「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~ミステリーとクイズ~

2021年09月30日 | 読書コーナー

自民党の新総裁に「岸田文雄」さんが大差で圧勝しましたね。

以前のブログで述べたように「すぐに感情を爆発させて人前で怒鳴り付ける」河野太郎のような人間は総裁に相応しくないと思っていたので安堵した。変わり者で国会議員の間でも人気が無いとのこと。

「徳は孤ならず必ず隣あり」(「論語」)

さて、「何か面白そうな新刊は入ってないかな」と、ちょくちょく図書館に足を向けるが、期待外れのときも当然ある。

そういうときは仕方なく館内をぶらつくのだが、ふと面白そうなタイトルが目に入った。

「ロシア幽霊軍艦事件」。



定評のある「島田荘司」さんの著作なら期待外れはあるまいと読んでみることにした。

冒頭から国際的なスケールの大きい話が提示される。1917年のロシア革命で処刑されたニコライ皇帝一家のうち4女「アナスタシア」が奇跡的に生き残り「芦ノ湖」に軍艦で到着するという奇想天外のお話。

この荒唐無稽ともいえる話を島田さんはどううまくまとめあげるんだろうかとそちらの方に興味が向いて2日がかりで読み上げたが、さすがに島田さん、読者の騙し方がうまい(笑)。

「幽霊軍艦」出現のトリックも理に適っているし、歴史ミステリーとしても秀逸で未読の方は機会があればぜひ~。

ネットの「読者レヴュー」から2件引用させてもらいます。

「面白かった。湖に突然現れ、一夜にして姿を消したというロシアの軍艦。どうやって現れたのか、どうして消えたのか、1枚の写真(芦ノ湖に浮かぶロシア軍艦)から御手洗&石岡コンビが真相に迫っていきますが、その背景にはロマノフ王朝と皇女アナスタシアが絡む壮大過ぎる物語がありました。

もうこれ、タイトルの軍艦よりもアナスタシアです。エピローグが長いんですが、緊張感がありながらもとても切なく、感動しました。ここまでノンフィクションぽく描く島田先生、さすが。」

続いてもう一件。

「一通の手紙から箱根の旅館の写真に行き着く。その写真には芦ノ湖にロシア軍艦が寄港している様子が写っている。 ロマノフ朝アナスタシアの伝説及び後年現れたアナ・アンダーソン・アナハンが主要な話になっている。

推理部分は若干唐突な感じがしたが、その後のエピローグに感動した。 一通の手紙からここまで壮大なストーリーを読ませてくれるとは脱帽です。 ロマノフ朝の話は聞いた事がある程度だったが、 作者あとがきにもあるように史実に基づいていない所もあるので調べてみようと思った。それだけでも読む価値があったと思う。」

続いて、今度は「頭の体操」としてクイズを紹介しよう。



1 ウワッ!1つ余ってしまった

10人のスタッフが手分けをしてオルゴールを組み立てている。ノルマは半日で100個だ。

丸1日作業して、ようやく200個のオルゴールを組み立てたときに悲劇は起きた。「部品が一つ余っている!」今さら分解しても納期には間に合わない。さあ、どうする?

<解答>

部品が1つ足りなければ他のものに比べて軽いはずなのでいちいち分解しなくても(1個づつ量ることで)簡単に探し出すことが出来るのだ。

2 敗者になるのは難しい

飛びっきりの美人の女性に二人の社長がプロポーズした。(二人の社長とも似たような規模の同業種である。)

すると女性が言った。「少し頼りない男性の方が好みなの。だから、1年後に会社の業績が悪かったほうと結婚するわ」

しかし、業績を悪くするといっても有能な社員をクビにしたり、得意先を減らすのでは経営自体が成り立たない。

どうしたものかと二人で話し合った結果、ある妙案を思いつき次の日から二人はがむしゃらに働きだした。

さて、どんな方法をとったのだろうか?

<解答>

勝つためではなく負けるためにどうすればいいかを考えるのは意外と難しいものだ。今回ライバル同士の二人が思いついたのは言ってみれば会社の交換である。

お互いがお互いの会社の社長となりそこで必死に働いて業績を上げれば1年後に自分の会社に戻ったときには相手の会社よりも業績は悪くなっているはずだ。

さらにこの方法なら極端に経営を悪化させることもないし、結果にも十分に納得できるのだ。

(まあ、現実にはあり得ませんけどね~、笑)



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さあ、この小型スピーカーをどう料理しようか

2021年09月28日 | オーディオ談義

前回のブログ「久しぶりのオーディオ訪問記」で紹介した「小型スピーカー」(口径10cm、2ウェイ)。



大いに気に入ったので、恥も外聞もなくそっくり同じ型番のものをオークションで落札したのは既述のとおりだが、実際に我が家に届いたのは日を置いて5日目の25日(土)の夕方だった。

さあ、どう料理しようか・・。一晩ゆっくり眠りながら考えた(笑)。

オーソドックスにいけばYAさん宅のように「フルレンジ」で決まりだが、ほかにも「フルレンジ+サブ・ウーファー」という手もある。

我が家の「常套手段」だがこちらの方が面白そうだなあ・・。

ちなみに我が家のサブ・ウーファーの特徴は通常の市販品と違って、フルレンジでも鳴らせるユニットを使っており、できるだけユニット間相互の繋がりに違和感が無いように努めている。

市販のサブウーファーを使っている方をちょくちょく見かけるが残念なことに長続きしている例を見たことがない。オッと、また余計な一言を(笑)。

というわけで、「サブウーファー」用としてグッドマンの「AXIOM150 マークⅡ」(口径30センチ:15Ω)の出番となった。ズシリと大きくて重たいマグネットの持ち主である。



日曜日の起き抜けから作業を始めたところおよそ1時間半ほどで完了。

当初は”お茶の子さいさい”と思っていたが、いろいろと付帯作業が出てきて思った以上に時間がかかった。



たとえば、小型SPの底に張り付ける「黒檀製の制振材」(1ペア分3か所、計6ペア要)を探したり、「AXIOM150マークⅡ」を箱から取り外して、SPコードを入れ換えながらコイルに接続したりで、ほんとうに面倒くさかった(笑)。

サブウーファー用の「コイル」は「AXIOM80+D123」から流用した「12mH(ミリヘンリー)」の代物で、「クロスオーバーネットワーク早見表」によると「マークⅡ」(15Ω)に使った場合、「200ヘルツ」(-6db/oct)あたりでハイカットできる計算になる。

人間の可聴帯域周波数は周知のとおり「20~2万ヘルツ」とされているが、およそ200~300ヘルツまででサウンドの骨格が決まると思っている。

つまり、最重要帯域というわけだが、アンプのボリューム一つで強弱を簡単に加減できるのはとてもありがたい。

朝飯前のひと時、ようやく作業完了で音出し~。いくら年齢を重ねてもこの瞬間のワクワクドキドキ感はたまらない(笑)。

すると、一聴しただけで「ちょっと音が薄味だなあ」というのが第一印象だった。やや薄っぺらな水彩画というべきか。

原因は小型SP用アンプに使った「371シングル」
のパワー不足と推測した。この小型SPは随分とパワーが必要のようなので、フルレンジ用とサブウーファー用のアンプを入れ換えてみた。



小型SP用に画像左側の「6CG7プッシュプル」アンプを充てて再度音出し。

これでどうにか落ち着ける音が出た。あとはプリアンプと2台のパワーアンプの細かなボリューム調整に移った。

AXIOM80が100点だとすると85点ぐらいは行けそうかなあ。

システム改変のときはできるだけ他人の意見を参考にしているので、午後から近隣にお住いのYさんに来ていただいて実験開始。

「いかがですか?」

「YAさん宅の音に比べるとちょっと物足りないですね。いかにも小型のSPが鳴っている感じです。」

そうですかねえ・・。

いつものことだが、かなり頻繁にYさんとの意見の食い違いが生じるが、
何しろ常時フルートの生の音で耳を鍛えられている方なのでなるべく(ご意見を)尊重するように心がけている(笑)。

というわけで、小型SPと相性の良さそうなアンプを次から次に取り換えて試聴していった。

はじめが「6CG7プッシュプル」、次に「371Aプッシュプル」、その次が「6AR6シングル」と順次「出力パワー」を上げていったがそれでも「やはりYAさん宅の音には及びませんねえ。あのときは45アンプですからパワーもそれほどないはずですけど不思議ですねえ」

