「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~まずくても面白い文章~

2011年06月30日 | 読書コーナー

「週刊文春」に「文庫本を狙え!」というコラムが毎回連載されており、図書館でちょくちょく見る程度だが、2004年9月30日号~2009年2月26日号までを一挙に収めた本を見つけた。

「文庫本玉手箱」(2009.6.10、文藝春秋社刊) 

                                               

著者の「坪内祐三」さんは1958年生まれ、早大文学部卒業、「東京人」の編集者を経て書評、コラム、評論などの執筆活動をされている方。

中身のほうはそれこそ手当たり次第で、分野を問わず200冊の文庫本の概略が紹介してあったが、うち何となく気になったのが
「小林秀雄対話集」

「小林秀雄」さんについては現在ではどうか知らないが、自分が若い頃は「日本最高クラスの知性」とまでいわれていた方。

しかし、相変わらず難解なのでとても一筋縄ではいきそうにない。

ずっと遡って自分の受験時代のこと、模擬試験や入学試験の「読解力テスト」に当時はブームみたいに小林さんの評論がしきりに出題されていて”ヒーヒー”
いった記憶がある。

面白い逸話がある。

あるとき小林さんの娘さんが現代文の問題を持ってきて、「お父さん教えて」と言った。小林さんが読んだが、サッパリ分からない。「悪文だ。この意味がどうしてこう解釈されるんだ?分かりませんと書いて出せばいい!」と言った。途端に娘さんが笑い出した。「だって、この問題はお父さんの本からとったんだって先生がおっしゃってたわ」。

小林さんの代表作のひとつに「モーツァルト」があるが、これは数あるモーツァルト論の中でも白眉とされるものでクラシック愛好家を自認する方で、もし読んでなければ一度は目を通しておきたい1冊。それも出来るだけ感性が鋭敏な若いうちに。

さて、この対話集の中で小林さんの言葉として次のような一節が紹介されていた。

「散文ってものはね、そこがまた面倒なところだが、まずくても面白い文章だってあるんだ。生きている文章ってものがある。うまくたって死んでいる文章がある。死んでいる文章は私には縁がないの。少し読んでいれば死んでいるか生きているか分かるんだから、贅沢な話じゃないと思っているだけだよ」

「評論の神様」から
「まずくてもおもしろい文章があるなんて聞かされると、”素人”にとって一筋の光明が差し込んでくるようなもの。

当然、この箇所だけでは意味がよく把握できないので早速図書館から”本家本元”の「小林秀雄対話集」を借りてきた。

「小林秀雄対話集」(2005.9、講談社文芸文庫)

                                              

上記の一節は中村光夫氏、福田”つね”存氏(※”つね”は手書き入力パッド”でも出てこない漢字!)との鼎談「文学と人生」の中で「現代作家の怠慢」の小見出しで出てくるもので、この文の続きとしてこうある。

「人間はだれだって、文章なんかには関係なく
生きた言葉を使っているんだからね。使わざるを得ないだろう。そういうあたりまえのことが文章にでてなきゃ駄目じゃないか、というだけのことだ。言葉の混乱などということと問題が違う。混乱したってちっともかまやしない。混乱したって生きた文章ってものはあるわけですよ」

こうしてみると、どうやら
「生きた言葉」がポイントのようで「リアリティ=実在感」についての表現の問題なのかな~とおぼろげながら察しがつく。

いつぞやのブログでも取り上げたことがあるが国民的作家の司馬遼太郎さんは「この文章は素人が書いたものか、玄人が書いたものかすぐに分かる」と言っていた。

たとえば大学教授が理路整然と書いたものだって素人同然の文章があるという。

司馬さんによると
正直にありのまま書けばいい」
のに素人はつい「いい格好をしたがる」のですぐに分かるそうだ。「気取った文章」とでもいえばいいのだろうか。

「漱石の”則天去私”にもあるとおり、(文章に)私心、競争心を出してはいけない」ということだそうだが、これはどうやら小林さんの趣旨と、一脈相通じるものがありそう。

現在のところ、ブログのおかげで文章を作る機会に恵まれており、幸い読んでくれる人もいるのでたいへんありがたいことだが、せめて「まずくても面白い文章」を心がけたいもの


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オーディオ談義~「タンノイ・ウェストミンスター」の今と昔~

2011年06月28日 | オーディオ談義

日頃、我が家の第二システムとして「アキシオム80」の後塵を拝しているタンノイのウェストミンスター」。

購入してもう15年以上になるだろうか。

今でこそ第二システムになっているものの、自分のオーディオ歴の中でまさに”酸いも甘いも”知り尽くしたスピーカーである。

購入したときのエピソードも鮮明に覚えている。

当時、もう欲しくて、欲しくて堪らずとうとう業者に発注したのはいいけれど、そのことをずっと切り出せないままに、自宅に到着する前日になってようやく「カミさん」に告白したところ、物凄い怒りをかって1週間ほど口をきいてもらえなかった想い出も今となっては懐かしい。

五味康祐さん(故人、作家)の「西方の音」などの著作に傾倒し、圧倒的な影響を受けていたのでずっとタンノイの大ファンだった。

まず始まりは当時「黄金の組み合わせ」といわれたラックスのSQ38FD(真空管プリメインアンプ)とタンノイの「スリー・エル・ゼット(オリジナル・イン・キャビネット)」で出発、そのうちスケール感が物足りなくなって15インチのユニットを使った「インパルス15」に移行。

この「インパルス15」(現在は友人宅)にも飽き足りなくなって、とうとう「ウェストミンスター」に行き着いてしまった。

使い出してから5年ほどはおとなしくしていたものの、やはりジャズがまったく鳴ってくれないのがこのSPの致命的な弱点だった。ベースの切れが鈍いし、シンバルの響きも実に冴えない。

何とかクラシックもジャズも両方聴けるようにしたいものだと、そこから果てしない迷走が始まった。

まずネットワークに懐疑の眼差しを向け、思い切って「裏蓋」を開けて配線を切断し、独自にコイルとコンデンサーを使って自作した。もちろんユニットへの接続は全てハンダ付け。

いまだに記憶に残っているが、最初の「裏蓋」開けのときに何だか神聖な領域に土足で踏み入るような気がして実に緊張したものだった。

今となってはタンノイも営利を目的とした普通のメーカーで、随所に手を抜いているのが分かっているので神格化する気持ちは毛頭なし。

しばらくすると、もっと欲が出てきてとうとうタンノイのユニットを取り外してJBLの130Aユニットを取り付けた。

これは同じサイズの口径38cmなので簡単だったが、
当然、中高域のユニットもJBLで統一。中域にLE85ドライバー、高域にはツィーターの075を配置。

結局、タンノイのボックスにJBLのユニットをズラリと配置するという前代未聞のシステムが出来上がった。

これはこれで、しばらく満足していたものの、やっぱりタンノイのあの芒洋(?)とした低音も捨てがたいような味があって懐古に浸ることもしばしば。

結局、JBLのユニットは”切れ”はいいものの、あのバックロードホーンを利用した深々とした低音の再生は無理だと分かったのでオリジナルのユニットに戻したのがつい1年ほど前。

そういうふうに、あれこれ悩んでいたときに出会ったのが「アキシオム80」だった。クラシックもジャズも両方いける「自分の求めてきた音はこれだ」と一気にフォーカスが定まった。

爾来”タンノイそっちのけ”でまい進し、苦労の連続だったアキシオムさんも最近どうにか思い通りに鳴ってくれるようになったのでようやく一段落。

そうなると、「虞や、虞や、汝を如何せん」(項羽)
ではないけれど、ようやく「ウェストミンスターを如何せん」と眼を向けるゆとりが生じてきた。

ちなみに、日頃このウェストミンスターだけで音楽を聴く分には何ら不満は感じないのだが、アキシオム80と比べて聴くとどうしても、音像が1枚も2枚もベールを被っている印象を受ける。

