「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オッテルロー指揮の「アルルの女」

2022年09月29日 | 音楽談義

ずっと昔の学生時代の話だが、長兄が持っていたレコードの中にオッテルロー指揮の「アルルの女」があった。

当時のことなのでチャチなステレオ装置だったし、音の良し悪しなんかにはいっさい興味もなく、ひたすら音楽だけで十分満足していた頃で、レコードのライナーノートを繰り返し読みながらこの曲を聴き耽ったものだった。

数年前にオークションで、やっとの思いでオッテルロー指揮のCD盤(外盤)を競り落としたので、長兄に連絡してそのライナーノートをコピーして送ってもらった。

           

余談だが、このオッテルローさんはジャケットにあるとおりの自動車狂で、スピードを出し過ぎて事故で亡くなってしまった。当時からすでにオランダ最高の指揮者として君臨し、さらに将来を嘱望されていたのに惜しいことをしたものだ。

さて、このライナーノートから、かいつまんで記してみよう。

≪アルルの女≫はドーデが書いた「風車小屋だより」(短編集)の第六番目に出てくる物語で、自ら脚色して三幕物の芝居として仕立てあげた。これに作曲したのがビゼーだったが、初演は大失敗。ドーデはこう嘆く。

「ああ!もうだめだ。半年の骨折りと、夢と、疲労と、希望、これらいっさいが、たった一夜のガス燈の焔に、焼けて、消えて、飛び去ってしまったのだ。」

しかし、本当に価値のある作品はいつまでも埋もれているはずがなく、初演から13年後に再演され、今度は大当たりをとって今日までフランス演劇の重要なレパートリーとなっている。

芝居の「あらすじ」は、ご存知の方も多いと思うが次のとおりである。

「アルル近郊の町の旧家の長男”フレデリ”は20歳の青年。父はすでに亡く、母と白痴の弟、それに老僕の4人暮らし。

あるとき闘牛場で知り合った妖艶な”アルルの女”に心を奪われてしまう。しかし、その女は牧場の番人の愛人だった。

フレデリは家族の猛反対にあって、仕方なく諦めて幼馴染の農家の娘との結婚話を進めるが、アルルの女が牧場の番人と駆け落ちすると知り、嫉妬と絶望のあまり塔の頂上から身を躍らせて自殺する。

その亡骸を見ながら老僕がつぶやく。”ごらんよ。恋で死ぬ男があるか、ないか・・・・”」


もちろん音楽も良かったが、当時まだ未成年のスレていない初心(うぶ)なハートにはストーリーの方がショックで、いまだ知らぬ大人の世界への興味も手伝って「人間は恋のために死ねるのか!」と、その狂おしい情熱に大いに心が揺さぶられたことだった。

こういう思い出があるから、「アルルの女」にはひときわ”こだわり”があり、小林利之氏(音楽評論家)が推薦する演奏をコツコツと収集した。

オッテルロー盤以外に、トスカニーニ盤、クリュイタンス盤、マルケヴィッチ盤、オーマンディ盤、デュトワ盤。

            

いずれ劣らぬ名演だが、「許 光俊」氏の評論を読んで大いに共感を覚えた勢いでオークションで購入したのが「ケーゲル盤」。

オッテルロー盤を購入したときと同様に、この盤は「廃盤」になっていて、それは、それは高値で取引されていて、もう諦めようかと随分迷ったほど。

           

昨日は昼寝をたっぷりしたのでなかなか眠気がさしてこず、夜遅くまで「オッテルロー盤」と「ケーゲル盤」を聴き耽った。

この曲はクラシックには珍しくサキソフォンが使われており、それが実に牧歌的な”いい味”を出しているが、賑やかさの中に悲しい結末に収束していく物淋しさが全編に漂っているのがポイント。

体制側の幹部だったケーゲル(東ドイツ)はソ連邦の崩壊とともに拳銃自殺を遂げた指揮者だが、まるでそれを予感させるかのように全体に哀愁を帯びて心の中に染み入ってくる味わい深い演奏。さすがに定評どおりの名盤だけのことはある。しかし、それ以上に心情的にしっくりきたのはやはり「オッテルロー」盤だった。

これ、これっ! 未知のものへの憧れとともに多感な青春時代を彷彿とさせてくれる演奏だよなあ・・。

感受性豊かな若い頃にひとたび脳裡に深く刷り込まれた演奏は、その後どんなに名演が出てこようと、覆るのは難しい。

どうやら個人的な「記憶」と「音楽」とは深い部分で分かち難く結びついているもののようでして・・。 



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あいまい・ぼんやり語辞典~その1~

2022年09月28日 | 読書コーナー

図書館の新刊コーナーでたまたま見つけた「あいまい・ぼんやり語辞典」



それほど「詰める」タイプではないので日常的に「曖昧さ」があってもあまり気にならない。音楽&オーディオは別ですけどね~(笑)。

いつも「ま、いっか」が口癖だし、
この世知辛い世の中で何もかも「白黒」をはっきりさせない方がいい場合だってある、ときにはぼんやりした灰色もあっていいんじゃないか、それが「大人の知恵」というものだという思いをいつも捨てきれない。

というわけで、本書は自分にとって格好の本である。

興味を惹かれた言葉をピックアップして記録しておこう。

トップバッターはこれ。(以下、引用)

1 「どうも」(118頁)

「どうも」はお礼でもお詫びでも使える。出会いでも別れでも一応のあいさつになる。まことに便利な言葉である。

「ありがとうございます」「申し訳ありません」などのしっかり内容の定まった言葉ではない点でお礼やお詫びとしては軽いが、逆に、軽いことに対してもしっかり挨拶をするという意味で失礼な挨拶ではない。

また、出会いや別れでも気を遣う相手に対しての挨拶として成立している。曖昧といえば曖昧な、逆に言えばきわめて便利な言葉である。

(独り言:たしかにいつも「どうも」を常用しているのでこのくらい便利な言葉はないと思う。自分にピッタリの言葉だなあ~笑~)

ただ、「どうも」には謎がある。なぜか家族などの親しい関係ではあまり使わないのである。子供もあまり言わないのではないだろうか。三、四歳くらいの幼児が「どうも!」という挨拶をすることはまず考えられない。

「どうも」だけで終わる挨拶は大人くさくなるのである。これには次のような理由が考えられる。

「どうも」は「どう+も」だが本来この副詞には「どうもうまくいかない」「どうも変だ」のような使い方がある。

いわば気がかりなことがすっきりおさまっていない感情を表すのである。

それが「いやはや、どうも何と言っていいか・・」などというように感謝、謝罪の気持ちを表す際の「簡単にお礼やお詫びを言うだけではうまく解決できない言い表せない気持ち、そのままでは済ませられないという気がかりの強調」という使い方になったものと考えられる。

「いやはやどうも何と言ったらいいか、(むにゃむにゃ・・)というような感じで、いろいろと相手への思いを巡らすというのは大人の心遣いである。

またあとに来る実質的な感謝や謝罪の表現がなくても「どうも」だけでそういう気配りがあるということが示せる。いわばよそ行きの言葉と言って良い。この「よそ行き」感が出会いや別れの軽い挨拶にもなると考えられる。

(そのとおりです!)

