「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

2023オーディオ「最終戦」

2023年12月31日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

我が家ではいつも「オーディオ弄りは闘争だ」と思っているので、つい「戦」という言葉を使ってしまうが、機器相手に戦ってもしようがないんだけどね~(笑)。

それでは、後半戦の主だった「オーディオ弄り」を挙げてみよう。

☆ マイカコンデンサーの活躍

 

我が家のオーディオで一番気を遣っているのはもしかして「プリアンプ」なのかもしれない。もちろんスピーカーも大事だが、個別に対処するので効果が分散する、その点プリアンプは共通して使うので波及効果が高い。

で、新調したプリアンプに「マイカコンデンサー」を使用したところ、あっと驚くほどの効果があった。その時のブログを引用すると・・、

「その音の違いといえば、主に高音域に顕著な違いが見られて、通常のフィルムコンデンンサーの場合は解像力に不足はないもののやや人工的な響きで素っ気ない印象を受ける・・、で、マイカの場合はしっとりと潤いを帯びつつ、独特の光沢というか艶があってそこはかとない「色気」が漂ってくる。

それはもう年甲斐もなく「振るいつきたくなる」ほどのレベル~(笑)。

結局、50年以上オーディオに打ち込んできたが、気に入った音質の落ち着き先といえば、人間の情感に切々と訴えかけてくる「色気の有無」になるんじゃないかな~。」と、いった調子~。

今振り返ってみると、少し「逆上(のぼ)せすぎ」かかもねえ・・(恥笑)。

☆ オカルト・オーディオの展開

オーディオにおける電源対策は大元になるのでゆめゆめ怠るわけにはいかない。

ほんとうに音を良くしようと思ったら「200V電源 → 降圧トランス → 100V電源」は必須ではなかろうか。

何といってもDACやアンプに「生気」が蘇る気がするが、それにもかかわらず意外と面倒くさがる人が多いんですよねえ。もちろん「要らん世話」だけどね(笑)。

で、電源関連として仲間から教えてもらったのが「ブレーカ」と「さざれ水晶」。前者では必要悪の「ヒューズ」を使っていない「ノーヒューズ・ブレーカ」に交換し、後者では音質に悪さをする「磁界」の消去に効果あり。

ちなみに「振動」と「磁界」は目に見えないので厄介な相手である。

両者とも「ポケットマネー」程度で済む話だから、どうか騙されたつもりでトライしてみてはいかがだろうか・・。

☆ スピーカーボックスの補強

スピーカーは一般的には「ユニット」と「箱」で構成されているが、どちらが音質にとって大切かと問われたら甲乙つけがたいほどではなかろうか、といつも思う。

我が家で愛用しているグッドマン(英国)のユニットは、そもそも専用の箱が作られていないので、幸か不幸か独自に作るしかない。

で、板厚を出来るだけ薄くし「1~1.5cm」の箱を作って楽しんでいるが、ふと目に入ったネットの写真(左)に啓発されて補強を試みてみた。

  

な~に、補強といっても素人作業で細い棒をしっかり箱の内部に張り巡らしただけのこと。

しかし、たったこれだけの補強で音質が「様変わり」・・、全体的なハーモニーに「一糸乱れることなし」、スピード感など何から何まで向上して思わず小躍りした。

そして、この効果は日数がだいぶ経った今でも毎日実感している。



この「細い棒」は全体で1000円程度だったので我が家のオーディオ史上「最大最高のコスパ」を達成したことになる。メデタシ、メデタシ・・。

そして、最後は・・、

☆ DAコンバーターの新調

「レコードがいちばん音がいい」という説にまったく異論はないが、それはフォノイコ・アンプからモーター、トーンアーム、カートリッジ、さらにはレコードの盤質などが完璧に揃ったときの話だと思っている。

それには膨大な手間と莫大なお金がかかるので、その分、ほかのSPやDAC、真空管アンプなどに回した方がいい、いやけっして負け惜しみではなく、実際に他家でレコードを聴かせてもらっても優位性はいっさい感じない・・。

こういう観点から「レコ―ドには手を出さない」を堅持している。

で、もっぱら目を向けているのが「デジタル信号」を「アナログ信号」に変換する機器で、「Digital to Analog Converter」の頭文字を取って「DAC」。

現在、3台持っているがその効果は「プリアンプ」並みで、ゆめゆめおろそかにできない機器である。その中でもエースとして活躍しているのが「エルガー プラス」(英国:dCS)である。



潜水艦のソナー探知をデジタル解析していたメーカーがオーディオ業界へ進出したというわけで、もう20年以上も前の製品だが当時の販売価格は「250万円」前後で今の貨幣価値からしてもたいへんな高額商品である。

もちろんビンボー人には手も足も出ないので、中古品を10年前くらいにようやく手に入れた。

いくらデジタル業界は日進月歩といっても、さすがに「腐っても鯛」で、「豊かな音質」という点では群を抜いており、アナログっぽい音質でもある。

しかし、微細な「表現力」や「切れ味」となると、少し落ちるかなあ・・。

そのあたりを、最新のDACで補っているわけだが、評判のいい「ローム」(国産)のチップを使っている機器を仲間が購入し、実際に我が家で試聴したところ「GOOD」だったので飛びついた。



到着してから10日ほど経つが、期待を裏切らない性能で「外れ」なくて良かった(笑)。

とまあ、以上で今年のブログはお終いです。

どうか皆様、良いお年をお迎えください。

そして、来年も懲りずに相手をしてね~(笑)。



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2023オーディオ「後半戦その1」

2023年12月30日 | オーディオ談義

一昨日あたりから急にクルマの量が多くなった。とりわけ「県外ナンバー」が目立つ。

まさに「温泉観光地」の稼ぎ時ですね~(笑)。コロナ禍で疲弊した温泉街に活気を取り戻さないと・・、がんばれ~。

さて「前半戦」に続いて、めぼしいオーディオ改革について「後半戦」を時系列で振り返ってみよう。

☆ テレビの故障 → 買い替え

6年ほど使ったテレビの画面が「二重写し」になるので、止む無く買い替えへ~。ビンボー人には懐が痛むけど仕方がない。

サイズを「55インチ」から「65インチ」へグレードアップ、そしてまさに「ピンチはチャンス」で、思いがけず「音楽ライフ」が一変することになった。

「You Tube」チャンネルが簡単に切り替えて観られるようになったのだから実に有難い。

音質の方も再生専用のブルーレイ「DP-UB9000」(パナソニック)を使って「192Khz」のハイレゾ再生だから不満はなし~。

幸か不幸か、CDの出番がめっきり減ってしまい、ほとんど来客時に限られるようになった。

で、どういう番組を聴いているかというと・・、

まずは、「ブルッフ」の「ヴァイオリン協奏曲」で奏者はヒラリー・ハーン。



ヴァイオリン協奏曲といえば巷ではいろんな格付けがあるようだが、我が家では「シベリウス」「ブルッフ」そして「モーツァルト」(5曲全部をひっくるめて)に絞り込んでいる。

そして「ヒラリー・ハーン」・・、「プレイズ・バッハ」で凄い腕の冴えを見せた女流ヴァイオリニストは、さらに磨きがかかっていた。

ベンゲーロフ、チョン・キョファに負けてないですね・・。

毎日、少なくとも一度は聴いているが、何しろ「リモコン」のスイッチひとつで簡単に登場してくれるのだから「ものぐさ人間」にはこの上ない~。

次は「ジョン・デンバー」の「アニーズ・ソング」(邦題:緑の風のアニー)。



「緑の風の・・」は大好きな曲目でCDも持っているけど、まさか「ライブ」で聴けるなんて夢にも思っていなかった、感激・・。

この曲のメロディーが秀逸で、若いころに「百貨店」のBGMで館内放送されているのを聴いて思わず立ちすくみ、聞き惚れたことを思い出す・・。

フルートの大御所「ゴールウェイ」もお気に入りのようで、レパートリーに入れている。

ところで、デンバーは単発の飛行機を操縦して移動していたところ、海上に墜落してあえなく死亡。惜しいことをしましたね~。

アメリカでは芸能人の飛行機事故をよく聞くが、その一方では巨漢ぞろいの「大リーガー」たちがあの広い国土をしょっちゅう駆け回っているのに、そういう事故の悲報を聞くことがないのが不思議。

