「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

夢を持ち続ける

2017年07月29日 | 音楽談義

日本経済新聞の裏面に「交友抄」という短い記事が連載されている。

各界で功なり名を遂げた方々が毎日登場して親しい友達との現在の交流状況を記載したものだが、つい先日の記事にはこういうことが記載されていた。

「久しぶりにごく親しい友人と会った際にこれからの生き方ということで次の3つの申し合わせをした。1 健康管理に気をつけること 2 奥さんを大切にすること 3 夢を持ち続けること。」

1と2はよく分かるが3となるとちょっと難しい。はてさて、夢ねえ・・・・。

オーディオで理想的な音を出すことも一つの夢だが、いかにもスケールが小さすぎて披露するのがチョット恥ずかしくなる
(笑)。

青年時代に作曲家モーツァルトの謎の死と遺された最後のオペラの行方を軸にしたミステリーを書いてみたいと思ったことがあるが、所詮「薄志弱行の身」とあってはとうてい実現可能性のない夢だった。

皆さまは夢を持ち続けていますか?

夢といえば、作曲家「グスタフ・マーラー」が在世時に
「やがて私の時代がやってくる」
カッコイイ言葉を遺したことを思いだした。

一生に一度でもいいからこんな言葉を吐いてみたいものだが、しがない一介のブロガーにはまったく縁がなさそうだ(笑)。

懐古趣味に陥って過去の業績を徒に振り返ることなく明るい希望に満ちて未来に目を向けるところが何よりも素敵~。

「人の評価は棺を覆うてのち定まる」という諺があるが、ほんとうの芸術家とは作品を通して時代を超越し、生き続ける存在なのだろう。

それにひきかえ、「現代の芸術家気取りたちは現世での名声と栄華をあまりにも短兵急に追い求めすぎてはいないだろうか」と、思うことが再々ある。

金持ちの芸術家よりも貧乏で不遇な芸術家に“時代に迎合しない高潔さ”を感じるのは自分だけだろうか。

さて、マーラーは九つの完成した交響曲と未完の第十番、そしていくつかの歌曲を遺した作曲家として知られているが、周知のとおり今では世界中の大半のオーケストラがその作品をレパートリーに取り入れ、コンサートの定番としているので彼の「夢」は見事に的中したことになる。

現在、ブログを作りながらよく聴いているのがマーラー作曲の交響曲第4番(CS放送「クラシカ・ジャパン」による録画)。

指揮者:ワレリー・ゲルギエフ

演 奏:WOP 2010(ワールド・オーケストラ・フォー・ピース)

会 場:ロイアル・アルバート・ホール(ロンドン)

演奏時間:60分

      

演奏がWOPとあるので、どうやらユネスコ行事の一環として世界中から寄せ集められた演奏家ばかりのようだが、コンマス(コンサート・マスター)には、あの「ライナー・キュッヘル」氏がスカウトされているのでウィーン・フィルのメンバーが主力になっているのだろう。

4番と並んで好きなのは「大地の歌」の第六楽章で、旋律と歌詞(漢詩:孟浩然と王維)に「この世への大いなる惜別の情と諦観」を感じので晩年に聴くのにはとてもふさわしい曲目。

ちなみに、晩年に大作曲家たちがどういう曲目を好んで聴いていたのかというのは興味のあるところで、一例を挙げるとショスタコーヴィッチは「大地の歌」だし、ストラヴィンスキーはベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲群にこだわっていた。

あのモーツァルトは死の床で時計を見ながら、「(上演されているオペラ魔笛に思いを馳せながら)今ごろはちょうど”夜の女王”の出番だ」とつぶやいた。

話は戻って、本題のマーラーについてだが現代では作曲家として非常に有名だが、実は生存中は音楽家としての時間の大半(5/6)をオペラ指揮者として過ごしていた。音
楽家マーラーの一つの不幸は、その死後、作曲した作品が高く評価されたため、指揮者としての業績が隠れてしまったことだという。

もちろんほかにもあって、当時は何せ録音技術なんか存在しなかったので、現在では彼の指揮した曲目をまったく聴く機会がないのも大きな理由の一つ。

というわけで、珍しいことに指揮者としてのマーラーにスポットを当てたのが次の本。

「指揮者 マーラー」(2012.4.30、河出書房新社刊、著者:中川右介)

                           

本書では意識的にマーラーの創作とその過程については最低限のことしか触れず、指揮者としてのマーラーが当時の音楽界でどのようなポジションにあり、そのポストをめぐり、どのようなドラマがあったのかに焦点を絞り、なおかつ彼がいつどの演奏会場でどういう曲目を指揮したかを詳らかにしている。

興味を引かれた点を私見を交えながらピックアップしてみよう。

 ヨーロッパでの音楽鑑賞といえば歌劇場における「オペラの上演」が圧倒的な割合を占めている。マーラーは極論すれば、ワグナーとモーツァルトのオペラの指揮ばかりしていたが(2025回も!)、とりわけ「魔笛」を振った回数は歴代指揮者の中でN0.1ではなかろうかと、思うほどその多さに驚く。

なお、当時ワグナーのオペラを指揮する事は指揮者にとって憧れの的であり、そのために指揮者同士がその権威とポストをかけて血まなぐさい(?)争いを展開している。その点でマーラーはニキシュ(ベルリンフィル常任指揮者)とも正面きって争うなど実に好戦的だった。


 マーラーの作品には同年代の作曲家リヒャルト・シュトラウスのようにはオペラがない。なぜなら、マーラーはいつもオペラの指揮をしていたので夏休みに入るとその息抜き(オペラを忘れる!)をするために交響曲の作曲に没頭していたからである。

もし、マーラーがシンフォニー・コンサートの日々が続いていたら、、今度はシンフォニーを忘れるためにオペラを書いたかもしれない。それにしてもあのシンフォニー群が「夏休みの余技」として書かれたのには驚く。


 マーラーは名だたる指揮者になってからも2~3年おきに音楽監督や常任指揮者などの職を辞して各地を転々としている。プラハ、ライプツィヒ、ブダペスト、ハンブルクでもマーラーさえ辛抱すれば、もっと長く居れた。

転職の理由は、常によりよい条件を求めてのキャリア・アップ、そしてあまりにも過酷な練習を楽団員に強いたり、強引な手法をとるため反対派が多くなって居づらくなるなどが挙げられるが、そのほかにも「成功した日々」に飽きたという可能性が大いにある。つまり「成功は飽きる」のだ。 

以上のとおりだが、「音楽家マーラーは何よりも当代一流の指揮者として活躍しておりシンフォニーを作曲したのは余技だった」という視点から考えるとハハ~ンと思い当たることがある。

これはあくまでも個人的な意見だが彼の音楽にはベートーヴェンのように作曲に対する必然性と強い意志が感じられない。しかもバッハのように「神への敬虔な祈り」はないし、管楽器を筆頭にいろんな楽器を多用してオーケストレーションは実に巧みだが、やや耽美的に走り過ぎるきらいがあるのもそのせいで、結局、耳当たりのよい「ながら聴き」に向いている音楽なのかもしれない。

さて、最後に出てくる「成功は飽きる」という言葉だが、卑近な例を挙げると我が家の「オーディオ・システム」では5系統のシステムを操っているが、面白いことにあまりに「気に入った音」を出してくれると、日常聴くのは不思議と不満足なシステムの方に偏る傾向がある。

「何とかもっといい音にできる工夫はないものか」と考えながら聴く方が何となく”安心”できるのである。

結局、「オーディオ・システムは8割程度の出来に留めておく方が一番楽しい」なんて思ったりするが、これは「成功は飽きる」に一脈相通じるところがありはしないだろうか(笑)。
 


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読書の楽しみ

2017年07月27日 | 読書コーナー

遡ること11年前の、このブログを始めたころの話だが、オーディオの記事ばかり登載すると「オーディオ馬鹿」と思われそうなのでオーディオ関連記事の次回の分には必ずといっていいほど他の話題の記事を挟んだものだった。

