「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオに終着駅はあるのか

2022年03月29日 | オーディオ談義

去る3月19日付のブログ「苦節50年の歩み・・」で、「AXIOM80」に「スーパーツィーター」(以下「スーパー」)を追加したおかげで好みのサウンドが出現し、興奮のあまり次のような記述をしたのをご記憶だろうか。

「これまで50年以上オーディオをやってきたが、これがベストの音だと断言していい気がしてきた。オーディオは終着駅のない世界だとずっと思ってきたけど、どうやら辿り着けたかなあ・・。まあ、瞬間風速にならなきゃいいけどね(笑)。」

すると、めざとくこの文章に気が付かれたメル友のKさん(横浜)から次のようなメールが舞い込んだ。

「長い道のりも頂上に!、これは○○さんらしくないお言葉。でもご自身では気づいていますよね。近づいてみたらその先に”雲に隠れてた”次の頂が。まだまだやるべきことは山ほどあると思いますよ。当面の期待は”聴こえぬはずの高周波”よろしくお願いいたします」

アハハ、さすがによく分かっていらっしゃる(笑)。

これまで、「もうこのサウンドで十分だ!」と、何度思ったことだろう。

それが1週間も経たないうちに、何だかおかしいなあ・・と、次々に不満点がでてくる。極端な場合は前日の夜に素晴らしいと感激した音が翌朝になると一変してどうも冴えないなあ、いったいどうして・・。

さしたる原因に気づかないままに、こういうことの繰り返しを懲りもせず飽きもせず延々と繰り返していくのがオーディオ愛好家の「業」というものだろうし、いわば「不満足」が常態となっているのに、「この境地もまた楽しからずや」という不思議な心理状態ともいえる。

ただし、今回の「スーパー」の件に限っては、もう1か月以上経つが今でもその効果と思い入れはまったく変わらない。

で、Kさんのご期待に沿って今回は「AXIOM80」のオリジナル版(初期版:自作の薄板の箱)に「スーパ-」を追加してみた。



初めは「リボンツィーター」(デッカ)を温存してワーフェデールのツィーターで鳴らしてみた。

「このツィーターでもなかなかいいじゃない!」というのが第一印象だったが、やはり念のためデッカに交換した。



「スーパー」をローカットするマイカ・コンデンサーは0.15μF(マイクロファラッド)。

「クロスオーバーネットワーク早見表」によると、10万ヘルツ以上でのローカットになるが、人間の可聴帯域は「20~2万ヘルツ」とされているのでまずもって聞こえないはずの帯域だが、このスーパーがあるだけで不思議にも録音現場の空気感が伝わってくるんですよねえ。

また「AXIOM80」にはやっぱり繊細なリボンツィーターの方が相性がいいことを確認した。

読者におかれては、自分の家のツィーターは帯域が軽く2万ヘルツ以上もあるので「スーパー」は必要ないという方が多数だと思うが、どんなに優秀なツィーターであろうとクロスオーバー(以下「クロス」)を1万ヘルツ以下に設定していると効果が薄い。

あくまでも、クロスを10万ヘルツ前後にして「スーパー」専用の真空管アンプをあてがわないと顕著な効果は望むべくもない。



折しも、25日(金)にオーディオ仲間のNさん(大分市)が別の所用で我が家にお見えになったので、聴いていただいたところ「スーパーの有るのと無いのとでは繊細感がガラッと変わりますね」と、感心されていた。

で、今では「スーパー」を付けていないあらゆるシステムは「高音不足」といっても過言ではないという気がしている。

理論と現象の食い違いはオーディオにつきものだが、そういう意外性に満ちているからこそ「オーディオ」はとても止められそうにないですね(笑)。


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モーツァルトが嫌いな作家

2022年03月27日 | 音楽談義

たびたび行く図書館の「新刊コーナー」の向かい側は「随筆コーナー」になっている。

つい先日のこと、めぼしい新刊がなかったので「どーれ、随筆でも読んでみるか」と、くるりと振り返って、つい手に取ったのが「春夏秋冬」。



著者は「宮城谷昌光」氏。中国の古典に題材をとった作品が多いことで知られるベテランの作家さんである。

読み進むうちにクラシックに関する記述に行き当たった。

指揮者「ブルーノ・ワルター」への礼賛がつづく中で、

「ワルターの演奏には指揮者そのものが鳴っている」(169頁)

「ところでこのレコード(田園)をとりだしたとき、いっしょにモーツァルトの交響曲第39番・第40番が出てきた。むろんワルターがコロンビア交響楽団を指揮したものである。

・・そういえばこのレコードもよく聴いた。こうなると私はベートーヴェンとモーツァルトの音楽へはワルターに導かれて入ったことになる。

たしかに私は高校生になってから10年ほどモーツァルトの音楽に没頭したが、あるとき酔いがさめたようにモーツァルトから離れた。ブラームスやマーラーへ移ったともいえるが、そこにもワルターがいた。」

以上のとおりだが、実は宮城谷さんには「クラシック私だけの名曲1001曲」というもの凄く分厚い大著がある。



このブログを書くためにわざわざ図書館から借りてきたのだが、この画像からもその分厚さがお分かりのことだろう。

この大著についても随筆の中で次のような記述があった。(37頁)

銀座の伊東屋へ行った時のことである。エレベーターで上の階へ昇り扉が開いたので2,3歩踏み出したとき同じエレベーターに乗っていた中年の紳士から声をかけられた。

「宮城谷さんですね」「ええ、そうです・・」「私はあなたのあれを、もう8回も読みました」「はあ、あれ、といいますと」

私の作品の中で8回も繰り返し読まれる作品があるとは嬉しい限りなので、それがどの小説であるか、紳士の答えを胸をときめかせて待った。

「音楽のあれですよ」「あっ、あれですか」

小説ではなかった。その本とは新潮社からだした「クラシック私だけの名曲1001曲」である。

その日は不思議な日で、私は人と会わなければならなかったが、初対面のその人からも「あなたのクラシックの本、買いましたよ」と言われた。

私は音楽の専門家ではないが、その本はぞんがい好評で音楽界の人からも恵信をもらった。それらのことを思うと、後世、私は音楽評論家と間違えられて、「小説も書いていたんですって」などと言われかねない。この想像は、いたってつらい。」


たしかに、この音楽書は作家の余技にしては随分と手間がかかった力作であることを認めざるをえない。

で、ずっと以前にこの大著に目を通した時に大いに気になっていたのが、これら1001曲の中にモーツァルトの作品が1曲でさえも入ってなかったことである。

そのことを確認するために再度借りてきたというわけだが、やっぱり間違いなく入ってなかった。

当時は、宮城谷氏は生来の「食わず嫌い」かなと思っていたのだが、今回の随筆を読んで一時期でさえもモーツァルトに没頭されたことがあったことがわかった。

で、いったいなぜ「酔いが醒めたかのようにモーツァルトから離れた」のかという疑問が付きまとう。

まあ、「俺の勝手だろう」と言われればそれまでだが(笑)。

ただし、モーツァルトの場合、ベートーヴェンと違って交響曲はそれほど重要な位置付けを占めているわけではない。

オペラ、ピアノソナタ、各種協奏曲なども高い峰々にあたるので、これらを熱心に聴いてモーツァルトの良さをぜひわかってほしかったなあ・・、という想いがする。

以前のブログにも引用した事があるが、「神学の大家カール・バルトは毎朝まずモーツァルトを聴き、それから神学の著作に向かうと述べていたし、”重さが浮かび、軽さが限りなく重い”のがモーツァルトだとも言っていた」

この「禅問答」のような言葉はモーツァルトの音楽を心から愛している方には通じるものがあると思うし、(彼の音楽に)没頭する境地としてこれ以上の適切なものはないような気がする。

で、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というのか、まことに縁遠く感じてしまい、宮城谷氏の著作をいっさい読む気がしないのが不思議(笑)。


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終わり良ければすべて良し!

