「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

脳は何かと言い訳する

2024年02月29日 | 読書コーナー

        

本書は脳にまつわる知識や考え方を述べた本、といえばややかた苦しそうだが従来の「脳の本」には載っていないような新しい知見が紹介されている。興味を引いたものを2項目紹介。

☆ 脳はなにかと錯覚する~ヒトも動物も、なぜか「赤色」が勝負強い~

あの有名な「ネイチャー」誌に掲載された科学論文に英ダーラム大学の進化人類学者ヒル博士の研究成果として「赤色は試合の勝率を上げる」という話題。

たとえば、ボクシングやレスリングなどの格闘競技では、選手のウェアやプロテクターに赤色と青色がランダムに割り当てられる。

ヒル博士がアテネ・オリンピックの格闘競技四種の試合結果を詳細に調査した結果、すべての競技について、赤の勝つ勝率が高いことが分かった。赤の平均勝率は55%というから、青よりも10%も高い勝率になる。実力が拮抗した選手同士の試合だけを選別して比較したところ、赤と青の勝率差はなんと20%にまで拡大した。

赤は燃えるような情熱を、青は憂鬱なメランコリーを暗示する傾向は民族を越えて普遍的であると考えられている。

自然界においても赤色は血や炎に通じるものがあるようで、サルや鳥類、魚類でも一部の体色を赤色に変えることで攻撃性を増したり異性に強くアピールしたりする種がある。

ヒル博士は赤色が相手を無意識のうちに威嚇(いかく)し、優位に立ちやすい状況を作るのではないかと推測している。

筆者:もしかしたら
「真っ赤な顔」
で怒るというのもそれなりに意味のあることなのかもしれないですね(笑)。

☆ 脳はなにかと眠れない~睡眠は情報整理と記憶補強に最高の時間~

何かを習得するためには、ひたすら勉強すればよいわけではない。睡眠をとることもまた肝心であるという話。

「ニューロサイエンス」誌に掲載されたチューリヒ大学のゴッツェリッヒ博士の論文は、睡眠による「記憶補強効果」を証明した。

ある連続した音の並びを被験者に覚えさせ、数時間後に音列をどれほど正確に覚えているかをテストしたところ、思い出す前に十分な睡眠を取った人は軒並み高得点をはじき出した。

ところが驚くことに、目を閉じてリラックスしていただけでも、睡眠とほぼ同じ効果が得られることが分かった。つまり学習促進に必要だったのは睡眠そのものではなく周囲の環境からの情報入力を断ち切ることだった。つまり脳には情報整理の猶予が与えられることが必要というわけ。

それには、ちょっとしたうたた寝でもよいようで、忙しくて十分な睡眠が得られなくても、脳に独自の作業時間を与えることが出来れば、それで十分なのである。

これは不眠症の人や、重要な仕事を明日に控えて緊張してなかなか寝付けない人には朗報だろう。眠れなくともベッドで横になるだけで、脳にとっては睡眠と同じ効果があるのだから。

そう、眠れないことをストレスに感じる必要はないのだ。ただし同博士によるとテレビを見ながらの休憩は効果がないとのこと。あくまで外界から情報を隔離する
ことが肝心。

以上のとおりだが、これは自分自身も体験して思い当たる節がある。というのは、ときどき夜中にバッチリ目が覚めてしまい以降なかなか寝付けないことがあるが、眠れなくてもいいと開き直って目を瞑って横になっているだけでも随分と違う。

逆に途中で起き上がってゴソゴソやったりするのが一定期間続くと耳鳴りとかいろんな体調不良を覚えた経験がある。生体リズムが狂って自律神経(?)がおかしくなったのかもしれない。

作家:吉村昭さん(1927~2006)の本に出てくる話だが、吉村さんは若い頃結核だった時期がありそれも手術を要するほどの重症患者で、長期間、日中でも絶対安静にしてじっと寝ていたそうだが「意識は覚醒したまま横になって体を休めておくというのも慣れてしまうとなかなかいいものだ」という記述があった。

自分に言わせれば死んだ方がマシともいえるこういった退屈な時間をそう思える境地になるのはなかなかできないことだと思う。吉村さんの作風には他の作家にはないゆったりとした時間の流れを感じていたのだが、若い頃にそういう体験が背景にあったのかと思わず頷いた。

これを読んで以来、寝付けなくてもあまり苦にならないようになったが、逆にこの頃では
外界の情報を遮断して冷静に考えるには1日のうちで最も適した思考の時間
ではないかと思うようになった。

眠れなくてあれほどあせっていた人間が今度は逆に不眠の時間を楽しむようになる、ほんとうに人間は気持ちの持ちようで随分と変わるものである。

とはいえ・・、やっぱり熟睡できるのが一番!

これも結局、自分の「脳がなにかと言い訳をした」結果だろうか(笑)。



道徳的なクリックを求めます →
    
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スピーカーと相性のいい曲目の選択

2024年02月28日 | 音楽談義

つい先日のブログ「聴かぬが花・・」で述べたように、ぼちぼち県外からのお客様がお見えになる日が迫ってきた。

長年に亘って培ってきたお互いの「オーディオ文化=音楽的センス+音響的センス」が衝突して火花を散らすわけだから、面白くないはずがない・・(笑)。

後者の「音響的センス」についてはどういうスピーカーを聴いていただくか、概ね3つに絞ったところだが、問題は前者の「音楽的センス」である。

さて、どういう曲目を聴いていただこうか・・、はたと迷ってしまう。

もちろん3名の方々の好み優先だし、持参されたCDがあればそれが最優先だが、まあクラシック、ジャズ、そしてポピュラー、歌謡曲、唱歌などを網羅しておけば大丈夫かなあ・・。

おっと、そういえばスピーカーによって得手不得手の曲目があるので前もって選択しておく必要があるぞ~と、これを書きながら今思いついたところ(笑)。

たとえば・・、

1 AXIOM80+サブウーファー



このユニットの能力を引き出すためにはヴァイオリン演奏が必須だが、どのCD盤が最適かな・・。

優秀録音・優秀演奏で思いつくのは「プレイズ バッハ」(ヒラリー・ハーン)、モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲1番」(オイストラフ)、「ヴァイオリンとビオラのための協奏交響曲」(五島みどり&今井信子のコンビ)、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(アッカルド)あたりかなあ。

あっ、そういえば「今井信子」さん(80歳)は、この度「日本学士院会員」に推薦されてましたね。新聞で拝見しました。日本が生んだ世界に誇れる数少ない演奏家の一人なので大いに納得です。

とはいえ「学士院会員」ってどういう役割を果たしているの?(笑)

次に、

2 「ウェストミンスター+スーパー10+075ツィーター」の3ウェイ



当然のことながらスケールの大きい重量級のシンフォニーの出番となる。「新世界」(ケルテス指揮)、「大地の歌」(クレンペラー指揮)、「ワルキューレ」(ショルティ指揮)あたりかな~。


3 「口径20cmのユニット+175ドライバー(JBL)+サブウーファー(100ヘルツ以下)」



このSPならどんな曲目でも「90点以上」で対応できそうなので選ぶ必要はあるまい・・、ただし駄耳による自己採点なので少々危なかしいけどね~(笑)。

ボーカルの分野では「スパニッシュ・ハーレム」、島田祐子さんの「芭蕉布」「花の街」、加藤登紀子さんのアルバム「知床旅情」あたりかな~。

おっと、ピアノ曲が無いなあ・・、グールドのソナタは録音がイマイチなので、ピリスといこうか~。カサドシュの「ピアノ協奏曲22番」も外せないし・・。

そして忘れちゃいけないのが「You Tube」だっ!

