「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~月刊誌「無線と実験」2011年3月号~

2011年02月25日 | オーディオ談義

先日、名古屋のメル友のYさんから次のようなメールが入った。

「私が加入しているオーディオクラブの試聴会が雑誌のMJ(「無線と実験」)に載りました、レポートは私が書きましたので一度今月号を見て下さい。(チューブアンプクラブ豊橋)」

Yさんは同じ英国のグッドマン社のSPユニットを使用され、真空管アンプを愛用されていることから、昨年の12月からメールのやりとりをしている方。

早速クルマで15分ほどの書店に行ってみたものの、お目当ての「MJ」誌が見当たらない。そもそも、月の発売日も、何月号かも分からないので店員さんにも尋ねようがない。

家に戻ってYさんに折り返し、メールしたところ、「MJ誌は名古屋でも置いてない書店があります。毎月、10日が発売日で3月号に該当記事が載ってますが、手元に二冊ありますので一冊を送付しましょう」というご返事。

ありがたく、ご好意を頂戴することにした。

ただ、そのお返しといっては何だが、輸入盤(現在は廃盤)の、スウェーデンのヴァイオリニスト、アーヴェ・テレフセンの、それは、それは美しい音色の曲目が収録されたCDを送付することに。

          

さて、送っていただいたMJ誌を久しぶりに拝見。

オーディオ関係の雑誌は評論家の意見を参考にしたくないので、なるべく見ないことにしているが今回は別。

一読した結果、実に沢山の収穫があった。

まずは、Yさんご執筆の178頁の「第11回チューブアンプクラブ豊橋試聴会」の報告記事を熟読。

およそ70名のオーデォファンが集まって会場を借り切り、欧米の珍しいSPユニットを真空管アンプで試聴するという贅沢な企画。

別府の片田舎ではとても望むべくもない催しで、さぞや「いい音」で耳が鍛えられてレベルが向上することだろうと、実にうらやましい。

記事には、そのほかにも、日本の「高槻電気」がWE300Bと互換性のある真空管を開発したというグッドニュース。

価格にして、ペアで10万円前後と中国製などと比べると明らかに高価だが、それなりの音なら文句のつけようがない。

本家本元のWE300Bのオールドなら軽く20万円以上するので、比較の意味で一度聴いてみたいもの。

それに、ネットで検索して画像を見るとさすがに近代菅だけあって4本の足ピンがちゃんと金メッキになっている。

この点はさすがで、(ソケットとの)金属同士の接触面の酸化防止効果は計り知れない。音質にもメリットがあるはず。

そして一番最後にじっくり目を通したのが巻末の「求む、売りたし」の部品交換欄。

ネット・オークションと違ってはじめから住所氏名を明示しているので安心して取引できるのが大きなメリット。

オーディオの大先達、湯布院のAさんと知り合ったのも自分がこの欄に「WE300Bアンプ」を「売りたし」で載せたのがきっかけだった。もう10年以上も前の話で懐かしい。

「求む」の記事の中で目を引いたのが熊本市の方が
「テクニクスのゲンコツと呼ばれた古いSPユニットEASー20PW55を探しています」の記事。

たしかゲンコツなら持っていたはずと倉庫を探してみると、型番が「EAS-20PW09」があった。

       

該当のものとは型番がちょっと違うが同じ20cm口径だし、もう鳴らす機会もないので早速ハガキで打診することにした。

それから、ずっとこのゲンコツのSPのことが何となく気になり、夕方、風呂に入っているときにふと思いついたのが、自分が愛用している「アキシオム80」の前に丸いデフューザーを設置すること。

このゲンコツと称されるデフューザーとは写真でご覧のとおりユニットの真ん中についている球体のことで、高域を拡散して柔らかい響きにする役目を果たしている。

低域ユニットの前にこんなものを置いても「屁のツッパリ」にもならないが、指向性の鋭い高域ユニットだからこそ通用する話。

以前から時折り、我が「アキシオム80」の鋭い高域が気になっていたので早速実験することにした。

近所の量販店でようやく見つけ出したのが無垢の真ん丸い木の球。

手ごろのものを2個〔1個200円程度)購入して帰宅すると、早速ドリルで極小のアナを開けて小さなネジを差込み、釣り糸を結んだ。

SPボックスの上に小さな釘を打ち込んで釣り糸を結びつけ高さを調整して出来上がり~。

早速試聴してみると、これが想像以上の効果。以前よりも柔らかい響きが室内の音響空間を漂う。

早速、オーディオ仲間のMさんに注進すると、「早くからそれをアドバイスしようと思っていたよ。ただ、滑らかに見える無垢の木だって顕微鏡で見ると細かい穴だらけだから、ある程度吸音材になってしまうよ。ウレタン塗料を塗って表面をツルツルにすると、もっといいと思うけど。」

