「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

南スコットランドからの「ウマさん」便り

2024年06月30日 | ウマさん便り

前回のブログ「イギリス人の おちょぼ口」と題して紹介したイギリス人気質について、いちばん詳しいのは長年日本人として現地に暮らされている「ウマさん」のはず・・、そこで、拙文の末尾に「ご意見をお聞かせくださいな」と、あつかましくも勝手に振ったところ、さすがに 筆まめ なウマさん・・、すぐにメールをいただきました。

ついでといっては恐縮ですが、この際最近いただいたお便りをまとめて「3題」紹介させていただきます。

☆ 「忍耐」

「ご意見をお聞かせくださいな」…と言うことだけど…

長年住んでて思うんだけど、英国人には、間違いなく忍耐強さがあると思うなあ。そして、それが社会的規範にまで昇華していると感じる。
どう言うことか?

例えば、スーパーのレジ(英語→キャッシャー)で客が並んでいる…
ある客がレジのおばちゃんの知り合いなのか、どうでもいい世間話をぺちゃくちゃやっている…並んでる他のおばちゃんたち、きっとイライラしてると思うよ。

だって人間だもんね。ところがや、文句を言うおばちゃんを見たことは今まで一度もない。これが僕の出身の大阪やったら…「ちょっとちょっと、あんたらええ加減にしなはれ!ンとにもう…」英国のおばちゃんたち、なぜ文句を言わないか? …「文句を言うのはハシタナイ」と言う社会的規範があるからとちゃうやろか?


何年か前の年末…僕の姉が大阪から来ていた時…
クリスマス後に二人で街に買い物に出た帰り…近郊では最大のランダバウト(交差点代わりの大きなサークル)に入った途端、車が動かなくなった。

年末、しかも夕方のラッシュ時で、何台もの巨大なトレーラーを始め、ひしめく多くの車で混乱を極めてしまった。姉が「押してみる」とは言うものの、僕の車は1.8トンもある。交通が完全に麻痺した状態の中、元中学体育教師だった姉の(火事場の)馬鹿ちからで、車をランダバウトの外に押し出すことが出来た。よかった。

帰宅後、姉が言った。「ウマなあ、あんな交通渋滞で大混乱やったのに、クラクションを鳴らす車が一台もなかったなあ」

「クラクションを鳴らすのははしたない」…英国人は忍耐強いと言うことですね。

そうそう、ブログの主どのも忍耐強いと思うなあ。だってさあ…
毎日毎日、取っ替え引っ替え、ああでもないこうでもない…かくもアンプやスピーカーをいじり倒す忍耐強さ!スゲェー

☆ 「ソプラノ歌手 レグラ・ミューレマン」



いやあ、癒されますねえ、レグラ・ミューレマン。

ほとんど音楽に関心を示さない女房ですが、どう言うわけか、昔から「ソルヴェイグの歌」は大好きだと言います。

カラヤン指揮のオーケストラによる「ソルヴェイグの歌」は、時々聴いているようですが、そんな彼女にレグラ・ミューレマンを聴かせました。

すると…「癒されるなあ…」
そうそう、音楽大好き人間の長男ジェイミーもいつだったか「ソルヴェイグの歌は大好きや」と言ってたのを思い出しました。
 
レグラ・ミューレマンの歌声に健気さを感じるのは僕だけかな?
ねえ、主どの、やっぱり見た目も大事だよねえ。美人で健気…しかも癒される声…
もう、言うことなし! サンキューでっせぇー!

☆ 「ヴァイオリンの名器」

「ストラディバリウス」「グヮルネリ」「アマティ」などの名器は広く知られてますけど、そのほかにも多くの名器があるようですね。
奏者の愛器を、ほんの少しだけ調べてみました。
 
ヨーゼフ・シゲティ…1694年製と1724年製「ストラディバリウス」1710製年「ピエトロ」1710年製「グヮルネリ」1740年製「カルロ・ベルゴンツィ」
 
D・オイストラフ…1705年製 「ストラディバリウス・マルシック」
 
ズッカーマン…1699年製 「カルロ・ジョゼッぺ・テストール」
 
「ピエトロ」「カルロ・ベルゴンツィ」「カルロ・ジョゼッぺ・テストール」なんて名器があるんですね。
 
木野雅之…1776年製 「ロレンツォ・ストリオーニ」
 
巨匠ルッジェーロ・リッチが引退を表明した時、その愛器を譲る相手を、世界中にいる弟子達の中から木野を選びました。LAのリッチ宅へその名器を受け取りに出かける前日、大阪で僕と呑んでた木野はやや興奮してました。師匠のリッチは「お金はいつでもいいよ」…ところが、まだ若い奥さんは、こっそり「木野、いつ払ってくれる?」(笑)
 
スコットランドの我が家を自分のリゾートハウスだと思ってる木野は、しょっちゅううちに滞在しますが、そのたびにキッチンで焼酎を呑みながら演奏してくれます。

上記のシゲティの1724年製「ストラディバリウス」ズッカーマンの「カルロ・ジョゼッぺ・テストール」なども、うちのキッチンで鳴りました。ズッカーマンから、当時の金額で6千万円で譲ってもらったそうですが、後年、彼から返して欲しいと言われた木野は「ダメ!」(笑)
 
ある時「長年欲しかった弓をとうとう手に入れた」と大喜びの木野…「楽器屋が僕の熱意に折れて、かなりまけてくれた」

でいくらだった?「千二百万円!」ギョッ! 馬のしっぽが千二百万円?
その後、彼は毎月50万円づつ支払っていたけど、もう全部支払い終えたようです。彼が言うに、弓はフランス製がいいそうです。
 
世界最高の「ストラディバリウス」は、クレモナのヴァイオリン・ミュージアムにあり、もちろん値段などありません。その超々名器が一度だけ日本で披露されたことがありましたが、選ばれた奏者が木野でした。彼、曰く…「文句なく素晴らしい。ねぇねぇ、ウマ!買って!」(笑)
 
余談ですが、パガニーニ生誕200年の時、木野は、パガニーニが実際に使っていた愛器をパガニーニの墓の前で演奏し、その様子はヨーロッパのテレビで放映されました。

以上、ウマさん・・、このブログに彩を添えていただき大変ありがとうございました!


 

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イギリス人の おちょぼ口

2024年06月29日 | 独り言

いつぞやのブログで紹介したことがあるが、メル友さん(関東地方)からの次のようなお便りをご記憶だろうか。

「一流の作曲家と演奏家が紡いだ音楽を「いい音」で聴いてやらないと失礼に当たりますよね。
時空を飛び越えて我が家で聴ける第一級の演奏を良い音で聴く幸せは何事にも代える事が出来ません。」           

十分わかります・・、オーディオ推進の原動力の一つといっていいでしょう。

そこでの話だが、我が家のオーディオはときどき混成旅団的にクラシックには縁遠い「JBL」系統に浮気しているのが実状・・、とはいえ、どうせ短期間で終わる熱病みたいなもので(笑)、そのうち自然と「ブリティッシュ・サウンド」に回帰するのが常~。

あっ、そうそう・・それで思い当たったのだが、今時分の梅雨のじめじめとした季節には、爽やかさを求めて「JBL」サウンドへ向かう傾向がありますな・・(笑)。

それはさておき、改めて「ブリティッシュ・サウンドって何?」という原点に立ち返ってみよう。

以下、「一介のオーディオ愛好家」の勝手な思い込みだから「ワン・オブ・ゼム」として受け取っていただければそれに越したことはない・・。

まず「ブリティッシュ・サウンド」の特徴を一言でいえば「微妙な陰影を表現でき、人の心に寄り添ってくれる音を出す」ことかな~。

一聴するだけではとても地味だし、けっして 大向こう を唸らせる音ではないが、こういう音じゃないと伝わってこない音楽があることもたしかで、クラシックをこころから愛する人にだけ通じる何かがある・・。

そこでの話だが、同じ島国としての国民性なのかイギリス人の気質は何となく日本人と合っているような気がしてならない。

作家の五味康佑さんが著書の中でいみじくも指摘されたように
音楽=音には民族の神が宿っている」ので好きな音の傾向もきっと同じはず。


そこで改めて「イギリス人の特徴と性格」を検証してみよう。(ネットからの引用)

1 他の人との距離を保ちたがる  

親交的で情熱的、誰彼構わずスキンシップを求めてくることが多いヨーロッパ諸国の中でイギリスは他人とに距離をしっかりと保ちたがる傾向があります。過度なスキンシップを極端に嫌うため、スキンシップが大好きな国から来た人達は「嫌われている?」と勘違いしてしまうほどです。

