「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

学力日本一「弱小県」福井の不思議

2015年08月30日 | 独り言

テレビでは連日、いろんな催しの放映が非常に多いがそういうときのインタビュー取材に応じる子供たちがいずれも物怖じしない態度でハキハキと答えていることにいつも驚かされる。一昔前の団塊の世代が育った頃に比べると、随分違うのでおそらく2~3年ほど進歩の差がありそうな気がする。

つまり昔の小学校六年生時の学力と今の小学三~四年生時ぐらいが匹敵かも?

先生の目が行き届やすい小人数学級の効果、それにパソコンなど先進教材の積極的な活用などが原因だろうが、日本の将来からするととてもいいことに違いない。

文部科学省はこの8月25日、今年(2015年)4月に実施した全国学力テストの結果を各県別に発表した。

《全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)》の概要

小学校6年と中学校3年を対象に今年4月に実施。国公私立の小中学校計約3万300校、児童生徒約210万人が参加した。基礎知識をみる「A問題」と、応用力をみる「B問題」に分けた国語と算数・数学に理科を加えた計3教科10科目で実施された。児童生徒へのアンケートで学習環境や生活習慣も調べる。 

上位県の中で目立つのが何といっても福井県と秋田県。こういう言い方は失礼だが両県とも地方の弱小県に過ぎない。もちろん我が大分県もそれに輪をかけたような弱小県だが(笑)。

それにしても多人数との競争の中で揉まれ、かつ豊かな文化程度に恵まれている筈の「都会っ子」が「田舎っ子」に学力の面で後れを取るのはなぜ?

こういう素朴な疑問について、実は今から8年前の2007年の当ブログでも、当時学力日本一を達成した「福井県」についてその理由を記事にしていた。折角なので再掲させてもらおう。
 

通販専門の月刊誌「選択」12月号に「学力日本一、弱小県福井の不思議」という記事が掲載されていた。副題に~まともな環境が育む「学力日本一」~とある。そのまともな環境とはどういう内容か覗いて見よう。

文部科学省が10月末に発表した「全国学力・学習状況調査」(本年4月実施)の結果は多くの教育関係者に意外な事実を告げた。

対象の小学6年生、中学3年生を合わせた正答率の総合成績で福井県が都道府県別全国トップとなったのである。

大学の数は少なく、受験重視の私学も少ない人口80万人足らずの弱小県である。同県の教育委員会でさえも「何も特別のことはしているわけではないのに」と不思議がる。この学力検査だけで、各自治体の教育成績を正確に評価できないことは無論である。福井県自体が成績の序列化には警戒的な態度を示している。

しかし、文部科学省が学力テストと同時に実施した「生活習慣調査」を合わせて見ると、そこには地域社会環境と学力の間の無視できない因果関係が浮かび上がってくる。

まずこの「生活習慣調査」を通じて「早寝早起きが得意で朝食もしっかり食べる福井っ子」の姿が見えてくる。というのは「毎日朝食を食べる」」「午前7時前の起床」「午後10時前の就寝」はいずれも全国平均を上回っている。

さらに福井県には特徴的なデータがある。携帯電話を持たない小学6年、中学3年ともに全国平均を大きく上回る。

こうしたデータと成績を短絡的に結びつけるのは危険だが、福井の子どもたちは友達との接触もジカ接触が多く生活リズムが安定した環境にあるといえる。

経済的要因も無視できない。就学援助を受けている子どもの多い学校ほど平均正答率が低いが、福井では同学校の割合が全国平均の半分以下。

しかも、夫婦の共働き世帯割合は全国第一位で、一世帯あたりの貯蓄残高は全国三位、失業率は全国最低、大きな住宅が多い傾向にあり、大家族主義で三世代同居率は全国二位。

共働きが出来る背景に祖父母の子育てへの協力が伺える。放課後子どもの勉強をみたり、学校行事に参加する祖父母の姿は家族の絆(きずな)、地域社会の絆を髣髴(ほうふつ)とさせる光景だ。

一方で、福井県の子ども達は恵まれた環境の中でよく勉強をしているかというと実際はその逆である。課外学習時間は全国平均以下で学習塾へ通う割合も低い。その分、「勉強は学校で」と公教育の比重が大きいのが福井県の特色。

中学3年生は毎日午前7時50分から30分間のセミナー、放課後に補習。夏休みにはどっさり宿題が出され「学校の勉強さえしていれば大丈夫」との教師の話の一方で、塾に通う生徒からは「両立は大変」との声も聞こえてくる。塾があるから宿題をなるべく出さないようにしている都会の学校とは大違い。

福井県政の柱「未来を託す人づくり」のもとで、一般会計に占める教育費の割合は伸び続け、小学生1人あたりの教育費は全国平均を19%弱上回っている。

教員の資質も今回の好成績と無関係ではない。2008年度採用教員試験の倍率は12.6倍で、教職を「最高の仕事」と考え子弟の進路を早くから公立学校教員に定めている家庭が少なくない。

さらにボランティア活動にも熱心で「行動者率」全国四位、登下校時の見守りなど「子どもを対象とした活動」は全国一位。

大雪の冬が長く、土地も山がちで生産性が低いうえに、戦後、繊維産業から転業を強いられた結果、特殊技術を持つ中小企業の創意工夫、独立独歩の企業風土の中で福井県は人口10万人あたりの社長輩出率は全国トップである。

皆が勉強し、コツコツ働くという弱小県ならではの必要性が「勤勉・好学」の風習を培い現代の教育風土にも影響を与えている可能性が高い。これが学力日本一の大きな要因。

しかし、モノゴトは光が当たれば影ができるもの。
たとえば、小中学生の成績がいわゆる難易度の高い大学への受験成績に結びついていない、さらに気になるのは全国調査で「将来の夢や希望を持っている」小6児童が全国平均を下回っていること。

祖父母世代や親たちがつくってきた恵まれた環境が、逆に子どもたちにどこか「受け身の姿勢」にしているのかもしれないと結んであった。

とまあ、以上のような内容だったが、福井県は当時から8年経っても堂々と学力上位県にランクしているのだから恐れ入る。好成績がけっして“フロック”ではないし、付け焼刃式に学力が向上しているわけではないことが分かる。

子供の学力は家庭環境や地域の風土に大いに左右されるが、地方と都会のいいところをさらにミックスさせていけば日本はもっとバランスの取れた発展が出来そうな気がする~。


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「小澤征爾 指揮者を語る」を読んで

2015年08月27日 | 読書コーナー

日本人というハンディを乗り越えて、今や世界的な指揮者になった小澤征爾さん(1935年生まれ)。

その出自をごく簡単に紐解くと、中国の奉天(当時、満州)生まれで父親は「小澤開作」といって歯科医師であり、民族主義者として「満州国協和会」創設者の一人だった。

今や完全に死語となった「大東亜共栄圏」「五族協和」という錦の御旗のもとに展開された満州事変(1931年)の首謀者とされ、当時陸軍(関東軍)の高級参謀だった「板垣征四郎」と「石原莞爾」との親密な交流を通じて両者の名前から1字づつとって「征爾」と命名された。

「大東亜共栄圏」構想の背景には「白色人種は結局、黄色人種を受け入れてくれない」という思想が根底にあったが、はたして現在はどうなんだろう?