「どうも」だけだと実質的な感謝や謝罪の表現がないので、きちんとした謝罪やお礼にはならない。しかし、気を遣っていることはよくわかる。出会いや別れでの「お世話になっています」感や「失礼します」感といった気遣いのこもった軽い挨拶をするにはぴったりとも言える。

気を遣っている相手への挨拶になるのだと考えると、家族間であまり言わないということ、子供があまり使わないということの理由がわかってくる。

「どうも」の奥には、どうも(?)大人っぽい深い気配りがありそうなのである。

以上のとおりだが、「英語」で「どうも」と似たような使い方をする言葉があるのだろうか。どなたかご存知の方はご教示ください。


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初秋のオーディオ試聴会~終~

2022年09月27日 | オーディオ談義

「天高く馬肥ゆる秋」とはよく聞く言葉。

空が澄み渡り高く見える秋ごろ、馬たちも過ごしやすく食欲も増してたくましく育つ、といった秋の快適な気候が表現されているそうだが、もともとは「収穫の秋には馬が育ち、その馬で匈奴(きょうど)=異民族が攻めてくるぞ」(中国古典)と、嫌なことが起こるから警告の意味で使われていた、とのこと。

とはいえ、秋のイメージは戦いや収奪には相応しくなく、やはり「芸術の秋」に勝るものはないですね。

我が家のオーデイオと音楽もいよいよ佳境へと入って先日の「初秋のオーディオ試聴会」の続きです。

CECのCDトラポの試聴が済んで、次はお目当てのオーディオ仲間の「Y」さんが持参されたソウルノートの「C1」の試聴に入った。



「(お値段の割には)なかなかいいじゃないですか」と、第一声を上げたが、単独で聴くと違和感は無いのだがCECを聴いた後だとちょっと考えさせられる。

「やや音が軽くてどうも上滑りの傾向がありますね」と率直に申し上げた。少なくとも我が家では「忖度」は御法度なんだから(笑)。

「・・・」、Yさんも釈然としない面持ちで首を傾げておられる。

そこで、次なる手を繰り出された。「このプレイヤーはDACを内蔵していますのでそれで聴いてみましょう」とのご提案。

「いいですよ~」と、応じて「C1」からダイレクトにプリアンプにケーブル(LAN)を接続して聴き直した。

ちなみにソールノートはアップサンプリングを行わない主義だそうで通常の「44.1KHz」のままである。たしかに、それも一見識ですね。

「こちらの方が音がずいぶんとこなれた感じで自然ですよ」と、正直に申し上げたが「Y」さんの愁眉は終始開かれないままだった。

どうやらCECのCDトラポ「TL3 3.0」の堅城は揺るがなかったみたいで・・、幸か不幸か(笑)。

テストを終了し改めてCECに戻して試聴開始。丁度いい機会とばかり真空管の「球転がし」をやってみた。



今回登場させたのは「2A3シングル」アンプで、出力管は「VISSEAUX」(フランス:刻印)。

余談になるが整流管には「5X4G」を使っているが、ブランドがカナダの「ロジャース」とある。

カナダにしてはアメリカっぽい名前だなと思っていたところ、1か月ほど前のMLB「エンゼルス VS ブルージェイズ」戦が行われたのがカナダの「ロジャース・センター」(ブルージェイズの本拠地)。

あれっ、カナダでは「ロジャース」とはポピュラーな名前なのかとネットでググってみたら何と「大手の通信会社」だった。道理で~。

それはさておき、このアンプの前段管はたびたび記したように「6DE7」(テレビ球)である。初段とドライバーの機能を両方併せ持った省スペース・省エネ機能の優れ球である。



手持ちに3種類あるのでテストしてみた。

左から「NEC」「レイセオン」「RCA」。このうちRCAはつい最近ネットで購入したばかり。

この日はずっと「レイセオン」で聴いていたのだが、「RCA」に差し替えてみると、「一転して空にわかに搔き曇り」といった塩梅で、いっこうに冴えずこれはいけませぬ~(笑)。

Yさんも同意で「前段管でこんなに音が変わるんですか・・」

オークション代金が一気にパーになってガックリ~。

転んでもただでは起きないぞとばかり、今度は「NEC」に差し替えてみると「レイセオンよりも情報量が上ではないでしょうか」との高評価。

言い方は悪いが国産の「NEC」ごときがレイセオンよりも上を行くなんてと驚くしかないが、実は「NEC」はその昔ウェスタンの技術を導入してたとかで、その頃の残滓なんだろうか・・。それしか思い当たらない。

いずれにしても「NEC」は4本持っているので、これから「枕を高くして眠られる」(笑)。

次に登場させたのが「6AR6」(三極管接続)アンプ。



久しぶりに前段管を「6SL7」(STC)に戻して試聴してもらった。

「どこといって破綻を見せない優等生のアンプですね。まったく非の打ち所がないです。ただ、思わずハッと息を呑むような美しさはないですね・・」

「それはもうないものねだりというものでしょう。直熱三極管の世界と違いますからね。このアンプはむしろアメリカ系のJBLなどのSPユニットに合いそうな気がしますね」

この日(23日)は「CDトラポの比較」、「球転がし」、「アンプ転がし」などでであっという間に時間が経っていったが、Yさんから「それでは今日はこの辺で・・」と店仕舞いの申し出があった。

まだ、試してみたいアンプがいくつもあるので「まだいいじゃないですか」と引き留めたが、ご用事があるみたいで仕方がない。後日の楽しみにとっておくとしよう。

これで「初秋のオーディオ試聴会」はお仕舞。

第二弾は10月に入ってということで。

あっ、そうそう、つい先日県外の仲間から連絡があって「ようやくコロナも落ち着いたようですし、久しぶりに訪問させてください」

「ハイ、どうぞどうぞ~」

ここ3~4年ほどの間に我が家のシステムは激変している。聴いてもらいたいシステムがいくつも目白押しなので泊りがけで来ていただくとするかな(笑)。


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聴かぬが花か、「タンノイ」再考

2022年09月26日 | オーディオ談義

前々回のブログ「オークション情報」で触れたタンノイのスピーカー。

「いいね、いいね」ばかりでは当たり前すぎるのであえて辛辣な書き方をしたところ(笑)、さっそく反発するかのように数年前の過去記事がランキングに登場していた。

どうやらこのブログは見張られているようだ(笑)。

内容の方はサッパリ忘れていたので、読み返してみたところ頷けるところもあるので以下のとおり今風に手直しして再掲してみよう。

先日搭載した「どうも気になるタンノイさんのオークション」は、1週間も経過した過去記事にもかかわらずいまだにアクセスが絶えない。

「タンノイってやっぱり気になる人が多いんだなあ」と改めて感じ入った次第。

まあ、読者の興味を惹いてくれたのなら、問題提起としての役割を果たしたことになるので(内容はどうであれ)良しとさせてもらおう。

さらにはまた、ときどきメールをいただくタンノイ愛好家の「I」さん(東日本)からも次のようなコメントが寄せられた。ご本人のご同意のもとに、以下のとおり掲載させていただこう。

「タンノイは、ボワンボワン・キーキーという定説的な評価がありますが(これがお好きな方もいますが)、私は決してこれがタンノイの真実ではないと思います。

私自身は、Hpd385A、モニターゴールド15を通じて16年間タンノイと格闘(笑)していますが、そういった縁で個人宅で様々なタンノイを聴かせていただく機会に恵まれました 。

どのお宅のいずれも、定説的な音で鳴っているところはなく、タンノイの使いこなしについて様々なご教示を頂くことが出来ました。

アンプやケーブルの選択に気を使われていることはもちろんなんですが、ある法則があることに気が付きました。

① モノラルパワーアンプを使用している。

② 機材は、スピーカーの間に置かない。

③ spは、mm単位で調整

④ タンノイ以外のスピーカーは置かない。

私がここまでタンノイへの興味が尽きないのは、十数年前に聞かせていただいた定説的な音とは真逆のタンノイを聴いてしまったからなんです。

部屋いっぱいに展開するオーケストラ、立体的な音像、風のように静かに流れて来る低弦楽器、これが本当のタンノイと知ったゆえなんです。

 〇〇さんにも、本当のタンノイの音を知って欲しい。そうすればもう「タンノイさん」なんて揶揄するような言い方をしなくなるんじゃないかと(笑)。

 機会があれば、拙宅の音もぜひ聴きにいらしてください。ヒントは惜しみなく公開しますので(笑)。」

以上のとおりで、うまくタンノイを鳴らそうとたいへんご熱心に取り組んでおられることにまず敬意を表します。16年もの年月をかけたタンノイの音はきっと「いい音」なんでしょうね。

そして、具体的に4点のご指摘がありましたが、すべて我が家の状況とは真逆ですね!

