「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

明暗を分けた「見てくれオーディオ」

2019年11月30日 | オーディオ談義

さあ、冒頭から皆様にいきなり「クエスチョン」です~。





この両方の画像を見てどちらが「見てくれ」がいいと思いますか?

おそらく、すっきり爽やかな2番目の画像(現行)に軍配を上げる方が多いに違いないと思うがどうだろうか。

いつぞやのブログにも記載したとおり、オーディオは気に入った音さえ出てくれば「見てくれ」なんてどうだっていいというのが持論だった。

つまり、オーディオに関する限り「名を捨てて実を取る」タイプだと自認しているが、いつの日だったか他人様のブログで我が家のオーディオシステムの画像を評して「とてもクラシックを鑑賞できるような雰囲気ではない」との酷評を受けて、ちょっとショックを受けてしまった。

どちらかといえば他人様の意見にすぐに動揺するタチなので(笑)、それ以降「見てくれ」にも若干気を付けるようになったので、そういう意味ではこのたびの「ウェストミンスター」の改変もよかったのかもしれない。

そして、もうひとつ”おまけ”があった。

実は、つい最近のオークションで落札しようかと迷っていたのが「JBL ゴールドウイング L5090 + ホーン H5039 」だった。

    

カッコいいですねえ!

我が家の「175」ドライバー用に取り付けてウェストミンスターの上に載せたらとても見映えが良さそうだしと、大いに食指をそそられた。

そして、それこそ落札日を迎える寸前になって「AXIOM80」(復刻版)が175に入れ替わって登板したのでとうとう入札は沙汰止みになってしまった。

結局、この「ゴールドウィング」の「落札価格」は「10万1千円」なり。ドライバー本体が無くホーンだけなのにこの価格だから人気のほどが偲ばれる。

もし購入したとしたら、いよいよ深みにはまって「JBL」から脱け出せなくなったかもしれない。

とはいえ、はたしてどちらの選択が良かったかは「神のみぞ知る」だろうが(笑)。

なお「見てくれオーディオ」の典型みたいなこの「ゴールドウィング」だが、音質的にも「蜂の巣」ホーンよりはいいような気がする。

というのも、我が家での「蜂の巣ホーン」はさっぱりだった。わざわざ蜂の巣で音の勢いを殺さなくてもいいのにという印象を常に持っていた。

   

ちなみに、最近、名著「ジャズ喫茶ベイシーの選択」(菅原 昭二著)を読み返していたら、開店当時「375」ドライバーに「蜂の巣」を使用されたもののすぐに「大型ウィング」に変更されている。

はっきりした理由は書かれていなかったが、やっぱりねえと内心頷いたことだった。

最後に「見てくれオーディオ」という言葉で脳裡に浮かぶのが「タンノイ」と「グッドマン」というイギリスの有力なSPメーカーだ。

実力も格としても「グッドマン」の方がはるかに上なのは「知る人ぞ知る」なのだが、片や「見てくれ」のいい「エンクロージャー」を製作し、片やユニットだけを製作したというその差がはっきりとその後の明暗を分けてしまった。

今やグッドマンという会社は影も形もない。若い人たちは「グッドマンって何?」という始末(笑)。

もしグッドマンが当時エンクロージャーまで手を広げていたらという思いを捨てきれないのは自分だけだろうか。

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クラシックレコードの記念碑的名盤

2019年11月29日 | 音楽談義

図書館から借りてきた「クラシックレコードの百年史」を読んでいたら、巻末に詳細な解説付きで「記念碑的名盤100」が掲載されていた。

                

「今さらレコードなんて」という向きもあるだろうし、我が家のオーディオ・システムもレコードをとっくの昔に諦めていて、現在ではCDと「HDD」併用の状態だが、音質面でのレコードの優位性は認めざるを得ない。

ただし、手間や時間、そして名盤収集などを考え合わせると今さらという感があってレコードへの回帰を封印している。

さて、この「記念碑的レコード盤100」の中からCD化された稀少盤があるはずだが、はたしてどのくらい持っているんだろうと、確認したところ次のとおり11曲あった。
           

 ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」(フリッツ・クライスラー 1926年12月14日~、「クライスラー全集」所収)

 ラフマニノフ自作自演「ピアノ協奏曲2番」(1929年4月10日~)

 J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲」(カザルス、1936年11月23日~)

 ショパン ワルツ集(リパッティ、1950年6月、「リパッティ全集」所収)

 ベートーヴェン 交響曲第九番「合唱」(トスカニーニ指揮、1952年3月31日~)

 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(フルトヴェングラー指揮、1952年6月10日~)

 J・Sバッハ「ゴールドベルク変奏曲」(グレン・グールド、1955年6月10日~)

 モーツァルト「フィガロの結婚」(エーリヒ・クライバー指揮、1955年6月、「モーツァルトのオペラ全集」所収)

 ワーグナー「ニーベルングの指輪」(ショルティ指揮、ウィーンフィル、1958年9月~)

 マーラー 交響曲「大地の歌」(クレンペラー指揮、ルートヴィッヒ&ヴンダーリヒ、1964年11月7日~)

 ストラヴィンスキー「春の祭典」(ゲルギエフ指揮、キエフ・オーケストラ 1999年7月24日~)

これら11曲はさすがにいつも心惹かれる演奏ばかりで選者(著者)の慧眼(けいがん)には恐れ入るが、ジネット・ヌヴーの名演(ブラームスのヴァイオリン協奏曲)が入っていないのは片手落ちというもので猛省を促したい(笑)。「ドン・ジョバンニ」(フルトヴェングラー指揮)だってそう。

なお、以上のCD盤に限ったことではないが全体的に見て「クラシックの黄金時代は1950年代」という言葉がけっしてウソではないことが分かる。

逐一これらCD盤の解説をしたいところだが読む人にとっては退屈そのものだろうから省略させてもらって、そのかわりに、残った「記念碑的名盤」の中からもしCD化されていたら購入したい盤を挙げてみよう。

 吹け、南風よ (イギリス民謡集、キャスリーン・フェリアー、1949年2月10日~)

マーラー作曲「大地の歌」(ワルター指揮)で名唱を聴かせてくれたフェリアーが「イギリス民謡集」をどのように詩情豊かに歌ってくれるのだろうかと大いに興味がある。ちなみに「吹け、南風よ」はフェリアーの墓碑銘に刻まれた歌のタイトルである。

 シューベルト「美しき水車小屋の娘」(ディースカウ/ムーア、1971年~)

「最晩年の二人(ディースカウとムーア)は衝動に身を委ね、彼らの生涯最高の演奏を生み出した。」なんて解説を読むと、どうしても手に入れたくなる!


