「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

大画面の迫力

2017年02月28日 | 独り言

年から年中オーディオがらみの記事を掲載していると、中には呆れ返っている方がいるかもしれない。

「いったいオーディオってどこがそんなに面白いの?」

「そりゃあ好きな音楽を気に入った音で聴くことさ」に尽きるが、そのほかにも人それぞれの効用がきっとあるに違いない。

たとえば自分の場合は「時間を忘れるほど熱中できて日常の退屈感を覚えなくて済むところがいい」し、そのほかにも「信じられないほど“いい音”を出して仲間をビックリさせてやろう。」という「娑婆っ気」がまったく無いと言えばウソになる(笑)。

しかし、そういう張り切ったときほどたいがい「返り討ちに遭う」ところがたいへん面白い。今回はその顛末を述べてみよう。

つい先日、近隣にお住いのオーディオ仲間のYさんに「どうですか。我が家のスピーカー群が一新しましたよ。聴きにお出でませんか。」誘いをかけてみた。

Yさんはフルートを嗜まれる方で日頃から生の楽器で鍛えられているせいかとても耳の鋭い方だし、オーディオにも大変ご熱心で、実際に声をおかけして断られる確率はよほどのことがない限り0%と言っていいくらいだ(笑)。

この日も一つ返事でお見えになった。

ウェストミンスターにオリジナルユニットを容れたこと、グッドマンのAXIOM80用に新たなエンクロージャーを準備したこと、同じくグッドマンの「AXIOM150マークⅡ」用のバッフルを取り替えたことなど、張り切って縷々説明した。

にもかかわらず・・・。

3時間ほど試聴していただいて、「これがベストの組み合わせですね」と仰ったのは、dCSのCDトラポとDAC、プリアンプが「大西式プリ」、パワーアンプが「71Aプッシュプル」、スピーカーが「フィリップス」(口径30センチ・アルニコマグネット型)だった。

これはこれで納得だが、当方の一押しだった「AXIOM80」についてはたしかに新たなエンクロージャー効果によって周波数レンジの拡大を認められたものの、まだ「フィリップス」の方が一枚上手とのこと。

少々ガッカリした。

エッジのついたSPユニットはどんなに「いい音」が出ても所詮は「普通の音」の延長線上に位置するだけだが、エッジレスという特別なツクリを持つ「AXIOM80」がひとたび本領を発揮すると、音離れが抜群なのでまったくスピーカーの存在を意識させないほどの別次元の音になる。そういう凄さをYさんにはどうしても分かってもらえないらしい(笑)。

やはり低音域に対する各自の許容度の問題に収斂していくようだ。

自分の場合はドカ~ンとかドス~ンとかいう「低音病」から脱け出るのに3年以上かかったが(笑)、今では小気味よく弾むようなスピード感のある低音しか受け付けない。

したがって、AXIOM80のように「これだけ透明感のある音が出てくれれば少々の低音の迫力不足なんて許せる」というのが正直な感想だ。

となると「いったいYさんはどういう音がお好みなんだろう?」と、翌日になってYさん宅へ確認に押し掛けた。

         

構成はエソテリックのCDトランスポート、TADのDAコンバーター、プリアンプは無しでマークレヴィンソンのパワーアンプ(モノ×2台)に直結。ちなみに前段機器は大型のバッテリー電源による駆動だ。

スピーカーもとても凝っている。5ウェイ方式で、スーパーウーファー、ウーファー(2発)、中音域は片チャンネル9個の小型ユニット、ツィーター、スーパーツィーターという構成。

たしかに周波数レンジは広かった。とうてい我が家では望むべくもない重低音が出ていたし、高音域もまったく不足感なしで5ウェイにしては実にうまくまとめてある。「やっぱりYさんは凄い!」と初めのうちは思った。

だが、しかし・・・。

まるで蒸留水みたいなサッパリした音でどうもコクがないように思えてきた。ヴァイオリンのCDを聴かせてもらって、いよいよハッキリした。真空管アンプの音色に馴れきった耳にとっては、「艶と潤い」の感覚がまったく物足りないのだ。

ヴァイオリンがうまく鳴ってくれないとクラシック音楽は聴けないので、「Yさんとは求める方向が違う」と、いさぎよく諦めがついた。ただし、こればかりは個人の好みなので「いいも悪いもない」のはもちろんだ。

オーディオでは「原音再生」が至高のテーマだが、「その原音とは何ぞや?」という根源的な問いに対する解釈が人によってそれぞれ違うんだから仕方がない。

最後に、このほど新たに導入された「エプソン」のプロジェクターを鑑賞させてもらった。スクリーンは110インチで「シアターハウス」製(金沢)とのこと。

           

110インチの大画面なのに画像はシャープだし輝度も余裕たっぷり。これは凄い!お値段の方も大掛かりな映像にしては信じられないほど安い。

「こんな画面で大きな〇〇〇〇がブルン、ブルンしたらたまらんですなあ。」

「・・・・・」

眼が点のようになった真面目なYさんを前にして、ついウッカリ口を滑らしてしまった自分を深~く反省し、そして恥じ入った(笑)。

すぐに気を取り直して「毎日こんな画面で見れたら楽しいでしょうねえ」と水を向けたら「このところ、お父さんがオーディオルームに入るとなかなか出てこないと家族から言われてます。」

そりゃそうでしょう。

我が家も大画面がぜひ欲しいところだし、「設置は実に簡単ですよ。機器を購入されたら加勢に行きます。」とのありがたい言葉をいただいたものの、何せ12年前に購入した「アクオス45インチ」(シャープ)が今なお健在である。早く故障しないかなあ~。

そういえば、近くの大型電機店で60インチの4Kテレビを視聴したときに店員さんがこれは内緒の話ですがと前置きして「最近のテレビは東南アジアで作ってますので寿命はせいぜい7~8年といったところです。昔のアクオスなら純国産なので軽く10年以上は持ちますよ。」

長持ちも時と場合によっては困るんだけどねえ~(笑)。
 


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クラシック ゴシップ

2017年02月27日 | 復刻シリーズ

今年(2017)から「月曜日」に限って、これまでのブログの中で今でもアクセスが絶えない記事をピックアップして登載しているが、今回は5年ほど前に投稿したタイトル「クラシック ゴシップ」である。それでは以下のとおり。

「音楽は哲学よりもさらに高い啓示である」と語ったのは楽聖ベートーヴェンだが、一般的に知的でお堅いとされるイメージを持つクラシックの作曲家たちも、一皮むくと一癖も二癖もある生身の人間たちだったというのが「クラシック・ゴシップ!」~いい男、ダメな男、歴史を作った作曲家の素顔~(2011.9.7、ヤマハ・ミュージック・メディア)という本だった。

                           

著者はフリーライターで音楽関係の著作が多い上原章江さん。

興味本位で読んでみると、これまで自分が多少なりとも蓄えていた知識とそれほど食い違っているわけでもなく、なかなか正鵠を射ている本だと思った。それを裏付けるように巻末の「主な参考文献」には36冊もの専門書が挙げてある。

目次を追ってみると次のとおり。

第一章 おなじみ三大巨匠にまつわる”噂の真相”

J・S・バッハ  生涯働き続けた、真面目で頑固なマイホームパパ

孤高の哲学者? はたまたストイックな数学者?/子供はなんと20人。頑張れ!働くお父さん/夫婦円満のコツは、亭主関白?

モーツァルト  子供のように無邪気な天才は、本当に愛妻家だったのか?

名だたる作曲家の中でも、ズバ抜けていた神童ぶり/早熟な天才肌は金勘定が苦手・・・/世間知らずゆえ、やり手の未亡人に手玉にとられる/妻・コンスタンツェは本当に悪妻だったのか?

ベートーヴェン  野暮で不器用で孤独。母性本能をくすぐる色男!?