2022年03月25日 | 独り言

先日の2泊3日(2月28日~)の病院行き(検査入院)に続いて、3週間後の今回は3泊4日(3月21日~)の治療入院となった。

心臓血管(冠動脈)が動脈硬化により狭くなっているので手首の動脈からカテーテルを差し込んで全体的に血管を風船で膨らませて広げ極端に狭くなったところは「ステント」(網目状の金属)を入れて補強するという手術。

ご想像どおり、あまり気持ちのいいものではないですよね(笑)。

手術は2時間くらいだったが、手術台の上でじっと身動きもせず「まな板の上の鯉」の心境だった。事故率は0.4%くらいだからこの技術は確立されているともいえる。

予定どおり無事終了して残りはあと1本の冠動脈の治療となって、2週間後となった。

まとめて治療をやってくれればいいのにと思ったがいろいろ病院側の事情もあるようでして・・。

というのも、とある病院関係者から「ここだけの話ですよ」と、伺ったことがある。

「ステント設置は結構な高度医療(100万円以上)なので、医療機関(総合病院)の経営を考えると心臓外科手術に並ぶ収入源です。

毎月「診療科長会議」があり、各科の収益の多寡を示します。黒字は心臓血管外科(これで病院が持っている)と循環器内科(黒字額はわずか)だけですよ。外科がトントンといったところです。黒字部門の部長・科長は胸を張り、他(赤字)は伏し目がちとなります」

ごく最近のことだが、懇意にさせてもらっている真空管アンプビルダーさんが、このほど大がかりな心臓外科手術(バイパス)をされたが、その治療費は400万円以上だったとのこと。もちろん保険が利くので自己負担は軽くて済む。

まあ、そういうわけだが、自分のケースでは冠動脈2本を続けて治療すると4時間ほどの作業となり、そうなると体力がもたないので後日の手術でも納得~。

で、手術後は経過観察ということで点滴を受けながら病室でじっとしていなければならない。

前回の検査入院の時に病室に「ブルーレイレコーダー」が設置されていたのを確認していたので、今回の入院にあたっては録りためていた2枚の「ブルーレイ」を持って行った。

2020年の後半に放映されていた「半沢直樹」シリ~ズ(全10篇)と洋画の「ラ・ラ・ランド」。

日頃「音楽&オーディオ」で忙しいので、こういう時じゃないとなかなか観る機会がない(笑)。

「半沢・・」はやはり面白かった。時代劇でいえば「勧善懲悪」というわけだが劇中で主人公が吐いた「感謝と恩返しの気持ちで働いているんだ!」という言葉にオッと胸を打たれた。

「感謝と恩返し」は、このところついぞ忘れていた言葉で「今のオーディオがあるのもいろんな人のおかげなんですよねえ!」(笑)。

この一連のドラマを見終わると次は「ラ・ラ・ランド」(アメリカ)。



ミュージカル映画で2016年のアカデミー賞6部門受賞という栄えある作品。

何もアカデミー賞を捕ったからといって好みの映画とは限らないが、少なくとも駄作ではないというお墨付きはある。

で、観終わった後の感想だがやや退屈なところもあったがラストが印象的だった。ハッピーエンドよりもこういう終わり方の方が後に尾を引いてずっと記憶に残りますね。

で、これを見終わった後でもさらに時間が残ったので図書館から借りていた「宮部みゆき」さんのミステリー「誰か」(2003年)を(病室で)読みふけった。



宮部さんの作品はストーリーの展開に妙味があっていつも感心する。

本書の裏表紙に次のような解説があった。

「今多コンチェルン広報室の杉村三郎は事故死した同社の運転手・梶田信夫の娘たちの相談を受ける。亡き父について本を書きたいという彼女らの思いにほだされ、一見普通な梶田の人生をたどり始めた三郎の前に、意外な情景が広がり始める。稀代のストーリーテラーが丁寧に紡ぎだした心揺るがすミステリー」

たしかに、息もつがせぬ面白さといってもいいくらいの展開にやっぱり「宮部さん」はうまいと感心するばかりだったが肝心のラストでがっかりした。

惜しいことに宮部さんの作品はどれもこれもラストがどうもしっくりこないのは自分だけかなあ・・。

「ラ・ラ・ランド」のラストとは好対照で、つい「終わり良ければすべて良し」という言葉を思い出した。

「人生」だってそうかもしれないですね(笑)。


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音楽はオーディオで楽しむに限る

2022年03月21日 | 独り言

およそ10年近い交流になるメル友の「I」さん(東海地方)。

九州と東海では距離がありすぎて一度もお会いしたことがないが、文面からして何かしら波長が合うので当方では勝手に百年の知己みたいな感じを抱いている。人後に落ちないミステリー好きというのも共通点。

で、オーディオ、ジャズとテニスがメインとなっているブログ「ジャズとテニスの雑記帳」をいつも拝読しているが、先日のブログで次のようなことが書かれてあった。(無断転載お許しください:抜粋)

「私は、装置の音の判断についてはロングターム・テスト風に考えます。

毎日聴いていて、心地良く聴けるかどうかが判断基準です。

心地良くといっても、”ソフト”という意味ではなく、その音楽らしく聴こえるかどうかが基準です。もちろん、私の考える、その音楽らしさという意味です。

具体的に言うと、管楽器のリアリティとウッドベースのスピードが大事になります。

生演奏は聴きに行きますし、オーディオの参考にもしますが、そこを目指すことはしません。

生の音が最高とは感じません。

天に唾する発言かも知れませんが、私は「音楽は、オーディオの方が、より楽しめる」と思っています。」

以上のとおりだが、実は私も同感なんです(笑)。

九州の片田舎に住んでいると、都会とは違って一流のオーケストラなどを聴く機会がまったくないといえばウソになるが、ごく少ないのは事実。

で、そういうハンディにたいして負け惜しみ的に「音楽はオーディオで楽しむに限る」と己を慰めてきたのだが、都会にお住まいの方から「生の音が最高とは思わない」という声を聞こうとは思わなかった。

たしかに電気回路を通した音に「生の音」を期待するのは無謀だと思うが、その一方、一歩でも近づこうとする涙ぐましい努力を続ける方もいらっしゃるので、それはそれで立派なことなので謗るつもりは毛頭ありません(笑)。

で、それはさておき何といってもオーディオのいいところは普段着のままにいつでも気が向いたときにアンプ類のスイッチを入れるだけで、それも好きな曲目を選択して聴けるので助かる。

また何回も反復して聴けるところがいい。

たとえば途中からコンサートをドロップアウトしてスタジオ録音に専念した「グレン・グールド」(ピアニスト)はその理由の一つとして次のように語っている。

「ゴールドベルク変奏曲(バッハ)のどこをどう変奏したのかなんて、コンサートで1回聴いたくらいでは(聴衆に)わかるはずがない。何回も反復して聴かないと~」

で、前述した大変なジャズ通の「I」さんによると、「管楽器のリアリティとウッドベースのスピード」に重点を置いたサウンドとのことだが、エリック・ドルフィーの大ファンの「I」さんのことだから「アルト・サックス」の響きを念頭に置かれているのは間違いない。

ちなみに、ドルフィーは死の1か月前にジャズ史上もっとも有名な名言(肉声)を遺している。

「音楽を聴き終わった後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」

実はクラシックを愛好している我が家でも同じことが言えますよ~。

大好きなモーツァルトだが他の作曲家と違うところは管楽器の使い方がうまいしそれに熱心なことで、曲目の方も「ファゴット協奏曲」以下「クラリネット」「フルート」「オーボエ」「ホルン」と実に多彩で枚挙に暇(いとま)がないほど。