 ドビュッシー 前奏曲集(全集、パスカル・ロジェ、2004年1月)
 

「これは音楽の真価を問う画期的なレコードである」とある。ドビュッシーは好きな作曲家のひとりで、今のところベロフ(ピアニスト)がお気に入りだが、ロジェも同じフランス人の匂いがするので是非聴いてみたい。

厚かましいお願いだけど、このうち1枚でもCD化されており、もしお持ちのようでしたら貸していただけませんかな、何もタダでとは申しませんが(笑)。

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面白うて やがて悲しき 聴き比べ

2019年11月28日 | オーディオ談義

江戸時代の「俳聖」芭蕉は多数の名句を残しているが、そのうち一番好きな句がこれ。

「面白うて やがて悲しき 鵜舟かな」(芭蕉)


解説によると

「かがり火を焚(た)いてにぎやかに行われる鵜飼いはまことに趣深い。だが鵜飼いが終わり、かがり火が消えて鵜舟が去ってしまうと、たまらなく悲しい気分になってくる。

華やかさが消えた後の、あの何とも言いようのない寂しさを表現した名句である。」

以上のように誰もが経験する華やかさの後に残る物淋しさだが、つい最近では「ラグビーのワールドカップ」が終了したときにも同じ感慨を覚えてしまった。

そして、ほどなくオーディオについても何とも言えない”はかなさ”が漂ってきた。

以下、経緯を縷々述べてみよう。

このほど、近隣のオーディオ仲間の「Y」さんに来てもらって「アンプの聴き比べ」を行った。

Yさんはフルートの名手であり、日頃から生の音に親しまれているだけあって耳がよく鍛えられており、想像を絶するほどの敏感さでもっていつも貴重なアドバイスをいただいている。

  

今回のテストは現在「ウェストミンスター」(改)向けとして使っている「PP5/400シングル」アンプと「WE300Bシングル」アンプとの一騎打ちである。

日頃「300B」アンプは出力管に「スヴェトラーナ」を使っているが、今回ばかりは本家本元の「WE300B」(1988年製)を使った。

それぞれのアンプで20分間ほどの試聴を行ったが、「音響空間の果てしない広さを感じさせるという意味ではWE300Bアンプの方が一枚上ですね。私ならWE300Bアンプを使います。」とYさん。

「やっぱりそうですか」と自分。

「PP5/400」アンプに使っているインターステージトランス(UTC)が少し容量不足気味なので、その不安が的中した。

音質的には「WE300B」よりも「PP5/400」の方が繊細さに優っていて好きなのだが、大型スピーカーの場合はどうしても押し出し感が必要になるので仕方がない。

関連してYさんから次の発言が飛び出した。

「JBLのホーンタイプは勢いはいいのですが、どうしても音響空間の細かい響きが出にくいようです。ジャズを主体に聴くのならこれでいいのでしょうが、クラシックを中心に聴くとなると、あっさりAXIOM80あたりを持ってくる方がいいんじゃないですか。」

う~ん・・・。根底からシステムの有り様が変わる重大な発言である。

しばらく心が揺れ動いたが、オーディオに関しては常に前向きがモットーなので、ひとつ試してみようかと(笑)、10分ほどで交換が終了した。

   

予備として保管していた「復刻版」の「AXIOM80」、ある意味では史上最強ともいえる「スコーカー兼ツィーター」の登場だ。

周波数でいけば「800ヘルツ以上」(-12db/oct)を受け持たせることになる。

さっそく試聴に移ったが、JBLのネットワーク(LX80)の中高音域のボリュームをフルにしてようやくバランスが取れた。

以前はそうやっても物足りなかったので、これは明らかに電圧増幅管「13D9」を使った強力なプリアンプのおかげだろう。

そして、肝心の音質だがさすがに「AXIOM80」だけのことはあった。

日頃から「AXIOM80」ファンのYさんも「やっぱり音響空間に漂う細かな”ざわざわ”として産毛(うぶげ)だつような表現力はこれじゃないと出てこないですね」

何しろ「AXIOM80」の最大の弱点とされる中低音域は別のユニットと大きな箱でカバーしているのだからケチのつけようがない。

これにて一件落着。

結局、アンプの聴き比べが嵩じて、まったく予想外の方向へ向かってしまったことになる。

あれだけ楽しませてもらいお世話になったJBLの「175ドライバー」と「075ツィーター」が、とうとうお蔵入りになってしまった。

JBLはまことに「はかない命」だったなあ・・。

そういうわけで、

面白うて やがて悲しき 聴き比べ(笑)

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オーディオはどこも手を抜けない

2019年11月27日 | オーディオ談義

つい先日のブログに記載したように、「掘り出し物」狙いで2~3日おきにオークションの真空管部門で「STC=BRIMAR」で検索しているが、その網に引っ掛かったのが電圧増幅管「13D9」だ。

   

解説にはこうある。

「英国BRIMARの業務用高信頼電圧増幅双三極管13D9黒プレートの保存状態、程度の良い稀少な未使用新品ペア(2本)です(落札価格の設定は、ペア(2本)での設定です)。

管壁にBRIMARのロゴ、13D9、MADE IN ENGLAND、BVA、ロット等がシルク印刷されています。

この13D9は、一般的にあまり知られていませんが、1950~60年代に英国のBRIMAR(STC)の工場で、主に厳格な品質が求められる産業用途向けに生産され、英国ナンバーのECC81、CV4024、米国ナンバーの12AT7とは、同等規格の真空管としてそのまま差し替えて使用することができます。

通常のECC81等と比較して、プレート電圧が幾分(約10%程度)高耐圧に設計されており、本来、産業規格品ですが、オーディオ用途に使用した場合においても、高信頼管として優れた特性と音質を有する真空管として高い評価がされています。

この真空管は、私が趣味で約20年程前に自作アンプの保守用として複数本購入していたものですが、未使用品の手持ちが少し残っていますので、それを出品いたします。」

以上のとおりだが、成る程、成る程、「13D9」は「12AT7=ECC81」というわけですね。

「12AT7」は「12AX7」や「12AU7」と比べるとあまり人気がないみたいだが、我が家のプリアンプに使用している大切な真空管だ。

このプリアンプは電源トランスにしっかりしたものが使ってあり、それが音にもきっちり反映されているので今のところ一番のお気に入り。



3か月ほど前に全面改造してもらったものだが、初段が「12AT7」、次段も「12AT7」、そしてバッファーが「12AU7」で計6本という構成である。

何とも贅沢な使い方だが、一方では効率の悪い使い方ともいえる。

まあ、音さえ良ければ「どうでもよろし!」かな(笑)。

これまで初段に東芝製、二段目にナショナル製の「12AT7」を使っており十分満足の一言だったが、「STC=BRIMAR(ブライマー)」となると、話はまったく違う(笑)。

何が何でも手に入れるぞ、と張り切って見事に落札。有名な真空管ではないし入札者は自分一人だけで出品価格そのままの超安値だった。しめしめ(笑)。


所定の手続きを経て、我が家に到着したので、ワクワク、ハラハラ、ドキドキしながらさっそく初段に使っている東芝製と入れ替えてみたところ、まったく、天と地ほどの音の違いに完全にノックアウトされた。

音の瑞々しさ、臨場感いずれもとってみても素晴らしい。

たかがプリアンプの真空管ごときでこれだけ音が変わるのか!

「BRIMAR」バンザイ!

プリアンプに使う真空管の重要性はこれまでのブログでも「音質を左右するプリアンプの真空管」など、投稿してきたが改めてその感を深くした。

音の入り口付近にあたる音声信号はパワーアンプによって増幅されていくので、ほんのちょっとした違いが大きな差になっていく。

CDトラポに次いで微小電流を増幅する役目を持つプリアンプは絶対に手が抜けないし、パワーアンプだってスピーカーだって手が抜けない。

つまり、オーディオはどこも手が抜けないので気が休まるときがないのが非常につらい(笑)。

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大山鳴動して鼠一匹

2019年11月26日 | 独り言

今回はぎんギラぎんの「私事」にまつわる話、それも健康のことなので興味のない方はどうかここで引き返してくださいね~。

昨日(25日)は残りの人生を左右するような「運命の一日」だった。

話は3か月前の8月上旬に遡る。長~いお付き合いになる「血糖値」の持病だが3か月おきに血液検査を受けているものの、やたらに高かった。

合併症が心配になるくらいの数値だったが、これまでもずっと「山あり谷あり」の状況だったので、どうせ食べ過ぎが原因だろうから晩酌を止めればよくなるだろうくらいの軽い気持ちで過ごしてきた。

