「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

~JBL375ダイアフラムの交換~その2

2012年10月31日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

「失敗学のすすめ」の著者「畑村洋太郎」東大名誉教授(工学博士、現福島原子力発電所事故調査・検証委員長)によると、大学の講義中に教材として「失敗事例」を持ち出すと、退屈そうにしていた学生たちが急に目を輝かせて熱心に聴きはじめ、逆にうまくいった事例などはあまり興味を示さないという。

何だか分かるような気がする。学生たちに限らず人間心理とは押しなべてそういうものだろう。

人間は他人が成功したり、儲けたりする話にはあまり関心を持たず、逆に失敗した事例などは興味津々で根掘り葉掘り聞きたがるものである。

そういう意味では、最終的にうまくいかなかった今回の「JBL375ダイアフラムの交換」の記事は興味を持って読んでもらえるかもしれない。

「失敗事例」からきっと得るものがあると思うので、参考にしていただければ。

さて、25日(木)の9時ごろに着いた新しい「ダイアフラム」。

包装を解くと表に「!WARNING!」(警告)と書かれた小さな栞(しおり)がでてきた。中にはこうある。(抜粋)

「THIS PART IS NOT SELF-CENTERING!

THIS PRODUKT SHOULD BE INSTALLD ONLY BY AN AUTHORIZED FACTORY TRAINED TECHNICIAN」

あまり英語は得意ではないが、「このパーツの取り付けは認定された工場で訓練された技術者に任せなさい。けっして単独でやらないように」とでも訳せばいいのだろうか。

これを見て、すぐに、ポイントになる作業部分はお隣のご主人に声をかけて加勢してもらおうと決心したが、何だか取り掛かる前にこういうものを読むと、チョッピリ気が重くなった。

さて、手持ちのJBL「LE-85」ドライバーのスペアのダイアフラムとの比較写真を撮ってみた。大きさの違いが歴然としているのがお分かりだろう。

           

左側の「375」の方がいかにも広帯域でいい音がしそうな印象を受ける。データによると受け持つことが出来る周波数帯域は「500~18000」ヘルツとある。「375」の後継である「2441」用のダイアフラムなので広帯域化している可能性もある。

「375」の良さは中低域にあり、高域は汚い音がすると嫌う向きもあるが、高域用として違うユニットを入れてクロスさせないメリットも大いにあるので「ツィーター」なしで、一度聴いてみたい気もするところ。

そういうことを考えながら、いよいよ作業開始。

           

以下、次回へ。


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レコードの整理

2012年10月29日 | 音楽談義

我が家の小さな倉庫の片隅にもう30年近く埋もれているレコード群。LPに限らず中には、中学、高校時代に愛聴していたポピュラーのドーナツ盤も沢山ある。

もしかして、そのうち気が変わってオーディオシステムの中にレコードプレイヤーを入れるときがあるかもしれないと、これまでずっと保管してきたわけだが、どうやら「時は待ってはくれない」ようで、この際、きれいさっぱり整理することにした。

それに先日のブログにも記したように、ヴァイオリンとフルートの演奏による「魔笛」(モーツァルト)のレコードを、オーディオ仲間のMさん(奈良)に頼んでCDにコピーしてもらったことも一つのきっかけ。こういう形で愛惜のあるレコードをCDに焼き直してもらえればいつでも聴けるのでその方がずっと現実的。

たとえば手持ちのレコードのうちコレルリの合奏協奏曲(イ ムジチ合奏団)は、同楽団の40年前くらいのメンバーのうち第一ヴァイオリンの「フェリックス・アーヨ」の頃が一番好きである。このアーヨ盤のものは、CD盤として発売されていないし、今後ももう無理だろう。

ただし、Mさんがこの面倒なコピー作業を引き受けていただけるかどうかが焦点だが、恐るおそるお伺いしてみると「いつでも、どうぞ」とご快諾をいただいた。

28日(日)は朝からレコードの仕分け作業に没頭した。現在、CD化して発売されているのものはわざわざ焼き直してもらう必要が無いので除外。いちいち、ネットの「HMV」でその確認作業をしなければならないので思いのほか時間がかかる。

しかし、気になったのがオットー・クレンペラー指揮の「ミサ ソレムニス 2枚組」(ベートーヴェン)。

           

いかにも「もったいぶり屋のクレンペラー」らしい堂々たる演奏で、CDが発売されてなければ、ぜひコピーしてもらいたいレコードの最右翼だが、調べてみるとちゃんと発売されていた。お値段の方は1,500円なり(SACDは3000円)。

さ~て、どうしようか?市販のCDよりもMさんの秀逸なプレイヤーで「CD-R for master」(太陽誘電)にコピーしてもらった方が音がいいような気もするのだが。

ところで、この「ミサ ソレムニス」(荘厳ミサ曲)はベートーヴェンにとっては数少ない宗教曲の一つだが、それにしてはどうも神の概念が希薄のような印象を受けてしようがない。レコード時代にこの曲を何度も聴きながら、いつもそう思ってきた。

このことを裏付けるように「ウィキペディア」にはこうある。
 

≪この曲の献呈の相手は親交のあったルドルフ大公 

当初、大公の大司教就任祝いとして書き始められた。しかし、書き進むうちに次第に構想が広がって、就任式に間に合わなくなり、完成までに結局5年間を要した。実際に大公が演奏したかは不明だが、現在でもベートーヴェンが書いた最後の大宗教曲として広く演奏されている。~略~

ベートーヴェンは権威的・教条主義的なキリスト教会に対しては十分批判的な思想と宗教観を持っていたという事も注目されてきた。 

例えば、ワーグナーはこのミサ曲を「真正なベートーヴェン的精神を持つ、純粋な交響曲的作品」と評し、20世紀を代表するベートーヴェン研究家のパウル・ベッカーなども、「(バッハのような)素直な信仰から生じる歌詞に(音楽を)合わせる様な処理はベートーヴェンの考えには現れえず」、音楽家として自身の深く自由な思想を、単なる歌詞の意味を超越した音楽によって表現した、と語っている。≫

ベートーヴェンの音楽の特徴は「神への信仰」よりも、むしろ「人間賛歌」にあるような気がしているが、はたしてそう思うのは自分だけかな。

ところで、どうしても録音してほしいドーナツ盤が歌謡曲を含めて23枚あった。

「I fall to pieces」(パッツィ・クライン)、「Walk on by」(ルロイ ファン ダイク)、「Both side now」(青春の光と影 ジュディ・コリンズ)、そして「長崎は今日も雨だった」など。

勧進元のMさんにはたいへんな手間をかけることになるので、メールで慎重にお伺いを立ててみた。


「実は、次のようなお願いはあつかましいでしょうか。

 中学~高校時代に親しんだポピュラー音楽のドーナツ盤(45回転)が かなりあります。中には、CD化されていない懐かしい曲があります。23枚ほどですが、これをCD-Rに録音していただけないでしょうか。

 ただし、盤の状態があまり良くありませんので廃棄同様のレコード針で結構です。 なお、ドーナツ盤の再生に必要なターンテーブルの芯に乗せる丸型のアダプター をお持ちでしょうか。」

Mさんから折り返し、次のメールが。「かなりハードですが、ご奉公させていただきましょう。ドーナツ盤用アダプターはあります。」

万歳!

