「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・4・30)

2023年04月30日 | ウマさん便り

「広大で深いその森…」 

アラントンのガーデンでは、様々な野菜とともに多くの果物も栽培している。ストロベリーやリンゴなど、その季節になると、もう、ふんだんに採(と)れる。農薬を一切使用しない完全オーガニックやから、めちゃ美味(おい)しいよ。 

いつだったかなあ、女房のキャロラインさんが「ブルーベリーを食べると眼がよくなるわよ」と、摘(つ)み取ったばかりを何粒かくれた。

それらを口に含み、しっかり飲み込んだあと、彼女の顔をしげしげと見てから云っちゃった…

「キャロラインさんって、へぇー、いやぁー、美人だったんだねえ…」 

目の衰(おとろ)えはあまり感じない。文庫本も含め、この歳になって本を読むのに眼鏡(めがね)が必要ないのは有難い。

音楽と共に、読書は、日々の暮らしの中で、いや、人生に於(お)いて、かなり重要な柱です。やや大袈裟(おおげさ)かも知れないけど、音楽と読書が、我が人生最大の楽しみと云っちゃっていいかも知れない。それに映画もそうですね。

でも、そう思ってる人はかなり多いと思うよ、世界中に… 

ところで僕は、数多く書いてきたこの「ウマ便り」で、本と音楽の話をしたことがほとんどないんです。なぜか?

本と云う世界…、あまりにもその森が広大で奥深く、一体何を話してよいのやら、途方(とほう)に暮れるからなんですね。大好きな音楽に関してもほとんど語らないのは、その膨大な量を前にして、どこから書いて良いのやら迷うからです。ま、いずれ書いて見たいと思っている。 

一冊を一気に読む… 

これは、小学校時代からの僕の習性と云っていい。とにかく、本を読みだして途中で邪魔が入ると不機嫌になっちゃうんだよね。本の中、つまり非日常の世界に没入(ぼつにゅう)しているのに、突然、現実の世界に引き戻されるのはちょっと…なんですよね。

一旦(いったん)読みだすと、よほどのことがない限り最後まで読み切る。文庫本でもハードカバーの長編でも…ま、読むのがかなり早いせいでもあるけど…

ごく普通の厚さの親書や文庫本だと、読了するのに一時間を超えることはまずない。でも、速読じゃなくって、ちゃんと脳内音読はしてるよ。

だから、キャロラインは、僕のそんな習性を知っているので、僕が本を読んでいる間は、よほどのことがない限り声をかけない。ま、ワインなど、そっと僕の脇に置いてくれたりはするけど…。そんな彼女、好きやなあ。

たまに、遠くから「洗濯もん畳(たた)んでねーッ」ってなことはあるけどさ… 

いくら読むのが早い僕でも、一気に読むってことは、まとまった時間が必要だということです。つまり、忙しい日々が続くと、本を読まない日も続くということになる。これは辛(つら)いね。 

最初の読書体験は小学校時代、そう、たしか四年生だったと思う。 

江戸川乱歩(えどがわらんぽ)の「少年探偵団」に、まあ、熱中しましたねえ。小学生向けの月刊雑誌に連載されていたのを毎号欠かさず読んでいた。

当時は、江戸川乱歩というけったいな名が実はペンネームで、あの「モルグ街の殺人」のエドガー・アラン・ポーからきているなんてまったく知らなかった。 

子供ってアホなことを考えるんやなあ。なんと、クラスメートを集めて少年探偵団を結成したんや。学校裏の田んぼのあぜ道で結団式をした。同じクラスの男女、そう、七名か八名はいたと思う。

僕は、一応リーダー、つまり本に出てくる小林少年役やから、団員を一列に並ばせ、なにやらわけのわからん訓示(くんじ)みたいなもんをたれた記憶がある。

ちょうどその時、僕と団員の間を、畑仕事を終えた麦わら帽の爺ちゃんが自転車で通り過ぎたんや。その爺ちゃんが通り過ぎた直後、僕は、何の脈絡(みゃくらく)もなく団員に叫んでいた。「あいつが犯人やー!」

全員一丸となって、その爺ちゃんを追いかけた。ワーーッ!!ワーーッ!!

爺ちゃん必死で逃げよったなあ。わけもわからんでな。 

次の日、担任の中原先生にえらい怒られたわ。せやけど、先生、苦笑(にがわら)いしてはった。先生に、…こいつアホちゃうか?…と思われたのは間違いない。 

と云うわけで、僕の読書初体験は探偵ものだったんやね。

で、その影響甚大(じんだい)で、その後、読(よ)み漁(あさ)ったのは探偵もんやミステリーばっかりや。

たしか、六年生の頃からアガサ・クリスティやコナン・ドイルを読みはじめた。もちろん小学生向けの月刊雑誌に振(ふ)り仮名付(がなつ)きで連載されていたもの、或いは、その付録(ふろく)でついていたものですね。今から思うに、フリガナはもちろんのこと、小学生向けに読みやすくアレンジされたものだったと思う。

かなり後年、お遊びで、ストーリーまがいのものを書き出した時、ペン・ネームに、アンタガタ・クリスティーってな、ふざけた名を使ったこともあった。 

中学校に入っても、そんな読書傾向は続き、クリスティやドイルをかなり読み終え、同時に、イアン・フレミングにも熱中した。僕の007好きはその頃以来だから、かなり年季(ねんき)が入ってまっせ。ただ、いわゆる呑(の)んフィクション、あ、ちゃう、ノンフィクションにも興味を示し始めてましたね。

ヘイエルダールが古代の作り方を真似(まね)た素朴な筏(いかだ)で、南米からポリネシアまで漂流した「コンティキ号探検記」や、堀江健一の「太平洋ひとりぼっち」など何度読んだかわからない。それがヨット好きになるきっかけだった。 

そうそう、中学二年の時、初めてストーリーらしきものを書いた。

黒木先生の理科の時間、授業そっちのけで書き出した。そのストーリーは完結しなかったけど、出だしは今でも良く覚えている。 

…黒木警部補は、新米刑事に、現場検証の指示をした…

「こりゃ毒殺やな。害者をよく見ろ。恨み(うらみ)が足らん顔つきをしとるやろ。見てろ、汗が出てくるぞ」「しかし、すでに心臓は停止していますが…」「それがこの薬物の特徴や」「で、その薬物の名は?」「ウラ・ミタリン酸・ミテロ・アセデルや」… 

高校に入っても、ミステリーや冒険譚(ぼうけんたん)ばっかり読んでたけど、ある日、ラグビー部の同期だったK君が「これ読んでみ」と貸してくれたのが、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」だった。

それまでその手の翻訳本はまったく読んだことがなかった。それがきっかけで、後年、ジャック・ケルアックやレイモンド・カーヴァー、チャンドラーなど、アメリカの現代文学に傾倒(けいとう)することになったと思う。 

特にジャック・ケルアックの「路上(オンザロード)」には惹(ひ)かれた。何度も読み返した。当時のアメリカに対する憧れがあったせいかも知れないね。 

この「路上」、ヒッピーブームのはるか以前に、ビートニックの存在を世界に知らしめた点も含め、今でもアメリカ現代文学の金字塔(きんじとう)だと僕は思っている。もちろん、異論があるのは、大いに承知していますよ。

村上春樹さんは、フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」こそ小説や、云うてはるけど、「路上」に出て来る若者群像と比べると、登場人物の、その抱いてる思いがまったく別もんなのには唖然(あぜん)としてしまう。同じ国なのに…

ま、それはとにかく、読書の世界を広げてくれたK君には感謝しています。

いつだったか、海上保安大学に入った彼が、僕の下宿を訪ねてきた時「これ読んでみ」と渡されたのが、庄司薫(しょうじかおる)の「赤ずきんちゃん気を付けて」だったのは意外だった。で、いっそう、彼の読書の守備範囲の広さを知り驚くことになる。僕もK君みたいに、色んな本を読まんとあかんなあ… 

大学時代は、当時の誰もがそうであったように、まわりの人間の影響を大きく受けることになる。特に大学紛争で騒然(そうぜん)としていた頃は… 

サルトル、マルクス、エンゲルス、ショーペンハウエル、ドストエフスキー、安吾、織田作、太宰…それに埴谷雄高に丸山真男…

でも、この頭では難しすぎて内容を覚えてないのが多かったね。ショーペンハウエルの言葉「若くて妻帯、我が身の災難…」は、よく覚えてるけど…

特に惹(ひ)かれたのは「堕落論」の坂口安吾だった。その無頼(ぶらい)ぶりが非日常的かつ魅力的に映(うつ)ったんだと今にして思う。

彼は、たった一つだけミステリーを書いている。「不連続殺人事件」…

犯人が明かされる場面…、彼は、探偵が犯人を突き止めた理由、その心理描写を非常にユニークに書いている。興味のある方は読んでごらん…

日本と云う画一社会における安吾の存在意義を書いた安吾論を、どっかの大学の同人誌に送り付けたこともあった。今から思うと、ああ恥ずかし…

そうそう、詩人・中原中也の「汚れっちまった悲しみに」や、寺山修司の短歌に惹(ひ)かれたのもその頃です。寺山修司の短歌集を読んでごらん。涙なしには読めないよ…

でもね、読んでいて楽しいのは、相変わらずエンターテイメントだったですね。 

ロバート・B・パーカー、レイモンド・チャンドラー、ロバート・ゴダード、ギャビン・ライアル、パトリシア・スミス、コーネル・ウールリッチ、彼の別名ウィリアム・アイリッシュ、松本清張、五木寛之、野坂昭如、安部公房、植草甚一…いや、もう、きりがない… 

「ロング・グッドバイ(長い別れ)」などチャンドラーの一連の作品が、ハードボイルドと形容されているのは後で知った。

で、ハーフボイルドと冠したアホなショートストーリーを、いくつか書いたことがあったなあ。もちろん、アンタガタ・クリスティーの筆名でね… 

安部公房の「第四間氷期(だいよんかんぴょうき)」…

この、とんでもない小説には驚いた。

こんな凄い小説を書く作家が日本にいるんやと驚嘆したことを今でも鮮明に憶えている。「砂の女」もそうだけど、あり得ない話をここまでリアルに描けるのは、もう、天才にしか持ちえない想像力・創造力だと、ため息をついてしまった。