ちなみに「五族協和」の五族とは日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人をいうが、もし石原莞爾さんがご存命だったら現在の五族融和の状況についてどういうご感想を洩らされるだろうか。

余談はさておき、小澤さんが指揮した演奏をいくつか聴いたことがあるが正直言って「この曲は小澤さんでなければ聴けない」という極めつけの演奏に一度も接したことがないのが残念。おそらく自分の鑑賞力が未熟なせいだろうが何といっても同胞の一員としてもっと理解を深めたいところ。

そういう中、先日図書館でたまたま小澤征爾さんの本をみかけたのでこれ幸いとばかりに借りてきて目を通してみた。

                     

さすがにベテラン指揮者だけあって参考になりそうなことが沢山書かれていた。図書の返却期限が明日(28日)に迫っているので、このまま返してしまうのはもったいない気がしてせめてポイントだけでも記憶に留めておこうと箇条書きに整理してみた。

☆ クラシック音楽における東洋人の位置づけ(79頁)

デヴュー当時にドイツの有名な批評家から「(東洋人なのに)あんた、ほんとうにバッハなんかわかるの?」と、随分失礼なことを聞かれた小澤さん。これに関して恩師の斎藤秀雄さんがこういうことを言ってた。(要旨)

「ドイツで生まれ、ドイツで育った人はドイツ音楽の伝統を知っている。フランス人もイタリア人も同様だ。けれどもお前たちは真っ白だ。でも真っ白っていうことは、案外いいことかもしれない。うんと勉強してその真っ白の中に自分の経験を加えていけるから。

ドイツ人がフランスのものをやろうとすると伝統が邪魔してよくできないとか、イタリア人がドイツものをやろうとするとイタリアの伝統が邪魔になる事があるかもしれない。歴史があったり伝統があるとそれがかえって重荷になるかもしれないので、良い伝統と悪い伝統、それをよく見極めろ。」

☆ 指揮台に立ったとき、ふっと手を動かし、みんなが信頼してついてくる指揮者になるためにはどうすればいいのでしょうか?(115頁)

「深く作曲家のその曲を研究してみんなが納得するようなところでエリアをつくってポンと前へ出すと、ついてきますね。それとこんなことがあるんですよ。歌は必ず、息をとらなきゃ歌えない。

音楽の根源は人間の声から始まったと我々は思っているわけ。それから楽器は声の代わりに音楽をつくってきた。だんだんとそれが、声ではとても出ない高い音や低い音をヴァイオリンとかで出せるようになった。

だけど音楽の根源は声だとすると、息を吸うことは絶対必要で管楽器は息を吸わなければいけないけど、ヴァイオリンなどの弦楽器は息を吸わなくても弾ける。しかし、そこのところで、息をみんなにうまく吸ってもらう指揮者もいて、それがいい指揮者だと言われる。

いわば“インバイト”をするんだね。~中略~。カラヤン先生の弟子をしていた頃にはっきりと「インバイトだぞ、指揮は」と仰っていた。歌手とオーケストラの息が合う、そういうことができる指揮者になれたら一番いいんじゃないかと僕は思っている。要するに無理に押し付けないってことで。」

☆ 最後に百年後の皆さんへ(150頁)

「100年前の人たちは僕らが生きている今のことを、どう思っていたのかって考えてみると、こんな変化を想像しなかったと思う。飛行機が出来たり、コンピューターが出来たり、文明は驚くほど変わっているわけで。

そう思うとこれから100年後もうんと違うと思うんです。

そこで二つだけ変わってほしいことがある。100年前の人は100年たったら戦争がもうなくなっているだろうと思っていたと思う、悲惨なときに。けど、まだ戦争はなくなっていない。その戦争のことは、もうほんとに人間の頭の良さを使ってなくしたらいいと思う。

それともう一つは世界はすごく近くなってきている。どこに誰が住んでいるかがわかって、どれくらい貧乏な人がいるかとか、どんな人たちがどこそこにいるとか。

人種問題なんかも含めて、100年後のみなさんには、是非そういうことを解決してほしい。世界が、地球が小さくなったなあと思えるように。みんながわかり合っている地球になってもらいたいと思います。

そしたらいいなあ・・・と、そういうみなさんで、いていただきたいと思います。」
 


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「AXIOM80愛好家三人組の例会」~第4回~

2015年08月25日 | オーディオ談義

およそ1か月に1回のペースで開催している標記の例会だが、早いものでもう4回目を迎えた。

「グッドマンのAXIOM80って何?」という少数派の悲哀をかこつ中、せめて同好の士が集まって「お互いに励まし合おう」、「この気難しいユニットをもっと上手く鳴らすノウハウを探ろう」という趣旨で始めたものだが、それぞれに所有する機器がCD機器からプリアンプ、パワーアンプまで何から何まで違うことから、(同じユニットなのに)出てくる音も千差万別で実践的な研究の場としてこれ以上のものはないようで、これは3名ともまったく同じ気持ちだと思う。

そして開催するたびに何かしら新しい発見があるのでいつも胸がワクワクする。

もちろん、そこはオーディオマニアの常で、ある程度の競争意識が底流に横たわっているのは言うまでもない。お互いに切磋琢磨する中で少しでも抜きん出てビックリするような音を出して驚かしてやろうという山っ気がまったく無いと言ったらウソになる。少なくとも自分の場合はそう(笑)。

今回はKさん宅(福岡)での開催なので焦点は豊富な古典管を使った真空管アンプの豪勢な競演がハイライトである。Kさんのシステムの持ち味は1920年代製造の名管が続々と登場するところにあるのだから真空管マニアにはこたえられない。

オーディオマニアのなかには極めて耳がよく、音にもうるさい方をよく見かけるが、1920年代前後の古典管の研究をされていない方が意外に多いことに気付かされる。この年代は「いい音がする真空管の宝庫」なのに実に勿体ない・・・。

「WE300Bを使ってさえいれば大丈夫」という盲信と風潮がその原因だと秘かに睨んでいるのだが、一方では古典管の真価を知らない方が多い分、オークションでの値が上がらないので大いに助かる面もあって当方としてはむしろ現状維持のままの方がヨロシ。

ま、ひところの自分がそうだったのであまり偉そうなことは言えないのだが(笑)。           

          

Kさん愛用の真空管アンプはたしか10台以上と伺っているがいずれも1920年代~40年代の古典管を使ったものばかり。

たとえば画像の「AXIOM80」の上に何気なしに載っているアンプは「2A3シングル」だが、その2A3は「一枚プレート」もので現在のオークション相場ではペアで15万円ほどもする稀少管。

それなのに1か月に1度ほどの出番だそうで勿体ない限り。「歳がいくと2A3の出番がきっと多くなるはずです。」と、仰るKさんだが、控え目で奥床しい鳴り方をする「2A3」の真価は知る人ぞ知る。

