「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

キジも鳴かずば撃たれまいに

2017年08月31日 | オーディオ談義

「雉(キジ)も鳴かずば撃たれまいに」という諺がある。

ご存知の方も多いと思うが「雉は鳴かなければ居所を知られず、撃たれることもなかったのに」という意味から、「無用な発言をしたために、自ら災いを招くことをいう」と、ある。

このブログを始めてからおよそ11年、記事(キジ~笑~)の数も1730件(2017.8.31現在)に上ると、筆者の勝手な思い込みや勘違いに伴うミスがあったりして、きっと沢山の方々の気に障る内容があったことだろう。

書くのもタダだし、読むのもタダだし、原則として書いた内容に責任が伴わないネット記事のことだから、きっと大目に見逃していただいてるに違いない。

実はこのことに関連して、前回の記事「新しいチャンデバの活躍~その2~」(2017.8.29)でちょっとしたミステリーがあったので述べてみよう。

まず、この記事に対する翌日のアクセス結果だが、閲覧数「2397 PV」、訪問者数「602 IP」、全体順位(グーブログ)では「592位」(276万件)という、稀に見る好成績だった。

日頃は閲覧数が「1700 PV」前後、訪問者数が「500 IP」前後、全体順位も「800位」前後だからとても大幅な伸びでこの記事の好評の程が伺い知れる。

ブログに登載している以上は読者が多いに越したことはないのでルンルン気分だが、その一方、唯一参加しているブログ内の「音楽ボーダーレスランキング」の得票状況になると見事な逆転現象が起こった。

通常「新規記事」の得票は軽く300ポイントを越えるのが普通だが、この記事もその勢いからいって400ポイントくらい獲得してもけっしておかしくないのに、何とわずかに240ポイントという体(てい)たらく(笑)。

いつもブログの末尾に「この記事に満足できた人だけ右のランキングにタッチ」としているので、フェイスブックでいえば目を通したけど「いいね」にタッチしないというわけで(笑)、これはいったいどうしたことなのか?

いつもと違って一部の読者が頑なにタッチを拒絶する理由がこのブログのどこかにきっとあるはずなので、改めて記事の内容を検証してみた。

こういう謎解きは大好きで「頭の体操」になる。「ボケ防止」は日頃の切実なテーマだから絶好の機会だ(笑)。

そこで今回は読者の目から見たこのブログの分析をしてみよう。もちろん見当違いがあるかもしれないので悪しからず。

1 記事の中でタンノイさんの悪口を書いたこと

「周波数1000ヘルツ以上に金属の振動板を使っているのでヴァイオリンの音色が硬い」と記述したのが、気に障ったのかもしれない。

この日本では五味康祐さんの影響もあってかタンノイ(イギリス)を愛好する方はとても多いが、そもそもこの世の中に完全無欠なスピーカーなんて今のところは無い。

もし、「俺のスピーカーは完全無欠だ」と思っている人があれば、よほどお目出度い人だろう。もちろん我が家のスピーカーだって何かしら欠点がある。

昨夜はあれほどいい音で鳴ってくれたのに、今日になると不思議に冴えない音で鳴ってガッカリという経験をしたことがない人とはとても一緒にオーディオを語れない気がする。

毎日、オーディオ機器のご機嫌を取りながら聴いているのがオーディオマニアという人種なんだから、いくらタンノイといえども欠点はあるんだし、少しくらい悪口を云われたくらいでそう目くじらを立てないようにしましょう~(笑)。

そういえばタンノイの創始者「ガイ・アール・ファウンテン」は「オートグラフ」ではなくて、一番小さな「イートン」を愛用していたという。「世界のオーディオ~TANNOY~」(78頁)

         

実はかく言う自分も昔はタンノイの愛好家だった。「ⅢLZ・イン・オリジナル・キャビネット」に始まり「インパルス15」「ウェストミンスター」と遍歴を重ねたものの、ベストバランスだったのは最初に接した口径25センチの「ⅢLZイン・オリジナル・キャビネット」だったという思いはずっと変わらない。

そもそもタンノイの音に疑問を持ったのはグッドマンの「AXIOM80」を聴いてからだった。

オット、また、いらんことを書いてしまった。まったく「キジも鳴かずば撃たれまいに」(笑)。

2 内容や画像に「上から目線」の気配がある

ブログの内容や掲載した2枚の画像に「上から目線」の気配が漂ったのかもしれない。

いつも70年も前の古典管を使ったアンプや旧いSPユニットなどが登場するが、まったく馴染みのない機器が多いので親近感が湧かないし、何だか自慢たらしいという意見が一つ。

また「百聞は一見に如かず」で、文章よりも画像の方が分かりやすいせいか、このブログにおいても文章は読まずに「画像」ばかり集めたカテゴリーを愛読(愛見?)されている方が多いようだ。「画像特集」のカテゴリーがときどき人気記事の上位にランクしていることがたびたびある。

したがって、それに呼応して多くのスピーカーや真空管アンプが載った画像を積極的に活用しているものの、分かりやすい反面、度が過ぎて仰々しく映り反感を呼んだのかもしれない。

もしそうであれば、筆者の不徳の致すところでこればかりはもう仕方がない(笑)。

3 システムに安定性がない

この記事に限らず、いつもあれこれシステムを弄りちらしていて「どうもこの人は安定性がないし、前後の記事に矛盾があったりしてイライラする」という批判をお持ちの方がいるかもしれない。

弁明するわけではないが、そもそもスピーカーに限らずオーディオ機器に完璧なものはおよそ存在しない。

どうしても「帯に短し、たすきに長し」になるので、そのときどきで気が向いた機器を活用することになる。また、いつも同じ音ばかり聴いていると飽いてくるというのもたしかにある。何かの本に書いてあったが人間の「脳」はマンネリを嫌い常に刺激を欲するものらしい。

したがって、
我が家のオーディオは「好みの音で音楽を聴く」こと以外にも「ボケ防止」を目的の一つにしていることをぜひともこの機会に申し上げておきたい(笑)。

4 ランキングのバナーにタッチするのが面倒くさい

「お前のランキングのポイントなんかどうでもいい。ただ情報源として目を通しているだけだ。」こういう冷めた人も案外多いのではあるまいか。これが理由の本命なのかもしれない。

ブログを「読んでやる」のか、それとも「読ませていただいている」のか、その姿勢はまったくの読者次第だが、結局前者に属する方が多いのだろう。

筆者にとっては心情的に後者を大切にしてあげたいところだが、こればかりはどうしようもない(笑)。

以上、思いつくままに「いいね」をいただけない理由を4点ほど列挙してみたが、このほかにも理由らしきものがあればぜひ自己紹介の欄で記載しているメール宛て匿名でも結構なので教えていただければありがたい。

また日頃からの思いの丈(たけ)をぶちまけてもらっても一向に構わない。

何しろ「他人の目に映るブログ」の生のご意見は大いに「頭の体操」になりますからねえ(笑)。




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新しいチャンデバの活躍~その2~

2017年08月29日 | オーディオ談義

コイルやコンデンサーを使った「LCネットワーク」の活用や新たにチャンデバを導入した経緯については先日の「新しいチャンデバの活躍」(2017.8.22)で述べたとおり。

おかげで随分音質が向上したと思っているのだが、「勝手にそう思っとけばいいわい」という声が外野席から聞こえてきそうだ(笑)。

そもそもオーディオといえば市販のスピーカーをそのまま使用している人たちが大半なので「ネットワーク」や「チャンデバ」といっても興味のない人たちがきっと多いことだろう。

もちろん「メーカー任せ」の方が安心だし、楽ちんなので「それも有り」なんだろうが、そういう人たちはほんとうのオーディオの面白さを生涯気付かないまま終えることになるような気がする。

以下はあくまでも私見ということで自己流の考え方である。

オーディオの弄る楽しみを大きく分けると4系統に分かれる。

まずレコードプレイヤーやデジタル機器などの音の入り口に当たる「前段機器系」、次に中間段階で音声信号を増幅する役割を持つアンプなどの「増幅系」、その次の終段階では電気信号を音声に変換するスピーカーなどの「変換系」そして最後に音響に必要なオーディオルームなどの「アコースティック系」。

いずれも、気に入った音質を得るためには絶対に手を抜けないところで、かけるお金と音質が見事に比例するが(笑)、この中で唯一の「穴場」ともいえるのが「変換系」だ。

スピーカーに限っては原理的に昔から旧態依然としてほとんど進歩していないし、まだ素人同然にも創意工夫が発揮される余地があり少額の投資で大きな効果が見込める分野だと勝手に推察している。

たとえば、(スピーカー周りの作業として)箱の容積の決定やその中に詰め込む吸音材の材質や量、ネットワークの構築、各ユニットの位相の管理など、こんなに「おいしい所」をメーカー任せにするなんて実に勿体ないと思う。

もちろん要らん世話だが(笑)。

なお、ネットワークの必要がないフルレンジスピーカーという選択もたしかにあるが、自分の耳にはちょっと物足りなさがつきまとい、長期的にはサブシステムのレベルに収まってしまうのが残念。

いずれにしても我が家のケースでは口径30センチのユニットを使うときは「LCネットワーク」を使用し、口径38センチのユニットのときは「チャンデバ」を使い分けしているが、8月22日付のブログではオーディオ仲間のMさん(大分市)にクロスオーバー500ヘルツのチャンデバ(2ウェイ)を1000ヘルツ前後に改造してもらうところで終わっていた。

今回はその続きということで「~その2~」。

Mさんから「改造する部品が揃いましたので明日お伺いします。」と連絡が入ったのはそれからおよそ1週間後のことだった。

「いやあ、それは楽しみですねえ。是非お願いします。」

別府に棲み始めてから初めての猛暑ともいえる「38度の灼熱地獄」をものともせずにお見えになったのはつい先日の午前中のことだった。

当然のごとく改造作業には熱い「ハンダごて」が伴うのでお気の毒の限りだが(笑)、「いったい何か所ぐらい弄るといいんですかねえ」の問いに対して「計算上は8か所のコンデンサーを交換するとクロスオーバーが(500ヘルツから)2000ヘルツくらいになります。」とMさん。