世界的にも評価が高かった彼は、日本にとっても世界にとっても、最も重要な作家の一人とちゃうかと、その頃思っていた。彼は68歳の若さで亡くなったけど、もう少し生きていたら、間違いなくノーベル賞を貰(もら)っていた。実際、ノーベル賞の選考委員がそう云ってる。今、僕が全集を欲しいなと思っているのは安部公房さんだけです。

そうそう、安部さんとは渋谷の東急ハンズの工具売り場で偶然お会いし、十分ほどお話ししたことがある。偉そうな態度などまったくなく、僕の目をまっすぐ見て、真剣に御相手してくださったのが忘れられない。 

ところで、翻訳ものに関して、日本は、もう、圧倒的に入超ですよね。

ま、日本語の特殊性を思うと仕方がないかな。でも、もっともっと日本の作家や作品を海外に紹介すべきだと僕は強く思っているし願ってもいる。文学は、その国に対する理解を大きく促進(そくしん)するからね。

こちらの本屋で、ハルキ・ムラカミコーナーを設けているのは珍しくないし、安部公房や三島由紀夫の本もよく見る。特に、村上春樹は、もう誰でも知ってると云っていい。僕を日本人だと知って、ハルキ・ムラカミの話をはじめる方さえいる。

余談だけど、こちらの本屋って、いっさい雑誌は置いてない。雑誌は、コンビニ、スーパー、ニューススタンド、駅の売店です。ヨーロッパもそうだと思う。

この事実、面白いと思わない? 本屋に雑誌が一切置いてない… 

僕は無名時代の村上春樹とは何度も会っている。さらに、学生結婚した奥さんの陽子さんとも会っている。

当時、世田谷区の会社に勤めていた僕は、得意先のあった千駄(せんだ)ヶ(が)谷(や)に、週に一度ほど行ってたんだけど、近くに偶然ジャズ喫茶を見つけ、仕事の終わりにちょくちょく寄るようになったん。その店が村上春樹の経営だったと、何年か前に、ある雑誌で知ってびっくりした。

その店に初めて行った時、派手にコーヒーをこぼしてしまった。

飛んできた彼は、テーブルを拭(ふ)く前に、僕のズボンを気にかけてくれた。そして、すぐ、かわりのコーヒーを持ってきてくれた。

彼に誠実さを感じた僕は、以来、そのジャズ喫茶「ピーターキャット」に寄るようになった。彼は、カウンターの中で、ボロボロの辞書を傍(かたわ)らに、英語のペーパーバックなどを読んでいることが多かった。 

あまり、客にしゃべらない人だったけど、他にお客さんがいなかった時、僕に「何かレコードかけましょうか?」と訊(き)いてきた。

「じゃ、エロル・ガーナーのコンサートバイザシーをお願いします」に対し

「いいですね、僕も大好きです」… 

カウンター越しに僕から彼に声をかけたこともある。

「その辞書、相当年季(ねんき)が入ってますねえ」

「いろいろ書き込みをしてるんでこれ以外使えないんです」

当時、彼が関西出身で、僕と同じ年だとは、まったく知らなかった。

実は、奥さんの陽子さんをピーターキャットで見た時「どっかで見た人やなあ」と思った。 

それは、ピーターキャットを知る何年も前のことだった…

当時、僕がよく通っていた神田駿河台裏のジャズ喫茶「響(ひびき)」は中年夫婦の経営だったけど、ある日、初めてアルバイトの女の子が入ってきた。それが陽子さんだったんですね。

その店のアルバイトは、あとにも先にも彼女以外見たことがなかったんで覚えてたんです。彼女が村上春樹の奥さんだとわかったのは、響のオーナー、大木さんが、後年、彼のブログで披露しておられたからです。
 

さてさて、何年か前に、元劇団民芸の女優で、あの宇野重吉さんの薫陶(くんとう)を受けた前田光子さん、テレビの時代劇などにちょくちょく出演していた彼女が、松本清張や三島由紀夫などの文庫本を、お住いの宇治市から、僕にどっさり送ってくれたことがあった。

アラントンでの世界平和を祈る集いに参加したことがある彼女は、実は大のジャズ好きで、僕より十歳?近く年上にもかかわらず、同時代のジャズを語ることが出来たことは嬉しかったですね。そう、ジャズなども含め、趣味の話は、歳の差をなくすんだよね。 

光子さんが送ってくれた三島由紀夫の戯曲集を初めて読んだ僕は、彼の作品に対する思いを新たにすることになった。さらに、宮部みゆき編集の、松本清張の短編集は、すでに多くの彼の作品を読んでいた僕にとって、あらためて彼の凄さを再認識することとなった。光子さんありがとう。

週刊誌や月刊誌、文芸誌などに、同時に、五つも六つも、内容のまったく違う連載を抱(かか)えるなんて常人ではあり得ない。松本清張は超人です。ところが…

彼自身の述懐(じゅっかい)を思い出す…

「作家の才能とは、いかに長時間、机に座っていられるかだ」… 

短編集の最後に、宮部みゆきを含めた編集者たちの座談会が掲載されているが、僕が印象深かったのは、松本清張の担当だった編集者の言葉です。

「彼は努力の人でした…」 

学歴のなさなどにコンプレックスを抱いていた彼は、だからこそ、人一倍、いや、それ以上の努力を重ねてきたんでしょう。光子さんが送ってくれた彼の自伝「半生の記」を読んだけど、貧しく、そして、将来に希望を持てない、なんとも暗い青春だったようです。作家デヴューもかなり遅く、四十歳を過ぎていた… 

コーネル・ウールリッチの短編集を読んでいて、その描かれる世界(社会)の暗さが松本清張のそれとよく似ていると思ったことがあった。

だけど、ウールリッチ、つまり、ペンネーム、ウィリアム・アイリッシュの描く暗さは、純文学を目指していたのに、たまたまミステリーで成功して世に出てしまった自分に対する屈折したコンプレックスから出ている部分があるという。松本清張のコンプレックスとはかなり違う。

因(ちな)みに、僕が、どんでん返しの面白さを初めて知ったのは、アイリッシュの「幻(まぼろし)の女」だった。衝撃的だった。あのね、なんと目次を見てるだけで興奮してしもたのよ。この作品を読んだ江戸川乱歩は「すぐにでも日本語に翻訳して出版すべきだ」と語ったと言う。と言うことは、彼は英語が出来たんですね。 

ところで、アガサ・クリスティーの作品に共通する暗さは何だと思う?

スコットランドに長年住んでいる僕の意見だけど、それは、英国って云う国の天候の悪さと階級社会の存在だと思う。ちゃうかなあ? 冬場など、ほぼ連日、あの「嵐が丘」の空やしなあ…おっと、犯罪小説は、暗いのが当たり前だよね。明るかったらアンタ…いや、明るい犯罪小説を思い出した。宮部みゆきの「我らが隣人の犯罪」や。

なんかほのぼのと明るかったように記憶している。

ところで、かなり以前、大阪阿倍野(あべの)の老舗の居酒屋・明治屋で、すごくミステリーに詳しい方に出逢(であ)ったことがある… 

五時を過ぎるといつも満席のその古い酒場…

その日の朝刊の広告でみた待望のコーネル・ウールリッチの短編集を買ったばかりの僕は、わくわくしながらカウンターに座った。ビールを一口含み、おもむろに本を開いた僕だったけど、僕の右隣に、やはり手酌(てじゃく)で本を読む、かなり身なりのいい紳士がいた。

以下、続く。



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微妙な「ゆらぎ」を求めて

2023年04月28日 | オーディオ談義

「音楽する脳」を読んでいたら、次のような箇所が強く印象に残った。(176頁)



「基本的に人は常に新しいものに触れ続けると脳がその情報を処理するためのエネルギーをたくさん使ってしまうため疲れてしまいます。

一方、常に当たり前すぎるものに触れ続けても脳は飽きてしまい、知的好奇心や感動も生まれません。


このように、あまりにも予測からズレすぎず、当たり前すぎない、「微妙なズレ」に、人はなんともいえない感動を覚えると考えられています。

ある程度わかるけれど、ちょっとわかりづらい「予測や経験からの微妙なズレ」が、知的好奇心や興味をくすぐるのです。」

著者はこの「微妙なズレ」を「ゆらぎ」とも称している。

大好きなモーツァルトの音楽は他の作曲家に比べて微妙な ”ゆらぎ” に満ちていると思うが、実はオーディオに対してもその「ゆらぎ」を求めて毎日のように弄っているのではあるまいかに思い至った。

音は空気の振動だがその物理現象を「音楽」に変換するのは「脳」なので、毎日同じ音ばかり聞いていても飽きてしまう。

そう、脳はマンネリズムを蛇蝎(だかつ)のごとく嫌う(笑)。

で、「ちょっとした変化=ゆらぎ」を求めて何かしら「システム」のどこかを弄りたがるのが我が家では常態化している。

このブログの読者ならもうお分かりのとおりですよね(笑)。

これはけっして自慢できるような話ではなく移り気な自分の性格がなせる業だと、これまで恥ずかしく思ってきたのだが、脳の働きからするとごく正常な取り組みなのかもしれないと、どうやら開き直りらしきものが芽生えてきた。

これで「また始まったか!」と、他人の嘲笑を気にすることなくオーディオ記事が書ける~(笑)。

というわけで、前置きが長くなったが実践例を一つ。



このところ愛聴しているこのシステム。

3つのユニットを3台の真空管アンプで駆動しているが、中高音域の二つのユニット(JBLの175と075)はこのほど購入したプリアンプ「E80CC」(2本)を使い、低音域用のユニットはDACの「バランスアウト」からプリアンプを通さず、我が家で一番力持ちの「EL34プッシュプル」アンプに直結している。

何ら音質に不満は感じなかったが、そのうち次第に変化が欲しくなった。

主な要因として、当然のごとく低音域に「EL34・アンプ」しか使えないことに不満が溜まる。我が家には「WE300Bシングル」、「PX25シングル」の両雄が控えているので何としても出番が欲しいところ。

宝の持ち腐れがこの世の中で一番もったいない(笑)。

そこで、久しぶりに「陽の目」をみたのが「安井式プリアンプ」。

高音域の伸びはイマイチだが低音域の重量感は3台のプリアンプの中で一番という代物。

プリアンプを通すと少なくとも低音域が豊かになる傾向がある。理由はいろいろあろうがここでは詳述しない。

そこで低音域だけ「安井式プリ」に繋いで「PX25シングル」に繋いで鳴らしてみた。

つまり、1つのシステムに「プリアンプ2台」「パワーアンプ3台」を使うという、専門家が眉を思わず顰めるような大仰な鳴らし方(笑)。

音色の統一感なんて、知ったこっちゃない! と、自信を持って言いたくなるほど違和感が感じられない。




最下段にあるのが此度(こたび)の「安井式プリアンプ」で、結線の流れは「DAC(ガスタードA-22」 → 「安井式プリ」 → 「PX25シングル」 → 「ウェストミンスター(改)(400ヘルツ以下:-6db/oct)となる。

そして、肝心の音は・・。

自画自賛は「はしたない」ので、この辺で止めておこう(笑)。

で、つい先日別件で我が家を訪れたオーディオ仲間(大分市)に「どうです、いい音でしょうが・・」

ところが「あなたはすぐ気が変わるからね・・」と相手にしてくれなかった!