ワーグナーも管楽器の効果的な使い方をしている気がするが、他の作曲家となると押しなべて管楽器に関しては「?」かな。

次に「ウッドベースのスピード」はあらゆるオーディオ・システムの基本中の基本のような気がしている。

この「歯切れ」がよくないとサウンド全体が朦朧体となってしまうが、中にはその方が好きという方もいるのでその領分まで侵入する気は毛頭ない(笑)。

で、我が家の場合はクラシックが主体だから、それらに加えて「弦楽器」とりわけ「ヴァイオリン」がうまく鳴ってくれないと話にならない。

その結果、我が家の優先順位から行くと、1位がヴァイオリンの妖しい響き、2位が歯切れのいいウッドベース、3位が管楽器の美しい余韻といったところですか。

そういうわけで、改めて我が家の7系統のスピーカーを眺めてみると幸か不幸か古びた英国製に限られてしまうんですよねえ・・。

7系統のスピーカーはそれぞれ楽団みたいなもので、曲目とかその日の気分によって聞き分けしているが、まだ足りないくらいに想っている。

この果てしないオーディオ欲をいったい何にたとえればいいのか・・、常に飢えと渇きに苦しむ「餓鬼道」みたいなものかもね~(笑)。


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苦節50年の歩み・・・

2022年03月19日 | オーディオ談義

前々回の「波乱万丈の展開」からの続きです。

何度も書くようで「くどい!」
ようだが「スーパーツィーター」の出現によって我が家のオーディオは根底から揺さぶられている。

いや、けっして大げさではなく~(笑)。

ツィーターにピッタリ耳をくっつけて、ようやく微かに聞こえるような超高周波音がフルレンジの高音域と微妙に繋がって全体のサウンドを生き生きさせるなんて考えてもみなかった。

それにしても、これまでどうせ耳には聞こえないんだからと「超高周波音」をないがしろにしてきたのは迂闊だった。

人間の可聴周波数帯域が「20~2万ヘルツ」とされているのは間違いですね。

また、スーパーツィーターといっても普通のツィーターにマイカコンデンサーを使ってクロスオーバーを10万ヘルツ以上にとって鳴らしているだけなのに十分用を足すとはうれしい誤算。

で、近隣のオーディオ仲間とともに試聴会を開催してシステムの精度向上に挑戦してみたところ途中経過として記載していたのは、

1 AXIOM80を駆動するアンプ「PP5/400」の登板

2 スーパーツィーターを駆動するアンプに「6AR6」(三極管接続)の起用

以上が前々回までの内容だった。

そして「第3の波乱」は肝心の「スーパー・ツィーター」の交換となった。



当初に聴いていたのはワーフェデール製の強力なマグネット付きの「コーン型」ツィーターで、これで十分だと思っていたのだが仲間から次のような発言があった。

「これまで聴かせていただいたツィーターの中ではデッカのリボン・ツィーターが一番印象に残っています。2万ヘルツ以上の雰囲気感を出すとなるとリボン型が最適じゃないかと思うんですが・・」

そうですか・・。さっそく交換してみましょう。



リボン型ツィーターの難点は能率が低いことだが、「6AR6」のボリュームをフルにし、さらにマイカコンデンサー「0.075μF」を2個パラって「0.15μF」にして聴いてみた。



すると、サルバトーレ・アッカルド愛用の「ストラディヴァリ」が見事に響きわたった。

「これは素晴らしい、これこそストラディヴァリの音だと思わせる説得力があります。明らかにデッカが利いてますね。真空管アンプの倍音成分の表現力は凄いです。我が家のTRアンプではとてもこういう音は出せません。」と、Yさん。

「マイカ・コンデンサーを追加してデッカのクロスオーバーをもっと下げてもいいですけどね」

「いや、このままで十分でしょう。これ以上下げるとAXIOM80の高音域と喧嘩になりますよ」と、Yさん。

辞去された後で、クラシックからジャズ、ポピュラー、歌謡曲までいろんな曲目に耳を傾けたがすべて満点を上げてもいいほどの鳴りっぷり。

これまで50年以上オーディオをやってきたが、これがベストの音だと断言していい気がしてきた。

オーディオは終着駅のない世界だとずっと思ってきたけど、どうやら辿り着けたかなあ・・。まあ、瞬間風速にならなきゃいいけどね(笑)。

いずれにしても、好きだからこそ飽きもせずにコツコツツと続けてこられた「50年の歩み」だったが長いようで短かったなあ・・。

後は、「PP5/400」アンプの前段管の微調整と、今度はオリジナルの「AXIOM80」の方にデッカを載せて試してみよう。


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「東野圭吾」さんの新刊 → リサイクル図書 → 「月の光」

2022年03月17日 | 読書コーナー

クルマの運転中に携帯が鳴ったけど、出たくても出れないので自宅に戻って確認したところ、どうも相手先の番号に心当たりがない。

もしかして詐欺がらみかなと半信半疑で返信すると、「別府市図書館です。予約されていた本が入りましたので取りに来てください」

な~んだ、予約していたのをすっかり忘れていた。はて、どんな本だったのかなと、押っ取り刀で駆け付けると東野圭吾さんの最新刊だった。



出す本がことごとくヒットするベストセラー作家「東野圭吾」さんなので、新刊ともなると予約でもしておかなければ購読はとても無理。

それにしても、予約したこともタイトルまでも忘れていたとはご愛嬌(笑)。

次の予約の方々が目白押しなので急いで読み通したが、さすがに面白かった。相変わらず読者をぐいぐい引っ張ってくれますねえ。

以下、ネットのレヴューから共感したものを引用させてもらいます。

「マジシャンと言うよりペテン師▶︎中学の同窓会を控える真世。彼女の父は中学校の教師だった▶︎その父が同窓会の直前、殺された。連絡を受け実家に戻った真世は叔父の武史と再会する。彼は元マジシャンだった▶︎地元の同級生には漫画家で活躍する者、東京で会社を経営する者、町おこしを画策する者と色々いるがその中に犯人が…▶︎コロナ禍での社会情勢が書き込まれ、犯行の動機も、被害者の心情も理解出来た。でもかつての恩師にそこまでおんぶに抱っこかなっと言う点は疑問。武史のやり口はペテン師だったな。」

「今までに読んだ東野さんの作風とは、なんとなく少し違った感じで展開していくように思ったが、面白かった!たしかに〝名もなき町〟という設定で起きた、一人の元教職にあった者が殺害され、その犯人を探っていくという内容。

被害者の弟であり、かつて、アメリカでマジックを生業としていた主人公による、事件のトリックを明かしていくという内容は、読みやすくて良かった。この〝ショーマン〟の続編が出来たら、是非読みたい!」

と、いったところ。

肩の凝らない「ライトミステリー」という感じだが、これまでの作風からして東野さんに犯行の動機に重きを置いた重量感のあるミステリーを期待してはいけない気がする。

で、図書館でこの本を受け取って帰りかけたところ、出口のスペースに「リサイクル」図書があった。「自由にお持ち帰りください」とある。

「無料(ただ)」という言葉にいつも弱いのだが(笑)、どれどれと立ち止ってじっくり拝見。

どうやら展示してすぐのようで、好みの本や有名どころがかなりあった。



結局これらの6冊を持ち帰った。

そのうちの1冊「音の雲」(冨田 勲)は掘り出し物だった。冨田さんといえば何といってもシンセサイザーによる新しい音楽の創造だ。

ずいぶん昔のことだが、CD「月の光」をよく聴いたものだと懐かしくなって探してみるとようやく「ドビュッシー」のファイルの中にあった。特に曲目「亜麻色の髪の乙女」は記憶に残っている。




いつでも手軽に聴けるようにさっそく「ブルーレイ」に収納した。



久しぶりに聴いてみるとやっぱり抒情味に溢れていてとてもいいです!