2 アメリカを軽視している
  

同じ英語を話す2つの大国イギリスとアメリカ。特に敵対しているわけではないのですが、イギリス人は愛国心が非常に強いです。「英語を話す=アメリカ人」と思い、イギリス人に「アメリカ人ですか?」と尋ねると不機嫌になってしまうこともあるので注意が必要です。

3 人間性を非常に大切にする
  

オックスフォードやケンブリッジ大学など世界でも名高い有名大学のあるイギリスですが、真面目で頭が良いだけでは成功しないと言われています。スポーツで優秀な成績を収めている、ボランティア活動に力を入れているなど、勉強や真面目さに加えて人間性がよくなければ難関大学は合格できません。人間性を非常に大切にする国と言えます。

4 島国気質
  

日本と同じ島国で、しかも国土がアメリカやオーストラリアなどと比べて極端に狭いため、自国で全てをまかなうことができず、輸入に頼ることが多い国です。他のヨーロッパ諸国のように車で簡単に行き来できないので、他国の文化をすぐに吸収することができず、独自の文化が栄えている国です。他国の情報が入りにくい分、おしゃれなどもヨーロッパの中では比較的質素ないでたちと言えます。

5 表現が婉曲的
  

ストレートに自分の主張を表現することが多い外国人の中で、イギリス人はオブラートに包み、柔らかく、遠回しに表現することが多いです。こういった点では表現方法が日本に似ているところがあります。同じ島国であることが関係しているのかもしれません。 

というわけです。

さらにイギリス人の特徴をよく反映しているものとして、タイトル「イギリス人のおちょぼ口」(日経新聞)を紹介してみよう。

「イギリス人には同じヨーロッパでもいろいろ変わったところがあるとよくいわれる。なにしろナポレオン軍に占領されなかったほとんど唯一の国である。しかし、オックスフォードの社会心理学者のピーター・コレットが「ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ」(草思社)で、そのイギリス人の顔つきに注目しているのはユニークだ。

ヨーロッパでイギリス人の話になると必ずといっていいほど誰かが独特の「こわばった上唇」のことを持ち出すという。それは彼らの決意のかたさや感情の抑制の資質をさす比喩にもなっているらしい。その原因は英語の発音にあるとか、歯の手入れが悪いせいだとまことしやかに説かれてきたそうだ。

コレットによると「革張りになったような」とも言われたイギリス人の顔はこの半世紀にだいぶ大陸の人間の顔に近づいてきたが、それでもはっきりした特徴がある。

たとえば、口の両端を斜め上に引くかわりに真横に引いて微笑む。また、表情を休止しているとき口をすぼめている。いずれも感情を抑えているような印象を与えているのだが、特に後者の「おちょぼ口」というのは面白い。


口は手と並んで典型的な外界関係器官である。握手をあまり好まないイギリス人は人と会うとき手を握らなくて済むように後ろ手にしていることがあるが、口もすぼめて外界との関係から防御しようとするのだろう。

何か考え込むときや、不平、不満があるときなどに口をすぼめることは日本人にもよくある。声を上げる口を収縮することで自己抑制し、自分に閉じこもろうという意思のあらわれだろう。

そんな「おちょぼ口」を何でもないときにしている人が多いというのはイギリス人の思慮深さと特別な対人感覚をよく示しているといえる。~以下略~。」

というわけです。

このたび、「天皇陛下」が雅子様とご一緒に8日間にわたるイギリス訪問をされていますが、同じ島国同士だし、似通った国民性を持つイギリスとの交流がもっと促進されるといいですね~。

南スコットランド在住の「ウマさん」・・、ご意見をお聞かせくださいな(笑)。



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オーディオの小宇宙を楽しむ

2024年06月28日 | オーディオ談義

「南方 熊楠」(みなみかた くまぐす:1867~1941)という人物をご存じだろうか?

いろんな書物を手当たり次第に濫読していると、必ずといっていいほど突き当たる御仁であり、いわば「博覧強記の知の巨人」というイメージを強く持っている。



本書の冒頭に「宇宙の楽しさを求めた人」と題して次のようなご本人の言葉があった。

「宇宙のすべては尽きることがない。ただ人間には生まれながらにして 心 というものがある。心がある以上、心が得られる限りの楽しさを宇宙から受け取ることができる。宇宙のほんの少しの部分を自分のものとして心の楽しさに変えていく。これが 智 と呼ばれているものの正体だと、ボクは思うんだ」(現代語訳)

そうなんです! と思わず膝を打った(笑)。

地位も名誉も何も要らない・・、オーディオという訳の分からん小宇宙 のほんの少しの部分を取り出して、我がものとしていく一連の作業ほど楽しいものはない、まあ、身勝手な解釈だけどね~(笑)。

そもそも相手が小宇宙なんだから永遠に果てしない世界・・、道理で飽きが来ないはずだ。

という前置きのもとで、具体論に入ろう。

我が家のオーディオの目下の関心事は、仲間から借りてきたコーラルのドライバーとウッドホーン。



この新しいサウンドに夢中になって早くも3日が経過した。

なんとかクラシック向きの音にしようと やっきになって9台の真空管アンプの中からとっかえひっかえ試しながら聴いていると、どうにか一段落してようやく音楽に専念できる段階に至った。

ところが・・、それも束の間で新たな好奇心が湧いてきた。

これまで使ってきた「175ドライバー」(JBL)に、このウッドホーンを取り付けたらどういう音が出るんだろうか~。

前々回のブログ「新風を吹き込まれたオーディオシステム」では「果報は寝て待て」と悠長なことを書いてたが、なにも逸る気持ちを無理して抑えることもあるまい・・、誰にも遠慮はいらないんだから~(笑)。

というわけで、さっそく作業に取り掛かった。

いちばん心配したのは「175」と「ウッドホーン」の3か所のネジ穴の位置が合うかどうか・・、だったがどうにかうまくいって辛うじて凌いだ感じ~、なんといっても他人の所有物だから、傷を付けないことに専心した。

その結果、次の通り据え付けた。



これが右チャンネルで、左チャンネルの方はオリジナルの「コーラルのドライバーとウッドホーン」。

クロスオーバーは「175」を使うので、両チャンネルともにローカットを「900ヘルツ」に設定した。

こうやって聴くと、たちどころに左右のサウンドの差が判明するというわけで、ワクワクしながら耳を澄ますと、「175」の方に分解能と透明感の点でやや一日の長があった。

といっても、まったくわずかな差で、もしブラインド・テストだと判らないかもしれない範囲・・、天下の「JBL」とほぼ互角の勝負をするのだから国産の「コーラル」善戦の感を強くした。

そして、次の実験は・・、



左チャンネルに従来の「175+小型ハチの巣型ホーン」を据え付けて試してみた。右チャンネルは言わずもがなだが「175+ウッドホーン」である。

音色はまったく変わらない・・、ただし「鮮度」という点で微妙な差になるがウッドホーンの方に軍配を上げたくなる。見通しの良さや明るさもやや上回っているので「原音」への近さからいくと、
こっちの方かなあ~。

それにしても、いずれ仲間に返却する運命にあるのだが、このウッドホーンだけは欲しいなあ・・。

なかなかの掘り出し物で、部屋の面積(5m×7m)に応じてやや「小振り」なところが気に入っているし、「マルチセルラー」型という利点も大いにありそうだ。

さらに欲が膨らんで「ドライバーとホーン」ともに譲ってもらってもいいかもねえ~、もちろんオークションで落札した価格と送料を含めたお値段ということで・・、ちょっと虫が良すぎるかなあ(笑)。



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文章に必要な「リズム感」の伝達

2024年06月27日 | 独り言

明治から大正・昭和にかけて「小説の神様」と謳われた文豪「志賀直哉」(1883~1971)に「リズムとマンネリズム」というタイトルのエッセイがある。その一部を紹介してみよう。

1 偉れた人間のする事、いう事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。

自分にも同じものが何処かにある、それを眼覚まされる。精神がひきしまる。こう
してはいられないと思う。仕事に対する意志を自身はっきり(あるいは漠然とでもいい)感ずる。

この快感は特別なものだ。いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。一体何が響いて来るのだろう。

2 芸術上で内容とか形式とかいう事がよく論ぜられるが、その響いて来るものはそんな悠長なものではない。そんなものを超絶したものだ。自分はリズムだと思う。響くという聯想でいうわけではないがリズムだと思う。