作業時間はおよそ1時間ぐらいかかっただろうか、「ハイ、出来上がりました」。

これで、チャンデバが3台揃ったことになる。それぞれクロスオーバーが「500ヘルツ」「2000ヘルツ」「5000ヘルツ」と理想的な展開となった。

これらをJBLの「D130・イン・ウェストミンスター」でどう使い分けするか、果てしない戦いが始まる(笑)。

さっそく二人で試聴に入った。まずは今回改造した「2000ヘルツ」から試運転。

まず、JBLのD130(口径38センチ)を固定にして、2000ヘルツ以上は待望の「AXIOM80」を使うという組み合わせだったが、一聴しただけで「悪くはないけど、どうも両ユニットの一体感がイマイチですねえ。」と両者の意見が一致した。

頼みのAXIOM80はクロス「500ヘルツ」のときの使用に限るようだ。

ガッカリだが組み合わせの相性としか言いようがない。そこで「AXIOM80」の代わりにテクニクスのドライバーを入れ替えてみるとこちらの方がしっくりくる。「こちらの方が自然ですね。しばらくこのまま聴いてみましょう。」

それから3日ほど経過したところ、
次第にこのシステムのアンプのスイッチを入れるのが段々と億劫になってきてしまった。我が家の場合は自然にそのシステムから足が遠のいていくのが「気に入らない音」の一つのバロメーターである。

どうもシックリこないなあ、感覚的な世界なので言葉で説明するのは難しいが「オーディオ的にはいい音なんだけど、音楽的にはもうひとつ呑めり込めない音」としか言いようがない。

仕方がないので思い切ってチャンデバを再度交換した。「500ヘルツ仕様」か「5000ヘルツ仕様」にするか、迷ったが「フルレンジのような一体感」を得ようと思えば「5000ヘルツ仕様」のものがベターだろう。

ついでにツィーターを以前購入した無銘のコーン型に変更し、小さな箱に収めてみた。

              

クラシックが大好きなので弦がうまく鳴ってくれないと話にならないが、その点で振動板に金属のダイヤフラムを使ったユニットはなるべく使いたくないのがホンネである。

ちなみに、あの名門タンノイさんはクロスオーバー1000ヘルツ以上に金属のダイヤフラムを使った同軸ユニットを使っているが、どうしてもヴァイオリンの音色が硬くなるのが難点で、それがウェストミンスターからオリジナルユニットを取り外した一番の理由である。

使用する2台のアンプも二転三転したが最終的にはD130に「WE300Bシングル」(モノ×2台)とツィーター用に「6SN7プッシュプル」(トライアッドの出力トランス)で結着した。

          

当初は5000ヘルツまでならエレハモの300Bで十分だと思ったが、D130センターのアルミの部分の音がいささか耳についたので、WE300Bに替えたところいっさい気にならなくなった。

結局、使う真空管次第でスピーカーのクセは良くも悪くもなると納得(笑)~。

この音ならこれまでで最高の自己満足度「90点」を付けてもいいくらい。


 


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怪我の功名

2017年08月26日 | オーディオ談義

「怪我の功名」という言葉がある。

ご存知の方も多いと思うが、広辞苑によると「過失が思いがけなく良い結果を生むこと。また、何気なしにやったことが偶然に好結果を得ること」とある。

今回の出来事がこの意味にピッタリ当てはまるかどうかは分からないが、それに近いことが起きたので、以下経緯を述べてみよう。

前回のブログ「口径30センチのフルレンジ + ツィーター」で3タイプのシステムが一堂に写った画像を掲載したところ、さっそくメル友のSさん(千葉県)から問い合わせがはいった。

「ご愛用のAXIOM80(以下「80」)が見当たらないようですが、どうされたんですか?」

Sさんからは10年ほど前に「AXIOM80」(復刻版)を信じられないような安値で購入させてもらい「最初期版」を手に入れるまで愛用させていただいたので、いわば恩人に当たる方である。

さっそく弁明(?)した。

「80を引退させようとは夢にも思っていません。ご案内のとおりその透明感たるやどんなスピーカーをもってきても敵なしというのが実感ですからね。今回はブログの話題に口径30センチのユニットを登場させたので特集する意味でつい悪乗り(?)をしてしまいました。さっそく入れ替えます。要らぬご心配をおかけして申し訳ありませんでした。」

さっそく深~い反省のもとに本日(26日)の早朝、起き抜けに入れ替え作業を行った。ものの10分もあれば済むので文字どおり朝飯前の仕事(笑)。

          

かといって、以前のままフルレンジで使用するのもあまり面白くないので、遊び心を起こしてワーフェデールの「コーン型ツィーター」(赤色マグネット)をそのまま据え置いて高音域を担当させることにしてみた。いわば実験である。

したがって、パイオニアのネットワークを使って8000ヘルツまでは「80」に受け持たせる。それ以上はウェスタンのブラックタイプのコンデンサー「1.2μF」の出番で、ワーフェデールを8000ヘルツ(6db/oct)でローカットしてみた。

さあ、どんな音が出るんだろうかと朝からハラハラドキドキでいささか心臓に悪いが興味の方がずっと優る(笑)。

丁度その時「ご飯ですよ~」の声がかかったが「いいところだから、ちょっと待ってくれえ~」。

はたして、出てきた音といえばこれがまた素晴らしい(笑)。駆動するアンプは「WE300Bシングル」(1951年製オールド)

「80」と「ワーフェデール」の組み合わせにまったく違和感がない。流石に同じイギリス勢だ。

しかも「80」の高音域の良しも悪しくも独特のクセが抑えられているので、拘りなく音量が上げられる、すると「80」の弱点だった低音域の量感が増えるというまさに好循環。

これを「怪我の功名」というのかなあ(笑)。

「80」にツィーターを加えるなんて口径30センチのユニットと入れ換えでもしない限り絶対に浮かんでこない発想だった。

とはいえ、早朝からいきなり重たいユニットを上げたり下げたりしたので少し腰に鈍い痛みが走りだした。

オーディオと健康とどちらを取るか、もちろん前者だとは思うが・・・(笑)。

8月27日(日)早朝≪追記≫

昨日(26日)は一日中、ああでもない、こうでもないとベストポイント探しに躍起になった。

ツィーター(ワーフェデール)のローカット値をいったいどこに設定すればいいのか、というわけで手元のコンデンサーを総動員した結果、スプラグの「0.39μF」(マイクロ・ファラッド)がベストポイントだった。周波数でいえば1万6千ヘルツあたりと随分遠目の値で「ツィーターは生かさず、殺さず」の教訓を身に染みて感じた。

それはそれで一件落着だったが、念のため駆動するアンプを「WE300Bシングル」から「Px25シングル」に取り替えたところ、今度はAXIOM80をフルレンジで鳴らす方が「自然な佇まい」となって圧倒的に良かった。つまりツィーターは追加しない方がいいというわけ。

ツィーターは無くて済むものであればそれに越したことはない。

結局、我が家では「AXIOM80」を鳴らすときは「PX25シングル」に限るというわけで、これは同じイギリス勢同士なので相性の問題になるのだろうか。

そういえばJBLを鳴らすときは「WE300Bシングル」が同じアメリカ勢同士のせいかとても相性がいい。

国際化が進んだ近代の製品ならともかく、1950年代前後の製品ともなるとアンプとスピーカー間の国籍のマッチングはとても大切のようだ。

このことに気付いただけでも収穫なのでこれをもって「怪我の功名」としよう。

とにかくオーディオに限っては、移民、難民の受け入れ反対!?(笑)






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口径30センチのフルレンジ + ツィーター

2017年08月24日 | オーディオ談義

つい最近、オークションで手に入れたパイオニアのローパスフィルター。

          

クロスオーバー8000ヘルツ(12db/oct)を境にハイパス(ローカット)にもローパス(ハイカット)にも出来る優れもので大変便利がいい。

我が家では既に「D123(8Ω)+075ツィーター」に使っている。

D123の1号機(口径30センチ)で8000ヘルツまで受け持たせ、それ以上は075ツィーターでカバーし、コンデンサーを使って適当にローカットしているがそのシンプルさが音にも反映しており、
とても気に入っているので2台目を狙っていたところ運よくゲットできた。

さっそく今度はD123の2号機(16Ω、初期タイプ)に使用したが、ツィーターには久しぶりに同じ16Ωということでワーフェデールのコーン型ツィーター(赤色マグネット)を乗っけてみた。

これで我が家では「口径30センチのフルレンジ + ツィーター」の3タイプの揃い踏み。

          

左からグッドマンの「AXIOM150マークⅡ + デッカのリボン型ツィーター」、真ん中はJBLの「D123(16Ω) + ワーフェデールのツィーター」、
そして右が「D123(8Ω) + 075ツィーター」

まったく「いずれアヤメかカキツバタ」で、自分ではとても優劣がつけ難いほどそれぞれに素晴らしい(笑)。

折しも、この22日(火)に「SPレコード愛好家」の方がお二人、我が家に試聴にお見えになったので「雨夜の品定め」ならぬ「猛暑日の品定め」という機会と相成った。

とはいえ「SPレコード愛好家」ということは、周波数レンジを相手にしない筋金入りのレコード愛好家と言いかえることが出来る。つまり通常のオーディオ愛好家とは目の付け所が違うのである。

幕末の英傑「西郷隆盛」は「山岡鉄舟」を評して「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る。」と言ったが、オーディオの場合「周波数レンジはいらぬ」という人ほど始末に困る人はいない(笑)。

はたしてCD主体の我が家の音を気に入ってもらえるんだろうか。そして、どのシステムに軍配を上げられるのだろうかと興味津々。

この際とばかりすべてのアンプとスピーカーをいろんな組み合わせで聴いていただいた。

試聴用のソースはモーツァルトの「K.136 ディヴェルトメント第二楽章」(トン・コープマン指揮)。

この曲目はモーツァルトが16歳のときの作品だが、素直で無邪気で天真爛漫さが満ち溢れているにもかかわらず、そこはかとなく漂ってくる哀愁に何にもまして引きつけられる。

晩年の作品には感じられない初々しさが何とも瑞々しく、「K165 踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」と並んで最もお気に入りの曲目である。いずれにしてもコープマン(オランダ)のモーツァルトにはハズレが無い。

