「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~「真空管PX25とWE300Bの聴き比べ」

2010年07月28日 | オーディオ談義

「アンプの改修が終わったよ。持って行きたいけど、明日の火曜日の午後は空いてる?」と、オーディオ仲間のM崎さんから電話。

「出来ましたか、それは楽しみですね。もちろん空いてますよ」

今年の1月にオークションで落札した真空管アンプ「PX25シングル」はひどい代物だった。左右のレベルの音がマチマチだし、ブ~ンというハム音がするしと、もうアタマを抱えっぱなし。

オークションの品物を購入する以上、博打はある程度覚悟の上だったが残念なことに期待ハズレだった。

しかし、使ってある出力トランスがオルトフォンのカートリッジで一世を風靡したあのデンマークの「JS社」製のもので「素性がいい」のは疑いを容れないのでなんとしても生かしたいところ。

「煮て食おうと、焼いて食おうと勝手にしてください。お任せしますのでとにかく全面改修をお願いします。」と、M崎さんに全幅の信頼を寄せて2週間ほど前に預けていたアンプがようやく手元に戻ってくる。

その間は手持ちの真空管アンプWE300Bで代用していたわけだが、いよいよ両者の全面対決が実現するので胸がワクワク。

PX25(イギリス)は欧州を代表する出力菅、片やWE300B(オールド)はアメリカを代表する銘菅。マニアの間でも優劣の論議が果てしない夢の対決~。

火曜日の早朝、テレビの天気予報で午後から急に天気が崩れて大雨が降ると言ってるので慌てて電話。「午後から大雨の予報です。運び入れる最中にアンプが濡れるとまずいので午前中に来てくれませんか?」

フッ、フッ、フ、「善は急げ」で一石二鳥とはこのこと。

「そうだな、11時ごろに着くように行くよ。久しぶりに一緒に飯を食べるかな」

さ~て、ちょっと早めにお見えになったM崎さん、出来上がってきたアンプを聴く前に、WE300Bのアンプのほうでまず試聴。

テスト盤はM崎さんの所望で内田光子さんが弾くベートーヴェンのピアノソナタ31番〔作品110)の第三楽章。終り際に強烈な低音が入っている。

ひとしきり聴いた後、いよいよ全面改修を施したPX25のアンプに入れ替え。結線を済ませてスイッチ・オン。「アキシオム80」ユニットにピタリと耳をくっつけてハム音を確認するもかすかなサーッという音。完璧、合格。見事なまでに治っている。

           

次に音出し。これまで聴いたことがないような澄んだ音が部屋中に広がっていく。

「素晴らしい!いやあ、こんな音が聴きたかったんです」と感激のあまり思わず口に出た。

「どこをどんな風に変えたんですか?」

「このアンプはどうもわけのわからない人が作ったみたいで、ちょっと回路がお粗末だったね。まず部品を全部バラしたうえで、最短距離で結線、部品をシャーシからできるだけ離す、シンプルな回路、アース一点主義といったところかな。測定器を見ながらハム音を最小に抑えるだけで3日間ほどかかってしんどかったよ。」

そして両菅の試聴結果については?

「やはりPX25のほうがクラシック向きだな。内田光子さんが目をつむって瞑想しながら弾いてる感じがするが、300Bの方は目をはっきり見開いて演奏してる印象。ジャズとかポピュラーを聴くのなら出番が回ってくるくらいかな」

まったく同感だった。伝統あるイギリスのお国柄を偲ばせる奥ゆかしくて渋い、それでいて芯と艶のあるPX25のサウンドに改めて敬服。やはりクラシックを聴くのならイングリッシュ・サウンドで決まりとの感を深くした。

ふと、今年の3月末に福岡で聴かせてもらったS木さん宅での音を思い出した。老練なイギリス人が作ったとされる世界で2セットしかないアンプとアキシオム80との組み合わせだったが、あの素直で抜けのいい音にせまる勢い。

こうなると次から次に聴きたくなる。次の試聴盤はベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲12番。演奏はもちろんアルバン・ベルク・カルテット。

「ネット情報ではアルバン・ベルクの演奏は高音がキンキンしているといって大変評判が良くない難しいソースだが、こうして聴いてみると全然うるさくないなあ」

「ベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲群はあまりの完璧な出来栄えに、後世の作曲家たちが手も足も出ないと嘆いたそうですね」

うん、これに匹敵するのはバルトークの作品くらいだと言われてるけど、ちょっととっつきにくいよね。たしかバルトークは餓死したんだっけ」

「そうです。在世中にまったく評価されず貧窮を極めたそうです。まあ、ホンモノの芸術家とはそんなものでしょう。一方、在世中に評価されて境遇に恵まれた人は後世に名は遺らないとおおかた相場は決まってます。神様はじつに公平でよくしたものです。」

雑談はさておき、これからずっとこんな音で聴けるなんてと、まるで夢のような毎日が始まりそうだが、これまでの経験からするといつも聴き込んでいく内に何らかの不満が出てくる


早くオーディオを卒業して音楽に専念したいのは山々で今度こそはと思うのだが・・・。

 


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音楽談義~「映像付きの音楽」に思う~

2010年07月26日 | 音楽談義

7月24日(土)の早朝のこと。久しぶりに湯布院のA永さんから電話があった。

「今日はご在宅ですか?よろしかったらちょっと聴かせてください、9時半頃にお伺いします。」

いつも取り立てて用事のない身なので大歓迎である。それに、たまには第三者の耳で冷静に我が家のオーディオ・システムの音を聴いてもらって忌憚のない意見をもらったほうがいいくらい。

何といっても自分のためになる。まあ、それだけ遠慮しなくてもいい間柄でもある。

9時ごろに窓を閉め切って冷房とともにオーディオ装置のスイッチをオン。アンプのスイッチだけでも6本(真空管4機、トランジスター2機)だし、順番もあるので結構ややこしい。

人間もそうだが機械だってウォーミング・アップは大切で、取り分け真空管アンプがフルに能力を発揮するのはおよそ30分後ぐらいからと相場が決まっている。

今回聴いていただく曲目の順番をあれこれ考えていると予定時間ジャストにお見えになった。

最初に、最近よく聴く「ハイビジョン」を録画した「アンネ・ゾフィー・ムター」のヴァイオリン協奏曲〔モーツアルト)を聴いていただいた。

           

いつもと違って、映像入りの音楽、しかも演奏者が女流で別嬪さんのヴァイオリニストときているので、興味深そうに視聴されている。

「テレビの音もこのくらいだと聴けますね」
というのが第一声だった。重ねて「やはりヴァイオリンの音色の再生にかけてはアキシオム80の右に出るユニットはありません」。

「そうでしょうかね~」と、控え目に言うものの思わず頬が緩む。

最近になってアキシオム80用の真空管アンプをPX25(イギリス製出力菅)からWE300B(オールド)に替えたばかりだが後者のほうが能力が「上かも」という考えがチラリとよぎる。

ひとしきり聴いた後、今度は同じ曲(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲1番)をCDで聴いてもらった。CDを聴くのは久しぶり、とはいっても1週間前くらいが最後。

ワディアのDAコンバーターは共通だが、CDトランスポートは「ワディア270」、そして演奏者は「ダヴィド・オイストラフ」。

              

あまりの違いに愕然となってしまった。

ここで今さら、まるで手の平を返したように「ムター」の悪口を言うのは止しておこう。美人ぶりにウットリとしながら直前まで愛でたヴァイオリニストだからあまりにも
”軽薄”と言われそう。