「レコードとCDの違い、プリアンプの違い、設置場所の違いなど様々な要因がありそうですね」と、応じながら最後に「WE300Bシングル」を登場させた。


このところ「1ワットクラス」のアンプを重用しているのでおよそ1か月ぶりぐらいの出番となったが、これでようやく愁眉が開いた。

「あっ、これでYAさん宅の音に並びましたよ。さすがにWE300Bですねえ」と感心されることしきり。

この小型SPの能率といえばおそらく「85db」前後だろうか。

我が家ではいつも95db前後の古典系ユニットを鳴らしているし、それに箱の容積も大きいしで比較的「小パワー」のアンプで事足りるのだが、こういう小型SPとなるとまったく勝手が違うようで・・。

改めて、SPとアンプの「持ちつ持たれつ」の関係に思いを馳せた。どんなにいいアンプでもSP次第で「駄馬」になってしまう悲しい現実に直面する(笑)。

Yさんが「今日はたいへん楽しかったですよ」と、辞去された後で「小型スピーカーは図体に反比例してアンプのパワーがあればあるほど良さそう」と、我が家の中で最高出力を誇る「EL34プッシュプル」(画像左)に繋ぎ変えてみた。

想像以上にたっぷりとした音が出てきた。しかも決して粗削りではない。

これは300Bアンプよりもいいんじゃないかなあ(笑)。

 今回は殺風景なオーディオ機器の画像が多かったので最後は「美人の画像」で”口直し”といきましょうや(笑)。


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久しぶりの「オーディオ訪問記」

2021年09月26日 | オーディオ談義

あくまでもクラシック音楽を鑑賞する前提での話だが、「システムの中にAXIOM80を組み込んでいない音は、どう”あがこう”と所詮は”普通の音”の域を出ない」。

こんなことを書くと他のスピーカーを使っている方々から「思い上がるな!」なんて反発の声が上がりそうだし、まずもって嫌われるだけなのでず~っとこの思いを封印してきた。

しかし、どうやら彼方にゴールも見えてきたことだし、いくら嫌われてもどうってことはないという心境になってきた(笑)。

というわけで、「AXIOM80」を使っていない他家のオーディオシステムを拝聴しに行こうなんて気にはさらさらなれなかったが、オーディオ仲間のYさんから「とてもいい音だそうですよ。聴きに行きましょうよ」とせっつかれるし、他の仲間たちからの評判もとてもいいのでようやく重い腰を上げることにした。

訪問先は県内有数の農業地帯で県中央部に位置する「豊後大野市」というところで、クルマで1時間ほどの「YA」さん宅である。

YAさんは2か月ほど前の7月10日に我が家に初めて試聴に見えられた方で、当日は総勢6人のうちの一人として中国製のDAC「A22」の実験を兼ねた試聴会に参加された方だった。

その顛末についてはブログで「若いフレッシュ感覚と年増の妖艶さの対決」、そして「ベスト・ワンあるいはオンリーワンのどちらを狙う?」にまとめたところ。

訪問日は台風混じりの秋雨前線がようやく終わったのを見計らって「20日」に決定。

当日は絶好の秋日和で途中Yさん宅(別府市内)に立ち寄って同乗してもらい、カーナビの命ずるままにハンドルを切って順調に13時過ぎに到着。

恵まれた広い敷地なので大きな音を出しても隣近所に迷惑にならないだろうなあというのが第一印象。

「いやあ、お久しぶりです。お邪魔しま~す」

玄関に入って左横の部屋がオーディオルーム。広さはそれほどでもないが天井が高いのが特徴で響きが良さそう。

スピーカーは「ジャズファン」恒例のJBL3ウェイシステム。



「口径38センチのウーファー、2440の2インチドライバーに075ツィーター、クロスは600ヘルツと5000ヘルツ。

真空管アンプはすべて自作で「マルチアンプ駆動」により、ウーファーには300Bのパラレルプッシュプルのセパレートアンプ、中高音域は300Bシングルのセパレートアンプと豪勢なもの。





レコードがメインのようだがCDも充実していて高価なCDプレイヤー「K3」(エソテリック)がラックの中に鎮座している!

はじめにジャズを聴かせてもらったが、さほど我が家の音と違和感を感じなかったのは意外だった。

ジャズの再生はぎんぎらぎんの「尖がった音」から「マイルドな音」までいろんなタイプがあると思っているがYAさん宅は「後者」の方で実に聴きやすい。

いい意味で、「これがJBL?」という印象を受けたが、長いオーディオ歴とご本人のハイ・センスの賜物だろう。もちろん自作のアンプ群の効果も測り知れない。とても「いい腕」をお持ちのようだ。

ひとしきりジャズを聴かせていただいてから、この音ならクラシックも十分いけそうだとの思いから「今度はレコードでクラシックを聴かせていただけませんか」。

そこで「四季」(初期のフェリックス・アーヨ盤)を聴かせていただいたが、「ジャズもクラシックもこれだけ再生できれば毎日が楽しくなりますね~」と申し上げたことだった。

噂を聞きつけて県内のオーディオ愛好家たちの有名どころが、たびたび試聴に見えられるとのことで「この音なら」と納得。

最後に「小型スピーカー」を聴かせてもらった。


ショップの中古品売り場で「1000円」で購入されたとのことだったが、出てきた音を聴いて同行のYさんともども驚嘆した。いや、けっしてオーヴァーじゃなく・・。

「音像定位、スピード感など小型スピーカーのいい面が十分発揮されていますね。アンプはどれで駆動しているんですか?」



画像上段右側の「45シングルアンプ」と、左側の「6V6シングル」で交互に鳴らされているそうで、両方聴かせてもらったが、ほぼ互角だが自分の好みでは「45」の方がやや上かな。

余談になるが、「小型スピーカー恐るべし」の印象のもと、YAさんにメーカーと型番をお聞きしてから「善は急げ」とばかり、そっくり同じものを同日の夜オークションで落札した(笑)。

YAさんのように「1000円」とまではいかなかったがそれに近い金額だったので非常に満足。ただし送料が1500円だったのは痛い!(笑)

結局3時間ほど滞在してから「今日はどうもありがとうございました。大いに勉強になりました」、するとYAさんから「近いうちにまた聴かせてください」「ハイ、いつでもどうぞ~」

その後、今週の29日(水)に我が家にYAさんと仲間の方がお見えになることになった。

類は類を呼び、友は友を呼ぶ・・。

これから「オーディオルーム」の整理整頓に取り掛からなくちゃ・・。(笑)。


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読者からのありがたい「ご意見」

2021年09月25日 | 独り言

先日のブログ「喋ることと書くことのどちらが得?」「日本人にジャズが理解できているんだろうか?」の二題については、自分ではなかなかの「力作」の積りだったが、予想したほどの反響(アクセス)を呼ばなかったのは残念至極。な~に、いつものことだが(笑)。

そういう状況の中で関東地方の「K」さんから次のメールをいただいた。ありがたい限りで、ご本人のご了解のもとに以下の通り転載させていただこう。

「先日のブログの二編について興味深く、そして楽しく拝読しました。まず「しゃべることと書くこと」に関して述べてみます。

中学、高校からの友人で弁護士がおります。彼は高校・大学でブルーグラスバンドに参加していましたが舞台上(とてもステージとはいえません)ではMCはしなかった。

あるとき、「君はしゃべりが不得意なのによく弁護士をやってるね」と訊いたところ、「君は海外TVに感化されすぎだよ。日本では弁護士は「ライター」であることが求められている。自分は書くことは人に引けを取らないので訴訟であまり負けたことはないよ」と。

私はしゃべりが上手いと自惚れるほど品の悪い人間ではないと思ってますが、設計者(建築系)はまず、しゃべれないと駄目です。

設計趣旨を説明して納得を得る(デザインレヴューや顧客、はたまたチーム内への)説得の材料は図面・パースですが一番は”しゃべり”(演説)です。

コンペではアクターになりきる。、大学のゼミもまあ語りかけられねば学生はついてきません(と確信してました)。

(建築には意匠、構造、設備などをチームで作業しますが私は設備設計者です)

かの「黒川紀章」氏もある海外設計コンペで「プレゼンテーションなし」に対して一言。

彼は新建築(専門誌)に「建築家に説明の機会を与えないコンペには参加しない」と述べていました。(その理由は、図面やパースだけでは計画の根底にある思想まで理解を得させることは出来ないので説明は必須だと)。

次に「ジャズとクラシック」ですが、私もジャズは分かりません。ビル・エヴァンス、オスカー・ピーターソンあたりのピアノを聴くのは好きですが、奏でられた音の奥深く秘められた意味を理解しているとは全く言えませんのでクラシックを愛好しています。

日本のクラシックファンには二種類あり、「教養として」これを好む方と、音楽が好き(民謡や歌謡曲ではない)な方に区分できるようです。

いずれも悪いことではないと思いますが、ただ教養でこれを聴く方には「本当に楽しんでる?」と、ちょっと可哀そうな気もします。

では私は?

