「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

我が「タンノイ」遍歴

2015年06月30日 | オーディオ談義

自分の「音楽&オーディオ」の歴史をふり返ってみるとおよそ半世紀近くにもなる。

よくもまあこれだけ長く飽きもせずといったところだが、おそらく単発の趣味だと早晩行き詰まっていただろうが、音楽とオーディオの両者がうまく絡み合ったところに飽きが来ない理由が隠されているような気がしている。

何しろオーディオ次第で音楽鑑賞の趣がコロッと変わるのだからとても変化に富んでいる。

さて、そういう中で何と言っても大きな位置づけを占めているのがイギリスの名門スピーカー「タンノイ」さん。

前回のブログに記したように20代の頃に五味康祐さん(故人、作家)の著作「西方の音」に多大の影響を受けて以降、しばらくはタンノイ一辺倒だった。もちろんクラシックが好きだったこともその一因。

最初に購入したのがあの有名な「ⅢLZ」(オリジナル・イン・キャビ:25センチ口径)で、それで満足しておれば良かったものの、ついつまらぬ「欲」を出してしまい「インパルス」(38センチ口径)、そして「ウェストミンスター」へと手を広げてしまった。

実際に音を聴いて惚れ込んで購入したのなら納得もし長続きもしたのだろうが、多分に空想に耽った夢物語の延長だったものだからいわば「砂上の楼閣」みたいなもので、早晩描いていたイメージが崩れ去るのは時間の問題だった。

何と言ってもあの中低音域のぼんやりとした音に我慢がならなくなった。もちろんそれが“いい”という人も沢山いるので、あくまでも好みの問題に帰するのだが自分なりにもっと量感と分解能が両立して欲しいと切実に願った。

そういうわけでつい無茶をやってしまい、タンノイのユニット「HPDー385」を取り外してJBLの「D-130」を取りつける羽目になってしまった。取り替える際に、はじめてウェストミンスターの裏蓋の20個ほどもあるネジをこじ開けるときは戦々恐々としていたのが今となっては非常に懐かしい(笑)。

それ以降通算するとおそらく10回以上裏蓋を開け閉めしているし、エンクロ-ジャーの内部もネットワークの部品を取り払い、内部空間を大きくしたりして大改造を施している。オリジナルの面影はすっかり払拭されているのでおそらくオークションに出してもきっと二束三文に叩かれるに違いない。こうなりゃもうタンノイさんと心中だあ~(笑)。

ところがそれほどまでして取り付けたJBLさんだがどうも望んだようには鳴ってくれない。

タンノイのユニット専用に作られた箱にそれ以外のユニットを取りつけてもうまくいかないのは当たり前だが、そこに気付かないのが欲に目がくらんだ素人の悲しさ。ほんとうに「ストレイシープ」の状態になってしまい彷徨すること10年以上。

JBLのユニットを弄り散らしては「ああでもない、こうでもない」とさんざんもがいた挙句、とうとうそのJBLと決別する日がやってきた。

「周波数レンジ」よりも「音像定位感」を重視しようとの方向転換である。

作業はこの26日(金)のことだった。朝から昼過ぎまでおよそ半日がかりの仕事となったが、重たいユニットの取り外しと取りつけなどにホトホトくたびれてしまい、とうとう終わり際には「疲れた~!もう音なんてどうでもいいや」という心境になってしまった(笑)。

          

湿気を寄せ付けないように厳重に梱包していたタンノイのユニットを押し入れの奥深くから慎重に取り出したのがまず第一歩。同軸2ウェイなので低音用と中高音用のSPターミナルにそれぞれ3m以上のSPコードをハンダ付けした。

JBLのユニットを取り外しこのユニットを取りつけたのがおよそ2時間後。

          

取り付け後の画像がこれだが、前述どおりエンクロージャー内部を大改造している。ご覧のとおりネットワーク部品を納める上側の棚を取っ払ってしまい、より広いスペースを確保している。もちろん、あの鈍い中低音域(愛用者には失礼!)を少しでも避けるためである。

無事取りつけ作業が済んだものの一難去ってまた一難。肝心のネットワークを構築しなければならない。はじめに、オリジナルの部品を使って「クロスオーバー1000ヘルツ」(12db/oct)でやってみたものの、どうもあまり芳しくない。

3日間ほどの試行錯誤を通じてやっと落ち着いたのがこれ。

名門「ウェスタン社」の鉄芯入りコイル(1.96mh:ミリヘンリー)を使って「クロスオーバー650ヘルツ前後」(6db/oct)、そして中高音域用に「22μF:マイクロファラッド」のコンデンサーを使って「クロスオーバー900ヘルツ前後」(6db/oct)にしてみたところ、どうやら繋がりがうまくいった。

正直言ってタンノイさんのネットワーク部品はあまりよろしくないとの感想を持っている。ここだけの話だが(笑)。

3台のアンプの相性選びも大変だったが結局、最後には次のように落ち着いた。

低音域(~650ヘルツ)

DAコンバーター「ワディア」 → 「WE300Bアンプ」 → 「HPDー385」低音域部分

中高音域(900ヘルツ~)

DAコンバーター「ワディア」 → 「71Aプッシュプルアンプ」 → 「HPDー385」中高音域部分

高音域(15000ヘルツ~)

DAコンバーター「ワディア」 → 「71Aシングルアンプ」 → 「JBL075ツィーター」

つまり「JBL3ウェイ・マルチ方式」転じて「タンノイ3ウェイ・マルチ方式」となった。

はたしてツィーターが要るのかどうか、慎重にテストしたが有るのと無いのとでは大違いで我が家では絶対の必需品だった。完成後は次のように非常にすっきりした形になった。

           

そして肝心の音の方は・・・。

自画自賛は“はしたない”ので遠慮しておくが、オリジナルに比べると「ずっとヌケが良くてバランスの取れた音」とだけ言っておこう~。

ただし、オーディオは将来どういうことが起こるか分からないので取り外したJBLのユニットはすべてきちんと保管しておく積もり(笑)。


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シンプルな響きの心地よさ

2015年06月28日 | 復刻シリーズ

例によって今日(28日)、朝一で過去記事のランキングを見ていたら「シンプルな響きの心地よさ」というタイトルが上位にランクされていた。遡ると2011年10月の記事だからおよそ4年前に投稿したもの。

どんな内容だったかなと、読み返してみると我ながらなかなかの出来栄えだったので(笑)、一過性では勿体ないとばかり以下のとおり再度upさせてもらうことにした。

20cm口径のフルレンジSPユニット「リチャード・アレン」を取り付けたボックスを作ってから早くも2週間あまり。

我が家の第三システムとして活躍中だが、これまで主流としてきたやや大掛かりなシステムと、こうした小さくてシンプルなシステムとの対比の妙が実に新鮮で、我が家のオーディオにこれまでにない新鮮な空気を吹き込んでいる。

アンプとスピーカーとを合わせてもわずか10万円足らずのシステムが何倍以上もするシステムと張り合うのだからほんとうにオーディオは面白い。

もちろん、それぞれに音楽のジャンルによって得手・不得手があるわけだが、低音域の量が少ないことによって得られる全体的な(音の)「清澄感」はなかなか捨てがたいものがあって、
喩えて言えば、ヘッドフォンで聴く「音」のピュア感といったものに通じており、我が家での存在感が増す一方である。

ここで改めて「フルレンジ・タイプ」のメリットを述べておくと、先ず低域と中域のクロスオーバー付近に生じる「音の濁り」が存在しないこと、第二に口径の大きなユニットはそのコーン紙の重さによって音声信号への追従性が悪くなって音が鈍くなるが、その点小さな口径の場合はシャープな音が期待できること。

低音域の処理についてはこれまで散々悩んでいろんな対策を講じてきたが、いまだに解決できていないので我が家では最大の課題となっている。

と、ここま
で書いてきてふと思い出したことがある。

昔、昔のそのまた昔、五味康祐さん(故人:作家)の著作「西方の音」の多大な影響を受けてタンノイに傾倒していた時代に、タンノイ(イギリス)の創設者の「ガイ・R・ファウンテン」氏が一番小さなスピーカーシステムの「イートン」を愛用していたという話。

ちなみにタンノイにはG・R・Fという高級システムがあるが、それはガイ・R・ファウンテン氏の頭文字をとったものである。

タンノイの創設者ともあろうお方が「最高級システムのオートグラフではなくてイートンを使っているなんて」と、その時はたいへん奇異に感じたものだった。

総じてイギリス人はケチで、いったん使い出した”もの”は徹底的に大切にすると聞いているので「この人はたいへんな節約家だ」と思ったわけだが、ようやく今にして分かるのである。

何も大掛かりなシステムが全てに亘って”いい”というわけではなく「シンプルな響き」が「重厚長大な響き」に勝る場合があるということが・・。

さて、「このイートンの話はどの本に書いてあったっけ」と記憶をたどってみると、「ステレオサウンド」の別冊「世界のオーディオ~タンノイ~」(昭和54年4月発行)ではないかと、およそ想像がついた。

                    

手元の書棚から引っ張り出して頁をめくってみると、あった、あった~。

本書の75頁~90頁にわたってオーデイオ評論家「瀬川冬樹」氏(故人)がタンノイの生き字引といわれた「T・B・リビングストン」氏に「わがタンノイを語る」と題して行ったインタビューの中に出てくる逸話。

ちなみに、この「瀬川冬樹」さんがもっと長生きさえしてくれたら日本のオーディオ界も今とは随分と様変わりしていたことだろうと実に惜しまれる方である。

話は戻ってガイ・R・ファウンテン氏が「イートン」を愛されていた理由を、リビングストン氏は次のように述べられている。

「彼は家ではほんとうに音楽を愛した人で、クラシック、ライトミュージック、ライトオペラが好きだったようです。システムユニットとしてはイートンが二つ、ニッコーのレシーバー、それとティアックのカセットです。(笑)」

(そういえば「ニッコー」とかいうブランドのアンプもあったよね~。懐かしい!)

