「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~「分水嶺」ほか~

2020年11月30日 | 読書コーナー

「笹本稜平」さんの作品を初めて読んだが、なかなかの手ごたえを感じた。



まず、本の裏表紙にある解説を紹介すると、

「急逝した父の遺志を継ぎ、山岳写真家として生きることを誓う風間健介。父の愛した厳冬の大雪山で撮影中、絶滅したエゾオオカミに命を救われたという田沢保(たざわ たもつ)と出会う。

風間は田沢が亡き父と交流のあったこと、殺人罪で服役していたことを知るが、極寒の中、田沢と共にエゾオオカミを探すにつれ、彼の人間性に惹かれていく。やがて二人の真摯な魂が奇跡を呼ぶ・・・。」

と、いった調子。

全体的な感想では、筋書きの3/4ほどまではぐいぐい惹き付けられたが、終末近くになるとどうも「話が出来すぎ」というのか、あまりに都合よく展開している風に思えて今一つ”のめり込め”なかった。惜しい。

むしろストーリーよりも、雪山の描写とか、エゾオオカミの生態などの解説の方が生き生きとしていて思わず引き込まれた。

古来「山には神が宿る」といわれているが、実際に「荘厳な佇まい」を目にすると、そう思えてくるらしいですよ。

ドイツで一番尊敬される職業といえば「山岳写真家」だそうで、その一番の理由は「自ら死と紙一重の危険に身をさらしながら神と対峙することで哲学的な境地に浸れるから」と、先日(27日)の番組NHK・BS1「山岳写真家・白川義員」で言ってたが、本書を読むと何だか分かるような気もする。

なお、本書の中には格言的な言葉がいろいろと散りばめられている。そのうちの一つを挙げてみよう。母が主人公を諭すシーン。(72頁)

「エゾオオカミ探しという夢を持てたこと自体はその人にとっては幸せよ。騙すなんて言うと聞こえが悪いけど、歳を取ると人生を支える杖が必要になってくるものなのよ。自分が生きてることに意識的に意味を与えないとやっていけないの。その人には悪いけど、エゾオオカミなんてたぶん一生かかっても見つからない。それは本人がいちばんよく分かっていることよ」

「でもそれが人生に意味を与えてくれるとしたら、見つかる、見つからないは重要な問題じゃないということかな」

以上のとおりだが、これを踏まえて言わせてもらうと、このブログの読者も含めて日頃から「音楽&オーディオ」に熱中し「いい音楽、いい音への夢」を持つことも幸せなことかもしれませんね。

終着駅が無い世界なので、おそらく命尽きるまで「到達は不可能」だろうとは分かっちゃいるけど、何といっても、毎日のようにハッと胸を衝かれるような驚きと啓発がありますからね~。オッと、これは手前味噌かな(笑)。

次は、作家「皆川博子」さんの随筆集。



幼少のころから早熟で、開業医だった父親の影響を受けて家の中にあった大衆文学全集をはじめ、ありとあらゆる本を手当たり次第に読み耽ったという文学少女だった皆川さん。「手当たり次第の濫読」については自分とよく似ている(笑)

本書の中でお気に入りの本をいろいろ紹介してあったが、その中でも群を抜いて印象に残ったのが「白痴」(ドストエフスキー)だったとのこと。

そうそう「白痴」といえば、13年前のブログで一度紹介したことがある。再掲してみよう。

ドストエフスキーの作品は果たしてどこがそんなにいいのか、それには「小説家が読むドストエフスキー」が、どんぴしゃりの回答を出してくれる。表題どおり、プロの小説家の目でドストエフスキーの小説の構造、伏線の張り方、人物の造型法、さらには小説に仕掛けられた謎などを解析したものである。

小説家=著者の加賀乙彦氏は東大医学部を卒業し、精神医学を専門とする医師で上智大学教授などを歴任。2000年には日本芸術院会員に選出され、「フランドルの夢」「帰らざる夏」など著書多数。

本書で解説されている作品は「死の家の記録」「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」の5作品となっている。いずれも実に懇切丁寧に読者に分かりやすい内容になっており、著者のドストエフスキーに対する畏敬の念もしっかりと伝わってきた。

さらに著者が精神医学の専門家の視点から癲癇(てんかん)の病気もちだったドストエフスキーの「死」に対する人間の描き方、宗教的な主題に独自の分析をしているところに本書の最大の特色があると思った。

断片的になるが印象に残った語句を紹介。

・世界の全ての小説の中で「白痴」が一番の傑作(72頁)

・「白痴」が分かると「悪霊」が分かりやすくなり「悪霊」がわかってくると最後の大作「カラマーゾフの兄弟」が分かりやすい。(102頁)

・20世紀の作家は全てドストエフスキーの肩の上に乗っている。ドストエフスキーを読まずに小説を書きはじめた人は私の周辺を見回してもいない。(116頁)

・ロシア的なキリスト教の形のもとで、いずれの作品ともに犯罪、殺人が主題になっており、罪の極点を描くことで逆に神の愛が描かれている。罪も愛も無限定で極端で途方もないエネルギーに満ちていて、この作品群の究極の姿、総決算が「カラマーゾフの兄弟」です。「カラマーゾフ万歳!」(212頁)

というわけです。皆様「秋の夜長」のこの機会に「白痴」にチャレンジしてみませんか。

エッ、時間がない・・、それは仕方ありませんね。

実は自分もこの13年間そうなんです(笑)。

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TRアンプの復活

2020年11月28日 | オーディオ談義

前回のブログ「音楽ソフト・・・」で述べたように、低音域対策の一環として試みた「TRアンプの活用」だったが、両チャンネルからの音がプツプツと途切れ途切れになって満足に出てくれない。

仕方なく、製作者のMさん(大分市)に泣きついたところ、1日で簡単に治った。

原因は「アンプに内蔵していた保護回路用のリレーとプリアンプとの相性が悪いのだろうと推測したのでリレーを外しました。これで大丈夫のはずです」とのこと。

さっそく、持ち帰って鳴らしてみたところ、以前よりもずっとクリアーになり真空管アンプよりも締まった低音がグ~ンと深く沈み込んできた。

前回にご紹介したとおり、クロスオーヴァーを「150ヘルツ」にしたのが大正解。

280ヘルツのときと比べると中高音域に被ってこないので真空管アンプとの音色の違いも目立たずまさにいいことづくめ。こんなことなら、早く登場させればよかった。(笑)



右側の小振りの器具はインピーダンスマッチング用のトランス2個で「無線と実験」誌で紹介された記事を参考に製作したとのことで、信じられないほどの安い価格で譲ってもらったが、我が家で「TRアンプ」の出番があるとすればこういう使い方しかないともいえる。

中高音域の倍音成分を艶やかに色気たっぷりと鳴らすのは真空管アンプの独壇場だが、こと低音域の忠実な再生となるとTRアンプに一日の長があるような気がしている。

ふと、ずっと以前に「真空管アンプとTRアンプ」と題して投稿したことがあるのを思い出したのでこの機会に一部抜粋して紹介させていただこう。

「周知のとおり、オーディオ・システムの中で、「スピーカー」と「アンプ」と言えば、ともに横綱的存在。

ずっと以前に読んだ本には、たとえて言えばスピーカーが人間の「容姿」とするなら、アンプはそれに「魂を吹き込む役目を持つ」とあった。

それほどに大切なアンプにもいろんな種類があるが、大きく分けるとデバイス(増幅素子)の違いで真空管とトランジスタ(以下「TR」)に分けられる。

この2種類のうち果たしてどちらが音の再生に適しているのか、こればかりはほんとにオーディオ愛好家にとって古くて新しいテーマで悩ましい問題となっている。

それぞれに一長一短あって論争は尽きないが、結局のところ、使用しているスピーカーの能率や音色との相性、個人的な好みの違いによる使い分けとなってくる。

一昔前に、オーディオの舞台にTRアンプが登場したときのことをよく覚えている。大方の評論家からは「もうこれで真空管の時代は終わった。」と、言われたものだった。真空管は物理特性がTRに比べて数段落ちるし、出力も稼げずスピーカーを駆動する力も弱いというのがその根拠だった。

現実にラックス社から販売されていた当時の真空管アンプ「SQ38F」などは、人気があり個人的にも好きだったのに早々に生産中止されてガッカリしたものだった。

ところが、どっこい真空管アンプはしぶとく生き残って現在でも一部のファンを魅了しながら見事に命脈を保っている。ラックス社にしても、いったん終了宣言しておきながら「SQ38F系」の復刻版を次から次に出すという有り様で、まるで定見の無さを露呈しているようなもの。そんなことで一流メーカーと言えるのか(笑)。

はたして、そうまでして生き残った真空管のいったいどこがそんなにいいのかというわけだが、自分は現実に真空管アンプとTRアンプを併用して使い分けしているので、両者の長短について思うところを率直に述べさせてもらおう。

ただし、これはあくまでも一般的なレベルでの話であり、真空管にしろ、TRにしろ、けた外れの「超弩級アンプ」になるとまったく次元が違うので、そういう例外もあることをはじめにお断りしておかねばならない。

まず、真空管は中域から高域にかけての鮮度の高い瑞々しさ、歌手の吐く息の湿り気とでも言えばいいのだろうか、こういう生々しさはTRアンプからはとても伺えない。独特の歪み方がいい方向に作用しているともいえる。

しかし、弱点もあってその第一は比較的大きなエネルギーを要する低音域においてダンピング特性が良くない。つまり、音の「立ち上がり」と「収束力」が物足りず、SPユニットを制御する力が非力でこればかりはTRアンプに一歩譲る。