今回聴かせていただいたアンプは「50シングル」「VT52シングル」「VT25シングル」の3台で、これらを「AXIOM80」とラウザーの「PM-6」の2系統のSPユニットと組み合わせての試聴だった。

            

最初に聴かせていただいたのは「50シングル」と「AXIOM80」との組み合わせだったが、途中から50(ST管)を250(ナス管)に替えたとたんに音の彫が深くなって歴然とした差が出てくる。「やっぱり真空管はナス管に限りますなあ」と一同慨嘆したことだった。

多くの古典管は最初はナス型で製造され、人気が出るにつれて哀しいことに大量生産向きのST型へと変遷していく。製造する手間のかけ方が違うので同じ型番の場合、音質面でST型がナス型を凌駕することはあり得ないのも頷ける。

次に聴かせていただいたのは「VT52シングル」と「PM-6」の組み合わせだが、とても16センチ口径のユニットとは思えないような朗々たる音が鳴り響いた。

250アンプとAXIOM80の組み合わせの時もそうだったが、アンプが完全にスピーカーをコントロール下においている感があって実に小気味よい歯切れのいい低音が躍動する。

Kさん持論の「低音は量ではなくスピード感を楽しむ」を地でいっていて、我が家ではとても出せそうにない音。

ふと、同じ「AXIOM80」を愛好する者同士でありながら、(根っこは一緒だとしても)それぞれの音に求める個性は違っていて「三者三様だなあ」という思いに囚われた。

Kさんは何といっても音のスピード感重視派、Sさんは高音域方向へ伸びる倍音をとても大事にされる方、そして自分はといえば丁度両者の中間という位置づけかもねえ(笑)。

「VT52」アンプの次に「VT25」アンプを聴かせてもらったが、ようやく自分が大好きなレイセオン「210」(VT25同等管)のご登場。

              

1920年代当時の真空管は画像のとおりとても大きな箱の中に何重もの綿にくるまれて梱包されている。今どきこんな丁寧な梱包は見たことがないが、いかに当時の真空管が貴重品だったかが伺われる。

「210」の音は自分がこれまでいろいろ聴かせてもらった古典管の中ではベストの存在だと思うが、この球のアンプを持っていないとは何たるオーディオ人生の皮肉かと憾みたくなるが、オーディオの世界では常に夢と憧れの存在としての「青い鳥」が必要な気もするところ。この辺は分かる人には分かるはず(笑)。

ここでようやく持参したCD盤「魔笛」(サヴァリッシュ指揮)を聴かせてもらった。エンディングに近い有名な「パパパ」の部分である。魔笛を好まれる方は、まずいないので「10分間の辛抱ですから~」と、恐縮しながらの申し出だった。

部屋全体がまるで登場人物が舞台上を元気に飛び回っているかのような躍動感に包まれたのには驚いた。

「アレッ、魔笛ってもっと敷居が高いオペラかと思ってましたが結構親しみやすいんですね!」とKさん。

「そうなんですよ~。軽妙洒脱で非常に美しいメロディがぎっしり詰まったオペラですが、食わず嫌いの方が多いみたいです。」と、自分。

いい音を聴かされると時計の針の回りが早い。5時間ほどの試聴を終えて辞去することにしたが、我が家のシステムとの違い、今後の展望などに思いを馳せながらの道中だったので退屈しなかった。途中で覆面パトに捕まった車を2台見かけたが(スピード取締りの)車種がチェックできたので思わぬ収穫(笑)。

翌日(23日)になってKさんに昨日の試聴の謝辞を述べたところ「いやあ、大発見でした。魔笛があんなに親しみやすいオペラとは想像してませんでした。実を言いますと、オペラといえばついイタリアオペラを連想してしまい、どうもあの仰々しさがイマイチでした。テナーのペーター・シュライヤーは大好きな歌手でCD盤を探しているところでしたよ。」

「いやあ、それはうれしいですね。魔笛にはモーツァルトの音楽のすべてが詰まっています。次回の例会は我が家で開催(9月中旬予定)ですのでその際に魔笛をお貸ししましょう。シュライヤーは、サヴァリッシュ盤以外にもデービス盤、ズイトナー盤に登場しているはずです。」

もともと9年前に始めたこのブログは「魔笛」ファンを一人でも増やすことが目的だったのだから大願成就に向けて一歩前進~(笑)。


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代わりに送られてきたCDトランスポート

2015年08月22日 | オーディオ談義

前々回のブログでトレイの開閉の不調などを訴えていたCDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」だが、とうとう我慢できなくなって、この17日(月)に購入先の東京のオーディオ・ショップに修繕を依頼した。

そして、修理期間中の代わりとして貸与してくれたCDトランスポートがようやく昨日(金)になって到着。

どういう機種が送られてくるか、興味津々だったがそっくり同じ機種だったのでほっと一息。これで余計な出費(悩み)をしなくて済みそう(笑)。

前回は豪勢な専用トランクに梱包されて送ってきたが今回は普通の段ボール箱だったのが唯一の違い。

             

同梱されていた取説によると、取扱い先が「大場商事」から「タイムロード」に変更されたのも違いといえば違い。

さっそく接続コード類を繋いで試験的に操作してみたが気になっていたトレイもスムーズに開閉してひと安心。

さっそくCDを聴いてみた。サヴァリッシュ指揮の「魔笛」でここ2週間あまり、一日に一度の割合で違う指揮者による魔笛を聴き耽っていたので「魔笛に飢えていた」というのが実状。

        

つくづく思うのだがこれほどの名曲になると指揮者の違いはごくわずかでそれぞれにいいところがあって、自分ごときがいいの、悪いのなんて言うのは「僭越の極み」かもしれない。

ただし歌手となると様相が異なってくる。

魔笛には少なくとも5名の主要な歌手を揃えるのが必要だ。

男声

バス(人間の出せる最低音) → 「高僧ザラストロ」 バリトン(中音) → 「道化役パパゲーノ」 テノール(最も高い声) → 「王子役タミーノ」 

女声 

ソプラノ(高音) → 「王女役 パミーナ」  ハイ・ソプラノ(コロラツゥーラ) → 「夜の女王」

魔笛の最終的な出来具合の鍵を握っているのは、これら5名の歌手たちだが全員粒よりを揃えるとなるとちょっと不可能でどうしても優劣の差が出てくる。古今東西、「魔笛」に決定的な演奏がないと言われているのも“むべなるかな”。

そういう中で、このサヴァリッシュ盤の顔触れは比較的よくそろっている。

ザラストロ役に「クルト・モル」、パパゲーノ役に「ウォルター・ベリー」、テノール役に「ペーター・シュライヤー」、パミーナ役に「アンジェリーナ・ローテンベルガー」、夜の女王役に「エッダ・モーザー」

男声軍(3名)の布陣は超一流でベストと言っていいが、ちょっと女声陣(2名)が超一流までにはいかないのが残念。

もし、パミーナ役に「エディト・マチス」や「バーバラ・ボニー」そして夜の女王役に「エディタ・グルヴェローヴァ」が参画していたらこのサヴァリッシュ盤は永遠不滅の名盤として魔笛の世界に君臨していたものをと、非常に惜しまれる。