やはり、何事につけ「比較対照」は大切で、細部に亘って相互の弱点をきちんと認識できるところがいい。

そういうわけでシステムが二つ以上あると、いろいろと探求の間口が広がってオーディオはさらに面白くなる。
 

それに、どんなに「いい音」でも毎日、「同じ音」ばかり聴いていると飽きが来る。人間の脳は単調さを
嫌うのでときどき目移りさせてやるほうが長い目で見るとシステムが長持ちする。

とにかくテレビの視聴用に限定しているウェストミンスターを何とかもっとうまく鳴らせたいものかと、つい最近のことだが”ひと工夫”してみた。

基本テーマは「プアな中高域の改善」と「雄大な低域の再生」。

☆ 中高域ユニットの差し替え

周知のとおりタンノイのユニットは同軸2ウェイとして中高域のホーンを内蔵しているが、率直に言ってこの帯域(1000ヘルツ~)がちょっと弱い。

そこでこれを使わない代わりにJBLのLE85ドライバーにウッドホーンを装着してウェストミンスターの上に載せてみた。

   

  

色合いがピッタリなのであまり違和感を感じない。音象定位のほうが多少犠牲になるものの情報量の豊かさを求めてみた。駆動するアンプは2台目の「PX25」真空管シングルアンプ。   
                        
     
           

☆☆ 雄大な低域の再生

これまでウェストミンスターを骨の髄までしゃぶってきた経験から言わせてもらうと、この長大なバックロードホーンを十分に生かした低音を再生しようと思えば駆動するアンプに相当のパワーが求められる。

電源対策に特別の工夫を凝らしたアンプは別として、たかだか10ワット程度の真空管アンプではこのSPの能力を充分に引き出せない。

以前、福岡のオーディオ仲間のO君がタンノイの「GRFメモリー」を強力な出力菅「845」のプッシュプルアンプで鳴らしていると聞いて「成る程」と思ったことがある。

五味康祐さんはオートグラフをマッキンの「275」(KT88プッシュプル)で鳴らしていたが、とにかく強力な駆動力を持ったアンプを低域用に使うことがタンノイの大型SPをうまく鳴らすコツだと思う。

自分の場合は、高出力の真空管アンプを持ってないので、スペアとして保有している4台のケンウッドの「01-A」アンプ(出力100ワット、パワーアンプに改造)のうちの1台を持ってきた。

☆☆☆ 自作のネットワーク

結局、今回の改造は低域には従来どおりタンノイのユニットを使い、中高域にJBLのドライバーを使うという異色の組み合わせとなった。

オリジナルのネットワークは”さらさら”使う気になれないので当然のごとく、コイルとコンデンサーの手持ち部品を使っての自作。

低域と中高域のクロスを1000ヘルツ前後に設定し低域のスロープを12dbとし、中高域については6dbのスロープに決定。

次に「クロスオーバーネットワーク早見表」をチェックしてコイルとコンデンサーを選択。

(コイルとコンデンサーを駆使してクロスオーバーを自在に設定するのはオーディオの醍醐味のひとつ。)

汚い楽屋裏を見せるようで気が引けるが、「百聞は一見にしかず」で次の写真を。(低域用のコイルはウェスタン社の「鉄芯入り」ですぞ!)

        

さ~て、これで聴くウェストミンスターの音は?

ウ~ン!

一番心配していたヴァイオリンの音色もウッドホーンのおかげで実に柔らかい響き。JBLのピアノはもとより定評があるので言うに及ばず。

取り分け印象に残ったのが木管楽器(クラリネット)で適度の膨らみを帯びて音響空間にふんわりと漂い、これはと思わず絶句
。アキシオムを上回る要素があるのを発見!

おっと、調子に乗ってあまりしゃべりすぎるとヤバイ。

「こいつは日頃からややオーバーな表現をして自慢気味のところがある」と、読者の皆さんにきっと思われているに違いない。

あまり嫌われたくないのでこれ以上のコメントは差し控えるが、まったく第二システムにしておくのは勿体ないような音・・・。


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オーディオ談義~ウ-ファー4発に向けて着々と準備中~

2011年06月25日 | オーディオ談義

「今のウーファー3発でも凄い音ですけど、4発にするとどういう音になるのか興味があります。部屋の空気が揺れるような低音が聴けるかもしれませんね」。

オーディオ仲間のAさんのこういうコメントを聞くと、自分もマニアの”端くれ”としてとても聞き流すわけにはいかないところ。

オーディオは何かを得れば何かを失う「ゼロサムゲーム」みたいなところがあるので過大な期待は禁物だが、やってみなければ分からないのも事実。

どんな探求の世界においても「仮説と実証」は物事を進めていくための基本的なスタイルだと思うが、「音」の世界に関してはどうも実証に比べて仮説の薄弱さに際立つものがあるように思う。

何といっても取り扱う事象が広いし多すぎるので理論的に確立されていないのがその理由。

たとえば「音声ケーブル」一つを採ってみても材質の種類によって「なぜ音が変わるのか」について明快な理論をいまだ読んだこともないし、聞いたこともない。

”たった、こんなこと”でも未解明なんだから、あとは推して知るべし。

つまり、平たく言えば理論を後回しにして「カン」を利用して手っ取り早く実験し、その結果を長年培った「耳」による判定にゆだねたほうが確実というわけ。

オーディオは「実験を数多く積み重ねた経験則」が圧倒的に物を言う世界である。

まあ、とにかくやってみてダメなときは元に戻せばいいし、作業中のワクワク感だけでも捨てがたい味があるのはマニアなら分かっていただけよう。

今回はいきなり速攻というわけにもいかないので順を追って段階的に進めていくことにした。

☆ 第一ステップ(スピーカー台の製作)

ウーファー4発にするということは、現在のボックスの最上部に収納している「アキシオム80」ユニットを別のSPボックスに移すことになるので、そのSPを載せる台の製作にとりかかった。

業者に頼むと見場は良くなるものの、大切な「福沢諭吉」さんが羽根を広げて飛んでいくので、近くの量販店に行って材料を購入して自作することにした。

半日ほどかけて出来上がったのが次のとおり。

    

寸法は台が横幅50cm、奥行き40cmそして足の高さ60cmにした。

横幅と奥行きは既存のSPボックスの大きさに合わせたが、足の高さについては二つの条件があって、まず一つ目は設置場所の制約から「スーパーウーファー」を下の空間に収納できること、そして二つ目は音楽を聴くときに「アキシオム80」が丁度耳の高さにくること。

塗装も考えたがどうせ素人だし、うまくいきっこないのでSPボックスの色に合わせて素肌のままにしておくことにした。

お化粧美人よりも素肌美人のほうが昔から好み。おっと、これ何の話?