「てっきり私たちはオートグラフをお使いになっていたと思っていたのですが、そうではなかったのですか・・・・」と瀬川氏。

「これはファウンテン氏の人柄を示す良い例だと思うのですが、彼はステータスシンボル的なものはけっして愛さなかったんですね。その代り、自分が好きだと思ったものはとことん愛したわけで、そのためある時には非常に豪華なヨットを手に入れたり、またある時にはタンノイの最小のスピーカーを使ったりしました。」

「つまり、気に入ったかどうかが問題なのであって、けっして高価なもの、上等そうにみえるものということは問題にしなかったようです。~以下、略」

ファウンテン氏のこうした嗜好はオーディオの世界に”とかく”蔓延している「ステータスへの盲信」の貴重なアンチテーゼとも受け取れるが、30年以上も前からこういうことが指摘されていたなんて今も昔もちっとも状況は変わっていないようだ。

同じタンノイの「ⅢLZ」とか「スターリング」とかの比較的小さなSPをいまだに愛用されている方が後を絶たないのもよく分かる。おそらく自分とは違って背伸びすることなく良識があってバランスがとれた方なのだろう(笑)。

とにかく、口径20cm度のフルレンジのユニットの「濁りのないシンプルな響き」には心を癒されるものがあるので、現状の音に「物足りなくなった方」とか「飽いてきた方」にはセカンドシステムとして活用されるといかがだろう?

身近に比較できる音があるのとないのとでは大違いで互いのシステムの欠点が把握しやすいのも大きなメリットの一つだと思うのだが。

最後に一言。

現在(2015.6.28)、このリチャードアレンは第三システムの「AXIOM80」(復刻版)によって交替を余儀なくされ大切に保管中となっています。


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我が家の「優等生」と「劣等生」

2015年06月26日 | オーディオ談義

このところ生まれ故郷の福岡組と(オーディオで)交流することが多いが、地元の大分組ともすっかり縁が切れているわけではない。

21日(日)にはYさん(市内)、そして昨日の25日(木)にはMさん、Nさん(大分市)と相次いで試聴にお見えになった。

3人の方々のお目当てはいずれも「AXIOM80」システムを聴くことにあり、片方のJBLシステムはまるで問題外のような存在になっている。

たとえばYさんに言わせると「AXIOM80はまるで貴婦人のような音です。毎回聴かせてもらうのが楽しみですが、それに比べてJBLシステムはあまり聴きたくありませんねえ。」と、にべもなく手厳しい(笑)。

昨日のMさん、Yさんもほぼ同様で「AXIOM80」には賛辞が相次いだが、JBLシステムには粛として声なし!

そして、帰りがけにポツンと洩らされたのがステージ(舞台)の問題。

どういうことかと言うと、「AXIOM80を聴いていると綺麗にステージが出来上がっていて、主役や脇役たちが交互に登場してきてはスポットライトを浴びて去っていきますが、JBLシステムは配役たちが平等にその場で演技しているだけで出番(ステージ)というイメージがどうも湧いてきません」

実に示唆に富んだ言葉だと思いませんか(笑)。

「周波数レンジ」を確保する以前の問題として「音像定位」の重要性を改めて考えさせられたわけだが、これに限らずJBL3ウェイシステムにはいろいろと難問山積状態。

つくづく我が家には「優等生と劣等生」が同居していることを思い知った!

まあ、世の中「いい人」ばかりでは成り立たないし、もちろん「悪い人」ばかりでも困る。「善」と「悪」、「良」と「不良」という対立の概念は必然の成り行きではある。

その昔、歴代総理の指南役と称された「安岡正篤」(やすおか まさひろ:故人)という思想家がいたがその著書の中に「エネルギーが無ければ善も悪もない」という言葉が印象的だった。

エネルギーとはヤル気と言い換えてもいいと思うが、何ごともヤル気が無いのが世の中では一番悪いという意味である。

その点、我が家の劣等生はいつもヤル気を掻き立ててくれるので大いに助かる(笑)。

もちろん、市販のJBLシステムだとメーカーからきちんと調整を施されているのでこういう問題は起きないのだが、我が家のような変則的なシステムは「ああでもない、こうでもない」と時間つぶしには持って来い。

          

一番苦労しているのがネットワーク。低音域、中音域、高音域のクロスオーバーをどこに設定するのか、いまだに五里霧中の状態が続いている。

昨日もお客さんが帰った後でコイルやコンデンサーをいじり回したが、どうもうまくいかない。ソース(CD)によっての違いが大き過ぎるし、「ステージ」のイメージ設定となるとどうやってもお手上げ状態。

そもそも「フルレンジ」方式と比べると、音の出口が多い3ウェイ方式などはハンディがつきまとう。

とうとう行き着いたのが、「やっぱりタンノイの箱にはタンノイの同軸ユニットがピッタリかもねえ」。これで少なくとも音像定位の問題は解消する。ちゃっかり最後の逃げ道は確保しているんだから~(笑)。

どうせ今日は雨降りで外に出るのも億劫だし、久しぶりにユニットの入れ替え作業でもやってみっかなあ~。


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上首尾に終わった「試聴会」

2015年06月23日 | オーディオ談義

「友あり、遠方より来たる、また楽しからずや」

およそ半年に一度のペースで福岡高校時代の同級生たち(3名)と我が家で「試聴会」を開催している。

通算すると10回以上になると思うが、前回は昨年(2014年)の11月だったので、今回はおよそ7カ月ぶりの6月20日(土)の運びとなった。何しろ忙しい連中で「CEO」と「社長」さんが混じっているので1か月前からの日程調整だった(笑)。

当日は例によって「梅雨の晴れ間」で、このところ不思議に土曜日になるとお天気が良くなるので大いに助かる。

福岡の「天神」(てんじん)から高速バスで2時間かけて移動するのが常で、降車駅は別府の温泉街の中心地「鉄輪」(かんなわ)バス停。きっかり予定の11時にご到着で、「やあ、やあ、お元気そうで何より」と、久しぶりの交歓。

どちらかといえばオーディオよりも音楽の方が好きな連中で、いつも持参してくるのはクラシックのCDだが、そうはいっても音にもなかなかウルサクて正直言ってこれまで我が家の音に満足してもらったことがないのが実状。

試聴後の「飲み会」では忌憚のない意見交換が恒例になっていて実に楽しいが、いつも「今度こそは連中の鼻を明かしてやるぞ」と、システムの入れ替えをして万全の態勢で臨むのだが結果はあえなく「討ち死に」の状況がずっと続いている(笑)。

しかし今回ばかりは最新のDAコンバーターも導入したし、真空管アンプ群も一新したし、スピーカーの調整も上手くいったし、我が生涯で「最高の音が出ているはず」と自負していたから「飛んで火に入る夏の虫」(失礼!)の心境だったが、過去の事例があるのでけっして楽観はできない。

持参してもらったCDは相変わらずクラシックで「マイスキー・チェロ名曲集」、「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」(ムター演奏)、「シューベルト・ピアノソナタ14番ほか」(キーシン演奏)など。

皆良かったが、とりわけシューベルトの「優しさ」には参った。彼の音楽には「年寄りの心を慰めるものがある」(笑)。まあ、キーシンも凄いの一言だが。

そして、肝心の「音の評定」だが結果から言うと試聴後の「飲み会」では予想外ともいえる好評だったし、翌日の友人たちのメールの内容も良かった。「お酒が入った席」での腹蔵ない発言だから、きっとホンモノに違いない(笑)。

それぞれに来たメールを順に証拠品として提出させてもらおう。

まずS君。

「相変わらずの意義深い一日を満喫させて頂きました、
有り難うございました。帰路の車中で話しが弾みました。当初のAXIOMからは本当に聴き易くなった‥、あそこまで手なづけ調教するのは大変だったろう‥、等々、皆さん最後に聴いた音色が忘れられない模様で、今般、帰路車中では一番意見が一致しました~。私にも、いつまでも聴き続けたい音色でありました。」

次にO君。

「昨日は、午前中から約6時間、そして、夕食までおつきあいいただきありがとうございました。半年ぶりに、システムを拝聴したわけですが、また「進化」されましたですね!(偉そうにスミマセン。)AXIOM80という、エッジレスの暴れ馬を、良くここまで調教されました。(笑)

当初の、女性ボーカルを聴いたときから、生々しいというか、音場のなかに浮かび上がる艶のある美声に、ハッとするものを感じました。その後は、S君と私が持参したCDをしばらく聴き、ソースに応じてJBLのマルチシステムも聴いたわけですが、通常のシンフォニーの場合、ウエストミンスターのバックロードホーンの空気感による音のゆとりは、~これは捨てがたいものだと感じました。

(私見を言えば、中高音域の刺激音をもう少しなんとか緩和されれば・・・?) 