 


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JBL375のダイアフラム交換

2012年10月27日 | オーディオ談義

今回はJBL375ドライバーのダイアフラム交換についての話。

                                      

経緯を時系列で振り返ってみよう。

10月20日(土)

長い間、放っておいたJBL375をシステムに組み込んで鳴らしてみたところ、盛大な雑音がするので分解し点検したところダイアフラム(以下「フラム」)の損傷を発見。その日のうちに、オークションでJBLの純正ダイアフラムを落札。

       
                       

10月22日(月)

落札代金を出品者(関東)に振り込み。24日は福岡行きの予定なので到着日を25日(木)に指定。

何しろフラム交換は始めての経験なので用意周到に準備を進める必要があると気を引き締めた。まだ日にちの余裕があるので助かる。

自分を含めて素人がフラムの交換をやるときに必ずといっていいほど失敗するのが、フラムを本体に取り付けてネジを締めるときに金属製のドライバーがフラムの裏側の強力な磁石に引きつけられて、フラムを突き破ってしまうこと。

熟練者は別として、素人の場合はドライバーは金属製のものを使わない方がよさそうだ。オーディオ仲間の奈良のMさんに相談したところ「チタン製のドライバーがありますよ」。さっそくネットで見るとなかなかいい値段がする。「素隠居」にはちょっと厳しい(笑)。

すべてがプラスティックで出来たドライバーがないものかと、ネットでしっこく探してみるとありました!

          

必要な部分を切り離して、組み立てるようになっている。新潟県のとある会社が発売元。

値段の方だが、本体が260円、消費税13円、送料525円、代引き手数料315円、合計1,113円。

何じゃコレ!?

送料の方が高くつくが、まあ、このくらいなら”物は試しに”と注文。

10月23日(火)

裏蓋の吸音材を交換した。ネットによると専用のウレタンの吸音材が9,800円もする。馬鹿らしいと、タンノイさんの箱の中に使ってあったウレタンの吸音材を一部切り離して使用。

適当な大きさと厚さに切ったり、裏側に両面テープで張り付けたりで、作業に半日以上かかった。それと配線の方も高級線材を使ってがっちりとハンダ付け。ターミナルの方は以前から改造済である。フ~ッ。

                           

10月24日(水)

この日は朝8時ごろに福岡に向けて出発、自宅に戻ったのが17時ごろだったが、玄関わきのポストにクロネコさんの「ご不在連絡票」が入っていたので、所定の連絡先に通話するとすぐに持ってきた。

さっそく切断して組み立てようとしたが、強化プラスティックなのでカッターナイフではとても歯が立たない。専用の小さなノコギリでようやく切り離した。かなり丈夫そうでもしかすると使えるかもしれないという予感がした。

                         

組立後の写真でちょっとピンぼけ気味だが、実測7センチほどの大きさである。ネジ部分が脱着できるようになっており、4個、スペアとして付いている。

25日(木)

午前9時に「ダイアフラム」がいよいよ到着。さあ、緊張する中での本番開始である。

細かい作業の経過は次回で。


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「WEー300B真空管」生き返る!

2012年10月26日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

24日(水)に福岡の「音と”ものづくり”資料館」(以下、資料館)に持ち込んだ、我が家の故障した真空管(出力管)は、下記の通り。(再掲)

              

WE-300B(アメリカ)が1本、PX25(イギリス)が5本、VV52B(チェコ)が3本、GD4-300BC(中国)が1本で、全部で10本。

かなり本数が多いと思われる方がいるかもしれないが、20年間ほどの足跡(?)だから、だいたい2年に1本の割合で故障していったことになる。ほとんど毎日、真空管アンプのスイッチを入れているので、(故障のペースは)まあ、こんなものかな?

しかし、中にはいきなりウンともスンとも言わずに、急に音を出さなくなった真空管もあり、万一何らかの「秘法」でもって蘇ってくれればと、祈るような気持ちで、
この資料館の主宰者で真空管のオーソリティである「H崎先生」に診てもらったわけだが、これが予想以上の大成功だった!

当日は、あまりにも本数が多いため真空管測定機にかける時間の余裕がなく、そのまま「H崎先生」に預けておいて帰途についたところ、翌日の25日(木)の午前中、(「H崎先生」から)我が家に電話がかかってきた。

「故障していたWEー300Bが見事に蘇りましたよ。実測したところ、わずか20mAの電流しか流れていませんでしたが、処置を施したところ規格値80mAのところを、ほぼ新品並みの78mAの電流が流れるようになりました。念のため自宅のアンプで鳴らしてみたところ、朗々たる音で鳴っています。完璧です。GDの4-300BCも同様に良くなりました。」

「ワァ~、先生ほんとですか!まさか生き返るとは予想もしませんでした。ほんとうにありがとうございました。」

しばらく、とても言葉では言い表せないほどの喜びに浸った。

ここで、金額のことを持ち出すのはけっして本意ではないが、喜びの深さを知っていただくため、あえて記載させていただこう。

このWEー300B真空管は製造番号が「139」とあって、1950年代の製品で「オールド」と称されるものである。

                      

10年以上も前にペアで16万円で、三重県のとあるウェスタン専門のショップから購入したものだが、現在では何とオークションで1本20万円以上の高値がついている代物。

ただし、「はたして値段ほどの音質なのか」となると、これは別問題。今や300Bの真空管は中国製をはじめいろんな種類の類似管が巷に氾濫しており性能の方も研究熱心なメーカーもいてバカにならない。

したがって、オリジナルで聴いているという安心感、誇らしさも値段のうちと思えばいいのかな。「病は気から」という言葉があるが「音は気から」(笑)。

さて、その300Bだが3年ほど前に、1本だけ音が急に”か細く”なって雑音が出始めた。

当時、「おかしいなあ、長寿命で有名なWE-300Bがこんなにアッサリ悪くなるなんて」と思ったものだが、現実に明らかに故障の症状を呈し始めたのだからどうしようもない。とはいえ、捨てるに捨てきれず泣く泣く部屋の片隅で死蔵の状態で保管の憂き目に。

それが今回の「秘法」で見事に蘇ったというのだから「20万円丸儲け」の、この嬉しさを分かっていただけようか。


おまけに、同様の方法で中国製のGD4-300BCまで良くなったのだからもう言うことなし。

また、「H崎先生」からは、「残るPX25の5本についても慎重にエージングしながら回復を図ってみましょう」とのことで、「先生、是非、ぜひお願いします」。

さて、「H崎先生」の真空管を蘇えらせた「方法」についてだが、概略お聞きしているのだが実際に見学していないので正確を期する必要があり記載は後日ということで。

そもそも、誰もが自由に見れるブログに記載する以上、公開ということになるが、はたしてスンナリ公開していいものかどうか、「H崎先生」に事前のご同意を得る必要もある。

この方法は個人的にはこれまで読んだ中で、どの本にも記載されておらず、どんな方からの口伝えでも聞いたことがないが、明らかに「盲点だった」と、納得できるものである。

 


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出発準備に”おおわらわ”

