2枚組)とDVD、それぞれ一組ある。



「魔笛」の主役級の歌手は5人いるが、粒よりのメンバーがすべてそろうことは不可能に近く、どういう盤にも何らかの配役に憾みを残す。

このサバリッシュのCD盤では、高僧役に「クルト・モル」、王子役に、「ペーター・シュライアー」、道化役に「ウォルター・ベリー」と、男性陣に最高のメンバーを得ているものの、女性役二人がちょっと物足りない。

その一方、DVD盤では女性陣として夜の女王に「エディタ・グルヴェローヴァ」、王女役に「ルチア・ポップ」と、この上ない豪華な顔ぶれだが、今度は男性陣2名が物足りないといった具合。

巷間、「魔笛に決定盤なし」と言われている所以がこれらサバリッシュ盤にも如実に伺われるところ。

ところで、サバリッシュのフルネームは「ウォルフガング・サバリッシュ」である。ピンと来る方がきっといるに違いない。

そう、あのモーツァルトのフルネームが「ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト」である。ちなみにかってのウィーンフィルの首席フルートは「ウォルフガング・シュルツ」(故人)だった。



いったい「ウォルフガング」とはどういう語源を持つんだろうか?こういうときにはググってみるに限る。

すると、「Wolf gangは主にドイツ語圏などで見かけることができる人名で「Wolf Gang」(”狼の牙”)という意味を持つ」と、あった。

そういえば、英語でも狼のことをウルフと呼んでいる。おそらく狩猟民族に由来する名前だろう。

なお、「アマデウス」とは「神に愛されし者」という意味だが、この「アマデウス」という言葉には思い出があって、ここでちょっと過去を振り返させてもらおう。

大なり小なり「人生は山あり谷あり」なので、誰にでもスランプや不遇の時代があると思うが、そういうときには自分の場合、転職を考えるのが常だった。

まあ、一種の逃げみたいなもんですねえ。

当時を振り返ると、往年のベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子さん著)なんて、高邁な精神にはなれなかったことを今でも恥ずかしながら憶い出す。

そして、逃げ道候補の一番手はクラシック専門の「音楽喫茶」を開くことだった。

当時はタンノイ・ファンだったのでオートグラフをドカンと店内に据えて真空管アンプで鳴らそうなんて夢みたいなことを考えていたが、その時の音楽喫茶の名前を一貫して心に刻み込んでいたのが「アマデウス」だった。

奇しくも、2セット目の「AXIOM80」を譲ってくれた千葉のSさんも音楽喫茶を開くのが夢で、その時には店名を「アマデウス」にしようと決意されていたそうで、「音楽好きは似たようなことを考えますね」と二人で苦笑したものだった。


さて、この音楽喫茶の顛末だが「こんな田舎でどれだけクラシック・ファンがいると思っているんですか。食べていけるわけがないでしょう!」とのカミさんの凄い剣幕に気圧されて、結局諦めざるを得なかった。常識的に考えても、おそらく誰もがそう言うに違いない。

今となってはこうして何の憂いもなく音楽・オーディオ三昧の日々が送られるのだから、当時の選択はおそらく正しかったのだろうと思う。

結局、「今が良ければすべてよし」なんだろうが、その一方では大切な「夢」を失ったともいえるわけで、はたしてそれでよかったんだろうかと寒空の下で己の胸に問うている今日この頃~(笑)。


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3つのこと

2021年12月27日 | 独り言

作曲家「リヒャルト・シュトラウス」の晩年の作品に「4つの歌」というのがある。

作家の「百田尚樹」さんが好きなクラシック音楽の「ベスト1」に挙げられるほどの名曲だが、(自分も大好きだが)そのタイトルが「4つの歌」という、”素っ気ない”というか気取りの無さの点でも何となく記憶に残っている。

そこで、恐れ多くも自分もあやかって今回のタイトルは「3つのこと」でいかせてもらおう。「3」は貴重な素数だし~(笑)。

まず、一つ目は、

✰ 運動と生理現象

現在、週に3回ほど運動ジムに通っているが面白いことに気が付いた。

毎日、だいたい7~8時間ほど惰眠をむさぼっているがジムに行かない日は必ず1回、どうかすると2回は起きて小用に行く。

ところが、ジムに通った日の夜は就寝中いっさい尿意を催さないのである。

原因としては昼間に運動をすると身体全体の血行が良くなって小用に行かないで済むという単純なものなんだろうか、当然のごとく小用のメカニズムも絡んでくるので不思議~。

いずれにしても、睡眠ひいては身体の調子にとって途中で起きなくて済むのでありがたいことである。

その頼りになるジムも明日(28日)から1週間ほど正月休みに入る。

その間、何とか日中の「運動プログラム」を考えないと・・・・。

✰ DAC「A22」について

前回のブログ「2021年を振り返って」で俎上に上げたGUSTARDのDAC「A22」だが、ハイエンドのヒューズと入れ替えたところ見違えるほど音質が良くなって大喜びしたわけだが、この製品は惜しいことに既に記載していたように大切なチップの「AK4499」が旭化成の火事によって再生産不能となっている。

「ほんとうにそうかな?」と確認の意味でネットを検索していたら何とこの「A22」がオークションに出品されているのを見つけた!

昨日(26日」の夜が落札日なのでいったいいくらで落札されるだろうと興味津々で見守った。

そして落札価格は「170、900円」なり。

自分がこの7月に購入したときよりも3万円ほどもアップしていた!