でも圧巻は、Gさん製作の銅板シャーシーのメインアンプと、AXIOM80の組み合わせで、最後の小出力の真空管では、ヴァイオリンの音の刺激的な部分が適度に緩和されて、しかも、音の消え入る感じ(残響)が心地よく奥行もあって、絶妙のバランスになったものと感じました。 

以上、言いたい放題、書かせていただきましたが、少しでもご参考になればと思います。また、次回を期待します。」

そして最後にU君。

「昨日は久し振りに訪問させていただきました。以下は最新のシステムの印象です。最初に若い女性ボーカリストの歌を聴き始めた時に、「おっ、これは変わった」と思いました。荒々しさが抑えられていて、かつ口(唇や舌)の動きが感じられたのです。

そして右に定位するリズム楽器の音が少し出過ぎかというのも同時に感じました。しかし、この疑問は最後に挿した真空管との組み合わせて解消したと思います。それと、あとになるほど音場感が拡がっていったのも忘れてはならないと思います。

これらを可能にしたのは、ローパワーながら特性の良い三極管と、高能率スピーカーであるAXIOMの組み合わせです。位相特性が良く、残響(リバーブ)を綺麗に再生出来ないと良い音場感は得られません。そして、残響は微小レベルの再生になる為、当然アンプの微小レベルの特性が勝れている必要がありますが、この点をクリアーしていたため良い結果が得られたのだと思います。以上、取り敢えず。」

以上のとおりだった。システムの持ち主が音質を何ぼ自画自賛しようと「我田引水」と勘繰られてなかなか信用してもらえないのが落ちだが、こうして第三者の意見となると読者の方々にもきっと信じてもらえるに違いない(笑)。

この日の圧巻は後半に実施した2台の真空管アンプによる出力管を替えての実験だった。

ちなみにシステムの概要はCDトランスポートが「ラ・スカラ」(dCS)、DAコンバーターは「NA-11S1」(マランツ)、スピーカーは「AXIOM80」(最初期版)。試聴盤は「モーツァルトのヴァイオリン協奏曲4番」(ボベスコ演奏)。

1 出力管「PP5/400」(最初期版、英国マツダ)

      

S君が「実際のヴァイオリンよりももっと美しい音色」と感心したアンプで、中高音域の艶のある音は比類がない。

2 出力管「WE300B」(1950年代製、オールド)

3 出力管「〇〇〇」(1920年代製)

           

WE300Bと「〇〇〇」がスイッチで切り替えられるようになっているアンプで、このほど「入力」「インターステージ」「出力」の各トランス類をすべて「UTC」(アメリカ)に交換したがその効果は絶大だった!

音響空間の気配というか微細な表現力ではを明らかに上回ったのが印象的。

音質に悪影響を与える磁気とは無縁の銅版シャーシ、4本の真空管のヒーター回路の独立などツクリの良さが大いに利いているが、とりわけ好評だったのがメールにあったようにの出力管だった。

出力がたかだか1ワット前後の出力管が高名な出力管と堂々と互角に渡り合うのだから、これだからオーディオは止められない。お値段の方も信じられないほど安い!

オークションで1年間に一度ほどしか見かけない逸品だが、もっと予備管を確保しておくことが目下の至上命題。ライバルを増やして値段が高騰するのは絶対にイヤなので型番を明かすわけにはいかないのが非常につらい(笑)。


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モーツァルトの名曲

2015年06月21日 | 復刻シリーズ

昨日(20日)の朝、ブログの過去記事のランキングを見ていたら珍しくもおよそ3年前の記事が上位に位置していた。タイトルと内容が記憶の中でサッパリ一致しなかったので、再読してみると我ながらなかなかの仕上がりだった(笑)。

そこで一過性ではもったいないとばかり、以下のとおり再度アップさせてもらうことにした。


「神秘に満ちた数、素数。何というその美しさ。世紀をまたぐ最後の超難問”リーマン予想”の謎に迫る天才数学者たちの挑戦、人間味あふれる姿」
と、背表紙に書いてあったのが「素数の音楽」(2005.8.30、マーカス・デュ・ソートイ著)。

                        

「素数と音楽」に、どういう関係があるのかと興味を引かれて読み始めたところ、数学についてはまったくの素人なのに、実に分かりやすく書かれていて、非常に面白い。まだ読み終えてなく2/3ほどの進行形だが、どうやら両者は「美」という共通項で深く結ばれていることが分かってきた。

ところで、188頁に次のような個所があった。

20世紀前半に名を馳せた著名な数学者「リトルウッド」(イギリス)は、たいへんな音楽好きでも知られたが、「バッハ、ベ-トーヴェン、モーツァルトの音楽が大好きで、それ以外の作曲家の曲を聴いて時間を無駄にするには、人生は短すぎると考えていた。」

ウ~ン、成る程。これはクラシック音楽愛好家にとっては大なり小なり思い当たる人もきっとあるに違いない。自分などはもっとラディカルに「モーツァルト以外の作曲家の曲を聴いて時間を無駄にするには、人生は短すぎる。」と、つくづく思う今日この頃。

このところ3週間ほど前に購入した「モーツァルト全集」(CD55枚組)に首ったけである。朝から晩までモーツァルトばかり聴いていると、あの「天真爛漫」「天馬空を駆ける」ような世界にどっぷり浸かってしまい、楽聖ベートーヴェンの曲目でさえも、何だか作為的で不自然に思えてくるから不思議。それに何度聴いてもいっさい飽きないのがこれまた不思議。

最晩年の傑作、オペラ「魔笛」にトチ狂ってしまってからおよそ30年が経つが、近年ではモーツァルトは「モー卒業した」なんてつもりになっていたところ、次から次に新しい発見が続いてまだ山の頂にはほど遠い事が分かった。

改めて、そう認識させられたのが「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」(K.165)。

15日(金)に、朝一の日課の運動ジムから戻ってこの曲を聴いていたら、思わず”目がしら”がジ~ンと熱くなってしまった。あまりにも美しすぎる!

至福の時とはこういうことを指すのだろうか。こんな音楽を聴かされると、「地位も名誉もお金も、何にも要らない」という心境になる。もちろん一時的だが(笑)。

ケッヘル番号が100番台だから、おそらく初期の作品だと思ってググってみると、何と17歳のときの作品だった。そんなに若いときにこんな美しい曲を作るんだからまったく脱帽である。ほかにもケッヘル100番台は「ディベルティメントK.136」という名曲もあるし、名画家や名作家にしても「若書きにとてもいいものがある」という言葉が見事に当てはまる。

これは宗教音楽だが、音楽家にとって神への思いは様々のようで、バッハの「マタイ受難曲」は何度チャレンジしてもどうしても馴染めないものの、それでも心からの神への信仰の厚さと敬虔な祈りが全編を通して伺われる。

が、しかしベートーヴェンでは「ミサ・ソレムニス」などを聴いていると、神への敬虔な祈りは聞こえてこない。どうも彼は神の言葉よりも自分の音楽の方がさらに高い啓示だと思っている節があると、感じる。これはあくまでも私見だが。

ここでモーツァルトの宗教音楽についても、一筆あってしかるべきだが、彼の音楽ばかりはとても当方の筆力の及ぶところではない。ただ、あまりにも人間離れしていて、音楽の神が彼を通じて書かせた音楽という感想だけ持っている。

最後に、この曲目の解説をネットから引用させてもらおう。

1楽章 Allegro ヘ長調 4/4 ソナタ形式

 流動するような生命感に溢れるオーケストラで第1主題が演奏され、続いて木管に第2主題が現われるとソプラノが独唱で "Exsultate, jubilate" -「歌え、歓べ」と高らかに歌い始めます。ソプラノと木管楽器との掛け合いが加わり展開されて、最後はソプラノのカデンツァ(独創楽器ーこの曲の場合はソプラノーが無伴奏で技巧を発揮するところ)で曲を終えます。