☆☆ 第二ステップ(SPボックスの改造)

「アキシオム80」を収納するボックスは以前大宰府のMさんを通じて作ってもらったものがある。これまで部屋の片隅で物置台になっていたのだがいよいよ本格的な出番がやってきた。

今よりもずっと広い居住空間になって、アキシオムさんももっとうまく囀ってくれることだろう。

     

ユニットを取り付ける穴もちゃんと直径20cmにしてあるのでピッタリ。しかし、以前は後面解放で使用してきたが今回は密閉型にして使うことにした。

底板の取り付けは小さなネジで比較的スンナリ済んだものの、後面の蓋についてはドリルで8mmの穴を開けかかったもののまるで歯が立たない。

北海道産の「楢」材で厚さ5cmなのでとても普通のドリルでは無理のよう。そこで専門家に頼むことにして23日(木)の夕方、ウーファー用のボックスを作ってもらった木工業者のYさんに来てもらった。

「アキシオム80を取り付ける予定なので”鬼目ナット”を埋め込んでユニットの交換のたびにボックスにネジ疵が付かないようにしたいんだけど木が硬くてねえ。手も足も出ないよ」

         

「これ、楢の木でしょう。普通のドリルでは無理ですよ。強力な電器ドリルを持ってきましょう。今、仕事が立て込んでますので来週の水曜日あたりではいかがでしょう」

「ああ、いいよ」というわけでとりあえず作業は一時中断。

話がひと通り済んで、Yさんはジャズ好きなのでいきなりで驚かせてやろうとAさんから借りている「ホリー・コール」のCDを聴かせてあげた。

たしか3週間ほど前にアルテックの403Aの3発入りボックスの製作(今となっては中止)打ち合わせに来てもらったときに聴いてもらったばかりなので以前の音がまだ鮮明に記憶に残っているはず。

「いやあ、ビックリしました。よく締まったスゴイ低音が出てますねえ。この前と全然違いますけど、どこをどう変えたんですか?」

「フッフッフ、実は3発のウーファーの境目にそれぞれ仕切り板を入れて個室を作っただけだよ」と、したり顔で種明かし。

「成る程、相互のユニットの干渉が減ったというわけですね。しかし、いつ聴いてもアキシオム80のスカッと抜け切った繊細な音には惚れ惚れします。こんな音なら、もうウーファー4発にする必要はないような気がしますけどねえ」

「いや、もう乗りかかった船だから良し悪しは別として結果だけはどうしても知っておきたいんだ。少しでも良くなる可能性があればチャレンジするのが
オーディオマニアの”業”みたいなもんだからね~。」


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独り言~「長生きしたいけど少食はイヤ」~

2011年06月23日 | 独り言

およそ10日ほど前になるが、6月12日(日)のNHKスペシャル(午後9時~)で「あなたの寿命は延ばせる~発見!長寿遺伝子~」という番組を放映していた。

健康で長生きして「いい音で、いい音楽」を末長く聴ければこれに越したことはないので、拳拳服膺(けんけんふくよう)しようとすぐに録画した。

この番組を一言でまとめると、「生物はカロリー制限をした食生活を送ると、老化を遅らせる”サーチュイン”という長寿遺伝子がオンになって長生きできる」というもの。

あれっ、この内容は以前自分がブログで取り上げた内容と一緒だと過去記事を調べてみると”あった、あった”。

2年半程前の記事で「長寿遺伝子を鍛える」~カロリーリストリクション~。

ちょっと長くなるが改めて以下のとおり要約のうえ紹介しよう。

「健康は何らかの投資をしなければ維持できない。若返りとなるとより大きな投資が必要となる。」といわれている。

自分の場合に例をとると「食べ過ぎない」「適度な運動」を2本の柱にして日々心がけているつもりだが、「適度な運動」は比較的簡単だが「食べ過ぎない」については三度三度の食事ごとに「食欲に負けない強い意志」が常時試されるとあって困難を極めている。

しかし、健康維持にとっては「食べ過ぎない」ことの方が「適度な運動」よりも遥かに比重が大きいことが次の本を読んでよく分かった。

「長寿遺伝子を鍛える」~カロリーリストリクション~ 
          

         

著者は慶應義塾大学医学部教授で「日本抗加齢医学会副理事長」の坪田一男氏。雑誌「アンチエイジング医学」編集長をはじめ「老けるな」(幻冬舎)など著書多数。 

本書の構成は第1章の「氷河期を生き延びた遺伝子」から第10章の「長寿を選択する」まで、盛り沢山の内容なのにそれぞれが深く掘り下げてあって(と思うが)「健康で長生きしたい」という切実な願望の持ち主は一読しておいても損はあるまいと思う。

趣旨は「カロリー制限」と「長生き」とが1本の赤い糸でしっかりと結ばれていて、それを科学的に証明したのが長寿遺伝子「サーチュイン」の発見である。


老化や寿命にかかわる反応経路をコントロールしているこの遺伝子のスイッチが「カロリー制限」で「オン」に出来ることが証明された。

「少食派は長生きできる」
というのは等しく平等で実にためになる話だが、ここでいう「カロリー制限」とはあくまでもタンパク質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラルといった栄養のバランスはしっかり保ちつつ、総摂取カロリーだけを通常の70%程度に減らすことで、さらに月に一度くらいのペースで24時間断食をするといいという。

ただし個人的な感想だが、これを現実に実行するとなるとなかなかさじ加減が難しく、栄養失調と紙一重になる可能性がある。

それに、なんといっても人生の大きな楽しみのひとつは食べること
なので「分かっちゃいるけど実行が難しい」。

だが親切にも日本人にあった「カロリー制限」の実践編を次の9点に絞って提言してあるので紹介しておこう。


 低GI食品を選ぶ

GIとは「血糖値上昇指数」のことで、たとえば白米より玄米、うどんより蕎麦というように色が濃いもの、皮や繊維を多く含むもの、あまり精製されていないものが該当する。血糖値の急激な上昇を抑えることが主眼。因みに統計上、長寿者の大多数が血糖値が正常だという。

2 たくさんの色のものを食べる

「さまざまな栄養素をバランスよく食べる」ためにできるだけ沢山の色の食品を少しずつ食べる。自然と野菜の摂取量が増えて低GIな食事になっていく。

3 食事を楽しむ

カロリー制限は長期的には失敗に陥ることが多いので、「ガマン」はほどほどに「食事を楽しむ」ことが大切で食べ過ぎたと思えば運動量を増やして帳尻を合わせることも必要。

 食欲を騙す(ティーズ・フードを利用する)

 ”空腹感”を鎮める 

 お酒は薬になる程度に

7 日常的な「動き」を増やす

8 CRミメティックス(擬似的なカロリー制限)

カロリー制限をせずに同じ効果を得る方法があるという。たとえばポリフェノーリの一種「レスベラトロール」マイタケやタラコに多く含まれているナイアシン、糖尿病の治療薬であるメトフォルミンなどで現在でも開発競争が続いている。


 アンチ・エイジングドックのススメ

カロリー制限や運動も正解や決まりはなくそれぞれの人に合ったやり方がある。自分の体の弱点をいち早く見つけ出してケアすることが必要。これまでの人間ドックの「病気を見つける」という目的に「加齢」という要素をプラスした”アンチエイジング・ドック”の検診を行うクリニックが増えている。

以上のとおりだが今のところ適度な運動も含めてこれが
「健康で長生きするためのベスト・アプローチ」といっていいと思う。

ただし、実行するかしないかは本人次第だし、そんなにまでして長生きはしたくないという人がいても当然。

極端に言えば、好きなものをたらふく食べて早死にするか、食事の楽しみを捨てて長生きを採るか、各人の価値観に左右されるところだろう。


なお、テレビ番組の中では一般的に長続きが難しいカロリー制限をすることなしに比較的楽に「サーチュイン」遺伝子をオンにする方法が紹介されていた。

にも出てくる「レスベラトロール」という錠剤を飲みさえすればいいというものだが、世の中そんなに楽(らく)してうまい話があるとはどうも信じがたく、警戒心が沸き起こる。

とにかく2年以上も前にこういう情報を仕入れておきながら、いまだに「カロリーリストリクション」が出来てない人間はあれこれ論ずる資格がなさそうだ。

 


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オーディオ談義~舌の根も乾かないうちに~

2011年06月21日 | オーディオ談義

16日の木曜日、夕方のこと。

丁度、大分方面にご用事が出来たとのことで、その帰りの道すがら湯布院のAさんが自宅に立ち寄ってくれた。

「ほら、真空管を替えるとこんなに音が変わるでしょう」なんて言いながら二人で試聴するうちに、ふと自作のSPボックスに収納しているフォステクスのウーファー(SLE-20W、以下「SLE」)3発の間に仕切り板を入れるとどういう音になるのだろうかと思いついた。

                      

ちょっと低音が膨らみ気味に鳴っているのが以前から気にかかっていたのだが、お客さんと一緒に聴いているとなおさら浮き立つので不思議。

前回の「ブロ愚」で、偉そうに「ようやく思い描いた音になった」なんて書いておきながら、その「舌の根も乾かないうちに」この感想!