こういうケースは珍しい。

たとえば真空管などは「古いものほどメーカーが(大量生産ではなく)真面目に作っている」ので音質も良く、古典管と近代管とで見事な逆転現象を起こしているが、日進月歩のデジタル技術の分野において過去の製品が発売当時の定価を凌駕するなんてまずありえない。

「再生産不能」というネックが魅力となって競争をもたらしたわけだが、17万円ぐらいなら自分も入札に参加してよかったかもねえ、スペアを確保しておくという意味で・・(笑)。

「性能 VS 価格」において、それだけの価値がある製品だと思っている。

✰ 日向ぼっこ

人間はなるべく「太陽に当たる」方が良いと、何かの本に書いてあった。

そこで「読書」の登場だが、テレビを付けながらとか、音楽を聴きながら読書をするとどうも気が散って思うようにはかどらない。

そこで、二階のベランダや玄関先の狭いスペースを見つけて、太陽に当たりながら読書をすると、これが実にはかどるんですよねえ。

冬季の読書は太陽に当たりながら野外に限る、「一石二鳥」とはこのことか、これが3つ目の気が付いたことでした(笑)。

そして、現在利用している3つの図書館とも28日から休館日に入る。

目一杯借りておくために今日(27日)の午前中は図書館巡り、そして午後からは「運動ジム納め」と東奔西走で、目が回るほど忙しくなる(笑)。


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「2021年を振り返って」~前編~

2021年12月26日 | オーディオ談義

今年(2021年)も早いもので残すところ1週間を切ってしまった。

時間の観念としては相変わらず「1日は長い」が「1年は早い」と思っている(笑)。

それでは年末恒例の「今年1年を振り返って」の稿を起こしてみよう。

な~に、この1年で新たに起きた「めぼしい出来事」を挙げて記録に残すだけの話である。それでは時系列でいこう。

✰ EL34プッシュプルアンプ



低音域専用として仲間から譲ってもらったアンプである。借りて使っているうちに情が湧いたという感じかな(笑)。

我が家では一番力持ちの「出力30ワット」クラスで、WE300Bなどのシングルアンプが数ワット程度だから「パワフル=レーゾン・デートル」といったところ。

たとえばウェストミンスター(100ヘル以下)を駆動するとまったく不満のない低音に恵まれるが、ややチカラ任せのところもあるようで・・(笑)。

これは余談になるがメーカーによると上級管の「KT88」も挿せるというので「EL34」を外して付けてみたところ、あえなくオーヴァー入力のせいで電源トランスが故障して取り換える破目に~。

余計な出費にホトホト困った一幕だった。

つい最近では前段管の「12AU7」(ロシア製)からノイズが出てきて、4本まとめて取り換えてようやく落ち着いてきたところ。

今後の展望は「EL34」のロシア球を「テレフンケン」や「ムラード」の有名どころに代えて鳴らしてみることぐらいかな。

✰ 新しい箱づくり

使い方次第ですぐにノイズが出やすい「AXIOM80」(オリジナル版)だが、壊れたときのスペアとして保管していた「80」(復刻版)も、本家本元が壊れる気配が無いのでこのほど積極的な活用策に打って出た。

新たに専用の箱を「板厚1.2cm」の薄い板で作ろうという算段だった。出来るだけ箱を振動させて響きを豊かにしようという目論見である。

畢竟、ヴァイオリンもピアノ(響板)も「木の響き」を聴いているようなもんですからね。



仲間に手伝ってもらい、バッフル以外はネジを使わずに強力な接着剤で相互に板をくっつけて「横50cm×縦40cm×奥行き40cm」の小振りの箱が出来上がった


現在は手軽に「80」を聴きたいときにときどきSPスタンドの上に載せたりしながら聴いているが今後の活用方法としては、「ウェストミンスター」の上に載せる手もあるようで・・。

なお、調子に乗って同じサイズの2台目の「口径30cm」用の箱も作り、「トライアクショム」(グッドマン)を容れてときどき楽しんでいる。

✰ 中国製DAC「A22」の登場



今年最大のハイライトでもいうべきDAC「A22」(GUSTARD)の登場である。(画像の機器の上に載せているのは小型のヒート・シンクで真夏は重宝している)

中国製といっても、カギとなるチップはクラシックファンに定評のある「AK4499」(旭化成)が使ってあり、実用中の仲間からも高評価だったし、「北国の真空管博士」からも「とても優秀なチップを惜しげも無く左右両チャンネルに使ってますよ!」とお墨付きをいただいたのでためらうことなく購入した。

どうやら国内では最後の購入者だったみたいで、以後「A22」はネットの販売欄からプッツリ姿を消した。例の旭化成の火事で「AK4499」が生産不能となり、今や幻のチップとなったようだ。

このDACが到着したのが7月下旬だから既に5か月ほど経つがネットラジオの「モーツァルトチャンネル」をハイレゾ「384Khz」で受信し毎日堪能している。

そして、ここで「ホット・ニュース」!

それは何かというと「ヒューズの入れ替え」である。

ヒューズは「縁の下の力持ち」的な存在だが、機器の電流が必ず通る部分なのでなるべく配慮したいところではある。

DACの場合、真空管アンプなどとは違って精密な内部を弄ったりすることは難しいが素人が唯一触(さわ)れるところといえば「ヒューズ」ぐらいのもんだし、仲間から「GUSTARDの黄金ヒューズがネットに載ってるよ」と、聞きつけてさっそく購入した。



1個「3000円」なり。普通の「ガラス管ヒューズ」と比べてズシリと重たい!

差し換え方法となると、さっぱりわからず仲間に協力してもらってやっと首尾よくいった。

裏側の電源端子の下の部分に「ヒューズケース」が収納してあり、それを小さな「マイナスドライバー」で強めに弾くと開いた。

「たかがヒューズ、されどヒューズ」で練り上げられた繊細なシステムほど顕著に音の差が出てくるはずだが、結果はいかに~(笑)。

ウ~ン、これまでよりもさらにレンジが広くなって低音域の力感が増した気がするが・・。

我が耳だけでは頼りないので確認の意味で、昨日(25日)の午後仲間に来てもらって試聴してもらった。

すると「たかがヒューズ1本でこんなに音が変わるんですか!」と、激賞のオンパレードだった。

音の抜けからレンジ、瑞々しさなどあらゆる音質の形容詞を使っても足りないほどすべてわたって向上したとのことで「さっそく我が家も購入します」。

「これだけ音質に効果があるのなら最初からこのヒューズを付けて売ればいいのに~、販売価格に3000円上乗せすればいいだけの話だが・・」と二人で悲憤慷慨したことだった(笑)。

デジタル機器の場合、可能な限り「ヒューズにも気を配ったほう良いみたいですよ~」

以下、「後編」へと続く。


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「音は悪くて構わない」ってどういうこと?