おそらく球団専用の操縦士と整備が行き届いた飛行機に乗っているからかな~。

そして3番目は「PERFECT」(JOSLIN)



過去のヒット曲「PERFECT」をアレンジしている模様だが、特筆すべきはバッハの「主よ 人の望みの喜びよ」という有名な旋律を挿入しているところで、これが実にいい。

ジャズにしろ、ポピュラーにしろ「バッハ」の旋律が入るだけで、どうしてこんなに格調が高くなるのだろう・・。

メル友でジャズファンの「I」さん(東海地方)が、ジャズとクラシック音楽との融合を唱えられているが、まったく同感~。

ジャズに限らず、もっと「ドキュメンタリー」や、「ミステリー」番組にも積極的に取り入れて欲しい。

いつぞやのフランスのミステリー番組「アストリッドとラファエル」にもバッハの「フーガの技法」が盛り込まれていて、事件を解く重大なカギになっていましたね~。洒落ていてセンスがいい。

オッと、つい話が長引いてしまった。

1回で終わるつもりだったけどね~(笑)、続編は翌日へ~。


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オペラ「魔笛」の自筆譜

2023年12月29日 | 音楽談義

先日のこと、BSで「モーツァルトの真実」~自筆譜が明かす素顔~を放映していた。

               

番組の趣旨は彼が遺した自筆譜を通して彼独自の作曲のノウハウにアプローチしようというもので実に興味深かった。

とりわけ、番組の冒頭でオペラ「魔笛」の分厚い自筆譜が紹介されていたが、まるで清書されたような美しさに驚いた。

しかし、番組を終わりまでみて分かったのだが、意外にもかなり修正の跡を留めた楽譜がほかに遺されていたり、さらにはきちんと作曲の目録を作って整理しているなど几帳面でこまめなモーツァルトの素顔が浮かび上がってくる。

したがって、作曲の方法も、これまでは頭の中で全体が一瞬のうちに完成し後はゆっくりと引き出して、譜面に書き写すだけといわれているが、実はそうした曲ばかりでもなく、例えば先輩作曲家ハイドンに献呈する弦楽四重奏曲では相当に気を使い何回も書き直しの後が見られるそうで、ほかにも作曲前の下書きも時にはしているそうだ。

また、生涯に600曲以上もの作品を作曲した天才といえども全てが良品ばかりではなく、熱意を注いだものと、そうでないものでは完成度に随分差があるのが面白い。ある意味では天才の気まぐれというか、ムラが激しいといってよいのかもしれない。

例えば、亡くなる間際のほとんど同時期に作曲されたオペラ「魔笛」と「皇帝ティートの慈悲」には完成度に随分大きな差がある。

両作品とも最晩年の最も脂が乗り切った時期の作品にもかかわらず、熱中して作曲した「魔笛」の方は最高傑作の名をほしいままにし、一方は今日ではまったくといっていいほど省みられていない。

オペラ「ドン・ジョバンニ」にしても、自分が秘かに憧れていた好色な主人公になりきったつもりで夢中になって作曲したそうで、これも魔笛に劣らぬほどの大傑作に仕上がっている。

この「気まぐれ」の理由がよく分からないが、これは個人的な憶測になるがひとつにはモーツァルトは自分の音楽が後世になって賞賛されることをあまり意識しておらず、その場その場の動機やきっかけ次第で熱中したり、あるいはまるで鼻歌を歌うように作曲をしていった面が多分にあったのではないかと思う。

何物にも縛られない自由に飛躍する精神の持ち主・・、芸術家って本来そういうものなのかもしれないですね。時間をはじめいろいろと制約が多い一般的な社会ではとうてい受け入れられそうにない・・(笑)。

このように、モーツァルトにはいろんな曲目を通じて沢山の顔が見えてくるが、自分の内面をその時の気分の赴くままに作曲した意味で一連のピアノ・ソナタは本人自身の率直なつぶやきに近いものがあり、彼の内面を探る意味で重要な作品群だと思う。

ソナタ1番(K.279)から17番(K.576)まで、10年以上に亘って作曲されているが、特に第14番ハ短調(K.457)第2楽章は他の作品とはまったく違う作風で、深刻な曲調が陽気なときばかりではない彼の違う内面を顕しているようで実に趣が深い。あのベートーベンの後期のピアノ・ソナタを思わせるものがある。

この14番は愛好するソナタなので少なくとも週に一度以上はじっくりと聴いているのだが演奏の方は、主としてグレン・グールドである。



彼の演奏には、文章でいう句読点が感じられ、しっかりとしたストーリーを組み立てている感じを受けるし、何よりも野太いタッチが逞しくて安心感を覚える。

グールドは1982年に50歳で早々に他界しているが、演奏家たちがスランプに陥ったときには、彼のピアノ演奏(録音)を聴くという記事を読んだことがある。もう、後にも先にもこういうピアニストは出てこないだろう。

さいごに「魔笛の自筆譜」からいろいろ話が発展したが、「写し」でもいいから一度だけでも見てみたい気がする。天才の音符の字体を通じてその息吹に少しでもふれてみたい~。

で、「チャットGPT」に意地の悪い質問をしてみた。

「魔笛の自筆譜の写しを手に入れたい」

すると、真面目な回答が返ってきた。

以下は、自筆譜を入手するための一般的な手順です。

1 図書館やアーカイブの調査
地元の図書館、国立図書館、または音楽アーカイブなど、専門的な資料を収集している機関を調査してみてください。

2 デジタルアーカイブ
 オンラインでデジタルアーカイブを探してみることもできます。多くの場合、有名な作曲家の楽譜はデジタルでアクセスできるようにされています。

3 専門家や研究者に問い合わせ
音楽学の専門家やモーツァルト研究者に連絡して、アクセス可能な資料や情報について尋ねてみることも一つの方法です。

4 公共のドメインリソース
 モーツァルトの楽譜がパブリックドメインにある場合、オンラインで入手できる可能性があります。ただし、これは資料の特定の場合に依存します。


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「野性味のある音」って何?

2023年12月28日 | オーディオ談義



この画像がもとで、芋焼酎を注文(ネット)された横浜のKさん。「お口に合えばいいんだけど・・」と、すごく心配していたところ、次のメールが届いた。

「お湯で薄めて飲んでみましたが、そのままでも広がる香りと味覚・・、
私はとても好き!
一升瓶ではなく紙パックで購入したところワイフから「ちょっと貴方らしくない」と。次は一升瓶で(300円ほど価格が上がりますね)
素敵な焼酎のご紹介、ありがとうございました。」

その翌日のメールには「追伸」として「焼酎本当においしい、たぶん芋の中での逸品です。教えていただき、夕食がより楽しくなりました。」

良かった、良かった・・、ホット一息(笑)。

ところが、「一難去ってまた一難・・」

「昨日の記事「2023オーディオ・前半戦」の中でYさんが指摘されていた「野性味のある音」って、少し具体的な言葉でお教えいただけますか? 「品のある響き」を求めてる積りでもこれもできてるか難しいと思うので・・。」

というメールが届いた。

さあ、困った・・(笑)、「音(サウンド)」に関する形容ほど難しいものはないし、「野性味のある音」なんてどう表現すればいいの~。

そういえば、以前のブログにも関連したことを記載したことがある・・、

「ワインの味覚」については、緻密な研究に裏打ちされてものすごく豊かな形容が準備されているが、これが「音」となるとすっかりプアですからね~。
まあ、香りや味わいは直接人間の細胞に触れくるけど、「音」となると「空気の波」なんだから間接的だし無理な相談かもしれないですねえ。」な~んて逃げ口上で凌いでいた。