たとえば歯切れのいい低音を期待しても、「ボワ~ン」と尾を引いて“ふやけた”音を出す傾向にある。一方、TRアンプは、これらとはまったく逆の傾向を持っている。

結局、真空管アンプは低音域に弱いが中高域に向いている、一方、TRアンプは中高音域に弱いが低音部には強いという構図が成り立つ。」

とまあ、以上のとおりだが何が言いたいのかといえば結局「先入観は罪、固定観念は悪」ということですかね。これから徒に「TRアンプ」を貶すのは止めておこう(笑)。

ところで、昨日(27日)の朝、家内から「今日は遅くなるので夕食を済ませておいてね、ハイ、夕食代」とお金をくれたので、昼食後に隣町の図書館に立ち寄りついでに併設されている大型ストアで「寿司」をゲット。



これ880円でした。麦焼酎「大河の一滴」にカボスの汁を加え「お湯割り」にしてちびりちびりやりながら食べました。ネタには満足で、すこぶる美味しかったが「シャリ」(酢飯)がイマイチで、こればかりはお値段からして高望みなので仕方ないですね。

ところが、19時ごろに帰宅した家内も同じストアに立ち寄ってまったく同じものをたまたま購入したことが判明した。

「これ半額の440円だったわよ。夕方行くといつも安いのよねえ」

「エ~ッ、そん(損)なことがあるのか・・・」と、茫然自失(笑)。


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音楽ソフトによる「アタック音」再生への誘惑

2020年11月25日 | オーディオ談義

いつも早寝早起きなので午前3時くらいには起床している。5時ごろに起床した家内に「おはよう」と言ったら「もう(試合を)最後まで見なかったわ、お粗末の一言ね」と、メチャ御冠(おかんむり)!

「人気にあやかって”ぬるま湯”に浸っている巨人、ひいてはプロ野球全体を今こそ解体しなくてはならない!」と皆様、声高に叫びましょうよ~(笑)。

さて、話は変わって前々回のブログ「順番への思惑」の中に登場したCDソフト「フラメンコ」の中に収録されている「タラント~ソン・ソン・セラ」(第2トラック)。



以前はシステムの音質調整にたびたび利用した曲目だったが、このところとんとご無沙汰だったものの、久しぶりに懐かしい思いがして聴いてみた。およそ3年ぶりくらいになるかなあ。

とにかくフラメンコ・ダンサーの床を踏みしめるアタック音がメチャ強力で、ドスン・ガツンという音に迫力とスピード感が入り混じってオーディオ的な快感が濃厚に味わえるので持っていても損はしないと保証できるソフトである。

そして、この曲目だけは大型システムの出番なので
「ウェストミンスター」(改)で聴いてみたところ、これがまた何と低音のショボいこと!(笑)

近年、ハーモニー重視でオーディオに取り組んできた結果がこのザマだ。

コントラバスやオルガンの低音域に関してはほぼ満足できるものの、こういう強力な歯切れのいい「アタック音」となると、もろに欠点をさらけ出した。

「こと低音域に関してだけは昔のシステムの迫力の方が凄かったなあ!」と往時の記憶が鮮明に蘇った。

このままじゃいかん!

考えられる当面の対策を4点ほど挙げてみよう。

 ユニットを「口径30センチ」から「38センチ」に入れ替える

 駆動するアンプを真空管アンプからTRアンプへ入れ替える

 低音域専用のSPケーブルを「ウェスタンの単線」からほかのケーブルに入れ替える

 低音域の「ネットワーク」用コイル(ハイカット)を工夫する

1については、以前持っていた「口径38センチ」のユニットはすべてオークションで処分しているので、また買い直さなくてはいけない。「今さら」だし、あまり現実的ではない。

2については、さっそく倉庫からTRアンプを引っ張り出してきて鳴らしてみたところ、かなり重量感が出てきたが何と音が途切れ途切れになってきちんと出てくれない。明らかに故障である。すぐに製作者のMさん宅(大分市)に持って行った。

次いで3のSPケーブルだが、「LAN」素材のものを2ペア持っていて、「ウェストミンスター」(改)の中高音用として1ペア、もう一つは「トライアクショム」専用にしているので予備は「銀の単線ケーブル」だけになる。とはいえこのケーブルが「ウェスタンの単線」より低音域が充実しているとはどうしても思えない。

というわけで、当座の対策としては4のコイル対策に焦点を絞った。

現用中のものはムンドルフ(独)のゼロ抵抗コイル「8.6mh(ミリヘンリー)」だが「クロスオーバーネットワーク早見表」によると280ヘルツあたりでハイカットしている計算になる。

これをもっと下げようというわけである。今のままだとプリアンプのボリュームを上げると低音域が中高音域にもろに被ってきて曖昧模糊とした音になってしまう。

そこで、余っていた「6.8mh」のコイルを直列で継ぎ足してみた。



「8.6+6.8=15.4mh」だから、前述の「早見表」によると丁度150ヘルツあたりでハイカットできる。280ヘルツと150ヘルツとでは、天と地ほどに変わってくる。

たとえば1オクターブ(oct)の「280ヘルツ×2倍=560ヘルツ」までに「-6db」減衰するところを、「150ヘルツ×2倍=300ヘルツ」までに「-6db」減衰だからまるっきり違ってくる。

とまあ、理論的にはそうなんだがこればかりは実際に聴いてみないと分からない。

ハラハラ、ドキドキ、ワクワクしながら聴いてみると「ウ~ン、どうやら昔の迫力を9割方取り戻したようだ。オーケストラの音階も随分はっきりしてきた。明らかに原音により近づいた音だし総合的にはこれで良しとしよう~」。

今回は久しぶりに聴いたCDソフトに振り回された感じだが、クラシックに限らず、ジャズ、ポピュラーなどいろんなジャンルに幅を広げれば広げるほどオーディオは質的に向上するように思うのだがどうだろうか。



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巨人、哀れ!

2020年11月24日 | 独り言

別に巨人ファンでもないのだが家内のご機嫌が悪くなるのだけは困る(笑)。

昨年の日本シリ~ズでソフトバンクにあえなく「4連敗」を喫した巨人だが、今年(2020年)は「ほぼ互角かな」と思っていたらやはり見通しが甘かった。

周知のとおり1戦目「5対1」、2戦目「13対2」と大差で連敗。まったく歯が立たず、こりゃ今年もダメだ~(笑)。

基本的な原因は「セとパ」の実力差にあると思うが、これだけ違うのなら、両リーグから3チームづつ毎年入れ換えという抜本的な対策を取ったらどうだろうか。

たとえば、2位、4位、6位同士をそっくり交換すると毎年新鮮味が出てきて楽しくなる。いつまでも「巨人人気」に頼って観客動員数ばかり気にしていたらダメだね。

それにしても「ソフトバンク」の強さの秘密は何だろう。

さっそく我がブログの過去記事ランキングにも「プロ野球ソフトバンクの強さの秘密」が圧倒的なアクセス数で登場してきた。どうやら検索サイトの上位に位置しているらしい。

折角なのでその過去記事をご参考までに再掲させていただこう。

大いに熱戦を期待していたプロ野球「日本シリーズ」も、あっけなくソフトバンクの圧勝(4連勝)で終わった。

大の巨人ファンである家内も口惜しさを通り越して、もはやその弱さに呆れ果てている始末(笑)。

「球界の盟主」としてのプライドを木っ端みじんに打ち砕かれた巨人は、これから1年間「俺たちは弱いんだ」と刻み込まれた十字架を背にしてプレイしなければならない。可哀そうに~(笑)。

それにしても「ソフトバンク」の強さはいったいどこに由来しているんだろうか。

どうも選手たちの単なる「投攻守の技術」以前の基本的な問題がありそうな気がして仕方がない。

折りしも「高校の同窓生ネットクラブ」に「T君」が次のように投稿していたのでご了解のもとに紹介させてもらおう。

1 資金力

ホークスの強さを語るうえで第一に資金力は外せないポイント。親会社であるソフトバンクの経営が順調であることから選手獲得に資金を惜しまないのが特徴的です。

「いい選手を取るためには資金を惜しまない」というスタンスだからこそ、メジャー帰りの選手や外国人助っ人の獲得も積極的に行いチーム力の増加に繋がっています。

また、オーナーの孫正義氏は”金は出すが口は出さない”という完全現場主義の人間。オーナーが球団の方針を握っている他球団とは異なり、野球のことは監督・コーチを含めた専門職に一任しているため、チーム内に軋轢が生まれることもない。

選手の年棒総額は55.9億円で12球団の中で1位です。2位は巨人の51.9億円です。

2 独自のスカウティング

近年、ホークスのスカウトは独自路線を貫いています。メジャーリーグで実績のあるベテラン選手ではなく、日本野球に適応できそうな選手を多く助っ人として迎え入れているのです。

代表的な例が昨年のデヴューから14連勝を記録したバンデンハーク投手。メジャーでは 良い成績を残せなかったものの、韓国リーグで才能が開花したバンデンハークを真っ先に獲りにいったのです。

また現在セットアッパーで活躍しているスアレス投手のスカウトも驚きのものでした。2015年にメキシカン・リーグで登板するまで草野球の経験しかなかったスアレス投手に対して白羽の矢を立てたのです。