だけど、まことにごもっともな指摘だと思いますよ(笑)。

ただ、オーディオに関する論議の場合、こればかりは実際にお互いの音を聴き合ってこそ「成る程、あなたのご意見の趣旨はよくわかりました」となるのが普通なので、このままではお互いに「闇夜の鉄砲」みたいな感じになってしまう懸念が大いにありますね。

このことを念頭に置いて話を進めましょう。

実は、これまでオートグラフを主体にいろんなお宅の「タンノイ」を聴かせていただきましたが、オーケストラはともかく、総じて「ボーカル」「ヴァイオリン独奏」「金管楽器の咆哮」にやや不満が残ったのは残念です。これならいわゆる「普通の音」のレベルですし、ジャズはもちろん論外でした。

  

これは「S」さん(福岡市)が使っておられる「コーナーヨーク」(モニター・シルヴァー入り)です。わざわざイギリスから直輸入された生粋のオリジナルですが、これまで聴かせていただいたタンノイの中ではこれがベストでした。

低音がいっさいボンつくことなく、瑞々しい中高音域に圧倒され、いわばタンノイの「新しい貌」としての強い印象を受けました。

で、ぜひ「I」さん宅の「生粋のタンノイの音」
聴かせていただきたいわけですが、むしろ「聴かぬが花」で我が家の音も含めてお互いに想像の範囲に留めておく方が無難かもしれませんね(笑)。

いずれにしても、今回寄せていただいたご意見により「タンノイ」の奥深さの一端が認識できたような気がしています。不躾な表現お許しください。

なお、これから「タンノイさん」の呼称について、敬意を払って「タンノイ」に改めますので、どうかご安心ください(笑)。



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初秋のオーディオ試聴会

2022年09月25日 | オーディオ談義

1年のうちで一番過ごしやすい秋の足音が近づいてくるとオーディオがらみの人や機器の動きが活発になる。

「新しいCDプレイヤーを購入しました。お宅のCECのプレイヤーとぜひ比較したいのでお伺いしたいんですけどいかがでしょうか。AXIOM80(スピーカー)で聴かないとはっきり差がわからないものですから~」


と、近くにお住いのオーディオ仲間「Y」さんからご連絡があったのは休日に当たる23日(金)の午後のことだった。

「ハイ、いいですよ~、どうぞどうぞ」

Yさんとはもう10年近いお付き合いになるが、我が家の音質に対する率直なコメントに大いに助けられている貴重な存在なのでお断りする理由は何もなくむしろ諸手(もろて)を挙げて歓迎。

きっかり13時半にプレイヤーを携えてお見えになった。

事情を伺ってみると「このところ重たい機器を順次整理して軽いものへと移行しています。エソテリックのCDプレイヤー(120万円)をオークションで処分して、このたびソウルノートの「C1」を購入しました。」

「え~っ、エソテリックをですか、それはもったいない!」と第一声、いくら重量級嫌悪症とはいえ、それはないでしょう。

もしかして、我が家の全般的な「軽薄短小」傾向の影響があったのかな、な~んて(笑)。

ま、人それぞれなので問い詰めても詮無きこと、とにかくご要望に応じることにして初めにCECのCDトラポ(「TL3 3.0」:ベルトドライブ方式)から試聴に移った。

ちなみにシステムの概要は次のとおり。

CDトラポ「CEC」 → DAC「A22」(GUSTARD) → プリアンプ「安井式」(E80CC×4本) → パワーアンプ「2A3シングル」 → スピーカー「AXIOM80」+サブウーファー(ウェストミンスター:100ヘルツ以下)

はじめにバッハの「ヴァイオリン・ソナタ」を聴いてもらった。

日頃は「ブルーレイ」で聴いており、ここ3か月ばかりCECの出番はまったくなかったが、「やはりブルーレイとは違いますね。音に力があって浸透力があります。それにSN比がいいせいか静寂感が違うようですよ」と、Yさん。

「そうですね!明らかにブルーレイよりはCDトラポの方が上ですが、つい面倒くさくなって・・・」と言い訳をする始末(笑)。

実はテレビ画面(55インチ)を見ながらリモコンで簡単に曲の頭出しができるブルーレイの便利さは何ものにも代えがたいものがある。

CDトラポの音質が100点だとするとブルーレイが90点ぐらいはいくので、この10点の差について「手間」と「音質」を秤にかけると実に微妙なんですよねえ・・、「悪貨は良貨を駆逐する」のかな(笑)。

で、10分ほどでCECの音を確認してからご持参されたソウルノート「C1」へ変更。



さあ、どんな音が出てくるか、はたしてCECを上回る音が出るのか、二人とも息をひそめて第一声を待った。

以下続く。


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オークション情報

2022年09月24日 | オーディオ談義

否が応でも段々と人生の残された時間を意識せざるを得ないようになると、オークションに出品されているオーディオ機器への見方も変わってくる。

「欲しいことは欲しいけど、あとどれくらい楽しめるんだろうと思うとつい二の足を踏んでしまう」というのがそれ。

昔は、それはそれは熱い眼差しで眺めたものだったが(笑)。

そういう醒めた眼差しのもとで、つい最近の気になったオークション情報を述べてみよう。

1 STC 4300A(出力管)



英国のSTC(Standard Telephones and Cables )といえば「ロンドン・ウェスタン」ブランドとして真空管愛好家の中では「泣く子も黙る」存在だ。

そのツクリは極めて緻密で、一部には「ウェスタン」よりも上だという方もいるほどでその信頼性は極めて高い。何しろ寿命は長いし、もちろん音の方もすこぶるいい。

STCはいろんな型番の真空管があるが、そのうち有名なのは「4300B」という日本向けに製造された球であり、さらに評判がいいのが
歴史のある「4300A」だ。

今回は1本だけの出品だが手元にはウェスタンの1967年製の300Bがあるのでペアで鳴らしても面白そうだなあ。

さあ、1万円スタートだがどのくらいまで入札額が伸びるか注視していたところ、落札時刻が近づくにつれぐんぐん上がって最後は「165,300円」也~。

高っ・・、いくらSTCといっても寿命があるんだし、どのくらい使ったか見当がつかないのにね~。

まあ、蛮勇を奮うには歳をとりすぎました(笑)。

2 TANNOY GRF 英国オリジナル箱 モニターゴールド



タンノイについてありていに言わせてもらうと「五味康佑」さんの影響もあってか、まるで魔法にかけられたかのように実力以上の評価がなされているんではないかという「胡散臭さ」がどうしても拭いきれない。

つまり、ブランドの評判につられて購入したものの、どれだけ満足して聴かれている家庭があるのか、率直に「?」だと思っている。ま、要らん世話だが(笑)。

実際にいろんなお宅で聴かせてもらったが、肝心の弦が硬すぎるしでどうもピンとこなかった。ごめんなさいね~(笑)。

とはいえ、福岡のSさん宅でオリジナルの「コーナーヨーク」に入った「モニターシルヴァー」(口径38cm)を聴かせていただいたときは、さすがにタンノイの「オールド・ユニット+オリジナル箱」の組み合わせは違うと唸った・・。



爾来、タンノイのユニットは国産箱ではなくてすべてオリジナル箱に限ると思ってきた。

そもそもイギリスのユニットは箱と一体化して聴くように作られているし、その一方アメリカのユニットは箱をうまく鳴らすという観念は無くて、力任せにユニットを駆動させようとする傾向にある。

このことはクラシック鑑賞とジャズ鑑賞の違いを如実に表しているように思えるが、さて今回のオリジナルの箱を使った「GRF」である。

日本家屋ではオートグラフよりも使いやすいのではあるまいか。

比較的広い部屋で、低音とか高音とかの細かいことをつべこべ言わず、ゆったりとクラシックを聴き耽るにはいいかもですね~。

ただし、AXIOM80を聴きなれた自分の耳にはまず物足りないと思うこと必定なので一切の未練は無いつもり・・(笑)。

で、肝心の落札価格だが「2、123、000円」でした。

ユニットのお値段はせいぜい20~30万円ぐらいだろうから「箱+ブランド」の値段が大半を占めていることになる。

「俺はオリジナルの箱で聴いているんだぞ!」という心理的効果もばかにしてはいけない(笑)。

いずれにしろ、希少な箱なのでこれは「モニター・ゴールド」ではなくて、「シルヴァー」か「レッド」あたりで聴いてみたいですねえ、じゃないとオリジナル箱がもったいない感じ~。

