「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

スクラップ & ビルド

2017年01月31日 | オーディオ談義

ときどき「オーディオの楽しみ」って、いったい何だろうと思うことがある。

もちろん音楽を聴く道具に過ぎないので「好きな音楽を好みの音質で自由に聴ける」というのが一番だろうが、それ以外にも「古い音を排し、新しい音を創造することが簡単にできる」というのもあるのではなかろうか。

つまり「スクラップ & ビルド」。

いろんな機器の入れ替えや真空管アンプの球を変えるだけでガラッと音が変わったりするが、それで万一好みの音が出たりしたときはもう天にも昇るようなうれしい気持ちになる。

いったんこういう気分を味わうと、もう歯止めが利かなくなって次から次に実験グセがつくのはマニアならご承知のとおり。

ただし、一方では作家の村上春樹さんのような例もある。若い頃はジャズ喫茶を経営していたほどのジャズマニアだが、システムはアキュフェーズのアンプとJBLの3ウェイで一貫している。お金はたんまりあるはずなので(笑)、もっと高級なシステムにアップしても何ら不思議はないが「音楽をずっと同じ音で聴きたい」のであえて替えないそうだ。たしかにこれも一理ある。

自分は過去に拘らず、少しでも気に入った音が出ればそれでいいという真逆のタイプ。

さて、我が家のフィリップスのユニット(口径30センチ、アルニコマグネット型)は、お値段の割にはたいへんな優等生で、聴けば聴くほど愛着が増すばかりだが、そのうちいかにも貧相な自作の箱に容れているのが何だか可哀想になってきた(笑)。

その実力にふさわしい、チャンとした箱に容れてやるのが持ち主の義務かもしれない。それに箱によって音がどう変化するのかも見極めたい~。

そこで同情心と期待感から、
グッドマン指定の箱に入っていた「AXIOM300」を取り外し、「フィリップス」を取り付けてみた。

同じ口径30センチのユニット同士なので簡単そのもの、30分もあればオワだ。

           

箱が「前開き」型なのでとても作業が楽で、胸をワクワクさせながら聴いてみた。

ウ~ン、これは素晴らしい。一段と良くなった!

低音域から高音域までレンジは十分だし、フィリップス独特の中高音域の艶も申し分なし、両スピーカーの間に綺麗に音像が定位する。しかも奥深い!ちなみに駆動するアンプは「PX25」シングル。

クラシックからジャズ、そしてボーカルまで大編成、小編成と何でもござれの万能タイプに見事に変身。

これなら我が家の歴史上、ベストの90点は付けられるほどで、ほとほとフィリップスのアルニコ・マグネット型の素性の良さには唸った。

この音ならどんなにウルサイお客さんがお見えになってもきっと感心することだろうと思っていたら、以心伝心なのか、土曜日(28日)に、大分からお二人、福岡からお一人、日曜日にはお一人の計4名の方々のお客さんラッシュ。

試聴結果はこちらが予想したとおり、全員がフィリップスに「これで完成しましたねえ」と絶賛、また絶賛!

まあ、他人の家に行ってシステムを悪しざまに罵る人はいないけど(笑)、その辺を割引しても今回ばかりは別格で感嘆しきりだった。

こういうベストの音が出ると、例によって「守り」に入りたくなる。そう、万一故障したときのためにスペアが是非欲しいところだ(笑)。

このユニットは口径30センチのダブルコーン型だが、タイミングよくオークションに口径20センチの同じフィリップスのアルニコマグネット型が出品されていた。

              

紛れもなくブラウン・コーン紙とアルニコマグネットの両者がそろった逸品で、口径30センチに比べて20センチのメリットも十分承知しているので「ぜひ欲しい!」と思ったが、何といっても入札価格が6万円と高っ!

これではチョット考えるなあ~。

通常の口径20センチのユニットならせいぜい1万円以下といったところなので、「皆さん、抜け目なくこのユニットの価値をよく知っている!」(笑)。

結局、切歯扼腕しながら諦めたが、AXIOM110(口径20センチ)を持ってなければ購入したんだけどなあ。

「逃がした魚は大きかった」と思うことにしよう(笑)。

 


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なぜイギリスは「ミステリーの宝庫」なのか?

2017年01月30日 | 復刻シリーズ

今年(2017)から「月曜日」に限って、これまでのブログの中で今でもアクセスが絶えない記事をピックアップして登載しているが、今回は6年ほど前に投稿したタイトル「なぜイギリスはミステリーの宝庫なのか?」である。それでは以下のとおり。


「ミステリー好き」
という点に関しては、”人後に落ちない”と思っているが、本格ミステリーの宝庫といえばまず「イギリス」

に落ち着く。

作家コナン・ドイルの名作「シャーロック・ホームズ」シリーズを嚆矢(こうし)としてアガサ・クリスティ以降、今日に至るまで延々とすぐれたミステリー作家を輩出してきている。

ミステリー作家が多いということは、需要供給の面から商売として成り立つということでその背景にはそれだけ好んで読む国民が多いということになる。

しかし、当然のことながら
「なぜミステリ-がイギリスで発祥し、このように隆盛を極めているのか?」
という素朴な疑問が付きまとう。

この理由について、興味深い記事が下記の本の152頁に書かれてあった。

「イギリス病のすすめ」(2001年、講談社文庫) 

                      

本書の著者は田中芳樹氏と土屋守氏でお二人の対談によって構成されている。

題して
「ミステリーとデモクラシー」。

「ちょっと大げさに言うと、ミステリーとデモクラシーには相関性があるって言いますね。つまり『事件が起きたら証拠なしで怪しげなやつをひっつかまえてきて拷問して白状させる』というような社会では、ミステリーは発達しない。科学的に証拠を固めて、推理して・・・という過程を踏むような社会でこそ発達する~」

ナルホド、なるほど。

中国やアフリカ、南米諸国にはミステリー作家がほとんどいない、したがって読者も少ないという理由もこれでおおかた”カタ”がつく。政治思想犯をとっ捕まえて監禁するなんてまったく論外。

ミステリー発展の根源を求めていくと「一人ひとりの人権を大切にする社会風土と警察の科学的な捜査手法」
に突き当たるなんて、なかなかユニークな見方だと思う。

イギリスの警察は世界で一番歴史が古い。18世紀に始まった市民警察を前身として1829年には正規の警察組織として発足している。(ウィキペディア)

余談だがスコットランド・ヤード(所在地の地名)といえばロンドン警視庁のことだが、これは日本の首都・東京の治安を一手に引き受ける「警視庁」を「桜田門」と呼ぶのに等しい。

とにかく、ミステリー発展のためにはそれなりの環境が必要ということがこれで分かる。


ミステリー作家が活躍し幅広く国民各層で読まれるのは社会がある程度健全に機能している証拠の一つというわけで、ミステリー・ファンのひとりとして何となくうれしい気分になる。

そういう意味でイギリス、アメリカ、フランス(メグレ警部シリーズ)、スウェーデン(マルティン・ベックシリーズ)、そして我が日本などは大いに胸を張っていいのかもしれない。

もっともその日本でさえ第二次大戦前は江戸川乱歩が「怪人二十面相」を書くことさえ禁止されていたくらいで、あの悪名高い「治安維持法」による共産主義者などへの弾圧、「蟹工船」の作者小林多喜二の拷問死なんかを思い起こせば現代と比べるとまさに隔世の感がある。

何とも「いい時代」になったものだが、はてさて今日の日本におけるミステリー隆盛の礎を築いたのはもちろんその江戸川乱歩(享年71歳)さん

日本の推理作家の登竜門として有名な「江戸川乱歩賞」(賞金1千万円)は彼が私財を投げ打って1954年に創設したもので以後、西村京太郎、森村誠一、東野圭吾など幾多の人気作家を輩出しながら今日まで55回を数える。

そのほかいろんな新進作家の面倒をみたりして育成に力を注ぐなど(日本のミステリー界で)彼の果たした役割と功績は計り知れない。

その辺のミステリー発展の軌跡について推理作家「佐野 洋」氏によって詳らかにされているのが次の本。

 「ミステリーとの半世紀」(2009.2.25、小学館) 

 
                                 

佐野 洋氏の自伝ともいうべき本だが、日本ミステリー界の歴史についてこれほど内輪話が載っている本も珍しい。

興味津津で読ませてもらったが、江戸川乱歩の思い出と功績については
「乱歩さんとのこと1~4」
までわざわざ4項目を割いて詳述してある。若手作家による原稿料の値上げなどの要求にも真摯に応じる気配りの細やかな乱歩の人間像が見事に浮かび上がってくる。

そのほか
「冷や汗二題」
では次のような面白いエピソードが語られる。

あるホテルのロビーで川端康成氏が座っている前のテレビを三好徹氏と一緒になって中央競馬桜花賞の中継をどうしても見たいがために無断でチャンネルを変えてしまい、後になって関係者からもし相手が江戸川乱歩氏だったら同じようなことが出来たかどうかと詰問される。

そのときは「うう~ん、乱歩さんだったら、ちょっと躊躇したかもしれません」なんて正直な告白が出てきたりする。

純文学とミステリーの間の落差というか、垣根みたいなものを物語っているようで面白い。 


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真空管アンプはハンダで音が変わる!

