「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~江戸川乱歩賞受賞作~

2007年11月29日 | 読書コーナー

今年の5月に惜しくも食道癌で亡くなられた作家の藤原伊織(1948~2007.5.17)さん。

1995年
「テロリストのパラソル」で江戸川乱歩賞(以下、乱歩賞)、直木賞を同時受賞した才能あふれる作家だった。

江戸川乱歩賞というのは、ご存知のように推理作家を志す人たちの登竜門とされるもので副賞の賞金1千万円も大きな魅力。毎年一回、5人の選者により厳密な審査のうえ受賞作が発表されるが、この審査会は毎回紛糾するのが恒例行事とのこと。

選者ごとに候補作への思い入れがあり意見が分かれて激烈な論戦になるという理由(わけ)けだが、この「テロリストのパラソル」だけは選者全員が和やかな雰囲気のうちに異論が一つも出ずに満場一致で決定。こういうことは実に珍しくそれほどのずば抜けた秀作だったということで、選者全員が現役の作家だが、強力なライバルが出現したと震撼したという。

残念なことに自分はこの「テロリストのパラソル」を未だ読んでいない。残念なことに、テレビ・ドラマのほうで、先に観てしまい筋立てが先に分かってしまったので原作に興味が失せてしまったのが理由。

その意味では、この本は「推理小説はテレビや映画よりも絶対に原作の方を先に読まなければならない」というセオリーを教えてくれた思い出深い作品である。この轍を踏まえて近年では「ダ・ヴィンチ・コード」は意識して原作の方を先に読んだ。

とにかく、これまで乱歩賞受賞作はかなり読破している。おおむね推理小説は当たり外れが多いものだがこの受賞作品に限ってはまず読み応えのある作品ばかりというのが正直な感想。ざっと読んだ作品は次のとおり。

昭和40年  西村京太郎 「天使の傷痕」
〃 42年   海渡英祐 「伯林ー1888年」
〃 44年   森村誠一 「高層の死角」
〃 51年   伴野 朗 「50万年の死角」
〃 54年   高柳芳夫 「プラハからの道化たち」
〃 55年   井沢元彦 「猿丸幻視行」
〃 57年   中津文彦 「黄金流砂」
〃 58年   高橋克彦 「写楽殺人事件」
〃 60年   東野圭吾 「放課後」
〃 62年   石井敏弘 「風のターンロード」
〃 63年   坂本光一 「白色の残像」
平成 2年   鳥羽 亮 「剣の道殺人事件」
〃  5年   桐野夏生 「顔に降りかかる雨」
〃  6年   中嶋博行 「検察捜査」
〃  9年   野沢 尚  「破線のマリス」
〃 10年   池井戸 潤 「果つる底なき」
〃 11年   新野剛志  「八月のマルクス」
〃 13年   高野和明  「13階段」
〃 14年   三浦明博  「滅びのモノクローム」
〃 17年   薬丸 岳  「天使のナイフ」

この中から、特に上出来だと思った作品は「猿丸幻視行」「写楽殺人事件」「検察捜査」「果つる底なき」「13階段」あたりだろうか。

また、乱歩賞受賞後に新しい境地を切り拓いた作家として、ほんの一例を挙げれば西村京太郎、森村誠一、井沢元彦、高橋克彦、東野圭吾、桐野夏生などの錚々たるメンバーが上げられる。

近年の作品「天使のナイフ」はつい先ほど読み終えた。この本の最後にあった選評では、選者による最初の投票でぶっちぎりの高得点でほとんど満票で受賞が決まったとのこと。

たしかに、13歳の少年3人により妻を殺害された主人公の心理状態を丹念に描きつつ、行きずりの犯行に見せかけた中に潜む意外な真相、少年法が抱える問題点を抉った社会派推理小説でなかなか読ませるものがあった。読みかけ途上で本を置くのが残念に感じるほど。

さて、亡くなられた藤原伊織氏の作品は「テロリストのパラソル」を読まなかった罪滅ぼしに「シリウスの道」(2005年6月、文藝春秋社)を読んでみた。暗い過去を持った主人公が広告業界を逞しく生き抜くハードボイルドがかった、そして幾分推理的な要素も加味した作品だったが、もろ手を挙げて面白かったというわけにはいかなかったが、読み手を引き付けるなかなかの佳作だった。

氏はまだ59歳でこれからが作家として本当に油が乗った時期に入るのに実に惜しいことをした。デビュー作の「テロリストのパラソル」を超える作品を是非書いてもらいたかったのだが・・・。

                    
           


 


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独り言~早すぎる!ブログの投稿時刻~

2007年11月27日 | 独り言

この3連休を利用して、福岡に住んでいる甥っ子(姉の二男)が泊りがけで遊びにやってきた。まだ独身でドライブがてら久住山系の紅葉を楽しみ、九重の夢大吊橋周辺を回る日程だそうで、やって来たのは初日。

久しぶりに顔を合わせたが、このブログを2~3日に1度目を通しており、いろいろと遠慮せずに意見を言ってくれる貴重な読者の一人だが、兄(姉の長男)との会話を通じて、別府のおじちゃんは朝早く5時過ぎからあんなに
テンションを上げて長文のブログを投稿しているが、精神構造は一体どうなっているんだろうと噂しているとのこと。

よく聞いてみると、ブログとは日記のようなものでその場で思い浮かぶままに文章を考え、そのまま投稿してしまう人が大多数で、そういえばかなり熱い宝塚ファンの娘もブログにヅカ関連の記事を投稿するときはこのスタイルであまりこだわらずに思いつくままの文章を投稿しているとのこと。

自分の場合、残念なことにそういうタイプではない。あまりヒラメキがいい方ではないので適切な表現の文章がすぐに思い浮かばず、事前に原稿を作成し何回も推敲するのが常である。通常で1週間程度、場合によっては2週間以上も前から「記事一覧」に草稿状態留め置いて、ああでもない、こうでもないと考えながら折をみて文章をいじり回している。

どうせ載せるのであれば、少しでも満足のいくものにというのが理由のひとつだが、それに加えて別に推敲が苦になるわけでもなく、むしろ小文とはいえ階段を一段ずつ登っていくように完成に近ずけていく楽しみもある。もちろん、仕上がり具合はいまひとつで、所詮、自己満足の世界に過ぎないのはいうまでもない。何せプロではないんだから。

そういうわけで、朝早く5時過ぎに投稿するときには既に前日までに推敲が終わった草稿をさらにもう一度ざっと目を通して機械的にパソコンを操作してエイヤっとクリックするだけである。ものの5分とはかからない作業であり、決して早朝からテンションを上げているわけではない。また、一晩寝た後にふっ切れて投稿するのがクセになっているので夕刻以降の投稿はまず考えられない。

こういう自分のようなどちらかといえば粘着気質で推敲好きの人間は実生活ではかなり損をするタイプ。つまり、時間をかけてゆっくりと考えればよい文章とは違って、日常生活の中で大部分を占める他人とのコミュニケーション、会話という一発勝負の中では、なかなか最適な言葉がすぐに浮かばず、後になってああ言えばよかった、とか相手のあの言葉はこういう意味だったのかといろいろ考えることが多い。

したがって結構、過去の事件を思い出して悔やむこともありどうも精神衛生上よろしくない。世の中、しゃべるのがうまくて、文章も上手というのが理想だろうが、今も昔もしゃべりがうまい人のほうが有利で重宝されるようだ。本当にうらやましい。

しかし、ずっと以前に仕事がらみで大好きな作家の
城山三郎(故人)さんの講演を聴いたことがあるが、正直言ってあまりトークの方はお上手でなかったので、あの城山さんでさえそうなので天は二物を与えないものだと妙な安心感と慰めを覚えた記憶がある。

いずれにしても、こういうクセは生まれつきのもので直せる性質のものではなさそう。歳(とし)も歳だし、もう半分以上あきらめているところ。

最後に、この原稿の据え置き期間は2日間でした。念のため(笑)。


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釣り紀行♯23~出直し~

2007年11月25日 | 釣り紀行

秋も深まり、朝夕めっきり冷えてきた。海水温も同様で特に朝早い時刻は一段と冷え込んで魚の動きも緩慢になりエサを追わないようになる。

ということで、11月22日(木)の釣行は自宅を10時と遅めに出発し、暖かくなる午後からの満ち込み1本にかけることにした。この日は中潮の最終日で夜間の方が潮の干満の差が激しく、日中はその半分で潮の動きが少ないことからあまり条件のいい日ではない。