「微妙なゆらぎ」を理解できない「縁なき衆生(しゅじょう)」が世の中にはまだ沢山居そうだね~(笑)。



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「古典管の高騰」ほか~オークション情報~

2023年04月26日 | オークション情報

再生産が不可能とはいえ、(良質の)古典管の高騰は目に余るものがあるようだ。

たとえばつい先日のオークションに出品されていた古典管。



タイトルは「OSRAM(GEC)MHL4ナス管メッシュプレート新品元箱入り2本組」とある。

出品者は信頼のおける関西の有名な老舗で解説にはこうある。

「OSRAM(GEC)の傍熱3極増幅管MHL4 です。 MHL4は増幅率ミューが20で、増幅管としては使いやすい真空管ですが、最近は見かけなくなった球の1本です。

ヒーター電圧4V(1A)、プレート電圧200V、増幅率ミューは20、プレート損失は4Wとなっています。

出品していますのは、MHL4でも最初期の旧ナス管タイプのもので、プレートは細かいメッシュになっています。 1930年頃の製品。
左右で、メッシュプレートやマイカ板の有無など、多少違いが見られ、各画像右側の方が少し古い時期の製品となります。

どちらも新品元箱入りで(OSRAMオリジナルの説明書兼特性表もそのまま残っています)、この時代のMHL4の未使用品は現地でも入手が困難になっています。 かなりの希少品。

どちらも特性はTV7/Uで確認済みです。 測定値は、基準値(特性的に近い6J5の条件)50に対し92(左側)、104(右側)となっています。
入札価格は2本セットの価格です。」

以上のとおりだが、我が家でも使えないことはないが「AC/HL」(エジソン・マツダ)(増幅率ミュー=30前後)を常用しているので見送ることにした。

そこで、この球を長年にわたって探しているオーディオ仲間の「S」さんにご注進。「PP5/400」シングルアンプの前段管として「MHL4」を使用されている。

このアンプはトランス(パートリッジ)がメチャ重たくて一人で抱え上げるのは無理なので高齢者向きではない(笑)。



スピーカーはタンノイの「モニターシルヴァー」(口径38cm)をコーナーヨークに収められている。



左側のSPは「AXIOM80」。

まあ、典型的な「ブリティッシュサウンド」の愛好家である。

肝心のご返事の方だが「めったに見ない逸品ですから欲しいことは欲しいのですがお値段がどのくらいになるかですよねえ・・。」

落札日は23日(日)の夜だったが、次の日にメールが届いた。

「折角オークション情報を頂いたのですが、とんでもない価格になってしまったので、早々に諦めました」

で、その落札価格は「104,300円」でした!

せいぜい相場は「6万円ぐらいでしょう」と二人で話していたのだがまったく予想外の高値となった。

有名な「ウェスタン・ブランド」なら、某国(東南アジア)の投機筋の暗躍も考えられるが、こういう通好みの球となるとおそらく日本国内の「好事家」(こうずか)が躍起となったのではあるまいか。

今回の一件で、いまだに古典管愛好家がしっかりと地道に根を張っていることを改めて思い知らされましたよ・・(
笑)。

そして、もう一件・・。日曜日の夜に落札を迎えるオークションは非常に多い。



タイトルは「円形ウッドホーン 1インチドライバー用 花梨(かりん)無垢材」とある。

我が家の1インチドライバー「175」(JBL)用にピッタリである。



「見てくれ」は花梨材の方が絶対にいいんだけどねえ・・。

実は過去に一度「175」にウッドホーンを付けて験したことがあるのだが、なんだか音にスピード感が無くなった記憶がある。

その点、一定の長さのスロートを経て出口を「ハチの巣」状に狭めると幅の狭くなった川が急流になるように、緊張感を伴ったスピードがより一層増す感覚を覚える。

幾多の実験を繰り返したはずのJBLの工夫の賜物だろう。

で、大いに迷ったが「花より団子」で、結局見送ることにした。

ところが、落札価格は「24,500円」で、安ッ!

このくらいなら購入してもよかったかもね~(笑)。


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音楽とは? 音とは?

2023年04月24日 | 音楽談義

「武満徹 音楽創造への旅」



音楽ってなんだろう? 音っていったいなんだろう?

こういう根源的な問いに対して、たった1冊の本にすっきりとした解答を求めるのは虫が良すぎると思うが、いろいろ考えさせてくれる内容であることは間違いない。

膨大な内容を一括りにするのは筆者の手に余るので、(武満氏の)音に対する考え方が一番如実に表れている箇所「海童道祖と“すき焼き”の音」(467頁)の箇所を引用しよう。

海童道祖(わたづみどうそ:1911~1992)は単なる尺八演奏家に留まらず宗教家にして哲学者だが、武満氏と小さな座敷で同席して名曲「虚空」を聴かせるシーンの叙述である。

「目の前にはスキヤキの鍋があってグツグツ煮えており、外はダンプカーなどがバンバンと走ってうるさいことこの上ない。

そういう環境のもとで、尺八の演奏を聴くうちに、僕はいい気持になってきて、音楽を聴いているのか、スキヤキの音を聴いているのかダンプカーの音を聴いているのか分からないような状態になってきた。

それらの雑音が一種の響きとして伝わってくると同時に尺八の音色が前よりもくっきりと自分の耳に入って来る。

演奏が終わって海童氏が“武満君、いま君はきっとスキヤキの鍋の音を聴いただろう”と言われたので“たしかにそうでした”と答えると、“君が聴いたそのスキヤキの音がわたしの音楽です”と言われる。


ぼくは仏教とか禅とかは苦手で禅問答的な言い方はあまり好きじゃないのですが、そのときは実感として納得しました。」

つまり、音楽の音の世界と自然音(ノイズ)の音の世界が一体となっている、そこに武満氏は音楽の特質を見出す。

海童同祖は次のように言う。

「法竹(修行用の尺八)とする竹にどんな節があろうが、なにがあろうがいっこうに差支えない。物干しざおでも構わない。

ほんとうの味わいというのは、こういうごく当たり前のものに味があるのです。

ちょうど、竹藪があって、そこの竹が腐って孔が開き、風が吹き抜けるというのに相等しい音、それは鳴ろうとも鳴らそうとも思わないで、鳴る音であって、それが自然の音です。」


さらに続く。

「宇宙空間には人間の考えた音階だけでなく、けだもの、鳥類、山川草木たちの音階があります。宇宙はありとあらゆるものを包含した一大響音体なのです。

どんなノイズも、クルマの音も、私たちが喋っている声も我々には同じ価値を持っている。それぞれに美しさがあります。いわゆる調律された音だけではない音たち、それから音のもっと内部の音、そういうものに関心があります。つまり音楽の最初に帰ろうとしているわけです。」


以上のことを頭の片隅におきながらときどきこのCDを聴く。

         

こういう音楽をいきなり聴くと、これまでの西洋の音楽、つまり「旋律・リズム・ハーモニー」にすっかり麻痺してしまった耳にとって違和感を覚えるのは当たり前だが、これから音楽への変換フィルターである「脳」をいかに柔軟にしていくか楽しみなことではある。

そして、こういう話から敷衍(ふえん)して言えば、オーディオシステムからどういう音が出ようと意味がないように思えてくるから不思議・・(笑)。

最後に本書の中で作曲家「武満 徹」氏が絶賛されていたのが「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K364」(モーツァルト)の「オーケストレーション」だった。

興味のある方は「ユーチューブ」で、ぜひ~。

モーツァルトにどっぷり浸かって早50年以上になるが、たしかにこれは完全無欠の構成を誇る名曲中の名曲ですよ。



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うっかりミス!

2023年04月22日 | 独り言

どんなに用心していても、気忙しい性格のせいかつい「うっかりミス」を起こしてしまう。

たとえば・・、

☆ SPコードの接続ミス

6系統のSPシステムのうち、お気に入りの「ベスト3」に入るのがこのシステム。


3つのユニットを3台の真空管アンプで駆動しているが、「うっかりミス」は「中音域」(900~8000ヘルツ)を受け持つ「175ドライバー」で起こった。

「6AR6シングル」(三極管接続)、「6FQ7プッシュプル」の2台で相性テストを繰り返したところ「6FQ・・」の方が高音域が伸びていない分、(「075ツィーター」とのダブりが少なくなる!)良さそうなので決定。

このまま2日間ほど聴いて何ら違和感を感じなかったものの、テスト盤として日ごろから大いに重宝しているエンヤ(英国)の「カリビアン・ブルー」を聴いたところ、常に右端から聞こえてくる楽器が中央寄りに聞こえてきた。



アレっ、おかしいぞ! 急いで結線を確認したら何と「6FQ7・・」のSPコードが左右逆になっていた。

つまり「900~8000ヘルツ」の音域が左右のチャンネルで逆になっていたわけで、まったくの単純ミス。

しかし、2日間も気づかなかったなんて、自分の耳もお粗末だなあ(笑)。

次は、

☆ クルマの内輪差

運転免許を取ったばかりの初心者の頃に「うっかりミス」を起こしやすいのが「内輪差」の問題。

ネットにはこうある。

「内輪差とは車を右折、左折させる際にできる内側の前輪と内側の後輪の進む軌道のズレのことをいいます。 車のハンドルは前輪の動きを操作し後輪は前輪の動きに沿って動きますが、カーブする際は必ず前輪と後輪の軌道にズレが生じるのです。」



この図は右折のケースだが、クルマの大きさによっても違うが通常「1m」前後の内輪差が生じるので曲がるときは常に「後輪」の位置に気を付けなければいけないのに~。

つい先日のこと、スーパーで独りで買い物を済ませて出口から道路に左折したところで、左後輪にガツっという衝撃が走った。

クルマ目線からすると出口にある低い石垣に気づかなかった!

