オーディオは気に入った音さえ出てくれば「見てくれ」なんてどうだっていいというのが永年の持論だ。
つまり、オーディオに関する限り「名を捨てて実を取る」タイプだと自認しているが、昨日(21日)の午後のこと「プリアンプの試聴会」のため、仲間の「N」さん宅(大分市)へ向かう道中で助手席の「Y」さんが「Sさん(自分のこと)は見かけにはこだわらないタイプですね」とポツリと洩らされた。
「そうですよ、私はことオーディオに限っては気に入った音さえ出てくれれば見かけなんてどうだっていいです」と即答したが、後で冷静になって考えてみたら、はたしてそれでいんだろうかねえ(笑)。
たとえば、次の画像。
自分にはまったく違和感は感じないのだが、見る人が見たら、とりわけ美的センスに恵まれた方だと、「何じゃ、これは~、とても神聖なクラシック音楽を聴く雰囲気じゃないぞ」と、宣う可能性がありそうだ。
Yさんはこうも追い打ちをかけた。「オーディオは聴いていない時間の方も多いので見てくれも大事だと思います。」
なるほどねえ~、そういう考え方もあるのかと、目からうろこだった(笑)。
我が家の場合は、1日のうちで聴いていない時間帯といえば、就寝の時、それに1時間以上外出するときに限られており、まず家にいる間は「音楽」以外にもテレビの映画やミステリー番組などにも出番があってまずはフル回転の状況だ。
しかし、「見てくれ」がいいに越したことはないのでこれからはそういう視点も必要かもねえと、思ったことだった。
さて、「見てくれオーディオ」という言葉ですぐに脳裡に浮かぶのが「タンノイ」と「グッドマン」というイギリスの有力なSPメーカーだ。
実力も格としても「グッドマン」の方が上なのは「知る人ぞ知る」なのだが、片や「見てくれ」のいい「エンクロージャー」を製作し、片やユニットだけを製作したというその差がはっきりとその後の明暗を分けてしまった。
今や「グッドマン」という会社は影も形もない。若い人たちは「グッドマンって何?、それって良い人のことですか」という始末(笑)。
もしグッドマンが当時エンクロージャーまで手を広げていたらという思いを捨てきれないのは自分だけだろうか・・。
最後に、肝心の当日の「プリアンプ試聴会」について一言。
3台のプリアンプの試聴だったが、注目の真空管「13D3」(CV4068)について、優れものだという印象は三者とも意見が一致したが抜群の存在というほどではなかった。
Nさん宅のスピーカーを含めた一連のシステムとの相性があったし、それに音の入り口がレコードだったというのも大きい。
つまり、出発点が違うようで、CDの場合は「70点」がスタートラインだとすると「レコード」の場合は「80点」がスタートラインという優位性があるイメージを持った。
これだと明らかに「レコード」の方が差が付きにくいですよねえ。
どんなに素性のいい真空管でも、周辺環境に大きく左右されるという体験をこれまで嫌というほど積み重ねてきたのに、懲りずに幻想を抱いてしまうんだからまったくもう始末に負えませぬ~(笑)。
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