さて2時間あまりの試聴の結果「とても澄んだ音ですね~。」という評価とともに一番星の栄誉に輝いたのはグッドマン「AXIOM150マークⅡ + デッカのリボン型ツィーター」だった。

やっぱり!(笑)

そういえば駆動したアンプは「PX25シングル」だし、CDトラポもDACも「dCS」だったので「オール イギリス勢」という偶然の一致だった。

真空管アンプの場合、前段管や出力管、整流管は同じ時代に製造されたものに統一するというのが原則だが、システムの場合には音にもお国柄があるので機器の
国籍はなるべく統一した方がいいのかもしれない。

とはいえ自分はハチャメチャの方が好きだが(笑)。

それにしても、このところJBLの攻勢にタジタジ気味の様子だったが、クラシックに絶対の強みを発揮するグッドマンはやっぱり我が家のキング的な存在であることを再認識できたのは良かった。お二人様、どうもありがとうございました。






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新しいチャンデバの活躍

2017年08月22日 | オーディオ談義

このところ次から次にチャンデバ(いずれも2ウェイ方式)を聴く機会に恵まれている。

周知のようにチャンデバというものはクロス周波数の設定によって(システムの)音質がガラッと変わるが、手元にあるのはクロス周波数が「500ヘルツ」のものが2台、そして今回新たに実験の対象となったのが「5000ヘルツ」のものだった。

これらを持参していただいたのは、プリアンプ、パワーアンプ、チャンデバと何でも製作されるMさん(大分市)である。

ちなみに一般的にチャンデバといえば程度にもよるがネットオークションでは10万円前後で取引きされているのが相場だが、今回のチャンデバは驚いたことに何と1万円で落札されたそうだ。

エーッと驚いて、「どうしてそんなに安かったんですか?」と、お尋ねすると、

「どうも親の遺品みたいで出品者がわけがわからないままに出品したようです。不明のアンプという区分だったのですがよく見たところ、これはチャンデバだとすぐに分かりました。部品にいい物を使ってあったのですぐにお買い得だと思って落札しましたよ。」

このところ、オークションでやたらに目につくのが「親の遺品」という言葉で、当座は悲しむに沈むばかりだろうが時間が経つにつれ遺族が始末に困って本来の価値が分からないまま出品する姿が目に浮かぶようだ。

高齢になったオーディオマニアたちが後継者がいないまま次から次にこの世を去っていく・・・。

もちろん明日は我が身なので家内や娘によくいい聞かせておきたいところだが、どうせそういうときは面倒くさいとばかりその道の業者によって一括引取りになるんだろうなあ(笑)。

それはさておき「いくらなんでも不明のアンプで出品されたら、さすがに鵜の目鷹の目のオークションといえども誰も乗り気にはなりませんよねえ。チャンデバを自作出来る人しか気が付かないでしょうから、やっぱり(自作できる人の)役得ですよ。」とMさんを称えた。

さっそく、Mさんに加勢してもらいながら実験に入った。

チャンデバは口径38センチのユニットに使うと決めているので対象となるシステムはこれ。

               

これまではチャンデバ1号機(クロス500ヘルツ)で、500ヘルツ以下をJBL「D130」(口径38センチ)に受け持たせ、500ヘルツ以上を「AXIOM80」に担当させていた。これらを駆動する真空管アンプは前者を「71Aプッシュプル」、後者を「PX25シングル」だった。

ちなみにオーディオはシステムのどこかを弄れば、何かを得る代わりに当然の如く失うものも出てくる。けっしてプラスばかりではない。

偉そうに言うわけではないが、日頃からプラス、マイナスの総合勘定で考えるクセをつけておかないと後になって大損することがある。経験者の自分が言うのだから間違いなし(笑)。

今回新たなチャンデバ3号機(クロス5000ヘルツ)で鳴らすとなると一番の痛手が「AXIOM80」を使えなくなったことにある。

いくらなんでも「AXIOM80」を5000ヘルツ以上で使うわけにはいかないのだ!

したがってテクニクスの「EASー25HH22」ドライバー(仕様:1000ヘルツ~)へと交換。それに応じて駆動するアンプも「PX25シングル」から「6SN7プッシュプル」へ交替。

必然的に相性の問題から「D130」用(~5000ヘルツ)のアンプも、新装なって3か月、ようやくエージングが済んで今や絶好調の「2A3シングル」(フランスのVISSEAUX)を起用した。

まるで将棋倒しのようにシステムが様変わりする。

          

胸をワクワク・ドキドキさせながらいよいよ音出し~。

おお、なかなかいいじゃない!(笑)


大型スピーカーの「ウェストミンスター」がまるでフルレンジみたいな鳴り方だし、テクニクスのドライバーとの一体感も違和感がなくクラシックからジャズ、ポピュラーまで何でもござれの感じ。

口径38センチのユニットを5000ヘルツまで持たせるなんて狂気の沙汰だが、「D130」のコーン紙独特の浅いカーブであれば(5000ヘルツぐらいまでなら)音声信号に対する応答性はいいはずという読みはズバリと当たった。

同席のMさんも「やっぱりウェストミンスターの箱にはこれまでのクロス500ヘルツよりも5000ヘルツの方が合ってるようですよ。音に目方があるとすれば重量感が何倍にも増したみたいです!」

面白いことに気が付いた。

チャンデバ1号機のときは「D130」のセンターのアルミから出る音が邪魔でカバーするためにウェストミンスターのサランネットが必要だったのが、3号機のときはまったく気にならなくなったので不要になってしまった。見てくれはこっちの方がずっといいので、クロス5000ヘルツの波及効果はこんなところにまで及ぶ。

とはいえ、中高音域に「AXIOM80」を使ったときの雰囲気もなかなか捨て難い。

Mさんに「このチャンデバ3号機でほぼ決まりといってもいいのですが、クロス1000ヘルツ前後でも一度試してみたいです。そうなるとAXIOM80がギリギリ使えますからねえ。」と、こぼすと、

「ああ、それならチャンデバ2号機(クロス500ヘルツ)を改造してあげますよ。これも同じ出品者から格安で手に入れたものです。ツクリがそっくりですからカット周波数を計算してそれに見合った極小値のコンデンサーをいくつか調達してみましょう。」

「それは願ったりかなったりです。とても優秀なチャンデバなので大いに使い前があります。よろしくお願いします。」

これで楽しみがまた一つ増えた(笑)。


 


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過ぎたるはなお及ばざるが如し

2017年08月19日 | オーディオ談義

文壇関係者たち76名のエッセイが収められた「ベスト・エッセイ集 不機嫌の椅子」

さすがに文章を生業(なりわい)にしている「文壇」関係者だけあって、それぞれに味わいのある内容だと思ったが、その中から一番印象に残ったエッセイを紹介させてもらおう。

それはノンフィクション作家・柳田邦夫氏の
「禅僧が女を抱いて川を渡るとき」(290頁~295頁
)。

要約といっても、ちょっと長くなるが次のとおり。


人間には誰しも何らかの「こだわり」を持っている。その根底にはその人の生きかたや歩んできた人生、家族や社会の中での役割あるいは仕事、社会的地位と評価などによって形成されたその人ならではの規範が横たわっている。

そして、その「こだわり」が嵩じてしまうと自分の生きかたや周囲の人々との関係でなかなか抜け出せずに苦しむ人が多いし自分もその例に漏れない。

やがて人生も半ばを迎えた頃、臨床心理学者の河合隼雄(かわい はやお)先生(故人、元文化庁長官)の謦咳(けいがい)に接し薫陶を受けた。ひそかに「人生の師」と仰いでいたが大事な学びの一つに「こだわりの克服」というのがあった。

その教えのひとつとして出てくるのが河合隼雄氏の著作「ユング心理学と仏教」の中の次のような話である。要約して記す。

二人の禅僧が川を歩いて渡ろうとしているところに、美しい女性が来て川に入るのをためらっている。一人の僧がすぐに、彼女を抱いて川を渡り切ると、女性を下ろして淡々と別れた。

二人の僧はしばらく黙々と歩いていたが、女性を助けなかった僧が口を開いた。

「お前は僧としてあの若い女性を抱いてよかったのかと、俺は考え続けてきた。あの女性が助けを必要としていたのは明らかにしてもだ」。

すると、もう一人の僧が答えた。「たしかに俺はあの女を抱いて川を渡った。しかし、川を渡った後で彼女をそこに置いてきた。しかし、お前はまだあの女を(心理的に)抱いていたのか」と。

このパラドキシカルなエピソードについて、河合先生はこう語るのだ。

「女性に触れてはならぬという戒めを守ることに心を遣った僧は、女性に対する個人的なエロティックな感情につかまってしまいます。実に自由だったもう一人の僧は、私に”
風のイメージ”
を想い起こさせます。」

”風のイメージ”・・・・いいな、と思う。形にこだわらず、相手に応じて変幻自在、どのようにでも自らの形を変え、相手にさらりと触れるけど、飄々(ひょうひょう)と去っていく。

私(柳田氏)は河合先生からこの二人の禅僧のエピソードを教えられた時、目から鱗(うろこ)が落ちるとはこういうことかと思わず唸ったものだ。

バッハはこう弾かねばならぬ、自分の生き方はこうでなければならぬ、こういう社会規範がある以上は絶対に守らねばならぬ・・・。そんな「ねばならぬ」への「こだわり」で人は何と悩み苦しんでいることか。

私はあまりにも多くのそういう人々を見てきた。そして、私自身もしばしばそういう「拘泥」の泥沼に陥ってきた。

だが、何のこだわりもなく女を抱いて川を渡った禅僧のことを学んでからは、私は何かの「こだわり」につかまるたびに、その禅僧のイメージを頭の中に思い描くようにしている。 

大要、以上のような内容だったが、こういう話を読むのと実際に聞くのとでは随分とニュアンスが違うように思うので、「座談の名手」として知られた河合氏から独特の語り口で独自の薀蓄を傾けた話を直接聞けたなんて柳田さんはつくづく作家冥利に尽きる方だなあと、とてもうらやましく思うのである。

                 