車の行き来も多い道路だったので停車するわけにもいかず、自宅に戻って点検したところ、ボディには異常が無かったが、アルミホイールにかなりの「擦り傷」が入っていた。

「あ~あ」と思わず嘆息した。油断したなあ・・。

いくら長い運転歴を誇っていても、「内輪差」にはついウッカリしがちです。皆様もくれぐれも油断召されることがありませんように~。

さて、「うっかりミス」ばかりで終わるのもちょっとシャクだし後味が悪いので、便利グッズの紹介をして終ることにしよう~(笑)。

周知のとおりウォーキングは健康対策の基本中の基本だが、だんだん暑くなってくると、歩行中での給水が欠かせない。

何か携帯用の便利グッズがないものかとググってみたら、ありました!



ズボンの「ベルトワープ」に掛けるのもよし、手指でも持ちやすそうな優れグッズとある。

注文してすぐに届いたので、昨日(21日)初めて使ったが手指で持つ方が歩きやすかった。

そして、年金生活者の懐具合に優しいのもありがたいことですぞ(笑)。

    

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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・4.21)

2023年04月21日 | ウマさん便り

「ずっこけ書道教室イタリア編アゲイン、そして…」

ミラノの北、そして、コモ湖のやや南、木工家具とレース編みで知られるカントゥー市の中学校で、去る5月下旬、我々アラントンと地元イタリアの同志によるピースセレモニーを催した。

市長、副市長、教育委員長など列席のもと、おおぜいの御父兄さんの参列も得、実に盛大な催しとなり、大成功裏にセレモニーを終えることが出来た。 

ついでに、僕ウマは、二日間にわたり中学生120名に書道を指導した。

イタリアのヤングに書道を教えるのは、これで通算6回目、イタリアでの指導は三回目になる。

エッ? ウマさんって、きっと書道がお上手なんでしょうね?ですと?

あのなアンタ、ウマはな、書道はね、まったくの素人でっせ。決してお上手じゃないの! 書道というよりお習字やね。

今回ね、全校生徒の前での市長さんの御挨拶には、いや、もう、めっちゃ、ずっこけてしもた。

「皆さん、ウマさんに指導していただけるのは、たいへんラッキーなことです。ウマさんは日本一の書道の先生です!」英語の先生が同時通訳してくれた瞬間、ドテッ! いつの間に日本一になってしもたんや? 

この市長さんとは、何度か食事を御一緒したけど、真面目な顔して冗談をおっしゃるすごく愉快な方なんです。生徒たちには、あとで教室で正直に云うといた…

「ウマは決して日本一ではありません。市長さんのコメントはめちゃ大袈裟(おおげさ)です」

ところがね、生徒の一人から、とんでもない想定外の質問を受けた。

「じゃ、ウマセンセ、日本一じゃなければ、日本で何番目ですか?」

美少女と云っていいこの子、まあ、とんでもないイノセントな質問をしてくれちゃった…

さあ、困った、いったいなんて答えればええのよこんな時…、でもな、一応答えておいた…

「あのー、ウマはね、決して日本一じゃありません。日本では、そうですねえ…、七番目ぐらいかなあ?」よく云うよな、このオッサン…

六回目ともなれば、指導の手順など、ま、かなり手慣(てな)れてきましたね。

…皆さん、日本語にはひらがな、カタカナ、それに中国から来た漢字の三種類の文字があり、そのうち、漢字は意味を含むんですよ…

黒板に、<人><木><林><森><川>などを書き、それぞれの意味を説明します。…<人>二本の線がお互いに支えあってますね。それぞれ支えあうのが人間だって意味なんですよ(ここで必ず歓声があがる)。

単に、東洋のエスニックな文字だと思ってただけの漢字に、皆さん、途端(とたん)に興味を示すんです。 

各クラス20名前後です。まず、全員に僕のまわりを囲んでもらい、ひと通りのデモンストレーションをします。筆の握り方、墨を付けた筆の先のととのえかた、筆の傾け方、止め方、跳(は)ね方などを、実際に皆さんの目の前で示します。残念ながら筆順など教えている時間はありません。「筆順は上から下へ、左から右へが基本です」と、超おおざっぱな説明にとどめます。 

以前は新聞紙に練習をさせた。しかし、最近は練習をさせず、いきなりA4の紙に清書させます。練習なしで最初の一枚から作品を仕上げる…これが、彼らの興味を引き付ける効果があることが、かなり以前にわかったんです。

練習させず、いきなり清書…、これには、日本の名書家、山下紅波先生など、目をむいてずっこけはるんじゃないかな? ま、書道教室じゃなくって、エスニック体験ワークショップだと、僕は思ってるんですよね。

ラグビー仲間の山下の夫人、山下紅波先生に書いていただいた30枚ほどの手本(英語でその意味を書いてある)を各自に選ばせ、とにかく真似(まね)して書きなさいと云う。でも、自分のセンスでちょっとぐらいアレンジしてもいいよとも云う(この効果は大きい)。

さらに、日本の書家の作品は、その独自のアレンジがあるからこそ芸術作品となるんですよってなことも云っておく。つまり字が芸術になるんですよ! を強調しておく。イタリアは芸術の国やからな。

 練習なしでも書き損じる子がほとんどいないことには驚きますねえ。

一生懸命といっていい。皆さん、生まれて初めての書道に、もう、真剣に取り組んでくれる。嬉しいんだよねえ、彼らのそんな姿を見るのが…

各自の机を丹念にまわり、そして、かならず誉(ほ)める。上手だとか下手だとか、そんなことは関係ないの。だってね、エスニック体験なんやもんなあ。誉(ほ)めたら、どの子も必ずニコッとする。 

生まれて初めての書道、そのすべての作品が、日本人の誰が見ても、文字としてはっきり読めるのです。さらに、同じ手本を書いても、彼らの作品に、それぞれの個性が少なからず表れているんですよねえ。

あのね…ここだけの話やけどさあ、各自の机をまわっていてな、特に美少女の作品には、ちょっとぐらい歪(ゆが)んでようが「サイコー!すばらしい!天才や!」を連発する。

そしたら、ますます張り切っちゃってさあ、次から次とお手本をこなしてらっしゃるの。そして「ウマセンセ、これ、どうでしょうか?」と、自分の作品をわざわざ見せに来るんや。いや、たいへん積極的で結構ですよねえ(デレデレ…)。

市長さんが「来年もよろしく」だって! だって!! だって!!!

<ウマの、ずっこけ書道教室イタリア出張編>、どうやら、恒例の行事になりそうですね。ウマさん、もう、大喜びでございますよ。


だってさあ、イタリアは、もう、なんでも美味(おい)しいうえに、ワインやプロセッコも安くて美味しいのがふんだんにあるんや。それに…、それにね…

あのー…、美少女や美女がそこらじゅうに溢(あふ)れてるしなあ…、あっ、い、いかんいかん、こんなこと、思ってても口にだしたらあかん!

で、でも…、溢(あふ)れてるの…ウフッ…

 ピースセレモニーも、ウマのずっこけ書道教室も、まあ、めでたく成就(じょうじゅ)したし、さあ、あとのホリデー、どないしようかな? と思った途端(とたん)、ベアトリーチェのことが頭をよぎった。(ウマ便り「ベアトリーチェとコモ湖の隣人」参照) 

彼女には、僕がイタリアに行くことはすでに伝えていたので、電話をしたらめちゃ喜んでくれた。で、久しぶりに彼女と会った。

美少女だった彼女がアラントンに初めて来た時のことを思うと、英語が飛躍的に上手になっていたので驚いた。

美少女時代から彼女を知ってる僕は、その後、ゴージャスな美女に成長した彼女とも会っている。ところが今回、あのね…、かなりセクシーになっておられるのに驚いたのでござるんるん、あっ、ウマさん、興奮しとるんるん… 

この娘(こ)なあ、絶世の美女やのに、めちゃほのぼのとした性格なのよ。ほのぼのとした上に、ツンとすましたところがまったくない絶世の美女! ちょっとイメージが思い浮かばんでしょ? ま、言葉を変えると、ちょっとけったいな娘(こ)やとも云える。 

ベアトリーチェは、僕を「007カジノロワイヤル」が撮影されたロケ現場へ連れていってくれた。

それは、南北に長いコモ湖の、ちょうど真ん中当たりの西側の湖畔、湖に向かって突き出た半島にある。かつてのイタリアの超超超リッチな資産家の、まあ、想像を絶する広大なおうちなんだけど、今は、世界遺産を管理する団体が維持している。美術品のコレクションがこれまた凄いんです。

世界中からの多くの訪問者の為に、邸内ツアーが一日何度も行われている。ツアーガイドも、主要言語をしゃべる人材を何人も備えている。

半島のほぼすべてを占める、その、広大な邸宅の湖畔脇の、その芝生の庭を見た途端、僕は「007カジノロワイヤル」のシーンを想い出した。

そうか!ここやったんか!

負傷したジェームス・ボンドが車椅子に乗り静養していた、まさにその同じ場所に立ったミーハーのウマ、めちゃ感激したのでございますえ。



その日、女房のキャロラインは、他の人々とのコンファレンスなどで忙しかったので、僕だけベアトリーチェ家の招待を受けた。
 

ああ、懐かしい!