冨田さんの作品はいろいろあるが、これが最高傑作だと思うし、自分独りだけで聴くのはもったいないくらい。

で、「ユーチューブ」でも聴けるようだが、もし本格的に聴きたい方がいらっしゃればメールください。手持ちの「○○R」の余裕の範囲内で対応します。


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波乱万丈の展開

2022年03月15日 | オーディオ談義

「我が家の音がずいぶん変わりましたよ、久しぶりにいかがですか?」

クルマでほんの10分ほどのところにお住いのオーディオ仲間「Y」さんに電話したのはようやく春めいてきた12日(土)の午後のことだった。

「ハイ、わかりました。今からお伺いしましょう」

Yさんは我が家のシステムに対して歯に衣を着せず率直に思ったままを発言されるので「ご意見番」として非常にありがたい存在である。

どんなに厳しいことを言われても不思議と不快にならないのはひたすら純粋に「音」を追及されているせいだろう。

さらに、実際にフルートを演奏され「生の音」にしょっちゅう触れられているので「鮮度」にはひときわ敏感のため繊細さが売りの「AXIOM80」にはぞっこんのファンでもある。

で、お互いの感性の一騎打ちになる試聴会はいつも「丁々発止」の感があってワクワクするが、今回はいつもより激しい波乱万丈の展開となった。

まず、試聴したシステムはこれ。



「AXIOM80」をフルレンジで鳴らし、サブウーファーは「ウェストミンスター」(赤帯マグネット付きの「スーパー12」を内蔵)、スーパーツィーターは強力なマグネット付きの「ワーフェデール」というメンバー。クロスオーバーは軽く10万ヘルツ以上。

まず順を追って述べていこう。

第一の波乱 

このところ、「スーパーツィーター」の登場によって高音域の不満が一挙に解決したので「AXIOM80」を駆動するアンプは「WE300B」シングルから「PX25」シングルに代えたのだが、じっと耳を傾けられていたYさんから「WE300Bと比べて何だかおとなしすぎるように思いますけど・・」。

「そうですか・・・、出力管を「PX25」から親分筋にあたる「PP5/400」(英国マツダ:初期版)に代えてみましょうか。」



所詮、真空管は消耗品なので満足のいくSPが登場するまではと、これまで大切に保管してきた「PP5/400」だが、この段階に至りようやく満を持しての登場である。

とはいえ、鳴らすのは3年ぶりぐらいなので、整流管を抜いて20分間ほどエージング。その間、Yさんには四方山話をしながら我慢してもらった。

この球にもピンからキリまであって、他の古典管と同様に押しなべて初期版が一番音がいいとされている。



これは「PP5/400」を真上から撮った画像だが、トップのマイカの部分がご覧のとおり「細身の長方形」になっているのが初期版の特徴である。

で、一聴されるなり「これは素晴らしい!情報量がPX25よりも上ですね。AXIOM80との相性からするとWE300Bよりもいんじゃないですか。澄み切った透明感といい、ヴァイオリン独特の濡れたような感じといいこの球の独壇場ですね」。

「そうですか、アンプもスピーカーも同じお国柄(英国)ですからね~」

これで、「AXIOM80」用のパワーアンプについては一件落着。これから「PP5/400」を常時使うことにしよう。

次に、

第二の波乱

「スーパーツィーターの威力は十分承知してます。我が家でもクロスオーバーを5万ヘルツにして使っています。問題は駆動するアンプの特性が対応できるかどうかだと思います。真空管アンプの場合、トランス類が邪魔して高音域がカットされているケースも多い気がします。」と、Yさん。

「なるほど、出力トランスは仕方がないとしてもせめてインターステージトランスを使ってないアンプの方がいいかもしれませんね。」

で、「6AR6」(3極管結合)シングルの登場となった。



我が家の中でこのアンプが高音域方向へのレンジが一番伸びているものの、「超高音域」だけ担当させるなんてもったいない限りだが、ベストサウンドを求めるとなるとやむを得ない。

前段管はもともと「6SL7」だったが、繊細さに不満があったので変換用ソケットを使って「ECC83」(テレフンケン)を使っている。

そして、ステージはいよいよ「第3の波乱」へと突入していく。

以下、続く。


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私のモーツァルト・ベスト5

2022年03月13日 | 音楽談義

つい先日投稿した「自称モーツァルティアンの独り言」は予想以上に好評を博して日頃にないほどのアクセス数だった。

「読者が欲しているのはこういう記事なんだよねえ」と思いつつ、メインとなるオーディオ記事もこういう風に行くといいんだけど~。

わかっちゃいるけど止められない(笑)。

で、この記事に対して読者からさっそく反応があって以前にもモーツァルト関連記事で参加していただいたことがあるMさんから「私もモーツァルト・ベスト5に参加させてください」とメールが届いた。

ハイ、大歓迎ですよ~!

以下のとおりご紹介させていただこう。無断転載お許しください。


以前にも似たような記事を拝見した時にメールを差し上げた○○です。

「私のモーツァルトのベスト5」ということで再びメールを差し上げた次第です。

第1位「ドン・ジョバンニ」

「魔笛」とは迷うところですが、ここ数年は「ドン・ジョバンニ」のほうを上にしています。ただ、ある日突然、逆になるかもしれませんが。

CDはあれこれと聴いてきましたが、結局はクリップス盤。シエピのドン・ジョバンニ、それを古いといいながらもステレオで聴けるのがなによりです。


なお「魔笛」は敢えてベスト5から外しました。


「ドン・ジョバンニ」との優劣をつけられるはずもないので、どちらか一つとしました。
モーツァルトのオペラを「魔笛」から入門したので外すには忍びないのですが。

第2位 13管楽器の為のセレナード「グラン・パルティータ」K361

これは不動の2位?

モーツァルトの作品の中で一番回数を聴いてきたのがこの曲で、とにかく、いつ聴いても、何度聴いても楽しい。

ただ、この曲をあげる人、特に専門家はいないようです。

たぶん曲としての出来がモーツァルトとしてはイマイチなのかも?

本当は1位にしたいのですが重量感に乏しい?よって1位ではなくて不動の2位ということで(笑)

演奏は。。。迷ったあげくコレギウム・アウレウム合奏団

第3位 弦楽三重奏の為のディベルティメント K563。

比較的若い時から、この曲に親しんできましたが、歳をとるごとにこの美しさ、純粋な音楽美が、心に染みるようになり第3位。演奏はフランス三重奏団。

第4位 ヴァイオリン・ソナタK526

図らずも(著者の)高橋さんと同じになりました。

クラシック音楽を聴き始めて間もなく何故かシェリングの全集を買い込みカセットに録音してクルマの中でも聴いていました。

当初はK304、K378、K379などを中心に聴いていましたが、今はK526がヴァイオリン・ソナタのベスト・ワンであり、全モーツァルトの作品のなかでもベスト5入りとなります。演奏は昔からなじんできたシェリング盤になります。

第5位 ピアノ・ソナタK331

やはりピアノソナタを外すわけにはいかないのです。曲は最初に聴いたK331。

一時はK576やK570などを好んで聴いていましたが、今は元に戻ってK331。特に第1楽章の主題と変奏曲が大好き。これを最初に聴いたのは中学時代。買ったのは25㎝盤で安かったバドゥラ・スコダの演奏。

毎日のように聴いていました。そのせいか今でも、この曲の第1楽章が鳴り出すと当時のこと、安物の電蓄の前で座って聴いていた自分を思い出します。

演奏は。。。極端に言うと誰の演奏でもいいかな?