2021年12月25日 | 音楽談義

我が家では「好きな音楽」を「いい音」で聴きたい一心なので「音楽とオーディオ」が完全に一体化しているが、いったい「いい音って何だろう?」と考えさせられたのがこの本だ。

                          

著者は「片山杜秀」(かたやま もりひで)氏。巻末の経歴欄によると1963年生まれで現在、慶應義塾大学法学部教授。

過去に「音盤考現学」「音盤博物誌」「クラシック迷宮図書館(正・続)」などの著書があり、「吉田秀和賞」をはじめ「サントリー学芸賞」「司馬遼太郎賞」など数々の賞を受賞されている。

本書の内容は次のとおり。

1 バッハ  精緻な平等という夢の担い手

2 モーツァルト  寄る辺なき不安からの疾走

3 ショパン  メロドラマと“遠距離思慕”

4 ワーグナー  フォルクからの世界統合

5 マーラー  童謡・音響・カオス

6 フルトヴェングラー  ディオニュソスの加速と減速

7 カラヤン サウンドの覇権主義

8 カルロス クライバー  生動する無

9 グレン・グールド  線の変容

この中で特に興味を惹かれたのが「フルトヴェングラー」と「グレン・グールド」の項目だった。

前者では「音は悪くてかまわない」と、小見出しがあって次のような記述があった。(137頁)

「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。

フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」


オーディオ的にみて随分興味のある話で、そういえば明晰な音を出すのが得意な我が家の「AXIOM80」でフルトヴェングラーをまったく聴く気になれないのもそういうところに原因があったのか。

通常「いい音」とされているのは、「楽器の音がそれらしく鳴ってくれて分解能があり奥行き感のある音」で、いわば「解析的な音」が通り相場だが、指揮者や演奏家によっては、そういう音が必ずしもベストとは限らないわけで、そういう意味ではその昔、中低音域の「ぼんやりした音」が不満で遠ざけた「大型タンノイ」だが、逆に捨てがたい味があるのかもしれないと思った。

「いい音とは」について、改めて考えさせられた。

次にグールド論についても興味深かった。

稀代の名ピアニスト「グレン・グールド」(故人、カナダ)が、ある時期からコンサートのライブ演奏をいっさい放棄して録音活動だけに専念したのは有名な話でその理由については諸説紛々だが、本書ではまったく異なる視点からの指摘がなされており、まさに「眼からウロコ」だった。

まず、これまでのコンサートからのドロップアウトの通説はこうだ。

 グールドは潔癖症で衛生面からいってもいろんなお客さんが溜まって雑菌の洪水みたいな空間のコンサート・ホールには耐えられなかった。

 聴衆からのプレッシャーに弱かった。

 極めて繊細な神経の持ち主で、ライブ演奏のときにピアノを弾くときの椅子の高さにこだわり、何とその調整に30分以上もかけたために聴衆があきれ返ったという伝説があるほどで、ライブには絶対に向かないタイプ。

そして、本書ではそれとは別に次のような論が展開されている。(188頁)

「グールドによると、音楽というのは構造や仕掛けを徹底的に理解し、しゃぶり尽くして、初めて弾いた、聴いたということになる。

たとえばゴールドベルク変奏曲の第七変奏はどうなっているか、第八変奏は、第九変奏はとなると、それは生演奏で1回きいたくらいではとうてい分かるわけがない。たいていの(コンサートの)お客さんは付いてこられないはず。


したがって、ライブは虚しいと感じた。よい演奏をよい録音で繰り返し聴く、それ以外に実のある音楽の実のある鑑賞は成立しないし、ありえない。」

以上のとおりだが、30年以上にわたってグールドを聴いてきたので“いかにも”と思った。

「音楽は生演奏に限る。オーディオなんて興味がない。」という方をちょくちょく見聞するが、ほんとうの音楽好きなんだろうかと・・・。

さらにオーディオ的に興味のある話が続く。

「その辺の趣味はグールドのピアノの響きについてもつながってくる。線的動きを精緻に聴かせたいのだから、いかにもピアノらしい残響の豊かな、つまりよく鳴るピアノは好みじゃない。チェンバロっぽい、カチャカチャ鳴るようなものが好きだった。線の絡み合いとかメロディや動機というものは響きが豊かだと残響に覆われてつかまえにくくなる。」といった具合。

グールドが「スタンウェイ」ではなくて、主に「ヤマハ」のピアノを使っていた理由もこれで納得がいくが、響きの多いオーディオシステムはたしかに心地よい面があるが、その一方、音の分解能の面からするとデメリットになるのも愛好家ならお分かりだろう。

したがって、グールドの演奏はAXIOM80が似合っており前述のフルトヴェングラーの演奏とはまったく対極の位置にあることが分かる。

結局、こういうことからすると「いい音」といっても実に様々で指揮者や演奏家のスタイルによって無数に存在していることになる。

世の中にはピンからキリまで様々なオーディオ・システムがあるが、高級とか低級の区分なくどんなシステムだってドンピシャリと当てはまる音楽ソースがありそうなのが何だか楽しくなる、そして、不思議と虚しい気持ちにもなる・・(笑)。 



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上手くいった「ルーム・アコースティック」

2021年12月24日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

珍しくオーディオルームの「アコースティック」に取り組んでみたが、日頃とはまったく勝手が違って己の耳だけが頼りなのでやや心細くて頼りない(笑)。

そういうわけで、この度メル友の「K」さん(横浜)からいただいたアドバイスはとてもありがたかった。

さっそく、テレビの画面の前にぶら下げていた「卵トレー」(計7個)を取り外してカーテンをぶら下げてみた。

これで、聴いてみるとあっと驚くほどのサウンドの変わりようだった。

どう表現すればいいのか・・、音に「ぎらつき感」が無くなってより自然に近い音になった、かな。

卵トレーもかなり効果があったが明らかにそれ以上のレベルだった。

カーテンを掛けたり、外したりするのがちと面倒だが、そういう手間をものともしないだけの音質効果が確実にあるのがうれしくなる。

それに、お金がかかってないのが何よりもいい~(笑)。

というわけで、とてもありがたいKさんからのアドバイスだった。誌面をお借りして感謝申し上げます。

さて、そこで・・。

Kさんのメールにあった画像が気になっていた。

もしかしてスピーカーはウィルソン・オーディオの「システム5」かな?

