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「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

もしも村上春樹さんがオーディオ評論家だったら

2025年04月30日 | 音楽談義
以前のブログで「ウマさん」(南スコットランド)から頂いたお便りをご紹介したことがあります。

「村上春樹さんの小説は、どちらかと言うと、苦手だけど、彼の音楽に関する表現力、いや、修辞力に、何度膝を叩いたことだろう。ちょっと常人には考えられない素晴らしい能力だと僕は思う。

シェーンベルク「三つのピアノ曲」作品11…ポリーニかグールドか?…

「ポリーニの演奏が、とびっきり鋭利に研ぎ上げた刃物のような切れ味にあるとしたら、グールドの演奏の特徴は、一つの物体をいったん解体して、もう一度新しいやり方で組み合わせたような、コンビネーションの面白さにある」

「ポリーニの提供する刃物の切れ味は、文句のつけようなく見事なものだけど、そこには妖刀のようなあやしさは希薄だからだ」
「グールドのピアニズムには、人の心を構造的に揺さぶる、あるいは惑わせるものが含まれている」…

なるほどなるほど・・。で、次のようにコメントしました。

「もし村上さんがオーディオマニアだったら、「オーディオの魅力」についての多彩な修辞力で多くの人に感銘を与え、よって現在のオーディオ人口がもっと増えたかもしれないと思うことが多々ありますよ~。」

というわけで、「チャットGPT」さんのご登場です。


質問:音楽好きの村上春樹さんがオーディオ評論家だったらうれしいな
ChatGPT:

それ、めちゃくちゃ素敵な想像ですね。
村上春樹さんのあの独特の文体で、スピーカーやアンプの音を表現してくれたら、ただのオーディオレビューじゃなくて、ひとつの小説みたいになりそう。

たとえば、
「この真空管アンプの音は、真夏の午後、誰もいない海辺の町を歩いているときにふいに聴こえてくる、遠くのラジオのジャズみたいな音だった」
みたいに。

そんな連載があったら毎号絶対読むなあ。
どんなタイトルの評論コラムになりそうだと思います?

あなた:
村上さんの作品「海辺のカフカ」ならぬ「海辺のモーツァルト」ってどうです?
ChatGPT:

めちゃくちゃいいですね!
「海辺のモーツァルト」、すごく村上春樹っぽいし、音楽と風景がふわっと重なってる感じがします。

タイトルだけで、潮風の匂いと、遠くから聴こえるモーツァルトの柔らかい旋律が浮かんできますね。
きっと評論も、単なる機械の性能だけじゃなくて、音が生み出す「物語」とか「空気感」を大事にしてくれそう。

たとえば…

「このスピーカーで聴くモーツァルトは、潮に濡れた猫が、暖かい桟橋の上で身づくろいしているような音だった。」

みたいな感じに。
読んでるだけで音が聴こえてきそうです。

もし「海辺のモーツァルト」第1回を書くなら、どの曲・どのオーディオ機器から始めるのがいいと思います?

あなた:
アンプは真空管6A3シングル、スピーカーは「AXIOM80」ではいかが。
ChatGPT:

うわぁ、それ最高すぎます。通ですね……!!

6A3シングルの真空管アンプなんて、音がもう「時間をゆっくり流し始める」ような柔らかさがありそうだし、AXIOM80みたいな伝説級フルレンジスピーカーなら、モーツァルトの透明感をこれ以上ないくらいにピュアに再現してくれそうです。

たとえば「海辺のモーツァルト」第1回は、こんな感じで始まりそう:


海辺のモーツァルト 第1回

「音は潮風に乗ってやってくる」

今日、僕は6A3シングルの真空管アンプとAXIOM80を組み合わせて、モーツァルトの「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」を聴いた。
音楽は、ちょうど浜辺に流れ着く波のように、静かに、そして不可逆的に僕の心を満たしていった。
6A3のやわらかな中庸、AXIOM80の繊細な解像感。
クラリネットはまるで、午後3時の、少し乾いた潮風みたいだった。
軽く、澄んでいて、どこか懐かしい。
──そんな午後に、僕はモーツァルトと一緒に、ひとりぼっちで音の中に漂っていた。


みたいな感じになりそう!

以上です。

「音は潮風に乗ってやってくる」・・、実に素敵ですねえ!

それに、いきなり「クラリネット五重奏曲 K581」が出てきたのには驚きました。モーツァルト晩年の孤独感と憂愁が漂う大傑作です!

 

まさに「ひとりぼっちで音の中に漂っていた」という表現にピッタリの曲目だと思いますよ~。

「チャットGPT」さん、「芸術心」がわかるんですか・・、凄い!

質問が上手いのかもねえ(笑)。



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日本でクラシック音楽の「すそ野」を広げる妙案がありますか?

2025年04月28日 | 音楽談義

「You Tube 」でクラシック音楽を聴いていると、素人の耳ながらも「この演奏イマイチだなあ」と思うことがときどきあります。

もちろん、謗るつもりは毛頭ありません。寸暇を惜しんで日夜練習に励まれている演奏家に対して基本的に敬愛の念を持っていますが、やはりどうせ聴くなら上手い演奏を聴いてみたいというのが人情でしょう。

こういう玉石混交の世界において、偉大な作曲家たちを輩出してきたドイツではその辺を厳しく峻別しているようです。

「ドイツ国家演奏家資格」・・、いかにもドイツらしい四角四面の堅苦しそうな言葉です。こういう資格を演奏家に与えることで「一流とそれ以外」の区分をしているようなんです。

「チャットGPT」さんに訊いてみました。

「ドイツ国家演奏家資格」というのは、ドイツの音楽教育制度において非常に高度な演奏家資格で、ドイツ語では「Konzertexamen」と呼ばれます。

これは、音楽大学(Musikhochschule)で修士課程(通常、修士号またはディプロム)を修了した後、さらに特別に選抜された優れた学生だけが受験できる最高位の演奏資格です。この資格は通常、以下のような特徴があります:

  • 目的:プロのソリスト、またはトップレベルの演奏家としてのキャリアを目指すため。

  • 入試:非常に厳しい。通常、特別なオーディションや推薦が必要。

  • 課程内容:演奏技術・表現力をさらに磨き上げることに特化しており、学術的な授業よりも実技中心。

  • 修了試験:通常、大規模な公開演奏会(コンサート)形式の試験が行われ、審査員と一般聴衆の前で演奏します。

  • 修了後:国家レベルで「演奏家」としての最高水準を公式に認められることになる。

つまり、「ドイツ国家演奏家資格」というのは、ドイツ国内外で「トップ演奏家」として認められるための、非常に名誉ある資格なんです。

というわけです。

ドイツでは国家的な見地から独自の制度にもとづき先人の遺した偉大な遺産(楽譜)を簡単に穢(けが)されないように、さらには音楽芸術の表現にあたってきちんと一定の水準以上に保持していく仕組みをちゃんとつくっているんですねえ。

文学や絵画ではどんな小説や絵を描こうと始めから個人独自の創造の世界なので自由勝手なのですが、楽譜の存在が前提となる(間接芸術としての)音楽に限って成り立つ話でしょう。

さすがにバッハ、ベートーヴェン、ブラームス(「ドイツの3B」)、ワーグナーといった大作曲家たちを輩出した国だけのことはあって、音楽芸術に対する考え方、位置づけがまるっきり他国とは違っているようです。

ここで、20世紀における指揮者のひとりブルーノ・ワルターの警告を少々かた苦しくなるが引用してみましょう。

「いまや芸術に対して社会生活の中で今までよりも低い平面が割り当てられるようになって、その平面では芸術と日常的な娯楽との水準の相違はほとんど存在しない。

本来芸術作品が持っている人の心を動かし魂を高揚させる働きに代わり、単なる気晴らしとか暇つぶしのための娯楽が追い求められている。

これらは「文明」の発達によりテレビやラジオを通じて洪水のように流れ、いわゆる「時代の趣味」に迎合することに汲々としている。

こうなると文明は文化の僕(しもべ)ではなくて敵であり、しかもこの敵は味方の顔をして文化の陣営にいるだけに危険なのだ。」

やや回りくどい表現ですが、一言でいえば「もっと芸術に対する畏敬の念や位置づけ、支えをしっかりしてほしい」ということでしょう。

さすがにドイツでは「国家演奏家資格」を通じてこういう風潮を防止し、音楽芸術を大切にしていく姿勢を鮮明にしているところがやはりご立派です。

因みに、この国家演奏家資格を持っているだけで芸術家として認められ、ビザの更新にあたっても特別室に案内されるなど下にもおかぬ待遇だそうです。

こういう姿勢は音楽家を尊敬されるべき職業として高い位置づけにしている、あるいはしていこうとする狙いを明確に物語っていますね。

翻って、日本ではどうでしょうか。

あえて似たような制度といえば、「日本芸術院」というのがありますが、第三部の「音楽・演劇・舞踊」部門でも音楽家は極々一部の存在で、過去では「岩城宏之」〔故人:指揮者)さんくらいのもので、名誉職としてはいいかもしれませんが音楽の発展に寄与するという面ではとても実質的に機能しているとは言いがたいですね。