と、言っては実もふたもないのでアリシア・デ・ラローチャのCDを取り出すことが多くなっています。

以上が私のベスト5となります。」

どうもありがとうございました。とてつもない「モーツァルティアン」がこの日本にもいらっしゃるようでなんだか楽しくなりましたよ。

で、どんな名曲にしろ耳に馴染んでくるとそのうち「飽き」がくるのが普通ですが、その点「ドン・ジョバンニ」はドラマティックな展開によって変化にも富んでいるので、いつ聴いてもフレッシュな感覚を覚えます。1位でも大いに納得です。

 

他の4曲も選ばれて当然の曲目ばかり~。

こういうご意見を頂戴すると、人それぞれに「モーツァルト・ベスト5」があっても少しも不思議ではないと思わせられますね。

何しろ35歳で亡くなるまで600曲以上にも及ぶ膨大な作品群があり、ジャンルもオペラ、シンフォニー、ピアノソナタ、ヴィオリンソナタ、管楽器の協奏曲、歌曲まで多岐に亘っているのだから選ぶのに一苦労。

ただし、そういう天才モーツァルトでも「根気と努力」の側面があることに気が付かせられたのがこの本。



図書館から借りてきた「モーツァルトのオペラ~全21作品の解説~」の裏表紙の画像で、これで彼が作曲したオペラの歴史が一目でわかる。

力作が後半に集中しているのがよくわかるが、そこまでに至る過程でこれほど多数のオペラがあったなんてまったく意外の感に打たれたが、これらの「習作」があったからこそ晩年のオペラ群の花が咲いたのだろう。

小さい頃にいくら神童とうたわれても歳をとるにつれ凡庸となっていく例がいくつもあるが、モーツァルトの場合はその逆でますます進化していることに気づかされる。

「天才とは努力しうる才だ」との言葉を文豪「ゲーテ」は遺したが、その努力をいっさい苦痛とは思わず楽しみに変えたのがモーツァルトの「天才の秘密」なんでしょうか。


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「超高周波音」が音の印象を変える~後編~

2022年03月12日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

どうせ人間の耳には聞こえないんだからと、これまで問題外にしてきた2万ヘルツ以上の「超高周波音」だが、サウンドの命運を左右するほどのきわめて大切な存在であることが判明した。

とまあ、ちょっとオーヴァーな表現だとは思うが(笑)、「我が家のオーディオ環境では」という条件付きの話なので、どこにも通用する事例とは思わないし、そもそも信用するもしないも貴方の自由なので念のため。

で、
歳をとると誰でもそうだが1万ヘルツ以上の高音域が聞き取りにくくなっているはずなのに2万ヘルツ以上の超高周波音の存在感が気になるなんておかしいと思うのだが、それがわかった気にさせられるのだから不思議。

理論と現象の乖離がいつも付きまとうのがオーディオだし、それがまた飽きない理由の一つだが、
メル友の「K」さん(横浜市)から次のようなメールが届いた。

タイトルは「好奇心に乾杯!」

「AXIOM80が楽しみです。それにしても○○さんの実行力(好奇心)に敬服。わたしなら「これで上手くいったから当面は」止めておこうと。
 
この力があれば「(心臓の)ステントくらいへっちゃら~」。

アハハ(笑)。

今回の実験に参加した「ツィーター」は初めに「075」(JBL)、次に「リボンツィーター」(デッカ)だったが、ほかにも試してみたくなった。



両方ともワーフェデールのツィーターでこれまで大切に仕舞っていた
。左側は型番がわからないが、強力マグネットに裏打ちされた切れ味のいいツィーターで便宜上「高性能ツィーター」としておこう。

右側は通称「スーパー3」で、赤帯マグネットが付いている希少品。



まず、トライアクショム(グッドマン)の上に載せたのは「スーパー3」。

マイカコンデンサー「0.075μF」を1個使ったので、クロスオーバーは15万ヘルツくらいかな。この辺になると人間の耳にはまったく聞こえないはずだが、音出ししながら耳をツィーターにくっつけるとほんの微かに聞こえるのだからこれまた不思議。

で、サウンド自体もどちらかといえば甘めのゆったりしたサウンドが特徴だった「トライアクショム」が、引き締まった瑞々しい筋肉質の音に変身したのだから驚いた。

超高周波音でサウンド全体がこれだけ支配されるんだから、これはたまらんなあ~(笑)。

次は、いよいよ「AXIOM80」といきますか~。

ツィーターには真打ともいえる「高性能ツィーター」の出番。



低音域はともかく「高音域」についてはまったく不満がないはずの「AXIOM80」だが「超高周波音」によって「鮮度と透明感」が果てしなく向上したのには参った!

これで「超高周波音」はシステムの周波数帯域をいっさい邪魔することなく魅力だけを追加してくれることを改めて確認。

以上手持ちの中から4つのツィーターを順次使ったことになるが、それぞれに持ち味があってアンプとの相性や性能の違いによってサウンド全体が大きく変化するのが興味深かった。

で、困ったことが一つだけある。

それはプリアンプの出力が2系統端子だけなので「フルレンジ」用と「スーパーツィーター」用に占領されてしまい、サブウーファー用の端子が足りなくなること。

で、インピーダンスの問題などいろいろ課題はあろうが、背に腹は代えられないのでこの際片目をつぶることにして、1系統増やして3系統にするとなると新たにシャーシに穴を開けて増設しなければ。

オーディオ仲間の「N」さん(大分市)に連絡して作業をお願いすると「ああいいよ、持っておいで~」とのことで、2台のプリアンプと「WBT端子」を持って行った。

シャーシに新しい穴を開けるとなると時間がかかり、2台合わせて3時間ほどの作業となったが見栄えもばっちりで無事完成。

「いくらお支払いしたらいいでしょうか」と、お訊ねすると「要らない、要らない・・」。

やはり持つべきものはオーディオ仲間ですね(笑)。

これで我が家のシステムは基本的なスタイルとして「フルレンジ」を中心にして上下に「超高周波音」と「超低音」で完全武装することとなった。

つい「鬼に金棒」という言葉を思い出した。

ロシアなんて怖くないぞ!?(笑)


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「超高周波音」が音の印象を変える~中編~

2022年03月10日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

人間の耳には聞こえないとされている「超高周波音」を付加することによってサウンド全体の印象が変わるなんて、オーディオ愛好家にはよだれが出そうな話なので(笑)、勇躍実験の運びとなった。

レコードと違ってデジタルサウンドの場合、どうしても繊細な高音域に不満が残るのだがその解決策となってくれるとありがたい。

で、スーパーツィーターには「075」(JBL)を使うことにしたが、クロスオーバーの設定をどのくらいにするか、なにしろ実験なので手持ちの「マイカ・コンデンサー」次第となる。



画像左側の「0.039μF(マイクロファラッド)」と「0.075μF」の2種類があったので、とりあえず前者を使ってみることにした。

「クロスオーバー・ネットワーク・早見表」によると、SPユニットのインピーダンスが8Ωの場合、1万ヘルツ(-6db/oct)の時に2μFだから10万ヘルツの時には0.2μFとなるので、0.039μFだと理論上は50万ヘルツぐらいかな。