ルックスで女心をくすぐる要素はほぼゼロ?/次々と淑女たちを引きつけた魅力の秘密/いまだに確定していない”不滅の恋人”/うら若き教え子に次々惚れた恋多き男/年の差なんて関係ない!とにかく結婚したかった!/人妻と不倫中に元彼女が妊娠というドロドロ劇

こういった調子で、以下、「メンデルスゾーン」、「リスト」、「ショパン」、「シューマン」、「ブラームス」、「チャイコフスキー」、「ドボルジャーク」、「ロッシーニ」、「ベルリオーズ」、「ワーグナー」、「マーラー」、「ドビュッシー」、「ストラヴィンスキー」と著名な作曲家たちが続く。

ゴシップという観点からするとスケールの大きさから「ワーグナー」にトドメをさす。

ワーグナー  恩を仇で返してのし上がってきた、究極のオレ様男

男も女も引きつける、常識はずれの強烈なキャラクター/圧倒的な才能ゆえ、友人の妻を寝取っても許された?/さすがのリストも堪忍袋の緒が切れた!/コジマのワーグナーへの献身はファザコンの裏返し?/王様のパトロンを得て、オレ様人生ここに極まれり

といった具合。

あの崇高な音楽とそれを創りだす作曲家たちの落差が実に印象に残る本で、才能と人格は別物だと分かってはいるものの「音楽と倫理観」とはいったいどう結びついているんだろうと思ってしまう。

そこで登場するのが、かっての名指揮者ブルーノ・ワルターが1935年にウィーンの文化協会で「音楽の道徳的な力について」と題して行った講演の内容である。

今どき「道徳」なんて言葉を聞くのは珍しいが、中味の方は音楽に対するワルターの気取らない率直な思いが綴られたものでおよそ80年前の講演にもかかわらず、現代においてもまったく色褪せない内容だ。

以下、自分なりに内容を噛み砕いてみたので紹介してみよう。

はじめに「果たして人間は音楽の影響によってより善い存在になれるものだろうか?もしそうであれば毎日絶え間ない音楽の影響のもとに生きている音楽家はすべてが人類の道徳的模範になっているはずだが」とズバリ問題提起されている。

ワルターの分析はこうだ。

 恥ずかしいことながら音楽家は概して他の職業に従事している人々に比べて別に少しも善くも悪くもない

 音楽に内在する倫理的な呼びかけ(高揚感、感動、恍惚)はほんの束の間の瞬間的な効果を狙っているに過ぎない。それは電流の通じている間は大きな力を持っているが、スイッチを切ってしまえば死んだ一片の鉄に過ぎない「電磁石」のようなものだ

 人間の性質にとって音楽が特別に役立つとも思えず過大な期待を寄せるべきではない。なぜなら、人間の道徳的な性質は非常に込み入っており、我々すべての者の内部には善と悪とが分離しがたく混合して存在しているからだ

以上、随分と率直な語りっぷりで「音楽を愛する人間はすべて善人である」などと語っていないところに大いに感心する。いかにもワルターらしい教養の深さを感じさせるもので「音楽の何たるか」を熟知している音楽家だからこそ説得力がある。

作曲家にしろ演奏家にしろ所詮は同じ人間であり、いろんな局面によって変幻自在の顔を見せるのは当たり前のことなので、ワルター言うところの「音楽=電磁石」説には大いに共感を覚えるのである。

ただし、ここで終わると、まったく味も素っ気もない話になってしまうのだが、これからの展開がワルターの本領発揮といったところ。

「それでも音楽はたぶん我々をいくらかでもより善くしてくれるものだと考えるべきだ。音楽が人間の倫理に訴える”ちから”、つまり、音楽を聴くことで少しでも正しく生きようという気持ちにさせる」効果を信じるべきだという。

ワルターは自分の希望的見解とわざわざ断ったうえで音楽の倫理的力を次のように語っている。

☆ 音楽そのものが持つ音信(おとずれ)

「音楽とは何であるか」という問いに答えることは不可能だが、音楽は常に「不協和音」から「協和音」へと流れている、つまり目指すところは融和、満足、安らかなハーモニーへと志向しており、聴く者が音楽によって味わう幸福感情の主たる原因はここにある。音楽の根本法則はこれらの「融和」にあり、これこそ人間に高度な倫理的音信(おとずれ)をもたらすものである。

という結びになっている。

肉体も精神も衰える老後において「充足感=幸福感」というものをどうやって得られるかは、たとえ束の間とはいえ切実なテーマだと思うが、日常生活の中でふんだんに「いい音楽(倫理的音信)を、好みの音で聴く」ことは比較的簡単に手に入る質のいい幸福感ではなかろうか、なんて勝手に思うのである。

まあ、オーディオ愛好家特有の「我田引水」というものだろうが(笑)。 


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手を抜けないオーディオの小物類

2017年02月23日 | オーディオ談義

前回のブログ「柳の下の二匹目の“どじょう”を狙う」を読んだオーディオ仲間から「“どじょう”どころかウナギが居たじゃないですか」と揶揄されたので「正真正銘のウナギならいいんですけどねえ・・」と返事しておいた。

オーディオは冷却期間が必要で時間が経つにつれ熱が醒めると共に感覚も変化することがあるので困る(笑)。

さて、今回はオーディオの小物類について二題ほど提供してみよう。

☆ ヒューズについて

オーディオ・システムの中で
ヒューズの存在を意識している方はどのくらいいるのだろうか。

スピーカーを除いて、アンプ系ではまずほとんどの機器に装備されているといってよいが、ヒューズは電気回路に過剰な電流が流れるなど不測の事態が起きたときに、大事に至らないように即座に断線して電流を遮断する役割を担っているのだが、まったくの縁の下の力持ち的存在で、むしろ必要悪といってもいい。

このヒューズはCD関係機器、DVDレコーダーなどはケースの奥深く内蔵されているので外側から見ることは出来ないが、アンプ類たとえばプリアンプ、パワーアンプなどは簡単に交換がしやすい位置に取り付けされているので分かりやすい。

このヒューズ、実はその材質によって音質にいろんな影響を及ぼしていて、なかなかデリケートな存在だ。回路の電流は必ずヒューズを経由するのだから必然的に音質に影響があって当然なのだが、はじめから装着されているメーカー付属のものはほとんどがガラス管のありふれたヒューズだがこれを速断ヒューズに取り替えると音質が見違えるほど良くなるという。

その理由の第一は、速断ヒューズは品質のいい銅線が使ってあるが、通常のガラス菅ヒューズは銅以外の音質に好ましくない材質が使ってあって磁気を帯びるなどの弊害が考えられるから。

ヒューズが飛ぶなんてことはまず大事件に相当する事態なのであってはならないことだが、万一に備えて予備を持っておこうとネットで注文したところ、在庫なしでガッカリ。「入荷次第連絡します。」とのことで、それがたしか2年前ぐらいのことだった。

時の過ぎるままに、すっかり忘れてしまっていたところ、1週間ほど前に「ようやく入荷しました。どうされますか?」とのメールが入った。

今さら言われても「興醒め」だが、相手方があまり儲けにならないヒューズなどを取り扱う個人商店なのでつい仏心(?)を起こして「着払いの代引きで送ってください」。

         

あまりガラス管ヒューズとは変わらないようだが「ま、いっか」。

ふと、話題の「6FD7アンプ」(新潟県:チューブ・オーディオ・ラボ)はどういうヒューズを使ってあるんだろうかと、アンプから引き抜いて調べてみた。

      

凄いですねえ!比べてみると一目瞭然でこんな太い線を使った立派なヒューズを見たことがない。

さっそく代表のKさんに連絡したところ「わが社の真空管アンプはいっさい手を抜いてませんよ!」との自信に満ちた言葉に納得。

「しまった、Kさんからヒューズを購入すればよかった。」と思ったが、もう後の祭り(笑)。

次に二題目。

☆ ハンダについて

手作りに勤しむマニアにとってなくてはならない必需品がハンダ。このところSP周りの作業をやっているとやたらにハンダ付けが多くなった。SPコードの延長やユニットへの取り付け、コイルやコンデンサーなどのネットワークへの接着など枚挙にいとまがない。

1か月ほど前のブログにも登載したとおり「真空管アンプはハンダで音が変わる!」ので、ハンダの材質はユメユメおろそかにできず吟味して使っているが、在庫が乏しくなったので今度ばかりはKさんにお願いした。

「一番音のいいハンダとやらを購入したいのですが分けていただけますか?」

すると「とても使いにくいですよ~。ある程度ノウハウが必要ですからとりあえず試験用として送ってみますので試してみてください。」

           

すぐに送っていただいたのがこれ。

左側の曲がった棒みたいなのがメチャ音がいいとされる該当のハンダだが、見るからに大きくて溶かすのに大変そう。右側がケスターのハンダで「もう使わないので進呈します。」とのこと。

いやあ、とても使いやすそうで「素隠居」には大いに助かります~(笑)。
 


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柳の下の二匹目のどじょうを狙う

2017年02月21日 | オーディオ談義

このところ新しく作った「AXIOM80」用のエンクロージャーが期待以上にうまく鳴ってくれたのでルンルン気分だが、「欲」は果てしなく広がるのがオーディオマニアの常だ(笑)。