2017年01月27日 | 魅惑の真空管アンプ

今回ばかりは表題をどうするか迷った。話題沸騰中の「6FD7」アンプに関することなので「魅惑の真空管アンプ~その12~」にするか、それとも「真空管アンプはハンダで音が変わる!」にしようか。

結局、「風変わりなタイトル」を付けたときの誘引力は無視できないので(笑)、後者にしたが、その代わりカテゴリーは「魅惑の真空管アンプ」のままなので、実質「~その12~」としておこう。

さて、我が家に真空管アンプ「6FD7」の完成品がやってきてからおよそ1か月。

     

今ではエース級として八面六臂の大活躍で、「グッドマンAXIOM150マークⅡ・イン・ウェストミンスター」を鳴らすときには欠かせない存在になっている。

これまで主にPX25シングルアンプを使ってきたが、弦楽器はいいもののピアノの再生に難があって時折り甲高い音にヒヤリとすることがあったが、それがこの「6FD7」アンプだと弦楽器もピアノもボーカルも「何でもござれ」で、まずはひと安心。

たかがテレビ用の小さな真空管が大型の古典管に対して互角以上の勝負をするのが不思議でたまらないが、改めてその主な理由を3点ほど列挙してみると、

 出力管がドライバー機能と出力機能とを併せ持っているため信号の伝達ロスが極めて少ない

 個人の手巻きによる優秀な出力トランス(周波数の再生帯域が7~5万ヘルツを誇る)が利いている

 百戦錬磨のアンプビルダーたちが知恵を振り絞った独自の回路

ところが、これらに加えてほかにも大切な秘密があったんですよねえ(笑)。
     

結論から言うと、それは真空管アンプを製作する時に欠かせない「ハンダ」のブランドにあったのだ!

判りやすいように、このアンプの製作者様(Kさん)との問答を再現してみよう。

Kさん「使用するハンダの種類で音は随分変わりますよ。端的な例を挙げるとエレキ・ギターですね。ギターの内部配線のハンダを変えるだけで音が一変するので、(ハンダの種類に)拘るエレキ奏者がとても多いです。

真空管アンプにしても以前古いウェスタン製のアンプを修繕したことがありますがソックリそのまま復元したのに肝心の音の方が蘇りません。原因は使うハンダにありました。爾来、古いアンプを修繕するときは可能な限り使用されているハンダを吸い取ってそのまま使用することにしています。」

「ほう~、たかがハンダごときでそんなに音が変わりますか!ちなみにこの6FD7アンプはどのくらいハンダ付けの箇所があるんでしょう?」

Kさん「そうですねえ。手元に回路図があるので数えてみましょうか。1,2,3・・・・。全体で65か所ぐらいですかねえ。」

「そんなに沢山ありますか!そのうち音声信号系統と電源系統に分けるとすると、どのくらいの比率になりますかね。」

Kさん「音声信号系統のハンダ付けの箇所となりますとおよそ35か所ぐらいになります。」

「ハンダは一種の抵抗素材ともいえますから35か所もの関所があればハンダの種類によって音が変わるというのは十分納得できますね。ちなみにこれまで使用された中で一番音のいいハンダのブランドは何ですか?」

話はいよいよ核心に迫っていく(笑)。

Kさん「それは〇〇〇です。もう市販はされていませんので昔買い込んだものを大切に使っています。古いアンプでも回路はそのままで結線の箇所をこのハンダに入れ替えるだけで音が激変しますよ。」

「そうですか!この6FD7アンプにもそのハンダを使っていただいているんでしょうね?」

Kさん「もちろんです!」

ああ、良かったあ(笑)。

世にアマチュアのアンプ・ビルダーさんは数多いが、どうしてもプロに及ばないのはこういうところに一因があるのかもしれない。

血なまぐさい激動の幕末期に、「新選組」が「勤王の志士」たちを襲撃したあの有名な「池田屋騒動」事件で当時現場で死亡したのはなまじ剣術の腕に心得のある連中ばかりだったという。腕に覚えのない面々はハナから逃亡したおかげで命が助かった。

「生兵法は大怪我の基」ということを言いたいわけだが、ほんとうに家庭で音楽をいい音で聴きたいと思ったら、つまらないプライドは捨てて(よほどのプロ級は別だが)、ハナからプロが作ったアンプを使った方がいいと思うが、これはちょっと言い過ぎかなあ(笑)。


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スピーカーの「キャスター付き台車」作り

2017年01月24日 | オーディオ談義

このところすっかりメル友さんの影響を受けて「平行法」とかいうスピーカーの設置方法にハマっている。

その「平行法」なるものを理論的に把握しているわけではないが、自己流の解釈では「SPユニットからリスナーの耳に届く直接音と、部屋の床や壁面、天井に当たって跳ね返って来る間接音とを音響空間の中でうまくマッチングさせるためのベストポイント探し」だと理解している。

どうやら部屋の中にカメラのフォーカスのようにピタリと音響の焦点が合うポイントがあるらしい。

これまで、「あまりにも直接音に囚われすぎてきた傾向があったかもしれない」という自己反省も当然ある。

いずれにしても、ビンボー人にとってはお金がかからないのが一番なので(笑)、気軽にいろいろとスピーカーの置き場所を実験しているが、何といっても我が家で一番ネックになっているのが「ウェストミンスター」である。なにしろ重量100kg以上もあるので簡単には動かせないのが悩みの種。

たいして「いい音」は出せないくせに、図体ばかり大きいんだから~。「大男総身に知恵は回り兼ね」だ(笑)。

そこで思い付いたのが、キャスター付きの台車を作って、その上に載せてみたらどうだろう?

そうはいっても、スピーカーをキャスター付きの台車に載せて聴くなんてことは決して音質的に誉められたことではない。それは十分承知しているが、部屋の中で最適な設置場所を簡単に探すことができるというプラス面もある。

いつものようにオーディオにはつきもののプラスとマイナスの差し引き勘定になるが、最終的に後者のメリットの方が大きいと判断した。な~に、どうせ実験だから(笑)。

家内が居る時に作業するとせいぜい「眉を顰められる」のが関の山なので、土日をやり過ごして月曜日(23日)の朝一でホームセンターに駆け込んだ。

合板を寸法通りにカットしてもらって家に持ち帰り、手持ちのキャスターを4隅に取り付けた。

          

真ん中に穴を開けたのは「共振防止」のためだが、素人考えなので精神安定剤みたいなものだ。問題は4つのキャスターで100kg以上の重量を支えきれるかどうか。

1個のキャスターの耐荷重は「30kg」なので、合計4個の時の耐荷重の目安はメーカーによると「30kg×4×0.8=96kg」とされている。ギリギリだけど、ま、やってみっか。命まで取られることはないだろう(笑)。

作業はバタバタと手際よく済んだが、いよいよ台車にウェストミンスターを載せるのがたいへんで、こればかりはとても一人の作業では手に負えない。男手がもう一人必要だ。

すぐに思い浮かんだのがクルマで10分ほどの所にお住いの「Y」さん。我が家にもたびたび来ていただいている大切な「ご意見番」である。

平日なのでお仕事中なのはもちろんだが、なにしろ「理事長」さんなので上司の許可を得ることなく自由に時間の都合が付くはずと踏んであつかましくお願いしてみた。

「お仕事中で恐縮ですけど、キャスター付きの台車を作ってウェストミンスターを載せたいので加勢してもらえませんかね。」

「エッ、仕事中なんですけど・・・。しかし、そういうことなら今から行きましょう。」

やはり持つべきものは、遠くの親戚よりも近くの他人、それも熱心なオーディオ仲間ですねえ(笑)。

載せる手順は次のとおり。

まずウェストミンスターを後ろ側に大きく倒してそれを一人が受け止める。前からもう一人が倒した隙間に台車を限界まで差し入れる。そこで後ろ側からグイッと起こすとストンと8割方載る。そこから向きを変えて壁に押し付けて台車に完全に載せ終える。

事前に描いたシナリオ通り、左右両チャンネル分が実にうまくいった。一番心配したキャスターの耐荷重だが今のところややぎこちないが動いてくれるのでまあいいだろう。こういうときに床面をコンクリートの打ち抜きにしているのが大いに役に立つ。