そして、きっと良くなっただろうと満を持して11月22日に血糖値の検査を受けたところ、これが何とまあ全然数値が下がってなかった。

断酒してまで努力したのにこの結果とはと、もうガックリきた。

医師もこの数値なら毎日注射を打たなくてはいけなくなりますよと脅してくる。

そこで「先生、もしかして私は”すい臓がん”じゃないでしょうかね?」。

というのも、ずっと以前のテレビですい臓がんの初期には急に血糖値が上がるという現象があることが脳裡に焼き付いていたので。

「エッ、すい臓がんなら激やせするよ~。最近体重が落ちましたか?」

「いいえ、しかし初期ってことも考えられるので・・」

「よし、そんなに言うのならすい臓のCTを取ってみようかね。紹介状を書くので〇〇病院に行ってください。検査期日はこれから連絡をとってみます。」

そして、検診日は25日(月)の午前8時半に決定。

土曜、日曜の2日間は心から不安に包まれた日だった(笑)。

万一「すい臓がん」だったらどうしようかとまんじり。

周知のとおり、すい臓がんの延命率は数あるがんの中でも最悪である。位置が胃の後ろにあるせいか、見えずらく発見が遅れて自覚症状が出たときは手遅れのケースが多いらしい。

まず、最悪のケースを心配して、身辺整理を考えた。といってもポイントはオーディオ機器だけですけどね(笑)。

大半を処理することになるが、あれとこれとを残してと、残留候補のおよその見当をつける。

また、とても「ブログ」なんて余裕のあることはやってられないので即刻中止だ(笑)。

13年間にわたる過去記事もデジタル遺産になるけど残った娘に迷惑が掛かるといけないので、すべて「全消去」といこう。

そして運命の25日を迎えた。

8時半の予約なので、駐車場の空き具合も考慮して7時50分には病院に辿り着いた。何しろ初めての病院である。

すると予想外にも閑散としていて”がら空き”だった。それはいいものの、逆に人気が悪い病院なのかなと変な心配が起きる。

院内に入ると、高齢者ばかり10人ほどの方々が受付の前に座っていた。

近くに座って話好きそうな”おばあちゃん”にそっと伺ってみると「皆さんリハビリの方たちばかりですよ」

ますます、この病院は大丈夫かいな?(笑)。

そして、新たに自分の横に座ったのが小さな女の子を連れた若い主婦だった。この方もなかなかの話好きでいろいろと情報を教えてくれた。

この病院は「画像診断」にかけては有名なところで、クラシックバレエをやっている娘が足首のじん帯を痛めたようで「MRI」を撮りに来たという。

どちらが悪いんですかと訊かれたので、素直に「はい、すい臓がんの不安があってCTを撮りにきました。何も無ければいいんですが・・・」

きっかり8時半になってCT検査室に入った。大きくてピカピカの機器が部屋の中央にでんと控えていた。

この6月に入れ替えたばかりで、放射線量は従来の半分になり、画像はより鮮明になりましたと看護士が言う。おそらく患者を安心させるためだろう。

最初に通常のCTを撮り、次に腕から造影剤を注入して再度撮るという。造影剤は人によってときおり事故が起こるようで、丁寧に説明を受け、同意書まで取られた。

もうこうなると「命預けます」ですなあ(笑)。

造影剤を注入中、身体がかっと熱くなったがすぐに収まった。

時間にして30分ほどであっけなく終了した。

20分ほど待って封印した画像結果の説明書とともに、かかりつけの医師の所に持って行った。

これでは、まるで死刑宣告を受けるような気分だなあ(笑)。

「ああ、〇〇さん、何ともなかったよ!画像に映っている内臓はすべて綺麗です。すい臓がこれです。まったく形も異常がありません。結局、血糖値が高いのは不摂生ということです。すい臓がんじゃなくて良かったねえ。」

ああ、よかった!

これでまた心置きなくオーディオが楽しめる~(笑)。

しかし「不摂生」については、ちょっと心当たりがあるので生活スタイルを変えてみよう。

最後に、前回のブログの画像「薄暮に浮かぶスカイツリー」「西川口の銀杏並木」は大いに人気を博したようで、ここ2~3か月あまりでは最高のアクセス数となった。

T君、おかげさまでどうもありがとう。

そこで「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って、今度は「昭和記念公園」(国営)の「紅葉」の写真を追加させてもらいます。

カメラはニコンの「D500」だそうですよ。

   

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CD盤の磁気を除去する機器

2019年11月25日 | オーディオ談義

高校時代の同窓仲間「T」君は「ニコン・カレッジ」を卒業したほどの腕利きのカメラマンである。

このほど、「晩秋の佇まい」の写真を「同窓会のメールクラブ」に投稿してくれたので同意を得たうえで2枚掲載させてもらった。

<薄暮に浮かぶスカイツリー>

       

<西川口の銀杏並木>

   

さて、つい先日このブログにも搭載したようにメル友の「M」さん(関西地方)からお借りしたCD群。

  

大半が全集物なので枚数が多く、じっくりと聴かせていただいているが、困ったことに、この中で「イングリット・ヘブラー」女史のモーツァルトのピアノソナタだけがCDトラポで読み込まない。

おかしいなあ!

トレイに何度入れ替えてみても「NO DISK」の表示が出る。

このCDトラポは古いとはいえ我が家のエース級ともいえる「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS:英国)である。



そこで急場しのぎでもう片方のCDトラポ(CECのベルトドライブ方式)に繋ぎ変えて試聴しているが、モヤモヤ感はなかなか治まらない。

「なぜ、このCDだけ読み込まないのか?」

もはやミステリーとしか言いようがないが、原因はきっとあるはずだ。

あまり血の巡りの良くない頭で考えること1週間あまり(笑)、ようやく「CD盤が持つ磁気のせいではあるまいか」に辿り着いた。

というのも、ヘブラー女史のCD盤だけカラー印刷がレーベルいっぱいにベットリ張り付いているのだ!



関連のネット情報にはこうある。

「レーベル面の塗料に含まれる鉄や、信号面のアルミが磁気の影響を受け、ピックアップやモーターが発する磁束により帯磁が進む事によって、読取エラーやノイズ成分が発生してしまうというものです。消磁する事により、読取エラーによる情報の欠損や音の立ち上がり、下がりを防ぐ事が出来ます。」

どちらかといえばすぐに扇動されやすいタチなので、これは「CD盤の消磁器」を買わねばなるまいて・・

やれやれ、また「お金」に羽が生えて飛んでいく~(笑)。

ネットで注文して3日ほどで送ってきた。

  

さっそく「ヘブラー」女史のCD盤を所定の個所に載せて印刷面と裏の両方を消磁して、CDトラポのトレイに放り込んだ。まったく祈るような気持である。ダメなときはドブにお金を捨てたようなものだから。

しかし、やっぱり読み込まない。

焦ったねえ!(笑)

そこで2回目のチャレンジで再度「両面消磁」して改めてトレイに。

すると、見事に小窓で「READ OUT」の表示がなされた。

うれしかったねえ!(笑)

これまでは何度チャレンジしても読み込まなかったので明らかにこの機器の効果だ!