そういうこともあって、この日は小物狙いでY半島でも一番近いF波止に決めた。現地到着は11時50分だったが、着いてみてびっくり仰天。強風が吹き荒れ、波止の上にまで波しぶきがかかっている。顔見知りになった地元の漁師さんが
、”今日は無理、この風では釣り道具が吹き飛ばされるよ、明日になれば凪になる”との親切なアドバイス。

結局この場所をあきらめて、すぐに帰ればよかったのだが諦めきれずY半島の奥深く侵入したのが結果的に悪かった。どの場所でも、強風が猛威をふるい釣りどころではない。結局2時間程度クルマでウロウロしたが竿が出せる場所無し。所詮は遊びの一環である釣りなので無理をして命を懸けるほど愚かなことはない。マキエを全部クルマに積んだままスゴスゴと退散した。この日は強風波浪という思わぬ伏兵に足を掬われた格好。

翌日、11月23日(金)は勤労感謝の日。3連休を利用して大阪から娘が帰って来る日なので、生きのいい刺身を食べさせたい思いから今日はどうしても釣果が欲しいところ。ただし、気がはやってもどうせ午前中は釣れないと予測できるので出発は10時30分。

現地到着は、12時前後だったが休日のせいもあってお目当てのF波止は釣り人で満杯。平日の閑散さを見慣れている目には奇妙な光景に写る。仕方なく昨日に続いてY半島に奥深く侵入。

一級ポイントのH釣り場に着いたところ、居たのは予想外にも2人だけ。いずれも疑似餌によるイカ釣り。やや”こわもて”の方だったが隣でフカセ釣りをしていいですかと遠慮がちにお伺いを立てたところ、そんなことわざわざ言わなくてもいいよという表情を浮かべて破顔一笑、どうぞ、との気持ちよい返事。”いざ、叩けば扉は開かれん”。

気持ちよく釣り座を構えて釣り開始は12時40分。潮の動きがやや緩慢な中でやはりというべきか大釣りという分けにはいかなかった。散発的にクロとウマズラハゲが当たるのみ。ようやくクロの30cmクラスの大き目が1匹、これなら十分刺身になりそうで一安心。もう1匹大きいのがきたが、このときは短い竿を使っていたため足元の根に逃げ込まれてハリス切れでバラシタ。残念!

納竿は16時40分。結局4時間でクロ3匹、ハゲ5匹で昼からの釣りにしてはまあまあの釣果だった。自宅到着は闇の中を切り裂くように高速を飛ばしに飛ばして18時20分。なお、クルマの走行距離はこの2日間で380kmに達していた。

                        

と      き     2007年11月23日(金)  快晴、海上やや風強し

と  こ  ろ      Y半島H釣り場

釣 り 時 間      12時40分~16時40分

潮             大潮(干潮12時37分)

釣果            クロ3匹、ハゲ5匹

メモ            H釣り場は大物が来るので、長竿使用に限定。
              23日当日はハゲのキモ和えの刺身と味噌汁
              24日はクロの刺身で娘が大いに満足してくれて久しぶりに
              父親の株が上がった。





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オーディオ談義~真空管の入れ替え~

2007年11月23日 | オーディオ談義

秋もいよいよ佳境に入り、過ごしやすい気候のもとで感性の方も何だか冴えてきたように思えて、音楽を聴くのにも熱が入る。

必然的にオーデイオ装置に対面している時間も長くなるが、そうなるとオーディオ愛好家特有のクセで、音に対する物足りなさ、或いはもっといい音になればなどと注文がつい増えてしまう。そういえばオーディオ友達のAさんも、Mさんもオーディオ装置の入れ替えや新製品の購入は秋の時季が多いようだ。

この自分もその例に漏れないひとり。現在、中域用(JBL375ドライバー)にイギリス製の真空菅PX25を使ったアンプを、そして高域用(JBL075)にはアメリカ製のWE300Bを使ったアンプをそれぞれ使用している。いずれも
1950年代製造の古典菅。


真空管特有の瑞々しくてコクのある音に大いに満足し、特に不満はないのだが、少しでも音がよくなる可能性があれば何でも試みるというのがオーディオ愛好家の宿命。

やや専門的で理屈っぽくなるので話を一部省略するが、接点(アッテネーター)を介在しないで済めばそれに越したことはないので、その手段の一つとしてWE300Bアンプの出力トランスの端子を8Ωから4Ωへとつなぎ変えて出力の能率を下げてみた。

これで、スピーカーの能率がらみでPX25アンプと同程度の出力となり、これまで2台使っていたアッテネーターが1台で済む皮算用となるが果たしてうまくいくだろうか。

このやり方でひとまず試聴してみると、たしかに音が一皮むけてクリヤーになったが、やや高域が強すぎてどうもPX25とWE300Bの相性がいまひとつピッタリとこなくなった。

PX25の音の傾向はたとえて言えばあくまでもいぶし銀のように渋い光沢を放ち噛めばかむほど味が出る感じ、一方WE300Bの方は派手で煌びやかで自己主張が強い印象がする。イギリスとアメリカの文化の違いとでもいうのだろうか、イギリス紳士とアメリカ紳士の差がモロに出てくる感じ。真空管を通じてお国柄が伺えるところが面白い。

そこで、まずコンデンサーを入れ替えて高域のクロスオーバーを6600ヘルツから8000ヘルツに上げてツィーターの受け持ち範囲を狭くしてみた。これで随分聴きやすくなったが、まだまだあと一息。

そこで次にモノは試しと以前購入しておいたCR4300BLXをWE300Bの代わりにアンプに差し込んでみた。

このCR4300BLXはずっと以前に投稿したブログ「WE300B」のところで悪口を書いたが、音が1枚ベールがかかったように聴こえ、価格もWE300Bの1/6なので価格相応の音と決め付けて物置の奥深くに仕舞い込んでいたもの。

あまり期待せずに耳を傾けたところ、これが水を得た魚のようにばっちりPX25と相性が合う。WE300Bに比べて音の抜けが悪い分、逆にうるさく感じないところがいい。50年代のジャズの雰囲気がモロに出てきていい感じ。音色もPX25と同じ傾向なので随分聴きやすい。4300Bという型番は300Bのヨーロッパ版で特性はあまり変わらないと聞いているが、微妙な差は当然あるはず。

これだから、オーディオ製品の真価は分からない。少し条件を変えてやるとばっちり変身する。あまりの嵌(はま)りように自然と嬉しさが込み上げてくる。やはり
”手放さなくて良かった!”と同時に軽々に製品の能力を決め付けるのは軽薄の謗りを免れないと痛感した。特性が悪くても製品同士の相性が良ければきちんと生きる術がある。価格による先入観も今後は御法度だ。

早速、ネットでCR4300BLXの予備を注文しようと検索したところ、残念なことに既に製造中止。
その代わり、GD4-300BCという真空管がテクソルという会社から販売されていた。あのマニア垂涎の的、STC4300Bと同等菅と記載してある。パソコンのホームページで所定の様式に必要記載事項を打ち込んで注文したところ、すぐに受付け確認のメールが届いた。価格は送料込みで1セット40,950円なり。

聞いたこともない会社なので心配になったが、行動あるのみと一応信用することにしてエイヤっと代金を11月16日の金曜日に振り込んだ。

その結果、間違いなく商品は21日午前11時に到着した。

午後からは、オーディオ仲間のMさんがたまたまお見えになったので早速、WE300Bオールド、CR4300BLX,GD4-300BCの3セットの真空管を差し替えて一緒に試聴に移った。テスト盤はグリミュオーの「モーツァルトのヴァイオリン協奏曲5番第2楽章」

たかだかツィーター用の真空管を差し替えるだけなのに音楽の表情全体が一変するのが面白い。結果は、古い録音を聴くのであればGD4-300BC、新しい録音のCD盤を聴くのであればWE300Bオールドがいいということになった。