                

この大きな図体のスピーカーが自由に動かせるようになった効果は大きい。

試しに以前よりもぐっと手前に引き寄せたところ、背後に大きな空間を設けることができたので、音像の方もスピーカーの後ろ側に奥深く位置するようになって、クラシックを聴くには持ってこいである。

ステージの再現性と音の彫りの深さが一段と良くなった気がする~(笑)。

しかも、ウェストミンスターをキャスター付きの台車に載せたことによる音質の劣化は自分の耳では感じなかった。

最後に「費用 対 効果」についてだが、「木材代 2000円 対 満足度無限大」なので、その価値はまずもって測り知れないところだ。ま、自己満足にすぎないのだが(笑)。
  


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「タンパク質の音楽」とは

2017年01月23日 | 復刻シリーズ

今年(2017)から「月曜日」に限って、これまでのブログの中で今でもアクセスが絶えない記事をピックアップして登載しているが、今回は7年ほど前に投稿したタイトル「タンパク質の音楽」である。(「復刻シリーズ」)

2回に分けて投稿していたものを1本にまとめたので長くなったが悪しからず。それでは以下のとおり。

音楽の効用といえば通常、ストレス解消~精神の高揚などが言われているが、それ以外にもたとえば乳牛にモーツァルトの音楽を聴かせると乳の出が良くなったとか、トマトに音楽を毎日一定時間聞かせると成長が促進されるなどの不思議な現象の話もしばしば散見する。

その因果関係については科学的な根拠がハッキリと示されたわけでもないので「偶然の産物」とか「眉唾モノ」という受け止め方が一般的。

しかし、こうした生物と音楽とを結びつける不思議な現象の「科学的根拠」として提唱されているのがここで紹介する
「タンパク質の音楽」だ。

「生命の暗号を聴く」(2007.8.14、深川洋一著、小学館刊)    

興味をもったのでやや”理屈っぽくなる”が順を追って紹介してみよう。

ただし、最終的にこの内容を信じる信じないは個人の自由であり、決して押し付けるつもりはないので念のため!

☆ 「音楽の不思議な力の由来」について

「音楽」とは一体何か。音楽を知らない人はいないのに、言葉で説明しようとするとうまく説明できないのが音楽だ。(そもそも音符を言葉で表現するなんて、どだい無理な話だ。)

まず、音楽の起源について。

中国では音楽を意味する文字として「樂」という語が一般に用いられていた。「樂」は象形文字で、楽器とそれを載せる台の組み合わせでできている。上辺の中心文字である白という字が鼓を象(かたど)っているとすると、太鼓のような楽器を叩いて音を出したことが、音楽という概念が生まれるきっかけになったとも考えられる。

西洋に目を転じると、「音楽」に対応する英語は「ミュージック」である。その語源をたどっていくと、ギリシャ語の「ムシケー」に行き着く。

これは「ムーサの技芸」という意味で、これに対応する英単語が「ミューズ」(学芸をつかさどる女神)→「ミュージック」(ミューズの技芸)となる。因みにミューズの女神を祭った場所が、美術館や博物館を意味する「ミュージアム」である。

ミューズ(女神)は全部で9人いる。いずれも神々の頂点に立つゼウスと記憶の女神ムネモシュネとの間に生まれた娘たちである。それぞれ、天文学、喜劇、舞踊、宗教音楽、悲劇、音楽、歴史、叙事詩(2名)を担っている。

(音楽には終始優しい女性的なイメージがつきまとっているがこの辺に由来しているのかもしれない)

なお、天と地の結びつきによって生まれた女神ムネモシュネ(天空の神ウラノスと大地の女神ガイアの娘)がミューズたちの母であるというのは音楽の意味を考える意味で示唆的である。

アフリカでは「音楽は神々の言語である」と見なされているし、カトリック・キリスト教でも、「音楽は天国の言語であり、それを人間が発見して真似したのが教会音楽である」とされている。

音楽が天と地をつなぐものであれば、神秘的な力を持っているのは当然で音楽の不思議な効果は古今東西を問わず、物語の形で多数残されている。

☆ 「細胞が奏でる音楽」
とは

こうした不思議な効果を持つ音楽と生物を科学的に結びつけるカギがステルンナイメール博士(素粒子論を専門とする理論物理学者)による「タンパク質の音楽」の発見である。ご承知のとおり、タンパク質は生物の身体を構成する基本材料である。細胞の中で必要に応じて必要なタンパク質が合成されるから生物は生きていける。

たとえば皮膚のコラーゲン、髪の毛や爪のケラチン、赤血球に含まれるヘモグロビン、それに血糖値を下げるインスリンなどの酵素もそうだが、これらは壊れては新たに合成されるという新陳代謝によって生まれ変わっている。

ステルンナイメール博士によるとそれぞれのタンパク質は独自のメロディを持っているという。「コラーゲン」という題名の曲、「インスリン」という題名の曲があるというのだ!それぞれの曲はDNAの中に「生命の暗号」として隠れている。

DNAが四種類の塩基からなることはよく知られている。A=アデニン、T=チミン、G=グアニン、C=シトシンである。これらの塩基が決められた順番で並ぶことで一種の「文章」が作られている。つまりDNAとは四種類のアルファベットでできた書物であり、「辞書」を作ればそれを読んで理解できるようになるはず。

ステルンナイメール博士は理論的な研究に基づき、同じDNAという書物を文章としてだけでなく音楽としても読めることを発見した。タンパク質のアミノ酸配列を解読してメロディに変換する規則を見出すとともに、そのメロディの持つ意味まで明らかにした。その規則にしたがって得られたメロディを「タンパク質の音楽」と呼ぶ。

ひとつのタンパク質には合成を盛んにするメロディと合成を抑えるメロディとがあって、それぞれ独自の非可変式チューナーがあり、そのメロディを同調させて電磁波に変換して細胞に伝えていくという。 

☆ 生き物に働きかける「タンパク質の音楽」

<トマトの生育実験>

1999年ベルギー人によりトマトの成長に及ぼす効果が実験で確認された。ラジカセにより2ヶ月間、一日につき12分間、エクステンシン(成長を促進するタンパク質)、シトクロムC(光合成を促進するタンパク質)などのメロディを聞かせたところ、そうでないトマトとでは平均で高さ20cmの差が出た。

しかし、薬と同じように適量の使用を守ることが大切で、度を越して聞かせすぎるとかえって害が出たり、合わない音楽を使ったりすると逆に副作用が出る。

☆ 「タンパク質の音楽」と「人間が作曲した音楽」の関係

さて、「タンパク質の音楽」と「人間が作曲した音楽」の関係だが、具体的な曲目を明らかにして話が展開されていくが、ここではとりわけ人間にとって極めて厄介な病気「ガン」について詳述してみよう。

これまでに見つかったガン遺伝子は100個以上にのぼるが、そのうち初めて人のガン細胞から見つかったラス遺伝子
が非常に有名である。このラス遺伝子は細胞の外から中へと情報が伝達されるときの中継役を担っているわけだが、各種のガンで異常が見られるケースの割合は次のとおり。

肺ガン → 30%、大腸ガン → 40%、 膵臓ガン → 80%となっており、そのほか甲状腺ガン、子宮頸ガン、造血系ガンなどにも広範に関係している。

この恐るべきラス遺伝子の働きを抑制するメロディの断片を含んでいるのがサイモン&ガーファンケルの「サウンド・オブ・サイレンス」(出だしの部分)
である。
 

さらに、ガン細胞を殺すNK-TRタンパク質にはベートーヴェンの「第九交響曲」の合唱部分「歓喜の歌」の出だし部分とそっくりのメロディが隠されている。日本では年末に「第九」が恒例のように各地で演奏されるがこれはガンを退治する上でもまことに結構なこと。

「音楽を聴くことで癌を寄せつけない」となるとこれぐらい”いい”ことはないが~


くどいようだがさらにガン対策を続けよう。

ガンを殺すのに重要な役割を担っているナチュラル・キラー細胞だがストレスによってその活性が低下する。そのためストレス解消を謳ったCDが市場に数多く出ている。

その中の曲目でよく用いられているのがドイツ・バロック時代の傑作パッヘルベルの「カノン」
である。この曲は特にストレス軽減に良いと言われているが、効果に科学的な根拠はあるのだろうか。