結局、レーベル面に多量のインクが付着している場合は2回の消磁が必要のようだ。インクの磁気って相当なもんですな。

そして、副次的効果として音質も凄く良くなった印象がする。何しろ元気が良くて瑞々しいサウンドが出現するのだ。

いや、けっして贔屓目ではなく~(笑)。

ただし、毎回読み込み可能となったわけではなく、まだ当たり外れがあるようだ。むしろCDトラポそのものに磁気以外の問題があるのかもしれない。

ちなみに、世の趨勢はCDトラポから「HDD」録音に切り替わりつつあるので、CD自体がもはや「時代遅れ」の感は否めないが我が家ではいまだに音楽ソースのメインとなっている。

何せ手っ取り早いし、気に入った曲目の入ったCDばかりだから今後も「HDD」と併用していくつもり。

となると、CDをHDDに取り込むときに「消磁」することも十分考えられるわけなので、この消磁器は「無用の長物」でもないと思っている。

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所詮は高根の花だった!

2019年11月24日 | オークション情報

今のところ、だいたい欲しいと思うオーディオ機器はひととおり揃えた積りだが、つい昔のケセが出てときどきネットオークションで「掘り出し物」を見つけたくなる。

2~3日おきに検索しているが、キーワードになっているのはスピーカー部門では「goodmans」(アルニコ・マグネットに限る)、真空管部門では「STC」の二つで、いずれもイギリス・ブランドだ。

とにかく両ブランドとも性能的ににみてまずハズレがないのがいい。後は故障の有無とか修理代にいくらかかりそうなのか、そして出品価格などがチェック項目になる。

一昨日(22日)の深夜に落札期日を迎えたのが「AXIOM22マークⅡ」だった。

  

グッドマンの口径30センチの赤帯マグネットとくれば、黙って見逃す手はない。

専門業者からの出品だが簡単な解説を見ると「両ユニットとも正常に音が出ます」。

価格は例によって「1,000円」スタートである。相場としては「8万円」までなら買いだなと、およその見当をつけた。

とにかくSPユニットは口径30センチの大ファンである。

これまで口径38センチも使った事があるが、空気を動かす量と負荷が大きすぎて音声信号に対する応答性がどうも気にいらない。

比較的小出力の真空管アンプを使っている個別事情も当然加味されてくるので、この辺はもう好き好きですね。

万一自分が口径38センチを使うとしたらTRアンプをあてがうし、真空管アンプなら高出力のプッシュプルアンプを使う。

また、口径25センチや20センチとなると低音域の量感にどうしても不足感を覚えてしまうので、結局、口径30センチが自分にとってのベストバランスになってしまう。

現在、同クラスを所有している種類はJBL「D123」、グッドマン「AXIOM150マークⅡ」「トライアクショム」(同軸3ウェイ)、そしてワーフェデールの「スーパー12」(2ペア:赤帯マグネット)といったところ。

これ以上増えても出番はなさそうだが、「AXIOM150マークⅡ」の凄さが身に沁みているので、もっと良い音かもしれないという誘惑にはとても抗し難い。

このところ、午後の運動ジムで”くたくた”になっているので午後8時前には眠たくなる。オークションの終了時刻は深夜の11時30分なので、とても持たないので「8万円」で入札して後は白川夜船。

翌日(23日)の早朝、メールを開けてみると「高値更新」の非情な文字が躍っていた。

あ~あ、と思わず天を仰いで慨嘆した。とうとう縁がなかったか!

気を取り直して、はたしていくらで落札されたんだろうと、興味はそっちの方に向かった。

clickしてみると、落札価格は「141,000円」なり。

高っ!これではとても無理だったなあと、潔く諦めがついた。

しかし、まったく予想外の高値が付いたことはこのユニットの価値をよくご存じの方が多いわけで、ほとほと参りました!(笑)

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オペラを聴くと頭が良くなる?

2019年11月23日 | 音楽談義

「犬も歩けば棒に当たる」という諺がある。

ご存知の方も多いと思うがググってみると、「棒に当たるとは、人に棒で殴られるという意味。本来は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味であった。

現在では、“当たる”という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという、反対の意味で使われている。」

ときどき図書館に出かけて本を漁っていると、幸運にも思いがけない書物に“当たる”ことがある。

「頭が良くなるオペラ」(著者:樋口裕一)
                                        

まず冒頭に「オペラを聴くとなぜ頭が良くなるのか」とある。その理由とはこうである。 

「室内楽であれ、オーケストラであれ、オペラであれ、クラシック音楽を聴くと頭が良くなる。それが私の持論だ。

クラシックには微妙な音が用いられる。それにじっと耳を傾けることによって、物事をしっかりと落ち着いて思考する態度が身に付く。

変奏形式などに基づいて論理的に構成されていることが多い。それゆえクラシックを聴いているうちに自然と論理的な思考が身についてくる。

だが、オペラとなるとその比ではない。オペラは総合芸術だ。そこに用いられるのは音楽だけではない。

ストーリーがあり、舞台があり、歌手たちが歌い、演出がある。それだけ情報も増え、頭を使う状況も増えてくる。必然的に、いっそう頭の訓練になる。言い換えれば頭が良くなる」

とまあ、以上のとおりだが、自分の場合別に頭を良くしようとクラシック音楽を聴いているわけではない。

聴いていて心地いい、場合によっては心を揺り動かされるのが楽しみなわけだが、目下の関心事のひとつは「ボケないこと」なので、一石二鳥になればそれに越したことはない。

本書では具体的に16の有名なオペラが挙げられており、“頭を良くする”ための聴きどころが懇切丁寧に解説されている。

我らがモーツァルトの三大オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」ももちろん入っている。 

この三つのうち、もし一つでも欠けていたら著者のオペラに対する見識を疑うところだったので好感度100点!(笑)

この中では、最晩年の作品「魔笛」が音楽的には「一頭地を抜いている」と思うが、「頭が良くなる」という見地からはおそらく「ドン・ジョバンニ」ということになるだろう。

いったい、なぜか?その理由を述べてみよう。 

このオペラはモーツァルトの「天馬空をかける」ような音楽には珍しいほどの人間臭さがプンプン臭ってくる男女の愛憎劇である。

ご承知の方も多いと思うが、まず簡単なあらすじを述べると、女性と見れば若い女からお婆ちゃんまで次から次に手を出す好色な貴族の「ドン・ジョバンニ」が、神を信じず人を殺した報いを受けて最後は地獄に堕ちていくというもので、第一幕の冒頭の出来事にこのオペラの大切なポイントがある。

ドン・ジョバンニが貴族の女性「ドンナ・アンナ」をモノにしようと館に忍び込むものの父親の騎士長に見つかり、争いになって騎士長を刺し殺してしまう。父を殺されたドンア・アンナは恋人ドン・オッターヴィオとともに犯人を捜し、復讐しようと誓うシーン。

五味康祐さんの著書「西方の音」にも、このオペラが詳しく解説されているが、この館の夜の出来事においてドン ・ジョバンニが父親を殺す前にドンナ・アンナの貞操を奪ったのかどうか、これがのちのドラマの展開に決定的な差をもたらすとある。

言葉にすることがちょっと憚られる「暗黙知」がこのオペラの深層底流となっているわけだが、こういうことはどんなオペラの解説書にも書かれていないし、もちろん本書もその例に漏れないが、このことを念頭におきながらこのオペラを聴くととても興趣が尽きない。

ちなみに、「西方の音」では二人に関係があったことは明白で「さればこそ、いっさいの謎は解ける」と具体的にその理由が挙げられている。

「もしかして・・」と疑心暗鬼にかられる恋人ドン・オッターヴィオ、素知らぬ風を装うドンナ・アンナ、そして臆面もなく他の若い娘にも触手を伸ばす好色漢ドン・ジョバンニとの三角関係、その辺の何とも言えない微妙な雰囲気をモーツァルトの音楽が問わず語らずのうちに実に巧妙に演出している!