2012年10月24日 | 独り言

今日(24日)はオーディオ仲間のAさんとともに「音と”ものづくり”の歴史資料館」(以下、「資料館」)を訪問する、待ちに待った日で、午前8時頃に自宅を出発する予定。どうやら”お天道さま”にも恵まれそうだ。

昨日は朝から、その準備に”おおわらわ”だった。

1 我が家の不要になったオーディオ機器を引き取ってもらう

この資料館には9月初旬に訪問しているので今回で2回目。前回の顛末はブログでも2回に分けて記載している。

資料館を管理しているのは高校時代の同窓の「U」君で、同窓のよしみで勝手気ままに見学させてもらっている。広い展示室の一角でタンノイ・オートグラフが「50」真空管アンプで実にいい音で鳴っていたが、ほかにも稀少な真空管やオーディオ機器、カメラ、時計などが沢山展示されていて大いに興味をそそられた。

これらの展示品の持ち主は超マニアの、機械モノはすべてと言っていいほど修理できる方である。もしかして我が家で不要になったオーディオ機器をこの一角にでも置いてもらえると非常にありがたいのだがと、今回の訪問前に思い付いた。

もちろん、展示する以外にも実習生の教材にしてもらってもいい。「使い道はまったくのお任せなので、引き取ってもらえないだろうか」と、
U君にズバリ訊ねたところ「OK」の一つ返事。いずれ廃品回収に出す予定だったのでこれは大助かり!

有効に使ってもらえればそれに越したことはないし、我が家の倉庫の空きスペースも増えるので一石二鳥。

不要になった機器の内訳はDATデッキ3台(ソニー、パイオニア、パナソニック)、PCMチューナー(NEC)、プロセッサーとセットになったプリアンプ(パナソニック)の計6台。すべて完動品である。

                

さっそく、機種ごとに取説とともにビニール袋に容れて車のトランクに積みこんだ。それぞれに思い出があるが、オーディオの基本となるアンプ(増幅系)とスピーカー(変換系)を除くと、周辺機器というものはテクノロジーの進展であっというまに衰退していくのがいつものことながら悲しくなる。

逆に言えば、周辺機器に多大の投資をするのは「?」かもねぇ~。

2 故障した真空管の測定

さて、これが一段落するとその次の作業は部屋の片隅のキャビネットに直し込んだままにしている故障した真空管(出力管)を、資料館に置いてある「真空管測定器」で検査してもらうこと。その目的は、故障の原因を知りたいことと、それに「実際に測定してみたら故障してなかった」という真空管が1本でも見つかればとの淡い期待から。

           

この測定器の写真は前回の訪問時に撮影したものだが、デジタル式の稀少的な価値を持つ特注品だそうで、真空管の寿命データ研究の一環として測定してもらおうという虫のいい考えである(笑)。

なお、測定時に忘れてはならないのが「歴代名出力管」(管球王国編)という本。各真空管の規格データが細かく記載されているので重宝している。

                         

さて、改めて、自宅の故障した真空管を確認してみたところ全部で10本で、その内訳は、いずれも三極管でWE-300Bが1本、PX25が5本、VV52Bが3本、GD4-300BCが1本。 

        

こうやって実際に整理してみると「PX25」(イギリス)の故障が5本で、やけに目立つ。このPX25はWE-300B(アメリカ)と並んで名三極管の一つとされているが、惜しいことに300Bと比べて耐久性の方は”今ひとつ”である。

これら二つの真空管は第二次世界大戦中、ともに軍事用の通信機器に使用されていたものだが、まるでアメリカとイギリスの軍事力の差を歴然と象徴しているみたいな気がする。

とはいえ、このPX25の艶やかな音質は筆舌に尽くし難いほど素晴らしく、それこそ、”はかない寿命”なんか補って余りあるほどの魅力なので今後とも”使用しない”という気はさらさら起こらない。

ほら、「美人薄命」という言葉があるでしょうが!今となってはもう死語に近いが(笑)。

現在のPX25の手持ちはピンからキリまで合わせて11本、この命が燃え尽きるときにこの真空管を全部使い切ってしまうのが理想だが、はたしてそううまくいくかな?

さて、
故障した10本の真空管の中には経年劣化でジワジワと寿命が尽きたのもあれば、いきなりオシャカになったものもある。中には新品をアンプのソケットに挿した途端にイカれたのもあって、後者については、いまだにすんなりと納得がいかず大いに未練を残している。

”壊れて元々”なので、もう一度何とかして生き返らせる秘法がないものか、これもお訊ねしてみよう。

 


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「見るも無残!」

2012年10月22日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

この19日(金)に、長い間放っておいたJBL375をメインにして新しく編成した3ウェイ・システム。

                

375にミニの「蜂の巣ホーン」の組み合わせが不安だったので、オーディオ仲間の湯布院のAさんに試聴していただいたのが20日(土)の午前10時~11時。

「明らかにホーンドライバーの良さが感じ取れます。実に抜けのいい音ですね。これで十分だと思います。私も自宅で375にウッド・ホーンを使ってますが、このミニの蜂の巣ホーンを買ってもいいくらいです。」

ただし、ご指摘が3点あった。長い付き合いなのでざっくばらんに意見を言ってもらえるので助かる。

 低音部がちょっと物足りないです。「AXIOM301」の下に、スーパー・ウーファーが欲しくなりました。もしくは、「301」専用のアンプを別途用意してブーストする手もあります。

 「301」のハイカットが300ヘルツになってますが、1000ヘルツ程度まで持っていって聴いてみたいですね。

 「075」ツィーターのローカットをもう少し下げた方がいいと思います。

「オーディオ」に興味のない方は、何のことやらチンプンカンプンだと思うが、この辺はもう「マニア」の世界、どうかお許しあれ。

については、予備の真空管アンプ「PX25シングル・1号機」があるので、これを「375+075」専用にして、2A3シングルを「301」専用にすることにして後日対応しよう。

については、ウェスタン社の鉄芯入りコイル(1.2mh=1100ヘルツ、6db/oct)があったので、即座に交換。

についてはこれまたウェスタン社のコンデンサー(ブラック仕様:2.2μF=9000ヘルツ,6db/oct)があったので、これも即座に交換。

                 

※ 写真の中央がそのコンデンサー、右側の床に置いているのがコイル。

もGOODだったが、それ以上に効果が大きかったのはのコンデンサーの交換。

たかがツィーターのコンデンサーひとつで、全体の音の佇まいが変わるのでオーディオはやっぱり摩訶不思議な世界である。


試聴盤は初めが「ちあき なおみ」、そしてクラシックに移ってモーツァルトのディヴェルトメント(K・136)の第二楽章(コープマン指揮)、それから内田光子さんの「ピアノ・ソナタ30番」(ベートーヴェン)。

ピアノの試聴に移ってしばらくしてから、右チャンネルの375から「ザザッ、ジャリジャリ」という変な雑音が聴こえてきた。

「アレッ、おかしいな?」

どうやらトラブル発生である。

Aさんが帰宅された後に、右チャンネルの375を左チャンネルに移し替えて聴いてみると、今度は左から雑音がするので、明らかに「375」自体に問題があると断定。

早速、内部点検を開始。本体の裏にある長ネジ4本を外して、カッターナイフの刃の部分を375の胴体の裂け目に押し当てて背の方を金づちで優しくコツコツと押し込んでやると、パカーンと蓋が浮いた。

「何と、見るも無残!」

             

雑音が出るはずで、ユニットの生命ともいうべきダイアフラムに大きな傷が入っていた!ピアノの強烈なアタック音で、一気に錆びついていた部分がひび割れて拡大したものらしい。

原因についてはいささか心当たりがある。保管場所の「湿気」にやられたのに間違いなし。もっと風通しのいいところにすべきだったと後悔したが、もう後の祭り。

しかし、買主にたいへんな迷惑をかけるところだったので、ほんとうに売らなくて良かった!