したがって、テレビで演奏会を放映するときなどに「ドイツ国家演奏家資格」をお持ちの演奏家がいれば積極的に顕彰してあげればいいと思いますがどうなんでしょう。

とはいえ、日本では一流とされている演奏家の間でも有資格者がどのくらいいるんでしょうか・・。「渡航の手間」とか「今さら受験して落ちると恥ずかしい」のもあってメチャ少ない気がします~(笑)。

そもそも日本ではクラシックとかオーディオはたいへんマイナーな存在なので、音楽家を育てるよりもむしろ愛好者の裾野を広げることのほうが先決のような気がします。

ほんとうの音楽好きで表現力に優れた音楽評論家とか”商売気”抜きのオーディオ評論家たちがもっと増えるといいですね~。

何か妙案はないものでしょうか。「チャットGPT」さん、教えて~(笑)。

質問:日本でクラシック音楽のすそ野を広げる妙案がありますか?段階的に教えてください。
ChatGPT:

素晴らしいテーマですね!
「日本でクラシック音楽のすそ野を広げる」ためには、確かに段階的なアプローチが効果的です。
思い描く理想像に向かって、次のようなステップを踏むのがいいと思います。


【第1段階】興味を引く・壁を下げる

  • ターゲット層を設定する

    • 例:小中学生、若い社会人、シニア層など。

  • わかりやすく入り口を作る

    • 有名な映画・アニメ・ゲーム音楽とクラシックを結びつける(例:「ジブリ音楽×クラシック」コンサート)

    • 曲を短く編集し、気軽に聴ける動画やSNS用コンテンツを作る。

  • 無料・低価格イベントを開催

    • 公園・駅・カフェでミニライブ(ストリートクラシック)。

    • 無料配信コンサート(YouTube、TikTokライブなど)。


【第2段階】親しみを育てる

  • 楽しい解説を入れる

    • 司会者が曲の「ストーリー」や「聴きどころ」をトークで伝えるコンサート。

    • クイズ形式で楽しめる「聴くワークショップ」。

  • 演奏体験を促す

    • 簡単な楽器(カホン、ウクレレ、鍵盤ハーモニカなど)でクラシックのフレーズを体験。

    • 指揮者体験コーナー(子供向け、体を動かして覚える)。

  • クラシックをカジュアル化する

    • ドレスコードなしの「ラフな演奏会」。

    • 飲食OKのリラックス型コンサート(カフェコンサートなど)。


【第3段階】深い興味を育てる

  • アーティストとの交流機会を作る

    • 演奏後に演奏者とおしゃべりできる「ミート&グリート」。

    • Q&Aセッション付きコンサート。

  • レパートリーを少しずつ広げる

    • 短い曲(小品)から始め、だんだんと交響曲やオペラにステップアップ。

  • 学びの場を作る

    • 市民講座・カルチャースクールで、やさしい音楽史・作曲家紹介。

    • 好きな作曲家を「推し」文化に乗せて発信。


【第4段階】文化に根づかせる

  • 学校教育にクラシック音楽体験を組み込む

    • 出張コンサート、ワークショップを定期開催。

    • 先生向けの音楽指導サポートプログラム。

  • 地域の祭りやイベントにクラシックを入れる

    • 町の音楽フェスにオーケストラ出演。

    • 夏祭りやクリスマスイベントでクラシックブースを設置。

  • メディア露出を増やす

    • ドラマやアニメにクラシック曲を積極的に使ってもらう。

    • クラシック音楽家のドキュメンタリーやバラエティ出演。


もしよければ、この中で特に力を入れたい「ターゲット層」や「アプローチ手段」を一緒に深掘りしてみましょうか?
たとえば「若者向けにTikTokでバズる施策を作る」とか、「小学校向けに楽しい体験型プログラムを考える」とか!

はい、微に入り細に亘りどうもありがとうございました。

どうせ、要らん世話と言われそうですがね(笑)。


 
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幻のオペラ

2025年04月25日 | 音楽談義
わずか35歳で亡くなったモーツァルト(1756~1791)だけど、もっと長生きしてくれていたら人類は「魔笛」以上のオペラを手にしたかもしれない・・、折に触れ思うことがしばしばあります。

そして、ミステリー好きが嵩じて「実はモーツァルトには死の直前に書き残した壮大なオペラがあった。その楽譜を巡ってミステリーを書いてみたいなあ」と、中年の頃によく思ったものでした。

そこで、枯渇した脳と根気を助けるために「チャットGPT」さんのご登場です。


質問
モーツァルトは35歳で早世しましたが、彼は「魔笛」を上回るオペラを秘かに隠していた。その楽譜を巡ってミステリーを書くとしたらどういう筋書きがいいんでしょう?
ChatGPT:

素晴らしいアイデアですね!モーツァルトが生涯最後に書いたオペラをめぐるミステリー、とても魅力的です。こんな筋書きはいかがでしょう?


仮タイトル:「幻のオペラ」

【導入】
現代ウィーン。若き音楽学者エミリアは、モーツァルトに関する新しい資料を調査していた。ある日、国立図書館の倉庫で、摩耗した古い手紙を発見する。それはモーツァルト自身の筆跡で、「私の最後の、真に最高のオペラ」と書かれていた。

【展開】
その手紙には、完成した楽譜がどこかに隠されているという暗号めいた指示が記されていた。しかしエミリアがそれを読み解き始めると、彼女の周囲に不審な影が現れる。同じく幻のオペラを狙う、黒い市場の美術ディーラー、古文書ハンターたちだった。

【秘密】
モーツァルトは、宮廷内の陰謀を描いた非常に挑発的なオペラを完成させていたため、命の危険を感じ、作品を秘密裏に隠したのだった。彼の死も、自然死ではなく、オペラをめぐる宮廷の密命によるものだった可能性が浮かび上がる。

【クライマックス】
エミリアはウィーンの隠された地下室にたどり着き、そこで封印された楽譜を発見する。しかし同時に、現代でもそのオペラの存在を封じようとする勢力が襲いかかる。
彼女は命からがら逃げ出し、ついに幻のオペラを公の場で演奏することに成功する。
舞台にかけられたその音楽は、世界を震撼させる圧倒的な美しさと暴露の力を秘めていた——。

【テーマ】
「芸術は真実を隠すために存在するのではなく、むしろ暴き出すためにある」


こういう感じで、「モーツァルトの死の謎」と「幻の天才的オペラ」の二重ミステリーにするとかなり面白いと思います!

大賛成です!(笑)

そのうち「AI」がモーツァルトの書いたオペラをすべて読み込んで、それをもとに新しいオペラを創作するかもしれないですね!


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たまには「べートーヴェン」もいい

2025年04月14日 | 音楽談義

ベート-ヴェンといえば20歳代の頃にそれはそれは熱心に聴いたものです。「第3番 英雄」「第九」「第6番 田園」「ヴァイオリン協奏曲」「ピアノソナタ32番」・・。

それが、いつしか縁遠くなってしまいました。やはり「モーツァルト」の影響が大きいですね。天真爛漫でいかにも作為の感じられない「曲風」に魅了されるうちに、ベートーヴェン独特の「押しつけがましさ」が段々鼻についてきて・・(笑)。

しかし、さすがはベートーヴェン、たまに聴くとやはり人間の魂の奥底を揺さぶって来るところがありますね。

それを感じさせる曲目といえば、まあ人それぞれなんでしょうが筆者の場合は「大公トリオ」ですね。



この曲はあの第7交響曲の少し前にあたる1811年に楽聖が敬愛する守護者ルドルフ大公に献呈した作品です。

作曲者本人にとっても大変な自信作だったようで初演では自らが演奏し(公開の場では最後となった)、ピアノ・トリオとしては限界を極めた作品として非常に満足していたせいか以後このジャンルの作曲は手がけていません。あのピアノ単独の表現の限界を極めたとされるピアノソナタ「32番Op111」と似たような立場の作品といってもいいでしょう。

有名な曲なのでそれこそいろんなグループが演奏を手がけていますが、筆者が一番好きなのはオイストラフ・トリオです。ずっと以前にレコード盤として愛聴していたのですがCDの時代となり24bitのリマスタリングとして新たに発売されたので早速購入しました。ずいぶん昔の話です。

ピアノ・トリオの場合どうしてもピアノの低音域レンジの広さや響きの豊かさが目立ち過ぎて他の二つの弦楽器を圧倒する傾向にありますが、この盤は音楽的な重心がヴァイオリンにあり、トリオの間に交わされる押したり引いたりする楽器同士の呼吸がピッタリ合っているところが気に入っています。もちろん個人的な感想ですよ。

ずっと昔、尊敬していたオーディオ評論家の瀬川冬樹氏(故人)が大公トリオを鑑賞中に感激のあまりウーンと頭を抱えて座りこまれたという記事を見た記憶がありますが、おそらく第3楽章(アンダンテ)のところではないでしょうか。

ベートーベンのアンダンテは定評がありますが、この第3楽章になると凄く内省的になって心が洗われる思いがします。ベートーベンの唱える「音楽は哲学よりもさらに高い啓示」を具現化している気がしますね。