まあ、いずれにしてもこれは高みの見物でした(笑)。



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素敵な言い訳

2022年09月23日 | 独り言

何かブログのネタはないかなと、過去記事を見ていたら「下書き」段階の原稿を見つけた。

およそ2年前に書いた記事だがどうして未投稿のままにしておいたのか、何か理由があったはずだがはっきりと思い出せない。

強いて挙げれば、落としどころが平凡すぎるのかな~。

ま、いっか・・、目を瞑って原文のまま陽の目を当たらせるとしよう。

このブログは内容がどうであれ、投稿を続けることに意義があると思っている、言い換えると「質」より「量」を優先しているので”ためらい”はない(笑)。

それでは以下のとおり。

つい先日のこと、メル友の「I」さん(東海地方)から次のようなメールをいただいた。

昨日仕事に出かける時にテレビから塩野七生さんの声がしたので、録画にして帰宅後観ました。高校生(母校にあたる学習院)との対話でした。
 
素敵な人ですね。
 
ずっと以前にテレビで対談(相手はたけしでした。誰が組み合わせたのか、てんで話にならない)を見て、「この人と一緒に旅行をしたい」と思いました。
 
そんなことはかないませんね(笑)そのための著作ですね。
 
「五賢帝」の前で読書が止まっている「ローマ人の物語」を読むのを再開しようかと考え始めました。
 
 
独り言です。お聞き流しを!」

歴史作家「塩野七生(しおの ななみ)」1937年7月7日生~



すぐに返信した。

「メールありがとうございます。あまりの符号に驚いてます。

わたしも、たまたまテレビから「塩野」さんの声がしてきたので観ました。

そして仰ることの素晴らしさに胸が熱くなりました。明日の日本を担う高校生たちに「これ以上の教えがあるのか」という思いがしました。

ほんの後半部分だけでしたが、「(行動規範として)見苦しいことをするな」「自分が絶対正しいと思うな」などは特に記憶に残ってます。」

さらに「I」さんによると、録画していない前半部分では、「免疫力」について述べられたとのこと。

「必ず役に立つことを言います。若いうちに失敗を恐れずにいろんなことを経験して免疫をつけることです。」とのこと。

たしかにそうなんだけど・・。

失敗といってもピンからキリまであるだろうが、今になってもふとした時に数多くの中途半端な失敗体験が思い出されてきて、ときどき苦い思いをすることがあり、どうやら自分の場合は失敗が免疫になってくれなかったようだ。

幸か不幸かこれまでスケールの大きな失敗が無かったせいかな・・。

というのが原稿の内容だった。

以下、折角なのでこれに「落としどころ」として少し付け足してみよう。

先日のブログの中で「私の履歴書」(日経新聞)に搭載されていた俳優の「山崎 努」さんを紹介しました。

まだ記憶に新しいはずですよね(笑)。

その中で、山崎さんは若い頃の演技が今となってみるとあまりにも下手過ぎて見てられない、とても恥ずかしい思いをするばかりだと述べられたうえで、黒澤明監督に「過去の映画で後悔することはありませんか」とお訊ねしたら「どうして後悔するの?、その時には一生懸命にやったんだから仕方がないじゃない、後悔なんかしないよ」との趣旨の回答があって、なるほどそれも一つの考え方だと納得されたとのこと。

どんな失敗でも「その時は一生懸命だったんだから」・・。

これは素敵な言い訳だと思いませんかね(笑)。



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「オーディオ診断士」とは

2022年09月22日 | オーディオ談義

昨日投稿した「季節の変わり目のストレッチ」だが、さっそくメル友のKさん(横浜)から問い合わせがあって「モデルは奥様ですか?」。

いいえ~、そうならいいんですが・・、もううちの奥さんは薹(とう)が立ちすぎています(笑)。

さて、先日のブログ「プレイヤーは審判を兼ねてはいけない」で述べたように、愛好家の常としてどうしても自宅のオーディオへの評価が贔屓目に
なるのは否めない。

いろんなオーディオ雑誌やブログを拝読してもいずれも満々たる自信に裏付けされているものばかり(笑)。

それはそれで結構なことなんでしょうけどね~。

しかるに、心ある人が友人、知人に聴いてもらい正しい判断を仰ごうとしても儀礼上絶対にといっていいほど「目の前の音を貶す」人はいない。

その昔、「加銅鉄平」さんというオーディオ評論家がおられたが「目の前で他家の音を貶すのはあなたの息子はバカですねと言うのと一緒だ」と著書の中に書いておられたのを見かけたことがある。

たしかに、実際にそういう指摘を受けると仮に陰口でさえも誰もがいい気はしないですよね(笑)。

とはいえ、そういう耳の痛い話を避けてばかりいると永遠に「井の中の蛙」になってしまい正しい進展は望めないことになる。

もちろん、誰が何と言おうと自分の耳は絶対正しいんだという固い信念の持ち主は別ですよ~。

そこで提案ですが、「オーディオ診断士」という存在はいかがでしょう。

当事者とは一切しがらみのない人間がいろんなお宅の音を聴き、感じるままに遠慮会釈のない意見を吐いてもらおうという仕組みだ。

もちろん、中にはケチのつけようのない立派な音があるに違いないのでそういうときには絶賛の嵐となる。

で、その「診断士」だが、駄耳の持ち主、たとえば自分なんぞは資格が無いので念のため(笑)。

どうです、面白い提案と思いませんか・・。

問題は需要と供給でしょうかね~(笑)。

で、これに関連して、つい先日のこと、オーディオ仲間に酷評された「AXIOM80」(復刻版)がずっと気になっていた。

酷評とはいっても「オリジナル版」とはずいぶん違うという話だったわけだが、長年にわたって使ってきた自分としては、たしかに「オリジナル版」の優位性を認めるものの、それほどの差は無いはずとの思いは尽きない。

というわけで、昨日(21日)は起き抜けから「ささやかな抵抗」を試みた。

実はこれもオーディオの楽しみの一つである。

オーディオの目的というのはもちろん「自分好みの音で好きな音楽を楽しむこと」に尽きるが、そのアプローチにはいろいろある。

1 実力はあるのに世に知られないまま埋もれている真空管や機器を発掘する楽しみ

2 高級オーディオとは縁遠い真空管や機器から独自の工夫によってコスパに非常に秀でた資質を引き出す楽しみ

3 評価が定まらず伸び悩んでいる製品を工夫次第で一気に蘇らせる楽しみ

4 どんなに高価でも構わない、定評のある機器だけを使い所有する楽しみ

今回は3に該当する。



よっこらしょと、朝一でオリジナル版の右側に据え付けた。まあ、「板厚1.2cm」の箱だから軽いのでそれでヤル気が出たのも一因。

長さ4.5mのSPコード(LANケーブル)を「オリジナル版」から外して付け替えて試聴した。

すると、先入観のせいもあって仲間が指摘したように少し窮屈そうな音がする、しかも左側チャンネルからときどきノイズっぽい音もする。

困ったなあ、また修繕か。一気に2万5千円が飛んでしまう~(笑)。

この箱は後ろ側の板に直径10cmほどの穴を開けていて、ビニールを被せている。



問題はフロントバッフル(50cm×42cm)の方である。

オリジナル版がうまくいったので「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って、下側の隙間をテープで塞ぎ中央に1か所だけ小さな穴を開けていたのだが、今回はすべてテープを取っ払い全開にしてみた。

理由は背圧の抜けを良くして伸び伸びと鳴らすためで、当初通り「1cm×50cm」の隙間を復活させたことになる。

これで聴いてみたところ、なんとまあ・・・。

「AXIOM80」が上手く鳴ったときは中高音域が実に柔らかくなってまるで光沢のある絹糸みたいな音を奏でるのですぐにわかる。

しかも、左チャンネルのノイズっぽい音が見事に収まったのにも驚いた。

いかに箱の仕組みが重要か改めて思い知ったわけだが、(市販のSPの場合)こんな大切なポイントをメーカー任せにしていいものですかね、もっと各人ごとの試行錯誤があってもいいような気もするが・・。