 第2楽章 Andante イ長調  3/4 ソナタ形式
 
 短いオルガン伴奏によるレチタティーヴォを経て、 二つの主題をもとにしたソナタ形式で書かれた、美しいメロディーを持つアンダンテに入り、叙情的なオーケストラの伴奏でソプラノが "Ti virginum corona"-「純潔の王冠たる汝よ」と歌い始めます。最後はコロラトゥーラの短いカデンツァで曲が終わり、そのまま第3楽章の「アレルヤ」に繋がってゆきます。
 
 第3楽章 Allegro ヘ長調 2/4 ロンド形式 (アレルヤ)
 
 自由なロンド形式で書かれた神を讃える「アレルヤ」唱で、信仰する喜びを謳い上げていきます。これは全曲中最も有名な楽章ですから、一度聞いたと思われる方も多いことでしょうね。往年の名画、「オーケストラの少女」にもこの第3楽章が使われていました。 
 
 本来宗教曲であった「モテット」にこれほどの清々しい生命の躍動と音楽の流動を齎したモーツアルトの才能はやはり並々ならないものといわなければなりません!この時モーツアルトは僅か17歳!!モーツアルトの才はこのモテットでも従来の慣習に留まることなく、新しい創造への道を切り開いていきました。

以上、誰しも思うことは同じですね~。

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「情報発信力」に思う

2015年06月18日 | 独り言
「維新の党の最高顧問を務める大阪市の橋下市長は15日、自身のツイッターで「民主党は日本の国にとってよくない。政党の方向性が全く見えない」として、民主党との連携に否定的な考えを示しました。

安倍総理大臣と大阪市の橋下市長は14日夜、およそ3時間にわたって東京都内のホテルで食事をとりながら会談しました。会談から一夜明けた15日、橋下市長は自身のツイッターに投稿し、「今の日本には自民党に対じできる政党が必要だ。大阪都構想を進めるため、そして、新しい野党ができる少しのきっかけになればと国政政党をゼロから立ち上げた。ただし、民主党という政党は日本の国にとってよくない。

なぜなら、個別のメンバーは別だが、政党の方向性が全く見えない」としています。そのうえで、橋下市長は「維新の党は民主党とは一線を画すべきだ。維新はイデオロギーにとらわれず、既得権に左右されず、現実的合理性を重視する。空理空論の夢物語だけでは行政運営はできない。民主党とは決定的に違う」として、民主党との連携に否定的な考えを示しました。」(2015.6.17、NHK NEWS webより)

「エッ、いつものような“しょうもない”オーディオの記事なんかと違って、今回は打って変わって政治がらみの話かいな」と、きっと驚く向きがあるかもねえ(笑。)

別に自民党びいきということでもないのだが、このところ民主党のやることなすことにはストレスが溜まる一方だった。だいたいどういう国づくりを目指そうとしているのか、党が描く国家像がさっぱり分からないので、国の将来のことを心配するよりも目先の党の存続だけを優先しているような気がして仕方がない。まさに「党あって国なし」。

しかも大事な国会質問を党の生え抜きではない辻元清美みたいな途中参加組に任せているのもおかしい。党の人材の枯渇を自ら証明しているようなものだ。

そういうわけで民主党に対して心理的にモヤモヤしていたのだが、橋下さんの上記の発言でスカッとした(笑)。

「大阪都構想の住民投票否決で政治家を引退」との情報があった橋下さんだが、その発言力はどっこい逞しく生きていた。こんなことをズバリと言ってのける政治家は今のところ橋下さんぐらいのものだろう。

右顧左眄(うこさべん)することなく物事の本質をズバリと指摘する能力は知力と気力に加えて勇気が必要だが、その「情報発信力」には感心するばかり。

以上、日頃に似ず思ったことをストレートに書いてみたがそこはイデオロギーに関する話。きっと反対意見もあることだろうなあと、とりあえず逃げ道をうっておくことにしよう(笑)。

次にいつものオーディオの話。

13日(土)に聴かせてもらったKさん宅での「AXIOM80」の音がなかなか忘れられなくていまだに残像が尾を引いている。

音のエネルギーバランスが我が家とは随分違っていて、いわゆるピラミッド型の音像でしっかりした低音に支えられながら倍音が自然と伸びていく。

その点我が家の音は倍音の美しさは比類がないと思うが低音域のたくましさが今一つ。我が家のシステムではプリアンプを使っていないのでそのせいかもしれないと昨日(17日)は直し込んでいたプリアンプを引っ張り出してきて繋いでみた。

試聴盤はKさんから借りてきた「田園」(ベートーヴェン、オイゲン・ヨッフム指揮)。歳がいくにつれてベートーヴェンの音楽には何となく仰々しさを感じるのが常だが、この「田園」ばかりは肩の力が抜けて自然に溶け込んでいけるのがいい。

        

1978年のアナログ録音だから音質はけっして良くはないが、いかにもヨッフムらしい誠実さが感じられるオーソドックスな演奏である。田園は指揮者の違う演奏を10枚ほど持っているがマリナー盤、クレンペラー盤、フルトヴェングラー盤と並ぶほどの存在。

さて、問題は音質だがこの「田園」はオーケストラの低弦楽器がスケール感豊かに鳴ってくれないと聴けない音楽だが、プリアンプを繋いで聴いてはみたものの結果的には益々不満が募ってしまった。JBL3ウェイシステムで聴いた方が倍音の響きはイマイチながらよほどいい。

Kさんの説によると「プリアンプはパーマロイ・コアの出力トランスを付けた方がしっかりした音が出ますよ~」。

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「AXIOM80」愛好家3人組の例会

2015年06月16日 | オーディオ談義

オーディオの愉しみの一つとしてマニア同士お互いに往き来しあってどういう音が出ているのか確認し合い何かしらの啓発を受ける事が挙げられる。

それぞれ生まれも育ちも違う人間同士だから感性が一致することはまずないのでシステムから出てくる音も千差万別だが、当然のごとく「いい、悪い」は別にして「好きな音、嫌いな音」があるのは否めない。嫌いな音の場合は聴いてもストレスが溜まるだけなのでソット遠のくしかない。

たとえば非常にクセが強いSPユニット「AXIOM80」(以下「80」)の場合、好き、嫌いがはっきり分かれていて、嫌いな人には何度聴いてもらっても終生受け入れてもらえそうにないところがとても淋しい(笑)。

その点、福岡在住の「80」同好家のKさん、Sさんは(「80」の)酸いも甘いもすべて分かっておられるので、蛾が誘蛾灯に自然に吸い寄せられるように自ずと集団化していく。

このところ5月9日(土)、23日(土)、6月6日(土)、6月13日(土)とお互いに持ち回りで、まるで例会のようにそれぞれの自宅で試聴会を開催している。「3人寄れば文殊の知恵」という言葉があるが、いつも何かしら貴重な示唆を得られるので非常に勉強になっている。

この13日(土)もそうだった。今回の開催場所はKさん宅だった。かねてのお約束通り我が家の英国マツダの「PP5/400」(最初期版)アンプを持参して、Kさん宅のレイセオンの「250」(4ピラー、ナス管)アンプと聴き比べる日である。

当日の3人組の集合時間は11時。梅雨の晴れ間というわけで、土曜日になると不思議に雨が降らないので大いに助かるが、重たいアンプを持ち運ぶのだからなおさらである。よほど、ご当人の日ごろの行いがいいに違いない(笑)。

高速道を利用すると掛かる時間は丁度1時間半前後だから、肉体的にも心理的にもまったく負担なし。

この日に備えて前日(12日)の午後から我が家の「PP5/400」アンプの調整に余念がなかった。晴れの他流試合を控えて赤っ恥だけは御免蒙りたいところ(笑)。

調整といっても素人がいじるところは限られていて、最適な整流管、ドライバー管をいろいろ差し換えて確認するだけである。その結果、整流管はマルコーニの「5U4G」にすんなり決まったのだが、ドライバー管には苦労した。

現在、1920年代製の「71A」真空管を使っているが何せブランドが沢山あって「ナス管」「ST管」それぞれに音が違う。それに加えて電流が余計に流れる別種ともいえる「71」という真空管もあって、大いに迷ったが結局最後はこの「71」で落ち着いた。一長一短だが、ま、いっか~。

予定どおり3人組が雁首を揃えたのは11時ごろですぐに試聴に入った。

Kさん宅の「80」から凄い低音が出ているのにはいつも驚く。「80」に悩む人の口癖は決まっていて「高音域がキンキンキャンキャンして聴きづらい、低音が物足りない」というのだが、この音はそれとはまったく無縁である。

駆動しているアンプは「KT〇〇」という稀少管でトランス・ドライブのシングル型式。「低音がこのくらい豊かだと楽ですねえ」と思わずため息が出る。

次に「80」からすぐ横に位置するラウザーの「PM6」に切り替えてもらった。アンプはKさん宅のエース的存在のレイセオンの「250」シングルアンプ。同じイギリス製のスピーカーなので「80」とは音の傾向が実によく似ていて、ちょっと聴きには区別がつかないほど。