成る程、成る程~。そういえばナショナル〔今はテクニクス)のゲンコツも表面がツルツルだっけ。

すぐに塗料を買ってきて、二度塗り。出来上がったのが次の写真。「百聞は一見に如かず」で、右側がそのデフューザーをぶら下げたもの。

   

いやあ、グッド、グッド~。

まったく、今回はYさんのメールに始まり、MJ誌の購読からデフューザーの設置と想像もしない展開をみせた。

ホントに何が”きっかけ”になるか分からない。

 


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音楽談義~「内田藤雄さんって、誰?」

2011年02月17日 | 音楽談義

2月16日(水)の早朝、いつものようにパソコンを開いて〔自分の)ブログの「解析」を見ていたところ「検索ワード」に「内田藤雄」とあって14件ほどのアクセスが見受けられた。

「エッ、今ごろ急になぜ?」

「内田藤雄」さんでピンとくる方はよほどの音楽ファンだろう。

もったいぶらずにあっさり明かすと、日本が生んだ国際的なピアニスト「内田光子」さんの厳父〔故人)で、
ずっと以前、ドイツとオーストリアの大使をされた外交官である。

ついでに種明かしをすると内田光子さんがこのたびグラミー賞を受賞されたことに関連して、以前のブログで内田光子さんについての記事の中に「内田藤雄」さんが登場していたので、アクセスが集中した結果だった。

しかし、「グラミー賞ってジャズとかポピュラー音楽部門だけかと思っていたらクラシック部門もあったんだよねえ~」という感じ。

アメリカ発の賞なので基本的にヨーロッパの伝統に根ざしたクラシックとは「
水と油」みたいな印象だが、まあとりあえず「おめでとうございます」。

さて、先ほどの話に戻ってこの2年ほど前の内田光子さんのブログの記事には今でも鮮明な記憶がある。

彼女への思い入れが手伝って、かなり時間をかけて作成した記憶があるので、まだご覧になっていない方、あるいは一度読まれても記憶が薄れた方は是非再度ご覧になっていただきたいと思います。

ブログのアクセス先は次のとおりです。

「女流ピアニスト内田光子さんへの賛美」(2008.12.8)

ところで、今回の受賞はネットによるとクリーブランド管弦楽団との協演でモーツァルト・シリーズの演奏が対象とあった。

なるほど、クリーブランド管弦楽団なのでアメリカ発のグラミー賞というわけで納得。

彼女は1980年代にジェフリー・テイト指揮のイギリス室内管弦楽団との協演でモーツァルトのピアノ協奏曲を録音している。

自分も20番(K・466)と21番(K・467)がカップリングされたCD〔1985年録音)を持っているが改めて現在、聴いてもやはり名演だと思った。

取り分け、21番の第二楽章はモーツァルトの美の極致といえるもので絶品。もうこれ以上の演奏は要らないというほど。

          

あれからおよそ25年、内田さんのモーツァルトのピアノ協奏曲がどういう進化をみせているか今回の演奏を是非聴いてみたいものである。

クリーブランド管弦楽団といえばかっての常任指揮者「ジョージ・セル」の猛特訓により、アメリカの片田舎のオーケストラから世界のオーケストラへと一気に大躍進した経緯がある。

現在の指揮者は誰だったかなあと「グーグル」で検索してみると、何とあの「フランツ・ウェルザー=メスト」だった。

メストは以前、44セットのオペラ「魔笛」(モーツァルト)を購入して聴き比べをやったときに、まだ若いのに出色の指揮者だったという記憶があり「この指揮者は絶対大成する」と思ったものだった。

指揮者の能力は「オペラ」を聴けばおよそ推し量れるという通説があるが、自分はそれに与(くみ)する一人。

ただし、受賞対象になった今回のシリーズのピアノ協奏曲23番と24番は、ネットのCDジャケットを拝見すると内田さんご自身が指揮と演奏の両方を兼ねられているご様子。

内田さんが単なる演奏に留まらずとうとう指揮者にまで意欲をみせられたかと驚きだが、それがいとも簡単に実現しているという現実は二つ目の驚きで、まさに「飛ぶ鳥を落とす」勢いの内田さんの現状を物語っている。