GD4-300BCは想像以上に音質がいいので驚いた。カーボン・プレートは振動が少ないことがメリットだそうで,、あとは耐久性の問題だけだろう。使っているうちにどれだけ性能が劣化するのか、こればかりは時間の経過を待たねばならない。しかし、300Bオールドに比べて価格は約5分の1なので劣化が少々早くても許せる。

なお、偶然11月20日に購入した
「菅球王国Vol.46」(Vol.1~Vol.46在庫中)に”300B現行真空管聴き比べ”の記事が掲載されており、この真空管の試聴結果が掲載(106頁)されていた。かなりのべた褒めで、音が柔らかい、潤いがある、「溜め」がある、落ち着いた、抑制がある、太く厚みがある、などの形容による好評価。自分の試聴結果も珍しくピタリと一致した。最近の真空管は随分良くなっているようだ。認識を新たにしたところ。

これでPX25の方も現在ストックが4本なのでいずれ補給せねばならず、KR製(チェコ)の近代菅PX25が楽しみになった。

                         
              GD4-300BC             菅球王国Vol.46




 


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釣り談義~釣りの楽しみ再発見~

2007年11月21日 | 釣り紀行

秋も深まる某日、昔同じ職場で机を並べていた釣り友達のA君から電話があり、仕事で別府に出張するので久しぶりに一杯やろうかとの誘い。

A君は自分より1年後(あと)に退職し、現在は第2の就職先で活躍中、お互いに1年以上顔を合わせていないので懐かしさと釣り情報の交換もかねて一つ返事でOK.

A君はどちらかといえば防波堤でこじんまりと釣るタイプではなくて、渡し船で磯に渡って大物を狙う豪快な釣り師である。

釣り歴40年以上、釣技の方は釣りメーカー主催の数々のトーナメントに参加して上位入賞をするほどの折り紙つきで自分ごときははるかに及ばず、これまでも随分いろいろと教えてもらっている。

この夜も、JR別府駅近くの居酒屋で17時から20時まで3時間とにかく釣りの話ばかりした。大の男が酔いの勢いも手伝って口角泡を飛ばして大声で熱心に語り合うので店の人も驚いたかもしれない。

断片的になるが、会話の内容を忘れないように記録に留めておくことにした。

釣りは、仕掛けの準備に始まり、釣っている間、そして釣った後の獲物と長時間ずっと尾を引いて楽しめるのでこれほど面白い趣味はそうそう見当たらない。

釣りにはパーフェクトはない。釣行の後に、必ずあそこでこうしておけばという反省材料がある。何回行ってもその繰り返しである。それだけにものすごく奥が深い。

釣りとは”海との対話”だ。釣果にはそれほどこだわらないこと、大自然に触れるのが主眼。大物をバラして楽しむ境地も一興か。

仕掛けのポイントは何といってもウキ。ウキの選択が釣り方全てを支配する。A君はここ2年来、釣研(メーカー)の環付の「ど遠投」を錘の負荷に応じて0号、G2、B、3Bの種類を当日の風と潮の状況で使い分けている。このウキはこれから冬に向けて深場狙いに良さそうなので自分も早速、翌日に釣具店に走った。負荷Bを購入したがそれ以外は全て売り切れだった

釣り道具のうちの花形的存在は竿。A君は現在ダイワ(メーカー)のメガドライ(中通し)を愛用している、自分は外ガイド付の”がまかつ”(メーカー)の竿を愛用。がまかつの竿の弾力による魚の引き寄せパワーはA君も一目置いている。なお、シマノ(メーカー)の中通し竿はイマイチの評。

竿の次に来る花形的な存在は、リール。これはダイワよりシマノのほうが一日の長がある、自転車の多段ギアで驚異的なシェアを誇る技術が如実に生かされている。

さて、釣りの腕とは何ぞや?

端的にいえば”魚のいる場所にエサを届けて食わせる技術”といえる。逆にいえば、どうしても釣れないときになぜ釣れないのかその原因をつきとめ、適切な対応ができるのが釣師の腕になる。

たとえば、魚がいないと思えばあっさりと場所を替わる、魚が居ても食わないと思えば適切な仕掛けに替える、その辺の見極めが第一ポイント。

第二のポイントは魚が居ても食わないときに、いろんなノウハウが必要となる。ノウハウとは釣り道具を含めた細かい選択の積み重ねと言い換えてもいい。以下、細かくいくと、

釣り針の選択
釣り人と魚の唯一の接点になる釣り針に無関心は許されない。まずサイズがポイントで、魚が口に含むときに違和感を持たせないことが肝要。
小さいサイズは食い込みがよいが魚の口に掛かりにくい
大きいサイズは食い込みが悪いが魚の口にしっかり掛かる、
結局、一長一短だが小は大を兼ねるケースが多く小サイズが有利。また、魚が掛かった後では、それなりの強度も必要になる。

錘(おもり)のサイズと打ち場所の選択
錘をハリスのどの部分に打つか(段打ち)、錘の大きさはどのくらいにするかがすごく大切で、ある意味では釣技の頂点に位置するといってよいほどセンスが問われるところ。これまで、錘の打ち方一つで釣果に雲泥の差が出ることをイヤというほど体験してきた。
ウキ、風の強さ、潮の流れ具合を勘案して微妙に使い分けてエサを魚のいる層に届け、そして魚がエサをくわえたときに糸の揺れで違和感を持たせない打ち方に留意。


針素(ハリス)と道糸の選択
魚からの視認、風の抵抗などから細い糸を使うに越したことはないが、あまり細すぎると魚をバラシやすいので、予想できる魚の大きさによって最適の糸サイズを使い分ける。防波堤と磯ではサイズがグンと違ってくる。

ウキ、竿、リールの選択は前述したので省略するが、ウキ下の長さをどの程度にするかも重要なポイント。

マキエの種類、撒き方の選択
集魚剤の種類、オキアミ、アミの量の混ぜ具合に独特のノウハウがある。
次に、潮の速さに応じてマキエを打つ場所を選定し、海中でツケエと同調させていかに魚の口に持っていくのかが釣果を大きく左右する。

ツケエ(釣針に付けたエサ)の選択
これも各人のノウハウがある。A君によると10月27日開催の県南クロ釣りトーナメントの優勝者は最後までツケエのノウハウを明らかにしなかったとのこと。たとえばオキアミ、サシアミを数日間ハチミツに漬け込む、ミリンにつけておくなどいろいろある。それぞれ各人ごとの秘中の秘となっている。

魚を掛けてからの取り込み
竿の弾力利用の仕方、タモ網の掬い方のタイミングなどだが経験を積む以外に上達のコツはない。

釣れる場所の情報取得
話の中でこれに一番時間を費やしたが実に参考になった。A君は自分が通い詰めているY半島を一時期、勤務地にしていたこともあり釣れる場所にも詳しい。箸袋の紙を丁寧に伸ばして図解してくれたのでよく分かった。同じ釣り場でも、釣れるポイントとそうでないところがある。海中の根に近いポイントが有利なことはいうまでもない。

とにかく、肝胆相照らす釣りキチ同士がお互いのノウハウを出し尽くして語り合うこの3時間は
至福の時間だった。釣りにはこういう楽しみもあると思った。

惜しむらくは、A君が在職中のため
平日に一緒に釣行できないことが残念。別れ際に”なるべく早く仕事を辞めて一緒に釣りに行こうよ”と無理を言いつつA君が乗った電車を見送った。


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愛聴盤紹介コーナー~ブラームスのヴァイオリン協奏曲~

2007年11月18日 | 愛聴盤紹介コーナー

芸術の秋にぴったりの楽器ヴァイオリン、その奥ゆかしい優雅な音色にこだわって今回はブラームスのヴァイオリン協奏曲を紹介。

まず作曲家ブラームス(1833~1897)について

クラシック音楽鑑賞のバイブルともいうべき「西方の音~天の声~」(五味康祐氏著)225頁以降に実に懇切丁寧な記述がある。

ブラームスは極めて内省的かつ誠実な人物で、ベートーヴェンを超え得ない己(おの)が才能をよく自覚しており、生涯にわたって結婚もせず、人のために尽くした無類のお人好しだったという。