クリスチャンですが「BACHを理解できるか」と言われると「すみません」です。

小学3年生の頃から父のSPを聴いていたので、クリスチャンであることとは別に「ああBACH(当時はバッチと言ってました)には癒される」と感じていました。

もっともSPは半面3分ほどで小曲が多く、交響曲の「運命」や「田園」などはレコードを取り換えるのが面倒だったので「一枚目」しか聴いてませんので「ほんとうに好きだったの?」と聞かれればやはり「すみません」です。

しかし、それでも実際「感動」してました。

ここまでお読みになりお分かりと思いますが、私は書くよりしゃべるほうが・・・」

「K」さん、どうもありがとうございました。ご謙遜なさらずとも「書く」のも「しゃべる」のも、どちらもお得意だと思いますよ~。

それでは一方通行にならないように私の意見を述べさせてもらいましょう。

仕事の上での「しゃべり」と「書く」ことが一体になっているというのはまったく意識外でした。

たとえば、弁護士は「しゃべる」ことと同じように「書く」ことも大切なんですね~。まあ弁護士に限らず公務員や一部の会社員などもそうかもしれません。

書くことは仕事の上で想像以上に重要な要素なんだと思いました。

むしろ一人の人間の中に「しゃべる=外交的」と「書く=内向的」の両方が切っても切れない仲になっていてその比率がそれぞれの人間で違うという見方も成り立ちますね。

次にクラシックとジャズです。

これは私見ですが、日本のジャズファンは音楽よりもオーディオの方が優先している感じがします。

つまり「音楽を楽しむ」ことと「音を愉しむ」ことの優先度の比率が(人によって様々ですが)全体的におよそ「ジャズ3割、音が7割」の比率くらいで音の方が優先している印象を受けます。

実はかくいう自分も「クラシックとオーディオ」の優先度がいつも競っているのであまり大きなことは言えませんが、まあ現時点では「6:4」ぐらいだと思ってます。

せめて「5:5」くらいが限度でしょう。

「好きな音楽を好きな音で聴きたい」のがそもそもの動機だし「王様=音楽」と「使用人=オーディオ」のもとで分をわきまえないとね(笑)。

なお、クラシックを教養として聴く方が居るとは想像外でした。

その動機は良しとしても結果が大切ですね。そういうチャレンジが実を結んでクラシックがほんとうに好きになればこの上ないことです。

その一方、クラシックが好きになれないままにずっと教養の範囲だけに留まっていればこれは時間の無駄になって悲劇ですね。

「音楽に興味が無いオーディオ愛好家」と、ついイメージがダブってしまいました(笑)。

それから最後になりましたが、本件についてはメル友の「I」さん(東海地方)からも「ジャズとテニスの雑記帳」に掲載していただきました。どうもありがとうございました。



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お金に換えられない宝物

2021年09月23日 | 音楽談義

何ごとにつけ選択肢の数が増えれば増えるほど間違いなく質的に向上していく(と思う)。

たとえば人生の大きな分かれ目となる受験校、就職先、結婚相手、そして趣味・・。オーディオ機器も例外ではない(笑)。

スピーカー、アンプ、CDトラポ、DACなどはそれぞれに多くの選択肢があるし、その組み合わせとなるともう気が遠くなりそうなほどだが、その中から何を選ぶかは大いに「博打」の要素をはらみながらも一に己のセンスにかかっている。

そして、忘れてはいけないのが大元になる「音楽ソース」の種類。

もちろん「レコード」(アナログ)が一番なのはよくわかっているつもりだが何しろ手間がかかり過ぎる。

凝り性なのでターテーブル、トーンアーム、カートリッジ、フォノアンプなどに本気で取り組むとなると、投資効果から考えてどうしてもデジタル系に向かわざるを得ない。

そこで、今回は我が家の複数のデジタル系「音楽ソース」を俎上に載せてみよう。

聴く時間の多い順からいくと、

1 ネットラジオ「モーツァルト専門チャンネル」を聴く

いつものように早朝の4時前後に起きるとまずブログ用の「パソコン」を起動する。並行して、音楽用の「パソコン」も起動する。

次にDACの「A22」(GUSTARD)のスイッチをオン。そして「384KHz」のハイレゾ再生で(ブログを作成しながら)モーツァルトの専門チャンネルを聴いている。

音楽史上稀に見る天才の息吹に毎日のように早朝から5時間ほど接することができるなんてまったく天上の時間であり至福の時間である。

「天馬空を駆ける」ような音楽に心が浮き浮きしてくるし、それかといってその音楽の根底にはまるで通奏低音のように「哀しみが疾走」していて、ふと人間と人生の”はかなさ”に思いを馳せてしまう。

偉そうに言わせてもらうと、モーツァルトの音楽に熱中できるか否かは、この「涙が追い付かない哀しさ」を肌で理解できるかどうかにかかっている。

「一流の芸術はその底流に死を内在させている」(「河合隼雄」氏)

いくら歳を重ねても、そして何度聴いても魅了されるばかりで、まったくこの音楽ばかりは別格ですね。

あるとき、間違えてパソコン上の「ベートーヴェン専門チャンネル」をクリックしたところ、「まるで校長先生の訓示を聴いているみたい」な気がしてきて、”わざとらしさ”がすぐに鼻についてきましたぞ(笑)。

2 「ブルーレイ・レコーダー」で聴く

「ブルーレイ・レコーダー」のHDDに好みのCDを60枚ほど収納している。光ケーブルを使ってDACの「エルガー・プラス」(dCS)と「HD7A-192」(Phasemation)の2台に接続して聴けるようにしている。

音質は”そこそこ”で飛びっきりというわけではないが、曲目の頭出しがメチャ簡単でリモコン操作で次から次に選曲できるのがいい。

しょっちゅうシステムの一部を変更しているが、そういうときの試聴にはまさに”うってつけ”で実に重宝している。

「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」や「祈り」(ゲーリー・カーのコントラバス)、ほかにはボーカルの「エンヤ」「ちあきなおみ」「小椋 佳」などを聴くと「システム変更の成否」がおよそ判断できる。

3 CDトランスポートで聴く

この3は何だか面倒くさくてお客様が試聴にお見えになったときぐらいしか出番がない。

まずCDトラポだが「dCS」と「CEC」の2台があるが、今のところ後者に絞って聴いている。

DAC側は「A22」に絞っており、CECが出す「176.4KHz」信号をそのまま受け取っているが、さすがに音質は安定している。おそらく一番いいだろう。

結局「手間 VS 音質」を秤にかけているわけだが、いまのところ「手間のかからない」1,2の方を優先しているのが何だか悲しい。

「悪貨は良貨を駆逐する」のかな(笑)。

4 「スカパー」の「クラシカ・ジャパン」を聴く

実は、この4を書きたいばかりにこのブログ稿を起こしたのが真相である。

10年ほど前だったか、スカパーの専用チューナーを使ってクラシック専門番組「クラシカ・ジャパン」の有料放送に3年ほど加入していたことがある。

その間、専用の「HDD」(1テラバイト)にせっせと好きな曲目を録りためていたわけだが、つい先日のこと、このチューナーに「デジタル光出力端子」があることを発見。

喜び勇んで光ケーブルでDAC「A22」に接続したところ見事に再生できた(48KHz)。

画像付きのオペラ「魔笛」「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」、「マーラーの4番」(ゲルギエフ指揮)、モーツァルトの「ヴァイオリン・ソナタ」(ギル・シャハム兄妹)など好きな曲目は枚挙にいとまがない。

中でも最大の収穫はモーツァルト「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」(K165)で指揮者は大のお気に入りの「トン・コープマン」!