            

この「PM6」は「80」以上に鳴らすのが難しいとされていて、例によって下手に鳴らすと「キンキン、キャンキャン」組だがエージングを3か月ほど連日繰り返されてようやくここまで来たとのことで、この16センチ口径のユニットから信じられないような低音が出ている。畢竟レイセオンの「250」アンプの面目躍如といったところだろう。

一同大いに感心しながら、試聴を一時中断してクルマで10分ほどの近くのお店で昼食タイム。

戻ると午後の部に入ってすぐに持参した「PP5/400」アンプへ切り替えて結線完了。

いよいよ待望の音出しだが、何だかおかしい!アンプのシャーシを叩くと盛大に反響音がする。

「これは発振してますよ」とKさん。

「エーッ」と思わず青くなった。我が家ではよかったのだがいきなり他家のシステムに組み込まれるとこういうことがよく起る。

おそらくドライバー管のゲインが高過ぎるようだ。良かれと思って「71」にしたのが仇となってしまった。「普通の71Aはありますか?」と、慌ててKさんにお訊ねすると、古典管の在庫が豊富なKさんがすぐに取り出されたのがマグネシウム・ゲッターの新品「71A」。

               

これに挿し替えてスイッチ・オンすると発振が無事収まった。まったくデリケートなアンプ!

しかし、肝心の音の方が何ともショボイ音がして一難去ってまた一難。「PP5/400にしては何だか冴えない音ですねえ」と一同首をひねるばかり。

「晴れの檜舞台」になるはずがと、こちらもトホホ。

我が家ではいつもプリアンプを外して聴いているので、Kさんのシステムとの相性の悪さがモロに出来てきたかなと半ば諦めていると、30分程経ってからようやく本領を発揮しだした。どうやらまっさらの新品の「71A」(ドライバー管)のエージングが足りなかったようだ。

「ようやくPP5/400本来の音になりましたね~」とSさん。ああ、よかったと胸を撫で下ろした!

レイセオン「250」の筋骨隆々とした逞しいアメリカン・サウンドに対してヨーロッパの貴婦人を思わせる上品なブリティッシュ・サウンドの対決は実に興味深かった。こんな贅沢な試聴が出来るなんてまったく「オーディオ冥利に尽きますねえ」と一同大いに悦に入った。

「80」の次はラウザーに切り替えてもらったが、「80」と遜色のない音で音声信号に対する反応の速さは「80」よりも明らかに一枚上だった。

「ラウザーからこんな素晴らしい音が聴けるのなら、つい先日のオークションに出品されていたPM4Aを落札しておくべきでした。随分迷ったのですがねえ~」と口惜しがるSさん。落札期日以前にこの試聴会を開いていたら、おそらく購入されたことだろう。運命の糸はほんとうに気まぐれである。

それからこの日の大きな話題は「タンノイ」の最初期のユニット「ブラック」が或るショップからペアで430万円で売りに出されていることだった。Sさん所有の「シルヴァー」があんなに凄い音なので「ブラック」の音となるとおよそ想像がつくが、世界的に見ても稀少なユニットがはたして「どなた様」の手に落ちることやら(笑)。

試聴会を終えて無事我が家に着いたのは18時35分だった。今日はほんとうに「いい一日」だったなあ~。

20時ごろにSさんから次のようなメールが届いた。

「〇〇さん。本日もお陰様で貴重な体験ができました。正直、世の中のオーディオシステムの中でヴァイオリン・ソナタを最も美しく奏でるのは、AXIOM80とPP5/400のコンビ以外にはあり得ないと半ば確信してきました。

しかし、角フレームPM6とPP5/400のコンビが奏でるヴァイオリンの音色は、高域の抜けの良さと倍音の響きで正にその上を行っている感がしました。噂には聞いていましたがラウザー恐るべしです。

そして改めてPP5/400恐るべしです。しかし、もしかしたら逃した魚(角フレームPM4A)は大きかったかも知れません。尤も、あそこまでラウザーを鳴らしきるのは、Kさんの力量故なのでしょうが・・・。最近は我が家の音に結構満足していたのに、まだまだ目指す頂きは遥か彼方にありそうです。オーディオもまだまだ色々とチャレンジし甲斐があります。

それでは、次回はJBLシステムの音を確認しに別府へお邪魔いたします。〇〇 拝」
 

 

 


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古典管と近代管

2015年06月14日 | オーディオ談義

先日のブログで紹介した「オーディオ風土記」。全国津々浦々の30数人に亘るオーディオマニアの豪勢なシステムを豊富な写真付きで記載した書籍だったが、一番印象に残ったのが真空管アンプを使っている人はほとんどいないことだった。

                   

大半がクラシック愛好家ではなくてジャズマニアだったのが影響しているのだろうが、とにかくことほど左様に真空管アンプを使っている人は極めて少数派なのだと今さらながら思い知らされた。

自分のオーディオ仲間たちはすべて真空管アンプ愛好派なので、たまたま類は類を呼んだのだろう。

なぜ真空管を使うのかと問われるとまず脳裏に浮かぶのは「中高音域の音感スピードの速さ、艶、ヌケの良さ」などだが、この辺は個人ごとの感覚的な世界なのでいい悪いは別として、そう思い込んでおればそれでよろし(笑)。

さて、ひとくちに真空管といっても製造年代は広範にわたるが、大別すると1970年を境としてそれ以前に製造された球を「古典管」、それ以降を「近代管」といってもそれほど叱られはしまいと思う。

1970年前後の本格的なトランジスター素子の登場で命脈が尽きたかと思われた真空管だが、オーディオの世界ではどっこい、しぶとく生き残って細々とでも生産が続けられているのはまことにご同慶の至りだが、このほど「古典管」と「近代管」に対する考え方の違いに愕然としてしまったことがある。経緯を説明しよう。

つい先日、我が家にお見えになった近所にお住いのYさんが持参されたのが「管球」王国」(ステレオサウンド社)の「75号」と「76号」の2冊。ご好意で当分の間お借りすることができた。

           

真空管に対する数少ない専門の情報誌なので1巻から47号まで毎回購入してきたが、現役を引退した途端に手元不如意になり打ち止め~(笑)。季刊誌として1年に4回刊行されているが何せ1冊が2800円もするのでいの一番の節約対象となった。

久しぶりに手にする「管球王国」にワクワクしながら読み進めるといきなり見出しの文句に驚いた。

「オリジナル真空管から規格を発展させた新型管。直熱管、ビーム管ともに、大パワーのゆとりは管球式アンプの可能性と新しい音の世界を広げる」

エ~ッ、こんなことを本気で言ってるの!またオーディオ評論家が提灯記事を書いている。くれぐれも騙されてはいけない(笑)。

これまで近代管を使っていい思いをしたことは一度もない。仲間たちの合言葉でも「1970年代以降の球には絶対に手を出すな」である。「古典管」と「近代管」では音質がまるっきり違うので「似て非なる物」として同列に扱うのは論外。パワーが欲しければTRアンプの方がマシ。

「古典管がベストですが手に入れるのが非常に難しいので当面は近代管で我慢しなさい。そのうち機会を見つけて是非古典管を使ってください」という考え方が「通奏低音」として流れているのなら、まずこういう言葉は出てこないと思う。まあ、こんなことを書いて煽らないと業界も尻すぼみだから仕方がないのかなあ・・・。

とにかく数少ない古典管を求めてなぜ、愛好家がこれほどの「血(お金)と汗と涙」を流しているのかとんと分かってもらえていないようだ。

まず、「血」。

熱心なマニアが限られた古典管を鵜の目鷹の目で探し回っているので必然的にお値段が高くなるのが第一のネック。総じて古典管は近代管に比べて値段が跳ね上がるが中にはペアで100万円近くすることもあるので、相当の流血を覚悟しなければならない(笑)。

次に「汗」。

稀少な古典管となると専門店でも在庫が無く、オークションにも滅多に出てこない。毎日オークションをこまめにチェックしながら年単位で探し回るのだからもはや執念以外の何物でもない。たとえ見つけても、少しでもためらうと横取りされるのがオチなので最後まで冷や汗が混じること疑いなし(笑)。

最後に「涙」。

何せ60年以上も前に製造された球なので、せっかく購入したはいいもののトラブルは日常茶飯事。それに初期不良ならクレームが利くものの1か月ほどしてプツンと音が出なくなったりする事故は後を絶たない。こうなるともはや泣き寝入りしかなく涙も涸れ果ててしまう(笑)。

これほどまでにして手に入れたいと思わせるのが「古典管の魅力」だが、つい最近もオーディオ仲間と歓談するうちに「いい真空管ともなるともう持ち主が死なないと手に入らないよなあ。この中で誰が最初に死ぬんだろう。歳の順では・・・」なんて物騒な話が飛び交ったりする。