まったく「恥も外聞もなし」、我ながら呆れてしまうが、とにかく今よりも(自分にとって)「いい音」になればそれに越したことはない。

目前のAさんに相談してみると、一考の後
「やってみる価値はあるでしょうね。とにかくSP周りはネットワークを含めてちょっといじるだけで、大幅に変わることはたしかです」。

思い立ったが吉日、「駄目なときは元に戻せばいいや」と、気楽な気分ですぐに翌日早朝から行動開始。

”どっこらしょ”と、SPボックスを倒して裏蓋を開けて仕切り板をどういう具合に入れらいいか実際に確認してみた。

    

幸いなるかな、丁度SPユニットの境目に2本の3cm四方の”さん”が入っていたので、この真下に板を挿入するとうまくいきそうだ。

慎重に寸法を測って、近くの量販店に走って木材をカットしてもらったが、あまりにきちんと切りすぎたため、実際に挿入してみるとキチキチでうまく嵌らず、再度、量販店に行ってmm単位でカットしてもらった。

今度はうまくいって、長いネジと二股の釘でガッチリと仕切り板を固定した。

     

あとは例によって、吸音材の「羽毛」を個室ごとにぎゅうぎゅう詰めに押し込んで、無事終了。

書くと簡単に済んだようだが、左右両チャンネル分なので、ようやく作業が完了したのは14時ごろだった。昼食を挟んでのことだったので、実質作業時間は5時間半といったところ。経費は木材の購入費+カット代でおよそ3000円なり。

さ~て、どういう風に音が変わるかな~。

オーディオマニアならお分かりのとおり緊張と期待が入り混じってドキドキする何ともいえない気持ち。

試聴盤は歌劇「マクベス」(ベルディ作曲)。

オーケストラの豊かな響きと迫力のあるボーカル(フィッシャー=ディースカウほか)が程よく混じった名盤。

いやあ、素晴らしい!低域のふやけたようなイヤな膨らみが見事に取れたのには驚いた。そのおかげで低域の分解能が向上し、楽器の音色がくっきりと浮かび上がる。

どうやらこのSPユニットさんは集団生活よりも個室をあてがったほうが快適だったようだ。

小躍りしてすぐにAさんに連絡すると翌18日(土)の午前9時過ぎにお見えになった。


持参されたのがジャズファンにはお馴染みのホリー・コールの「テンプテーション」(1998)。

         

知人からいただいたCDだそうだが色気たっぷりの女性ボーカルに背筋がゾクゾクするが、バックのピアノとベースも見事に録れていて試聴盤にはもってこい。

「ハートレーのウーファー(口径64cm)で聴いたときのよう
な部屋の空気の揺れらしきものを感じます。見事な低音です。いやあ、こんなに変わるなんて思いませんでした。こりゃあ○○さん(自分のこと)、頬が緩みっ放しで笑いが止らないでしょう?」

「そうですね。狙いがバッチリ当たりました。こういう低音が出るのなら、アルテック403Aの3発入りのボックスはもはや不要で製作中止です。


以下、やや専門的になるが独断も交えてうまくいった原因を分析すると次のとおり。

☆ SPボックスの剛性が高まった

仕切り板を入れることで、SPボックス全体の剛性が高まり不要な共振が少なくなった。そのせいでウーファー自体はもちろん、中高域の「アキシオム80」までもが一段と澄んだ音になった。

☆ 各ユニットの役割分担が明瞭になった

現在のSPユニットのおよその周波数の分担は次の通り

40ヘルツ以下    スーパーウーファー

40~200ヘルツ   フォステクスSLEー20W~3発

200~1万ヘルツ   アキシオム80 

1万ヘルツ~     ツィーター(JBL075) 

中高域の「アキシオム80」はユニット自体が2ウェイ方式だから、今のところすべての可聴帯域を5ウェイで聴いている勘定になるが、SLEの分担域についてはおよそ「ミッドバス」(低中音域)に当たる。

結局、このミッドバスの音が締まったために、上方(中高音域)と下方(最低音域)への干渉が大幅に減って濁りが取れたというわけで、特にスーパーウーファーの音域が明瞭になったのが大きかった。


それにしてもSLEの性能には改めて驚いた。強力なアルニコマグネットとエッジレスのメリットにより音声信号への的確な追従性は「アキシオム80」のスピードにピッタリついていくほど。

ところでAさんはさすがに超がつくオーディオマニア、「こんなに良くなるのなら、SLEを4発にするとどうなるんでしょう?」

ウ~ン!

Aさんは既にSLEを12本購入されており、自分もあと4本スペアを持っている。

ユニット4本(片チャンネル)にすると理論上は口径20cm×√4だから40cm口径のウーファーに匹敵することになり、魅力が一段と増すが、インピーダンスの低下(8Ω÷4本=2Ω)によりアンプの負担の増加などいろんな課題も見えてくる。

ひとつ、じゅっくり腰をすえて考えてみることにしようか。


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オーディオ談義~不要になったオーディオ機器~

2011年06月17日 | オーディオ談義

振り返ってみるとオーディオをやり始めてからおよそ40年近くになるが、本腰を入れだしたのはここ10年ぐらいのもの

やはり若い頃は当たり前のことだが、仕事優先でどうしてもオーディオは片手間になるのは仕方がない。

そして、ようやくこの辺にきて自分の思い描いていた音が出てきたように思う。

やはりオーディオという趣味はたっぷりとした時間に恵まれないと(自分にとっての)正解を導くことがなかなか難しいような気がする。

これまでの回り道の過程で、つい評判につられて
タンノイもJBLも使ってはみたものの、とうとう満足することがなかった。

ユニットが丈夫すぎて繊細さに欠けるというのが主な理由だが「それはお前の使い方が悪いんだ」と反論されれば一言もなし。

とにかく部屋がもっと広ければこういう機器たちもまだ存在価値があるのだが、下取りに出さないために一方的に溜まるばかりで、今ではとうとう「邪魔」に等しい存在になりつつある。

残された時間もそう多くはないので、機器にとっては喜んで使ってくれる人のところに行くのが一番幸せかもしれないと最近つとに思い始めた。

タンノイのウェストミンスター、JBLのD130ユニット(口径38cm)2本、375とLE85のドライバー、ウッドホーン、PCMチューナー2台、DATデッキ4台、それに不要になった真空管(主にミニチュア管)が多数といったところ。

オークションに出すのも一つの方法だが、これまで購入するのは”しょっちゅう”なものの、出品は一度もしたことがない。

コメントを書いたり、写真に撮ったりする手続きがわずらわしいし、何しろ顔の見えない相手なのでクレーム処理なんかが出たときに面倒くさいのがその理由。

そこで、3ヶ月ほど前にオーディオ専門誌「無線と実験」(月刊)の巻末の部品交換欄に「JBL130Aユニット(口径38cm)を破格の値段で譲ります」と掲載したところ、すぐに静岡県の方から電話と往復はがきで引き合いがあり、めでたく話がまとまって発送した。