我が家で唯一の「お金に換えられない宝物」といえば、この収録番組ですかね~(笑)。

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妙案が浮かぶタイミング

2021年09月21日 | オーディオ談義

誰しもが不意に「妙案が浮かぶとき」ってありますよね。

たとえば、自分の場合は(圧倒的にオーディオ関連についてだが)「運動ジムでバイクを漕いでいるとき」、あるいは「ウォーキングの途中」、そして「お風呂に入っている」ときなどで、いずれも”こだわり”の対象から離れて「無心状態」のときのことが多い。

今回は「バイク」を漕いでいるときに突然閃いた。

「そうだ!変換アダプターを6CG7用から5687用に代えてみたらどうかな」

いきなりの話で、いささか説明を要するでしょうね(笑)。

以下、いつものように専門的で多少”しつこくて”、(機器にたいする愛情から)「お手盛り」の話になるがどうか悪しからず。



我が家の「1ワットクラス」のアンプ3台の中で一番出番が多いアンプがこれ。言い換えると「AXIOM80」を鳴らすのに最適のアンプになっている。

とてもユニークで出力管を多種類に亘って楽しめるところが気に入っている。

もともとの出力管は「6SN7」だったが、変換アダプターを使っていろんな球を聴けるところがおもしろい。

たとえば次のとおり。



左から「6SN7=12AU7」系の「E180CC」(ムラード)で、そのほかにも「E80CC」などが使える。

中央が「5687」(レイセオン)でインターステージトランスを強力にドライブするときに重宝されている球だそう。

そして右側が「6GU7=6CG7」(いずれもRCA)で、いずれもプレートがやや大きめのミニチュア管。

それぞれ「ピン配列」が違うアダプターに差し込んで音が出るようになっている。

中央の「5687」については「北国の真空管博士」から「とても元気のいい球ですよ、既にレイセオン・ブランドをお持ちのようですから私が海外のオークションでアダプターを調達してあげましょう」により、手に入れたもの。

実際にこの球で「AXIOM80」を鳴らしてみたところ、たしかに元気は良かったけど、中高音域の滑らかさが幾分足りないような気がして控えに回っていたところだが、この「5687」を低音域専用に使えばと閃いたのが冒頭の話へと繋がる。

さっそく近隣のオーディオ仲間のYさんに来ていただいて実験開始。Yさんお好みの「AXIOM80」(オリジナル版)を準備して待ち構えた。



「AXIOM80」(自作の箱内蔵:板厚1.5cm)をフルレンジで鳴らし、低音域を補強するために背後の「ウェストミンスター」(改)を100ヘルツ以下のサブウーファーとして活用するというもの。

自分で言うのも何だが、とても贅沢な「サブウーファー」ですよ(笑)。

これらを駆動するのが次のアンプ。



サブウーファー用に「5687」アンプを、AXIOM80用には右側の「371」シングルアンプを起用した。

「とてもミニチュア管とは思えない低音域の駆動力ですね。引き締まり具合といい力感といい申し分ありませんよ」と、Yさん。

「そうでしょう!5687は低音域用にもってこいのようです。プレートがやや大きめのミニチュア管をプッシュプル動作で鳴らすのは大穴だと思いますよ。まあ、出力トランスがトライアッドというのも利いてますがね。今度はAXIOM80を駆動している371アンプの整流管を80(ナス管)から83V(刻印)へ変えてみましょうかね」

「音がぐっと伸びてきますよ。浸透力が80とは明らかに違いますね。整流管でこんなに音が変わるなんて驚きです」

「整流管に何を使うかは真空管アンプの大穴ですよ~」

さらに実験が続く。

「今度はAXIOM80を5687アンプで鳴らしてみたいですね。入れ替えが出来ますか?」と、Yさん。

「ハイ、簡単ですよ。SPケーブルを繋ぎ変えるだけですから・・。ただし、フルレンジを鳴らすときは真空管を5687から6CG7に代えたほうがいいでしょう」

すると「371のときよりも(AXIOM80に)力感が漂いはじめました。6CG7ってレンジが広くて抜けもいいし素晴らしい球ですねえ」

「ハイ、RCAのクリアトップは定評があるだけあって安心して使えます。」

というわけで、このところ「1ワットクラス」の真空管アンプの出番が多くなるばかり。

古典系のSPユニットを鳴らすのなら、この「6CG7プッシュプル」しかり、「371Aプッシュプル」しかり、「プッシュプルタイプの小出力アンプ」との思いが日々強くなっている。

スピード感が「高速道路」と「一般道路」の違いといえば分かっていただけようか。

こんなことなら値の張る「WE300B」や「PX25」アンプなんて要らなかったかもしれない、なんて思うが、こればかりは実際に購入して鳴らしてみないと分からなかったしねえ(笑)。



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日本人にジャズは理解できているんだろうか

2021年09月19日 | 音楽談義

村上春樹さんの随筆集を読んでいたら「日本人にジャズは理解できているんだろうか」との項目立てがあった。

我が拙い音楽体験からすると、日本の音楽ファンのうちおよそ「ジャズオンリー」が5割、「ジャズとクラシックの両方」が3割、そして、残りの2割が「クラシックとその他」ではないかと思料している。

つまり、この日本でジャズの占める位置付けは人数的にも業界的にも大きいといえるので、この問題提起は傾聴に値すると思う。

村上さんが言わんとする根拠は「ブランフォード・マルサリス」の次の言葉にある。

「日本人というのはどうしてかはわからないけど歴史とか伝承的なものとかに目がないんだ。他の多くの国の人とは違って、彼らはジャズというものをアメリか体験の一つとして捉えている。

でも理解しているかというと、ほとんどの人は理解しちゃいないね。とにかく僕のコンサートにくる客について言えばそうだ。みんな、こいつらいったい何やっているんだ?という顔でぽかんと僕らのことを見てるだけだ。

それでもみんなわざわざ聴きに来るんだよ。クラシック音楽と同じことさ。誰かにこれはいい音楽で聴く必要があるからって言われて聴きに来るんだ。以下略」

以上、随分な言い様だが(笑)、ジャズはまったくの門外漢なのでまずもってクラシック音楽について個人的な意見を言わせてもらおう。

つまり「日本人にクラシックは理解できているんだろうか」というわけだが、結論から言うと「大半の日本人は理解できていない」と思っている。

なぜならクラシックは「神の声」を福音とする「教会音楽」から発展したものであり「神に帰依する心」を持たないと本質的に理解できない音楽だと思っているし、そもそも我ら仏教徒には縁がないものだから。

そこでの話になるが、日本人がクラシックを好きになる理由といえば、せいぜい「聴いてて気持ちが清々しくなるし、何となく癒されるから」が関の山だろう。

そこで、話は戻ってタイトルに対する村上さんのご意見だが、珍しく歯切れが悪くて2種類のご意見が用意されてある(笑)。

 「俺たち黒人が歴史的になめてきた苦しみがお前らに分かるものか。そしてそのような苦しみや痛みの分からない人種にジャズという音楽の真髄がわかるものか。

お前らは金を積んで俺らを雇ってレコードを作ったり、日本に呼んで目の前で演奏させたりしているだけじゃないか。俺たちはしょうがないからやっているんだけど、みんな陰で笑っているんだぞ」

と、マルサリスから面と向かって言われたら、たぶん「それはたしかにそのとおりです」と答えるしかないような気がする。

そういう観点から見れば日本人はジャズを本当に理解していないと言われても仕方ない部分はたしかにある。以下、略。

 しかし「いや、それは違うよ、マルサリスさん。そういう言い方はフェアじゃない。ジャズという音楽はすでに世界の音楽の中で確固とした市民権を得たものだし、それは言うなれば世界市民の財産として機能しているんだ。日本には日本のジャズがあり、ロシアにはロシアのジャズがあり、イタリアにはイタリアのジャズがある。

たしかに黒人ミュージシャンはその中心的な推進者として大いに敬意を払われるべきだし、その歴史は決して見過ごされるべきではない。しかし彼らがその音楽の唯一の正統的理解者であり、表現者であり、他の人種にはそこに入り込む余地がないと言うのであれば、それはあまりにも傲慢な論理であり世界観ではないか。

そのような一級市民と二級市民との分別は、まさにアパルトヘイトの精神そのものじゃないか」と反論することもまた可能である。そういう文脈においては、日本人はかなり熱心に誠実に「世界市民的に」ジャズを理解していると言っても差し支えないだろう。

どちらの言い分が正しいのかというのは、言うまでもないことだが、どちらの立場に立ってものを見るかによって変わってくる。僕個人の意見を言わせていただくならどちらの見方もそれなりに正しい。