資金力だけじゃなく逸材を見抜く力が相俟ってチーム力増加に繋がっている。

3 3軍制度

選手層の厚いホークスの中で若手選手は2軍での出場すら確約されません。2015年にはウェスタンリーグで4連覇を果たすほど2軍でも圧倒的な力を誇っています。

ホークスの2軍には「他球団に行けばレギュラーを獲得できる可能性もある選手が山ほどいる」とも言われているため、完全なる育成を2軍で行うことは出来ないのです。

そんな中で導入されたのが3軍制度です。高校卒の若手や育成指名された選手が地方リーグ・社会人チームなどと試合を行い「経験を積む」ことが可能になっています。

これによって試合機会をより多く与え、結果を残せば2軍に上がれるようになります。また2軍の選手もいつ3軍と入れ替えられるかわからない緊張感の中、日々の練習に臨まなくてはならないというわけ。

新幹線の筑後船小屋駅の近くに2軍用、3軍用の設備が整っている。

4 生え抜きの育成

資金力や助っ人の活躍にスポットが当たりがちになるホークスですが、現在のスターティングメンバーのラインナップを見てみるとほとんどが生え抜きの選手であることがわかる。

これは前述した3軍制度にも関係があるでしょう。千賀、甲斐、牧原、飯田、山田、二保といった一軍に顔を見せ始めている選手も元々は育成出身。

3軍でプレーを続け、実力を付けた後に1軍入りを果たしたのです。

育成により選手層が厚くなったため、怪我などのアクシデントが起きてもすぐに代わりの選手が活躍できる体制が整っており、日替わりのヒーローが登場するのも現在ホークスが強い理由。

5 工藤監督の徹底した選手管理

現在ホークスを率いる工藤監督は選手の健康管理を徹底しています。12球団でいちばん過酷とも言われているキャンプに入るまでの自主トレ期間にも、各選手に課題を出すなどして管理しており、初日に行われる体力テストで規定の数値に達しないと即B組スタートを命じられるとのこと。

休日に関しても疲れを取ることに専念してほしいという思いから基本的に休日返上練習を認めていないそうです。

工藤監督はシーズン中も積極的に2軍施設への視察を行っており、リハビリ中の選手の状態や不調で調整中の選手に関しても自分の目で状態を把握しているとのこと。圧倒的な強さの裏にはこういった細かな選手管理も役立っている。

以上のとおり、実に微に入り細をうがったソフトバンクの強さの分析がなされており、 どれもこれも重要度の点で順番のつけようがないが、自分の推測するところ、強いて挙げればやはり「選手の年棒が手厚いこと」ではなかろうか。

選手のヤル気にもっとも直結するところといえよう。

そして、その年棒の出どころはといえば、一つには「ヤフー・オークションの手数料」ですよね。

ネット情報によると、2013年度のヤフオクの落札額は約「7300億円」で、手数料を仮に「8%」とすると、年間「584億円」もの寺銭が自動的に転がり込んでくる計算になる。(ウィルス対策費は別として)

           

ヤフーは2013年に「福岡ヤフードーム」から「ヤフオクドーム」へ改名しているが、「リサイクルの活用による環境保護の促進」というもっともらしい理由があるものの、建設費から球団の運営費まで「寺銭」に「おんぶにだっこ」という事情がきっと背景にあるに違いない。

ごく、ささやかながら自分も貢献しているはずだ!

とまあ、以上のとおりだが今日(24日)は第三戦。万一、これから巨人が4勝でもするとこのブログもカッコ悪いが、家内のご機嫌が直った方がいいので、どうか勝ってくれえ(笑)。



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順番への思惑

2020年11月22日 | 独り言

さあ、いよいよ今日(22日)は初めてのお客様を迎える試聴会である。いつものYさんに加えて、同じフルート教室に通われる方が1名の計2名。

初めての方を迎えるとなるといささか緊張する。少しでも「ええカッコ」したいからね(笑)。

そこで気になるのが、我が家の4つのシステムをどういう順番に聴いていだだこうか。何しろ順番次第で印象が大きく変わりそうな気がしてならない。

今のところ考えている作戦だが、一番目の登場は我が家で唯一の大型システム「ウェストミンスター」(改)だ。

「鬼面人を驚かす」という言葉がある。「見せかけで人を脅しつける」という、あまり良くない意味だが、スケール感という「大味」で「オッ!」と最初に印象付けるのも悪くはあるまい。

二番目は、一気に翻って繊細極まりない再生が得意な「AXIOM80」で本命登場だ。あまりの落差に一気に引き込まれること間違いなし(笑)。

三番目は、気分転換の意味で軽い乗りの小味な再生が得意のJBLの「LE8T」(口径20センチのフルレンジ)といこう。ボーカルに関しての音像定位はなかなか見事で聴くべきものがあるはず。

そして最後に、締めくくりとして「すべての科目で80点を取ってくれる」グッドマンの「トライアクショム」(口径30センチ同軸3ウェイ)でこの上ない安心感を与えて「有終の美」を飾るとするかな。

とまあ、勝手に思い描いているわけだが、お客さんの意向も踏まえないといけないのでその場の「臨機応変」も脳裡の片隅に置いておくとしよう。

ここで、ふとずっと以前に投稿した「順番への思惑」を思い出した。ご参考のために以下再掲させていただこう。


「阿刀田 高」氏の「ミステリーのおきて102条」
は、ある新聞の日曜版に1996年から1998年まで週1回連載されたエッセイをまとめた本。

                               
 
著者によると「新しいミステリーを紹介するんじゃなく、ミステリーの本質を語るような軽いエッセイ」ということで、連載順に102編を列挙してある。

日ごろ、ミステリーは「座右の書」みたいな存在なのでこの本も気持ちよく読ませてもらったが、その中の18編目の「短編集の打順」
が特に面白かった。

内容は、いくつもの短編を編纂して1冊の本にするときにどういう順番で作品を並べると効果的かということにあった。

かいつまんでいえば次のとおり。

著者によると、40冊以上も短編集を出版しているがその都度、どういう順番にするか考え込んでしまうという。

たとえば、短編小説を10本並べて1冊の本を作るとして、10本全てが良い作品であればそれに越したことはないが、現実には困難でどうしても良作は4本程度に絞られてしまう。

どうしてもバラツキが出てくるのは世の中、万事がそうなので仕方がないところ。

たとえば自分のブログにしても記事によってかなり当たりハズレが多くバラツキがあるのは十分承知。中には「意欲作」が蓋を開けてみると意外にもアクセス数がサッパリというのは日常茶飯事。

また、日本で最高峰の難関〔文系)とされ、全国の選りぬきの秀才たちが集まる「東大文科一類」(法学部)でさえ入学してからバラツキが出るという。

真偽の程は不明だが550人の卒業生のうち”とびっきり”優秀なのは1割クラスで、後は”十把(じっぱ)ひとからげ”なんて話を、聞いたか、読んだか、したことがある。まあ極めてハイレベルでの話だが。

さて、話は戻って短編集の順番だが、良い方から順番にABCDの作品があるとすれば、冒頭にBを置く。2番目に置くのがAである。Cが3番目、そしてDがラスト、つまり10番目に置くとのこと。

もし5本良い作品があれば、さらに”いい”としてその場合はさしずめEとなるが、Eは6番目あたりに置く。

かくて10本の短編を編纂した本は普通の出来栄えの作品を☆とすると「BAC☆☆E☆☆☆D」の順番になる。

理由はお分かりのとおり、やはり最初が良くなくてはいけない。

読者は最初の1編を読んで期待を持つ。これが悪いと、その先を読んでもらえないおそれがある。小説というものは、読者に読まれて初めて存在理由が生ずる。

ただ、一番最初にAを置かないのは、Bで引き込み、さらに面白いAへとつないだ方が運動性が生ずる。

展望が開ける。BからAへと弾みをつけ、3番目もCで、そう悪くはない。ここらあたりで、「良い短編集だ」と読者は思ってくれる。

それ以後が少々劣っても「どれも”いい”ってワケにはいかんよな」
と許してくれる。

そして、最後も、それなりに悪くないDで全体の印象を整える、という寸法である。中だるみのあたりにEを置く理由もこれでお分かりだろう。

著者の作品で言えば直木賞をもらった短編集「ナポレオン狂」では、二番目に「来訪者」(推理作家協会短編賞受賞)を、三番目にちょっとユニークな「サン・ジェルマン伯爵考」、最後に「縄」とおおむね上記の方針に沿って編んでいる。

要約すると以上のとおりだが、これまで短編集を読むときに順番の並べ方などあまり意識したことがなかったのでまったく「目からウロコ」だった。

この並べ方の背景を知っておくとそれぞれの作品がどのように評価されているのかという作者なりの思惑が透けて見えるので興味深い。

これはいろんな方面に応用がききそう。

たとえば、真っ先に思い浮かぶのがCD盤の曲目の並べ方。

交響曲や協奏曲では楽章の順番がきまっているのでこの限りではないが、歌手や演奏家の名前でタイトルが銘打たれたCD盤はおおむね該当する。

たとえば、10曲以上収録されているCD盤の中で全てがいい曲かというと絶対にそういうことはない。どんなに気に入った歌手でも曲目によって当たり外れがある。

これまで何番目に気に入った曲が多いのか気にかけたことはないが、手持ちのCD盤を改めて確認してみると、これが以上の内容とかなり当てはまるのである。

取り分け2番目の曲が一番好きというCD盤がかなりあるのに本当に驚いてしまった。しかも、中ほどに1~2曲わりかし気に入ったのがあって、ラストにまあまあの曲が多いのもよく該当する。