しかし、今となってはオーディオ関係の記事一辺倒でも肩身の狭い思いをしなくなり、もし「オーディオ馬鹿」と云われても「実際にその通りだから仕方がない」と、やや開き直り気味で家族も呆れ果てている(笑)。

とはいえ、まだ「読書の楽しみ」を捨てたわけではない。今回は久しぶりに面白い本に出会ったので「読書コーナー」を復活させてみた。

         

まず、「湊 かなえ」さんの「リバース」

湊さんの処女作「告白」がとても面白かったので注目している作家だが、先般、テレビの連続ドラマで「リバース」を放映していた。

観たかったが、映画やテレビ・ドラマが原作の質を上回ることはあり得ないので、「何よりも原作を読む方が先だ。」と、ずっと我慢して、この3連休(15~17日)で娘が持ち帰ってくるのを待ちわびていた。

その待望の「リバース」だったが、一読した結果は期待に違わず「なかなか面白い。」

点数をつけると4点(5段階評価)といったところ。ミステリーなので種明かしは禁物だが、結末の一行で「そういうことだったのか」と、納得。それにしても後味はあまりよろしくない。

全体的にあえて難をいえば湊さんの文章はチョット粘っこくて、くどいところがある。ワン・センテンスが長くて引っ張り過ぎるせいか「行間を読ませる」文体ではないのでどうしても余韻に乏しくなる。

湊さんがいつぞやのテレビの対談番組(NHK)にご登場され「小さい頃から本が好きで、自分ならこういう展開にするのにと、勝手に空想するのが好きでした。」と、仰っていたが、得意とするストーリーの展開力に加えて、文体が伴えば「鬼に金棒」なのだが。

チョット上から目線の偉そうな物言いになってしまったが、小学生のころから今日までずっとミステリーを読み耽ってきたので、つい厳しい目になってしまう。どうか悪しからず(笑)。

次に、「追想の探偵」。

これは図書館から借りてきた新刊で、作者の「月村了衛」さんの本は初めてだったが、人探しのミステリーと人情話とがうまく一体化していて楽しく読めた。

これも4点(5段階評価)といったところ。ネットでどなたかのピッタリのレヴューがあったので、勝手ながら引用させていただこう。

「特撮雑誌の編集者(女性)が、過去の作品に関わる人物を探し、その裏にあった様々な物語を明らかにしていく。人探しがメインで、ほぼ個人行動+協力者という感じで形式としてはまさに「探偵」という雰囲気でよい。

各話の真相はともすればうさんくさい人情話みたいになりそうなところを、「特撮」というモチーフと(人間以上に)作品愛にあふれた主人公というバランスでうまくやっている。

中では、作品内作品の描写がキレイで哀しい『封印作品の秘密』と狐につままれたような読後感の『帰ってきた死者』がいい。『最後の一人』の畳み方も好き。」

とにかく「アラサー」の女性主人公の「人探し」にかける情熱が半端ではない。たとえばたいへん貴重で珍しい写真を雑誌に掲載するため、数十年前の古くてぼんやり映った集合写真の全員から同意を得ようと、芋づる式に一人づつ正体を明かしていく行動力と手法に大いに感心した。

単なる「通りすがりの人間」が写真に映っている可能性もあるので、とても全員の同意を得るのは無理だと思われたのに撮影場所の立地環境や人間関係から推理して快刀乱麻のように根気よく突きつめていく快感はミステリーの真犯人を追い詰めていくのとよく似ている。

「そうか、そうか」と、主人公の「根気振り」に感情移入してしまい、つい
文豪「夏目漱石」が若き日の「芥川龍之介」に送った言葉を思いだした。

「人は才能の前には頭を下げないけれど根気の前には頭を下げる。牛のようになりなさい。」

よしっ、オーディオも牛のように根気よく続けていくことにしよう(笑)。


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スピーカーの楽しみ

2017年07月25日 | オーディオ談義

オーディオシステムの中で中心的な役割を果たしているのは周知のとおり「スピーカーとアンプ」ですよね。

そして、どちらを優先するかという話になると、その道の教則本には「まず好みの音を出すスピーカーを決めて、それからそれをうまく鳴らしてくれそうなアンプを選ぶ。」と書いてある。

つまりスピーカー(以下「SP」)を優先的に考えるべきということだが、自分の経験で言わせてもらうと、その「好みの音」を出すSPを決めるのが難しい。

これまで50年近くオーディオをやってきていろんなSPに接してきたが、いまだに「好みの音」が定まらない。というか、どうしても一つに絞りきれない。

たとえば両極端の音とされるグッドマン(イギリス)とJBL(アメリカ)が「両方とも大好き」というのがそれで、片や内向的で一癖もふた癖もある翳りのある音、片や屈託がなく明るくていかにも澄み切った青空を思わせるような音
。前者を「影」とすれば後者は「光」ともいえる。

まるで我が二面性を象徴するかのようで、その移り気な中途半端振りにきっと眉を顰める向きもあるかと思うが、今では「両方のスピーカーを愛好して何が悪い」と、やや開き直り気味だ(笑)。

そして、つい最近また「悪乗り」をしてしまった。

JBLの「LE8T」(口径20センチ)と「D130」(口径38センチ)に惚れ込んだと思ったら、次は口径30センチのユニットならどういう音が出るんだろうと興味津々。もしかしてバランス的には一番かもしれないなあ。

その昔「JBL ノヴァ88」(ウーファーが口径30センチ)というスピーカーが発売された当時、あの瀬川冬樹さんが「たしかにJBLらしい本物の重低音を出してくれる」と激賞されていたのを思い出した。

思いたったが吉日、さっそくオークションでググってみると「D123」(口径30センチ)が目に入った。

          

これ、これっ!片方は中央のアルミ部分が若干ひしゃげているが経験上、音質にさほどの影響はあるまいと踏んだ。

肝心のお値段も手ごろだったし無競争で落札し、21日(金)に無事我が家に到着。

土曜日(22日)の朝一から取り付け作業にかかった。迷うことなくフィリップスのユニットを取り外し同じバッフルを利用することにした。バッフルの入れ替えが簡単に出来るようにグッドマンの指定箱を改造しているので大いに重宝している。

クロスオーバーは、パイオニアのネットワークを使って「8000ヘルツ」(12db/oct)にして、現在「予備役編入中」の「JBLの075ツィーター」(削り出しステンレス・ホーン付き)をマイカ コンデンサーで心もちローカットして載せてみた。

               

エンクロージャーの排気口には、ちゃっかりグッドマンの純正「ARU」を利用してみた。結線を済ませて、さあ、どんな音が出るんだろうかとハラハラ ドキドキ ワクワクしながら、音出し。

想像以上のいい音だった!いろんなジャンルを鳴らしてみたが低音域から高音域までとてもバランスがいい。

試しにJBLが苦手とするヴァイオリンを聴いてみると、水も滴るような見事さで、JBLからこんな艶やかな音色が聴けるなんてとうれしい悲鳴。

低音域の厚みを考慮すると「AXIOM80」よりも上かもしれないと思わせるほどで、おそらくエンクロージャーの大きさ、排気口の具合、羽毛の吸音材、ツィーターの性能などがうまくマッチングしたのだろう。

ただし自分の耳だけでは心許ないし説得力に欠けるので(笑)、一昨日の23日(日)に近所にお住いのYさんに来ていただいた。

「JBLのD123を手に入れましたよ。一度聴いてみませんか。」すると、一つ返事でOK。我が家にはおよそ1か月ぶりのご来訪だ。

駆動するアンプは初めに「WE300B」、次に「PX25」。

          

Yさんが持参されたのは、次のCD。

            