このヴァイオリン協奏曲は演奏者にとって技巧的に至難とも難渋ともいえる曲で、凡百のソリストでは退屈な曲に堕してしまう。
指の大きな者でないと弾きにくいことが指摘され、古来名ヴァイオリニストたち(ティボー、クライスラー、イザイなど)が好んで挑戦しクライスラーの場合などは代表的な名演となっている。

以上のとおりだが、ブラームスは人によってかなり好き嫌いがあるようで、フランスの女流作家フランソワーズ・サガンの小説に「ブラームスはお好き」(未読)という題名があるが、わざわざ改めて問わねばならないところにクラシック音楽の中に占めるブラームスの微妙な位置づけが象徴されているように思う。

次に、演奏者のオイストラフについて

既にこのブログで何回も登場しているオイストラフだが完全無欠と思える名ヴァイオリニストでも、さすがに得手、不得手があってバッハなどはどうも苦手の様子。一方、円満、誠実な人柄がピッタリ合致して最高のレパートリーになっているのがこのブラームスのヴァイオリン協奏曲。

「21世紀の名曲・名盤」(2002年、音楽の友社刊)によると、音楽評論家の投票による選出でオイストラフ演奏の盤が最高とされており、それもジョージ・セル指揮の盤とオットー・クレンペラー指揮の盤が節目ごとに交互に1位に選出されている。

いわばこのブラームスのヴァイオリン協奏曲に関する限り
”オイストラフの演奏がベスト”という専門家のお墨付きを得ているところが決して個人的な贔屓目(ひいきめ)ではない客観的な事実。オイストラフの資質はブラームスによって最大限に開花されている。

そこで、オイストラフが演奏したブラームスのこの協奏曲を全て集めて聴いてみようと思い立った。

ということで、ネット・オークションを通じて急遽取り揃えたのが次のとおり。(録音年代順)

ドイツ・グラモフォン 指揮:フランツ・コンヴィチュニー ドレスデン・シュタツ・カプレ
  録音:1955年

EMI HS-2088  指揮:オットー・クレンペラー フランス国立放送局管弦楽団
  録音:1960年

ERMITAGE    指揮:オトマール・ヌッシオ スヴィッツェラ・イタリア・交響楽団
  録音:1961年(ライブ)

BVCC 37082   指揮:キリル・コンドラシン モスクワ・フィル・交響楽団
  録音:1963年(ライブ)

accord DICA20002 指揮:ヴィトルド・ロヴィツキ ワルシャワ・国立・フィル
  録音:1969年(ライブ)

これに既に持っていた
EMI TOCE-59049 指揮:ジョージ・セル クリーブランド管弦楽団
  録音:1969年

を加えて全部で6セットとなる。

因みにオイストラフ演奏の盤が何故これほど多いのか。
それは当時のソ連政府が
外貨獲得のため世界的ヴァイオリニストだったオイストラフを見境なく各国に派遣して容赦なく酷使したからである。

それでも、恨むことなく最後まで政府に感謝し忠誠を誓って世界中を東奔西走したオイストラフはとうとう最後にはヨーロッパ公演旅行中に疲れ果てて66歳で客死してしまう。彼以後に彼を超える偉大なヴァイオリニストを知らない。

ああ、可哀想なオイストラフ!

しかし、そのお陰で優れた芸術作品を後世に残してくれた。

さて、以上の6セットについて、第一楽章から第三楽章まで全曲40分を数日間かけてじっくりと聴いてみた。全てが素晴らしい演奏で、自分ごときが評価するのはとてもおこがましいが、それでもやはり好みの差は如実に感じとれた。

試聴のポイントは全てオイストラフなので演奏の良し悪しではなくて、年代によって演奏の足跡をたどるところに意味がある。それに加えて、指揮者との相性、オーケストラの技量、音質(録音)の良し悪しが問題。

あるヴァイオリン解説書によると、オイストラフの技巧の全盛期は1940年代、少なくとも50年代までとの説もあるが果たしてどうだろうか。

あくまでも個人的感想だが試聴結果は次のとおり。

1955年盤
ヴァイオリンの音色の厚み、浸透力が一番強かった。弦を押さえる指、弓を弾く腕にしっかりとした力がみなぎり、気力、体力ともに充実して情緒さよりも力強さ、若々しさが優る印象。特に第一楽章の熱演には心から感激した。録音はモノラルに近いもので、褒められたものではないがその欠点を補って余りある盤。

1960年盤
「勿体ぶり屋」の異名をとる指揮者クレンペラーのゆったりとしたペースとオイストラフの演奏との相性と振幅がぴったり。オーケストラとの一体感も感じられる。気力、技巧、情緒性のバランスがよく、第二楽章にみられる抒情性はなかなか聴かせる。録音も悪くない。

1961年盤(ライブ盤)
指揮者もオーケストラもはじめて聞く名前だがライブ盤の中では最も気に入った盤。ごく自然体の演奏で、ブラームスの悲哀が伝わってくる趣。1960年盤と似通った印象がある。録音が玉に瑕でオーケストラがモコモコしていてやや不満が残る。

1963年盤(ライブ盤)
全編、緊張感がみなぎった熱演の印象だが、やや気負いすぎのような感がある。しかし、ライブ録音にもかかわらず、相変わらず音が綺麗で何ら破綻のない演奏には感心する。録音は途中でたまにザーっと雑音が入るのがやや気になる。

1969年盤(ライブ盤:ロヴィツキ指揮)
全編に亘ってゆとりが感じられる演奏で、それなりにいいのだが、少し緩みすぎの印象あり。録音も今ひとつで、中高域がやや持ち上げすぎで、ときどきキンキンして聴きずらいときがある。

1969年(セル指揮)
スケール感に優れ堂々とした立派な演奏。指揮者もオーケストラも上出来でブラームスの悲哀を大きく包み込む豊かな包容力が印象的だが、ロヴィツキ指揮の盤と同様にやや緩みすぎの感がある。もっと厳しさのようなものが欲しい気がした。しかし、録音はこの盤が一番良い。

以上のとおりだが、後半になればなるほどヴァイオリンの音色に”はつらつさ、力強さ”が失われる印象があり、一方でそれをカバーするように”ゆとり、情緒性”が前面に押し出されてきている。

どちらの傾向をとるかはそれぞれの好みの差になるが、1955年盤(コンヴィチュニー指揮)に見られるように正確な技巧に裏打ちされた"熱気”は何よりも捨てがたいと思う。オイストラフの全盛時代は1950年代という説が素直にうなづける。

スケール感、清々しさ、全楽章を貫く緊張感いずれをとっても図抜けていて、何度聴いても素晴らしい。これ1枚あればほぼ満足できる。

                
       
1955年盤          1960年盤          1961年盤 

                
       1963年盤           1969年盤    1969年盤(セル指揮)  


 


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釣り紀行♯22~当て外れ~

2007年11月16日 | 釣り紀行

11月15日(木)朝、NHKの天気予報で七五三には最適の日と言っていたが、釣りにも絶好のコンディションだった。

いつもどおり、朝6時に出発、お目当てのY半島H釣り場には8時20分に到着したが、既に太公望が4人、思い思いに展開して釣り座を構えている。一級ポイントは全て満杯。

「どうです、釣れます?」
「ハゲの大きなのが釣れたよ、ほら見てご覧」
「大きいですねー!このくらいのサイズが釣れるといいですね。横で釣っていいですか?」
「どうぞ、どうぞ」

邪魔にならないように適当に離れて釣り座を設置。今日は中潮で満潮が11時59分。午後は潮の動きが小さいので、満ち込みの午前中が勝負だが、釣り場所は一級ポイントから随分外れていて潮の流れ具合もイマイチであまり釣れそうにない場所。適当に時間つぶしをして、一級ポイントの釣り人が移動したらすぐ場所を押さえようとの心積もりで半分浮き足立って釣り開始。

