先日のブログ「読書コーナー~広重ぶるう~」の中で触れた浮世絵の二大巨匠「葛飾北斎」と「歌川広重」だが、実は「川瀬巴水」(かわせ はすい)も入れようかとつい脳裡をよぎったのだが、時代が100年ほど下がるので、まあいっか・・。
すると、さっそくメル友の「I」さん(東海)から次のようなメールが届いた。
「広重ぶるう、面白そうですね。蒲原宿の絵、そして富士山の写真は日本平から富士を見る構図です。蒲原も入っている筈です。
ところで川瀬巴水はお嫌いですか?
ビッグ2に比べると100年ほど時代が下がります。私は好きです。」
以上のとおりだが、「I」さんとは本の好みが見事に一致しているので常に一目置いている存在だが、絵もそうなんですか・・。
アップルの創業者「スティーブ・ジョブズ」(故人)が愛好したという「川瀬巴水」の代表作がこれ。「雪の増上寺」
素敵です!
さて、本日は2月28日で2月の最終日。新年に入って早くも2か月が経った。
「1月」は「行く」、「2月」は「逃げる」、「3月」は「去る」とそれぞれ頭文字をとって「光陰矢の如し」のように喧伝されているが、同時にこの時期は「別れ」の季節でもありますね~。
つい感傷的になって、「広重ぶるう」の中で触れていたモーツァルトの「ポストホルン・セレナーデ K320」にまつわる亡き母(享年94歳)の想い出が蘇ったので以下、ご迷惑だろうがひとくさり~。
「もう40年前ぐらいになるだろうか、NHKのBSハイの深夜番組でオペラを放映していた。長大なオペラの場合、3分程度の幕間休憩というのがあり、そのときに間奏曲として演奏されている曲目が実に心に沁みてきた。
こんこんと尽きせぬ泉が湧き出てくるようなごく自然な楽想で、これは絶対にモーツァルトの作品だと確信したが、如何せん曲名が分からない。
普段はそのまま聞き流して忘却の彼方になるのだが、あまりに強烈に印象に残ったので地元のNHK放送局に、放送があった時間帯をもとに問い合わせてみたところ、当然、すぐに曲名が判明するわけでもなく、ご親切にも「後日、返答します」ということになった。
当時は仕事に追われる毎日で残業続きのため家を留守にすることが多かったが、NHKからの回答を受けてくれたのが同居中の老母だった。
「NHKから電話があったよ」と、帰宅後に母からメモを渡され、そこに書いてあったのが「モーツァルト ホトホンセレナーど」。
「ウ~ン、ホトホンとはありえない言葉で、これではちょっと分からないなあ!」と、ため息をもらしつつ、もうはっきりと覚えていないがきっと自分で再度NHKに問い合わせたと思う。
そして、ようやく具体的に判明した曲名が「セレナード第9番ニ長調 K.320 ポストホルン」。
急いでネヴィル・マリナー指揮のCDを取り寄せて聴いてみたところ、気に入った間奏曲に該当する部分は、同セレナードの第3楽章「Concertante(Andannte grazioso)」(9.02分間)だった。
「モーツァルトの音楽、ここに極まれり」と、胸を打たれるほどの旋律で、これを聴くと「ホッ」として、心痛、愁いなどあらゆるマイナスの心理状態をはるかに超越させてくれる心境になる。音楽の効用はいろいろあるんだろうが、これが一番である。
昨日は午前中からこのCDを聴き耽った。当時の(母の)不自由だった手で書かれた「金釘流の文字」(画像右下)も今となってはたいへん懐かしい思い出だ。よくぞ捨てずにこれまで保管しておいたものだと我ながら感心する(笑)。
終わりに、別れの話に戻って人間はすべて生命に限りがあるが、自分が逝った後に身内を除いてどれだけの人の記憶に残っているかと考えると何だか儚くなる。
このブログだって店仕舞いのときがきっとやってくる。
せめて、「そういえば、昔、モーツァルト狂いでオーディオに随分熱心な奴がいたなあ~」と、ときには思い出してくれる人が一人でもいてくれたら本望だが、はたして?(笑)