94年に「カノン」その他の音楽が身体に及ぼす影響を調べる実験がアメリカで行われた。被験者は男性外科医50名、平均年齢は52歳、自己申告によると全員音楽好き。

連続して引き算をさせるというストレスを与えながら、

1 パ
ッヘルベルの「カノン」
2 
被験者が自分で択んだ曲
3 
音楽なし
の3つの場合で、血圧、心拍数、皮膚の電気抵抗を調べた。

すると、1の「カノン」を聞かせたときには3の音楽なしのときと比べて明らかにストレスが減ることが分かった。この「カノン」の特徴は出だしの八つの音符にあるが、このバリエーションに関係するのがGTP分解酵素活性化タンパク質(略してGAP)の主題のメロデイである。このGAPは前述したラス遺伝子を不活性化する働きがある。
 

ただし、1の「カノン」より2の自分で択んだ曲を聴く方がストレスがはるかに少なくなる結果が出た。因みに好きな曲は46人がクラシック、2人がジャズ、残る2人がアイルランド民謡を択んだが、面白いことに択ばれたのはすべて異なる曲であった。

この事実から、ステルンナイメールイ博士は次のように語っている。
 

「ストレスといっても人によって千差万別で、自分の好きな曲を聴くのが大切である。これは人によって問題のあるタンパク質が異なっていることを意味している。

だから、聴いた人が心地よく感じる曲を分析してその人のストレスにはどのタンパク質が関っているかを知ると、より適切なストレス低減ができる。このことはストレスだけでなく、病気にも当てはまる。」

続いて、ガン遺伝子の合成を促進するメロディを含んだ歌(「キス・ミー」)を長年歌い続けたばかりに2000年に肺ガンで亡くなったフランスの歌手C・ジェローム(53歳)の実例が紹介される。彼は晩年、「この曲を歌いたくない」と言っていたが「持ち歌」だったので仕方がなかったらしい。

用心しないと「タンパク質の音楽」を不用意に聴きすぎて副作用が出たケースも沢山あるそうで、音楽は自分の好きなものだけを好きなだけ聴くことが大切
で、イヤなものを強制されて聴くということがあってはならないとのことだった。(さもないとガンになってしまう可能性がある!)

以上のような内容だったが、興味のある方は原典を読むに限る。

将来、自分のいろんなタンパク質のメロディを分析することで、病気になったときに薬や手術に頼らずに症状に対応した音楽を聴くことで治ってしまう夢のような時代がいずれやってくるかもしれないと思った。

いずれにしても、聴いて快感を覚える音楽が自分のある種のタンパク質が求めている音楽であり、病気の予防・治癒にも大いに効果を発揮するに違いない。

日頃、ふと、あの曲が聴きたいなんて思うことがよくあるが、無意識のうちにDNAが要求しているのかもしれない。

「モーツァルト好きはガンにならない」という統計結果あたりが出てくれると、おおっぴらに「音楽&オーディオ」に打ち込めて「けっして無駄な投資ではない」と、カミサンへの何よりの説得力になるのだが(笑)~。


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カルロス・ゴーン氏の「私の履歴書」

2017年01月21日 | 独り言

日本経済新聞に掲載されている「私の履歴書」は、政治、経済、スポーツ、芸能など各界で「功成り名を遂げた」一流の方々が登場することで知られている人気シリーズで、いわば有名人の「自伝」みたいなもの。

この歳になっても向上心は失いたくないので、何か啓発されることはないものかといつも興味深く読ませてもらっているが、こういう言い方をすると不遜だが、ときどき中には首を傾げたくなる方もいたりしてやっぱり登場人物にも「当たりハズレ」があるようだ。今のところ「この人は凄い!」と唸る確率は3割程度といったところかな(笑)。

こういう自伝につきものの「自慢話」が少々鼻につくのは致し方ないことかもしれない。

それで思い出すのが「バラク・オバマ自伝」である。ずっと昔に(2008.2.10)このブログで取り上げたことがあるが、この本の冒頭に著者による次のような断り書きがある。

「どの自伝も危険をはらんでいるものだ。筆者にとって都合がいいように色付けし、個人の貢献を誇張し、都合が悪いことは伏せておきたいと思うのが人情である。自伝の主人公が虚栄心を持つ未熟者であればなおさらだ。本書にそのようなことは一切ない、とは言い切れない」

ほんの些細なことだが、以上のことからもオバマさんの「繊細さとたくまざる知性」が垣間見えるようだ。そのオバマさんも、いよいよ本日(1月21日:日本時間)ホワイトハウスを去って行った。

さて、今年(2017年)に入って1月1日から「私の履歴書」に登場しているのは「カルロス・ゴーン」氏だった。

              

「エッ、日本人じゃなくていいの?」と思ったが、「国内企業(日産自動車)の社長なら国籍を問わず」というのがその理由だろう。

ゴーン氏といえば目の玉が飛び出るような高給取りの社長として有名だが、そういうこともあって、どうせ「出稼ぎ根性の持ち主」だろうとあまりいい印象を持ってなかったが、この連載を読んでいくうちに久しぶりに「当たり~」。

至る箇所で「人間という摩訶不思議で複雑な生き物」を組織の中でどうやって活用していくのか、鋭い洞察力と目標に向けての迸るような熱気が全編を通奏低音のように流れているのだ。

たいへんな共感を覚えたので、まだ連載中なのだが初回からすべてコピーし、保存している。

その中から自分用として印象に残った言葉を抜き書きしてみた。いわば「ゴーン語録」だ。

1月3日 第2回

よくあることだが、嫌いだった人には「ああ、こんなに重要な人だったのだ」と後で気付かされることが多い。嫌いということの背景には何か重要なことが隠されている。それは後になって分かる。

1月4日 第3回

ものごとを複雑にしてしまうのはそれが何も理解できていないからだ。

1月15日 第14回

ビジョンを社員に浸透させるのに重要なのは共通の言語だ。私はそれが数字だと思っている。~中略~数字は多様な言語、文化の中で育った私が考え抜いた共通の言語なのだ。


1月17日(火) 第16回

1日は短い。だが、時間が足りないと感じるのはまだまだ時間を有効活用しきれていないということでもあると思う。

1月18日(水) 第17回

人間のモチベーションを左右する最も重要なものは「帰属意識(belonging)」だと思う。


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イヌの顔は飼い主に似る、って本当?~続編~

2017年01月19日 | 独り言
去る9日(月)に登載した「イヌの顔は飼い主に似る、って本当?」(復刻版)は予想以上の反響があった。過去記事にもかかわらずアクセス数は急増するし、全体順位(NTT系のグー・ブログ)でもこれまでにないほどの上位を占めた。

どうやら小難しい理屈を並べ立てたオーディオよりもこういう肩の凝らない記事の方が喜ばれるようで(笑)。

メル友の「I」さん(東海地方)からも愛犬の写真とともに次のようなメールが届いた。オーディオ機器の前で寝そべる「パピヨン」ちゃん、とても可愛いですねえ!

                 

メールにはこうあった。

「犬は人なり」、「音も人なり」、こういう切り口大好きです。
 
拙宅の話で恐縮ですが、写真の愛犬はパピヨンのおす13歳、蘭丸です。立ち耳です。家内は短髪、ヤッパね。
 
ところで、ゴールデンレトリーバーのオスを一緒に飼っていた期間がありました。ゴールデンはたれ耳です。このころの家内は?・・セミロングだったそうです。出来すぎですね(笑)
 
ちなみに、このゴールデンは12歳と長命でした。名前はベル。2匹の名前を繋げて「らんまるベル」というネームを投稿用に使っています。 
 
「音は人なり」まさに同感です。オーディオ愛好家は、どういうわけか(この「わけ」はあまり追求しない方が賢明かと思います)複数のシステムを鳴らされている方が多いと感じています。
 
またも拙宅の話で恐縮ですが、当方も常に3~4のシステムから音が出るようになっています。
私の場合は、人間の本性に根ざした「わけ」ではなく、単純に違う音を出してみたいという理由からです、エー?
 