パナソニックのブルーレイ「DPーUB9000」(再生専用)を使い、DAC「D2R」(SMSL)とのコンビで「192Hz」のハイレゾ再生はかなり「いい線」を行っている。

もし、お客様に気に入っていただけると次から次に選曲できるので「CDトラポ」の出番が無くなる・・、実を言うとこれが我が家の実情だけどねえ(笑)。

というわけで、これから押し入れに直し込んだCD盤を探すとしよう~。

おっと、その前に部屋の整理整頓が先だね~(笑)。

最後に、現時点での我が愛する「クラシック音楽ベスト10」を掲げて終わりとしよう。

1位 「魔笛」(ハイティンク指揮) 2位 「ピアノ協奏曲22番」(セル指揮 カサドシュ演奏) 3位「ピアノソナタ32番」(バックハウス) 4位 「ヴァイオリンとビオラのための協奏交響曲K364」(五島みどり・今井信子)

5位 「ドビュッシーのピアノ曲集」(ベロフ) 6位 「シベリウスのヴァイオリン協奏曲」(アッカルド) 7位 「交響曲第6番 田園」(ワルター指揮) 8位 「大地の歌」(クレンペラー指揮) 9位 「オペラ ドン・ジョバンニ」(フルトヴェングラー指揮) 10位 「ディヴェルティメントK136」(コープマン指揮)

もし読者の皆様と一致する曲目があれば、こよなくうれしいのですが・・(笑)。



道徳的なクリックを求めます →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国古典の魅力とは

2024年02月27日 | 読書コーナー

若いときに読んだ本でも、人生経験を経て再度読むと新たな発見に出会うことがある。本好きの方にはきっと思い当たる節があるに違いない。

「人生に二度読む本」(講談社刊)


城山三郎氏と平岩外四氏という稀代の読書家2名により、「あらすじ→対談→作者解説」のスタイルで12冊の名作を紹介した本である。

城山三郎氏:直木賞受賞、「落日燃ゆ」「毎日が日曜日」など著書多数

平岩外四氏:元経団連会長、国内外で活躍、蔵書3万冊以上

両氏とも故人。

で、その12冊とは次のとおり。


夏目漱石「こころ」 アーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」 太宰治「人間失格」 フランツ・カフカ「変身」 中島敦「山月記・李陵」 ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」 大岡昇平「野火」 ジェイムズ・ジョイス「ダブリンの市民」 ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」 リチャード・バック「かもめのジョナサン」 吉村昭「間宮林蔵」 シャーウッド・アンダーソン「ワインズバーグ・オハイオ」

ご両名の豊かな人生経験、読書経験、博識に裏付けられた書評が実に興味深かった。これは是非読んでみなければという気にさせられるから不思議だ。

たとえば、「老人と海」は若い頃に一度読んだが、さして感銘を受けなかったもののおそらく人生経験が未熟だったせいかなあ~。

城山氏によると「この年齢でしか書けない作品で感激して読んだ。棺桶に入れたい一冊」、平岩氏が「非常に完成度が高い素晴らしい小説」と絶賛されているので、そのうち再読してみたい・・。


そして、本書の後半に平岩さんの読書好きに因んで
さりげないエピソードが紹介されている。

1980年代に日米間の貿易摩擦の折衝に伴い、平岩氏が財界代表としてアメリカ側との交渉の席でアメリカの販売努力が足りない例の一つとしてジョイスの「ユリシーズ」の原書をアメリカから取り寄せて読まれたことを披瀝したところ、「日本の財界人があの難解なユリシーズを原書で読んでいる」にびっくりしてしまって、それまでワアワア言っていたアメリカ側の出席者(経営者、政治家、官僚等)たちがシーンとなって黙り込んでしまったそうだ。(現場に居合わせた城山氏の言による)。

読書が少なくとも教養の一端を顕す万国共通の尺度だという好例だが近年の政界、財界人で平岩さんみたいな読書好きの話はあまり聞かない。

で、自分の知っている範囲で挙げられるのは「斎藤 健」氏(現経済産業大臣)ぐらいかな~。

たまたま現役時代の仕事が縁で、いまだに「後援会報」(千葉県第七区)が送られてくるが、いつぞやの会報の中で「近年の政治家の質が劣化しているのは中国古典に通暁していないからだ」とのご指摘があった。

通暁(つうぎょう)・・、夜を通して暁に至ること、詳しく知り覚ること(広辞苑)。

「中国古典」の魅力とは・・、以下ネットからの引用です。

簡潔な表現でありながら、ずばり人間や人生の真実に迫っていく名言の数々にあります。

「以心伝心」、「温故知新」、「大器晩成」、「四面楚歌」を始め中国古典に由来する四字句をよく使いますが、どの言葉もそれぞれ深い意味をもっていて、その由来を知ると感動することが多いものです。

かつて日本の先人たちは、中国古典に学び、それらの名言を心に刻むことによって、人間を理解し、人生を生きる指針としてきたわけです。

社会は激しく変化していてもその底には、変化しない部分が厳として存在していることがわかります。

人間のもつ本質的な性格や行動を示す人間学は、変化しない部分の代表的なものと言えます。

二千五百年前に書かれた『論語』を始めとする中国古典の人間学は、もっぱら原理原則を説いています。原理原則なるがゆえに、時代の変化にほとんど影響されていないので、現在の我々が読んでも新鮮な魅力に富んでいるし、うなずける面が多いものです。

変化の激しい時代だからこそ、なおさら原理原則に立ち返ってみる必要があると言えます。

と、ありました。現代中国と比べて古代中国は人知の宝庫みたいな感じがします。

斎藤氏は壮年時代に読破した「失敗の本質」に感銘を受け、著者の「野中 郁次郎」さんを直接訪問され、謦咳(けいがい)に接されたほどの方だから説得力がありますね。

ちなみに、この拙いブログでも「巧言令色、仁あること少なし」「糟糠の妻は堂より下さず」など、中国古典から引用したタイトルをときどき使っていますからね~、どうかお忘れなきように(笑)。



道徳的なクリックを求めます →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巧言令色、仁あること少なし

2024年02月26日 | 音楽談義

世界の趨勢を決めると言っていいほどの大事なアメリカ大統領選挙が今年(2024)の11月に行われる。

そして、あのトランプさんが予備選5連勝(2月26日現在)のもとで共和党の代表指名が確実視されている。おそらく再びバイデン現大統領との一騎打ちが予想されており、勝利の可能性が高いとされている。(裁判の結果次第だが・・)

あの「品のかけら」もない人物が再び大統領になるというのが信じられないが、「パワー、威勢、ハッタリ」を重視するというのか、それがアメリカという国のダイナミックさなんだろう。良きにつけ悪しきにつけウクライナをはじめとしたいろんな紛争がリセットされる可能性が高い。

もしトランプ大統領が実現したら・・、(最近「もしトラ」という言葉を紙面でよく見かける~笑~)、日本としてもお付き合いが大変だろう。

今は亡き安倍さんは上手く調教してましたね・・、そのときの相互理解のための道具が「ゴルフ」だったのは周知のとおり~。

政界、実業界、芸能界など、ゴルフは付き合う時間の長さからも社交道具として大いに重用されているようだ。

それにひきかえ、クラシック音楽やオーディオとなると多勢に無勢・・(笑)。

何代か前の総理だった小泉さんはオペラ・ファンで有名だったし、福田康夫さんはいわゆる通好みのバルトークを愛好されていた

トランプは例外としても、国際人として活躍する前提として専門的な仕事の知識以外にも基礎的な教養として文学、絵画、音楽など幅広く芸術の分野にも通暁しておく必要があるとはよく聞く話。


たとえば、「芸術に親しむ」に関連してガッカリした思いをしたのが、「文藝春秋」における
、立花隆(故人)さんと佐藤優さんという現代を代表するような知性の持ち主の対談だった。

是非読んでおきたい本としてそれぞれ100冊の本を紹介し推薦されていたが、いずれもが知識というか知性を優先した難しそうな本ばかりで、芸術関係の本が皆無か、あるいは極端に少なかったのが妙に印象に残ってしまい非常に「潤い」が欠けている感じを抱いた。


人間にとって「知性と感性」はクルマの両輪みたいなもので、人生に幅と”ゆとり”のない「頭でっかちの知的バカ」をこれ以上量産していったいどうしようというんだろう・・、とまあ、偉そうに~(笑)。

で、話はもどって相互理解のための道具しての音楽の話。

もちろん人間同士のコミュニケーションに言語は欠かせないが国ごとに使っている言葉が違うのが大きな難点。

戦後すぐとは違って近年では日本人でも英語がペラペラの堪能な人はいくらでもいるが、フランス語、ドイツ語、イタリア語、中国語なんてことになるとおそらく全部操れる人はそうはおるまい。通訳や便利な翻訳変換機を介してみてもお互いの”人情の機微”にまで触れるとなると ”イマイチ” だとは容易に想像できるところ。


その点、音符で成り立つ音楽は世界の共通言語みたいなもので実に相互理解に手っ取り早い。

たとえば、あの「テイラー・スフィト」(アメリカ)が世界中を席巻しているように~。

で、自分の場合ともなるとモーツァルトのオペラ「魔笛」とかグールドが弾くピアノ・ソナタが好きと分かっただけで、瞬間的に百年も前からの知己のようなうれしい気持ちになる。