片チャンネルの375がこんな具合だから、もう片方も推して知るべし、同じように開けてみたところ、やっぱり似たかよったかの状態。

やれやれ、ダイアフラムの交換をしなくてはいけないのか~と、ガックリ嘆息である。出費多端の折、「素隠居」にとっては痛いことこの上なし(笑)。

さっそく、オークションを覗いて新品同様のダイアフラムが、たまたま一件出品されていたのを見つけて即決で落札した。

           

取引ナビで出品者と連絡を取り合った結果、関東からの発送なので到着は25日の木曜日の予定。

このダイアフラムは、JBLの純正で16オーム仕様のダイヤモンドエッジとのことで、これまでのダイアフラムよりは高級なイメージがある。何だか音の方も良さそうな気がする。

「災い転じて福」となって欲しいところだが、はたして?


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JBL375ドライバーをどう生かす?

2012年10月20日 | オーディオ談義

10月10日付のブログで取り上げたJBL375ドライバー(以下、「375」)。

               

何時ごろか思い出せないほど昔に中古品を購入したものの、未熟さのゆえにうまく生かし切れないまま放置し、売り払う寸前までいった375だが、関西のSさんからヒントをいただいたおかげで、今や我が家では大いに楽しみな存在になった。

この375にはホーンの装着が必要だが、手持ちのウッドホーンではどうしても物足りず、やはり定番の大型の蜂の巣ホーン(上記の右の画像)が欲しいところだが、これは目の玉が飛び出るような値段なので「素隠居」にはとても高嶺の花(笑)。その代わりに付けてみたのが小型の蜂の巣ホーン(以下、「小型蜂の巣」)。

                

これで鳴らしてみると、想像以上に好みの音が出たので「よし、一丁本腰を入れてみるか」とアクションを起こした。

まず、小型蜂の巣はネジ穴とスロートの直径が375と合わないので、とりあえず木製の自作アダプターを作ったのだが、とても心許ないのでオークションでたまたま見かけたスロートアダプターを競り落とした。到着したのが17日(水)。

                    


次に、375の使い方について、特集記事が載っている「管球王国」(ステレオサウンド社)の18号と19号(2001年)を倉庫から引っ張り出してきて改めて熟読。

             

一口に「375」といっても、初期のグレイ仕様(16Ω)からブラック仕様(8Ω)、そしてプロ用の2441(8オーム)までいろいろあって、一番音がいいとされているのはアルニコ・マグネットの初期のグレイだが、もはや手に入れるのは至難の技。自分のは16Ωのブラックだから比較的初期のものだろうが程度の方はおそらく並み品と思う。

注目すべきは、ブラックの「375」は同じくJBLのツィーター「075」の使用を前提にしているとの記事だった。


さあ、375をどう料理しようか?

まず、第一システムの「AXIOM80」と入れ替えてみようかという考えがチラッと頭の中をよぎった。

「日頃、AXIOM80をあれだけ持ち上げておきながら、まるで手の平を返すみたいに捨てるのか!お前は恩知らずだ。」と、少しばかり良心の呵責を覚えたが、「エ~イ、気に入った音が出るのなら節操もへちまもあるものか」(笑)。

とは言いつつも、ちょっと未練を断ちがたいので、残留テストの積もりで
「AXIOM80」を改めてじっくりと試聴。

やっぱり、いいなあ!

正直言って、弦楽器の艶やかな響きはとてもJBLのユニットが太刀打ちできるものではない。結局、両者それぞれに持ち味があって単一のユニットで「すべてうまくいく」というのは、無いものねだりみたいなものだと思い知った。これまで散々懲りているはずなのに、再び同じような失敗を繰り返そうとする、まったくどうしようもない輩である。

そこで、「AXIOM80」はそのままにして、別途第三のシステムとして「375」を生かすことにした。

         

システムの概要を記しておこう。

低域    「AXIOM301」(30センチ口径)。300ヘルツ付近をハイカット。

中域    「JBL375」。300ヘルツ付近をローカット、1万ヘルツ付近をハイカット

高域    「JBL075」。1万ヘルツ付近をローカット

アンプ   真空管アンプ「2A3シングル」ステレオ

「375」と「075」は能率がそれぞれ108dbと110dbとほぼ同じなので音量調整が要らず大いに助かるが、ハイカットとローカットの数値の試行を繰り返す都度、試聴しながらの作業なので25日(木)から始めて、26日の夕方になってようやく完了。

コイルやコンデンサーの選択と結線する線材の芯剥きには本当に疲れる。おまけに不器用なので熱した「半田ごて」がときどき指に触れたりして火傷が絶えないのも相変わらず。困ったことだニャン。


こうして創りあげた3ウェイシステムだが、小型蜂の巣ホーンならではの、まとまりのいいカチッと締まったスピード感あふれる音が出てきて自分にしては上出来の仕上がり。さっそく、テレビ試聴専用から格上げしてCDも試聴できるように音声コードを差し替えた。

自分だけの試聴では我田引水になるので、オーディオ仲間の湯布院のAさんに20日(土)の午前中に来てもらって、試聴をしていただく予定だが、はたしてどういう判定が下ることやら。
 

 


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ビゼー作曲「アルルの女」

2012年10月18日 | 音楽談義

先日、久しぶりにメル友の京都の「K」さんからご連絡があった。(いつものことながら無断転用、お許しを!)

「オーディオ機器もCDも、人の評価や人気よりも、自分の耳と判断力で良いものをさがし出そうと思いながら、許 光俊氏の評論には、ついのせられていくつか買いました。ケーゲルのアルルの女と、キョンハの四季と。
そして、、さらにベルティーニのマーラー交響曲全集がお買い得価格になっているのを見て、迷いながらも注文しました。明日、届く予定なので楽しみです。」

時節柄、思い出深い曲名がふと出てきたりすると、つい感慨に耽ってしまうのが「藝術の秋」たる所以。

ずっと昔の学生時代の話だが、長兄が持っていたレコードの中にオッテルロー指揮の「アルルの女」があった。

当時のことなのでチャチなステレオ装置だったが、音の良し悪しなんかにはいっさい興味もなく、ひたすら音楽だけで十分満足していた頃で、レコードのライナーノートを繰り返し読みながらこの曲を聴き耽ったものだった。

3年ほど前にオークションで、やっとの思いでオッテルロー指揮のCD盤(外盤)を競り落としたので、長兄に連絡してそのライナーノートをコピーして送ってもらった。

           

余談だが、このオッテルローさんはジャケットにあるとおりの自動車狂で、スピードを出し過ぎて事故で亡くなってしまった。当時からすでにオランダ最高の指揮者として君臨し、さらに将来を嘱望されていたのに惜しいことをしたものだ。