そういうわけで「先にくたばってたまるものか」と、「食べ過ぎない」「適度な運動」に精を出す毎日がずっと続いているがいったいいつまで生きていられることやら・・(笑)。
 


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出力トランスなどの入れ替え

2015年06月11日 | オーディオ談義

去る7日(日)にお見えになったGさんとNさんのお二人。梅雨の真っ最中なので雨が心配だったがずっと曇り空でどうにか持ちこたえてくれた。高速も混んでなくて雄大な風景のもとに快適なドライブを楽しまれたご様子でひと安心。

昨年の4月に来られて以来なのでおよそ1年ぶりのご来訪だが、その間我が家のシステムは大変身を遂げている。

たとえば「AXIOM80」についてはオリジナル(最初期版)と専用のエンクロージャー(グッドマン社指定)の入手、真空管アンプは総入れ替え、そして最新のDAコンバーターの入手など枚挙にいとまがない。

ただし、必ずしも改変は改善につながらないところがオーディオの面白いところ(笑)。オーディオは“自分さえ良ければそれでいい”が許される趣味だが、第三者の冷静な評価に常々さらされることで一歩も二歩も前進することは心あるマニアならお分かりのことだろう。

今回は11時半頃から17時までおよそ5時間半の試聴となったが、SP端子の接着ミスなどいろんなご指摘をいただき非常に参考になった。

JBLの3ウェイシステムの試聴から始まって、真打の「AXIOM80」とひと通り聴いていただいてから、今回の主目的である出力トランスの交換に移った。

          

今年の4月1日に我が家にやってきたこのアンプはGさんの手になるもので入力トランス、段間トランスは定評のある「UTC」(アメリカ)を使ってあるが出力トランスだけはどうしてもUTCのものが手に入らず、やむなく国産のトランスで妥協していた。

ところが、先月(5月)中旬にようやくUTCの出力トランスをオークションで見つけたのでためらうことなく落札した。

                         

今日はこのトランスを従来の国産物と入れ替えようという算段である。トランスの扱いには習熟されているGさんなので安心して作業を見守った。

            

裏蓋についている4つの電源回路(画像下段)は4本の真空管のヒーター専用で、こうして別電源にしておくと音質にメチャいいそうだ。見えないところに手が込んでいるが素人にはまったく分からない世界(笑)。

仮試聴として真空管がついたままアンプをひっくり返して電源を入れ実際に音出しをしながら出力トランスの接続端子をクリップで差し換えつつベストの位置を探られる手法には度胆を抜かれた。

この出力トランスには3k、5K、7K、10Kとそれぞれ端子があり、切り換え端子ごとに一同耳を澄ませながら(スピーカーはAXIOM80)音の差を確認した。3K端子のゆったりした鳴り方から10K端子の緊迫した鳴り方まで、面白いほど音が変わる。結局、ベストの端子は7Kと衆議一決。これは奇しくもメーカー推奨値だった。

接続端子が決まったところで本格的な(トランスの)入れ替え作業に移って、およそ30分あまりで無事終了。何とも手際がいい。

続いていよいよ“血沸き肉躍る”試聴に移った。

この真空管アンプはJBL3ウェイステムのうち、低音域部分のJBL「D-130」(口径38センチ)の駆動用に使っているが、出力トランスを換えただけで、これほど音が変わるのかというほどの激変ぶり。音の粒立ちといい、艶といい、魅力的なことこの上ない。「いいですねえ!」とNさん。

D-130ごときには勿体ないので「AXIOM80」に使いたいぐらい(笑)。

そこでこれ幸いとばかり現用中の「PP5/400」(英国マツダ)アンプとこの古典管アンプ(オールUTCのトランス)の一騎打ちとなったが、それぞれに持ち味があって甲乙つけ難し。ただし、Gさんにご意見を求めると「私はPP5/400よりもこちらのアンプの音の方が好きです。」と述べられていた。

お二人がお帰りになった後で、一新なったJBLシステムにますます改善意欲が出てきてしまった。まことにオーディオマニアの欲は果てしない。

          

現在、中音域に使っているドライバーの「ミダックス」(グッドマン社)のホーンをJBLの小型「蜂の巣ホーン」(画像左側)に取り換えようという算段である。

翌日の早朝から作業に取り掛かったが、肝心のネジ穴がどうしても合わないので思案の末とうとう金属ドリルで新たな穴を開け直した。

「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」。まるで秀吉になった心境だ(笑)。

そして完成後の画像。

          

これでようやく「AXIOM80」と肩を並べる存在になったかなあ~(笑)。


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華の女流ヴァイオリニストたち

2015年06月09日 | 音楽談義

去る6日(土)、およそ1か月ぶりに我が家にお見えになった同じ「AXIOM80」仲間のKさん(福岡)。

我が家のシステムはテレビ視聴用まで含めて3系統あって、いつも何らかの見直しをしているので目新しさが誘引の根源になっているのかもしれない(笑)。今回のケースではJBL3ウェイシステムの改善状況にスポットライトを当てようというのが当方の思惑だったがそうは簡単に問屋が卸さなかった。

11時ごろに到着されてオーディオルームに入られるなりKさんがカバンからドサリと取り出されたのが次のCD6枚。

         

1950年代に活躍した華の女流ヴァイオリニストたちの「夢の跡」である。つい最近まとめて購入されたそうだが、今日はいつものオーディオ談義よりも音楽で勝負しましょうというKさんの決意の表れに違いないとにらんだ。

「よし、相手がそう出るならこちらにも覚悟がありますぞ」とばかり、今回は「AXIOM80」でたっぷりヴィオリンの音色を楽しもうと腹を決めた。

ちなみに演奏者と曲目を挙げておこう。

ローラ・ボベスコ(2枚)  モーツァルトのヴァイオリン協奏曲「4番」と「5番」

                ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、Vとオーケストラのための「ロマンス」1番と2番

ヨハンナ・マルツィ(3枚)  モーツァルトのV協奏曲「4番」、Vソナタ「32番」、ベートーヴェンのVソナタ8番

                 メンデルスゾーンとブラームスの「V協奏曲」

                 バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ

エリカ・モリーニ(1枚) チィコフスキーのV協奏曲、タルティーニ、ヴィヴァルディほか

オーディオ・マニアにもいろんなタイプがあって、どちらかといえば音楽寄りの方とかオーディオ寄りの方とか様々だがKさんは明らかに前者である。

昔はJBLやアルテックの大型システムを愛好されたようだが、現在ではシンプルな「フルレンジの世界」にどっぷり浸かられて専ら「AXIOM80」と「ローサーのPM6A」を愛用しながら音楽の方に重心を置かれている。

ボベスコのモーツァルトに始まって、マルツィのブラームスのヴァイオリン協奏曲へと移った。これにはジネット・ヌヴーの名演(イッセルシュテット指揮)があるが、「ヌヴーは私にはちょっと強すぎて」とマルツィの方に軍配を上げられる。

元気をもらうのならヌヴーだが、癒し系統となるとマルツィというのは分かる人には分かることだろう。

ヴァイオリンばかり聴くというのも何なので、途中でボーカルを織り交ぜてみた。名花シュワルツコップ(ソプラノ)の「オペレッタ」。あの独特の鼻から頭の方に抜けていく高音の再生が非常に難しくてシステムの真価が問われるまことに怖いCDである。

「もう(システムが)完成しましたねえ!」と感心しきりのKさん。駆動するアンプは真空管PX25(イギリス)シングルだったが調子に乗って追い討ちをかけるように(笑)、今度は出力管を定評のある「PP5/400」(初期版、英国マツダ)に取り替えてみた。

「これはPX25とはまったく別モノですね~。ぜひ我が家のAXIOM80でレイセオンの250(4ピラー、ナス管)と比較試聴してみたい気がします。」

「いいですよ~。お安い御用です。比較的軽いアンプですから近々持って行きましょう。PP5/400の相手としてレイセオンの250ならまったく不足はありません。私も大いに興味があります。同じAXIOM80仲間のSさん(福岡)にも声をかけてみます。」

さっそくその日の夕方にSさんに連絡をとってみると一つ返事でOKだった。「ローサーのPM6Aを是非聴いてみたい」とのこと。ローサーで思い出したが、「ローサーのPM4A」が現在オークションに出品されていて15万円ほどの値がついており、今日(9日)の夜が入札期限。

              

おそらくツボに嵌ったら軽く「AXIOM80」の上を行く音質だろうが、何せ鳴らすのがメチャ難しいユニットとして定評がある。それにマグネット部分が強力で重たくて大きいのでマウントしたときに独自の支えがいるほど。もっと若ければファイトを燃やすのだが・・・・。