さて、自分はこれまでさしたる強い信念の持ち合わせもなく、行き当たりばったりの「生き方」をしてきたので、きちんとした「こだわり」を持って生きている方を見たり、聞いたりするたびに「ご立派だなあ!」と素直に心から感心する。

とはいえ、
趣味の「音楽とオーディオ」に関してはこれまでずっと「こだわり」を引き摺ってきた。

たとえばブラームスのヴァイオリン協奏曲は「ジネット・ヌヴー」でなければならぬ、モーツァルトのピアノ・ソナタは「グレン・グールド」でなければならぬ、ベートーヴェンのピアノソナタ32番は「バックハウス」でなければならぬ、そしてオーディオは真空管アンプでなければならぬ、といった調子。

ところが、このところ少し様相が変わってきて幸か不幸かこだわりが少なくなってきているのを感じる。

たとえば、先日のブログ「我が家のベスト音源を探る」(2017.7.4)で紹介したようにやたらにビジュアル系のプログラム・ソースが増えたせいか、近年の若手のヴァイオリニストやピアニストは多士済々で、見てくれはいいし、演奏も録音もいいしで過去の演奏家たちの影が薄くなる一方だし、さらには端的な例が「AXIOM80」の使い方である。

このSPユニットは我が家のシステムには欠かせない代物だが、これまでは「ARU付きのボックスに容れて鳴らす」という固定観念にガッチリと縛られてきたが
、ブログやメールなどで先達の幅広いご意見に接する中で「裸で鳴らす」妙味(?)を覚えてしまった。

このことによってシステムの可能性が無限に広がった気がしてたいへん満足している
。(ただし、裸でフルレンジ使用は絶対に不可。低音入力のせいで故障する!)。

したがって、オーディオにも“風のイメージ”を導入して「新風を吹き込む」ことが大いに大切ではなかろうかと思う昨今だが、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」という言葉があるように、自分の場合はちょっとやり過ぎかもしれないなあ(笑)。



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「左利き」と「左打ち」はけっして同じではありませんよ!

2017年08月17日 | 独り言
つい先日、メル友の「I」さん(東海地方)から、5日前に登載した「左 VS 右~利き手大研究~」に関して次のようなメールをいただいた。
「高校野球に左利きが多いというのは、右投げ左打ちが多いということでしょうか。
 
ご指摘のとおり、左ボックスは右ボックスに比べて一塁までの距離が近い分、安打の確立が上がります。これを求めて右投げ左打ちにする場合が多いようです。
 
一方、利き目に合わせてどちらの打ち方にするかが必然的に決まる(利き目を投手側にする)・・・という解説者もいましたが、そういうケースは少数でしょうね。もしそうなら、スイッチヒッターはありえなくなります。やはりヒットの出る確率を求めての”左打ち”だと思います。
 
昔々町内の子供会のソフトボールを世話していたころ、右投げ左打ちの子が二人いました。左打ちに換えた理由はわかりませんが、掛布(阪神)の影響はあったと思います。今は、イチロー・松井(秀喜)の影響でしょう。
 
右投げ左打ちができるという選手は運動センスが高いので、左打ちをそつなくこなしていました。しかし私は、利き腕が後の方(利き手打ち)がミートの押しが強くなると思っています。したがって、右投げ左打ちの選手はホームランバッターよりも好打者が多かったと思います。典型は篠塚(巨人)、いまではイチローです。
 
これを破ったのが掛布です。甲子園の浜風(レフト向きの風)に乗せてホームランを量産しました。ただ、掛布も好打者のホームランバッターでした。飛距離は出ていません。
 
その後、右投げ左打ちの強打者松井秀喜が出てきました。間違いなく長距離砲でした。しかし、固め打ちの少ない打者でした。
私は、固め打ちが少ないのは”利き腕前”=右投げ左打ち打者の特徴だと思っています。松井が右打ちだったらもっと成功していたと思います。(ほんとに偉そうなことをいって申し訳ありません)
 
で、何が言いたいのかというと、「利き腕の強打者出てこい」ということです。球史でいえば王・門田(南海)・大杉(阪急)です。また、見たことはありませんが、中西・大下でしょうか。
 
日本プロ野球選手で、最高レベルのメジャーリーグで強打者として活躍してほしいと思う打者は何人かいます。が、すべて右投げ左打ちです。柳田(ソフトバンク)、筒香(横浜)、大谷(日本ハム)この3人ですが、はたして、メジャーで打てる・・・か・・・柳田・筒香は固め打ちができるタイプなので、従来の右投げ左打ちとちょっと違うかなとも思いますが・・・
 
 なぜ、利き腕の強打者が少ないのか。私見です。
 
① 右利きのセンスのある選手ほど、子供のうちに”左打ちに”に換わってしまう。
 
② 左利きのセンスのある選手は、”まず投手”として育てられる。打者としてはそのあとになる。
 
③ 甲子園の高校野球が目標になってしまっていて結果バカリが求められる。
 
このような理由が背景にあるように思います。
 
参考に、メジャーのホームランバッターは”利き手打ち”がほとんどです。右投げ左打ちでは、メジャーの投手に力負けしてしまうからだと、私は考えています。 
 
高校野球は、成長期の健康管理がほとんど配慮されていないことと、とても日本の新聞とは思えない新聞社が後援をしているという理由で、TV放送をほとんど観ません。
 
以前は将来のプロ選手を探すのが楽しみでよく観ていました。しかし、当方の眼の不確かさを証明するものとして、私が、「これはと思った選手」が、ほとんど大成しないことです。伸び代が、素人にわかるほど、簡単な世界ではないということですね。
 
早実の清宮選手も右投げ左打ちです・・・が、これは全くの想像ですが、筒香(DNA)と清宮は”両利き”ではないかと思わせるスイングです。当方の眼が確かだといいのですが。 
 
今回はいつにも増して興奮気味になってしまいました。
家内やテニス仲間にこんな話をしても、だーれも関心を示しません(涙)
 
巨人ファンでいらっしゃる奥様いかがでしょうか!(私はソフトバンクファンです)」

以上のような内容だったが、流石に38歳まで野球をされていたという「I」さんなのでとても詳しい。

しかし、「左打ち」と「左利き」を同一視していた自分がチョッピリ恥ずかしい(笑)。「右投げ左打ち」の存在はまったくの盲点でした!

最後に「齋藤 健」農林水産大臣楽しみですねと、次のような画像が添付されていた。ありがとうございました。

                

 

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チャンデバ VS LCネットワーク

2017年08月15日 | オーディオ談義

懇意にしているメル友の「I」さん(東海地方)から「グッドマンのマルチアンプ駆動がすごく気になります。」というご連絡があったので「あっ、そういえば!」と、先日のブログで中途半端に終わっていた件を思い出した。

内容について、改めて記しておこう。

       

ご覧のとおり「D123(JBL初期版グレータイプ)+AXIOM80」の組み合わせについて、生粋のJBLファンにしても、グッドマンファンにしても誰もが首を傾げること間違いなし(笑)。

我がオーディオのモットーとして「誰もやってないことをやる」「ワクワクすることをとことんやってみる」を、大隅教授(ノーベル賞)にあやかって掲げているが、「JBL+AXIOM80」の組み合わせなんておそらく世界広といえども誰もやってないに違いない。

この珍しい組み合わせをバランスよくどう鳴らすかは料理方法の如何にかかっている。

折りしも、タイミングよくオーディオ仲間のMさん(大分市)が持参されたのがチャンデバだった。

これで材料がそろって、3つの鳴らし方が可能となった。

 パイオニアのLCネットワーク(クロス4000ヘルツ)を使う

  つまり周波数帯域の「~4000ヘルツ」はD123が受け持ち、「4000ヘルツ~」はAXIOM80が受け持ち、1台のア
  ンプで鳴らす

 テクニクスのLCネットワーク(クロス1200ヘルツ)を使う

  上記と同様の考え方で「~1200ヘルツ」はD123が受け持ち、「1200ヘルツ~」はAXIOM80が受け持ち1台の    
  アンプで鳴らす

 チャンデバ(クロスオーバー500ヘルツ)を使う

  つまり「~500ヘルツ」はD123が受け持ち、「500ヘルツ~」はAXIOM80が受け持つ。それぞれ1台のアンプを
  割り振り計2台のアンプで鳴らす

おっと、「チャンデバやLCネットワークって何?」という方がいるかもしれない。

そういう方は別途ググってほしいところだが、平たく言うと、前者は分割した周波数帯域ごとのSPユニットを複数のアンプで鳴らす方法(マルチアンプ)であり、アンプごとに音量の調整が出来るので音質のコントロールがやりやすい。

その一方、後者はコイルとコンデンサーを使って周波数帯域を分割したSPユニットを1台のアンプで鳴らす方法だが、チャンデバ、LCネットワークともども一長一短があり各人ごとの好みの差もあって一概に良し悪しは言えない。

ただし、これらは音質に重大な影響を与えるのでユメユメおろそかに出来ない部品である。一般的に出回っているスピーカーはほとんどが「LCネットワーク内蔵」といっていいが、外見では分からない箱の中に内蔵されているためメーカー側が一番手を抜くところでお粗末極まりない部品を使っている例が圧倒的に多い。

とにかく1から3までケースバイケースなのでこういうときは実際に音を出して実験してみるに限る。

その結果、1と2は似たような音であまり大差なかったが、どちらがフルレンジに近い鳴り方かというとやはり1だった。

4000ヘルツまで一つのユニットでカバーするメリットを十分感じたし、それに周波数を下の方で切れば切るほど、コイルやコンデンサーが大がかりになって音質に悪影響を与えるような気がする。ただし、これはあくまでも個人的な見解。

ハイライトは3である。2台の真空管アンプを使って鳴らしてみたところ目の覚めるようなスッキリした音がした。当初はこれが一番いいと思ったが、時間が経つにつれどうも聴き疲れしてくるような感じ。

音が良すぎるという言い方は変だが、あまりに鮮明過ぎて色合いでいえば「白と黒にはっきりと分かれすぎてグレーの部分が無い感じ」といえばいいのだろうか。

もちろんこういう音を好む人もいるのだろが、自分にとってはチョット肌合いが違うかなあ~。調整不足かもしれないので、いろいろアンプを駆使して追い込むといいのだろうが使い勝手を考えると1台のアンプで駆動する方がベター。