JBLが相手と聞くと、わざと苦手なソースのヴァイオリンのCDを持ってこられるのだから何とも底意地が悪いお方だ(笑)。

「どうせうまく鳴ってないだろう」と先入観に支配されたお客さんを迎えるのは大の苦手だが(笑)、5トラックの「タイスの冥想曲」にじっと目を瞑って耳を澄まされていたYさんが珍しくべた褒めされた。

ただし、JBLのD123もさることながら「WE300B」アンプの方にゾッコンだった。

「このアンプは凄いですねえ・・・。JBLと相性が抜群ですよ。明るくて屈託がなくてスッキリ、爽やかでJBLの魅力全開といったところです。以前聴かせてもらったときよりも明らかに良くなってます。前段管を171(トリタン)に替えた効果が出ましたね。気になるところが無いので、(キカイを意識することなく)音楽に浸れる感じです。」

「そうですねえ。ようやく一つの理想的な音に出会った感じがしていますので、この辺でスピーカー転がしは打ち止めにしようかと思ってます」。

と、返事をしたが、油断は禁物。

これまでの苦い経験を踏まえると、「どんなスピーカーでもじっくり聴きこむと何らかの不満が出てくるもの」なので、少なくともあと3週間ほどは様子をみることにしよう(笑)。


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真空管アンプの楽しみ

2017年07月22日 | オーディオ談義

このところブログに掲載しているオーディオ関連の記事の評判があまりよろしくない。その目安となっているのはアクセス数だがどうもイマイチでひところの勢いが見られない。オーディオ以外の記事だとすぐに(アクセス数が)回復するのでよく分かる。

つらつら、その理由を推し量ってみるのに11年間の長きに亘ってこれでもかとオーディオ記事を連載してきたので「またか」と、ウンザリする向きが多くなったのだろうし、また「内容が専門的過ぎてよく判らん」こともあるのだろう。

そもそも「我が道を往く」スタイルなので読者の反応なんかどうでもいいんだが、やっぱりチョット気になる・・・(笑)。

そのうえで、今回もその専門的な記事になってしまった。

さて、つい先日のブログで掲げたオーディオの先達「五味康祐」さんの「オーディオ愛好家の五条件」だが、その中に「真空管を愛すること」というのがあった。

五味さんはこう宣う。

「分解能や音の細部の鮮明度では明らかにトランジスター・アンプが優るにしても、音が無機物のように聴こえ、こう言っていいなら倍音が人工的である。したがって倍音の美しさや余韻というものがトランジスター・アンプそのものに無い。倍音の美しさを抜きにしてオーディオで音の美を論じようと私は思わぬ男だから、トランジスター・アンプは結局は使い物にならないのを痛感した。」

これは44年前のコメントになるのだが、今もって状況は変わっていないように思うのは自分だけだろうか。

それに真空管アンプの良さは音質の良さに限らずいろいろブランドを挿し換えて楽しむことが出来るのも忘れてはならない。我が家のアンプを実例に上げてみよう。

          

まず左側のアンプ「WE300Bシングル」(銅板シャーシ)から。

入力トランスとインターステージ・トランスが回路に組み込まれており、片チャンネル2本の真空管だけで済むので
とてもシンプルな構成になっている。我が家に来てからおよそ3か月が経過したが、ぼちぼち音の変化が欲しくなったので前段管を取り換えてみた。

ちなみに、真空管を用途別に大雑把に分けると、「整流管」「電圧増幅管」「出力管」になるが今回の前段管はそのうちの「電圧増幅管」に該当する。

これまで使ってきたのは71系の「471B」(デフォレ)だったが、今回挿し替えたのは同じ71系の「171」(トリタン仕様)だった。いずれも1940年前後の稀少な古典管とあって定評がある球だが、後者の方は「471B」よりも出せる電流値が3倍ほど大きいのでよりパワフルな音を期待したのだがまさしく期待に違わなかった。

前者が清楚そのものの可憐な印象でそれも悪くはなかったが、後者になると俄然「押しの強さ」とともに「妖艶な雰囲気」が醸し出されてきたのには驚いた。いかにも口説き上手といった感じで、音のスピードが速くなって濁りが取れてきたせいだろう。「WE300B」の真価は「ハリウッド女優のような色気」にあると思っているのでこれはうれしい悲鳴。

出力管ならともかく、前段管を代えることでこんなに音が変わるなんて、と改めて驚いた。やはり真空管アンプは奥が深い。気難しい「171」トリタンを挿せるように回路を改造してくれた「北国の真空管博士」に改めて感謝である。

これに味をしめ「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って(笑)、今度は画像右側の「PX25シングル」アンプの前段管を差し替えてみた。

「WE300Bシングル」アンプのカムバックでやや影が薄くなってきた感があるこのアンプだが、どうしてどうして、その魅力はまだまだ捨て難い。何といってもイギリス管は「紳士の国」に通じる品の良さが根底にある。こればかりはどうしてもアメリカ管の及ばないところだ。

その品の良さをいかに引き出すか、これも前段管で大いに変わってくる。

これまで「LS7」(GEC:ナス管)を使ってきたが、μ(ミュー:増幅率)がやや高いせいか高音域は華やかだが中低音域の厚みがイマイチの感があった。

そこでμが1/2ほどの値の「112A」を挿し替えてみたところ、ガラリと変身。音の重心がぐっと下がって、いかにも渋いゼントルマンの雰囲気が出てきた。「WE300B」と見事な対照を見せるがそれぞれに持ち味があってとてもいい勝負。今や我が家の二大エースである。

一昨日(20日)はどちらが真のエースか確認する意味で朝から4系統のスピーカーを繋ぎ替えて聴き比べてみた。

先日のブログ「真夏向きのオーディオ スタイル」でエアコンを入れるのは17時頃と偉そうにほざいたが、こう暑くなると舌の根も乾かないうちに朝からエアコンを入れっ放し。どうか許して欲しい(笑)~。

その結果、WE300Bシングルアンプは「AXIOM80」と「JBLのLE8T」で軍配が上がり、PX25シングルは「グッドマンAXIOM 150マークⅡ+デッカのリボン型ツィーター」と「フィリップスの口径30センチ」で一日の長があった。

お互いに「2勝2敗」なので結論は持越しに~。

これからも、前段管や整流管を挿し替えながら大いに愉しませてもらうが、真空管アンプは弄るところが多くてまったく退屈しないので
「素(す)隠居」にはもってこいだ(笑)~。


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魅惑のラテン音楽

2017年07月20日 | 音楽談義

このところラテン音楽を聴くことが多くなった。

きっかけはBSデジタル・ハイビジョンで放映されていた「音楽のある風景」。

軽音楽や歌謡曲など幅広いジャンルに分かれたCD全集(6枚前後)を売らんがための30分の宣伝番組だが、一曲のうちサワリの20秒ほどを次から次に聴かせてくれるのだが、続々と昔聴いた懐かしい音楽が登場する。

音楽好きなら誰でもそうだと思うが青春時代の多感な時期に聴いた音楽の記憶は生涯に亘って頭から離れないものだ。

音楽の記憶と人生の思い出が表裏一体となっているせいだろうが、とりわけ懐かしく感じたのが「ラテン音楽」だった。

6枚組のCDでお値段も昔と比べると信じられない程安かったので購入してみた。今どきCDでもないのだろうが、何しろ専用の機器があるので使ってやらないと勿体ない。

電話で注文すると程なくして「着払い」で送ってきた。

         

表題は「VIVA!LATIN」で6枚組。こういう全集物の弱点はCD盤の音質が悪いことで、おそらく大量の枚数なのでとてもぞんざいなデジタルコピーが為されているに違いないが、今回の全集物は「SHMCD」とのことで期待が持てたのも購入した理由の一つ。

「SHMCD」とは「Super High Material CD」のことで、メーカー側の説明によると「通常のCDとは別種の液晶パネル用ポリカーボネイト樹脂を使用することにより素材の透明性をアップ、マスター・クオリティに限りなく近づいた高音質CDです。」(原文)。

何しろ「新しもの好き」なので、一度聴いてみるとするか(笑)。

すると、たしかに通常の全集物と比べると音質は良かった。もちろんSACDには及ばないがお値段がメチャ安いのだから大善戦といった感じ。期待を裏切られることは無かった。

問題は曲目である。懐かしい曲がズラリ。19曲×6枚=114曲の中から主だったものをピックアップしてみると、

セレソ・ローサ / そよ風と私 / さらばジャマイカ / マリア・エレーナ / パトリシア / コパカバーナ /  カチート / パーフィデア / ラ・マラゲーニャ / 碧空 /真珠とりのタンゴ / マシュ・ケ・ナダ / コンドルは飛んでいく / ティサフィナード / イパネマの娘

といったところ。

ラテン音楽といえば一般的に照りつける太陽の元での底抜けの明るさを連想させるが、自分にはその太陽がけっして真昼間のようなギラギラしたものではなくどちらかといえば沈みゆく赤い夕陽をイメージさせてくれるところがとても気に入っている。

ときに哀愁味を帯びた旋律がそっと琴線に触れてくる~。

このCD全集お勧めですよ!