たとえば、エンヤのCD盤「ベスト・オブ・エンヤ」。16曲の中で2番目の「カリビアン・ブルー」が一番好きだし、フラメンコの名曲ばかりを集めた「フラメンコ」も2曲目の「タラント~ソン・ソン・セラ」が一番良い。

ジャズ・ライブの名盤とされるビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」にしても1曲目と2曲目を抜きにしては語れない     
          


CD盤の曲順以外にも、演奏会などの当日の演目の順番あたりもこれに該当しそう。

世の中、すべての物事に順番はつきものだが、皆さまも、身近のいろんな順番付けされたものについて確認してみると意外とこの「順番への思惑」
に心当たりがあるのではあるまいか。



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必要悪の代表選手「ネットワーク」

2020年11月20日 | オーディオ談義

「必要悪」という言葉がある。「広辞苑」によると「悪ではあるが、社会の現状からいって、やむを得ず必要とされるような事柄」とある。

けっして明るい前向きなイメージをもたらす言葉ではなく、どちらかと言えば「後ろめたい存在」といえる。

社会的にもいろいろあるが、実は「オーディオ」にも「必要悪」がありまして(笑)。

極端な話、「生演奏」と比べるとオーディオ機器はすべて必要悪みたいな存在だが、それではまったく話にならないのでシンプル・イズ・ベストの観点からいくと、さしずめ「スピーカー・ネットワーク」(以下、「ネットワーク」)あたりはその必要悪の代表選手ではなかろうか。

「ネットワークって何?」と訊かれても一言で説明するのは難しいが、簡単に言うと周波数帯域(人間の可聴帯域は20~2万ヘルツとされている)を低音域、中音域、高音域などの所定の帯域に分割し、その音声信号を各SPユニットに送り届ける役目を持った道具とでもいおうか。

興味のある方はググってもらうことにして、とにかくこれを“付ける”と音が悪くなるのはたしかで、これ以外にもそういう機能を果すチャンネル・デバイダーという代物もあるがこれも所詮は音を悪くする部品の塊りなので使わないに越したことはないと思っている。

フルレンジ型のスピーカーをひたすら愛する人たちがいるが、それを使う理由の一つとして「音を悪くするネットワークを使わないで済むから」という答えが必ず返ってくる。実は自分もその一人だが、悲しいことに「分かっちゃいるけど止められない」(笑)。

ちなみに、タンノイの同軸型ユニットだって2ウェイなので当然の如くネットワークが使ってある。

手元の改造前のウェストミンスターの仕様は「クロスオーバー1000ヘルツ、12db/oct」となっており、以前、裏蓋の16個のネジを取り外してじっくり観察したことがあるが、見るからに音を悪くしそうな細い銅線を沢山巻いたコイルや抵抗、コンデンサーが沢山
使ってあった。

もちろん、いい悪いは別の話でメーカー側の「音づくり」の一環なのでこればかりは部外者があれこれ口を挟む余地はないが、自分は大嫌いだったのでためらうことなく取り外した。

フルレンジ型スピーカーの再生帯域に物足りない人が、2ウェイ、3ウェイ型のSPシステムに移行していくわけだが、そのメリットは十分あるもののネットワークを使うマイナス部分をどれだけ意識すればいいのかと、ときどき思うことがある。

オーディオは常にプラス部分とマイナス部分の差し引きで考えるクセをつけた方がいいように思えて仕方がない。なぜなら自分が散々繰り返してきたような「高価な授業料につく」ことの歯止めになるから(笑)。

とはいえ、ネットワークはオーディオを楽しむうえで絶対に避けては通れない課題なので、いかに音質への悪影響を最小限に留めるか、使う部品の銘柄などを含めて多大のノウハウがあって実に奥が深い世界だと思う。

研究に研究を重ねた方たちも沢山おられるし、正直言ってとても自分ごときが偉そうに語る資格はない。

以上、前置きが随分長くなったが、ようやくここから我が家の実例に入らせてもらおう。

4系統のシステムのうち、ネットワークらしきものを使っているのはこの1系統だけ。それも少々変わった使い方をしている。



まず、箱の上に載せている「スーパー10」(ワーフェデール:口径25センチ)をいっさいコイルとコンデンサーを使わず「フルレンジ」として鳴らす。

普通の音楽ソースならこれで十分だが、このシステムは「オーケストラ」と「重量級のジャズ」用なのでやむなく低音と高音を補強している。

低音域「スーパー12」は定評のある「ムンドルフ」のコイルを使って300ヘルツあたりでハイカット(-6db/oct)し、高音域のJBL「075」はマイカコンデンサー(絶縁体として雲母を使ったもの)で8000ヘルツあたりでローカット(-6db/oct)しており、これらを2台の真空管アンプで駆動している。

これで「ネットワーク」の悪影響を最小限に食い止めた積りだが、音質としても今のところたいへん満足している。

ただし、どなたにもお薦めするのはちょっと自信が無いのであくまでも自己流ということにしておきましょう(笑)。



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美味しそうな刺身

2020年11月19日 | 独り言

このところ毎日拝読させていただいている「T」さん(東海地方)のブログ。

「T」さんといえば現在ひたすら愛用している「LAN」素材を使った「RCAケーブル」と「SPケーブル」を作っていただき、とても足を向けては眠られないお方(笑)。

その「T」さんのブログだが、決まったように終わりに登場するのが夕食の「刺身」の画像だが、これが実に美味しそう。たとえば次の画像は「イサキの刺身」。



東海地方は生きのいい魚の集散地とみえるが、別府で刺身といえば「パック詰め」がやたらに多くて、とてもこうはいかない。

そのうち、「T」さんにあやかって生きのいい刺身を食べたいと思っていたところ、一昨日(17日)昼間のこと「別府湾で釣ったばかりです」と、見知らぬ方(ご夫婦)がわざわざ自宅まで届けてくれた。

大きめの「はげ」2匹と小振りの「チヌ鯛」1匹。

「奥様の朝の散歩仲間です。ペンライト照明器具をいただいたお礼ですと言っていただければわかります」との言伝だった。

夕方、仕事から帰ってきた家内に「おい、ペンライトといえばわかりますと言ってたぞ~」「ああ、先日プレゼントしたお礼でしょう」



これが「魚」に化けた「ペンライト」で「海老で鯛を釣った」ようなものかな(笑)。

さっそく、「刺身にしてくれ~」「自信が無いんだけど、巧くいくかしら?」「ああ、見かけはどうでもいいぞ~」。



これが刺身。



残りのアラは「お吸い物」に。



刺身はこりこりしてたけど、あまりに新鮮過ぎて翌日の方がもっと”こなれ”てきそうな印象。

オーディオでいえば、まだ「エージング」が済んでない感じかな(笑)。それよりも「お吸い物」の方がたまらないほどうまかった。

焼酎「大河の一滴」と「橙」で「お湯割り」にしてから、腰を据えてちびりちびり。



久しぶりに新鮮な魚を堪能し「幸せ感」を満喫した。

翌日、残りの1匹は「鍋」にした。



これがまた実に美味しかった!

「聴覚」もさることながら「味覚」もゆめゆめおろそかには出来ないことを痛感した。

こういうことならまた「魚釣り」を再開しようかな~(笑)。

最後に昨日(18日)の早朝のこと、ウォーキングにいそいそと出かける家内に「おい、俺のペンライトをご主人様用にと差し上げてもいいぞ」「そうね、しかし、すぐに上げるのも取り引きみたいで何だかおかしいわね。そのうちタイミングを見てからにするわ」「それもそうだな・・」。



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信頼と安心のブランド

2020年11月17日 | オーディオ談義

これまで、「自分の好きな音で大好きなクラシック音楽を聴きたい」との一心で、幾多のオーディオ愛好家と接しながらノウハウを真似たりご高説を拝聴してきた。

実にありがたいことだし大いに参考にさせてもらってきたが、それぞれの感性も違うし耳の構造も違うことから、一方的に鵜呑みにすることなく自分なりに咀嚼し消化することが大切だったと今にして思っている。


とはいえ、自分の耳に全幅の信頼を寄せているわけでもないので最終的に頼りになるのは常用しているオーディオ機器の「ブランド」かなとも思う今日この頃。

どなたにも衣食住の全般にわたって、「これさえ使っていればひとまず大丈夫」という「信頼と安心のブランド」が何かあるに違いないが、趣味のオ
ーディオもその例に漏れない。

端的に言えば性能と精神安定剤が両立したようなもの、ですかね(笑)。

そこで、長年にわたって使ってきた中でその「信頼と安心のブランド」をさしあたり2点ほど挙げてみよう。ただし、あくまでも個人的な嗜好の範囲での話だからどうか真に受けられませんように~。

1 赤帯マグネット付きのSPユニット

何といってもクラシックを聴くならイギリス製のスピーカーに尽きると思っているが、それも「赤帯マグネット」付きのユニットにはこれまで期待外れが一つもなかった。

SPユニットの性能のおおかたは「強力なマグネット」と「コーン紙」の軽さで決まると単純に考えているが、そのマグネットのうちでも色が「赤帯付き」になっているものを好んで使ってきた。なにしろ音声信号に対する反応が抜群でそのスピード感が凄まじい。

ちなみに、現用中の物はワーフェデールでは「スーパー12」「スーパー10」「スーパー3」だし、そしてグッドマンでは言わずと知れた「AXIOM80」だ。

次の画像の「スーパー10」(ワーフェデール)は口径25センチにもかかわらず「スーパー12」よりも、もっと大きくて強力な赤帯マグネットが付いている。



度々試聴に来てもらっているオーディオ仲間から「コーン型ユニットなのに音が飛んでくるようです。まるでホーン型みたいな鳴り方をしますね」といつも感心していただいている逸品。