3 このリズムが弱いものはいくら「うまく」出来ていても、いくら偉らそうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下らない。小説など読後の感じではっきり分る。作者の仕事をしている時の精神のリズムの強弱問題はそれだけだ。

4 マンネリズムが何故悪いか。本来ならば何度も同じ事を繰返していれば段々「うまく」なるから、いいはずだが、悪いのは一方「うまく」なると同時にリズムが弱るからだ。

精神のリズ
ムがなくなってしまうからだ。「うまい」が「つまらない」という芸術品は皆それである。い
くら「うまく」ても作者のリズムが響いて来ないからである。

以上のとおりだが、モーツァルトの音楽を聴くといつもワクワクして心が弾んでくるのもこの得(え)も言われぬ「リズム感」が伝わってくるからに違いない。

それに引き換え、天と地ほどに差があるのがこのブログ~(笑)。

文章も内容も陳腐化する一方で、大切な「リズム感」が読者に伝わっているかどうか非常に心もとない・・。

              

ここは「名文」を引用して自戒としておこう。なぜ名文なのかは賢明な読者のことなのできっとお分かりになるはず・・。

「1943年初め、中国戦線に展開していた支那派遣軍工兵第116連隊の私たちの小隊に、武岡吉平という少尉が隊長として赴任した。早稲田大理工科から工兵学校を出たインテリ少尉は、教範通りの生真面目な統率で、号令たるや、まるで迫力がない。

工兵の任務は各種土木作業が主であり、力があって気の荒い兵が多い。統率する少尉の心労は目に見えていた。

1944年夏、湘桂作戦の衛陽の戦いで、敵のトーチカ爆破の命令が我が小隊に下った。生きて帰れぬ決死隊である。指揮官は部下に命じればよいのだが、武岡少尉は自ら任を買い、兵4人を連れて出て行った。やがて大きな爆発音がした。突撃する歩兵の喚声が聞えた。爆発は成功したのだ。


決死隊5人は帰ったが、少尉だけが片耳を飛ばされ顔面血まみれだった。なんと少尉が先頭を走っていたという。戦後30年たった戦友会で武岡少尉に再会した。戦中と同じ誠実な顔をされていた。大手製鉄会社で活躍、常務となって間もなく亡くなった。」

以上のとおりだが、蛇足になるだろうけど なぜ「名文」なのか・・。

それは、武岡少尉に対する「誉め言葉」がいっさい無い・・、「戦中と同じ誠実な顔をされていた」だけに留めている。

つまり、わかりきったことや余計なことが省かれているので、「文章でいちばん大切なリズム感がストレートに伝わってくる」ところにあるそうです! 

あっ、そういえばモーツァルトが幼少の頃に教育者だった父親から「作曲するときに無駄な音符を使うな!」と徹底的にしごかれたそうですよ。

拳拳服膺(けんけんふくよう)しなくちゃね~(笑)



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新風を吹き込まれたオーディオ・システム

2024年06月26日 | オーディオ談義

一昨日(24日)のことだった。

「コーラルのドライバーとウッドホーンを落札したんだけど、組み合わせるウーファーとネットワークに時間がかかりそうなので、エージングを兼ねてしばらくお宅で使ってみる気はありませんか」と、オーディオ仲間のMさん(大分市)から申し出があった。

「エ~ッ・・」まったく思いがけない話だったので、一瞬のけぞったがすぐに気を取り直して「いいですよ~、現在使っている175ドライバー(JBL)の代わりに使えそうですね・・、今から取りに伺いましょうか」と一つ返事。



まるでダボハゼみたいに飛びついたわけだが、オーディオはときどき新風を吹き込んでやらないと~、これは絶好の機会になりそう(笑)。

およそ1か月ぶりくらいにお会いしたMさんは相変わらず元気そうだったが、もう心の方はどういう音が出るか気もそぞろ・・「それじゃあ、しばらく借りとくからね~」と、挨拶もそこそこに急ぎ持ち帰った。

通常40分はかかるところをクルマを素っ飛ばして所要時間35分!(笑)

さっそくネットで調べてみたところ、コーラルのドライバーは「M103」(8オーム)という型番で、能率「104db」というから小出力の真空管アンプで十分使えそうだし、クロスオーバーも500ヘルツから使えるので実験するにはもってこいの代物だった。

ちなみに、現在使っているJBLの175ドライバーは諸元ではクロスオーバーが1000ヘルツと設定されているのでかなり違う。

それに、ホーンのタイプが「マルチ・セルラー」ときている。あの大好きなヴァイタボックスの「CN191コーナーホーン」もたしかそうだったはずで、(ドライバーによる)いい音の秘訣は「マルチセルラー」方式ではないかと秘かに睨んでいたほどなのでワクワク~。

さっそく、据え付けてみた。



いちばん悩んだのがネットワークだったが、結果としては、

まず、ウーファーについては「コイル」(1.5mh:ムンドルフ)を使って700ヘルツでハイカット、そしてドライバー「M103」をコンデンサーを使って「650ヘルツ」あたりでローカットした。

そして、500ヘルツあたりから使えるドライバーは経験上、高音域の輝きが少し物足りなくなるので、「075ツィーター」(JBL)を1万ヘルツ以上に設定してみた。

さあ、ワクワクしながら音出し・・、もう たまらん ですなあ(笑)。

とはいえ、いずれ返却しなければいけない機器だから、あまりいい音が出ても困るし・・、なかなか複雑な心境である。

そして、一聴した結果「何だか蒸留水みたいな薄味の音だなあ・・」というのが第一印象でどうも質感が冴えない。

おかしいなあ・・、しばらくして、あっ、そうか~、700ヘルツまでの帯域を「TRアンプ」で駆動していたので、そのせいかもしれない・・、急いで「2A3シングル」真空管アンプに代えたところ、見事に音に生気と濃厚な質感が蘇った。

(我が家の)教訓 → TRアンプは100ヘルツ以上の帯域には使うべからず!

とにかく安堵した・・、プアな音の原因はコーラルのドライバーのせいではなかったことになる。

そして、どうしても「M103」と「175」との比較をしたくなるが、もう どっこいどっこい の勝負かなあ・・、コーラル善戦の意を強くしたが、マルチセルラー型ホーンが大いに利いている気がした。

ふと「175」に付いている「ハチの巣型」ホーンを、このマルチセルラー型に代えたらどういう音が出るんだろう・・に思い至ったが、「果報は寝て待て」という言葉もあるし、まあ後日の楽しみとしておこう(笑)。

ちなみに、アンプは3台使用した。



左から、「700ヘルツ」までを受け持つ「2A3」シングル、「1万ヘルツ」以上を受け持つ「171」シングル、そして右端が「650ヘルツ」以上を受け持つ「WE300B」シングル。

当分の間、この爽やかなサウンドで蒸し暑くて鬱陶しい梅雨の時季を乗り越せたらいいんだけどなあ~(笑)。


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明日は明日の風が吹く

2024年06月25日 | 独り言

他愛ないことだがいつも迷うことが一つある。

それは自宅周辺のウォーキングに出かけるときに、真空管アンプのスイッチをオンのままにするか、それともオフにするかどうか。

何も電気代の心配をするのじゃなくて(笑)、アンプひいては真空管にとってダメージが少ない方を選択したいという思いからである。



スイッチの入り切りによる電圧変動が与える影響はアンプ自体にとって負担になるだろうし、その一方真空管は消耗品なので点灯時間が少なければ少ないほど寿命が延びる。

さあ、オンとオフのどちらを選択しようか。

何だか出かけるときのエアコン・スイッチの「オン・オフ」と似てますね(笑)。

雑誌で見かけた記事によると、(エアコンは)1時間前後を目安にそれ以上家を空けるのならスイッチオフ、それ以内ならオンのままという内容だったが、アンプも似たようなものかな。

ちなみに、真空管に詳しい方によると、

「真空管、とりわけ古典管はあなたが想像している以上にタフですよ!寿命の心配をするよりもむしろエージング不足を心配したほうがいいと思います。ジャンジャン使って本来の能力を発揮させるべきです。」

そういえば、近代管については何度も球切れを経験したが、古典管に限っては球切れを滅多に経験したことが無いことに思い至った。

とりわけ「STC」ブランド(ロンドン・ウェスタン)については「ときには他の球と交換して楽しみたいのに故障しないので困るという悲鳴が上がっている」(販売業者談)というほどの丈夫さで知られている。