さて、今日(土)は待ちに待った「AXIOM80愛好家3名による例会」の開催日。開催場所は3名の持ち回りなので今回はKさん宅(福岡)。幸いお天気も良さそうだし、ひとつ、高速をぶっ飛ばしていくとするか~。

試聴盤には、このサヴァリッシュ盤を持って行くとしよう。

じっくり聴かせてもらいながら「魔笛の世界に没入できるか否か、それが問題だ」(笑)。


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「夏の風物詩~二題」

2015年08月21日 | 独り言

ここ一週間あまり、みるみる涼しくなって朝な夕なに秋の気配が漂ってきた。

今年の夏もどうやら峠を越した模様だが、惜別の思いを込めて(?)「夏の風物詩~二題」を挙げてみよう。

☆ 甲子園の高校野球

今年は100周年記念ということでひときわ注目を浴びた甲子園球場。開会初日から暇さえあればテレビにかじりつく毎日だったが、結局順調に勝ち進んで決勝まで進出したのは下馬評通りの実力校だった。実力伯仲で見ごたえのある試合だったが最後は球運が支配した。

それはいいとして実を言うと、オーディオ的にも愉しませてもらった甲子園だった。「オーディオ」と「甲子園」といったいどういう関係があるのか、その理由を述べてみよう。

現在、我が家には「プリアンプ」が3台、パワーアンプが7台あって、これらを勝手に組み合わせて、ああでもない、こうでもないといつも相性探しをやっている。いわば、“音遊び”だが「人間の脳はとかくマンネリを嫌う」のが根底にある要因かもしれない。

組み合わせるスピーカーも2系統あるので、まずもって退屈することはないが現在落ち着いている組み合わせは次の通り。

1 グッドマン「AXIOM301」ユニット(ウェストミンスターの箱入り)

クレルのプリアンプ「PAM-5」 → 「71Aプッシュプル」アンプ

ユニットを容れている箱が大きいだけに、中低音がボワ~ンと膨らまないようにしている。スピード感の喪失と同時に中高音域の透明度にも大きく影響してくる。したがって、WE300BやPX25などの高出力アンプは除外。となると、自ずから質感と量感の両者のバランスが取れた小出力の「71Aプッシュプル」が残った。

2 「フィリップス」ユニット(口径30センチ、グッドマンの指定箱入り)

真空管式プリアンプ → 「PX-25シングル」

フィリップスは中高音域に独特の音づくりがしてあり、全体的にバランスがハイ上がりとなってキャンキャンと鳴る傾向にあるので、アンプ選びには細心の注意が要る。1920年代の真空管がベストだが、WE300BやPX25なども遊ばせておくわけにはいかない。

どちらでもいいが、WE300Bの1950年代製は「勿体ない感」が先に立って、気になって仕方がない。何しろ生来の貧乏性なんだから~(笑)。

そこでスペア管を7本持っているPX25のご登場だが、面白いことに「AXIOM80」の時にはあれほどの威力を発揮した「PP5/400」がフィリップス相手ではどうも冴えない。「PX25」の方が聴きやすく、この辺は組み合わせの妙味としかいいようがない。

そして、お待たせしたがようやく本題に入ろう。

これらのアンプ群をいろいろ組み合わせているときの試聴用のソースは何と「甲子園の実況中継」なのである!

ちなみに我が家のシステムはテレビの音もデジタルケーブル(トスリンク)で接続して、CDと同様に聴けるようにしている。

甲子園球場の広大なスタンドの“歓声とざわめき”が試聴用にはもってこいで、まずもって全体的な“ざわめき”の拡がり具合が「情報量」の多い少ないの目安となるし、大歓声時の一つ一つの声の分解能やスタンドからの遠近感も音の良否のいい判断材料となる。

前回のブログでも述べたようにCDトランスポートがこのところ不調なだけに実にタイミングよく(実況中継)が役立ってくれたのはほんとうにありがたかった。したがって昨日(20日)で高校野球が終わってしまったのは淋しい限り~(笑)。

2 
カボスの収穫

大分県特産のカボスがようやく収穫の時期となった。(収穫の)最盛期は9月以降とされているが、8月に採取されたもののほうが香りが豊かで味わい深いのは地元ならだれでも知っている。本来は「生酢」だから用途はいろいろあって、料理からアルコールまでさまざま。

自分は専らアルコール用で
冬から初夏にかけての晩酌は主にウィスキーだが、8月~11月は芋焼酎の水割りにカボスを垂らし込むのが慣例となっている。まさに夏の風物詩~。

         

我が家の猫の額ほどの庭には、“種あり”と“種無し”のカボスの木が2本あり、毎日どちらかをもぎ取って賞味しているが、運動ジムから戻って夕食前のひと時、チビリチビリとやりながら音楽に聴き耽るのは至上の幸せといっていい。

同じ思いを味わってもらおうと、例年この時期になると日頃お世話になっている方々に特産カボスの知名度向上を兼ねてご賞味していただいている。今年も昨日(20日)カボスを発送したが、北は青森県から千葉県、奈良県宛てだが九州管内の方々にはカボスなんて珍しくもなんともないので送らないことにしている(笑)。

最後に豆知識を一つ。

<カボスの語源>

皮を刻んで「蚊いぶし」に用いたことから「蚊いぶし」がなまって「カブス」になり、カボスはその音転である説が一般的である。
 


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「That’S CDーR」の撤退

2015年08月18日 | 独り言

つい先日のこと、メル友のMさん(奈良)から「That’S CDーR撤退」というニュースが飛び込んできた。

「電子部品メーカーの太陽誘電(東京都台東区)は6月11日、CD-R、DVD-R、BD-Rなどの光記録メディア事業から撤退することを発表した。

同社は、1988年にCD-Rを世界で初めて開発したことで知られる老舗メーカー。日本製にこだわり「That's」のブランド名で高品質な光記録メディアを展開してきた。

プレスリリースの中で、同社は知名度の高かった光記録メディア事業から撤退する理由を“想定を超える市場規模の縮小”などと、説明している。」とのこと。

CDの売れ行きが年々落ち込んでおり、まるで目を覆わんばかりの惨状なので「CD-R」への波及は必然の成り行きだとは思うが「That’s」の撤退とは淋しい限り。

「CD-Rを購入するときは開発者に敬意を表して太陽誘電の製品にしましょうね」と、Mさんと申し合わせていたほどで随分お世話になった。取り分け、通常のCD-Rと比べてお値段が10倍以上もするマスター用のCD-Rはメチャ音が良くていつもここぞというときの出番だった。

             

個人と家族で楽しむ分には、CDコピーは法律違反にならないので気兼ねなくやっているが、「That’s」の撤退となると、早晩他のメーカーも追随となりそうなので今のうちに買い溜めしておく必要がありそうだ。

とはいっても、「これからの時代はPCオーディオの時代だ!CD-Rなんかもう要らない」という声が外野席から聞えてきそうだが、実はこのPCオーディオというのが自分にとってはどうもイマイチなのである。