まあ、結局自慢話に近くなるのでこのくらいにして次に行こう(笑)。

2 真空管「STC」ブランド

真空管ではイギリス勢の「STC」「GEC」「ムラード」などの銘柄はすべてハズレがなくて満足のいくものばかりだった。そういえば、古い年代のものばかりでいわゆるヴィンテージものになる。


アメリカ勢となると、言わずと知れた「WE」(ウェスタン)、「レイセオン」あたりかな。

ちなみに、こんなことを書くと顰蹙を買いそうだが「古典管の知識が無いままにアンプづくりをしている人が多過ぎる」と、ある専門家が嘆いていた。

古い文献には「古典管の使い方がきちんと詳述されているのに一向に研究しておらずあまりにも自己流が多すぎる」とのこと。そもそも英語が読めないと無理な話になるのだが(笑)。

余談はさておき、これらの中で現在最も恩恵を受けているのは真空管の「STC」(Standard Telephones & Cables)ブランドである。

別名、ロンドン・ウェスタンとも呼ばれ、ウェスタン社がロンドンに設けた支店のようなものだが、ある真空管専門家から伺った話では本家本元の「ウェスタン」よりもツクリがいい球があると驚嘆されていたほどだ。

もともと通信用の真空管なので故障しないように丈夫に作ってあり、使用者は軒並み「そろそろ飽いてきたので他の真空管に代えたいのだけれど、まったく故障しないし、劣化しないので困る」という嘆き(?)もちらほら聞く。

真空管は所詮は消耗品だが「丈夫で長持ち、そして音もすこぶるいい」となると、まさに「鬼に金棒」だ~。

ちなみに我が家の「STC」の使用例を挙げてみよう。



左から「CV569」(=ECC35=6SL7)で「6098シングル」の前段管に使っているが、これ以外の球を使うと途端に音に一枚ベールがかかったように曇るのでたいへん重宝している。

左から2番目が「4274A」で整流管として「WE300Bシングル」アンプに使用している。これ以外の球を使うとたちどころに透明感が失われるので絶対に外せない。

ほか、順に「3A/109B」「3A/107B」「3A/110B」でいずれも「PX25シングル」アンプの前段管としてそれぞれ「μ=ミュー」(増幅率)の違いに応じて使い分けしている。

すべての球が故障知らずでおそらく我が命尽きるまで大丈夫でしょうよ。

「秋深き 真空管の次の持ち主は 誰?」と、ときどき物思いに耽ることがある今日この頃(笑)。



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おいおい、また「魔笛」の話かよ

2020年11月15日 | 音楽談義

「おいおい、また魔笛の話かよ」とウンザリする向きもあろうが、熱烈な信者の念仏だと思って聞いていただこう(笑)。

このところ、秋特有の清々しい時候となり気分スッキリ爽快、オーディオの方も肩の力がすっかり抜けてきたので、久しぶりにモーツァルトのオペラ「魔笛」をじっくり腰をすえて鑑賞する気になった。


とにかく”狂”と名がつくほどの40年来の「魔笛」ファンである。おそらく日本有数といっても過言ではあるまいと秘かに自負している。

指揮者と歌手の違う「魔笛」のベストイメージを追い求めて現在の手持ちCDが23セット、CDライブが11セット、そしてDVDが14セットで計48セットという有様。

何も沢山持っていることがその曲を理解しているとは限らないが、何せ大切な身銭を切って購入するわけだからこの曲目に対する愛情のひとつの証にはなるだろう。

いつぞやの記事でベートーヴェンの名曲「ピアノ・ソナタ32番」について100枚以上の試聴盤を網羅したブログを紹介したことがあるが、それには及びもつかないものの、魔笛〔二幕)の場合はいずれも2~3枚セットで演奏時間も2時間半を越える大曲なので量的には匹敵するかと思う。

そもそもオーディオに熱心になったのも、「魔笛」をもっと「いい音」で聴いて感動をより一層深めたいというのが偽らざる心境だったが、
そのうち、御多分に洩れず音楽を聴く手段(召使い)に過ぎないオーデイオが何だか目的みたいになって「ミイラ取りがミイラ」になってしまったという次第(笑)。

早くオーディオを脳裡から消し去って音楽に没入しなければという意識は常に頭の片隅に持っている積もりだが、
「魔笛」を卒業したともいえるこの時点で改めて聴くとなると、それこそ名盤目白押しだけれども自ずと絞られてくるところ。

それはコリン・デービス指揮(1984年録音:ドレスデン・シュターツカペレ)とウィリアム・クリスティ指揮(1996年録音:レザール・フロリサン)の2セット。

     

     

(ちなみにDVDではフランツ・ウェザー・メスト盤〔2000年)とコリン・デービス盤〔2003年)が双璧だと思う。)

さて、このCD盤の両者だがともにデジタル録音で、デービス盤は原盤が「フィリップス」、クリスティ盤は「エラート」で、ともに優秀録音で知られたレーベルで互いに不足なし。

ただし同じデジタル録音でも12年の差があるので、録音機器の進歩が音質にどのくらい影響を与えているのだろうかという興味も尽きない。

まずデービス指揮の盤から。

一番聴きなれた「魔笛」なのではじめから違和感なくスッと入っていける。一言でいって、一切、奇を衒ったところがなく正統派の魔笛である。

主役級の5人も当時の一流の歌手で固めており、王子役(テノール)がペーター・シュライヤー、王女役(ソプラノ)がマーガレット・プライスというコンビも好み。

次に、クリスティ指揮の方は明らかに音響空間の透明度が高くて歌手や楽器の音色が自然体で彫も深くなる。やはり12年間の録音時期の差は明らかにあると思った。

歌手のほうはデービス盤に比べると総体的にちょっと見劣りするが、「夜の女王」役があのナタリー・デセイなので稀少盤という価値がある。

もし、「魔笛」でどの盤を購入したらよいかとアドバイスを求められたら、総合的にみて自分なら「クリスティ」盤を推薦する。

ところで、この魔笛が作曲されたのはモーツァルトが35歳の亡くなる年〔1791年)なので、晩年の作品に共通に見られるあの秋の青空のような澄み切った心境がうかがわれ、いわば彼の集大成ともいえるオペラなのだがどうも人気がいまひとつの感がしてしようがない。

こんな名曲なのに実に勿体ない。

いろんな本の「モーツァルト」特集を見ても「モーツァルトの曲目アンケート」で上位に挙げてる人が少ない。

「馴染みにくい」の一言だろうが、一連のピアノ協奏曲が上位に食い込んでいるのにはちょっとガッカリ。

中には「東大教授」という肩書きの方がいたりして、たいへん不遜な物言いだが「頭のレベル」と「音楽感性」は必ずしも一致しないものだと痛感した。

たしかにピアノ協奏曲は美しいメロディに満ち満ちて随分魅力的なことは認めるが、聴いている段階でアッサリ決着がついて、後に尾を引かない類いの音楽である。

やはりモーツァルトはオペラを通じて理解すればするほど魅力が尽きない作曲家となっていく。

結局、「魔笛」であり、「ドン・ジョバンニ」であり「フィガロの結婚」である。

ある音楽雑誌に
「どうしようもないモーツァルト好きはオペラ・ファンに圧倒的に多い」とあったがまったく同感。

ただし、一度聴いただけでは縁遠く親しみにくい曲であることは間違いない。

自分の経験では魔笛という音楽は正面から身構えて攻めるとスルリと逃げられてしまう印象が強い。

なにせ2時間30分の長大なオペラだから、よほどの人でない限り嫌いにはならないまでも退屈感を覚えるのが関の山。

「個人にとって本質的なものに出会うためには固有の道筋がある」(「音楽との対話」粟津則雄著、176頁)というのが音楽鑑賞の常道とは思うが、もしこれをきっかけに「魔笛」を一度聴いてみようかという人が、万一いるかもしれないので留意して欲しいポイントを挙げておくと次のとおり。

「要らん世話!」と怒られるかもしれないが。)

 名曲には違いないがやはり指揮者、歌手たちによって完成度が違う。何事も第一印象が大切なので慎重に盤を選択して一流の演奏〔※)から入って欲しい。

※ 上記の2盤を除いて「ハイティンク」、「サバリッシュ」、「クレンペラー」、「ベーム」〔1955年)、「スイトナー」盤などが浮かぶ。

 はじめから全体を好きになろうとしない方がいい。どこか一箇所でも印象に残る旋律や、ある箇所の転調がもたらす感触などが気に入るとそれが糸口になって段々、全体が好きになるもの。

 
なるべく始めは友人、知人から借りる、公共施設で聴く。これは金銭の負担がプレッシャーにならないという意味合いであり、お金が有り余っている人は別。

といったところかな。(どうしてもという方は遠慮なくメールください。魔笛を広報するのがこのブログの本筋ですからね。)

とにかく、クラシック全般にも言えることだが、魔笛に親しむコツはどんな形であれ何回も聴くに限る。

少々、くどいようだがこの作品がレパートリーに入るとすっかりモーツァルト観が変わる。何ものにも代え難い「澄み切った青空のような透明感」「涙が追い付かない悲しさ」の解答がここにはある。

この音楽を知らずに一生を終えるのは、人生最高の幸せを失うことになりますぞ! (笑)


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オーディオ観が変わった貴重な体験!