それにしてもオイストラフの演奏の素晴らしさは何と形容したらいいのだろうか。
「感動できる演奏」とは、まさにこういうものを指す。

「実にヴァイオリンの音色が多彩ですね。それに芸格の違いはいかんともしようがありません」とアッサリ断言されるA永さん。

「いやあ、”いい歳”をして」と、見てくれのいい映像に”うつつ”をぬかし、肝心の演奏に注意力が散漫となってしまった自分がちょっぴり恥ずかしくなってしまった。

昔、オペラ「魔笛」(モーツァルト)を頻繁に鑑賞していたときだって「一度映像を見ておきさえすれば後は聴くだけの方がいい」と散々言い聞かせてきたのにいつの間にか記憶が消え失せてしまっている。

「視覚」と「聴覚」を同時に使うときは、前者のほうが情報量が多いためにどうしても聴覚の方が鈍くなってしまう。これは例外なく誰でもそうだろう。

音楽を「楽しむ」だけの目的ならどういう聴き方でもいいが、最終的に音楽に芸術性を求めるのであれば映像(視覚)は出来るだけ排除したほうがいい、そもそも「感動の質が違う」
 ように思えるのだがどうだろうか。

言い換えると「娯楽」と「芸術」のレベルの違いといってもいい。

それから、「ハイビジョン・レコーダー」と「CDトランスポート」の再生能力の違いも顕著だった。

出てくる音質が、どうのこうのというよりもまるっきり
静寂感が違う。演奏の背後にある空気感の再現性とでもいったらいいのだろうか。まあ、価格が6桁そこそこと7桁とでは大きく違うんだから仕方ないといえばそれまで。

以上、映像につられて、つい聴覚がおろそかになってしまったという「安易な聴き方」を猛省する一幕でした。

 


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読書コーナー~「真夏の読書」~

2010年07月24日 | 読書コーナー

「フー、暑い、暑い・・・」、猛暑がやってきた。

冷房嫌いなのでオーディオ・ルームは朝から夕方まで2箇所の窓を開けっ放し。

それはいいのだが、日中、音楽を大音量で聴くとなるとご近所や通行人の迷惑となり、到底ムリな相談。

そこで暇つぶしに2階に上がって風通しのいいところで読書と相成る。

そうやって、最近読んだ本の中でいくつか紹介といきたかったが、この暑さのせいか今回はどうも書く意欲をそそる本が1冊きりしかなかった。

 「俺の後ろに立つな」~劇画一代~

「さいとう・たかお」著〔2010.6 新潮社刊)   

「俺の後ろに立つな」の表題でピンと来る方は相当の「ゴルゴ13」ファン。それくらいの「定番の科白(せりふ)」である。

この「ゴルゴ13」は世界を股に掛けるスナイパーが主役で「さいとう・たかお」さんの代表作ともいえる劇画。1968年連載開始だからもう40年を経過している勘定になる


随分と息の長いシリーズで、今まで一度も休載することなく続く立派な現役であり、作品数のほうも「500話」に達するという。

「劇画」といってもバカにすることなかれ!

「ゴルゴ13」とくれば、以前読んだ随筆に出てくる逸話がすぐに蘇ってくる。著者は裁判官。

この裁判官さんは大の「ゴルゴ」ファン。電車の中で夢中になって読んでいたら、ふと熱い視線を感じたので見上げてみると丁度、取り扱っている事件を担当している弁護士さんがたまたま居わせて、まるで信じられないような顔をして”まじまじ”と見つめていたという。

裁判官といえばわが国でも最難関の資格試験とされる「司法試験」に合格された方である。

職業としても「法の番人」として謹厳実直、しかも、いわば知的階級としては最上位に位置される人だが、そういう方が堂々と「ゴルゴ13」を公衆の面前で愛読している姿に、さぞや弁護士さんもビックリされたことだろう。

しかし、こういう話はいかにも気取りがなくて面白い。

あっ、そうそう、たしか自民党の元総理「麻生」さんも、クレー射撃が好きで、「ゴルゴ13」が愛読書だったと聞いたことがある。

さて本書である。

まさに著者の「生い立ちの記」ともいえる内容で、1936年和歌山生まれの大阪育ち。幼少時から絵が好きで、学校の試験は一度もまともに受けなかった。

漫画嫌いの母親の目を避け、理髪師をしながら17歳で描いた「空気男爵」でデビューし、以後、紆余曲折がありながらも脚本、構成、作画など分業体制により大人の鑑賞に堪えうる劇画を確立して今日に至っている。

興味を惹かれたのは「ゴルゴ13」の別名「デューク東郷」の由来。

著者は小学校時代から手もつけられないほどの悪童で先生からも無視されっ放しの存在だったが、中学3年の中間試験のとき、いつもどおり白紙の答案用紙を堂々と提出したところ「名前だけはきちんと書いて出しなさい」と、厳しく指導してくれたのが「東郷」先生。

爾後、唯一親身になって指導してくれた「東郷」先生に無条件に私淑していくが、この先生は著者が絶対的な自信を持っていた「絵」を否定することでより大きく目を開かせてくれた方でもある。

とにかく本書には「さいとう・たかお」の知られざるエピソードが満載でそれなりに面白い。

さらに、巻末の作品年表に記載されている作品数の多さに驚く。連載モノから貸本系単行本まで軽く450冊以上もある。これも、いち早く時代の展開を見通した分業体制のなせる業(わざ)だろう。

劇画という大人の娯楽に果たした多年の功績により平成22年4月に「旭日小綬賞」を受章されている。


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オーディオ談義~「録画できるデジタルチューナー」~

2010年07月22日 | オーディオ談義

先日のブログに登載したように、我が家の音楽ソースは3系統。

そのうちハイビジョン・レコーダーで録画した
「音楽番組」は、DAコンバーターに繋いでデジタル再生しているので音質のほうもCD並みの水準となり貴重な音源となって、あだやおろそかにできない。

因みに現在の「AV環境」を記しておくと次のとおり。

 テレビ:シャープ液晶「アクオス LCー45GD1」

※ 数年前に購入したものだが「45インチ」も今では随分安くなった!

 レコーダー:3台

・ デジタル・ハイビジョンレコーダー シャープ「DV-HRD300」

・ 
DVDレコーダー パイオニア 「DVR-77Hと99H」の2台

と、いうわけでハイビジョン・レコーダーが1台しかないので好きな番組〔BSハイビジョン)が同じ時間帯で競合するときがあり、そういうときは片方しか録画できないのが悩みの種。

それに最近、アナログテレビを見ていると「アナログ放送は2011年7月までです」なんて字幕がやけに気にかかる。

よ~し、思い切って「地上・BSデジタルチューナー」を購入しようかと、まず近くの電気店へ。

「地デジチューナー」なら6,000円前後だが「地上・BSデジタルチューナー」ともなると2万円前後が相場。

こういうときに即決するようでは「オーディオマニア」として失格。一旦、自宅に帰って機種の優劣などをじっくり検討して絞り込むことにした。

ネットで売れ筋を調べてみると、トップは2010年4月発売の○○会社のチューナーであることが分かった。値段も2万円前後と手ごろ。

「高画質」とか「デザイン」とかの謳い文句はどうせ各社、似たり寄ったりだろうからまず
「機能性」に注目。

すると、何と「USB」端子が付いていて録画用のハードディスクが外付けで接続できるようになっているではないか!