今後のご活躍が益々楽しみに~。


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オーディオ談義~「八つのスイッチ」~

2011年02月15日 | オーディオ談義

新聞やネットの情報によると「天皇陛下」の心臓機能に異常があったとして東大付属病院で冠動脈の検査が行われたそうだ。

ご存知の方も多いと思うがつい4~5日前の話。

自分も最近タイミングよく(?)心臓カテーテル手術を行ったばかりなので、”同病相哀れむ”とは僭越極まりないが興味深く見守った。

そしてその検査の結果では、加齢により心臓の動脈硬化が全体的に進行して血管がやや細くなっており、取り分け1箇所にやや顕著な徴候が見られたが、当面治療方針は「薬物治療」でいくことに決まったと報じていた。

それほど案じられたご様子ではないようだが、今回の自分の経験を通じて医師からの話などを総合すると「一旦動脈硬化で細くなった血管は再度自然に広くなることはまずありえない」と聞いている。

そこで「あれっ、カテーテル治療で心臓血管にステントを入れれば勝負が早いのに」と意外に思ったものだった。

当該医師団がまさか「玉体に異物を入れる」ということを理由にためらったわけでもあるまいが。

まあ、心臓血管にステントを入れると血流を良くする薬や、血栓を防ぐ薬を一生飲み続けなければならずプラス、マイナスの両面があるのだろう。

しかし、自分の思うところ、この「薬物治療」は時間稼ぎに過ぎず、今後、厳密な健康管理が行われるだろうが、いずれはステント挿入の治療に移行するのではあるまいかという気がする。

とはいえ、あくまでも素人判断、とても出る幕ではなさそうで日本で考えうる最高レベルの医師団が決めたことだから、現時点でベストの治療方針なのは間違いなかろう。

それにしても、もし陛下のカテーテル治療を行うとすると当該医師はさぞや緊張することだろう。うまくいって当たり前、もし失敗すると医師としての生命は断たれるという悲惨な結果に。

「光栄」に思うか、「負担」に感じるか、ポジティブ思考かネガティブ思考かによって感情が揺れ動くところ。

おっと、表題とは無縁の話になってしまった。早速オーディオに移るとしよう。

現在我が家のオーディオは2系統のシステムを使い分けている。もちろん最初から意図したものではなく、不要な機器の有効利用からこうなってしまった。

一言でいうと、片方はオーディオとテレビの両方が視聴できるようになっており、もう片方は「テレビ視聴専用」。

前者のシステムを紹介すると次のとおり。

まず音の入り口から順に「CDトランスポート(ワディア270)」→「DAコンバーター(ワディア27ixVer3.0)」→「リアライザー」→「プリアンプ」→「低域用アンプのケンウッド01-A〔2台)+高域用アンプのWE300Bシングル(モノラル2台)」→「スピーカーのアキシオム80+フォステクスSLE20W3本+ヤマハのスーパー・ウーファー2台」

仮にこれを「第一システム」としよう。

次に後者のシステムは次のとおり。

同様に、「ハイビジョンレコーダー」→「アッテネーター」→「低域用アンプのケンウッド01-A〔1台)+高域用アンプのPX25真空管シングル〔1台)」→「SPのタンノイ・ウェストミンスター」


これを「第二システム」とする。

ややこしいシステムの中味を長々と書き連ねたが、何も自分の装置を自慢するのが目的ではなく、視聴するときにいかに「スイッチ」が多いかということを分かっていただくために記載してみたので念のため。

第二システムは、二つのアンプの電源をまとめて安物の「ACパワータップ」に接続しており、このタップのスイッチひとつですぐに視聴に入れるのが大きなメリット。

問題は第一システム。

視聴に入るためには何と「八つのスイッチ」をオンしなければならないという面倒くささ。それに入れるスイッチの順番もちゃんと決まっているというややこしさ。

またスーパー・ウーファー〔2台)のスイッチは、1台ごとに部屋の端から端まで動くのでこれが一番面倒くさい。

しかもワディアのCDトランスポートとDAコンバーターは常時電源を入れっ放しなのにこの有様。

全体のスイッチを入れるのにかかる時間は、ものの15秒ほどで済むのだが、同様に視聴が終わって各機器の電源を落とすときも同じ手間がかかってこれまた順番も決まっている。