今度は「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って、大好きなSPユニット「AXIOM150マークⅡ」(グッドマン口径30センチ)を新たなバッフルに取りつけて「AXIOM80」と入れ替えてみた。いったいどんな音が出るんだろう。

丁度、オーディオ仲間のSさん(福岡)がお見えになっていたので一緒に試聴した結果、二人して「少し音が籠りますね。AXIOM80ほどにはうまくいかないようですよ。おそらく板厚(1.5センチ)の響きと相性が悪いんでしょう。」

「万能という言葉が通用するほどオーディオは甘くない」という冷たい現実を目の前に突き付けられた感じ(笑)。

「七転び八起き」で翌日はすぐに方向転換して今度は同じバッフルにフィリップスのユニット(アルニコマグネット型:口径30センチ)を取りつけてみた。エンクロージャーのネジ受けに鬼目ナットを使用しているので、簡単に交換できて大いに助かる。

            

今度はうまくいった。どうやらこのエンクロージャーはマグネットが比較的軽量タイプのユニットにマッチしているようで、フィリップスが伸び伸びと軽快に歌ってくれてケチのつけようがまったくなし。もともと小編成の音楽には絶対的な強みを発揮していたのだが、大編成にもいささかのゆるぎもない。

流石にモニタースピーカーとして過去に一世を風靡しただけあって低音域から高音域まで音声信号に対する再生の忠実度がずば抜けていて、総合的には「AXIOM80」を上回るかもしれないほど。

常に「どちらか一つの選択」を強いられるので本当に迷ってしまう。

それもこれもユニットの外側からのマウントが大いに利いているようだ。

内側からのマウントに比べてわずかながらも箱の容積の拡大が見込めるし、バッフルとユニットのフレームの厚さによるホーンロードが掛からない利点もあるので音が開放的になって生き生きとした音が出る。

SPユニットは可能な限り外側からのマウントに限ると肝に銘じたことだった。

以上のように、このところ「ウェストミンスター」から「AXIOM80」「フィリップス」と次から次に思い通りに攻略できて笑いが止まらない状況だが、残るは「AXIOM150マークⅡ」(グッドマン)だけとなった。

さあ、このユニットをどう料理しようか。

今回のエンクロージャーづくりで「メーカー製恐るるに足らず」という横着な心境になったので、グッドマン指定のエンクロージャーの旧型バッフルをためらうことなく外して解体し、新たに一枚板でバッフルを作ってみた。

旧型は厚さが4センチほどあって、ベニヤで張り合わせてあったが劣化がひどくて崩壊寸前の状況だったので丁度いいタイミングだった。

しかし、SP周りはやたらと時間がかかり、何と2日がかりの手間と根気のいる気の長~い作業と相成った。

取り付けネジの選択からドリルでの穴開け、ジグソーによる円形のカットなどの作業がごまんとある。もう忙しくて忙しくてたまらん~(笑)。

結果は次のとおり。

         

今回も外側からのマウント、受けネジに鬼目ナットを使用してバッフルの入れ替えを可能にするなどまったく同じやり方を踏襲した。また、グッドマンのユニットにつきものの肝心の「ARU」は純正のものを使用しご覧のとおりバッフルの下部に取り付けた。

「これでおかしな音が出るわけがない」と自信を持っていたが、実際に音出ししてみると、案の定で期待に違わぬ音が出てくれてたいへんハッピー(笑)。

これで我が家のスピーカー群はすべて衣替えした上で完全制覇ということに相成ったが、ここで旧来型の鳴らし方しか知らない
Yさん(別府市)にご意見番として登場していただこう。

以下、続く。
 


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順番への思惑

2017年02月20日 | 復刻シリーズ

今年(2017)から「月曜日」に限って、これまでのブログの中で今でもアクセスが絶えない記事をピックアップして登載しているが、今回は6年ほど前に投稿したタイトル「順番への思惑」である。それでは以下のとおり。

「阿刀田 高」氏の「ミステリーのおきて102条」
は、ある新聞の日曜版に1996年から1998年まで週1回連載されたエッセイをまとめた本。

              
                 
 
著者によると「新しいミステリーを紹介するんじゃなく、ミステリーの本質を語るような軽いエッセイ」ということで、連載順に102編を列挙してある。

日ごろ、ミステリーと名のつくものは眼がない存在なのでこの本も気持ちよく読ませてもらったが、その中の18編目の「短編集の打順」
が特に面白かった。

内容は、いくつもの短編を編纂して1冊の本にするときにどういう順番で作品を並べると効果的かということにあった。

かいつまんでいえば次のとおり。

著者によると、40冊以上も短編集を出版しているがその都度、どういう順番にするか考え込んでしまうという。

たとえば、短編小説を10本並べて1冊の本を作るとして、10本全てが良い作品であればそれに越したことはないが、現実には困難でどうしても良作は4本程度に絞られてしまう。

どうしてもバラツキが出てくるのは世の中、万事がそうなので仕方がないところ。

たとえば自分のブログにしても記事によって当たりハズレがありバラツキがあるのは十分承知している。中には「意欲作」の積もりが蓋を開けてみると意外にも(アクセス数が)サッパリというのは日常茶飯事だ(笑)。

また、日本で最高峰の難関〔文系)とされ、全国から選りぬきの秀才たちが集まる「東大法学部」でさえ入学してからバラツキが出るという。

たとえば550人の卒業生のうち”とびっきり”優秀なのは1割クラスで、後は”十把(じっぱ)ひとからげ”なんて話を、聞いたか、読んだか、したことがある。まあたいへんなハイレベルでの話だが。

さて、話は戻って短編集の順番だが、良い方から順番にABCDの作品があるとすれば、冒頭にBを置く。2番目に置くのがAである。Cが3番目、そしてDがラスト、つまり10番目に置くとのこと。

もし5本良い作品があれば、さらに”いい”としてその場合はさしずめEとなるが、Eは6番目あたりに置く。

かくて10本の短編を編纂した本は普通の出来栄えの作品を☆とすると「BAC☆☆E☆☆☆D」の順番になる。

理由はお分かりのとおり、やはり最初が良くなくてはいけない。

読者は最初の1編を読んで期待を持つ。これが悪いと、その先を読んでもらえないおそれがある。小説というものは、読者に読まれて初めて存在理由が生ずる。

ただ、一番最初にAを置かないのは、Bで引き込み、さらに面白いAへとつないだ方が運動性が生ずる。

展望が開ける。BからAへと弾みをつけ、3番目もCで、そう悪くはない。ここらあたりで、「良い短編集だ」と読者は思ってくれる。

それ以後が少々劣っても「どれも”いい”ってワケにはいかんよな」
と許してくれる。

そして、最後も、それなりに悪くないDで全体の印象を整える、という寸法である。中だるみのあたりにEを置く理由もこれでお分かりだろう。

著者の作品で言えば直木賞をもらった短編集「ナポレオン狂」では、二番目に「来訪者」(推理作家協会短編賞受賞)を、三番目にちょっとユニークな「サン・ジェルマン伯爵考」、最後に「縄」とおおむね上記の方針に沿って編んでいる。

要約すると以上のとおりだが、これまで短編集を読むときに順番の並べ方などあまり意識したことがなかったのでまったく「目からウロコ」だった。

この並べ方の背景を知っておくとそれぞれの作品がどのように評価されているのかという作者なりの思惑が透けて見えるので興味深い。

これはいろんな方面に応用がききそう。

たとえば、真っ先に思い浮かぶのが音楽のCD盤の曲目の並べ方。

交響曲や協奏曲では楽章の順番がきまっているのでこの限りではないが、歌手や演奏家の名前で銘打たれたCD盤はおおむね該当する。

たとえば、アトランダムに10曲以上収録されているCD盤の中で全てがいい曲かというと絶対にそういうことはない。どんなに気に入った歌手でも曲目によって当たり外れがある。

これまで何番目に気に入った曲が多いのか気にかけたことはないが、手持ちのCD盤を改めて確認してみると、これが以上の内容とかなり当てはまるのである。

取り分け2番目の曲が一番好きというCD盤がかなりあるのに本当に驚いてしまった。しかも、中ほどに1~2曲わりかし気に入ったのがあって、ラストにまあまあの曲が多いのもよく該当する。

たとえば、エンヤのCD盤「ベスト・オブ・エンヤ」。16曲の中で2番目の「カリビアン・ブルー」が一番好きだし、フラメンコの名曲ばかりを集めた「フラメンコ」も2曲目の「タラント~ソン・ソン・セラ」が一番良い。

ジャズ・ライブの名盤とされるビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」にしても1曲目と2曲目を抜きにしては語れない     
          