今年の春先に一念発起してUSBやパソコンが接続できるDAコンバーターを購入したのだが、その活用となるとどうも今一つ気が乗らない。その理由を挙げてみよう。

 「曲目の頭出し」に手間がかかってイライラしてくる。そう、歳を取ると気ぜわしくなるのである(笑)。

 たしかに音がいいのは間違いないが、CDと比べて段違いというほどでもない。たとえば真空管でいえば古典管と近代管を挿しかえたときほどの明瞭な音質の差はない。

 既存の手持ちのCD(CD-R)はすべてお気に入りのライブラリーなのでこれらを活用しない手はない。オペラ「魔笛」は48セット持っているが、これらをパソコンやUSBに移し替えると考えただけでウンザリして来る。それもメチャ音が良くなるのなら手間のかけようもあるが、前述どおりそれほどの差もないし、いざ聴くとなると探すのに手間がかかるとくればそれほどのメリットもない。

というわけで、我が家においては従来どおり「CDトランスポート」は必需品となっている。

         

ところがである。

現在使っている「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS)は昨年(2014年)春に中古を購入したものだが、今年の梅雨の時期辺りからトレイの開け閉めがどうも思わしくない。リモコンのスイッチを押してもときどき反応しなくなるので困っている。

知人によると、トレイの開閉のトラブルは9割方ベルトに原因があるとのことだが素人がこんな精密機器を分解すると取り返しのつかない恐れがあるので専門家に委ねることにして、購入先のショップ(東京)にメールで問い合わせたところ「ちゃんと修理先を確保してますのでご心配要りません。CDトランスポートの代替機器を送付しますので折り返し返送してください。」と、快諾。

20年以上もの付き合いになる大きなショップだが、こういうときに(無償で)代替機器が活用できるのは非常にありがたい。やっぱり「寄らば大樹の陰」である(笑)。

しかし、そういえば・・・。

昨年、ワディアのCDトランスポート「270」を修理に出して、代わりに送ってもらったのが現在使っている「ヴェルディ・ラ・スカラ」だった。両者を比較試聴してみると音質に段違いの差があって、結局、後者を留め置き、修繕完了後の「ワディア270」を未練気なくオークションで売り捌いた記憶が蘇った。

ちなみに、そのときこのショップが申し出た下取り額は15万円、そしてオークションでの落札額は33万円!

それはともかく今回の代替機器が「ヴェルディ・ラ・スカラ」よりも上質だったらどうしよう?

どうか「並みのCDトランスポート」がやって来ますように~(笑)。


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聴覚と味覚の共通点

2015年08月13日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

フィリップスのSPユニットが我が家の真空管アンプでうまく鳴ってくれて、お客さんのKさん(福岡)も一緒に喜んでくれたが、次にKさん持参のアンプに切り替えて聴いてみた。

      

この「VT25」(ウェスタン)シングルアンプは、以前、Kさん宅でラウザーの「PM6」をたっぷりと音量豊かに鳴らしていたので、たっての願いで持参してもらったもの。トランス類も大きくて持ち運びが大変だが、そこは仲間のよしみで無理をさせてもらった(笑)。

電源コード、RCAコードやSPコードなどの結線も無事済んで、音が鳴り始めたとたんにビックリ仰天!

これまで楚々とした可憐な鳴りっぷり、喩えて言えばヨーロッパの上流社会の貴婦人の佇まいを思わせる音だったものが、いきなりアメリカのとても元気のいいグラマラスな女性に変身したかのようだった。部屋中いっぱいに力強く豪快な音が鳴り響いた。

「スピーカーはアンプ次第でどのようにも変身するもんですね~。我が家にもこういうアンプが1台欲しいなあ。」と、まるで子供が気に入ったおもちゃを欲しがるような物言い(笑)。

Kさんは「フルレンジでこの音ですから立派なもんです。3ウェイシステムなんて目じゃないですよ~」と言いながら、追い討ちをかけるようにバッグの中から次から次に同種の球を取り出した。

RCAの210(VT25同等管:トリタン仕様)、レイセオンの4ピラー「210」、フランス製のVT25同等管。いずれも1920年代~1930年代の古典管である。

ちなみにKさんに言わせると古典管と近代管の境目は1940年というから恐れ入る。自分の基準は1970年なんだから、感覚がまるで違う(笑)。

次から次に球を挿しかえての「球転がし」それも、稀少管ばかりだから真空管マニアにとってはまるで天国のようなひと時だった。そして、ひときわ「いい音」だと思ったのがフランス製の球。

「フランス人はファッションと料理ばかりにうるさいと思ってましたが、音にもなかなか拘るもんですなあ。これほどの真空管を作る技術があるとは驚きました。」

「フランス人はやっぱりセンスがいいですね。刻印入りの2A3なんかは、一枚プレートを別にしてアメリカ製を軽く凌駕していますよ。味覚は聴覚と相通じるものがありまして、ほら、日頃から塩辛い味に馴れた人が正常な料理を口にすると物足りないと思うでしょう。聴覚も同じで、いつも低音をドスン、ドスンと鳴らして聴き慣れている人がAXIOM80みたいな音を聴くと物足りないと思うのと一緒ですよ。」

「成る程、それでわかりました。我が家にお見えになるお客さんは、これまでの経験上、音が気に入る人と気に入らない人がおよそ半々の確率なんですが、気に入らない人は日常聴き慣れている音と比べてあまりの違いに違和感の方が先に立ってしまうんですね。」

「半々の確率なら上等ですよ。世の中には舌が正常でなくてほんとうの味が分からない人が意外に多いみたいですよ。」

「そもそも門外漢に我が家の音を理解してもらおうなんて発想が間違いなんですね~」

どうやら「馬を水際まで連れて行くことは出来るが、水を飲ませることは出来ない」(英語のことわざ)と相通じるものがあるようでして~(笑)。

それやこれやで、試聴もいよいよ佳境に入って、次に「AXIOM301」(タンノイ・ウェストミンスターの箱入り)に移った。

これはフィリップスのユニットと比べて一筋縄ではいかなかった。

アンプをWE300Bシングル、PX25シングル、2A3(刻印入り)シングル、71Aシングルと、とっかえひっかえして「アンプ転がし」をやってみた。

さらに、これらに組み合わせるプリアンプが3台入り乱れるのだから、その乱戦模様は推して知るべし(笑)。

プリアンプは、「真空管プリ」、「トランス式アッテネーター」(カンノ)、そしてクレルの「PAM-5」(TR式)。

いつぞやのブログで触れた「PAM-5」は、この6月のオークションで望外の安値で手に入れたものの使い出してものの2週間もしないうちに、ガサゴソとノイズが発生して修理に出さざるを得ない破目に陥った。

梅雨の湿気ということもあるだろうし、別府温泉特有の大気中に撒き散らされる噴気のせいもあるかもしれない。別府はとかく電気機器の故障が多いのは周知の事実。

それはともかく、とうとうコンデンサーを20個も交換して目の玉が飛び出るような修繕代がかかってしまい、安値の積もりが結局高値になってしまってガックリ。ま、いっか、家内にはくれぐれも内緒~(笑)。

         

しかし、この「PAM-5」が今回は名誉挽回とばかりに大活躍だった。さすがはクレル!