で、今回の「野性味のある音」についてだが、窮余の一策として次のように返信した。

「音の三要素として、ハーモニー、リズム、メロディが挙げられますが、強いて言えばリズム感を重視した音と理解していただければいいかと思います」

我が家ではクラシックが主流なのでハーモニーを重視しているが、ジャズともなるとリズム感を際立たせないと聴けないイメージがあるので、こういう回答になったが、これが十全な回答だとはもちろん思ってない。

「野性味のある音」について、百人百様の考え方があるに違いない。もしご教示いただければ幸いです・・。

いずれにしろ、オーディオは人がどうこう言おうと「自分が気に入った音でさえあればそれでいい」のだが、それではあまりにも「身も蓋もない」話~。

実は「好き嫌い」を越えて「正しい音」という次元があるのをご存知でしょうか。

その「正しい音」とは何かといえば、「原音再生」が尺度になっており「それにより近づいた音」と理解してもらえばそれでいい。

というわけで、とある「音響研究所」が公表している「原音に近づく正しい音」について8か条の「御誓文」が存在しているのでご紹介しよう。

ただし、真に受けるかどうかはまったくあなたの自由なので念のため・・、自分はおおむね真に受けている派に属しているかな~(笑)。

 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。

 音は前には出ない。(スピーカーの後方に)広がり自然に消える。

 音像は左右後方に定位し、(凹凸感があって)左右フラットに定位しない。

 小さな音でも明瞭度が下がらない。

 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は空気の波紋である)

6 
音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。

 試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。

 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

以上ですが、いかがでしょうか~。

クラシック・ファンなら頷けるところ多々だが、ジャズ・ファンともなるとどうかなあ・・(笑)。



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2023オーディオ「前半戦」を振り返って

2023年12月27日 | オーディオ談義

前々回の「オーディオ冬の陣・ハプニング」からの続きです、といきたいところだが、当日は審判役の「Y」さんから珍しく「(音が)いいね、いいね」ばかり・・。

これでは「ドラマ」にならないし、書くのにも興が乗らないので打ち切りとしよう。

あっ、そうそう一点だけ・・。

途中で「野性味というか ”ふてぶてしさ” が全体的にもっと欲しいですね・・」というコメントがあった。

「イギリス紳士に野性味を求めてもそれは ”ないものねだり” というものでしょう」と、すぐに反駁したがたしかにそれなりに納得。

我が家のスピーカー群は「JBL」といえどもすべてクラシックが品よく聴けるように調教しているので「ジャズ」の再生ともなると、音の勢いとか、タバコの煙が漂うような場末のクラブの雰囲気は無理。

我が家のシステムに対して、「ジャズ」ファンのリピートがめったにないのもその辺が一因だろう、おそらく一度聴いただけで「もう結構」・・(笑)。

「二兎を追う者、一兎をも得ず」だし、「欲張りすぎてはダメ」と思っているので、改める気はさらさらなし・・。

で、話はすっかり変わって、今年も残すところわずか5日と指折りになった。

そこで、前半戦(1月~6月)を振り返って、めぼしいオーディオ改革を拾ってみよう。

「何だ過去の話か・・、徒に振り返って意味があるのか」と、問われそうだがオーディオの場合は意義があると思っている。

なぜなら・・。

オーディオ愛好家ならどなたも経験済みだと思うが、システムのどこかを弄って音が良くなったと喜ぶ場合に、はたして「ほんとうに良くなったのか」あるいは「単なる変化を良くなった」と勘違いしただけなのか・・、というケースが絶対にある。

その両者の結果を峻別するためには「じっくりと時間をかけて聴き分けていく」しかない。

体調の「良い日、悪い日」、録音が違う音楽ソース、そしてアンプやスピーカーの相性などいろんな条件下で聴くことで次第に両者の区別が判明してくる。

つまり「時間の経過」が必要なので、振り返ることで自分自身も納得できるというわけ~。

で、1月から6月までの「オーディオ関連記事」を丹念に見返し、「玉石混交」の中から「玉」だけ拾い出して前半戦を振り返ってみよう。

☆ 真空管アンプの整流管の交換

識者によると、「整流管ははっきりいって消耗品です。劣化すると前段管や出力管に必要なプレート電流を供給できなくなり、伸び伸びとした艶やかな音質が失われてきます。常用しているのであれば、せいぜい2年くらいで代えた方がいいでしょう」

たしかに、やや非力だった「WE300Bシングル」の整流管を代えたところ、音全体に力感が増したのには驚いた。

整流管といえば「縁の下の力持ち」で日頃から脚光を浴びるのは出力管だが、いかに重要な存在なのか・・。そういえばオーデイオにおける「電源対策」と立場が似てますね~。

☆ プリアンプの購入



人によって考え方はそれぞれだが、オーデイオ・システムの中でいちばん音が変わるのは「スピーカー」で、これにはあまり異論はあるまい。

そして二番目となると、諸説あろうが「プリアンプ」ではなかろうかと思っている。

で、真空管式プリアンプを3台持っているが、知人が自作した「プリアンプ」を聴かせてもらったところすっかり惚れ込んでしまった。

「整流管」(EZ81:英国マツダ)付きのプリアンプは音が柔らかくて、雰囲気の再現力がとてもいい。

後日、出力用の真空管を「E80CC」へ、そしてカップリング・コンデンサーにマイカ・コンデンサーを使うことでさらにグレードアップ・・。

以後、半年以上になるが、このプリアンプばかりはさらさら代える気にならないし、もう終生の伴侶ですね~。

以上、こうやって前半戦を振り返ってみるとほんとうに効果的だったのはたったの2件だけという寂しい結果に終わった。

トライしたのは軽く10件を超えるのに、この有様だ~。

「冬草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと」

ところが、後半戦となると状況が変わってくる。

乞う、ご期待~。



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何ごとも「欲張り過ぎたらダメ」

2023年12月26日 | 音楽談義

昔のCDを聴いているときなどにライナーノートに「宇野功芳」さん(享年86歳)がときどき登場されているので、つい思いだす。ずっと昔の死亡記事を今でも保管している。



ややオーヴァーともいえる表現が有名だった。たとえば共著「クラシックCDの名盤」から、デュ・プレが弾くエドガーの「チェロ協奏曲」についての解説がこれ。

「67年、バルビローリの棒で入れたライブが最高だ。人生の憂愁やしみじみとした感慨に彩られたイギリス音楽に共通する特徴を備えるこの曲を、22歳になったばかりのデュ・プレが熱演している。

第一楽章から朗々たる美音がほとばしり、ポルタメントを大きく使ったカンタービレは極めて表情豊か、造詣はあくまで雄大、ロマンティックな情感が匂わんばかりだ。」


こういう表現ってどう思われます?(笑)


クラシック通の間では評価が二分されており、「この人、またいつもの調子か」と、幾分かの“嘲り”をもって受け止める派と「そうか、そうか」と素直に受け入れる憧憬派と、はっきりしている。

自分はやや冷めたタイプに属しているのでこういう大げさな表現はあまり肌に合わない(笑)。

このほど図書館から「私のフルトヴェングラー」(宇野功芳著:2016年2月8日刊)を借りてきた。刊行日からして死去の4か月前なのでおそらく「遺作」となろう。

                         

20代前半の頃はそれこそフルトヴェングラーの演奏に心から感動したものだった。ベートーヴェンの「第九」「第3番・英雄」、そしてシューベルトの「グレート」・・・。

本書の15頁に次のような記述があった。

今や芸術家たちは技術屋に成り下がってしまった。コンクール、コンクールでテクニックの水準は日増しに上がり、どれほど芸術的な表現力、創造力を持っていてもその高度な技巧を身に着けていないと世に出られない。フルトヴェングラーなど、さしずめ第一次予選で失格であろう。何と恐ろしいことではないか。