CD盤の曲順以外にも、演奏会などの当日の演目の順番あたりもこれに該当しそう。

世の中、すべての物事に順番はつきものだが、皆様も、手持ちの短編集やCD盤などのほかいろんな順番付けされたものについて確認してみると、意外にもこの「順番への思惑」
に心当たりがあるのではあるまいか。


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18インチの低音ホーン

2017年02月18日 | オーディオ談義
メル友の「I」さん(東海地方)はとてもオーディオに熱心な方で、自分と同様に4系統のシステムを愛用されており、メールのやり取りを通じていろいろ苦労話をお伺いしていると、実際にシステムを聴かなくても「きっといい音がしているだろうなあ。」と思わせるものがある。長年の勘でだいたい分かる(笑)。

その「I」さんからつい先日、次のようなメールが飛び込んできた。

「〇〇さんから、18インチのドライバーを使った低音ホーンを聴きに来ませんかとお誘いがありました。
 
写真にありますのがその低音ホーンです。
 
一辺80数cmのダンボール製です。ドライバー取り付け部は重い木材です。18インチドライバーは映画館で使われていたものだそうです。 
 
音です。いいです。
 
生の音楽の音です。上質なコンサートでは、空気感が一変し、音楽の躍動感が溢れます。そういう低音です。
 
私は、コンクリートホーン等の低音ホーンを、今まで聴いたことがありませんでしたが、なるほどの低音です。低音ホーンは、当方が手を出せることではありませんが、いい経験になりました。」
 
今後の計画も伺いました。このホーンは一辺120㎝に拡大するそうです。最終形は5ウェイになるとのこと。できていく過程を聴かせてもらえると思いますので、大変楽しみです。

            

18インチのユニットといえば「1インチ=2.54センチ」だからおよそ46センチ口径のユニットとなる。

これはもうまったく別世界の音だろう。「段ボール製」というのが、いたく気に入って興味が湧いたので「I」さんから教えていただいた〇〇さんのブログも拝読させていただいたが、その中にとても気になる一節があった。

「音は自然です、と言うより他はないです。箱のスピーカーはどう聴いても、人工物から音が出ているなー、と感じますが、このホーンではスピーカーが空気に触れる、触れ方が自然な為、音像の有り方が誇張される事なく、きわめて自然です。」

日頃から箱に容れたスピーカーに馴染んでいる人間には「人工物から音が出ている」なんて思いだにしないが、もしかして耳が麻痺しているのかもしれない。とにかくホーン主義の方の耳には箱に容れた音がそう映っているのかと、とても興味深い。

長年オーディオに打ち込んできたが最大の難関は低音域の量感と分解能の両立だと思っている。この分野は先達が研究に研究を重ねられていて、とても自分のような未熟者がしゃしゃり出る資格を有しないが、これに対するアプローチの一つがホーンの活用になるのだろう。

すべてプラス、マイナスがあって総合的な視点が求められるオーディオの世界においては、ホーン型式にもプラスとマイナスがあるような気もするが
総じてヨーロッパ系のSPユニットは箱に容れることを前提にして作られている。

たとえば極端な例としてあのグッドマンの「AXIOM80」は、箱の中でユニットの背圧(ユニットの後側へ出る逆相の音)を利用して「ARU」なる器具で低音を出すようにしているほどだ。


その反面、アメリカ系のユニットは箱の利用にはそれほど拘らずユニットの持つ能力をフルに生かそうと「力勝負」みたいなところが見受けられる。JBLのユニットなどはその類だが、これはこれでなかなか捨て難い味がある。
 
いずれにしても、「百聞は一聴に如かず」この46センチ口径の大型ホーンの音をぜひ聴いてみたいものだ。 

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内田光子さん、二度目のグラミー賞受賞

2017年02月16日 | 音楽談義

去る13日(月)の早朝のことだった。

「グーブログ」では「リアルタイム解析」という便利な機能があって、読者からの瞬間的なアクセスの状況が分かるようになっているが、ずっと昔に登載した記事「ピアニスト 内田光子さんの魅力」がいきなり爆発的なアクセス数となっていた。

「これは内田さんに何かあったな」と思っていたら、14日付の日経の記事を見てようやくその理由が判明した。

          

「日本発の世界的芸術家の栄えある受賞、まことにおめでとうございます」と、いったところだが、グラミー賞(アメリカ)ってのはクラシック界においてどういう位置づけなんだろう?

けっして水を差すわけではないが内田光子さんの実力と名声からすると「Little」という気がしないでもない(笑)。

ここで丁度いい機会だから該当する5年前の過去記事を要約して掲載しておこう。興味のある方だけご一読ください。

クラシック音楽にとってピアノとヴァイオリンというのは数ある楽器の中でも双璧といっていいくらいの存在だが、前者の場合表現力が多彩なのでたった1台でオーケストラの代役だって務まるのが凄いところ。

音楽鑑賞にも周期があって最近では、不思議とピアノのCD盤に手が伸びることが多い。

しかし、聴くのはどうしてもバックハウス、リパッティやルービンシュタインなど往年の大家といわれるピアニストに偏りがちで”古くて進歩がない”と言われそうだが不思議とこれらの演奏の方が心が落ち着く、ただし惜しむらくは昔のアナログ録音をCDに焼き直したものばかりなので音質(録音)にいまひとつ不満があってもっと鮮度が欲しいところ。

それかといって、音質はいい代わりにいまいちの感がある近年のピアニストの演奏を聴く気には”さらさら”ならない。

そこで出てくるのがいささか贅沢な注文になるが、現役として活躍しており、芸格があって、演奏がうまくて、音質(録音)もいいピアニストがどこかにいないかという話になるが、それが実際に居るのである。これらの条件にピッタリと適うピアニストが~。

それは女流ピアニストの内田光子さん。

いまさら言うまでもなく国際的なピアニストとして功なり名を遂げたといってもいい大ピアニストである。しかも日本人としてこのくらい傑出した芸術家もいないのではあるまいか。

聞くところによると彼女が弾いている愛器「スタンウェイ」(一説によると4千万円で購入?)は特別につくりがよくて抜群の響きだそうだし、しかもフェリップス・レーベルでCDを輩出しているので録音もいいとなると、まさに芸術家としての資質と周辺のテクノロジーが両立した近年稀にみる演奏家だといえそう。

彼女のモーツァルト・ピアノ・ソナタ全集(5枚組)はまさに絶品。→ 

とにかく彼女のCD盤はまずハズレが無い。あのとびっきり難しいベートーヴェンのピアノ・ソナタ32番だってバックハウスに迫る勢いだし、録音がいいだけにむしろ総合力ではこちらの方が上かもしれない。

彼女の根強いファンの一人として改めてこの際いろんな情報を整理してみたが、調べていくうちに演奏家としての活動のほかにいろんな人たち、たとえば音楽評論家などとの対談が非常に多く、これらを通じて音楽への造詣がことのほか深いのに驚かされた。

それでは、まずネット情報から。

「ウィキペディア」によると、1948年静岡県生まれとある。ということは当年とって60歳前後。ずっとロンドン住まいで2001年、英国エリザベス女王より「サー」に続くCBE勲章(大英帝国勲章)を授与されている。

また、音楽評論家濱田滋郎氏との対談「内田光子の指揮者論」によるといろんな音楽を相当深く聴きこんでおり特に指揮者フルトヴェングラーへの傾倒が目を引いた。これだけでも音楽への接し方におよそ見当がつこうというもの。

次に、文献として次の本から。

「ピアノとピアノ音楽」(2008年7月10日、音楽之友社刊) → 

著者の藤田晴子さんは1918年生まれ、昭和13年に日本音楽コンクールピアノ部門の第一位。昭和21年に東京大学法学部の女子第一期生として入学した才媛。

本書の268頁~275頁にかけて、内田光子さんに関する詳しい記述があったので箇条書き風に引用させてもらった。

 ドイツやオーストリアの大使を務めた外交官「内田藤雄」氏のご息女であり、12歳で渡欧、ウィーン音大を最優秀で卒業し、1970年ショパン国際コンクールの第二位という今でも日本人としては最高位の入賞を果たした。

 佐々木喜久氏によると内田光子さんが一気に「世界的」となった契機は1982年6月のロンドンのウィグモア・ホールにおけるモーツァルト・ピアノ・ソナタ全曲演奏だった。このときはリサイタルを5回に分けて火曜日ごとに開き「ウチダの火曜日」(ファイナンシャル・タイムズ)という今や伝説的にさえなった名コピーが生まれたほどの鮮烈なデヴューを果たした。