以下、説明文を引用してみよう。

本機に市販のUSBハードディスクを接続することでデジタル放送をハイビジョン録画することができます。ハードディスクを内蔵しているかのような操作性を実現し、最大8台まで登録が可能。また市販のUSBハブを介して、最大4台まで同時接続することができます。これにより手軽に録画容量を増やし、番組ジャンル毎にハードディスクを使い分けたり、家族が自分専用のハードディスクに録画するなど、さまざまな使い方ができます。

「なるほど、なるほど!」

これなら、もはや従来のレコーダー機能は不要。録画したい番組は外付けのハードディスクが利用できるのでチューナー機能だけで十分。

ハードディスクが直接の記録媒体となり保存媒体をも兼ねるので音質が悪くなるDVDなんかに移行しなくても済むので大助かり。

「うまいこと考えるなあ」と思ったが、当然の進化で単に自分が時代遅れなのかもしれない。

とにかく、大いに気に入ったのでこの「チューナー」をネットでチェックして一番安い価格の店から購入することにした。

と、同時に外付けのハードディスクを購入しなくてはまったく意味をなさない。これもネットでチェック。結局、バ○○○ローの「1.5TB」メモリと大容量のものに決定。

因みに、
「メモリの単位」はご存知の方も多いと思うが念のため記載すると次のとおり。

1B(バイト)=8bit(ビット)

1KB(キロバイト)=1024B

1MB(メガバイト)=1024KB

1GB(ギガバイト)=1024MB

1TB(テラバイト)=1024GB

現在使っているシャープのハイビジョンレコーダーのメモリは「400GB」なのでいつも容量不足の状態。

ところが、今回購入する外付けハードディスクは1.5TBなのでGBに換算すると「1536GB」となり、約4倍の容量となる。

今では容量も随分と大きな時代になり「TB単位になっている」と実感。

NHKのBSハイビジョンではよく週末の深夜に長時間の「オペラ番組」を放映しているので、これからジャンジャン録画できるぞ~。しかもタダで。

そして、待望の「デジタル・チュナー」が届いたのが21日(水)の11時ごろ。

取り説にザット目を通してからアンテナ線とかケーブルを接続。ケーブルは一番画質が良いとされている
「HDMI」出力を使うことにした。およそ20分程度ですべて終了。

                 

テレビで「はじめての設定」(基本設定)を順にやっていくと、いきなり、きれいな「地上デジタル画像」が映し出された。

やれやれとホット一息。どうやらミス無しで接続できたようだ。それにしてもレコーダーのときのような回転音が皆無なので実に静かで聴きやすい。

外付けのハードディスクのほうは22日の午前中に到着予定なので、予約録画、再生の機能の確認は後回しにしたが、これからは「ハイビジョン・レコーダー」に替わって、確実にこのデジタル・チューナーが主役を務めることになる。


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独り言~「カボスの剪定」

2010年07月20日 | 独り言

九州中部はここ2~3日梅雨が明けたような、はてまた、そうではないような"ぐずついた"天気。どうもスッキリしないがとりあえず陽が照りだした。

7月18日〔日)の早朝、植木屋さんから「お待たせしました。やっと雨が止みましたので今日剪定に行きます」との電話があった。

猫の額ほどの小さな庭だが、それでも人並みに植木がある。門かぶりの「槙(まき)」、「ヤマモモ」「柊(ひいらぎ)」「レモン」、「梅」そして「カボス」といったところ。

例年、市役所の
「シルバー人材センター」に頼むのだが、今年は連絡するのが遅れてしまい、予約が殺到していて結局9月頃しか行けないとのつれない返事。

やむなくカミサンの知り合いの造園業者に頼んだところ、値段の見積もりが2倍ほどだったが仕方がない。

しかし、「シルバー・・」は、こういっては何だがいわば素人にちょっと毛が生えたような方ばかり。たまには、こういう専門家もいいかもしれないなんて前向きに考えることにした。

ご夫婦でお見えになったが年の頃は60歳前後、たいへん寡黙でいかにも叩き上げの職人さんといった感じなのが頼もしい。

「生い茂った藪みたいになっているので、ジャンジャン思い切って刈り込んでください。特にカボスは今ごろ剪定する時期ではありませんが、今年は収穫を度外視してますので、遠慮なくプロの目で切りまくってください」。

カボスを植えておよそ25年ほどになるが、これまで一回も本格的な剪定をしたことがない。今年は熟練の技を発揮してもらうのに丁度いい機会とバッサリやってもらうことにした。

表の玄関側には「種がないカボス」〔写真中)、裏庭には「種があるカボス」〔写真右)と2本植えている。

途中、”にわか雨”にたたられながらも午後3時ごろにすべての植木の散髪が終了。見違えるほどきれいになった。「ヤマモモ」の枝振りなんか惚れ惚れするほどで、カミサンと「やっぱり専門家は違うなあ~」と頷き合ったことだった。これからは毎年頼もうと即決。

                

ところで、切りまくって捨てるばかりのカボスの枝をよく見てみると4cm前後のカボスの実が沢山ついていた。”どれどれ”とそのうちの1個を真っ二つに断ち割って絞ってみると何と2~3滴ほどだが汁が出るではないか!

これは”勿体ない”と剪定ばさみでバタバタと収穫。

                     


そして、絞ったカボスからはなんともいえない素敵な香りがプ~ンと匂ってきて、これは「ちょっと一杯」やらざるを得なくなる。

知人から頂いた「紫芋焼酎」を引っ張り出してお湯割りにし、カボスの汁と切り身をぶち込んで、チビリチビリとやりだすともう止らない~。

まだ陽が高いのに4時ごろにはすっかり出来上がって酩酊状態に。

冬から春にかけて飲むお酒は「マッカラン」(ウィスキー)と決めているが、カボスの収穫時期になると「芋焼酎」で十分対抗できるのがうれしい。

フッ、フッ、フ、それに随分と「安上がり」だし~。

翌日の夕食時、カミサンの話によるとこのくらいの大きさのカボスが「4個で105円」で売っていたそうなのでなかなか侮れない。


ところで、このカボスは大分県の特産品でまさに県を代表する顔と言ってもいいほどで、全国向けのイメージアップにも随分貢献している。

地元の新聞社と県が協力して、県出身の著名人あるいは大分県に赴任してきた官や企業の支店長さんたちが大分を離任するときに
「カボス大使」になっていただき「今後とも大分県をよろしく」ということで送り出している。

中央とのパイプを大切にする地方の弱小県ならではの工夫とイメージアップ戦略といえるが、収穫時期が8月~9月と限られているため、年間を通して出回らず全国展開にはなかなか苦労している模様。

それに徳島県の「スダチ」とは競合関係にあるが、地理的に関西方面への浸透度において及ばないのも隘路のひとつとなっている。

一県民として宣伝に一役買いたいが、これといった大きなセールスポイントがないのがちょっときつい。

とはいえ、ネット情報によると2006年7月には、エコノミークラス症候群等の血栓症に対して予防効果がある可能性が高いとの研究結果が発表されており、商品化への取り組みが行われている。

 また、ヘスペリジンを多く含んでいることから善玉コレステロールを増やし、血栓溶解につながると見られているので起死回生の妙薬となるといいのだが。

最後に豆知識を一つ。

<カボスの語源>

皮を刻んで「蚊いぶし」に用いたことから「蚊いぶし」がなまって「カブス」になり、カボスはその音転である説が一般的である。

 


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オーディオ談義~「磁石の有効利用」~

2010年07月17日 | オーディオ談義

以前、自分のブログの「アクセス解析」で「検索ワード」の項目に「L-01A」がトップに踊り出たことがある。

この「L-01A」は現在自分が使っている低域用(およそ200ヘルツ以下)のアンプ(1979年製)。

およそ30年前に作られた製品が今ごろなぜ興味の対象に挙がったのだろう?

「このアンプの真価が見直されてブームになっているのでは」な~んて、半信半疑ながら素直にうれしい気持ちにもなったところ。

しかし、翌日以後の「検索ワード」ではこの「Lー01A」は影も形も失くなっていたのでサッパリ理解不能のままになっていたのだが、あるとき、雑誌を見ていたら当時、
NTTドコモがモバイル・グッズの最新型として「Lー01A」を発売していたことが分かった。
                                                           

              

「ナ~ンダ、そういうことだったのか」!