とはいえ、最終的な判断については「一切の忖度なし」の「オーディオ診断士」(仲間)に委ねるとしよう(笑)。


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季節の変わり目のストレッチ

2022年09月21日 | 独り言

「台風一過」、一気に気温が下がり今朝(21日)の起床時の室内温度は21度でした。もう秋の気配満々ですね。明日からは長袖で寝ることにしよう。

さて、
この2週間ほど続けているストレッチ。

ガチガチの硬い体ながら曲がりなりにも続けていると、おかげで体調も上々で、皆様も無理をしない範囲でぜひ・・。

とはいえ、いつも三日坊主なので忘れないように記録しておこう。

まず能書きの方から紹介。

日中と朝晩の温度差がだんだん激しくなる季節になりました…。温度変化に対応しようとして、体は交感神経が優位な「緊張状態」が続くようになります。

すると、たくさんのエネルギーが消費されて、いつもより疲れやすくなったり、だるくなったり、節々が痛んだり、睡眠の質が低下したり、イライラしたり…。

「季節の変わり目って、何だか疲れる…」。そう思っている方は、自律神経のバランスが崩れているのかもしれません。

そこで、ぜひ取り入れてみてもらいたいのが「背骨まわりのストレッチ」。

実は、交感神経と副交感神経からなる自律神経は、背骨の間から出ています。

背骨のまわりのストレッチをおこないながら筋肉のコリをほぐしたり、背骨の動きを良くしたりすることで、自律神経がうまく機能する手助けになります

また、交感神経が優位なときは、腸のぜん動運動が弱くなって便秘しやすくなります。そんなときはゆったりとした呼吸を繰り返しながら背骨まわりのストレッチをすれば、副交感神経にアプローチできて「お腹スッキリ」を目指すこともできるでしょう。

それでは、早速ストレッチを始めましょう!

自律神経もお通じも整う「うつ伏せのストレッチ」

1) うつ伏せになり、肩の下にひじをついて上体を起こす

うつ伏せのストレッチ
朝時間.jp

※足は腰幅程度に開いておきます

2) 左ひざを曲げて外側に開き、股関節の延長線上に引き上げる

うつ伏せのストレッチ
朝時間.jp

※左ひざの位置は、股関節の延長線上よりやや下寄りでもOKです。無理のない位置まで引き上げましょう

3) 手を肩の下に移動させて、さらに上体を起こす

うつ伏せのストレッチ
朝時間.jp

※腰に負担がかかりすぎないように、腹部に軽く力を入れて上体を起こします

※姿勢が辛い場合は、手ではなく、ひじを床についた状態のままストレッチを続けましょう(自分はこれです)

4) 上体を左にねじり、左手を腰に添える。呼吸を5回繰り返す

うつ伏せのストレッチ
朝時間.jp

※胸だけを後ろに引くのではなく、背骨をしっかりとねじることを意識して!

※姿勢が辛い場合は、手を床についたまま上体をねじってもいいでしょう

5) 反対側も同様におこなう

※ 余裕がある方は、2~3回おこなってもOK!

***

秋特有の自律神経の乱れによる不調、そして便秘にアプローチするストレッチをご紹介しました。

ストレッチの最中は息を止めず、いつもよりゆったりとした深い呼吸を意識してみてくださいね。

以上、決して無理をせずできる範囲でチャレンジ!

それでは今日も、良い1日を!



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埋もれた名管「6A3」

2022年09月19日 | オーディオ談義

台風14号は前評判通りだった。

昨晩は一晩中強烈な風雨が雨戸に叩き付け木々を揺らして音がうるさく眠られなかった。現在地に引っ越してきて42年になるが記憶にないほどの強烈な台風。


現在19日4時24分時点でようやく風雨が収まったが、これから進路に当たる方々は要警戒です。十分に気を付けられてください。

閑話休題

さて、真空管オーディオの醍醐味の一つとして同じ型番なのに差し替えると(ブランド次第で)くるくる音が変わり、時にはアンプ全体を代えたような変化をもたらすことがある。

で、その選択にはいつも神経を使わされるし、加えて周りのオーディオ環境、たとえばプリアンプやSP周りが変わったりするとガラッと球のイメージが豹変
するので、固定的な評価は御法度でありユメユメ油断できない代物だ。

その身近な実例の一つとして出力管「6A3」(刻印)を挙げてみよう。

我が家でのこの球の活躍場所は「WE300B」アンプになる。



そう、この球は幸いなことに「WE300B」と互換性があるのだ。

「北国の真空管博士」によると「通常の300Bアンプには使えませんが、あなたのアンプなら差し替え可能ですよ」

これまでも、ちょくちょく差し替えをして楽しんできたが、このほどAXIOM80の箱の改造もやったことだしと、改めて聴いてみたところ完全にノックアアウトだった。

周知のとおり、音を言葉で形容するのにもいろんな要素があり個人ごとの好みも様々だが、低音や高音がどうのこうのというよりも自分の場合の尺度はなんといっても「鮮度」、「色気」そして「琴線に触れる」とでもいうのか「胸にきゅんとくる哀愁感」に尽きるがこの三者を見事に兼ね備えているのが何ともうれしくなる!

それにWE300Bともなると新旧いずれもペアで20万円以上は確実にするが「6A3」ともなるとさほど有名ではないためか、せいぜい1/10以下なので大助かり。
        

さっそく博士にご注進。

「新品ということもあるのでしょうが6A3はやはりWE300Bに優るとも劣らない凄い真空管ですね。お値段もビンボー人向きなので助かります。スペアをあと2,3本欲しいのでぜひ確保をお願いします。」

「ハイ、わかりました」


以前、博士から次のようなメールが届いたことがある。

6A3は1935年にシルバニアが発表したと思われます。フィラメントの形状を見るとヨーロッパ管の影響が見て取れます。 

10往復フィラメントのRCA2A3(一枚プレート)に4往復のフィラメントで対抗するにはヨーロッパに学ぶ必要があったのかもしれません。 

(当時真空管の製造技術はヨーロッパのほうが優れていました) 

その甲斐あってかチューブテスタでGmを実測すると6A3の方が2A3より高く、規格表に近い数値が出ます。 

6A3は良く出来た球なのですが日本では知名度が低いためか製作例は意外と少なく、その実力は正しく評価されていません。 

2A3の2枚プレートと6A3の音を比べてみると6A3の方が音のヌケが良く2A3にありがちな中域の音の濁りをあまり感じません。 

更には、私の開発した裏技回路を組み合わせればWE300Bや一枚プレートの2A3にも引けをとらない音が実現できます。  

(フィラメント電圧が6V規格の)6A3の程度の良い球であれば(フィラメント電圧を)5Vに下げても十分なエミッションを発生します。 

それゆえWE300Bアンプの動作がEp325V以下、プレート損失15W以下であれば差し替え可能です。 

もちろん私が改造したあなたのWE300Bアンプの動作はその範囲に収まっていますので6A3が使えます。 

 なお、71Aシングルアンプでも6A3は使えると思いますが、アンプのフィラメント電流供給能力がギリギリなので長時間の使用はお勧めできません。」

以上のとおり、微に入り細にわたる博士のご解説だが、結局あの有名な「2A3」真空管に比べてフィラメント電圧が6Vなので「6A3」というわけ。

我が家の場合は、アンプの回路やインターステージトランスなどとの相性がよほど良かったに違いない。

いずれにしても、これから由緒ある「WE300」から「6A3」を主流にして使うことにしたが「名を捨てて実をとる」のがポリシーなので、まったく抵抗感はない(笑)。      

それにしても、これはほんの一例でほかにもまだ世に知られていない「埋もれた名管」がきっとあるに違いない。たとえば博士によるとドイツ製の真空管の中にも第二次世界大戦による爆撃を辛うじて免れた知られざる名管が残されているそうだ。

したがって現在高名な真空管を使っているからといって、ゆめゆめ油断してはいけないのがこの奥深い真空管の世界ではないかと思う今日この頃ですぞ(笑)。



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貴方ならどれを選ぶ?