以上のようなご意見だった。

最後に村上さんはこう結んでいる。

「こういった問題についてもっと人々が正直に腹を割って本音を話し合うのは有益なことだと思う。いい機会だからどうすればお互いをよりよく理解しあえるかについて、どこまでも論議すればいい。

もしそこに音楽を愛するという共通項が存在するのなら、いつかは必ず一つの妥協点、合意点が成立するはずだ。あるいは大袈裟なものの言い方になるかもしれないけれど、こういう小さななんでもなさそうな文化的摩擦を腰を据えて感情的にではなく、ひとつひとつ細かく検証していくことから先の方にあるもっと大きな摩擦の正体がわりに明確に見えてくるのではないか。

そしてそれと同時に日本という国家の中にあるアメリカとはまた違った差別構造の実体のようなものもひょっとして浮かび上がってくるのではないか。

以上、村上さんのご意見が大半を占めてしまったが、このブログの閉めにあたって思うことは「クラシックとジャズの大きな違いは神の存在の有無」にあるのではないかということで、つまりジャズに「黒人のうめき声」はあっても「神の存在」は感じられない。

したがって、日本人にとってクラシックもジャズも同じ土俵上の似たようなもので、たまたま好きな音楽がどちらかであったに過ぎない。

その意味では、より人間臭いジャズのほうに人気があるのもわかるような気がする。

皆様はいかがお考えですか?



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「喋る能力」と「書く能力」のどちらが得?

2021年09月18日 | 独り言

人間は社会的な生き物なのでそれぞれが役割分担して協調していかないと生きてはいけない。その辺が人間とその他の動物の違いとのこと。

そこでの話だが、人間が相手に対して自分の意思を反映させようとしたらどういう方法があるんだろう。

思いつくのはまず「しゃべる」、そして「表情と身振り」、さらには「書く」ぐらいかな。

通常「表情と身振り」は「しゃべる」と併用されるケースが多いので結局「しゃべる」と「書く」に収斂されるといっても間違いは無かろう。

どちらも大切だが日常生活や仕事においては「しゃべる」方が圧倒的に優位で、「書く」は比較的必要とされないのは周知のとおり。

「女性は耳で恋をする、男性は目で恋をする」と、何かの本に書いてあったが、「女性は口説き文句に弱い、男性は見た目の美人に弱い」という意味だそうで、やっぱり「しゃべる=口説く」のがうまい男性は「もて方」も違うような気がする。

たとえば、司馬遼太郎さんの著作「街道をゆく」によると、江戸幕府を開いた徳川家のルーツをたどると岡崎で「遊行僧」だった「徳阿弥」が庄屋の一人娘とねんごろになって婿養子に入ったことだという。

「遊行僧」といえば聞こえはいいが、まあ「風来坊」みたいなもので「おそらく口説くのがうまかったのだろう」と書いてある。

日本史における極めて重要な家系も元を辿れば「口説くのがうまかった」に行き着く(笑)。

したがって長~い人間の進化の過程では「しゃべる」能力の優勢な遺伝子の数が増えるのは自明の理だから、総体的にみて全人口の中で該当する比率が増しているのは疑いないところだろう。

ただし、これまでの人生を振り返ってみると「しゃべる能力」と「書く能力」の両方に長けた人に出会うことはめったになかったような記憶がある。

つまり「しゃべる」のが巧い人は、「書く」のが苦手で、逆に「書く」のが巧い人は「しゃべる」のが下手といった具合。もちろん、両方とも冴えない人もいることはいるが(笑)。

具体的な例を挙げると、ずっと以前のこと、作家の「城山三郎」さん(故人)の講演を事務局の一員として設定したことがあり、実際に拝聴したことがあるが、小さな抑揚のないボソボソといった話し方で、内容の方もさっぱり記憶に残らなかった。

これほどの大作家でもこの程度の「しゃべり」かと、驚いたと同時に「天は二物を与えない」ものだと、妙に安心感を覚えたことを記憶している。

エッ、安心感とはどういう意味?

実は、かくいう自分も「書く」のはあまり苦にならないが「しゃべり」は苦手なタイプであり、ましてや口説く能力となると皆無である(笑)。

いずれにしても、来し方「しゃべり」のうまい人が「うらやましくて」仕方がなかったが、こうして今のような身分になってみると「しゃべり」の機会はほとんど家族内に限られてきており、「書く」ことの比重の方が圧倒的に増してきている。

たとえば始めてからおよそ16年になろうかというブログ。

「文章が巧い」なんて口が裂けても言うつもりはないし、誰からも言われたこともないが(笑)、「書く」ことが苦にならないことはたしかである。

極めてマイナーともいえる「音楽&オーディオ」分野のブログでも16年も続くとかなりの読者がアクセスしてくれるし、興味を持って読んでもらえるのであれば、ささやかながらも社会に役立っているかもしれず、日常生活に張りを与えてくれるのはとてもありがたいこと。

そういうわけで、晩年になると「しゃべる能力」よりも「書く能力」の方がむしろ「得」かもしれないなんて、この頃は勝手に思い直している次第。

したがって、タイトルに対する答えとなると「壮年時代は喋る能力」が得だし、「老年時代は書く能力」が得だといえるのだろうか。

とはいえ、これも基本的には「ネット時代の到来」のおかげだろう。

誰もが簡単に情報発信でき、そして取得できるのだから「書く人間」にとってはまったく夢のような時代が来たものだ。

最後に、文中に登場した城山三郎さんのことだが、著書「落日燃ゆ」(福岡出身の宰相「広田弘毅」の生涯を描いた作品)は当時の愛読書だったので、一緒になったエレベーターの中でちゃっかりご本人からサインをもらったのは職業的な余得としていまだにしっかり記憶に残っている(笑)。

  

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真空管アンプの「永遠のテーマ」

2021年09月17日 | オーディオ談義

前々回の「未練たらしいオーディオ愛好家」で取り上げた「1ワットクラスのアンプ」。



この時に標的になったのは上段左側の「071」アンプだったが、今回取り上げるのは右側の出力管「371」(カニンガム:トリタン・フィラメント)アンプだ。

左側と非常に似通ったアンプだが「前段管」が大きく違う。このアンプも何とか手前側の「6CG7プッシュプル」アンプに近づけたいものだ。

出力管の「371」が何しろ90年前の球なので(2本のうち)1本が経年劣化でノイズが多くなったので予備の球から1本挿し代えて新たに出直し。画像をアップしてみよう。


左側が前段管の「AC/HL」(英国マツダ:初期版)、出力管が「371」、右側の整流管が「83V」(RCA)というラインナップ。

このアンプの特徴は「前段管」の切り替えスイッチが付いていて、「AC/HL=MH4」と「MHL4」とが挿し代えられるようになっている。



「AC/HL」は「μ=増幅率」が「30前後」で「MHL4」はμが「20前後」で、どちらもイギリス系の球だが出てくる音は大きく違う。

前者は音に活気があって華やかだが、もっと音の重心が下がるとさらに素敵だと思うし、その一方、後者は音の重心が下がるのはいいが全体的にやや音に活気がなくなる。

いったいどっちがいいのか、ほんとうに悩まされるが、現時点で優勢なのは「AC/HL」のほうだ。

そこで、我が家の真空管の主治医にあたる「北国の真空管博士」に相談してみた。

「前段球の増幅率は低いのから高いのまでいろいろあって、我が家の場合はどうも高い方が音がいいような気がしますが、この点についてどのようにお考えですか?」

すると、次のような回答が返ってきた。

前段球のミューについてですが、個人的見解としては回路定数の設計が適切であればミューが高くても低くても良い音が楽しめると思います。

そうは言ってもミューの違いで音の傾向が異なるのは事実で、この辺は個人的な好みが大きく影響するのは言うまでもありません。
 
ミューの高い球は繊細な表現が得意ですが再生レンジは狭くなります。ミューの低い球はワイドレンジでスピード感がありますが繊細な表現はμの高い球に及ばないように思います。

私の理想はミューの高い球の繊細な表現そのままにワイドレンジかつスピード感のある音を実現することですが、回路設計と部品選定を適切に行えば可能であると考えています。

出力管との相性でいえばPX25やWE300Bのような入力容量の大きな球の前段としてはミューが高く内部抵抗の高い球は相性が悪く使用にあたっては特別な配慮が必要です。
 