「これまでいろんなお宅でAXIOM301を聴いてきましたが、ここの音がベストですよ。あまりいい評判を聞かないAXIOM301ですが、ここまで鳴ってくれれば立派なものです。これならもうツィーター(高音用)は必要ありませんよ。」

「もともとAXIOM301は発売当時、トレバックス(グッドマン)というツィーター付きでのセット販売でしたが、必要ありませんかね?」

「ええ、当時はトランジスターアンプの時代でしたからツィーターをつけざるを得なかったのでしょう。そもそもフルレンジの場合、真空管アンプで澄み切った中高音が出せればツィーターの必要性を感じないものです。ツィーターが欲しくなるときはアンプに原因がありますよ。」

結局、「AXIOM301」のベストの組み合わせはプリアンプが「PAM-5」、パワーアンプが「71Aシングル2号機」に落ち着いた。

今回の試聴会も「真空管オーディオ」の奥深さを実感した一日となった。

これまで50年近くにわたってオーディオをやってきたのにいまだに未知の世界が果てしなく広がっている気がしているが、はたして自分は進歩しているんだろうか?

「この道を 行く人なしに 秋の暮」(芭蕉)
 


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「三雄」並び立つ

2015年08月11日 | オーディオ談義

「両雄並び立たず」という言葉がある。中国の故事「史記」に由来するもので、ご存知の方も多いと思うが「同時に現れた二人の英雄は、必ず勢力を争ってどちらかが倒れるものである。」という意味だ。

現代においても十分通用する言葉で、たとえば会社に例をとってみても幾多の人材が長~い社長レースを経て最後は一人に絞られるというのが相場で、万一、二人も社長がいたりすると組織の運営上混乱の極みとなってしまう。

ただし、オーデイオの世界ともなると話は別で英雄は何人いても構わないし、多ければ多いほど楽しくなる(笑) 。

オーディオの華は何といってもスピーカーだが、これを英雄に喩えると現在の我が家には「三雄」が覇権を争っているが、いづれも実力伯仲でそれぞれにいいところがあってとても順番を付けるのは無理。

そういうわけで「三雄並び立つ」状況といっていいが、冒頭にその「三雄」をそれぞれ紹介しておこう。

☆ フィリップス「AD12100/M8 ペア」(口径30センチのダブルコーン・フルレンジ:グッドマンの箱入り)

            

左側の画像はネットから借用させていただいてます。

ネットによると「ブライトなヨーロピアンサウンド」「ワイドレンジ」「個性的、人工的、ユニーク」「色づけがある」「輝かしい」「音が浮き出てくる」「軽い低域」「音楽の品位を失わない」などの賛辞が続々。

次に2番目の英雄。

☆ グッドマン「AXIOM301」(口径30センチのダブルコーン・フルレンジ:タンノイ・ウェストミンスター箱入り)

                  

タンノイ・ユニット(口径38センチ)のヴァイオリンの音がどうもイマイチなので、思い切って「AXIOM301」を容れたところ、これが大正解!

そして三番目の英雄「AXIOM80」は現在スヤスヤと気持ちよく睡眠中なので省略。「寝る子はよく育つ」(笑)。


去る6日(木)に同じ「AXIOM80」仲間のKさん(福岡)が「是非聴かせてください」と我が家に試聴にお見えになった。「AXIOM80」は、いつも聴き慣れているので今回のお目当ては上記の「フィリップス」と「AXIOM301」の両雄である。

ご自宅でも「AXIOM80」「ラウザーのPM6」以外に、フィリップスのユニット(口径20センチのダブルコーン)と「AXIOM301」を愛用されているので興味津々のご様子。

それではまず「フィリップス」の試聴結果から。

結論から言うと、「期待以上の音が出ていて驚きました!」とのことだった。「この音はKさん好みだ」と直感していたので1920年代の古典管で鍛えられた(Kさんの)鋭い耳を満足させる自信はあったが、これで「自信」が「確信」に変わった(笑)。

駆動したアンプはプリ、パワーともに真空管アンプで、後者には我が家の目下のエース級「71Aシングル」を充てた。

            

出力管はいつものナス管からレイセオンの「ST管」に切り替えてみた。何といっても古典管の中でレイセオンの球は別格で大向こうを唸らせるサムシングがあるのだ。

改めて、フィリップスの口径30センチのユニットが持つ音声信号への追従性、いわゆる中低音のスピード感とスッキリ爽やかのとてもヌケのいい高音の組み合わせは絶品である。細かい音も実によく拾う。このユニットをうまく鳴らすコツは素直な高域特性を持つアンプをあてがうことにあるようだ。

「低音はドスンと言わせるよりもスピード感の方を楽しまないとダメですよ~」が口癖のKさんも十分ご納得。

1時間ほど女性ボーカル、村田英雄、加藤登紀子、ボベスコのヴァイオリンなどを聴いてから今度はKさんが持参された「VT25」(ウェスタン)のアンプに切り替えてみた。

          

この音を聴いて腰を抜かさんばかりに驚いた!

以下、続く。


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マッケラス指揮の魔笛

2015年08月06日 | 音楽談義

前回のブログでオペラ「魔笛」(モーツァルト)について触れておいたところ、秋田県のメル友Sさんから次のようなメールが届いた。

「魔笛ですか…ベ-ム、ディビスにマッケラス(笑)ではだめでしょうか、アバドは何でも振れますが それだけに魔笛が特にとはね…。ヤナ-チェクとプロコには輝るところ感じてました。ベルリンは監督選ぶ度につまらなくなり鼻持ちならない我が儘なオケです。」

さすがにSさんは現役のオケの指揮者兼クラリネット奏者だけあって、いつものように音楽通独特の鋭い突っ込み(笑)。

そうですか、マッケラスねえ・・・。「サー・チャールズ・マッケラス」はヤナーチェクの専門家としてその筋では有名な指揮者である。

丁度いい機会とばかり一度聴いたきりで直し込んでいた「マッケラス」の魔笛(2枚組)を聴いてみることにした。Sさんのメールがなければおそらく二度と聴くことがなかったCDである。

            

2時間半に及ぶオペラをじっくり聴かせてもらったが、奇を衒うことがなく、大袈裟になることもなく正面から向き合った正攻法の魔笛と言ったらいいのだろうか。淡々とした運びで、全体的にうまくまとめてあり5人の主要な歌手たちも粒がそろっていてこれはこれで立派な魔笛。広大なホールで録音したと見えて、残響音が心地よくて音質もすこぶるいい。

ただし、オケが「スコットランド室内管弦楽団」ということからも想像できるように、何とも“こじんまり”としていて、この辺は好き嫌いが分かれるところだろう。ただし作曲当時(1791年)はもっと小規模のオケだったろうから原典に忠実と言えないこともない。

思わぬ収穫は一緒にセット販売されていたので購入せざるを得なかった「LA FINTA SEMPLICE」(3枚組:KV51)も続けて聴いたこと。作品番号「KV」が51ということは、モーツァルトが10代前半に作曲したオペラということになる。