同じ感性を共有する喜び、親しみは言語を通じて分かり合えるよりもずっと心の奥深くまでつながるような気がするのが不思議だが、これは人によって様々で自分はどちらかというと感性的人間かもしれないと思うことがある。

場面、場面で適切な言葉を操るのが苦手なタイプで文章を作成する方が時間の余裕があるだけまだマシ~。おそらく頭の回転が ”イマイチ” なんだろう(笑)。


しかし、弁解するわけではないがあの「論語」(孔子)に「巧言令色、仁あること少なし」という警句があるようにいくら言葉を尽くしてみても限界があるような気がする・・。

で、作曲家や演奏家、曲目などの好みが共有できる人に巡り会うのは本当に難しく、自分の周囲を見回してもオーディオはさておいて作曲家や曲目の好みが”おおかた”でも一致する人はまずいない。改めて人間の気質というか感性の複雑さは筆舌に尽くしがたいほど~。

全国を捜し歩いてようやく巡り会えるようなものだろうが、作家の石田依良(いら)さんの著作「アイ・ラブ・モーツァルト」には魔笛とかグールドが好きとかあるのでホントにうれしくなる。

そういえば
五味康祐氏の「いい音、いい音楽」には代表作品を聴けばその作曲家がどんな音楽家であるかが分かるとあった。(92頁)

偉大な音楽家ほどその代表作に人間性、民族性、芸術観の全てを表出しているという。

たとえば、大バッハであれば「マタイ受難曲」、ヘンデルなら「メサイア」、ショパンでは「24の前奏曲」、ブラームスでは「交響曲第1番」とあったが、モーツァルト、ベートーヴェンについては文中に記載がない。

この二人、クラシック音楽を語るときに絶対外せない存在だがあまりに代表作と目される作品が多すぎて絞り込めなかったのだろうか・・。



道徳的なクリックが必要です →      
             


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情熱の発露とストーカー

2024年02月25日 | 独り言

先年のこと、〇〇工大(九州)の68歳の大学教授が東京の風俗店の従業員を自宅の前で待ち伏せするなどし、ストーカー容疑で逮捕されたと報じられていた。

エッ、大学教授ともあろうものが!

近年、中高年のストーカーがすごく増えているそうで、たとえばコンビニで釣銭を受け取るときに、女性店員が手を包み込むようにやさしく渡してくれたので自分に好意を持っていると勘違いし、以後見境なく追いかけ回す事例などが挙げられていた。

近年「老いらくの恋」という言葉を聞かないと思っていたら、現代では元気のいい中高年が増えたせいか「ストーカー」という直接行動に打って出ている模様(笑)。

もともとストーカーになるにはそれなりの素質があるそうでテレビの中で5点ほどあげていた。メモするのが面倒くさかったので、あとでネットでググってみたところ次の通りだった。

 恋愛経験があまりない

 仕事や趣味など打ち込めるものが何もない


 暇で時間を持て余している


 心の通じる家族や友人がいない


 1日に誰とも話さないことがある

素質というよりも、むしろ本人を取り巻く環境という方が正しいと思うが、関連のツィッターでも「ヤバイ、ほとんど当てはまる!」という中高年男性たちの悲鳴が満載(笑)。

ふと思ったのだが、これらは何だか「認知症」対策にも当てはまるみたいな気がしている。


さて、他人は別にして自分はどうなんだろう?

この5つの要件について検証してみることにしよう。

まず「恋愛経験」については娘がこのブログに目を通している可能性が高いので古傷に言及するのはちょっとヤバイ。「君子危うきに近寄らず」で省略(笑)。

次に「打ち込めるもの」の有無

打ち込める趣味と言えば言わずと知れた「音楽&オーディオ」である。

とてもマイナーな趣味だしスポーツなんかと違って極めて「お宅っぽい」ので、あまり胸を張っては言えないがこの趣味のおかげで時間を忘れて一心不乱になれるところが大いに助かっている。

図書館から借りてきた「九州ジャズロード」は九州の各県ごとの有名なジャズ喫茶を網羅した本だが、この中で「この音楽を知らずに一生を終えるのは、人生最高の幸せを失うことになる」(アート・ブレイキー)という言葉があった。名言だとは思いませんか・・。

                    

オーディオだってそうで「この音を知らずに・・」とばかりに、追及しているが「これでいい」ということがないので飽きることがない。

次から次にアンプやスピーカー、そして真空管に目移りしているが「どれもこれも同じ音でしょう!」と、家人なんぞはもう呆れ果てている。


しかし、やっている当人にとってはいわば「五里霧中」とでもいうべき泥沼状態が不思議な快感を伴っているからこたえられない。

「これ以上面白い趣味があったら教えてくれ~」と言いたくなるほど(笑)。

次に「暇で時間を持て余す」について。

2とも大いに関連するが毎日、暇を持て余すということがいっさいない。

早朝の「朝飯前」のブログ作成に始まって、音楽&オーディオ、そして読書、気になったテレビ番組の録画後の視聴、定時の有酸素運動、図書館訪問などで一日があっという間に過ぎてゆく。

「毎日、時間が2倍あったらいいのになあ」が、いつもの口癖~(笑)。


次に「心の通じる友人や家族の存在」について。

これは中高年にとってかなり切実なテーマではなかろうか。


現役時代と違って社会生活の範囲が狭まると、必然的に交際範囲も限られてくる。

社交的な家人と違って、自分はやや人見知りするタイプなので気軽に人の輪の中に入っていけないが、クラシック音楽とオーディオとなると、どなたとでも気軽に話せる自信がある。

現在のところ、専ら、お付き合いが深いのはオーディオ仲間たちで情報交換を兼ねて連絡のやり取りや試聴会が楽しい。

それに、ありがたいことに全国津々浦々から外国のメル友さんにまで恵まれていて、背景となるお国柄を想像しながら返信するのが、これまた楽しからずや~。

次に「1日に誰とも話さないことがある」について。

これは、5つの要件のうちいちばんドキリとしてしまった。

もちろん家人との会話は別だが、ウォーキングのときぐらいかなあ・・、すれ違う常連さんが相手になってくれるので感謝の一言。

以上、こうして分析してみると趣味がらみのおかげでストーカーにならずに済んでいる可能性が極めて高い。

もちろん、パチンコなどの賭け事や夜の酒場にも手を染める余裕がなく、まさにこれは趣味の効用といっていいだろう。

そういうわけで、家人に向かって「おい、お前は俺のオーディオ趣味をとやかく言うが、こんなに助かっているんだぞ!」と、まくし立てたところ、敵もさるもので一笑に付してこう返してきた。

「あらっ、あなたにストーカーになれるほどの情熱がまだ残っているの?」

ウ~ム、意外な盲点を突いてきたな・・(笑)。

人間は過去の様々な失敗を元手に生きているともいえるが「命に係わること以外はすべて ”かすり傷” ・・」という考え方がある。

燃えたぎる情熱の発露とストーカー・・、もちろん奨励するわけじゃないけどね~(笑)。



道徳的なクリックが必要です →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「聴かぬが花」そして「聴かせぬが花」

2024年02月24日 | オーディオ談義

昨日のこと「O市のNですが、お久しぶりです・・」という突然のご連絡に「エッ・・」と思わず息を呑んだ、そして即座に「お元気でしたかっ?」と声が弾んでしまった。

たしか10年ほど前に我が家にお見えになってから以来のことである。まだオーディオに勤(いそ)しんでおられるんだ・・、とついうれしくなった。

続いて「〇日は空いてますか? よろしかったら3名で訪問したいのですが・・。」

「ええ、どうぞどうぞ・・」と、即答した。

極めて貴重な「同好の士」だからお客さんは大歓迎である・・、ところがしばらくすると不安が頭をもたげてきた。

Nさんは名にし負うハイエンドのマニアである。

たとえば、当時のことだが、レコード愛好家ならだれもが一度は使ってみたいと憧れるトーレンスの「リファレンス」、DACとプリアンプはマークレヴィンソン、パワーアンプはカンノのWE300Bアンプ、スピーカーは「オートグラフ」という顔ぶれだった。