ところが最近気が付きました。どのシステムも音が似ているのです。
 
私の目指している再生音は、いわゆる「かまぼこ型」です。中音域に決してディップを作らない、少々膨らむのは可、という考えです。
 
システム改善の過程は、この「かまぼこ型」を左右(低域側・高域側)に素直に伸ばしていく作業だったと、振り返れば、そう思います。
 
弦楽アンサンブルを美しくとか、管楽器のアタックを鮮明にとか、テーマは異なっても、出てくる音は、かなり似ています。
 
人間、好きな音の傾向から逃れられない、逆に言うと、嫌いな音は聴いていられない、ということでしょうか。
 
また、カエサルの言にあるように「人は聴きたい音しか聴いていない」というところでしょうか。」 

さっそく、次のような返信メールを送った。 

「ブログのタイトルは<犬は人なり、音も人なり>にすればよかったですね(笑)。かまぼこ型の音だそうですが、言われてみると我が家もそうです。しかも4つのシステムが似たような傾向になっているのも同じです。とても面白い発見に気づかせていただきありがとうございました。」

我が家の4系統のシステムだが、単純に違うスピーカーの音を楽しみたいという目的だったのに、自然とどれもこれも似たような音になっているのには参った(笑)。

実を言うと、最近になって少々マンネリ気味で面白くないなあと思っていたところだった。一つぐらいはまったく毛色の変わったシステムがあってもいいんじゃないというわけで、例によってゾロリと浮気の虫が~(笑)。

まだ一つだけ手元の機器の中でどうしても実験してみたい組み合わせが残っている。
 

それはJBLの「D130」ウーファー(口径38センチ)と075「ツイーター」(あるいはワーフェデールのコーン型ツィーター)の組み合わせ。

思い描いている構想は次のとおり。

<2ウェイ・マルチ・システム:NCネットワーク方式>

 周波数(~7000ヘルツ:6db/oct)

プリアンプ → パワーアンプ「PX25」 → スピーカー(JBL「D130」) → 箱「ウェストミンスター」

 周波数(7000ヘルツ~:6db/oct)
プリアンプ → パワーアンプ「171シングル」 → スピーカー(ツィーター:JBL「075」 or ワーフェデール「コーン型ツィーター」

「お前はフルレンジで落ち着いたはずなのに、まだ懲りないのか!」

と、叱責する声がどこからか聞こえてきそうだが、グッドマンの「AXIOM150マークⅡ」という絶対的な避難先があるので、気楽に実験できるというわけだ。

そのうち、やってみたい気もするが「人は聴きたい音しか聴いていない」となると、生粋のJBLの音もグッドマンの音に似てくるかもしれないなあ(笑)。

 


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「北国のおじさん」からお借りした真空管アンプ

2017年01月17日 | オーディオ談義

丁度、2年前(2015)の1月に「北国のおじさんシリーズ」と銘打ったタイトルで3回に分けてブログに掲載したことを覚えておられるだろうか?

         

要は「北国のおじさん」(自称)はアンプ歴が50年以上を誇り、有名な「205D」アンプなどを自作され、SPシステムも中高音域用に独自に加工されたホルンなどを使用されているなど、それはもうたいへんなオーディオ愛好家である。

メールを通じて交流が始まり、ご好意でホルン(1ペア)をいただいたりして、大いに勉強させていただいたが、このブログにも再々登場される「北国の真空管博士」とはクルマで20分程度の距離とのことで、ご昵懇の仲だとか。

そのお二人が協力し合って、このほど「71Aアンプ」を製作されたとお聞きして、これは黙って見逃す手はなく是非聴かせていただこうと申し込んだ。

「71A真空管は大好きです。あつかましいお願いですが一度試聴させていただけませんか?」

すると「売り物ではありませんが、試聴するだけならいいですよ。」とご快諾。

そのアンプがこのほど到着した。梱包を解くとジャジャ~ン。

         

いかにも「歴戦の勇士」が作った凄そうなアンプ。いろんなメーターが付いていて、何から何までマニアックな感じがする。

事前に伺ったお話では、インプットランスはウェスタン製、インターステージ・トランスは「UTC」、出力トランスはアメリカ製、前段管は「AC/HL」(ナス管:英国マツダ)とのことだった。

さあ、いったいどういう音がするんだろう?胸をワクワクさせながら結線した。

CDトランスポート → DAコンバーター → パワーアンプ「71A」 → スピーカー「AXIOM150マークⅡ・イン・ウェストミンスター」というラインアップ。音の傾向をピュアに把握するためにプリアンプはあえて入れない。

はじめに付属していた71A(ST管)で聴いてみたが、どこといって過不足のないいかにも素性のいい模範的な71Aの鳴り方。スピーカーの弱点を殊更責め立てることなくうまくカバーしてくれるので、いかにも「礼節を知る球」としてその特徴がモロに出ている。

「流石だなあ」と、唸りながら今度は「71A」を手持ちの「471ーB」(デフォレ:ナス管)に差し替えてみた。すると、一段と響きが良くなってレンジも拡大。

「これは素晴らしい。」

もっと欲が出て、今度は「471ーB」から「371」(トリタン仕様)に差し替えてみるとこれがまた一段と素晴らしい。結局この球が出力管としてベストだった。

ちなみに、古典管の泰山北斗「北国の真空管博士」によると、「171系はフィラメント電流のバリエーションが豊富で、私が知っているだけでもこれだけあります。」 

「471B  0.125A」 「171A  0.25A」 「071A  0.25A」 「171  0.5A」 「071 0.5A」 「AC171 0.5A」 「171AC 0.5A」 「171AC(Hytron)1.25A」 「C182  0.75A」 「C183(481) 1.25A」 「C182B(482B) 1.25A」  

通常、オークションで取引されているものは「171A 0.25A」が一般的だが、基本的なツクリがしっかりしているので今からおよそ90年前の真空管にもかかわらずこれだけのヴァリエーションがある。このうち大半を所有し、いろいろと差し替えて楽しんでいるが、いまだにまるで深山幽谷に迷い込んだように飽きがこない(笑)。

いずれにしても「このアンプ売り物ではないというけど欲しいなあ!」

いつぞやのブログにも記載したが、我が家のエース級「PX25シングル」アンプと比較すると、71系は「素顔美人」で「PX25」は「お化粧美人」に分類でき、真空管アンプを愛好される方なら「71系」は一家に1台は必要だと思っているが、ただし、我が家にはいまのところ「71」関係のアンプが3台ある。

すべてナス管だが、「371Aプッシュプル」、「171シングル」(インターステージ・トランス内蔵)、「371Aシングル」。

今回のアンプははたしてこの中でどういう位置づけになるんだろうかと考えてみたが、それぞれに捨て難く「いずれ アヤメ か カキツバタ」・・・。

長く置いておくと未練が出そうだし、それかといってすぐに返すのももったいないし、現在「沈思黙考」中(笑)~。
 


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音楽こぼれ話

2017年01月16日 | 復刻シリーズ

今年(2017)から「月曜日」に限って、過去記事の中で今でもアクセスが絶えないものをピックアップしてお届けしているが、いわば「プレミアム セレクション」とし、カテゴリーは「復刻シリ~ズ」に分類している。

今回は5年半ほど前に投稿したタイトル「音楽こぼれ話」である。それでは以下のとおり。

たまには肩の凝らない話ということで音楽家についてのエピソードや笑い話をいくつか紹介。

いずれも実話で、たわいない話のかげにも芸術家のちょっとした人間性が伺われるところが面白い。
 

「休止符のおしゃべり」(渡辺 護著、音楽の友社刊)  
             
                   

 
ドイツの大ピアニストであるウィルヘルム・バックハウスが中米のある町で演奏したときのこと、客席に一人の女性が幼児を連れて座っていたが、その子が笑ったり、ガタガタ音を立てたりしてうるさくてしようがない。