というわけで、この組み合わせでは「LCネットワーク」に軍配を上げたくなる。

その一方、我が家の旗艦システム「JBL・D130・イン・ウェストミンスター」(口径38センチ)では明らかにチャンデバを使った方が良かった。

口径30センチと38センチのユニットではエネルギー感に雲泥の差があり、後者の方がどうしても自己主張が強くなるので、チャンデバを使って専用のアンプでコントロールしたほうがいいというのが我が家での結論。

そういえば、たしかメル友の「I」さんもJBLの130A(口径38センチ)を中心にチャンデバを使って「4ウェイシステム」を構築されている。

             

ちなみに、「D123+AXIOM80」を鳴らすアンプだが、今のところ3台の真空管アンプでの日替わりメニューとなっている。

「WE300Bシングル」(1951年製オールド)、「2A3シングル」(フランスのVisseaux)、「171シングル」(トりタンフィラメント)

             

    

それぞれにいいところがあって、いずれも甲乙つけ難しだが一番鳴らす時間が多いのは「171シングル」で、周波数レンジはけっして欲張っていないがとても素直な音質なので聴いているうちにいつのまにかアンプとスピーカーの存在を忘れさせてくれる。

これは一つのオーディオの理想的な姿ともいえる。

最後にチョット「山っ気」を起こしてチャンデバで「AXIOM80(最初期版)+AXIOM80(復刻版)」を実験してみた。

            

これは完全にアウトだった。期待していた低音の量感がサッパリだし、音の焦点はぼやけるしでAXIOM80を二つ使う理由がまったく見当たらず、「フルレンジ」一発で鳴らす方がずっとよかった。

オーディオはなかなか思い通りにはいかない(笑)。

 

 


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コンサートホール VS 実験室

2017年08月13日 | オーディオ談義

お盆と正月は民族大移動が相場とだいたい決まっている。

我が家でもその例に漏れず、昨日(12日)家内の親戚(姉の遺児たちで若夫婦と子供二人)が富山県からはるばるご来訪。別府は初めてとのことで、泊まり込みなので日程に余裕があり「サファリパーク」などの案内を予定している。

それはさておき、我が家のオーディオルームをご覧いただいたところ「ワーッ!」と驚かれたのはいつものことだが、「まるで実験室みたいですね。」にはガックリ!

          

せめて「コンサート ホールみたい」と言って欲しかったが(笑)、やっぱり誰がどう見てもこれは「実験室だよねえ」と得心がいった。

「コンサート ホール」という言葉から醸し出されるイメージは「音楽を楽しむ場所」であり、「実験室」からは「音楽ではなく音を楽しむ場所」という印象をどうしても受けてしまう。

そうか~と、まるで我が精神の荒廃振りをまったくの素人さんから指摘された思いがした。

「音楽ではなく音を楽しむ」こともそれはそれでけっして悪いことではないが、これは自分が思い描いている姿ではない。一生懸命にオーディオに取り組んでいるのも、「いい音」で好きな音楽を聴きたい一心からだが、そうこうしているうちにどうも音の方に偏ってしまったようだ。

11年前の現役時代までは少なくとも真剣に音楽に向き合っていたのでこういうことはなかった。いったいどうしてこんなことになったのか。

少しばかり分析してみよう。

原因は二つありそうで、一つは自由時間が豊富に出来たのでオーディオ機器を弄り散らすクセができたことだが、この理由は大したことはない。

もう一つの理由が本命だろうとおよそ推測はつく。それは何といっても若い頃の感受性が歳を取るにつれ薄れてきたことにある。

たとえば、オペラ「魔笛」(モーツァルト)を聴きながら、その宇宙的な広がりに目頭が熱くなって何度感涙に咽んだことか数知れないが、悲しいことに近年その感動する力がハッキリと薄れてきたのである。

一番狼狽しているのはこの自分である。昔の夢よもう一度とばかり、もっと音質が良くなれば再びあの感動を味わえるかもしれないとここ数年「粉骨砕身」してオーディオ機器の充実に取り組んできた。

おかげで、ようやく自分なりに90点のレベルには到達したと思っているが、これから先でもどんなに音が良くなったところでおそらくあの感動は蘇ってこないだろうとだいたい想像はつく。

失われた感受性はもう永遠に戻ってはこないし、それを機器ごときでカバーしようと思っても所詮は「はかない抵抗」に過ぎないのだ。

考えてみると、人生はまことに皮肉なもので若い頃の感受性が豊かなときはお金がないので粗末なシステムでショボイ音を聴き、歳を取って小金が出来てそこそこのシステムで聴けるようになると、そのときには大切な感受性がもう失われている。

しかも、若い頃にショボイ音で聴いた音楽の方が現在聴く音楽よりもはるかにイメージ的にいいのだから何ともはがゆい(笑)。

それかといって現在のレベルを落とそうとは夢にも考えていないし、これからも前進あるのみで分っちゃいるけど音弄りは止められそうにないのが何とも矛盾しているところだが、こればかりは因果というのかどうしようもない~(笑)。

以上、諸説あるでしょうがこれはあくまでも個人的な考えです。


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左 VS 右~利き手大研究~

2017年08月12日 | 読書コーナー

猛暑の中で熱戦たけなわの「甲子園」。すっかり日本の夏に溶け込んでいるのでまさに「夏の風物詩」と言っていい。

プロ野球にはない球児たちの「ひたむきさ」に、つい引き寄せられて一日中テレビをつけっぱなしだが、それに加えて、オーディオ用の試聴ソースとしても、観衆のどよめきや場内アナウンサーの声の響きなどがもってこいで、どのくらい奥行き感があって豊かに聴こえるか無意識のうちにチェックしている。

片時もオーディオのことが頭から離れないのだからほんとうにどうしようもない男である(笑)。

それはさておき、野球の場合にとりわけ目立つのが左利きの選手が多いことで、野球は左利きが有利のスポーツだと感じさせる。

たとえば、左バッターは打ってから駆けだす方向の一塁に近いので有利だし、左ピッチャーは投げる時に一塁走者に相対するので牽制するのにたいへん有利だ。

このように野球の場合には「左利き」有利は明らかだが、一般的な社会生活では果たしてどうなんだろう?

恰好の本があった。

「左対右・きき手大研究」(2008年7月、化学同人社刊)
    

本書は、古来言われてきた、「左利きは器用」「左利きは怪我をしやすく短命」「なぜ左利きの人が少ないか」「利き手はいつ決まる」「利き手の矯正はよいことか」などの疑問に対して学術的にアプローチした本である。

著者は「八田武志」氏で名古屋大学名誉教授で現在関西福祉科学大学教授で心理学がご専門。

ひととおり、ざっと目を通してみたが医学的な観点からのアプローチがやや欠けているようだが世界各国のいろんな研究データを豊富に集めて考証されているたいへんな労作。

しかし、まだこの分野は未解明の部分が多いようで、著者の意見にも歯切れが悪いところがあって明快な結論が導き出されないのがチョットもどかしい。

とりあえず二点ほど興味のある項目を列挙してみた。

なお、
人間は「右利き」「左利き」「両利き」の3つに分類されるが、定義というほどのこともないが「左利き」としてのデータの解析対象とされているのは、「書字に使う手」「スプーンを持つ手」「ハサミを使う手」「歯ブラシを持つ手」「金槌を持つ手」にそれぞれ左手を使用することが挙げられている。

☆ 「左利き=短命説」

「左利き」の方にはドキリとするような説だが、1994年に「左利きは危険がいっぱい」という本が出版(外国)され、広く知られるようになった。

これは空軍の兵隊を対象に「スポーツに関連する事故」「作業に関連する事故」「家庭での事故」「道具に関連する事故」「運転事故」の5つのカテゴリーで調査した結果に基づいたもので事故に遭遇した確率が「左利き」の方が「右利き」よりも多かったというもの。

因みに調査対象者の内訳は「左利き」は119名、「右利き」は945名で右ききの割合は89%とおよそ通常の人口分布に占める割合との乖離がない状況だった。

結局、「左利き」が事故に遭遇しやすいというのが「左利き=短命説」の大きな根拠というわけだが、著者の見解によると現代医学では人間が死ぬのは最終的には心臓が止るか肺が機能しなくなるのかのどちらかなので、腕などの怪我(外傷)ぐらいで短命に結びつけるのは因果関係として弱いとの結論だった。

まずはひと安心だが、「左利き」は戦争時の戦闘場面で命を落としやすいことが明白であり、かつ「右利き社会における長い間のストレス」については無視出来ない要因とのこと。

☆ 音楽の才能と左利き

聴くのが専門だが音楽愛好家の自分(右利き)としては非常に興味のあるところ。

音楽の能力には利き手による違いがあり、「左利き」が優れているという指摘が以前からあったが、本格的に「左利きと聴覚機能」に焦点が移ったのは1980年代から。

その結果、言語音は左脳がその処理に優れるが、音の高低の判別や音と音との間、音の大きさ、各種の音の配分など音楽を構成する要素には右脳の方が処理に優れることが次々に明らかにされた。

「プロソディ(韻律)」と呼ばれる音声言語の周辺的要素も右脳の働きであることが立証された。

そこで右脳は左手指の運動と関連が深いので、「左利き」は音楽の才能があるはずだという予測が生まれいくつかの実験調査が行われた。

・ イギリスのある小学校(897名)の実験調査では差異は認められなかった。

・ 
ある学生相手の音の記憶実験によると「左利き」の優位性がはっきりと認められた。「左利き」では音の記憶を左右両方の脳で出来るのに対して、「右利き」では右脳でしか記憶できないためと説明された。

・ ドイツの音楽大学でピアノ学科52名を対象に初見演奏の実験を行ったところ「右利き」は「左利き」や「両手利き」よりも劣ることが明らかにされた。

初見演奏とは初めて見る楽譜を指の運動に直ちに変換して演奏したり、はじめて耳にしたメロディを再生する聴音演奏
と同意語で音楽能力に必須の能力とされるもの。

(この初見能力について、幼少期のモーツァルトが門外不出とされた教会音楽を一度聴いただけで、後になってスラスラと楽譜にしたためた逸話を思わず想い出した!)