2022年09月18日 | 独り言

土曜日はいつも買い出しのため、荷物持ちとして駆り出されているが、昨日の17日は駐車場が満杯で、店内も込み合っておりレジにはいつにもなく行列が。



なぜ?



そう、非常に強い台風14号の接近で買いだめする客が多かったからで、今日と明日は別府も最大限の用心です。

停電のせいでオーディオ機器が使えないと困りますね。

閑話休題

「千年の読書」という本があって、その中にこういう記述があった。(60頁)



宗教学者の上田紀行氏が東京工業大学の授業で毎年実施しているアンケートが紹介されていた。ぜひ一緒に考えてみてください。

「あなたが東工大を卒業して大企業に就職し東南アジアの工場に派遣された。ところが、その工場では川に毒を垂れ流していて、下流で老人や子どもたちが亡くなっていることがわかった。

あなたはそれに気づき、工場長に報告して排水を止めるよう進言する。すると工場長は『いやいや、それは俺たちの問題じゃないだろう。俺たちは3年の期限でここに来ている。生産のシステムをつくったのは本社の人間だから、これは本社マターで社長が決めることだ。

俺たちが声を上げたら俺たちが馬鹿を見る。現場の俺たちは知らないことにして黙っておくのが処世術として一番だ』と答えた。

あなたは社内の他の人にも相談するが、誰も賛同してくれない。

さあ、どうするか?」

答えは三択です。

1 自分の名前を出して内部告発する

2 匿名でインターネットなどに書き込む

3 何もしない

皆さんの選択肢は何ですか?

上田氏が2006年に実施した200人の学生のアンケート結果によると、「1の選択が5人」「2が15人」「3が180人だった」。

東京工業大学といえば、いわずと知れた一流大学です。受験競争を勝ち抜き、リテラシー能力の高い学生たちしか入学できません。

この結果がより深刻なのは人間を自由にするための学問、リベラル・アーツを学ぶ学生たちの9割が「何もしない」を選んでいることです。

自由を学ぶ学生たちが、不自由にさせられている見えない「枷」(かせ)とは何なのか。

そしてこう続く。

「不公平を指摘すると面倒くさいヤツと認定される。散々ひどい目に合わされて、絞り出した声を「そんな言い方じゃ、誰も味方にならないよ」と言われる。そんなことがこれまで何度繰り返されたきたのだろう。弾き出された側から見た世界のさみしいこと。多くの人はそんな世界を見たくないから、「弾き出された側」にならないように、慎重に薄いフィルムの上を歩く」とある。

以上のような内容だったが、この正解のない質問に対して皆様は1,2,3のどれを選択されますか?

ちなみに自分は多くの学生と同様に3の多数派です(笑)。

これまでが「寄らば大樹の陰」だったし、それに「長いものには巻かれろ」式で「無駄な抵抗はなるべくしない」主義の生き方だったから。

とはいえ、けっして自慢できる話ではなく、味も素っ気もない人間と言われても仕方がないですね~(泣)。



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プレイヤーは審判を兼ねてはいけない

2022年09月17日 | オーディオ談義

オーディオは人に聴かせるための趣味ではなく自分のためにある趣味である。したがって、自分さえ満足していればそれでいい。

とはいいながらも、第三者からズバリと欠点を指摘されるとちょっと気になってずっと尾を引くんですよねえ(笑)。

先日、「生の音」に精通したオーディオ仲間から「音のフォーカス」の甘さを指摘された「371Aプッシュプル」アンプ。



オーディオ・サウンド、つまり「作られた音」はできる限りウィングを広げて「微視的なサウンド」から「巨視的なサウンド」まで、それぞれに存在価値があると思うことにしている。

で、前者の代表例は「AXIOM80」であり、後者では「タンノイ」かな。

巨視的なサウンドとは言い換えると「大雑把な音」ともいえるが、(また余計なことを言ってしまった~笑~)、やはり程度問題だろう。

音のフォーカスの甘さはゆったりと長時間聴けるというメリットもあるのだが、「371・・」の音を少し
「微視的なサウンド」の方へ振らせてみようかな。

これには二つのアプローチがある。

まずは、周辺環境から攻めてみると、

1 プリアンプの交換

「JADIS回路型」から「安井式プリアンプ」への変更を試みた。

前々回のブログでも紹介したが「E80CC」を2ペア使って、音のエッジをもっと際立たせてみようという算段である。

ただしちゃんとした理論に裏付けされているわけでもなく、長年の勘による相性占いのようなものである。

しかし、この勘が意外と当たることが多くて捨てたもん
ではないんですよねえ(笑)。

次の二つ目のアプローチはこれ


2 本体の真空管の変更

整流管「5Y3G」(レイセオン)と出力管「371A」(ナス管:カニンガム:ペア合わせ済み)はベストでこれ以上の球は無い。

残るは前段管の「27」しかない。そこで初段の2本を「マジェスティック」から「ARCTURUS」(ブルー管)へと交換してみた。

やや「ひ弱な」印象を受ける「ARCTURUS」の緻密な側面に期待してのことである。



さあ、ワクワクしながら耳を傾けてみると、随分「微視的なサウンド」へ近づいた気がするが、まあ、自分がやったことなのでどうしても贔屓目になってしまい有利な判定になりがちのは否めない。

こればかりは公正な第三者の判断を待つのが賢明だろう。

そう、「プレイヤーは審判を兼ねてはいけない」のだ(笑)。

ちなみに、この言葉を洩らしたのはあの「黒沢 明」監督の初期の作品で名脚本家の名を欲しいままにした「橋本 忍」氏だ。

名作の誉れ高い「七人の侍」の脚本は伊豆の鄙びた旅館に黒沢氏、橋本氏、そして「小国の旦那」が立てこもって作り上げたものだった。

黒沢氏と橋本氏が独自に脚本を創り、その良否を「小国の旦那」が「これはいい、悪い」と判断を下す。そしてこの審判役を含めた三者の共同作業によって稀に見る質のいい作品に仕上がった。

「しかるに、晩年の黒沢さんは一人で脚本を書くようになったのでパッとしない作品が多くなった」と、橋本氏は著作の中で述懐されている。

オーディオだってそう、質のいいサウンドへともっと高みを目指そうと思うのならよく耳が利く「審判」が要ると思いませんか~。

時にはイラッとくるけど良質な音への代償と思えば我慢しなきゃ~、ねっ(笑)。



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一筋縄ではいかない音楽「モーツァルト」

2022年09月15日 | 音楽談義

地元の新聞に、とあるオーディオ・マニアの写真がご自宅の高級装置とともに大きく掲載されていたことがある。

「素晴らしい音です。どうか興味のある方は聴きにいらっしゃい」
と、随分自信ありげだったので、ご了解を得ていそいそと出かけて聴かせてもらったことだった。


お年の頃は当時で70歳前後の方だったが、高価な機器を購入して部屋にポンと置いただけで「いい音が出る」と錯覚しているタイプで、それは、それは「ひどい音」だった。

したがって、オーディオの方はサッパリだったが、音楽への造詣は上から目線の物言いになるがなかなかのもので「結局、クラシック音楽はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの3人に尽きます。」という言葉が強く印象に残った。

まあ極論になるのだろうが、「当たらずといえども遠からず」かな。

以下、私見ということでまずお断りしておこう。


クラシック音楽を一つの山にたとえるとすると、この3人をマスターすればおよそ7合目までくらいは登攀したことになろう。

個人的にはそのうちバッハについてはイマイチのレベルで、せいぜいグレン・グールド(ピアニスト)を介して、「イギリス組曲」「ゴールドベルク変奏曲」を聴くくらいで重量級の
「マタイ受難曲」「ロ短調ミサ」にはとても程遠い。