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真夏向きの「オーディオ スタイル」

2017年07月18日 | 独り言

月に一度来る電気料金支払明細書を見ながら家内がつぶやいた。

「アラッ、どうしたのかしら。今月は電気代が安くなってるみたいよ。」

もし「電気代が高過ぎる」なんて言われると、どうせ最後はオーディオのせいだと決めつけられるのがオチなのでその場を逃げ出すしかないが、「安い」となると話は別だ。

「ど~れ、チョット見せてみろ」というわけで、明細書を見てみるとたしかに毎月17000円程度だったのが14000円くらいになっている。

「さあ、どうしてかなあ。心当たりがないけどなあ。」と、すっ呆(とぼ)けておいた。

実は思い当たる節が大ありなのだ(笑)。

二つの理由があって一つは5月初旬に買い換えした液晶テレビのおかげだ。12年前のテレビと最新型のテレビとでは省エネ技術の進歩で大きな違いがある。「毎日が日曜日」の人間はテレビのスイッチを入れる時間がかなり長いので効果が大ありなのだ。

もう一つの理由だが、おそらくこれが本命だろう。

2か月ほど前からワディア(アメリカ)のDAコンバーターをお蔵入りさせて「dCS」(イギリス)のDAコンバーター1本に絞り込んだ効果が出たようだ。

このワディアは電源スイッチが付いておらず、1日24時間ず~っと電源を入れっ放しという代物である。

             

電源を切ったり入れたりすると内部のコンデンサーなどが傷むし、それに冷え切った状態からスイッチオンすると本来の性能を取り戻すのに半日以上かかるという触れ込みだったので、いかにもアメリカ風のおおらかな大量消費の産物だと思いつつ、指示通りに使ってきた。

音質には満足していたが、後発の「dCS」にはさすがに及ばなかったのでこの程お蔵入りとなったものだが、常時通電状態ともなると電気代もバカにならなかったようだ。

チョットみみっちくなるが試算をしてみると、およそ20年間使ってきたので1か月の電気代が低めに見積もって1500円として年間では18,000円、それが20年だと360,000円にもなる。ちょっとした真空管アンプが買えるほどだ。

こんなことが家内にバレると絶対にプラス材料にはならないので内密にしておいたというワケ(笑)。

ところで、このたびこのワディアを知人に頼んでオークションに出品してもらったところ落札価格が31万円だった。購入価格に及ばなかったのはもちろんだが、電気代の36万円さえも回収できなかったことになる。

20年間の楽しみ賃と思えば、ま、いっか・・・(笑)。

そもそもオーディオ愛好家に電気代を意識しろといってもまったく無理な相談だが、やはり積もり積もればバカにならないので、大きな消費電力を要するオーディオ機器ともなるとどんなにいい性能であろうとチョットためらいの気持ちが生まれる。まあ、自分だけかもしれないが。

たとえば、その昔あこがれの的だったパイオニアのA級アンプ「M5」(モノ×2台)だが、現在でもオークションにときどき顔を見せる。とても旧い製品だし当時と違って結構手が届く範囲の価格帯なのでヤル気になれば落札してもいいのだが、このA級アンプの消費電力が半端ではないのだ。

2台合わせると10A程度の大飯喰らいなので、真夏なんかに家じゅうの2~3台のエアコンと併用すると大元のブレーカーがガタンと落ちる危険性がある。

そんな心配までして音楽を聴く気にはなれないのでやむなく見送っているのが実状だ。

ほかにもマークレヴィンソンなどの大型パワーアンプなどは大出力で鳴らすと部屋の照明が暗くなるといった武勇伝を聞かされると、もう音楽鑑賞どころではない。こういうケースでは「専用の電柱」の出番といったところだろう。

さて、いよいよタイトルにある本題に入ろう。

九州地方は集中豪雨が去った後はメチャ暑くなって連日30℃越えの猛暑へ。

こう暑いと「真夏向きのオーディオ スタイル」へと、様変わりになる。

何しろ朝っぱらからエアコンの世話になるのは不健康だし、その一方、窓をすべて開放するとなると、隣近所や見ず知らずの通行人に配慮して大きな音は出せない。

これまで「音が大き過ぎる」と文句を言われたことは一度もないが、ご好意に甘えるわけにもいかない。

したがって、日中は比較的小さ目の音量で済む「AXIOM80」を活用している。「WE300B」(1951年製オールド)シングルアンプが奏でる音楽はまことに素晴らしい。

音の彫琢の見事さ、音色の美しさに陶然として「もうこれで十分だ。何も要らない。」と、「うわ言」のように繰り返す。

これが17時以降となると話はコロッと変わってくる。

運動ジムで一汗流して帰ってきてから、冷えたビールをグイッと一杯。エアコンを入れて完全に窓を閉め切ってから、いよいよ大型システムの出番だ。

今度は日中とは打って変わって大音量で聴くのだが、相手のスピーカーシステムは「JBLのD130+裸のAXIOM80」(2ウェイ)で、低音用に使うアンプはこの程新装なった「2A3シングル」、高音用には「171」(トリタン仕様)シングルという「黄金の組み合わせ」だ。

              

豊かな情報量と雄大なスケール感を堪能しながら「やっぱりオーディオのとどのつまりは低音域の再生にかかっているなあ。この音はAXIOM80単独では絶対に無理なんだよねえ。」と、これまた「うわ言」のように繰り返す。

まるで時計の振り子のようにこういう「大きな振幅」が日中と夜とで交互に繰り返されている。

これではまるで「ジキル博士とハイド氏」のような二重人格者だと云われても仕方がない!

ちなみに「ハイド」の訳語は周知のとおり「覆い隠す」という意味なので、表向きの顔は「ジキル博士」であり、隠された裏側の顔が「ハイド」氏とされている。

我が家の場合、ジキル博士はいったいどちらのシステムに該当するんだろう?