バックハウスはマネジャーを通じてその夫人に立ち去るよう要請した。彼女は立ち去り際に、憤慨した様子で聞こえよがしにこう言った

「ふん、一人前のピアニストとはいえないね。私の妹なんかは、この子がそばでどんなに騒いでいても、ちゃんとピアノが弾けるんだよ!」

 名指揮者カール・ベームは友人とチレア作曲のオペラ「アドリアーナ・ルクヴルール」を見に行った。しかし、ベームはどうしてもこのオペラにあまり感心できない。

見ると客席の二列前にひとりの老人が気持ち良さそうに眠っていた。ベームは連れの友人に言った。

「あれを見たまえ、このオペラに対する最も妥当な鑑賞法はあれだね!」

「しっ!」友人は驚いて、ベームにささやいた。「あの老人はほかならぬ作曲者のチレアなんだよ!」

 
1956年6月、ウィーン国立歌劇場で「トリスタンとイゾルデ」がカラヤン指揮で上演された。

その総練習のとき、イゾルデ役を演じるビルギット・ニルソンのつけていた真珠の首飾りの糸が切れて、真珠が舞台上にばらまかれてしまった。

みんながそれを拾いはじめたが、カラヤンもまた手助けして数個を拾いあげた。

「これは素晴らしい真珠ですね。きっとスカラ座出演の報酬でお求めになったのでしょう」と、当時ウィーン国立歌劇場総監督の地位にあったカラヤンが皮肉を言った。

ニルソンも負けてはいない。
「いいえ、これはイミテーションです。ウィーン国立歌劇場の報酬で買ったものです。」

 「あいつがぼくよりギャラが高いのは、いったいどういう訳なんだ!」音楽家の間でのこういう”やっかみ”
はよく聞かれること。

作曲家ピエトロ・マスカーニはあるとき、ミラノのスカラ座から客演指揮を依頼された。

「喜んでやりましょう」、彼は答える、「ただその報酬の額についてだが、トスカニーニより1リラだけ高い額を支払ってくださることを条件とします。」

スカラ座のマネジメントはこれを承知した。マスカーニの指揮が成功のうちに終わったあとスカラ座の総監督は彼にうやうやしく金一封を捧げた。

マスカ-ニがそれを開けてみると、ただ1リラの金額の小切手が入っているばかり。「これは何だね?」、総監督は”
ずるそう”に笑って答えた。

「マエストロ(トスカニーニ)がスカラ座で振って下さるときは、決して報酬をお受け取りにならないのです。」

☆ 新米の指揮者がオーケストラから尊敬を得るようにするにはたいへんな努力が要る。ある若い指揮者は自分の音感の鋭さで楽団員を驚かせてやろうと一計を案じた。

第三トロンボーンのパート譜のある音符の前に、ひそかにシャープ(♯)を書き入れておいた。

そして、総練習のとき強烈なフォルティッシモの全合奏のあと、彼は演奏を止めさせ、楽団員に向かって丁寧に言った。

「中断して申し訳ないが・・・、第三トロンボーン、あなたはDから八小節目で嬰ハ音を吹きましたね。これはもちろんハ音でなければならないのです。」

そのトロンボーン奏者はこう返した。

「私は嬰ハ音を吹きませんでしたよ。どこかの馬鹿野郎がハの音符の前にシャープを書き入れたんですが、私はそうは吹きませんでした。だってこの曲を私は暗譜しているんですから」 


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はたして長生きはいいことなのか?

2017年01月14日 | 独り言

今年(2017)に入って一番最初に投稿した記事の中で、年頭所感として「1に健康、2、3が無くて4に音楽&オーディオ」と記し、大いに健康対策に勤しもうと決意したものの、ことはそう単純なものではなさそうだということが分かった。

その理由についてだが、先日の日本経済新聞に次のような記事が掲載されていた。

       

これを読んでいただくと分かるが、(細かい字を読むのは)面倒くさいという方もいそうなので(笑)、要約してみると、

「喫煙する人は健康を害して医療費が余計かかると思われているが、総じて早死にの傾向にあるので総体的な医療費はむしろ抑制される。

その一方、禁煙対策をして健康に留意している人は寿命が延びるのはいいものの70歳以上になると喫煙以外の理由、たとえば加齢によっていろんな疾患に罹ったり認知症になったりするので、生涯にかかる医療費や介護費の総額は喫煙者に比べて逆に増える。」とある。

平たく言えば、医療費の抑制という観点からするとまるで不健康の見本みたいな喫煙者の方が早死にをすることで禁煙者よりも総体的に優っているというわけだ。

何しろ現役の東大教授の説だから信用が置ける記事だろう。

こうなると70歳以上の社会のお役に立たない老人が下手に健康対策をして延命を図るのも考え物である。

第一、国家の財政に迷惑をかける(笑)。

今でこそ長寿者は敬愛される存在になっているが、これからもさらにその割合が増えてくるとなると次第に社会のお荷物になり逆に「疎まれる時代」がやって来ることも十分考えられる。

そのうち「80歳を越えたら病院通いは止めよう」「自分で死を選べるようにしよう」なんて、物騒なキャンペーンが一斉に張られる時代がやってきそうな気がする

おお、怖!

ただし、そうはいっても自分だけはどれだけ医療費がかかっても長生きをして「音楽&オーディオ」を楽しみたいので、これからも健康対策はユメユメ怠りなくやる積もりだ(笑)。

なお、去る1月5日のニュースで「日本老年学会が超高齢社会を迎え、現在65歳以上とされている<高齢者>の定義を75歳以上に引き上げたうえで、それより若い人たちには就労やボランティアなどの社会参加を促すべきだとする提言をまとめました。」とあった。

その発表の裏側には「定年延長、年金支給開始の延期、保険医療費の抑制」が透けて見えるような気がするがどうなんだろう。
 


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魅惑の真空管アンプ~その11~

2017年01月12日 | 魅惑の真空管アンプ

今年の元旦のお天気のように「新年早々から幸先の良いスタート!」にピッタリ当てはまる出来事があったので、胸を躍らせながら報告しよう(笑)。

テレビ用の真空管「6FD7」を使ったアンプについては「魅惑の真空管アンプ」シリ~ズとして、新たにカテゴリーを設けて連載しているが、次から次に話題が出てくるのでオーディオをますます楽しませてくれる。

このアンプを「デモ用として使っていいですよ。」と「チューブ・オーディオ・ラボ」さん(新潟県)から預かったのは「真空管オーディオフェア」(東京都)が終了した10月上旬のことだった。

音質が我が家のシステムにマッチしていたのですぐに注文したところ、よそ様からの注文が相次いだため「お馴染みさんは後回し」の原則(?)のもとに待たされること3か月、ようやくこのほど待望の完成品が届いた。

舌なめずりしながら、さっそく試聴してみたところ「デモ用アンプ」をさらに上回る出来栄えだった。

          

左側がデモ用アンプで右側が完成品だが基本的な部品の配置は変わっていないものの、いろんなところが改良されている。

列挙してみると、

 電源供給の要となる電源トランスが容量の大きいものに変更され、それに応じて「6FD7」のプレートにかける電圧が190Vから220Vへアップ、また電解コンデンサー(2本)も300Vから500Vへと大幅にアップされている。

 デモ用アンプはグッドマン(能率97db)のときには目立たなかったが、フィリップス(能率100db)のときに微かな残留雑音(ハムノイズ)が感じられてやや気になっていたのだが今回のアンプでは完璧に抑えられていた。つまりSN比が大幅に向上している。

 SPターミナルがネジ式からバナナプラグ式に変更されてSPコードが接続しやすくなった。

さらに肝心の音質だが、周波数レンジの拡大は言うに及ばず、スピード感、透明感から音のゆとり感までまったくケチのつけようがない。

我が家ではこれまで「PX25」アンプが王様として君臨してきたが、その牙城に迫らんとする勢いがある(笑)。

「6FD7」はドライバー管機能と出力管機能が一体化しているので信号の伝達にロスが無く、その辺のメリットが音のスピード感に寄与しているのだろう。我が家のジャジャ馬的な存在の「AXIOM80」(最初期版)との相性では、弱点である中低音域の量感を増やし、鋭すぎる高音域を抑え気味にするなど、このアンプが今のところベストの組み合わせといっていい。

先月(2016・12月)、同じ「AXIOM80」をこよなく愛好されている横浜市のSさんがデモ用アンプを試聴されてこのアンプの購入を決定されたが、完成品はそれ以上の出来栄えなので決して期待を裏切らないと思う。Sさん、あとしばらくの辛抱ですよ~。

さっそく製造元様に次のように申し上げた。

「完成品は素晴らしい仕上がりぶりです。デモ用アンプとはかなり違います。もし、デモ用アンプを借りて試聴したいという申し出があっても、むしろ悪い印象を持たれるとまずいので貸さない方がいいかもしれません。完成品を新たにデモ用としたほうがいいので早急に(完成品を)送付していただくわけにはいきませんか。」

すると、製造元様から「それは分かりますけどフル稼働してもチョット追いつかない状況です。もし希望者がありましたら、おおよその音の傾向とか自宅のシステムとの相性の具合とか、大まかな範囲でよろしければという条件付きで貸していただくわけにはいきませんか。」

「ハイ、それもそうですね。」

ところが皮肉なことにその懸念がすぐに現実のものとなった。

このほど、兵庫県にお住いの「I」さんという方からメールが来て「6FD7」アンプを借りて試聴したいという申し出があったのだ(笑)。

すぐに次のような苦心(?)のメールを発信した。


現在、お貸出しできるデモ用の<6FD7>アンプは手元にありますが、このほどチューブ オ-ディオ ラボさんから別誂えの完成品を受け取りました。

すると、周波数レンジの広さや残留雑音の低減など著しく改良されています。したがって、おおよその音の傾向とかご自宅のシステムとの相性がおおまかに試すという意味でデモ用アンプを試聴されるならいいと思いますが、おかしな先入観を持たれない方がいいので、まずもって完成品の方を聴かれた方がいいと思います。 

完成品を貸し出せる予定はおよそ1月末とのことです

それまでに、どうしてもデモ用アンプを試聴ご希望なら<送料着払い>になりますが送付してもいいですよ。」

すると「それでは待ちましょう。」というメールが返ってきた。

ハイ、それが非常に賢明な選択だと思います(笑)。
 

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DAコンバーターの英米対決 

2017年01月10日 | オーディオ談義

このほど、およそ1か月半ぶりくらいに我が家に試聴にお見えになったオーディオ仲間のKさん(福岡)。

Kさんはアメリカの「71 → 45 → 50 → 2A3」系統の古典管やSPユニットのローサーやグッドマンをこよなく愛される方だが、音を良くする方法についても日頃からいろいろと示唆を与えていただいている。