そういう方の「耳」に我が家の自己流のサウンドがはたして気に入ってもらえるのかどうか~。

「ブログでは仰々しく偉そうに書いてるけど、期待外れも甚だしい・・」というオチの可能性が極めて高い(笑)。

実は、これまで我が家の音を聴きにかなりの方々が訪れたけど、心から満足した状態で帰られた方って皆無といってもいいくらいの気がしている。

そもそも、好きな曲目がめったに一致しないように、好きなサウンドが一致することは確率として極めて少ないんじゃないかな~。

たとえば、オペラ「魔笛」が好きな方って自分の周囲には皆無だし、ずっと昔のメールで「あなたのおかげで魔笛が好きになりました」という方が一人あったきり~。

つまり「音楽的センス」と「音響的センス」は一致する・・。

したがって、オーディオの場合お客さん側からすると「聴かぬが花」、そして「もてなし側」からは「聴かせぬが花」というケースが大いにあり得る・・。

そういえば、ずっと昔の「ステレオ・サウンド誌」で、オーディオに熱心な和尚さんを訪問したところ、雑談ばかりでとうとう音を聴かせてもらえないままで終わった、後から思えば想像の中で留めておくサウンドがいちばん素晴らしいという示唆ではなかったか・・、という話があった。

「禅」に通じるもので、オーディオの「悟り」とはこういうことかもしれない・・。

とはいうものの、現実論に戻ってせっかく県外からわざわざ来ていただくのだからガッカリさせては申し訳ない・・、微力ながらベストを尽くさないとねえ(笑)。

さて、どのスピーカーを聴いていただこうか。

まず「一押し」はこれかな・・。

口径20cmのユニット(ウーファー専用)+175ドライバー(JBL)



自分で言うのも何だが、あらゆる音楽ソースに対応できる非の打ち所がないスピーカーだと思っている。

見た目からして当然「重低音」が足りないが、その辺をバックに控える「ウェストミンスター」(サブウーファー)に100ヘルツ以下を補足させている。

いわば、世界一贅沢な「サブウーファー」である。さらに言わせてもらうと大型スピーカーの「バックロードホーン」じゃないと出ない低音がある・・、こればかりは聴いてもらわないとわからないだろうなあ~。

そして、二番目に聴いていただくのは我が家の「レーゾン・デートル」とでもいうべきグッドマンの「AXIOM80」(オリジナル)。



演奏者の息遣いまでも再生するという極めて繊細なスピーカーで、独特のヴァイオリンの濡れたような響きはオーディオマニアなら一度は聴いておくべきユニットじゃないかなあ~。

これも低音不足なので音楽ソースに応じて「サブウーファー」の出番となる。

そして3番目はこれ。


3ウェイの構成となる。

<100ヘルツ以下> ウェストミンスター

<100~6000ヘルツ> ワーフェデール「スーパー10」(口径25cm)

<6000ヘルツ~> JBL「075ツィーター」

これらを低音域から順に「6AR6シングル」(三極管接続)、「LS7シングル」そして「71Aシングル」の3台の真空管アンプで駆動する・・、というもの。

この3番目のスピーカーがいちばん好みが分かれそうな気がする・・。

あっ、そうそう9台の真空管アンプの使い分けも勝負の分けれ目になりそう・・。

とまあ、いつもの「地」丸出しで偉そうな調子で書き記したが、つい「オーディオ」への愛情が迸(ほとばし)ると制御が利かなくなる傾向がありますなあ・・。

後で、結局「聴かせぬが花」になるのにねえ・・、可哀想に~(笑)。



積極的にクリック →


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あまり進歩してほしくない技術

2024年02月23日 | 読書コーナー

「測る技術」(ナツメ社刊)、そして「ものをはかるしくみ」(新星出版社)と、「測る」という事柄に焦点を当てた本がある。

       

「測る」
作業は縁の下の力持ちのようなもので、日常ではあまり人の意識に登場することはないが「文明は測ることから始まった」という。

これは、はるか昔に住まいを建てたり農作物などを交換し始めた頃から発達してきた人間の知恵であり、現代の科学的計測技術も人類の永年にわたる叡智の結晶の一つ。

近年では、スーパーなどで包装されたパック販売がほとんどのため「測る」という作業を具体的に目にすることが減ってきたが、「測る」ことを抜きにして現代の文明は成り立たないという。

それに「必要は発明の母」という言葉があるが、これまで測ることのできなかったものを測る方法が次々に考え出されている。

これは長さ、質量、密度、体積など全ての量にいえることで、化学、物理学、電気工学など様々な分野の研究を広げ、進歩の速さもさらに加速している。

おかげで最近では「人の心」を測ることさえ、現実のものとなりつつあるという。

心を読み取る鍵を握るのは、「人間の脳波」だそうだ。

脳には多くの神経細胞が存在し、細かな網のようなネットワークをつくりあげているのだが、脳が何らかの働きをすると、この神経細胞に電気信号が流れ、頭皮上に電位変化があらわれる。

これが「脳波」である。

人間がリラックスしているときに脳がα波を出すことはよく知られているが、脳波は人間の精神状態や喜怒哀楽といった感情によってある一定の変化を起こす。

こうした脳波の変化を類型化していくと、脳波から感情の変化がわかり、その人の心の変化でさえも読み取れるようになるという。

この、技術については、犯罪捜査やメンタルケアなどでの活用が期待されているようだが、使い方を間違えると、人の心の中に土足で踏み入る危険性を孕んでいる。

古来、人の心の奥底は解明できない深い闇の部分として、人類が限りなく繰り返してきたドラマや芸術の主要なテーマともなっており、いわば数値では計測できない最後のミステリー・ゾーンではなかろうか。

たとえば「ブルータス、お前もか」といって殺されたシーザー、日本の戦国時代なんて部下が主君を裏切る話がごまんとある。

織田信長は本能寺で明智光秀に討たれたし、徳川家康の父親だって部下から殺されている。天下分け目の「関が原の戦い」では小早川秀秋の寝返りが一因となって東軍の勝利となった。

また、次元はやや異なるが、自分の心の奥底を隠して「本音と建前」を使い分けることにしても、人とのコミュニケーションにおいて周囲との不必要な軋轢(あつれき)を避けるための高度な人間の知恵ともいえる。

この辺はコンピューターがいずれ人間の知性を凌駕できたとしても、最後まで及びそうもない分野だろう。

したがって、「人の心」はできるだけそっとしておきたい領域であり、あまり「進歩して欲しくない技術」だとは思いませんかね(笑)。

脳波の計測器をつけて上司と部下が、あるいは男性と女性が腹の探り合いをするなどということはあまり想像したくない光景である。

従来どおり、経緯(いきさつ)や背景を手掛かりに相手の表情や素振り、声音(こわね)などによって心理を洞察するほうがずっと豊かな人間生活のように思えて仕方がない。

とはいえ、人の心を読み取るのが不得手で、まったく気の利かない自分がそんな偉そうなことを言う資格はさらさら無いのだけどね~(笑)。

そういえば、オーディオでも部屋の一定の聴取位置で音の周波数の測定ができる機器があるようだ。

もちろん参考にはなるが最後の決断の拠り所は長年聴き馴染んだ己の「耳」に頼るしかないと思っているがどうなんだろう。

ちょっと意固地かなあ~(笑)。



積極的にクリックを →


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオ機器の製作者は音楽愛好家であって欲しい

2024年02月22日 | 音楽談義

高校時代のオーディオ仲間たち(4名)といまだにメールの交換をしているが、そのうちのU君から次のメールが届いた。

「先日、NHKのBSでストラディヴァリの番組がありました。ご存知かと思いますが、ストラディバリとはイタリア・クレモナで名工ストラディバリが製作したヴァイオリンの名器で、それを扱った番組でした。ご覧になりましたか?」


                 


しまった!どうやら貴重な番組をウッカリ見逃してしまったようで、「残念です。観ていません」と返信したところ、さっそく次のメールが届いた


「面白く興味深い内容でしたよ。色々な角度から検証していましたねぇ~。それでも、人間の歴史の中で科学万能の現世においてさえも再現は出来ない様ですね。職人魂(霊)の為せる 技(術)でしょうか?」

関連して、桐朋学園大学を卒業して指揮者として武者修行のため渡欧したO君(現在は福岡で音楽アカデミー開設)からもメールが届いた。

「私の留学はザルツブルグ・モーツアルテウム音楽院の夏期講習から始まったのですが、ザルツブルグ音楽祭を初めて聴いたのがカラヤン指揮の<アイーダ>でした。(幸いなことに、宿の主人がチケットをゆずってくれたのです)

全ての点で余りにもスゴくて《ブッ飛ばされた》ことを覚えています。この時、舞台上で演奏された(古代の)トランペットがYAMAHA製だと聞きました。ヤマハが管楽器を手がけた最初の事例でしたが、結果は良かったと思います。