当の本人にも判定のしようがないのだからまことに困ったことだ(笑)。
 


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いじめの風景

2017年07月16日 | 音楽談義

「このハゲ~ェ~」    「違うだろーーーっ」。

1か月ほど前にテレビ音声から流れ出たこの罵声が日本列島を震撼させた。

「豊田真由子」衆院議員が車中で運転中の私設秘書を怒鳴りつけ、殴打する音までもが録音されていたのだから誰もが驚いた。いやしくも国民の代表である国会議員がこの有様だ。

しかも彼女の学歴が「桜蔭高校」(女子の名門高)~東京大学法学部~ハーバード大学院という華麗なものだったからいっそう拍車をかけた。

それ以降、東京都議選のときに候補者を推薦するために立派な学歴を紹介しても「その方は学歴はいいんでしょうけど、人格的に大丈夫なんですか」と、都民から念を押されるようになったとテレビで解説者が言ってた。

昨日(15日)、3連休を利用して会社員の娘が帰省したので、この件を訊いてみると「ああいう人が管理職になって自分の上司になったらたいへんよね~。」と実感のこもった言葉が返ってきた。

個人的には、これは「東京大学法学部神話の崩壊」だと思っている。「学歴だけで人を判断する」ことへの社会的警鐘として、これからきっと語り継がれていくことだろう。

ただし、政治の世界に限らず「いじめ」は大なり小なりどんな世界にもあるようだ。

日本人として初めてウィーン・フィルハーモニーを指揮した
岩城宏之さん(1932~2006)の著作に「いじめの風景」(朝日新聞社刊)
というのがある。

一言でいうと「指揮者には音楽以外にも管理能力というものが要る
」という話だがまずは、
「叱り方の難しさ」。

一般的に中高年になって管理職になると部下の叱り方は誰もが当面する課題で、ことさらに意識しないで自然体に任せるのが一番いいのだがこれがまた結構難しい。

しょっちゅう叱ってもただの口やかましいオッサンになるし、それかといって逆に遠慮して叱らないでおくと”なめられて”しまう。

それに叱り方もいろいろあって、ある種の人間性が問われるところがあり、「叱り方=管理能力」という一面がたしかにあるのは間違いない。

ところが、音楽の世界でも「指揮者=管理職」、「オーケストラ楽員=部下」という構図の中で会社や役所とそっくり同じことが繰り返されているというのだから驚く。

☆ 指揮者の叱り方の実例

楽員のちょっとしたミスを指摘し、それを直し、あるいは自分の解釈に従って演奏者の演奏法を変えさせるのは指揮者の大切な役割で、練習ではいつもやっていることだが、これがときには「いじめ」と紙一重になる。

誰もが大人数の中で一人だけミスを指摘されて注意されるのは快くないが、あえてそれをするのが指揮者の仕事。問題はそのやり方で往年の名指揮者トスカニーニとカラヤンが実例として挙げられている。

トスカニーニの叱り方

全員の前でよく注意し、怒り、ときによっては出て行けと怒鳴ったそうで、クビにされた楽員がのちに演奏会の楽屋に爆弾を仕掛けたという話も伝わっている。

何回も注意をしたあとに、しまいには癇癪を爆発させて「アウト!」と叫ぶと、その途端にその楽員がクビになったという。

現在は世界中でオーケストラのユニオンが発達してそういうことはありえないが、指揮者にとって古きよき時代といえども、トスカニーニのワンマン、独裁力は抜きん出ていた。それでも、彼が指揮する音楽が素晴らしかったから許されていた。

カラヤンの叱り方

非常に民主的にその人を傷つけないやり方がカラヤンだった。たとえば、練習で第二ホルンの音程が悪いとすると、パッとオーケストラを止(と)めてヴァイオリンのほうに向かって自分の解釈を伝えてこうしてくれと注文する。そうしながら、ホルンの第一奏者に向かって目配せをするのだそうだ。

こうしてオーケストラの誰にでも個人的に皆の前で恥をかかせることはしなかったので、非常に働きやすく楽員から凄く人気があった。帝王として君臨したカラヤンの背景にはこうした楽員への心配りがあった。

☆ 若い指揮者へのいじめ

同じ人間同士に生まれていながら、片方は指揮者、片方は楽員で、楽員にとってどんなときでも指揮者の一挙一動に注目し従わなければならないというのは本来面白くないはず。

だから指揮者がちょっとした統率上の油断をしたり、音楽的に納得できないことが続くと当然反発する。

その反発は指揮者とオーケストラの力関係によって種類が変わってくるが指揮者が大変若くて新人の場合は集団での”いじめ”になることが多い。

職業上のいびりは学校のいじめと違って可愛げがなく、指揮者という職業をあきらめる新人が後を絶たないという。

いじめの実例 1

ある若い指揮者が日本のあるオーケストラを指揮したところ、練習中いろいろと難癖をつけられた。約百人対一人だし、若い指揮者の欠点というのは無数にある。

どんなことでもケチがつけられる。しまいには練習中にその指揮者はボロボロ涙を流して泣きながら最後を終えたそうである。

後日、岩城さんはその指揮者を呼び出してこう注意した。

「オーケストラの前で涙を流すヤツがあるか。どんなに悔しくても、悔しい顔を見せるな。泣き顔を見せたら、オーケストラは面白がって、ますます君の言うことを聞かなくなる。尊敬しなくなる、軽蔑する。それだけだ。泣きたいなら練習が終わって、一人で部屋で泣けばいい」

いじめの実例 2

今度は別のオーケストラの話で、例によってある若い指揮者をさんざんいびったところ、その指揮者は気が強くて、しまいには腹を立て、棒を叩き折って投げつけて出てきてしまい、音楽会をキャンセルした。

逆にいびったほうのオーケストラは非常に感心した。見所のあるやつだ、おもしろい。この指揮者はそのオーケストラにその後もよく指揮を依頼されたということだった。

以上のとおりだが、オーケストラといえば「芸術の創造」という高邁な志のもとに
俗世間を超越した存在かと思っていたが所詮は人間の集まりで、「いじめ」や「管理能力」なんて陳腐なものが横行しているとはちょっとガッカリ

しかし、政治家よりはまだマシかな~(笑)。


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お金があり過ぎる悲劇

2017年07月13日 | オーディオ談義

つい先日、このブログで「旧いステレオサウンド誌(40冊)を無償で差し上げます。」と募集してはみたものの、とうとう希望者が現れなかったので、やむなく去る5日(水)の廃品回収日に放出した。

        

他人に差し上げる分には少しも惜しいと思わなかったが、いざ廃品回収に出すとなると何だか勿体ないような気がして(笑)、事前に3日ほどかけて全40冊にザット目を通してみた。

旧いものでは50年ほど前の号もあり「あのときのオーディオ熱よ、今いずこ」とばかり、とても懐かしい思いとともに全体を通読したが、この際なので感じたことをあえて述べさせてもらうと、

「ステレオサウンド誌は古いものほど面白い。結局、連載されていた巻頭の五味康祐さんの「オーディオ人生」と瀬川冬樹さんのオーディオ評論で辛うじて持ちこたえていた雑誌だった。このお二人さんが亡くなられると途端に色褪せてしまい精彩を欠くようになっている。」に尽きる。

その五味康祐さんだが、1973年の「28号Autumn」版に「オーディオ愛好家の五条件」という記事があった。

すっかり忘れていた内容だったが、いくら天下の五味さんのご提唱といえども「オーディオは百人百様」で、本人さえ良ければいいも悪いもなく、公式とか条件とかの決まりごとはいっさい「要らん世話」だと思うので、これは「オーディオ愛好家はかくあってほしい」という五味さんなりの願望だと受け取らせていただこう。

稀代のクラシック通だった五味さんが掲げるその五条件とはこうである。

 メーカー・ブランドを信用しないこと

 ヒゲの怖さを知ること

 ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること

 真空管を愛すること

 お金のない口惜しさを痛感していること

自分のような「心なき身」でも、いずれも「そうですよねえ」と頷くことばかりだが、2の「ヒゲ」というのは聴き慣れない言葉だがレコード愛好家ならきっとお分かりのことだろう。端的に言えば音楽ソフトを大切にする心がけを失わないようにしようという内容である。

この中で一番オヤッと思ったのは5の「お金のない口惜しさを痛感していること」だった。皆さん、いったいどういう意味なんだろうと興味をそそられませんか?