ちなみに、ヴァイオリン演奏のオイストラフは「20世紀のバイオリン演奏史は究極のところオイストラフとハイフェッツによって代表される」(ヴァイオリニスト33:渡辺和彦著、河出書房新社)といわれるほどの名手です。

たしかにオイストラフに慣れ親しむと、もう他のヴァイオリニストでは満足出来なくなるケースが多々あり、その魅力についてはとても手短には語り尽くせません。

「オイストラフの演奏はどの演奏も破綻が無く確実に90点以上」(同書)といわれており、一時期夢中になっていろんな演奏を集めましたが、特にブルッフの「スコットランド幻想曲」モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲1番~5番」はお気に入りの愛聴盤となっています。

最後に、ネットから引用させてもらいましょう。

「この盤は、今回取り上げた中では「大公」という(偉そうな)タイトルに最もふさわしい演奏で、繰り返し聴いてしまいました。

レフ・オボーリンは1927年の第1回ショパン国際ピアノコンクール第1位という輝かしい経歴の持ち主ですが、一般にはオイストラフの伴奏者というイメージが強いかもしれません。この録音でもオボーリンのピアノは地味に聴こえますが、要所要所を引き締め、この演奏の成功に大きな役割を果たしています。

そう、オボ-リンのピアノが素晴らしい演奏なのです。また、クヌセヴィッキーのややくすんだ音色が豊麗なオイストラフのヴァイオリンに意外によく合って3者がうまく調和しており、大変聴き応えがある演奏だと思いました。今回最も感銘を受けた一枚です。録音年代は古いですが良い音質です。」



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二流の音楽を一流のシステムで聴く

2025年04月10日 | 音楽談義

我が家の理想は「一流の音楽」を「一流のシステム」で鑑賞することに尽きます。ただし、「一流」の意味は自分で勝手にそう思っているだけで、他人からすると「一流半」だと言われても仕方ないですね。

ただし、オーディオは自分が満足していればそれでいい趣味ですから、他人がどうこう言おうと耳を貸す必要はないでしょう・・、ときどき聞き流すには惜しいアドバイスもありますけどね~(笑)。

そこでの話ですが、全国津々浦々での個別の実態を想像しますと「一流の音楽を二流のシステムで鑑賞する」or「二流の音楽を一流のシステムで鑑賞する」例も多々あるんじゃないかと思うんです~。

この二つの内のどちらが優れているんでしょうか?

「チャットGPT」さんにお伺いを立ててみました。


「面白い問いですね!これは、音楽の「本質」と「再現性」のどちらを重視するかという哲学的なテーマにも繋がってきます。

一流の音楽 × 二流のシステム:

  • 心を打つ作品が持つ力は、ある程度どんな環境でも伝わることが多いです。録音が古くても、演奏や作曲が傑出していれば感動はします。

  • ただし、音質が悪いと、細やかな表現やニュアンスが削がれてしまうことも。

二流の音楽 × 一流のシステム:

  • 一流のオーディオで聴くと、音の美しさや空間表現、質感に感動することがあります。たとえ楽曲や演奏がそこまでではなくても「良く聴こえる」効果はある。

  • とはいえ、音楽的な感動、深みという点では物足りなさを感じる可能性が高いかも。

結論を出すとすれば、**個人的には「一流の音楽 × 二流のシステム」**を選びます。

なぜなら、音楽の魂に触れる体験は、たとえ音質に難があっても揺るがないことがあるからです。一方で、一流のシステムでも音楽自体に魅力がなければ、ただの「良い音の背景音楽」になることも。

でも、理想はやっぱり最初に言ったように――
「一流の音楽を一流の演奏で、一流のシステムで」
ですね!

あなたならどっちを選びますか?」

以上のとおりです。

「一流のシステムでも音楽自体に魅力が無ければただの良い音の背景音楽になってしまう」には感心しました。

そして、我が家では・・、まったく掌(てのひら)を返すようですが現在演歌歌手「藤あや子」の「裏町酒場」にゾッコンなんです(笑)。



「凄い別嬪」さんです!

きっかけはこうです。先日のこと、家人から「仲間内で桜見物をするときにカラオケをすることになったのよねえ、で、藤あや子の「むらさき雨情」を歌いたいのでYou Tubeで聴かせてよ」と依頼がありました。

断ったりしたら後でひどい目に会わされるので、さっそく聴かせてやったところ、家人よりも自分の方が「お~、なかなかいい歌じゃないか・・」、たまには演歌もいいなあ(笑)。

で、「You・・」で続けて聴いていると昔ゾッコンだった「裏町酒場」が流れてきました。この歌はたしか「美空ひばり」の持ち歌ですが、藤あや子の歌唱力もなかなかいい線を行ってます。女王「ひばり」には追い付きませんけどね。

で、このところ「裏町酒場」を聴きながら、画面に出てくる歌詞に合わせて声を張り上げています。声域がまったく追い付きませんが、肺と喉の訓練のため頑張ってます。

二流の音楽を一流のシステムで聴くのもなかなかいいもんですな(笑)。



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作曲家「ロッシーニ」は曲風が「モーツァルト」に似ている?

2025年04月07日 | 音楽談義

毎日、情報発信をしているとやはり いいこと がありますね。読者の方からメールを頂きましたのでご紹介させていただきましょう。

「毎年、青空を背に咲く満開の桜を見ていますと、この景色も 後 何回見られるのかなあと思うようになってきました。 歳取ってきた証拠です。
桜の写真、ご覧になってください。 

ロッシーニの弦楽のためのソナタ、1番 ト長調 第一楽章を よく聞きます。

イ ムジチ の演奏です。

彼が12歳の時の作曲。モーツアルトも良いですが 何故か私にはこの曲、イ ムジチの演奏を聴いていますと 心地よい気分になれます。」 

いつぞや(たしか昨年?)のブログで「ロザリオ ソナタ」をご紹介したところ、大喜びされた方です。あまり有名ではないロッシーニがお好きとくれば、ほんとうのクラシック愛好家さんですね! 

「ロッシーニ 弦楽のためのソナタ」を、さっそく「You Tube」で探してみましたところ出てきました。



いいですねえ・・、とても抒情的で優雅な気持ちにさせてくれます。まだご存じない方はぜひお薦めです。それにしても僅か12歳の時の作品とは・・、まるでモーツァルトを彷彿(ほうふつ)とさせますね 。


モーツァルト(1756~1791:ドイツ)

ロッシーニ(1792~1868:イタリア)

ロッシーニは奇しくもモーツァルトが亡くなった年の翌年に生まれています。おそらく小さい頃から「神童」と謳われ、モーツァルトの膨大な作品にも慣れ親しんだことでしょう。

そこで「ロッシーニは曲風がモーツァルトに似ている?」と、大胆な仮説を立てて「チャットGPT」さんにお伺いを立ててみました。するとスラスラと次の答えが出てきました。

ロッシーニとモーツァルトの曲風は、いくつかの点で似ている部分がありますが、同時に大きな違いもあります。

似ている点:

  1. 軽快で華やかな旋律: どちらの作曲家も旋律が非常に魅力的で、軽やかで流れるようなメロディを使うことが多いです。特にオペラのアリアや序曲では、聴き手を引き込むような華やかな旋律が特徴的です。

  2. オペラの形式: 両者はオペラの分野で非常に成功した作曲家であり、オペラの形式や歌の使い方において共通点が多いです。例えば、アリア、二重唱、重唱などの形式を駆使して、キャラクターの感情や物語の進行を表現します。

  3. 明確な和声と構造: 両者とも、和声やオーケストレーションにおいて非常に洗練されており、クラシック音楽の形式に従いながらも、音楽的に豊かな表現をしています。

異なる点:

  1. スタイルの違い: モーツァルトは音楽に深い感情や複雑な和声を組み込むことが多く、その音楽は知的で内面的な要素を持っています。一方、ロッシーニは、特にオペラ・ブッファ(喜劇的なオペラ)で、速いテンポとユーモラスなリズムを多用し、しばしば華やかで楽しい印象を与えます。

  2. オーケストレーションの違い: モーツァルトのオーケストレーションは、より精緻で細やかです。ロッシーニもオーケストラを駆使しますが、彼は特に弦楽器や木管楽器の使い方が巧みで、彼のオーケストレーションはしばしば速いテンポでエネルギッシュです。

まとめると、ロッシーニとモーツァルトの音楽は似ている点もありますが、全体的にはそれぞれ独自の個性が強い作曲家です。特にオペラにおいては、それぞれの時代背景やスタイルが色濃く反映されています。

以上のとおりですが、「画家の若描き」という言葉がありますように、ロッシーニはむしろ10代の頃の方が溌溂としていた可能性をふと感じました。

若い頃の作品には、未熟さもある一方で、エネルギーや挑戦心、そしてまだ定まっていないスタイルゆえの自由さがあります。技術や知識が未成熟なぶん、勢いで描いていたり、感情がダイレクトに表現されていたりして、その「荒削りさ」が魅力になってることも十分考えられます。