2020年11月13日 | オーディオ談義

ときどき全国のオーディオ愛好家の豪華なシステムを専門誌やブログなどで拝見することがある。

とても凝っているし、その編成にも素晴らしい創意工夫が溢れ「さぞや凄い音だろうなあ!」と想像をたくましくさせてもらっているが、それでも上には上があってこの世界はキリがないことを幾分なりとも知っているつもり。

というのも4年ほど前に福岡で開催された「オーディオ・フェア」で総額4000万円のシステムを聴いてから、すっかりオーディオ観が変わってしまった。

たしかに、その音は「いい音」には違いなかったが我が家の音と比べて、とても「4000万円」近いほどの開きはないように思えた。

もちろん総合的には負けているものの、我が家で古典管を使った真空管アンプと古いアルニコマグネット型のスピーカーの組み合わせで鳴らす「倍音成分の艶やかな響き」は部分的にしろ優っているような気がした。

したがって、「何も高価だとか”見てくれ”だけで驚くことはないなあ」というのがその時の正直な感想だった。

敷衍すると、どんなご家庭のシステムだって他に負けないほどの美点がどこかにあるはずで、たとえば口径20センチのシンプルなフルレンジを良質なアンプで聴くボーカルは音像定位の面では豪華なシステムに劣らないどころかむしろ優位のはず。

これも「世界最高水準の音」を聴いていればこそ、こういう横着なことが言える(笑)。というわけで、当時の体験を再掲させてもらおう。


つい先日のこと、オーディオ仲間のYさんから「福岡でオーディオ・フェアが開催されますので一緒に行きませんか」とお誘いを受けた。

「温故知新」というわけで、古いオーディオ機器ばかりではなく最新のオーディオ事情を知っておくのも悪くないので「ぜひお願いします。」と一つ返事。

「3月31日~4月2日」の3日間にわたって開催されるそうで、混雑を避けて初日の31日(金)に参加ということで、当日はあいにくの雨模様にもかかわらず予定どおり午前8時半に出発。参加人数は4名なので1台のクルマで間に合った。

具体的なオーディオフェアの概要は次のとおり(ネットからの引用)。


マックス・オーディオが主催する九州最大のオーディオイベント『九州ハイエンドオーディオフェア2017』が、3月31日(金)~4月2日(日)の3日間にわたって福岡国際会議場にて開催されている。

同展示会は11の部屋に分かれて、50社以上に及ぶオーディオメーカーや輸入商社が参加。各部屋では試聴デモの実施や、充実した販売コーナーも展開される。

オーディオ製品がフェア特別価格で販売されるほか、CDやLPソフトのコーナーをはじめ、音元出版の刊行物の販売も行われている。


主催者であるマックスオーディオの代表・大原晴三氏は、今年で14回目を迎える同イベントに関して次のように語る。
今年のテーマは“出会い”です。

この福岡でのイベントは14回目を迎え、小倉でのイベントに至っては30年以上続けています。マックスオーディオが常に大切にしてきたのはお客様との出会いです。

いま世の中はインターネット販売が主流になりつつありますが、ネット販売が広まれば広まるほど、相反して我々のようなお客様と出会って説明していく商売も、今まで以上に重要になってると確信しています。そういった意味でも今年は原点に立ち返ったイベントにしていきたいと思います。

お客様との出会いを大切にして、目に見える形で対面でしっかりと製品を説明させていただく、そんな3日間にしていきたいと思います。

     

ユーザー目線に立って考えれば、一つのブランドや製品を取り上げて試聴イベントを行うよりも、同じ価格帯の製品を比較する試聴会の方が間違いなく面白い。聴き比べるということがオーディオの原点であり、楽しみであると思っています」と大原社長は語る。

概要は以上のとおりだが、たしかに近年のオーディオはネット販売によって人的交流が希薄になっていることは事実だし、確たる「座標軸」や「ものさし」がいっさい無い世界なので「聴き比べが原点」という趣旨にも「もろ手」を挙げて賛同。

当日はおよそ6時間にわたって各ブースを回ったが、オーディオ好きにはこたえられないまったく夢のようなひと時だった。

撮影禁止ではなかったので写真を撮らせてもらったうちの1枚がこれ。
          

とても凝ったツクリのスピーカーだったが、今風の特徴を如実に表わしているので代表的な例として取り上げてみた。

会場には細長い縦長の形状に小口径のウーファーが2発というスタイルが圧倒的に多かったが、あくまでも私感だがこの2発というのに問題あり。

マンション・オーディオの室内環境に対応し、また、音の量感を稼ぐためにやっているのだろうが、その一方、マイナス面もあって中低音域の質感がどうもイマイチで何だか音が濁って聴こえる。

「日頃〇〇さん宅でAXIOM80などのフルレンジを聴き慣れているせいか、どうも違和感を覚えますね~。」と、仲間たち。

「昔、ウーファー3発で鳴らしたことがありますが最終的にはうまくいきませんでした。低音域の分解能はすべてを支配しますのでウーファーは1発に限りますよ。」と、したり顔の自分(笑)。

上記の画像でも左側から順に天文学的な数字で値段が上がっていくが、音は逆に一番シンプルな左のスピーカーが気に入った。

今回の見学で白眉だったのは「G1 GIYA」(ジーワン ギヤ)というスピーカーだった。

         

お値段が900万円と文字どおりハイエンドだが、これまでのオーディオ人生の中で一番素晴らしい音だと思った。

音を形容する言葉として周波数レンジ、分解能、奥行き感、艶などいろいろあるが、すべてに亘って最高クラスで、こういうバランスで音は出すものだと深く脳裡に刻み込んだ。

係の方が「世界で最高の音です。」と胸を張っておられたが、たしかにさもありなん。

仲間のNさんから後日、次のようなメールが届いた。

「G1 GIYAは凄かったですね。さっそくネットでググってみました。製造元は南アフリカのVivid Audio社でステラヴオックス・ジャパンが輸入販売をしています。開発者のローレンス・ディッキーは英国のB&W出身とのことです。」

このスピーカーの周辺機器も凄かった。

         

レコードプレイヤーが光カートリッジなどの周辺機器も含めておよそ1000万円(笑)。

高級機には珍しいベルト・ドライブ方式だったので理由を係の方に伺ってみたところ「アイドラー方式は太い音が出るのですが原音再生には向きません。ダイレクトドライブ方式は私らのような弱小メーカーには理想のモーターが作れません。結局、消去法でいくとベルトドライブ方式に落ち着いてしまいます。」

「昨年12月に発表されたそうですが、このプレイヤーは年間どのくらいの生産台数を見込んでいるんですか?」と質問してみた。

「40台くらいですかね~。最高のプレイヤーということで中東、中国など世界中から引き合いが来ています。」

このシステム全体ではパワーアンプ(700万円)なども含めて4000万円近いお値段だったが、アラブの石油王や中国の成金たちなど世界中の大金持ちを相手にすれば十分成り立つ商売かもしれない。

こういうシステムに接すると、いつも戦前の古典管や往年のSPユニットなどにこだわっている古色蒼然とした我が家のオーディオが何だかみすぼらしいものに思えてきたのも事実だが、それはそれとしてむしろ部分的には優っているところもあるのではという気になった。

身びいきかもしれないが、お値段からすると大健闘である。

この会場を後にするときに、ふと、古典管を使ったアンプと「AXIOM80」によるシステムのデモンストレーションを会場の一部でやってみたくなった。

「温故知新」で、新旧を対比させたこういう企画もかえって斬新で面白いのではないだろうかと思ったが、主催者側の儲けにはまったく寄与しないので没だね、これは(笑)。
 



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「大味」「中味」「小味」のスピーカーたち

2020年11月11日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

わざわざオーディオ仲間のYさんに来てもらった今回の試聴会の目的は二つあった。

 CDアクセサリー「カーボン ファイバー」効果の検証

 新ケーブルによるSPユニット「トライアクショム」の再評価

まず1の方だが、自分も初めての試聴だったけれどこれは明らかに効果ありだった!



付けたときと外した時で予想以上に音が変化した。

「今まで軽口を叩いていたような雰囲気の音に何だか重厚感が出てきましたよ。明らかに効果があります。それにしても、こういう微妙な差を出せるシステムの敏感さにも驚きました。トライアクショムは同軸でもさすがに3ウェイだけあってシンバルの抜けがとてもいいですね。気に入りました」と、Yさん。

日頃から辛口のYさんの舌が珍しく滑らかだった(笑)。

「いやあ、このカーボン・ファイバーがこんなに効果があるとは驚きましたよ。原理がよく分かりませんが期待以上です」と自分。

とはいえ、あくまでも素人の勝手な憶測だが、ラベルのインクが付着したCD盤の高速回転により発生した迷走電流の打ち消し効果がカーボンファイバーにあるのかなという印象を抱いている。

ちなみに、目に見えないけれど「音」に悪さをする輩が二つあって、それは「振動」と「漏れ磁界→迷走電流」だが、とりわけ後者は微小電流を扱う音の入り口部分で発生すると始末が悪い、かもね~(笑)。

どんなにデジタルが進化してハイレゾになろうとも「レコードの音質には及ばない」とされ「同じ次元で比べるのはおかしい」ともいわれるCDにもまだまだ工夫の余地が残されている。

なお、このところCDを聴くときはいったん「ブルーレイレコーダー」のHDDに録音し、リモコンスイッチ一つで便利よく手軽に聴いていたのだが、このカーボンファイバーを使うと明らかに「CDトラポ」の方が音が良くなった。これからはなるべく「CDトラポ」に回帰するとしよう。