以上のことから導き出される結果は次のとおり。

「小学生を対象にした調査では利き手による音楽能力の違いが見出せなかったが、成人ではその関係を支持するデータが多い。

ということは左手の手指運動の訓練に困難さを感じる者(右利き)は楽器演奏の練習を途中で放棄するのに対して、それほど困難さを強く感じなかったものは”繰り返し練習”が持続した結果、音楽家への職業につながり、”右利き”の音楽家が少ないという理由につながっている」

結局、「音楽の才能と左利きは関係あり」
で、さらに興味を引くのは音楽専攻生の場合、親に「左利き」がいる場合には遺伝的要素の関与や左手を使うことへの養育者周辺の容認度が高いことなどがあってより成績がいいそうだ。

したがって音楽的能力には「利き手」それも親の世代を含めた「利き手」が影響している可能性が大いにある。

そういうわけでいずれ著名な作曲家の「利き手」を調べてみるのも面白そうだ。



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真夏の「トラブル」二題

2017年08月10日 | オーディオ談義

オーディオ機器を使っているとトラブルは付き物だが、真夏のトラブルともなるとついカッカしてしまい、ひときわ暑苦しく感じる(笑)。今回はつい最近起こった身近な体験を二件記してみよう。

☆ 真空管アンプ「171シングル」からノイズ発生

          

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」という形容がピッタリな「171」(トリタン・フィラメント)アンプだが、我が家のアンプ群の中では「無色透明の素直な音質」という面から羅針盤のような役割を果たしてくれており、迷ったときはいつもこのアンプに戻っていく。

そういう意味で我が家には欠かせないアンプだが、つい4日程前にスイッチオンしたところ左チャンネルから「ジャリ、ジャリ、ジャリ」と連続的にノイズが発生する。最初はどうせいつものように真空管の故障だろうと甘くみた。

ちなみに「171」真空管は古典管として1930年代の製造の極めて古い球なので当たりハズレが多くて、これまで手に入れた内、無事生き延びる確率は1/2ぐらいと、極めて投資効率は悪いがその一方で音質ともなると、ふつうの「71A」よりも次元が違うのでそれ以上のメリットを感じている。

まず左右の「171」を入れ替えたところ相変わらず左チャンネルからノイズが発生する。出力管が正常なら今度は電圧増幅管だろうとこれまた左右入れ替えてみたが、左チャンネルからのノイズが止まない。

ようやく、「これは容易ならざる故障だ」と、身構えた。

とても素人の手に負えそうにないので、数多くの修羅場を経験している「Kさん」宅(大分市)へと、ご了解のもとに持ち込んだ。

具体的に症状を述べた後で、スイッチオンの状態で真空管を挿したままアンプをひっくり返して裏側から点検。真空管が潰れやしないかとヒヤヒヤだがそこは手慣れたKさん、しっかり足場を組んでからの措置だった。

ボリューム、コンデンサー、抵抗などを外してつぶさに点検してもらったが、すべて異常なし。1時間ほど経過してから「これはインターステージトランスの故障のようですよ。」と原因の特定に至った。

まったく予想外の故障箇所に思わず絶句した。

しばらくして「アメリカの有名ブランドのトランスを使っているんですがねえ~」と、申し上げたところ「当時のトランスは内部の絶縁材料がイマイチで結構トラブルが多いようですよ。再度確認しますのでしばらく預からせてください。」

そして待つこと三日。

「良くなりましたよ~。」「あ、ッそうですか。すぐに取りに行きます。」

具体的に修繕内容を伺ってみると「やはりトランスの故障でした。知り合いから調達した代わりのトランス(新品)と入れ替えたところすっかり良くなりました。このトランスはとても評判が良くてお客さんたちから喜ばれています。故障したトランスに比べてお値段は落ちますが音質はそれ以上だと思いますよ。」

「そうですか。いやあ、助かりました。帰ってからさっそく試聴してみます。修理代の方はいかほどに・・・」

そこは仲間同士ということで「阿吽の呼吸」、信じられないほどのお値段に超ラッキー(笑)。

故障したトランスも同時に引き取って、クルマで20分ほどの距離を飛ぶようにすっ飛ばして我が家に到着。

すぐに結線して試聴してみたところ、新しいインターステージトランスの威力が存分に発揮されているようで、何から何までグッド、とてもお値段からして信じられない。

幸い、もう1台同型の「71Aアンプ」(インターステージトランス無し)を持っているので、「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って再度このトランスを挿入してもらおうかと目下思案中。

なお、このアンプの前段管だがいろいろ試した挙句、落ち着いたのが英国マツダの「AC/HL」(メタルコーティング)だった。WE300Bアンプではイマイチで「MH4」(メッシュプレート)の後塵を拝したが、このアンプでは申し分ない出来栄えで「相性」というのはほんとうに無視できない。

さて、次のトラブルは次のとおり。

☆ 音が出ない!

            

それは昨日(9日)のことだった。

早朝のこと、JBL「D130」(イン・ウェストミンスター)を聴こうと思ってスイッチオンしたところ音が出ない!昨日までは何ら異常がなかったのにと、キツネにつつまれたような気分である。サッパリわけが分からん・・・。

おかしいなあと、首をひねりながらピンコードやSPケーブルを仔細に点検するも異常なし。

ウ~ン、参った。

昨日までと変わった点といえば、プリアンプの2系統の出力にそれぞれチャンデバを接続したことくらい。

元々それほどアタマの回転が速い方ではないが(笑)、しばらくしてようやく思い当たる節が一つ浮かんだ。

プリアンプに接続した二つのチャンデバがこの上なく重たい負荷インピーダンスになった可能性がある。

ちなみに、これら二つのチャンデバ(AとB)に繋いだパワーアンプは次のとおり。

A → 低域用「71Aプッシュプル」、高音域用「PX25シングル」

B → 低域用「WE300Bシングル」、高音域用「171シングル」

つまりプリアンプ1台に4台のパワーアンプを繋いだことになる。これって、まさしく過重労働には違いない。やはり我が家でも「働き方改革」を進めた方が良さそうだ(笑)。

そこで解決策として「プリアンプ」を2台活用することにした。テレビからのコード接続と、DAコンバーターからのコード接続をそれぞれ振り分けた。

これなら大丈夫だろうとスイッチオンしたところ無事音が出た。心なしか低音域の重量感が増したようで、プリアンプの過重労働の呪縛から解放されたせいだろう。プリアンプだって扶養家族が減って大喜びに違いない。

つくづくプリアンプの2系統出力の活用は要注意だと深~く脳裡に刻み込んだ次第。

以上、不運にも二つのトラブルに見舞われたが、両者とも対策を講じた結果以前にも増して音が良くなったので、我が家における「ピンチはチャンス」のジンクスはしっかりと生きていたことになる(笑)。
 


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JBL VS GOODMANS

2017年08月08日 | オーディオ談義

かねてオーディオ仲間にお願いしていた「不要になったオーディオ機器」の処分(於オークション)がこのところ予想以上の好調で少しばかり軍資金が溜まった。

「お墓までお金を持って行っても仕方がない、生きてるうちに楽しまなければ」というわけで、こういう小銭の類はいさぎよく使うことにしている(笑)。

さて何に使おうか。真空管アンプはもう十分だし、残るはSPユニットぐらいかな~。

するとオークションで目についたのがこれ。

          

説明文にはこうある。

☆JBL D123 初期型 16Ω エクステンドレンジ(フルレンジ) シリアル連番 : 63085 / 63230
DCR : 6.7 / 7.1


☆商品説明

JBL 12インチ エクステンドレンジ D123。
初期型のグレーフレームで、インピーダンス16Ωです。

そのままフルレンジとしてお使いなられても充分楽しめますが、LE20などのツィーターを付加するともっと幅の広がった最高のJBLサウンドを楽しめます。コーン紙はオリジナルの21005です。

☆状態

動作確認まったく問題なし。
大変美品で綺麗な良い音がでてます。片方のアルミセンターキャップに凹み補修跡があります。

以上のとおりだが初期型の「グレーフレーム」という文字を見た途端に頭がクラクラッとしてしまい、夢遊病者のように指先が動いて「即決欄」をポチッ(笑)。

先日「8Ω」版(ペア)を購入したばかりなのにまた性懲りもなく調子に乗って、と読者から謗られそうだなあ~。

二日後には我が家に届いた。

        

程度は良さそうだが、中央部のアルミキャップがやたらにキンキラキンなのがちょっと気になる。交換品かもしれない。

JBLに詳しい知人のSさんによると、「オリジナルを上回るものはありませんのですべての部品に亘ってできるだけ交換しない方がベターですよ。」

そういうわけだが、コーン紙はオリジナルだというし、ま、いっか。大勢に影響なしとしよう。

とにかく試聴してみなければというわけで、とりあえず自作の箱に取り付けることにした。これまで取りつけていたAXIOM80(最初期版)をバッフル板ごと外して、新たに予備のバッフルに「D123」を取りつけた。

このままフルレンジとして使ってもいいのだが、「面白きこともなき世を面白く住みなすものは・・・」とばかり、中高音域には独特の透明感に期待して裸の「AXIOM80」(復刻版)を使ってみた。このユニットならツィーター代わりにしても十分役割を果たせる。

使用するネットワークはパイオニアの「DN-7」で、仕様は「2ウェイ方式」「16Ω」「クロス4000ヘルツ」「肩落ち12db/oct」。

つまり周波数4000ヘルツ以上を「AXIOM80」に持たせようという算段である。一番気になるのは「D123」との能率の差だが、現在使用している「D130+AXIOM80」でほとんど同等なのを確認しているのでまずは心配無用といったところ。


ばたばたと作業が済んでいよいよ注目の音出し。「どうかうまく鳴ってくれますように~」と祈るような気分である。

          

ウ~ン、どうもしっくりこないなあ・・・。言葉で表現するのは難しいが中高音域がどうも不自然だ。

やっぱりアルミのセンターキャップのせいかなあ。しかし、こればかりはどうしようもないので、今度はアンプを「WE300Bシングル」から「PX25シングル」に代えてみた。