結局「L-01A」といっても”お門違い”ということだったのだがホントに紛らわしい。アンプの商品名のほうがずっと歴史があって本家本元なのに。こういう登録は一体どうなっているんだろう。

それにしても「L-01A」で検索して自分のブログにアクセスしてきた方は「オーディオ」関係の”わけの分からない”記事を見てたいへん
”興ざめ”されたことだろうとお気の毒~。

さて、そのケンウッド社のアンプ「Lー01A」である。      
                                    
30年前にケンウッド社が実験的高級品専用ブランドとして、満を持して発売したトランジスターアンプ。当時の価格で27万円だから現在の値段に換算すれば相当なもの。

このアンプの最大の特徴は信号系の近くにある磁性体(磁性を帯びる鉄など)が存在することで発生する「マグネティック・ディストーション」(磁界の歪み)を一掃するためにアンプ全体を
非磁性体
で構成していることにある。

つまり、磁束の固まりであるトランスを信号増幅部と分離し、別筐体に納める構造とし、信号増幅部本体の筐体からも鉄を一掃し、サブパネルとパネルケースの一部は強化ナイロン、背面パネルは肉厚フェノール積層板、左右の側板はアルミ、底板はウッドというように強度や使用目的に応じて鉄以外の非磁性体材料を組み合わせた実に凝った構造。さらに各部のパーツからもネジ1本に至るまで磁性体を徹底的に排除している。

しかし、こんなことをしていても音が悪ければどうしようもないのだが、トランジスターなのにまったく石臭さがなく現在使っている中高域専用の真空管アンプ「WE300Bシングル」(mono×2)にも実に相性がいいので随分と重宝している。

とにかく、パワー系統は別にして微小電流を扱う「音の入り口」部分のCDプレーヤーやプリアンプ系には「鉄の使用は一切ご法度」である。

たとえば手持ちのワディアのDAコンバーターのボリュームを調整してみようと、以前、分解して内部を見たことがあるが、筐体そのものから部品、ネジ1本に至るまで一切、鉄の部品を排除していた。(「DAC27ix・・」の内部写真は次のとおり)

                
 

余談になるが、このボリューム調整の仕組みは、ワディア購入のため泣く泣く「下取り」に出したマーク・レヴィンソンのプリアンプ「No.26SL」とそっくり同じだった。

話は戻って、非磁性体としての対策が果たしてどれだけ音質に貢献しているかとなると、その効果の程を物理的に計測するのはなかなか難しいので、結局個人ごとの耳で判断する微妙な世界になるが「漏れ磁界」が音質に悪さをすることはたしかである。

そして、確実に言い切れるのは
「はじめからコストや手間を度外視して”鉄”の排除にまで神経を行き届かせて機器を製造しているメーカー〔あるいは個人)は極めて良心的である」ということ。要するに姿勢の問題。一事が万事なのである。

最終的に手にするオーディオ製品とはそういう製作者の良心が込められたものを択びたいとつくづく思う。


オーディオ機器をいくつか目の前にして「どれを買おうか」と悩むときは磁石をそっとケースに近づけてみれば分かる。ピタリとくっつけばそれは鉄製であり音質への万全の配慮が行き届いていない製品。

「100円ショップ」には磁石がいくらでも売っている。磁石を持ってない人は,さあ、買いに行こう!


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音楽談義~「永久保存の音楽番組~♯1」

2010年07月15日 | 音楽談義

我が家で音楽を聴くときのソースは今のところ3系統。

一つはもちろん
「CD」。次に「170iトランスポート」を利用した「iPod」、そして残るはハイビジョン・レコーダーで録画した「音楽番組」。当然のごとく「レコードは?」と問われるところだが、残念ながらぜんぜんヤル気なし~。

これらの3系統を、DAコンバーター(「ワディア27ixVer3.0」)がボリュ-ムとセレクターの機能を併せ持ちいわば「プリアンプ」の役目も果たしているので、
6つのデジタル入力端子のうちから選り分けて接続している。

ちょっと専門的になるが、CDは
「STグラス・オプチカル」(クロック・リンク)、「iPod」は「BNC同軸」、そして今回話題にする音楽番組は「光グラス・ファイバー」でデジタル接続しており、鮮明な画像とともにほぼCD並の音質で聴けるのでありがたい。(シャープの45インチ液晶テレビで鑑賞)。

今のところ、HDDに録画した番組は結果的に「A,B,C」のランク付けをしている。Aランクは「永久保存」、Bランクは「DVDに移行」、そしてCランクは一度観たらアッサリ「削除」。

「なぜAランクの番組をDVDに移行しないのか?」と、当然の疑問が出そうだが、一旦DVDに移行するとHDDから消え去ってしまうのが惜しい。

なぜならHDDの再生とDVDによる再生では圧倒的に前者のほうが画質も音質も上だから。
回転系が入るたびに音質は劣化する!

したがって、現在HDDには永久保存番組が目白押しなので、全体の録画時間のキャパシティが少なくなっているのが悩みのタネ。いずれ、順番にいくつかはやむなく「DVDに移行」の羽目になる。

しかしながら、
「これだけは絶対にHDDに保存」という飛びっきりの音楽番組をこれから紹介してみよう。今回はまず第一回。

 「モーツァルトのヴァイオリン協奏曲」

番組名:「クラシック ロイヤルシート」NHKーBSハイビジョン

録画日:2006年10月1日(放映)、実演:2005年12月

曲 目:モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第1番~5番」

演奏者:アンネ・ゾフィー・ムター(女流ヴァイオリニスト)
    協演「カメラータ・ザルツブルク」(室内管弦楽団)  
  

場 所:モーツァルト劇場(ザルツブルク)

           

モーツァルトの珠玉のヴァイオリン協奏曲を1番~5番まで通しで、しかも映像付きで聴けるなんてまったく夢のような話。(しかもタダで!)

第1番の作品番号がK(ケッフェル博士の整理番号)207で第5番がK.219だから、おそらくモーツァルトが20代前半の頃に集中して作曲したものと推測されるが音楽の完成度の高さに驚く。いずれも第二楽章のアダージョは絶品!

そして演奏者が才色兼備のムター。10代でカラヤンに才能を見出され、順調に成長して今やヴァイオリン界の女王として君臨している。

時折り見せる勝手な解釈と弾きっぷりにとやかく言う向きもあるが、女流として彼女に追いつけそうなビッグな存在は今のところ、若手のヒラリー・ハーンくらいしか見当たらない。

「ヴァイオリンと女性とはとにかく相性がいい」という趣旨のことを言ったのはたしか「小林秀雄」さんだが、映像付きでヴァイオリン演奏を聴くのならやはり女性ヴァイオリニストに限る。それも美人の!

協演の「カメラータ・ザルツブルク」がこれまたいい。おそらく大半がウィーン・フィルのメンバーではないかと思うほど音楽性豊かなハモリ具合。(指揮は協奏曲ということもあってムターが兼ねている)。

「見てくれ良し、演奏良し、音質良し」の3拍子揃ったこの番組はまさに未来永劫にわたっての宝物である。

しかし、使用中のハイビジョン・レコーダーもいずれ寿命が尽きると思うが、そのときは一体どうなるのかと心配。

新しいレコーダーに「HDD→HDD」の移行が出来るんだろうか?