もちろんスイッチをある程度まとめる方法もあるのだが、各機器の電源を共通にすると音質が劣化するのはオーディオ・マニアなら先刻ご承知のとおり。電源は音質に物凄く大きな影響を与える。

深夜に聴く音楽が昼間と違ってなぜあれほど音が澄み切っているのか、これはまったく汚されていない電源のおかげと言っても過言ではあるまい。

さて、若いときはそういう(スイッチの)手間は何てことはなかったのだが歳をとってくるとどうしても”ものぐさ”になって機器のスイッチを入れるのでさえも億劫になる傾向があるのは同年輩の方ならお分かりのとおり。

したがって第一システムを聴くときにはそれなりの覚悟」を要するので、オーディオのときは仕方がないとして日頃テレビを観るときは自然と手間の掛からない第二システムになってしまう。

しかし、このシステムだけを聴いている分には何ら違和感なしに視聴できるのだが、第一システムと切り換えると明らかに違いが分かる。

(第二システムは)何だか音がスピーカーにベタ~ッと張り付き、いかにも篭った音がして音のヌケがたいへんよろしくない。

というわけで、「音を優先するときは第一システム」、「手間を優先するときは第二システム」という凌ぎあいの毎日が朝から晩までそのときの気分次第で延々と繰り返されている。

しかし、どうやら最近はスイッチを入れるのに楽な第二システムが優勢の傾向にあるのが現実。

結局、美的感覚に対する欲求に身体行動が伴わないというわけ。

もしかすると、これは「いい音に対する根気と情熱」が薄れてきた証拠かもしれない。

果たしていいことなのか、悪いことなのか、ちょっと判断に迷ってしまう。


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独り言~「やっと回復」~

2011年02月11日 | 独り言

1月18日に心臓のカテーテル手術を受けてから丁度3週間目の2月9日〔水)は予定された定期検査。

血液、レントゲン、心電図、心臓エコーとひと通りの検査結果をもとに医師が「順調に回復してます。後遺症はありません」とのご託宣。

自覚症状も同様なのでとりあえずホット一息。あの手術直後のひどい息切れと比べるとよくぞここまで回復したかと思う。

心臓カテーテルは比較的ポピュラーな手術で入院も3日間程度で済むが一歩間違うとやはり危険な面もある。

細かい話になるが、心臓の血管にステントを入れるときに、人によっては動脈硬化症状によりプラーク(ニキビみたいなもの)が飛び散り、それが脳血管なんかに流れて行くと詰まって脳梗塞になるという。

それが心臓血管に留まれば当然末梢血管の一部が詰まることになる。

罹りつけの医師によると、プラークが飛び散りそうなときは大体分かるのでステントの両端にパラシュートを付けてプラークが飛び散らないようにするそうだが、自分の場合は若い医師だったけれども、果たしてどうだったのだろうか。

脂汗が流れるようなあの手術中の息苦しさはどうも思い当たる節がある。

最新鋭の医療機器の評判につられてわざわざクルマで1時間もかかる病院を択んだのだが、むしろ別府市内の経験豊富な医師を指名して受診するべきだったとチョッピリ後悔。

順調に回復したので今となっては「肩の凝らない話」になるのだが。

それから血液検査の結果を見てみると、総コレステロールの値が148、LDL〔悪玉)コレステロールが68といずれも大幅に低下して基準値以下になっていた。

ちなみに基準値は前者が150~219、後者が70~139。

コレステロ-ルは低ければいいというものではなくて、あまりに低いとガンにかかりやすくなるらしい。

独断だがコレステロールの薬を当分服用しないことにした。

さて、先日、近所をリハビリ・ウォーキングをしていたら知り合いの同年輩の奥さんとバッタリ会い「大変だったですね、その後どうですか」と声を掛けられた。

現在、自治会の会計をしていて定期の会合に欠席したりしたので心臓手術のことが広く知れ渡ったらしい。

「おかげさまで、ようやく回復しつつあります。」

「実は私も心臓がおかしくてねえ。ギュッと締め付けるような痛みがあって10分ぐらいすると良くなるのよね。これまでに4回ほどそういう症状があったけど。父も心筋梗塞で亡くなったのよ。」