やはり「JBLの人気、衰えを知らず」といったところ。

あとは375ドライバーとD130ユニット、ウッドホーンなどが俎上に上るが、いずれも大切に使っていたもので程度は極上。

          

もしどなたか手を挙げる方があればメールでご照会を~。

それから不要になったミニチュア管の処理も気になる存在。

たとえば定評のある「12AX7」は「マランツ7」(プリアンプ)を処分したので、ごっそり残っており、テスラの803S(金メッキの足ピン)などの銘管も含まれている。

別のミニチュア管の5687も前段に使っていたアンプを改造したのでこれまた不要になり、各種銘柄が20本ほど。

真空管は消耗品なので鳴らなくなったときの用心からスペアを買い求めたわけだが、こういう電圧増幅管は滅多に悪くなるものではないことが分かった。こういうことなら使用中の球がイカれてから買い求めても十分だったとやや後悔。

さて、不要になった真空管といえば、現在使っている機器に適合するものでも出てきてしまうのが悩みの種。

たとえばミニチュア管の「6FQ7」。

この球は現在DAコンバーターとPX25真空管パワーアンプ(アキシオム80用)の間に挿入しているバッファーアンプに2本使用しているが、その銘柄次第で音がクルクル変わる。

      

それはもう面白いくらい。

この辺が真空管アンプの魅力といっていいが、出費が増えるのも事実。

現在、手元にあるのは次の銘柄。

 RCA「6FQ7クリアトップ」4本

☆ RCA「6GU7(6FQ7互換品)」9本

 RCA「6FQ7」(2本)

 東芝「6FQ7」(6本)

 エレクトロ・ハーモニックス(エレハモ)「6CG7」2本(金足ピン) 

この球に限ってはヨーロッパ系(ECC804?)が存在しないのが不思議だが、それはさておき、これまで一番音がよかったのはRCAの6GU7だったが、高域のヌケがもう一つ欲しかったのでつい最近購入したのがRCAの「クリアトップ」。

これ1本で6GU7が3本買えるほどの値段だったが、オーディオ・マニアの常でつい「欲」が出てしまった。

長野県の専門店から購入して11日(土)に4本到着。

     

すぐに試聴してみたところ高域の抜けはたしかに良くなったが、音の厚みに関しては「6GU7」に一歩譲るように思った。

ガッカリといったところで、このバッファーを改造してもらった奈良県のMさんにメールで愚痴をこぼしたところ「結論を出すのが早すぎます。少なくとも1週間ほど使用してエージングが済んでからにすべきです。」とのありがたいご忠告。

たしかに真空管はエージングによって随分音が変わる。現在使っているテスラのRD25S(PX25)も始めは音が硬くてどうしようもなかったが、1ヶ月ほど続けて使うと見違えるように音がこなれてきて今ではエース級にのし上がっている。

Mさんが言われるように、どうも性分なのか性急に結果を求めすぎて困る!

というわけで、ガマンして使い始めること今日(17日)で丁度1週間だが、随分と素直な音質になってきた。

これならやっぱり購入してよかったというわけだが、可哀想なのは東芝とエレハモの真空管。今後、出番がまったく来そうに無い。

東芝は特性的にはレンジが広いがちょっと線が細い。日本人の生真面目な性格がモロに出ていて野性味が無くて面白くない。おっと、これは自分のことか!

エレハモはひどかった。金足ピンにつられて購入したのだが高域がまるでナマっている。これはいずれきっと処分の憂き目にあうことだろう。

近代菅を購入して「いい思い」をしたことは一度も無いのに相変わらず懲りない悲しい人間である。

 


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読書コーナー~「禅僧が女を抱いて川を渡るとき」~

2011年06月14日 | 読書コーナー

ベスト・エッセイ2008「不機嫌の椅子」(2008.6.20、日本文芸家協会編)には文壇関係者たち76人のエッセイがズラリと収められている。

「文壇」関係とあってさすがにそれぞれに味わいのある文章だったが、その中から一番印象に残ったエッセイを紹介させてもらおう。

それはノンフィクション作家・柳田邦夫氏の
「禅僧が女を抱いて川を渡るとき」(290頁~295頁
)。

ちなみに柳田氏はこの6月に発足したばかりの政府の「原発事故調査・検証委員会」(12名)のメンバーの一人に選ばれている。

要約といっても、ちょっと長くなるが次のとおり。

人間には誰しも何らかの「こだわり」を持っている。その根底にはその人の生きかたや歩んできた人生、家族や社会の中での役割あるいは仕事、社会的地位と評価などによって形成されたその人ならではの規範が横たわっている。

そして、その「こだわり」が嵩じてしまうと自分の生きかたや周囲の人々との関係でなかなか抜け出せずに苦しむ人が多いし自分もその例に漏れない。

やがて人生も半ばを迎えた頃、臨床心理学者の河合隼雄先生(故人、元文化庁長官)の謦咳(けいがい)に接し薫陶を受けた。ひそかに「人生の師」と仰いでいたが大事な学びの一つに「こだわり」の克服というのがあった。

その教えのひとつとして出てくるのが河合隼雄氏の著作「ユング心理学と仏教」の中の次のような話である。要約して記す。

二人の禅僧が川を歩いて渡ろうとしているところに、美しい女性が来て川に入るのをためらっている。一人の僧がすぐに、彼女を抱いて川を渡り切ると、女性を下ろして淡々と別れた。

二人の僧はしばらく黙々と歩いていたが、女性を助けなかった僧が口を開いた。

「お前は僧としてあの若い女性を抱いてよかったのかと、俺は考え続けてきた。あの女性が助けを必要としていたのは明らかにしてもだ」。

すると、もう一人の僧が答えた。「たしかに俺はあの女を抱いて川を渡った。しかし、川を渡った後で彼女をそこに置いてきた。しかし、お前はまだあの女を(心理的に)抱いていたのか」と。

このパラドキシカルなエピソードについて、河合先生はこう語るのだ。

「女性に触れてはならぬという戒めを守ることに心を遣った僧は、女性に対する個人的なエロティックな感情につかまってしまいます。実に自由だったもう一人の僧は、私に”
風のイメージ”
を想い起こさせます。」

”風のイメージ”・・・・いいな、と思う。形にこだわらず、相手に応じて変幻自在、どのようにでも自らの形を変え、相手にさらりと触れるけど、飄々(ひょうひょう)と去っていく。

私は河合先生からこの二人の禅僧のエピソードを教えられた時、目から鱗(うろこ)が落ちるとはこういうことかと思わず唸ったものだ。

バッハはこう弾かねばならぬ、自分の生き方はこうでなければならぬ、こういう社会規範がある以上は絶対に守らねばならぬ・・・。そんな「ねばならぬ」への「こだわり」で人は何と悩み苦しんでいることか。

私はあまりにも多くのそういう人々を見てきた。そして、私自身もしばしばそういう「拘泥」の泥沼に陥ってきた。

だが、何のこだわりもなく女を抱いて川を渡った禅僧のことを学んでからは、私は何かの「こだわり」につかまるたびに、その禅僧のイメージを頭の中に思い描くようにしている。 

大要、以上のような内容だったが、こういう話を読むのと実際に聞くのとでは随分とニュアンスが違うように思う。

「座談の名手」として知られた河合氏から独特の語り口でこういう薀蓄を傾けた話を直接聞けたなんて柳田さんはつくづく作家冥利に尽きる方だなあと思うのである。

                 