当時はたしか350万円前後していたはずだが・・。



そこで「SPはウィルソン・オーディオですか?」と問い合わせたところ、次のような返事が戻ってきた。

「私は低音フェチです。このSPはインフィニティにおられたアーノルド・ヌディール氏が起こした米国GENESIS社のGENESIS・Vで1997年から愛用です。

(クラシックを聴くなら英国のSPは常識らしいですし、これに代えるまではクォード63Proで満足していたのですが)

片側20cmウーファー4本(フロントと後方に2発づつ)で、調整用サブ・アンプ(これは付属品なので真空管ではありません)で”ふくらみ”を調整し、それが気に入ってます。

私は観賞用の耳(感性の問題でしょうか)を持ってなくて、いくつものSPを鳴らせばどれがほんとうの音か分からなくなります。どれも良く感じてしまうのです、ので「ワイフとSPは一つ」が信念です。(これは外向けの説明で実は二号さんも二代目のSPも財力の問題でして・・)

アハハ、「ワイフとSPは一つ」が信念ですか・・。

私の場合はワイフを一つに絞っている反動がSPにきたみたいですよ~(笑)。

それはさておき、問題のSPは「GENESIS・V」であることが判明した。

他人の持ち物に興味を持っても何の得にもならないが(笑)、さっそくグぐってみた。



当時の価格が「250万円」ほどで、付属している低音域駆動用のサブ・アンプが出力400ワットという超ど級である。

口径38cm一発ではなくて口径20cmの裏表4発とはさすが!

切れ味が良くて凄い低音が出るんでしょうねえ・・。

実を言うと自分も「低音フェチ」の一族で、(低音には)人一倍苦労しました。というか今でも苦労してます。

「血(お金)」はともかく「汗と涙」を半端なく流しました~
(笑)。



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またまた「余計なお節介」ですが

2021年12月23日 | オーディオ談義

1か月ほど前のこと、メル友の「K」さん(横浜)から「余計なお節介ですが」と、メールをいただいたことをご記憶だろうか。

内容は小型スピーカー「PL 100」についての「バイワイヤリングの接続方法」に関しての情報で、記事に仕立て上げさせてもらいとても感謝している。

そして、このほど第2弾として「またまた余計なお節介ですが」と、メールが届いた。

今度は、つい先日投稿した記事「ルーム・アコースティックへの挑戦」に関する件である。実は見よう見まねで消化不良のままトライしたので反響を期待していた節もある(笑)。



ご覧の通り、主な措置としてテレビの画面に「卵トレー」をぶら下げて乱反射させたわけだが、以下「無断転載」をお断りして、メールを紹介させていただこう。

「SPの間に物を置かない」これはたぶん正解で、特にTVなどの反射系のものはその面に音像が集中するように感じます。したがってSPと物の関係で物がどうしても移動できないときはやはり何らかの対策をすべきと感じます。

拙宅のSPもいままで狭い部屋を”ぐるぐる”回りました。右側のカーテンは庭に面する窓でその幅は2.7mほどで、そこでしばらく聴きましたが南向きの窓のためSP裏面に日が当たり昼は聴けません(我が家のSPは裏面にもユニットがありますので)。

現役時代は聴くのは夜でしたが、このところ夜は集中力が続かず昼聴くことが多くなりました、歳と関係するのかな?

反対側は小型のグランドピアノで、その両端に置くと”音像がピアノに反射し歪む!



さて写真の中央にあるのは暖炉、鋼板製の自立型ですがこれも音にはよくありません。SPを思いっきり(部屋の中央まで)出すと影響は小さくなりますが、見栄えが良くなくまたワイフからは通行の邪魔と(彼女の機嫌損ねると・・・)。

さて、ここからが本題です。

この写真ですが”暖炉の両側はフェルト地、少し厚手のブランケットで覆い、正面は薄いサテンを二重に垂らしてます。

ワイフとともに確認し(ワイフは鳴ってればよい派ですが音には鋭い感性が)現在はこれで落ち着いてます。

そこで、結論ですが「テレビにかけている卵パックは取り外し、押し入れにでもしまってある布をかけてみては・・」ですが、いかがでしょうか。

以上のとおりだが、ご親切なアドバイスまことにありがとうございます!

オーディオは「実験の数」と「いい音」とが確実に比例すると思っている。何しろお金は無いけど時間はたっぷりあるので「善は急げ」~(笑)。

家内に向かって「おい、昔取り外したカーテンはどこに直しているかな?」

「もう、また始まった・・」とばかり腰が重かったが(笑)、渋々ながらも押し入れの奥から出してくれた。

さっそくテレビから「卵トレー」を外してカーテンを取り付けてみたところ・・。

以下、続く。



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「歌が巧くて素敵な声」の持ち主の共通点

2021年12月22日 | 音楽談義

4年ほど前に手に入れた「島田祐子」さんのCD全集は、オーディオ仲間からも好評で「花の街」(作曲:団 伊久磨)などがよく所望される。

彼女の明るくて”ふくよかな”歌声を聴いていると「母親の胎内で気持ちよく羊水に浸りながら眠っている」感じがしてくるから不思議。まるで「日本のお母さん」みたいですね。


そのうち、ふと「歌が巧くて素敵な声の持ち主には共通点があるのではないか」と思い至った。

たとえば顔の造作について。

              

              

ずらっと並べたのは「美空ひばり」、「五輪真弓」、そして「島田祐子」さん。それぞれ定評のある歌唱力の持ち主である。

この3人の共通点として気付くことはどちらかといえば、やや顔のエラが張った幅の広めの顔の持ち主ばかりだとは思いませんか?