50万ヘルツなんて人間の耳には聞こえっこないはずだが、それでも実際に鳴らしてみた。

ややこしい話は抜きにして現象面だけで勝負することにしよう、これまでどおりに(笑)。

プリアンプの2系統出力のうちの1系統を使い、075専用のアンプには「171シングル」を持ってきて接続。

で、実際に音出しし、075にしっかり耳をくっつけると微かに音が聞こえてくる程度。171アンプのボリュームは半分程度上げれば済みそうだ。

肝心のフルレンジ「スーパー10」(口径25cm)には「WE300Bシングル」を充てがって鳴らしてみた。

どのくらい音の印象が変わるか、まさにハラハラドキドキだったが、これは・・と思わず絶句した。

音の鮮度が抜群で爽やかな一陣の風が吹き抜けていくようなサウンドである。録音現場の空気感みたいなものが醸成されている。

ただしアンプのボリュームを上げ過ぎると「サシスセソ」がきつくなる感じなので微妙な調整が必要だ。

いずれにしろ、聞こえるはずのない超高周波がサウンドに大きく貢献するなんてまるで「目からうろこ」。

たとえて言えば、フルレンジの高音域が毛細管現象によって超高周波に引き寄せられていくような感じといえばいいのだろうか。

しばらく聴いていくうちに「075」でうまくいったので、デッカの「リボンツィーター」ならどうなんだろうと欲が出てきた。



これは075に比べてメチャ能率が低いのでアンプ側にもパワーが要求されるので「2A3シングル」(出力管:フランスVISSEAUX刻印)の出番である。

さらにクロスオーバーは片チャンネル2個の「0.075μF」をパラって「0.15μF」とした。計算上ではクロスオーバーは10万ヘルツを軽くオーバーする。

で、これまたハラハラドキドキしながら、2A3アンプのボリュームを全開にして音出ししてみるとこれがまた実に素晴らしいサウンドに(笑)。

075に比べると、いかにもイギリスのゼントルマン風の趣で「品」が良くてヴァイオリンとボーカルは最高の佇まいとなった。

これまで「リボンツィーター」の使い方には散々悩んできたが、こういう使い方をすればいいんだと心から納得。オークションに出さなくてよかった!(笑)

というわけで、これから我が家の7系統のシステムはすべて「超高周波対策」として「スーパーツィーター」を使うことに決定。

もちろん「AXIOM80」においても例外は許されない(笑)。

以下、続く。


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「超高周波音」が音の印象を変える~前篇~

2022年03月09日 | オーディオ談義

図書館で「音」と名がつく本を見かけたら、とりあえず借りてきて一通り目を通すことにしている。

で、先日「新刊コーナー」で目に触れたのがこの本。



さして期待もせずにペラペラと頁をめくっていたら、150頁に「超高周波音が音楽の印象を変える」との項目立てがあった。

オッ、これは面白そう!

大要次のとおり。

先に、唐揚げが食べ頃になると(油がはじける音に)超高周波音が含まれると述べた。超高周波音それ自体は通常聴くことができない「非可聴音」である。

このような空気振動は人の聴こえに本当に影響するのだろうか。

このことを確かめるために、楽曲音に超高周波音を付加するとその印象がどのように変化するのかを調べてみた。

つまり、同じ楽曲に「22~60KHz」を付加して聴取してみたところ、8名の印象評価の集計は次のとおり。



ご覧のとおり、1項目を除いてすべてプラス評価となった。

これらの結果が示唆するのは本来感じることができない超高周波空気振動が付加されるとその影響を受けて可聴音の空気振動の近くが変化するということである。

つまり、人は非可聴音を含めて音源の空気振動を知覚しているという可能性が考えられる。

考えてみると、可聴音は周囲に存在するごく一部の周囲の空気振動に過ぎない。自然界には人には音として聞こえない超高周波空気振動も多く存在している。

木々の葉のこすれる音、虫や鳥の鳴き声、潮騒や川のせせらぎなどの自然環境音には超高周波音が豊かに含まれている。これらの音源から可聴音を感じるときに同時に超高周波音も身体に受けていると考えることはごく自然であろう。


とまあ、以上のとおりだが、周知のとおり人間の可聴帯域は「20~2万ヘルツ」とされており、CDでは上限が2万ヘルツと頭打ちに
なっている。

しかるに人間には聞こえないはずの2万ヘルツ以上の帯域を追加することによって「可聴音の上限近くの空気振動が変化」し、音の印象が変化するというのだからこれは聞き捨てならない(笑)。

オーディオは理屈だけでは説明できないことに遭遇することが多いのだがこれは最たるものだろう。

むらむらとオーディオ魂が沸き起こってきて、さっそく実験してみたくなった。

「スーパー・ツィーター」っていったいいくらぐらいするんだろう。オークション・サイトを覗いてみると有名な「ムラタ」製があった。



お値段は7万円・・。実験するにはちょっと高いなあ(笑)。それに肝心の能率が「88db」と低くて真空管アンプ向きではない。

そこで窮余の一策として我が家の「075ツィーター」(JBL)をスーパー・ツィーターとして活用してみることにした。

なにしろ能率が「110db」とメチャ高いので小出力の真空管アンプで対応できるので助かる。

さて、どういうシステム構成にしようかとなると「フルレンジ」と組みわせるのが簡単そうだ。

つまり「フルレンジ + スーパー・ツィーター」

そこで、フルレンジはワーフェデールの「スーパー10」(口径25㎝)を活用することにした。

電光石火の思い切りで(笑)、これまで容れていた木製の植木鉢から外してグッドマン用のしっかりした板厚の箱に入れ、その上に「075」を載せることにした。



ポイントは「075」のクロス・オーバーをどのあたりで設定するか・・。極小値のマイカ・コンデンサーの出番となる。

以下、続く。


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自称「モーツァルティアン」の独り言

2022年03月07日 | 音楽談義

これまで50年以上にわたってモーツァルトの音楽を鑑賞し、同時に文献を読み漁ってきたので、自称「モーツァルティアン」としての「愛好ぶり」については誰にも引けをとらないつもり。

ん、「モーツァルティアン」って?

ほら、ワーグナーの音楽の熱狂的なファンを「ワグネリアン」と呼ぶが、それと一緒です。

で、先日出かけた図書館の新刊コーナーで目に触れたのがこの本。



著者の「
高橋英夫」さんといえばモーツァルトの愛好家兼研究家として名前だけはよく存じ上げているが、たしか7年ほど前にお亡くなりになったはずなので遺稿集のようだ。

「上から目線の物言い」でまことに恐縮だが、モーツァルトに関して知らないことはないと自負しているので、どうせ目新しいことも書かれてないだろうから借りようか、どうしようか・・。

一応試しに本を取って「目次」をぱらぱらとめくってみたところ、「私のモーツァルト・ベスト5」という項目があった。

ウ~ム、どれどれ・・。

その人の好みの曲目を見ればほぼ「愛好度のレベル」がわかる。

もし「ピアノ協奏曲」などであれば、自分の「物差し」ではまあアウトですな(笑)。これら一連の協奏曲を聴くたびに、つい「才能の無駄遣い」という言葉を思い出す。

で、その順位とは次のとおりだった。

1 「魔笛 K620」 ベーム/ベルリンフィル

2 「ヴァイオリン・ソナタ K526」 シェリング/ヘブラー

3 「交響曲25番 K183」 ワルター/コロンビアpo

4 「デュポールのメヌエットによる変奏曲 K573」 ハスキル

5 「春への憧れ K596」 シュワルツコップ/ギーゼキング

ウ~ム、「魔笛」が1位とは・・、お主(ぬし)なかなかできるな!(笑)

「音楽&オーディオ」の先達だった「五味康佑」さんの「好きなクラシック・ベスト20」の中でも「魔笛」が一番だった。

ただし、ほかの曲目はいいには違いないがベスト5に入れるほどではないと思う。

で、自分のベスト5は次のとおり。

1位 「魔笛」 ハイティンク指揮/バイエルン放送交響楽団

2位 「ドン・ジョバンニ」 フルトヴェングラー指揮・ベルリンフィル

3位 「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K364」 五島みどり/今井信子

4位 「踊れ、喜べ汝幸いなる魂よ K165」 コープマン指揮

5位 「ディヴェルティメント K136」 コープマン指揮

誰が何といおうとこれで決まり!(笑)