青年時代に乞食同然の生活を送られた五味さんの云わんとするところはこうである。

オーディオは周知のとおり機器などのハード部分と音楽のソフト部分とで成り立っている趣味だが、これらを購入するのに必然的にお金は付き物だ。

しかし、どうしても前者にお金が集中するのは否めない。すると後者が手薄になってしまい、音楽的な教養が失われてしまいがちだ。オーデイオは音楽を聴くための道具だから本末転倒はよくない。

したがって、お金がなくてお目当ての機器が購入できないときは、その口惜しさを音楽を一生懸命に聴くことでどうか(自分のように)昇華して欲しい。

以上、芥川賞作家の文章を要約するなんてとても恐れ多いが、かいつまむと以上のような趣旨だった。

「オーディオとお金」は誰にとっても普遍的なテーマだと思うが、今度はチョット違う視点からアプローチしてみよう。

以前、あるオーディオ仲間と次のような会話をしたことがある。

「オーディオってお金が無い悲劇も勿論ありますが、お金があり過ぎる悲劇もあるようですね。沢山のお金を掛けた割には音がサッパリという事例をかなり見てきました。お金と音はけっして比例しないところがオーディオの面白いところですね。」

「そうなんです。お金があり過ぎるとすぐに煽動されていとも簡単に高級機器を購入してしまいますが、どうしても研究不足になりがちです。

どんな高級機器にしろ、ポンと据えつけただけでは絶対にいい音が出ませんからね。むしろ高級機器ほどうまく鳴らすのが難しいところがありますから、これは一種のオーディオの危険な罠ですよ。

しかも、いったん罠に入り込んでしまうと将来に亘って身動きが取れないようになる傾向があります。そこそこのお金がありさえすれば、それが一番ですよ・・・。」


ちなみに、自分の場合のように「お金が無いくせに背伸びしすぎる悲劇」もあるからどうかご用心を(笑)~。
 


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夏の夜のドタバタ狂想曲

2017年07月11日 | オーディオ談義

日頃から独善的だし、悪く言えば自慢っぽい話が多いのがこのブログの欠点だと多少なりとも自覚している(笑)。

そこで、たまには失敗談というか、うまくいかなかった話を述べてみよう。

ほら、「失敗学のすすめ」(畑村 洋太郎氏)という本があるでしょう~。人は他人の成功体験にはあまり興味を示さないが、失敗談の方には熱心に耳をそばだてて聴き入るという内容である。

たしかに自分もその類だから人間の心理とは基本的にそういうものだと思っている。

さて、1週間ほど前にオークションで凄い真空管が出品されていることに気が付いた。名にし負う「STC」(ロンドンウェスタン)の名管「STC4300A」である。

「これは滅多に出ない真空管だ。欲しいなあ!」

       

オークションの解説文にはこうあった。

STC-4300A 300B 互換球 2本の中古です。動作状態は良好です。1本内部に小さなガラス破片がありカラカラ音がしますが、性能には問題ありません。CV1452 / Fのロゴは軍用仕様で希少価値の高い代物です。」

こういうときは、ひと呼吸おいて我が家の真空管の「主治医」にあたる「北国の真空管博士」に相談するに限る。

すると、こういうご返事をいただいた。

「STC4300A拝見しました。写真で見る限りゲッタの状態が良好ですので使用頻度は低いと思います。STC4300Aはレギュレーターとしての使用頻度が多くなると過負荷に対応してプレートにジルコニウムを塗布するようになったと思われます。 

この4300Aはジルコニウムタイプと思います。個人的には黒色プレートの初期の物が好きですが耐久性はこちらの方が上です。  

STCには4300Bもありますが、これは日本からの要望で一時的に日本向けに再生産した物に付けられた番号であり、
STCとして正式に4300Bは製造していないようです。 
 
有名な205Dや104D等は米WEより英STCの方が丁寧に作られていて好感が持てますので4300Aも大いに期待が持てると思います。 
 
〇〇様の仰るとおり、あとは値段次第でしょう。」
 
 ますます欲しくなった!(笑)

落札日は8日(土)の夜9:03分だ。当日は決戦に備えて朝から気を引き締めつつ、いよいよ夕食後の7時頃から満を持して臨んだ。そのときのお値段は8万円だったが、ドカンと「198千円」の値をつけて一気にオークションに乱入した。

もちろん、その時点で「あなたが最高価格です。」だった。

この値付けには理由がある。現在大切に保管している「PP5/400ペア」(英国マツダ)の最初期版・極上品をオークションに出品したらおそらく20万円くらいはするだろうからそれを財源にしようという魂胆である。年金暮らしには財源の確保が一番たいへんなのだ(笑)。

そして肝心の価格の推移だが落札時刻の直前まで10万円前後で推移していたので「これは楽勝だ」と思いきや、そこはやはり「生き馬の目を抜く世界」だった。

いきなり10分前ぐらいになってまるで狂ったように入札価格が高騰した。そして「19万9千円」と「高値更新」の無情な通告にもうアタマにきた!

強力なライバル出現に対して、エ~イ負けてなるものか、21万円だあと思い切って奮発したがそれでも追い付けなかった。

もうアキマヘン(笑)~。

実はもっと粘ってもよかったが「人生の残された時間=楽しめる時間」を勘案すると、この辺が引き際かもしれないと自然にブレーキがかかった。未練を残さないようにすぐにパソコンを閉じてバタンキュー。

翌朝になって検証してみると最終落札価格は「21万6千円」となっていた。あとチョットだったが自分がもっと粘っていたらさらに価格が引き上げられたことだろう。

「STCの球は総じて音の切れ味はいいが、やや重心が上がる傾向にあるので、我が家のシステムには合わないかもしれない。本家本元のWE300Bの「1951年」と「1988年」ものを持っているので、ま、いっか・・・。」と、いつものように都合のいい理屈をつけて自分を納得させた。

しかし、今となってみると、これははたして冒頭に述べたような失敗談だったのだろうか?結果的には深追いしなくて良かったような気もするし、とてもいい体験をさせてもらって今後にも生かせそうだ。

それにしても、まさしく夏の夜のドタバタ狂想曲だったなあ(笑)~。

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がん対策の現状と今後の展開

2017年07月08日 | 読書コーナー

この度九州中部地方を襲った集中豪雨。一番の被害地が福岡県朝倉市というので、心配になって居住しているオーディオ仲間に電話を入れてみた。

すると「本宅は何でもなかったのですが、車庫に入れていたシトロエンが水浸しになりました。100万円以下で修理できないときは廃車の予定です。まあ、そのくらいの被害で済んで良かったです。近所では道路が寸断され家ごと押し流されたところが何ぼでもありますよ。別府は大丈夫でしたか?」

「エ~ッ、あのシトロエンがですか・・・・」と絶句した。

我が家に試聴にお見えになるたびに乗ってこられた「シトロエン」(フランス)の黒い洒落たシルエットが思わず目に浮かぶ。ほんとうにお気の毒の限りだが、それにもかかわらず落ち込んだ様子も無く明るい声音にひと安心。

ほんとうに災害はいつやってくるか分からない。そして病魔も・・。

長寿化の影響もあって今や二人に一人が罹るという恐ろしい病「がん」。平たく言えば夫婦のうち片方が「がん」になっても不思議ではないというわけだから、とても無関心ではおられない。

それに、つい先日「梨園」の若奥さんが34歳の若さで幼い子供を二人遺して「乳がん」で亡くなったのは記憶に新しいところ。おそらくあらゆる高度な治療を受けたであろうにもかかわらず、この始末だから世間のイメージとしては、きっと「金持ちも貧乏人も分け隔てなく、誰でもがんになったらもうお終い」だろう。

              

そういう中、明日は我が身かもしれないので丁度図書館で見かけたこの新刊書を借りてみた。

日進月歩の「がん」治療の中、著者は九州大学医学部出身の「がん」専門医ということなので、きっと最新情報が得られるに違いない。

このところ健忘症に陥りがちなので、後日のために要点を記録しておこう。

まず患者と家族が絶対心がけておきたい8つのポイントを列挙すると、

第1条 「がん」を知る

「がん」は病の皇帝である。「人類を苦しめる病気の中でもっとも強力であり、人類が勝つことはできない」そうだ。

近年の目覚ましい医学の進展にもかかわらず、「がん」のメカニズムの10%も解明されていないのが厳しい現実だ。

第2条 標準治療の効果と限界を知る

「がん」になったときはまず標準治療ありきで、それからがん治療専門医の提示する治療方針に従う。標準治療とは手術、放射線、抗がん剤、免疫療法に分かれる。


第3条 薬物治療の革命的進歩について学ぶ

このところ分子標的薬や免疫抗体医薬(オプジーボなど)の登場によって薬物療法が激変した。目覚ましい効果に対して、はたして「がん」が根絶される日がやってくるのか、区切りとして10年後と100年後の状況を予測してみよう。(後述)