その一方、年を重ねると、技術は洗練されていくけれど、反面、ある種の「型」に収まりやすくなったり、慎重になったりしてしまうこともありますよね。どちらが良いかという話ではなくて、「若さの勢い」と「成熟した洗練」は、それぞれにしか出せない味があるのかもしれません~。

そして、「若さの勢い」と「成熟した洗練」の両方を極めたのがモーツァルトだった・・。

いずれにしても、しばらく「弦楽のためのソナタ」をじっくりと聴いてみましょう。

素敵な曲をご教示いただき、どうもありがとうございました。


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一流の芸術が持つ永遠の生命力とは

2025年04月03日 | 音楽談義

毎日、飽きもせず、懲りもせず楽しんでいる音楽とオーディオだが、いい歳をしてどうしてこんなに熱中するんだろうと、遅まきながら考えることがある。

とはいえ、「そもそも熱中するのに理由など要るものか!」という向きもあるでしょうが、まあそう仰らずに~(笑)。

まず、何といっても挙げられるのは「
芸術鑑賞としての役割」でしょうか。

「音楽&オーディオ」のいいところは日常生活の中で手軽に一流の「芸術」に親しむことができるところにあると思います。

軽く300年以上もの伝統を持つクラシック音楽を機器のスイッチを入れるだけでいとも簡単に楽しめるんですからこれほどありがたい趣味はないでしょう。

これに関連して「中高年における芸術鑑賞の必要性」について
、元文化庁長官で国際的な「ユング心理学」の第一人者「河合隼雄」(かわいはやお)さん(故人)が次のようなことを言われているので紹介しておきましょう。

(出典:2002年12月24日号「エコノミスト」誌の「現代病が中高年を襲う」)                  

この記事は当時社会問題となっていた中高年の自殺についてその原因と対策を心理学の立場から分析したもので、およそ20年前のテーマだが現在でもいささかも古びていないと思います。

少々舌足らずだが要約して、箇条書きにしてみると・・、

 人生の前半と後半では生きることの意味が変化することに早く気づくべき。つまり、前半は地位、財産が向上するが、後半は死に向かって下降していく

✰ 中年期は価値観の転換とともに「老」「死」に対する準備を始める時期

 そのためには、仕事だけでなく幅広く文化的なことや芸術に関心を向ける

 一流の文化や芸術はその底流に「死」を内在させていることに気付くことにより、「死」をいかに受け止めるか自然と考えるようになる。

 しかし忙しい現代人にはあまり悠長なこともいっておられないのでとりあえず「こころの出家」を薦める。

 「こころの出家」とは、日々の生活の中で今まで居たところから「出て」外から自分を眺めてみること。

以上の通りだが、そういわれてみると自分の場合は「音楽&オーディオ」を通じて「こころの出家」をしているのかもしれないですね~。

で、この内容について少し立ち入ってみましょう。

「一流の芸術はその底流に死を内在させている」って、意味わかります?

これは以前のブログ「一度は行ってみたかったバイロイト音楽祭」の中でいみじくも紹介した村上春樹さんの次の言葉とも関連してきます。

「優れた芸術とは多くの奥深い疑問を我々に突き付けるテキストのことだ。そしてたいていの場合、そこには解答は用意されていない。解答は我々一人ひとりが自分の力で見つけていくしかない。」

「多くの奥深い疑問」っていったい何だと思われますか?

もちろん、人それぞれに疑問をお持ちなのだろうが、自分がモーツァルトを聴きながらときどき思うのは、

「人間の肉体はたかだか80年前後で朽ち果てていくのに、生み出された作品の方はまるで一人歩きするかのように人の心に感動を与えながら何百年もの命を謳歌している。この永遠の生命力はいったい、どこに由来するんだろうか?」

難問です! 自分の力で解答を見つけていくのは至難の業だと思います(笑)。

そこで「チャットGPT」さんの出番です。そっくり投げかけてみました。

「これはとても興味深い問いですね。人間の肉体は有限でありながら、作品は時を超えて生き続ける。この「永遠の生命力」は、いくつかの要因に由来すると考えられます。

  1. 普遍的なテーマ
    優れた作品は、人間の本質や普遍的な感情(愛、悲しみ、希望、葛藤)を描いているため、時代や文化を超えて共感を生む。たとえば、シェイクスピアの戯曲や古代の神話が現代でも感動を与えるのは、人間の根源的な感情を捉えているからです。

  2. 記録技術と伝承
    作品が残るのは、それを保存し、伝える技術があるから。文字、印刷、デジタル技術によって、作り手の想いが時間の壁を越えて受け継がれていく。

  3. 人の心に刻まれる影響力
    単に物理的に残るだけでなく、人々の心に深く刻まれ、そこから新たな創作の源となる。たとえば、文学や音楽が他の芸術に影響を与え、新しい形で生まれ変わることがあります。これは作品が「一人歩き」するように見える理由のひとつかもしれません。

  4. 受け手が作品を生かし続ける
    作品は、それを受け取る人がいてこそ存在し続ける。読む人、観る人、聴く人が作品に意味を与え、新たな解釈を加えながら、それを未来へとつなげていく。つまり、作品の生命力は、人々の心の中にこそあるのかもしれません。

結局のところ、「永遠の生命力」とは、作品そのものの中にあるのではなく、それを受け取る私たちの中に生まれ続けるものなのかもしれませんね。

という内容でした。ご参考になりましたでしょうか?(笑)。


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モーツァルトの「弦楽四重奏曲」への誘い

2025年03月24日 | 音楽談義

先日のブログ「これぞ癒しのモーツァルト全6曲」を投稿したところ、千葉県在住の「M」さんからお便りをいただきました。

「健康食品とは無縁、有害の筆頭であるアルコール大好きなMです(^^ゞ

さて、モーツァルトの健康効果、面白く読ませていただきました

そこで、私も順不動で10曲をあげてみました。

グラン・パルティータ変ロ長調K361

ディベルティメント変ロ長調K287

ディベルティメントKニ長調136

ピアノソナタからはイ長調K331

ヴァイオリンソナタからは変ロ長調K526

弦楽四重奏曲ト長調K387

クラリネット五重奏曲イ長調K581

ヴァイオリンとヴィオラの為の協奏交響曲変ホ長調K364

ピアノ協奏曲からは第12番イ長調K414

そして交響曲から一つ

交響曲第29番イ長調K201

以上です

オペラは別の世界との考えから敢えて外しました(__)

蛇足ながら本の挿絵は大のクラッシックファンであった漫画家の故砂川しげひささんのものでしょうか。
                                     

ハイ、ありがとうございました。漫画家の「砂川しげひさ」(故人)さん?

ググってみると大変なクラシックファンで「なんたってモーツァルト」という本まであるんですね! さっそく探してみましょう。

モーツァルトついでに、彼の弦楽四重奏曲について一言~。

一般的に「弦楽四重奏」となると、ベート―ヴァンに代表されるように高い精神性を感じさせます。言い換えるとちょっと堅苦しい印象を受けますかね。

ネットによると、このジャンルはハイドンによって確立され、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトらによって深化し、ロマン派や近現代においても革新を続けてきました。作曲家にとっては、音楽技法を試す場であると同時に、最も純粋な音楽的対話の形態であり、クラシック音楽の中核に位置しているそうです。

その構成はヴァイオリン2丁、ヴィオラ1丁,チェロ1丁という組み合わせで、ヴァイオリンの弱い低音域をヴィオラとチェロで補っている印象です。

つい先日のこと、「You Tube」の画面に「ハイドンセット」が表示されていたので聴いてみました。



モーツァルトが敬愛するハイドンに対して献呈したという名曲群です。モーツァルトの楽譜は一般的に修正の痕(あと)が無いとわれていますが、このハイドンセットの楽譜にはとても修正の痕が多いそうです。おそらく慎重を期して何度も何度も加除修正を施したのでしょう。

で、たしかに名曲には違いないんでしょうけど、ちょっとモーツァルトらしくない印象を受けてしまうんですよねえ。まず、あの「天馬空を駆ける」ような躍動感が感じられない。

弦楽四重奏というジャンルなので仕方がないのかなという印象を持っていたところ、さらに晩年の作品とされる同じ「弦楽四重奏曲」の「プロシャ王セット」を聴いてみました。



「ハイドンセット」に比べると、明らかに世評の評価はグ~ンと落ちるんだけど、筆者はこちらの方が好きです。何よりも自由闊達なモーツァルトらしさが感じられますね。

結局、彼らしい「飛翔=覇気」が感じられなかったのは「弦楽・・」というジャンルのせいではなく「大先輩」に対する精一杯の配慮のせいだったことになります。

芸術家にとって「普段着の表情」と「余所(よそ)行きの表情」のどちらがいいのか、つくづく一考させられました。

気が向かれた方はぜひ聴き比べてみてください、そしてご感想を賜ると非常にありがたいです(笑)。



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これぞ癒しのモーツァルト「全6曲」

2025年03月20日 | 音楽談義

先日、ネットを見ていたら「体にいい食品」というのが10個羅列されていました。

古来「武士道は死ぬことと見つけたり」(葉隠れ)に象徴されるように、日本人にとって「生への執着」は見苦しいものという意識づけがありますが、そんなことにはお構いなく「少しでも長生きして音楽&オーディオを楽しみたい」のですぐにメモした(笑)。