モーツァルトの音楽にほんとうに親しもうと思うのなら第一にオペラを好きにならないと話にならないし、それには「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」は絶対に外せない。

ある専門誌に「どうしようもないモーツァルト好きはオペラ・ファンに圧倒的に多い」とあったが、まさにその通り。

とまあ、いろいろ言ってみても「魔笛」が1位とは一目置きたくなるし、うれしくなったので借りてじっくり読むことにした。

以下、記憶に残った個所を記録しておこう。

173頁「私の実感ではモーツァルトはどんな気の合った仲間でも、いかに親密な相手でも人と一緒になって心を合わせて手と手を握り合って聴く音楽ではない。ひとりで聴く音楽、それがモーツァルトの音楽のように思われる」

※ これには思い当たる節があって、オーディオ仲間と試聴するときに自宅であろうと相手宅であろうとモーツァルトを聴くのはどうも気が進まない。なぜだかわからないが、自分の殻の中にひっそりと閉じこめておきたい音楽だといえばいいのだろうか・・。

201頁「もっとも短くて見事なモーツァルト論は僅々600字余りからなる林達夫の「遊戯神通(ゆぎじんつう)の芸術」という文章である。

これは中央公論社から出たレコードの「モーツァルト大全集」の内容見本に寄せられた推薦文だが、林達夫が現代芸術批判から入っていって、一息でモーツァルトを言い切っているのに感嘆する。

だがこの文章は単行本に入っていないので断念し、代わって西欧人が達成した見事な典型としてカール・バルトの本を挙げてみることにした」


202頁「神学の大家バルトは毎朝まずモーツァルトを聴き、それから神学の著作に向かうと述べていたし、”重さが浮かび、軽さが限りなく重い”のがモーツァルトだとも言っていた」

※おいらも毎朝起きぬけに「モーツァルト専門チャンネル」を聴いてまっせ~(笑)。モーツァルトの音楽の変幻自在で霊妙な佇まいを「軽さと重さ」で逆説的に表現するのは新鮮な印象を受ける。

211頁 「先生は弦の組み合わせの曲がお好きなんじゃないですか」と訊かれた評論家小林秀雄はこう答えている。

「そうかもしれないね。カルテット、クィンテットに好きなものが多いな。変わったものじゃヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲など好きだなあ、弦楽器というのは本当に人間的な感じが強いものだ。それにくらべてピアノは機械的すぎるんじゃないかな」

※ ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲「K423」と「K424」は完全に盲点だった。さっそくネットで注文したところなんと発送が5月6日の予定だって! もしお持ちの方があれば、こっそりとメール(メルアドは自己紹介欄)をいただけませんかね~(笑)。

212頁「僕(作家:大岡昇平)はモーツァルトが好きなことで人後に落ちないつもりである。個人的にはヴィオラの入ったK364がどうも好きだ。昭和12年ごろ、コロンビア盤をすり切ってしまったことがあるが20年経った今日でも趣味は変わらない」

稿を改めて「一番よく聴くのはK364である。初めて聴いたのはコロンビアの10インチ盤で緑のラベルが貼ってあった。演奏は忘れたがヴィオラはプリムロースだったはずである。これは小林秀雄が持っていた盤で、毎日少なくとも一度聴いていたらすり切れてしまった。(そのころ私は蓄音機を持っていなかったので毎日鎌倉の小林さんの家へ行って聴いたのである)」

※この曲目「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364」は自分でもベスト3にあげているほどで少なくとも毎日一度は聴いており大岡さんとはとても気が合いそうだ。

とまあ、以上のとおり小林さんや大岡さんなどかっての文壇の大御所たちのモーツァルトへの傾倒ぶりを知ることができて本書は予想以上の大収穫だった。

しかるに、現代の作家たちや評論家たちから「モーツァルトへの讃辞」があまり聞こえてこないのは淋しい限り。

まず百田尚樹さん、石田依良さんあたりが浮かんでくるが・・。

一般人ならともかく、「美意識」を生業(なりわい)としているんだからもっと多く居てもいいと思うんだけどなあ(笑)。


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真空管の栄枯盛衰

2022年03月05日 | オーディオ談義

我が家のオーディオシステムほど「真空管の恩恵」を受けている事例も珍らしいのではないかと、いつも思う。

10セットを超えるアンプは、プリ、パワーを含めてすべて真空管式だし、もし真空管が無くなったら我が家の音響システムは完全に崩壊してしまう。

過去に真空管以外のアンプもいくつか試してみたことがあるが、いつの間にか「神隠し」のようにいなくなってしまった(笑)。

で、今さらの話だが改めてなぜ我が家で真空管を重用しているのか述べてみよう。


ずっと昔といっても60年ほど前の話だが「トランジスター(以下、TR)素子」が登場したときに、もはや真空管は消えて無くなるという説がまことしやかに唱えられていた。

TR素子は長寿命だし、物理的数値にしても真空管に劣るところは何もないと言われていた。

実際にも真空管アンプは下火になってしまったが、今となっては完全に盛り返す勢いで、オーディオ仲間によると大半のTRアンプは哀れにもオークションで値がつかない状況だという。


いい事例が昔使っていたラックスの「SQ38FD」という真空管アンプで、いったん製造中止に追い込まれたものの、ちゃっかり真空管人気の復活にあやかって、いつの間にか息を吹き返してしまった。

真空管復活の主因としてはこれは個人的な意見になるが、デジタルの時代になって「音の響き方」が素っ気なくなり、そのマイナス面を少しでもカバーするためというのが当たらずといえども遠からずといったところかな~。(レコードの復活もその線上にあるのではないだろうか。)

つまり、言い古されたことだがどうも「真空管」と「TR素子」の一番の違いは「倍音の響き方」にあるようで、端的に言えば感覚的な話になるが音質に「潤い=濡れたような感じ」があるかどうか。(音を言葉で表現するのは難しい)

おっと、もしかして「倍音って何?」という方がいらっしゃるかもしれないので解説しておこう。知ったかぶりして間違ってたらごめんなさいね(笑)。

楽器が出す音はすべて「基音+倍音」で成り立っている。

ヴァイオリンでいえば「全体の周波数帯は180~12000ヘルツ」あたりとされており、このうち基音は「180~3000ヘルツ」あたり、それ以上が倍音であって楽器の音色は倍音の含まれ方しだいで決まるのでいわばきわめて重要な周波数帯といえる。

で、もちろんTR素子の方が原音に忠実な再生ができるので好きという方がいてもちっとも不思議ではないので念のため。


ただし、真空管と一口に言っても製造年代によって古典管と近代管に分けられる。

「古典管と近代管のいったいどこがどう違うのか」と問われても明確な基準があるわけでもないが、個人的には時代的な分水嶺として前述したTRが勃興してきた時代を境に区分されるのではないかと思っている。

TR素子が登場する前の古典管は、それはそれは真剣・熱心・緻密に製作されたものだが、変わり得る素子の登場によっていっきに熱気が無くなり、同時にコストばかりが重視され「ぞんざい」なツクリになっていったという推論に異論がありますかね(笑)。

そこで肝心の古典管と近代管の音質の違いについてだが、個人ごとに好みがあるのでいいも悪いもないが、一般的にチャラチャラして音に深みが無く寿命が短いし故障しやすいのが近代管の特徴でこの呪縛から解き放たれた球を個人的にはいまだ知らない。

そういうわけで我が家の真空管アンプ群はすべてと言っていいほど古典管(1940年代前後)で覆いつくされているが、これらの中でも「お宝的な存在」なのが、先日触れた整流管「OK-X213」に次いで「071」真空管。