☆ 「ダンシング・クィーン」

番組名:「SONG TO SOUL」~永遠の一曲~
    TBSーBSハイビジョン161チャンネル

録画日:2010.1.20

曲 目:「ダンシング・クィーン」

演奏者:アバ

           

この番組は、毎週木曜日の午後11時から放映されている55分間の番組。ときどき昔好きだったポップスが登場するのでそういうときは逃さず録画している。

「ダンシング・クィーン」は数あるポップスの中でも一番好きな曲といっていいほどで、どんなに気分が滅入ったときでもこの曲を聴くと気持ちが弾んでくる。

女性ツイン・ボーカル、ハイレベルな楽曲とサウンドは大きな魅力で、1970年代の後半に
北欧「スウェーデン」から発信され、世界中で大ヒットした(1978年4月全米チャート第1位)のでご存知の方も多いだろう。

ハーモニー、メロディ、テンポ、すべてが寸分の狂いのないアレンジのもとで完成の域に達したポップス史上最高の曲」

「アメリカンポップスのリズム感と北欧のクラシックの要素が融合しておりアバサウンドの頂点を極めている」

と番組中の関係者が口をそろえて絶賛するのも無理はない。

また、番組の中で関係者の証言のもと、この曲の完成に至るまでの微に入り細にわたる分析がなされていたが、改めて練り上げられたサウンドの「緻密さ」が分かった。

いやはや、ポップスといえどもバカにしてはならない。永遠にクラシックとして残るのではないかと思えるほど、この曲は30年以上経つのに今だに一向に古びない。

いわゆる「時の流れ」という唯一無二のフィルターに通しても十分鑑賞に耐えうる代物。

なお、この番組では
「青い影」(プロコム・ハルム)の特集もやってたのでこれもちゃっかり録画した。(2010.4.8)
 

 


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独り言~「健康対策」と「読書二冊」~

2010年07月13日 | 独り言

 健康対策「にんにくオイル」

先日のブログ「健康1番、音楽・オーディオは2番」で触れたように「健康あってこそ趣味が末長く楽しめる」というものだが、それかといって日常生活があまりに「健康至上主義」にしばられるのも極端すぎて面白くない。

人間、すべてバランス感覚だと思う。


要するに「くう、ねる、うごく」、つまり「食事、休息、適度な運動」をいかにうまくとるかが健康の要諦だろう。

今回は、そのうち、食事面での健康対策に取り組んでみた。

国民2~3人のうちに1人はいずれ「ガン」になるというコワ~イ統計数値が示されているが、そのガンに対して一番予防効果が高いとされているのが「にんにく」という食材。

しかし、この「にんにく」には難点がある。

まず「匂い」が強烈でうかつに人と会話が出来ないほど不快感を与える。また、食べ過ぎると「胃」がやられてしまう。「黒酢、にんにくは、うまく摂取しないと胃潰瘍の原因になりますよ」とは、4月に診てもらった胃腸科の先生の言。

この辺を考慮しながら先日のNHKテレビ「あさイチ」(7月7日8:15~)で「にんにく特集」をやっていたが、そのうち「にんにくオイル」を作ってみた。

                         

この番組の中ではいろんな「にんにくのレシピ」が紹介されていたが、一番作るのが簡単そうなのがこれだった。

はじめカミサンに「こういうレシピがあるんだけど」と持ちかけてみたところ「あら、そう、あなたがやれば・・」と素っ気なくかわされてしまった。どうやら自分の料理に”けち”をつけられたとでも思ってプライドを損ねたらしい。

仕方なく自分がやる破目に。7月10日(土)の午前中のことだった。

まず材料をそろえる。

           
      1          2          3

<材料 200ミリリットル分>
・オリーブオイル・・・200ミリリットル
・にんにく・・・1個

<作り方>

1 にんにくを袋に入れ、すりこぎ(またはハンマー)でたたいてヒビを入れてから薄皮としんを取り除く。(細胞を破壊することで、ガンに一番有効な匂い成分を出しやすくする)。

2 オリーブオイルとともにフライパンに入れてごくごく弱火にかけ、時々混ぜながら30分ほど煮る。にんにくが色づき、水分が抜けたら火を止め、にんにくを取り除く。

3 オイルをこして、にんにくの中身を取り除いたら完成。冷やして元のビンに戻してやる。

※冷蔵で保存

これで「にんにくオイル」の出来上がり。

実に簡単である。「冷奴」とか「野菜」の炒め物にかけて、適度にしょうゆを使って食べると、ほのかに「にんにく」の香りがして食欲がいやがうえにも増す。絶品である。

付属物の「にんにく」のかけらのほうも、ほとんど匂いがしないのでこだわりなく食していい。

健康食材「にんにく」に興味のある方は一度トライされてはいかがだろうか。自分みたいな料理の”ど素人”でも出来たのだから、まず失敗はありえない。

 「読書二冊」~「不等辺三角形」と「教室の亡霊」~

                

 言わずと知れた「浅見光彦」シリーズの最新作。

「教室の亡霊」の巻末に
「内田康夫デビュー30周年記念3ヶ月連続刊行」とあり、「教室の亡霊」が2月(2010)、「神苦楽島」が3月、そして「不等辺三角形」が4月に刊行と書かれてある。

著者紹介の欄に、2007年に著作総発行部数が1億冊を超えたと書かれていたが、その人気振りが推しはかれようというもの。


たしかに、どれを読んでもハズレがなく無難で結構面白いのが特徴だが、最近読んだ「神苦楽島」は「週刊誌の連載物」だったので、内田さんらしくないダラダラとした展開が続いてサッパリ面白くなかった。

さて、この2冊はどうだろうか?

10日の午後、県立図書館から「予約の本が入館しました」との連絡を受けたので片道25分(クルマ)のところを取りに行った。

まず
「不等辺三角形」だが、いつものと遜色ない出来栄えで、結構面白かった。由緒ある「仙台箪笥」の呪いと、戦時中、日本で客死した汪兆銘(中国)の財宝探しと絡めた殺人事件。

相変わらず意外性のない犯人だが、展開がなかなかスリリングで、つい、いつもの「内田節」に引き込まれてしまった。どうやら心配した高齢による筆致の衰えは感じられないようでひと安心。

次に
「教室の亡霊」もなかなか読ませる。近年の学級崩壊、保護者の無茶な言いがかりなどによる先生のノイローゼの増加、教員試験における教育委員会のコネ採用など「教育問題」に絡んだ殺人事件。

我が大分県で起って、全国の教育界を震撼させた教育庁の不正採用がちゃっかり取り上げられていた。さすがに内田さんはいろんなところにアンテナを張っていると感心した。

犯人像のあぶり出しが弱く、後半になるとちょっと”だれてくる”のがいつものとおりだがまあいいか。

とにかく、これからも「内田ワールド」を安心して楽しめると満足できる二作だった。


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音楽談義~「チェザーレ・シエピ」追悼~

2010年07月09日 | 音楽談義

7月8日(木)の朝日新聞(朝刊)の片隅に小さく「死亡」の記事が載っていた。

【チェザーレ・シエピ】(イタリアのオペラ歌手)

5日、米南部アトランタの病院で呼吸器不全のため死去。87歳。20世紀を代表するバス歌手の一人。モーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」のジョバンニが当たり役だった。イタリア・ミラノ出身。~中略~94年に引退。長年、米国に居住していた。

「あれっ、”シエピ”はまだ生きてたんだ!」というのが率直な実感だが、昔から彼のジョバンニ役には”ほとほと”魅了されており今でもその思いは変わらない。

女性は「アルト→メゾソプラノ→ソプラノ」と順に高い声になっていくが、男性の場合は「バス→バリトン→テノール」の順になる。

記事には「バス歌手」とあるがおそらくバリトンに近いバスなので厳密に言うと「バス・バリトン」ではないかと思う。

この記事に接し、はるか東洋の一ファンとして稀代の名歌手にささやかだが哀悼の意を捧げよう。

モーツァルトの音楽はすべて素晴らしいが、取り分け「オペラ」にこそ本領が発揮されていると言われている。

生涯に亘って沢山のオペラを作曲したが、結局三大オペラとされているのが、作曲年代順に「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」。さすがにいずれも甲乙つけ難しの傑作ぞろい。

「フィガロの結婚」は当時の領主の初夜権を風刺し「単に貴族に生まれたというだけで特権を振るうのはおかしい」という反社会的な要素を含有したオペラ。モーツァルトの反骨精神と相反するような美しいメロディが随所に展開される傑作。