だが音楽ファンは目覚めつつある。機械的なまるで交通整理のようなシラケタ指揮者たちに飽き始めたのである。彼らは心からの感動を求めているのだ。

特にモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどのドイツ音楽の主流に対してもっと豊饒な、もっと深い、もっとコクのある身も心も熱くなるような演奏を期待しているのだ。

だからこそ死後30年も経ったフルトヴェングラーの音楽を必死になって追い求めるのである。実際に舞台姿を見たこともない、モノーラルレコードでしか知らない彼の音楽を熱望するのである。」

クラシックファンにとって、黄金時代は「1950年代前後」ということに異論をさしはさむ方はまずおるまい。(ジャズもそうかもしれませんね)

綺羅星の如く並んだ名指揮者、名演奏家、名歌手、そして名オーケストラ。その中でも代表的な指揮者がフルトヴェングラー、そしてのちに帝王と称されたカラヤンにとっては黎明期だった。

いつぞやのブログでも紹介したが、ベルリン・フィルのコントラバス奏者だったハルトマン氏がこう語っている。

「カラヤンは素晴らしい業績を残したが亡くなってまだ20年も経たないのにもうすでに忘れられつつあるような気がする。ところが、フルトヴェングラーは没後50年以上経つのに、未だに偉大で傑出している。<フトヴェングラーかカラヤンか>という問いへの答えは何もアタマをひねらなくてもこれから自ずと決まっていくかもしれませんよ。」

だがしかし・・。

本書の中で、フルトヴェングラーがもっとも得意としていたのはベートーヴェンであり「モーツァルトとバッハの音楽には相性が悪かった。」(23頁)とあった。そういえばフルトヴェングラーにはモーツァルトの作品に関する名演がない!

オペラ「ドン・ジョバンニ」という唯一の例外もあるが、このオペラこそモーツァルトらしからぬ作風の最たるものといっていい。


あの “わざとらしさ” がなく天真爛漫、“天馬空を駆ける”ようなモーツァルトの音楽をなぜフルトヴェングラーが終生苦手としていたのか、芸風が合わないといえばそれまでだが・・。

モーツァルトを満足に振れない指揮者は「ダメ」というのが永年の持論だが、はてさてフルトヴェングラーをどう考えたらいいのだろうか。

そもそも、すべての作曲家をレパートリーに収める指揮者なんて存在しないのかもしれないですね。

オーディオだってそうで、すべてのジャンルをうまく再生できるシステムが無いのと同じ~。

つまり欲張り過ぎたらダメ」ということですかね・・
(笑)。



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オーディオ冬の陣「ハプニング」

2023年12月25日 | オーディオ談義

1週間に一度くらいのペースでメールをいただく横浜在住の「K」さん。低音重視の堂々たるシステムをお持ちである。



もう3年以上にもなる長いお付き合いだが、21日(木)に次のようなメールをいただいた。


「芋焼酎ですが、アマゾンにあったので発注しました。柑橘系で割るとおいしいのですね、たのしみ~。感想は馬鹿舌ですが、後日。
(晩酌はほぼワイン(白がすき)、たまにビール、日本酒は正月だけの偏った嗜好です)」



この画像を見て注文されたようだが、ご期待に添えるといいのですが・・(笑)。

で、「味覚」の面で信用していただいたとなると「聴覚」の方も同様の可能性が大いにあり・・、ありがたいことです。

さらに、別のメールでは「AXIOM80」の「ARUの入れ替え」の記事を御覧になって、「ぜひともオーディオ仲間のYさんのご試聴をお願いします。」とあった。



いやあ~、望むところです。

「(音が)いいね、いいね」ばかりでは「ドラマ」になりませんからね~、やはり物事には「対立軸」が必要だと思います。

ほら、映画でも「主役と敵(かたき)役」が必ず出てくるでしょう・・、その点Yさんは「歯に衣を着せない」勢いでズバズバと感じたことを指摘されるので素敵な「敵役」~、いや、「プレイヤーは審判を兼ねてはいけない」の審判役といった方が正確かもしれないですね。

さっそく土曜日(23日)午後1時半からの予約を取り付けたところ、その日の午前中にとんでもないハプニングが起こった。

何と、注文していた「SMSL」のDAコンバーター(以下「DAC」)がいきなり届いたのである。

「アマゾン」の特別セール期間(全商品15%引き)の最終日「12月1日」付で注文していたDACがようやく3週間後に・・。

つい先日のメールでは「2024年1月28日到着予定」とあったので、すっかりその気でいたのだが、いったいどうなっていることやら~。

いずれにしても、早くなったのはいいことには違いない。

それからは「AXIOM80」の試聴なんか吹っ飛ぶ思いで、デジタル・ケーブル(光とRCA)などの接続におおわらわ。

既存の2台の「DAC」も外して、残したのは「エルガー プラス」(英国:dCS)だけとなった。エージングも兼ねて向こう半年ばかりは専用として使い込んでやろうという魂胆である。

で、この「DAC」の購入の決め手だが、まず何よりも実際に聴いてみて気に入ったことが第一で、Yさん曰く「旭化成のチップ4499もたしかにいいのですが、少しデジタルっぽいところがあります。その点、このDACに使ってあるローム(国産)のチップは癖が無くてヴォーカルや弦楽器が自然です」。

なるほどねえ~、Yさんの耳を信用することにしよう・・(笑)。



ただし、リモコンの扱い方がイマイチ「?」なのでYさんに教えてもらうことにしよう。

で、待望のYさんが定刻通りご到着。

かくかくしかじかと、申し上げるとまずは「リモコンの使い方」が氷解、次に「ヒューズを交換しましょうよ」、と既存のDAC「A22」(GUSTARD)から「黄金ヒューズ」を取り出して付け替えてもらった。その間5分程度。



さあ、それからいよいよ「AXIOM80」の試聴となったが、「DAC」は「プリアンプ」ほどには音質の支配権を持っていないと思うけど、それでもシステムの大切な要素であることは間違いない。

おそらくアンプやスピーカーとの相性も変わってくることだろう・・。

そして、結局この日はとうとう我が家の5系統のシステムを順次聴いてもらう羽目になった。

以下、続く。


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「雰囲気=空気」の研究

2023年12月24日 | 読書コーナー

「日経新聞」に「リーダーの本棚」という記事が日曜版に掲載されている。

各界における会長さんや社長さんなどの、いわゆる「登りつめた」トップリーダーたちが自己の愛読書について逐一解説している。


日経新聞といえばなんといっても最新の経済記事が売り物だが、こういう肩の凝らない記事は大好きなのでいつも興味深く読ませてもらっている。

紹介される本の種類は各人によってさまざまだが、お仕事には関係のない本が紹介されたりすると、おそらく「想像を絶する修羅場」や「目が回るような多忙」を限りなく「くぐり抜けた」経験をお持ちのはずなのに「余裕がある人なんだなあ!」といつも感心する。

たとえば、過去には「日本取引所自主規制法人理事長」(当時)の「佐藤隆文」氏が「バッハにみる悠久の秩序」と題し座右の書として「バッハ全集」を掲げられていた。

佐藤氏は財務省の主計官出身だが、「リーダーの本棚」でクラシック音楽関係の書を見かけたのは後にも先にもこれが初めてなので強く印象に残っている。

また、人事院総裁の「一宮なほみ」氏(当時)が大のミステリーファンとして「ジェフリー・アーチャー」(イギリス)のスパイ小説を挙げられており同じミステリーファンとしてとても親しみが持てた。

さらには、ロイヤルホールディングス会長さんの愛読書が8冊ほど紹介してあって、その中に「空気の研究」(山本七平著)というのがあった。

「人が意思決定をする際に、それを支配するのは議論の結果ではなく、その場の雰囲気であることが往々にしてある」という趣旨のもとに、「雰囲気=空気」とはいったいどこに由来しているのか、むやみにその場の空気に流されないための解決法は何かということが書かれている(そうだ)。