「エ~ッ、心臓に自覚症状が出たときはもう相当悪化している可能性があるよ。大至急、病院に行って絶対検査を受けたほうがいいよ。入院も3日間程度で済むから」

「何だか、心臓がドキドキしてきた。しかし、どうせこんな命だから生きてても仕方がないけどねえ~。」

こういうあっさりした人生の諦観を聞かされると「お互い様」と思いつつ、ついホロッときてしまう。

この方は若いときにご主人を病気で失い、男の子3人を女性の細腕ひとつで立派に育て上げられた方。

「可愛いお孫さんがいるのに長生きしてあげないと~。それに手遅れで後遺症が残ったりするとかえって子供さんたちに迷惑をかけることになるよ。」

「そうよねえ。早速、病院に行ってみよう。」

最後にお金の話。

今回の一連の騒動で、医療費の自己負担額は16万円程度だったが、市の国保担当課によると9~10万円をオーバーした金額は戻してくれるという。

ただし、同月内、同一医療機関が原則で通院費と入院費の合算でOKという。

医療費は全てカミさんが出してくれたが、この「戻り」の分は内緒にしておくことに。

丁度最近購入したプリアンプ代が賄えて、お釣りが来る勘定。

「しめしめ、転んでもタダでは起きないぞ!」

 


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オーディオ談義~「オーディオの醍醐味」♯2~

2011年02月08日 | オーディオ談義

(前回からの続きです。)

メル友の奈良県のMさんから前回のブログで話題にした差動方式のプリアンプの回路図を「見せていただけないか」とメールが入った。

「お安い御用です」とすぐに郵送したが、そのときに「改造後のプリアンプがどんな音になるか、胸がわくわくします」と書いておいたところ
「そういうときこそがオーディオの醍醐味ですね」と折り返しご返事があった


やはり持つべきものはオーディオマニアの友だちで、言葉を尽くしなくてもお互いの心情が手に取るように分かり合えるのがいい。

とにかく機器を追加したり入れ替えたりして最初の音出しのときがオーディオをやってて一番楽しい瞬間。

まさにスリル満点の緊張の一瞬で、「いい音」が出たときにはまさに至上の喜びとなる。

「これからはこんなにいい音で音楽が聴けるのか」と天にも昇る気持ちでこれは何物にも代えがたい。

(とはいえ、ものの2~3ヶ月も経つといつも幻想に過ぎなくなるのだが果たして今回は・・・)。

また高価な機器を導入したときは、いい音が出ても「当たり前」であまりうれしくもないが、安物の機器で効果が出たときにうれしさが倍増する。

まあ、貧乏人根性というヤツで悲しいかな、こういうときにどうしても「育ち」というものが出るらしい!

さあ、その醍醐味の瞬間が刻々と近づいてくる。

予定の時刻は4日の金曜日の14時。

当日は朝からソワソワして何だか落ち着かない。まるで入試を控えた受験生の気分。

まず病院に行って1か月分の薬を受け取って老母〔94歳〕のいる介護施設に届けると、そのまま体育館に立ち寄って術後のリハビリ・ウォーキングを1時間ほどやって時間をつぶした。

こちらの心理を見透かしたようにMさんが改造後のプリアンプを携えてお見えになったのは予定の時刻よりも随分と早い13時20分頃。

「このプリアンプは10分程エージングが必要だよ」とのことで、まず電源を入れておいてとりあえず比較する意味で従来のシステムで試聴。

テスト盤はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲(グリュミオー演奏)。あの霊妙な美しさを湛えた5番の第二楽章で、古今東西、名曲中の名曲とされるものである。

「ちょっとハイが上ずり気味だね。それにヴァイオリンの胴鳴り部分が不足してる。録音が古いのを割引してもこれではやはり長時間聴くと疲れるはず」とMさんの第一声。

そこでいよいよ改造後のプリアンプの出番。

名称のつけようが無いのでとりあえず「プリアンプ」としておくが、接続ケーブルを挿し込んで何度も左右の信号の差込口をチェック。試聴盤は同じ。

静まり返った広い空間の彼方からスッと音が湧いてくる感じといえばいいのだろうか。これは上質のプリアンプだけが持つ特質である。

「これはいい!想像以上に素晴らしい仕上がりです。」

「高域がまろやかになって明らかに聴きやすくなったね~。ゲインは結局ワディアの出力レベルに対して1/2に落としたよ。通常ゲインを上げるのがプリアンプの役目だからこんなものを作っても絶対売れないね。」

「出力電圧が4V(ボルト)前後もあるワディアのDACだけに通用する代物だが、その代わりボリュームやセレクターがないので接点による音の劣化や接触不良は心配なし、消耗品は2本の真空管(6FQ7)だけなのでメンテはたいへん楽だよ。」