このオペラについては知識が皆無なので「モーツァルト KV51」でググってみると、邦題は「見てくれの馬鹿娘」。

思わず笑ってしまった。恰好ばかり気にして頭が空っぽの娘を題材にしたオペラなのだろうが、いかにもモーツァルトらしい天真爛漫なタイトル。

モーツァルトは手紙魔だったので現在でも膨大な書簡が残されているが、「ウンコとかオナラ」とかいう言葉を平気で使うし、妻あてに「旅行から帰るのでアソコをよく洗って待っておくように」といった内容もあって、あの自ら作った高貴な音楽と対比させ、その高低差に悦に入っていた気配がある。

さて、この「見てくれの馬鹿娘」だがまさに「栴檀は双葉より芳し」。幼少のころからその才能は並みはずれていることが分かる。思わずハッとするような美しいメロディがいくつもあって晩年のオペラに相通じるものがある。モーツァルト・ファンなら是非一度聴かれることをお薦めする。

さて、今回試聴に使ったシステムはフィリップスのスピーカー。奇しくも前述したSさんがその昔、使っておられたSPユニットとのことで、中高音域の独特の音づくりが気に入るかどうかの分かれ目と仰っていたがほんとうにそのとおり。少しキンキン気味かなあ~。

これまでの経験上、中高音域の不足気味はどうしようもないが出過ぎの場合は何とかなるものだ。

2週間ほど聴いてきたがその辺がちょっと気になってきたので対策を講じることにした。貧乏人なので先ず100円ショップへ出掛けてみた。サランネットにさらにカバーを被せて中高音域の音をマスクしようという算段である。

           

目の詰まった細かい穴が持ち味の「滑り止めマット」を2枚買ってサランネットの裏に張り付けることにした。両面テープ代と併せて、〆て324円なり(笑)。

                   

これでボリュームを上げてもうるさく鳴らなくなったし、低音域の量感も適度に増えていいことづくめ~。このスピーカーは箱代が3万円、ユニット代が4万円、〆て7万円ちょっとだが、そのお値段からは信じられないほどの音がする(笑)。

ウェストミンスターに入れたグッドマンの「AXIOM301」、グッドマンの箱に容れた「フィリップス」(口径30センチのダブルコーン)、そしてグッドマンの「AXIOM80」と、我が家のシステムはすべてグッドマン無しでは成り立たないが、これらの音を是非聴いてみたいと、本日(6日)、福岡在住のKさんがお見えになるがはたしてどういうご感想を洩らされるだろうか。
 


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猛暑に負けず

2015年08月04日 | 独り言

この4日間、猛暑の中であちこち動き回ったので日記風に記してみよう。

2015年7月31日(金)

昼食後に家内のクルマ「アクア」(ハイブリッド)で福岡に向けて出発。今年の2月に亡くなった親族の初盆会に出席するためである。当初は電車で行く予定だったが、あまりの猛暑に乗り換え時などが苦になってクルマに変更。

それにしてもハイブリッドの威力は凄い。途中で燃費のアヴェレージ・メーターが「90km/リットル」になったのには驚いた。単純計算だと片道のガソリン代が何と270円!二人乗車なのでたいへんな安上がり~(笑)。

カーナビの指示通りに「大宰府」インターから都市高速に乗っておよそ2時間後に娘の棲むマンション近くの駐車場に到着。別府と違って福岡市内中心部は高層マンションばかり。福岡に限らず都会はすべてこういうことだろう。

すぐにオーディオのことを連想するが「戸建オーディオ」と「マンション・オーディオ」とでは自ずから楽しみ方が違ってくる。後者では隣近所のことを考えて大きな音は出せないのでやや小さめのスピーカーで愉しまざるを得ないが、その割合が年々増加しているのは想像に難くない。

近年、大型スピーカーの人気がなくて需要が減り、昔だと信じられないような安い価格でオークションに出品されたり落札されたりしているが、この間の事情を物語っているように思う。

都会での「便利さや豊かな文化施設の享受、多彩な人的交流」に対して、田舎での「自然に囲まれて音楽&オーディオを心ゆくまで愉しめる」ことの、はたしてどちらがいいのか、ちょっと考えさせられる。

8月2日(日)

東京、富山、福岡、大分から親族一同が集結した1日(土)の「法事」も滞りなく済んだ。最後の息を引き取るまで「まだ生きていたい、沢山することがある。」と、この世への未練を残したまま逝った親族の面影を偲んだ。「生き残った者が亡くなった人に対して出来ることは“思い出してあげることしかない”」(村上春樹)。

娘に見送られながら早朝7時30分に別府に向けて出発。休日の早朝とあってクルマも少なく快調に飛ばして、自宅に到着したのはきっかり9時30分。

すぐにNさん(大分市)に連絡をとって、オークションに委託出品していたオーディオ機器の落札代金を受け取りに行くことにした。

今回出品を依頼していたのはJBLの「375」ドライバー(16Ω)だった。もちろん程度は極上の完動品。ダイヤフラム(口径10.4センチ)もJBL純正のダイヤモンドカット付きの新品同様だった。

手元に後継機種の「2440」ドライバーがあるので2セットも要らないと処分することにしたものだが、Nさんと相談の上「開始価格」を「15万円」で設定したところ、何と1クール目で無事落札。

さすがにJBLの往時の看板機種だといたく感心したが、Nさん、申し訳なさそうに「どうも落札したのは〇〇系の人だったみたい」。〇〇系の落札はすぐに分かるそうで、代金の振り込みがとても早い、クレームを含めて余計な通信がいっさい無い、そして肝心の苗字が・・・。

そこはドライに「いやあ、売れれば誰でもいいんですよ!」と返しておいたが、貴重な文化遺産をそんなことでいいのだろうかねえ(笑)。

そういえば、以前「刻印付きのWE300B」古典管を100万円近い価格で落札されたM女史が、「〇〇系に渡るのを防ぎたかったから」と、購入動機の一因を述べられていたことを思い出した。

次にNさん宅からの帰途、県立図書館に立ち寄って本の返却と借入。日曜日の午後とあって館内は混んでたが、その分、新刊書も少なくて食指が動いたのは次の4冊だけだった。いつものようにジャンルを問わない濫読で「広く浅く」というスタイルは一生治らないようだ(笑)。

           

丁度3時頃になって今度は運動ジムに立ち寄った。この時期はいつも外出するときポロシャツに半ズボン姿なのでこういう時に助かる。冷房が利いた中でエアロバイクを40分間。この2日間まったく運動してなかったので意識的に大汗をかいた。

その帰りに今度は本屋に立ち寄った。ア~、忙しい!