で、モーツァルトはピアノ・ソナタ、ヴァイオリン・ソナタなどに珠玉の作品があるが、やはり最後はオペラにトドメをさす。

結局「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」で彼の音楽は完結する。

ベートーヴェンでは交響曲の2~3つ、大公トリオ、ピアノ・ソナタの最後の3曲(30番~32番)と後期の弦楽四重奏曲群があれば充分。

この二人の試聴期間を振り返ってみると好きになった年代がはっきり区分されていて、20代の頃はベートーヴェン一辺倒だったが、30代後半からモーツァルトが良くなってきてそれがず~っと今日まで続いている。

ベートーヴェンの音楽は今でも好きだが、年代が経るにつれて押し付けがましさを感じてやや敬遠している。

その点、モーツァルトの音楽は自由度が高く飛翔ともいうべきもので、「ある程度人生経験を積まないとその本当の良さが分からない」、とまあこれは自分だけの考えだろうと、ずっと胸に秘めてきた。

ところが、最近、
丸谷才一氏の「星のあひびき」を読んでいたら、ふとこのことを思い起こす羽目になってしまった。

            

該当箇所を要約してみると。

20世紀は「戦争と革命の世紀」だといわれるほど、むごたらしい殺戮の世紀であった。これに関連する死者数は何と1億8千7百万人にものぼる。

こういう血まなぐさい百年間でもほんの少し功績はあった。

ピーター・ゲイという著名な歴史学者はこんなことを言っている。

「暗澹たる20世紀が誇りうるほんの僅かの事柄の一つが、モーツァルトの音楽をそれにふさわしい栄光の位置に押し上げたということである」。

モーツァルトの音楽が脚光を浴びることが20世紀の誇りうる事柄の一つとは、彼のファンの一人として素直にうれしくなるが、ちょっと「大げさだなあ~」という気がしないでもない。

そもそも「戦争」や「革命」と同列に論じられるほどクラシック音楽が重要だとはとうてい思えない(笑)。

それはさておき、問題はモーツァルトの音楽が20世紀に入って見直されたという事実である。

本書によると19世紀は道学的、倫理的な時代であり、モーツァルトのオペラは露骨な好色趣味のせいで軽薄、淫蕩的とされ、ベートーヴェンの方が圧倒的な人気を博していたという。

たしかにモーツァルトの「フィガロの結婚」は召使の結婚に初夜権を行使したがる領主を風刺した内容だし、「ドン・ジョバンニ」は主人公が好色の限りを尽くして次から次に女性に言い寄るストーリー。モーツァルトも「女性大好き」人間だったので、まるで自分が主人公になったかのような迫真の音楽。

人間の本性を包み隠さずにさらけ出す彼の音楽が露悪趣味のように受け止められてしまい、19世紀という時代に合わなかったというのも何だか頷けるような気がする。

しかし、20世紀に入ると19世紀への反動が出てきて、〔人間性の解放という観点から)文学、絵画、音楽への新たな発見、見直しが行われたという。

モーツァルトは1791年に35歳で亡くなったが、彼の音楽は死後、ずっと現在と同じくらい人気があったものと思ってきたのでこの話はちょっと意外に感じた。

モーツァルトの音楽に何を感じるか、人それぞれだが「露悪趣味」から「人間讃歌」まで、時代の流れや人間的な成長とともに受け止め方が変わっていくのが面白い。

とにかく、軽薄そうに見えて実はいろんな「顔」が隠されていて、聴けば聴くほどにとても「一筋縄ではいかない音楽」であることはたしかである。

皆さん、閉ざされた精神を開放し空高く飛翔するためにもっとモーツァルトを聴こうではありませんか(笑)。



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「AXIOM80」を聴くのが初めてのお客様

2022年09月14日 | 独り言

夏の間ずっと低調だった(このブログへの)アクセスがここ2週間ほどで上り調子になってきた。

書いてる内容の方はいつも通りの「我田引水」調でパッとしないものの、これはいくらか凌ぎやすくなった気候のせいではあるまいかと勝手に推察している。

気候が良くなると体調とともに気分も良くなり、音楽でも聴こうかという余裕が生まれる、すると音質が気になってきて、オーディオにも関心が向くという感じ、かな。

そして、我が家にお見えになるお客さんも同様に活発になってくる。

つい先日のこと、「久しぶりですが午後からお邪魔していいでしょうか、新しい仲間が一人加わりますが」と、大分市在住のNさん。

真空管アンプビルダーとして日頃から大いにお世話になっている御仁であり、「ハイ、もちろん結構ですよ~」

我が家ではエース級に当たる「071シングル」「71Aシングル」を全面改造していただいた方である。

その作風を端的に言えば、土台からレンガを1個づつ緻密に積み上げていくような重厚なタイプで、仕事に寸分のミスも許さないという印象を受けている。

現役のころは新日鉄で設計のお仕事をされていたそうで、いつも紙に具体的な回路図を描いて丁寧に説明してくれるのだが、自分にはちんぷんかんぷんなのが残念(笑)。

それはさておき、新規のお客様がお見えになるとなれば、散らかし放題のオーディオルームを何とかしなければなるまい。

掃除も兼ねて応急的に隣の部屋へモノを運んだ。

このところ使っていないツィーター群、図書館から借りてきた20冊ほどの本、うずたかく積まれたCD群、空気清浄機、その他の小物類(リモコンなど)など枚挙に暇がないほど。

1時間ほどでようやく一段落してほっと一息。

室内が随分広々となって、音にも一段と磨きがかかりそう。

このまま、隣の部屋を「モノ置き場」にしたいほどだが、家内の柳眉を逆立てた顔を想像するだけで怖気づく(笑)。

そして、午後2時頃にお二人がお見えになった。Nさんともう一人はMさんという方で「はじめまして~、どうかよろしくお願いします」

かねがねNさんを通じてMさんの噂は伺っていて、大変ご熱心なオーディオ愛好家であることはわかっている。

主に聴かれるジャンルはジャズであり、何と「AXIOM80を聴くのは初めてです」と仰るではないか・・。

これまでにこのスピーカーを聴いたことがないなんて非常にもったいない時間を過ごされたことになる(笑)。

他のスピーカーがどんなに逆立ちしても絶対に出せっこない音を持っているんだからね。

ときどき専門雑誌などで他家のどんなに高価で凝ったシステムを拝見しても、動揺することがまったくないのはたいへんありがたい(笑)。

ただし、このユニットを上手く鳴らしているお宅は僭越ながらほんの数えるほどだと思っているが、はたして我が家が該当するかどうかは読者のご想像にお任せしよう(笑)。

あっ、そういえばこの「AXIOM80」(オリジナル)を容れている「板厚1.5cm」の箱を自作したときに、わざわざ加勢に来てくれたのがNさんだった。

板と板を接着材で貼り合わせる時に強く締める専用のベルトにはほんとうに重宝した。



SP台はご覧のとおりゴム製の滑車を浮かせて、3週間ほど前からしっかりとした木製のものを使っている。

ご持参されたCDが無かったので、いつも通り「ブルーレイ」からジャズを拾い聞きで、リモコンで次から次へ。



初めは名盤「エラ&ルイ」でサッチモの声が絶妙の響きでもって鳴り響き、Mさんが感嘆の声をあげられた。

「中音域が充実していて、まるで目の前でサッチモが歌っているようで思わず手に汗が滲んできました。」と、Mさん。

「AXIOM80が凄くうまく鳴っているとYさんから聞いてましたが、さすがですね。弦楽器とボーカルには絶対的な強みを発揮します」とNさん。

というわけで、終始絶賛のオンパレードでした。

こういうことを臆面もなく記述する筆者をどうか”はしたない”と思わないでくださいね、なにしろこれが現実なんですから~(笑)。

次は「ちあき なおみ」ちゃん。



「ブルーレイはリモコンで簡単に頭出しが出来るので便利ですねえ~、高いんでしょう?」

「いいえ~、安物のブルーレイですよ!」

高級機ならもっと音がいいのかもしれないが、今のところこれで十分かな。

そういえば、このところつとに評判の高いブルーレイ「DMR-ZR1」(パナソニック)について、先日お見えになった「Y」さんから「音もよさそうだし、機能も豊富だから、ぜひ買いましょうよ」と強く薦められている。