それに加えて試聴の際に持参されるCDが実にバラエティに富んでいて、いつも楽しみ~。

今回は持参されたCDを中心に振り返ってみよう。

はじめに歌手の「加藤登紀子」さん。

「彼女の繊細なビブラートがかかった声を十全に再生できるかどうかはシステムの能力如何にかかっています。つまらないシステムだと何の変哲もない歌手になってしまいますから他家を試聴するときのテスト盤にはもってこいですよ。」と、Kさん。

「いやあ、本当にしんみりと聴きこませる歌手ですねえ。微妙な声の震わせ方が絶妙で、聴いているうちに思わず哀愁の世界に引きずり込まれてしまいます。通常の歌謡曲の歌手として簡単に括れる存在ではないですね。」と、今やゾッコン。

使ったシステムはCDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS) → DAコンバーター「エルガー プラス」(dCS) → パワーアンプ「71Aプッシュプル」 → スピーカー「フィリップス」

次にムラヴィンスキー指揮の「悲愴」(チャイコフスキー)の登場。

      

ボーカルでいかんなく実力を発揮した「フィリップス」がオーケストラになると途端にやや色褪せてしまう(笑)。

そこで今度はグッドマンの「AXIOM150マークⅡ・イン・ウェストミンスター」の出番となった。

「やっとウェストミンスターらしい大型スピーカーの本領が発揮できましたね。低音域が締まっていて音声信号への追従性がとてもいい感じです。これならどんなソースでも対応できますよ。これまで聴かせていただいたウェストミンスターの音ではこれがベストです。今だから言えますけど、ウェストミンスターはそもそも箱のツクリに問題があるそうですよ。」と、Kさん。

「購入してからもう20年以上になりますが、このエンクロージャーとユニットにはほんとに苦労しました。どうしても好みの音が出てくれないので内部の構造を変えたり、ユニットをトッカエヒッカエしましたがようやくグッドマンの150マークⅡで落ち着きました。それでも、弦楽器はいいんですけどピアノの再生となるとまだ不満なところがありますけどねえ。」

次のCDはやおらカバンから取り出された「マタイ受難曲」(クレンペラー指揮:輸入盤)。バッハとは相性が悪くて犬猿の仲ということを知っていて、こういう嫌がらせをするのだからKさんも底意地が悪い(笑)。

小池都知事が念仏みたいに唱えている「都民ファースト」ならぬ「お客さんファースト」なのでお望みどおり3枚セットのCDの内、最後の3枚目を試聴。

「アレッ、なかなかいいですね!いつも1枚目や2枚目を聴いてどうも“線香臭くて”アカンと放り出していたのですが、これならそこそこ聴けますよ。」

「マタイの聴きどころは何といってもラストの方ですよ。私はいつも3枚目しか聴きません。シュワルツコップの訥々とした歌い方にはいつも魅了されます。」
 

ちなみに我が家にもクレンペラー指揮の「マタイ受難曲」があるが、国内盤だった。参考までにKさんの輸入盤と聴き比べてみたがやはり微妙な違いがあった。国内盤はやや音が間延びした印象がする。丁度レコードの回転をちょっと遅くした感じで、Kさんも同様のご感想だった。

次に往年の名ヴァイオリニスト「エルマン」(1891~1967)のご登場。「粘っこく、重厚でヴィオラやチェロの響きを髣髴とさせる」音色は俗に「エルマン・トーン」と称されたという。

ヴァイオリンの独演ともなると、さすがにグッドマンの「AXIOM300」の出番となる。ここからDAコンバーターが変わっていつも繋いでいるのはワディアの「27ixVer.3.0」なので、まずこれで聴いてみた。

CDトランスポート「dCS」 → DAコンバーター「ワディア」 → パワーアンプ「PX25シングル」 → スピーカー「AXIOM300」

エルマンのふくよかで柔らかいヴァイオリンの音色が何とも麗しい。昔のモノラル録音なので、かえってそれが功を奏しているようだ。

しばらくエルマンを堪能してから、今度は「AXIOM300」でオーケストラを試したくなって再び「悲愴」の登場。

しばらく「PX25」アンプで聴いてみたが、ここで話題沸騰中のデモ用の「6FD7」アンプに交換してみた。テレビ用の真空管を使ったミニアンプだが見かけによらず凄い実力の持ち主である。

「何ですか、これは! ウェストミンスター以上の低音が出るじゃないですか。」と驚かれるKさん。

PX25アンプの中高音域の艶のある音色はさておいて、中低音域のエネルギー感に関しては「6FD7」アンプの方が上だった。

ふと思いついて「ここで実験をしてみましょうか?」と提案。

DAコンバーターの「dCS」(イギリス)と「ワディア」(アメリカ)の英米対決である。

デジタル機器の分野では長らく隆盛を誇ってきたワディアだがdCSの登場によって「奈落の底に突き落とされた!」と揶揄されたほどの両者の関係だが、実際に目の前で試聴して比較するに如くはない。

その結果だがワディアはアメリカというお国柄を反映しているせいか陽気さ、伸び伸びとしたおおらかさになかなか捨て難い味があった。

一方dCSの方は細かい音をよく拾うなど緻密な再生に関しては一枚上だが、やや神経質な傾向が垣間見える。

「dCSはデジタルっぽい、ワディアはアナログっぽくて対照的ですね。」(Kさん)と評されるのも仕方がない。全体的に「ワディア」の善戦が目立ち、2倍近い値段ほどの差は感じられなかった。

ただし、使ったパーアンプが「ワディア」とはことのほか相性がいい「6FD7」アンプというアメリカ勢同士だったので、少し割り引く必要があるのかもしれない。

5時間ほどの試聴を終えて辞去されるとき、「これまでに比べると格段に音が良くなってますよ。」

現役時代と違って、音楽&オーディオに没頭する時間が長くなったので、音が良くなって当たり前なのかもしれないが、いろんなお客さんがお見えになって他流試合をしているので、きっとそれが一番功を奏しているに違いない。

つい最近のブログにも記したように「プレイヤーは審判役を兼ねてはいけない」のだ(笑)。
 


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イヌの顔は飼い主に似る、って本当?

2017年01月09日 | 復刻シリーズ

今朝(9日)、パソコンを開いて昨日のアクセス記事を見ていたら4年前の過去記事「イヌの顔は飼い主に似る、って本当?」が上位に入っていた。

そういえば、こういう記事を書いたことがあるなあと懐かしい思いがした。明日は新しい記事を載せるので1日限りの「復刻版」として再度掲載させてもらおう(笑)。

「科学おもしろ雑学」
という本を読んでいたら、興味のある話題が載っていた。

                        

「イヌの顔は飼い主に似る、って本当?」(168頁)というテーマである。そっくり引用させてもらうと、

「よくイヌの顔は飼い主に似るといわれますが、これって本当でしょうか。どうやら・・・・・本当らしいですよ。なんと、研究した人たちがいるのです。調べたのは関西学院大の動物心理学者・中島定彦教授らのグループです。

教授らはまず、40人のイヌの飼い主を集めました。そして、それぞれの飼い主と飼いイヌの写真を撮りました。(「人」と「イヌ」の写真が40枚づつできる)。

その写真を使って「人」とイヌ」のセットをつくり、186人の学生に見てもらいました。このときにセットは2種類用意しました。

 「飼い主と飼いイヌの正しい組み合わせ」の写真セット

 「他の人の飼いイヌとの間違った組み合わせ」の写真セット

そうして、学生に「正しい組み合わせだと思う写真セット」を選んでもらいました。

すると、結果はどうなったか。なんと62%の学生が正しい写真セットのほうを選んだのです。理由は「飼い主と飼いイヌが似ているような気がしたから」ということです。

やはり飼いイヌは飼い主に似ているようなのです。なぜでしょうか?