ゲインが減ったといってもこれまでワディアのデジタルボリュームを60/100あたりで聴いていたのが、今回のプリアンプの導入により80/100あたりとなったのでまったくの適正レベル。

結局、増幅しない代わりにSN比を稼いだというわけで、ノイズが完璧にゼロなのでプリアンプの存在をまったく意識させない空気のような感覚が実に好ましい。

それだけシステムの中にうまく溶け込んでいる証拠だが自己主張の過ぎる目立ちたがり屋の機器はオーディオに限ってはとかく要注意。

ワディア特有の高域の鋭さが消えて失くなったが、若い人はこの鋭さがいいのだろうが、歳を取るとひたすら「穏やかに」がモットーでこういう鋭さは疲れを増す一方。

それにしてもオーディオをいじった場合、必ず得るものと失うものの両面があるのだが今回は、鮮度を若干失ったが、それを補って余りある音楽性豊かな音。

試聴結果がOKだったので、Mさんが「これからは音楽に専念できるね」と警句(?)を残されて1時間ほどで帰宅された後、次から次に愛聴盤の試聴開始。

まず一番気になるのは朝晩、まるで「お経」代わりのように聴いているグレン・グールドのピアノの鳴り具合。

「グールド節」にいったん嵌ると、もう簡単には脱け出せない。「イギリス組曲」〔バッハ)、「ピアノ・ソナタ全集」(モーツァルト)を聴いてみたが見事に合格。

後は歌劇「マクベス」(ヴェルディ)、「ワルキューレ」(ワーグナー)などだが解像力と量感のバランスには満足できるものの、低域の伸びがもっと欲しい気もするが欲を言えばまあキリがないか。

今後は相性のいい接続ケーブルを2~3日かけて試してみなければと思いつつアンプの電源を落として午後のリハビリ・ウォーキングに出発。

低域用のトランジスター・アンプの電源を落としたところ、従来の「ボンッ」という大きなショック・ノイズが完全に無くなったのも非常にありがたい。

まったくいいこと尽くめで、ことオーディオに関しては今年はツイてる!


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オーディオ談義~「毒には毒を以って」♯1~

2011年02月04日 | オーディオ談義

1月11日に東京のショップから試験的に借りたマーク・レヴィンソンのプリアンプ「No.26SL」。

ありていに言えば音質はまあまあだったが、「女房を質に入れてでも是非手に入れたい」というほどの情熱は掻き立てられなかった。

エージングが完全に済んではなかったものの、まあ、これまでの経験でおよその傾向は分かる。

丁度、手術なども折り重なって返品してしまい、とうとう縁がなかったが、それでもやはりプリアンプらしきものは欲しい気がする。

その理由のひとつに現在のワディアのDAコンバーター(「27ixVer.3.0」、以下「DAC」)に組み込んであるICアンプの音は、まあいいんだけれども、どうも鋭すぎていつも緊張感を強いられ長時間ともなると聴き疲れする感じ。

どちらかといえばお客さんと一緒にちょっとの時間だけ聴くのはいいという短期決戦型といえる。

もう少し”まろやか”に”ゆったり”と長時間聴けないものかというのがひそかな願い。これは中高域用のSP「アキシオム80」の高域が極めて繊細なことも影響している。

また、低域にトランジスターアンプ(ケンウッドの01-A)を2台使っているが、電源を落としたときのショックノイズがボンッとかなり盛大に出る。

SPを傷めるので以前から気になっているのだが、その原因としてはこのワディアの「DAC」を以前分解して回路をじかに見たときにICアンプの終段にコンデンサーを組み込んでなかったのが判明したこと。

たかがコンデンサー1個でも回路に入れてしまうと音質は劣化する。

日本のメーカーなら安全策優先でそんな危険なことはしないが、アメリカのメーカーでは音質優先でコンデンサーを入れない代わりにそれなりの工夫をやっているものの危険と紙一重なのは争えない。