こういう顔立ちは歯並びが良くて「咀嚼力」(ものを噛む力)が強いだろうし、咽頭部が丈夫そのもので「声帯」も強靭で大きそうな気がする・・・。

そういえば、先日亡くなった世紀のソプラノ歌手(コロラトゥーラ)「エディタ・グルベローヴァ」(当たり役はオペラ魔笛の「夜の女王」)だって同じような顔立ちに見える。

              

ちなみに、政治家でも一般的に細面よりも幅の広い顔の方が「向き」
とされているが、見た目の安心感とともに安定した声が有権者の心を獲得しやすいのかもしれない。

それはさておき、島田祐子さんの声があまりにも素晴らしいので、我が家の近くにお住まいで「歌心」の有る知人の「I 」さんにCDを貸してあげた。

「I」さんは地方政治家として活躍されているが、4年ほど前にご自宅の80坪ほどの集会用の地下室に置くために我が家の余ったオーディオシステム一式を貸し出している。

グッドマンのエンクロージャーに入った「フィリップスのフルレンジ」(口径30センチ:アルニコマグネット)が朗々と鳴っており、貸した後で「しまった!ほかのを貸せばよかった」(笑)。

広い部屋で鳴らすのと狭い部屋とでのサウンドは雲泥の違いで、「色の白いは七難隠す」ではないが「部屋の広いは七難隠す」ことを痛感したことだった。

その「I 」さんから電話が入った。

「島田祐子さんのCDありがとうございました。さっそく聴かせていただきましたが、まるで心が洗われるようで日本人に生まれて良かったとつくづく思いましたよ。それにどの曲も詩的でとても言葉が美しい。とりわけ”あざみの歌”には感激しました。ぜひ他の4枚のCDも貸してください。」

「あざみの歌」は戦後の昭和25年、信州の諏訪湖畔で暮らした横井弘が人生観を「あざみの花」に託した歌詞に「八州秀章」が作曲したものであるとライナーノートに記されていた。

スコットランドの国花「あざみ」 → 

それでは、その美しい歌詞の余韻に浸りつつ終わりとしよう。

山には山の 愁いあり 海には海の 悲しみや ましてこころの 花園に 咲きしあざみの花ならば

高嶺の百合の それよりも 秘めたる夢を ひとすじに くれない燃ゆる その姿 あざみに深き わが想い

いとしき花よ 汝(な)はあざみ こころの花よ 汝(な)はあざみ さだめの径(みち)は 涯(は)てなくも 香れよせめてわが胸に



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困ったときに頼りになるアンプ

2021年12月21日 | オーディオ談義

毎日飽きもせずひたすらオーディオを弄っていると、真空管やアンプそしてスピーカーが自然と溜まってくる。

相互の優劣がつけば「優勝劣敗」の法則により、劣ったものはすぐに追放すれば物は溜まらないのだが、自分はあいにく往生際が悪くていつまでも未練を持つタイプである(笑)。

とりわけ、図体がかさばるスピーカーはそれぞれに「持ち味」があり「これしか出せない音」があって廃棄処分にするにはどうしても忍びない。

人間にたとえると「スピーカーは外見であり、それに魂を吹き込むのがアンプである」という言葉を見かけたことがあるが、アンプ次第で様々な変貌をみせるスピーカーはいくつあっても楽しませてくれる。

というわけで、改めて我が家のスピーカーを数えてみると今のところ7系統ある。

ブランド名は省略してざっと挙げてみると、

 「スーパー10」+「ウェストミンスター」(以下「スーパー10」)

 「D123」+「075ツィーター」

 「AXIOM80」(オリジナル版)

以下は「SPスタンド」を利用するスピーカー

 「PL100」 「AXIOM80」(復刻版)  「ニューゴールデン8」 「トライアクショム」

というわけだが、今のところ「センター」の位置を占めているのはの「スーパー10」である。



このシステムはまだ「畏友」のYさんには聴いていただいてないので、18日(土)の午後に招待したところ、
一聴されるなり「ジャズサウンドにはピッタリですけど、弦楽器となるともっと中高音域の潤いが欲しいですねえ。」と、もろ手を挙げて賛成とはいかないご様子。

日頃から聴き慣れている「AXIOM80」(以下「80」)を基準にされているわけだが、「いくら何でも弦楽器において80と比較するのは酷というものですよ」と、思わず悲鳴を上げたが、なまじ80を持っていると、こういう風に比較されてろくなことがない面もあるようでして。

つまり「功罪相半ば」という言葉がピッタリ~(笑)。

Yさんについてもシステムのほんのちょっとした弱点でも見逃さないので、ついこの言葉を進呈したくなってしまう。

結局、この日は以後「80+ウェストミンスター(サブウーファー)」を真打にしてから帰っていただいたが、いつも80ばかりスポットライトが当たるのもちと面白くない。

一旦、気を鎮めてから「スーパー10」の低音域は非の打ちどころがないんだから、中高音域を何とかもっと魅力的に出来ないものか、と復活戦を粘ってみた、そして、その手立ては・・。

二つの方法がある。

1 「スーパー10」にコイルとコンデンサーを使って2ウェイ方式にしてツィーターに手持ちの「スーパー3」を持ってくる

2 駆動するアンプを代える

1は大掛かりになり過ぎるので、今回はとりあえず2の方法で対応することにした。

さて、どのアンプを持ってこようかな・・。

ふと「アンプに困ったときは古典管の71系アンプを使えばいい」という言葉を思い出した。

「スーパー10」は能率が95dbくらいなので「71系」の出力で十分だろう。



このアンプで聴いてみると「WE300Bシングル」と較べてレンジを欲張ってない分、高音域にクセがないのでとても聴きやすく相性としてはこちらの方が上だね~。

イメージとしては「鋭利な刃」があまりにも切れすぎて「もろ刃の剣」になり、安心感のある「鈍刀」に負ける感じ、かな。

改めて温厚な「71系」の良さを堪能しながら、しばらくこれで聴いてみることにした。

やはり、いつ出番が回ってくるか分からないので命尽きるまでアンプの整理はできませんなあ~(笑)。


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読書コーナー~夢を見るとき脳は~

2021年12月20日 | 読書コーナー

ときどきおかしな夢を見る。

たとえば「クルマで坂道を登っているのに逆に下がり続けてブレーキを踏んでも止まらない」という冷や汗が出るシ~ン、さらには「自宅療養を終えて職場に復帰したところ、見知らぬ顔ばかりで自分の机さえもない」、こうなるとほんとうに心臓に悪い(笑)。