そのオークションがらみで別件としてKさんに相談に乗ってもらったことがある。

「それはそうと、現在気になるオークションの出品物があって迷ってます。落札期限は今日(6日)の夜です。」と切り出したのが「AXIOM80」のイギリス製エンクロージャー。

               

現在、予備として復刻版の「AXIOM80」を2セット持っているのでこの2発用のエンクロージャーに収めて鳴らしてみようかという魂胆である。

すると、Kさん「やめといた方がいいんじゃないですか。以前2発入りのAXIOM80を聴いたことがありますが、たしかに量感は増えますが高音域が干渉し合ってあまりいい音ではありませんでした。もし聴くのなら片方の穴を塞いで1発だけとなりますが見た目がどうですかねえ。」と否定的なご意見。

さらに「これだけの音が出てるんですからもう十分ですよ。それに置き場所の問題もあります。」と、追い討ちがかかった(笑)。

「なるほど、それもそうですねえ。それにユニットを縦に並べるのなら分かるのですが横に並べるとなると音像定位の面で問題があるかもしれませんね」。

あればあったで困ることはないのだが、オークションはどうしても欲しいという時以外は止めといた方が結果的にOKであることをこれまでイヤというほど体験してきたので潔く見送ることにした。

さて、最後に聴いていただいたのが「JBL3ウェイ・マルチ・システム」。当初の思惑では本日のハイライトになるはずだったのだが、試聴中はお互いに「・・・・・・」としばらく無言の行が続いた。

「AXIOM80」の後に聴いてもらうとどうも分が悪いようだ。これからお客さんが見えたときは、始めにJBLシステムを聴いてもらうことにしようと固く心に誓った(笑)。

「いつも来るたびに新しい発見があります」と、16時半頃に辞去されたKさんだが、前述の6枚のCDに(自分が)未練たっぷりなのを見抜かれてしまった。

「これらのCDは置いていきますので、近々お見えになるときにアンプと一緒に持ってきていただければ結構です。」

良かった!

法律違反になるのでコピーなんか絶対しませんからね~(笑)。

そして、翌7日(日)は福岡からGさんとNさんがおよそ1年ぶりに我が家にお見えになった。お客さんラッシュ!

以下、続く。
 


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ブログの効用

2015年06月05日 | 独り言

ブログをやり出してから9年近くになる。2~3日おきにコツコツと更新を続けてきたが、そこは人間の悲しさで“山あり谷あり”、体調とか頭のスランプというのがあるようでときどきネタ拾いに苦労するときがある。

そういうときはいったい何でブログを続けているんだろうと自問自答することが多い。家内に言わせると「ブログなんて一銭の得にもならないでしょう」(笑)。

しかし、たしかにお金にはならないが自分ではそれ以上のものを享受しているように思っている。

まずは「社会との繋がり」。現役時代とは違って社会との接触が少なくなった寂しさをブログで補っているといっていいが、その反応の目安として読者のアクセス数やランキングなどの具体的な数値は即物的な面はあるものの大きな励みになっている。

そして、それ以上にこのブログのおかげでいろんな方々と知り合いになれたことはとても金銭には代えがたい。今となってはどんな趣味だって煎じ詰めると最後は人間同士の交流に尽きるのではあるまいかというのが偽らざる実感である。

昨日(4日)山形県にお住いの「H」さんという方から次のようなメールが届いた。匿名ということで無断掲載お許しください。

「いつもブログを楽しく拝見しております。グッドマン・アキシオム80、リチャードアレン・ニューゴールデン8、タンノイ・ニッコーのレシーバーなどで検索していたところ貴ブログを見つけました。最近見つけたばかりですので、過去記事を読むと、私と音楽の趣味が非常に似通っておりますので、メールした次第です。

1 五味康祐先生の大ファンで、著書「西方の音」をはじめ、ほぼ全てを再読中です。(記憶力が退化しておりますので、ときどき読み返しています。)

2 瀬川冬樹先生の大ファンです。知り合いの方からいただいたステレオサウンド第2号~第30号くらいまでを、大学卒業時にオーディオが好きな友人にあげてしまったことを、いまでも悔やんでいます。

3 時折、紹介される愛聴盤が好みで、ジネット・ヌヴー、クララ・ハスキル、エリカ・モリーニ、ヨハンナ・マルツィなど、一般的には今では忘れられた演奏家を取り上げておられ、西条卓夫先生のことも語られていたこと。

4 グッドマン・アキシオム80(復刻版)、リチャードアレン・ニューゴールデン8(アルニコ、フェライト両方)を使用しています。グッドマン・アキシオム80は、鶴岡市のオーディオラボ・オガワ(小川電器商会)から購入いたしました。貴殿のオリジナルには及びもつかないと思いますが、私のようなずぼらな者には、安定して使うことができて、良いのかもしれません。

当方、現在〇〇歳です。〇〇に勤務しております。また、家は寺で、周囲に畑も耕作しておりますので、何かと忙しく、貴殿のようには聴きこむことができません。本堂でゆっくりと聴くことが出来る日を夢見つつ、仕事をしております。」

いいですねえ!

クラシックへの情熱にかけては吉田秀和さんなんか足元にも及ばないほどの存在だった五味康祐さん、著作「西方の音」が出版されたとき、「どうして専門の音楽評論家にこうした優れた音楽評論が書けないのか」という新聞記事を見かけたことがあるが「まったくそのとおり」。

不世出のオーディオ評論家だった「瀬川冬樹」さん、先年「ステレオサウンド」社から「保存版」が出版されたのですぐに買い求めて以降ずっと座右の書にしている。

                        

そして「盤鬼」と称された「西条卓夫」さん、そしてジネット・ヌヴー、クララ・ハスキル、エリカ・モリーニ、ヨハンナ・マルツィなど、こういう名前を連続して見ただけでもうたまらん(笑)~。

それとオーディオラボ・オガワ。ずっと昔、朝日新聞でスピーカー修理の達人として「佐藤絹子」さんが紹介されていたのを記憶している。新聞の見出しはたしか「ゴールドフィンガー」だった。「AXIOM80」や「ローサーのPM6A」など超難物の修理も手掛けているとの記事だった。

この世の中で信じられないほどの組み合わせがある「音楽とオーディオ」についての趣味が一致する方を見つけるのはほんとうに至難の業だと実感しているので、「H」さんとはまるで百年の知己に巡り会った気がするが、こういう方とメル友になれるんだからブログを続けていて本当に良かった(笑)。

急いで返信メールを送ったのは言うまでもないが、追伸として次のメールが届いた。

「先のメールに記載するのを忘れていましたが、私もメインアンプは、PX-25シングル(マルコーニ製)を使用しています。何もわからずに、色々な偶然が重なって購入したものです。購入先は、山形市にある調所電器さんです。古典管の大変さは貴殿のブログで知ったところが多々あります。参考にさせていただいております。ほかにも調所電器さんの作製されたフィールド型SP、真空管プリメインアンプ、平面型SPなどを持っています。」

「調所電器」さんの真空管「PX25」(イギリス)への力の入れ方はホンモノで、国産では珍しくPX25専用のトランスを作っておられる。実は我が家の「PX25」アンプは電源トランスからチョーク、出力トランスまでこの調所電器さんの専用トランスを使っているのでこの偶然の一致にビックリ。

        


「H」さん、今後ともよろしくお願いしますね~。


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未完の大器

2015年06月04日 | オーディオ談義

「大型システムなのに出てくる音といえば“こじんまり”としている」「いじるのが目的ならそれでいいが、音楽鑑賞用としてはとても・・・」「いっそのことウェストミンスターを売ったらどうですか」などと、仲間たちから悪評さくさくの我が家のJBL3ウェイ・マルチ・システム。

しかし持ち主としてはけっしてそういう評価にめげることなく、逆にますますファイトが出てくるのだから不思議。いわば「未完の大器」といったところで、いつの日か「大輪の花」を咲かせてくれるだろうという思いが常にある。

一家に一つぐらいはそういう未完のシステムがあってもいいだろうぐらいの気持ちだが(笑)、今回は福岡のオーディオ仲間たちの音から大いに刺激を受けてこの1週間ほど集中的にいろいろ弄ってみたので、忘れないうちにと自分のために記録しておくことにした。

まずは一番ネックとなっている低音域の改善から。

1 低音域の改善(JBL「D-130」+ウェストミンスター)

☆ タンノイのネットワークを復活

          

タンノイのユニットを取り外したときに同時に保管していたオリジナルのネットワークを復活させることにした。ハイカットが1000ヘルツ(12db/oct)の代物で、ウェストミンスターのフロントホーンの形状からしてこれがベストだろうと思い至った。

荷札が沢山ついていて見苦しいが、接続先がとても複雑で、まずプラス線とマイナス線の区別(茶色と水色)、SP側とアンプ側との結線先の区別が必要なので仕方がない。

☆ 外付け「ライン・トランス」の活用

              