もう10年以上使っているのに びく ともしないSTCの「3A/109B」だが、総じてツクリの精度はあの「ウェスタン」と匹敵するかそれ以上だそうですよ~。




というわけで、取り越し苦労とはこのことかな~。

(真空管を)使うだけ使ってダメになったときはその時に考えることにしよう。


名作「風と共に去りぬ」(原作:マーガレット・ミッチェル女史)のラストシーンでヒロインのスカーレット・オハラはこうつぶやく。

「明日は明日の風が吹く、何も先のことを思い煩うことはないわ!」

「Tomorrow is another day」

どうやら男性よりも女性の方が前向きだし逞しいようですよ~(笑)。



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表向きの顔 と 内向きの顔

2024年06月24日 | 独り言

昨日(23日)のブログ「音楽をタダで・・」は久しぶりの快ヒットだった・・、したがって朝から気分がいいです(笑)。

で、具体的に言えば・・、つい先日の「オーディオ関係の記事」が「465位」(グーブログ:318万件中)とガクンと大不評だったのが、今回は「287位」と大躍進でものすごい落差・・、「それがどうした!」と言われそうだが、やはり多くの人が興味を示してくれたことに対して素直にうれしくなる・・、もうアクセスに一喜一憂して自己満足に耽る歳でもないんだけどね~(笑)。

そこで、ふと「ユートピア」(湊かなえ著)の一節を思いだした。


「何で多くの人から認められたいなんて思うんだろうな。他人の評価が欲しくて作品に向き合っているうちは、多くの人どころか自分自身ですら心底満足できるものが作れないってことに、どうして気が付かないんだろう」           

なかなか含蓄のある言葉だと思うが、やはり読者あってのブログ・・、「表向き」は素知らぬ風を装っても、「内向き」ではアクセスが気にならないと言えば嘘になりますわいなあ~(笑)。

あっ、そうそう関連して・・、何かの本に書いてあったが、プロ野球選手がヒットを何本も打って活躍したんだけど試合の方は惜しくも逆転負け・・、するとみんなの前では一様に悔しがって見せたが、家の布団の中では秘かにニンマリ・・、アハハ(笑)。

実は、人間には表向きの顔と内向きの顔があるようでして・・、音楽趣味だって同じことが言えるかもしれませんよ~。

というのも、他人様のブログを読んでいて折角高尚なことが書いてあるのに、聴かれているジャンルが冴えないと(微妙な表現になりますが・・)、ガッカリしてオーディオまで低級に思えることを何度か経験したことがある。

「音楽に貴賤は無い」と思うけどやはり・・。

オーディオシステムが人間の「身体」に該当するとすれば、それに「魂」を吹き込むのは聴いてる音楽だという考え方もまんざら外れてはいないように思える。

そこで、ブログの中ではいつも ええかっこしい を心掛けているのが実情だ(笑)。

ただし、システム調整用のテスト曲となると話は別ですよ~。

我が家の場合、テスト用として使っているのはいろいろあるが、代表的な曲目を挙げるとエンヤの「Caribbean Blue」・・、冒頭の弦(?)の深~い一撃とスーッと奥の方に広がっていくサウンドの細かな表現力と透明感を目安にまずはシステム改善の良否を判断している。

長年この曲目に耳が馴れているので、一聴しただけでおおよそシステムの欠点が分かるところが気に入っている。

それと、カーペンターズの「オンリー・イエスタデイ」の冒頭のドラムとシンバルの響き方で低音と高音のバランスを取っている。

以上は物理的特性からのアプローチだが、その次は情感的な面からのアプローチになる。

好きな音で好きな音楽を聴くといつも胸がキュンとなって独特の切なさがこみあげてくるが、そういう意味での仕上げは何といっても「歌謡曲」の節回しが適している。

琴線に触れてくるかどうかがポイントだが、「美空ひばり」の「別れの一本杉」と「思案橋ブルース」なんかは最高! 島田祐子さんも素敵~。

とまあ、以上のとおりだが、日頃モーツァルトやマーラー、ワーグナーばかり聴いているように思われているかもしれないが、内情はこの通りです。

やっぱり「表向きの顔」と「内向きの顔」は違いまっせ~(笑)。

それにしても、音響の最終調整には小さい頃からずっと馴れ親しんだ日本語の歌がいちばんいいというのも日本人たる宿命なのかなあ(笑)。



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音楽をタダで聴ける 夢のような時代 がやってきた

2024年06月23日 | 音楽談義

今朝、起床した時(4時30分)の気温は27℃だった、窓を開け放した状態でこれだから今年いちばんの高温・・、いよいよ本格的な夏の到来ですか~。

さて、一年ほど前のブログで「百花繚乱のソプラノ歌手たち」と題して投稿したことをご記憶だろうか・・。

そして、つい最近、新たなソプラノ歌手を発掘したので一部重複するけど改めて記録しておこう。

テレビの故障による買い替えに伴い、内蔵された「You Tube」にリモコンで簡単にアクセスできる様になってからおよそ一年、あらゆるクラシック音楽が手軽に聴けるようになって、ちょっと大げさだが「狂喜乱舞」状態になり、今でもその余波が続いている(笑)。

たとえば、昔から大好きなモーツァルトの宗教曲「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ K165」は「ソプラノ歌手と小編成の管弦楽団」という素朴な組み合わせだが、日本ではそれほどポピュラーな曲目ではなくどんな演奏会でもプログラムに入っているのをこれまで見たこともないし、聞いたこともない・・。

ところが、「You Tube」のテレビ画面でこの曲を検索してみると、ずらりとこの曲のアルバムが登場してくるから驚く。

欧米ではこういう曲目が中世風の素敵な小ホールで、まるで当たり前のように数限りなく演奏されていることに少なからずショックを受ける。日常的に宗教音楽がとても身近に鑑賞されているのだ!

延々と続いてきた伝統に深く裏打ちされた西欧の「精神文化」は、急に成金になった国々や科学技術がどんなに進展した国であろうと、 揺るぎない堅城を誇っている ような気がする。

で、たくさんのソプラノ歌手たちの歌唱を次から次に楽しませてもらったが、その中でも特上だと気に入ったのが次の2名の歌手。

「Stefanie Steger」(ドイツ)



はじめて聴く歌手だったが、声の張りといい、伸び具合といいたいへんな逸材ですね、おまけに見てくれもいい。もう、ぞっこんです(笑)。

そして、次は「Arleen Auger」(アーリーン・オジェー)



いかにも落ち着いた佇まい、自信に満ち溢れた表情のもと、その揺るぎない歌唱力に感心した。こんな歌手がいたなんて・・、大発見である。

急いでネットでググってみると、エ~ッ、1993年に59歳で鬼籍に入っていた! ガンだったそうでまだ若いのに・・。

ほかにもありまっせ~。

歌劇「死の都」(コルンゴルド作曲)はそれほど有名ではないが、その中の曲目「マリエッタの歌~私に残された幸せは~」は名曲中の名曲で、何度聴いても胸が熱くなる。

この一曲だけで「死の都」の存在価値があると思えるほどで、ほら、歌劇「カバレリア・ルスティカーナ」だってあの有名な「間奏曲」で持っているのと同じようなものかもね~。

で、「マリエッタの歌」も演奏会のプログラムに頻繁に登場しているようで、次から次にいろんな歌手が楽しめる。

シュワルツコップ、ミゲネス、オッター、そして日本人の「中江早希」も十分伍しているので楽しくなる。

名前は不詳だがこの歌手も大変良かった。



こうして、次から次にお気に入りのソプラノ歌手たちがタダで発掘できるのだから、もう時間がいくらあっても足りない(笑)。

そういえば、昔の演奏会のプログラムは「ソプラノ」が中心だったんですよねえ。

裏付けるために、「クラシック名曲全史」にあったプログラムを引用しよう。



「1783年のモーツァルトの音楽会のプログラム」

いわば240
年前の「音楽会」の演目なので極めて珍しいが、モーツァルトは1791年に35歳で亡くなったので、換算すると27歳のときの演奏会になる。

ウィーンで開かれたそのときの演奏会のプログラムの内容はこうだ。

1 序曲「ハフナー」交響曲

2 オペラ「イドメネオ」よりアリア(ソプラノ)

3 ピアノ協奏曲K415(モーツァルト演奏)

4 オペラのシェーナK369(テノール独唱)

5 「ポストホルン」セレナードの協奏曲楽章

6 ピアノ協奏曲K175(モーツァルト演奏)

 

7 オペラ「ルーチォ・シッラ」よりアリア(ソプラノ)

8 モーツァルトのピアノ独奏

9 オペラのシェーナK416(ソプラノ独唱)

10 終曲(序曲の終楽章)

解説によると、当時の音楽会の目玉演目はいつも声楽であり、注目されるのも声楽家たちだった。

1番と10番はオーケストラだけの演奏で、まだ電気も発明されておらず普及していない時代なので1曲目の序曲は開幕のベル代わりであり、最後の10曲目にあたる終曲は終了の合図だった。

つまり交響曲はベル代わりで「前座」のようなものでありコンサートの華は歌曲だった。

とまあ、コンサートの華が歌曲だったということに大いに興味を惹かれる。人の声(ボーカル)は昔も今も変わらない「最高の楽器」なのでしょうね。

我が家の音楽鑑賞においても中心となるのはやはりボーカルだが、その再生は簡単そうに見えて実はオーディオ機器の弱点を洗いざらい白日の下にさらけ出す手強い難物でもある(笑)。

そして、つい最近発掘したのが「レグラ・ミューレマン」(スイス)で、グリーク作曲「ソルヴェイグの歌」(歌劇ぺールギュント)が惚れ惚れするほどいい! ほかにも「モーツァルト」の歌曲なども れっきとしたレパートリー と来ている!!