さて、自分はこれまでさほど強い信念の持ち合わせもなく、「生き方」に特段の「こだわり」を持ってこなかったので、きちんとした「こだわり」を持って生きている方を見たり、聞いたり、読んだりすると「立派だ」と素直に心から感心する。

ただし、年齢も年齢なのでもう見習い甲斐がないのが
残念だが、不思議に「音楽とオーディオ」に関しては、いまだに妙な「こだわり」を引き摺っている。

(柳田氏の)上記の文章にもバッハに触れてあったが、たとえばブラームスのヴァイオリン協奏曲は「ジネット・ヌヴー」でなければならぬ、モーツァルトのピアノ・ソナタは「グレン・グールド」でなければならぬ、オーディオ装置の中高域用のアンプは「真空管式」でなければならぬといった調子。

そして真打はベートーヴェンのピアノ・ソナタ32番で、この演奏ばかりは「バックハウス」でなければならぬと固く信じてきたが、つい先日の「ブログ」をきっかけに高校時代の同級のO君から「アンドラーシュ・シフ」の演奏が”芸術の極致”だとメールでのコメントにあった。

O君がそれほど太鼓判を捺すのならとすぐに「HMV」から取り寄せて昨日(13日)の午後聴いてみたところ、思わずウ~ンと唸ってしまった


         

第30番からずっと通しで目を閉じ、頭(こうべ)を垂れて聴いたのだが、第32番の第二楽章のところでとうとう涙が止らなくなった。音楽を聴いて感動のあまり涙を流したのは久しぶりでたしかヌヴーの演奏以来。

実に美しい!ピアノの音色も録音もいい。

この演奏はピアノが「ベーゼンドルファー」(ドイツ)だそうだが,響きの豊かさは「スタンウェイ」に一歩譲るとしても、中高域の艶というか気品は上だと思った。

とにかく「バックハウス」を上回るほどの名演がこの世にあったのには驚いた。

「こだわり」と「頑迷固陋」(がんめいころう)とはまさに紙一重、ときには”風のイメージ”も大切だということを痛感した。


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独り言~「パソコン騒動始末記」

2011年06月12日 | 独り言

先日のブログ「新しいデジカメ」(5月13日付)で現在使っているパソコンの買い替えを話題にしたが、それからおよそ1ヶ月が経過したのでその後の顛末を記してみよう。

お目当ては「i7(アイセブン)」登載の夏モデル機種なのだが、近くの大型電気店で調べてもらったところ、かなりの値段がする。

気に入ったオーディオ製品なら見境なく飛びつくものの、それ以外はじっくり時間をかけて検討するのがいつもの
自分だが、何よりも「先立つもの」が問題。

高給取り(?)の娘から援助してもらえると助かるので相談したところ「いいよ」
と、ひとつ返事で全額を口座に振り込んでくれた。

まさに「家貧しくして、孝子出ず」だが、気になるのはカミさん。果たして娘の援助に対してどういう反応を示すだろうか。

どうせ、いずれバレルのは分かっているので、タイミングを見計らって切り出したところ、

「まあ、情けない!親が子供にお金を出すのは当たり前だけど、子供からお金を出してもらう親なんて聞いたことがありません」と、のたまう。

「高きから低きに水が流れるように、お金があるところから無いところに行くんだから仕方がないさ」と馬耳東風を装ったが、どうやらあまり反対すると「自分のほうにお鉢が回ってきたら困る
」と思ったらしく、追求の矛先が鈍かったのでまずはひと安心。

財源も確保できたことだしと、すぐに電気店に行って「夏モデル」を交渉したところ、春モデルの在庫がまだかなり売れ残っていてたくさん展示してあり、「これが売れない限り、夏モデルはまだ店頭に出さない」との販売方針が節々に窺える。

これではまるで顧客不在ではないか、販売店だけの都合優先の姿勢に対してカチンとくるものの、アフターケアのこともあって仕方なく待つことにしたが、それから10日ほども経っただろうか。

東京で外資系の会社に勤めている甥っ子(姉の長男)が、ある日フラリとやってきた。激務の間をぬって病院に入院している母(94歳)の見舞いにわざわざ来たのだという。

「ご苦労さん」と、いろいろと話すうちパソコンの話題になり「おじちゃんは近いうちに”i7”に買い換えようと思うんだ」と話すと、
「いいですね、うちの会社なんかまだXPですよ」と言う。


「え~っ、あのIT関連大手の企業がまだXPを使っているのかい」とビックリ。

「XP」から「セブン」へ、いざOSを替えるとなるとそれなりの手間がかかり諸経費もバカにならないのだろうが、それにしてもという感じ。


そういうことならまだ「XP」でも充分のようで、一般家庭で普通に使うのなら”なおさら”のこと。何だか「i7」に対する熱が急に冷めてしまった。

そうこうするうち、ようやく6月6日(月)になって電気店から
「夏モデルの新型が入荷しました」との連絡があった。

今さらという感じでちっともうれしくない。

「もう待たされて、いい加減くたびれたよ。よそのお店では夏モデルを早々と売ってたよ。悪いけど予約を取り消して今使っているパソコンのメモリーを増やそうと思っているけどいいかな~」

直接出向いて行って担当者に高飛車に言ったところ、さすがにお客相手の商売、
「いいですよ」と、すぐにパソコンの型番に適合するメモリーを調べてくれて、「現在500MBのメモリー容量になってますが、1GB以上にするとアクセスのスピードも上がると思います。2GBまでなら増設可能です」。

チッ、こういうことなら早く増やしておけばよかった。

結局、「2GB」のメモリー増設で即座に決まり。費用もパソコンの買い替えに比べると月とスッポン。

メモリーの交換を自分でやる人も多いだろうが、不器用でパソコンはサッパリときているので無難な道を選んで専門家に自宅に来てもらうことにした。

最速の日程で調整して9日(木曜日)の午後に決定。

当日、予定どおり午後1時半に作業担当の専門家がお見えになった。昨年の6月頃に迷惑メールのチェック機能強化のために来てもらった馴染みの「Tさん」だったのでひと安心。

作業はたったの10分程度でアッサリ終了したが、通常のパソコン作動中にしきりにセキュリティチェックが入って困るのでついでに調べてもらったところ、新旧のチェック機能が相当ダブっていたのできちんと整理してもらった。内部のクリーンもついでに。

これだからやっぱり来てもらってよかった~。

それと、メモリー増設の意味を改めて訊いたところ次のような答えが返ってきた。

「普通、メモリーの増設というと写真などの保存機能の充実だと誤解される方が多いのですが、あえてクルマにたとえて言いますと、エンジンがCPU、ガソリンタンクがハードディスク、それを繋ぐホースがメモリーの役割になります。ホースが太いほうがスピードが速くなるということです。」

へぇ~、そういうことですかと分かりやすい説明に納得。

話が弾んだ勢いで、Tさんは中学~高校時代にブラスバンド部に所属されていたことが判明。

こういう方は生の金管楽器に大いに耳が鍛えられているのでオーディオのアドバイスを受けるのはもってこい。

早速、Tさんのご了解のもとに装置のスイッチを入れて営業の邪魔にならない時間の範囲で耳を傾けてもらった。

試聴ソースは万人受けする「サッチモ」こと「ルイ・アームストロング」。

            