場所が場所だけにあまり期待して居なかったところ、いきなりドカンときた。クロの30cmクラスが食いついてきた。こんな場所でまさか、と半身半疑。これだから釣りは分からない。俄然ヤル気が出てきて、ウキ下、錘など本気で調整。午前中で30cmクラス3匹、25cmクラス6匹程度。これで、自宅で食べる分を概ね確保したので気が楽になった。これから釣れる分は知人やご近所に回せばいい。

そのうち、12時頃に一級ポイントの釣り人2人が帰ったので早速、その跡へと30mほど移動。大型のクロを釣るぞと勇んでみたものの、これがさっぱり。潮の流れが速くて、仕掛けが馴染むヒマがない。風当たりもひときわ強くて、狙ったところにウキが落ちない。

結局、このポイントでは当てが外れて手の平クラスが4匹程度。思惑通りにいかないところが釣りの面白いところ。後から考えたら、こういうときには大きなウキと重たい錘を使えばよかったのにと反省。まだまだ臨機応変に対応できない未熟な自分がいる。繊細さと豪快さを織り交ぜた釣りをしなければと大きな教訓となった。

14時30分頃に潔く場所替え。今度はF波止に行ってみた。ここでは釣り人が誰も居なかったが、そのはずで、強烈な向かい風が吹きまくっている。これではほとんど釣りにならないのでよほど帰ろうかと思ったが、残っているマキエの量が半端ではない。

もったいないので、なんとか無理をしながら釣ったところ、これが大当たり。まずウマズラハゲが5匹、これは肝が美味しいので大歓迎。しかもクロまでがこの時季には珍しく海面に浮いてきた。ただし、リリースサイズの手の平未満が半分以上の割合だったが、結構型がよくてキープできたのが13匹。思わぬ釣果だった。

納竿は16時40分。今日の釣りは全て当てが外れたが良くも悪くも変化に富んだ釣行だった。

                         

と     き     2007年11月15日  快晴、海上風やや強し

と こ ろ       Y半島H釣り場、F波止

釣り時間        H釣り場(8時40分~14時20分)
             F波止(15時~16時40分)

潮            中潮(満潮11時59分)

釣    果       クロ26匹、ウアマズラハゲ5匹

メ     モ      これからの季節は強風と急流用に大きめの錘とウキを準備
 




 


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オーディオ談義~オ-ディオ訪問記~

2007年11月13日 | オーディオ談義

秋も深まる11月のある朝、湯布院のAさんからヴァイタボックスの”クリプッシュ・ホーン”(スピーカー=SP)の調整がやっと終わったので聴きに来ませんかというお誘いがあった。

日頃から快活なAさんだが、ひときわ弾んだ声に上首尾の気配が感じられたので「すぐ、お伺いします」と即答し、試聴用のCDを数枚カバンに入れてクルマを走らせた。

別府から湯布院まで一般道を利用して約30分。その間、クリプッシュ・ホーンの想い出にふけった。そう、自分が30代の頃、馴染みのオーディオ店にこのSPが鎮座していた!

イギリス製のヴィンテージSPで、その優雅な佇まいと音質にすっかり惚れ込んでしまい、どうしても手に入れたかったが目を見張るほど高価で当時、薄給のしがない身分のサラリーマンでは
”夢のまた夢”だった。

何よりも音質が素晴らしかった。今でも鮮明に記憶が残っている。当時、パイオニア社のA級アンプM5(モノ×2台)によって駆動されていたが、その音色の艶が何ともいえず、周波数がどうのこうのという音ではなくて、ただ音色だけで人を完璧に魅了する、そういうSPだった。

オーデイオ専門誌
「ステレオ・サウンドNo.16」1970年秋季号の表紙を飾るとともに316~317頁に詳しい解説が掲載されている。アメリカのクリプッシュ氏が発明し特許を持つ本格的な折り曲げホーンで、あの名声を馳せたJBLの「ハーツフィールド」、エレクトロボイスの「パトリシアン」などがこの方式を採用している。

20年以上前の記憶をたどりながら、ようやく対面できる嬉しさに心が弾みアクセルを踏み込む足にも思わず力が入る。

県外ナンバーがズラリと並んだ老舗「山のホテル夢想園」の駐車場にクルマを置いて、Aさん(総支配人)とコーヒーを飲みながらクリプッシュ・ホーンを手に入れられたいきさつを聞かせてもらった。

知り合って間もないM県のIさん(個人)のオーディオ相談相手になっているうちに、カンノの300Bアンプとともに、このSPの商談に発展したとの事で、トラックで3人がかりで取りに行ったとのこと。Aさんの交友の広さ、親切がこういう形になって実を結ぶので、まずもってうらやましい。

しかし、自宅に運び込んでからの調整が大変だったそうで、まず、ネット・ワークの全面的な入れ替え、JBL-075ツィーターの追加による3ウェイへの変更、そしてコーナーに設置するための壁の補強に多大の経費と時間を割かれたという。

夢想園からAさんのご自宅までクルマで約10分。お目当てのSPは2階の広いオーディオ・ルームの両方のコーナーに堂々と鎮座していた。高級家具と見間違えるほどの存在感で見ているだけでもそのデザインに飽きない。

早速持参のCDをかけてもらい音出しをしてもらった。こういうときには正直に言ってやや複雑な気持ちになってしまう。

あまりにいい音を聴かされると、なぜ我が家の装置ではこういう音が出ないのかとショックを受けてしまうし、それかといって、永年お互いに切磋琢磨してオーディオに励んできた盟友のAさんには是非いい音を出してもらいたいという気持ちが入り混じる。

試聴CD     オイストラフ「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」
          グリミュオー「モーツァルトのヴァイオリン協奏曲」
          フラメンコ「タラント~ソン・ソン・セラ」
          ソニー・ロリンズ「サキソフォン・コロサッス」
          マリア・ジョアオ・ピリス「モーツァルト~ピアノ・ソナタ」
          内田光子「  同 上   」
          マリア・カラス「オペラ~トスカ~」
          ちあき・なおみ「さだめ川」
          美空ひばり「新宿厚生年金会館大ホールでのライブ」
          オルティン・ドー「モンゴルの歌声」

実に
”音楽性に富んだ音”というのが第一印象だった。往年の名器はやはり色褪せていなかった。解像力というオーディオにつきものの決まり文句が虚しくなるという形容が正鵠を射ていると思う。Aさんによると低域の支えがしっかりしているため中域の音(S2ドライバー)がきれいな粒立ちになっているところが気に入っているという。

たしかにオーディオ的快感よりも音楽的快感を大切にされるAさんお好みの音で、特に、ピアノの音に気品と実在感があってピアノの先生である奥様も太鼓判を押され、ピリスと内田光子さんとの比較試聴ではピリスの技量とピアノの音に改めて刮目(かつもく)されたという。

自分も今更ながらクリプッシュ・ホーンの艶やかな音にすっかり魅せられ、現在の装置に加えてクリプッシュ・ホーンを全国くまなく探して購入しようかと、脳裡に一瞬よぎったが今の立場と財政状態では家庭内冷戦に持ちこたえられない(?)ので仕方なくブレーキをかけた。

もっとも現在のJBLの375ユニットを中心としたシステムには満足しているので、375ドライバーとS2ドライバー、それぞれの名器の差をいかに埋め合わせるかが宿題だろう。

Aさんご自身も長年のJBLファンで自ら所有のJBL375の能力には高い評価をされているが、375の高域部分と075ツィーターのつながりにやや不満とのことでこの間にLE85ドライバーを入れて4ウェイにしていずれ試聴してみたいという意向をお持ちのようだ。

なお、このクリプッシュ・ホーンについては、低域用のアンプにヤマハのCA-2000、中・高域用に300Bアンプを使用されているが、いずれ発展的に低域用にELー156のプッシュプル真空管アンプに替えてみたいとのことだった。

とにかくAさんの熱心さには頭が下がるし、以前のオーディオ訪問記でも紹介したがオーディオへのこれまでの投資額にも驚いてしまう。しかも高級ヴィンテージものに惜しげもなく投入される。