今や各種演奏会に 引っ張りだこ だそうだがたしかに非の打ち所がない歌唱力と容姿に毎日ウットリ~(笑)。

それにしても、ひところでは夢想だにしないほどの「音楽をタダで聴ける夢のような時代」が実際に現実のものとなりましたね。

これも「You Tube」のおかげです・・、仕組みを考え付いた人たちに足を向けて寝れませんな(笑)。

おっと、最後に・・、オーディオのことだけど「192KHz」のハイレゾで「You・・」を聴いてるけど、CDと何ら遜色(そんしょく)を感じませんよ~。



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肝心なことは目に見えないんだよ

2024年06月22日 | オーディオ談義

フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの代表作に「星の王子さま」という小説がある。

日本でもアニメやミュージカルになったりして人気があるが、何といってもその秘密は心を打つ名言が作品の中に沢山散りばめられていることにある。


そのうち代表的な名句としてよく知られているのが「心で見なくちゃ”ものごとは
よく見えないってことさ。肝心なことは、目に見えないんだよ!」

「肝心なことは目に見えない」とは、「表面だけで判断してはいけない」ことを指しているのだろうが、オーディオだって負けてはいない。

そもそも「音」ってのは空気の振動なので目には見えないんだから~(笑)。

それは冗談としても音質に大きな影響を与えるのに(まったく目に見えないので)意外に無視されているのが「磁界と振動」ではなかろうか。

まあ、振動の場合は適度に有った方が音がいい、たとえば真空管のガラス管がスピーカーから出る音圧によって適度に振動した方が音が良くなるという説もあって、上手く ハモらせれば 一概に「悪」とは言えないようだが、「磁界」ばかりは百害あって一利なし。

まったく目に見えないだけにこれほど始末の悪い物はない。なぜ悪いのか、一口で言えば「磁界によって迷走電流が起きてそれが音声回路に悪さをする」ということらしい。

電気の知識については門外漢だが、大学で機械工学を専門にしたオーディオ仲間がそう言ってた。

鉄は磁気を帯びる磁性体なので迷走電流が起きやすく、「微小電流を扱うプリアンプのシャーシには鉄を使わない」をポリシーにしているアンプビルダーさんもいるほどでたしかに一理あると思う。

このような振動や磁界を別にしてもオーディはどうも「つかみどころのない迷宮」のような気がして仕方がない。

何かの本に「学問の目的の一つは分かっていることと、分かっていないことの境界線をはっきりさせることにある」と、書いてあったがオーディオを研究対象(「音響物理学」)としてみた時にこの境界線なるものが分からないし、おそらく皆さんだってそうではなかろうか。

あまりにも「変数」が多すぎる!

たとえば音響に及ぼす要素として大雑把に上げてみても、

「音楽ソースの録音状況」に始まって「部屋の大きさと形状」「レコードプレイヤーやCD機器の性能」「プリアンプ」「パワーアンプ」「スピーカー」「ケーブル類」そして「各家庭ごとの電源の供給事情」など、枚挙にいとまがないほど。


さらに小さく細分化していくと選択する真空管やエンクロージャーなどに及び、それぞれの相性まで考え合わせるともうエンドレスだ。

しかも、どの1か所でも手を抜くとそのレベルに落ち着いてしまうという怖さがある。

そして、忘れてはならないのがスピーカー絡みの要素の一つとして縁の下の力持ち的存在の「ネットワーク」。

市販のスピーカーをそのまま使う人には生涯にわたって無縁の代物になるが、周波数帯域に応じて個々のユニットを組み合わせながら使う人間には心強い存在である。(チャンデバは使わない主義なので念のため)

もちろん、それが良いか悪いかは別の話になるが、オーディオを骨の髄まで楽しむという点では絶対外せない代物だと思っている(笑)。


今回、そのネットワークによる音の違いを実感したので述べてみよう。

現在、我が家でいちばん活躍しているスピーカーがこれ。



サブウーファーとして活用している右端の「D123」(JBL:口径30cm)のハイカットを「100ヘルツ」にするか「200ヘルツ」にするかで、天と地ほど音が変わってくるのだから恐ろしい~(笑)。

今回の場合は、「200ヘルツ」にすると音が全体的に濁ってくるのでコイル(ムンドルフ)を継ぎ足し「6.8+8.2=12mh(ミリヘンリー)」にして「100ヘルツ」にしたところ、ようやく落ち着いた。



やはり低音域の処理は全体の死活を大きく左右するようですね・・、今さらの話ですがね(笑)。



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忙しすぎるので時間が2倍欲しい

2024年06月21日 | 読書コーナー

もう毎日 目が回る ほど忙しい。

音楽&オーディオ、ブログの更新、図書館(3か所)への往来、録りためたテレビ番組の視聴、ウォーキング、刻々と返却期限が迫ってくる図書の購読、そして身の回り品の買い物など・・。

優先事項がつけられないほどすべてが大切なので、今よりも倍くらいの時間があると大いに助かるんだけどなあ(笑)。

そういう中で興味を惹かれた本を2冊紹介しよう。

✰ 「歴史を変えた10の薬」


中高年で薬のお世話になっていない人はまずおるまいと思う。かくいう自分もその例に漏れず、血液がサラサラになる薬、血糖値を下げる薬など毎朝4種類ほどの薬を服用している。

とりわけ、血液がサラサラになる薬は心臓にステントを入れているので「1週間服用しないと貴方は死にますよ」と医者から脅されている(笑)。

まあ、薬というのは日頃意識することはあまりないが、身近で生死にかかわる問題だけにいくら知識があってもそれほど邪魔にはならないだろうと、新刊を見かけたらまず借りることにしている。

本書のプロローグに次のような文章があったのでご紹介しよう。

「本書全体にわたって、あなたに伝えたい教訓は次のことだ。

ひたすら いい薬 などというものはない。とにかく悪い薬というものもない。


どの薬もいいところと悪いところがある。別の言い方をすれば効果が高い薬はどれも例外なく危険を及ぼしうる副作用がある。

けれども、この(厳粛な)事実は新しい薬が市販され、熱狂的に迎えられたりすると簡単に忘れ去られてしまう。

大規模な広告キャンペーンに後押しされ、また熱心なマスコミのニュースやレポートで期待が増幅された、市販されたばかりの話題沸騰の新薬はサイゲサイクル(人名に由来)と呼ばれるものに突入する。それは(これまで)幾度も繰り返されている。

つまり、画期的な薬が市販されると、熱烈に迎えられ広く受け入れられる(これが第一段階)。

蜜月期間のあと、数年間、この新たな売り出し中の薬の危険性について数多くのネガティブなニュース記事が続く(第二段階)。昨日まで驚くべき薬だったものが今日は危険だと警告を与えられるのだ。

そして、この段階も過ぎると第三段階に突入する。その薬がほんとうにどういうものなのか、人々は冷静に理解し、バランスの取れた態度を取るようになり、薬は適度な売れ行きになり、薬の神殿の適切な位置に納まる。

そして・・・。(性懲りもなく)製薬会社がつぎの魔法の薬を発売し、前述のサイクルが再び最初から繰り返される。」

とまあ、本書は薬に対して随分醒めた見方をしているが妙に説得力のある話でもある。薬のほんとうの効果は長期間、それも数えきれないほどの人体実験をしないと判明しづらいというわけだ。

そして、現在、大いに注目しているのが「認知症」に利くという「レカネマブ」(エーザイ)・・、画期的な薬だそうだが先日のテレビ番組では「認知症は遺伝するケースが多い」といってた。