この時、ヤマハはヨーロッパの金管楽器の名器を入手して、全ての部分の厚みの変化や、金属の質などをコンピューターで分析しながら開発したと聞きました。この方法で、それ以後のヤマハの金管は優れたものを作っています。

その後、ウィーンのスイートナーのクラスで学んだのですが、あるとき日本から帰国したばかりのスイートナーがヴァイオリンを抱えて教室にやってきました。

“使ってみて欲しいと言われて、ヤマハから預かって来た”と言って楽器を生徒に見せ、ヴァイオリンの生徒が弾いて“うん、いいイイ”と言っていました。

後で聞いた話ですが、ヴァイオリンの銘器をコンピューターで詳しく分析して、そのように作ろうとしたそうです。しかし、どうしても本物に近い楽器にまでは作れなかったようです。金属では成功したのですが、(自然の)木が相手ではコンピューターも分析しきれなかったように思います。


また、ヤマハの工場に行った時、聞いた話ですが、スタインウェイを入手して、全てバラバラに分解してから、組み立て直すと<ヤマハの音>になってしまったそうです・・・やはり職人(名工)の『感性』が重要な鍵を握っているのでしょうか。」

金属ではコンピューターの制御が利いたけど、(自然の)木では無理とは注目すべき事象ですね。

オーディオの究極の課題となる(スピーカーの)箱の材料は木ですからね・・、やっぱり難しいはずです。


そういえば人間の感性が重要なカギを握っている例として往年の名器とされる「マランツ7」にまつわる話を思い出した。

「マランツ7」といえば、1950年代の初めに市販のアンプにどうしても飽き足りなかった大の音楽好きの「ソウル・B・マランツ」氏(アメリカ)がやむなく自作したプリアンプの逸品である。

ある専門家がそっくり同じ回路と同じ定格の部品を使って組み立ててもどうしてもオリジナルの音の再現が出来なかった曰くつきの名器だと、ずっと以前のオーディオ誌で読んだことがある。

おそらく、言うに言われぬ、言葉では表現できない細かいノウハウ(神業)の積み重ねがあるんでしょうねえ・・。


感性が求められるオーディオ機器の典型的な例として挙げてみたわけだが、これを敷衍(ふえん)すると、一つの命題が導き出される。

それは「オーディオ機器(アンプとスピーカー)の製作に携わる方は少なくとも音楽愛好家であって欲しい」

大学の工学関係科を卒業したというだけで音楽に興味を持たない人たちが(メーカーで)機器づくりに携わることは、まるで
「仏(ほとけ)作って魂入れず」で、使用する側にとってはもはや悲劇としか言いようがないと思うんだけどねえ・・(笑)。



積極的にクリック →      
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「可憐な乙女 VS 熟女」の色香のどちらがいい

2024年02月21日 | オーディオ談義

前回のブログ「能ある鷹は爪を隠す」で、「ウマさん」から教えてもらった村上春樹さんのオーディオ愛好家ぶり~。

ジャズ(JBLシステム)をわざわざオクターブの真空管アンプで鳴らすなんて、かなりオーディオにウルサイ人間じゃないと出てこない発想だと思いますよ~。

実は、我が家でも大いに思い当たる節があるんです!

というのも・・。



口径20cmのユニット(ウーファー専用)と「175ドライバー」(JBL)による「ハイスピード サウンド」、まさに「春爛漫」が目前のような陽気なサウンドに毎日痺れておりますぞ!

とりわけ、「175」(2000ヘルツ~)を真空管アンプで鳴らすと、振るいつきたくなるような色香と上品な余韻に・・、こりゃたまらん(笑)。

「175」の極めて高い能率(108dbもある!)が小パワーの真空管アンプの弱点を見事にカバーしてくれるのでこれはまさに「黄金の組み合わせ」といえそう。

そういえば、ずっと昔のこと「タンノイⅢLZ + ラックスの38FD」がそう呼ばれていましたね。

もちろん我が家でも長年付き合ったが、そのうち何と38FDアンプの出力トランスが故障してしまった。

お金の余裕が無いサラリーマン時代のことでガックリ・・、「部品の消耗ならともかく、出力トランスの故障なんてあってはならないことだ」とお冠~、それ以降ラックスの製品は我が家ではいっさい「出禁」(できん)措置


それはさておき、極めてしつこくて欲深いタイプなので、もっと「いい音にならないかな~」との探求心が常にあるのは周知のとおり(笑)。



まずはSP台に載せてユニットを耳の高さに持ってくると、さらに爽やかな、そしてフルレンジらしい響きとなった。こっちの方が断然いいなあ~。

そして、次がいよいよ本命のアンプ転がしに移った、そもそも「175」を鳴らすのに最適の真空管アンプはどれかな?

もちろん、高音域に癖が無く素直に果てしなく伸びたアンプに限られる。

となると、次の2台に絞られるかなあ・・。

まずは「LS7」シングルアンプ。



これは現在愛用中なのだが、仲間から好評を博している「AXIOM80」に特化したアンプとして別途保存しておきたい気がする・・。

そして、これに負けず劣らずのアンプとなると、このアンプかな・・。

「300B」シングルアンプ。



我が家には名うての「アンプ ビルダー」さんたちがちょくちょくお見えになるが、口をそろえて仰るのが、「300Bアンプにしては電源トランスが弱いですねえ・・、低音域の重量感がイマイチです」

これに対して「そもそもは71A用に作ったアンプなので電源トランスの問題は仕方がありませんね、低音域に問題があるとしても中高音域の佇まいはさすがに300Bだと思いますけどねえ・・」と答えている。

で、「鶏肉を裂くに牛刀を以ってする」感があるものの、このアンプで「175」を鳴らしてみたところ、さすがにさしたる瑕疵は見受けられないものの少しスピード感がかったるくて、口径20cmのユニットのスピードに追い付いてない気がする。

「大振りの真空管はスピード感が物足りない」というのは、我が家だけの現象かなあ・・。

そこで、「300B」を「6A3」に交換するとようやく愁眉が開いた。

これなら「LS7」と何ら遜色なしと、ほっと一息~。

たとえてみると「LS7」が「可憐な乙女の色香」とすると「6A3」は「熟女の色香」になりますねえ~。

さあ、どちらを選ぼうか・・、歳も歳なのでやや熟女に惹かれるかなあ~(笑)。

ちなみに「300Bと6A3」の互換性は一切ありません、我が家だけの固有の条件と現象なので念のため~。

積極的にクリック →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能ある鷹は爪を隠す

2024年02月20日 | 独り言

前回のブログ「糟糠の妻は堂より下さず」はなかなかの反響でした!

実はこんな田舎でも実例をよく見かけるんですよ。いい歳をしたオッサンが若い女に目移りし、お金に物をいわせて一緒になって、長い間苦労を共にした奥さんには家一軒与えて離婚成立というケ~ス。一人ぼっちになった奥さんは立派な邸宅にもかかわらずいつも寂しそう・・。

メル友さんからも反響がありました。

いちばん心配していたのは「お前は日本が生んだ世界的指揮者のイメージをブチ壊すのか」という指摘だったが、無事セ~フ(笑)。

まずは時系列で、最初の方からは、


いやあ、「タフでなければ・・・優しくなければ・・・」清水俊二の名訳、大好きです。村上春樹と小澤征爾の対談集、私も読みましたが、いわば「タレントの褒め合い」に近い本だと思います。

皆さん、役者ですよ。まあ、タレントも音楽家も役者ではありますが。

おっと、それを言うと、人間みんな役者ですが・・・。

読書は面白いし、人生に必須のアイテムだと思います。同時に、自分の見識を問われている訳で、怖いですね。なんか、読書についてブログに書くことも怖くなります。

と言いながら、「もう、失うものなんか何もない! 好きに生きるぞ!」とも。

かかりつけ医さんからも、「〇〇さん、この年になったら、(生活習慣など考えずに)好きに生きていいですよ」と言われます。

それにしても、村上春樹ファンは「この世に2種類の人間がいる、カラマーゾフの兄弟を・・・」「学校の図書室の本はみんな読んでしまった」

なんてセリフを「カッコウいい」と感じるようですね。

あんなの「ハッタリ」だと、と私は思います。

なんかストレスが溜まっているようですね(笑)。

アハハ・・、「もう失うものなんか何もない」とはいい言葉ですね!