ジャズは滅多に聴かないがこの盤だけは別格。

夕方、これを聴きながらウィスキーをチビリチビリやるのはまさに至福の時間!最近では一日に1回は登場している愛聴盤。

例の親しみやすい「ダミ声」もさることながら、静寂(しじま)を切り裂くトランペットの音が素晴らしい。

Tさんに感想をお訊ねするとこういうブルース調の曲が大好きだそうで気に入ってもらってよかった~。

さて、話は戻ってパソコンを買わなくて済んだので、娘から振り込んでもらったお金をどうするかが宿題として残った。

このまま娘の口座に戻すと折角の厚意を無にするようで何だか可哀想なので、今度帰省したときにわけを話して色をつけて現金で返すことにしようかな。

最後に、肝心のパソコンの使い勝手だが(メモリーの増設で)明らかにアクセスのスピードが向上した。これなら麻雀ゲームをしながら画面が出るのを待つ必要もなさそうで万事「メデタシ、メデタシ」。


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音楽談義~「ピアノソナタ32番のスゴイHP」~

2011年06月09日 | 音楽談義

若いときからずっと傾倒してきたベートーヴェンの作品。

さすがに「楽聖」といわれるだけあっていずれも傑作ぞろい、素人があれこれと”出来栄え”について口を挟むのはとても恐れ多い気がするが、とりわけ
後期の作品に関しては一段と高く聳え立つ山
のような趣がある。

まあ、具体的に絞り込むとすればピアノ・ソナタでは30番~32番、弦楽四重奏曲では14番と15番、そして交響曲では第6番と第9番といったところかな~。

これらの作品にはベートーヴェンが最晩年に到達した哲学的な心境が横溢し、極めて内省的な性格、深い思索と達観の世界、秘めたる高い精神的な感動といったところが大きな特徴で、最初の一音を聴いただけで思わず”居住まいを正したくなる”ところが明らかに前期、中期あたりの作品とは違う。

仏教に
「解脱」(げだつ)
という言葉がある。

広辞苑によると
「束縛から離脱して自由になること。現世の苦悩から解放されて絶対自由の境地に達すること。また、到達されるべき究極の境地。涅槃(ねはん)」
とあるが、これが「ベートーヴェンの到達した境地に近いのではあるまいか」なんて勝手に思ったりする。

さて、これら後期の作品の中でも自分が一番深く傾倒しているのがピアノ・ソナタ32番(OP.111)の第二楽章。ベートーヴェン最後のソナタとしてピアノ単独による表現では限界を極めたとされる作品。

この曲には音楽評論家「小林利之」氏の名解説がある。

「深い心からの祈りにも通ずる美しい主題に始まる第二楽章の変奏が第三変奏でリズミックに緊張する力強いクライマックスに盛り上がり、やがて潮の引くように静まって、主題の回想にはいり、感銘深いエンディングに入っていくあたりの美しさはいったい何にたとえればよいか。「ワルトシュタイン」などが素晴らしく美しくて親しみ深いと言っても、まだこれだけの感銘深い静穏の美しさにくらぶべくもないことを知らされるのです。

この曲を聴きながら折にふれ自問自答するのが「クラシックファンのうち、このソナタを好きになるような人とは一体どういう人なんだろう?」。

つまり無意識のうちに「自分捜し」をしているわけだが、少なくとも「苦労知らずのネアカ人間で万事に積極果敢なタイプ」は好きになれない曲目だと断言していい気がする。

いや、「好きになる資格がない」と言い換えた方がいいかもしれない。

「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」とは、どこかのハードボイルドの小説に出てくる言葉だが、まあ~、これは関係が無いっか。

さて、現在この曲目のCD盤は全部で12枚所持している。

バックハウス、内田光子、アラウ、グールド、ミケランジェリ、リヒテル、ケンプ、ブレンデル、コヴァセヴィッチ、ギュラー、ゼルキン、デムスと多彩に富む。

沢山持っていても何も自慢にはならないがこの曲目への愛情のひとつの証(あかし)にはなる。

「日本広し」といえども「32番」をこれほど愛し、そして多く所持している人間はそうそうはおるまいと内心ひそかに自負してきたわけだが、そのプライド(?)が木っ端微塵に砕け散ってしまうときがついにやってきた。

何とこの「32番」について
「99枚ものCD盤(当然レコード盤も含む?)を試聴しその結果を掲載しているホーム・ページ(以下「HP」)があった」


ウーン、参った!

自分をはるかに上回る99枚ものCD盤を聴きとおして記事にしている「HP」はおそらく空前絶後、日本はおろか世界でも皆無だろう。

世の中にはスゴイ人がいるものである、と同時に自分以上にこの32番にトコトン入れ込む方がこの世にいらっしゃると知って何だか心の底からうれしくなってしまった。

「リンクご自由に」とあったのでご本人にお断りなしに紹介させてもらう。

このHPの表題は
「Piano Sonata No.32 op.111」

表題に続くご本人のコメントには「あくまでも素人の私の独断と偏見の言いっ放しです。なにとぞご容赦ください。感想は主に第二楽章について」と随分控え目な表現があり、なかなか柔軟な方のようである。

そして、それぞれの演奏者の評価が5段階に分けられジャケットの写真と寸評が記載されている。

その結果は次のとおり。(2011年6月9日現在)

☆☆☆☆☆(五つ星)
21枚  ☆☆☆☆☆(四つ星半)30枚  ☆☆☆☆(四つ星)24枚  ☆☆☆(三つ星)21枚  ☆☆(二つ星)3枚

「繊細さと柔軟さを併せ持つ表情豊かな演奏が好き」とこれまたコメントにあるのでそういう観点からの評価だと思うが残念なことに自分とは好みが合わないようで、たとえば何度聴いても退屈感を覚えるギュラーの演奏には「五つ星」が付けられている。

自分の評価の基準は何よりもスウィング感とリズム感を重視、極端に言えばジャズみたいなノリが好みで、この曲目に限っては思い入れたっぷりのゆったりとした演奏スタイルはあまり好きではない。

”深遠な内容”と、分かりきっているのにことさら深刻に演奏されると追い討ちをかけるみたいで”くどい”というのがその理由。

それにしても「五つ星」21枚については大半がまだ聴いたことがない演奏者なので、これからこの名曲を聴く楽しみが増えるのはうれしい。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ32番が大好きな方でまだこの「HP」をご覧になっていない方は随分と参考になること請け合い、一度アクセスされても損はないと思うが。


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オーディオ談義~「幻に終わったオーディオ訪問」~

2011年06月07日 | オーディオ談義

メル友の奈良県のMさんから「聴いてみませんか」と送られてきたCDが4枚。6月4日(土)のことだった。

Mさんからは、以前バッハのイギリス組曲(2枚組:グールド演奏)をお借りしたことがあり、筋金入りのクラシックファンであることは疑いを容れないが、ときにはこういう”肩の凝らない”曲目も聴かれるんだという意外性を感じさせる4枚。

 「クラシカル・ミュージック・セレクションズ」(アキュフェーズ製作の特別ゴールド盤)の中の鮫島有美子(ソプラノ)の「平城山(ならやま)」

 「倍賞千恵子のすべて」の中の「城ヶ島の雨」と「雪の降る町を」

 「フランク永井 ベスト・ヒット」 

 「三橋美智也の世界」

Mさんによると是非聴いて欲しいという本命は鮫島有美子さんと倍賞千恵子さんの歌でフランク永井と三橋美智也はつけたしのダークホース的存在。

しかし、この4枚を聴いてみて一番楽しかったのは「フランク永井 ベストヒット」。

     


「フランク永井」といえば自分が小学生~中学生の頃の流行歌手だが、当時は戦後10年余ほど経ったばかりでほとんどの家庭が貧弱なラジオの音響で聴くばかりだったが今のオーディオ装置で聴いてみると素晴らしい歌声にビックリ。

歌唱力といい、豊かな低音の魅力といい「フランク永井」ってこんなに凄かったんだ!