両親のジョバンニ、クラウディアが両手を広げて迎えてくれた。

北イタリア有数のお金持ちなのに、ウマみたいなしょぼい日本人のおっさんを歓迎してくれるんや。嬉しいよなあ。 

でもね、ジョバンニが僕を歓迎してくれる理由は、実は、わからんことはない。めっちゃワイン好きの彼、めっちゃワイン好きのウマを迎えたら、そら、嬉しいんとちゃうやろか? 彼、僕の顔をみて、もう、ニコニコしてはるのよ。

案の定、すぐにおっしゃった。

「ウマ! デッキでワイン呑むか?」自分が呑みたいくせにな。

北イタリア経済界の重鎮(じゅうちん)なのに可愛いもんや。

グラスを持って、湖に張り出たデッキのテーブルについた。すると、ジョバンニが「そこと違う」と云う。なんと、係留(けいりゅう)してある大型のモータークルーザーのデッキで呑もうとおっしゃる。 

で、ベアトリーチェとクルーザーに乗り込んだ。ところが彼、エンジンをかけたんや。アレッ?と思てるうちに離岸して走り出した。そして、湖のほぼ真ん中あたりで停止し、彼が「ここで呑もう」やて!。

 クルーザー上階のデッキには、燦々(さんさん)と太陽の光が降り注ぐ。ベアトリーチェが、クラウディアが用意してくれた豪華なつまみをテーブルに並べ、ジョバンニがワインの栓(せん)をぬく。楽しいね、こういうひとときって…

空は、もう真っ青や! 

いろいろな話題に華が咲く… 

ジョージの話になった。そう、初めてお邪魔したときにご一緒した、俳優のジョージ・クルーニーさんのこと。

「彼、買い物には歩いて行くの。彼は、街に行く途中、通りで会う人に、自分から気軽に声をかけるのよ」

街の人たちは、ジョージが忙しい俳優で、年に何度か別荘に来てリラックスすることを知っているという。だから、彼にサインを求める人もいないし、彼がバーでイッパイ呑(や)ってても「やあ、ジョージ、元気かい?」と、声はかけるけど、あとはそっとしてるとも云う。

ええ話だよねえ。有名俳優がリゾートの街に溶け込んでいるんや。

 ワインでほんのり頬(ほほ)を染(そ)めたベアトリーチェが、もじもじしながら告白した。

「ウマ、わたし、恋したみたい…」脇でジョバンニがニヤニヤしている。

ウマさん、余計なひとことが多いおっさんや。云うてしもた…

「そんな病気はすぐ治るから心配要らん」ジョバンニが大笑いしたので、彼女、ふくれてしまいよった。

イタリアやフランスでは、自転車レースの一流選手は国民的大スターです。彼女の恋の相手は無名の選手だという。

「でも彼、一生懸命頑張ってるのよ」と夢見るような顔つきをする。ま、年頃やし、恋の一つや二つ、結構なことや。セクシーになった理由がよくわかった。 

彼女の胸元でなにかが鳴った。

ネックレスに付いている小さなカメオの裏を彼女が押したら、虫が鳴くような、その小さな音が鳴りやんだ。

ウマが怪訝(けげん)な顔をしていると「一週間に一度、バッテリーチェックをしないと警察にしかられるの」えっ?どういうことや?

ジョバンニが代わりに答えた。それは超小型のマイクロ発信器で、ジョバンニやクラウディアの指輪にも仕込まれているという。

 彼女のファミリーが、北イタリア有数の資産家であることは、広く知られている。だから、誘拐(ゆうかい)に備えて警察から渡されたという。半径100キロ以内なら警察のモニターで所在がわかり追跡可能だという。

そうか…お金持ちはそんな心配をせんとあかんのやなあ。 

くれあ、ローザ、ジェイミーなど、うちの子供らは、そんな心配、じぇんじぇん要らん。まったく要らん。よかったよかった。 

ええか! 君らのおとーちゃんはな、貯金ゼロ!資産ゼロや! 感謝せんとあかんでぇー。 

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後日談

2023年04月19日 | 独り言

まるで「泡沫(うたかた)の夢」のように流れ去っていくブログだが、それでもやはりその後の経過が気になる記事もある。

二件あげてみよう。

☆ 「伸るか反るかの大博打を打ってみませんか」(4月15日)

つい先日の記事なので記憶に新しいところだが、一言でいえば「大型スピーカー(ウェストミンスター)がオークションに出品されているので、乾坤一擲の大勝負(購入)をしてみませんか?」

もちろん、「要らん世話」だが・・(笑)。

で、くどいようだがオーディオ機器の中で一番重要かつ音の変化が大きいのは「SPユニット+エンクロージャー」だと思う。

とりわけ200ヘルツ以下をどう再生するかでサウンドのおよその大勢は決まるが、この辺の周波数は明らかにエンクロージャーが死活を握っている。



昨日(18日)のこと、モーツァルトの「ピアノソナタ」(グールド)をウェストミンスター(改)と他のSPとで聴き比べたら「グランドピアノ」と「アップライト」型ほどの差があった。

放っておけないほどの違いに愕然としたのは言うまでもない。

で、はたして肝心の落札価格はいくらだったのか。



ジャジャ~ン、結果は「683,000円」でした!

安っ!

「費用 対 効果」からしたら、たいへんなお買い得だと思いますけどね~。

少なくとも「DAC」や「アンプ」など、それ以上の価格の代物が巷(ちまた)に溢れてるが、その効果となると限定的でエンクロージャーほどの役割には遠く及ばないだろう。

まあ、置き場所の問題や改造の手間を考えると躊躇(ちゅうちょ)されるのも分かるような気がするが、それにしてもどういう方が落札されたんだろう・・。

まさか某国(東南アジア)の成金じゃないだろうなあ(笑)。

☆ 「天は簡単に二物を与え過ぎる!」(4月9日)

美しい容姿に恵まれた女性演奏家に対して、感嘆を込めて揶揄(やゆ)したわけだが、さっそく「ウマさん」(南スコットランド)からメールを頂戴した。

「ピアニストのカティアさんの演奏をユーチューブで見(観)ていて、目のやり場に困りますねえ。
素晴らしい演奏なんだけど、つい上の空になっちゃう。胸元に目がいっちゃって…
 
女房のキャロラインに「胸の谷間って英語でなんて言うんや?」って聞いたことがあったけど、いつもちゃんと教えてくれるのに「そんなこと自分で調べなさい!」ピシッ!…でした…
 
もっと目のやり場に困るピアニストいますよ…
Lola Astanova…まあ、この人ねえ、ほんまにほんまに困りまっせ。いやはやでございます。



だって、膝上30センチ、いや、32センチの超ミニ、しかも胸元も…思わず…「ゴクッ」なんです。
ユーチューブで観てください。スタイル抜群、超セクシー…も、もう、大興奮でっせぇ。
いかん、書いてるだけで興奮してきた…
 
ヴァイオリニストですと…
Nicola Benedetti の美貌は、我がスコットランドの誇りですね。
サインをいただいた時、思わず目がいってしまった…胸元に…


 
あと、Vilde Frang  は、まるで女優みたいやし、Janine Jansenなど、スーパーモデルですね。





三名とも演奏は超一流です。
 
天がどんどん二物を与えてくれたら、…ああ、しあわせでっせぇー!
 
( … )の下の長〜いスコットランドのおっさんより」


こうしてみると美人の演奏家って沢山いますねえ~。「耳の保養」に加えて「目の保養」ができるなんて最高ですぞ・・。

仰せのとおり、天は二物をどんどん与えてくれえ(笑)。

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ありがたい「励まし」のメール

2023年04月17日 | 独り言

ときどきブログネタに困ることもあるが、社会との微かな繋がりを求めて、さらには「ボケ防止」の一環からも「ブログ」は日常生活の上で欠かせない作業となっている。

とはいえ、昨年(2022年)の11月に出現した「チャットGPT」が大きな波紋を広げている。

キーワードや簡単な文章を打ち込むだけで正解(論文)らしきものが回答されるのだから、もうブログなんて無用の産物となる可能性が大いにありますね。

そこでの話だが昨日のテレビ番組(NHK:日曜討論)で言ってたけど、これから「言葉を紡ぐ作業」においてはすべからく個人的あるいは特異な体験を前面に打ち出すことが求められているそうですよ。

このブログも「ありきたり」から脱却して独自性を発揮しないとですね・・、ますます頑張らなくちゃ~(笑)。

そういう状況の中で、パソコンに向かっての孤立無援ともいえる作業に対し読者から励ましのメールを頂くのは非常に心強いし、この上なくありがたい!

今回はその一部をご紹介させていただこう。

とはいえ、他人からの励まし言葉の中には「誉め言葉」もあるし、ましてやそれを他人に紹介するとなると「無神経」の誹(そし)りを免れないが、公序良俗に反しない限り何を書いても許されるのがブログだから今回は「厚顔無恥」でいかせてもらおう。

あっ、そうそう「厚顔無恥」で思い出したが、誰しも人生において大なり、中なり、小なりの失敗はつきものだが「命にかかわること以外はすべて ”かすり傷” だと思うことにしている」と言ってる方がいましたよ。

「旅の恥はかき捨て」という言葉があるが、「人生の恥はかき捨て」でもいいのかな(笑)。

それでは、まず横浜在住の「K」さんから。

「しばらくご無沙汰失礼してます。

ウマ様の「ワインとシャンソン」は先週読ませていただきました。やはり楽しく読ませるコツが分かった方の文章ですね。このように素敵な読み物は余裕がない時は「勿体ない」。

今朝仕事一段落したので(明日からまた始まりますが)4月分をいま読み終えました。

毎回思うのは「全て駄作なし」。

駄作などと書くのは失礼ですが、すべて読みごたえある(有意義な)ブログです、今更ながらですが。」

次に、東海地方の「I」さんからはブログ「ジャズとテニスの雑記帳」のなかで励ましていただいた。

「今日ご紹介する本は、愛読ブログ「音楽&オーディオの小部屋」の主さんがミステリーガイドのひとつとしてお使いのものです。

勿論、すぐに真似をして図書館で借りました。

一冊は、阿津川辰海さんの「読書日記」、もう一冊は、米澤穂積さんの「米澤屋書店」

プロの作家さんの、膨大な読書量がわかります。

つくづく思います。

作家にとって、読書とはトレーニングなんだろうなあ、と。

そして、読書を起点にして、調査研究を深めるのでしょう。

 

阿津川辰海さん、お若いですね。まだ、今年29歳。

作家さんの作品のひとつに「透明人間は密室に潜む」がありました。

この作品、何年か前に読みました。面白かったです。

この作家さんが伊坂幸太郎さんのファンだと知りました。

私は彼の全作品を読んでいます。(プチ自慢)

同士感情が芽生えました(笑)。」

そして、最後に「時の人」ウマ様(南スコットランド在住)がご登場。

一昨日(土)届いたばかりの、ほやほやのメールです。

「ご推薦の本は日本から取り寄せています。毎回、結構早く届きます。音楽、本、映画は、日々の暮らしの中で、最大の楽しみですね。
一番強調したいのは「No Music No Life」 ですけれど…」



エ~ッ、わざわざ日本から取り寄せられてるんですか・・。

ブログ主の「読書センス」を信用していただいて、まことに光栄の至りです!