中島教授によれば、”人は自分の見慣れたものに好感を持つため、いつも鏡で見慣れている自分の顔に似た犬を選ぶのではないか、”ということです。(さらに、長髪の女性はたれ耳のイヌを飼うことが多く、短髪の女性は立ち耳のイヌを飼うことが多いのが分かりました。)。

イヌを飼っている知り合いがいたら、飼い主の顔とイヌの顔が似ているかどうか比べてみてください」

これを読んで、つい「似た者夫婦」という言葉を連想してしまったが(笑)、今回の場合は
一緒に寝起きを共にしていると自然に似てくるというわけではなくて、最初から似た者同士がくっついたというわけである。

ところで、視覚と聴覚の差はあろうが、「人は自分の見慣れたものに好感を持つ」 → 「人は自分の聴き慣れた音に好感を持つ」ことも当然ありそうである。

そう、オーディオの世界である。

マニアの家を訪問して、ご自慢の音を聴かせてもらうとき、いくら「いい音」がしていても聴き慣れていないため知らず知らず拒絶反応を起こしてしまう可能性は大いにありそうだ。したがって、しょっちゅう聴いていただく人は別にして、滅多に来ない人に音を聴いてもらうのは最初からハンディを背負っているようなものである。

そういうわけで、たまにしか来ない人から試聴してもらった後に「お褒めの言葉」にあずかろうなんて、虫のいいことはあまり期待しない方が無難だ(笑)。

また、これまでの経験上、改めてオーディオの音は持ち主の性格と類似していることに気づかされる。

神経が図太くて豪快な気質の方からは、腰の据わったピラミッド型の骨太くて堂々とした音が出てくるし、繊細で神経質なタイプからは楽器の音色や位置とかの分解能を優先した、どちらかといえば線の細い音が聴こえてくる。そして、人当たりのいい円満な性格の方からは過不足のないバランスのとれた音がする。

「音は人なり」!


かくいう「我が家の音」は、はたしてどうなんだろう?(笑)
   


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幻の超銘球 「P.A.40」 DA30系

2017年01月07日 | オーディオ談義
昨年末(2016)に「幻の銘球 V503 DA30系」を登載したところ、通常を上回るアクセス数に恵まれ、いまだにその余波が続いている。

大きな反響と言っていいようで、今さらながら読者の方々の「稀少管=銘球」に対する興味の高さを思い知らされた。

真空管アンプは整流管や電圧増幅管、出力管などの球を質のいいものに差し替えることで音がコロッと変わり、TRアンプと違って簡単に音質向上が図られるところに魅力があるので、おそらくこのブログの読者の大半の方々も真空管アンプファンに違いない。

それにしても、稀少管を愛して止まない「北国の真空管博士」がよくもまあこれほどの銘球を手放される気になったものだと、いささか気になっていたのだが、このほど次のメールが届いてようやく疑念が氷解した。

「V503は今や幻の銘球ですから通常は出品しないのですが、実は幸運にも数年前V503より100倍入手が難しいといわれる上位球P.A.40を所有するに至りましたので出品した次第です。

これが英Ediswan社のP.A.40です。

イメージ 1
イメージ 2
 
この写真を見てV.503そのまんまじゃん!と思った人も多いと思います。私も初めて見た時はV.503のセレクトチューブなのでは?と思いました。仔細に現物を観察してそうではないことを確認し、いったいこれは何なのだ!と唸ってしまいました。

写真では判りませんが、ステムを見るとPA40bと書かれており、組み立て前にPA40専用のステムがあった事がわかります。V.503とはプレート損失、同一条件のPP時の出力以外の規格、定数、電極とバルブのサイズに至るまで全く同じです。

GECにはPX25Aに対してDA30がありますがそれと同じ関係のようです。DA30属の中では最大のプレート損失40Wを誇り、WE300Aにも匹敵する球です。目視ですがWE300Aとはプレートの縦、横、厚さのサイズが殆ど同じです。
 
WE300Aと動作例を比較してみよう。
 
   WE300A   P.A.40
Ef  5.0V      4.0V
If   1.2A      2.0A
Ep  400V      400V
Eg  -89V     -85V
Ip   50mA     50mA

EpMax 450V    450V
Pd    40W     40W

殆ど誤差の範囲といって良いくらいの動作例である!
最大定格も同じですから興味は尽きませんが、P.A.40の発表年に関する資料を発見できずどちらが先に発表されたか特定できませんでした。
写真のP.A.40は、トップマイカに長方形のマイカを使用していることから、1930年代の中ごろの製品であろうと思います。」

はたして銘管「WE300A」(アメリカ)と「P.A.40」(イギリス)のどちらが先に作られたのか?言い換えるとどちらが真似をしたのか(笑)。ことはアメリカ管と欧州管の技術力の差にまで及んでくる。

ただし、これでようやく博士が「V503」を手放した理由が分かった。要するに「V503」よりももっと稀少な管を持っておられたというわけだ!

ヨーロッパはアメリカと違って第二次世界大戦の主戦場になったので度重なる爆撃などの破壊が繰り返され随分貴重な真空管が失われてしまったのは周知のとおり。

その点、アメリカ球は「WE300B刻印」(1940年代)をはじめとして、今でも往時の銘管がまっさらの新品で出てくることがあるから戦禍を直接蒙らなかった国のメリットは計り知れない。

真空管アンプにも夢が必要だとすると「WE300B刻印」はやや食傷気味なので、さしずめ「P.A.40」あたりは代表的な「手に入りにくい」真空管として有力な候補にあたるのは間違いない。

DA30系のアンプを所有されている方はすぐに差し替えが利くので垂涎の的だろう。

それにしても、もしオークションに出品されたらどのくらいの落札価格になることか・・。いや、お値段で測れるものではなく持ち主の心を動かす熱意こそが必要なのかもしれない(笑)。

それよりも、いったいどういう音がするんだろう?

なお、文中の「トップマイカに長方形のマイカの使用」は思い当たる節がある。


我が家の出力管「PP5/400」(最初期版3本)、電圧増幅管「AC/HL」(2本)は、いずれも「英国マツダ製」だがトップマイカが長方形になっている。とすると、1930年代の中ごろの製品かな。

いずれも滅多に手に入らない稀少管なので、出番となると「お盆と正月」だけに決めているのは言うまでもない(笑)。

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オークションの「落札辞退」って簡単に出来るの?

2017年01月05日 | オーディオ談義

昨年の12月18日付で登載した「WE300B 刻印 新品元箱入り」で、稀代の名管とされる「WE300B 刻印」が「912、000円」の高値で落札されたことを記しておいた。

           

ところが、この同種の球を3年前に「990、000円」で落札された古典管の著名なコレクター「M」さん(関西在住)からこのほどメールが届いた。

「私も気になったのでウォッチ入れて成り行きを見ていました。落札は¥912000で落札者が辞退、次点の¥911000になってこの方も辞退しました。3番手の方がOKしたようで¥700000で取引となりました。

最近は新規よりも代理入札?が多いようです。今回の結果はまさにそのようで、代理入札者が落札して価格が折り合わず、辞退、辞退、と繋がって3番手に降りてきたのではないかと推測されます。

少し相場が下がってきたのでしょうか?300B刻印は良品で¥35~40万のようです。1970年代の真空管ブームに市場に出た物が所有者が所有することができなくなって再放出が始まったように思います。この機会を逃すと次(私の世代)はないのでは?と思います。ヤフオク、目が離せません。」

エッと驚いてしまった。そんなに簡単に落札後の辞退って出来るの?これではまるで無法状態になってしまいオークションの意味がない!

率直な疑問を「M」さんにぶつけてみると、次のようなメールが返ってきた。

「落札辞退はできます。ただし、<落札者都合>ですから、ヤフーオークションマスターから<非常に悪い評価>が自動的につきます。さらに<落札者都合で辞退しました>とのコメントが入ります。これが多いと今後入札しても出品者に削除される可能性が出てきます。ですから、欲しくて小遣いを工面して札を入れている真面目な人はしないでしょうね。ビジネスでやってる人はするでしょうけど…。」

段々分かってきた。オークションの履歴に傷(悪い評価)がついても一向に構わない連中が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているわけだ。たとえば、オークションに興味を持たない人間にヤフオクに登録させそのパスワードで代理入札して落札したものの、依頼主から「高過ぎる」という理由でOKが出なかったときにはアッサリ「辞退」となるのだろう。

何しろ100万円近い大金が動くともなると、そういうこともありなんだろうが、出品者にとっては迷惑千万な話だ。

上記の例では「912、000円 - 700、000円=212、000円」も減ってしまった。もし不満があるならもう一度オークションをやり直せばといっても、再度の出品ではもはや興ざめの状態で「冷めたスープ」みたいなものだから落札価格も下がるのは必至だ。

そこで、ささやかながら一つの提案。

オークションの参加契約を改訂して一定金額以上の入札の場合、正当な理由がない限り落札辞退者には「悪い評価」に加えて「罰金」を科すようにしたらどうだろうか。

徴収方法はいろいろあるので別途考えるとして、さしずめ落札金額に応じて辞退者から一定の金額を徴収し出品者に還元するシステムにしたら、少しはこういう事態が鎮静化するように思うがどうなんだろう。

ただし帳場に当たるヤフオク側の事務が煩雑になるが、毎日毎日「濡れ手で粟」みたいに手数料で大儲けしてドーム球場(ヤフオク・ドーム)まで作ってんだから、これくらいやってあげてもいいんじゃない(笑)。
 


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