5月の中旬にオークションで手に入れたライントランスの「Aー20」(UTC)。DAコンバーターとパワーアンプの間に挿入するもので音質改善の役割を担っている。

以前にUTCの「A-19」を挿入することで息を吹き返した「PX25アンプ」の経験があるので、トランスに詳しいGさん(福岡)に相談してみると、「A-20はとてもいいです!A-19と同系統の音です。買っておいて損はありませんよ。」

ただし、使用するアンプによって相性があるようなので要注意だが、現在使用中の「刻印付き真空管2A3シングル」にはとても相性がよかった。音が引き締まりスケール感も増大していいことだらけ。

☆ 吸音材の取り外し

これまでエンクロージャーの中に詰め込んでいた羽毛の吸音材。音響にとっては功罪相半ばといったところだったが思い切って取り外しことにした。「バックロードホーン型のエンクロージャーに吸音材を使い過ぎると音の響きに悪影響を及ぼす」説を信じることにした(笑)。

      

画像右側が今回取り外した羽毛の吸音材(両チャンネル分)。

2 中音域の改善(JBL「2440ドライバー」+ホルン)

低音域のクロスオーヴァーを見直したことで必然的にいじらざるを得なくなった。これまでのおよそ700ヘルツのローカットから1000ヘルツ前後にあげたが、作業としては簡単でSPコードに挿入していた「13μF(マイクロ・ファラッド)」のコンデンサーを取り外すだけである。残したコンデンサーは「10μF」(ウェスタン製のオイルコンデンサー)だけ。

ちなみにこの際とばかりに、今年の初頭に「北国のおじさん」からいただいた「ホルン」と手持ちの「小型の蜂の巣ホーン」とを聴き比べてみたが断然ホルンの方が良かった。音の輝きがまるっきり違う。ホルン一つでシステム全体の音が様変わりするのでユメユメおろそかに出来ない。

3 高音域の改善

         

高域に使っているJBL「075」ツィーター(ステンレス・ホーン付き)用のウェスタンのオイル・コンデンサー「2.3μF」(およそ7000ヘルツでローカット)を外して、マイカ・コンデンサーを使うことにした。

0.075μFのものを4個パラったので4倍の「0.3μF」となり(画像では茶色の4個)、周波数の計算上では6万ヘルツ以上となって人間の可聴帯域である「20~2万ヘルツ」の問題外だがこれが在るのと無いのとでは大違いで澄み切った爽やかな音が響き渡る。さすがにマイカ・コンデンサー。早くからこうしておけばよかったと臍を噛んだが、ま、いっか(笑)。

さて、以上の改変によってシステムが大変身。

いかにもJBLらしい緻密で引き締まった音、そして過不足ないスケール感も申し分なし。これまでにない大きな手ごたえを感じるので、どうやら「未完の大器」を脱したような気もするが、逆に一抹の淋しさも漂ってくるようで…(笑)。
 


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「AXIOM80」再考

2015年06月02日 | オーディオ談義

去る23日(土)のオーディオ巡回から1週間余が経過した。当日は福岡のマニア宅を3箇所立て続けに“はしご”したわけだが、受けた衝撃は大きかった。

最初のKさん宅の「真空管50シングル・アンプ+ローサーのPM6A」、2軒目のGさん宅の「真空管71Aシングル・アンプ+WE555ドライバー」、そして最後のSさん宅の「真空管PP5/400シングル・アンプ+タンノイ・シルヴァー」。

こうして書き出してみると三者の共通点が一つだけある。それは使ってある出力管がいずれも1950年代以前の古典管で「ナス型」の直熱三極管、そしてアンプはシングルタイプ。

そして、鳴らし方のノウハウもさることながら各システムが発する独特のオーラも大いに気になった。この自然に醸し出されるオーラはいったいどこに由来するものなんだろう?

音楽と同様に言葉ではうまく表現できない性質のものであることは間違いないが、あえて言えば持ち主のオーディオに対する熱意から伝わってくる「以心伝心」のようなものかな~。

文豪「志賀直哉」が48歳(1931年)のときに発表したエッセイに「リズム」と題したものがある。次はその一節である。

≪偉(すぐ)れた人間の仕事――する事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。自分にも同じものが何処かにある、それを目覚まされる。精神がひきしまる。…… いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。一体何が響いて来るのだらう。

芸術上で内容とか形式とかいう事がよく論ぜられるが、その響いてくるものはそんな悠長なものではない。そんなものを超越したものだ。自分はリズムだと思う。響くという連想でいうわけではないがリズムだと思う。

このリズムが弱いものは幾ら「うまく」出来ていても、幾ら偉そうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下らない。小説など読後の感じではっきり分る。作者の仕事をしている時の精神のリズムの強弱――問題はそれだけだ。

マンネリズムが何故悪いか。本来ならば何度も同じ事を繰返していれば段々「うまく」なるから、いい筈だが、悪いのは一方「うまく」なると同時にリズムが弱るからだ。精神のリズムが無くなって了うからだ。「うまいけれどもつまらない」という芸術品は皆それである。幾ら「うまく」ても作者のリズムが響いて来ないからである。≫

そして、当日の三者三様の優れたリズムが「負けてはならじ」と我がオーディオ・マインドに火付け作用を促したのは疑いなし。

先週のブログを火、水、木と3日連続でアップし、早々に切り上げてあとの4日間は朝から晩まで完全にオーディオに熱中したのがその証左である(笑)。

それでは、まず始めに「AXIOM80」の作業内容から記してみよう。

さる9日(土)の我が家の試聴会では「何も足さなくていい、何も引かなくていい」と最大級の評価をしてもらった「AXIOM80」だが、「もっと良い音が出るんじゃないか」という欲望にはとても抗し難いものがある。

今回は「引くことでもっといい音にしよう」というのがテーマである。「引くとは何か」について詳述してみよう。

次の画像は我が家の「AXIOM80」を収めたエンクロージャーの内部である。

      

ユニットの左側(下側に当たる)にあるお粗末な木の桟で囲まれた部分が「AXIOM80」をうまく鳴らす生命線ともいえる「ARU」の部分である。

「ARUって何?」に対する答えは次のとおり。「生兵法は大怪我の基」だが(笑)、素人なりに拙い解説をしてみよう。

まず「ARU」とは「ACOUSTIC  RESISTANCE  UNIT」の略である。

コーン紙を使ったSPユニットは前側と後ろ側に同時に音を出す。前者を正相の音といい、後者を逆相の音という。これらが音響空間で一緒になると、お互いの音を打ち消し合うので混ざらないようにする工夫が必要だが、とりわけ「逆相の音」(背圧)をいかに処理するかが「いい音」を得るうえでの重要なポイントとなる。

その解決方法の一つとして考えられたのがARUである。SPボックスの下側に一定の空間を設け、そこにビニール風の網を張って逆相の音が出ていくのを簡単に逃がさないような独自の工夫をしている。この、いわゆるタメをつくるみたいな微妙な調整を行いながら低い音を平坦に伸ばすのがARUの役目である。

これはAXIOM80ユニットの独特のツクリ(エッジレスと蝶ダンパー)と相俟って、まさに天才的な着想といえよう。

そして、それに乗じてARUの部分に目の細い金網を勝手に張り付けて自分なりに強化したのが次の画像。


         
          

その金網とは次のとおり。

            

この2種類の金網を張りつけたり、取り除いたりするだけで音は激変するのだから実験する側にとっては面白い事この上ない。

今回は改めて次の3通りのやり方で試聴してみた。その都度、裏蓋の8本のネジを回していちいち(裏蓋を)外したり、付けたり、大変な作業だったが実に楽しかった(笑)。

1 メーカーのオリジナルどおり金網を張り付けないケース

出てくる音が軽快そのもので屈託がない。音の重心がやや上がる傾向にある。メーカーの技術者は「AXIOM80をこの音で聴いてくれ」というわけだが、自分には何だか物足りない気がする。

2 金網を2枚重ねてARUに張り付けるケース

これまでずっとこれで聴いてきたが、音の重心が下がって、やや暗い音になる。一ひねりも二ひねりもしたいかにもイギリス人風の音。しかし、難を言えばやや重苦しいかなあ~。

3 目が細かい方の金網を1枚だけ重ねたケース

今回はこれで落ち着いた。中庸を得た音という表現になるだろう、その反面個性も薄れてくるが、ま、いっか(笑)。

それにしても「AXIOM80」を製作した「グッドマン」社は不親切だと思う。たかだか1枚10円程度の金網1枚でこれほど音が激変するのだから、世の愛用者向けに「ARUの使い方」を詳しく解説する義務があると思うがどうだろうか。

それとも「メーカーのオリジナル仕様は絶対的だ。一介の市井の徒の勝手な言い草なんか聞く必要はない」のかもねえ(笑)。

さて、次の見直し作業は我が家の不良的な存在だが、出来の悪い子ほど可愛くなる「JBL3ウェイシステム」について、いろいろ弄ってみた。

以下、続く。
 


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