「ブルーレイ」の音には信頼感を置いているが、超高級機となるとメチャ高くて・・(笑)。

金持ちのYさんに先に買ってもらって、その性能を見極めたうえで我が家でも検討しようという調子のいい腹積もりだがはたしてどうなることやら。

それはさておき、今回の試聴会で使ったプリアンプは先週のYさんの時とは違って「安井式」だった。

これは「12AU7」を4本使ったアンプだが、いささかおとなしすぎるように感じたので、「μ=ミュー=増幅率」が少々高い「E80CC」を4本、内訳は「フィリップス」(オランダ)と「ヴァルボ」(ドイツ)を2本づつ使ったが(いずれも金足)、どうやら功を奏したようで鮮烈な音が迸り出た。

ご覧のとおり、通常のミニチュア管に比べるとプレートが大きいので情報量が多い気がしている。



大いに気に入ったので、しばらくこのプリアンプでいくとしよう。な~に、「E80CC」はうなるほど持っているので球切れへの不安はいっさいなし(笑)。



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オペラ「ドン・ジョバンニ」(フルトヴェングラー指揮)礼賛

2022年09月13日 | 音楽談義

いつぞやのブログで「フルトヴェングラー」について記事を投稿していたところ関東地方にお住まいの方から次のようなメールをいただいた。

「今回メールをしたのはフルトヴェングラーのことです。私はフルトヴェングラーを殆ど聴くことはありません。なぜ聴かないのか考えてみたのですが考えるまでもなく答えが出ました。

一つはフルトヴェングラーにはモーツァルトの録音が殆どないということです。レパートリーの大半がモーツァルトという私にはフルトヴェングラーの出る幕はないのです(ドン・ジョバンニはたまに聴きます)。

二つ目はベートーヴェン

ベートーヴェンは好きな作曲家ですが聴く分野はピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲なのでこれまたフルトヴェングラーの出る幕なし(ブライトクランク録音の「英雄」は愛聴盤です)

三つ目、これがもしかすると一番の理由かもしれませんが、フルトヴェングラーにはステレオ録音がないということです
私も一応有名なものは聴いてきましたが音質が悪いものが殆どなので再聴する気にはなりません。

以上三つの理由からフルトヴェングラーは私にとっては疎遠な指揮者となります。

しかし亡くなったのが1954年。あと数年生きていてくれたらステレオ録音のフルトヴェングラーが聴けたかと思うと残念ではあります。

宇野功芳氏に関しては拙ブログでも記事にしました。良くも悪くも音楽評論界に風穴をあけた方かと思います。」

お互いに無類のモーツァルト愛好家としての共通項のもと「フルトヴェングラー」の位置づけについては概ねそういうことだろうと共感を覚えた。

ベートーベンの音楽も「第6番 田園」を除いて他の交響曲はやたらに肩ひじ張っている感があり、いわば「尊大さとロマン」が同居していて鑑賞者の年齢が上がるとともに前者の色(印象)が濃くなり、そのうち鼻についてきて次第に後期の「ピアノソナタ」、「弦楽四重奏曲」に収斂していくのも非常によくわかる。

ただし、一点だけ気になったことがある。


以前のブログで「フルトヴェングラーにはモーツァルトの名演がない」と決めつけていたのだが、オペラ「ドン・ジョバンニ」の名演があったことをウッカリ忘れていた。

以下、モーツァルトのことになるとつい熱が入って、つい「上から目線」の物言いになりがちなのをはじめにお断りしておこう。

モーツァルトは35年の短い生涯において20作以上のオペラを作曲したが、後世になって「三大オペラ」と称されているのは製作順に「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」そして「魔笛」だ。

で、大好きな「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」はつばぜり合いをするほどの存在だが、この「ドン・ジョバンニ」ばかりは幾多の指揮者による演奏があるものの、録音状態は別にしていまだにフルトヴェングラーに優る演奏には出会えないでいる。

日本有数のモーツァルト通としての自負心から言わせてもらうと「ドン・ジョバンニ」は(モーツァルトの)音楽の中では極めて異質の存在である。

どこが異質かというと、普通の音楽鑑賞は「旋律」「ハーモニー」そして「リズム」などを愛でるものだが、この「ドン・ジョバンニ」に限っては「ドラマティック」な展開と「人間同士の愛憎」とが見事に一体化した音楽の表現力にこそ聴くべきものがあり、まさに人間の感情の動きにピッタリ寄り添った音楽といえよう。

モーツァルトは一見軽薄そうに見えて人間の微妙な気持ちを推し量る人生の達人だったことを改めて思い知らされるが、こういうオペラになるとフルトヴェングラーの芸風と実によくマッチして独壇場となる。

そこで、具体的な材料の提出。

             

A(左) ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮の「ドン・ジョバンニ」

演奏はいいけど録音があまり冴えない。記憶による自己採点では10点満点のうち演奏は9点、録音は6点というところか。

B(右) ヨーゼフ・クリップス指揮の「ドン・ジョバンニ」

演奏はAには及ばないが、録音ははるかに凌駕する。採点の方はこれまた記憶によって演奏が7点、録音は8点としよう。

以上、総合点はお互いに15点だがはたしてAとBのどちらの盤を優先すべきか、いわば「演奏をとるか、録音をとるか」というわけで、これは格好の実験材料である。

まあ、きわめて個人的な趣味の問題であることは論をまたないが、それでも世の中にはいまだに旧石器時代の産物にも等しい「SP盤」を愛聴されている方もおられることを私たちは忘れてはいけない。

昨日(12日)は陽射しも随分と和らぎ、海からの涼風奏でる絶好の音楽鑑賞日和のもとに改めてこの二作を聴き耽った。

当時とは鳴らしたシステムもまったく変わっているし、それに応じてこのオペラへの印象も変わるはず。

サブウーファー(ウェストミンスター:100ヘルツ以下)の威力がここぞとばかり発揮されるはずだ(笑)。


で、「ドン・ジョバンニ」の聴きどころといえば、人によってそれぞれだが自分の場合は「稀代の悪漢が放蕩の限りを尽くして最後は地獄に落ちていく」というストーリーだから、何よりも「デモーニッシュ」(人知を超えた悪魔的)な雰囲気を全編に湛えた演奏でなければいけない。

はじめに、クリップス指揮の盤から試聴。3枚組の盤だが1枚だけ聴くつもりがつい聴き惚れてしまい3枚とも連続して試聴。録音がとても良くてホールの奥行き感が何とも心地よい。

もちろん音楽の方もそれ以上に素晴らしい。ある意味では魔笛を上回るかもしれない出来栄えで、年齢がいくにつれてその感を深くするが、やっぱりこれは空前絶後のオペラだよなあと納得。


次に、フルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」を。1950年代初頭の「ザルツブルグ音楽祭」のライブ盤でモノラル録音である。

聴いているうちに心が激しく揺さぶられ思わず目頭が熱くなってしまった。これまた素晴らしい!

これこそが理想とすべき「ドン・ジョバンニ」だろう。しかも、むしろ録音の悪さがデモーニッシュな雰囲気を醸し出しているかのようでまったく気にならない。

両盤ともにドン・ジョバンニを演ずる歌手は極めつけの「チェザーレ・シエピ」(バス・バリトン:バスに近いバリトン)なのに、フルトヴェングラー盤の悪びれない堂々とした歌いっぷり(悪漢振り)はどうしたことだろう。

スタジオ録音盤とライブ盤との迫力の差も如何ともしがたいようで、このオペラに限っては歌手たちの燃え上がる情熱と生命力のもと、一発勝負のなりふり構わないライブに限る。

それにしてもフルトヴェングラーは滅茶苦茶ライブに強い。

で、結論になるがそりゃあオーディオマニアなんだから音質がいいに越したことはないが、演奏が気に入りさえすれば録音なんていっさいお構いなしの心境へ落ち着いた。

とはいえ、こういうケースは極めて稀で今のところ「この盤だけ」ですけどねえ(笑)。



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