「魔笛」はもう言わずもがな。

そして「ドン・ジョバンニ」。2時間50分ほどに及ぶ大作。

スペインの貴族で稀に見る色事師の「ドン・ジョバンニ」が放蕩の限りを尽くし、最後まで己の所業を悔い改めることなく地獄の劫火の中に落ちていくというストーリー。

とにかく、このジョバンニさんは生まれ故郷のスペインでは、1,003人、イタリアでは640人、ドイツでは231人・・と、うら若き乙女からお婆ちゃんまで相手構わず手を出すのだから凄い。(従者レポレロのアリアの中で高らかに謳い上げられていく)。

オペラの劇中でも夜中に貴族の令嬢の家に忍び込んで父親を殺害したり、結婚直前の村の乙女にちょっかいを出したりとやりたい放題。

女性にこまめだったモーツァルトはこのジョバンニに自分をなぞらえていた節があり、まるで自分が主人公になりきったかのごとく没頭して作曲したといわれるほどの渾身の力作。

次から次に間断おくことなく生身の人間讃歌(?)が飛び出してくる。モーツァルトの音楽の表現力の凄さを極限まで悟らせる作品と言っても過言ではない。

謹厳実直なベートーヴェンが音楽の素晴らしさは別にして、この不道徳な筋書きのオペラをあの尊敬するモーツァルトが作曲するなんてと怒り狂ったというのはホントの話らしい。

しかし、モーツァルトのほうがはるかに人間という生き物を知っていた。そうでないとあれほど人間心理を抉ったオペラの作曲はできない。

現在、手持ちのCDは4種類。いずれも3枚組。

    
        1       2       3       4

 フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルハーモニー
  1953年録音(モノラル)、ザルツブルク音楽祭実況録音
  ドン・ジョバンニ役 → シエピ

 ヨーゼフ・クリップス指揮、ウィーーン・フィルハーモニー
  1955年録音(ステレオ)(原盤:デッカ)
  ドン・ジョバンニ役 → シエピ

 リッカルド・ムーティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー
  1991年録音(ステレオ)(原盤:EMI)
  ドン・ジョバンニ役 → ウィリアム・シメル

 ダニエル・バレンボイム指揮、ベルリン・フィルハーモニー
  1992年録音(ステレオ) (原盤:エラート)
  ドン・ジョバンニ役 → フェラシオ・フルラネット

久しぶりに、これら4枚をそれぞれ聴いてみた。

自分の思うところCDの音質の順番は4→3→2→1、ところが、好きな演奏の順番は1→2→4→3でやはりというか、改めて確認したようなものだった。

あえて言わせてもらえれば「ドン・ジョバンニ」はフルトヴェングラー指揮のものでまず
決まり。何といっても実況録音というのが利いている。

フルトヴェングラーはこのドラマティックで人間臭いオペラの指揮をさせたら天下一品。一方で「魔笛」のような絵空事の「おとぎ話」にはまるで向かないタイプ。

要所だけと思って聴きだしたが、途中で止めるのが惜しくなってとうとう最後まで一気呵成に突き進んでしまった。

クリップス指揮盤も素晴らしい。演奏もいいが録音の年数がフルトヴェングラー盤と2年しか違わないのに音質がはるかにいい。デッカ盤恐るべし。

そして、これらの盤はいずれも
ジョバンニ役がシエピなのが決め手稀代の色事師にふさわしく自信満々で野性味があって野太い声が実にピッタリはまっている。劇的表現力は言うに及ばず。

このシエピに比べると、
のジョバンニ役は好演だがいずれもちょっと上品すぎて線が細く、遠く及ばない。まるで草食系男子。やはりジョバンニ役は肉食系でなくては始まらない。

シエピの前にも後ろにもシエピなし!

 


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オーディオ談義~「健康1番、音楽とオーディオは2番」~

2010年07月07日 | オーディオ談義

いつぞやのブログでも記事にさせてもらったことがある我が家の近所にお住まいのM上さん。

ずっと東京にお住まいだったが3年ほど前に家を売り払って温泉のある別府に引越しされてきた。

自治会の役員を通じてたまたま知り合いになり、我が家にも2回ほどお見えになって、楽しく酒を酌み交わしながら一緒に音楽を聴いたものだった。

随分と昔のポップス「白い色は恋人の色」の歌手「ベッツィ&クリス」のことを「ペッティング&ク○○○ス」なんて茶化してしまう、随分と開けっ広げで愉快な方である。

ところが、運の悪いことに3ヶ月ほど前に病魔に侵されて手術、入院を経て、現在は自宅でご療養中。

じ~っと静養しているばかりでは退屈だろうと、早朝(5日)、久しぶりにお誘いの電話をかけてみた。

「容態はいかがですか?気分晴らしに音楽を聴きに来ませんか。午前中なら何時でも空いてますよ。送り迎えはクルマを出します。奥さんとも相談されて、返事は後でいいですから・・・」

5分ぐらいしてから電話がかかってきて、
「9時過ぎにお伺いします。ちょっとぐらい歩いたほうがよさそうなので、お迎えはいいです。」

久しぶりにお会いしたM上さんは顔色が優れず随分と痩せておられた。元気のいい頃は、厳寒の中でも靴下を履かずに平気で自治会の役員会に出席されていたほどなのでその落差が信じられないくらい。

わざわざ東京まで行かれて手術を受けられた経緯など、人に話すことで気分が晴れるみたいなので事細かに伺ったところ、かなり容易ならざる症状。しかし、現代の医学は長足の進歩を遂げているのでまず心配なしと励ました。

とはいえ、油断は禁物で事後の養生が大切、激しい運動やアルコールは血管が膨れるので厳禁だそう。

まあ「音楽を聴くだけなら別に体力を消耗するわけでもなし」と、気に入りそうな曲目を次から次にかけてあげた。

「ちあきなおみ」「小椋佳」「ラテン・ソウル」(プラシド・ドミンゴ)、「カントリー・ヒット・ソング」(40スーパーヒット)。

    

これらの選曲は自分の節操の無さをあえて露呈するようなものだが、日頃から音楽のジャンルは別にクラシックにこだわることはないと思っている。

もちろんクラシックは大好きだが演歌も歌謡曲もラテンもカントリーもすべて音楽。要は聴いていて楽しければそれでいい。そういう主義なのでいろんな方と一緒に音楽を鑑賞できる自信がある。

したがってM上さんにも存分に楽しんで欲しいところだが、残念なことにどうも前回とは違う印象を受ける。とにかく持続性というか長続きがしない。

たとえばCDをず~っと聴き通すことがなく、1~2曲ほど聴くうちにソワソワして次のCDはと「目移り」される。

よくオーディオの試聴でお客さんが見えたときに録音のいいサワリの部分をちょこっと聴かせて次から次にCDを取り替えるが、それとはもちろん違う。「オーディオ試聴」と「音楽鑑賞」は似て非なるもの。

M上さんの場合、何だか「音楽鑑賞に没入できない」といった感じで、集中力、根気とかが失われている。

「肉体的な体力」にくわえて「精神的な体力」さえも奪ってしまう病気の怖さ!