以前のこと、我が家の古典管の主治医「北国の真空管博士」から、次のようなメールをいただいたことがある。

「1928年に発表されたARCTURUSのブルーチューブ071が手に入りました。

現在あなたの「WE300Bシングルアンプ」の前段管に使用されているトリタンのRADIOTRON UX171は1925年に開発が始まり1926年の中ごろに発売されていますのでほぼ同時期の製造ですね。 

半年後1926年の末頃には酸化皮膜フィラメントのRADIOTRON UX171Aが発売されます。 

ARCTURUSは071のほかに071Hという傍熱型と071A(0.25Aフィラメント)も1928年に発表しています。 

これら3種類が同時に併売されていたことになります。 

これは、ARCTURUSが今後どのような球が市場に受け入れられるのか様子をみていたのかもしれません。 

それぞれの特徴として、 

071A:フィラメントが省電力で安価 

071 :071Aよりもフィラメントハムが小さいがバッテリーの持ちが悪い 

071H:AC点火専用、造りが複雑で高価 

この中で生き残ったのは最も安価な071Aでした。  

ところがスピーカーの再生帯域が広い現在ではフィラメントパワーの大きな071や171の方が情報量が多く感じます。 

これは、UX245よりもフィラメントパワーの大きなVT52の方が評価が高いのと似ています。

今回お知らせした「071」はフィラメント電流が「0.5mA」で通常の71Aに比べると2倍になっています。前段管あるいは出力管として使い道も多いと思います。」

とのことだった。

このところ、健康に黄信号が灯っているので「宝の持ち腐れ」にならないようにしなくてはと、「WE300Bシングルアンプ」の前段管に使っているが、実はこのアンプの出番があまりない。


なにしろ、ほかのアンプがあまりにも粒ぞろいなので・・。

で、「いいコンディションで次代に引き継ぐのも良しとすべきかな~」と殊勝な思いに耽る今日この頃ですぞ(笑)。


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1に健康、2,3が無くて4が「音楽&オーディオ」

2022年03月03日 | 独り言

2月28日(月)から「2泊3日」の小旅行に行ってきました。

行く先は?

残念なことに「
病院(検査入院)」でした(笑)。

診察結果によると11年前に心臓に「ステント」を入れたときよりも症状が悪化しているとのことだが、自分にしてみればよくぞまあ「11年も持ってくれた」という気持ち~。

で、新たにステントを追加ということで、これから3週間おきに2回入院ということになりました。

どうやら食生活を含めて生活スタイルを変えた方がよさそうだが、何よりも楽しい「食」が制限されるのは嫌だなあ~。

まあ、なんとかうまく折り合いをつけていくとしよう。たぶん無理だろうが(笑)。

で、日頃になく病室のベッドでじっと横たわって考え事をしていると「ガンや痛みを伴う手術よりもまだましだよね~」などと巡らすうちに
過去記事「患者を殴る白衣の天使」をふと思い出してしまった。

以下、暇つぶしのつもりでご一読を。

看護婦さん(現在では看護師さん)のことを「白衣の天使」という。

傷つき、病む者にとって手厚い看護をしてくれる爽やかな白衣を身につけた女性はまさに天使のごとくにも思える存在。

今回は、その白衣の天使が「手術室で手術を受けている患者を怒声とともに殴りつける」
という話である。ちょっと変わった面白い話なので紹介してみよう。

先年亡くなられた作家「吉村 昭」さんは個人的に大好きな作家の部類に入る。冗長なところがなく実に簡潔な文体とリズム感がこちらの呼吸(いき)とピッタリ合っていて読みやすく自然に作風に溶け込んでいけるところが気に入っている。

大方の作品は読んでいるつもりだが、どちらかといえば長編よりもエッセイ風の小品が好みで、この「殴る白衣の天使」は次の
薄い文庫本に収録された小編。吉村さんの実体験にもとづいた話である。
   
       

吉村さんは20歳のときに喀血し、診察の結果、結核と判明、自宅で絶対安静の日々を過ごしたものの、体力が衰える一方で兄の知り合いの東大助教授の診断によると余命6ヶ月と断言された。

「死にたくない」その一念で、ある雑誌で知った手術による結核の治療法「胸郭成形」を受けるため東大付属病院に入院。

当時、「胸郭成形」術は開発されて間もない手術で、術後1年生存率がわずか40%、しかも肋骨を5本ほど取ってしまう土木工事のような荒っぽい手術。

また、麻酔法が未発達で全身麻酔をすると肺臓が圧縮されて患者が死亡してしまうので局所麻酔だけで手術するが、想像を絶する苦痛のため当時の手術場は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の巷(ちまた)だった。

「阿鼻叫喚」という表現とはまさに当を得ており、隣室にいた逞しい体をした中年の男性は手術途中で「やめてくれ!」と泣き叫んだという。

一方では25歳前後の〇〇さんという気丈な女性もいて、看護婦さんたちが言うには「〇〇さんは手術中泣き喚くこともせず、頑張りぬくんだから凄い、××さんも殴る必要がないと言っていた」。

××さんとは「患者を殴る白衣の天使」のことである。手術は通常5時間前後かかるが、その間、患者は激痛に耐えかねて泣き叫ぶ。慎重さを必要とする大手術に患者の絶叫は外科医の神経をいらだたせる。必然的にそれを制止させる行為が要求される。

そうした手術場の要請に応じて××さん、つまり殴る専門の看護婦さんが配置についていたというわけ。

彼女は、泣き喚く患者に「黙れ!」という怒声とともに頬に平手打ちをくらわす。
色白の肌をした目の細いちょっとした美人だが、腕も太い大柄の女性で、痩せこけた患者からみればすさまじい体力に満ちた巨漢にも思えた。看護婦たちの話によると大半の患者が××さんの殴打を受けているという。

そうした恐るべき白衣の天使が控えている手術場にいよいよ吉村さんが送り込まれる日がやってきた。

肉を切り裂き骨を切断する手術の激痛は、まさに地獄そのもので叫び暴れた。殴る白衣の天使もたしかに手術台の傍に立ち、決して本意ではないだろうがその日も殴らねばならぬと心の準備を整えていたはずである。

しかし、吉村さんは結局、彼女から殴られなかった。その理由は簡単、手術中「痛くナイッ、痛くナイッ」と、わめき続けていたから。

「痛い」と叫ぶかわりに「痛くない」と叫んだのは、我慢しようという気持ちがあったからで、それは「痛い」という叫びと同じ意味を持っている。
しかし、看護婦としては「痛くない」と泣き叫ぶ吉村さんを殴るわけにはいかない。

こうして手術は無事成功し、1ヵ月後には無事退院できた。切断された5本の肋骨は1年たつと両端から伸びてつながった。

その後社会人として働き、結婚し二児の父となったがこれはすべて手術のおかげと感謝しているものの異様な体験であっただけに、手術前後の2ヶ月に満たない期間のことが鮮明な記憶として今でも胸にやきついている。

殴る専門の白衣の天使もおそらく結婚して家庭の人となっているのだろうが、もしも看護婦を続けているとしても患者を平手打ちすることはもうないだろう。

現在は、麻酔術が急速に進歩していて、手術場で泣き喚く患者はもういない。
 

以上が、「患者を殴る白衣の天使」の真相である。

吉村さんの受けた手術に比べれば、どんな手術だって怖くない気になるのでこういう話は大いに励みになる!(笑)

それにしても入院中「音楽&オーディオ」に一度も思いを馳せなかったのは不思議。やはり健康あっての趣味!

で、結局のところ「1に健康、2,3が無くて4が音楽&オーディオ」といったとこですかね~。


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