さて、このライナーノートから、かいつまんで記してみよう。

≪アルルの女≫はドーデが書いた「風車小屋だより」(短編集)の第六番目に出てくる物語で、自ら脚色して三幕物の芝居として仕立てあげた。これに作曲したのがビゼーだったが、初演は大失敗。ドーデはこう嘆く。

「ああ!もうだめだ。半年の骨折りと、夢と、疲労と、希望、これらいっさいが、たった一夜のガス燈の焔に、焼けて、消えて、飛び去ってしまったのだ。」

しかし、本当に価値のある作品はいつまでも埋もれているはずがなく、初演から13年後に再演され、今度は大当たりをとって今日までフランス演劇の重要なレパートリーとなっている。

芝居の「あらすじ」は、ご存知の方も多いと思うが次のとおりである。

「アルル近郊の町の旧家の長男”フレデリ”は20歳の青年。父はすでに亡く、母と白痴の弟、それに老僕の4人暮らし。あるとき闘牛場で知り合った妖艶な”アルルの女”に心を奪われてしまう。しかし、その女は牧場の番人の愛人だった。フレデリは家族の猛反対にあって、仕方なく諦めて幼馴染の農家の娘との結婚話を進めるが、アルルの女が牧場の番人と駆け落ちすると知り、嫉妬と絶望のあまり塔の頂上から身を躍らせて自殺する。その亡骸を見ながら老僕がつぶやく。”ごらんよ。恋で死ぬ男があるか、ないか・・・・”」

もちろん音楽も良かったが、当時まだ未成年のスレていない初心(うぶ)なハートにはストーリーの方がショックで、いまだ知らぬ大人の世界への興味も手伝って「人間は恋のために死ねるのか!」と、その狂おしい情熱に大いに心が揺さぶられたことだった。

こういう思い出があるから、「アルルの女」にはひときわ”こだわり”があり、小林利之氏(音楽評論家)が推薦する演奏をコツコツと収集した。

オッテルロー盤以外に、トスカニーニ盤、クリュイタンス盤、マルケヴィッチ盤、オーマンディ盤、デュトワ盤。

            

いずれ劣らぬ名演だが、真打が、このたび京都のKさんが購入されるというケーゲル盤で同様に「許 光俊」氏の評論を読んで共感を覚えた勢いでオークションで外盤を手に入れた。

たしかオッテルロー盤を購入したときと同様に、当時この盤は「廃盤」になっていて、それは、それは高値で取引されていて、もう諦めようかと随分迷った記憶がある。

           

17日(水)は久しぶりに朝から雨で、出かける気にもならずおまけに運動ジムの定休日。

この原稿を書くついでに、改めて、第一、第二組曲合わせてわずか35分足らずのこれら7枚の盤を午後から聴いてみた。

この曲はクラシックには珍しくサキソフォンが使われており、それが実に牧歌的な”いい味”を出しているが、賑やかさの中に悲しい結末に収束していく物淋しさが全編に漂って欲しいのが願い。

体制側の幹部だったケーゲル(東ドイツ)はソ連邦の崩壊とともに拳銃自殺を遂げた指揮者だが、まるでそれを予感させるかのように全体に哀愁を帯びて心の中に染み入ってくる味わい深い演奏。さすがに定評どおりの名盤だけのことはある。またクリュイタンス盤は演奏としてはベストだろう。しかし、それ以上に心情的にしっくりきたのはやはり「オッテルロー」盤だった。

感受性豊かな若い頃にひとたび脳裡に深く刷り込まれた演奏は、その後どんなに名演が出てこようと、覆るのは難しい。どうやら個人的な「記憶」と「音楽」とは深い部分で分かち難く結びついているものらしい。 
 


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スーパーマニア訪問記

2012年10月16日 | オーディオ談義

気候のいい秋になると、買い物や、行楽、訪問にと人の動きが活発になる。けっしてオーディオマニアも例外ではない。

7日(日)の別府市内のオーディオ愛好家ご訪問に続いて、14日(日)はオーディオ仲間の湯布院のAさんともども福岡県うきは市にお住いのKさん宅へお伺いした。Kさんは我が家にも二度ほど来ていただいたことがあり、よく存じている方である。

かねて、凄いシステムとの噂を聞いており、一度お伺いしたいと思っていたのだが、このほどようやく日程調整がついた。

実はお忙しいのも道理で、檀家を1000戸以上も抱えておられるお寺のご住職さんである。別府から「一般道」経由で丁度2時間あまり、快晴の中を助手席のAさんに道を教えてもらいながら13時15分に順調に到着。

広いお寺の境内の一角に駐車して、ご自宅の2階へと案内してもらった。

ワ~ッと思わず、声が出てしまった。
           

部屋の広さは、軽く100平方メートルを越えるだろう。ここで、ざっとシステムの概要を紹介しておこう。

≪スピーカー≫

低域用ユニット   「4181」(励磁型、ウェスタン、エルタスを各1セットで片チャンネル2個)

中低域ユニット   ウェスタン555ドライバー(2個)+16Aホーン

中高域ユニット   ウェスタン555ドライバー+ホーン

高域ユニット     ツィーター(カンノ)

≪アンプ≫

真空管アンプ    DA30シングル+電源(いずれもセパレートで特注品)

            

磁界を嫌って、トランスのカバーまですべて木製。左の写真が本体と電源部。右側の写真は「励磁型SP」の電源部。

≪プレーヤー・システム≫

ご覧のとおり
           

おそらく全国でも滅多にお目にかかることがないと思われるシステムである。

果たして、どんな音が出るんだろうかと興味津々。こういう時の期待感と緊張感が織り交じった気持をどう表現すればいいのか、まったくオーディオ冥利に尽きる瞬間なのはたしかである。

大型システムにありがちな、いかにも相手をねじ伏せるような音が出てくるのか、それとも、さりげなく、ひっそりと、しめやかに鳴る音なのか。

てっきり前者だろうと予想していたのだが、まったくの見込み違いで完全に後者だった。万事に控え目な印象を受けるKさんならではの音だった。

うまく表現できないが、出来るだけ音量を絞って音楽を遠くから俯瞰して聴くような鳴り方といえばいいのだろうか。

中域を主体にして低域はまるでそれに付随してくるみたいな鳴り方で、(低域を)絶対にボンつかせず、それでいて必要なときにズバッと鮮やかな分解能を伴って出てくる印象を受けた。

いやあ、こんな鳴らし方があるんですねえ~。

それに、一音、一音に厚みというか立体感が伴っているようで、音の質感が際立って素晴らしい。ときどき、音を表現するときに使われる「高級な音」「安っぽい音」という言葉があるが、その区別がようやく感覚的に分かったような気がした。こういう音を聴かされるとずっと後々まで尾を引きそうだ。

Kさんが主に聴いておられるソースは昔のSPレコードである。「SPこそ最高のハイファイだ」が持論とのことで、たしかに78回転の情報量は通常のLPレコードに比べて図抜けていた。

カザルスの無伴奏チェロ・ソナタ(バッハ:画像左)は圧巻だったが、おまけというかプレスリーの大ヒット曲「All Shook Up」までSPで聴かせてもらった。

      