そういえば自分の場合にも思い当たる節がある。

体調の悪いときや気分が優れないとき、特に睡眠不足のときなどには一時的に「音楽など聴く気がしない」のはよくあること。

将来、もし大病で入院したら退屈しのぎに「iPod」でマーラーやブルックナーなどの長大な曲を聴こうなんて思っていたが、現実になるとそういう甘い考えは吹っ飛んでしまうのかもしれない。


オーディオだってそう。「体調の悪いときは正常な判断が出来ないので絶対、装置をいじらないこと」という格言(?)がある。

「健康あってこその趣味」。今回はつくづく、健康のありがたさ、大切さを痛感したことだった。

M上さんとは、「早く良くなってもう一度お酒を酌み交わしながら音楽を聴きましょう」と約束して、帰りはお疲れのようだったので自宅までクルマでお送りした。

 


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独り言~「往復はがきの印刷」~

2010年07月05日 | 独り言

7月2日(金)の朝のこと、新聞を読んでいると、朝餉の支度をしているカミサンから「ねぇ~」と一言。こういうときは何か頼みごとをされるときなので思わず身構える。

「何だ?」

「お盆に同窓会をするんだけど、往復はがきの案内状を印刷してくれない。文面は私が考えるから。」

「朝からアタマが痛くなるようなことを頼むなよ。往復はがきはこれまで印刷したことがないぞ~」

カミサンは、小学校・中学校が1学級しかないような山深い里の育ち。それだけに同窓生たちの親密度がことのほか強く、毎年のごとく同窓会を開催している。今年は発起人に当たっているようだ。

「今回、私と一緒に発起人になる人はねえ、7人兄弟の長男で家が貧しくて、満足に小学校も中学校も通えなかったのよ。給食費が払えなくてねえ、杉の下刈りなんかして家計を助けていたわ。頭は良かったのにホントに可哀想だったわ。だけど性格は一番素直なのよ」

戦前ならいざ知らず、昭和30年代でもそういう子供がいたなんて、まるで都会とは違った風景だろう。

歳をとると、どうも涙腺が緩くなってきて、そういう”つらい”話を聞かされるとついホロリとなってしまう。

「その人、今は幸せなのかい?」

「ええ、お金持ちではないけど幸せに暮らしてるわ。兄弟の団結が凄くてうらやましいくらい。」

「フ~ン、貧乏がいい方向にいったんだなあ。”家貧しくして孝子出ず”か~」

名画「羊たちの沈黙」の原作者トマス・ハリスはうら若きヒロインの貧しい生い立ちに重ね合わせて次のような”行(くだり)”を書き記している。

「貧乏は恐ろしくない、しかし、恥じる気持ちが人間を卑屈にしてしまう」

とにかく、気乗り薄だがそういう話を聞かされるとこれは一肌脱がねばなるまい!

パソコンで年賀状を作るのは、毎年のことでお手の物だが、「往復はがき」の「うら、おもて」に印刷となるとフォームが随分変則なのでサッパリ見当がつかない。パソコンは苦手なのに、トホホ。

案内状の文面を作成した後、気楽に出勤準備をするカミサンを尻目に、早速パソコンとにらめっこ。

まず購入当初から付属しているソフト「筆ぐるめ」を開けて、「年賀状以外をつくる」をクリック。

どうやら往復はがきの場合「往復はがき"往信宛て名/返信うら面”」「往復はがき"返信宛て名/往信うら面」の2面印刷でことが運ばれるようだ。

               

さあ、ソレからが大変、「ああでもない、こうでもない」と3時間近く格闘しただろうか。

往復はがきの印刷ミスは高くつくので同じ大きさの用紙を何枚も作って、「うら、おもて」の確認をしながら試し刷りをやってどうにか最終的に35枚の往復はがきの印刷を済ませた。

ウ~ン、もう疲れ果てた!

 


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オーディオ談義~「オーディオ」と「ネット・オークション」~

2010年07月03日 | オーディオ談義

パソコンを見よう見真似で使い出したのがやっと10年前、そしてオーディオ機器の購入にネット・オークションを利用し始めてから9年くらいになるだろうか。

出品の方は何だかトラブルが多そうなので敬遠しており、もっぱら購入専門。

ず~っと真空管アンプを愛用しているので昔の手に入りにくい古典管や珍しいSPユニットなどを購入するのに随分と重宝してきた。

落札したときは小まめに出品者との連絡を行い、入札後の翌日(土、日を除く)には必ず代金の振込みを実行してきたので、軽く200件を超える取引数のうち「非常に悪い」評価は1件だけだった(それも向こうの勘違い!)のが内心、自慢のタネだった。

それに、これだけのオークションを経験しても一度だって不正な取引とか、騙されたことがないのが不思議。
「オーディオが趣味の人間には悪人はいない」な~んて、ちょっと手前味噌?

しかし、そういうコツコツと積み重ねてきた実績がこのたび一挙にご破算になってしまった。

と、いうのは、先日のブログで記したとおり、1日およそ600通にもなる「迷惑メール」を防止するため専門業者に依頼して最新の「セキュリティ」を導入してもらったのはいいのだが、そのときにどうもオークション用のIDもついでに変更されたみたい。(まったくのパソコン音痴で一切お任せなのでその辺の事情が分からないまま)。

1週間ほど前に、ケンウッドの「L01-A」アンプ(およそ30年前のアンプ)がオークションで安く売りに出されたので、スペア用に確保しておこうと思って入札ボタンをクリックしたところ、IDとパスワードを記入しないままに、いきなり「新規扱い」の入札と表示されてしまった。

「あれっ」と驚いたが一旦クリックするともう取り返しがつかない。

しかもそのオークションの出品者側の説明には、
「新規の方とは取引をしない場合があります」とちゃんと書いてある。

IDを次々に変更して不正取引を繰り返す輩が絶えないのを警戒してのことだからよく見かける記載だが、まさか、自分がその対象になろうとは夢にも思わなかった。

オークションの落札期日は、6月26日(土)22時12分。

幸い他の入札者がおらず、出品価格のままめでたく落札できたのはいいのだが、大変安くて程度の良さそうなお買い得品なのでどうしても取引の成立を期したいところ。

さっそく、出品者あて「取引ナビ」のメールで先手をうった。

「はじめまして 大分県別府市の○○と申します。このたびは落札させていただきありがとうございます。一応、新規となっておりますが、迷惑メールが来てヤフーのIDを替えたためですので、決して怪しいものではありません。これまで200件以上落札し「悪い評価」は1件だけです。

以上でよろしければ、月曜日の午前9時以降に振込みをさせていただきますので振込先と送料を教えていただきますようお願いします。

よろしくお願いします。」

どうやら、必死の低姿勢が功を奏したのか納得していただいたようで、すぐに返信がきた。

H田さんという高知県在住の方で、四国と九州というわけで比較的近い距離。通常は送料が3,500円ほどが2,300円程度で済んだ。

さあ、それからが正念場、アンプが着くまでは油断ができない。折角の信用がぶち壊しにならないようにと月曜日(28日)になると、きっかり午前9時に間に合うように一目散に銀行に駆けつけた。

預金通帳から無事振り込んで、「支払い完了しました」と取引ナビを送信。

すぐに「商品を発送しました」→「商品受け取りました」→「非常に良い」評価→向こうからも「非常に良い」評価をいただき、メデタシ、メデタシ。

「幸先よくこれにて一件落着」とホッと一息ついていたところ再び次のメールがきた。

「もしや○○様は「音楽&オーディオ」の小部屋というブログを書かれておられる方ではないでしょうか。違っておりましたらお詫び申し上げます。」

「エ~ッ」と思わず声を上げてしまった。ブログを始めて3年8ヶ月になるが自分のブログを読んでいる方と取引したのは始めて~。

「結構、見てくれてる人がいるんだ」
と思わず感激した!どうやら「別府市」と「Lー01A」のアンプ購入ということでピンとこられたらしい。

それからはH田さんと、このアンプのことで大いに話が弾んだのは言うまでもない。H田さんはお若いときから「L-01A」がお気に入りで4台も購入されたとのこと。

1979年の製造当時の価格がおよそ30万円、今の価格でいけば100万円程度だから、H田さんのこのアンプへの惚れこみようが分かろうというもの。

本体が鉄材を一切使っていない非磁性体、電源部は別の筐体となっていて出力100W(4オーム時140W)、トランジスターなのでSN比は抜群とくれば自ずと音質のほうも想像がつく。

                 

H田さんはその後、このアンプの故障が相次ぎ段々と手放されて現在は1台のみ、替りにセパレートのパワーアンプを購入され、新築したオーディオ・ルームで活用されているとのことだが、「L-01A」はもともとプリメイン一体型のアンプなので、パワーアンプへの改造は思いもつかなかったそうだ。