「空気の重要性」については、組織で働いた経験のある方ならおそらくピンとくるに違いない。

自分も曲がりなりにも37年間の宮仕えを務め終えたが、空気を読むことの大切さ、ひいては人を納得させ動かすことの難しさを痛感する毎日だった。

組織の運営には「理屈だけではどうしても足りないものがある」ということだけは分かったつもりだが、とうとうその辺を満足に習得することなく未完のまま卒業してしまった憾みが今でも残っていないといえばウソになる(笑)。

そういうわけで「後悔先に立たず」だが、遅ればせながら「空気の研究」をぜひ読んでみたいと思い立った。

さっそく図書館から借りてきたのはいいものの、とても寝転がって読めるような本ではなく想像以上に堅苦しくて学術書並みの難解さだった(笑)。

以下、曲がりなりにも自説を交えて箇条書き風に要約してみた。興味のない方はどうか読み飛ばしてください。


               

★ 「空気」とは言い換えればその場の「雰囲気」である。

山本氏はこれを「臨在的把握」と称されている。対象物の背後にある何か「恐れ」のようなものを感じることをいう。

その背景には「万物に霊魂が宿る」的な意識が色濃く残る日本と、一神教である西洋文明との対比が際立っており、結局「日本人論」が主題となっている。

★ なぜ「空気」を取り上げるのか

戦前、戦中、戦後と時代は変わっても「空気」なるものが我々日本人の意思決定の目を曇らせていることに尽きる。

★ あの時はそういうことを言える「空気」ではなかった

あの無謀な戦争に突入しようとしていた時点で、軍部を中心にマスコミひいては国民全体が戦争一本やりになったことを私たちは忘れてはならない。

ちなみに、マレーシアのリーダーだった「マハティール」氏はかっての日本の軍国主義を顧みて「日本人は直線的に行動したがる」と評している。

★ 戦後においてもその「空気」による意思決定は脈々と続いている

たとえばかっての公害問題において学術的論議を無視した企業叩き、自民党からお粗末な民主党政権への移行時の熱狂ぶり、スポーツ界のパワハラ問題など、もうウンザリするぐらい報道が続いている。寄ってたかって誰かを悪者扱いにする風潮がみられる。

★ どうしてそういう空気が蔓延するのか

幕末、明治あたりと違ってこの100年ほどは一部のエリートが無知な民衆を導くという政治の形から、(一応の)民主主義体制への転換によって一般庶民にまで情報が行き渡りメディアの充実とあいまって「全体のムード」(=空気)が生まれやすくなった。

★ どうも我々日本人は集団ヒステリーに罹りやすいようだ

そこで山本七平氏は「水を差す」というアイデアを挙げる。みんなで盛り上がっているときに否定的な意見を言って現実に引き戻す役割を担う。

★ ただしそれも結局は「まあまあ、ここはそれとして」とウヤムヤになってしまいがちだ

どうもその辺が「和をもって尊し」とする日本人と一神教の欧米人との違いがありそうだ。

★ 本書で「空気」への対抗手段は示されない

あくまでも分析に終始していて、その答えを導き出すのは我々の宿題である。 

結局、「その場の空気に流されるのを潔しとしない」冷静さを我々一人ひとりが持つことが新しい日本流の「個人主義」につながっていくのではなかろうか。

という結びだが、どうしても「隔靴掻痒」の感を覚える方はどうか原書をお読みくださいね(笑)。

さいごに、「雰囲気=空気」の影響力で特に記憶に遺っているのが戦時中の「カミカゼ特攻隊」の志願状況である。

隊員を一堂に整列させて志願者を募るときに、指揮官が厳かにそして悲壮感を持って訓示をした後「志願者は手を上げろ!」と怒鳴った場合と、一方では「一人っ子などで親を悲しませたくないと思う奴は遠慮なく行かなくていいんだぞ」と、くだけた調子で言った場合とでは、確実に後者に不参加者が出たそうである。

人間にとっていちばん大切な命がかかった「究極」の場面でも「雰囲気に左右される」なんて、悲しいですよね・・。



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楽しみな「2024MLB」展望 ほか

2023年12月23日 | 独り言

☆ 「2024MLB」展望

大谷選手に続いて山本投手(旧オリックス)のドジャースへの移籍が昨日(22日)決まった。交渉の席に大谷選手が同席したというのだから、やはり日本人同士だと断りにくいよね~(笑)。

これで、来年(2024年)のMLBがメチャ楽しみになった
。毎日録画しないといけないので専用の「4TB」のHDDを準備しておこう~。

で、先日の記事で大谷選手について次のようなことを記していた。(抜粋)

「惜しむらくは行く先が「ドジャース」(ロサンゼルス)ではなくて「ヤンキース」(ニューヨーク)の選択肢の方が望ましかったような気もする。

その理由は、ロサンゼルスは大都市とはいえ所詮は地方都市である。まあ、日本でいえば大阪みたいなもんですか~。

つまり、いくら阪神が優勝しても全国的な盛り上がりに欠けるように思うし、選手の活躍だって同様だ。どうしてもローカルというイメージが拭えない。

それが「ヤンキース」だと全米的なメディアの広がりと興奮がもたらされてくるような気がするのは自分だけだろうか。

まあ、大谷選手が望んだ道だから諸々の事情があったのだろう。」

と、記載していたのだがどうやら「杞憂」というか「取り越し苦労」だったようで、MLBの大きな潮流は今後「東海岸」のニューヨーク(ヤンキース)から、「西海岸」のロサンゼルスへ移り、そして「ア・リーグ」から「ナ・リーグ」へと移るのではあるまいか、という気がしてきた。

そして、当然のごとく球界の盟主も「ヤンキース」から「ドジャース」へ・・。

両選手とも「怪我がない」という条件下で、ドジャースの「黄金時代」がしばらく続きそうな気がする。

大谷選手にはそれだけの力があるということで、彼の「入団インタビュー」は何と世界で「7000万人」が試聴したというから凄い・・。


構図としては「政治・経済の中心地 VS 娯楽の拠点」の一騎打ちになるがこれは見ものだね、「東海岸の焦り」も相当なものだろう。

☆ ジョイント・ラック

我が家の「リモコン」がいくつあるか数えてみたところ、テレビ、CDトラポ、DACが3台、ブルーレイが2台と、計7個もある。

これだけあると、電池の消耗も当然起こってくる。大半が「単4」だが「単3」と比べて備蓄が尽きたので、つい先日「100均」に出かけて、100円パック(4個入り)を3パック購入した。

電池代なんて安いものである・・、そしてたまたま隣のショーケースにあったのが「ジョイント・ラック」。

次から次に自分で組み立てて追加できるラックである。

で、いつも気になっているのが、図書館から借りてきた本の整理で、最大では30冊(3か所分)にもなる。常時、目につくところに置いておかないと、すぐに借り入れ期限(2週間)がオーバーしてしまう。

そこで、オーディオルームの入り口に雑多に積んでいるのだが、いかにも雑然として目に余ることしばしば~。

「何とかしなきゃいかんなあ」と思っていたので、すぐに飛びついた。

棚の部分だけが「300円」で、ほかのポールとかは100円なので大した金額にはならない。

2ラック分購入して、さっそく組み立てた。



オーディオルームに入ってすぐ右側のラックがこれで、かなり見栄えが良くなった。サウンドにも好影響があるといいのだが・・(笑)。

そして、もう一つのラックは寝室に置いてある本の整理に活用~。



地元の図書館が古くなった蔵書を「自由にお持ち帰りください」と、あったので、行くたびに少しずつ持ち帰っていると、だんだん溜まってこの状態へ~。

「タダほどありがたいものはない」・・、どうやら「育ち」が知れそうですね(笑)。


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オーディオ冬の陣~ブランドへの盲信~

2023年12月22日 | オーディオ談義

かなり前のブログ「貧乏オーディオの悲哀」で、稀代のクラシック通だった「五味康佑」さんの「オーディオ5か条」を記載していたことをご記憶だろうか。

デジタル系を含めて日進月歩の「オーディオ」に「そんな昔の話を持ち出すな」と、お叱りを受けそうだがまあ聞いて欲しい(笑)。

その5か条というのは次のとおり。

 メーカー・ブランドを信用しないこと

 (レコードの)ヒゲの怖さを知ること

 ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること

 真空管を愛すること

 お金のない口惜しさを痛感していること

とあるが、このほど1についての教訓をつくづく味わったので以下、述べてみよう。

さて、「AXIOM80」に「ARU」を取り付けた話はすでに述べた通りだが、さすがに魅力的な音だけあって1週間以上も聴き耽っている。通常はせいぜい3~4日程度で交換といくんだけどね~。