定期購読誌「月刊テレビ番組8月号」を購入するためだったが、ついでに音楽関連コーナーを覗くとふと目に留まったのが「レコード芸術8月号」。「名曲名盤500」~モーツァルトからシューベルトまで~の見出しが気になる。

            

モーツァルトの名盤となると放っておくわけにはいかないので、渋々購入(笑)。

オペラ「魔笛」のベスト盤が掲載されていた(26頁)。10人の音楽評論家による投票ポイント(1点~3点)の合計点数(30点満点)で決まるもので、ベスト5は次の通り。

1位 アバド指揮(2005年) 2位 カラヤン指揮(1980年) 2位 ヤーコブス指揮(2009年) 4位 クリスティ指揮(1995年) 5位 ベーム指揮(1964年)

常日頃、自信過剰とも受け取られる発言はなるべくしないように心掛けているが(笑)、こと「魔笛」に関してはそういうわけにはいかない。その愛好度と研究は我が音楽ライフの生命線となっており、日本国内でおそらく自分の右に出る人間はおるまいと少なからず自負している。

40数セットの魔笛を購入し、長年にわたって指揮者、歌手、演奏の優劣をずっと検証してきたが、すぐに思ったのが「アバドの演奏はそんなに良かったかな~?」

あまり好きではない指揮者なので先入観のもとに聞き流した可能性が大いにある(笑)。

そこで、改めて該当のCD(上記画像の右側)を引っ張り出して聴いてみることにした。現在のオーディオ・システムは当時とはまったくの様変わりなので、もしかして印象が変わるかもしれない。

8月3日(月)

午前中、真剣になって「魔笛」(2枚組のCD)をじっくりと聴いた。システムの方はさすがにオペラともなると、フィリップスでは無理なので「AXIOM301」(ウェストミンスターの箱入り)の出番となった。

さすがに、これほどの名曲ともなると途中からすっかり聴き惚れてしまい、指揮者や歌手、オケなんかどうでもよくなってしまった(笑)。大いに感銘を受けた。久しぶりに聴く魔笛はやっぱり最高の音楽!

35歳で夭折した天才音楽家が亡くなる年の最後に到達した境地は「雲一つない澄み切った青空のような透明感」だが、この透明感が全編を横溢していた。この演奏は合格。

ただし、アバドの演奏がベストかどうかはちょっと異論がある。

あの「音楽&オーディオ」の鬼とも称された五味康祐さんが生涯に亘って愛好したクラシック音楽ベスト10を挙げられていた中で、そのベスト1は「魔笛」、そしてレコード盤の方はカラヤンが1950年代初期に録音したもので「アントン・デルモータ」(テノール)の快唱が記憶に残る名盤だった。

最後に自分のベスト盤を掲げておくが、こんな名曲を一つの演奏に絞るのは罪としか言いようがないので4つ挙げておこう(笑)。

 ベーム盤(1955年)  サヴァリッシュ盤(1972年)  ハイティンク盤(1981年)  デービス盤(1984年)

次点 クリスティ盤(1995年)。


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フィリップス・トーン

2015年08月01日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

前回のブログで宅配業者に対する不満を述べたところ、ご親切にも古典管の泰山北斗「M女史」(大阪)からその間の事情を物語るメール「某宅配業者がオーディオ製品を嫌う理由」が届いた。やはり宅配業者側にもそれなりの言い分があるようで、大いに考えさせられた。

「宅配業者の件ですが、“精密機器お断り”の理由をご存知でしょうか?
某業者が800万のスピーカーを家財便で発送して輸送事故となり、賠償問題が発生したことが原因だそうです。

そんな高価なものは引き受けられないと固く断ったらしいのですが、“自己責任で対応するから引き受けてくれ”と強引に迫られて引き受けて「音が歪む」と輸送事故を指摘されて、一悶着あって800万を弁償させられたとのことです。

これが決めて!

また、オークション代行業者等が素人梱包して輸送事故発生での弁償がオーディオ関係であまりにも多いからだそうです。中には送り人と荷受人が打ち合わせている?とも思われる事例もあったとのことです。それでこのような事態になったとのことです。

このことは千葉在住のかつての〇〇執筆者から聞きました。ただし、メーカー元箱入りの新品については、普通に受けてくれるそうです。(そうでないと通販業者が困る?)

本件に関しては、近々何らかの処置(オーディオ宅急便?)を検討しているとも聞いています。まあこういう経緯があったということで、悪い奴のせいで我々が被害を受けているといっても過言ではないと思います。」

「音楽&オーディオ・マニアに限って悪い奴はいない」と、思いたいところだが以前、別のオーディオ・ランキングに参加して投稿していたところ「いわれなき中傷」を受けたことを思い出した。まあ、どこの世界にもワルはいるようで・・・(笑)。

さて、フィリップスのSPユニット(口径30センチ)をグッドマンの箱に取りつけたのが7月27日(月)のことなので、もう5日経ったことになる。

ちなみに「木の箱」で物議を醸した家内だが相当気になっていたとみえて、その日(27日)の夕方、帰ってくるなりいつもの台所に直行することなくオーディオルームをいきなり覗いた。

「あら、なかなかいいじゃない!」

どうやらタンノイのウェストミンスター並みの大きな「木の箱」を想像していたらしい。これにてどうやら一件落着(笑)。


それでは当初の興奮もおさまり冷静に判断出来る状況になったので気付いた点を列挙してみよう。

☆ 「フィリップス・トーン」について

周波数レンジについては低音域から高音域までまったく不足はなく、広い帯域特性を誇っている。中高音域に独特の音づくりがしてあって、ややハイ上がりと言っていいだろうが、それが女性ボーカルの生々しさや、ヴァイオリンの妙なる倍音の響きに繋がっていてとても聴き心地が良い。

フィリップス・レーベルのCDは例外なく録音が優れており上質の「フィリップス・トーン」とでもいうべき響きが伺えるが、このユニットにも明らかに共通した音色が感じ取れる。

かって、レンブラントやフェルメールなど一流の画家を輩出したオランダだが、現在でも世界最高峰のオーケストラとされる「ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団」を擁するだけあって芸術的センスは侮れない。

ただし、グッドマンに代表されるブリティッシュ・サウンド系が持つあのひと癖もふた癖もある“いぶし銀のような音”は出てこない。

けっして思い通りにいくことがない人生への憾み、翳りを癒し、寄り添ってくれる傾向の音ではなく、(フィリップスは)ただただ美しさを愛でる耽美系の音だという気がする。

同じ「AXIOM80」仲間のKさんが「フィリップスはモニター系の音ですよ。」という意味がこの辺にあるのかもしれない。


そういう面ではフィリップスとグッドマンは好対照なので、これから両者をうまく使い分けながら長~く楽しいお付き合いになりそうだ。

☆ アンプとの相性について

あの気難しい「AXIOM80」とは違って駆動するアンプをまったく選ばない。トランジスター・アンプ以外なら何を持ってきてもうまく鳴ること間違いなし。

とまあ、そうはいってもこの5日間は手元の真空管アンプをあれこれ使ってベストの組み合わせを模索してみた。

「PP5/400」シングル、「WE300B」シングル(モノ×2台)、「71A」シングル(3セット)、「71A」プッシュプル、「2A3(刻印付き)シングルなど

それぞれに持ち味があっていずれも甲乙つけ難しだったが、選択に困ったときは「71A」シングルに落ち着くというのが我が家の通例である。 

これほど使いやすくて素直な音質の球を私は知らない。大のお気に入りなので積もり積もってとうとう3セットになってしまった(笑)。
           


 


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