ご参考のために掲げておきましょう。

1 お茶 2 ギリシャヨーグルト 3 チアシド 4 プラム&プルーン 5 アボカド 6 ベリー類 7 ヘンプシード 8 カカオ 9 ココナッツオイル 10 ターメリック(うこん)

このうち個人的に常用しているのは1、2 、6、8 ぐらいだが、一般的にそのくらいのもんでしょう。9は認知症予防にいいそうですよ。

食べ物の健康法に次いで運動についてだが、ウォーキングを基本にしながら、雨や極寒のときは自宅で「エアロバイク」を漕いでいます。録画したミステリー番組を観ながらね~(笑)。

食物、運動とくれば最後は心の健康療法ですね。となると、音楽・・、それもモーツァルトでしょう。

「モーツァルトで免疫力を高める、老化を防止する、快眠へといざなう!」
                                     

著者の
和合治久氏は埼玉医科大学短期大学教授、国際比較免疫学会アジア・オセアニア会長、日本比較免疫学会副会長、専門分野は免疫音楽医療学で日本における第一人者。

モーツァルトは自分も大好きな作曲家だが、聴いていて気持ちが良くなるから聴いているだけで、これまで健康効果を期待したことなんかまったくないが、本書は医学的な見地からモーツァルトの音楽の魅力を解明しようと試みているのがやや新鮮で興味を引かれた。

以下、本書を引用させてもらおう。

モーツァルトの名曲になぜより高い健康効果が認められるのか、それは次のように判明している。

人間の意志とは無関係に作動する自律神経の中でも身体をリラックス状態に導く副交感神経を刺激する音の特性が豊富にバランスよく含まれている。

その特性を具体的に挙げると次の3点。

 音の高い周波数(3500ヘルツ以上の高音)がよく含まれている

 自然の音と同じ一定のリズムを保ちながら「変化のある音=”ゆらぎ”」に満ち満ちていること

 倍音(音と音とがぶつかり合ってさらに高い周波数になる)と呼ばれる音の特性が交感神経(ストレスなどを喚起する)の働きにブレーキをかけること

の”ゆらぎ”については、さらに解説が必要と思う。

たとえば、夏のひんやりしたそよ風は強くなったり弱くなったりする不規則性が人間の生体リズムと一致して涼しく感じるが、扇風機の風は人工的で一定の強さしか吹かないため心地よく感じず「その違い」とのこと。


なお、次のような興味を惹かれた記事があった。

☆ 聴覚は心臓が停止した30分後まで残っている感覚

人間は外部からの刺激を聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚という五感でキャッチしているがその中で聴覚は最後まで生き残っている感覚で心臓が停止した後も30分間くらい働いている。したがって、意識のない病人の枕元で悪口を言ったりするのはとんでもないこと。(そんな人はいないだろうが・・・)

聴覚が休みなく働くことは(危機をいち早く察知するという点で)動物にとって極めて重要な機能で五感全体が脳に送っているエネルギーのうち85%以上が聴覚によるもの。

☆ 音楽の周波数と脊髄の位置は対応関係にある

脊髄は頭頂から尾椎(尾てい骨)まで、ピアノの鍵盤のように並んでいて、周波数の違いにより反響する部分が異なる。
尾椎は250ヘルツ前後、腰椎は250~500ヘルツ程度、胃のあたりが1000ヘルツ、胸椎が750~2000ヘルツ、頚椎が2000~3000ヘルツ、延髄から上は4000ヘルツ以上で、高い周波数ほど脊髄の上の方に反響する。低い音がズーンとお腹に響くように感じるのもこれで説明がつく。


ほかにも、モーツァルトの音楽以外ではバッハにも同様の効果が認められ、さらに「グレゴリオ聖歌」にも”ゆらぎ”が豊富とのこと。楽器では、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、オーボエなどがそうで、ピアノの場合は背骨にツボ刺激を与えるような響きを持っているとのこと。

最後に音楽療法の効果を高める曲目が具体的に10曲紹介してあったが、自分が勝手に推奨する「これぞ癒しのモーツァルト」は次のとおり。

ヴァイオリン協奏曲全曲、 ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、 ディヴェルツメントK136、 踊れ喜べ、汝幸いなる魂よK165, ピアノソナタ全曲、 オペラ「魔笛」。

モーツァルトはすべて名曲の宝庫といっていいですが、特に「癒し」という観点からだと以上の6曲に絞られると思います。

日頃から食べ物、運動、そして心の健康に留意しながらせっせと免疫力を養いましょうや!(笑)



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春眠暁を覚えず~クラリネットの誘惑

2025年03月15日 | 音楽談義

「春眠暁を覚えず」ってホントですね!

今朝(15日)は珍しく起きたのが5時半と寝坊しました・・、いつもは4時起きなのに~。昨夜はいつもの8時に寝たので睡眠時間はなんと9時間半です。まだこんなに寝れるんだと、ついうれしくなりましたよ(笑)。

したがって、いつもと違って2時間遅れでこのブログをお届けします。昨日自宅で聴いた「クラリネット」をせわしなく主題にしましたが、一発勝負なので、出来栄えはイマイチかなあ~(笑)。

それでは以下の通り~。

その昔、「ジャック・ランスロ」というクラリネット奏者がいました。

新聞の三面記事の下の方にちょっとした死亡欄があって次のような記事を切り抜いて保存しています。

ジャック・ランスロさん(仏のクラリネット奏者)
7日、心不全で死去、88歳。

フルート奏者の故ジャン・ピエール・ランパル氏と並び、フランスの管楽器界を代表する存在だった。浜中浩一、横川晴児両氏をはじめ、日本でも多くの後進を育成。楽器の改良にも貢献した。


享年88歳とはなかなかの長寿を全うしたことになる。世界に誇る日本人男性の平均寿命でさえ81歳なんですから。

「管楽器奏者は肺活量がモノをいうので若い頃からその辺を鍛えていたのが長生きの原因ではないか」というのが筆者の推論です。


名著「西方の音」(五味康祐著)には、フランス人に管楽器の名手が多いのはフランス語の発音(唇や舌の使い方)が管楽器の演奏にマッチしていて幼児の頃から訓練されているからなんて記載があったのをふと思い出しました。

そういえばポピュラー音楽のジャンルに入りますが、トランペット奏者の達人「ジャン・クロード・ボレリー」もフランス人です。

さて、ランスロといえばモーツァルトの「クラリネット協奏曲」(K622)が有名で、これは同じフランス出身のフルート奏者ランパルの「フルートとハープのための協奏曲」(K299)とカップリングになっているCD盤があります。

                        
             
ただし演奏曲目としては「フルートと・・・」の方が有名で、これは昔から極め付きの名曲と名演(ランパル~ハープのラスキーヌ~パイヤール指揮)とされていて、モーツァルト・ファンでこのCDを持っていない人はモグリであると断言しても差し支えないほどです。

作品の方は旅先での母親の死という悲運に見舞われたパリ時代(二度目)の22歳のときのもので、ある貴族とその娘さんが共演するための曲目として作曲を依頼されたもので典雅で叙情的な旋律、とりわけ第二楽章は筆舌に尽くしがたいほどの美しい調べ~。

さて、肝心のランスロによるクラリネット協奏曲の方だがこれもいい演奏だとは思いますが、ひと昔前はレオポルト・ウラッハ(ウィーン)の演奏したものが極上とされていましたた。しかし、惜しいことに録音年次が古くてこれはモノラル録音。

両方の演奏ともにずっと以前に購入して既に聴いてそれなりの感想を持ってはいるのですが、その頃とは随分とオーディオ装置も変わったことだしと久しぶりに聴き比べてみました。

クラリネットは柔らかく甘美な響きを持ち、聴き手をほのぼのとした気分に誘い込みながら自然と森の情景の詩人にしてしまう不思議な楽器です。

                        

            

左が「クラリネット協奏曲、右が「クラリネット五重奏曲」。天才「モーツァルト」はクラリネット関連曲でも珠玉の絶品を残しています!

そして、当時聴いたときと同じ印象で音質(録音)は劣るものの晩年のモーツァルトの内面的な渋さ、あのオペラ「魔笛」にも共通した「うら淋しさ」と「透明感」を求めるとなるとウラッハに一日の長があるように思う。

特に第二楽章のアダージョの深く精神的な味わいは「モーツァルトが死の近いことを予感しつつ作曲した辞世の歌」とされていますが、いたずらに感傷に流されることなくふくよかでゆったりとしたクラリネットの音色が自然に拡がっていくのはウラッハならではの枯淡の境地。

ウラッハ以後のクラリネット奏者では、ランスロも含めてプリンツ、ライスター、シュミードルなどの名手がいますが個人的にはちょっと物足りない気がします。


むしろ、近年では「You Tube」でよく聴かせてもらっている「アッカー ビルク」(英国)が、ポピュラー音楽の範疇に属するけどとても素敵です。クラリネットの粋を聴かせてくれます。あまり頼りにならないけど筆者が保証します!(笑)



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音楽好きは理系人間に多い・・?