さて、試聴盤の「for JAzz・・」の凄い録音を堪能した後で、今度はヴァイオリンの曲目へ。



サルヴァトーレ・アッカルドのヴァイオリンの名品集だが、聴きどころは「精霊の踊り(メロディ)」(グルック)と「我が母が教え給いし歌」(ドヴォルザーク)。

美しい旋律で知られるこれらの曲目をヴァイオリンで聴くのも一興。

「さすがにトライアクショムといえどもあの濡れたようなヴァイオリンの響きを出すAXIOM80には及びそうもないですね」とはYさんのご感想。

それほどまでに仰るのなら「AXIOM80」に代えて聴いてみましょうかね。

「これこれっ!やはりヴァイオリンはAXIOM80の独壇場ですねえ」と超満足げなYさん。しかし、1時間ほどで「少々耳が疲れてきました」

やっぱり(笑)

「AXIOM80」を比較的穏やかな音で鳴らすのなら駆動するアンプを「171系」アンプあたりに代えるのが一番だが、何しろ面倒くさくてね~(笑)。

そうこうするうちに3時間ほど経って辞去される時間帯となった。

「最後にウェストミンスターでゲリー・カーのコントラバスを聴かせていただけませんか」

「ハイ、お安い御用ですよ」

「オルガンの低音域に重量感があって素晴らしいです。とても口径30センチの低音とは思えませんね!」

「何しろ赤帯マグネットのウーファーですからね~。」



結局、この日は通算して3系統のスピーカーを聴いていただいたことになる。

「どれが一番気に入りましたか?」と、ストレートにお訊ねすると「分類すると、丁度、大味、中味、小味といった印象に分かれますね。ウェストミンスターが大味で中味がトライアクショム、そして小味がAXIOM80といったところです。この中で私が一番好きなのはやはりAXIOM80ですかね。」

「そうですか・・。私が一番好みなのはトライアクショムです。見解が見事に別れましたね」

このところ音の好みの傾向が変わってきて「長時間聴いても疲れない音」が一番良くなったのはどうしてかな(笑)。



PS:11月11日、カーボンファイバーの元祖「T」さんから次のようなメールが届いたので紹介させていただきます。

「ドライカーボンはガラスより硬度がある為、CDの高回転による振動を抑えます、その効果で音が伸びやかでクリアーになります。」

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CDの音が良くなるアクセサリー

2020年11月09日 | オーディオ談義

いよいよ11月も半ば近くに差し掛かり今年も残すところ50日余りとなった。

毎年、大晦日近くになると「今年1年を振り返って」と題して、音質向上に著しく効果のあった機器を羅列しているが、早くも「ベスト3」入りを確実視しているのが新しく導入した「RCAケーブル」(LAN素材)だ。

作製していただいたのは「T」さん(東海地方)だが、爾来、Tさんの耳をすっかり信用して、毎日更新されているブログを隅から隅までなめ尽くすように拝読している。何か目新しい情報はないかなという具合(笑)。

そして見事にアンテナに引っかかったのが「CDの音が良くなるアクセサリー」。

こういう類のものはオーディオショップやオーディオ評論家の歌い文句にはこれまで散々苦い経験をしてきたので信用しないが、Tさんの実体験となると話は別。

「20万円のCDトラポが60万円に変身する」と「べた褒め」である。

調べてみると、お値段もリーズナブルだし万一ハズレたとしても「まあいいか」で済ませられる範囲だ(笑)。すぐにオークションの即決をクリック。

3日後には届いた。



CDの上にこれを載せて上から重しをするタイプのCDトラポしか使えないが、我が家の「CECのトラポ」ならお誂え向きだ。

さっそく2日前の7日(土)午後に近くにお住いのYさんに来ていただいて一緒に試聴した。そのときに、たまたま持参されたCD盤がこれ。



ジャズ評論家の「寺島靖国」さんの編集による「for Jazz Audio Fans Onry Vol.13」。

Yさんによると1年に1枚のペースで発売されているこのシリ~ズだが「Vol.13」だから初売りは13年前ということになる。

そして「Vol.1」は当然のごとく既に廃盤となっているが、オークションでは何と3万円以上の高値となっているそうだ。購入時はたったの3千円だからたいへんな値上がりである。

ジャズファンではないけれど、さっそく13枚すべて貸してもらうことにしたのは言うまでもない。いや、けっしてどうこうするわけじゃないですよ~(笑)。

とにかくこの盤の録音のクオリティがダントツに素晴らしかった!

すぐに、このCDアクセサリーを付けた場合と外した場合とでどのくらい音が変わるか比較試聴に取り掛かった。

試聴機器は、CDトラポが「TL33.0」(CEC:ベルトドライブ方式)、DAC「エルガー プラス」(英国:dCS)、真空管プリアンプ「マランツ7型」、真空管パワーアンプ「WE300Bシングル」、スピーカー「トライアクショム」(グッドマン:口径30センチ同軸3ウェイ」

二人して、まさに息を呑むような真剣勝負の瞬間がやってきた!

以下、続く。



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読書コーナー~ミステリー「悲しい毒」~

2020年11月08日 | 読書コーナー

図書館の快適な「学習室」で読むミステリーは自宅で読むのとは違って、読破スピードといい、その集中度といい格別な趣がありますよ。

それに、いったん「学習室」に身を置くと「音楽&オーディオ」という強力な誘惑が身近にないのが何よりも助かります(笑)。


こういう環境のもと、この程読み終えたミステリー「悲しい毒」はこれまでのところ本年最大の収穫だった。



最大の驚きは執筆されたのが「1936年」というからほぼ100年前の英国ミステリーなのにいささかも古さを感じさせず、むしろ犯人の意外性とトリックに驚きを禁じ得なかった。これこそ一流のミステリーだと太鼓判を押したいぐらい。

機会があればぜひご一読を。

さて、本書の中身の方だが自分ごときが解説するよりも、ネットに懇切丁寧な紹介があったのでそっくり引用させていただくとしよう。

「舞台となるのはロンドンの邸宅で、ほぼ動かない。株取引で財をなした男ルパート・ボールとその妻メアリー、娘の三人家族のところに、職を失ったメアリーの弟リチャードの家族四人(弟、その妻、息子、娘)が寄宿しており、さらに経済的に困窮したメアリーの老父母まで引き取ってひとつ屋根の下に暮らしている。この三世帯同居の年越しパーティにゲストとして招かれた青年が砒素入りのワインを飲んで死亡する。

捜査に当たるのは、ロンドン警視庁のチェビオット・バーマン警部補。
本作でのバーマンは快活でハンサムな小柄の男。ダンス好きの女中を誘うように軽くステップを踏んで見せる茶目っ気もある。

バーマンの捜査が進むうちに、どうやら青年の死は誤殺で、犯人は別の標的を狙っていたらしいことが明らかになってくる。

ベルトン・コッブの作品の特徴として、植草甚一や森英俊は毒殺事件へのこだわりを挙げているが、本作のエピグラフでも、「人に襲いかかるであろうあらゆる死の形式の中で、人間性や予想をもっても防ぎ得ないという理由でもっとも嫌悪すべきは毒死である」という専門書の言が引かれており、作者の毒殺テーマを扱った作の嚆矢となったものと推測される。

本格ミステリにおける毒殺の特徴の一つとして、仕込まれた凶器による不可視の殺人だけに、失敗や誤殺が起きやすいということが挙げられるだろう。本書の原題は、The Poisoner’s Mistake(毒殺者の失策)。

バークリー『毒入りチョコレート事件』でも、毒殺事件であるがゆえに、様々な推理のバリエーションが可能になった面がある。

事件が誤殺であることを前提とするなら、本書のサブテーマは、犯人探し+被害者探しとでもいう興味深い作例になるが、その分、警部補が解き明かすべき謎は茫漠としている。

毒殺テーマの作品にふさわしく、終章近くまで、冒頭の毒死のみ。関係者のインタビューにより、乾杯用のグラスの位置や当夜の各人の行動を確定していくバーマン警部補の丹念な捜査は、真の標的と容疑者を絞り込んでいくが、ややもすると単調に映る。

大家族各人の人物像は書き分けられているが、やむなく妻の血縁者を受け入れているルパートの傲慢さをはじめとして、類型を超えるものではない。

全体に不自然さのない捜査と家族の感情が描かれるが、ケレン味に欠け、誰が毒殺者であったところで、大した驚きは期待できないとも半ばまでは思わせる。

ここで諦めてはいけない。作品が輝きを放ちだすのは終盤近く、家族間の真の感情を探る、いささか見当外れにも映る警部補の調査により、登場人物の戦争時にまつわる秘密の過去が生々しく露呈してくる辺りから。

ここに至って、登場人物は書き割りから抜け出し、犯人候補が浮かんでは消え、第二の事件が起きるまでラッシュが続く。カタストロフのさなかに、バーマン警部補は、意表をつく真相を指摘する。

終幕、謎解きの段に移って、我々は良きミステリが総じてそうであるように、作者の手のうちでもてあそばれていたことが判明する。一見単調な尋問、事実をピン止めしていくような地道な捜査も、巧妙で無理がないミスディレクションとして機能していたのだ。

実際、手がかりがばら撒かれたページを適示した謎解きを味読すれば、本書の美点はいくつも浮上してくる。

捜査側の仕掛けを作者の仕掛けとして自然に同期させていく巧みさ、犯人探し+被害者探しの味わい深い処理、終盤の畳みかけるような展開で真相から読者を遠ざける技量などは、表面上のサプライズ以上の達成だ。