ほかにも持参してきた「ちあき なおみ」のCDや「サキコロ」のレコード盤を聴かせてもらったりしているうちにあっという間に時間が経って16時ごろになった。

これ以上、居座ってご迷惑をおかけしてはと「大いに勉強させていただきました、ありがとうございました。」と感謝しながら席を立ったところ、Kさんから一言、「この本を読まれましたか?」

          

「いいえ、かねて読みたいと思っていますが、まだ読んでいません」「よろしかったら進呈します」「エ~ッ、ほんとうにいいんですか」

Kさんは「永遠の0」を読まれてから百田尚樹のファンのようで、自分のブログでずっと以前、同じ著者の「錨を上げよ」の書評を取り上げたことをどうやら憶えておられたらしい。この本は図書館で予約しているものの、まだ新刊ほやほやで凄い順番待ちの最中だったので喜びもひとしおだった。

ほんとうに実り多き一日だったが、今回聴かせてもらった音を我がシステムに生かそうと思うと課題山積。

しかし、しっかりと(聴いた音を)脳裡に焼き付けたのでこれをメルクマールにしながら、これからいろんなアプローチを試してみるのも面白そうだ。

            


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「楽隠居」と「素(す)隠居」

2012年10月14日 | 独り言

このたびの山中教授の「ノーベル賞」(医学・生理学部門)受賞は久しぶりに明るい話題。

万能とされるIPS細胞が難病治療に応用できるようになるのは、遅かれ早かれ時間の問題と言っていいだろうが、こういう恩恵を日本にことさら無理難題をふっかけるアジアの某国にだけ利用できないようにする手立てはないものかな~(笑)。

気取ることなく、人柄の良さそうな同教授の喜びのインタビューを観ていたら、「10回のうち9回は失敗する、それでもくじけない」という趣旨のことを仰っていた。「根気が大切」ということなんだろうが、一方では、9回も失敗してそれが許される環境というのも非常に大切だという気がした。

「物事の本質」というと大げさだが、それに類するものをある程度極めていくためには、何といっても能力と情熱だろうが、それに加えて時間的、心理的なゆとりも必要なのではあるまいか。


ノーベル賞を引き合いに出すのはおこがましいが、文化的な分野においても同じことが言えそうな気がする。

一昨日(10月12日)のNHK-BSハイで「伊能忠敬~国の要・日本地図への挑戦~」という番組をやってた。

周知のとおり、伊能忠敬(いのう ただたか)は、婿養子として入った下総の造り酒屋で財を成した後、50歳であっさり身代を後継者に譲って隠居生活に入り、その後は江戸に出て大好きな天文学に打ち込み、その知識を応用して56歳から72歳まで、ほぼ日本全国を踏破して測量したうえで画期的な日本地図を完成させた。

踏破した距離はおよそ4万キロでほぼ地球一周分。

当時(江戸時代後期)の欧米列強は未開の中国をはじめアジア諸国を次々に植民地化同然のことをしていったが、日本だけはそれをためらわせるものがあったという。その要因の一つとして当時としては画期的な日本地図があったことが挙げられると番組の中で言っていた。

来日した欧米人は日本地図の精密さに驚嘆したそうだが、それはいわば文明的に自立できる国民の証明みたいなもので、日本を尊敬させた地図として伊能忠敬の功績は実に大きい。

番組の解説者によると「当時、浮世絵を始め世界に冠たる江戸の絢爛たる文化を担っていたのは市井の民だが、その中で大切な役割を果たしていたのが隠居だった。侍の場合は隠居料が支払われ、町民の場合は隠居するときに取り分が保証されていた。時代的に自由さを許す許容度がそのまま文化度に繋がっていた」

          


北斎しかり、広重だって画業に専念できる隠居同然の身分だったし、それこそ伊能忠敬みたいな隠居が市井には溢れていて、何かにつけ、実際に手と足を動かし、口うるさく講釈を垂れていたことだろう。

毎日、きまった仕事に追われることがない、子供も成長して家族の世話をしなくていい、暇をたっぷり持て余して金儲けを考えずに好きなことに没頭できる隠居たち。時間的、心理的なゆとりに恵まれていたことは言うまでもない。

現代に当てはめてみると、定年退職後の団塊の世代がそうである。能力は別として経験と知識はあるんだから、もっと世の中に貢献するような文化的パワーの創造と発揮が出来ないものかといつも思う。

さて、そういう隠居さんにも「楽(らく)隠居」「素(す)隠居」とがあり、「楽隠居」とはお金持ちの隠居のことであり、「素隠居」とはお金がない隠居を言うそうな。

たとえば広辞苑によると、「素」という言葉は「素顔」「素手」とあるように「ありのまま」という意味があり、さらに軽蔑の意味を込めて”みすぼらしい”とあって、「素寒貧」(すかんぴん)、「素浪人」などという用語例がある。

はたして自分は「楽隠居」と「素隠居」のどっちなんだろう?

もちろん、乏しい年金生活なので「素隠居」に決まっている!(笑)。

 


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レコード盤をCDに焼き直し

2012年10月12日 | 音楽談義

「おい、たしかお前はモーツァルトの魔笛が好きだと言ってたな。最近、知り合いからレコードを沢山もらったが、その中に魔笛をヴァイオリンとフルートで演奏したのがあるんだけど、要るかい?」と、いまだにレコード一辺倒の長兄(福岡)から電話があった。

「レコード・プレイヤーを持ってないので要らない」と、言葉が喉まで出かかったが「待てよ」と思い直して、「要る、要る、悪いけど送ってくれるかな~」。これがそう。

                      

魔笛のオペラはCD、DVD合わせて40数セット持っている。何せ2時間半という長大なオペラなのでCDなら2~3枚で済むが、レコードの場合は少なくとも4枚ぐらいにはなるはず。

したがって、置き場所に困るのでオペラなら不要だが、ヴァイオリンとフルートの演奏となるとなかなか珍しい。

以前、ピアノの連弾による魔笛の演奏(CD)があって、手に入れて聴いてみたが実に良かった。(次の画像)

                      

さして名のあるピアニストでもなさそうだが、これほどの名旋律に溢れたオペラならどんな演奏だって引き込まれること間違いなし。

問題はレコード・プレイヤーを持っていないことだが「窮すれば通ず」、何とかなるものである。

懇意にさせてもらっているオーディオ仲間の奈良のMさんも長兄と同じく圧倒的なレコード派なので、次のとおり、お願いしてみることにした。パソコンの操作にも堪能な方である。

「魔笛の珍しいレコードが手に入りました。たいへん厚かましいお願いですが、これをCDに焼き直すことが出来ませんでしょうか。コピー用のCD盤は添付しますが・・・。」と、恐る恐るメールで問い合わせてみると、「ときどき大切なレコードを保存のためCDに焼き直しています。音質にご満足をいただけるかどうか分かりませんが、トライしてみますから送ってください。」と、メールが返ってきた。

いやあ、実にありがたい話。すぐに丁寧に梱包して送付したが、感謝の気持ちを込めて大分名産の、旬を迎えたカボスを少々同梱させてもらった。

そして、焼き直してもらったCD盤がレコードとともに昨日(11日)の午後到着。

          

プログラムどころかCD盤の表まで印刷してもらって恐縮の至り。やっぱり非常に、こまめで丁寧な方である。さっそく試聴してみたが、高音域の生々しさ、天井知らずのような伸びには思わず息を呑んでしまった。

ウーム、「レコードの音」恐るべし!