「どうしてこんな重苦しい夢を見るんだろう」というのが長年の疑問だったが、それに終止符を打てそうな本に出会った。



期待しながらざっと一読してみたが、専門家向きの内容みたいでとても歯が立たなかった。

とはいえ、分かったことが一つ。つまり「夢に関してはまだ未解明のことばかり」ということだった。たとえば106頁。

1 脳はどうやって夢を生み出すのか

2 夢にはどんな役割があるのか

3 その役割を果たすために、なぜ夢を見なければならないのか

答えはこうだ。「すべて、わからない」。

終わりに男女を含めて「今まで見たことのある典型夢の順番」というのがあった(182頁)。

1 追いかけられるが無事だった夢

2 性的経験の夢

3 学校/教師/勉強の夢

4 落下する夢

5 遅刻する夢(列車に乗り遅れたなど)

6 生きているはずの人が死んでいる夢

7 落ちる寸前の夢

8 空を飛ぶ、あるいは空高く上昇する夢

9 試験で失敗する夢

10 何度も試みるがうまくいかない夢

11 恐怖で身体が凍りつく夢

12 身体的な攻撃を受ける夢(殴られる、刺されるなど)

13 死んだ人が生きている夢

14 部屋に何かの存在を強く感じるが見えたり聞こえたりはしない夢

15 子どもに戻った夢

これらから類推できるのは「日頃から抑圧された感情」が元になった夢が多いということで、これで「楽しい夢」が少ないことにも頷けそうだ。

次の本はこれ。



読んでいてとてもご機嫌になれる本で一気読みしてしまった。こういう本は珍しい。


小説家、逢坂剛、77歳。

直木賞をはじめ数々の受賞歴を持ち、小説家として第一線で活躍し続ける一方、フラメンコギター、スペイン語、古書収集、野球、将棋、西部劇などの映画に精通し、多芸・多趣味でも知られる。

ユーモラスで温厚な人柄から、敬意と親しみを込めて「剛爺(ごうじい)」と呼ばれる小説家の<上機嫌生活>指南書。

人生100年時代。仕事も趣味も楽しみ尽くして、日々を機嫌よく過ごすためのヒント満載。

下記、目次一部。

第一章 画家の父、母の早世、二人の兄
~探求心は職人気質の父から、勉強は秀才の長兄から、遊びは多趣味の次兄から学ぶ 

「小説家」の原点は画家の父/母の思い出/六畳一間の男四人暮らし/兄二人から教わったこと/好きなことにお金をつぎ込む癖/ふるさとは神保町

第二章 ハメットと出会った十代、開成での六年間、ギターまみれの大学時代
~自主性を学生生活から、創作姿勢をハメットから、修練の達成感をギターから得る

自主性を学んだ開成時代/「文才があるね」。背中を押した教師のひとこと/ハメットという衝撃/英語が上達したわけ/第三志望の男/法曹界を目指しかけるも……/ギター三昧の大学生活/探求の楽しみを知る

第三章 PRマン時代、スペイン
~第三志望の就職先でも、知恵と工夫で仕事は面白くなる

再び、第三志望の男/楽しみを見出す、つくり出す/趣味道楽こそが本業なのだ/初めてのスペイン、一生の出会い/どんな仕事も面白がる

第四章 二足のわらじ、直木賞受賞、サラリーマンと執筆と
~会社員と小説家の兼業をこなす中、生涯書き続ける決心をする
会社員生活の傍ら、小説執筆を再開/プロの感想を聞きたくて/“兼業作家"としてデビュー/無理なく続いた「二足のわらじ」/自分にとって最適なリズムで/オリジナルをとことん楽しむ

第五章 多彩、多芸、鍛錬と開花、幅広い交友
~好きな街に身を置き、リズムとリフレッシュを交え仕事と長年の趣味に没頭する
日常に、文化の薫りを/永遠のマイブーム/リズムとリフレッシュ/趣味はいつでも見つけられる/愛しの古本コレクション/オーダーメイドの楽しみ/逢坂流・語学上達のこつ/五十を過ぎて、野球チームを結成/いつまでも動ける体を維持する/趣味仲間とディープに交流する

第六章 “終活"より“修活"だ!
~断捨離するより愛着品を楽しみ尽くし、争いごとは遠ざけて、上機嫌で過ごす
好ききらいに忠実に/一番の刺激は、がんばる同世代/終活? まっぴらごめん!/シャープの〈書院〉よ、いつまでも/話術はメモから/不便から学ぼう/DIYの楽しみ/夫婦共通の趣味は食べ歩き/まだまだ捨てたもんじゃないぞ、街中の人情/若き編集者に出した“宿題"/調べずにはいられない!/機嫌よくいる。それが一番/争いごとを引き寄せない/年をとったら兄弟仲よく/一生勉強!(いや、道楽気分)/一度きりの人生、好きなことを

以上のとおりだが、人生の岐路となる大学受験、そして就職試験と失敗を繰り返しながら、いっさいめげずに前向きに取り組む姿勢に感心するし、損得を抜きにして「好きなことに一生懸命打ち込む」ことに大いに共感を覚えた。

「趣味を楽しみ尽くす」まさにそのとおり!