これからは、できるだけ「ええ恰好をせずに自然体で生きる」をモットーにしようかな~、ま、凡人には無理だろうなあ・・(笑)。

次いで、南スコットランド在住の「ウマさん」からは次のメールが届いた。


「ハイレベルでのクラシックとジャズの二刀流の使い手は村上氏だけかもしれない」…

僕もまったくその通りだと思う。

東京時代、彼が経営していたジャズ喫茶 (ピーターキャット) にはよく通っていたし、彼とは言葉も交わしていた。もちろん、村上氏の経営だとは、かなり後年に知った。彼とジャズの関係は多くの人の知るところだけど、ひょっとしたらクラシックとの関係の方がもっと凄いかも?と、実のところ僕は思っている。なぜか?…

ジャズは、歌にしても楽器にしても、演奏者の個性が嫌っちゅうほどわかる。同じ曲でも、テーマからインプロビゼーションまで、演奏者によってまったく違う。
しかし、クラシックの場合、ごく普通のファンが、ヌヴーとオイストラフの違いをどれほどわかるだろうか?あるいはゼルキンとルーヴィンシュタインの違い…

村上氏は、それらの違いを鮮明に表現することに (抜きん出て) 長けておられる。これは、そこらのクラシック評論家でも敵わないのではと思わせるなあ。

彼のクラシック評論はかなり読んだけど、よくここまで表現出来るもんだなあと感嘆し、演奏者による違いをこれだけ的確に表現出来る人は、ほかにどれほどいるだろうとも思う。つまりジャズよりクラシックの方が凄いってことなんです。

たとえば、


モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第三番 ト長調 K.216…

「僕の贔屓のフランス人ヴァイオリニスト、ジャック・カントロフが、レオポルト・ハーガーの指揮のもと、実に流麗にこのト長調の協奏曲を奏でる。演奏のラインとしてはオイストラフに近いが、質においても決して偉大なる先輩に負けてはいない。優れて知性的であり、現代の空気を進んで取り入れながらも、歌うことを決して恐れないカントロフの面目躍如だ」…

モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第五番 イ長調 K.219…

「フランチェカッティが目指しているのはハイフェッツとは対照的に、愛らしく美しいモーツァルトだ。高度な技巧は技巧のためではなく、あくまでそのような特質を高めるために供されている。フランチェスカッティの演奏するモーツァルトの協奏曲はワルターと共演したものが高名だが、チューリッヒ室内管弦楽団と組んだこの盤は、オーケストラがこじんまりしているぶん、独奏者の心持ちがより近しく感じられるかもしれない。美しい演奏だが、ただその歌い回しにはどうしても『オールド・スクール』の匂いがあり、そのへんで好みが分かれるだろう」…

「オーディオに凝り始めたというか、意識するようになったのはジャズ喫茶に通う前の高校三年生の時。トリオの真空管アンプに、リチャード・アレンの8インチ・ダブルコーン・スピーカー、ニートのターンテーブルに、フィデリティ・リサーチのアームでした」
「JBLのこのバックロードホーンは丈夫で率直…他に良いスピーカーがあれば買い換えようとは思っているんですが、僕が思っているようなものは今ない」
「ステレオサウンドの試聴室に行って色々聴かせてもらったけど全部もう一つ気に入らなかった。でもアンプとかCDプレーヤーなんかはなるべく新しいものにするよう、替えています」
「…二つのプリメインアンプを使っています。一つがアキュフェイズのE407、その下にあるのが、オクターヴの真空管…」
「タンノイのバークレーはアキュフェイズのプリメインだけで鳴らしてますが、JBLの方はアキュフェイズのプリの部分とオクターヴのメインを使ってます」

どうやら、クラシックはタンノイで聴いておられるようですね。」

そうですか・・、村上さんはクラシックはタンノイでしたか。オクターブの真空管アンプは定評があるけどまだ聴いたことはないです。何せ高価ですからね(笑)。

ジャズをわざわざオクターブの真空管アンプで鳴らすなんて、村上さんは相当のオーディオマニアだと思いますよ!

「能ある鷹は爪を隠す」ということでしょうか、それにひきかえ自分は・・(笑)。



積極的にクリック →
    
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず」とは

2024年02月19日 | 音楽談義

先だって指揮者の「小澤征爾」さん(以下、敬称略)が亡くなりましたね・・。好きな指揮者ではなかったので無視を決め込もうと思ったのだが「物いわぬは腹ふくるるわざなり」(「徒然草」)なので・・(笑)。

小澤征爾で思い出すのがこの本「小澤征爾さんと音楽について話をする」(村上春樹編)。


                

片や日本が生んだ世界的指揮者だし、片やベストセラー作家なので組み合わせの興味もある。小澤氏の長女と村上氏の妻が「大の友達」との縁で実現した対談で、その対談もたったの一回きりということではなくて2010年から2011年7月にかけて様々な場所で機会をとらえて実現したものだという。

ざっと、ひととおり目を通したが、先ず何よりも村上春樹氏がクラシックにこれほど造詣が深いとは驚いてしまった。周知のとおり、この人は本格的な作家になる前にジャズ喫茶を経営していたので、ジャズ一辺倒とばかり思っていたのだが、本書を読む限りクラシックにも相当詳しい。

ハイレベルでのクラシックとジャズの「二刀流の使い手」は村上氏だけかもしれない。

ちなみに彼のオーディオ装置は古いJBLの3ウェイシステムである。アンプはアキュフェーズときている。

長い間に亘ってこのシステムにより音楽を聴く確固としたメルクマール(指標)を培ってきたので今後も変えるつもりは一切ないそうである。(ステレオ・サウンドのインタビュー記事より)。

これは一つの見識ですね・・、多数の方々から「爪の垢でも煎じて飲め!」と言われそう(笑)。


ただし、肝心の彼の作家としての作品にはどうも波長が合わない。エッセイは別としてあまり読みたいと思う作家ではない。その理由がすぐには思い浮かばないのも不思議だが、何となくとしか言いようがない。図書館で新刊書を見つけてもおそらく借りることはないだろう。

一方の小澤征爾も立派な指揮者なんだろうがそれほど身近な存在ではない。彼が(指揮棒を)振った曲目の中で、どういうものが”極め付け”なのかというと、すぐに思い浮かばない。

たとえば「第九」(ベートーヴェン)、「ドン・ジョバンニ」(モーツァルト)とくればフルトヴェングラーが指揮したものを聴いておかないと話にならないが、残念なことに「この曲目なら小澤の指揮したものを聴いておかねば」というものがない。まあ、自分が知らないだけかもしれないが・・。

それと、これは音楽とはまったく関係ない話だが「人物像」についてあまり好ましくない印象を持っている。以下のことを書こうか、書くまいか随分迷ったが、その是非は読者にお任せすることにして思い切って綴ってみよう。

彼の最初の奥さんは江戸京子(ピアニスト)さん・・。この方もつい先日亡くなられましたね。

この人はかって三井不動産の社長で財界の雄とされた「江戸英雄」氏のご息女である。

そして、小澤征爾はある程度有名になってから、離婚して「ファッション・モデル」と結婚している。

当時、ある雑誌に「苦労している時代に金持ちの女性と結婚して散々利用しておきながら、有名になるとすぐに乗り換えた」とのゴシップ記事を読んだ記憶がある。


どういう事情があったにせよ、外野席から見るとそう映っても仕方がないよねえ。

念のため、「江戸英雄」をググルと、ちゃんと「江戸英雄は娘京子が結婚している間、小澤に金銭的な援助を行っていた」(週刊新潮1979年4月26日号)とあった。

中国の古典「後漢書」に「糟糠(そうこう)の妻」という言葉が出てくる。「貧乏なときから連れ添って苦労を共にしてきた妻」という意味である。今どき滅多に聞かない言葉だが、糟糠とは”酒かす”と”ぬか”のことで粗末な食物を意味する。

格言として
「糟糠の妻は堂より下さず」とあって、これは「糟糠の妻は夫の立身出世の後にも家から追い出してはならない」という意味合い。

つい、日頃の教養が滲み出てしまったが(笑)、こういう戒めの言葉があるくらいだから、古来、中国においても似たようなケースが沢山あったのだろう。もちろん日本においても言うに及ばず。

ちなみに、我が家の場合は立場が逆転していて、「糟糠の夫」が追い出されそう・・(笑)。


同じように音楽家の薄情な話として思い浮かぶのが「ダニエル・バレンボイム」(指揮者兼ピアニスト)。

奥さんだった名チェリストの「ジャクリーヌ・デュ・プレ」が若くして難病で瀕死の床についていたときに病院に寄り付かなかったという話。これもある雑誌で読んだ話で真偽の程を確かめようもないが、火のないところに煙は立たないだろう。