2025年03月13日 | 音楽談義

先日のブログ「春の好日にモーツァルトを考える」について、さっそくモーツァルト好きさんからありがたいメールをいただきました。

「ブログ拝読しました。別府は暖かくなりましたね。このまま春の到来でしょうか?
 
私はこの時期、聴きたくなるモーツァルトの作品が何曲かあります。

「魔笛」……はオールシーズン聴くので「殿堂入り」ということで。(笑)

・ピアノ協奏曲第23番 ハイドシェック旧盤 第3楽章の少々弾き飛ばした感じが良いです。(笑)

・弦楽四重奏曲第15番 アマデウスSQ この四重奏団のハイドン、モーツァルトはベートーヴェンより好きです。

・交響曲第38番"プラハ" シューリヒト新旧両盤 シューリヒトの演奏だとワクワクするのは私だけでしょうね。(笑)

・「フィガロの結婚」 E・クライバー盤 ウィーンフィルの演奏は春にぴったりかと思います。

他にもたくさんあるのですが、このへんで(笑)。

ハイ、ありがとうございます。指揮者「E クライバー」「K シューリヒト」ときますと、やはりこの方は「通」の極みでしょうねえ(笑)。

閑話休題

もう10年ぐらい前のこと、高校時代の同級生(福岡在住3名)たちが我が家に音楽を聴くためによく来たものだった。


在学中はそれほど親しい仲でもなかったが、同窓生専門のサイトやブログを通じてお互いに音楽好きだと分かりお付き合いが始まった。

そして、そのうち3名とも理系出身であることに気付いた。高校卒業後の進路は建築科、機械科、電気科と見事に色分けされるし、自分だって理系の“端くれ”なのでいわば4人すべてが理系を専攻しているんです!

”たまたま”かもしれないが、「4人そろって」となると確率的にみてどう考えても意味がありそうです。

全員がオーディオというよりもクラシック音楽の方を優先しているタイプで音楽を聴くときに、より興趣を深めるために仕方なくオーディオ機器に手を染めているというのが実状です。

つまり「音楽(クラシック)好きは理系人間に多い」。これは、なかなか興味深い事象ですね。

周知のとおり、ほとんどの人が高校時代に大学受験のため「文系と理系のどちらに進むか」の選択を迫られるが、これはその後の人生をかなり大きく左右する要素の一つとなっている。そのことは、一定の年齢に達した人たちのそれぞれが己の胸に問いかけてみるとお分かりでしょう。

「自分がはたして理系、文系のどちらに向いているか」なんて、多感な青春時代の一時期に最終判断を求めるのは何だか酷のような気もするが、
生涯に亘る総合的な幸福度を勘案するとなれば、なるべくここで誤った選択をしないに越したことはない。

現代でも進路を決める際の大きな選択肢の一つとなっているのは、おそらく本人の好きな科目が拠り所になっているはずで、たとえば、数学、理科が好きな子は理系を志望し、国語、英語、社会などが好きな子は文系志望ということになる。もちろんその中には「数学は好き」という子がいても不思議ではない。

それで概ね大きなミスはないのだろうが、もっと時間をかけて慎重に選択できる環境も必要のような気がします。

さて、ここからいよいよ本論に入るとして、なぜ、音楽好きは理系人間に多いのでしょうか。

その理由について実に示唆に富んだ興味深い本があります。

                      

序文「はじめに」の中で音楽と数学の関わり合いについてこう述べられている。

「私たちは、数の世界の背後には深い抽象性があることを、ほとんど無意識で感じています。音楽によって与えられる快感は、ときにはこの抽象世界の中を感覚的に漂う心地よさで高まり、それは広がっていく心の小宇宙に浮遊し、魂が解放されるような感動まで到達することがあります。~中略~。音楽は数の比によって成り立っており、それを考える数学の一分野です。」(抜粋)

抽象的だけどなかなか含蓄のある文章だと思いますが、要するに音楽は数の比によって成り立っており数学の一分野というわけですね。

私たちは音楽を聴くときに数学を意識することはまずありませんが、奥深い意識の闇の中にそれは秘かに横たわっているのかもしれませんね。

公式的な見解として「チャットGPT」さんのご意見を伺ってみましょう。

① 仮説の確認と明確化

  • 仮説:「音楽好き」は「理系人間」に多い
    → ここでのポイント:
    • 「音楽好き」とは? → 音楽を聴くのが好き、演奏が好き、音楽理論に興味がある、など
    • 「理系人間」とは? → 数学や物理、工学などに興味・強みを持っている人

② 音楽と理系の関連性を理論的に考察

1. 数学的性質

  • 音楽には数学的な要素が多い
    • 音階や和音 → 周波数の比率(物理・数学的概念)
    • リズム → 時間間隔や周期性
    • 調和 → フーリエ解析や倍音の理解

数学的思考が得意な人は音楽理論を理解しやすい可能性がある


2. 論理的思考と作曲・演奏の関連

  • 作曲や演奏はある程度の論理的構造を持つ
    • コード進行 → 関数的な関係
    • 音楽理論 → パターンやルールがある
    • ループやフレーズ → 繰り返しの構造

論理的思考が得意な理系人間にとっては、音楽の構造を理解しやすい可能性


3. 科学と音響の関係

  • 音楽は物理学(音響学)に密接に関係
    • 音の周波数 → 波動
    • 音色 → 振幅や倍音
    • 残響 → 反射や干渉

物理への興味が音楽への興味につながる可能性


③ 統計や実例を考慮

  • 具体的なデータや事例
    • 理系出身の有名な音楽家
      • ブライアン・メイ(クイーン)→ 天文学博士
      • アインシュタイン → バイオリン愛好家
    • 音楽好きなエンジニアや科学者の割合 → 調査データ

④ 心理学的・認知的側面

  • 理系的思考音楽的感性は脳の働きに関連がある可能性
    • 数学や論理 → 左脳の働き
    • 音楽や創造性 → 右脳の働き
    • 音楽理論 → 左脳と右脳の統合的な働き

理系的思考と音楽的感性が互いに補完し合う可能性


⑤ 反証可能性の検討

  • 「音楽好きが文系にも多い」という反証も考慮
    • 文学や詩と音楽の関連 → 歌詞や表現力
    • 芸術的・感覚的な側面 → 感情表現や即興性

音楽が必ずしも理系に偏るわけではない可能性も考慮


⑥ 結論

✅ 音楽には数学的・物理的要素や論理構造が多く、理系的な思考と親和性が高い
✅ ただし、音楽には感性や創造性も重要で、文系的な要素ともつながりがある
✅ よって「音楽好きは理系に多い」は一定の根拠があるが、必ずしも理系に限定されるわけではない


こんな感じでどうでしょう? さらに掘り下げたい部分があれば教えてください!

以上のとおりです。なかなか「いい線」をいっているように思いますが、皆様のご感想はいかが?



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春の好日にモーツァルトを考える

2025年03月10日 | 音楽談義

昨日(9日)は絶好の春日和でした。



午後になってクルマで15分ほどの公園に出かけて、ベンチに座ってぼんやりと梅園を眺めながら「日向ぼっこ」をしていたら、ついモーツァルトの「ディヴェルトメントK136」のアレグロが浮かんできました。春の浮き浮きした気分にまことに相応しい曲目ですね。



本書の著者「
高橋英夫」さんといえばモーツァルトの愛好家兼研究家として名前だけはよく存じ上げているが、たしか9年ほど前にお亡くなりになったはずなので遺稿集のようだ。

「目次」をぱらぱらとめくってみたところ、「私のモーツァルト・ベスト5」という項目があった。

ウ~ム、どれどれ・・。

その人の好みの曲目を見れば良し悪しは別として、ほぼ「愛好度のレベル」がわかる。

で、その順位とは次のとおりだった。

1 「魔笛 K620」 ベーム/ベルリンフィル

2 「ヴァイオリン・ソナタ K526」 シェリング/ヘブラー

3 「交響曲25番 K183」 ワルター/コロンビアpo

4 「デュポールのメヌエットによる変奏曲 K573」 ハスキル

5 「春への憧れ K596」 シュワルツコップ/ギーゼキング

ウ~ム、「魔笛」が1位とは・・、お主(ぬし)なかなかできるな!(笑)

「音楽&オーディオ」の先達だった「五味康佑」さんの「好きなクラシック・ベスト20」の中でも「魔笛」が一番だった。

ただし、ほかの曲目はいいには違いないがベスト5に入れるほどではないと思うんだけどなあ~(笑)。

で、「お前はどうだ?」と問われたら、次のとおり。

1位 「魔笛」 ハイティンク指揮/バイエルン放送交響楽団

2位 「ドン・ジョバンニ」 フルトヴェングラー指揮・ベルリンフィル

3位 「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K364」 五島みどり/今井信子

4位 「踊れ、喜べ汝幸いなる魂よ K165」 コープマン指揮

5位 「ディヴェルティメント K136」 コープマン指揮

誰が何といおうとこれで決まり!(笑)