しかも、針が盤面をトレースするときに出るサーノイズがまったくといっていいほど出ないのには驚いた。カートリッジ、フォノモーターなど、よほど優秀なプレイヤーを使ってあるのだろう。トーンアームはたしかSMEの3012Rと仰っていた。

ただ、もっと低音域が出て欲しい気もしたがヴァイオリンの周波数帯域はおよそ180~1万ヘルツ以上、フルートの帯域がおよそ300~1万ヘルツ以上なので、中高音域に偏るのは当たり前でまあ、無理な相談だろう。

オーディオ歴およそ40年のうちレコード時代が20年ほどで、プレイヤーは友人に譲ってしまい、それ以後の20年間はもっぱらCDだが、あくまでも個人的な感想として言わせてもらえればレコードはCDよりも中高音域が美しい、その反面、CDはレコードよりも低音域の音階がはっきり出るという印象を抱いている。

いわば一長一短で、「レコードの中高音域とCDの低音域が合体すれば最高なのだが」という思いは捨てきれない。

とはいえ、一般的な機器を使っての印象であり、両者とも”超ど級”の機器を使ったときの印象はまた変わるかもしれないので念のため申し添えておこう。

それにしても、こんなにうまくいくなら、レコード時代の愛聴盤「コレルリの合奏協奏曲」(3枚組:イ・ムジチ合奏団)もCD化してもらおうかなぁ~。もはや宝の持ち腐れなので、もし気に入っていただけたらレコード盤の方は差し上げてもいい。

                   

ちなみに、演奏しているイ・ムジチ合奏団の第一ヴァイオリンは「フェリックス・アーヨ」である。

同楽団は、あの有名な「四季」(ヴィヴァルディ)をメンバー・チェンジしながら何度も録音しているが、アーヨ盤を越えるものはいまだにない。まあ、最初に聴き込んだせいで「刷り込み現象」が起きているのかもしれないが。

とにかく「コレルリの合奏協奏曲」もアーヨのCD盤が発売されないものかと、ここ20年間ほど「鵜の目鷹の目」で探しまわったがどうやら完全に望み薄のようである。

よし、もう一度、厚かましくMさんにお願いしてみるとしよう。

そのときは忘れずに「That’s」のCD-R(マスター用)を添付すること。以前、パソコン外付け用ドライブ「プレクスター」を使って実験したことがあって、CD-R盤の種類でまるっきり音が変わるので”ゆめゆめ”おろそかに出来ないのである。

 


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オーディオ訪問記

2012年10月08日 | オーディオ談義

7日(日)はかねて予定のオーディオ訪問日。9月の末頃に来ていただいた別府市内のYさん宅に、オーディオ仲間の湯布院のAさんともどもお邪魔した。

我が家に来ていただいたAさんと連れだってYさん宅に着いたのが13時45分。初めての訪問なので道に迷った時の心配をして早めに出たのだが、分かりやすい目印を教わっていたのですぐに発見。14時からのお約束だったのに早めに着いてしまった。

広い敷地でこれならご近所に気兼ねなしに音楽を楽しめると思えるほどの邸宅だったが、玄関の呼び鈴を鳴らして、出てこられたYさんに、「どうも、どうも、早めに着いてしまいました。」

YさんとAさんは初対面なので、玄関先で自己紹介の後すぐに専用のオーディオルームへ。

            

人のオーディオシステムを拝見するのは実に楽しい。

先ず綺麗に整頓されているのに感心した。正面から見えるのは左の電源コードだけで、ピンコードやSPコードはいっさい見当たらない。我が家の乱雑振りと比べると、まったく穴に入りたくなるほどだが、まあ、我が家は3系統のシステムだし、テレビも置いてるしと内心、自分を慰めながら機器類のご説明を受けた。

プリアンプ(デジタル)、CDプレーヤー、パワーアンプはいずれもアキュフェーズの製品。取り分けパワーアンプはP-5000のBTL接続だそうで、その理由はご覧のとおりSPシステムのユニットの数が多いため、低インピーダンスに対処するということですぐに納得。

我が家でもウーファー(低域用ユニット)が片チャンネル4発なのでインピーダンスが2Ω(8Ω÷4)になってしまいアンプが(オームの法則により)電流供給上、悲鳴を上げるので同じように片チャンネル1台のパワーアンプにより4Ωにしている。

それにしてもスピーカー・システムがなかなかユニークなので詳しくお伺いすると、Yさんは「長岡鉄男」さん(故人:オーディオ評論家)の信者(?)だったそうで、幾多のSPユニットを使っての自作は数知れず、まだその名残の製作品が倉庫に眠っているとのことで成る程。

写真でご説明すると、中央寄りのSPがスーパー・ウーファー、ユニット2発がウーファー、8センチユニット9個が中高音域を受け持ち、ゴールド色のツィーターがその横に置いてある。

早速、試聴開始。

試聴盤はジャズだったが、「ほう、高域が盛大に出ているなあ」というのが第一印象。これに比べると我が家の高音はずっと、ずっと控えめ。しかし、次から次にずっと聴かせていただくうちにこれが普通かもしれないと思わせるものがあった。

五味康祐さんの名著「西方の音」には、他人のシステムを聴くのはひそかに自分の奥さんと比べているようなものであり、試聴中、常に物差しになっているのは我が家の音であって、簡単に取り換えるわけにもいかず(?)、最後にはそれなりの良さがあると自らを納得させる”くだり”があるが、言いえて妙で、大半のマニアはそういう心境に違いない。

そのうち自宅から持参してきた「サキコロ」と「ちあき なおみ」をかけてもらい、我が家での鳴り方と徹底比較してYさん宅の音の傾向については完璧に把握できた。

ひと通り聴かせてもらった後に、今度はYさんからフルートの実演を拝聴した。バッハの1節を吹いていただいたが実にお上手で感心したが、同時に生の音の艶めかしさには正直唸った。

「ウ~ン、自宅に戻ったらもっと高域のボリューム(プリアンプ)を上げてみようかな~。」

そうこうするうちに、Yさんのオーディオ友達のUさんがお見えになったので4人でそれぞれのオーディオの苦労話に花が咲いた。お伺いしてみるとそれぞれ言うに言われぬ苦労を重ねてきたわけだが、苦労というよりも大いに楽しませてもらったというのが本音だろう。

いろんな話題の中に団塊の世代が30代の頃がオーディオ全盛の時代で、今やオーディオは見る影もなくなったという話が出た。本格的なオーディオの楽しさ、素晴らしさを後世にどう伝えていけばいいのか、これはオーディオを精一杯楽しませてもらった世代に課せられたテーマかもしれない。

とはいうものの、「賢者は人から学びたがる」「愚者は人に教えたがる」(チェーホフ)とあるのだが、ただ一つ、あえて言わせてもらえればオーディオの楽しさ、奥深さをもっと味わおうと思えば是非、積極的に他人の家のシステムを聴かれることをお薦めしたい。
 