繰り返すようだが、人間性と音楽とはまったく関係ない話だが、所詮、人間は感情の動物なのでそういう「タイプ」なのかと思っただけで何だか冷めてしまう。少なくとも自分はそうである。ちょっとウェットすぎるのかなあ~(笑)。

「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」(レイモンド・チャンドラー)。

さて、肝心の本書の内容である。前述どおりのコンビの対談をまとめたものだが、結論から言えば、指揮者の立場から、そして鑑賞者の立場から音楽に対するアプローチが分かりやすく述べられている。

楽譜をよりどころにして音楽を分析的な聴き方で把握するという意味で非常に参考になった。楽譜を読める人間と読めない人間にとって両者の音楽の聴き方には雲泥の差があるようである。

また、指揮者にとってシンフォニーとオペラは車の両輪みたいなもので、「ワグナーを知らないままで終わるのか」と、カラヤンが小澤氏にオペラを指揮する重要性を述べている箇所があるが、つい、「オーディオ・システムとワグナーの関係」を意識してしまった。

あの独特の弦楽器のファンダメンタルな響きを出すためにどれだけの「血(お金)と汗(手間)と涙(悔恨)」を流したことか、それでもいまだに十全ではない・・(笑)。


ほかにもバーンスタイン、カラヤン、ミレッラ・フレーニとかの有名な音楽家との交流の裏話も非常に面白いし、「レコード・マニアについて」という項目があって、音楽家はマニアにそういう見方をしているのかと目が覚める思いがした。

クラシックファンにして、まだ本書を読んでいない方は、機会があれば一度目を通しておかれても損はしないと思いますよ~。


積極的にクリック →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寓意(ぐうい)に由来する最高のサウンドとは

2024年02月18日 | 独り言

日経の文化欄は他の新聞と一味違って「センスがいい」と思っているが、以前のこと、極め付けの「流れるシリーズ」が連載されていた。

    

連載の趣旨はといえばこうである。

「音楽や映画は「時間芸術」と呼ばれる。作品の時間を支配するのは作り手だ。

絵や小説はと言うと、時間は鑑賞する側が握っている。静止する絵画の中に「流れる」ものを見つけ、自分だけの時間を味わうのも楽しいかも!と選んでみた。(脚本家 東多江子)

「時間芸術」という言葉・・、音楽や映画は鑑賞側の受け入れ準備や態勢にお構いなくひたすら終幕まで突っ走っていく。主導権は終始「作り手」側にある。

これに因んでジャズ史上で最も有名とされる言葉がある。

「音楽を聴き終わったらそれは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」(エリック・ドルフィー)

その一方、絵画は静止したままの状態でどれだけ時間をかけようとゆっくり鑑賞者を待ってくれる。逃げも隠れもしない「やさしい芸術」である。

で、この画像は「紳士とワインを飲む女」(フェルメール)である。

                     

この絵画に流れる「静謐感」をじっくり味わいましょう。

で、新聞の解説は次のとおり。 

「この女性、いけるクチと見える。ワイングラスには一滴も残っていない。

傍らの男性は、ボトルに手をかけ、「どう、もう一杯」と言い出しそうだ。女性へ注がれる視線が、そのタイミングを伺っている。

かつて絵画には「寓意(ぐうい)」があったそうだ。この絵なら、椅子の上のリュートは「愛」を、テーブルの上の楽譜は「調和」を象徴し、さらにステンドグラスに描かれている手編みを持つ女性は「節制」を意味するのだという。

つまり目の前できゅんきゅんするメロディなんかつま弾かれて、にわかに気持ちが近づいていくのはわかるけど、軽々しく貞操を破っちゃいけませんよ、といった大人の警告が仕込んである? しかし、戒めがきついほど、若い子の好奇心は膨らんでいくものだし!

絵を凝視すれば描かれた男性の視線は、この絵の中で唯一「流れる」エネルギーだとわかる。その視線を、女性は無視しようとしているが、グラスを置いたとたん、きっと言うにちがいない。

「もう一杯、いただくわ」

(1659~60年、油彩、カンバス、66.3×76.5センチ、ベルリン絵画館蔵)

文中にある「寓意」(ぐうい)とは・・。

聴き慣れない言葉だがその意味は「他の物事にかこつけて、それとなくある意味をほのめかすこと。」(広辞苑)

意図する側も、そしてされる側も「知恵」が要りそうですね、認知症防止によろしいようで~(笑)。

現代はとかく忙しくなってストレートな物言いが当たり前で間接的な言い回しは敬遠されるばかりなので「寓意」はますます縁遠くなっていると思いませんか・・。まあ、時間が豊かに流れる時代の産物とも言えますね。

この絵画で面白いのは「楽器」が「愛」を表し、「楽譜」が「調和」を表し、「手編み」が「節制」を表していること。

「楽譜=音楽」の意味するところは「調和=ハーモニー」というわけで、当時の音楽のイメージはハーモニーというわけでしょうかね・・。

というわけで「寓意」にかこつけて我が家のオーディオ機器を表現してみよう。

前段機器の「CDトラポやDAコンバーター」は「(どんな色にも染まらない)沈着、冷静、精巧」を表す

増幅段であるアンプは「(愛情を注ぎこんでくれる)
情熱」を表す

変換系であるスピーカーは「楽器」みたいなものだから当然「愛(に包んでくれる)」ですかね。

したがって「沈着、冷静、精巧」「情熱」そして「愛」の三要素が揃えば、最高のサウンドになるはずなんだけど、実はこれがいちばん難しい~(笑)。

最後に・・、現代中国の皇帝「習 近平」は「180+20」と呼ばれているそうです。これは寓意かあるいは
隠語なのか・・、なぜそう呼ばれるかはネットにありますので興味のある方はどうぞ~。



積極的にクリック →
    
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春向きのサウンド とは

2024年02月17日 | オーディオ談義

まだ早計かもしれないが、2月中旬というのにこのところ気温が10℃前後で推移しているので、今年の冬は暖冬だったと言ってよさそうだ・・、体調も比較的良かったし、心臓血管に持病を抱える人間にとっては大歓迎である。

しかし、季節によって体調が左右されるのは明らかに歳を取った証拠だね~(笑)。

で、持ち主に合わせたように「オーディオサウンド」も季節向きのサウンドがあると我が家では勝手に決めつけている。

たとえば、

<冬> 厳寒に相応しい重厚なサウンド → 大編成のオーケストラが聴けるシステムでウェストミンスターを中心とした3ウェイシステム



<春~夏> 明るくて爽やかで軽快なサウンド → 口径20~25cmのスピーカーの出番

<秋> 芸術の秋に相応しい思慮深い音 → 英国系システムの出番

と、いったところかな~。まあ、冬でも春夏向きのサウンドを聴きたくなることもあるので、その辺は臨機応変に・・(笑)。

そういうわけで、昨日(16日)は衣替えをしました。



季節の変わり目に合わせて気分転換も兼ね、実に久しぶりの出番となった。

ウーファー専用の口径20cmのユニット+JBL「175ドライバー」の組み合わせである。

さあ、これをどう料理しようかな・・、ワクワクしてきますね~(笑)。

まずは肝心のクロスオーバーだが、「175」はカタログ上では1000ヘルツから使えることになっているのだが、これまでの経験上では2000ヘルツから使った方が澄んだサウンドになる・・、少なくとも我が家では。

というわけで、ウェスタン製のオイルコンデンサー「10μF(マイクロファラッド)」でローカットした。「周波数早見表」では丁度2000ヘルツあたりになる。

そして口径20cmのユニットはウーファー専用なのでおそらく2000~3000ヘルツあたりまで伸びていると思うので(クロスは)丁度いい塩梅だろう。

さあ、問題はこの二つのユニットにどういうアンプを当てるかである。

まず「175」には、このところ脚光を浴びている我が家のスター的存在「LS7シングル」アンプを充てこんだ。高音域が加速度的に伸びているとの評価なので「175」との組み合わせやいかに~。



そして、ウーファー専用ユニットには定評のある「300Bシングル」にした。

そして、出てきたサウンドといえば・・、腰を抜かすほど驚いた!

