「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽談義~試聴盤あれこれ

2009年10月31日 | 音楽談義

つい最近、購入した試聴盤をいくつか聴いてみたのでその感想を。

まずは歌謡曲から。
  
      「ちあき なおみ演歌を歌う」       

先日、我が家で近所の音楽仲間のM上さんと一緒に試聴してみた。

自分 → 「このジャケットの顔を見るとあまりいいイメージではないよね。何だか場末(ばすえ)の酒場のママさんみたい」

M上さん → 「この眼は男を誘っている目だね。このちょっと品のない感じが実に”いい”、これこそ”ちあきなおみ”だよ。演歌の歌手に知的なイメージは要らないよ」

自分 → 「そういうものかなあ~」

見た目はともあれ、表現力は抜群。この盤の中に収録されている「別れの一本杉」を聴いてM上さんは「船村 徹」と肩を並べるほどの”うまさ”だとおっしゃる。立て続けに3回ほど連続試聴して「一番最後にもう1回聴かせて」と言うほど。

つい先日、湯布院のA永さんがお見えになって16人の歌手の競演による「別れの一本杉は枯れず」を一緒に聴いたときにも同じようなことを言われ、次のように分類されていた。

歌唱力派(朗々と歌う組)     春日八郎、三橋美智也

表現力派(しみじみと歌う組)   船村 徹、ちあきなおみ

中間派(両方を兼ね備えた組)  美空ひばり

曲の出だしの「泣けた、泣けた~」の”入り方”のところにそれぞれの歌手の個性が集約されているとのことで、いつものことながらセンスのいい鑑賞力に改めて感心。

メール友だちの奈良の「M中さん」はベスト・スリーとして本家の春日八郎を除いて、三橋美智也、美空ひばり、船村 徹を挙げておられたが、つまるところ「別れの一本杉」の歌い手は以上の5人に集約されそうだ。

因みに、自分が聴いていて一番好きなのは「美空ひばり」ちゃん~。

次はクラシックを。

曲目はモーツァルトの「ディヴェルティメント」変ホ長調K.563。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによる三重奏。

                  
           1               2                3

モーツァルト晩年の名曲をこれら三者がどのように演奏しているのか興味津々。既に手元にあるクレーメル・トリオと比較しながら聴いてみた。


1 グリュミオー・トリオ

1967年の録音だからもちろんアナログだがそれにしては、なかなかいい音質。最初の一音が出たときに思わず日頃聴きなれているモーツァルトのヴァイオリン協奏曲のイメージが沸き起こった。

しかしグリュミオー独特の美しさがあるものの、やや線が細い印象で全体的に”こじんまりとまとまりすぎた”感がある。もっと躍動感が欲しいしそれにやや単調な演奏。

これでは(大衆の人気を失って)不遇の時期にあったモーツァルトの孤独感が伝わってこない。個人的にはこの演奏は好きになれない。

2 ウィーンフィルハーモニア弦楽三重奏団

1995年のデジタル録音だから安心して聴ける。ペーター・ヴェヒターといえばウィーン・フィルの高名なヴァイオリン奏者。彼がリーダーとなって若手のヴィオラ奏者とチェロ奏者とが組んだトリオ。

実に優しくて柔らかい演奏で”モーツァルトの魅力ここに極まれり”という感があったが、ずっと聴いているうちに何だか”平和ボケ”してくる感じがしてくる。甘いばかりでチョッピリ辛さも欲しくなるといったところ。もちろん好き好きだろうが愛聴盤にするにはもうひとつ。

3 アマデウス弦楽四重奏団

1982年の録音だからデジタル録音にすべり込みセーフ。四重奏団とはいいながら、もちろん第二ヴァイオリンはカットされている。

この演奏は過不足無しといったところで自分に一番ピッタリきた。全てに中庸をいっている印象で、張り詰めた緊張感のなかで伸び伸びと音楽が躍動している感じがして大満足。「手練(てだれ)たちの演奏」の一言に尽きる。

結局、自分の好みで順番をつけるとすれば次のとおり。

1 アマデウス弦楽四重奏団

2 クレーメル・トリオ

3 ウィーンフィルハーモニア三重奏団

4 グリュミオー・トリオ

クレーメル・トリオの演奏に満足できなかったので、これらのCD盤を購入したのだが結果的には「結構いい演奏だったんだ」と見直すことになってしまった。

          


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オーディオ談義~音楽家がオーディオに無関心なのはなぜ?~

2009年10月29日 | オーディオ談義

これまで長いこと「音楽とオーディオ」に親しんできたが、唯一気になっているのが「楽譜」の存在。

日頃聴いている音楽はすべて作曲家の手になる「楽譜」に基づいて演奏されているので、「楽譜」が読めさえすればもっと深い曲趣の把握が出来たり「いい演奏」の判断材料になるのに、と思うわけ。

したがって楽譜を見ながら聴いたり楽器を演奏できる人がちょっぴりうらやましいというのが本音で音楽評論家たちもこれに含まれる。

こういう人たちは四六時中、生の音楽にどっぷり浸(つ)かっているだろうから耳のほうも物凄く肥えていて、家庭においてもオーディオ装置にうるさい人が多いと考えるのがまあ普通というもの。

ところがである。どうもこれまで幾多の音楽専門誌を読んでみても、こういう専門家の間で、総じて
「オーディオにあまり関心を示さない人を見受けるのは一体どうしてなんだろう?」と思うことがしばしば。

というわけで、素人が簡単に思いつく理由をいくつか挙げてみた。


 常日頃、半分仕事みたいな意識で生演奏に携わっているので家に帰ってまで音楽を聴こうとは思わない、つまり日常生活の中に仕事を持ち込みたくない。

 
ほとんど毎日、歪みのない生の音を聴いているので、電気回路を通した音は人工的で聴く気がしない。

 
他人の演奏をなるべく聴きたくない、芸術的な見地から影響を受けるのがイヤだから。

 他人の演奏のアラが分かるから聴きたくない。むしろ音楽というよりも演奏者のテクニックの上手下手に関心がいってしまう。 

こういう問題は実際に「実在の音楽家(演奏家)」に訊いてみるのが一番。

O市にお住まいのEさんは学校の先輩で、在職中ひとかたならぬお世話をいただいた方。同じ職場で上司と部下の関係となり五味康祐氏の著作「西方の音」を貸してあげたりして音楽の趣味を通じてたいへん懇意にさせていただいた。

Eさんは学生時代のときからトロンボーンを奏されており、職員で運営する私設の吹奏楽団でずっと活躍、今でもお元気で顧問として活躍されている。

それにトロンボーンに限らず管楽器全般に詳しい方でオーケストラの演奏を聴いてたちどころにどこそこの楽団だと的確に言い当てられる。(ご本人の言)

管楽器の演奏にその楽団の独自の特徴が表れるのでそれが目安になるとのことで、まあ、いわばセミプロみたいな方。

自分とはまるでレベルが違う音楽の聴き方をされている!

そのEさんも例によってオーディオ装置にはほとんど関心を示されず、たしかご自宅に二度ほどお伺いしたことがあるが古い英国製のたしかスペンドールとかいった小振りのスピーカーがずっと放置したまま。

さて、失礼を承知で「オーディオに関心を示さない理由」を単刀直入に聞いてみた。

その結果、1~3までいずれも少しずつ該当するが、
一番大きな理由は4とのこと。

また、「いい音」を得るためには、
それなりの手間と投資額も必要になるがそれもまた面倒で
「オーディオは”そこそこ”でいい」とあっさりおっしゃる。

いかにも飾らないEさんらしい言い方。

結局、表題の回答としてはこの辺に落ち着くのだろう。

自分はてっきりだと思っていたので見事に予想が外れたが、が主な理由だとすると、これはこれでまた結構割り切れない話


素人考えだが演奏者のテクニックのアラに気をとられてしまって、それが肝心の音楽鑑賞の障害になるなんて「本当に音楽が好きなんだろうか」という素朴な疑問が湧き起こる。そういうことならむしろ「楽譜」が読めないほうがいいとさえ思う。

それに上記のとも関連するが日常生活の中で身近に音楽を本格的に楽しむ機会を設けないというのもこれまた音楽家として淋しすぎる話。

いつぞやのNHKハイビジョンの番組の中で女流ピアニストのマリア・ジョアオ・ピリスが日常生活の中でそれこそ普段着のままで気軽に楽しむのが本来の音楽芸術のあり方だと力説していたのが妙に記憶に残っている。

具体的に彼女が言うのには、「決められた一定の時刻と時間内にきちんと正装して演奏会に出向き衆人環視のもとで音楽を聴いて本当にそれで心から音楽が楽しめるのだろうか」といった趣旨だった。

これにはまったく同感。

音楽愛好家といっても、およそ演奏会重視派とオーディオ重視派とに大別されるが、どちらが本当の「音楽好きなのか」一つの答えが出されているような気がするが。

          


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オーディオ談義~「知らないでいることの幸せ」~

2009年10月27日 | オーディオ談義

いつぞやのブログで、レコード盤をレーザー照射で再生する「レーザーターンテーブル」を話題にしたことがあるが、いまだにちょくちょくアクセスがあったりして、それもかなりまとまった数。

このユニークなオーディオ機器に対して興味を持つ方が絶え間ないようだが、自分は残念なことに試聴したことがない。

お隣の福岡でメーカー主催の試聴会が度々実施されているようで案内状が来るが、わざわざ出かけていくのが億劫なのでつい行きそびれている。

製品化されて10年以上も経過しているので、もしかすると全国各地で試聴行脚を繰り返されている湯布院のA永さんならその音質を既に聴かれたかもしれないと思いお尋ねしたところ予想通り試聴済みだった。

それも県内に既に購入者がいて聴かせてもらったとのことで二度ビックリ。「どうでした?」と問いに対してAさんの回答は次のとおり。

「レーザーターンテーブルは都合3回聴きました。一度目はレーザー照射が3本の時代でこのときは正直言ってあまり音が良くないと感じました。二度目はレーザー照射が5本(現行)のときでこのときには、前回よりも随分進化していて驚きました。自分でも欲しいと思ったくらいですが、何せ200万以上という価格がネックで諦めました」とのこと。

話がやや逸れるが、二度目のときの試聴は県内K市にあるリゾートパークの社長さんが保有されていたのをご自宅で聴かせてもらったそうで同伴したのが県内の地元新聞社のオーナーで二代目のN社長さん。

このN社長さんはオーディオの世界ではつとに知られたウェスタン社(アメリカ)の製品の大の愛好家で、同社が販売したすべての機器を取り揃えているとのことで新聞社が入った大きなビルの一室に厳重な空調管理のもとでずらりと機器が勢ぞろいしているとのまことしとやかな噂がある。

因みに現役時代に自分が仕事で上京したときにウェスタン製品を専門に取り扱うショップに立ち寄ったときに「大分県から来ました」といったら、店主がすぐにN社長の名前を挙げたので驚いたことがある。いわゆる「VIP」なので、おいそれと近づきがたいが、いずれ音を聴かせてもらう機会があればと狙っているところ。

さて、話は戻ってK市における試聴のときに丁度メーカーの関係者もいて、話が発展し今度は湯布院の、とあるオーディオ愛好家の家で試聴しようということになり、三度目の試聴会が実現した。

そのときには、同一曲目を次の4種類により試聴を行った。

 
SP(78回転:蓄音機による試聴)

 SPから焼き直したLP(レコードプレーヤーによる試聴)

3 アナログ音源から焼き直したCD(CDプレーヤーによる試聴)

 
SP(レーザーターンテーブルによる試聴)

A永さんによると、音に一番力があったのは1のSP、次いで4のレーザーターンテーブル、その次が僅差で2のLP、一番悪かったのがCD。

結局、1→4→2→3の順番で、周波数レンジよりも力感を何よりも重視されるA永さんらしい選択。

現在では当時の200万超から随分と価格がこなれてきておりレコードを沢山持っている方は購入しても損はしないだろうし、実をいえばご本人も欲しいそうだ。とにかく実力がある製品の割にはまだあまり知られていないので、もっと世に出て取り上げられるべき製品との結論。

以上のとおり、レーザーターンテーブルの音質はオーディオ体験豊富なA永氏の保証付きだから非常に身近に感じるが、もし購入したとしてもこれからレコードを再び収集するのもかなり面倒でもある。

自宅の倉庫に100枚ほど保存しているが今やCDの方が圧倒的に枚数が多いのが現状。しかしオークションではレコードがまとめて二束三文で売られているようなのでその気になれば収集は可能。

さて、同じオーディオ仲間のM崎さんに意見を求めてみると、あっさりと「聴いたら絶対に欲しくなるので見ざる、聴かざるが一番いいよ」とのご託宣

ウーン、そういう選択肢もあるのか!

たしかに、「知ることの幸せ」もあるが「知ってしまったばかりに思い悩んだりガッカリする」ことだってある。

この歳になると「知らないでいることの幸せ」
というのを時折り感じる。むしろ世の中こちらのケースの方が多いかもしれない。

たとえば「天井が高くて広い部屋でのオーディオ装置の音」を他家で聴いたりすると、今さらだが音質に占める部屋の決定的な役割に思い至って自宅の改造という話になるのは分かりきっているが、これはもう絶対に無理!

それに「昔、大好きだった女の子の現在の素顔」などを見たりすると、もう・・・。

これは、いろんな観点から掘り下げると面白そうなテーマだが、なんだかオーディオ談義が人生談義みたいになりそうなのでこれにて打ち切り~。


        


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音楽談義~モーツァルトの「ディヴェルティメント」変ホ長調 K.563

2009年10月24日 | 音楽談義

10月20日の午後、久しぶりにオーディオ仲間のM崎さんがご来宅。

最後の訪問日をはっきりと覚えていないほどで、およそ4ヶ月ぶりくらいになるだろうか、この間我が家のオーディオ装置も随分と様変わりで、これもあの7月の交通事故でクルマなしの生活が2週間続いたので自宅にこもって専念したおかげ。

改めてどこをどう改善(?)したかというと、大きな項目では次のとおり。

 まず、これまで横に寝かせて使用していたタンノイ・ウェストミンスターを起こして正規の使い方の縦にする。それに「JBL130A」ユニットを外して「アキシオム80」を補助バッフルとともに取り付けた。さらに吸音材として羽毛をボックスの中に大量にぶち込み。

 低域用として別のボックスを準備し20cm口径のリチャードアレンの「ゴールデン8」を使用。使っていたサブウーファーはとりあえず倉庫行き~。

と、いったところで何といっても低域のユニットを入れ替えたので、これはもうシステムの根本的な見直しを行ったようなもの。

そういうわけで試聴結果の感想に興味津々。

最初の曲として選んだのがモーツァルトの作品で次のCD盤。

    「ディヴェルティメント」変ホ長調 K.563    

「563」だから モーツァルトにとっては最晩年の作品といってもいいが35歳で亡くなったのでおそらく33歳前後の不遇をかこった時期の作品だろう。     

演奏はギドン・クレーメル(ヴァイオリン)、キム・カシュカシアン(ヴィオラ)、ヨーヨー・マ(チェロ)のトリオ。

1984年の録音で発売当時すぐに話題となり、評判につられて購入したもので、最初に聴いたときはあえて文学的な表現をすると
「ほつれ毛をそっと撫でて通り過ぎた秋風のようなもの」という感じでそれほど心を揺り動かされなかった。

しかし、今年の5月に「アキシオム80」を安価に譲ってもらったご縁で、その後もメール交換を続けている千葉のS谷さんに感化され最近引っ張り出してつとに聴いている曲目。

何気なしの選曲だが、M崎さんによるとこれはたいへんな名曲だそうで本当の「モーツァルト通」というか、非常にレベルの高いモーツァルトファンに好まれているとのこと。

そう言われてみると、たしかに一連のピアノ協奏曲や40番のシンフォニーなどの一般受けする”親しみやさ”はまるで無いと言っていいくらいで、簡単に人を寄せ付けない雰囲気を持った、どちらかといえば暗~い曲。

モーツァルトが自己の内面と静かに向き合って作曲した趣で、これは自分の大好きなピアノ・ソナタの「孤独な世界」に相通じるものがある。

当時からするとオーディオ装置の大変遷という背景があるとはいえ、今頃になってこの作品の真価が分かるようでは「モーツァルト通」を自認している自分も”マダマダ甘い”と痛感。バッハは苦手だがモーツァルトに限っては自分の生命線のはずなのに。

前々回のブログ「音楽のジャンルとは」で、末尾に「いまだにバッハに馴染めない」と書いたところ「意外です」と奈良のM中さんからメールが来たり、M崎さんもケンプが弾く「バッハのピアノ曲」を持ってきたりして心配してくれる。

しかし、人からどう思われようとやはり「モーツァルトが一番」。

あの天才物理学者アインシュタインは「死とは何か」という問いに対して「死ぬということはモーツァルトが聴けなくなることだ」※と答えたほどのモーツァルト・ファン。凡人と天才との間にモーツァルトを聴いて楽しむという唯一の共通点があるのが何だかうれしくなる。

NHK「アインシュタイン・ロマン」〔全六巻)
     第一巻「黄泉の時空から~天才科学者の肖像~」

閑話休題。(それはさておき)

肝心の演奏のほうはクレーメルに対して個人的にあまりいい印象を抱いていない。クレーメルの自伝によるとあの名手オイストラフ(ロシア)の薫陶を受けたそうだが、技巧は上の部だと思うがやや情緒に欠ける印象がして「モーツァルトには合わない」とひそかに考えている。

もっと気に入った演奏の盤があればと「HMV」で探してみた結果、ウィーンフィルハーモニア弦楽三重奏団、アマデウス弦楽四重奏団、グリュミオー・トリオが目ぼしいところでこの3枚を早速注文。

あのレーピン(ロシア)あたりがヴィオラとチェロの手ごろな奏者を見つけて録音してくれるといいのだが。

なお、古いところではティボー・トリオがあるようで録音の良し悪しは別にして一度は聴いてみる価値がありそう。

ただし、M崎さんによると現在のヴァイオリニストではクレーメルは世界でもトップクラスでモーツァルトにも十分合うとのことで、この辺の食い違いは好みの差ということに。

自分は二楽章のアダージョが好きだが、M崎さんの好みは最終楽章〔六楽章〕のアレグロ。

聴き終わって、M崎さん、ちょっと首を傾(かし)げて「クレーメルのヴァイオリンがちょっと線が細すぎて聴こえるなあ~。整流菅を変えてみたら?」。

「アキシオム80」用のアンプ「PX25シングル」の整流菅RCAを引っこ抜いてGE、マルコーニ、WE422A、CV378、マツダといろいろ差し替えて試聴した結果、マルコーニが一番相性がよく、まろやかで高域の神経質さが消えて無くなった。

整流菅を差し替えるだけでかなりの音の変わりようで、この辺は真空管アンプのメリットを痛感する。

これで「SPボックス・ウェストミンスター」「SPユニット・アキシオム80」「出力菅・PX25」「整流菅・マルコーニ」と全てイギリス勢となったが、やっぱりイギリスの製品はどことなく「いぶし銀」を思わせて品がいい。

                                                  

     

 


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独り言~ヤンキース松井のレッドソックス入りはあるのか~

2009年10月22日 | 独り言

MLBは今やプレーオフたけなわ。シーズン中と違って1勝の値打ちが段違いなのでプレーする選手も一生懸命。

まるで「夏の甲子園」並みの
”ひたむきさ”〔笑)なのでMLBファンにとってはこたえられないほどの魅力、とにかくテレビ中継から目が離せない。21日時点でヤンキースが3勝なのでワールドシリーズに出場するチャンスが高くなった。

もしヤンキース(ア・リーグ)とフィリーズ(ナ・リーグ)の対戦となれば実力伯仲同士なのでおそらく接戦の連続、史上有数の盛り上がりとなるシリーズになることだろう。

さて、そういう中、今年は早々と敗退したレッドソックスが来季のチームの補強に乗り出すことを表明。ヤンキースの松井が補強選手の一人として候補に挙がっている事が判明した。

レッドソックスといえば輝かしい歴史に裏打ちされた大リーグ屈指の名門チーム。熱狂的なボストンのファンでも知られる。

今年でヤンキースとの4年契約が切れる松井だが、シーズン当初から両膝の故障でDH専門の松井への風当たりが強くマスメディア、関係者の間で「シーズン後は他チームへの放出間違いなし」とされていた。

ところが、どっこい松井は死んでいなかった。
「焦ることはない」とつぶやきながら悠々と調整していた松井だが夏場に入って俄然本来の調子を発揮しだして今やヤンキース打線には欠かせない選手となった。本塁打28本、90打点はシーズン前半の不調を思えば出来過ぎの感があるほどの立派な成績。

ここに来てヤンキースの球団側も松井と来年以降の契約更新をするかどうか真剣に頭を悩ませていることだろうが、プレーオフでよほどの活躍がない限り最終的には更新しないとひそかに睨んでいる。

まずチーム内の事情がある。主力のジーターもA・ロッドも30代半ばで守備の負担が大きい内野手でもあり、ときどき休養が必要な年令になったが、守備に就かないで打席だけに専念できるDHはもってこいのポスト。それに正捕手だったポサダの衰えも顕著でDH候補が目白押しという状況。

それに契約更新をするのなら、他チームから唾(つば)がつかないうちにシーズン中に既に松井と締結しているはずというのが常識。またプレーオフで
"やる気"を引き出す効果を狙うのなら”なおさら”のこと。

そういうわけで松井にとってレッドソックスへの移籍は”渡りに船”のような話ではなかろうか。

ここで勝手ながら松井の気持ちを忖度〔そんたく)してみよう。

出来ることならニューヨークに残りたいというのが第一希望だろうが、今年の起用のされ方については内心不満が蓄積されていると見る。

左投手を苦にしないうえ、好調時でさえもジラルディ(監督)は平気でスタメンから外したりする。まるで選手を「使い捨てカートリッジをポイと捨てる」ようなドライなタイプ。

松井は賢いので「チームの方針に従う」と
決して不平不満を口に出さないが内心穏やかではあるまい。「選手は常時起用されるとうれしいもんだよ」との意味深な発言もある。

それにまだ35歳の若さである。このままDHで選手生活を終わるなんて思っておらず、打って、守っての「普通の選手」に戻りたいのがやまやまで、その点レッドソックスの本拠地「フェンウェイパーク」はレフト側のスタンドにあの有名なグリーンモンスターが聳え立っており守備の負担が非常に軽いという好条件が存在する。両膝に不安を抱える松井にはうってつけ。

と、まあ推察するのだがレッドソックス以外にも、同じニューヨークのメッツが日本人のファンも呼び込めるとの思惑で手を挙げている模様だが果たしてどうだろうか。

さらに、レッドソックスやメッツ以外にも数球団が触手を伸ばしそうとの情報だがそのうちの一つがイチローが居るあのシアトル・マリナーズ。

今年はケン・グリフィーがまったくDHの役をなさず退団する公算が高い。契約金も1億円を少し上回るような額に留まっており「昔の名前で出ています」という感じ〔笑)で仕方がないが、松井クラスの選手は球団の財力と本人の実力とが丁度見合っている感じで有力な候補になりうる。

しかし「松井はマリナーズには絶対行かない」と確信する。

その理由は何といっても松井より1歳年上の「イチローの存在」。

イチローファンには申し訳ないが、チームプレイを無視して自分の成績だけに固執していると選手間でたいへん評判が悪い。去年のネット情報だがマリナーズの選手の有志がイチローを懲らしめのためにぶん殴るという計画があったなんて話もちらほら。

ここで個人のブログを無断で引用させてもらって悪いが2009.10.3~10・12にかけて
「イチローに対してどんな印象を抱きますか?」のアンケートについて最終結果が掲載されていた。〔2009.10.17付け)。総数520名。

 チームプレイを無視するエゴイスト     188名   36%

 もっと自然に振舞えばいいのにと思う   184名   35%

 練習を怠らず重圧に強い努力家・職人   52名   10%

ほか「予め用意していただろう台詞をあたかもその場で思いついたように言ってのけてしまえる彼が可愛い
7%」「有名人の中で屈指のナルシスト4%」「なかなか人から理解されない孤高な天才4%」といったところ。

意外とマイナス評価が多いのに驚くが、イチローは将来MLBの殿堂入りが確実な選手、今年3月のWBCの決勝打など錚々たる実績を前にして悪口を言うと罰が当たりそうな選手だが松井と相容れないことは確実。

松井は本心かどうかは分からないが、今回の地区シリーズの第一戦でホームランを打ったときも「最終的にチームが勝利すれば価値があるものになるんでしょう」なんてチームの勝利を前提にしたコメントが続々。 

したがって、両者のプレースタイルがまったく違うのは否めない事実なのでクレバーな松井のことだからイチローとの不必要な摩擦を避けようとマリナーズ入りは
「ありえない話」だと思うのである。

ただし、選手の評価と意欲は基本的に契約金の額に左右されるから法外な金額が提示されれば、これはもう別次元の話となる。

以上、かなり大胆な憶測だが果たして当たるか当たらないか、それにワールドシリーズの行方も手伝って今後のMLBは興味のある話題が目白押し~。

最後にそのワールドシリーズだが今年はエースと4番バッターの活躍もあってヤンキースの優勝と見るが結果やいかに。

              


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音楽談義~「別れの一本杉は枯れず」~

2009年10月13日 | 音楽談義

今回は歌謡曲を主題に取り上げたので興味のない方はどうか素通りを~。

10月5日付のブログで紹介した「船村 徹」作曲、「高野 公男」作詞の「別れの一本杉」。春日八郎の歌で大ヒットしたがそれも随分昔のことで昭和31年(1956年)の話。

おそらくこの曲に親しみを感じている方の年代は限られているはずで、せいぜい60歳代以降になるのだろうが、このまま朽ち果ててしまうには実に惜しい曲。

当時、既に大御所の感があった古賀政男が「これは誰の作詞作曲?」と注目したとかいう記事を読んだことがあるが、時代を超えて永遠に生き続けて欲しいと願うばかり。

何よりも歌詞がいい。遠くにあって”ふるさとを偲ぶ唄”ではベストではなかろうか。せめて第一フレーズだけでも。

泣けた 泣けた
こらえ切れずに 泣けたっけ
あの娘(こ)と別れた 哀(かな)しさに
山の懸巣(かけす)も 啼(な)いていた
一本杉の
石の地蔵さんのヨー 村はづれ

10月1日に自宅で近所のM上さんと一緒に酒を飲みつつ、ともに故郷を後にした「クチ」なのでそれぞれの「ふるさと」を想い出しながら、しんみりとオリジナルの春日八郎の唄を聴いたものだったが、M上さんによると、作曲家自身の「船村 徹」がギターの弾き語りで歌ったのがあってそれがベストだとのこと。

そう断言されると、この曲を愛好している自分にとって黙って見過ごすなんてまずありえない話


早速、ネットの「HMV」で調べてみると、あった、あった。

平成18年に発売されたもので、作詞した「高野公男」の没50周年記念と銘打って16人ものトップスターの歌手たちが「別れの一本杉」を歌っている。レコードメーカーの垣根を越え、実現した夢の豪華企画とある。

「高野公男」の没50周年記念と言ってもピンとこない方が大勢だろう。

この「別れの一本杉」が世に出たときには高野が丁度25歳、作曲した船村が23歳。そして高野が肺結核で亡くなったのがわずか1年後の26歳。

高野は茨城県出身、船村は栃木県出身。「オレが茨城弁で詩を書くから、お前は栃木弁で唄を作れ」と切磋琢磨しあった仲。

”刎頚の友”を失った船村の嘆きやいかばかり。船村はこう記す。
「その日から50年の歳月が流れ去った。そして私のみ、この世に老醜をさらしている。慙愧堪えがたしである」。

さて、16名の歌手たちを収録年の古い順に挙げてみよう。

 春日八郎(昭和30年)  三橋美智也(昭和45年)  大川栄策(昭和47年)  北島三郎(昭和47年)  藤圭子(昭和48年)  美空ひばり〔昭和51年)  村田英雄〔昭和55年)  鳥羽一郎(昭和58年)  船村徹(平成1年)  中村美律子(平成1年)  天童よしみ(平成2年)  原田悠里(平成4年)  大月みや子(平成5年)  細川たかし(平成8年)  五木ひろし〔平成14年)  西方裕之〔平成16年)

日本の歌謡界を代表する歌手たちの「別れの一本杉」の競演となれば放っておくわけにもいくまい。勇んで、注文したのはいうまでもない。

そして我が家にようやくCD盤が届いたのが10月9日。
 

「別れの一本杉は枯れず」       

しばらく音沙汰のなかった「M上」さんだが、パソコン教室でみっちり鍛われていたそうで、「船村徹の”別れの一本杉”を手に入れましたよ、聴きにきませんか~」と誘ってみると、大喜びで10日(土)の16時にお伺いしますとのこと。

さて約束の日時きっかりに「久保田の萬壽」をぶら下げて現れたM上さん、「今日は歌謡曲なので日本酒の冷やでいきましょう」と最初から決意も新たに目が据わっているのが何とも頼もしい。

まるで気迫に押されるように、早速、CD盤の封を切ってあとは30分ほど前からスイッチを入れて暖めておいた機器に委ねるばかり。

はじめに、トラックナンバー10の船村徹。

「ウーン、これは参ったね~」。情感たっぷりで実に陰影に富んだ唄いかた。いっそのことシンガー・ソング・ライターになればというほどの
「抜群のうまさ」だった。M上さんが絶賛するはず。

もちろん好き好きだろうが、自分は春日八郎よりも上位に据えたいと思った。「ふるさと」を想う哀愁が全編にみなぎっているのがその理由。

あとは最初から順番に聴いてみたがメロディーも歌詞も一級品なので全然飽きがこないし、歌手が変わるたびに新鮮な印象を受ける。改めてこの作品そのものの大きさ、懐の深さに舌を巻く思いがした。

さて、船村徹がダントツだとするとそれに肉薄するのが昭和の歌姫「美空ひばり」。昭和51年の吹き込みだから彼女の全盛時代ともいえるもので、声の張りといい、節回しの自由自在さといい”他人の持ち歌”といえども自家薬籠中のものだった。これはもう「お見事!」の言葉以外に称えようがない。

女性による「別れの一本杉」を聴くのは初めてと言われるM上さんも大いに感激。後は大月みやこ、中村美律子(みつこ)もグッドといったところ。

しかし、まだ大事な”お人”を忘れてはいませんか?

そう、
「ちあきなおみ」がこのCDには収録されていないのである。これはいくらなんでも片手落ち~。

「ちあきなおみの”別れの一本杉”がどうしても聴きたいなあ」と、ほろ酔い加減に任せて”いい年”をしたオジンたちがやみくもに叫ぶ!

それにしても、今日はこのように「別れの一本杉」ばかりを聴くと、何だかもう”しんみり”となってしまい胸が一杯になった感じで他の曲を聴く気がしなくなってしまった。まるで”宴会の自粛ムード”みたいでエレジー(哀歌)効果は想像以上。

こんな後ではクラシックもジャズもとても場違いな印象がしてきて、これはもう、うまい日本酒がワインやウィスキーに付け入る隙を与えなかったようなもので、結局今回は17時半頃と早々と店仕舞いになってしまった。

なお、「ちあきなおみ」の「別れの一本杉」を翌日ネットオークションで探してみたら
「ちあきなおみ演歌を歌う~16曲収録」に入っていた。即時落札。

16日頃までには届くと思うので17日の土曜日でもまたM上さんと一緒に試聴するとしようか。

           


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音楽談義~「ガラスCD」に思う~

2009年10月10日 | 音楽談義

以前から興味を持っていた「ガラスCD」試聴記事がようやく見つかった。

「フェルメールの楽器」~音楽の新しい聴き方~(2009.7)

  

著者は「梅津 時比古」さんで、沢山の音楽コラムを集めた本だがそのうち「クザーヌスのガラス」という項目に該当記事があった。(52頁)

まずご存知の方も多いと思うが念のため「ガラスCD」についての概要を。

現在プラスティックで出来ているCDの円盤の部分をレンズのような強化ガラスにしたもので2006年に日本で開発され、ガラスの優れた物理特性により、CDに刻印された音楽情報が濁りのない音になるとされている。もっと知りたい方はクリック、 「ガラスCD」

1枚税込み20万円なり!

噂には聞いていたが自分のような貧乏人にとってそうそう買えるはずもなく、オーディオ店などで聴かせてもらう機会があればという感じだったが、とりあえず著者の試聴結果を引用させてもらおう。

曲目はカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーのベートーヴェン「交響曲第九番<合唱>」。音楽史上最高峰の一つとされる作品で鑑賞の対象としてまったく不足なし。

『聴き比べると、まさに白濁したプラスティックが透きとおったガラスになったような変わり方だ。オーケストラのさまざまな楽器、各声部がはっきり聴こえ、それでいて全体は豊かに統一される。一瞬、一瞬の繊細な音色と、目の前で聴いているような臨場感!

いちばん驚いたのは、かって、勢いだけで味わいに欠けると思っていたカラヤン指揮ベルリン・フィルの「第九」が、こんなにも繊細な表情に満ち、そのうえ毅然としている、ということだった。

この演奏は1962年の録音で、カラヤン全盛時の華やかな多彩な音色はまだなく、そのかわりに真摯に新しいベートーヴェン像を追求する緊張感にあふれる。

面白いのは、この62年盤がテープによるアナログ録音であることだ。最新のデジタル録音に比べてアナログ録音の方が、録音の精度は低いとされる。しかも40年以上を経て年数による劣化も大きい。ところがアナログで録音した音は、その後にカラヤンがデジタル録音した「第九」よりも、ガラスCDによって生き生きとよみがえっている。』  
~以下略~

以上のとおりで、人によって受け止め方が”さまざま”だろうが、「音楽コラム」を書いて20年の経歴を持つ著者の耳と良心を信用することにして、自分は次のように思う。

まず、何とか少しでも音質をよくして
「いい音で好きな音楽を聴いて感動に浸りたい」と日夜を問わず頭を悩ましているオーディオ愛好家にとって、ハード面〔装置)よりも、むしろ「ガラスCD」といったソフト面からのアプローチによる改良の方が効果的というのが第一の盲点。

以前、CD盤のレーベル面にカッターナイフで薄く線を刻む「江川カット」を紹介したことがあって、これはたしかに効果があったがこの「ガラスCD」の場合は素材そのものを見直しているのでその効果はさらに計り知れない。

今のところ、1枚20万円という非現実的な価格は到底受け入れがたいが、日進月歩の技術により、いずれガラスに近い透明度を持つ安価な素材と、それに応じた音楽情報の刻印方法が開発されるかもという期待感に思わず気持ちが弾むところ。

さらに、そのこと以上に昔のアナログ録音がデジタル以上の音質でもって生き生きとよみがえるというのが何よりも楽しくなる。

今どき、昔の演奏家の録音が「いい音」で聴けるかもしれないなんて感動ものである。

懐古趣味と言われればそれまでだが、1940年~1950年代に活躍した指揮者や演奏家たちの演奏がずっと記憶に残っていて耳から離れない。

フルトヴェングラー、トスカニーニ、ジネット・ヌヴー、オイストラフ、リパッティ、ハスキル・・・。

彼らが活躍した時代は第二次世界大戦前後の人間の生命がいとも簡単に失われる荒廃した時代とその復興期。いわゆる音楽芸術に「魂の救済」が求められた時代。

あえて比較させてもらうと現代の演奏家たちとはそもそも「芸格」が違うように思う。

この辺はジネット・ヌヴーが弾く「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」(イッセルシュテット指揮)を聴いてもらえれば「一聴瞭然」。

こういうクラシック黄金期の演奏がオーディオ装置改良の限界を超えて、次々といい音質で蘇る時代がやってくるのであれば、これはもうたまらないが時間との競争になるのは明白。

さてさて、長生きはしたいものの天命はいつのことになるのやら!

            


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独り言~身辺情報あれこれ~

2009年10月07日 | 独り言

 県職員の強姦未遂事件

何とも”おぞましい”話題だが、先般のブログ「薄氷を踏むような人生とは?」で触れたとおり、「魔が差したのか、常習だったのか警察の捜査を待ちたい」についてその後の経過を記載して一応ケリをつけておこう。

9月下旬に県人事課の職員が2名、警察署で本人と面会して事件の確認をしたところあっさりと自分の罪を認めたという。「自分の意志の弱さが引き起こした事件で県民の皆様に申し訳ない」と本人のコメント。

県はこれを受けて10月1日付で当然のことながら懲戒免職とした。問題はその後で、警察の取り調べにより余罪が続々と発覚していること。

                             

左の地元新聞の10月5日〔月〕付け夕刊では数年前の事件も関与と記載してあるが、右の10月6日(火)の同じ地元新聞の朝刊では「2年前も大学で」とあるのでどうやらクセになっていたようである。 

”ウーン、やっぱりそうか”。

一時的に魔が差したのであれば”若気の至り”とちょっぴり同情の余地があると思っていたが、常習化していたのであればこれはもうまったく
イケマセヌしっかりと罪を償って欲しい。

それにしても元気のいい男である。いっそのこと県職員なんかならずにAV男優になればよかったのに~。

 「ソルマックS」〔生薬配合胃腸薬)

10月1日(木)に近所のM上さんと音楽を聴きながら酒をたらふく飲んだところ、翌2日〔金)は高校時代の同窓M平君との久しぶりの飲み会。

現役を退いてから大量のお酒の2連荘はできるだけ避けているがこればかりは前からの約束だし楽しみにしていたので伸ばすわけにはいかない。10月1日の分が予定外だったというわけだが、こういう飲み事の連荘のときに大いに重宝しているのが生薬配合胃腸薬の「ソルマックS」である。

         「ソルマックS」          


商品の宣伝の片棒を担ぐつもりは毛頭ないことを最初にお断りしておかねばならないが実に自分の胃腸と相性がいいのである。

これを飲み始めたきっかけは10年ほど前に懇意にしていた獣医さんが酒を飲む前にこれを1本飲んでおくと翌日の気分が全然違うということを聞いてから。いわゆる掛け値なしのクチコミ情報である。

自分はあまり体力もなく胃腸の方も自信がないので早速試したところ効験あらたかでどんなに飲みすぎても翌朝胃が荒れた気がしない。以降、自分の常備薬ともいうべき存在で飲み事の前に必ず1本、どうかすると2本飲んで臨んでいる。

それに風邪薬の飲みすぎなんかで胃が荒れたときにもバッチリ。こうなるともう多分に心理的な作用もあるんだろうが常備薬のようなものである。どうかすると気分がパットしないときにも飲む有様。

自分の体質に合った胃腸薬にまだ出会っていない方は是非一度試されることをお薦めする。ただし、普通の「ソルマック」ではなく「ソルマックS」でないと自分には効き目が全然違ったので念のため~。

健康情報でもう一つ。

先日のNHK教育テレビで心筋梗塞の特集をやっていたが、毎日、魚(鯖、いわし、まぐろなど)を1回食卓に載せていればリスクが半分以下になるとのデータが示されていた。

心臓病にはやや思い当たる節があるので、それ以来、鯖や”いわし”を1日1回の食卓に欠かさないよう食べている。

 「オーディオ装置で聴く」音楽の良さとは

前回のブログで「サントリーホールで聴く弦合奏の音をオーディオ装置に期待されたらたまったものではない」と、オーディオよりも生演奏を上位に置いた趣旨で記載しておいたところ早速オーディオ仲間のM崎さんから電話を頂いた。

もちろんオーディオ擁護の立場からのご発言で、「本来の音楽好きとは生演奏よりもオーディオ装置で聴くものだ」というご意見。

その理由について。

 主旋律とか副旋律とか複雑に入り組んだ構成を持つクラシック音楽をたったの一回程度演奏会で聴いたくらいで本当の良さが分かるはずがない。たとえば「田園」(ベートーヴェン)の真髄に触れるためにはそれこそ何十回となく聴かねばならない。

 日本で聴ける演奏会では残念なことになかなか「いい演奏」に出会えない。一応プロのレベルなんだろうが超一流の演奏家による名盤と比べると明らかに演奏の質が落ちる。

 演奏会では客席の位置によって受ける音楽の印象が変わる。それに視覚的、聴覚的な雑音が気になってしまう。

 オーディオは演奏会と違ってスイッチを入れさえすれば何時(いつ)でも自分の気の向いたときに音楽を聴ける。

以上のような内容だった。

「オーディオと生演奏のどちらがいいか」の問題は随分と長い論争の歴史がある。今回はあまり深入りせずに情報提供程度に留めておいて、いずれ項を改めた方がよさそう・・・。

          


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音楽談義~「音楽」と「お酒」と「会話」~

2009年10月05日 | 音楽談義

昨年の4月から地元の自治会〔約150世帯)で会計業務に従事している。

なかなか手間の掛かる面倒な仕事なのに年間報酬は5,000円なり。自由時間の喪失と収入との損得勘定からすると誰もが敬遠したくなる役柄だが日頃付き合いのある方から口説かれてしまいボランティア精神を発揮して仕方なく引き受けた。

地区内はほとんどが高齢者世帯ばかりで70歳以上が92名、比較的若い方は日中は当然のごとく仕事で忙しく該当者は限られている、この辺で4年間ほど義理を果たしておけば後々、役員になってくれとかいう面倒な話のときに
「断りやすい」というひそかな皮算用ももちろん働いている。

さて、嫌々ながらもいざやってみると、これまでまったく口を利くことの無かった方々といろんな行事を通じて知り合いになれてなかなか楽しい。そのうち今年の4月から体育部長に就任された「M上さん」とも自然と懇意になった。

M上さんは海外に支店が沢山ある、とある商社に長くお勤めだったが定年を機に1年半ほど前に東京の自宅を売り払って、縁もゆかりもない別府に温泉があるという理由だけで引越しされてきた方で我が家から徒歩4分程度のところに住んでおられる。

丁度売り払ったお金で今住んでいる自宅を購入されたところ建坪と敷地の広さが一挙に3倍近くになったというから今更ながら東京の地価には驚く。

しかし、長いこと都会生活に慣れた方にとっては自然に恵まれているとはいえ田舎特有の閉塞感に淋しくてたまらないようで奥様ともども、とにかく友人を増やしたいと前向き。

そのうち去る9月29日の火曜日に「遊びに来ませんか」と招待されたのでビールを引っさげて夕食前のひとときを懇談したところ話題が自然と音楽の話に。

「サントリーホール」でのクラシック鑑賞は言うに及ばず、新宿伊勢丹の裏の小さな「ピットイン」というジャズバーにも度々行かれていたという。特に「サントリーホール」で聴いた弦合奏は身体中がゾクゾクしてこの上ない快感だったご様子。

自分にとっては「待ってました」という感じでようやく地区で同好の士が見つかったと内心大喜び。今度は我が家のオーディオ装置で一緒に音楽を聴きましょうと提案したのは言うまでもない。

そして、約束どおり10月1日の午後4時きっかりに玄関のチャイムがピンポ~ン。

自分のオーディオ装置を初めての方にお見せし聴いてもらうのは何となく緊張するものである。

長年、手塩にかけて育て上げてきた感がある音質は自分の内面そのものだと言っていいくらいだが、直接、覗かれるみたいで何だか気恥ずかしいし、自分がいくら「いい音」だと思っていても「人の好み」はまさに千差万別で気に入ってもらえるかどうかは本当に分からない。

それに「サントリーホール」での弦合奏の響きなんかを期待されたら、世界中のどんなオーディオ装置だって五十歩百歩でまず絶対アウト、それこそたまったものではない!

所詮、箱庭と盆栽の世界というわけで他人に対して「どうです、スゴイでしょう、いい音でしょう」なんて無理強いの印象を極力与えないというのが「マナーとして当たり前のこと」だが自分のモットーである。

最初に聴いたのは「ちあきなおみ」のベストシリーズから「かもめ」。カラオケの十八番(おはこ)だそうで、東京の友人たちと「ちあきなおみ」は美空ひばりを越えていると話題にされていた由。

「ビブラート(声の振るわせ方)が実によく分かるなあ~」。”かもめ”の次は今度は自分が好きな「男の友情」。船村徹と高野公男との友情を歌にしたものだが「エッ、この曲をちあきなおみが」と意外なご様子。

次に、クラシックを所望されたがその前に、帰りは徒歩なので飲酒運転の心配も無いことだし「お酒」を飲みながら聴きましょうかとビール、熱燗、そしてウィスキーの順番におもてなし。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲5番を手始めに、次はK(ケッフェル)・136の「ディベルトメント」へ。「136ですから若い頃の作品ですね」とちゃんと分かっておられる。Kの由来であるケッフェル博士が分類した番号ということもご存知だった。この辺は”通”であるかないかのリトマス試験紙のようなもの。

余談だが、モーツァルトは演奏会用に作曲した自分の作品が後世に遺るなんて考えもしなかったので生存中は自分の作品の整理番号には無頓着だった。その点ベートーヴェンとは違う。

この辺の意識の違いが両者の作品から受ける印象に明らかな差異を示していて、モーツァルトの作品は全て人の目を意識しない自然体だがベートーヴェンの作品には、ときおり
”これで、どうだ”と押し付けがましいところがあるような気がしてならない。

話は戻って、とにかく音楽を聴きながらお酒を飲むと、どんどんピッチが上がっていくが飲めば飲むほどに音楽が素晴らしく聴こえてくるので不思議。

通常、我が家に来ていただくオーディオ仲間は全てクルマなのでアルコールは厳禁でお互いに素面での試聴だが、こうして自分もお酒を飲みながら一緒になっての鑑賞になると随分と気分が高揚する。

一人で「音楽」を聴くときに「お酒」はつきものだが、これに「会話」が加わると一段と盛り上がるというのは新発見。

そしてクラシックの最後はマーラーの傑作「大地の歌」第六楽章〔告別:29分25秒)。クレンペラー指揮でクリスタ・ルートヴィッヒ(メゾ・ソプラノ)の一世一代の快唱。

孟浩然と王維の詩を引用しつつ東洋的な諦観のもとに「大地の永遠の美しさ」を対比させることで人間の生命の”はかなさ”を歌ったものだが、
「Ewig(永遠に)・・・、ewig・・・」とつぶやきながら次第に声が小さくなっていくエンディングに思わず胸が震え感極まって涙がボロボロと溢れてしまった。

ロシア〔当時、ソ連邦)の大作曲家ショスタコーヴィッチが晩年この曲を病床で繰り返し聴いていたというのも真偽のほどは別にして強い説得力を覚える。

「一流の芸術はその底流に死を内在している」(河合隼雄氏)

クラシックの後は再び歌謡曲へ。このあたりは「iPod」に集中的に収録しているのでDAコンバーターの入力をCDから「Wadia170iトランスポート」に変換。CDのように入れ替え作業がないので随分と楽。

「襟裳岬」「北国の春」「夢の途中」といったオジサン向きのナツメロを歌詞を見ながらカラオケさながらに一緒に声を張り上げて歌ったがお互いに相当酩酊しているので少々音程が外れてもあまり気にならない。

そして、ベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」で、やはり同じ世代なんだね~と確認し合ったが、東京時代は「ペッティング&クリトリス」と言ってたなんて茶化すもんだから腹を抱えて笑ってしまった。アルコールが入っているとはいえ実に面白い方である。

そして、船村~高野コンビの名作「別れの一本杉」では「石の地蔵さんのよう~、村はずれ」のところが大好きなのに春日八郎では十分表現しきれておらず、作曲家の船村徹自身の弾き語りが最高とのことだった。

この辺はなかなかユニークな見方をされているので細かく突っ込んでみよう。

この曲の原点は当時の「故郷を後にして都会へ」という世相を反映して(心理的な意味での)”ふるさと回帰”にあるのだが、日本のふるさとのイメージとは「人の住んでいる気配」を基準にして次の順番だとM上さんは独特の持論を展開される。

奥山 → 山奥 → 里山 → 山里 → 里 → 村 →町→市→県→国。

かなり酔った状態なのにこれらがスラスラと出てくるのに驚いたが、要するに末端の「奥山」とは熊などの動物だけが住んでいる意味合いで、「別れの一本杉」の”村はずれ”とは、もともと「里山」~「山里」あたりのイメージを醸し出さねばならないのに春日八郎の歌唱ではそこまで至ってないとのこと。そういえばたしかにサラリと流し過ぎている感がある。

その辺のところを情感豊かに歌い上げているという船村節(ぶし)の「別れの一本杉」、是非、是非聴いてみたいものである。後日「HMV」で調べてみるとしよう。

いずれにしても日本人としてどんなにクラシックに通暁したとしても「日本の歌でしか触れることのできない琴線がちゃんとあるんだな~」と痛感した。こうなると歌謡曲といえども”ゆめゆめ”おろそかにはできない。

因みに「奥山」「山奥」「里山」などの言葉は全て「広辞苑」にちゃんとした意味が記載されているので興味のある方は是非ご覧を。

さて、時刻もようやく6時半頃となり初秋の”つるべ落とし”に、すっかり足元が暗くなったので「今日はこの辺で」ということに。

「これからも頻繁にお伺いしますのでどうかよろしく~」。

「午後の2時から4時ごろまではトレーニングに行ってますが、その間を除いて何時(いつ)でもどうぞ~」。

それにしても今回は封切りの「マッカラン12年」のボトルが2時間ほどで1/3ほどに。実に快調なペースで非常に楽しかった~。

音楽は相手と一緒に酒を飲みながら聴くべし!

      


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オーディオ談義~「接続部のクリーニング」~

2009年10月02日 | オーディオ談義

「あまりお金をかけずに音が良くなる方法が何かありましたら教えてくれませんか?」

と、たいへん”虫がいいお願い”をしたのは奈良県にお住まいのM中さん宛てのメール。

先日のブログで紹介したとおり
「ブログの写真画像拡大」で非常にお世話になったM中さんとは、これをご縁にその後も度々メールの交換をさせてもらっているが、内容からしてオーディオには自分以上の筋金入りのお方で真空管アンプの自作もお手のもののご様子。

そこで、知り合ってあまり間がないのに冒頭の”ぶしつけ”な「お願い」となったものだが、返信のメールには最重要なのは「接続部のクリーニング」とあって、「レミックスのナノカーボン接点改質剤」「クレのCRC-2・26」そしてピンジャックのクリーニング用「スティック」の画像が添付されていた。

「さすがだな~」と思わず唸ってしまった。お金をかけずに音を良くする方法としては接点のクリーニングがベストであることは疑いを容れないが、案外、盲点みたいなところがあって改めて
「目からウロコ」みたいな思いを抱いた。

人間の耳は結構、鈍感なところがあって音が急変
するとすぐに気が付くが毎日聴きなれている音が次第に劣化していくと意外に気がつかないもの。

以下、あくまでも
私見だがこの辺を詳述してみよう。

オーディオは固有の電気回路のもとにいろんな役割を持っている機器同士を組み合わせることによって成り立っているがその接続部は全てピンケーブルなどによる金属同士の接触。

それぞれの機器が持っている能力のベストの状態を発揮させて音楽を聴きたいのであれば個々の接続部にしっかりした電流を通してやらねばならないのがオーディオの基本中の基本であり大前提。

しかし、その接続部に日常的に電流が通っていく以上、異質の金属間で接続部に何らかの変化が生じて被膜化し時間の経過とともに次第に酸化していって音質に悪さをするのは容易に想像できるところ。

とはいえ通常、ピンケーブルなんかは酸化防止のために端子に金メッキが施してあるが、金といえども経年劣化や埃がつくのは必然で眼に見えないだけで顕微鏡で観るとビックリするほどの状況かもしれない。

それに、そのピンケーブルだって端子がピカピカに光っていていかにもピタリと接触できそうだが顕微鏡で拡大すると小さな凹凸だらけで、この接続部分で相当の通電量のロスがあることは間違いなし。

したがってピンケーブルの接続部分を全てハンダ付けしているという超マニアの話をときどき聞く。オーディオ仲間のM崎さんからは以前、真空管の全てのピンをソケットにハンダ付けしたと伺ったことがある。

「音はどうでした?」とお尋ねすると「まったく異次元の音みたいで改善効果は抜群」との回答。もっとも、これは真空管を交換するときなんかがたいへんだが、毎日のように聴いてもおよそ数年は大丈夫。古典菅のWE300Bなんかは10年以上の持ちはザラである。


したがって「オーディオの究極はハンダ付け」という説も十分うなづける話で安物の機器がハンダ付け接続のおかげで高級器並に変身というのも十分ありえること。もし棄てようとする機器があるならばとりあえず、接続部をハンダ付けして聴き直してみるのも悪くはない。


いまさら「ハンダ付け」なんてと馬鹿にされそうだが、これは金属同士の古くて新しいベストの接着方法なのである。あの科学技術の粋を極めた宇宙ロケットでさえもハンダを多用しており、総重量の軽減化にハンダの材質の軽量化が一番効果があったなんて話を読んだことがある。

話がやや逸れ気味だが、
全ての接続部をハンダ付けすればクリーニングは一切必要ないということを言いたかったわけだが(ハンダ自体の経年劣化も当然あるがこれは別として)、現実には機器の移動や交換に伴う手間なんかを考えるとそういうわけもいかない。

自分の場合、クリーニングについては
「絹の材質で接点を磨くといいよ」と教わったので、ときどき思い出したように実行してきた。ピンケーブルから真空管のピン1本1本に至るまで丁寧に拭くのである。つい、怠りがちになるが”ゆめゆめ”忘れてはならない作業である。

オーディオはとにかく”こまめ”な作業が欠かせないが、これは「女性を口説くのと一緒だ」な~んて、まあ!

さて、M中さんのメールを拝見して急いで古くなった絹のネクタイで全ての接合部を磨いたのは言うまでもないが、こんな使われ方をするネクタイがちょっと可哀想、しかしもう使い道が無いので許してほしい・・・・。

因みに、メールに添付したあった「レミックスのナノカーボン接点改質剤」に興味があったのでネットで検索したところ評判がいいのだろうか「在庫なし」の状況だった。

                    

左の写真がレミックスのナノカーボン接点改質剤

中の写真がクリーニング用に使っているネクタイ

右の写真がこれから述べるSPケーブル端子の加工部分

M中さんのメールで思い付いて実行した次の対策が低域用のアンプとスピーカー(SP)を結ぶケーブル端子の改良である。

現在SPケーブルはウェスタン社の古くて細~いケーブルを使っていて引き回しが大げさにならずたいへん重宝しているが唯一の欠点なのが針金状の単線なのでアンプとの接続部分の密着度が”いまいち”なところ。

もちろんSPユニットとの接続部は昔のユニットなので直接ハンダ付けが可能でバッチリ処理できるが、アンプとの接続部は改造が難しくてそういうわけにもいかない。

そこで以前使っていた3cmほどの金の網線を引っ張り出してきて、ケーブルの端にハンダ付けしてみた。興味のある方は上記の写真上でクリックして拡大してご覧ください。この網線部分でアンプと接続させると密着度が飛躍的に向上する。左右プラス・マイナスで都合4本。

早速試聴してみたところ、こればかりは音が悪くなるはずがなく低域のボリュ-ムを一段階落としても十分な量の低音が響き渡った。通常、低域は中高域と違ってこの種の改善に鈍感とされるがそれでもこの調子。

余談になるがこれまでの経験で言わせてもらえれば、SPケーブルとSPユニットの端子との接続ばかりは絶対にハンダ付けがベストであると断言しておこう。この付近の音の変化は著しい。

とにかく今回は一切お金をかけずに十分な効果が得られたので大満足である。             


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