楽聖ベートーヴェンはこの不道徳なオペラに激怒したというが、ロマンチストだったベートーヴェンと違って、モーツァルトは人間の機微に通じた世慣れ人であることがいやがうえにも感じ取れるのだ。

というわけで、「ドン・ジョバンニ」をこういう風に鑑賞すると頭の血の巡りがもっと良くなること間違いなし!(笑)

フルトヴェングラー指揮、以下クリップス、バレンボイム、ムーティなどいずれも名演だと思うが、前述の微妙な雰囲気を醸し出すのがダントツなのは「フルトヴェングラー」に尽きる!
          


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智に働くか、情に棹(さお)さすか

2019年11月22日 | オーディオ談義

私たちの健康を支えてくれる大切な「医療の現場」に「セカンド オピニオン」という言葉がある。

ご存知の方も多いと思うが念のため、意味を掲げておくと、

「現在かかっている医師(主治医)以外の医師に求める第2の意見のことです。この考え方が広がってきた背景には従来の医師へのお任せ治療ではなく、インフォームド コンセント(説明と同意)を受け、自分も治療の決定に関わる医療に変わってきたという社会背景があります。

医療は日進月歩で新しい治療法が次々に生まれています。そのすべてを一人の医師が把握しているとは限りません。

また、医師や医療機関によって患者さんに提供すべきだと考える治療は同じとは限りません。

医師や病院によって提供できる医療内容に限界がある場合もあります。また、患者さんそれぞれによって自分の受けたい治療は様々です。


そこで、患者さんにとって最善だと思える治療を判断するために別の医師の意見を訊くこと、それがセカンド オピニオンです。」

この話と「音楽&オーディオ」といったいどんな関係があるんだと、いきり立つ人がいるかもしれない。まあ、そう焦らずに(笑)。

まず話の発端を述べてみよう。

以前、とあるオーディオ仲間(大分市内)を訪問したところ、修繕した真空管アンプのあまりの変わり様に驚いてしまった。

もちろんすべてがいい方向へと大変身である。なにしろ周波数レンジは広くなるし、奥行き感も出てきて、楽器の位置や音色にもリアリティが横溢していた。以前とは大違いである。

どんなスピーカーでもアンプの性能によって音質が大きく左右されることを改めて痛感した次第だが、同時に「アンプ ビルダー」さんの腕次第でもその差が大きく違うことに驚いてしまった。

ここで仮にこのアンプの持ち主をAさんとしよう。そして作り主、いわば最初に作った方をBさんとしよう、そして今回の修繕主をCさんとしておこう。

つまり患者がAさんであり、主治医がBさん、そして第二の意見を求める医師がCさんに当たる。これで役者が出そろった(笑)。

Aさんはこれまで自分のアンプにいっさい不満を覚えなかった。なにしろ作り主にあたるBさんは軽く500台以上にも上る真空管アンプを作ったというベテランで、回路の設計から配線にかけても正確無比、しかも音質が上等な上に丈夫ときている。

いつも大船に乗った気持でいたが、そのうちウッカリミスで真空管のピンを差し違えてしまいアンプから煙が吹いてしまった。

さあ、たいへん! 間が悪いことに肝心のBさんは寄る年波に勝てず健康を害して入退院を繰り返し、アンプの修繕どころではないご様子。

そこで、仕方なくこれまたアンプ名人で知られるCさんに助っ人をお願いしたところ快く引き受けていただき、煙を吹いた箇所ばかりではなく、ほかにも気になる個所をいろいろと、たとえば回路の配線の見直し、線材の交換から稀少品のハンダのやり直しなどを交えてかなりの規模の修繕と相成った。

その結果、前述のように音質が大変身というわけだが、この出来事について真空管アンプを愛好する人間としてちょっと考えさせられてしまった。

結局、超ベテランとも称されるBさんが作ったものでさえ、結果的にアンプの性能をベストの状態に持って行くことができなかったことになるわけだから。

どんなに優れた「アンプ ビルダー」さんにしても医師と同様に専門分野や得意分野があるのかもしれないと思った次第。

たとえば個有の出力管に対して山ほどの種類がある前段管や整流管の適切な選択と回路の採用、シングル型式とプッシュプル型式の違い、インターステージトランスの扱い方など、これらの細かいノウハウについての情報を個人が100%取得することは不可能に近いといえる。

したがって、このことから導き出せる結論はひとつ、「特定のアンプ製作者に対する思い入れはほどほどに」かな!(笑)

とはいえ、「依頼者と製作者は固い信頼の糸で結ばれているはずだ。まるで“人情紙風船”みたいにそんな冷たいことを言うな」と叱られそう。

ここでようやく我が家の話になるが、現在使用している「PP5/400シングルアンプ」を振り返ってみると、恥ずかしながら「セカンド オピニオン」ならぬ、何と「Fifth オピニオン」、つまり延べ5人ほどに修繕を依頼した勘定になる。

    
                
もうこうなると「執念」としか言いようがないが、その一方では、「ドライな薄情者」と言われても仕方がない(笑)。

過去の4名の方々に対する忸怩(じくじ)たる思いは当然のことだが、前述のように日本有数と称される「アンプ ビルダー」さんだって結果的には盲点があったんだから、結局、得意分野との相性がマッチングしなかったとしかいいようがない。

真空管オーディオのポイントはどれだけ相性のいい「アンプ ビルダー」さんを探し出せるかにかかっていることを否定する人はまずいないと思うが、当方も命の次(?)ほどに大切なオーディオなので一生懸命なのである。

それにしてもアンプの音質が気に入らないとき、あるいはもっと「気に入った音」にしたいと思ったときに、製作者に義理立てして再度改造を依頼するか、あるいは、ためらうことなく別の「セカンド オピニオン」を利用するか、これはとても難しい問題だ。

「智に働けば角が立つ 情に掉(さお)させば流される 意地を通せば窮屈だ とかく人の世は住みにくい。」(「草枕」夏目漱石)

「智に働くか、情に掉さすか」、もしあなたならどうします?(笑)

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1783年のモーツァルトの「音楽会」のプログラム

2019年11月21日 | 音楽談義

図書館から借りてきた「クラシック名曲全史」(2019年10月刊)に目を通していたら、興味深いことが書かれてあったので後日のために箇条書きしておこう。



「1783年のモーツァルトの音楽会のプログラム」

いわば240年ほど前の「音楽会」の演目なので極めて珍しい。

モーツァルトは1789年に35歳で亡くなったので、換算すると29歳のときの演奏会になる。

ウィーンで開かれた演奏会のプログラムの内容はこうだ。

 序曲「ハフナー」交響曲

 オペラ「イドメネオ」よりアリア(ソプラノ)

 ピアノ協奏曲K415(モーツァルト演奏)

 オペラのシェーナK369(テノール独唱)

 「ポストホルン」セレナードの協奏曲楽章

 ピアノ協奏曲K175(モーツァルト演奏)

 

 オペラ「ルーチォ・シッラ」よりアリア(ソプラノ)

 モーツァルトのピアノ独奏

 オペラのシェーナK416(ソプラノ独唱)

10 終曲(序曲の終楽章)

解説によると、当時の音楽会の目玉演目はいつも声楽であり、注目されるのも声楽家たちだった。

1番と10番はオーケストラだけの演奏で、まだ電気も発明されておらず普及していない時代なので1曲目の序曲は開幕のベル代わりであり、最後の10曲目にあたる終曲は終了の合図だった。

つまり交響曲はベル代わりで「前座」のようなものでありコンサートの華は歌曲だった。

以上のとおりだが、おそらく当時の楽器の性能がイマイチだったので歌曲が隆盛を極めたのかな?