とにかくプリアンプを入れることでこのショック・ノイズも無くそうとの一石二鳥の狙い。

手ごろな価格で真空管のプリアンプはないものかとオークションで探していたところ、ピンと来るものを発見。

6FQ7という長目の形状の双三極管を左右で1本づつ使った極めてシンプルな回路の小さなライン・プリアンプ。

しかもメーカーの大量生産品ではなくて個人が注文に応じて作っている新品で、ネットならではの商品といえる。

値段も非常に手ごろで、これなら購入してダメなときでも諦めがつくとすぐに落札。

商品の到着は1月28日。

早速接続して聴いてみたがちょっと高域のサーノイズが目立つ程度でなかなかのもの。

しかし、これにもっと音象の奥行き感が出れば言うことはないのだがと、つい限界が見えてきて、価格に見合わない欲求が出てくるこの身勝手さ。

回路図が付属していたがサッパリ分からないのでオーディオ仲間で若い頃に首都圏で1000件以上もオーディオの巡回修理をやってたというMさんに送付して見てもらった。

「出力の乏しいCDプレーヤーに元気をつける目的を持った回路だね。一部に半導体を使った差動方式のプリアンプになっている。」

「少なくとも今回の目的に合った回路とは言えないねえ~。高域のサーッというノイズは半導体を使っているせいだと思う。自分なら半導体を外して純粋に真空管だけを利用した回路にするね。」

「真空管はそのままにして改造できますか」

「ああ,出来るよ。2~3日はかかるかな。おそらくワディアのICアンプは高周波に独特の歪みが乗ってるので長時間聴くと疲れるんだと思う。それを打ち消すために逆に真空管の歪みを利用しよう、毒には毒を以って制すというわけだ。」

「普通、アンプは歪みを出さないように設計して作るものだと聞いてますが逆に歪みを出すように作るんですか?」

「真空管の場合、歪みのまったくない音は面白くないと相場が決まってるよ。歪みをうまく利用すると効果が倍増するときがあるね。ちょっと回路を考えてみようかな。それとボリュームが付いてるけどDACのを使えばいいから取り外したほうがいいね」

「それでは改造をお願いしましょうかね。現物を明日(1日)の午前中の到着で送りましょう。」

1日の午後、Mさんから電話。

「内部を見たけど結構、キチンと作ってあるよ。やはりプロの手際だね。しかし、どちらかといえば見かけ優先。ただしケースがアルミ製で鉄を一切使ってないのはいいねえ、大量生産品だとこうはいかないよ。」

「微小電流を扱うプリアンプなので磁界を有して誘導電流を起こし音質に悪さをする鉄を使わないとは結構分かった人かもしれませんね。素性のいいプリアンプだと思いますがそれでは改造をお願いしましょうかね。」

「入力を1系統にして出力を3系統にしてくれると今のシステムにピッタリなので助かります。楽しみに待ってます。しかし、ボリュームとセレクターのないプリアンプとなるとこのアンプは一体どういう役割になるんですかね?」

「DACのクセを真空管の歪みで直す役割を持っているというだけで、プリアンプではないよ。ほら、CDとパワーアンプの間にライン・トランスを入れる人がよくいるじゃない。そのトランスの役割を真空管でマイルドにやろうということ。DACとパワーアンプの間の一種の緩衝地帯というわけだ。」

「ただし、あまり期待されてもこればかりは出来上がってみないと分からないよ。本当は機器を追加して問題の解決を図るのは反対なんだ。音が1枚ベールを被ることになるからね。まあ、SN比を稼ぐためにDACの出力に対してどれだけゲインが下げられるか試してみようかな。」

以下、続く。


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読書コーナー~「告白」と「モーツァルトの陰謀」~

2011年02月01日 | 読書コーナー

去る1月18日に心臓のカテーテル手術を受けてからおよそ2週間あまり、ようやく1時間ほどゆっくりとした歩行ができるようになった。

ただし、調子に乗って運動ジムに立ち寄ってエアロバイクをやったところすぐに息切れしてダウン。

「自転車をこぐ」ことは「歩く」ことに対してこんなに心臓に負担をかけるものかと驚いた。

当分の間は「歩く」ことに専念することにしたが、改めて日頃血液を押し出すポンプの役割を地道に果たしている心臓に感謝する毎日。

それにしてもこんなに寒いと血管が収縮して心臓にたいへん良くない。

ああ、早く暖かい春にならないかなあ~。

「冬来たりなば 春遠からじ」

というわけで専ら読書、オーディオなどの室内活動にいそしんでいるが最近読んだ面白い本を紹介。


 「告白」 湊〔みなと) かなえ著

             