余談だが、Aさんがある有名オーディオ店から仕入れた情報によると、中国の成金達が今、お金に糸目をつけずに往年の高級オーディオ機器に目がない状況という。

音楽を聴く道具としてのステータス、それに加えて高級家具としての側面から需要が高く、ウェスタンの製品、タンノイのオートグラフ、JBLのパラゴン、このクリプッシュ・ホーンなどをバイヤーが買いあさっており、価格上昇は必至の情勢で、オーディオの世界にもあの中国パワーが押し寄せてきている。

購入するのは結構だけれども、ヴィンテージものはネットワークの交換などいろいろとノウハウがあり手を加えねばよく鳴らないので宝の持ち腐れにならなければいいのだが、その辺が問題だろう。

とにかく、久しぶりにいい音を聴かせてもらってあっという間に3時間ほど長居をしてしまった。最後には夢想園に戻って厚かましく食事をご馳走になり帰路についた。

道中、我が家に着いたら早速同じ曲を聴いて、どこがどう違うのか確認しなければと思いつつ、余韻が冷めないうちにと思いっ切り飛ばして帰った。

                           
              クリプッシュ・ホーン           カンノ300Bアンプ
                         
             テレオ・サウンド誌表紙のクリプッシュ・ホーン


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読書コーナー~読書あれこれ~

2007年11月11日 | 読書コーナー

「黒澤 明~封印された十年~」(2007年8月19日、新潮社刊、西村雄一郎著)

黒澤 明の映画は「羅生門」をはじめ「生きる」「七人の侍」など前半期の作品は随分感銘を受けた記憶があるが、一方で後半期の作品になればなるほど映画そのものに根気がなくなって集中力に欠けている印象があり、世界のクロサワといっても”老いては駄馬かいな”というのが自分の偽らざる感想である。

本書では、その黒澤監督が1965年から75年における10年間、作品系列からいえば「赤ひげ」から「デルス・ウザーラ」にいたる期間を最も辛酸をなめた10年として位置づけ、類をみないほど詳しく検証しているのが特色。この時代は、日本もハリウッドも既存の映画界が音を立てて崩れた時代である。

黒澤明に深く傾倒する著者の個人的な人生航路とも絡めて、いろんな作品の製作の裏話が詳細に語られ、興味深く読ませてもらった。

特に、「トラ・トラ・トラ!」の製作にあたってアメリカ流の合理主義と黒澤流の芸術主義の衝突により20世紀フォックス社から監督を解任されるくだりは黒澤氏を取り巻く複雑な人間模様とあいまってなかなか面白かった。

加えて何といっても本書のハイライトは黒澤監督の1971年の自殺未遂のくだりだろう。監督の兄も若くして自殺しており、監督本人の「わが映画人生の記」にも次の記述がある。

「兄が自殺する数日前、大久保駅で別れるとき、兄は「おい、明」と呼び止めた。明が「何、兄さん」と振り返ると、兄は明の顔をじっと見つめてから、「うん、よし、帰れ」と言った。この瞬間、兄は弟に暇乞いをしていたのだ。」

このシーンを台詞ごとそっくりそのまま取り入れたのが黒澤監督に私淑していた熊井啓監督の名作「忍ぶ川」(キネマ旬報1972年ベスト1)。

この作品の一つのテーマは遺伝という避けがたい結びつきになっており、兄の出奔と弟の別れの場面にこのシーンをそっくり取り入れたわけだが、兄からの暗い血を黒澤監督も受け継いでいたのではというのが熊井監督の一つの見解だった。

「忍ぶ川」完成後の試写会で原作者の三浦哲郎夫妻同席のもと、熊井監督は黒澤監督と椅子を並べて観たが、このシーンが近づくにつれて熊井監督は冷や汗をかき始め、針の筵に座らされているような心地だったが、黒澤監督は映画終了後「おめでとう」と言い、このシーンに関しては一言も触れなかったそうである。

もう一つ。この本はエピソードには事欠かない。
青森のロケ地で、酒癖の悪い三船敏郎が酔った勢いで黒澤批判を展開したところ、新劇出身のまじめな仲代達矢が「あなたをここまでしてくれたのは、黒澤さんじゃないか」と言って手を出し、怒った三船は仕事を放り出して帰京したという。

この本は黒澤明監督ファンには必読の書といってよいだろう。

                            

☆ 「信長は本当に天才だったのか」(2007年8月31日、草思社刊、工藤建策著)

[~戦国史の常識をくつがえす、まったく新しい信長論!~

織田信長は政治・軍事の天才とされているが、本当にそうだったのだろうか。桶狭間の戦いから、姉川の戦い、長篠の戦い、本願寺攻め、そして本能寺の変まで信長の生涯とその天才的といわれる事績を徹底的に検証する。~中略~
戦国史の常識を根本から覆す画期的信長論。
]

以上のコピーに魅かれて、ひととおり読ませてもらった。本書は側面、裏側から見た信長論とでもいうべきか、非情かつ勇猛果敢な信長の最大の弱点が人心の掌握だったこと、それが最後には命取りになったことがよく分かった。

それにしても、本書はあまりにも「信長非天才論」にこだわりすぎのような印象も受けたが、これまでの信長研究の書が押しなべて「信長は天才だからどんなことをしても許される、理解できる」といった論調があまりに多いので一矢報いようということなのだろうか。

むしろ、読者の関心と楽しみは一にかかって信長という人物の実像にどれだけ肉薄しているかということにあると思うのだが、その点においても本書は豊富な資料を十分に研究した跡が伺え満足できるものだった

信長は決して天才という言葉でひとくくりできる人物ではなく、いろんな局面でいろんな違った顔を見せており、それが本当の姿だと納得できた。

成功もあれば失敗もある。桶狭間の戦いでは軍事的な才能を発揮したが、本能寺の変では部下の掌握に失敗した戦国武将の末路であり、それが当時の時代の縮図なのだろう。
                          


  
  



 

 


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釣り紀行♯21~新しいウキ~

2007年11月09日 | 釣り紀行

絶好の条件に恵まれた結果、11月8日(木)は快心の釣りとなった。

まず
天候。秋日和とはこんな日をいうのだろう。柔らかい日差しのもと海上は微風で潮の香りが実に気持ちがいい。もう少し風が吹いてさざ波があったほうが魚の警戒心は少なくなるかもと思うほどの凪(な)ぎだった。ここ2、3日鼻水が出てやや風邪気味だったが海の新鮮な空気を吸うとてきめんにスッキリして心身爽快。

次に釣り場所。朝の8時30分にお目当てのY半島H釣り場に到着したが誰もいない。良型が釣れる一級ポイントなのにこういうことは本当に珍しい。月曜と火曜が雨で、好天の水曜日に釣り人が集中したのではないかとの憶測。あえて1日ずらしたのが正解だったかも。とにかく足場の良い釣り場を独り占めの状態で周囲に気兼ねなく2本の竿に違った仕掛けを準備し交互に釣ってみることにした。

片方はいつも使い慣れたウキ、もう片方は先日釣り友達のA君と一杯やったときに教えてもらった新しいウキを使用してみた。(A君との釣り談義は後日投稿の予定)。ウキは仕掛けの根幹をなすもので、ウキが変わればウキ下、錘の種類、打ち方などが大幅に変わる。

次に
。この日は大潮の初日で潮が大幅に動く日、しかも干潮が12時29分。ということは”下げ7分、上げ3分”は釣りのセオリーだが、1日のうちで同じ釣り場所で両方とも体験できることは稀。つまり下げ7分(ぶ)の時間帯は10時から11時ぐらい、上げ3分は13時30分から14時30分ぐらいの時間帯となる。

天候釣り場所、この3点セットに恵まれれば快心の釣りになることは必定。夏と違って、ウキ下を3m以上にとって深場を狙ったが上記の時間帯に集中してクロの良型がバタバタと釣れた。クロの型が良くなるとパワーのほうも半端ではない。手前に根があるので潜りこまれないように7mの竿を弓なりにして強引にリールを巻いて引き寄せた。ハリス(釣素)の太さを通常の1号から1.5号にアップしていたので何ら不安がなかった。

魚にも学習能力があってワンパターンの釣り方では連続して食ってこないが、新しいウキで釣り方を替えてやるとまた食ってきた。(A君のウキは感度抜群で釣果倍増、早速、夜に電話して感謝の意を伝えた。これからの冬が楽しみ!)