このときの演奏がもとで、メジャー・レーベル、フィリップスによりモーツァルのソナタと協奏曲の全曲録音という大事業に結びついた。

内田さんも後日、対談で「いろんな試行錯誤を繰り返して、完全に抜け切れたのは、やはり、モーツァルトのソナタを全曲演奏で弾いたとき(’82年)。突然、自分の音楽の形がスパッと見えちゃったんです。」

 次にアメリカでの好評。同じく佐々木氏によるとモーツァルト没後200年に湧くアメリカでの「内田のニューヨーク初のモーツァルト・ソナタ・シリーズは注目の演奏会だった。高名な音楽評論家が、内田さんの初日演奏のあと「モーツァルトを愛する人は、是非ウチダの演奏を聴きに行くべきだ」と批評の中に思わず書かずにいられなかった。」という。

 「この20年はロンドンでひとり住まい」に対して「私がつくっている西洋音楽の世界というものは、私程度の才能では日本に住んだら死んでしまいます。私が勉強したウィーンには伝統の良さと悪さの両方があってモーツァルトはこういうものというような押しつけがましい規則にあふれていました。英国の方が自由な空気があるはずだと本能的に思ったんです。実際にそうでした。ロンドンが私の家。ああ、帰ったなとほっとします。」これで彼女のロンドン好きの謎が解ける。

 本年4月30日の来日記念会見で内田さんは「1000回生まれ変わったら998回はピアニストに」と言っておられる。あと2回はヴァイオリニストにというのも面白い。

 今後「20世紀のものをどんどん取り上げたいですね。シェーンベルクとヴェーベルンを中心に、これを広げて「ウィーン派と新ウィーン派とその友人たち」とするとモーツァルトもシューベルトも入ればベートーヴェンもブラームスもバッハも入る。面白いプログラムをつくってみたいな、と。それと乗りかかった船でベートーヴェンの協奏曲集。シューベルトとシューマンとかドイツ語の世界にも気を引かれます。だから、もう人生短くて、短くて、アホなことやってられない」

※この「アホ」なことに因んで次のような言葉がある。「私は口紅1本持っていません。そんな時間が勿体ないから」

最後になるが、「80歳までピアノを弾き続ける」といわれる内田さん、日本と西洋の「文化と価値観」が合体しているといわれる独自の「内田節」が今後さらに完成度を高めて歴史に名を刻むピアニストにきっとなることだろう。
 


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グッドマン「AXIOM80」の魅力全開

2017年02月14日 | オーディオ談義

前々回の「新たなエンクロージャー作り」からの続きです。

有名なイソップ童話の中に 「狼少年」 というのがある。 正しくは 「羊飼いと狼」 というタイトルだが、イソップ童話の中でも代表的なものの一つなので、
ご存知の方も多いと思うが内容はこうだ。

「村はずれの牧場で羊の世話をしている羊飼いの少年が、いつも一人ぼっちで淋しくて退屈なので、 いたずらして大人たちを脅かしてやろうと考え、狼が来てもいないのに、「狼が来たぞ~」 と叫ぶ。

その声に驚いて、大勢の村人たちが手に手に棒を持って駆けつけてきたが、どこにも狼は居ないので、やがて帰ってゆく。 面白がった少年は、来る日も来る日も嘘をついて 「狼が来たぞ~」 と叫ぶ。

初めのうちはその度ごとに村人たちが駆けつけて来たが、そのうちに、村人は少年を信用しなくなり、 「狼が来たぞ」 と叫んでも、どうせまた嘘だろうと思って、誰も駆けつけて来なくなってしまう。

ところが、ある日、本当に狼がやって来た。 少年は 「狼が来たぞ~」 と必死で叫ぶが、村人は誰も来てくれず、少年は狼に襲われて喰われてしまった。」

なぜこういう話を冒頭に持ってきたかというと、実は同じようなことが我が家でも起こっているから。

オーディオ部屋にずっと閉じこもって、ひとしきりガサゴソと作業をやった後で食事時になると、必ずといっていいほど家内からこう訊かれる。

「どう、少しは音が良くなったの?」

「ああ、メチャ良くなったぞ。これまでで最高の音だ!」

「ホントかしら?だって作業のたんびにこれまでで最高の音だと、あなたいつも言うじゃない。」

「だから、今度こそホントだってば~」

狼少年と同じであまり信用されていないわけだが、家内に限らずこのブログの読者の方々からも「この人、システムを弄るたびにメチャ音が良くなったとか、最高とか書いてるけどホントかいな?どうせ話半分に聞いておいた方が良さそうだ。」と、疑惑の眼で見られている可能性が大いにある。

だから、今度こそ正真正銘のホントだってば~(笑)。

前々回に記したようにAXIOM80用に作った新たなエンクロージャーは、これまでとはまるっきり違う魅力を引き出してくれた。

          

あまりに「いい音」を出してくれたので感謝の気持ちを込めてさっそく塗装(黒)をしてあげた(笑)。

どこが良くなったか具体的に挙げると、まず「小気味いい低音が出る」「音の余韻が音響空間に漂いながらス~ッと消えていく様がとても美しい」「エッジレスのユニットだけが持つ独特の繊細な分解能、音像定位、音の艶に一層磨きがかかった」といったところ。

おそらく厚さ1.5センチの板の適度な共振、補強材、箱の容積の拡大、外側からのユニットの取り付けなどのいろんな要素がうまくマッチしたのだろう。

その昔、「AXIOM80」を愛用されていた「瀬川冬樹」さん(オーディオ評論家)が「AXIOM80が本領を発揮したときの繊細でふっくらした艶やかな響きは絶品!」と仰っていたが、このうち「ふっくら感」を出すのがとても難しかったがようやく出てくれた感じ。

ただ、本人がどうこう言ってもまるで説得力がないのは分かっている。どうせ、おいらは「狼少年」ならぬ「狼じいさん」なんだから(笑)。

そこで実際に試聴された3名の方々に登場していただこう。

まず、大分市のMさんとNさん。

Nさんには今回の箱作りに大いに加勢していただいたので、お礼の意味を込めて「是非試聴してみてください」と、お誘いしたところ完成した翌日にさっそくMさんともどもお見えになった。

当日のシステムは次のとおり。

CDトランスポート(dCS) → DAコンバーター(dCS) → プリアンプ「大西式真空管プリ」 → パワーアンプ「171シングル」 → スピーカー「AXIOM80」

ご意見を要約すると、「やっとAXIOM80が本領を発揮しましたね。朗々と鳴ってますよ。ひとつひとつの楽器の音がクリヤに出てきてその音の余韻が美しく音響空間に広がっていくのがよく分かります。響きがとても豊かです。これまでとはまるっきり違いますよ。こういう音を聴かされるとAXIOM80が欲しくなりますね~。」

圧巻はジャズボーカルの「エラ&ルイ」(CD)だった。名盤中の名盤だが、サッチモのしわがれ声のリアル感が凄いし、何よりもトランペットの音が凄い勢いで飛んできて脳天がクラクラッとするような鳴り方といえば分っていただけるだろうか。

3時間ほど試聴されて大満足してお帰りになった。

その3日後は今度は同じ「AXIOM80」仲間のSさん(福岡)がお見えになった。1か月ほど前にご連絡があって、出張の合間に時間が取れそうなのでぜひ聴かせてくださいとのことだった。

たまたまタイミングよく今回の新しいエンクロージャーが間に合ったので本当に良かった。

第一声は「あれっ、低音がよく出てますね。」


一般的にAXIOM80の難点というと、「なかなか満足のいく低音が出てくれない」「高音が鋭くてキンキンする」といったところだが、そういう弱点を百も承知のSさんだからこそのご発言。

「とても豊かで美しい響きがしてますよ。箱の厚さや容積とか補強材などいろんな条件がAXIOM80とマッチしたんでしょう。これは素晴らしい音です。いやあ、感動しました。」

5時間ほどみっちり試聴していただいたが、ここでも試聴盤として「エラ&ルイ」が大活躍。Sさんはこの曲目のレコードをお持ちだそうでCDながらも情報量はレコードとヒケを取らないとのことだった。

なお、当然のことながら例によっていろいろ実験を試みた。

まずアンプを「171シングル」から話題沸騰中の「6FD7」アンプに交換して鳴らしてみたところ、悪くはないのだが「171」アンプのリアル感にはとても追い付かない感じ。