少しばかり症状が緩和したが、解決には程遠く、どうやらアンプとの相性ではないようだ。こうなると疑いの眼(まなこ)は自作のエンクロージャに向けられる。底板に設けた「ARU」も含めて、所詮は素人作りなので限界なのかなあ(笑)。

半分諦め気味ながら、最後に思い付いたのがSPコードの結線方法だった。念のためネットワークの「DN-7」の説明書を引っ張り出して読んでみると、中高音域(AXIOM80)のSPコードのプラス線を「DN-7」のマイナス線に繋ぐように指示してある。

2ウェイの場合、低音域と中高音域のユニットの位相が逆だと境界線の音域で音が反発し合ってうまくハモらない。

「そうか、肩落ち12db/octのときは高音域の位相を反転させなければいけなかったのだ」と、記憶が蘇った。

「いったい何年オーディオをやってるんだ」と自分のアタマを小突いてやった(笑)。

結線をし直してようやく音が正常になった。よし、これでいい。

翌日になって、ネットワークをテクニクスの「20N100」(12db/oct、クロス1200ヘルツ)に交換したところ一段と良くなった。

「D123」は「AXIOM80」のハイスピードに対応できるユニットだし、両者の音質もとても似通っていると思う。あの瀬川冬樹さんでさえ愛用されていた「AXIOM80」から「JBL」システムに走られたほどだからその気持ち大いに分かる。

一般的に「JBL VS グッドマン」とくれば「ジャズ VS クラシック」にも置き換えられるほどの「水と油」の対決になるが、徒に対立を煽るよりもむしろ共生・調和させる方向で解決すべしというのが自分のポリシーだ。

「偉そうに言うな!」と叱られそうだが(笑)。

これで次の画像のように左側が16Ω仕様、右側が8Ω仕様と、D123を2系統で楽しめることになったが、いずれも「甲乙つけ難し」で、それぞれにいいところがある。

        

ただし、左側のセットには発展性があって、今後「D123」を「AXIOM80」(最初期版)に取り換えて「AXIOM80」2台で楽しむことも考えている。作業はものの10分もあれば可能だ。

周波数を分割した「AXIOM80」がはたして機嫌よく鳴ってくれるのかどうか、いまからワクワク、ドキドキ~(笑)。

と、ここまで書き終えたのは6日(日)の早朝のことだった。

すると、その日の午前中にアンプビルダーのMさん(大分市)からご連絡があって「このほど新しいチャンデバを手に入れましたよ。」

「それはとても面白そうですね。是非我が家で試聴させてください。ついでにお手持ちの300Bアンプも持参していただけるとありがたいですね。台風の模様見もありますが、月曜日の午前中にお願いできませんか。」

そして、台風が過ぎ去った昨日(7日)のこと、新たなチャンデバで「D123+AXIOM80」システムを実験したところ、「物凄い衝撃」を受けることになるがそれは次回以降での報告とさせてもらおう(笑)。


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一枚の名刺

2017年08月05日 | 独り言

現在、手元に長年保管してきた「一枚の名刺」がある。

               

「齋藤 健」氏。

ピ~ンときた方は「政界通」間違いなし(笑)。このたびの(8月3日)内閣改造で、わずか当選3回で農林水産大臣に就任された「齋藤 健」氏(58歳)の若き日の名刺である。

なぜこんな名刺が自分のような地方在住の「一介の市井の徒」の手元にあるのか、まあ、聞いてほしい(笑)。

話は13年前の現役時代に遡る。当時は「職員の研修」業務に当たっていた。平たく言えば、有名講師を招聘し職員にタメになる話を聞かせて啓発しようという仕事である。

どういう講師を選定するかで研修効果がガラリと変わるので、人選にはいつも苦労していたが、当時の上司が「経済産業省」のOB(次官)だったこともあり、優秀な後輩が居るからとのことでご指名があったのが「齋藤」氏だった。

当日、「どうかよろしくお願いします」と講師控室で名刺交換をして雑談したことを昨日のことのように覚えている。

そして、100名ほどの幹部職員を前にした2時間ほどの講演内容がとても素晴らしかった。内容をかいつまむとこうだった。

『「
失敗の本質」という本があります。日本軍がなぜ戦争に負けたのか、その原因を追究した本ですが大いに感銘を受け著者の野中郁次朗先生とも連絡を取り合ってその謦咳に接しました。

敗因はいくつもあるわけですが、その一つに日本海軍の「船から航空機への転換」の遅れが指摘されています。当時はまだ「戦艦大和」のような大艦巨砲主義の名残が色濃く残っていて、すでに戦略的には航空機の時代が来ていることは海軍上層部も分かっていたものの、どうしてもドラスティックに転換することがためらわれていました。

なぜなら「月月火水木金金」と猛訓練を重ねる水兵たちに「君たちの役割はもう終わった」とはどうしても言うには忍びなかったこと、また、航空機の時代が到来すると水兵たちの居場所をどこにも求めようがなかったことが挙げられています。

いったい「国家の存亡」と「水兵たちの失業問題」とどちらが大切なんだと、今となっては自明の理ですが、当時の海軍の上層部には大局的な判断が出来なかった。

日本人は組織を作るのは上手ですが、運営していくのは下手です。どうしても縦割り主義となって組織自体を護っていく方へと視点が移っていくので、大所高所からの司令塔が是非必要です。」

チョット舌足らずだが、以上のような趣旨だった。

とてもいい内容だったので幹部職員だけでは勿体ないと、すべて「テープ起こし」をして文章に直し、ご本人に一度見てもらって御了解を得たうえで「全職員に回覧」の措置を講じたものだったが、とにかく天下国家を論ずるスーパーエリートの熱っぽい話に圧倒され、こういう方が政治家になったら日本も安心なんだがと思ったことをよく覚えている。

「この方は只者ではない、きっと将来名を成す方だから名刺を大切に保管しておこう。」というわけで、これが冒頭に述べた「一枚の名刺」が意図的に残された経緯である(笑)。

その後、斎藤氏の進路をずっと注視してきたが、40代半ばで「埼玉県副知事」へ転身され、千葉7区から衆議院選挙に出馬されて、初回は落選、以後連続3回当選、その間、自民党の農林部会長、農林水産省副大臣、そして今回の大臣就任へと異例の大抜擢だった。

自分の予感は見事に当たったと、内心悦に入っているところ(笑)。

それにしても安倍首相の人を見る目というのは、「稲田」にしろ「丸川」にしろ、サッパリだなあと思っていたが、今回の齋藤氏で少し見直した。

あの小泉進次郎氏がこの度のテレビ出演で「当選3回の同期の齋藤さんが大臣になったのがとてもうれしい」と、爽やかな笑顔で語っていたが、大の仲良しらしい。

これからの齋藤大臣のご活躍が見物である。きっと国家的な見地から農林水産業の在り方を誘導されていくに違いない。これからの国会での答弁もあの独特の歯切れの良さが味わえるとなるととても楽しみだ。

最後に、斎藤氏はご自身のホームページに、政策の理念を次のように記しています。

巨額だった財政赤字も着実に減少に向かい、バラマキ的な予算は姿を消し、筋肉質な歳出構造の下で皆が知恵を絞

り、消費税は15%となってはいるが、将来が見通せる安定的な年金制度となって、自己責任の下で各自が自らの将来

に備え、大いなる規制緩和の下で、各自が生まれ持つ力を最大限発揮して経済・芸術・文化・スポーツの世界で自己実

現し、道州制の下で道州間競争が活発化して行政がスリム化し、地域社会は、コンパクトシティの下で、効率的でエコ

で温かい街となり、人々が、思い思いのNPOに参加しながら社会貢献し、企業は、世界最強の技術を持ち、国際的な

全面展開をしながらも雇用と収益を国内に確保し、中央政府は、外交、治安、医療・介護など全国ベースの社会保障制

度の運営などに、優秀な国家官僚がスマートな行政を展開し、憲法が改正されて、自分の国は自分で守るという自主

独立の気風が国民全体にあふれ、教育水準は再び世界最高水準で、食料自給率は7割を達成し、国政を担う政治家

がクレバーで、なおかつ、ノーブレスオブリージュの気概を持つ。
こういう国に私は住みたい。」

まったく同感です!(笑)

 


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「音響特性」派 VS 「音楽特性」派

2017年08月03日 | オーディオ談義
メル友の「I」さん(東海地方)からは折りにふれ貴重なアドバイスをいただいており、まことに感謝に堪えないが、今回もとても参考になるメールをいただいたので忘れないように以下のとおり保存しておくことにした。

「JBLのD123良さそうですね。075との相性も抜群でしょう。
これで、130・123・8TとJBLを代表するフルレンジが揃ったわけですね。この3種を鳴らせる状態で、同時に所有している人は、実際にはほとんどいないのではないでしょうか。
 
フルレンジ絡みの話を少し聞いてください。
 
先般、ヤフオクで落札したレコードプレイヤーの出品者とメールを交換しました。
この方は、JBLの愛好者で4560BK、375・HL88等を使用され、一関ベイシーもジャズ喫茶を開くご友人と共に、耳を鍛えるために訪れたことがあるそうです。(関西在住・団塊の世代)
 
ただ退職後しばらくして装置を息子さんに譲って、コンパクトなシステムに変えたそうで、当初はLE8T、今はパイオニアのPE20をお使いです。
 
以下、メール原文です。(LPとCDの比較の意図はありませんので悪しからず)
 
『シングルコーン一発で音楽を聴いておりますと、CDやデジタル音源ですと、横には広がってくれるのですが、前後が少ないような気がします。レコードを聴きますと、JAZZボーカルでは楽団の前に歌手が出てきて、目の前で歌ってくれているいうな気がするのです。

今日は作業をしながら、トスカニーニ指揮の仮面舞踏会を聞いていたのですが、モノラルでも、前後が出るような気がしました。6畳の部屋ですので、距離はそんなにありません。60を過ぎてから、シングルコーンの音響特性よりも、音楽特性に、これ以上は、何もいらないという感じで聞いています。』
 