で、このスピーカーは研ぎ澄まされた「鋭敏さ」を誇るだけあって、相性のいいアンプをことのほか選ぶ。言い換えるとアンプ次第でころっと音が変わる、それはもう恐ろしくなるほど・・。

手持ちの9台の真空管アンプをとっかえひっかえ鳴らしてテストしていると、ようやく傾向らしきものが掴めてきた。

あくまでも「我が家のオーディオ環境では・・」という条件付きだが、1~2ワット程度の小出力のアンプがいちばん適している・・。

「WE300B」、「PX25」、「2A3」も、そこそこ鳴るんだけど、どうもオーバーパワー気味でしっくりこない・・。

で、結局「71Aシングル」(2台)、「71Aプッシュプル」、「6SN7GTプッシュプル接続」「6AR6シングル」(三極管接続)の5台に絞り込んだ。

そして、その中からようやく残ったのが「6SN7GT・・」と「6AR6シングル」の2台だった。



これが「6SN7プッシュプル」だが、「前段管」が「6SL7」(GEのニッケルプレート)、そして「出力管」が「レイセオン」の「6SN7」だ。

「レイセオン」ですよ! 

今をときめくアメリカの「ミサイルメーカー」だが、昔は真空管を作っていた。それも特上の球を・・。

まあ、レイセオンだから大丈夫だろうと思っていたのだが、球自体の消耗度も無視できないので念のためと「ボールドウィン」ブランドの「6SN7」に代えてみたところ、これが大当たり~。音色に艶が出てきたのだからたまらん。

いくら「レイセオン」といっても、盲信は禁物だなあ~。



ちなみに「ボールドウィン」というのは「オルガン」メーカー(アメリカ)で、独自に真空管を選別していたらしい。

さっそくスペアを確保しておこうと、オークションを覗いてみたところ様々なブランドが目白押しで並んでいたが、目を引いたのが「RCA」のスモーク型だった。何と「17600円」もの群を抜いた高値で出品されている!



高値なのはそれなりの理由があるはず・・、ふ~ん、スモーク型って音質がいいのかなあ。

ふと種類は違うが「6SL7」でRCAのスモーク型を持っていることを思い出した。前段管として「6SL7」を使えるのはこのアンプだけ。

ちなみに、電源トランスの上に乗っけている靴下の片割れには「磁界」対策として「さざれ水晶」が入っている(笑)。



さっそく、「泣く子も黙る」とされている「STCブランド」(英国)の「ECC35=6SL7」を外して「スモーク」型に挿し代えたところ、まるっきり音が豹変しましたぞ!

何という色気たっぷりのサウンドなんだろう、あらゆる点でケチのつけようがない・・、スピーカーとアンプの魅力全開でベスト1はこれで決まり~。

まさしく運命の「連関」でしたな。

このアンプは先日のテストでは第一次段階であえなく脱落したが、この音なら「鬼に金棒」・・、さっそくYさんに聴いてもらって襟を正してもらうことにしよう(笑)。

それにしても「レイセオン」といい「STC」といい、東西の絶対的なブランドがあえなく「地に塗(まみ)れる」のだから「ブランドへの盲信」はもうコリゴリだよなあ~(笑)。



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人間の理性が本能にあっさり負けるお話

2023年12月21日 | 読書コーナー

年末も押し迫ると、忘年会などで酒を飲む機会が多くなる。

で、酒のうえの過ちは大なり小なり誰しも覚えがあると思うが、中には取り返しのつかないものもあるようでして・・。

たとえば、ずっと以前の話だが
NHKのアナウンサーの「M」さんが、友人と飲酒後に満員電車の中で女性のオッパイを11分間にわたって触り続けていたというニュースにはほんとうに驚いた。あの謹厳実直そうな人がねえ・・。

本人は当時の状況をまったく覚えていないそうで、真相はやぶの中だろうが、周囲に証人もいることだし限りなくクロに近いだろうと推測される。

長いこと社会生活をやってるといろいろあるものだが、痴漢行為となると話は別で、けっして許されることではないものの、つい「お気の毒~」と思ってしまった。

もちろん、被害者の心理を逆なでするつもりは毛頭ないが、およそ酩酊した状態で身辺に強烈な(?)誘惑が存在すれば ”魔がさす” ということはままありそうなことで、それが人間であることの証明みたいな気もするところ。

おそらく、よほど魅力的なオッパイだったのだろう(笑)。


この事例は、つい日頃の「理性」がおろそかになって「本能」に負けたという事例だが、その間に酒が介入しているだけまだ救われる面がある。

一方では、酒などのいっさいの媒体なしに(強いて言えば「雨」かな)人間の「理性」があっさり「本能」に負けてしまうという罪深い小説がある。

それはサマセット・モームの短編小説「雨」である。

20代前半のまだ初心(うぶ)な頃に一読して、衝撃のあまりしばし物事が手につかなかった記憶がある。

いくらフィクションの世界とはいえ、この作品は短編小説の分野では古今東西、ベストテン級の名作とされているので、人間の本質について深く考えさせる何かがあるのだろう。

既に読まれた方も多いと思うがネットで探してみたところ、どなたかのブログに適切な”あらすじ”が記載されていたので勝手ながら引用させていただいた。

舞台は南洋のサモア諸島である。熱烈な信仰者デイヴィドソン牧師は妻と共に任地へ向かう途中、伝染病検疫のため島に停留することになる。

医者のマクフェイル夫妻、そして見るからに自堕落な娼婦、ミス・トムソンも一緒だった。島は折から雨期、太鼓でも鳴らすように激しく屋根にたたきつけ、滝のように視界を奪うスコールが連日続いていた。

デイヴィドソンはミス・トムソンが我慢ならなかった。彼女は夜にもお構いなく音楽をがんがん鳴らし、ここでもお客を取る始末。デイヴィドソン夫妻には敵意に満ちたまなざしを投げかける。デイヴィドソンは彼女を「教化」しようと熱意を燃やす。

しかし、あの手この手も通じずデイヴィドソンはついに彼女を強制送還させる措置をとる。

ふてぶてしいトムソンもこれはショックだった。送還されたら監獄が待っているだろう。手のひらを返したようにデイヴィドソンにすり寄ってくる。これ幸いにデイヴィドソンも懸命に彼女の「教化」につとめる。

そして明日は送還されるという夜、デイヴィドソンは彼女の部屋で夜遅くまで彼女と話し合う。そして…。

彼女の部屋を出たデイヴィドソン牧師は夜のうちに浜辺で”喉”を切り自殺する。衝撃のドクター・マクフェイルがトムソンの部屋に入る。変わらず音楽を鳴らしている彼女にマクフェイルは激怒する。

しかし、マクフェイルに、あざけりと激しい憎悪を込め彼女は言った。

「男、男がなんだ!豚だ!汚らわしい豚!みんな同じ穴の狢(むじな)、男はみんな、豚!豚!」。

マクフェイルは思った。「いっさいがはっきりした」。

ミステリー風の終わり方だが、牧師が娼婦への肉欲に負けてしまい悔恨のあまり自殺したことはあきらかである。

小説の中では、この結末に至るまでに実に巧妙な伏線が張られていて、牧師が娼婦の教化に邁進している最中、就寝中にネブラスカの山々の夢をよく見る話が出てきて、医者にとってもその山並みには覚えがあり、「その形を見てなんとなく女性の乳房を連想した」ことを思い出す”くだり”が鮮明に記憶に残っている。

結局、神に仕える牧師でさえも本能の前には理性があえなく砕け散ってしまうという人間の弱さ、罪深さを描いた小説だが、いかにも
人間を皮肉な視点でとらえがちなモームらしい作品である。

さて、昨日は朝から強い風を伴った寒波だし外に出かけるのも億劫なので、久しぶりにモームの「雨」でも再読してみるかと倉庫に入って探してみたらすぐに見つかった。

               

Mさんの件からつい話が発展してしまったが、人間の脆さがたまたま起こした過ちにどういう償いが価するのか、ちょっと考えさせられた。

それにしても、これから年末が押し迫ってお酒を飲む機会が増えてくるが深酒したときはくれぐれもご用心・・、私たちの年輩の方々にはどうか晩節を汚されることがないように!