そこでプリアンプと相性が悪いのかもしれないのでDAコンバーターと直結して聴いてみたところ、俄然、音に生々しさが出てきた。

我が家で鳴らすときは「6FD7」アンプにプリアンプを繋ぐのはご法度である。ちなみに、この「6FD7」アンプはSさんも注文されており、もうすぐ完成するとのことで「この音なら満足です。とても楽しみです。」とのことだった。

以上、こうして3人の方々から賛辞を浴びると、この気難しい稀代の名ユニット「AXIOM80」をうまく鳴らせたという喜びがふつふつと湧いてこようというもので、(AXIOM80を)実際に聴いたことがない人にはぜひ聴かせてあげたいし、また聴いて満足できなかった人たちもこの音を聴くときっと認識を改められるに違いない。

最後に結びとして一言。

CDプレイヤーやアンプなどは音質がほぼ「お値段」に比例しているのが通例であまり面白くないが、スピーカーのエンクロージャーに関してはお金をそれほどかけずに(手間はかかるが)あっと驚く大逆転劇が可能だ。

SPユニットはエンクロージャー次第で音が千変万化する。

デリケートなユニットほどそういう傾向があるのでメーカー製を信用してそのまま使うのは一考を要する。今にして思えば我が反省点として、AXIOM80をずっとグッドマンの指定箱に容れて鳴らしていたのはとても拙かった。

オーディオは個人ごとに好みが違うので単なる一つの事象だけをとらえて断定するのはとても危険なことを重々承知しているが、このエンクロージャーの問題ばかりは個人ごとの音の好き嫌いで片付けられる次元ではないような気がする。


この世に「AXIOM80」の愛好者は数多いが、もしその魅力を最大限に引き出したいと思ったら是非新たな可能性にチャレンジすべきで、それだけ苦労のし甲斐のあるユニットである。

そもそも今回のエンクロージャーはたまたま当たってくれたが、もっとAXIOM80にマッチしたものがあってもちっとも不思議ではない。

これ以上言うと、「くどい、調子に乗って偉そうに言うな!」と逆効果になりそうなのでこの辺で終わりにしたほうが無難だろう(笑)。
 


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「楽隠居」と「素隠居」

2017年02月13日 | 復刻シリーズ

今年(2017)から「月曜日」に限って、これまでのブログの中で今でもアクセスが絶えない記事をピックアップして登載しているが、今回は5年ほど前に投稿したタイトル「楽隠居と素隠居」である。それでは以下のとおり。

このたびの山中教授の「ノーベル賞」(医学・生理学部門)受賞は久しぶりに明るい話題。

万能とされるIPS細胞が難病治療に応用できるようになるのは、遅かれ早かれ時間の問題と言っていいだろうが、こういう恩恵を日本にことさら無理難題をふっかけるアジアの某国にだけ利用できないようにする手立てはないものかな~(笑)。

気取ることなく、人柄の良さそうな同教授の喜びのインタビューを観ていたら、「10回のうち9回は失敗する、それでもくじけない」という趣旨のことを仰っていた。「根気が大切」ということなんだろうが、一方では、9回も失敗してそれが許される環境というのも非常に大切だという気がした。

「物事の本質」というと大げさだが、それに類するものをある程度極めていくためには、本人の能力と情熱に加えて時間的、心理的なゆとりも必要なのではあるまいか。


ノーベル賞を引き合いに出すのはたいへんおこがましいが、文化的な分野においても同じことが言えそうな気がする。

一昨日(10月12日)のNHK-BSハイで「伊能忠敬~国の要・日本地図への挑戦~」という番組をやってた。

周知のとおり、伊能忠敬(いのう ただたか)は、婿養子として入った下総の造り酒屋で財を成した後、50歳であっさり身代を後継者に譲って隠居生活に入り、その後は江戸に出て大好きな天文学に打ち込み、その知識を応用して56歳から72歳まで、ほぼ日本全国を踏破して測量したうえで画期的な日本地図を完成させた。

踏破した距離はおよそ4万キロでほぼ地球一周分。

当時(江戸時代後期)の欧米列強は未開の中国をはじめアジア諸国を次々に植民地化同然のことをしていったが、日本だけはそれをためらわせるものがあったという。その要因の一つとして当時としては画期的な日本地図があったことが挙げられると番組の中で言っていた。

来日した欧米人は日本地図の精密さに驚嘆したそうだが、それはいわば文明的に自立できる国民の証明みたいなもので、日本を尊敬させた地図として伊能忠敬の功績は実に大きい。

番組の解説者によると

「当時、浮世絵を始め世界に冠たる江戸の絢爛たる文化を担っていたのは市井の民だが、その中で大切な役割を果たしていたのが隠居だった。侍の場合は隠居料が支払われ、町民の場合は隠居するときに取り分が保証されていた。時代的に自由さを許す許容度がそのまま文化度に繋がっていた」

          


葛飾北斎しかり、歌川広重だって画業に専念できる隠居同然の身分だったし、それこそ伊能忠敬みたいな隠居が市井には溢れていて、何かにつけ、実際に手と足を動かし、口うるさく講釈を垂れていたことだろう。

毎日、きまった仕事に追われることがない、子供も成長して家族の世話をしなくていい、暇をたっぷり持て余して金儲けを考えずに好きなことに没頭できる隠居たち。時間的、心理的なゆとりに恵まれていたことは言うまでもない。

さて、そういう隠居さんにも「楽(らく)隠居」「素(す)隠居」とがあり、「楽隠居」とはお金持ちの隠居のことであり、「素隠居」とはお金がない隠居を言うそうな。

たとえば広辞苑によると、「素」という言葉は「素顔」「素手」とあるように「ありのまま」という意味があり、さらに軽蔑の意味を込めて”みすぼらしい”とあって、「素寒貧」(すかんぴん)、「素浪人」などという用語例がある。

はたして自分は「楽隠居」と「素隠居」のどっちなんだろう?

もちろん、乏しい年金生活者なので「素隠居」に決まっている!(笑)。
 


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新たなエンクロージャー作り

2017年02月09日 | オーディオ談義

「物の弾み」(もののはずみ)という言葉がある。

広辞苑によると、「その場のなりゆき。ことの勢い。」とある。今回は「物の弾み」が、結果的には凄い効果をもたらしたという話である。

その顛末を記してみよう。

あまり気が進まなかったがオーディオ仲間たちに唆されてウェストミンスターにタンノイのオリジナルユニットを収めたところ、想像以上の成果にホッと一息。これからこのユニットでずっと行こうと決心するのにさほど時間はかからなかった。

その反面、手持ちのJBLのD130ユニット(口径38センチ)を使う機会を失ったことによる喪失感も確実に残った。とにかくこのD130は常にアタマの片隅にある気になるユニットなのである(笑)。

一念発起して、よ~し、いっそのことD130用の新しいエンクロージャーでも作ってみるかと、クルマで50分ほどの大分市の大型DIY施設に下見に出掛けてみた。木材の品ぞろえがとても豊富で目移りしたが、「厚さ1.5センチ」の合板のヒノキ材というのが目に入った。お値段も手ごろなので「ヨシ、これに決めた」。

自宅に戻るとグッドマンのエンクロージャー並みの大きさというのがずっとアタマにあったので、きちんと寸法を測り図面を描いた。やり直しは利かないので何度も寸法を確認しながら、翌日、再度出掛けてその寸法どおりにカットしてもらった。

ただカットしてもらったのはいいものの、そのうち厚さ1.5センチの板に重量感のある38センチ口径のユニットを付けるなんて大丈夫だろうかと漠然と不安感が持ち上がった。

そこで、万一ダメなときのために「AXIOM80」(グッドマン)も聴けるようにしようと方向転換。よし「バッフル」の入れ替えが自由に出来るようにしようと決めたが、そのうちD130のことはすっかりアタマから離れて期待感は「AXIOM80」オンリーになってしまった。

グッドマン指定のエンクロージャーに容れておくのも悪くはないが、このユニットはもっと凄い能力を秘めているような気がして仕方がないのだ。そしてこの予感はズバリ的中することになる!