第4条 「免疫」を利用する

免疫療法はがん治療の無限の可能性を持っている。薬物治療と並んで今後の大きな柱となっていくだろう。

第5条 あきらめない治療姿勢に学ぶ

必死に治療を受けながらも、医師から「手を尽くしましたが、もう治療法はありません」と言われたらどうするか。当事者にとってはとても切実な問題だが、長くなるのでこれも後述。

第6条 食事療法とサプリメントの真実を知る

「がん予防」に効果的と言われるどんな成分でもデータ不足によって証明されていないので盲信は禁物だ。むしろ取り過ぎは逆効果になるので要注意。がん治療はそれほど単純なものではない。


第7条 運動療法と補完代替医療を学ぶ

運動と食事は健康の両輪なので、「がん」の予防と再発予防に於いても有効。補完代替医療とは苦痛の緩和、免疫力の向上、精神的な不安の解消などの治療を指す。心の状態とガンの関係は深いので趣味や好きなことに打ち込むなど、生きる糧を増やす工夫が大切。

※ これまで、「釣り」や「音楽とオーディオ」に打ち込んできたが、がんに罹らなかった所をみると無駄遣いではなかったかもしれない(笑)。

第8条 医療を取り巻く環境を学ぶ

「がん治療専門医」という資格は発足してから10年程度でまだ日が浅く若い医者が多い。NHKの番組で指摘されてから各学会で制度を作ることに着手した経緯がある。

日本では毎年約30万人以上ががんで亡くなっており、さらに毎年新たに約60万人近い人ががんと診断されているが、がん医療を目指す若い優秀な人材が少ない。政策的なカバーが是非必要である。

以上のとおりだった。

最後に懸案の二題について述べておこう。

☆ 将来がんが根絶される日は来るのか?10年後、そして100年後のがん治療を展望する。

まず10年後だが、結論から言えば治療成績は現在と大差なく根絶は無理だ。ただし、薬物療法が大きく変化して標準治療で効果を発揮することだろう。

次に100年後だが、臨床の場では効果が飛躍的にアップした様々な分子標的薬と免疫抗体医薬が登場しているはずだ。ただし、どんながんでも根絶することが可能かといえばそれは「ノー」だ。

がん根絶のためにはまったく異なるコンセプト、発想の大転換、革命的な治療法の開発が必要だ。

☆ 医師から治療法についてサジを投げられた時の対処法は?

一番切実な問題だ。そういうときは、まず「セカンド・オピニオン」を求め、次に「臨床試験」を選択し、その次には「未承認薬」を選択するなどいろいろある。根治は無理にしても、信頼できる治療法でがんと共存して長生きできる場合もあるので決してあきらめてはいけない。

以上のような内容だった。

縁起でもないが、自分も含めてもし家族が「進行性のがん」になったときはどうしようか・・・。

一番手っ取り早い方法は、本書の著者が運営する「がんクリニック」(福岡市)に駆け込むのが一番かもしれない(笑)。
 


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選択肢が多ければ多いほど「質」は向上する

2017年07月06日 | オーディオ談義

これまでなるべく後悔しないような「生き方」をしてきた積もりだが、それでもときどき「来し方」を振り返ってみて、限られた選択肢の中であれで良かったんだろうかと考えることがある。

もし、あの時違った「選択」をしていたら自分の人生も少しは変わっていたかもしれない・・・。別に今の状況に不満を覚えているわけでもないのだが。

たとえば、思い付くだけでも人との出会い、高校や大学の進学先、就職先、居住地の選択など岐路がいろいろある。

当然のごとく、その中には「伴侶の選択」も含めたいところだが、こればかりは情が絡んでくる話だけに「選択」という事務的な言葉で括ってしまうわけにはいくまい。あまりにも寂しすぎる(笑)。

それはさておき、そうした岐路のときに豊富な選択肢に恵まれた環境さえ整っていれば、もっと飛躍できたかもしれないという憾みは拭いきれない。

そしてオーディオも例外ではない。使用の対象となる機器の選択肢が多ければ多いほど音は良くなる!

お目当ての機器をオーディオ評論家の意見や評判に感化されて購入するようでは「博打」の域を出ない。

というわけで、ここからいつものオーディオの具体的な話に移ろう(笑)。

これまで散々悩んできた「プリアンプ」(真空管式)だが、Mさん(大分市)と知り合ってから(悩みが)一気に氷解した。この2カ月余りの間にMさんが過去に製作されたプリアンプを順次持参されたがそれが何と6台にも上り、その都度1週間ばかりテストして選びに選び抜いた結果、ようやく手元に2台が残った。

これだけの数をテストして残ったのだから良いに決まっているが、そのうちの1台がこれ。

         

マッキントッシュの「MC22」を参考にした回路だそうで使用している真空管は「12AX7」を6本。

プリアンプによる音質の変化はシステム全般の音を根底から覆すほどの影響力があるが、我が家のシステムも気になっていた音の重心がやや下がってきたようで、ようやく相性のいいプリアンプに巡り会えた感じがしている。

これも既存のプリアンプを含めて9台の中から厳しい選抜をした賜物だといえよう。

次にパワーアンプだが、これまた選択肢が多い。

現在、我が家にあるパワーアンプは7台になる。長~い年月のうちに積もり積もった結果である。

そのうち実際にスピーカーを駆動するのに必要なパワーアンプは3台だけなので残る4台はスペアということになるが、いずれのアンプもそれぞれ捨て難いところがあって、オークションに出品してお払い箱にするには忍びなく、そのときどきの気分転換用として活用している状況だ。

そして、これら7台にこの度新たに加わることになったのが「2A3シングル」アンプ。前述したように選択肢の数が増えれば増えるほど質的な向上が見込めるのだから大歓迎(笑)。

この「2A3」アンプは実を言うと20年ほど前に購入して一時期愛用していたアンプだが、他のアンプが次第にグレードアップするにつれ存在価値が段々薄くなってきたので、出番が少なくなっていた。

しかし、出力管「2A3」の実力からするとこのままではとても惜しい気がして昨年(2016)の12月に新潟県のプロのアンプビルダー「K」さんにお願いして回路を一新していただくことになったもの。

Kさんは全国各地から引く手あまたの身の上で目の回るようなご多忙の中、わざわざ時間を割いてもらったのはたいへんありがたい。

6カ月ぶりに、このほど新装なって我が家にご帰還あそばしたのは6月30日(金)のことだった。

        

初段管兼ドライバー管が「6DE7」という珍しい球、出力管は前述どおり「2A3」だが、数あるブランドの中でもたいへん珍しい刻印モノの「Visseaux」(フランス)、整流管は「5X4G」(ロジャース)のコンビ。

Kさんは真空管の泰山北斗「北国の真空管博士」とご相談されて改造されたそうで、道理でこれまでまったく聞いたことのない真空管「6DE7」採用の裏事情がよ~くわかった。

いずれにせよKさんが「2A3に関する私のノウハウをすべて注ぎ込みました。」というほどの力作である。

さあ、強者(つわもの)どもがひしめく中でこのアンプがどのくらいの実力を発揮してくれるのだろうかと興味津々。しかし、まだ出来立てのホヤホヤで部品がまっさらなので「鳴らし込み」(エージング)に2か月ほどは必要なのでその辺は割り引いておく必要がある。

ちなみに、ここで既存の7台のパワーアンプの内訳を挙げておくと「WE300Bシングル」が2台、「PX25シングル」、「171シングル」「71Aシングル」、「71Aプッシュプル」、「6SN7プッシュプル」。

持ち主が言うのも変だが、出力管「WE300B」と「PX25」といえばアメリカと欧州を代表する直熱三極管の王者なので、はたしてそれに伍していけるかどうかがハイライトだ。

まずは「WE300Bシングル」アンプとの一騎打ち。

           

駆動するスピーカーは繊細さが持ち味の「AXIOM80」(最初期版)で、このユニットほどアンプの違いを明確に出してくれるものは自分が知っている範囲では存在しない。

1時間ほどクラシックからジャズ、歌謡曲までいろんなソースで試したが、大熱戦の末わずかに「WE300B」の方が「音の色気」において一日の長があった!