ところで、この「音楽会」がはたして宮廷の「王侯貴族向け」なのか、それとも「一般市民向け」なのか、定かではないが、29歳といえば、あれほどもてはやされていた時期とは様変わりしてきて大衆から「彼の音楽は難しくなってきた」と敬遠されだしたころである。

それにしても、ピアノの名手とされていたモーツァルトの演奏ばかりはとうてい適わぬ夢だがぜひ聴いてみたかった(笑)。

ところで彼はヴァイオリンは巧かったのだろうか。珠玉のヴァイオリンソナタ、ヴァイオリン協奏曲などの作品群があるので疎くはなかったと思うが。

 世界でよく演奏される作曲家ランキング

2018年 1位「ベートーヴェン」、2位「モーツァルト」、3位「バーンスタイン」

2017年 「モーツァルト」、「べートーヴェン」、「バッハ」

2016年 「ベートーヴェン」、「モーツァルト」、「バッハ」

結局、これまで言い尽くされているようにクラシックはとどのつまり「ベートーヴェン」「モーツァルト」「バッハ」に尽きるようですよ。

 節度があるモーツァルトの音楽

モーツァルトは父親宛ての手紙にこう書いている。

「情緒というものはそれが烈しかろうとそうでなかろうと、けっして嫌悪を催させるほどまで表現すべきではないし、それに音楽はどんなに恐ろしい有様を描くにしても耳を損なうようであってはならず、そうじゃなくて満足を与え、したがっていつも音楽にとどまっていなければなりません。」

著者曰く、「モーツァルトの音楽の本質がここにある気がしてなりません。モーツァルトの音楽には節度があるのです。

モーツァルトは時代ごとに変わった見方をされてきていますが、それはつまりいずれの時代も自分たちが求めるものをモーツァルトの中に発見しているということです。彼の音楽は相手がどんな角度から求めてきたとしても相手を満足させることができるのです。」

200年以上もの年月をかけて沢山の人々から厳しいふるいを掛けられながら生き残る音楽とはそういうものなんでしょうね~。

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世にオーディオの種は尽きまじ

2019年11月20日 | オーディオ談義

使う途が見つからないまま部屋の片隅にくすぶっていたネットワークとSPユニットたち。

ある日、ほんの思い付きで馴染みのない「3ウェイ」システムに編成したところ実に思いがけない成果があったことは、先日のブログ「七転び八起きのオーディオ・スタイル」(2019.10.24)に記載した通り。

今や我が家のエース級として大活躍である。

    

何といっても決め手は「ネットワーク」(パイオニア製)だった。



大して高価でもない代物だが、2ウェイにも3ウェイにもスイッチの切り替え一つで変幻自在なので随分重宝している。

2ウェイのときは、クロスオーヴァ―が「4000ヘルツ」(-12db/oct、以下同じ)、3ウェイのときには「500ヘルツ」と「4000ヘルツ」となる。

3ウェイ仕様で大いに満足しながらも1か月ほど経ったので、遊び心で久しぶりに2ウェイ仕様に戻してみた。

つまり「~4000ヘルツ」まではグッドマンの「AXIOM150マークⅡ」にして「4000ヘルツ~」はワーフェデールの「スーパー3」にして聴いてみたところ、やっぱり物足りなかった。

一言でいえば「音の密度が薄い」に尽きる。

こうした結果をみると、これまでずっと敬遠してきた3ウェイに対する認識を改めざるを得ない。

なぜ敬遠してきたかというと、マグネットが違うユニットを3つも使うとそれぞれのクロス―オーヴァー付近(この場合は500ヘルツと4000ヘルツ)で違うユニット同士の音が重なり合うので音が濁るだろうという先入観。

理論的にはたしかにそうなんだけど、現実にはそれほど音も濁らずむしろとても生き生きとしてフレッシュな音が出るのだから仕方がない。

ふと、昔読んだ「釣り雑誌」に書いてあった記事を想いだした。

年期の入ったベテラン釣り師が高級な釣り竿やリールを使い、「仕掛け」にも細心の注意を払って防波堤で「繊細な釣り」をしていたがなかなか釣れない。

そこにやってきたのが見るからに初心者と分かる釣り師で、竿も仕掛けも荒っぽい限り。大きな錘を使ってドボンと餌を海に放り込む。

そんなことでは釣れないよと鼻でせせら嗤っていたところ、何とその仕掛けに大きな魚がかかってしまった。

つくづく「釣りとは何ぞや」と考え込んでしまったという話。

スタイルに拘ることなく、魚が釣れればそれは現場の環境に適した「いい仕掛け」なのだ。

オーディオも同じで、見かけがどうであれ「気に入った音」が出れば、それは現場に適応した「いいシステム」なのだ(笑)。

オーディオは「音響物理学+各自の感性」で成り立っているが、部屋の音響特性をはじめ、機器の種類も多いし、あまりにも「変数」が多すぎて理論的にすべて解明するのは無理。

つまり「理論 VS 実践」でいけば、もちろん理論も大切だけど実践の方が優勢だと個人的には思っている。実際にやってみなければ分からん世界だ。


したがって、「オーディオは何でもあり」なのでネタは永遠に尽きない。


「浜の真砂は 尽きるとも 世にオーディオの種は 尽きまじ」(笑)。

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改めて「タンノイ」を考える

2019年11月19日 | オーディオ談義

先日搭載した「どうも気になるタンノイさんのオークション」(11月13日付)は、1週間も経過した過去記事にもかかわらずいまだにアクセスが絶えない。

「タンノイってやっぱり気になる人が多いんだなあ」と改めて感じ入った次第。

まあ、読者の興味を惹いてくれたのなら、内容のレベルは別としてこのブログの目的を半分以上果たしたことになるので良しとさせてもらおう。

さらにはまた、ときどきメールをいただくタンノイ愛好家の「I」さん(東日本)からも次のようなコメントが寄せられた。ご本人のご同意のもとに、以下のとおり掲載させていただこう。

「タンノイは、ボワンボワン・キーキーという定説的な評価がありますが(これがお好きな方もいますが)、私は決してこれがタンノイの真実ではないと思います。

私自身は、Hpd385A、モニターゴールド15を通じて16年間タンノイと格闘(笑)していますが、そういった縁で個人宅で様々なタンノイを聴かせていただく機会に恵まれました 。

どのお宅のいずれも、定説的な音で鳴っているところはなく、タンノイの使いこなしについて様々なご教示を頂くことが出来ました。

アンプやケーブルの選択に気を使われていることはもちろんなんですが、ある法則があることに気が付きました。

① モノラルパワーアンプを使用している。

② 機材は、スピーカーの間に置かない。

③ spは、mm単位で調整

④ タンノイ以外のスピーカーは置かない。

私がここまでタンノイへの興味が尽きないのは、十数年前に聞かせていただいた定説的な音とは真逆のタンノイを聴いてしまったからなんです。

部屋いっぱいに展開するオーケストラ、立体的な音像、風のように静かに流れて来る低弦楽器、これが本当のタンノイと知ったゆえなんです。

 〇〇さんにも、本当のタンノイの音を知って欲しい。そうすればもう「タンノイさん」なんて揶揄するような言い方をしなくなるんじゃないかと(笑)。

 機会があれば、拙宅の音もぜひ聴きにいらしてください。ヒントは惜しみなく公開しますので(笑)。」

以上のとおりで、うまくタンノイを鳴らそうとたいへんご熱心に取り組んでおられることにまず敬意を表します。16年もの年月をかけたタンノイの音はきっと「いい音」なんでしょうね。およそ想像がつきます。

そして、具体的に4点のご指摘があったが、すべて我が家のシステムの状況とは真逆!