もちろん、 ”要らん世話” だけどね~(笑)。
 



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オーディオ冬の陣「見てくれかor実を取るか」

2023年12月20日 | オーディオ談義

我が家の6系統のうち5系統のスピーカーについては、じっくりと時間をかけてコツコツと取り組んだ結果、どうにか「いけてる」状態となった・・、欲を言えばキリがないけど、「ま、いっか」という感じかな(笑)。

で、残るのは我が家で唯一の大型スピーカー「ウェストミンスター」(改)である。

通常は200ヘルツ以下を再生する「サブウーファー」として使っているのだが、それだけでは勿体ないので、200ヘルツ以上を再生できるユニットを加えて、いっぱしのシステムとしてもときどき登場させている。



「スコーカー」(中域)にはテクニクスの口径12cmのユニット、「ツィーター」(高域)には「スーパー3」(ワーフェデール:赤帯マグネット)を使い、プリアンプ2台、パワーアンプ3台で鳴らしている。

で、このスコーカーは「200~6000ヘルツ」という広帯域の再生ができるので重宝している。

余談になるが、200ヘルツから使えるスコーカーってまったく思い当たらない・・、ウェスタンの555ドライバーぐらいかな、ちょっと次元が違うけどね~(笑)。

というわけで、我が家のポリシーとなっている「200~4000ヘルツの間になるべくマグネットの違う異種のユニットを混ぜ合わさない」にも適っているし、音質的にもほぼ満足できるもので、一言でいえば「端正な音」である。可聴帯域の中であまり凹凸感を感じさせないのもいい。

ただし、惜しむらくは「グッドマン」のユニットのように人の琴線にそっと触れてくる色っぽさが欲しいかなあ~。

その原因はスコーカーにあるので他の口径20cmあたりの名器を使いたいところだが、お望みの周波数帯域を再生するためには「コイル」と「コンデンサー」を使わねばならないのが面倒しい。

「チャンデバを使えばいいじゃないか」という声が挙がりそうだが、何だか「人工的な匂い」がプンプンしてくるので使わないことにしている。ただし、高級チャンデバは使ったことがないのであまり大きなことは言えないけどね(笑)。

そして、もう一つの難点が「見てくれ」である。

ご覧のとおり、堂々とした本体の上に乗っけるには、ちょっと ”みすぼらしい” かな ・・(笑)。

オーディオは「見てくれ」もけっして侮れないと思っている。

音楽は理屈ではなく気分で楽しむわけだから、見た目の印象でも気分を高揚させてくれるに越したことはない。

で、たまたまオークションで目に触れたのが木製「ホーン」(1インチ用)である。現在、休養中の「175ドライバー」(JBL)に付けるといいかもねえ、と、ちょっと食指をそそられた。



「縞(しま)模様」が大いに洒落ている!

175ドライバーを付けて「ウェストミンスター」の上に乗っけたら「絵になりそう」と思うと、背筋がゾクゾクしてくる~(笑)。

しかしねえ・・。

もし、「175」を使うとしたらクロスオーバーは1000ヘルツ前後にせざるをえない。

ウェストミンスターを700ヘルツあたりでハイカットすれば立派な2ウェイシステムが完成するし、そのための「ムンドルフ」のコイルもあるんだけど、ひとつだけ「隘(あい)路」がある。

というのも、このウェストミンスターは200ヘルツあたりでムンドルフのコイルで塞いでやらないと、あの独特の「地を這ってくる」ようなオルガンの重低音再生ができないのである。

大型スピーカーの「バックロードホーン」による重低音再生となると、我が家の「レーゾン・デートル」といっていいかも・・。

さあ「見てくれ」か「実を取るか」

大いに悩ましかったが、結局「実」を取った。

歳も歳だし、これ以上道具を増やさないようにしようという「分別」も意識下で働いたかな~(笑)。

で、結局このホーンの落札価格は56000円だった。

ムムッ、微妙な値段・・(笑)。



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モーツァルトへの旅~音楽と人生に出会う~

2023年12月19日 | 音楽談義

その昔、モーツァルト関連のエッセイの中に(たしかドイツ文学者の「小塩 節」氏だったと思うが)、次のような記述(要旨)があったことが微かに記憶に遺っている。

「幼少の頃に作曲した一節が、亡くなる年(1791年)に作曲された「魔笛」の中にそのまま使われている。彼の頭の中でそのメロディが円環となってずっと流れていたのでしょう。」

この内容の真偽のほどと、その出典元がはたしてドイツ文学者の「小塩 節」(おしお たかし:1931~2022)氏のエッセイだったのかどうか・・・が、最近やたらに気になって~(笑)。

読者におかれてはどうでもいいことかもしれないが、大の「魔笛愛好家」の本人にとっては大いに気になる事柄・・。


おそらく図書館から借りてきた本だから今さら真偽のほどを確かめようもないが、簡単に諦めてしまうのも何だか癪だ。

自分がやや粘着質の人間であることをよく理解している積りだが(笑)、「よし!突きとめてみせるぞ」と珍しくヤル気をだしてみた。

こういうときの「ネットの威力」は凄い。

「小塩 節」でググってみると、著作がずらりと並んでいたが、いかにもそれらしき表題が見つかった。過去に読んだときは「音楽関係の月刊誌」だった記憶があるが、おそらく引用だったと推測している。



「モーツァルトへの旅」。

おそらくこの本が「出典」ではないかな・・。在庫の表示があり、本のお値段が20円、送料が260円で併せて280円なり~。さっそくクリックして注文したところ3日ほどで届いた。

  

かなり薄目の文庫本だったので比較的「組みやすし」と読み進んだが、ようやくお目当ての個所を見つけたときはそれはもう感慨もひとしおだった。

ちなみに本書を最後まで通読した結果、著者はさすがにドイツ生活が長い方だけあって現地にもよく通暁されており、これは最高の「モーツァルト解説本」だと太鼓判を押したくなるほどの出来栄えだった。

上から目線の「物言い」で恐縮だが、日本有数の「モーツァルト通」(自称)が保証するのだから間違いなし(笑)。

ちなみに「日本有数のオーディオ愛好家」と「日本有数のモーツァルト通」と呼ばれるのと、どちらがうれしいかと問われたらもちろん後者である。

芸術的な価値に雲泥の違いがあるからね~(笑)。

前置きが長くなったが、それでは押しつけがましくも関係個所(62頁)をそっくり引用させてもらおう。

「モーツァルトが5歳の時に作曲した小品が数奇な運命を経てロンドンのある家庭から「モーツァルト協会」に寄贈された(1956年)のが「アレグロ へ長調」の楽譜だった。

形式もきちんと整ったこの譜を注意深く見ると、人はある有名な旋律を思い出して愕然とする。

この旋律型はモーツァルト最晩年の、彼の創造活動の終局点を示す30年後の大作「魔笛」(K620)の中でパパゲーノが歌うアリア第20番「パパゲーノが欲しいのは・・・」、あのメロディーなのである。