ことほどさように、なりゆきというものはまことに恐ろしい(笑)。

それにしても、これまで「にわか仕立て」で沢山SPボックスを作ってきたが、今回ばかりは慎重にいこうと大分市のNさんの手を借りることにした。とても器用な方でこういう緻密な作業にはもってこいの方である。

「ネジを使ったら箱の響きが悪くなるのでいっさい使わないようにしましょう。全体をボンドで接着することになるので締め付用のルトを持って行きます。」

感謝感激である。さあ、作業当日は朝から夕方まで二人で文字どおり大奮戦。

その結果、ようやくこういう形になった。

        

よく乾燥させてから、次の段階へ移った。

         

厚さ1.5センチということもあって、補強材は欠かせず、みっちりとネジ止めしている。ここまで来ると、7割方完成といったところで、後はバッフルへのユニットの取り付けを残すのみ。

なお、バッフルを簡単に入れ替えられるようにネジ受け用の「鬼目」を10か所打ち込んだが、1.5センチとの狭い隙間に埋め込むのだからとても大変だった。

翌日は独りでバッフルに「AXIOM80」の取り付け作業を行い、試行錯誤の結果ようやく午前中に完成した。

       

ペンキ塗りは後回し。いい音が出てくれれば塗るし、そうじゃないときはそのまんまにしよう(笑)。

なお、「AXIOM80」は「内側からマウントするよりも外側からマウントする方が断然音がいい。」と、かねがね聞いていたのでその通りにやってみた。ただし、もともと内側からマウントするように作られたユニットなので正直言って取り付けに苦労した。自分で言うのも何だが、かなりのノウハウが必要になる。

また、肝心の「ARU」は底板に穴を開けて自作の細かい網目状のネットを張り付けている。

さあ、いよいよ音出しだ!

そして、出てきた音を聴いてビックリ仰天!(笑)

以下、続く。
 


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タンノイ・ウェストミンスターの復活~その2~

2017年02月07日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

およそ7年ぶりに復活したタンノイ・ウェストミンスターの音にはほんとうに驚いた。ずっと抱いていたイメージの音と随分違っている!

もちろん、いい方にだが~(笑)。

大いに不満だった中低音域のあの籠った音が見事に払拭されているし、中高音域の透明感もなかなかのもの。定評ある同軸2ウェイの音像定位の見事さは相変わらず健在だった。

「ああ、良かった! これなら付き合えそうだなあ」。お見合いが無事成立してホッとしたというのが実感。

俄然乗り気になってあとは結婚までの道程をどう乗り切るか、きめこまやかなアプローチに入った。

 使っているテクニクスのネットワークは高音域(1100ヘルツ~)のレベル調整が可能だが、「0~10」段階あってマックスは0だが、当初2の位置で聴いたものの強すぎるのでもっと下げて4の位置で全体的なバランスが取れた。とても調整位置に余裕があるので大助かり。

 駆動したアンプは当初は「171シングル」アンプ(インターステージトランス入り)だった。

       

我が家で1,2位を争うエース級だが、こういう時こそ出番とばかりとっておきの真空管を装備した。

前段管には「AC/HL」(英国マツダ:トップが長方形マイカの最初期版)、出力管には「171」(トリタン仕様)、整流管には「480」(SPARTON:メッシュプレート)

持ち主が言うのも何だが、まずオークションにも滅多なことでは出品されない球ばかりである。

「ほんとにええ音やなあ!」と、感心しながら次から次にテスト盤を試聴したが、エンヤの「Caribean Blue」の冒頭の一撃であえなくクリップした。

小出力アンプの悲哀を味わった。

能率が95dbのスピーカーに出力1ワット未満のアンプではやっぱり苦しいかなあ。音の素性はとてもいいんだがと、思わず天を仰いだ。

仕方なく「フィリップス」を鳴らしていた「PX25シングル」アンプと交替。

フィリップスを取るか、ウェストミンスターを取るか、二者択一だがやっぱり投資額の大きい方を無駄にしたくないのが人情だよねえ(笑)。

結局これがベストの組み合わせだった。

丁度、テレビでNHKスペシャル「プラネットアースⅡ第2集激変の大地に生きる」をやってたが、雪崩のシーンがあって、その音が物凄かった。

ドド~ンと腹の底まで響きわたってくる低音域の迫力にぶったまげた。これがウェストミンスターの底力というものか。

口径38センチのユニットのスピード感は別として雄大さと迫力は口径30センチとはまったく別次元のものだ。

たとえば近年、口径20センチのユニットを2個ウーファーに使う例をよく見かけるが、音圧は対数の世界なので「20センチ×√2(1.4142・・・)≒30センチ(口径)」に相当する。同様に口径30センチが2発の場合は
30センチ×√2≒42センチ(口径)に匹敵する。したがって、口径38センチはおよそ30センチ2発に肉薄するのだから違って当たり前。

結局、ウェストミンスターにグッドマンの「AXIOM80」のような繊細な音は望むべくもないが、こういう低音域の豊かな広がりをひたすら愛でるスピーカーなのだろう。


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患者を殴る白衣の天使

2017年02月06日 | 復刻シリーズ

 今年(2017)から「月曜日」に限って、これまでのブログの中で今でもアクセスが絶えない記事をピックアップして登載しているが、今回は7年ほど前に投稿したタイトル「患者を殴る白衣の天使」である。それでは以下のとおり。

看護婦さん(現在では看護師さん)のことを「白衣の天使」という。

傷つき、病む者にとって手厚い看護をしてくれる爽やかな白衣を身につけた女性はまさに天使のごとくにも思える存在。

今回は、その白衣の天使が
「手術室で手術を受けている患者を怒声とともに殴りつける」
という話である。ちょっと変わった面白い話なので紹介してみよう。

先年亡くなられた作家「吉村 昭」さんは個人的に大好きな作家の部類に入る。冗長なところがなく実に簡潔な文体とリズム感がこちらの呼吸(いき)とピッタリ合っていて読みやすく自然に作風に溶け込んでいけるところが気に入っている。

大方の作品は読んでいるつもりだが、どちらかといえば長編よりもエッセイ風の小品が好みで、この「殴る白衣の天使」は次の
薄い文庫本に収録された小編。吉村さんの実体験にもとづいた話である。
   
    「お医者さん・患者さん」(中公文庫)      

吉村さんは20歳のときに喀血し、診察の結果、結核と判明、自宅で絶対安静の日々を過ごしたものの、体力が衰える一方で兄の知り合いの東大助教授の診断によると余命6ヶ月と断言された。

「死にたくない」その一念で、ある雑誌で知った手術による結核の治療法「胸郭成形」を受けるため東大付属病院に入院。

当時、「胸郭成形」術は開発されて間もない手術で、術後1年生存率がわずか40%、しかも肋骨を5本ほど取ってしまう土木工事のような荒っぽい手術。

また、麻酔法が未発達で全身麻酔をすると肺臓が圧縮されて患者が死亡してしまうので局所麻酔だけで手術するが、想像を絶する苦痛のため当時の手術場は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の巷(ちまた)だった。

「阿鼻叫喚」という表現とはまさに当を得ており、隣室にいた逞しい体をした中年の男性は手術途中で「やめてくれ!」と泣き叫んだという。

一方では25歳前後の〇〇さんという気丈な女性もいて、看護婦さんたちが言うには「〇〇さんは手術中泣き喚くこともせず、頑張りぬくんだから凄い、××さんも殴る必要がないと言っていた」。

××さんとは「患者を殴る白衣の天使」のことである。手術は通常5時間前後かかるが、その間、患者は激痛に耐えかねて泣き叫ぶ。慎重さを必要とする大手術に患者の絶叫は外科医の神経をいらだたせる。必然的にそれを制止させる行為が要求される。

そうした手術場の要請に応じて××さん、つまり殴る専門の看護婦さんが配置についていたというわけ。

彼女は、泣き喚く患者に「黙れ!」という怒声とともに頬に平手打ちをくらわす。
色白の肌をした目の細いちょっとした美人だが、腕も太い大柄の女性で、痩せこけた患者からみればすさまじい体力に満ちた巨漢にも思えた。看護婦たちの話によると大半の患者が××さんの殴打を受けているという。

そうした恐るべき白衣の天使が控えている手術場にいよいよ吉村さんが送り込まれる日がやってきた。

肉を切り裂き骨を切断する手術の激痛は、まさに地獄そのもので叫び暴れた。殴る白衣の天使もたしかに手術台の傍に立ち、決して本意ではないだろうがその日も殴らねばならぬと心の準備を整えていたはずである。

しかし、吉村さんは結局、彼女から殴られなかった。その理由は簡単、手術中「痛くナイッ、痛くナイッ」と、わめき続けていたから。

「痛い」と叫ぶかわりに「痛くない」と叫んだのは、我慢しようという気持ちがあったからで、それは「痛い」という叫びと同じ意味を持っている。
しかし、看護婦としては「痛くない」と泣き叫ぶ吉村さんを殴るわけにはいかない。

こうして手術は無事成功し、1ヵ月後には無事退院できた。切断された5本の肋骨は1年たつと両端から伸びてつながった。

その後社会人として働き、結婚し二児の父となったがこれはすべて手術のおかげと感謝しているものの異様な体験であっただけに、手術前後の2ヶ月に満たない期間のことが鮮明な記憶として今でも胸にやきついている。