とはいえ、自分のように図書館から借りてくるのではなく大切な身銭を切られて・・。

万一「読んで面白くなかった」ら、申し訳ない!

なんだか、うれしさよりも責任感と不安のほうが大きくなりましたよ(笑)。

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「伸るか反るか」の大博打を打ってみませんか

2023年04月15日 | オーディオ談義

「両雄並び立たず」という故事がありますね。

念のため・・「二人の英雄が共存することはできない。同じくらいの力を持つ英雄が二人いると、必ず勢力争いが起こり、どちらか一方が倒れることになる。」

古代中国でいえば「項羽と劉邦」が有名ですかね。前者は「勇」の象徴、後者は「智」の象徴という対決だったが最後は「智」が勝った。

とはいっても、この「劉邦」さんは優柔不断のところがあって難局に直面したら口癖のように「如何せん?」と部下に相談するほどの頼りなさだったが、人柄がいいため部下から慕われたらしい。いわば豊臣秀吉のような「人たらし」~。

それはさておき、ちょっと無理筋だがこの故事を我が家のオーディオに当てはめてみると、意外にも「両雄並び立つ」んですよねえ(笑)。

現在6系統のシステムを3~4日おきに入れ替えて楽しんでいるが、それぞれに ”抜きんでたところ” があって捨て難いものばかり。

とはいえ、雄大なスケール感を求めるとなると自ずから二つのシステムに収斂(しゅうれん)する。

 「AXIOM80」(フルレンジ)+「ウェストミンスター(改)」(100ヘルツ以下)



「AXIOM80」(オリジナル版)をフルレンジで鳴らし、後方に位置するウェストミンスター(改)で低音(100ヘルツ以下)を補うもの。

仲間の評価も「べた褒め」で「これ以外のシステムは不要じゃないですか」。

ところが・・。

もう一つのシステムにもどうしても未練が残る。



 3ウェイマルチシステム。

一言でいえば周波数レンジが広くて「スッキリした爽やかなサウンド」が特徴でこれもお気に入り。

3台の個性的な真空管アンプを使って、クロスは「700ヘルツ」と「8000ヘルツ」に設定しており、シンバルの響きが抜群なのでジャズ系はもちろんだが、ポピュラーや歌謡曲の再生にも適している。

この二つのシステムはいずれも「甲乙つけがたし」、というわけで「両雄並び立つ」存在というわけだが、いずれも低音域は「ウェストミンスター」(改)を使っており、これが我が家のサウンドの「決めて」となっている。

このスピーカーを購入したのは、もうはるか30年以上も前になるが「血(お金)と汗(手間)と涙」の結晶といっていい。

まずは、血を流した・・、当時は安月給の身分だったが、不相応にもどうしても欲しくてたまらず、とうとう思い余って関西の輸入業者を通じて「直輸入品」として比較的割安で手に入れたがそれでも、その後の支払いがたいへんだった。

次に多大の手間をかけた・・、10年間ほどオリジナルのまま使ったが、そのうち段々と疑問が芽生えてきて「ブランド信仰」からアッサリ脱皮して大改造のやむなきに至った。

口径38cmのユニットの追放、内部の大幅改造などがそれで、ひとかたならぬ勇気と手間を要したが「下取り価格」は激減したとはいえ、今となっては大正解だった。いやけっして負け惜しみじゃなくて~(笑)。

そして、涙とは・・、当時のこと、ウェストミンスターの購入を言いそびれて、とうとう到着する前夜に家人に打ち明けたものだから、敵は柳眉を逆立てて怒り出しとうとう1週間ほど口をきいてもらえなかったのも今となっては懐かしい思い出となった。

家族かオーディオか・・、当時はオーディオだったわけですね。冷たい人間です、人知れず複雑な涙を流しましたよ(笑)。

以後、我が家のオーディオの羅針盤として大きな図体も含めてどっかりと居座っているが、このエンクロージャーじゃないと出てこない音があることもたしかである。

オーケストラの本格的なファンダメンタルな響き「弦のユニゾン」は、どういう高価な「DAC」や「アンプ」を使ってもこのクラスの箱を使わないと無理じゃないですかね~。

とはいえ、コンサートホールの生演奏に比べれば「五十歩百歩」でしょうが、仮想空間の中で実像を彷彿とさせる努力を怠らないのがオーデォマニアという人種で、まあクラシックの再生ではやっぱり最後はエンクロージャーに尽きると思いますよ~。

今でも「ウェストミンスター」はちょくちょくオークションに出品されており、おそらく持ち主が他界されたか、高齢のため整理されたかのどちらかだろう。

そして、現在も1セット出品されている!

ここは「オーディオ人生」の岐かれ道、 ”ちまちま” したことは止めて「伸るか反るかの大博打を打ってみませんか」

「そうは言われても置き場所がねえ・・」という「言い草」が目に浮かぶようですけどね(笑)。



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「巻を措く能わず」二冊~読書コーナー~

2023年04月12日 | 読書コーナー

読書の楽しさといえば、読み進んでいるうちにストーリーにグイグイ引き込まれて夢中になってしまうことに尽きる。

昔の人は上手いことを言っていて「巻を措(お)く能(あた)わず」、巻とは本のことで「読みだしたら本を閉じることができない、つまり最後まで一気に読んでしまうほど面白い」。

そして、もう一つの楽しみはお気に入りの作家を何ら予備知識なしに発掘することにある。

たまたま図書館の新刊コーナーで見つけて借りてきた本書はこの二つを兼ね備えていた。



短編集で「9話」収められており、それぞれがまさに「奇談」というか、SF、ホラー、ファンタジーが青春を横断している感じがする。

何よりも冒頭の一編について、具体的な生々しい描写は全くないのにも関わらずひどく扇情的に読んでしまった。

とある「古書店」に明治時代の日記が持ちこまれた。

その日記には子供が出来ないために姑や夫から虐められる若妻の嘆きが記されていた。子供が出来ない理由は、夫の方に原因があったのに・・。

その若妻が神社でお参りしてさめざめと嘆いていたところ、若かりし頃のその古書店主がたまたま通りかかって・・・。

そして、姑と夫が大喜びする中で10か月後にめでたく子供が生まれたと日記に綴られていた。当日にどういう展開になったかおよそ想像できますね(笑)。

時代背景が「明治」というのが利いていて、当時はDNA検査なんてありませんからね~。

「横田順や」さんかあ・・、こりゃあ楽しみな作家を見つけたぞ! 

以後、新刊が出たら欠かさず読ませてもらおうと、張り切っていたら、末尾の「編者解説」(日下三蔵)にこうあった。

「19年1月、心不全のため自宅で亡くなっているのが発見され、愛読者は悲しみに包まれた。だが没後も雑誌の追悼特集や追悼展が開かれ、こうして作品は刊行され続けている。作家は肉体が滅んでも作品が読まれ続ける限り、世の中から消えることはない。」

横田さんはSF作家として有名だったそうで、まことに惜しいことをした。

合掌

もう一冊、「平成古書奇談」以上と言っていいほど「巻を措くこと能わず」の本がこれ。



著者は過去にこのブログでも取り上げた「骨を弔う」で大注目の「宇佐美まこと」さん。

男性作家といってもいいほど次から次に骨太の人物が登場するが、れっきとした女流作家(愛媛県在住)である。

とにかく、登場人物の描写がうまくて、まるで実在の人物のように生き生きと活動するのが持ち味で、それにミステリー要素も加わって最後は読者があっと驚く仕掛けが講じられている。

そして、精神薄弱者や ”のろま” など日頃から虐げられた人間に対する眼差しがとても暖かいのが特長で、本書も例外ではない。

読者レヴューにこういうのがあった。

「どんな小さな事でも犯罪を肯定したくない。しかし、なぜだか宇佐美氏にかかると読後感の良きこと。地元の仲間、仕事の仲間。おじさん達の信頼関係は羨ましいほどに気持ちがいい。皆、人の心がわかる素敵な人達ばかり。『幸せですか?』それはその人の学歴でも仕事で成功する事でもない。もっと内なるもの。この本を読んで優しくなれる人は沢山いることだろう。」

以上の二冊は機会があればぜひお読みください。時間の無駄にはならないことを保証します。とはいっても責任はとれませんけどね(笑)。



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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・4・11)

2023年04月11日 | ウマさん便り

「向田邦子とジネット・ヌヴー 」 

テレビドラマなどで、教訓めいたセリフを書く脚本家はあまり好きじゃない。なんか上から目線を感じるんやね。もっとも、僕がひねくれているせいかもしれないけど…。だから、教訓めいたセリフの少ない向田邦子の脚本には共感を覚えていたし、ハッピーエンドでさえ、ふと考えさせる何かがあったようにも思う。

先月だったか、YouTubeで、向田邦子のドキュメンタリー「没後20年、向田邦子が秘めたもの」を観た。驚くべき内容だった。

数々のドラマを書いてきた彼女だけど、彼女自身が誰にも明かさなかった秘めた恋こそがドラマではないか?と思ったね。いつもそばにいた彼女の妹さえ知らなかった秘めた恋…

向田邦子の恋文5通が、亡くなった相手の遺族によって発見され、彼女に返却された。その手紙を向田邦子はタンスに秘蔵していた。後年、亡き姉の部屋を片付けていて、その手紙を見つけた妹は、とても驚いたという。

妹の判断で、20年後に公開されたその恋文を読むと、向田邦子が、病に伏せる彼に、献身の心遣いを見せていたのがよくわかる。が、妻ある人への恋は、彼女の作品にどのような影響を与えたのか?