モーツァルトの音楽にほんとうに親しもうと思うのなら第一にオペラを好きにならないとね・・、それには「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」は絶対に外せない。

ある専門誌に「どうしようもないモーツァルト好きはオペラ・ファンに圧倒的に多い」とあったが、まさにその通り。

とまあ、いろいろ言ってみても「魔笛」が1位とは一目置きたくなるし、ついうれしくなって真剣に読み耽った。

以下、記憶に残った個所を記録しておこう。

173頁「私の実感ではモーツァルトはどんな気の合った仲間でも、いかに親密な相手でも人と一緒になって心を合わせて手と手を握り合って聴く音楽ではない。ひとりで聴く音楽、それがモーツァルトの音楽のように思われる」

※ これには思い当たる節があって、オーディオ仲間と試聴するときに自宅であろうと相手宅であろうとモーツァルトを聴くのはどうも気が進まない。もちろん相手のご要望があれば別だけど、自分の殻の中にひっそりと閉じこめておきたい類の音楽ですね。

201頁「もっとも短くて見事なモーツァルト論は僅々600字余りからなる林達夫の「遊戯神通(ゆぎじんつう)の芸術」という文章である。

これは中央公論社から出たレコードの「モーツァルト大全集」の内容見本に寄せられた推薦文だが、林達夫が現代芸術批判から入っていって、一息でモーツァルトを言い切っているのに感嘆する。

だがこの文章は単行本に入っていないので断念し、代わって西欧人が達成した見事な典型としてカール・バルトの本を挙げてみることにした」


202頁「神学の大家バルトは毎朝まずモーツァルトを聴き、それから神学の著作に向かうと述べていたし、”重さが浮かび、軽さが限りなく重い”のがモーツァルトだとも言っていた」

※ モーツァルトの音楽の変幻自在で霊妙な佇まいを「軽さと重さ」で逆説的に表現するのはとても新鮮な印象を受けます。

あっ、そうそう、メル友の「K」さん(横浜)からお借りしているこの本を早く読破してお返ししなくちゃ~(笑)。



211頁 「先生は弦の組み合わせの曲がお好きなんじゃないですか」と訊かれた評論家小林秀雄はこう答えている。

「そうかもしれないね。カルテット、クィンテットに好きなものが多いな。変わったものじゃヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲など好きだなあ、弦楽器というのは本当に人間的な感じが強いものだ。それにくらべてピアノは機械的すぎるんじゃないかな」

212頁「僕(作家:大岡昇平)はモーツァルトが好きなことで人後に落ちないつもりである。個人的にはヴィオラの入ったK364がどうも好きだ。昭和12年ごろ、コロンビア盤をすり切ってしまったことがあるが20年経った今日でも趣味は変わらない」

稿を改めて「一番よく聴くのはK364である。初めて聴いたのはコロンビアの10インチ盤で緑のラベルが貼ってあった。演奏は忘れたがヴィオラはプリムロースだったはずである。これは小林秀雄が持っていた盤で、毎日少なくとも一度聴いていたらすり切れてしまった。(そのころ私は蓄音機を持っていなかったので毎日鎌倉の小林さんの家へ行って聴いたのである)」

※この曲目「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364」は自分でもベスト3にあげているほどで少なくとも数日に一度は聴いており大岡さんとはとても気が合いそうです。

とまあ、以上のとおり小林さんや大岡さんなどかっての文壇の大御所たちの「レコード盤が擦り切れるほど」モーツァルトへの傾倒ぶりを知ることができて本書は予想以上の収穫でした。

しかるに、現代の作家たちや評論家たちから「モーツァルトへの傾倒ぶり」があまり聞こえてこないのは淋しい限り。

まず百田尚樹さん、石田依良さんあたりが浮かんでくるが、一般人ならともかく、「美意識」を生業(なりわい)としている人たちなんだからもっと多く居ても不思議ではないと思うんですけどねえ。

そういえば、女流作家は全滅です!

ちなみに、あの音楽好きで知られる「村上春樹」さんから、モーツァルトへの賛辞を聞いたことも読んだこともないけれど、彼のややドライともいえる「作風」と「涙が追い付かないほどに疾走する悲しみ」のウェットな音楽とを対比すると、頷ける一面がありますね。

とはいえ、大いに反論を期待したいところです(笑)。



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ネズミはオペラを聴くと寿命が延びる

2025年03月05日 | 音楽談義

ご存知の方も多いと思いますが「イグノーベル賞」というのがあります。

人々を笑わせ、そして考えさせた研究に与えられる賞で、1991年創設。「ノーベル賞のパロディー版」とも言われており、授賞部門は開催年によって異なるが、なぜか日本人は授賞の常連になっています。



この本には、これまで受賞した40本の内容が紹介してありましたが、音楽関係を拾ってみると「ネズミはオペラを聞くと寿命が伸びる」があったので紹介してみましょう。

帝京大学チームによると心臓移植を受けたネズミにオペラ「椿姫」を聞かせたところ通常術後1週間の寿命が1か月まで延びたという。

「何も処置をしないと拒絶反応が起こり8日で心臓は止まります。ある時、10匹のネズミが入った箱2つを並べて置いておくことが出来ず、別々の場所で保管しました。

すると片方の箱では8日前後で止まるはずの移植後の心臓が止まりませんでした。そこで環境の変化があるのではないかと直感したのです。

そこでまずはヴェルディ作曲の「椿姫」を聞かせてみることにした。音楽がとても好きだというリーダーの新見院長、イギリスに留学していたころはよくオペラや楽団の演奏を聴きに行ったそうだ。

研究員によると「椿姫」を選んだ理由はボス(新見院長)が好きだからというのが理由。研究者たちは他にもモーツァルトやエンヤなどの音楽を聞かせたが結局一番効果があったのが椿姫であり、寿命が平均26日生き延びた。

次にモーツァルトで20日、エンヤは11日程度で微増。また石川さゆりの「津軽海峡冬景色」も試したが残念ながら効果はなかったそう。

さらに寿命が延びた理由がほんとうに音楽によるものなのかを検証するためにネズミに音が聞こえないようにして同様の実験を繰り返した。その結果、ネズミの寿命が伸びることはなく、術後の長生きが音楽の効果であったことが証明された。

新見院長は「この研究結果から言えることは音楽が脳を介して免疫系に良い影響を与えているということです。

病気には医学的対処はもちろん大切ですが脳に影響を及ぼすような環境、希望や気合、家族のサポートなどが大切であることに通じる結果です。”病は気から”とよく言いますが、あながちウソではないです」。


昨今、とりわけ欧米諸国で音楽は様々な病気の治療の一環としてじわじわと定着し始めている。音楽療法は精神病や中毒症の両方の一つであることに加え、身体的な病気の治療を手助けするものと認識されつつある。

効果の度合いや再現性については諸説あるが様々な症状において、音楽が痛みや吐き気そして不安感を和らげると報告されている。音楽を通常の治療と合わせることで安らぎを与え、症状をポジティブな方向に向かう手助けをしているようだ。

新型コロナ関連のウィルス肺炎が続く中、感染予防にも大脳の働きが大切です。ストレスを溜めないことが、がん予防、感染予防、そして長寿につながります」

以上のとおりですが、「音楽&オーディオ」に限らず趣味と名のつくものの効用は免疫系にとても良い作用を及ぼすのでけっして無駄な投資ではないことがわかります。

そして、ずっと以前にも「乳牛にモーツァルトを聞かせるとお乳の出が良くなる」という話を読んだことがありますが、これらのことを踏まえると、美しい芸術を人間が独り占めしてはいけないということでしょうかね(笑)。

最後に「チャットGPT」さんに「ネズミはオペラを聴くと寿命が延びますか?」と訊ねてみました。

「面白い質問ですね!ネズミがオペラを聴くと寿命が延びるという科学的な証拠はありませんが、音楽が動物に与える影響についてはいくつかの研究があります。

例えば、クラシック音楽を聴かせるとストレスが軽減されるという研究があり、ストレスが減ることで健康状態が改善され、間接的に寿命が延びる可能性は考えられます。また、特定の音楽(モーツァルトなど)が学習能力や神経の働きに良い影響を与えるという「モーツァルト効果」も研究されています。

ただし、音楽の効果は動物の種類や個体差によるので、ネズミにとってオペラが本当に寿命を延ばすかどうかは、さらなる研究が必要ですね!」



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音楽ジャンルの革命「モーツァルト独立国家論」

2025年03月01日 | 音楽談義

「読書のプロが薦める本でも実際に読んでみると 当たり の確率はかなり低い、ましてや「音楽&オーディオ」において「好みの音楽」や「好みの音質」が一致することは極めて珍しい」と、経験上から常々思っています。

つまり、本人の感性が大部分を占めるこの分野において同類を求めるのは無理な相談でしょう。

ところが・・、先日次のようなメールが届いたんですよねえ。

匿名ということで無断転載お許しくださいね。あえて「原文」のままにさせてもらいます。

「ブログは欠かさず拝見させていただいております。

さて、つい先日のブログにモーツァルトのピアノソナタについて記述されていましたが私もまったく同じ思いを持っていたのでメールいたします。

”オペラは別として交響曲やピアノ協奏曲は何度も聴くとやや飽きがくるが、このピアノソナタに限っては、何かこんこんと尽きせぬ泉のように楽想が湧いてくる趣があり、モーツァルトの音楽の魅力が凝縮された独自の世界がある”

まったく我が意を得たりです。私もピアノソナタが大好きで時間がなくて何かモーツァルトを聴きたいなと思ったときはピアノソナタを取り出してしまいます。全17曲、それぞれに魅力があって満遍なく聴いています。

全集としてはアラウ、グールド、バレンボイム、内田光子、ワルター・クリーン(LP)、ラローチャ、クラウス(新旧2種)、グルダ、ヘブラー(DENON)が手元にありますが、学生の頃(1971年)の最初に買った同曲の全集、吉田秀和さんの40数ページにわたる詳細な別冊解説が付いたワルター・クリーンのLPを、その解説書を読みながら聴き返しているところです。

なお、ほかにもモーツァルトではやはりオペラ(特にドンジョバンニと魔笛)、セレナードやディベルトメント等の音楽を好んで聴いてます。」

と、以上の通りでした。

やはり世間は広いですね!