殴る専門の白衣の天使もおそらく結婚して家庭の人となっているのだろうが、もしも看護婦を続けているとしても患者を平手打ちすることはもうないだろう。

現在は、麻酔術が急速に進歩していて、手術場で泣き喚く患者はもういない。

以上が、「患者を殴る白衣の天使」真相である。

この話、「白衣の天使が患者を殴る」という意外性とともに、「大音声で叱り飛ばす、殴りつける」という暴力行為が時と場合によっては有効な手段になるというのもなかなか面白い。

たとえば、地震や火事など大切な命が掛かった災害時の緊急避難の際にも大いに使えそうだ。

さて、舞台が随分と変わって昨今の日本の政界は相変わらず政治資金がらみなんかでうるさくて仕方がない。

以前、「佐藤優」氏と「亀山郁夫」氏の対談本(「ロシアという闇の国家」)の中で、理念がない、求心力がない、座標軸が一定しない日本のような国家はふらふらと漂流するばかりとあった。その責任の一端は国策を担っている政界にもあると思う。

「重要閣僚をいびって辞めさせる強もての幹事長」をはじめ「優柔不断で何とも頼りない首相」など、こういう政界を「しっかりしろ」と大いに叱り飛ばし、殴りつける役割は一体誰が果たすんだろう?

筆者(註)

この話は当時のお粗末極まりない民主党が政権を取っていた時代の話ですから念のため(笑)。 


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タンノイ・ウェストミンスターの復活~その1~

2017年02月04日 | オーディオ談義

先日お見えになった大分市のMさんとNさんは我が家の常連組として大切なご意見番だが、当日、異口同音に次のようなコメントをいただいた。

「ウェストミンスターに入れているグッドマンのユニットもいいんだけど、タンノイのオリジナルユニットの方を是非聴いてみたいなあ・・。」

「ウ~ン、ず~っと気にはなっているんですけどねえ。まあ、そのうち入れ替えてみることにしましょう。」

「そのうちって、いったい何時のこと?」 「まあ、年内には・・・。」  「フ~ン、年内ねえ・・・。」

加えて、メル友の「I」さん(東海地方)からも、「タンノイの復活をぜひ」と、折りにふれ促されている。

こうまで周囲からプレッシャーをかけられると、根が小心者だから気になって仕方がない(笑)。

「いっちょう やってみっか」と、このほどようやく重い腰を上げた。

あの籠ったような中低音域、スッキリ伸びきらない高音域に対し、イヤ気がさしてきてオリジナルのユニットを外してからもう7年ぐらい経つだろうか。

爾来、代わりのユニットをとっかえ、ひっかえしてきたがあの独特のフロント・ホーンが曲者で、ようやく「AXIOM150マークⅡ」(グッドマン)で落ち着いたものの、いずれオリジナルのユニットの復活を試さねばと常に頭の片隅にはあった。

当時と比べるとプラス材料として駆動する真空管アンプがまるっきりレベルアップしているし、箱の内部改造もきっと寄与してくれるに違いない。

それに作業環境も大幅に改善した。100kg以上あるウェストミンスターをキャスター付きの台に載せたおかげで自由に動かせるようになり、裏側に回っての裏蓋のネジ(18本)外しやユニットの入れ替えがメチャ楽になった。

また、諸悪の根源は使用されているネットワークにあると睨んでいた。オリジナルのネットワークは余分な機能がいろいろ付いていて、わざと音を悪くするために作っているのではないかと思えるほどで、自分にとってはまさに天敵そのもの。

そこで2年ほど前にオークションでテクニクスのネットワーク(2ウェイ方式:クロス1100ヘルツ:高音域用のボリューム付き)を手に入れている。

この新たなネットワークを試してみる丁度いい機会でもある。

        

左の画像がオリジナルユニット(口径38センチ:同軸2ウェイ)で右がテクニクスのネットワーク。

気に入った音が出るかどうか、こればかりは実際に聴いてみないと分からないが、確率は半々といったところかな~。

「気に入らない音が出たらすぐに撤退」の覚悟で黙々と作業を進めた。

        

内部を改造しているので画像が分かりやすい。ユニットのマグネットの部分だが、手前がツィーター用(1100ヘルツ~)、奥がウーファー用(~1100ヘルツ)で、それぞれSPコードをハンダで接着。

予定どおり2時間ほどで作業が完了してさっそく、音出し。

                

ハラハラ、ワクワク、ドキドキ、この瞬間こそがオーディオの醍醐味である。

そして、出てきた音は・・・。

ウ~ン、この音を何と形容したらいいんだろう!

以下、続く。 


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お客さんラッシュ

2017年02月02日 | オーディオ談義

前回にも投稿したように、先週の土曜日(28日)と日曜日はお客さんラッシュだった。

合せて4名の方々がお見えになったが、我が家のシステムはまるで日替わりメニューのように、コロコロ変わるので来るたびに刺激があるらしく、お客さんも喜んでおられるようだ(笑)。

今回の試聴会で注目の的だったのは前回で述べたようにグッドマンの指定箱に容れた「フィリップス」のユニットだった。

50年近くオーディオをやってきたが、自分でもこういう会心の組み合わせは珍しい。

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS) → DAコンバーター「エルガー プラス」 → パワーアンプ「PX25シングル」 → スピーカー「フィリップス」(口径30センチ・アルニコマグネット型)

プリアンプを介入させないことによる功罪は相半ばするが、ベールが一枚取れたような音質になるのはたしかだった。

この組み合わせで、スピーカーだけを固定し、ほかの機器をトッカエヒッカエして
いろいろ実験をやってみたので後日のために記録しておこう。

 「PX25」アンプと「6FD7」アンプとの比較

とてもハイレベルで実力伯仲のいい勝負だったが、多数決で最終的には「音のコクと色気」という面で「PX25」に軍配が上がった。何しろお値段が5倍くらい違うので同じ土俵で比較するのが可哀想だが、それからすると「6FD7」アンプ大善戦である。

 「PX25」アンプの整流管による音の違い

真空管アンプの球の構成は基本的にはそれぞれ役割によって電圧増幅管、出力管、整流管
の3種類によって成り立っているが、野球のポジションで言えば、順番に内野手、投手、監督といったところだろうか。とにかく、いずれの球もブランドが違うとガラッと音が変わるのでまったく手を抜けないし、逆にそれが魅力(笑)。

今回は整流管による音の違いを満喫した。

「CV378」、「5U4G」、「5931」、「WE422A」、「274B」などをいろいろ差し替えて比較してみたがベストとして衆目が一致したのは「5931」だった。比較的近代の球で、出力管「PX25」の製造時期とは随分離れているし、PX25はイギリス製、「5931」はアメリカ製で国籍の違いはあるものの、やっぱりオーディオは固定観念に縛られず「何でもアリ」だった(笑)。

この「5931」にすると、音の粒立ちが図抜けていて他の球をまったく寄せ付けない。もうこれに限ると思って急いでスペアを調べたところ3本あった。これだけあれば命尽きるまで大丈夫だろう。ああ、良かった~!

ただし、この「5931」もいろいろ種類があるようだが、今回使ったものは信頼の置ける古典管マニアから新品として手に入れたもので元箱には「GOLD BRAND」(シルヴァニア)と書いてあった。

            

 DAコンバーター3台の比較

現在、手元にあるのはワディアの「27ixVer3.0」、dCSの「エルガー プラス」、マランツ「NA11-S1」という新旧入り乱れての3台だが順次接続コードを差し替えて試聴してみたところ、バラツキがとても大きかった。

音の情報量、きめ細かさなどにおいて
dCSがダントツでその次がワディア、最下位のマランツは叩き売りたくなるほどひどかった。今後の出番は「USB」を聴くときだけと決めた(笑)。

 CDトランスポートの比較

dCSの「ヴェルディ・ラ・スカラ」とソニーの「555ES」の2台を比較した。両方とも「SACD」仕様で同じソニー製のピックアップを採用しており、dCSが故障したときのスペアとしてソニー製を購入しておいたもので久しぶりに鳴らしてみた。

お値段も相当違うけど、音質の差も大きい。dCSを聴いた後でソニーを聴くと、何だか「蒸留水」を飲んでいるみたいで、さっぱりして淡泊な味わい。情報量が相当違う。こりゃ、BGM向きだ。

いずれにしても、待望の「黄金の組み合わせ」の出現で我が家のシステムの勢力地図も様変わりの一幕だった。
 


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