前段球と出力管の組み合わせは奥が大変深く永遠のテーマといえると思います。」

以上のとおりだが、前段球のミューの違いによる音質の変化は個人の好みや音楽ソースによっても左右されるのでどうやら簡単に結論が出せるような問題ではないようだ。

真空管アンプは何だか「八岐大蛇」(やまたのおろち)みたいで、スッキリした解答が導かれず割り切れないことが多いが、それだけに弄りがいがあって楽しい面もある(笑)。



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紳士に必要な「ジョークとユーモア」

2021年09月16日 | 独り言

欧米ではユーモアが紳士としての大切な品質証明となっており、危機的状況になったときに機知を発揮したり、精神の余裕、フレキシビリティを持つことが深い意味を持っている。

そうした人間的なキャパシティの面からすると日本人は国際的に見て”もうひとつ”といった感があるそうだ。

「世界の首脳・ジョークとユーモア集」(中公新書)  


                      

著者の「おおば ともみつ」氏は元大蔵省国際金融局長、財務官として数多くの国際舞台に立たれた方でその辺の豊富な経験を生かした著作。

そのうち、いくつか紹介。


☆ 「ご安心ください」

2004年初め、ワシントンで作られたのが次のジョーク。

米、仏、日の三人の首脳が、地中海の小島で余人を交えずに会議を開いていた。そのとき、米国土安全保障長官が「テロ」の危険度を最高レベルの「赤」にした。三人の首脳はテロリストに襲われることを恐れ、補佐官に助けを求めることにした。

米大統領は首席補佐官に電話した。補佐官は冷静に答えた。「大統領、ご安心ください。デルタ・フォースと海兵隊のヘリコプターを送りました。まもなく着くでしょう。ですから心配しないでください」。

仏大統領もパリの補佐官に電話した。補佐官が報告した。「大統領、ご安心ください。ワシントンで国土安全保障長官が「赤」を元に戻すよう、抗議の大デモ隊を組織しました。ですから心配しないでください」。

日本の首相も補佐官に電話した。補佐官が答えた。

「総理、ご安心ください。既に貴方の後任を用意しました。ですから心配しないでください」。
 

注: 当時の日本は1年おきくらいでめまぐるしく首相が代わっていたが、旧安倍政権が長く続いてようやく落ち着いた印象を海外に与えている。

そして、現在、自民党総裁選挙の真っ最中だが、結局は岸田氏と河野氏の争いだろう。

人間的な好き嫌いで言わせてもらうと、河野氏は周囲の人間(お役人)に対してすぐに怒鳴り散らすという。いきなり感情を爆発させたり、相手を畏怖させて従わせるのは人間として最低だと思うのでこういう人物に首相にはなってもらいたくない気がしている。

ずっと昔の話だが、テレビに出演していた元安倍総理が「政治家が人前で怒鳴り付けるのは絶対やってはいけないこと」と言ってたが、まったく同感。

☆ 言い訳は日本人の美徳?

「欧米人はジョークでスピーチを始める。日本人は言い訳でスピーチを始める」と言われる。

英国のチャールズ皇太子が「世界で一番古い職業は・・・」といって一呼吸おき、聴衆が皇太子の口から「売春」という言葉が出るのかと息を呑んだときに、「わが王室もその一つですが」と続けた話はそれをよく表している。

日本の皇室では、さすがにこのようなスピーチはお目にかかれないだろう。

☆ 宮澤家の会話

元首相の宮澤喜一氏(故人)の令嬢は米国の外交官と結婚している。英語に堪能な宮澤家の人々の間で次のようなユーモアが創られたという。

双子の兄弟が生まれたとき、兄の名前をピーターにした。弟の名前をどうしたらいいか。「リピーター」
にすればいい。

☆ 容易なる決断

自分の息子がどういう職業に向いているか知りたい男がいた。

ある日、聖書と一ドル紙幣とリンゴ1個を置いた部屋に息子を閉じ込めた。帰ってきたときに、息子が聖書を読んでいれば聖職者にしよう、リンゴを食べていれば農夫にしよう、一ドル紙幣をもてあそんでいれば銀行家にしようと決めていた。

帰ってみると、息子は聖書を尻の下に敷き、一ドル紙幣をポケットに入れ、リンゴはほとんど食べ尽くしていた。

そこで親父は息子を「政治家」にすることにした。

※ アハハ、 洋の東西を問わず「政治家」のイメージは大体似たようなものとみえる(笑)。



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未練たらしいオーディオ愛好家

2021年09月15日 | オーディオ談義

いつもブログを拝読させてもらっている「T」さん(東海地方)。

とてもご熱心なオーディオ愛好家で、1年ほど前に作っていただいた「RANケーブル」(数ペア)をいつも感謝しながら愛用している。

さて、貴重なオーディオ情報が満載されているブログの一節に次のようなことが書いてあったのが印象に残っている。(勝手ながら無断引用させてもらいます)


「目の前の(レコード・プレイヤーの)2本アームですが、私の性分では1本で良さそうです、どちらかに優劣が判断出来たら、悪い方は使わないです。」

とてもはっきりした価値観で爽快ですね!

どうやらオーディオ愛好家も2種類のタイプに分けられそうだ。

たとえば「T」さんのように優劣が判断出来たら潔く悪い方はあっさり切り捨てるタイプと、もう一つは簡単に諦めずに二番手を一番手に近づける努力をする、いわば「未練たらしく敗者復活を図る執念深いタイプ」。

皆様はどちらですか? 

ちなみに自分は明らかに後者のタイプです。ただし、ときどき「見切り時」を誤って大火傷をすることがありますけどね(笑)。


とまあ、そういうわけで我が家で「二番手を少しでも一番手に近づける」具体例を挙げてみよう。

このところやたらに出番が多くなった<1ワットクラス>のアンプ。



これら3台のうち今の時点で「ベスト」は手前の「6CG7プッシュプル」アンプで、とてもシンプルなツクリのせいかスピード感があるし、パワーも見かけ以上で何ら不足感を感じない。

そこで、何とか上段の「2台」のアンプをブラッシュアップして少しでも近づけたい・・・。

たとえば左側の「071」シングルアンプ。分かりやすいようにアップしてみよう。



前段管が「A411」(バリウム昇華型フィラメント:独ヴァルボ)だが、このほど出力管を、経年劣化でやや「へたり気味」の「171」(トリタンフィラメント」から「071」(ブルー管:ARCTURUS:アメリカ)に交換してみた。ちなみに、右端の整流管は「83V」(RCA)。

さらに「071」をアップしてみよう。



これが、今から90年前ほどに製造された「071」真空管(刻印)。

通常の「71A」はフィラメントが「5Vー0.25A」だが、この「071」は「5Vー0.5A」と電流が2倍になっている。

譲ってもらった「北国の真空管博士」によると、ハムノイズに強い、力強い音が出る、寿命が長くなるそうで、この球の持ち主となると「おそらく日本でも滅多にいないでしょう」というご託宣。

4年ほど前から使用することなく大切に保管してきたが、このところの「小出力アンプ」のスピード感に目覚めたこともあってようやくこの球のお鉢が回ってきた(笑)。

少しでも「6CG7プッシュプルに近づいてくれるといいのだが」と、祈るような気持で「AXIOM80」を鳴らしてみたところ
、何ともいえない「品のいい音」が出てくれた。

たとえば「6CG7」がアメリカ系のグラマラスな女性だとすると、この「071」は楚々としたヨーロッパ上流階級のご令嬢といった感じ。

「プッシュプル・アンプ」と「シングル・アンプ」の特徴がもろに出てきたともいえる。

実に好対照で、オーケストラを聴くなら前者のアンプだが、ボーカルや室内楽なら後者と綺麗に棲み分けが出来そうだ。

ただし、これで我が家の大出力アンプの出番がますます減ってくるのも困ったことだが(笑)。



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「タイトル」の付け方

2021年09月13日 | 独り言

少なくとも2日に1回は悩んでいる計算になる。

ブログの「タイトル」をどう付けようか・・。

内容の方はいつもどおり大したことはないのだが(笑)、タイトルが巧くハマったときはついうれしくなって気分爽快になる。

そういう中、「タイトル読本」に出会った。



現代の有名作家たち「51名」が「タイトル」についてどう考察し、どう付けて、現場がどう動いたかの書き下ろしのエッセイである。

「序文」にタイトルを付けるときの大切な心構えが羅列してあった。

たとえば

 作品の本質に迫りひとことでまとめる力

 作品への期待を高める言葉のセンス

 リズム感とユーモアと発想力

 時代をつかむ力

興味を惹かれてつい読み耽ってしまった。

以下、印象に残った部分を箇条書きすると、

 小説のタイトルといえば松本清張である。そのタイトルを目にしただけでブルっと来てしまう。「点と線」「砂の器」「張り込み」「黒革の手帖」「時間の習俗」「Dの複合」「分離の時間」「眼の気流」「ゼロの焦点」「渡された場面」「地方紙を買う女」とくればもう無敵であろう。作品の世界や性格もしっかり出ている。ただの言葉ではないのである。