ウーン! シングルコーンの「音楽特性」か。文学的な表現ですね。
 
影響を受けやすい当方としては、お蔵入りしていたダイトーボイスの16㎝ダブルコーンを、一時ネット上を騒がせた「絨毯スピーカー」に仕立ててみました。高さは35㎝です。写真隣はアルティックの7㎝ユニットをスコッチの箱(筒)に入れた「紙筒スピーカー」です。
 
このタイプは、背を高くすると高域が減衰してしまいますが、この程度の高さならあまり減衰しません。また、無指向性風になるため音場感に優れます。
特に、ダイトーの方は低音もそこそこに出て、非常にナチュラルな音場を聴かせます。音場の広さ・深さは4ウェイに一歩譲りますが、自然さは勝ります。
 
小編成のクラシックには相当な表現力です。自然音場に加え、音のつながりがいい! 当たり前ですが。これがシングルスピーカーの音楽特性なのか、と一人合点しております。 

        

以上のような内容だった。

文中の「LPとCDの比較の意図はありません」とのことで、LPレコードをやってない自分に対してのご配慮まことに痛み入ります(笑)。「I」さんがとてもこまやかな神経をお持ちの方だということはよく存じ上げております。

さて、肝心の「メール内メール」の部分を当方で勝手にくだけた物言いにさせてもらうと、

「歳をとるにつれ子供や孫たちが成長していくのでオーディオ用に使っていた広い部屋を譲り、狭い部屋に引っ越した。したがってアンプもスピーカーも小ぶりなものに変更し、音楽を楽しんでいたところ、大掛かりなシステムからは得られなかった音楽特性を発見して大いに悦に入っている」という趣旨になるのだろうか。

ふと「オーディオはフルレンジに始まってフルレンジで終わる」という格言を思いだした。

それはさておき、音楽を聴くときには人それぞれに気にかけている分野があるが、我が家の場合、一番のポイントは音の拡がりよりも文中に出てくるような「前後感」そのものにあり、このブログでは度々「奥行き感」とか「彫りの深さ」とか表現させてもらっているが、これを平たく言うと演奏されている楽器や歌手の位置が前後感覚を持って再生されることをいう。

アンプやスピーカーのテストでも音響空間におけるこの立体感覚が感じられないと即座にアウトで潔く退場してもらっている。(前述のように我が家はレコードではないが、dCSのDAコンバーターで辛うじてカバーしている積もり(笑)。

この前後感覚を一番自然に表現できるのが前述どおりシングルコーンというわけだが、その理由を素人なりに挙げてみると、いくつもユニットがあるとどうしても周波数の重なり合いの部分で音の濁りが生じるし、ユニットごとの微妙な位相管理も難敵だ。

その一方、シングルコーンに付きものの不満を挙げると、たとえば「低音が出ないのでスケール感に乏しい、高音域の伸びが足りない」などの欠点も、この前後感覚の再生の見事さが補って余りあるとすればそれだけで十分な存在価値がありそうだ。

そういえば、我が家で大掛かりなウェストミンスターの音をひとしきり聴いた後で、なぜかJBLの「LE8T」(口径20センチ)を無性に聴きたくなるのもその辺に理由があったのかと思わず膝を打ったことだった(笑)。

オーディオ愛好家を大きく分けるとすると、低音とか高音とかの周波数レンジをことさらに問題視する「音響特性」派、その一方、楽器の前後感覚の表現や録音現場の雰囲気の再現に拘る「音楽特性」派とに分けられるように思う。

もちろん「至上の原音再生」ともなると、この二つがきちんと両立しているはずなのだが、これがとても一筋縄ではいかない。どうしてもどちらかに偏りがちになる。しかも「音響特性」に拘れば拘るほど「音楽特性」がおろそかになる傾向がある。

オーディオは自分さえ楽しめればそれでいいのだから、どちらでも構わないのだが、経験上では耳が肥えた方ほど「音楽特性」派に属する方が多いようだ。

願わくは自分も同派に所属したいのはやまやまだが、残念なことにいまだに両者のバランスを取るのに四苦八苦しており、その意味では永遠に「ストレイ シープ」状態から抜け出せそうにないのがちょっとつらい(笑)。

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「球転がし」の楽しみ

2017年08月01日 | オーディオ談義

「球転がし」といっても、何も「ボーリング」のことではありませんよ(笑)。

これは真空管アンプ愛好家の間の隠語で「ほぼ同等の規格の球を製造ブランドごとに差し換えて音の変化を楽しむこと」を指します。

先日、大分市にお住いのNさんからお電話があって「明日(27日)お伺いしたいのですがご都合はいかがでしょうか。委託されてオークションに出品した代金が溜まっていますし、久しぶりに音も聴かせてください。Mさんと二人になります」

「ハイ、OKですよ~」

3年ほど前からNさんに我が家で不要になったオーディオ機器をコツコツとオークションに出品してもらっている。何よりも部屋のスペースが確保できるし、新たなオーディオ機器の購入財源になるので大助かり。

それに今回は新たなスピーカー(JBLのD123)を聴いていただくのに絶好のチャンス。「3人寄れば文殊の知恵」という言葉があるように、オーディオの試聴は「3人」が一番いいように思う。

オーディオはそれぞれの感性の違いから「百人百様」で、その在り様にいいも悪いもないが、出てくる音質に対しても「肯定派 対 否定派」に分けられる。その場合「3対0」「2対1」「1対2」「0対3」と、白黒がハッキリつけられるのが好ましい。

二人で試聴するときのように「1対1」ということが無い。自分などは
意見が対立したときに、気が弱いものだからつい相手の自信に気押されてしまい、いつも煮え湯を呑まされている(笑)。

このように今日は絶好の機会ということなので、新しい組み合わせの「D123+075」(JBL)の試聴とともに駆動するアンプを「WE300Bシングル」にして、「球転がし」をやってみることにした。まず当然のことながら第一弾として300B真空管を俎上に上げた。

現在、手持ちの300Bは下記の画像のように左から本家本元の「WE300B」(1951年製オールド)、同じく「1988年製」、ロシア製の「エレクトロハーモニクス」(以下「エレハモ」)、中国製の「ゴールデンドラゴン」(GD)の4種類。

           

お値段のことを持ち出すのはあまり品が良くないことを十分承知しているが、話の行きがかり上、仕方がないのであえて記載しておこう。

オークション相場でいくと、
まず「WE300B」の1951年製の良品が50万円前後、1988年製が30万円前後、中国製並びにエレハモが2万円前後である。(いずれもペアの値段)

ご覧のとおりまったく雲泥の差がある。ただし我が家の1951年製は寄る年波には勝てず、何しろ65年も経過しているのでややヘタリ気味でお値段はぐっと下がるだろうが(笑)、それでも高価であることには間違いない。1988年製はまっさらに近いので相場どおりだろう。

「はたして音質にお値段ほどの違いがあるのだろうか」、今回の「球転がし」の興味はこの一点に絞られる。

まずエレハモから試聴してみると「JBLらしくて元気のいい音ですね~。これで十分な気がしますよ。エレハモはなかなかいいじゃないですか!」と「3対0」で衆議一決。

次に1951年製のWE300Bを挿し代えてみた。

「ウ~ン、まったく音楽の雰囲気が一変しましたね。とても渋い感じがするのですが、そこはかとなく色気が漂ってきてとてもいいですね。惚れ惚れします。振るい付きたくなるような音とはこういう音なんですね。悲しいことにエレハモとの差は歴然としています。この音なら50万円以上の差があっても当然ですよ!」と、これは「2対1」。否定派は自分だけ(笑)。

総じてやはりお値段ほどの音質の差はあるようで、オリジナルのWE300Bをお持ちの方は絶対手放してはいけませんよ~(笑)。ただし1990年代以降製造のWE300Bは故障がやたらに多いので買うと後悔することが多いと聞いている。ご用心!

この日は時間切れで、「WE300B」の1988年製と中国製の比較は次回へと持越し。おそらくエレハモと中国製は似たり寄ったりだろうが、WE300Bの1951年物と1988年物との差はぜひ確かめてみたい。

予想だが、1988年製の方が元気のいい音が出るだろうが、1950年代の黄金期のクラシックやジャズを聴くのならやはり1951年製に軍配が上がることだろう。

そして、「球転がし」の第2弾に移ろう。

        

今日は丁度いい機会とばかり、登場させたのがもう1セットの「WE300Bシングル」(モノ×2)。

この前段管にはこれまで「AC/HL」(英国マツダ)を使っていたのだが、どうも音がイマイチ冴えない。1枚ベールが被ったような音なので諦め気味だったが、もしかしてとワラにもすがる思いで「MH4」(マルコーニ:メッシュプレート)に代えてみた。μ(ミュー=増幅率)は同じ30前後なので差し換えが利く。

     

画像の左が「AC/HL」(メタルコート)、右が「MH4」でプレート部分がメッシュ(網の目状)になっているのがお分かりだろうか。

20年近く真空管オークションをやってきたが、見かけたのはこの1本だけという稀少管である。ペアになる片方は「北国の真空管博士」に無理を言って譲っていただいたもの。    

差し替えると驚くほどの豹変ぶりだった。

「これはいいですね!まるで別のアンプを聴いているみたいです。音がメチャくっきり爽やかになりました。前段管ひとつでこれほど激変するんですから真空管アンプは奥が深いですねえ。それにしてもメッシュプレートはダントツの性能を発揮しますから、オークションで見かけたら絶対に買いですね。」

これは「3対0」で異論なし(笑)。

今日の「球転がし」は大きな実りをもたらした。「WE300B」アンプ(モノ×2台)の復活はことのほかの朗報である。

これで我が家の真空管アンプ群は「WE300Bシングル」が2セット、「PX25シングル」、「2A3シングル」、「171シングル」「71Aプッシュプル」となり、これで十分。以後、オークションへの手出し無用(笑)。

最後に、肝心のスピーカー「D123+075」(JBL)の試聴結果だが、JBLの口径30センチのユニットの「低音域の量感とスピード感」のバランスの良さに一同満足のご様子で、
これも「3対0」。

この日はやたらに衆議一決が多かった(笑)。

それにしても、この日はとうとう「聴かせてくれ」という要望が無いままに、真打ちの「AXIOM80」の出番が無かった。

何だか今後の方向性を暗示しているみたいで、はたしてこれでいいんだろうか!?
 


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