しかし、まことにごもっともだと思いますよ(笑)。

ただ、オーディオに関する論議の場合、こればかりは実際にお互いの音を聴き合ってこそ「成る程、あなたのご意見の趣旨はよくわかりました」となるのが普通なので、このままでは「闇夜の鉄砲」みたいな感じになってしまう懸念が大いにありますね。

このことを念頭に置いて話を進めましょう。

  

これは五味康祐さんが使っておられたタンノイ「オートグラフ」(モニターレッド入り)の復元です。わざわざイギリスから直輸入されたもので生粋のオリジナルです。

実は、これまでオートグラフを主体に幾多のお宅の「タンノイ」を聴かせていただきましたが、オーケストラはともかく、総じて「ボーカル」「ヴァイオリン独奏」「金管楽器の咆哮」にやや憾みが残ったのは残念です。ジャズはもちろん論外でした。

こういう先入観を払拭するためにも、ぜひ「I」さん宅の「ほんとうのタンノイの音」を聴いてみたいというのがホンネですが、九州と東日本とでは交通費がですねえ(笑)。

いずれにしても、今回寄せていただいたご意見により「タンノイ」の奥深さの一端が認識できたような気がしています。どうもありがとうございました。

なお、これから「タンノイさん」の呼称について、敬意を払って「タンノイ」に改めますので、どうかご安心ください(笑)。

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ブログは無事の便り?

2019年11月18日 | 独り言

「活字中毒」という言葉をちょくちょく目にする。

お馴染みの「広辞苑」には残念なことに該当語の記載がないが、ネットには「本・雑誌・新聞などを読むのが好きで、何も読むものがないと“いらだつ”ような状態になること。また、そのような人をいう。」とある。

そういう意味では自分は立派な「活字中毒」患者である。

あれほど「音楽&オーディオ」と「ブログの作成」で目が回るほど忙しいのに(笑)、手元に未読の本がないと何となく落ち着かない。そこで折をみて図書館に出かけて闇雲に何がしかの本を仕入れてくる。

館内に入ると、まず「紙とインクの匂い」にホッとし、もしかして面白い本に出くわすかもしれないという期待に胸を膨らませているが、それがピタリと的中したときはこの上ない喜びとなる。

つい最近読んだ中で一気呵成に読んだのが次の本だった。

☆ 「作家の履歴書」~21人の人気作家が語るプロになるための方法~(角川書店刊)。

                       

当代の人気作家たち21人について、それぞれ(作家への)「志望動機」「転機」「自分を作家にした経験」についてのコメントをまとめたものだが、まったく各人各様の勝手気ままな“半生”の波乱万丈ぶりが面白かった。

とはいえ、これらの作家たちには共通点があって一つは小さい頃から並外れた「本の虫」だったこと。その読書量たるや凄まじいもので、これらは着実に本人の血となり肉となって後年の作品に反映し結実していったに相違ないと思わせる。

そしてもう一つの共通点は書いても書いても売れない長~い不遇の時代をかこっていたこと。そして、めげずに続けていたら、ひょんなことで売れっ子作家になったというパターンが非常に多い。

結局、
最後にモノを言うのはやっぱり「根気」のようだが、それを裏打ちしているのは「読んだり書いたりすることが大好き」であることは間違いない。いわば「好きこそものの上手なれ」。

ちょっとニュアンスが違うかもしれないが、ふとオーディオ愛好家にも当てはまるのではないかと思った。

自宅で気に入った音で音楽を聴こうと思ったら並大抵の努力では間に合わない。たとえば誰もが羨むような豪勢なシステムにしたってポンとそのまま置いただけでは絶対にうまく鳴ってくれない。なにがしかの工夫が要る。

これまでのオーディオ遍歴の中で、ときどき長続きしない愛好家を見受けることがあるが、そういう人たちはいずれも「音楽」ではなくて「音」を聞こうとする人たちだった。

結局、この趣味も「音楽大好き人間」でないと根気が続かないようである。


「根気」のことでもう一つ。

つい先日、珍しく午後4時ごろの遅い時間帯に運動ジムに行ったところ、昔の知り合いにばったり遭遇した。

(自分の)心臓病の服薬のことでいろいろ親身になって心配してくれた方なので、懐かしさのあまり「お久しぶりです」と声をかけると「いつもブログを読んでますので、お元気なことは分かってました。内容が専門的過ぎてさっぱりわかりませんが・・・。」というお答えが返ってきた。

どうやら年賀状と同じでブログが「無事の便り」になっているらしい(笑)。

「元気にしてますよ」というシグナルを発信する意味で、改めて(ブログを)根気よく続けていこうと決意を新たにした次第だが、こういうありがたい読者がいるのでたまには音楽とオーディオ以外のことも書かねばという気にさせられた結果がこの記事となる(笑)。

話は戻って、本書にはこれらの作家たちが「もっとも影響を受けた作家・作品」という項目があった。プロの作家たちの心をそこまで揺さぶったとなると、大いに興味を引かれたので忘れないように主な作家を抜粋して列挙しておくことにしよう。

〇 大沢 在昌    レイモンド・チャンドラー「待っている」、生島治郎「男たちのブルース」。

〇 角田 光代    デビュー当時は「尾崎 翠」が好きで、28歳で開高健にものすごく影響を受けた。「輝ける闇」。

〇 北方 謙三    ギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」

〇 小池 真理子  三島由紀夫とカミュ。1冊あげるなら「異邦人」

〇 桜庭 一樹    ガルシア=マルケスの「百年の孤独」。無人島に持っていくとしたら絶対コレ。


〇 椎名 誠     宮沢賢治が一番好き。「どんぐりと山猫」は暗唱できるくらい読んだ。


〇 朱川 湊人    ブラッドベリ「10月はたそがれの国」


〇 白石 一文    カミュ「異邦人」繰り返し読んだので血肉化している。


〇 高野 和明    ブラッティ「エクソシスト」、宮部みゆき「魔術はささやく」「火車」


〇 辻村 深月    綾辻行人の「館」シリーズ


〇 誉田 哲也    夢枕 獏「上弦の月を食べる獅子」


以上のとおりだが、「ドフトエフスキー」の作品が入ってない。エンタメ系の作家が多いせいかな。ちょっと淋しい・・。

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いつも突きつけられる「二者択一」

2019年11月17日 | オーディオ談義

「真空管・オーディオ活用の奥義を読む」(2019.11.15)からの続きです。

去る2日(土)に試聴会を開催したときの仲間の一言が2週間経ってもいまだに脳裡を去らない。

「悲愴の第4楽章をコンサートで聴いて感動のあまり涙が止まらなかった」。

もう分かりきったことだが、何のために私たちが一生懸命「音楽&オーディオ」に取り組んでいるのかといえば、それは音楽を聴いて心から感動を覚えたいがためである。

生演奏とは違って所詮は電気回路を使った家庭用のシステムだが、そのハンディにもめげず、できるだけ目的を達しようと誰もが「血(お金)と汗と涙」の滲むような努力と工夫を凝らしている。少なくとも自分はそうだ。