あれだけ多くのドラマを書いてきた向田邦子だけど、自身に秘めたストーリーだけは書けなかったんでしょうね。

向田邦子は、書くドラマがことごとく高視聴率を記録し、さらには、様々な人間模様を描いた「思い出トランプ」が直木賞に輝いた。そんな絶頂期の彼女が、台湾での航空機事後で還らぬ人となって久しい。

絶頂期の突然の死…で思い出すフランス人がいる。

ネット・ヌヴー …

今から80年以上前に彼女が弾いたヴァイオリンは、今に至るも、ぼくにとって日常の癒しとなっている。

小学校一年の頃だったと思う。家にあったソノシート(これ懐かしい人は歳がわかるよ)で、ヴァイオリンの巨匠、ロシアのダヴィッド・オイストラフを知った。

どういうわけか、そのチャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルトに痛く惹かれたんやね。ませとったんかいな? ま、それがクラシック音楽に親しむきっかけとなった。

時が流れ、高校時代やったと思う。たまたま、そのダヴィッド・オイストラフの伝記みたいな文章を読んだ時、27歳の彼が国際コンクールで二位になった時の話が僕の興味を惹いた。

一位になったのが若干15歳、フランスはパリ産まれの女の子だという。僕は、あのダヴィッド・オイストラフを超える15歳ってどんな娘や? さらに、二位の27歳オイストラフに「彼女の一位は当然だ」と言わしめた、その15歳のフランス娘に、僕が興味を持たないわけがない。

さっそく、心斎橋の日本楽器のレコード売り場へ行って、そのフランス娘のレコードを探したら…あった!

ジャケット写真を見ると、めちゃ可愛い娘やないか。嬉しくなってニコニコしながら地下鉄に乗った。

ところがや、えらいこっちゃ。家に帰って解説を読むと、ジネット・ヌヴーは、30歳の絶頂期に、アメリカへ演奏に行く途中の飛行機事故で亡くなってる。もうこの世にいないんや。ショック!

7歳でオーケストラと共演、天才少女と絶賛され、成長とともにその人気はうなぎのぼりに高まり、ヨーロッパ各地での演奏はもちろん世界中で演奏し、アメリカへも毎年のように演奏旅行をするようになる。

初レコーディングが1938年で19歳の時、今から80年前、もちろん、はるか戦前のことです。

クラシック音楽に造詣の深い芥川賞作家の五味康祐さんの本を読んで嬉しかったのは、世界的演奏家や高名な評論家でさえ容赦無く切って捨てる辛辣な彼が、ジネット・ヌヴーを絶賛していることです。

…彼女の早い夭折が惜しまれてならない…と。

当時、ぼくが集めた彼女のレコードは、今の時点で言うと、どれも70年から80年前の録音で、音は決して良いとは言えなかった。ところがCDの時代になってリマスタリングの技術が向上したせいか、音が格段に向上した。

今、彼女のCDは全部持ってるけど、彼女のヴァイオリンの音色を、現代の録音と比べても遜色ない良い音で聴けるのはとても嬉しく思っている。

彼女の残したレコーディングはどれも素晴らしいけど、特に1948年3月に録音された「ブラームス・ヴィオリン協奏曲」には、もう言葉もない。

さて、今宵は、人生の絶頂期に飛行機事故で亡くなったお二人のご冥福を祈りつつ、YouTubeでこのお二人を偲びたい。おのおの方も是非一緒にご覧下さい。

エッ? おいらの絶頂期? あんたなあ、あたしゃ、まだまだこれからでっせー! エッ? なんやて? すでにもうろくしてる? ほ、ほっといてんか!

向田邦子…1981年8月22日 51歳没

ジネット・ヌヴー…1949年10月28日 30歳没 (ぼくが産まれた4ヶ月後)

YouTube →「没後20年、向田邦子が秘めたもの」

YouTube →「ジネット・ヌヴー /ショパン夜想曲第20番」

ショパン夜想曲第20番…

映画「戦場のピアニスト」で、廃墟に隠れていた主人公がナチの将校に見つかり、ピアノを弾くように命令されて弾くのがこの曲。元はピアノ曲です。多くのヴァイオリニストがこの曲を引くけど、亡くなる3年前のジネット・ヌヴーのこの演奏を聴くと、目が潤んできて、もう…

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新しいサウンドに対する3つの視点

2023年04月10日 | オーディオ談義

「新しいプリアンプが出来たのでお宅に持ち込んで試聴させてもらえませんか」と、連絡があったのは5日(水)のことだった。

発信者はNさん(大分市内)だが、今回の試聴会の裏で糸を引く張本人は我が家の近くにお住いの「Y」さんだろうとおよそ推測がついた(笑)。

我が家のシステムは音の微妙な変化を捉えるのに最適とのことだそうで、まことに光栄なことではある。

で、新しい機器や古い機器を改良したりしたときの対応にはなるべく「3つの視点」を持つよう心掛けている。

1 好きな音か嫌いな音か

2 正しい音か、正しくない音か

3 音楽的な音か、オーディオ的な音か

以上のうち、3についてはこれまで50年以上に亘ってクラシックを聴きこんできたので、それをベースにして「音楽的な雰囲気に浸れる音か否か」という、まったく主観的な視点となる。

そして当日の午後のこと、定刻通りNさん、Y さん、そして自分の3人による試聴会が始まった。

プリアンプの対象機器は全部で5台。

内訳は我が家の分が3台で、このほど導入した「E80CC」アンプ、マランツ7型、安井式、そしてNさんが持参された新プリアンプ、Yさんが持参されたプリアンプで、それぞれ「とっかえひっかえ」しながら丁々発止の戦いとなった。

で、戦いが始まる前に「スピーカーは何にしますか?」「もちろんAXIOM80です。これじゃないと微妙な差は出せません!」と異口同音の答えに思わず苦笑した。



そして、AXIOM80を駆動するアンプだが、これまた注文がついて「Y」さんから「あの黒いアンプが癖が無くて周波数レンジが一番広いように思います」



我が家のサウンドを熟知している「Y」さんならではの鋭い指摘に内心驚いた。

このアンプは日頃「WE300Bアンプ」や「PX25アンプ」に比べて、陽の当たらない存在だが、「あなたのアンプの中で周波数レンジは一番広いはずですよ」と、改造してもらった「北国の真空管博士」からお墨付きをいただいたアンプである。

ボリュームを「クラロスタット」に交換しており、初段管は「ECC35」(ムラード)、出力管は「6098=6AR4(初期の楕円型プレート)
」で、3極管接続にしており周波数特性カーブはあの銘管「PX4」とそっくりとのこと。

こういう「いざとなった」ときに、本性を現す「Y」さんはとても油断できない存在だということを改めて噛みしめた(笑)。

そして、実力伯仲のもと、一同耳をそばだてる
中で最終的に見事に栄冠に輝いたのはNさんが自信を持ってご持参されたプリアンプだった。



自分もまったく異論なく、「1」と「2」の視点からも賛同できるものだった。Yさんから「一番鮮度が高いです!」との一押しがあったのも充分頷ける。

ただし、自分からすると肝心の「3」の視点からは、あと1か月ほど体調のいいときも悪いときも含めてじっくり聴いてみないとわからない気がした。



というのも試聴盤がジャズだったので、クラシックを聴いたときに長時間にわたって聴き疲れすることなく音楽的な雰囲気に浸れるかどうかは未知数、かなあ。

とはいえ、Nさんの入魂の力作が優勝したのだから一番いい結果に終わったことは素直に喜びたい。(Nさんは)きっと今晩は枕を高くしてぐっすり眠れるはずだ(笑)。

ちなみに、このプリアンプはボリュームに拘っていて「アムトランス」の高価なものを使ってあった。そのせいか、「S/N比」(静けさ)が際立っているように感じた。



ネットから画像を拝借したが、まったく同じかどうかは自信がないけれど、これと似たような感じだった。

アンプ系については一定のレベルに到達すると、最後にものを言うのは「ボリューム」かもしれませんね~。



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天は簡単に二物を与えすぎる!

2023年04月09日 | 音楽談義

昨日の過去記事ランキングのトップに登場していたのは「目の保養になるコンサート」。

なにしろ7年前の記事とあって、タイトルも内容もさっぱり忘却の彼方だったので改めて一読したところ、我ながらなかなかいい出来だった(笑)。

「目の保養」という言葉から連想できるように、美形の女流ピアニストに関する話。

一部改変して以下のとおり投稿してみよう。

メル友の「I」さん(東海地方)からの情報提供があった。

「NHKのFM放送と衛星放送は私の重要な音楽ソースです。
クラシックは幅広く聴くために、ジャズは現代の動向を把握するために聴いています。
 
番組はタイマーでDVDレコーダーのHDDに録音(録画)しています。計算しましたら、クラシックは1週間で27時間強、ジャズは3時間録音していました。
 
クラシックは1日当たり約4時間になりますが、聴いてみて、好みではない曲は飛ばしていますので、聴くのに毎日4時間かけているわけではありません。
 
その中で、N響アワーに、カティア・ブニアティシブリというピアニストが出ていました。ご覧になっていましたら、ここから先はお読みにならなくて結構です。
 
ナイスバディを露出の多い衣装に包み、体をくねらせ、たぶん声も発しての熱演です。カメラのとり方もいつもとは違いました。画面からこぼれんばかりです。楽員で最も近くに位置していたセコンドトップのバイオリニストが・・・眼のやり場に困惑し、血圧は上がる、汗はかく、最後は目が泳ぐ状態で、まともに伴奏はできなかったのではないか、と思いました。

しかし、前列で観た人にとっては、間違いなく記憶に残る名演奏だったのではないでしょうか。
 
「ヤルヴィーはん、こんなん連れて来たらアカン!」 なんちゃって関西弁ですが、当方、両親が兵庫県人です。お許し下さい。
 
肝心のピアノ演奏ですが、映像付きで聴くと音楽に身が入りません。でもまた聴いてみたい人です。
           

なるほど・・、この人が噂のカティア嬢ですか! たしかに~(笑)。

「天は二物を与えず」(神様は一人の人間にいくつもの才能を与えることはない)という言葉があるが、例外もあるらしい(笑)。

女性でいえば「美しいうえに才能もある」とくれば最高ですよね。


そういえばずっと昔の現役時代の頃の話・・。   
   

これは、ある気さくな女性(中間管理職)から直接聞いた話だが、「仕事が出来るとか頭が切れるとか言われるよりも、綺麗とか可愛いとか言われる方が好き」とのことだったのでビックリ~。

こりゃあ、男性とはまるっきり価値観が違うわいなあ・・。

その伝でいけばカティア嬢も「演奏がうまいと言われるよりも、魅力的だと言われる方が好き」なのかもしれないですね(笑)。

もう一人、今度は美形の女流ヴァイオリニストをご紹介。

およそ9年前に紹介した「パトリツィア・コパチンスカヤ」さん。モルドヴァ生まれの新進演奏家として、そして裸足のままで弾く女流ヴァイオリニストとしても大いに注目されている存在。

               

クラシック専門放送「クラシカ・ジャパン」(CS放送)での初演は8月10日(日)だったので、興味津々で録画した。曲目はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。

番組では本人へのインタビューと練習風景も収録されていたが、容姿は写真でご覧のとおりでまず期待を裏切らぬものだったが、性格の方も非常に活発でよくしゃべり、しかもよく動くタイプで演奏中は「裸足の習慣」というのには驚いた。(実演の際は長いドレスで隠されていた。)

専門家ではないので音程の正確さとかの腕前の良し悪しは判断がつかないが、音楽としては十分鑑賞に耐えるもので終演後に観衆の万雷の拍手で包まれたのがそれを証明している。
          

カティア嬢といい、コパチンスカヤ嬢といい、「天は簡単に二物を与えすぎる!」と思いませんかね(笑)。

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音楽学への招待

2023年04月08日 | 音楽談義

音楽は好きだけど学問(「音楽学」)となるとあまり好きになれないなあ・・、しかし「音楽学」っていったい何?