それに、昔の歌の歌詞はどうしてこう情感に溢れているのだろう。

「君恋し」から「おまえに」まで全18曲、彼のヒット曲が全て網羅されているが特に想い出に残るのが第3トラックの「夜霧の第二国道」。

当時、たしか小学校の5年くらいだったと思うが、学校行事の一環でバスを利用した見学の車中、担任の先生から「皆さん1曲づつ歌いなさい」とマイクが回された。

自分の番がきたので、そのときに歌ったのが「夜霧の第二国道」。「つ~らい恋な~ら、ネオンの海へ~」で始まる失恋の歌。

当時大ヒットしていた曲で、歌詞の意味もよくわからないまま歌ったのだが、先生(女性)から「あなた、こんな歌をなぜ知ってるの?」と呆れた顔をされたのを50年以上経った今でも赤面ながらに想い出す。

こういう懐かしい曲目を丁度(5日)の日曜日、我が家のオーディオを久しぶりに試聴にお見えになる予定の福岡のNさんにも目玉として是非聴いていただこうと思い立った。

Nさん宅には一度お伺いしたことがあるが、トーレンスのプレーヤー「プレスティジ」を2台、マークレヴィンソンのDAコンバーターやタンノイのオートグラフなど高級機器をズラリと揃えてある、超がつくオーディオマニアだが、
自分と似たような世代なのできっと喜ばれるに違いない。

しかし、(曲目の)プレイリストはともかく、問題は(自分の)オーディオ装置のほうで土曜日の午後から最後の調整に余念がない。

「音にウルサイ方」に自分の音を聴かせるのは正直言って少しばかりコワイところがある。

装置のある部分をちょっと”いじった”だけでガラリと音が変わるし、簡単な工夫と手間で「もっといい音」になる秘訣がどこかに隠されている気がいつもする。

たとえば、DAコンバーターと中高域用のパワーアンプの間に挿入しているバッファーアンプの真空管をRCAにするか東芝にするかで情報量に大きな差が出るし、ツィーターの周波数をカットオフするコンデンサーをマイカにするかオイルにするかで清澄感が違ってくる。

つまり、これが「最終的な音」とは思われたくないという「逃げ」と「自分をもっとよく見せよう」という虚栄心が”ない交ぜ”になって、これが「コワイ」につながっている。


たかが「音」なんだけど、マニアにしてみると人格に匹敵するような存在だから始末に負えない。

これに関連して、早世が惜しまれる「中島 敦」(1909~1942)に「山月記」という掌編の名作がある。

教訓めいた話なので高校の国語教科書にもよく採用されておりご存知の方も多いだろう。

中国のことだが、科挙に合格したほどの英才が「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」のため、他人の率直な批評を恐れるあまり、人との交わりを避け切磋琢磨する努力を怠ったばかりに詩作の世界で大成することができず、最後には怨念のあまり人間の言葉を話す「虎」に変身してしまうという哀しい話である。

オーディオの世界だって同じことかもしれない。自分の場合なら「虎」は立派すぎてもったいないので、さしづめ「兎」なんかに変身ってことに。

さて、オーディオ装置の最終調整を何かやり残したような微妙な気持ちで迎えた日曜日の午前10時ごろ、Nさんから「今日の訪問は体調不良のため、またの機会にします」という実に気の毒そうな口調でご連絡があった。

まずは健康第一、無理は禁物ということでどうか「お大事に」。

しかし、しばらくするとホッとするやらガッカリするやら、何だか複雑な心境に~。

 


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独り言~「自然災害には敵わない」~

2011年06月01日 | 独り言

☆ 東北大震災の影響

音が出なくなったスピーカー(SP)ユニットのアルテック403A(口径18cm)を修理してもらうため、岡山県の専門店に送付したのが先々月の4月28日。

      

この専門店にはこれまで、あの調整の難しさで知られる「アキシオム80」を2本修理してもらった実績がある。

しかし、(403Aを)送付した後はウンともスンとも音沙汰なし。

「一体どうなっているんだろう?」と腹立ち紛れに電話したのがその1ヵ月後の5月30日。

「いやあ、やっと修理が終わりました。東北の大震災のせいでSPの修理が殺到しました。関東のほうが手一杯になりその影響がここにも押し寄せて来たようです。目が回るような忙しさです。

2本のユニットともに断線でした。音が出ないはずです。きれいに直しておきましたので(修理代金の)代引きで送付します」

とのことで、やっとひと安心。

それにしても東北大震災の影響がオーディオ戦線にまで拡大しているとは意外だった。

もっとも、SPを修理して音楽を聴こうという被災者はまだまだ余裕がある方々なのかもしれない。

それはともかく、つい最近、海外のオークションで落札した403Aも無事到着したのでこれで4ペアが集結。

メドがついたのですぐに馴染みの業者に来てもらって、かねて計画していた403Aが3発入るSPボックスの製作を図面とともに依頼した。

ついでに、大きな脚立を持ってきてもらって羽毛の詰まった吸音材を天井の梁から吊るしてもらったので一挙両得。

           

色物のハンカチで作った吸音材にするとさすがに目立ちすぎてカミさんから”ワーワー”言われそうなので、天井と同じ色の白い袋で作った吸音材にした。

(吸音材を)作る手間と時間に比べて音がどのくらい良くなるのかハッキリしないがまあ、悪くなることはないだろうという希望的観測。

早速、試聴してみたが心なしか音響空間がひときわ静かになって大きくなったような気がするもののこれは「欲目」というものかな~。

しかし、「お父さんは暖かくなるといつも”おかしなこと”をするねえ」というカミさんと娘の”陰口”が唯一の懸念材料!

☆ 台風2号の影響

5月29日の日曜日は湯布院のAさんと福岡市西部にお住まいのオーディオマニアのお宅を訪れる予定にしていた。

3週間ほど前から楽しみにしていたもので、その方はオーディオ歴も長くAさんと同じように、あの巨大なウェスタンの15Aホーンを鳴らされている超マニア。

久しぶりに我が家の「細身の音」とは違ったスケール豊かな音に接して「耳の保養」をしようと楽しみにしていたのだが、何と非常に強い台風2号が先週末になって急に接近してきた。

よりによってこんなときに季節はずれの台風が来なくてもいいのに~。

それも日曜日の午後に九州に一番近付くという。別府~湯布院間は道路が舗装されているとはいえやはり危険な山道であることに変わりはない。

強風や大雨により突然大きな石や木が転げ落ちてきたり、道路の崩壊もあったりするのでユメユメ油断できない道。

非常に残念だが「命あっての趣味」なので福岡行きを断念することにして、当日早朝になってAさんに連絡。

Aさんは「台風なら仕方がないですね」と快諾され、「一人で行きます」とのこと。

台風通過後のことだが、結果的には強引に出かけてもよかったような微妙な判断だったがもう後の祭り。

気になるので翌日の月曜日になってAさんに連絡して試聴の結果を問い合わせてみた。

「素晴らしい音でした。アキシオム80が好きな○○さん(自分のこと)が好きそうな音ですよ。ブンッという軽く弾むような低音のもと、15Aを繊細な方向で鳴らされていました。

聴きやすくて疲れない音で、結局10時半頃から15時半までぶっ通しで聴かせてもらったくらいです」
絶賛

ウ~ン、こうなると千載一遇のチャンスを逃したようで残念無念。

「近いうちにもう一度行く機会はありませんかね~」と未練たらしく追いすがってみた。

「そうですね。しかし、6月から高速道路の料金が元通りになって高くなるのはほんとうに困ります。政府(民主党)は口当たりのいいことばかり言って、まったく”でたらめ”です。」

同感!

 


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