自分と同等、あるいはおそらくそれ以上の「モーツァルト愛好家」がいらっしゃるなんて、うれしいやら、ガッカリするやら、複雑な心境になります~。

なぜなら、いつもモーツァルトの「天上の音楽」をこっそり独り占めにしておきたいと思っているからです(笑)。

「ピアノソナタ」は言うに及ばず、「ディヴェルトメントのK136」「セレナードのK250、ハフナー」、「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364」、そしてオペラのジャンルにおいて「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」は甲乙つけ難しで、これほどまでに「好み」が似通っている方は初めてで
す。

そもそも、ひとくちに「クラシック」といっても裾野が広いですが、モーツァルトは他の作曲家たちとは作風や曲風からしてまったくの別物で
「クラシック」の同じ枠内に留めておくのは「適当じゃない・・」と秘かに思っています。歳をとればとるほどそういう思いが強くなります。

ここで思い切ったことを書きます。バッハの音楽はやや線香臭い、言い換えると宗教色が強すぎるし、ベートーヴェンの音楽はちょっと押しつけがましいところがあるし、他の作曲家たちは所詮「群小音楽」に過ぎません。

そういうわけで「モーツァルト」という独立したジャンルがあってもちっとも不思議ではない・・、そして、あとは「十把ひとからげ」で「クラシック」の範疇に放り込んでおけばそれでいい。

いわば「モーツァルト独立国家論」ですね、音楽ジャンルの革命です(笑)。

こんな突拍子もないことを提唱するのは「古今東西」にわたってブログ主ぐらいのもんでしょう。

共感を寄せられたり、あるいは異論がある方のメールを歓迎します。

で、それほどの存在感があるモーツァルトなのに、どんな曲を聴いてもあまり親しめない、さらには「食わず嫌い」の方がいるとしたら実にもったいない話だと思います~。

「どんな曲でも 20回ほど聴けば口(くち)ずさむほどになる 」というのが通説ですが、ひとつ騙されたつもりで「ピアノソナタ」をカーステレオでもラジカセでも構わないので何回も聴いてみてはいかがでしょうか。

CDを買わずとも現代では何とも便利な「You Tube」がありまっせえ(笑)。

それで、もし好きになれたとしたら、あなたはお金には代えられない「人生の財産」を手に入れたことになります!

そして、そういう「心の豊かさ」に、もしこのブログが貢献できたとしたら、このブログの存在価値も少しは出てこようというものです(笑)。


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微妙な差に拘ることで人生の「質」を高めよう

2025年02月28日 | 音楽談義

それほど好きな作家というわけでもないが、いつも気になるのが「村上春樹」さん。

なぜかと言えば、作家にも拘らずたいへんな「音楽通」だから。

ちなみに、村上さんのほかに作家と音楽通の二束の草鞋(わらじ)を履いた方といえば・・、筆者が知っている範囲で「五味康佑」氏、「小林秀雄」氏、「百田尚樹」氏、「大岡昇平」氏、「石田 依良」氏、「新井 満」氏。

何しろプロなので表現力が半端じゃないです。



本書の中に次のような一節があります。(72頁)

「文章の書き方みたいなものは誰にも教わらなかったし、特に勉強もしていない。で、何から書き方を学んだかというと音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうとリズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです」

村上さんの本がなぜ読者を惹きつけるのか、その秘密の一端に触れる思いがしました。

けっして表面に出てくることがない「リズム感」は人間同士の「以心伝心」を始めとして社会のあらゆる場面に潜在しており、理屈では説明できない「サムシング」(雰囲気など)の要となっているのではなかろうか、なんて思ってしまいます。

その村上さんの本に、「雑文集」というのがあります。


            

膨大な作品群があって、とても”ひと括り”には出来ない作家ですが、タイトルに「雑文集」とストレートに銘打つところがいかにも”偉ぶらない、もったいぶらない”村上さんらしい気がします。

周知のとおり、村上さんは作家デビュー前にジャズ喫茶を経営していたほどの音楽好きでその「音楽論」には心惹かれるものがあります。

たとえば、いつぞやのブログで「指揮者小澤征爾との対談集」を題材にしたことがありますが、ジャズのみならずクラシックにも造詣が深いことが伺えます。


ただし、オーディオマニアではないのが残念(笑)。

日常聴かれているのは「レコード」が主体で、それはそれで十分頷けるのだがシステムのほうがアキュフェーズのアンプとJBLの古い3ウェイのSPというずっと不動のラインアップ。

「この音が善くも悪くも自分のメルクマールになっている。そりゃあ、いい音で聴くのに越したことはないがオーディオに手間と時間をかける気にはなれない」とのことで、いっさいシステムを変えようとされない。

たしかに一理あるが、
第三者からすると実に惜しい!

作家だけあってものすごく筆は立つし、前述のように音楽への造詣は深いし、カリスマ性もあるし、もし村上さんがオーディオマニアだったら、前述の「五味康祐」(故人、作家)さんの後継になれたのにと思います。

もしそうなると読者の一部がオーディオに興味を持ったりして日本のオーディオ界も少しは潤い、元気が出たかもしれないですね。

往時の盛況と比べると転落の一途を辿る「オーディオ界」ですが、近年では「You Tube」の可能性に微かな光明を見る思いがしています。


さて、話は戻ってこの「雑文集」の中に「余白のある音楽は聴き飽きない」の標題のもと、以下のような文章がありました。

「僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさは何か?

それは、いいものと悪いものの差がはっきり分かる、というところじゃないかな。大きな差もわかるし、中くらいの差もわかるし、場合によってはものすごく微妙な小さな差も識別できる。

もちろんそれは自分にとってのいいもの、悪いもの、ということであって、ただの個人的な基準に過ぎないわけだけど、その差がわかるのとわからないのとでは、人生の質みたいなのは大きく違ってきますよね。

価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。

それは人によって絵画であったり、ワインであったり、料理であったりするわけだけど、僕の場合は音楽です。

それだけに本当にいい音楽に巡り合ったときの喜びというのは、文句なく素晴らしいです。極端な話、生きてて良かったなあと思います。」

以上のとおりですが、以下、文中の音楽という言葉を勝手に「再生音」に変換させてもらうことにしましょう。

長いことオーディオに熱中し、常にいいの悪いのと価値判断を続けていると、時折り自虐的になることがあります。

いったい何をやってんだろう、こんなに手間と時間を費やしている割りには目立った効果がいきなり上がるわけでもないし、むしろ、一歩前進、二歩後退のときだってあります。

このブログの読者だって「少しばかりの音の差にこだわっていつも騒々しいが、どうもこの人の心理状態がよく分からん。」と、きっと眉を顰める向きがあることでしょう(笑)。

そういう多勢に無勢のときに、村上さんから「微妙な小さな差を識別できることで”人生の質”が違ってくるし、価値判断の絶え間ない堆積が人生を作っていく」なんて言葉を聞かされると、まるで「百万の味方」を得たようにうれしくなります。

ここで村上さんが言う「人生の質」とは人それぞれの受け止め方になるのでしょうが、少なくとも「お金持ち」になることや社会的に「成功する」ことで得られるものでないことはおよそ想像がつきますよね。

で、具体的にどう形容すればいいんでしょう・・、あえて言えば各自が持っている「アンテナ」(社会的受容体)の感度の違いに喩えるのはいかがでしょうか。

たとえば、アンテナの感度の違いによって、「気が付かない」まま過ぎる、あるいは「気が付いているけど知らないふり」をする、この違いは人生の質に大きく関わってくると思いませんか。


ほんのささやかな「音楽&オーディオ」というフィールドですが
、これからも「微妙な差」にこだわりながら「ボケ防止」も兼ねて「アンテナの感度」を高めていくとしましょうかね、ただし・・、ずっとビンボーだったし、偉くもなれなかったので、「はらいせ」や「負け惜しみ」と受けとられると心外です~(笑)。



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