これらは、作者のもって生まれたミステリ・センスというほかはなく、200頁を少し超えるミステリに盛られた創意としては十分すぎるほどだろう。

ほぼ忘れられた作家の埋もれた作品群から、小さな真珠を選び出してきた関係者の眼力に敬意を表したい。」

以上、付け足すことは何もありません。上質のミステリーを読破した後の「作者の手のうちで、もてあそばれていた」感覚にまったく賛同します。

ただし、「悲しい毒」というタイトルはあまりにも陳腐で一考の余地あり。そもそも何が悲しいのか・・。「長い間寄り添った夫婦間の冷めた愛情」を指すのだろうか。

オッと、これは危うくネタバレだ(笑)。




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平均80点の音もなかなか良きかな

2020年11月06日 | オーディオ談義

いよいよ時候も11月に入り、朝晩随分冷えてきた。「芸術の秋」も本格的な佳境となったが、このところネタが多くてなかなかオーディオに手が回らなかったが久しぶりに我が家の実例について述べてみよう。

先日「オーディオ秋の陣~JBLからグッドマンへ~」と題し、投稿してから早くも2週間ほど経った。



同一の箱(グッドマンの「ARU」入り)を使って、簡単にバッフル(同一穴のネジ)を入れ換えられるようにしているのでいろんなSPユニットを楽しむことができる。

今回は、JBLの2ウェイシステム「D123(口径30センチ)+175ドライバー」から、グッドマンの「トライアクショム」(画像:口径30センチ同軸3ウェイ)にユニットを入れ替えたわけだが、前述どおりもう2週間経つのに一向にスピーカーを変えようという気が起きない。

とても移り気な我が家ではこういうことは極めて珍しい(笑)。

「ウェストミンスター」(改)や「AXIOM80」など全部で4系統あるので、これまでほぼ2~3日おきに聴くスピーカーを入れ換えてきたわけだが今回ばかりは「音の良し悪し」を判定する気がいっさい起きず、つまりスピーカーをまったく意識しないままにただただ音楽に聴き耽っている有様。

ちなみに、ここにもRCAケーブルを「LAN素材」にした効果が出てきており、妙な味付けが無いのが気に入っている。

それはさておき、この音像定位に優れた「トライアクショム」はどんな音楽ソースでも見事に消化して「80点」に平均化しリスナーに届ける感じである。隙というか破綻というか綻(ほころび)を見せない。

それも「音」ではなく「音楽」を届けるという印象で、家庭で聴くぶんにはこれで十分だなと納得させるものがある。

その点「AXIOM80」などは音楽ソースによって95点もあれば70点にもなったりでばらつきがあり、それに繊細な鳴り方をするのでリスナーに緊張感を強いてくるところがあるが、この「トライアクショム」はそういう気配が微塵も感じられない。

受験勉強でいけば、どんな科目でもまんべんなく平均点以上を取る優等生タイプと、2~3科目に抜群の点数を取るがあとの科目はサッパリという個性的なタイプに分けるとすればくっきりと前者に色分けされる。

だんだん歳をとってきて淡白になってきたせいもあるし、あるいは高音域の聴力が衰えてきたせいもあろうが「こういう音こそほんとうのいい音かもしれないねえ」と思う今日この頃だ。

旧くて希少なユニットなのでオークションに出るのはせいぜい10年に1度ぐらいだがもし出てきたらチャレンジしてみる値打ちはありますよ~。

とはいえ、困ったことがある。

実は、「オーディオ秋の陣」の一角として次のスピーカー候補が「早く入れ替えてくれ~」と首を長くして出番を待っているのである(笑)。



左が同じグッドマンの「AXIOM150マークⅡ」(口径30センチ:同軸2ウェイ)、そして右側がデッカのリボン型ツィーター。これらもケーブルの変化でどういう音が出てくるか興味津々。

今のところ、この2ウェイ方式を2台のアンプで駆動しようという計画。

前者はコイルもコンデンサーもいっさい使わずフルレンジとして鳴らすことにし「PX25シングル」アンプを充て、後者を7000ヘルツあたりでローカットして「300Bシングル」でいこうと思っている。

9台ほど真空管アンプを持っているのだが、詰めの段階となるとやはりこの2台のアンプに落ち着く。



さて、切り替えるのは簡単でせいぜい30分もあれば作業が済むが、いつ実行しようかとタイミングをはかっている毎日だが、気に入った音が出ているのにスピーカーを入れ替えるというのはたいへんな勇気が要りますぞ!(
笑)。



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「音」を表現する言葉のなんと貧しきことよ

2020年11月03日 | 独り言

3週間ほど前に訪問させていただいた四国の「AXIOM80」の愛好家「S」さん宅の音について、ブログの中でどう表現しようかと、ほんとうに迷った。単に「とてもいい音でした」では芸がないので(笑)。

そこで、苦し紛れに「音楽&オーディオは直接的な感覚の世界なので基本的に言語表現には適しておらず、何を言っても正鵠を射ていない気がする」と予防線を張ったところ、すかさず当事者の「S」さんから次のようなメールが届いた。(抜粋)

「音の表現ほど難しいものはないと思っています

ワインのソムリエが「干し草のような」「キノコのような」と表現すると

そこには一種の共通認識があるおかげで 言葉からある程度イメージが可能なのですが 音の表現となると・・・ 

Axiom80の音を言葉で表現した若き瀬川冬樹氏はやはり名を成しただけあって 言語化が上手だったと思います 

モナリザだって嫌いな人もいるでしょうから 皆 それぞれ 自分の好きなものを追い求めるしかないようで 理想の音は こうありたい自分を反映しているかもしれません 

感覚過敏気味の自分にはaxiom80が相性が良かったのかもしれませんが

おおらかに ゆったりと余裕のあるヒトになりたくもあり 普通の音を目指しつつ 毒(狂気)が同類には匂いでわかるといったところでしょうか」

以上のとおりだが、たしかに仰る通り「瀬川冬樹」(故人:オーディオ評論家)さんの表現力は別格でしたね。丁度いい機会だとばかり次の画像の本を読み直してみたところ、ただただ頷くばかり。



たとえば、20頁にこういう表現があった。

「その音が鳴ったとき、わたくしは思わずあっと息を飲んだ。突然リスニングルームの中から一切の雑音が消えてしまったかのように、それは実にひっそりと控えめで、しかし充足した響きであった。

まるで部屋の空気が一変したような清々しい音であった。わたくしたちは一瞬驚いて顔を見合わせ、そこではじめて音の悪夢から目覚めたようにローラ・ボベスコとジャック・ジャンティのヘンデルのソナタにしばし聴き入ったのであった。」といった調子。

ところで、どうしてこういう話題を持ち出したかというと、最近読破した「思索紀行」(立花隆)の中の「ワインの香りと味」についての表現が実に豊かなんですよね~。

たとえば、抜き書きしてみると、

 ワインのプロの間では試飲の仕方が完全に様式として確立されている。そして言葉で匂いと味わいを表現しなければならない。さらには、その表現力をどれだけ身に付けているかで「匂いと味きき」の能力が試される。

✰ 匂いの表現方法にはなんと百種以上ある。たとえば天然の香りが次々にあげられ、初めはたいてい花の香りから始まる。スミレ、ジャスミンなど、あらゆる花の名前が登場してきて、次に果物の香りとしてリンゴ、イチゴさらにはアーモンドなどのナッツ類も登場する

ほかにも、本書では「味覚」「嗅覚」の表現の豊かさについて事細かに述べられているが、それに比べると「聴覚=音」の表現の貧しさについては嘆かざるを得ない。

たとえば「スミレの香りみたいな音」といってもチンプンカンプンですよね(笑)。

したがって「音の表現」についてもワインのように様式として確立し、もっと豊かで感覚的に分かりやすい表現ができないものかといつも思う。

ちなみに、「音」に関して常用される言葉としてはアトランダムに「光沢」「色艶」「彫琢」「奥行き感」「スケール感」「透明感」「いぶし銀」「色気」「音像定位」「原音」などで、ほかにもいろいろありそうだがすぐには思い浮かばない。

そういえば、2年ほど前のブログで「ドレミの7音は虹の色」と題して投稿したことがある。



要約すると「音を聴くと色を思い浮かべる特殊な知覚「共感覚」の持ち主が感じる「ドレミファソラシ」の7音の名前が虹の色「赤・橙(だいだい)・黄・緑・青・藍(あい)・紫」と、ほぼ順序よく対応しているとの調査結果を新潟大学のチームがまとめ、英科学誌電子版に発表した。

つまり「ドは赤」「ミは黄」「ソは青」「シは紫」といった具合。

メカニズムは不明だが「なぜ音楽に心を動かされるのかという未解明の問題にヒントを与えてくれるかもしれない。

共感覚とは「音に色を感じる」、「味に形を感じる」といった二つ以上の感覚が結びつく知覚現象のことで、音楽家ではシベリウスやリストが知られている。」

というわけで、低音域の豊かな音は「赤系の音」、中音域では「緑系の音」、高音域の音は「紫系の音」といった具合だが、それでもまだ正確に言い表せない気がする。

味覚細胞や嗅覚細胞には対象となる微粒子が直接触れてくるが、聴覚細胞に届くのはせいぜい「空気の波」に過ぎないのだから仕方がないのかもしれませんね。


どなたか、表現方法でいい知恵をお持ちじゃないですかね?(笑)



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