いつも「175」には最高音域への伸びが少々足りないと不満を抱いていたのだが、今回ばかりはその不満を完全に払拭するものだった。

これならもう「075ツィーター」は不要だなあ~、そうか・・これまで使っていたアンプに責任があったのか、「175」さん長い間(あいだ)誤解しててゴメンねえ(笑)。

(「175」は)管楽器は「自家薬籠中の物」だし、ヴァイオリンでさえもうまく手なづけるし、背筋がゾクッとするような色気も漂ってくるし・・、もはや筆舌に尽くし難し~。

そして、このシステムの特徴といえばスピード感に秀でたせいか、明るくて小気味の良いサウンドに尽きる・・、もう満足、満足~。

で、実は・・、「175」を使えるもう一つのシステムがあるんですよねえ。



ウーファー部分が口径25cmのユニットとなり、箱もデカくなる・・。

さっそく鳴らしてみたところ、流石に音の目方がどっと増えた感じがするのだが、その反面「軽快感」は薄れる。

どちらが早春向きか、晩春向きか・・、どう選択したらいいんだろう。

また、難題が増えたなあ(笑)。



積極的にクリック →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さようなら」について

2024年02月16日 | 読書コーナー

いまだに現役時代の夢を見ることがある・・。つい30分前もそうだった。

いい夢ならともかく、当時の苦手だった上役から嫌味を言われるシ~ン・・、もういい加減にしてくれ~(笑)。

「上意下達」(じょうい かたつ)、いわばトップダウンのがんじがらめの中で働いた当時の心の傷がいまだに癒されていないらしい。

その点、自営業の人たちはいいなあ~(笑)。

で、そういう窮屈な組織の中で出世した人たちには、自分の経験と照らし合わせて「能力、熱意、人望」の3拍子が揃った方なんだなあと、それなりの敬意を払うことにしている。



日経新聞に不定期だが一週間に一度くらいのペースで「リーダーの本棚」という記事が掲載されている。

経済界、政界、官界などで、功成り名を遂げた方々が、どういう本を読んで啓発されたか、書名と解説がこと細かに述べられている。

中には、大蔵省の主計官だった方が「悠久のバッハ」を愛読書に挙げられたり、たしか人事院の院長だった女性が、ジェフリー・アーチャーのミステリ―を挙げていたりと、多士済々である。

本書はそういう「リーダーの本棚」をまとめた本で、35名の方々が収録されている。それぞれタメになりそうな本ばかりだったが、特に興味を惹かれたのが「山口 廣秀」氏。

日銀マンとして40年務めて、最後の上りが「副総裁」だから、生え抜き職員としては最高位を極めたことになる。33頁にこういう一節があった。

「日本人はなぜ ”さようなら” と別れるのか」と問う竹内整一さん、気軽な また会いましょう ではなく過去を踏まえ、現在を総括し、未来へのつながりも合意する さようであるならば に由来する言葉だと。日本人の精神性や死生観に根ざす別れの表現だと知って新鮮な驚きを感じました。」

つい興味を惹かれて、図書館に走りそして借りてきました。

表紙の裏側にこういう解説があった。

「一般に世界の別れ言葉は 神の身許によくあれかし (Good bye、正確には God be with you が縮まったもの)か、また会いましょう(See you again 」か、お元気で(Farewell)のどれかである。
なぜ日本人は さようなら と言って別れるのだろうか。別れ言葉 さようなら に込めてきた日本人の別れの精神を探求する。」

そして冒頭から作詞家「阿久 悠」(あく ゆう)氏の興味深い「ぼくのさよなら史」という文章が登場してくる。

人間はたぶん さよなら史 がどれくらい分厚いかによって、いい人生かどうかが決まる・・、その根底には次のような時代に対する危機感がある。

「はたして、今の人たちが さよなら という言葉を使うのだろうかと思うことがある。あまり聞いたこともないし、使っている場面を想像することもできない。そうか さよなら はすでに死語になったのだと気づき、ということは別れを自覚することもなくなり、これは全くもって悲劇だなと思えてきたのである。

生活の中で、もう少し大仰にいって人生の中で別れということに無自覚なら、感性にヒリヒリ磨くことも、感傷をジワッと広げることも、それに耐えることもできない。

人間の心というのは、いつも少し湿り気を帯びていなければならないのに、カラカラに乾かしていては味気ない。心に噴霧器で水分を与えるには、切なさや、哀しさや、寂しさの自覚が不可欠である。

人の心は さよなら によって湿りが加わるのである。なぜ さよなら を言わなくなったのだろうか。なぜ別れたことに気がつかないような不思議なことになったのだろうか」

その原因と理由について詳しく述べられていく・・。とても長くなるのでここに納めるのは無理~、興味のある方はぜひご一読ください。

で、そういえば、自分も「さようなら」と言わなくなったことに気づく・・、「それじゃ、また~」がいちばん多いかな。

その使わなくなった理由だが、そう言ってしまうと、もう貴方と二度と会いませんよという最後通牒のように受け止められはしないか、という相手への気遣い、そして何だか自分自身が孤独感に苛まれてしまう・・、といったところかな。

皆様はいかがですか~、そもそも心に「湿り気」がありますか?(笑)



積極的にクリック →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雉も鳴けばときどきいいことがある

2024年02月15日 | 独り言

「雉も鳴かずば打たれまいに」・・、無用のことを言わなければ、禍を招かないで済むことのたとえ(広辞苑)。

毎日のように情報発信(ブログ)をやっていると、その内容に対して大なり小なり賛否が入り乱れていることは容易に想像がつく・・、それに事実認識の違いだってきっとあることだろう。

肝心の書いている本人だって、その内容が完璧だなんて夢にも思ってない。

言い換えると、けっして自信満々ではなく何かしら不安が付きまとっているのが実状


まあ、物事にはすべてリスクがつきものですけどね~。

というなかで、たまたまブログの内容についてご賛同のメールをいただいたりすると非常に勇気づけられ、そしてうれしくなる。

「雉も鳴けばときどきいいことがある」

よし、まだまだ老骨に鞭打って頑張ろう・・(笑)。

つい先日のブログ「オーディオの神髄って何?」について、お二方から励ましのメールが届いた。

ありがたいことです!

まずは南スコットランド在住の「ウマさん」から紹介させていただこう。

「オーディオの真髄って、工夫に工夫を重ねて出来るだけお金を使わずに気に入った音を出すところにあるんじゃないかな〜」…大、大、大、大賛成!

 
もう、40年以上も前のことやった。開業医をやってる旧友が「俺のステレオ、聞きに来い!」そのオーディオ 、合計250万円 (当時) したと豪語する。でも、彼の高価なセットを聞いて、すぐに思った。…なんや、大した音とちゃうやんか…
 
その時かな? オーディオってお金をかければいいもんと違うんやな…と気が付いたのは。
 
だからかな? 小部屋の主の「知恵と工夫の日々研鑽に一喜一憂」に、こっちも一喜一憂する羽目に…。でもね、読んでてとても楽しい。真空管のことなどチンプンカンプンなのに。
 
で、恥ずかしながら、僕のささやかな知恵と工夫を少々…ご覧あそばせ…(あ〜、恥ずかし〜)。

  

順に、左から工作室、廃材を最大限に利用。次は、ブログ主の植木鉢をヒントを得たスコーカー

  

サランネットは女房のスカーフを拝借、まだバレてません。中はあまり見せたくないけどバスレフポートは塩ビの水道管。サブウーハーを隠すネット、厚手のボール紙と薄手のベニヤで作ったフロントロード、「WSBS」とは「ワァー、スゲェー、ビックリ、サウンド・・」と、自己満足。

いやあ、正直言って驚きました! ウマさんがこれほどまでにオーディオにご熱心とは・・、それにメチャ器用ですね! 小口径ユニットを駆使しておられることに同じ匂いを感じましたぞ・・(笑)。

次いで、横浜在住の「K」さんからは違った視点からの簡潔なメールをいただいた。



「システムに使った費用よりシステムを聴き比べる感性の醸成に費やしたその努力(時間と行動力)を金額に直せば凄い額になると思いますよ。」

あっ、そういう見方もありますか! と、盲点を突かれた感じ~。

たしかに、コスパに極めて秀でたアンプといっても前段管に使っていた「LS7」を出力管に使おうなどの発想は長年の授業料の賜物かもしれませんね~。

その授業料・・、何せ50年以上にわたってだから現有システムをひっくるめると、大谷選手で話題の「ポルシェ」1台分ぐらいにはなるかなあ・・(笑)。



積極的にクリック →
    
 



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする