「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~「デジタル機器に名器なし」♯1~

2010年11月30日 | オーディオ談義

現役時代に部の次長と課長という、セクションとしては中途半端で間接的だが、上司と部下の関係だった先輩のKさん。

大分市にお住まいで趣味が「オーディオと釣り」ということで、自分とピッタリなので何かと話が合い、有形無形にお世話になった方。

アンプがマッキンのたしか602〔出力600W)、アキュフェーズのA60、スピーカーがJBLのパラゴンとB&Wといった超ど級の機器をそろえておられ、自分なんかがとても足下にも及ばないようなハイエンドのオーディオ・マニアである。

もちろん、当時の上下関係がオーディオにも如実に反映していて、直接にはおっしゃらないが「君の音は・・・」といった感じでそれ程評価されていない印象をいつも受けていた。

事実そうなのだからこればかりは仕方がない。もちろんオーディオに掛ける情熱とプライドも相当な方である。

それがどういう風の吹き回しなのか、つい4日ほど前にそのKさんからご連絡があった。

我が家にお見えになってからもう7年くらい経つだろうか、随分とお久しぶり。

「近年、レコードに熱中していてねえ。オルトフォンのSPUマイスターなどカートリッジの周辺機器にも相当投資をしたんだけど肝心のソフトが手に入りにくくて・・・。」

「国内プレスは音質が悪くてまったく聴けないのでもっぱら輸入盤を漁っているんだけど、メチャ高くて常識ハズレの世界。1枚が数万円もするのもあるし、聴きたい演奏が簡単に聴けないというのが何といっても困ってしまうよ。」

「そこで再びCDに戻ろうかと迷っているんだ。以前、エソテリックのCDトランスポートを購入してアキュフェーズのDAコンバーターにつないで聴いているけど、どうもイマイチ。そこで○○さん(自分のこと)が持ってるワディアのDAコンバーター(27ixVer3.0)につないで音質を確認したいんだけど試聴させてもらえるかな。」

「ええ、結構ですよ。ケーブルを挿し替えるだけですから簡単に接続できます。いつでもお越しください」

よ~し、チャンス到来。期するところあり!

Kさんは自分がSPユニットの名器「アキシオム80」を3年ほど前から使い出したのをまだご存じない。

蝶ダンパーによるエッジレスという独特のツクリのため音声信号に対する反応と収束がとにかく速い。

断言してもいいが近代のどんな(コーン紙の)SPを持ってきても繊細さの表現においてこのユニットの右に出るものはない。

  

音はどういうSPを使うかでおおかた決まる。聴く人すべてが絶賛するこの絶妙の音で名誉挽回の絶好のチャンス。

「もはや昔日の自分とは違いますぞ!」

”てぐすね”をひいてお待ちもうしあげる中、日程調整の結果実際にお見えになったのが28日〔日)の午後。

ランドクルーザーの後部座席に20kg近くあるエソテリックのCDトランスポート「P70VU」を積み込んで14時前後にご到着。

二人で抱えてやっと20畳(6m×7m)ほどのオーディオルームに運び込んだ。

その後、東京の業者と懇意なKさんからつぶさに最新のオーディオ界の情報をいただくことになるが、長くなりそうなので続きは次回ということで~。


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音楽談義~「テスト盤」~

2010年11月28日 | 音楽談義

これまでたびたびオーディオ装置の入れ替えをやってきたが、その都度、テスト盤がクルクル変わっていてなかなか一定していない。

装置の変更によって音質がどう変わったか、その良し悪しを判断する最初の関門であり大きく印象を左右するテスト盤なのであだやおろそかに出来ないところ。


ジャンルを問わず全方位的に標準となるテスト盤を持っていれば便利なことこの上ない。

それに我が家のみならず、他家にお伺いしたとき、そのテスト盤を聴かせてもらえればたちどころに音の傾向が分かるというのもたいへん助かる。

「一体、よそ様はどうされているんだろうか」と興味を抱いて、先日オーディオ仲間のMさんにストレートに訊いてみた。

「オーディオ装置をいじったときの最初のテスト盤には何を択んでます?」。

「そうだねえ、まず日頃聴きなれた曲を択ぶね。最初に音域の広いピアノが先に来て、次が高域の特性を顕わにするヴァイオリンといったところかなあ。オーケストラは楽器の数が多すぎて適当じゃないねえ」

「ピアノといってもピアニストによって全然違うけど、内田光子さんのは録音があまりに良すぎて(フィリップス・レーベル)変化がいまいちよくわからないね。先日CDのピックアップを取り替えた後に試聴してみた結果、一番顕著に変わったのはケンプの弾くバッハ名演集(イギリス組曲ほか)だったね。」

結局、試聴盤の条件としては日頃聴きなれている好みの曲目、それもあまり録音が良すぎても悪すぎても適当でない、程よい年代の録音といった言い方をされていた。

自分の場合、最近になってもっぱら利用しているのはベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集。演奏はアルバン・ベルク・カルテット。

       

ヒラリー・ハーンのヴァイオリン独奏(「プレイズ・バッハ」)もいいけれど、録音が良すぎるし低域がほとんど含まれていないのが難点。

それに比べてチェロ、ヴィオラ、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリンによる弦楽合奏は高域はもちろん、低域も気持ちよく伸びていて全体のハモり具合がよく分かるし、演奏位置も明解なので最適~。

この演奏がキンキン鳴って聴きづらいようだと、まずその再生装置はアウト。こもりすぎて一体的に聴こえるのもダメ。(ただし、もちろんクラシックに限る話)

次に、テスト盤という範疇を突き抜けて
「音楽としてもっと聴き続けたい」という気にさせられるかどうかも重要なポイント。

当然、曲目自体にも深い内容が求められるのはいうまでもない。

その点ではベートーヴェン(1770~1827)が死を迎える2年前の1825年から26年にかけて作曲されたこれら後期弦楽四重奏曲〔5曲)については内容の深さにおいて他の追随を許さない。

「巨匠への畏敬の念とともに正座して聴かねばならない」

あまりの完成度の高さに手も足も出ず、以降の音楽家たちに作曲する意欲を失わせた」など数々の通説に彩られている名曲群。

ベートーヴェンにとってこの時期はソナタ形式との格闘も既に遠い過去のものとなり、既成概念や因習というものからも解き放たれて、
その精神を思うがままに飛翔させることのできる至高の境地に達していた。

いきなりだが芸術家にも二種類あって比較的早い時期に才能が枯渇するタイプと、年齢とともに益々成長を遂げていくタイプとがあるように思う。

前者ではフィンランドの作曲家シベリウスが30代半ばを境に光を失っていったし、日本では映画監督の黒澤明が「七人の侍」を頂点として、以降、それを越える作品が見当たらない。

一方、後者ではベートーヴェンがまさしくそうだし、浮世絵の葛飾北斎も該当する。彼らはいわば「努力できる才能」を最後まで持ち合わせていたとも言えるだろう。

ただし、3歳の頃から35歳まで休むことなく才能が走り続けたモーツァルト(1756~1791)はまったく別格の存在。

ところでこの後期弦楽四重奏曲の一群の中でも最近よく聴くのが第12番「作品127」。

第一楽章冒頭の合奏と、第二楽章のジワ~っと心に染み入ってくるような和音を聴くと思わずベートーヴェンの深い精神世界に引き込まれてしまう。

この曲目で真空管アンプ(WE300B:モノ×2)の初段管(12AT7=ECC81)の銘柄「シーメンス」「ムラード」「フィリップス」を取り替えての三者の比較試聴をしたところ、見事にそれぞれの特徴を色分けして聴かせてくれた。

ようやく巡り会ったと思わせる「テスト盤」である。


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読書コーナー~「鋼鉄の叫び」

2010年11月26日 | 読書コーナー

久しぶりにズシリと読み応えのある重量級の新刊だった。構想30年に及ぶというのも素直に頷けるほどの力作。

              

第二次大戦中「神風特攻隊」の基地だった鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地。

ここにはかっての特攻隊員たちの遺書や遺影、遺品などが展示されており、子供たちの生きた社会勉強のひとつとして全国各地の修学旅行生がひきもきらないところ。

あるとき、そういう修学旅行生のうちの一人の中学生の女の子が特攻隊員たちの遺影の1枚を凝視して「おじいちゃん」と呼びかけた。

ここから物語が大きく展開していく。

ここに飾られているはずの遺影はどれも20歳前後の若い特攻隊員のものばかりで既に全員亡くなっているという大前提がある。

にもかかわらず女の子が「おじいちゃん」と呼びかけたことは、もしや今でも生存している可能性が・・。

当時、片道の燃料しか持たされず出撃していった特攻隊員たちは単に戻ってこないというだけで、いわば死体を確認されないまま戦死と見なされた。

しかし、出撃したもののうち、何らかの事情で生き残っているものがもしかしているのではないか。不時着、あるいは自分の意思によって引き返したり・・・。

もちろん、不名誉な話なので本人が名乗り出るわけがない。

主人公で独身の雪島は有名テレビ局のディレクター。1995年8月の終戦50周年の記念番組にちなんで生涯をかけた作品の企画を練っていた。

この話を聞き及んだ雪島は「人間の本質を問うヒューマンドラマに」との視点からストーリーを組み立て、当の本人を何とか捜し出して番組に出演してもらうことに狂奔する。

同時並行的に、雪島と人妻との不倫模様が進行してのっぴきならない深みにはまっていく。

「失楽園」〔渡辺淳一著)クラスとまではいかないが、かなりきわどい「描写」が最初の頁を皮切りにところどころにある。

「えっ、これがあの”リング”や”らせん”の著者の鈴木光司さん?文壇で一、二を争う教育パパで有名な作家だが、ここまで書くんだっけ」と思うほどに大胆。

著者の狙いとして「特攻」という命の極限を扱ったテーマと「エロス」とを意識的に対比させたのだろうが、この重いテーマに「不倫」を絡める必要が果たしてあったのかどうか、賛否両論あるところだろう。自分はやや否定的な立場を採る。

それはさておき、最終段階にさしかかった番組のゴーサインを決めるテレビ局の企画会議で明かされる「消えた特攻隊員」の衝撃的な真相には誰もが驚かされるのは必定。

これは立派なミステリーだと断言してもいいくらいの意外性に富んでいる。

また「歴史を知らない民族は滅びる」という。「特攻の歴史」は日本民族のすべてに永遠に語り継がねばならない事柄だと思う。

ネットによると「日本人は今も昔も本質的に変わっていない」が本書を通じての著者の主張だそうだ。

分厚いので読み終えるのに結構時間がかかるがひとつ根気試しにチャレンジされてはいかが~。


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独り言~「マイ・フーリッシュ・ハート」~

2010年11月25日 | 独り言

 「何が何でも長生きしたい」というほどの「長生き願望」でもないが、気に入った音で音楽を聴いてると、「こうして何の憂いもなく聴いていられるのも何時(いつ)までかなあ」なんて、つい気弱になってしまう今日この頃。

このところ体調がどうも思わしくない。

1ヶ月ほど前にオーディオ機器との奮闘で腰を痛め、ようやく治ったかと思うと今度は胃の調子がイマイチ。

原因はおそらく「飲酒」だろうと見当をつけている。それも「飲み過ぎ」という量によるものではなく、飲むタイミングがよくない。

日課である運動タイム、つまり運動ジムやウォーキングが済む時間が丁度16時ごろ。

それから夕食までのひとときをウィスキーや焼酎、日本酒(吉野杉の樽酒)などでチビリチビリやりながら音楽を聴くのが何よりの愉しみとなり、とうとう習慣化してしまった。

             

特に奈良県から取り寄せたこの樽酒〔写真)は最初の一口のときに杉の香りがプ~ンときて絶妙の口当たり。

もう何杯でもいけてしまうが空きっ腹にアルコールときては胃にとって堪ったものではあるまいと容易に想像がつきそうなものだが、そこは年甲斐もなく「マイ・フーリッシュ・ハート」。

「アルコールと音楽はきってもきれない仲」なんてうそぶきながらの習慣もとうとうキリキリと胃が痛むようになってあえなく中断。

ピタリと断って現在、5日ほど経過し、ようやく症状が治まってきた。

今年の3月頃も同じような愚を犯し、胃を悪くして病院に駆け込んでおり一体こういうことを何回繰り返せばいいのだろうかと、口(くち)卑しい自分がつくづくイヤになる。

折りしも、つい最近高校の同級生が病魔に倒れたがお知らせを見て「あんなに元気だったのに」としばし呆然。

つくづく明日の命に保証がないことを思いしらされたのも、冒頭の思いに連なってしまった。

まあ、自分の寿命がまるっきり分からないところに人生の妙があるのだろうが、日頃健康であることに越したことはない。

その健康法のひとつとして以前の朝日新聞の日曜版に「脈」についての特集が載ってた。

「元気の秘訣~
適度なドキドキは長生きにつながる~」

自分の場合、誰に気兼ねすることもない趣味三昧の生活で「ハラハラドキドキ」とはまったく縁がない日常、たまにオーディオ機器の改造をして最初の音出しのときに「どんな音が出ることやら」と少しドキドキするぐらいが関の山。

しかし、実は以前はそうではなかった。

図太い神経のもとで鷹揚に構える大物タイプにはほど遠く、どちらかといえば神経質の緊張タイプなので長い宮仕えを通じて”ハラハラドキドキ”の機会にしょちゅう遭遇していた。

いかにも心臓に悪く、「これではとても長生き出来そうにないなあ~」というのが当時の正直な感想。

そう思うに至った根拠の一つが、以前に読んだ作家の玄侑宗久(僧侶:げんゆうそうきゅう)氏のエッセイ「僧侶が長生きする理由」。

同氏はその理由をいささか揶揄気味に4点ほど掲げてあって、そのうちの一つが「僧侶の大事な日課となっているお経、座禅などは呼吸数が非常に少なくて済むため長生きしている」というものだった。

これは中公新書「ゾウの時間 ネズミの時間」により
あらゆる動物は5億回の呼吸を終えると大体死んでしまう」との内容を踏まえたもの。

心拍数と呼吸数とではもちろんストレートに比較できないが一般的に心拍数が高まるとそれに応じて呼吸も浅くしかも早くなりがちなので相関関係があると思うのが当然だろう。

しかし、この朝日新聞の記事によると、むしろドキドキを肯定的に捉えていた。

一日のうちに程よく心拍数がドキドキと変化する生活は、刺激がない生活よりもむしろ長生きに影響するらしい
ことが医学的にも分かっている。ほどよいドキドキを積み重ねていくにはどんなコツがあるのだろうか。」

とあって、結局、ありふれた「運動奨励論」に落ち着いている。

自分の場合、日常生活に運動は欠かしていないものの、むしろ精神的な意味合いで「仕事や人との関わりの中でのハラハラドキドキもたまには欲しいなあ」という気がする。

同世代の知人・友人がいまだに現役でバリバリ活躍しているのを見聞するとチョッピリうらやましい。

しかし、昔はあんなに青息吐息の状態でバラ色の定年後を夢見ていたのに完全に自由の身となった今では「奇妙に昔を懐かしがる」、何という身勝手な生き物なんだろうか~。


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オーディオ談義~「久しぶりにiTunes」~

2010年11月23日 | オーディオ談義

「メル友」の奈良県のMさんから「急に五味康祐さん〔故人:作家、音楽評論家)の本が読みたくなりました。よろしかったらお借りできませんか?」

「はい、お安い御用ですよ。”西方の音”をはじめ4冊持ってますがすべて送りましょうか?」

「お願いします。その代わりといっては何ですが、70年代和製ポップスの12枚のCD特集を持ってます。興味があれば送りますが?」と、相変わらずの一方通行に終わらない細やかなお心遣い。

バッハ通のMさんなので和製ポップスをまさかお持ちとは!


「70年代は丁度青春時代の真っ盛りで懐かしい曲が多そうですね、是非お願いします」

そのCD集が我が家に到着したのが20日の土曜日。何せ12枚のCDなのでそっくりコピーともいかないので「iTunes」に気に入った曲だけを取り込むことにした。

月曜日の朝から取り掛かったが、「iTunes」を開くのはおよそ1年ぶりくらいで操作をほとんど忘れているがまあ、何とかなるでしょ。

クリックするといきなりプログラムの更新(インストール)の伺いが出てきたのですぐに同意。その間に12枚のCDの曲目〔およそ200曲あまり)を厳選して結局、以下の曲目に絞った。

「なごり雪」(イルカ)、「22歳の別れ」〔風)、「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」〔小柳ルミ子)、「異邦人」(久保田早紀)、「冬のリヴィエラ」「襟裳岬」〔森進一)

チョッピリ赤面といったところだが、「異邦人」は大収穫。

以前「iTunes Store」で探してもどうしても見つからなかった曲でメロディーも好きだが歌詞も実にいい。

「・・・空と大地が ふれ合う彼方(かなた) 過去からの旅人を呼んでる道 あなたにとって私 ただの通りすがり ちょっとふり向いてみただけの 異邦人・・・」

これほど豊かなイメージを育んでくれる歌詞も珍しく、こういうところに日本語の歌の良さがある。

しかし、久保田早紀も結局は「一発屋だったなあ」なんてしばし回顧。

パソコン外付けのCDドライブ「プレクスター」で上記の曲を次々に取り込んで、プレイリストの「お好み歌謡曲」にすべて追加。

そして次がお決まりの「iPod」(クラシック160GB)への同期開始でこれも無事終了。

ここまでくると、これまた久しぶりに「ワディア170iトランスポート」(以下、「170」)で「iPod」に取り込んだ曲を聴きたくなる。

この「170」、たしか1年以上も電源を入れずに放りっぱなし。

          

接続はDAコンバーター(ワディア27ixVer3.0)にデジタルコードで常に繋いでいるので電源さえ入れれば何時でもSPから音が出る状態。

「あれっ、何だか冴えない音だなあ」と、第一声。

1枚ベールを被ったようだし、窮屈そうな感じの音。以前聴いたときよりも随分と印象が違う。「こんなはずではないが?」と半信半疑ながら運動タイムになったので近くの公園を50分ほどかけてゆっくり散策。

その間も「何か音をよくする方法はないものか」と考え続けたが思いつかない。「iPod」のイコライザー設定もちゃんと「オフ」にしているし~。

どうしても気になるので夕食後に、再度聴いてみたところ今度はまったく別物か思うほど良くなった。

そしてやっと原因が判明。久しぶりに電源を入れたので温まって能力をフルに発揮するまで時間がかかったようだ。デジタル機器はものすごく電源に敏感であることを改めて思い知らされた。

ちなみにこの「170」の電源機器は、購入当初のオリジナルのものが余りにチャチだったので
福岡の「吉田宛」というメーカーから購入したもの。

それにしても何という「気持ちのいい音」だろう。高音とか低音がどうのこうのという感じではなく実にバランスの取れた音。

歌謡曲からクラシックまでいろんな曲目を聴きながら「もうこれで充分」という気になる。

念のためCDトランスポートの「ワディア270」(以下「270」)で同じ曲を聴いてみたところ音の芯の締まり具合や彫の深さに一日の長があるがごくわずかな差。

これなら高価なCDプレーヤーなんて必要なし。値段のことを持ち出すと顰蹙(ひんしゅく)を買いそうだが、あえて言及するとこの「270」は5年ほど前に値引きと下取りしたうえで、たしか「100万円」くらいで購入した記憶がある。

それが電源機器も合わせて10万円ほどの「170」が立派に太刀打ちできるのだから大したもの。

まあ、「170」が85点だとすると「270」が90点、この5点の差に90万円を突っ込むかどうか、個人ごとの価値観によるだろうがこの辺がオーディオの難しさ。

とにかくこれからのオーディオはデジタルをうまく活用しないと本当に損をする。

ただし、「DAコンバーター」だけは絶対にケチらないほうが良さそう~。


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読書コーナー~「セレンディピティ」~

2010年11月20日 | 読書コーナー

「セレンディピティ」(Serendipity) 

何だか舌を噛みそうな言葉だが、折にふれ目にしたり耳にされたことがあるかもしれない。

広辞苑によると、カタカナにもかかわらずちゃんと意味が記載されている。

「思わぬものを偶然に発見する能力、幸運を招きよせる力」とあり、もっとくだいて言えば
「ほかの目的で活動しているときに、当てにしていなかったものを偶然に見つける才能」
といえば少し身近になる。

「果報は寝て待て」、「待てば海路の日和あり」方式の努力しないで得することが大好きな自分なのでこういう便利そうな言葉は放っておけない。

「偶然からモノを見つけだす能力」~セレンディピティの活かし方~(2002年8月、澤泉重一著、角川書店)。

                

ところが、意に反してなかなかまじめな本だった。努力が要らないどころか、むしろ必要とする内容だったので半分がっかりしたが、有用な本だと思ったので記憶に留めておくために要約してみた。

本書では「セレンディピティ」を「偶察力」(偶然と察知力を合わせた著者の造語)として取り扱っている。

まず、表紙の裏の見出しに「世界的発見の多くは”偶然の所産”
だった。」とある。

☆ ”偶然”に感謝するノーベル賞受賞者たち

☆ 
発見・創造の能力とは、偶然を最大限に活かす能力

☆ 
感性を研ぎ澄まし、察知力を養えば偶然は偶然でなくなる

☆ 
異文化との接触は新しい感動と発見を生む

☆ 
誰しもが体験する日常生活での偶然の不思議を想い出そう

☆ 
遊びの中にも偶然の面白さはいっぱいある

ご覧のとおり”偶然”という言葉がひっきりなしに出てきて、なにもかも世の中の事柄すべてが偶然に左右されているようなすごい勢い。

たしかに人生には偶然が支配しているといってよいほど偶然の連続ともいえる。

たとえば自分の場合では就職先の選択ではたまたま出会った知人のアドバイスによるものだったし、通常2年配置の転勤期間が3年となり、1年遅れたばかりに幸か不幸か(?)今の結婚相手と出会ったし、友人・知人との交流のきっかけといった重要な節目には偶然が遠因~原因となっている。

さらには人類に福音をもたらすノーベル賞クラスの大発見にも偶然が大きな要素を占めているとなれば単なる「偶然」も見捨ててはおけない。

自分の記憶にある事例では2002年度ノーベル化学賞を受賞された島津製作所の田中耕一さんも、たしか他の目的で実験を重ねているうちに偶然発見されたものだった。

本書の中でもノーベル賞受賞者の「セレンディピティ」の恩恵に浴した事例が限りなく紹介されているが、
これら受賞者ははじめからこの能力に恵まれていたわけではなく、努力と研究を重ねるうちに自然と身につけたものだという。

一般人の場合でも訓練次第で向上することが可能ということで三つの要点が挙げられている。

 広い視野からものごとを見る

革新的な進歩を振り返ってみると、意外にも専門分野の外と思われたところにその突破口が見出せたという実例が多い。つまり広い範囲で活動できる学際的な素養を身につけることが肝要。

 偶然の活用


偶然がもたらす楽しみは意外性の面にある、繰り返しの単調さから抜け出して通常使っていない能力を発揮する機会が生じることに意義があるので意外性を見逃さない意欲が必要。

 察知力を活かす

セレンディピティ活用の基本ステップとして挙げられている項目の一番に挙げられているのがまず感動」 以下、観察、連想へと続く。

偶然出会った物事に対してまず「感動」が出発点になるというのが面白い。いわば「理」よりも「情」が先行。

そういえば「音楽」と「オーディオ」の関係も、まず音楽を聴いて感動し、もっと「いい音で聴きたい」と「オーディオに昇華していく」ことなので、この順番は納得~。


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独り言~気になるオークション~

2010年11月18日 | 独り言

ネットオークションは秋葉原とは縁のない地方に住んでいる”オーディオ好き”には実にありがたい存在。

常に真空管の補充を中心に安くて良い品物の出品に目を光らせているが、最近気になったものを挙げてみよう。

 アルテックの403A(SPユニット)

一時期、シンプルな響きを持つフルレンジのSPユニット〔口径20cm)に夢中になったことがあり、着々と買い揃えたことがある。

ジェンセン〔1950年代物)、リチャードアレン、そしてアルテックの403Aなど。

取り分けアルテックはスカッと抜け切ったこだわりのない明るい音色が大いに気に入ったので2ペア購入して現在でも手元に置いているが、2週間ほど前に今度はボックス入りの403Aを見つけた。

現在、アキシオム80の低域用としてフォステクスのエッジレス・ウーファー〔SLEを3本)使っており、何の不満もないが、これをいずれアルテック〔3本)に入れ替えて試聴してみたいとの思いがあったのですぐに飛びついた。

何といってもf0〔最低共振周波数)が高いのが魅力。フォステクスとはきっと違った味が出ること間違いなし、と想像しただけでワクワクする。ジャズボーカルなんかは最高に鳴るに違いない予感がする。

早速出品者とメールで交渉。入札価格が4万5千円、アメリカからの出品で送料13,800円なり。

            
「ボックスは不要です。ユニットだけ取り出して送料込みで4万円ではいかが?」

「OKです。振込先は・・・」随分と話が早かった。

さて、すぐにお金を振り込んだ(11月8日)ものの、以降さっぱり反応がない。

「あれ、騙されたのかな」と思って、メールで問い合わせをしようかと思った矢先の15日〔月)にやっと「商品を発送しました」とのメールが来た。

お金を振り込むまでは素早く対応してくれたのに、振り込んだ途端にマイペースになって相手をないがしろにする出品者はあまり感じのいいものではない。

ともあれ、1週間もすれば到着するだろうからいずれじっくり交換のタイミングを計ることに。

非常に楽しみ~。

 初段管「12AT7 」〔真空管)

これまでずっと使ってきたPX25アンプにはお休みをいただいて、現在はWE300Bアンプ(モノ×2)が活躍中。

このアンプは初段管に「12AT7=CV4024」を使っていて、これ1本でゲインを稼いでいて音質を大きく左右する大事な代物。

今のところ「シーメンス」を使っているが、補充と銘柄の違いを兼ねて、ムラードの「CV4024」〔2本)を落札〔13日)。

15日〔月)に振込み、16日〔火〕夕方に商品到着と実にスムーズな運び。

早速、アンプに挿し込んでスイッチを入れたところ片チャンネルからザーッと雑音がする。あれっと、片方のアンプに差し替えるとやっぱり雑音がする。

「あ~あ、不良品に当たってしまったあ!」

早速出品者にメールしたところ「該当の1本をプチプチでぐるぐるに巻いて封筒で返送してください。代替品を至急送付します」と良心的な返事で安心。

それにしてもこのムラードの残った片方は「シーメンス」と比べてすごくSN比がいいので大いに期待できそう。

 新藤ラボのWE300Bアンプ(モノ×2台)

通常の価格が160万円ほどする新藤ラボの300Bアンプが50万円で出品されていた。

大きなトランスを備え、品のいい緑色に彩られた高級アンプ。
20年ほど前からずっと記憶にあるアンプだが、さすがに100万円を越えるアンプとなると高嶺の花。

ずっと指を食わえて見ていたわけだが、それが50万円となるとちょっと食指が動く。

仮に10年間使うとすると1年間にたったの5万円。「安い買い物ではないか」と勝手な計算をして真空管アンプの権威のMさんに相談。

「やめといたほうがいいんじゃない、メンテナンスがどのくらい必要かちょっと不安だね。そのくらいのお金を使うくらいなら僕ならむしろ最新のCDソフトを買うね。」

「近年発売されているCDは実に録音がいいよ。たとえば
昔のフルトヴェングラーの演奏が10点満点としても録音は3点くらい、それに対して近年の演奏家のCDは演奏が8点くらいでも録音は10点だとすると、どちらが総合点が高いか明らかだろう?」

フーム、そういう考え方もあるかなあ。「演奏」と「録音」を同列に論じることには異論が出るところだろう。ともあれオークションはたしかに博打の側面があって10万円を越える買い物となるとやはり心配。

とうとう落札日〔14日の20時)には早々と布団をかぶってご就寝。

「ウォッチリスト」に登録していたので翌朝入った落札直前のメールには「入札者2件」とあったので落札されたのは確実。

あ~あ、とうとう縁がなかったあ。

 WE300B真空管(USNーCW)

ウェスタン社が300B真空管の再生産を止めたので、値上がり傾向にあるとの情報を受けて、動向を注視していたところ何とUSN-CWの古典菅がペア5万円で出品されていた。

USNとあるからアメリカ海軍仕様のもの。

これも購入意欲がそそられて随分悩ましい。おそらく市場価格の相場は30万円以上といったところだろう。出品者は400件以上の取引があって「悪い評価なし」なので、これはお買得品間違いなし。

早速「ウォッチリスト」に登録して毎日、価格を追いかけた。

しかし、一方ではためらう気持ちもどこかにある。このWE300Bは軍事用の通信機器に使うために国策として、つまり国が膨大なお金を出してウェスタン社に作らせただけにその性能は折り紙つきで「丈夫さ」は驚嘆の的。

当時のことだから何せ人の命がかかっている。敵との交戦状態のときに真空管が故障して通信できませんではお話にならない。

知人にも愛用している方がゴマンといるがまず故障したという話を聞かない。10年以上も支障なく使っている人がザラ。

自分の場合もようやく使い始めたばかりだからこれから10年以上心配ないのはほぼ確実。そうなるとわざわざ購入しても宝の持ち腐れになる可能性が高いとおよそ判断がつく。

それでも「10万円以内なら勝負」と踏んでいたが、またたく間に入札者が20人以上に達し、価格もあっさり10万円を越えた。

「みんなよく知ってるなあ~」と、慨嘆。

落札期日が16日(火)の21時41分だったが、早々と就寝後の翌日に入ったメールの終了直前の価格は入札者31名で価格は13万円に達していた。

最終的には競り合いで15万円を越えただろうことは想像に難くない。それでも割安の買い物なのは間違いなし。

あ~あ、とうとうこれも縁がなかったあ。



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オーディオ談義~「自慢話?」~

2010年11月16日 | オーディオ談義

「エッセイとはすべからく自慢話である」と喝破したのはエッセイストの山本夏彦さんだが、自分のブログもどうやらそれに近いと思う今日この頃。

特にオーディオ関係のブログに顕著なのは十分承知のうえで、今回も結果的にまたまた自慢話に近くなってしまった。

気に障る方は、どうかこれ以上読み進まないでくださいね~。

大分市でアルテックのA7を愛用されているEさんから15日〔月〕の午前中に電話があった。

「友だちからヤマハのスーパー・ウーファー〔以下「スーパー」)を借りたんだけど、解説書がないので接続方法がよく分からない。たしか、○○さんはヤマハの「スーパー」を持ってたよね。コピーしてくれない?」

「はい、いいですよ。型番が違うけど接続方法は似たようなもんでしょう。郵送してもいいですけどこちらにお見えになりますか?」

「そうだね、久しぶりに聴かせてもらおうか、近くのOさんも誘ってみるよ。たぶん14時ごろになると思うのでよろしく」

スピーカーシステムの大幅な変更をしてから初めて聴いてもらうわけだが果たしてどういうご感想を洩らされるだろうか、興味津々。

きっかり14時にお見えになったお二方。はじめにシステムの説明に5分ほどかけてみっちり説明。

まずEさん持参のジャズを2曲ほど続けて聴いてみる。無言のまま20分ほど聴いただろうか、ウンともスンともおっしゃらない無反応ぶりにいささか不安が湧き起ってくる。

そのうちEさんがようやくクチを開いて、「音象定位はピシッと決まっているね。しかし、スーパーのボリュームをもうちょっと絞ってくれないかな、中低音に少しカブリ過ぎているように思う」

「それでは、1時から10時の位置に絞ってみましょう」

「いやあ、気になるところがなくなると実にいいねえ。スピーカーにベタッと音が張り付かなくて、実に音離れがいいよ。スピーカーの存在をまったく意識させないところがすごいね。分解能も申し分なし。楽器の音色が実にいい。」

アルテックA7の愛用者からこういう言葉をいただくとは光栄の至り。調子に乗って「そうでしょう、こういう音はエッジレスのスピーカー特有の鳴り方です。アキシオム80の独壇場でしょう。」

しかし、もう一方のOさんは相変わらず両腕を組んで憮然とした表情。実はこれには深~い訳がある。

10年ほど前に、我が家のウェストミンスター(タンノイ)を聴いて絶賛されたOさんだが、以降、自分がシステムを変えるたびに
「あんなに良かった音をなぜ替えたんだ?」と実に手厳しい。

Oさんが絶賛されたときの曲目はハイフェッツ演奏の「ツィゴイネルワイゼン」。ヴァイオリン独奏の誰もが知ってるポピュラーな名曲である。

こうなるとOさんのご不興を完全に解消するためには、「ツィゴイネルワイゼン」をウェストミンスターと「アキシオム80」とで実際に聴き比べて昔の幻想(?)を払拭していただくほかない。

     

そしてようやく愁眉を開いていただいた。「ハイフェッツの咽ぶ泣くようなヴァイオリンの音色が胸にしみて切なくなるね」と一言。

トドメにモーツァルトのシンフォニー第38番「プラハ」〔ブロムシュテット指揮)。「楽器の数がまるで違って聴こえるでしょ?」「そうだね。アキシオムには独自の世界があるねえ」

「ほ~ら、今のシステムのほうが断然いいでしょうが~、まったくOさんは”昔は良かった症候群”なんだから」と思ったがさすがにクチには出せず。

それからはもう、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲12番をはじめ聴く曲すべてが好評だった。特に辛口のEさんには我が家にお見えになってからこんなに褒めてもらったことはこれまでに記憶がない。

その代わりウェストミンスターのほうはボロクソで可哀想になるほど。「テレビを観るときしか聴かないんです」との真意をようやくお二人が納得してくれた。

やっぱり
「音の良し悪しはその場で比較対照するに限る」ようだ。

最後に、帰りの玄関口で「ジャズはやっぱりホーンスピーカーのほうに少し分があると思うけど、ヴァイオリンの音色はアキシオムの右に出るスピーカーはないね」とEさんがポツリ。

これで福岡のKさん、今回のEさん、Oさんもすべてアキシオム80をベタ褒めで三連勝。やっぱり改めて凄いスピーカーだとつくづく思った。

     
 

どなたかのブログに「このスピーカーを持つ者はあまねく人生を誤つ」とあったがけっして誇張ではないことを思い知らされる。

 


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独り言~「気の遠くなるような”頭のいい連中”」~

2010年11月15日 | 独り言

いきなりお堅い話から入ってしまうが現在、日本には国と地方合わせて800兆円以上にも上る借金〔赤字国債など)があり、その利息が何と1秒間で130万円にもなっているという。

もうまさに
財政破綻状態。

ただし、その大半を日銀や銀行が所有しており、借金の相手が国内の身内同士なので何とかやり繰りできているのが実状。

先日、NHKがなぜこういう「憂うべき状況」になったのか、その原因追求を特集番組で組んでいた。

当然、その矛先といえば名実ともに国の財政を担ってきた当時の旧大蔵官僚(現在は財務官僚)たち。

ずっと過去に遡って官僚トップの事務次官たち数人に密着インタビューをしていた。

うち「長岡実」さんは以前、「天下り」後の専売公社総裁当時に身近に拝見したことがあるが、この人たちはとにかく
「気の遠くなるような頭のいい連中」である。

小さい頃から神童と謳われ、日本の学歴社会のトップを極める東大法学部を首席で卒業(履修科目が全優クラス)、国家公務員試験を1番で突破、在学中に司法試験を1番で合格、これを「三冠王」と称するそうだが、これに該当したり、準ずる連中がゴロゴロ。

人間の価値は「頭よりハートで決まる」と分かってはいるものの、こういう超人たちの所業は無条件で許す気になるから不思議。

「こんなに頭のいい連中が考え抜いた結果なら、こういうことになっても仕方ないよなあ」という気にいつの間にかさせられてしまう。もちろん自分だけかもしれないが。

さて、ここまでが導入部なのだが、こういうハイレベルの連中ばかりが集結した旧大蔵省の出世競争とは一体どういうものだったんだろうか?

20人前後が一斉に入省し、段々とふるいにかけられ最後に事務次官という究極のポストに至る過程でどういう風に優劣の差がついてくるものだろうか?

すべてハイレベルの連中だから「頭の良し悪し」はもちろん「決め手」にならない。

あとは「運」と「人間的な魅力」などが微妙に交錯して出世にどの程度反映されるのか、はたまた入省時の成績の順番がどのくらい影響するのか。

このテーマに実際の事例をもとに正面からアプローチした本〔2010年8月20日、文藝春秋刊)がある。

                 
 

著者「岸 宣仁」氏は以前、読売新聞の記者で経済担当をしていて、記者たちをとかく敬遠して口が堅い大蔵官僚から何とか情報を引き出すために必死で努力された方。

「省内人事」の話を持ち出すと
「あれほどぶっきらぼうだった官僚たちがにわかに身を乗り出すようにして会話に乗ってくる」ということから、
必然的に(官僚たちと仲良くなるために)どうしても人事情報に精通しなければならなかったそうだ。

「役人は出世と人事ばかりに興味を持っていて”けしからん”、もっと世のため人のためになることばかりを考えろ」と思う方はまあ世間知らずの狭量な方だろう。

「金儲けがイヤで国のグランドデザインを描くために大蔵省に入った」といった高尚な気概がほとばしり出る官僚たちだが、「出世と人事」はエネルギーの根源であり人間の本性に根ざす不変のテーマだと理解してやる寛容さが必要。

ずっと以前に歴代総理の指南役だった安岡正篤〔故人)氏の「エネルギーがなければ善も悪もない」という言葉は正鵠を射ているように思う。

さて、本書の中で具体的に挙げられたいくつかの次官競争の実例から「勝者の決め手」となった事柄を導き出すのは実に多種多様で至難の業だが、概ね共通項というか、印象に残った内容を箇条書きで記してみた。

 どこかにハンドルの遊びがある人間のほうがトップの器として相応しい。たとえば、どんなに忙しいときでも趣味を見つけて”ゆとり”を大切にしたり、相手を最後の最後まで追い込まないような人物。

 若い頃はキラキラ輝いていたのに、上に行くほど守りに入って光を失うタイプと、逆にポストや年齢を積み重ねるごとに光を増し、いぶし銀のような輝きを放つタイプの二つがある。

 「センスと、バランス感覚と、度胸」が揃った人物。

”センス”の良さはあらゆる人物評価の根本にある基準となる。

”バランス感覚”とは足して二で割る手法ではなく全体の均衡点、釣り合う部分を見極める能力。加えて人を見る目の公平無私さも必要。

最後に”度胸
”とは「胆力」のこと。線の細い秀才が大半を占める大蔵省にあって、この部分が他に差をつける最後の切り札。度量の大きさや懐の深さに通じるもの。

 「入省成績と出世」について、実例として挙げられているのが前述した三冠王に加えて外交官試験がトップと空前絶後の四冠王だった「角谷」氏と入省時の成績が二番だった「尾崎」氏の次官争い。

結局、尾崎氏が「人望」が決め手となって勝者となった。最終的に「情」が「理」に優った例として、以後「公務員試験1番は次官になれない」と語り継がれ、次官レースのひとつのジンクスとされている。

そのほか「ノンキャリアを使いこなせる人材」など枚挙にいとまがないが長くなるので省略。

最後に、冒頭で紹介した「財政破綻の責任」について次官(日銀副総裁後、現在大和総研理事長)だった武藤氏の(本書の中の)言葉が印象的だった。

「我々が本当に強かったら、日本の財政なんてこんなふうになっていませんよ。国、地方合わせて800兆円の借金なんてね。要するに大蔵省主計局は常に敗戦、敗北の歴史です。僕に言わせれば、政治と闘って勝ったためしはないんじゃないの、正直な話・・・」


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オーディオ談義~「軽い低音」~

2010年11月12日 | オーディオ談義

やっぱりオーディオは難しい。

システムの中で音質改善の決定的な役割を担うスピーカーの変更をしたところ「鳥肌が立つ」ような満足感を覚えてから2週間あまり。

いろいろ聴きこんでくるとやはりそれなりに問題点が散見されてくる。

音の爽やかさにつながる「高域の抜け」については「アキシオム80」を駆動するアンプを「PX25シングル」から「WE300シングル」への変更でどうにか解決。

本当はWE300BよりもPX25〔真空管)のほうが好みだが出力トランスや回路の問題があってなかなか思うようにいかない。

そして、またもやもうひとつの難題が降りかかった。

先日、このアンプの信号回路に抵抗を入れてゲインを下げてもらうためにお出で願ったMさんの試聴後の感想が
「もうちょっと低音が欲しいねえ」だった。

以下、Mさんのご意見。

「オーディオ・マニアの中で果たしてどのくらいの人が40ヘルツ以下の本当の低音を出し切っているのだろうか。

中低音と低音を混同している人が多いような気がする。特に口径38cmのSPユニットなどはその辺を曖昧にしているね。

中低音のボリュームをいくら上げても低音が出るわけではなく、ただうるさくなるだけ。

昔は、仕方なかったが今ではスーパー・ウーファー(以下、「スーパー」)という便利なものが有るんだから40ヘルツ以下の低音は割り切ってアッサリそっちに任せたほうがいいよ。

本当の低音が出ると音楽全体がフワっと柔らかくなって実に聴きやすくなる。重低音というのは間違いで軽い低音というのが本来のあり方だね」

「20cm口径のウーファー3発を使っても低音不足かなあ」と半信半疑ながら、Mさんのご指摘はなかなか本質をついたものがあるように思う。別にお金がかかるわけでもなし、試してみて気に入らなければ元に戻せばいい。

翌日、倉庫に直し込んでいた「スーパー」を左右両チャンネル分で2台、またもや引っ張り出してきた。これまでに、もう何回出したり入れたりしたことだろう。

回復途上の柳腰(?)に用心しながらそろそろと運び込んで結線を済ませて早速試聴に移る。

             

実は、この「スーパー」の使い方はこれまで散々苦労してきている。

音声信号の入力をどこから取るかというのが大問題。

以前はDAコンバーターの出力から分配器で分けて4mほどのピンコードでつないだところ、電圧の大飯くらいのため他の機器に悪影響を及ぼして全体が元気のない「冴えない音」になってしまった。

そこでメーカーの説明書にしたがって、アンプのSP端子から「スーパー」を経由してSPユニットにつないだところこれも本来のSPの音ではなくなった。

「スーパー」にはこの辺に課題があるので、使うことに反対する人が多いのも頷ける気がする。

結局、自分のケースではアンプのSP端子から「スーパー」とSPユニットと両方一緒にSPケーブルを接続するのが既存の音質に影響を与えないベストの方法だった。

ただし、この接続ではアンプの負荷インピーダンスが重たくなるのでそのアンプの性能次第によるところが大きい。

そしてもうひとつの課題が位相あわせ。

こればかりは音楽を鳴らしながら自然に聴こえるように「正相、逆相」のスイッチを切り換えて試聴するしかない。

試聴盤に迷った挙句、ブロムシュテット指揮のモーツァルトのシンフォニー第39番にして調整。

さて、試聴の結果であるが「いやあ、満足、満足」。

音楽全体が低音を基調にハモって柔らかくなる印象で、DAコンバーターのボリュームを従来より3dBほど下げて聴けるようになったのが一番のメリット。

当然、高域のでしゃばり過ぎも解消。

これまでやたらにボリュームを上げていたのは低音が欲しいためだったのかとやっと納得。

「中低音」はあくまでも「低音」と「中音」のつなぎにしか過ぎないんだから、この帯域を目立たせてはダメというのがようやく分かった。

これでもう「鬼に金棒だあ!」

やれやれ、いつまで続くことやら~。


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読書コーナー~「大人の雑学」~

2010年11月11日 | 読書コーナー

久しぶりに肩の凝らない「雑学」を四題ほど。

             

☆ 左腕投手はなぜ「サウスポー」か

左利きの投手のことをサウスポー(southpaw)といい、左利きのボクサーもそのようにいう。サウス(south)は「南」、ポー(paw)は「手」を意味する。

それがどうして「左利き」になるのか。

サウスポーという言葉は19世紀末、アメリカの野球から生まれたものだった。その由来については二つの説がある。

まず一番目の説はかってアメリカのプロ野球では、南部出身の投手に左利きが多かったそうで、そこからこの言葉が起こったとされる。

二番目の説は、シカゴの野球場に由来するという。その野球場は打者の目にまぶしい夕日が当たらないように、本塁が西側にあり、投手は東の方角から投球した。そうすると、左腕投手がボールを投げるとき、利き腕(左腕)が南に向くことになる。

そこから左腕投手のことをサウスポー(南の手)と呼ぶようになったという。

☆ 「スクール」は暇人が行くところ

英語のスクール(school)は、江戸時代には「書塾」「学習処」「稽古所」などと訳されていた。それを「学校」と訳するようになったのは、明治時代になってから。

もともとスクールとは古代ギリシア人にとっては暇つぶしの場であった。

スクール(school)の語源をたどっていくと、ギリシア語のスコーレ(schole)に行き着くがそのスコーレの意味は「暇、余暇」。

そこには「学ぶ」という意味はなかった。それがどうして「学校」という意味になったのか。

古代ギリシアでは肉体労働は奴隷に任せ、学者や芸術家などの文化人や裕福な市民たちは暇を有意義に使って哲学や芸術などについて議論したりした。

そこからスコーレは「学問をするための暇」→「学問をする場所」に転じ、さらに「学校」という意味を持つようになった。そしてスコーレをもとに、英語のスクールが生まれた。

☆ 「コーチ」は本来、馬車のこと

スポーツなどの技術の指導や訓練をすること、またはその人のことをコーチ(coach)という。しかし、それはコーチの本来の意味ではない。英語のcoachは、もともとは馬車をいう言葉であった。

15世紀、ハンガリーの首都ブダペストの近くのコーチという町で乗り心地のよい馬車(4頭立て4輪馬車)が作られ、ヨーロッパ中に広まり英語ではそれをコーチ(coach)といった。

それがのちに「家庭教師」「指導者」と言う意味にも用いられるようになる。それはどうしてか。

馬車(コーチ)は人を早く目的地へ運んでくれる。家庭教師の役割は教え子を訓練・指導して目的地(目標)へ連れていくこと。

さらには、馬車を走らせるには御者は相当の訓練・技術を要し勉強を教える家庭教師の役割と同じほど大切である。そんなところから、馬車と家庭教師が結びつくことになり、家庭教師のことをコーチと称するようになった。

そして、スポーツの指導者を意味するようになっていった。

☆ 「ハンサム」はなぜ”手”と関係があるのか

目鼻だちの良い男、容姿の整った男のことをハンサム(handsome)という。(ただし近年、日本ではイケメンという呼称もあるが)。

英語のハンサムは形容詞で「立派な」「端麗な」という意味なのだが、日本語では名詞として用いられている。

handsomeのhandはもちろん「手」のことで、someは適性や傾向などを表わす形容詞語尾で、「~しやすい」「~の傾向がある」という意味。

すなわちhandsomeとは「手が~しやすい」「手で扱いやすい」という意味。それがどうして美男子、好男子を意味するようになったのか。

あまり大きいもの、あまりに小さいものは手で扱いにくいし、形がいびつなものも扱いにくい。手で扱いやすいもの、それは形が良くて適当な大きさのものである。

そこから、手で扱いやすいことを意味するhandsomeは、転じて「形が良い」「立派な」→「顔立ちや風采が良い」という意味を持ったわけである。

 


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オーディオ談義~「ハンダ付け」~

2010年11月09日 | オーディオ談義

「好事(こうじ)魔多し」という諺がある。広辞苑によると「よいこと、うまくいきそうなことには、とかく邪魔が入りやすい」とあったが、自分の解釈は「とかく目出たいことばかり続くと油断してポッカリ落とし穴に嵌りますよ」と理解していた。

ともあれ、ここ2週間ほどの我が家のオーディオ・システムの改造で信じられないほど音が良くなったのはいいものの、とうとう腰を痛めてしまった。つい張り切りすぎたのが原因。

重いスピーカーを持ち上げたり、羽毛を詰め込むのに5時間ほど連続して同じ屈んだ姿勢を続ければ腰が悲鳴を上げるのも無理はない。

ようやく回復途上に向かいつつあるが、これからは絶対に根(こん)をつめた作業を一気にやらないことを固く心に誓った。

ちょっと”気ぜわし過ぎる”んですよねえ~。

さて、先日の4日(木)、我が家に試聴にお見えになった福岡のKさんとの顛末は前回のブログに記したとおりだが、そのときの会話の中で「ハンダ付け」が話題になった。

オーディオ機器はすべて電気製品といってもいいくらいなので、いろんな部品や機器同士の接続などに「ハンダ付け」は必須のアイテム。

「ハンダ付けによって微小電流をしっかり伝達してやれば、音質も見違えるほど良くなるのは間違いなし」というわけで「ハンダ鏝」と「ハンダ」はオーディオ愛好家にとって絶対に欠かせない存在。

これはたとえばCDプレーヤーとアンプをつなぐときなどに使うお馴染みのピンコードにも当てはまる。

この両端にある金属端子は通常、金メッキが施され肉眼ではツルツルしてしっかりと接触できそうな趣だが顕微鏡で見ると、表面はデコボコだらけで差し込んだときの接触面積は意外にも少ないとのこと。

こういうときも端子をばらして直接、線材にハンダ付けでみっちり接続させてやるのが本当はベストなのだが、汚損による下取り時の価格下落、交換時の不便さなどを考え合わせると、残念ながらハンダ付けというわけにもいかないのが実情。

こういうように音を良くするための究極の手段ともいうべき「ハンダ付け」だが、まったくメーカー任せの完成品ばかり購入していて「ハンダ鏝など握ったこともない」というタイプと、Kさんのように「ハンダ付け」に明け暮れるタイプの二つに分かれるようだ。

自分の場合はアンプは作らない〔作れない!)ものの、当然ハンダ鏝ぐらいは握る。

たとえば、SPユニットとSPコードの接点などは「音の鮮度」がまるで違ってくるので必ずじかに「ハンダ付け」をしている。

誰もが怖がって(?)なかなか裏蓋を開けようとしないタンノイ・ウェストミンスターにしても、容赦なくこじ開けて同軸になっている低域ユニットと高域ユニットにそれぞれSPコードを直接ハンダ付けしている。

もちろん、ネットワークのコイルやコンデンサーもすべて自前で準備してハンダ付けの対象。

しかし、この最強かつ最善の接続方法ともいえる「ハンダ付け」にも弱点があって、Kさんによるとハンダの材質によって経年劣化が早めに起こってひび割れたり剥がれたりする恐れがあるとのことで現在は「KR19」というハンダを使っておられる由。

これはアメリカのNASA(ナサ)の宇宙ロケットにも使用されている逸品だそう。

ちなみに、最先端の科学技術の粋を極めるこの宇宙ロケットにも膨大なハンダの量が使用されていてハンダの材質を改善しただけで(ロケット)の重量が目に見えて減少したなんて話を聞いたことがある。

自分が現在使っているのはワコー・テクニカルの「銅入り銀ハンダSR-4」。

       

結構こだわりの製品だが、オーディオ仲間のMさんによると、一般的なものよりは”くっつき具合”が悪いので敬遠されている。

Kさんご推奨の「KR19」はNASAのロケットに使われるほどなのでいずれ手に入れてみようかと考えているところ。

ちなみに、ネットで検索してみると次のとおり。
             
      

ラベルにちゃんと「NASA航空宇宙産業の必需品」とあって自信の程がうかがえるがちょっと値段の方が・・。


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オーディオ談義~「次から次に・・・」~

2010年11月06日 | オーディオ談義

4日(木)の午前中のこと、福岡県にお住まいのKさんから電話があって、突然ですがお昼頃にお伺いして音を聞かせてもらえないかというお話。

「どうぞ~」とひとつ返事。Kさんはまだ40歳前後の方で真空管アンプの自作派。とてもご熱心で自ら「音キチ」と自認され、各地のオーディオマニアを身軽く訪問されて耳を鍛えておられる。

我が家へのご訪問は4回目程度だが、年齢的な意味で高域に対する耳の鋭敏さを保持されているので貴重な存在。いつも超ストレート(?)な意見をもらって参考にしている。

丁度システムも全面的に改造した直後だし、いい機会だと今回はいろいろ比較しながら一緒に試聴し
てみた。

その前に現在の我が家の2系統のシステムについて確認。

第1システム

  低域用アンプ    ケンウッド「01-A」2台
  低域用スピーカー  フォステクスSLE20W~3本
  中高域用アンプ  真空管PX25シングル
  中高域用スピーカー  アキシオム80

第2システム

  低域用アンプ    ケンウッド「01ーA」
  中高域用アンプ  真空管PX25シングル〔別)
  スピーカー      タンノイ・ウェストミンスター 

共通

CDトランスポート → ワディア270(クロックリンク)

DAコンバーター → ワディア27ixVer3.0

※ このDAコンバーターの出力を分配器で4つに分けてアンプ側へ供給している。

☆ 最初の試聴

第一システムと第二システムの聴き比べ。たまたま駆動するアンプが同機種になったのでまずはスピーカーの公正な比較といっていいだろう。

「ウェストミンスターのほうがまるでレコードの回転数が遅くなったみたいに聞えます。音の反応スピードが違います。単体で聴くと違和感がありませんが、アキシオムを聴いた後ではもうウェストミンスターに戻る気になりませんね。」

「ウ~ン、そうだろうね。やっぱりエッジレスの威力はスゴイいよ。ウェストミンスターは現在、テレビを観るときぐらいしか使ってないんだ。」

(タンノイ・ファンさん、ゴメン~)

☆ 二番目の比較

今度は第一システムに焦点を絞って、アキシオム80を駆動する真空管アンプの比較。

片やPX25シングル・ステレオアンプ

片やWE300Bシングル・モノアンプ×2台

「WE300Bのほうが断然いいです。高域のヌケが違います。ヴァイオリンの音色に艶があってしなやかです。実にいい音ですね~。知り合いのHさんがこういう音が好きなので次回に是非連れてきます」

「そうかなあ。PX25も捨てがたい味があると思うけどなあ。ステレオ・アンプとモノ×2台の物量の差が出たのかもしれないね。」

☆ 三番目の比較

今度はWE300Bシングル・モノアンプに絞り込んで出力管同士の比較。

      

片や1950年代の「WE300B(オールド)」

片や近代管のゴールデンドラゴンの「4300BC」

     

「WE(ウェスタン)が300Bの再生産を止めたせいか、値段が高騰してます。オールドともなると途方もない値段がしてます。大切に使ったほうがいいですよ」

「エッ、再生産を中止したの?そりゃたいへん。これからは簡単にスペアが当てに出来ないなあ。それじゃあゴールデンドラゴン〔中国製)の4300BCを持ってるので比較してみようか」

両者では値段がまるっきり違っていて先入観が入るとまずいので、片チャンネルに4300BC,もう片方にはWE300を別々に挿し込んでKさんにブラインドテストで試してみた。

テスト盤(ソニーロリンズの「サキソフォン・コロッサス」モノラル)にじっと耳を澄ましていたKさんが軍配を上げたのは何と左チャンネルの4300BC!

「音の隈取りがひときわ鮮明です。右チャンネルの方は空間にフワっとした浮遊感があっていいのですがどちらをとるかと言われれば左チャンネルです」

「WE300Bのほうが奥ゆかしくて上品さがあるのでクラシック向き、しかし音の鮮度は4300BCの方が一枚上なのでジャズ向きかな。やっぱりオーディオは値段じゃないなあ~」

オーディオの比較実験をやってると実に時間の経つのが早い。12時半頃にお見えになって16時半までの4時間、スリルと緊張感があってたいへん密度の濃い時間だった。

システムの大幅な改造以降、アキシオム80を駆動するアンプをいずれWE300Bアンプで試してみなければ、という思いがずっとアタマの片隅にあったのだがこういう機会でもないとなかなか思い切りがつかない。

今日は大収穫~。

夜になってKさんから次のメールが届いた。

「今日は色々考えさせられました。

タンノイとグッドマン(アキシオム80)の音の立ち上がりの差には驚きました。

あの差はタンノイが可哀相ですね。いゃ~あグッドマンが良すぎるのでしょう、恐ろしいスピーカーです。

私もグッドマンが欲しいです。ジャズもクラシックもイケてますが、特に弦楽器の音は素晴らしいです。

グッドマンの良さが解らないオーディオマニアは初心者か耳が悪いと断言してよいと思います。

低音の20cm3発ウーファシステムのエネルギーも凄いです。やはり低音には球アンプより石アンプの方が駆動力がありますね。


良い経験をさせて戴きありがとうございました。」



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読書コーナー~「図書館からの督促」~

2010年11月02日 | 読書コーナー

ここ2週間ばかりオーディオに熱中して「死闘」(?)を繰り広げていた最中のこと、表に「重要なお知らせ」と書いてあり片隅に「TOYOTA]とある一通の封書が届いた。

開けてみると「ご愛用車のリコールに関するお詫びとお願い」とあった。自分の乗っている車がリコールの対象になったのは初めて。

幸か、不幸かよく分からないが磨耗した燃料系統とブレーキ系統の部品を無料で新品に交換してくれるということなのでこれはまず喜ぶべき事かも。

早速、修理予約したが、トヨタはどうもあのアメリカの事件以降、リコールに寛容〔神経質?)になっているようだ。

今回の場合、純正品以外のブレーキ液を使った場合に不具合が発生するということなので以前の「トヨタ」の対応ならまず考えられないこと。

また、話は変わって同じ頃に今度は図書館から電話。

『予約されていた「雪冤(せつえん)」(大門剛明著)の本が入りました。11月2日まで保管しますのでそれまでに取りに来てください。ただし、現在借りられている7冊の本の返却期限〔2週間)が過ぎています。これらの本をすべて返却しないと予約の本を貸し出しすることが出来ません』

「アレッ、もう返却期限を過ぎてましたか?どうもスミマセ~ン。近日中に急いで返却します」

オーディオの方もやっとキリがついたことだし、せっかく借りてきたのに読まないまま返却するのも癪なので例によって大好きなミステリーを丸2日がかりでザット目を通してみた。

 「お台場アイランドベイビー」(伊与原 新著)

                  

第30回横溝正史ミステリ大賞受賞作である。新聞の書評につられて借りた本だがその激賞ぶりが凄かった。

「・・・その痛快な面白さ。人物それぞれの過去が絡み合うことで、読むほうも情感がゆさぶられ次第に心が熱くなっていく。途方もなく豊かな才能が感じられる小説だ。次世代の日本ミステリー界をリードするであろう逸材、伊予原新に注目!」

いやはや・・・。

これまで、こういう誇大な宣伝文句には書籍意外にもオーディオ機器やCDの紹介などで散々騙されてきた。

いや、騙されたという言い方は不穏当なので、むしろまんまと乗せられたというほうが正しいのかもしれない。

ともあれ、半分懐疑的なものの酷評される本よりはマシだろうと思って借りたのだがやっぱり期待はずれだった。

直下型地震で壊滅状況になった近未来の東京「お台場」が舞台となった冒険サスペンスだが描かれた人物像もわざとらしい作り事のような気がするし現実性のないストーリーの展開にもさして興味が湧かずまったく惹きこまれなかった。

やっぱりSFがかったものは苦手で、小説の中でさえも「リアリティ」を追求する自分には不向きで、読みかけのままあっさりドロップアウトした。

 「誘拐児」(翔田 寛著)

                  

第54回江戸川乱歩賞受賞作。

江戸川乱歩賞は、新人賞ではあるが、時々、すでにデビューを果たしている作家が受賞することもある。本作の著者、翔田氏もそんな一人。

読後感だが、さすがに乱歩賞受賞作品だけあって面白かった。これまで同賞受賞作で大きく期待を裏切られたことはほとんどない。

戦中戦後の混乱期を舞台に、自分の出生に対し疑問を抱える主人公の良雄。自分は誘拐された子供であり、母はその犯人ではないか? 

その疑惑から、事件について、調べ出す。調べれば調べるほどに深まっていく疑惑。一方、西永福で殺された女性。その女性の行動には不審なところがある。仕事を辞め、しかし、大金を手に入れた気配。そして、その理由もまた、誘拐…。事件を追う刑事たち…。

ベテランの味を発揮した著者の表現の巧さなどは流石だし、最後に明らかになる、母の良雄に対する想いも印象的。

「解決が偶然に頼っている」という欠点はあるが、
極貧の中で繰り広げられる母子の情愛にはひたすら胸を打たれた。

著者の次回作が楽しみで、これは5点満点の4点は間違いなし。

 「愛おしい骨」(キャロル・オコンネル)

                 

これも新聞の書評につられて読んだ本。

「17歳の兄と15歳の弟。二人は森へ行き戻ってきたのは兄ひとりだった。二十年ぶりに帰郷したオーレンを迎えたのは、時が止ったかのように保たれた家。誰かが玄関先に、死んだ弟の骨をひとつづつ置いてゆく。何が起きているのか。次第に明らかになる、町の人々の秘められた顔。迫力のストーリーテリングと卓越した人物造形。著者渾身の大作」

読み始めてみるとさすがに女流作家だけあって情景描写が微に入り細にわたって実に巧みに描かれる。

これは大した作家だと読み進むうちに、何だかやたらにもったいぶった表現が段々と鼻についてくる。ちょっと文体も気どりすぎ。

登場人物も次から次に出てきてカタカナの名前を覚えるのもたいへん。しょっちゅう表紙の裏の人物紹介に目がいく。

自分のような大雑把な読み方にはまったく合わないようで、この本はじっくり一語一語をかみしめて情景を豊かに想像しながら読み進めていくタイプの方に向いている。

というわけで、これもあえなく途中で脱落。犯人像への興味があったので結末の部分だけ拾い読みしたが平凡の一言だった。

どうもこの新聞の書評を担当する文藝評論家とは肌が合わないみたいで今回読んだ本のうちの収穫は自分で択んだ「誘拐児」だけだった。

結局、当たりの確率は1/3だがこれはまあまあの線。


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