そこで、冷静に分析してみると、仲間がなぜ感動したかといえばコンサートホールの圧倒的な臨場感と豊かな量感ではなかったろうか。

ふと、家庭での音楽とオーディオの愉しみ方は二通りあるのではないかと思った。

一つ目は微視的な楽しみ方

音の艶とか、奥行き感があって音の抜けがいいとかの、どちらかといえば重箱の隅を突っつくような楽しみ方で、これは中小型スピーカーのフィールドになる。

二つ目は巨視的な楽しみ方

雄大な弦のユニゾンとか、盛大に押し寄せてくる”うねってくる”ような音の波などスケール感を楽しむわけでこれこそ大型スピーカーの出番だ。

つまり一つのスピーカーに「微視的」な側面と「巨視的」な側面の両方を期待するわけにはいかないし、ここははっきりと割り切る必要がありそうだ。

心から音楽に感動できるのがどちらのスピーカーかは人それぞれだが、自分の場合は「悲愴」を聴きながらどうも「巨視的」じゃないと心から音楽に感動できない気がしてきている。

正確に言えばそう錯覚させてくれるような「音づくり」をしてみたくなった。

とするなら、我が家の場合微かな可能性を残すのは「ウェストミンスター」(改)しかない。

周知のとおり、スピーカーとアンプは持ちつ持たれつの関係にあるので、両方の対策が必要になる。

まずスピーカー側としては現行のウーファーの口径「30センチ」を口径「38センチ」に代える手がある。

とはいえ、あまりにも犠牲になる部分が大きすぎるので両者を天秤にかけると、もうちょっと口径「30センチ」で粘ってみたい気がする。

そこで、アンプ対策に絞ってみて、我が家のアンプ群の中で一番「低音域」が充実したアンプを実験してみたところ、ベストだったのが何と小振りの「6098シングル」アンプだった。

   

今年(2019年)の6月に手に入れたアンプである。

日頃「ウェストミンスター」は中高音域の艶とか抜けとかを優先して「PP5/400シングル」を使っているのだが、中低音域のトルク感となると、多極管の「6098」の方が明らかに一枚上だ。

   

三極管としてはヨーロッパの王者とされる「PP5/400シングル」でさえも、そしておそらく「WE300B」でさえもトルク感ではしっかりしたツクリの多極管には及ばないようだ。(少なくとも我が家では・・)

「真空管・オーディオ活用の奥義」に書いてある通りだった。

あの得も言われぬ中低音域のゴリッとした駆動感は多極管のレーゾン・デートルなのかもしれない。

結局、ここでもまた「二者択一」を迫られてくる。

「PP5/400真空管の中高音域のスカッとした抜けの良さを取るか、6098真空管のゴリッとした中低音域のトルク感を取るか」

オーディオをやっていると、しょっちゅう「二者択一」の刃の切っ先を突き付けられるので、いつも緊張し身構えていなければならない。

まあ、苦にはならないがきっとボケ防止に役立ってくれることでしょうよ(笑)。

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モーツァルト・ピアノソナタの競演~その2~

2019年11月16日 | 音楽談義

前々回からの続きです。

毎日いろんな音楽のジャンルを聴いているがクラシック音楽となると、なるべく午前中に集中して聴くようにしている。

お粗末な脳内の独自のフィルターがせめて新鮮なうちにという目論見だが今回の試聴で、はたして功を奏するかな(笑)。



ヘブラー女史、ピリス女史、そしてグールドの偉大なピアニストたちを前にすると、まるでエヴェレストの最高峰を仰ぎ見ているような気がする。

ピアノソナタすべてを聴くのは時間がいくらあっても足りないので一曲に絞った。

大好きな「第14番のハ短調(K・457)の二楽章」でいこう。

聴いた順番は次のとおり。

1 ヘブラー女史の1960年代盤

2 同じくヘブラー女史の1980年代盤

3 ピリス女史

4 グールド

40分ほどかけて一通り聴かせてもらったが、楽譜を読めない素人が大家の演奏を聴いてせいぜい言えることは、技術的な話を云々するよりも心情的に心を揺り動かされるかどうかだけですよね(笑)。

ちなみに、昭和の評論の世界で一時代を画した小林秀雄さんの作品に
「美を求める心」というのがあって、正式に音楽教育を受けたことのない音楽愛好家にとって実に心強いことが書かれてある。

「極端に言えば、絵や音楽を解るとか解らないとかいうのがもう間違っているのです。絵は目で見て楽しむものだ、音楽は耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとかいうべき筋合いのものではありますまい。まづ何を措いても見ることです、聴くことです。」

都合のいいときに都合のいい言葉だけを引っ張り出して、自己の主張を正当化する「ご都合主義」は筆者だけが持つ特権なのでどうか許してほしい(笑)。

それはさておき、まず、注目すべきは各自の演奏時間だった。

1 7分54秒 2 7分46秒 3 7分28秒 4 12分10秒

グールドだけメチャ長い!

もうこうなると、一人だけ浮き上がってしまい、まったく異質の音楽になっているが、それにもかかわらずストーリーがあり、しっかりした句読点があって全体的にドラマティックというのだろうか、一番切なく胸に迫ってくるのもグールドだった。

久しぶりに聴いたが思わず目頭が熱くなった。いやあ、素晴らしい!

もちろんヘブラー女史もピリス女史も飛びっきりの演奏だと思うが、ちょっと次元が違う印象を持った。

なお、ヘブラー女史の1は「デッカ」レーベルだが原盤は「フィリップス」のアナログ録音で、2は「デンオン」のデジタル録音だった。

どちらが音が良いかといえば2だし、さらに演奏の方も若さよりも年の功というのかコクがある気がしたので総合的には1よりも2に軍配を上げたくなる。

さらに、ヘブラー女史とピリス女史の違いだが、「何も足さない、何も引かない」モーツァルトの素顔をそのまま描き出すのがヘブラー女史で、センス抜群のニュアンスを込めてうまく音楽的な演出をしてくるのがピリスだった。

もう、どちらが良いとか悪いとかは埒外で、あとはミューズの女神に判断してもらうしかない(笑)。

以上でピアノソナタの試聴は終わり。

次の試聴ポイントは歌劇「マクベス」のCD盤とUHQCD(ウルトラ・ハイ・クオリティ)盤の聴き比べ。

ピアノのときと違って今度はシステムを代えた。

DAコンバーター側で「176.4KHz」でアップサンプリングし、プリアンプは真空管式、パワーアンプは「6098シングル」、スピーカーは「ウェストミンスター」(改)。

歌劇の比較試聴では録音状態の優劣が実に分かりやすかった。

全体的な音の輝きが段違いとでもいうのだろうか、ボーカル、ホールトーンの響き、金管楽器の咆哮などにおいて断然「UHQCD」の方が上だった。とにかく音が一塊にならずに分解して聴こえるのだ。

たったCD盤の材質が違うだけでこれほどの差がつくことに心の底から驚いた!

近年流行りのハイレゾもいいが、CDだってもっとやるべきことがあるのではなかろうか、とさえ思わせた。

最後の試聴ポイントは「ブルックナー」の交響曲全集。

アバド、ベーム、マゼール、メータ、ショルティ、そしてシュタインといった有名どころの指揮者がズラリといったところだが、この中では「ホルスト・シュタイン」が一番好きなので、2番と6番を聴かせてもらった。

送り主の「M」さんによると「DECCA」の録音が素晴らしいとのことだったが、まったく同感だった。

いつぞやのブログにも記したように「DECCA」レーベルの録音でハズれた試しがないが今回もそうだった。

あの「水増しされた音楽」とも酷評されるブルックナーがとても音が良く鳴り響いてくれてちっとも退屈感を覚えないのである!

「録音さえよければどんな曲目でも楽しんで聴ける」というのは新発見だった。

それにクラシック音楽の最たる楽しみの一つはオーケストラの重厚で豊かなスケール感に尽きるというのも新発見でしたよ(笑)。

Mさん、貴重な名盤の試聴機会を与えていただき、たいへんありがとうございました。

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