モーツァルトがあんなに小さいときに作曲を始め、そして30年して彼の世界の円環を閉じるとき、彼の心に鳴っていたのはこの懐かしいメロディーだったのである。

専門家はこの旋律が民謡の一節に由来したものであると指摘している。そうだろう、モーツァルトは町や村のちまたの歌を聴いてヒントを得て、多くの作曲をしていった人なのだから。彼は多くの旋律をいくつも作品に繰り返し使っている。いたるところで懐かしい旋律に出会う。

彼はその生涯の初めの幼い日に街で聞こえた何げない民謡のメロディーから無意識のうちにヒントを得てこの作品を創ったのである。」

以上のとおりだが、モーツァルトの僅か36年の短い生涯といえばヨーロッパ各地への旅から旅への連続であり、様々な人との出会い、各地の伝統音楽に接した記憶のすべてが彼の音楽に結実した。

モーツァルトにあやかるのはまことに恐れ多いが、幼少時代の記憶が何の脈絡もなしに走馬灯のようにかけ巡って来ることがよくある。

結局、人間とは己の記憶ともに生涯歩み続ける生き物なのだろうか。

ふと「村上春樹」さんの言葉が蘇った。

「僕らは結局のところ血肉ある個人的記憶を燃料として世界を生きているのだ」。


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オーディオ冬の陣「快進撃!」

2023年12月18日 | オーディオ談義

このところ打つ手、打つ手が当たりまくっている感があるオーディオ弄り・・。

「快進撃」が続くのも、ことのほか体調がいいせいだろうか(笑)。

いくつものSP箱の補強、プリアンプのカップリング・コンデンサーの強化、(他動的だが)ブレーカの交換、さざれ水晶の設置等々・・。

ちなみに「ブレーカ」の交換については、このほどはじめて読者の方から銘柄の問い合わせが1件あったので、すぐにブランド名と型番を報告した。

なにしろ、「ヒューズ付きブレーカ」を「ノーヒューズ(ブレーカ)」に入れ替えるのだから、性能が悪いはずがない・・。

オーディオ機器の「ヒューズ」といえば、音質のためには「百害あって一利なし」で、ただ安全性のためにだけ付けられている代物だ。

で、この「ノーヒューズ・・」となると、もちろん別の方法で安全性を確保してある。

ブレーカは電源の大元なんだからもっと多くの人が注目し、対策を講ずるべきなのに反応が皆無に近いとは・・、やはり「チャレンジ精神の欠如」と「マンネリ化」ほど恐ろしいものはない。

まあ、要らん世話だけどね・・、それに自分もそうだったのであまり大きなことは言えないよね
(笑)。

ただし、もし入れ替えたとしても効果が実感できないときだってありそう・・、「それはそもそもシステムのアンテナ感度が低いせいです!」と、言わざるを得ない。

どこかを変えただけですぐに音質の変化が感じられる「研ぎ澄まされた鋭敏さ」を、物理的にも、身体的にも日頃から保ちたいものです。

おっと、話がつい横道に逸れてしまった。

「快進撃」に戻ろう。

板厚が4cmもある箱に付いていた「ARU」(背圧調整器)を外した話はつい先日のブログ「オーディオ冬の陣・起死回生の一手」でしましたね。



今回はこの「ARU」を本家本元の「AXIOM80」の本体に取り付ける話~。

想像以上に苦労しました! 

加工しやすいように「薄い板」を購入してきて、適当な大きさに切ったり、本体の底に開けてあった「20cm四方の穴」を塞いだりで、とうとう半日がかりの作業となった。左右のSPの作業だからたいへん~。

まあ、オーディオの場合は「わくわく感」が先に立つのであまり苦になりませんけどね~。

で、完成形がこれ。



「ARUの茶色」を黒色で統一するかどうかは思案中・・。

で、肝心なのは音だっ・・、つうの~(笑)。

「AXIOM80」の鳴らし方については、これまでいろいろ試行錯誤してきたが、個人的に思うのは「ふっくらとした響き」が感じられるかどうか、がいちばんのポイントかな・・。

低音の迫力とか、勢いとかはまったく無縁のスピーカーである。相性の悪いアンプで鳴らすと高音域が神経質にキャンキャンする「じゃじゃ馬」でもある。

で、ただひたすら「ふっくらとした包容感」が、感じられればそれでいい・・。

そして、我が家のテスト盤として定番になっている「カリヴィアン・ブルー」(エンヤ)をワクワクハラハラしながら聴いてみた。



冒頭の深~い「一撃」を聴くだけで、出てくるサウンドのあらゆる特徴が把握できる。

解像力、奥行き感、(原音再生への)忠実度、セパレーション、音色、歪み感・・

そして、今回は・・。

もう「言わぬが花」でしょうよ(笑)。



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「芋焼酎」と「橙」、そして「猫」

2023年12月17日 | 独り言

今年もあと2週間で終わり~。何だかあっという間の1年でした。

「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」という言葉がある。

ご存じのように「花は毎年同じように咲いているけれども、人はいつまでも同じではない」 という意味だが、これに反する(?)ように例年になく体調がよかったのが今年の特徴。

何しろ、昨年の前半は心臓血管にステントを2本も埋め込む手術をしたんだからね~。

どうやら一念発起・・、新しい取り組みが功を奏したらしい。

とはいえ「死は前からではなく後ろから、汐が満ちてくるようにやってくる」(兼好法師「徒然草 第155段」)ので、油断はできないが・・(笑)。

ちなみにその取り組みとは、

午前中と午後の各1回、ウォーキングの前に5分間くらいのストレッチをする、毎食後、炊飯器で温めた自作の「黒ニンニク」を食する、朝と夕は玄米に、そして昼食は「紫芋」(秋~)にする、



そしてこの1か月ほど、晩酌を「ウィスキー」から「芋焼酎」に代えたところ、なんだか大いにやる気が出てきた。

たとえば、諸々のスピーカーの細工などに熱中したり・・(笑)。

で、この「芋焼酎」には我が家の「猫の額」ほどの庭に植えている「橙」(だいだい)が大いに貢献している。



ようやく黄色くなり本格的に収穫できるようになったので、



この橙と芋焼酎のお湯割りがたまらないほど美味い~。

ちなみにこの「芋焼酎」は、ネットでは1730円(送料込み)だが、近くのディスカウントショップでは1380円なので重宝している。ただし送料を考えると割安ともいえる。

気が向いた方はどうかお試しあれ~。

最後に、つい先日投稿した「村上ワールドに思う」について、南スコットランド在住の「ウマさん」からメールを頂いたのでご紹介して終わりにしよう。

「確かに、かなり好き嫌いが分かれるのが、村上春樹さんの文章ですね。
彼の、持って回ったような翻訳調のレトリックに辟易することがあり、小説はほとんど読みません。

ところが、そんなレトリックが、音楽に関しては、「なるほど、そんな風に表現出来るんだ」と膝を叩くことがかなりあり、凄い文章力・表現力を感じます。


村上氏が無名時代に経営していたジャズ喫茶にちょくちょく行きましたが、初めて行ったとき、コーヒーを派手にこぼしてしまいました。飛んで来た彼は、テーブルを拭く前に僕の衣服を拭き、すぐに代わりのコーヒーを持って来てくれました。とても誠実さを感じました。

ニーチェは「音楽のない人生は間違いである」と言い、シュバイツァー博士は「人生の悲惨から逃れる方法が二つある。音楽とネコだ」とおっしゃったそうです。

僕の猫「マルコ」はモーツァルトやブラームスが好きですよ。僕の膝の上で安らかに聴いています。音楽好きの猫ちゃんを得てとても幸せですが、いつも「マルコ」の相手をしてるわけにはいかないので、彼女のお友達として、もう一匹飼おうかと考えてます。名前はもう決めてます。「チビィー!」です。」

以上のとおりです。(たしかに「翻訳調のレトリック」とは、言いえて妙です。村上さんは翻訳家の一面がありますからね~)

実は「犬派か、それとも猫派」かと問われたら、「猫派」なんですよねえ~(笑)。



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