「負けてはおられないぞ」と、勇気百倍(笑)。



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「ルーム・アコースティック」への挑戦

2021年12月19日 | オーディオ談義

つい先日の「素敵なオーディオ愛好家の再登板」に登場していただいた「涌井」さん(東京都)の「ルーム・アコースティック」への熱意に触発されて、我が家もと一念発起してみた。

というのも、丁度メインのスピーカーがこれまでよりもずっと高い位置になったので何とかせねばと思っていたから。



そこで、次のようなチャレンジを。

 正面に位置するテレビの画面に「卵トレー」を被せる

両端のスピーカーの間になるべく物を置かないと心がけているオーディオ愛好家は多い。皆様もお気づきのように熱心な愛好家ほどそういう傾向にあるようで、おそらく重要な音場が乱れると感じておられるのだろう。見かけも悪いしね~(笑)。

我が家では「3台のDAC」「2台のプリアンプ」などを日替わりで使っているので、配線の関係上やむなく機器類を中央に置かざるを得ないのだが今回のSPの高い場所への移動でようやくその呪縛から解放されることになった。

となると、目障りになるのがテレビ(55インチ)である。これまででさえも大きな画面からの音の反射が気になっていた。

そこで、次のように既存のカーテンレールの”輪っか”を利用して反射材を取り付けてみた。

凹凸のある分厚い紙製の卵トレーは自宅分を含めて家内の友人からいただきこれまで大量に保管していたもので、とうとう出番がやってきた。

小型の「Wクリック」で挟み込んで縦に3連にしている。大画面に並べる個数は縁起を担いで素数の「7」個である(笑)。支持棒で簡単に移動できるのがミソである。



聴取位置から見るとこのとおり。



CDを聴くときはもちろん、ドラマやニュースを視聴するとき以外の、テレビを利用して「ブルーレイ」に録音した音楽を聴くときはこういう状態で聴くことにしている。

 ユニットの真横と後ろの壁にも「卵トレー」を配置



聴取位置の後ろの壁にもこの通り。



 リスナー席の位置を高く上げる



部屋の入り口はご覧の通り「二重扉」にしているが、椅子の下に20cmほどの台を敷いてみた。もともと、リスナーの耳の位置は中高音域のユニットの高さぐらいにするという不文律があるがこれでピッタリと適合した。

なお、これらの対策は「音を良くする」というよりもむしろ「音を悪くする要素」を取り除くという表現の方が適切だろうが、試聴してみたところ何だか「耳障り」の音が少なくなって気持ちよく聴ける気がしてきた(笑)。

たとえば、いつも朝5時ごろからネットラジオで「モーツァルトの専門チャンネル」(ドイツ)を聴いているが、だいたい9時ごろにはお終いにするのだが、つい時間が伸びて「ながら聴き」でも午前中いっぱい鳴らすといった具合で、これは耳が疲れなくなった証左ではなかろうか。

たまたま、家内が朝のウォーキングに出かける前にオーディオルームに入ってきたので「どうだ!」と自慢げにデコレーションの労作を見せたところ、

「まあ・・」と露骨に眉を顰めて「ちっとも見かけが良くないじゃない、まったく変人ね! だいたいゆったりと音楽を聴ける感じじゃないわ。もっとゴージャズな雰囲気にしたらどう?まるで理科の実験室みたい」

やはり「縁なき衆生(しゅじょう)」ですな、この人は(笑)。

今回の挑戦はお金がかからなかったのが特筆事項で、何しろ100均で購入した「小型のWクリップ」代の2個分だけなんだからとても満足(笑)。


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素敵な「モーツァルト愛好家」のご登場

2021年12月17日 | 音楽談義

先日のブログの冒頭でこう記していたことをご記憶だろうか。

「読書のプロが薦める本でも実際に読んでみると当たりの確率は低い、ましてや「音楽&オーディオ」において「好みの音楽」や「好みの音質」が一致することは極めて珍しい」(趣旨)

ところが、その「舌の根」も乾かないうちに次のようなメールが届いた。

匿名ということで無断転載お許しください。あえて「原文」のままにさせてもらいます。

「ブログは欠かさず拝見させていただいております。たしか2回ほどメールさせていただいたMと申します。

さて、今回は私もまったく同じ思いを持っていたのでメールいたします。

”オペラは別として交響曲やピアノ協奏曲は何度も聴くとやや飽きがくるが、このピアノソナタに限っては、何かこんこんと尽きせぬ泉のように楽想が湧いてくる趣があり、モーツァルトの音楽の魅力が凝縮された独自の世界がある”

我が意を得たりです。私もピアノソナタが大好きで時間がなくて何かモーツァルトを聴きたいなと思ったときはピアノソナタを取り出してしまいます。全17曲、それぞれに魅力があって満遍なく聴いています。

全集としてはアラウ、グールド、バレンボイム、内田光子、ワルター・クリーン(LP)、ラローチャ、クラウス(新旧2種)、グルダ、ヘブラー(DENON)が手元にありますが、学生の頃(1971年)の最初に買った同曲の全集、吉田秀和さんの40数ページにわたる詳細な別冊解説が付いたワルター・クリーンのLPを、その解説書を読みながら聴き返しているところです。

なお、モーツァルトではやはりオペラ(特にドンジョバンニと魔笛)、ピアノソナタ、そして私はセレナードやディベルトメント等の音楽を好んで聴いてます。駄文失礼しました。」

と、以上の通りだった。

やはり世間は広いですね!

自分と同等、あるいはおそらくそれ以上の「モーツァルト愛好家」がいらっしゃるなんて~。うれしいやら、ガッカリするやら、複雑な心境に。

というのもモーツァルトの「天上の音楽」をこっそり独り占めにしておきたかったから(笑)。

「ピアノソナタ」は言うに及ばず、「ディヴェルトメントのK136」「セレナードのK250、ハフナー」、そしてオペラのジャンルにおいて「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」は甲乙つけ難しで、いつもどちらを上位にするかで迷っているほどで、ほんとうにこれほどまでに「好み」が似通っている方はMさんが初めて。

ひとくちに「クラシック」といっても裾野が広いが、モーツァルトは他の作曲家たちとは曲風からしてまったくの別物で
「クラシック」の枠内に留めておくのは適当ではないと秘かに思っている。

何しろバッハは線香臭いし、ベートーヴェンは押しつけがましいし、他は群小音楽に等しい・・・。

そういうわけで「モーツァルト」という独立したジャンルがあってもちっともおかしくない・・。そして、他の作曲家たちは「十把ひとからげ」で「クラシック」の範疇に叩き込んでおけばいい(笑)。

それほどの存在感があるモーツァルトなのに、どんな曲を聴いてもあまり興味が湧かない、さらには「食わず嫌い」の方がいたとしたら実にもったいない話だと思う。

「どんな曲でも20回ほど聴けば”口(くち)ずさむ”ほどになる」というのが通説だが、ひとつ騙されたつもりで「ピアノソナタ」をカーステレオでもラジカセでも構わないので何回も聴いてみてはいかがだろうか。

CD希望者には何とかします。「メルアド」分かりますよね~(笑)。

それで、もし好きになれたとしたら、あなたはお金には代えられない「人生の財産」を手に入れたことになりますよ!