結局交互に竿を振った結果、釣果はクロ31匹、それもいずれも足の裏サイズ級でこれほど型がそろったことは生まれて初めてだった。それと大きな黄金メバルが1匹。

納竿は15時30分。このくらいのサイズがいつも釣れるといいのだが・・・。

                

と     き   2007年11月8日(木)  快晴、海上微風

と  こ  ろ   Y半島H釣り場(廃屋跡地)

釣り時間     8時50分~15時30分

潮         大潮(干潮12時29分)

釣    果    クロ31匹(足の裏サイズ)、黄金メバル1匹

メ    モ
釣りは絶対に釣れない時間帯があるので、そういう場合は手を変え品を変えて仕掛けを変更してみること。
黄金メバルを晩酌の肴にと楽しみにしていたら、油断しているスキにオフクロが冷凍庫に仕舞いこんだ。大阪にいる娘に食べさせたいとのこと。自分の息子より孫の方が可愛いのか!

 


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愛聴盤紹介コーナー~モーツァルト・ヴァイオリン協奏曲~

2007年11月06日 | 愛聴盤紹介コーナー

最近、オーディオ装置をいろいろいじっていると目を見張るほどヴァイオリンが良く鳴り出した。欲を言えばもう少し濡れたような感じがあるといいのだが、ジャズのシンバルをきちんと再生してくれるJBLのユニットなのであまり文句は言えない。この辺が限界だろう。

とにかく、あのむせび泣くような音を聴いていると、しんみりとなってしまい秋の時季にふさわしくなんとなく感傷的になってしまう。とともに、いまさらながらヴァイオリンという楽器に果てしなく魅了され、上品さとメランコリックの点ではまさに楽器の王者との感を深くする。

さて、ヴァイオリンの曲もいろいろあって、独奏ももちろんいいが腰を据えて本格的にじっくり聴くとなるとやはりオーケストラとの協演により一段とスケール感に秀でた協奏曲も捨て難い。豊かな盛り上がりの方も十分期待できるというもの。

クラシック史上、数あるヴァイオリン協奏曲の中で、特に好きなのはベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスである。これらは、巷間では三大ヴァイオリン協奏曲といわれている。

いずれも甲乙つけがたい存在だが、ベートーヴェン、ブラームスはそれぞれ1曲しか作曲していないが、モーツァルトは5曲も作曲しており、それぞれ聴き応えがあって楽しめる。

1番から5番までケッヘル番号ではK207、K211、K216、K218、K219となっており、作曲されたのは1775年だから、19歳の時の作品となる。

35歳で亡くなったモーツァルトだが、それにしても比較的若い時期の作品であり、しかも9か月のうちに次々と集中して作曲されていることから、5曲とも一貫して流麗で耳あたりの良い曲調を持っている。

ただし、難を言えば、晩年の作品たとえばオペラ魔笛に見られるような音楽の深みがやや足りないともいえるが、これも一長一短でモーツァルトらしい天馬空を翔るような若さの発露といった点では大いに評価される作品だと思う。

さて、この5曲の中で白眉(はくび:~広辞苑~古代中国の蜀の馬氏5人兄弟はみな才名があったが、特に眉の中に白毛があった馬良が最も優れていたという故事から、同類の中でもっとも傑出している人や物をいう)とされているのは第5番

あの天才物理学者でヴァイオリン愛好家だったアインシュタインは「死ぬということはモーツァルトを聴けなくなることだ」と語ったが、この5番については次のように言っている。
「イ長調のコンチェルトの光輝、情の細やかさ、機知はいかなる曲目も凌駕することができない」

なお、5番に続く6番K268、7番K271aもモーツァルトの作品だという説もあるが、これは広く贋作説が流布されている。実際にカントロフが演奏した6番と7番を購入して聴いてみたが、1番から5番までの作品の延長線上にある曲ではないと明らかに断定できる代物だった。モーツァルトらしさも感じられず、個人的には贋作説に組みしている。

さて、現在所有しているモーツァルトのCD盤およびDVD盤は次のとおり。

レーベル EMI  HS-2088(1971年録音) 1番~5番

ダヴィド・オイストラフ(指揮&演奏)、ベルリン・フィルハーモニー交響楽団 

レーベル不明  AM-016(録音時期不明) 5番

ダヴィド・オイストラフ(演奏)、ベルナルト・ハイティンク指揮 ラムルー交響楽団

レーベル EMI  輸入盤(1962年録音) 1番~5番

ユーディ・メニューイン(演奏)、バース音楽祭交響楽団

レーベル フィリップス  輸入盤(1962年録音) 1番~5番

アルトゥール・グリュミオー(演奏)、コリン・デービス指揮 ロンドン交響楽団

DVD録画(NHKBSハイより) 1番~5番

アンネ・ゾフィー・ムター(演奏)

レーベル RCA(1963年録音)  5番

ヤッシャ・ハイフェッツ(演奏)、室内管弦楽団

この5人の聴き比べについて個人的な感想を記してみた

まず、オイストラフ(1908~1974)
ベルリン・フィル盤は、最晩年(63歳)の録音で、功なり名を遂げた大家の風格十分、相変わらず野太いヴァイオリンの音とともに悠揚迫らざる堂々とした演奏ぶりである。正統派の音楽を髣髴とさせるイメージで人生の甘さも酸いも知り尽くした大人が味わい深く鑑賞して楽しむ印象。

次のハイティンク指揮の盤は、オイストラフがもっと若い時期の演奏とすぐに察しがつく。とにかく艶やかな音で瑞々しくて抒情性もある。モーツァルトらしさという点ではこの盤の方がぴったり。

次に、メニューイン(1916~1999)
幼少時から天才の誉れ高いメニューインだが、期待していたほどではなかった。「20世紀の名ヴァイオリニスト」では彼が10代の頃に弾いたものが激賞されていたが、この盤は彼が30代の時のものでどうも分別臭すぎてあまりよろしくない。音楽の流れに乗っていないし、若い時期のモーツァルトにふさわしい伸び伸びとした自由奔放のイメージも感じられなかった。

次に、グリュミオー(1921~1986)
名盤としてほとんどの音楽誌でトップの評価(評論家の投票)に位置づけられている作品。愛器ストラディヴァリ”エックス・ゲラン・デュポン”を駆使した美音はモーツァルトにぴったりで、繊細かつ音色の流麗さは他の追随を許さない。抒情性もたっぷり。フランコ・ベルギー楽派の名手として知られる。大好きな指揮者コリン・デービスの堅実なバックアップも光る。

次に、ムター(1963~ )
成熟したヴァイオリニストを感じさせる立派な演奏。もっと豊かな音量、力強さ、自由闊達さが欲しい気もするが、それらを叙情性が補って余りある。特に4番の2楽章は特筆すべき出来具合でうっとりと聴き惚れてしまった。

最後に、ハイフェッツ(1901~1987)
気負いがなく端正かつ淡々として語り継いでいく表現は滋味あふれる絶品というべきか。しかし、やはりモーツァルトには正直言って合わない。オーケストラも良くないし、録音もいまひとつ。

総括
こうやって5人を聴き比べてみると、まずメニューインとハイフェッツが除外。残る3人の中ではムターがわずかに1歩及ばず。
最後は、オイストラフ、グリミュオーの一騎打ちとなるがこれはもう好き好きの領域。
音楽性を優先するのであればオイストラフ、叙情性と繊細な美しさ、美音を優先するのであればグリミュオーといったところ。

個人的には相も変わらずオイストラフ盤に軍配を上げたい。

                 
    オイストラフ盤         同(ハイティンク指揮)      メニューイン盤    

                 
      グリュミオー盤          ハイフェッツ盤       ムター(DVD)
             


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読書コーナー~小説家が読むドストエフスキー~

2007年11月04日 | 読書コーナー

「小説家が読むドストエフスキー」(2006年1月、著者加賀乙彦、集英社新書)