13年前に94歳で亡くなった母は88歳ごろから「認知症」になり、その悲惨さを目(ま)の当たりにしてきたので、この薬に対する期待感は大きい・・、しかし、とても88歳まで長生きする自信はないので、うれしさ半分というところかなあ~(笑)。

✰ 「釣りの名著50冊」



本書で紹介されているのは「釣り文学の傑作」ぞろいで、近年、稀に見るほどの感銘を受けた本だった。数多(あまた)の文豪の「釣り随筆」には、人生観も含めて大いに身につまされる。

というのも、若い時分に釣りに熱中していた時期があり「波止の上で死ねたら本望だ」とさえ思っていたほどの凝り性ぶりだった。

では、その中の1冊を紹介しよう。明治期の文豪「幸田露伴」(こうだ ろはん)の娘「文」(あや)が記した「鱸」(スズキ)の名文の一節をぜひ~。

「料理の腕は船頭がふるう。夕陽のなごりが明るく船上での炊事が始まるのである。文豪はいつものように一杯やり始める。そこへ、塩をぶっかけて大雑把に焼いたスズキを節くれだった漁師の手が供す。皿からはみ出す大物だ。

弟は、今しがた自分が釣りあげたばかりの尾頭付きを頬張ってうまいなあと破顔。それに続いて次のような情景描写が続く。

色の白い子が一日で陽に焼けて頬が紅く笑う。それは親の目には浸みつく顔だったようである。ただ愉快とか満足とかだけではなく、浸み入ってくるもののある表情である。

魚を食べてうまいなあと微笑む少年の心には何の翳りもないけれど”少年”というもの自体には美しさのかなしさ、詩の哀しさのようなものがある。

少年の笑顔は親の心の奥底に映像として刻印され、それは単に美しいだけではなくて哀しささえにじませている。

そして、そのすぐ後に突然、次のような文章が立ち上がる。

”父は何度この話をしたろう”・・、あの可愛い少年は結核のために20歳で先立ってしまっていたのである。露伴59歳のときだ。

それからというもの、老後の文豪は娘の文(あや)にこのスズキ釣りの話を何度も何度も語り聞かせるようになったのである。随筆の最後は次のように終わる。

少年の姿が可愛いのか、父親の心が哀しいのか、釣られる魚がいとおしいのか、供をする船頭が辛いのか、水が切ないのか、船が寂しいのか、・・いちばんはっきりわかっていることは、父は息子を可愛がっていてそれに先立たれたということである」

「ものの哀れ」もここに極まれり、でしょうか・・。



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お気に入りのスピーカーの出現

2024年06月20日 | オーディオ談義

いろいろスピーカー弄りをやっていると、つい学生時代の頃を思い出す。

学生の本分は何といっても勉強に尽きると思うが、あらゆる教科にわたって満遍なく平均点以上の点数を取る学生が居るかと思えば、それとは対極的に特定の科目、たとえば数学などがいつも満点だけどその他の科目が平均点以下という個性的な学生も居る・・。

仮に、前者を「総合」型、後者を「一点突破」型としよう。

いったいどちらに豊かな将来性があるんだろうか・・、やはり職業的な向き不向きがありそうだけど、個人的には後者に何となく大化けしそうな印象を受ける。

で、自分はといえば可もなく不可もなく平均点そこそこの凡庸な人間に過ぎなかったので余計「一点突破型」に魅力を感じてしまう・・(笑)。

ところが、日常生活の中で身近に接しながらの「使い勝手」となると、どうも「総合型」に軍配を挙げたくなるのだ。

その典型的なスピーカーがこれ~。



あらゆる音楽ソースに対してまんべんなく80点以上の点数を確実に獲得する・・、それはもう嫌になるほどでまったく「ハズレ」がない。いわば「原音」に対しての「忠実型」ともいえようか・・。

いろんな音楽ソースの音質を気にせずに安心して音楽に浸れるという点にかけては抜群のスピーカーで、現実にもう10日間ほど代える気がせず愛聴しまくっている。こういうことは極めて珍しい。

賢明な読者の方なら、このところ「オーディオ実験記事」が無かったことを既に気付きのことだと思うが、実はそういう事情でした・・(笑)。

というわけで、ヴァイオリンの濡れたような音色の再生に秀でた「一点突破型」の「AXIOM80」とは違った良さがあって、この「総合型」スピーカーは我が家では欠かせない存在になりつつある。

ところが・・、
そういうスピーカーでも10日も経つと少し弄りたくなってきた。

その動機としては、もっと「いい音」が出るかもしれないという欲が張った期待感・・、そして特定のスピーカーに頼り過ぎてしまった結果、故障した時のあの虚しい喪失感を味わいたくない・・、あっ、そうそう「失恋」と似た感じかな~(笑)。

かくして、このスピーカーの実験結果を記録しておこう。

実験1 <サブウーファーの交換>

現在、サブウーファーとして活用しているのは「PL100」(英国モニターオーディオ」である。

上記画像右側の黒い小型のスピーカーだが、見た目からは想像できないほどの量感と引き締まった低音(100ヘルツ以下)に100%満足しているものの、ほかの代替スピーカーも考えておいた方がいいかもしれないと、昨日になってようやく重い腰を上げた。

その候補の一番手が、目下「予備役」編入中のJBLの「D123」(口径30cm)。箱に容れて使うのは場所を取るので、例によって植木鉢に容れることにした。平面バッフルと比べて、ユニットの後ろ側に出る音が前面に回り込みにくくなるメリットがある。



ご覧のとおりだが、たかが100ヘルツ以下の低音域とはいえ設置場所によって音が大きく変わるのには驚いた。

最初は真横に置いたのだがこれはアウト・・、
結局、やや後方に位置させユニットの後ろ側から出る逆相の音を後方のウェストミンスターと壁の間に流し込んでやるようにすると、左右両方のスピーカーの間に音像が定位してくれて一応の決着をみた。

で、肝心の「音質」だが・・、ユニットを箱に容れないメリットが発揮されたようで、いっさい籠った音の印象を受けないし、「D123」ユニットの浅いカーブの形状のせいか音速スピードが速くて違和感がない・・、狙い通りで「PL100と遜色なし」と判断したいところだが、即断は禁物でしばらくこのままで聴いてみよう。

ちなみに、駆動するアンプは「PL100」のときと同じように「TRアンプ」である。低音だけ鳴らすなら「真空管アンプ」よりもむしろいいくらい。

次に実験2 <PX25シングルアンプの登場>

ワーフェデールの「スーパー10」(口径25cm)を駆動するアンプをいろいろ試してみたが、ようやく「PX25シングル」アンプで落ち着いた。



前段管は比較的「μ(ミュー)」の高い「3A/110B」(英国STC)、整流管はウェスタンの「422A」(1957年製)。

このアンプで聴くと高音域がよく伸びているせいかJBLのツィーター「075」が不要になった・・、これは大きい。

ユニットは出来るだけ少ない方がいいというのが我が家のポリシーである。各ユニット間の担当周波数の端っこが重なり合ってしまい音が濁りやすくなる、そして 大切な音の余韻がぼやけてしまう というのがその理由。

まあ、例によってプラス、マイナスあって結局は持ち主の頭の中での「差引勘定」になるわけだけどね~。

で、我が家の場合はこのスピ-カーのように「フルレンジ」ユニットを基本に据えて、高音域と低音域が足りなければ、それぞれ僅かに付け足すというスタイルだけど果たしていいのか悪いのか・・。

読者の皆さま方はどう思われますか~、えっ、「勝手にしやがれ」ですって・・、(笑)。



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叩けば叩くほど良くなる法華の太鼓

2024年06月19日 | オーディオ談義

先日といっても10日ほど前のこと、ブログで投稿した女流ヴァイオリニスト「ヒラリー・ハーン」が弾くブルッフの「ヴァイオリン協奏曲」に関する記述をご記憶だろうか。



大のお気に入りとして毎日浴びるほど聴いていたが、どんな名曲でも耳に馴染み過ぎると段々と鮮度が薄れてくる。

つまり、人間の脳が一番嫌う「マンネリ」という宿命が襲ってくるわけだが、それとともに興味が演奏からヴァイオリンの方に移って、彼女が弾くヴァイオリンはおそらく「ストラディヴァリ」だろうと推測していたら、南スコットランド在住の「ウマさん」から「それはフランス製のヴィヨームですよ」とご教示いただいた。