そして、そういう「心の豊かさ」にもし貢献できたとしたら、このブログの存在価値もあろうというものです(笑)。


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オーディオ愛好家のご来訪~2021・12・13~

2021年12月16日 | オーディオ談義

「3日天下」という言葉があるが、我が家もその例に漏れない。

な~に、オーディオの話である(笑)。

どうも同じスピーカーを3日くらい聴いていると、ほかのスピーカーに代えたくなるのである。その理由はもちろん飽きもあるが、やはり何かしらの欠点が鼻ならぬ「耳」についてきてモヤモヤしてくるのだ。

定評のある「AXIOM80」だって低音域にどうしても不満が溜まってくるのだから仕方がない。

こうなると、悲しいことに「俺は音質のアラを見つけるためにオーディオをやっているんだろうか」と自虐したくなるほど。

ところが、このほど構築したシステム(下記の画像)はもう1週間以上にもなるが何ら不満が溜まらないまま不動の位置を保っている。まったく代える気が起こらない。こういうことは極めて珍しい。


鮮烈な中高音域と豊かな低音域とが相俟って何ら不満の出てこない「極上のサウンド」である。

ただし、単なる自己満足に過ぎないのかどうかそれはわからない(笑)。

こういうときは他者のご意見によって自信を深めたいところだが、この程タイミングよく格好のお客様がお見えになった。

「豊後大野市」という県内随一の「穀倉地帯」に居住されている「YA」さん。別府からクルマで(高速経由)50分ぐらいの所なのでそう頻繁には往来できない。

若い頃は「魚釣り」が大好きだったそうだが、自分も当時は「死ぬときは防波堤の上でもいい」というほどの「釣り好き」を自認していたので大いに親近感を抱いている。

「釣り」は「太公望」という言葉があるようにのんびりと釣り糸を垂れているイメージがあるが、実際にはあれこれと気を張っておかないと出来ない趣味である。

たとえば、魚種に応じた釣り針の大きさ、錘の大きさ、ハリス(糸)の太さ、餌の鮮度、撒き餌の打ち方、移り変わる潮の状況などを常にインプットしながらの「人間と魚の騙し合い」なんだから~。

オーディオにも共通点があって、決してのんびりした趣味ではなく、つねにあれこれ気を回さないと上達できない趣味だと思っている。


YAさんは、ご自宅ではJBLの本格的な「3ウェイシステム」を実にうまく調教されている。

このところ、ご無沙汰気味なので「調子はいかがですか・・」と電話をかけてみた。第二のお勤めをされているが、たしか月曜日(13日)はお休みだったはず。

すると「ちょうど今大分市内に居ます。これから自宅に帰るところですが、よろしかったら別府まで足を伸ばして聴かせてもらいたいのですがいかがでしょう」「どうぞ、どうぞ・・」というわけで、急遽午後の試聴会となった。

急いで室内の整頓に取り掛かって、比較的軽めのアンプや散らかっていた図書館の本をまとめて隣の部屋に移したり、衣服類の整理などでてんてこまい。

どうにか恰好が付いた頃に玄関のチャイムがピンポ~ン。

「JBL一辺倒」の
YAさんはジャズがお好きなのでこの日は「ブルーレイ」に録音した「ジャズ~ボーカル」を主体に聴いていただいた。

リモコンのスイッチ一つで次から次に簡単に(曲目が)ジャンプできるメリットは計り知れない。

YAさんの第一声は「ワーフェデールのスーパー10はジャズ向きですねえ」。

「そうですよ、コーン型ユニットなのにマグネットが強力ですからドライバー並みに音が飛んでくるみたいな気分になりますよ」。

どうやら気に入っていただいたみたいですね!(笑)

それからは、試聴しながら四方山話へ。

YAさんは凄腕の真空管アンプビルダーなので、話は自ずとそっちの方へ収斂する。

✰ 「新しいWE300B真空管の配給元は「トライオード」に決まりましたが、原価は〇円だそうです。しかし、我が家では「低音域」のアンプに「プスヴァン」(中国製)を4本使ってますが音質に不満を感じたことはありません。しかも長寿命でいまだにノイズひとつ出ませんよ。」と、YAさん。

そこで、「5年保証といっても、故障したら無償で取り換えるぐらいのものでしょう。1995年に再生産されたWE300Bには故障が多かったので、今回もしばらく様子見を決め込もうと思ってます。まあ、選択肢が広がるのは歓迎ですけどね。」

 フルレンジの「スーパー10」を駆動している300Bシングルアンプの出力管を「WE300B」から「6A3」に挿し代えて聴いてもらった。


本来であれば「差し換え」は不可能だが、我が家のアンプは設計上「挿し代えても大丈夫です」と「北国の真空管博士」からお墨付きをいただいている。

一聴されるなり「え~っ、カーテンをしたらWE300Bとまったく区別がつきませんよ~。ブランドはどこですか?」とYAさん。

「そうでしょう!PHILCOの刻印です。お値段の方は本家本元のWE300B(1988年製)の1/15程度ですからたいへんなお買い得品です。実はこの6A3は隠れた名管だそうで、現在別のアンプを6A3を出力管にしたアンプへと改造をお願いしているところです。」

ほかにも、アンプ関連で興味深い話をした記憶があるのだがどうも思い出せない。

2時間ほどで辞去されたが、これからの試聴会ではメモをとることにしようっと(笑)


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