いやあ、さすがに文庫年間〔2009年)売り上げ「ベスト1」に輝いただけのことはあると思うほど面白かった。

ちなみに、「ジュンク堂書店池袋本店」と「丸善お茶ノ水店」の両店で「ベスト1」なので全国に置き換えても間違いではなかろう。

これだけ売れて有名な本だから既に読んだ方も相当おられるに違いないがそのときは悪しからず~。

全体の構成は六つの章に分かれていて、それぞれ「事件」に関係する者たちの告白という形式をとっている。

その「事件とは何か」がまず第一章で提示される。

舞台は中学校のあるクラスの終業式。告白者は愛児を事故で失って悲嘆にくれる先生〔女性)。

既に退職の意思を固め、生徒に最後の挨拶をする中で「このクラスにわが子を事故に見せかけて殺した生徒が二人いる」と衝撃の告白が行われる。

該当する生徒の氏名も先生には分かっており、その復讐のやり方がいかにも女性的で執念深くてすごい。

種明かしはここまでだが、章ごとに先生、生徒、生徒の母親など告白者が入れ替わることにより、事件の真相〔深層)が次第に明らかにされていく。

また、それぞれの立場からの告白により人間の善と悪の部分が平等に提示され、全体的に登場人物の公平性が計られているところに著者独自のバランスのとれた奥行きのある視点が感じとれる。

さらに事件がらみで「教育とは何か」といった社会問題まで読者に考えさせるところにも著者の並々ならぬ力量が伺える。

日本にはまだまだすごい作家がいるもんです。まだ読んでいない方は是非~。

 「モーツァルトの陰謀」スコット・マリアーニ著

              

題名からしてすぐに読みたいと、何のためらいもなく図書館の新刊コーナーから手に取った。

「陰謀」とあるがどんな類のものだろうか。

実はミステリー好きが嵩じて才能もないくせにモーツァルトに関するミステリーを書いてみたいと一時期、のぼせ上がったことがある。

天才の名にふさわしいモーツァルトには不可解な死に方を含めて、とにかく人間離れしていて題材にはこと欠かない。

自分勝手に考えたストーリーの底流とは次のとおり。

モーツァルト35歳の死の年に、傑作オペラ「魔笛」が作曲されるが、ほとんど同時並行的に作曲されたオペラ「皇帝ティトスの慈悲」が晩年の作品にしてはまるで信じられないような駄作。

実はこれには深いわけがあって、この「皇帝ティトスの慈悲」はモーツァルを嫉妬した宮廷音楽家サリエリによる贋作で本来の楽譜はある秘密の場所に隠匿されていた。

その”ありか”は最後の作品となった未完の「レクイエム」の楽譜の中に暗号として忍ばせてあり、それを読み解くと死の真相が明らかにされるとともに、最後には「魔笛」を上回る傑作が発見されてメデタシ、メデタシという落ち。

モーツァルトがあと少しでも長生きしてくれたらもっと素晴らしい作品を人類、皆等しく享受できたのにというどうしようもない願望がなせる業だが、まあ他愛もない話。

さて、この「モーツァルトの陰謀」だが期待に胸弾ませて読んだものの実に見当違いの作品であった。

まるで初めから映画化を念頭においたような冒険活劇もので主人公の逃亡シーンがメインになっていて、しょっちゅうドタバタして芸術的な香りがひとかけらも漂ってこないのが残念。殺人シーンの残虐さもかなりのもの。

全体的にどうもあの「ダヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン)の受けを狙った二番煎じのような気がしてならない。

肝心の陰謀の正体も「魔笛」に関するフリーメーソンの撲滅を目的としてある組織が暗躍するという筋書きで、ピアノの足に隠されたモーツァルトの最後の手紙がカギを握っているというもの。

ちょっと荒唐無稽すぎてお話にもならず、自分のストーリーのほうが”まだマシかも”とひそかに胸を張った。

「自己満足もいい加減にしろ」とお叱りを受けそうだが、この本は「モーツァルトの陰謀」(「THE MOZART CONSPIRACY])なんて題名をつけてモーツァルトに題材を求めたのが間違いのもと。

少なくとも「ダヴィンチ・コード」はキリストの女性関係について極めて綿密な考証をしていたことがストーリーに信憑性を与えていた。

この著者の場合、ちょっと読めばすぐに「モーツァルト通」ではないことが分かるので小説全体がはじめから絵空事に過ぎず何だか軽くて浅いという印象を受けてしまった。

本書の背表紙に「英国の読者を夢中にさせた」と書いてあったが、単なるアクション物として割り切って読めばそれなりに楽しめる作品かもしれない。


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