はじめて聞くブランドだったので少なからず驚いたが、追い打ちを掛けるように関西の「M」さんからも次のようなメールが届いた。

Mさんはあの線香くさいバッハの宗教曲をこよなく愛好されるほどのお方なので本格的なクラシックファンといっても過言ではなかろう。

1. 1864年製 J.B.ヴィヨームの可能性が高い

ハーンさんは2002年からこの楽器をメインに使用しており、インタビューや自身のウェブサイトでも「生涯の楽器」と呼んでいます。多くの演奏会やレコーディングでこの楽器を使用していることから、今回紹介された動画でもJ.B.ヴィヨームの可能性が高いと言えます。

2. 状況によって別の楽器を使用している可能性も

ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、華麗で力強い演奏が求められる曲です。そのため、ハーンさんはJ.B.ヴィヨーム以外にも、音色や音量に特化した楽器を使用している可能性があります。

例えば、1710年製ストラディヴァリウス「エクス=サン・サルヴァトーレ」は華やかな音色で知られており、ブルッフのようなロマン派作品に適していると言えます。


以下に、ハーンさんが使用しているヴァイオリンに関する詳細情報を記載します。

○ J.B.ヴィヨーム (1864年製)
愛称:「ex-Tellefsen」
音色:パワフルで、レンジが広く、音色も豊か
逸話:ハーンさんは2002年からこの楽器を使用しており、自身のウェブサイトで「生涯の楽器」と呼んでいます。

○ ストラディヴァリウス「エクス=サン・サルヴァトーレ」(1710年製)
音色:華やかで、繊細
逸話:ハーンさんはこの楽器を、バッハやモーツァルトなどの古典作品の演奏に使用することが多い。

○ グァルネリ・デル・ジェス「イザイ」(1650年製)
音色:深みがあり、力強い
逸話:ハーンさんはこの楽器を、ベートーヴェンやブラームスなどのロマン派作品の演奏に使用することが多い。

以上の情報により、ブログ主さんのストラディバリウス説も否定は出来ません。でもブルッフはブラームスのころのロマン派でもあり華麗で力強い演奏を求めるとなるとグァルネリになるような気もしますね!

以上、詳細な情報をありがとうございます。

ハーンほどの超一流の演奏家ともなると、いろんな名器を貸与してくれる団体が目白押しなんでしょうね・・、しかもヴァイオリンはずっと寝かしておくよりも頻繁に弾いてやらないと調子が出てこないと聞いている。

これはオーディオのスピーカーも同じで、「木」で出来ているものは響き(振動)を与え続けてやることによって細胞の向きが一定の方向に向いてきて美音を出してくれると読んだことがある。

300年ほど前に作られたヴァイオリンだってずっと弾きこなされてきたせいで適当に木が枯れてきて音が良くなっているのかもしれませんよ。

つまり「叩け叩くほど良くなる法華の太鼓」というわけで、使って減るもんじゃなし、 オーディオ愛好家たるもの 毎日のように
スピーカーを苛め抜いてやりましょうよ~(笑)。


 

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音を表現する言葉の難しさ

2024年06月18日 | オーディオ談義

昨日(17日)のこと、このブログの読者でお馴染みの「K」さん(横浜市)からメールが届いた。

「日々精力的な試行、その体力と精神力に敬服してますが、各改造ユニットの音が想像できず何とも歯がゆい限り(実際聴かねばわからぬと?)

そこで実験に例えばヴァイオリンの絹の響きが…、オーケストラのダブルベースのうなりが・・・、ピアノの左手の響きが・・・、など演奏とSPの特徴を合わせて解説頂けると「凡人」もさらに楽しめる(見える)のですが。」

なるべく読者に理解してもらい喜んでもらえるようにブログを書いてるつもりですが、 舌足らず でまことに申し訳ありません‥(笑)。

たしかに思い当たる節があって、このところのオーディオ実験では、「これは素晴らしい!」といった調子で「音に対する表現」を端折(はしょ)っていたことに気が付いた。

その理由についてだが、たしかにKさんが仰るように「どうせ実際に聴いてもらわないと読者に理解してもらえないので、どんなに美辞麗句を並べようと所詮は無駄~」という魂胆が根底にあることは間違いない・・。

言葉(文章)で表現できないのが音楽なんだから、そもそも無理な話ですよと言うと、身も蓋もないけれど・・(笑)。

あっ、そういえば、音に対する表現の難しさについて、3年ほど前に同じ「AXIOM80」愛好家の「S」さん(愛媛県)から次のようなメールをいただいたことがある。

「音の表現ほど難しいものはないと思っています

ワインのソムリエが「干し草のような」「キノコのような」と表現すると

そこには一種の共通認識があるおかげで 言葉からある程度イメージが可能なのですが 音の表現となると・・・ 

Axiom80の音を言葉で表現した若き瀬川冬樹氏はやはり名を成しただけあって 言語化が上手だったと思います 

モナリザだって嫌いな人もいるでしょうから 皆 それぞれ 自分の好きなものを追い求めるしかないようで 理想の音は こうありたい自分を反映しているかもしれません 

感覚過敏気味の自分にはaxiom80が相性が良かったのかもしれませんが

おおらかに ゆったりと余裕のあるヒトになりたくもあり 普通の音を目指しつつ 毒(狂気)が同類には匂いでわかるといったところでしょうか」

というわけです。

「ワイン」の話が出てきたので、わかりやすく対比するために「思索紀行」(立花隆)の中の一文を抜き書き出してみると、

 ワインのプロの間では試飲の仕方が完全に様式として確立されている。そして言葉で匂いと味わいを表現しなければならない。さらには、その表現力をどれだけ身に付けているかで「匂いと味きき」の能力が試される。

✰ 匂いの表現方法にはなんと百種以上ある。たとえば天然の香りが次々にあげられ、初めはたいてい花の香りから始まる。スミレ、ジャスミンなど、あらゆる花の名前が登場してきて、次に果物の香りとしてリンゴ、イチゴさらにはアーモンドなどのナッツ類も登場する

ほかにも、本書では「味覚」「嗅覚」の表現の豊かさについて事細かに述べられているが、それに比べると「聴覚=音」の表現の貧しさについては嘆かざるを得ない。

たとえば「スミレの香りみたいな音」といってもチンプンカンプンですよね(笑)。

したがって「音の表現」についてもワインのように様式として確立し、もっと豊かで感覚的に分かりやすい表現ができないものかといつも思う。

ちなみに、「音」の表現に関して常用される言葉としてはアトランダムに「光沢」「色艶」「彫琢」「奥行き感」「スケール感」「透明感」「いぶし銀」「色気」などで、ほかにもいろいろありそうだが、所詮は「群盲像を撫でる」ようなもので抽象的の域を出ない。

で、近年我が家のオーディオでいちばん重視しているのが両方のスピーカーの間に舞台(ステージ)が出来上がり、その上に演奏者がきちんと奥まって定位していること。

音が前に出てきているはずなのに、なぜか聴感上は音がスピーカーの奥に引っ込んで聴こえるのが不思議・・、クラシックを聴くうえでこの鳴り方が大いに気に入っているのでアンプとスピーカーのバランスを推し測るいちばんの目安にしている。

最後に・・、音の表現に関連して以前のブログで「ドレミの7音は虹の色」と題して投稿したことがある。



要約すると「音を聴くと色を思い浮かべる特殊な知覚「共感覚」の持ち主が感じる「ドレミファソラシ」の7音の名前が虹の色「赤・橙(だいだい)・黄・緑・青・藍(あい)・紫」と、ほぼ順序よく対応しているとの調査結果を新潟大学のチームがまとめ、英科学誌電子版に発表した。

つまり「ドは赤」「ミは黄」「ソは青」「シは紫」といった具合。

メカニズムは不明だが「なぜ音楽に心を動かされるのかという未解明の問題にヒントを与えてくれるかもしれない。

共感覚とは「音に色を感じる」、「味に形を感じる」といった二つ以上の感覚が結びつく知覚現象のことで、音楽家ではシベリウスやリストが知られている。」

というわけで、低音域の豊かな音は「赤系の音」、中音域では「緑系の音」、高音域の音は「紫系の音」といった具合だが、それでもまだ正確に言い表せない気がする。

味覚細胞や嗅覚細胞には対象となる微粒子が直接触れてくるが、聴覚細胞に届くのはせいぜい「空気の波」に過ぎないのだから仕方がないのかもしれませんね。


どなたか、表現方法でいい知恵をお持ちじゃないですかね?(笑)