19世紀ロシアを代表する作家ドストエフスキー。

その作品群については一応読書家の端くれだから、常に頭の片隅に
最高峰の文学という意識があり何時かは腰を据えてじっくりと読まねばと思っている作家である。

退職してフリーとなり、時間にたっぷりと恵まれた境遇になってみると、
”ドフトエフスキーを読まなくては”と妙な義務感にかられたことをよく覚えている。

どちらかといえば自分にとっては”読みたい作家”というよりも”読まねばならない作家”という半強制的な位置づけといえる存在。

そういうこともあり、それぞれの作品が大部でその分厚いことも手伝って実は今だに敬遠ぎみというのが本音である。いずれ病気にでもなって、入院でもすればじっくりとベッドの上で読ませてもらおうかと横着に構えているところ。

さて、何故そのような義務感をドストエフスキーに持つのかと問われると自主性の無さを顕にするようで少し恥ずかしいのだが、一番の理由はいろんな作家の自伝や著作を読んでいると影響を受けた作家のトップに彼を上げている例が実に多いことからである。それも実に熱っぽく語っているのがほとんど。

たとえば直木賞受賞作家の原 寮氏などは、ドストエフスキーを読むとどんな人でも人生観が変わるとさえ断言している。文字通りプロの作家が多大な影響を受ける作家というのだから、ドストエフスキーはその上の上をいく存在なのだろう。

さて、ドストエフスキーの作品は果たしてどこがそんなにいいのか、そこで冒頭に掲げた本が
、どんぴしゃりの回答を出してくれる。表題どおり、プロの小説家の目でドストエフスキーの小説の構造、伏線の張り方、人物の造型法、さらには小説に仕掛けられた謎などを解析したものである。

小説家=著者の加賀乙彦氏は東大医学部を卒業し、精神医学を専門とする医師で上智大学教授などを歴任。2000年には日本芸術院会員に選出され、「フランドルの夢」「帰らざる夏」など著書多数。

本書で解説されている作品は「死の家の記録」「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」の5作品となっている。いずれも実に懇切丁寧に読者に分かりやすい内容になっており、著者のドストエフスキーに対する畏敬の念もしっかりと伝わってきた。

さらに著者が精神医学の専門家の視点から癲癇(てんかん)の病気もちだったドストエフスキーの「死」に対する人間の描き方、宗教的な主題に独自の分析をしているところに本書の最大の特色があると思った。

断片的になるが印象に残った語句を紹介。

世界の全ての小説の中で「白痴」が一番の傑作(72頁)

「白痴」が分かると「悪霊」が分かりやすくなり「悪霊」がわかってくると最後の大作「カラマーゾフの兄弟」が分かりやすい。(102頁)

20世紀の作家は全てドストエフスキーの肩の上に乗っている。ドストエフスキーを読まずに小説を書きはじめた人は私の周辺を見回してもいない。(116頁)

ロシア的なキリスト教の形のもとで、いずれの作品ともに犯罪、殺人が主題になっており、罪の極点を描くことで逆に神の愛が描かれている。罪も愛も無限定で極端で途方もないエネルギーに満ちていて、この作品群の究極の姿、総決算が「カラマーゾフの兄弟」です。「カラマーゾフ万歳!」(212頁)

そういえば先日の新聞(朝日)で「カラマーゾフの兄弟」が新訳により光文社から文庫本5冊に分けて発売されたところ、売れ行きが予想外の好調との記事が掲載されていた。やはり世の中には真摯な読書好きの方がいるものである。

自分も少しは爪の垢を煎じて飲まなければと反省させられた。(反省だけなら猿でもできる!?)

                           






 

 

 


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釣り紀行♯20~秋の大漁第2ラウンド~

2007年11月02日 | 釣り紀行

10月31日(水)NHKの早朝の天気予報で秋晴れは今日までと言っている。

前回(10月24日)の大漁に味をしめて、いそいそと前日(30日)から道具の点検、仕掛けの準備を行い、再度の大漁を夢見て胸躍らせながら自宅を出発したのはいつもどおり6時。

いつもの釣具店に立ち寄り、マキエを搭載してお目当てのY半島K防波堤に到着したのは、8時20分。ところが誰もいないと思っていたら、好位置の突端部分は2人の釣り人が独占している。やはり秋は釣りシーズンの絶好期なので平日といえどもいい場所は釣り人が放っておかない。

仕方なく、クルマで5分ほど離れた釣り場に移動。ずっと以前、クロの大物を釣ったことがある場所だが、数のほうはあまり望めないところで長居は困難な場所。海上にやや突き出た廃屋跡地(H釣り場とする)で足場が非常によい。しかしこの釣り座は海面からの高さが足りなくて、魚の取り込みに苦労するが贅沢はいえない。

幸い、釣り場には誰もおらず思う存分マキエをして愛竿を振った。はじめはウキ下3mの深場狙い。右からの横風がかなりつらいが正面ではないのでどうにかしのげる。

どうやら魚の警戒心が薄かったと見えて最初の一投でいきなりドカンと大物が来た。掛かると同時にぐんぐん潜り込んで来たのですぐにクロだと分かった。先手(せんて)を取られると根に潜り込まれるので6.3mの竿(がまかつプレシード)を弓なりにしならせて弾力をフルに活用して引き寄せにかかった。

大物が来たときはまず慌てず主導権を握ること。竿の弾力を活かしながらのリールによる巻取りのコンビネーションがポイント。今年一番の大物で久しぶりにタモ網を使って取り込んだが、これまでの経験で、最初の一投にその日一番の大物が来ることがよくある。おそらく今日もそのクチだろう。

通常の防波堤で釣れるクロのサイズではないので、このH釣り場は磯に近い感覚の場所だとの実感がする。

それからは、場が荒れて魚が警戒したのだろう、パタリと来なくなったが、根気よくマキエを続けウキ下を1m程度に変えて誘ったところ、まあまあの型のクロがぼちぼち掛かりだして、間断なく竿が曲がりだした。そのうち大型のウマズラハゲも掛かったがこれもサイズが特大で引き味がチヌみたいで心地よかった。このH釣り場は大物向きの場所で冬に向けて常に要チェックと心に留めた。

そのうち、この様子を遠くで見ていたのだろう、ひとりの釣り人が”横で釣っていいですか”とやってきた。”はい、いいですよ”と気軽に返事したところ、何と釣り道具を持って移動して来たのは2人連れ。

釣るところは他にも沢山あるのに、何もこんな場所で肘付き合わせて釣ることもないだろうにと思ったが”いいですよ”と答えた手前、何ともいえない気分。これではフカセ釣りにとっていちばん重要なマキエの打ち方も制限されてしまう。

そうこうする内、11時33分の満潮前後の潮止まりとなりさっぱり釣れなくなったので、12時30分場所替え。

今度は2週間ぶりにF波止に足を向けてみた。ここも先着者が一人いて、かなり離れた場所だったが、お断りして突端部分に釣り座を構えた。釣り開始は13時15分。

この場所はH釣り場とは違ってまるで正反対の小魚の宝庫だった。アジというよりはゼンゴというべきか。最初から最後まで入れ食いで、ときどきクロとウマズラハゲが掛かる程度。あまり釣趣はなかったが、退屈はしなかった。

納竿は16時30分。

結局、今日の釣果はクロ13匹、ウマズラハゲ7匹、ゼンゴ64匹だった。良型のクロ、ウマズラハゲがそれぞれ1匹釣れたのが思い出となる釣行だった。

これから冬の時季に向けて”小物を沢山釣るよりも大物へ”と方向転換したいが、果たしてどうなることやら?!

                         

と     き     2007年10月31日(水) 快晴、海上風やや強し

と  こ  ろ     Y半島K地区廃屋跡地(H釣り場)
             Y半島F波止

釣り時間        H釣り場(8時40分~12時30分)
             F波止(13時15分~16時30分)

潮            中潮(満潮11時33分)

釣    果      クロ13匹、ウマズラハゲ7匹、ゼンゴ64匹

メ    モ
これからは深場狙いの大物釣りのためにウキにひと工夫が要る。
釣行の翌日、ウマズラハゲの刺身を食べたが、取り出した肝を塩味でゆがいて、庭のカボスをギュッとしぼって酢醤油で和えて食べたところ、オフクロがフグと同じくらいおいしいといってくれた。ハゲの肝がこんなに美味しいとは知らなかった。


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