音楽とはそもそも言葉では表現できないから、(言葉の代わりに)音符という記号を使っているのに、そういう学問がいったい成り立つのだろうか。

そういう疑問のきっかけはこの新聞記事だった。



いつも新刊書は図書館でたまたま目に触れたもののうち興味のある本だけ借りてくるのだが、この本ばかりは興味を惹かれて在庫の有無をググってみたところ、「在庫有り」の表示なのでさっそく図書館に駆け付けて借りてきた。



さっそく読み始めたところ、とても気軽に読める本ではなかった。

とはいえ、ブログのネタにする以上何とか粘ってみないと~(笑)。

本書の冒頭にこうある。(要旨)

「音楽学という学問分野をご存知だろうか。読んで字のごとく、音楽についての学問の総称が音楽学である。実はほとんどの日本の音楽大学には音楽学の専攻課程があるし一般大学の場合ならば美学専攻などの課程において音楽学の研究ができる。

筆者は大学と大学院で音楽学を専攻し、現在は音楽大学で音楽学を教えている。つまりは「音楽学者」だ。

講義でよく学生に話すのだがもしも生まれ変わることができたら、また音楽学者になりたいと強く願っている。

なぜなら対象に触れること自体に喜びがある。演奏会に行ったり、CDを聴いたりピアノやギターをつま弾いたりするのがすべて「仕事・研究」の一部なのだといったら、お分かりいただけようか。

まず対象に触れる圧倒的な楽しさがあり、さらにそれについて調べたり論じたりする楽しさがあるから、一粒で二度おいしい学問なのである。

そしてもうひとつ、学問としての枠組みが形成されたのが19世紀半ばと比較的遅いせいもあって、音楽あるいは音とどこかで関連していればどんな研究でも簡単に音楽学になってしまうという融通無碍(ゆうずうむげ)な性格を持っていることだ。つまり、対象と方法論が強度に自由なのである。

たとえば「哲学」「史学」「物理学」「教育学」の前に「音楽哲学」「音楽史学」「音楽物理学」「音楽教育学」といった具合に音楽という言葉を付けるだけで学問として成立してしまう」

とまあ、以上のような内容で「音楽学」についておぼろげながらお分かりいただけたかな~。

で、一番興味を惹かれたのが第二章の「モーツァルト効果狂騒曲」についてだった。

「音楽心理学」の分野において、モーツァルト効果を検証した内容である。

たとえばモーツァルトを聴くだけでなぜか頭が良くなったり、身体の調子が良くなったり、はたまたお酒や味噌が美味しくなったりもするという不思議な効果についての検証である。

大のモーツァルトファンを自負しているので、舌なめずりをしながら読ませてもらった(笑)。

まず、論争のきっかけになったのは1993年に国際的な科学誌「ネイチャー」365号に「音楽と空間認識能力」という実験報告が掲載されたこと。

モーツァルトの「二台のピアノのためのソナタ ニ長調 K448」を36人の大学生に対して10分間聴かせた後で「空間認識テスト」を行ったところ、有意に成績が上がったという実験結果が出たというもの。

この実験が大きな論争を呼び次々に追試がなされて侃々諤々(かんかんがくがく)の世界的な論争が巻き起こった。

はたしてモーツァルトの音楽に人間の知能の向上、あるいは認知症を予防する効果があるのかどうか・・、もったいぶるわけではないがこの解答は本書を読んだ人だけの特権ということにしておきましょう(笑)。

ちなみに、筆者は最後にこう結んでいる。

「このモーツァルト効果騒動は、神童、天才、長・短調、古典派、クラシック音楽といった概念そのものや、それらが流通するメカニズムの再検討をゆるやかに促すとともに、モーツァルトという稀有な作曲家の表象/現象の持つ広がりを改めて我々に示すものであるように思う。

モーツァルトを聴くだけで知能が向上したり、病気が治ったりするという話は時として奇妙な商売に結びついたりするから、こうした研究が結果として社会に有害な場合もあるだろう。

だが、幸いにしてひとつだけいえるのはとりあえずモーツァルトに副作用はないことだ。薬品や食品の場合と異なり、毎日浴びるようにモーツァルトを聴いても健康被害が生じることはないはずで(モーツァルトマニアになるという副作用はあるかもしれないが)、つまりはこのことがこの少々怪しげな効果が比較的大らかに受け入れられている最大の理由ということになるのだろう。」



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疲労医学の研究

2023年04月07日 | 独り言

今や春たけなわだが、今年の冬を振り返ってみると体感的にことさら ”きつかった” という記憶がある。

たとえば、以前は毎日のように1時間程度のウォーキングを繰り返しても全然疲労感を覚えなかったのに、今年の冬は2~3日に1回ほどは何となく気が進まない日があって、そういうときは用心をとって休んでいた。

つまり、自覚症状だけに頼っている自分の体調が果たして医学的に見て「いい状態なのか、悪い状態なのか」いまいち判然としないのがどうも釈然としないところ。

言い換えると、現状が果たして「トレーニングのやり過ぎなのか、逆にやり足りないのか、あるいはこれを乗り越えるともっと体力が増強できるのか?」という選択肢がどうもよく分からない。

こういうときに自分の現在の「疲労度」がピタリと何らかの数値で示されれば十分納得して休養を摂るか、あるいは運動を続行するのかその辺の按配がうまくいくのにと思う人は意外に多いのではなかろうか。

その点、人間に比べて金属材料の「疲労度の測定」は十分に調査研究が行われているようだ


もちろん致命的な箇所における金属疲労によって飛行機が墜落したり、架橋が崩落したりして多数の人命が一度に失われる危険性があるので”ゆめゆめ”放置できない分野である。

金属の疲労とは、破壊力以下の微小応力が繰り返し負荷されることによって機械的強さが低下し、破壊する現象。

いささか専門的な領域になるが次の技術用語によってきちんと分類されている。もちろん本の受け売りだが題名は忘れてしまった。

1 疲労強度
一定回数の周期的応力を負荷した場合に破壊に抗する最大応力

2 
疲労寿命
疲労破壊にいたるまでの応力負荷の繰り返し数

3 
疲労限度
無限に繰り返し負荷しても疲労破壊を起こさない応力振幅の最大値

この指標によって現在、多くの材料の綿密な研究がなされたうえで膨大なデータが蓄積され構造物の建造や機器の生産における安全設計にきちんと反映されている。

ところが、残念なことに私たち人間の身体にとってこれらのような「疲労強度」、「疲労寿命」、「疲労限度」に当たるような指数が何一つ分かっていないのが実状である。

「人間さまよりも金属の方がそんなに大事なのか?」なんて思いたくなるほどだ(笑)。

もっとも、人間にとっての疲労は肉体的疲労のみならず精神的疲労も加わるために
物理的な測定が難しいし、個々の人間によってストレス耐性も違うので万人共通のスタンダードが設定されていないのもよく分かる。

もし人間の疲労メカニズムが深く解明されて各人ごとに簡単な検査で疲労度の数値が客観的なデータとして把握できるようになればあの電通の新入社員のような過労死などの悲劇は起こらなくなるし、もっと安心できる平和な世の中になるに違いない。

これに関連して、以前のブログで「オーバートレーニング症候群」
について紹介したことがある。

これは、スポーツ医学の見地から、トレーニングのしすぎによる一種の慢性疲労の状態を指したもので、主な症状は次のとおり。

基 本 症 状  
疲労感+パフォーマンス低下

その他の症状  たちくらみ、動悸、息切れ、体重減少

重症になると   
不眠、意欲低下、うつ状態

これらの症状を客観的に見分ける方法として
「朝起きたときに脈拍をとる習慣を身につけると良い、疲労はまず脈拍に表れ、1分間に5~10拍以上増えていればトレーニングを控えたり抑える」。

これは朝日新聞の日曜版に掲載されていた記事だったが、そうはいっても脈拍を毎朝とるのも面倒だし、ときには心配事や家族との”いさかい”の名残で血圧とともに異常に高くなっている場合だってある(笑)。

それにヤル気満々の頑張り屋さんにとってはいろんなマイナスの自覚症状を、むしろ怠惰な自分自身を許すまじとして叱咤激励の発奮材料に使う場合だって十分あり得る。

というわけで、これは素人考えだが血液検査には実にいろんな検査項目があり「好中球」「リンパ球」などの免疫指数があるので、これらを動員させて総合的に疲労度を判定できる指標があると現在の自分がどういう状態か即座に分かるし、今後の健康維持にとっても大いに役にたつ。

これはいわば、「予防医学」の範疇に入るのだろうが「疲労医学」
をもっと掘り下げて調査研究してもらえると病気の予防にも効果があってが医療費の抑制にもつながるように思う。

ただし、むやみに長生きを願望し「大きな塊が年金を食いつぶす」と評判の悪い”団塊の世代”以降は「世の中に役に立っている就労者」を除いて医療費は保険適用外が妥当だろう。

自分なんかはもちろん適用外に区分されるし、そもそも早く死んだ方が世の中のタメになるのは間違いなし(笑)。
 

 

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