 映画としても小説としても印象に残る素晴らしいタイトルに、トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」があります。とても知的で神秘的なタイトルです。どこか怪しく、怖い予感もします。キリスト教文化に馴染みのある人ならば宗教的な意味合いも感じとるかもしれません。

そして、映画(アカデミー賞5部門受賞)を観た後では、それがヒロイン・クラリスの子供のころの体験を基にしたものだと知ります。改めて映画のタイトルと内容がしっかりと観客の中で結びつき、タイトルが重層的な意味を持って作品と一つになって観客の中に残るのです。

そこで作曲家「武満徹」(故人)の言葉を思い出します。「8割はかっちりと説明し、残り2割は観客の想像によって完成する。」これがタイトルの必要な要素だと思います。

※ この文章は「恩田 陸」女史(宮城県)が書かれたものだが、名作であり名タイトルの「蜜蜂と遠雷」の作者だからこそ大いに説得力がある。

 ヘミングウェイは題のつけ方が旨い。「キリマンジャロの雪」には冒頭に前書きがある。頂で凍死した豹のエピソードである。「こんな高いところまで豹が何を求めてやってきたのか誰も説明したものはいない」とし、ごく荘重に語られるものだから、なにはともあれ先を読みたくなる。

ヘミングウェイの代表作ともいえる「武器よさらば」(Farewell To Arms)という題を決めるまでに200以上のタイトルを紙の上に書き並べてどれがいちばんピッタリするか思案したという。

そして、最後に「タイトル」に関連する身近なエピソードを紹介しておこう。

4か月ほど前に隣町の図書館で予約していたミステリー「白鳥とコウモリ」(東野圭吾)がこのほどようやく手元に届いた。



大いに興味をそそられたのがこのタイトルで、「白鳥とコウモリ」って、この対照的な二つにいったいどういう因果関係があるんだろうか・・。

読み進んでいくうちに、ようやく結末まじかの「391頁」になってその意味が解き放たれた。引用しよう。

「光と影、昼と夜、まるで白鳥とコウモリが一緒に空を飛ぼうって話だ」(刑事)

注釈が必要だろう。つまり殺人犯の息子(コウモリ)と殺された側の被害者の娘(白鳥)が一緒になって事件の真相を究明しようというわけ。

ネタバレになるのでこれ以上は書けないが、最後に実に意外な真相が解き明かされる。

小説の開始から1/3ほどで犯人が判明しすっかり自供してしまうので、いったいこの先どういう展開になることやらと心配したが、さすがに東野さんはストーリーの組み立て方が巧いですね。

ただし、登場人物の実在感に乏しい点などが散見されるのでわざわざ購入して読むほどのこともないと思うが、もし機会があればぜひ~。

最後に他人の話ばかりをネタにするのも気が引けるので、今年の上半期の我がブログ・タイトル「ベスト5」(自選)を挙げておこう。それぞれ内容への「リンク」可能です。

 「愛情、熱意そして執念に彩られたスピーカー」(2021.2.27)

✰ 「人生に無駄な経験は一つもないというが」(4・15)

✰ 「足して2で割ると丁度いい」(6・5)

✰ 「新鮮さはそれだけで人を惑わせる」(6・29)

 「功を奏した”遊び心”」(7・7)

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「ベストアンプ」を求めて~AXIOM80(復刻版)編~

2021年09月11日 | オーディオ談義

自分で選択したんだからすべて「好きなはず」なんだけど、それでもやっぱり優劣の差が出てくる。

いや、5系統のスピーカーのことである。

たとえば1日間聴いただけで「もういいや」と放り出すスピーカーもあれば、3日間ほど代えないで聴きっぱなしということもある。

逆説的に言えば、どんなに気に入ったスピーカーでも3日間も経てば入れ替えるというわけだが、その「移り気」加減に自分でも嫌気がさすことがある。

いったい「音楽」を聴いてんだか、「音」を聴いてんだか・・(笑)。

さて、今回取り上げるスピーカーは今のところ比較的お気に入りで長めに聴いている部類に入る。



AXIOM80(復刻版)をフルレンジで鳴らし、JBL「D123」(口径30センチ)をサブ・ウーファーとして100ヘルツ以下くらいを少し補強してやる「変則2ウェイ」システム。二つの箱とも自作で共振させることを目的に「板厚1.2cm」にしている。

今回のテーマはこの二つのユニットをうまく鳴らせるアンプはどれだろうかというわけ。

箱の大きさからして徒にスケール感を求めると「迷路」にはまりそうだ。

前々回のブログ「敵を知り・・・」で9台の真空管アンプを出力別に3群にグループ化したが、大きめの出力のアンプで鳴らすのはスピード感の面でしっくりこないので「A群」と「B群」の中から選ぶことにした。

<A群~出力1ワット級~>



いずれも「甲乙つけ難し」でこの中から選ぶのは苦渋の選択だが、
最終的には「スピード優先」の観点から一番手前の「6CG7プッシュプル」アンプに決めた。

たかが「ミニチュア管」だけど、されど「ミニチュア管」である。

このアンプは先日のこと、ソケットが故障したのでオーディオ仲間のNさん(大分市)宅に持ち込んで修繕してもらったが、ご自宅の「アルテックA5」を、このアンプで鳴らしたところ朗々とした響きが出てきた。

「我が家の300Bシングル(モノ×2台)に匹敵するような音です。きっとプッシュプル用の出力トランス(TRIAD:アメリカ)がいいんでしょう」と太鼓判を押してもらったほどで、今のところ我が家の「常用アンプ」である。

このアンプを低音用の「D123」に振り向けることにした。

普通、100ヘルツ以下の低音を鳴らすのならそこそこのパワーが必要だが今回のケースでは低音が出過ぎて「AXIOM80」を邪魔すると悪いのでこのアンプの出番だ。介添え役は出しゃばり過ぎてはいけない(笑)。

そして肝心の「AXIOM80」にはどのアンプを振り向けるかポイントだが、B群から選択することにした。

この一癖も二癖もある「ジャジャ馬ユニット」を無難に鳴らすことが出来れば、どんなスピーカーにも対応できると言っても過言ではあるまい。

<B群~出力2~3ワット級>



丁度折よく、オーディオ仲間のYさんがお見えになったのでこれら3台のアンプを聴き比べてもらった。

この程度の重さならラックに上げたり下げたりしても腰の負担はしれている(笑)。

そして、最終的にAさんの「一押し」は画像一番手前にある「371Aプッシュプル」アンプだった。

「6AR6アンプは与えられた情報をきちんと正確に出してくれますが、それだけにとどまっている印象を受けました。2A3アンプは伸びやかな響きがありますがちょっと切れ味が甘いです。いずれも371Aプッシュプルアンプの佇まいの魅力には及びませんね」

ちなみに、今回のテスト盤はフルート奏者のYさんが持参された「ジェームズ・ゴールウェイ」(元ベルリンフィル)のCDだった。

ゴールウェイといえばフルート界の王者だそうで、彼が吹くフルートは世界的に有名な「ムラマツ」(日本)の「24金」だが、彼の音色を出したいばかりに高価な「ムラマツ」を購入し吹いてみてもどうしても同じ音が出せないと嘆きの種になっているそう。

管楽器ばかりは小さい頃から英語や仏語の発音に舌が鍛われているとともに肺活量に優れた外国人の独壇場のような気がしている。

曲目は「精霊の踊り」(グルック作曲:オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」から)で、ゴールウェイで聴くと「この世にこんなに美しい音楽があるのか」と思わせるほどのたっぷりとした至福の響きに酔わせられる。フルートで演奏される曲目の中では「白眉」だろう。

話は戻って、
この「371A」アンプは、出力トランスが「ピアレス」(アメリカ)、インターステージ・トランスが「パーマロイコア」で、改造していただいた「北国の真空管博士」から「この構成なら悪い音の出ようがありませんよ」と、お墨付きをいただいている。