このクラスになると比較になる指標といえば周波数帯域がどうのこうのというよりもムラムラっとくるような「色気」しかない(笑)。

次に「PX25シングル」アンプとの勝負。

         

現在、ウェストミンスターの2ウェイ用に使用していて周波数「500ヘルツ以上」を受け持ちながら裸の「AXIOM80」を鳴らしているが、まったく音に不満は感じないものの、「2A3」が挑戦者としてどういう勝負を挑むか、これまたじっくり耳を澄ましてみた。

まず「音の色気」の方だが、どうやらイギリス球とフランス球との性格の違いが醸し出されるような気がした。

片やイギリスの上流社会の貴婦人を連想させるし、片やエスプリ(才知)の利いた知的なフランス女優を連想させる。そういえば「ダニエル・ダリュー」という往年の名女優がいたっけ~。ググってみたらいまだ存命中でもう100歳になる!

いずれにしても、名にし負う「PX25」と遜色がないのだからお値段からすると「2A3」大健闘の巻である。 

結局、これからは日替わりメニューのように交替させて雰囲気を楽しむしかないが、どちらにしようと「至福の時間」になることは間違いなし(笑)。


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我が家のベスト「音源」を探る

2017年07月04日 | オーディオ談義

去る5月上旬にテレビの入れ替え(ソニー:55インチ)をしてからおよそ2か月が経過した。大画面の迫力もさることながら、「HDMI」や「USB端子」などの接続端子が豊富にあることから我が家の「音源」が随分と多様になって、音楽鑑賞もすっかり様変わりしてしまった。

この際、整理しておく意味で列挙してみると、

まずテレビを使用しないときは、いつものように月並みな  CDプレイヤー(CD、SACD)で聴く。

そして、テレビを使用するときは、

 ひかりTV(NTT系)の音楽番組(専用契約により600万曲以上を選択可能)

3 クラシカ ジャパン(CS放送)の録画番組

 テレビのUSB端子を利用した「フラッシュメモリー」による音楽再生

の、計4つとなる。

「原音に近い自然な音質」を鑑賞したいという観点からすると「レコード」に優るものはないと思うが、この歳になってあのレコードプレイヤーの複雑なメカに取り組むほどの根気はもうない。

性格上、中途半端は無理なのでフォノモーター、トーンアーム、カートリッジなどの調達や調整に本格的に邁進するとなると、膨大な手間と時間と経費が掛かるのは目に見えているので、おそらく志半ばで「あの世行き」というのがせいぜい関の山だろう(笑)。

そういうわけで前述した4つの音源はいずれもデジタル系ソースになるが、そうなると当然のごとくDAコンバーターの出番となって、すべて「エルガー プラス」(dCS)に繋いでいて、「1」は「1394」接続にし、「2」「3」「4」は「TOSリンク」接続により「アナログ変換」をしている。

さて、この中で「ベスト音源」はどれだろうか。

恰好の指標があって、デジタルは何といってもビット数が目安になる。音楽再生中に「エルガー プラス」の小窓にビット数が表示されるので分かりやすい。

まず「1」の音源は「16ビット/44.1Kz」(SACDを除く)、「2」も同じく「16ビット/44.1Kz」、「3」が「16ビット/48Kz」そして最後の「4」が「24ビット/48Kz」となる。

デジタルの場合、数値は音質を正直に物語るが、「1」は専用のCDトランスポートを使うのでビット数だけでは割り切れないにしても、ほかは「2」「3」を上回ることはないし、そしてその「3」「4」を上回ることもない。

それに「1」は手間がかかるのが難点。その点「4」はリモコンボタン一つでアルバムを切り替えられるのがとても便利。

そういうわけで、我が家のベスト音源は「4」のテレビのUSB端子を利用した「フラッシュメモリー」による音楽再生、これに尽きる。

以上、小難しい話をクドクドと続けてきたが、いよいよここから本題に入ろう。

          

画像で見るのが分かりやすい。まずこれが「4」のフラッシュメモリー(Transcend)で容量は「1TB」を選択。

なんとCDを1500枚近く収容できる優れもので、近所にお住いのオーディオ仲間「Y」さんにお願いして所蔵されている1200枚にもなるCDをすべて収録してもらった。

まったく「頼む方も頼む方」で、厚かましいことこの上ないが、アッサリ「いいよ」と「引き受ける方も引き受ける方」だ(笑)。

時価にすると、CDが1枚2500円として1200枚ともなると300万円になるが、それがわずかフラッシュメモリーの代金2万円前後で済むのだから超ありがたい話。

無欲で聖人君子のYさん!

そのうちご恩返しをせねば・・(笑)。

しかも、ありがたいことに、Yさんは実際にフルートを演奏されるので日頃から生の音に接されていることから、とても音質にウルサクて手持ちのCDともなると専門誌が選ぶ優秀録音のCDばかり。しかも所蔵されているジャンルもクラシックからジャズ、各国の民族音楽まで実に多種多様だ。

このワクワクするようなフラッシュメモリーを再生するときは、まずテレビのUSB端子に接続し、テレビ側のリモコンの「ホーム」→「ミュージック」を選択すると次のような画面が出てくる。

        

左側の「アルバム」を選択して聴きたいタイトルを選定すればいい。

1200枚ものCDをすべて聴くとなると、もういくら時間があっても足りな~い(笑)。

そういう中、たまたま見つけたのがモーツァルトの「初期のヴァイオリンソナタ集」(1番~5番)。       

      

こういう「タナボタ式」がないとまず聴かない曲目で興味本位に1番から5番まで順次聴いてみたが、なんて「わざとらしさ」のないおおらかで自然な調べなんだろうと、ついウットリと聴き惚れてしまった。

作品番号(ケッヘル番号)が「K.6~K.10」とあるが、モーツァルトの交響曲1番は「K.16」で8歳のときの作品だから(「西方の音」72頁)、この初期のヴァイオリンソナタ群は少なくとも8歳以前の作品となる。

日本でいえばわずか小学校2年生くらいの作品になるが、まったく信じられないほどの完成度で、35歳で亡くなるまで生涯に亘ってモーツァルトの「天馬、空を翔ける」ような楽風はいっさい変わらなかったことがこの曲目でハッキリ分かった。

幼少のころにいくら天才ぶりを発揮しても二十歳(はたち)を過ぎると「普通の人」になってしまうのは枚挙にいとまがないが、幼いときの才能が亡くなるときまで持続していくなんてモーツァルトはまったく空前絶後の驚嘆すべき怪物だ!!

文豪「ゲーテ」はモーツァルトの音楽を称してこう言った。

「エッケルマンによれば、ゲーテは、モーツァルトについて一風変わった考え方をしていたそうである。如何にも美しく、親しみ易く、誰でも真似したがるが、一人として成功しなかった。幾時か誰かが成功するかも知れぬという様な事さえ考えられぬ。元来がそういう仕組みに出来上がっている音楽だからだ。はっきり言ってしまえば、人間どもをからかう為に、悪魔が発明した音楽だというのである。」(「ゲーテとの対話」から)

孤高の作曲家「モーツァルト」の音楽を解くカギは、どうやらこの辺にありそうである。
 


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