7月1日(木)にこのアンプ改造の専門家、M崎さんが我が家にお見えになったのでこの件を話すと「そうだろうね、プリメイン・アンプとして作られたものをメイン・アンプに改造して使用するなんて発想はまず湧かないよね」と苦笑されておられた。

さて、その「L-01A」アンプは我が家で使用中が2台、今回の購入でスペアが4台となった。計6台。これで縁起でもないがおそらく「仏さん」になるまで大丈夫だろう。低域用のアンプを完全に確保できたというわけでまずはひと安心。

とにかく中高域用に使っている真空管アンプとの相性が抜群なので絶対に手離せない。

ただし、このアンプは製造元の「ケンウッド」では、もはやスペアの部品も枯渇していて修理を一切受け付けていない。

ひところはオークションでも高値だったが、そういう事情もあってか最近は随分と安値になった。そこを幸いに、千載一遇のチャンスで買い占めたわけだが、修理の専門家の存在をいいことにして何だか「ヴェニスの商人」になったみたい。

もうこの辺でそろそろ打ち止めにしてもいいかな~。

 


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読書コーナー~「やっと読み終えた本」~

2010年07月01日 | 読書コーナー

最近、どうも根気が失くなってきた。

たとえば本を読むときでも1冊を読み始めると、お終いまで読み通さずに、読みかけのまま中断して、ほかの本にも目移りして読みかけ、そしてまたまたほかの本にも目移りしていく。

今でもまさに進行中でこうやって溜まっていく読みかけの本が何冊もある。いずれも図書館から借りてきた本なので返却期限が目前にせまってくると、もう音楽どころではなくなる。

こうした同時並行的な形で、最近
「やっと読み終えた本」をいくつか紹介してみよう。(画像の上をクリックすると拡大できます)。

            

○「ロシア春のソナタ秋のワルツ」(2010.5.10 新評論社刊)

著者の「足立紀子」さんはロシア演劇研究家、通訳、翻訳家。早大文学研究科院卒。

度々ロシアを訪問され、演劇関係者との親密な交流を事細かに綴られていて、まるで肌身でロシアの人々に直接触れるような読後感を覚えた。

彼女がなぜこれほどまでに情熱的にロシアに入れ込むのか、読み進むにつれて段々と分かってくるような気がするから不思議。とにかく包容力があって文学好きのロシア人を髣髴とさせるエピソードが沢山。

無論、その背景にはドストエフスキー、トルストイなどの文学史上でも傑出した作家を輩出した栄光の歴史があるのは言うまでもない。

「はじめに」のところでこういう逸話があった。

「面白いことに、最後のロシア皇帝ニコライ二世以来ずっと続いているロシア国家元首の「髪ふさふさ、禿げ」交代説はいまだに崩れていない。

つまり、ニコライ二世は髪ふさふさ、レーニンは禿げ、スターリンは髪ふさふさ、フルシチョフは禿げ、ブレジネフは髪ふさふさ、アンドローポフは禿げ、チェルネンコは髪ふさふさ、ゴルバチョフは禿げ、エリツィンは髪ふさふさ、プーチンは禿げ、そしてメドベージェフは髪がふさふさだ」。

こんなに長く交代が続いているのも珍しい話だ。だからロシアはペレストロイカやソ連邦崩壊を経て変わったといっても、本質的には変わっていないところが沢山あるのかもしれない。」

これからもお分かりのとおり、著者のロシアを見つめる視点が実に柔軟で、幅が広いところが本書の一番の魅力。

○ 「国家の自縛」(2010.4.10、扶桑者刊)

著者の「佐藤 優」氏は元外務官僚。ロシア通として活躍された方。平成14年に「偽計業務妨害容疑」で逮捕され東京拘置所で512日間勾留され、この間の事情を綴った「国家の罠」は随分と新鮮だった。たしか夜更けまで一気に読んだ記憶がある。

この「国家の自縛」は「斉藤 勉」氏(産経新聞常務)との対談形式で進められていく。国策捜査、対ロシア外交、キリスト教などのテーマが縦横無尽に繰り広げられる。いわゆる「佐藤優の自白調書」だそうだ。

しかし、歯に衣を着せずに言わせてもらえれば、万事「我田引水」というか、物事をすべて自分の都合の良いように解釈していくところが段々と鼻についてくる。デビュー作「国家の罠」にはまだ謙虚さが残っていた。

自分と敵対する、あるいは肌が合わない人物や事柄はすべて「悪」扱いするのもどうかと思うし、もっと自我を超越した公平な「ものの見方」が出来ないものだろうか、なんて思ってしまう。

それにこの人、やたらに理屈っぽいが芸術的な話が一切出てこないのも何だか人間性が無味乾燥みたいで淋しい。いわゆる典型的な左脳人間。

ロシア通であれば、ショスタコーヴィッチ(作曲家)、ムラヴィンスキー(指揮者)、オイストラフ(ヴァイオリニスト)などの話がちょっとでも出てくると、幅ができて随分と彩が豊かになるように思うのだが。

○ 「神苦楽島(かぐらじま)」上巻、下巻(文藝春秋社刊)

超人気の「浅見光彦」シリーズで知られる内田康夫(作家)さんの最新作。県立図書館で予約していたところ、ぶらりと立ち寄った市立図書館で発見して借りたもの。

待望の新作とあって、喜び勇んで読み進んだがこれが一向に面白くない。

同シリーズはお気に入りで、もう既に軽く100冊以上読破したが、いずれも100点満点で70点以上と当たりハズレがないのが魅力だが、どうやら本作は珍しく大ハズレで60点以下。

まず高齢による筆致の衰えを心配したが、巻末によると本書は「週刊文春」の連載モノだったことが判明。ダラダラと盛り上がりのない展開がそれで分かった!

内田さんは「書き下ろし」と「連載モノ」ではまるっきり質が違う。

前者の方が圧倒的に面白いのはこれまでの読書経験で分かっている。次の作品に期待しよう。

○ 「これからの正義の話をしよう」(マイケル・サンデル著)

実に読み応えのある、稀に見る本だった。「全米ベストセラー」の翻訳だが巻末にこうある。

著者のマイケル・サンデル氏はハーバード大学教授。たぐい稀なる講義の名手として知られ、ハーバード大学の学部科目「Justice(正義)」は、延べ14,000人を超す履修者数を記録。

あまりの人気ぶりに同大は建学以来初めて講義を一般公開した。その模様は「PBS]で放送された。

日本ではNHK教育テレビで「ハーバード白熱教室」(全12回)として放映されている。

以上だが、実を言うと、番組の評判を聞きつけ教育テレビを見始めたが”時すでに遅し”、11回と12回だけ観てチョン。最終放映日は6月20日(日)だった。(再放送があるのかな?)

ただし、世界最高レベルの大学の講義とは「こんなに難しいものか」と、自分の知的レベルにガッカリしたのも偽らざる実感。(ただし、吹き替えの翻訳度にも問題があるような気もする!)

受講生からの意見、あるいは受講生同士の「ディベート」を積極的に活用して講義が進められるが、なにぶん、その選ばれたテーマが凄い。哲学、倫理の問題を机上の空論にしないものばかり。

たとえば「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその一人を殺すべきか」「前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか」など。

「正解がない!」にもかかわらず決断をせまられる差し迫った問題が次々に取り上げられていく。本書の中でも豊富な実例が沢山出てきて、
「はて、自分ならどうすべきか?」と考えさせられることばかり。(講義よりも本のほうが分かりやすかった)。


こういうときの判断の拠りどころとなるのがサンデル教授が唱える
「Justice(正義)、正しい行いとは何か?」だろう。

善と悪の道徳が入り乱れる社会の中で何らかの指針を求める学生たちにとって、この講義がハーバード大学史上空前の履修者数を記録し続けるのも分かるような気がする。

現代の人間共通の(行動規範の)キーワードは、まさしく「Justice」なのかもしれない。

アメリカのエリート層はこういう教育を受けていることを知るだけでも参考になると思う。


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