ただし、実を言うと「371Aプッシュプル」アンプは滅多に使わないことにしている。このブログの恒常的な読者ならこれまで登場シ~ンが極端に少ないことにお気づきのことだろう。

その背景には、出力管として使っているおよそ80年前の貴重なナス管「371A」(71A系)にある。

これを4本、それもプッシュプルとして特性の揃ったペア管を確保するとなると極めて難しい時代になっていて日常的に使うとなると、つい「もったいない」精神が先に立つというわけ(笑)。

しかし、人生の残された時間を考えるとこれから頻繁に登板させてもいいかもねえ。

まあ、そういうわけでこのシステムのベストアンプは「AXIOM80」用に「371Aプッシュプル」アンプ、「D123」用に「6CG7プッシュプル」アンプで決まり~


ただし、DAコンバーターやプリアンプなどの前段機器を代えたりするとすべて振り出しに戻るので、あくまでも「2021年9月11日時点で」という「但し書き」を付けておこう(笑)。



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読書コーナー~「村上春樹」随筆集~

2021年09月09日 | 読書コーナー

2~3日に1度は図書館に出かけているが、あの館内の独特の「本の香り」を嗅ぐと不思議に気持ちが落ち着く。

まず「新刊コーナー」に行って興味のある本を漁るのだが、無いときも当然ある。クルマでわずか20分ほどの道のりだが、せっかく来たんだから手ぶらで帰るのはもったいない。

そこで、(新刊コーナーの)後ろを振り向くとそのコーナーは「随筆集」になっていて「ム」から始まる名前の作家がズラリ。

頭文字が「ム」といえば、やはり「村上春樹」さんですよねえ(笑)。



大作家に対して恐れ多いが、自分ごとき人間でも共感できる文章が多い。

たとえば、次のとおり。

「僕はジムで身体を動かすのが好きで、しょっちゅう行くんだけど、ここにあるエネルギーを発電に有効利用できないものだろうかと、いつも考えてしまう。

たとえば固定式のバイク・マシーンが10台くらい並んでいて、人々が一生懸命ペダルを漕いでいる。それを見るたびにこれを発電に利用出来たらなあと思う。

もちろん原子力発電なんかに比べたら微々たる熱量だけど、それでもたくさんのマシーンをみんなで交代で必死に漕いだら街角の信号機の電力くらいはまかなえるんじゃないか。だってエジプトのピラミッドだってほとんど全部人力で作ったわけです。人の力もいっぱい集まれば決して馬鹿にしたものではない。~以下、略~。

以上のとおりだが、運動ジムで「バイク」を漕いでいるとほとんど同じことを考えるので波長が合っているといえそう。

そのうち、テクノロジーが進化して個人ごとにバイクやウォーキングなどの運動エネルギーを蓄えられる「携帯用蓄電器」が発明され、それを携帯電話に充電できたりする時代がやってきそうな気がする。

そうなると、国民全体が運動に熱心になり健康になって医療費の節約に繋がり政府も大喜びという図式はちょっと甘いかな・・(笑)。

なお、最新科学で分かったことだが「脳を鍛えるには運動しかない」んだから、恐怖の認知症もきっと減少するに違いない。

もう一つ、「余白のある音楽は聴き飽きない」の表題のもと、以下のような文章があった。

「僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさは何か?

それは、いいものと悪いものの差がはっきり分かる、というところじゃないかな。大きな差もわかるし、中くらいの差もわかるし、場合によってはものすごく微妙な小さな差も識別できる。

もちろんそれは自分にとってのいいもの、悪いもの、ということであって、ただの個人的な基準に過ぎないわけだけど、その差がわかるのとわからないのとでは、人生の質みたいなのは大きく違ってきますよね。

価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。

それは人によって絵画であったり、ワインであったり、料理であったりするわけだけど、僕の場合は音楽です。

それだけに本当にいい音楽に巡り合ったときの喜びというのは、文句なく素晴らしいです。極端な話、生きてて良かったなあと思います。」

以上のとおりだが、文中の「音楽」を「いい音」と同義語として置き換えても差し支えないだろう。

毎日のようにオーディオ機器の組み合わせを変えながら、ああでもない、こうでもないと微妙な音質の差について価値判断を続けていると、「所詮は50歩百歩なんだけどなあ」と、ときどき自虐的になることがある。

しかし、そういう価値判断の絶え間ない堆積によって「人生の質」が違ってくるとなると話が違ってくる。

「微妙な差がわかる」ことはとても素敵なことなんだ!

ここで村上さんがいう人生の質とは「社会的な名誉」を得たり「お金持ちになる」ことでないのは明白ですよね。

いや、けっして「負け惜しみ」じゃなくて~(笑)。

よし、これからも徹底的に微妙な差に拘る「音楽&オーディオ」人生を送っていくこととしようと決意を新たにした次第。



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敵を知り己を知れば百戦危うからず

2021年09月07日 | オーディオ談義

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(孫子)という中国の故事がある。

ご存知の方も多いと思うが、ネットから引用するとその意味は次のとおり。

「敵情を知って味方の事情も知っていれば百回戦っても危険が無く、敵情を知らないで味方の事情を知っていれば勝ったり負けたりし、敵情を知らず味方の事情も知らないのでは戦うたびに必ず危険になる。 『孫子』の中でも最も有名な教訓の一つです。」

平たく言えば、戦う前に敵と自分の能力をよく見極めなさいというわけ。


我が家のケースに当てはめてみると、「敵」とはスピーカーのことであり、「己」とは真空管アンプのことである(笑)。

我が家では毎日のように「5系統のスピーカー」と「9台のパワーアンプ」の戦いが繰り広げられているので、故事に倣って改めてそれぞれの実状を整理して置くのも悪くはあるまいと思う。

ただし、スピーカーの能力はほぼ把握しているつもりなので、今回は9台の真空管アンプの現状に目を向けてみよう。

パワーアンプが9台といえば普通の人に比べると数が多いかも知れないが「質と量」が相反するのは「この世のならい」。

それぞれが「帯に短し、たすきに長し」で、どこか「決め手に欠ける」機器がほとんどといっていい。

ただし、この世に100点満点のオーディオ機器は存在しない(他の機器との連関性において)と思っているので当然の帰結ですけどね。

さて、話が本筋に入る前に前提として我が家なりのオーディオのポリシーを挙げておこう。

 メインとなるSPユニットはクラシックの再生に一日の長があるイギリス製の古典派タイプに絞る

 SPユニットは音の濁りを防ぐためにできるだけネットワーク類を使わずに「フルレンジ」形式で鳴らす

 アンプ類は真空管式に絞り、さらに真空管は古典管を重用する

といったことぐらい。

ただし、2の制約だけでもう市販の大半のスピーカーは脱落してしまうことになる。たとえば「2ウェイ」や「3ウェイ」のタンノイ、JBLなどはネットワークにコイルやコンデンサーなどを使っているので即アウトだ。


ちなみに我が家が求めているサウンドとは「クラシック音楽の再生」が最優先で「直接音と間接音(壁に当たって跳ね返ってきた音)とが微妙に入り混じった音」、たとえば広々して天上の高い「教会」のようなところで演奏されるようなホールトーンの再生にある。

毎日のようにいろんな機器を組み合わせながら理想のホールトーンを目指して「聴き分け」していると、いくら「決め手に欠ける」機器でも「部分的に優れたところが必ずどこかにある」ことに気が付く。

つまり組み合わせるスピーカー次第では見事に生き返るアンプがあるので、うっかりお払い箱にできない。それに前段管や出力管そして整流管のブランドを替えてやるだけでガラッと豹変することがあるのでゆめゆめ油断できない。

そういうわけでこの際とばかり9台のパワーアンプを駆使してスピーカーごとに相性のいいベストアンプを(現時点で)選出してみることにした。

それでは、我が家の9台のアンプを系統だてて整理しておこう。「出力」を目安にして区分すると次のとおり。

A群 <出力1ワット級>



B群 <出力2~3ワット級>



C群 <出力6ワット以上のクラス>



全体的な傾向としては「音声信号に対するスピードの速さと中高音域の艶」という観点からは「A群 → C群」の傾向となり、「中低音域の豊かさ」という観点からは「C群 → A群」となる。

こればかりは人それぞれの好みになるが、個人的には今のところ「A群」が好き~。

それはさておき、画像撮影のために重たいアンプを上げたり下げたりしたらどうやら腰にきたようで・・、トホホ(笑)。

以下、続く。



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