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「音楽は楽譜で読むもの」なのか

2024年06月17日 | 音楽談義

図書館で新刊本の「ノーベル文学賞」というタイトルの本をざっと立ち読みしたところ、近年の選考基準は既に世界的に著名な作家、いわばポピュラーになった作家には与えない方針とかで、昔は既に有名になっていた「ヘミングウェイ」なども受賞しているのに、まことに手前勝手な都合のいい話だが何とも仕方がない。

これまで有望とされてきた作家の村上春樹さんはもはや有名になり過ぎたので、その目はもう無くなったというのが大方の見方だろうか・・、ただし村上さんは「エリーティズム」には程遠い作家なので、ノーベル文学賞を受賞できなくてもおそらく何ら痛痒を感じていないことだろう。

音楽好きで知られる彼の著作は希少なので見逃せない存在だが長編については、このところ根気がなくなってしまいなかなか読む気にならない・・、ただしインタビュー形式のエッセイは率直な語り口で非常に面白いので、機会あるごとに目を通している。

最近では、「村上春樹インタビュー集」~夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです~が面白かった・・、何と19本のインタビューが紹介されている。

               

つい読み耽ってしまったが、185頁に音楽ファンにとっては実に興味のある問答が収録されている。

「20世紀の偉大な文学作品の後にまだ書くべきテーマがあるでしょうか?文学にはもはや書くべきテーマも、言うべきものごともない、という意見に同意されますか?」

と、外国の愛読者が発する問いに対して村上さんはこう答えている。

「バッハとモーツァルトとベートーヴェンを持ったあとで、我々がそれ以上音楽を作曲する意味があったのか?彼らの時代以降、彼らの創り出した音楽を超えた音楽があっただろうか?それは大いなる疑問であり、ある意味では正当な疑問です。そこにはいろんな解答があることでしょう。」

とあり、以下長くなるので要約すると「音楽を作曲したり物語を書いたりするのは”意味があるからやる、ないからしない”という種類のことではありません。選択の余地がなく、何があろうと人がやむにやまれずやってしまうことなのです。」とあった。

文学的には、村上が理想とする書いてみたい小説の筆頭は「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)で、小説に必要なすべての要素が詰まっているそうで、そのことを念頭に置いて解答しているわけだが、興味を引かれるのは音楽的な話。

「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの3人組に対して、はたして他の作曲家の存在意義とは?」

これはクラシック音楽において常に問われる「旧くて新しい」テーマではないだろうか。

ほかにも「ブラームス、ワーグナー、マーラー、ブルックナーなどが居るぞ」と声高に叫んでみてもこれら三人組の重量感にはまったく抗しようがないのも、なんだか虚しくなる事実である。

とりわけ我が家では作曲家たちを「大木」に例えると、太い「幹」に当たる部分がモーツァルトでほかは「枝葉」に過ぎない・・、なんだよねえ~(笑)。


本書には、もうひとつ音楽に関して興味あることが書かれてあった。(312頁)

村上さんは映画が好きで青春時代に台本(シナリオ)を読み耽ったそうだが、それが嵩じてそのうち自分なりの映画を空想の中で組み立てていくクセがついてしまった。

それは、近代音楽の雄であるアーノルド・シェーンベルクが「音楽というのは楽譜で観念として読むものだ。実際の音は邪魔だ。」と、言っていることと、ちょっと似ているとのこと。

「実際の音は邪魔だ」とは実にユニークな言葉である


「楽譜を読みながら音楽を頭の中で想像する」ことが出来れば実にいいことに違いない。第一、それほど広くもない部屋の中で我が物顔で大きなスペースを占めているオーディオ・システムを駆逐できるのが何よりもいい(笑)。

「文学」は文字という記号で行間の意味を伝える仕組みになっているが、音楽だって音符という記号で情感を伝える仕組みだから同じようなものかもしれない。

もしかして、楽譜が読める音楽家がオーディオ・システムにとかく無関心なのもその辺に理由があるのかもしれないですね。

人間が勝手に描くイマジネーションほど華麗なものはないので、頭の中で鳴り響く音楽はきっと素晴らしいものに違いない。


これから音楽を聴くときはできるだけ頭の中で想像しながら聴くことにしようと心掛けたいところだが、この歳になるともう無理だよね~(笑)。



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梅雨時期のオークション情報

2024年06月16日 | オークション情報

我が家のオーディオにとって「ネットオークション」は宝の山みたいな存在になっている。

とりわけ、古典管とスピーカー・ユニットは高齢者が物故されてご家族が持て余されるせいか供給が途絶えることがない。そのうち、我が家にも同じ運命がやってくるのは間違いないので対策を練っておかねばと思うが、その時期を見測るのがメチャ難しい・・(笑)。

それはさておき、オークションの落札日といえば土曜・日曜を設定されている出品者が圧倒的に多い。やはり在宅している落札者が多ければ多いほど競争価格も吊り上がっていく可能性が高いのでその辺を狙っているのだろう~。

昨日の土曜も興味のある品物が目白押しだった。相場を忘れないようにメモしておこう。

☆ 英国 Mullard Do
24



オークションの解説文がこれ~。

イギリス・MullardのDO24を2本組出品します。後期の新型直管、欧州系UF4ピン・ベース、MOVのPX25相当管として、原則そのまま差し替えが可能です。掲載写真と以下の説明文をご覧頂き、よくご検討の上、ご入札をお願い致します。

《現品の状態》
フィラメントコーティングに目立った剥離、ガラス本体とベース間に緩みはありません。当方での使用は、10時間程度です。

今回の出品に当たり、英国AVO社試験器MARKⅣでの計測結果は、以下の通り大変良好です。

①Ef(V)=3.98(AC)、Ep(V)=400、Eg(V)=-39.7、Ip(mA)=63 、冷態時のフィラメントDCRは、0.8Ω。グリッドガス電流テストは合格(Ig=1μA未満)
②Ef(V)=3.98(AC)、Ep(V)=400、Eg(V)=-39.8、Ip(mA)=63、冷態時のフィラメントDCRは、0.8Ω。グリッドガス電流テストは合格(Ig=1μA未満)

《入手の経緯》
5年程前に東京・新宿の真空管販売店で購入しました。今後は使用する見込みがなくなったので、大切に使っていただける方にお譲りしたいと思います。

真空管の場合は消耗状態によって当たりはずれが大きいので、状態、試験機器による測定結果、入手の経緯などが記載されていないと素通りすることにしているが、これは信頼できそう。

ブランドも天下の「Mullard」だし、我が家の「PX25シングル」アンプにはもってこいだけど・・、現在「PP5/400」を含めて6本あるしねえ・・、せめて6万円以下ならと入札してみたが、落札価格ははるかオーバーの「98千円」であえなく墜落でした(笑)。

それにしても、昔の話だがPX25はWE300B(アメリカ)と並び称されるほどの直熱三極管の雄だったが、今となってはお値段的には300Bにかなり水をあけられましたねえ・・、いったいなぜ?

☆ 英国dcs D/Aコンバーター「Scarlatti」



潜水艦のソナー探知をデジタル解析する仕事から進展したメーカー「dCS」(英国)だが、そのデジタル機器となると「超高級品」として知られている。

我が家にも中古で落札した「エルガー プラス」があるが20年ほど前の製品なので、日進月歩のデジタルの世界においては時代遅れは否めない・・。

dCSは製品に作曲家の名前を付けるのが好きみたいで、同上の「エルガー」「スカルラッティ」「ヴィヴァルディ」「ヴェルディ」といった機器が目白押し~。

高嶺の花なので はな から落札は諦めていて、価格がどのくらいに競り上がるか興味の焦点はそこだけ・・、で、結果は「859,041円」だった。まずまずのお値段だが、1円単位というのが面白い(笑)。

最後は・・、

☆ 英国ヴァイタボックスの「CN191」コーナーホーン



若い頃は憧れのスピーカーだったが、今ではそれほどでもない・・、しかし昔好きだった人がどういう状況なのかは大いに気になる(笑)。

業者による出品なので解説はなく、通り一遍の味も素っ気もない紹介文だった。こういう「銘品」に対して出品者の情熱とロマンが感じられないのも問題だよなあ~。

で、結論から行くと落札額は「530,008円」だった。

安ッ・・! たいへんな「お買い得」だと思う・・、少なくともデジタル機器に86万を突っ込むくらいなら絶対にスピーカーの方だと思うんだけどなあ~。

音の「入り口」と「中間増幅」そして「出口」のどれを重視するか・・、通説では「出口」がいちばん大切でそのために「入口」と「中間増幅」が存在するとされているが、これはオーディオの永遠の課題かもしれませんね。

それにしても図体が大きいし、重たいし・・、マンション・オーディオには無用の長物ということなんだろうか。



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