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10月の独り言~♯1~

2012年10月06日 | 独り言

≪選択の自由≫

先日、帰省していた娘がしみじみと「iphone5が欲しいなあ」とつぶやく。娘の勤務先は、とある通信系の会社だが、この会社ではこの機種を扱っておらず、道義上、商売敵の製品を購入するわけにはいかないらしい。万一購入したとしても、会社では周囲からきっと白い眼で見られるに違いない。

「日産の社員が、いくら好きでもトヨタのクルマを購入できないのと一緒だな~」とか言って慰めたが、今どきの若者たちにとってクルマなんて燃費さえ良ければ、どんな車種でも構わないみたいで日常生活での比重は落ちるばかり、むしろ肌身離さず持っているスマホの選択を制限されることの方がずっと不便であり苦痛に違いない。

選択の自由が幅広く保証されているようにみえる現代でも、意外と制限される要因がいろいろあるものだと思った。

関連して、毎年11月に行われるプロ野球のドラフト会議もそういえばそう。指名を受ける選手側が球団を選択する余地がないことから、憲法第22条に謳われた職業選択の自由に反するのではないかという指摘がたびたびなされている。

これに対して、入団する球団を選択する自由はないが、「プロ野球選手」という「職業」を選ぶ自由は奪ってはいないので憲法上問題はないというのがその反論。

何だか詭弁みたいな気がするものの、最終的には最高裁の判決を待たねばならないのだろうが、そこまでして訴えるような選手がこれまで皆無なので当然、判例はなく実質的には泣き寝入りみたいなもの。判決まで長期間かかることが予想され、その間に選手生命が消耗してしまっては元も子もないことになる。

昨年のドラフトで巨人志望だった本格派の菅野投手は一位のくじを引いた「日ハム」を拒否して、とうとう浪人してしまったが今年のドラフト会議で意中の巨人が一位のくじを引くとは限らず、もし他球団から指名されたらどうするんだろう?

さすがに2年浪人とまではいくまい。どうやら早くもヤクルトあたりが手を上げている模様だが、もし他球団が指名したら大の巨人ファンのカミさんがきっと怒り狂うに違いない。

どうか”とばっちり”が来ませんように~(笑)。

≪面白い映画≫

現在契約している「ひかりTV」では、全35チャンネルのうち「洋画」が3チャンネル、「日本映画」が2チャンネルある。

前月の下旬頃に翌月の1か月分の番組表が送ってくるので、事前に面白そうな映画をチェックしてはこまめに録画している。ただし「R15」は刺激が強すぎて除外(笑)。

しかし、きちんと映画の解説を見て慎重に予約をしているにもかかわらず、映画開始後20分もすると「これは観るだけ時間の無駄」とすぐに消去する映画がほとんど。見応えがあって残す価値のある映画は確率にすると10本のうち1~2本ぐらいかなあ。

総じてアメリカ映画はちょっと軽すぎる、北欧の映画は「ドラゴン タツゥーの女」のようにドギツイものがかなり多い、イギリス映画はちょっとテンポが遅くてまどろっこしいというのが率直な感想だが、3日(水)に録画して5日の午前中に観た「瞳の奥の秘密」は久しぶりに時間の過ぎるのを忘れて2時間あまりの間ずっと画面に引き込まれてしまった。

        

この映画の解説には、「25年前の未解決暴行殺人事件の真相を孤独な男がつきとめていく。アルゼンチンで大ヒットを記録しアカデミー外国語映画賞を受賞した傑作サスペンス・ドラマ」とある。

主人公の裁判所の判事補が殺人事件現場で新婚ほやほやの被害者(美人女性)の悲惨さを目の当たりにして、懸命になって犯人の手がかりを求めていく中、とある集合写真のなかで被害者を見つめる男の瞳の奥に潜む偏執性に気付き、その男が真犯人だと直感して追いつめていく。

追われることに気付いて逃亡した犯人を逮捕する過程がユニークだし、逮捕後も最後まで二転三転して目が離せない。

重厚なサスペンス・ドラマなのでこれ以上の言及は不要だが、もしご覧になる機会があればなるべくお見逃しなきように。 

≪面白い本≫ 

最近読んだ本の中では「清須会議」(2012年6月刊)が出色の面白さだった。

                          

織田信長を謀反によって葬った明智光秀を、豊臣秀吉(以下、「秀吉」)が「山崎の戦い」で打ち破り、その後、織田家の存続を図るためその跡継ぎを決める重要な会議が行われたのが織田家ゆかりの「清須城」。

本書では歴史物にありがちな叙述風の物語ではなく、「清須会議」の登場人物の胸中の思いをそれぞれの「独り言」に託して展開させていく。

その登場人物は多士済々だが、主に柴田勝家(以下、「勝家」)、秀吉、「お市の方」(織田信長の妹)が中心となっている。当時の歴史にちょっと詳しい方ならこれら登場人物の心理描写が作者の推測にもかかわらず真にせまっており、まったくその通りだろうなあと頷くこと請け合いである。

「清須会議」はこれまで歴史の中の位置づけとしてあまりスポットライトが当たっていない印象を受けていたが、その後の秀吉の天下取りの過程で重要な位置づけを占めているのがよく分かった。とりわけ、秀吉の臨機応変と才気渙発ぶりには改めて感心した。

最終的には織田家の相続をめぐって、秀吉と勝家の争いとなり、かって我が子を殺した「秀吉」憎さのあまり勝家と夫婦になった「お市の方」が勝家ともども落城する中で自害し、秀吉の智謀が勝家の武勇を制したというのが歴史的事実。

余談になるが、以前読んだ本の中に秀吉と勝家の最後の争いの場となった賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで、膠着した戦闘状態を打開するため、秀吉が勝家の軍勢をおびき出すための仕掛けを施して意気揚々と陣屋に戻ったときに独り言で「ざっと済んだ。柴田めが、青々(あおあお)と出でたるぞ」とあったが、実際にそのとおりとなった。

「青」とは広辞苑によると、「若い」(たとえば青年)、「未熟の」という意味があり、青二才、青くさいなどと使われる。

これから「お前のオーディオは青くさい」などと言われないように心がけよう(笑)。
  
 


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「クラシカ・ジャパンHD」放送始まる

2012年10月04日 | 音楽談義

10月の声を聞くとようやく秋になったなあという感じがする。9月30日と10月1日、たった1日の違いなのに晩夏と初秋がきれいに入れ替わる、そういう季節感の初々しさに何となく心が弾む。

TVの世界でも模様替えの季節である。好評だったNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」、それに毎週楽しみに観ていた「総合診療医ドクターG」もあっけなく終了してしまった。

この「総合診療医・・・」は病名を探り当てるまでの謎解きの面白さをスタジオで展開する新感覚医療エンターテインメント番組で、実例に基づいて実在の総合診療医と研修医3名が討論しながら患者の症例を探っていくのがまるでミステリーもどきの展開で非常にお気に入りだったので残念~。

その代わりと言っては何だが、番組の改編は悪いことばかりではないようで、契約しているクラシック専門放送の「クラシカ・ジャパン」(スカパーCS放送)が10月1日から「HD放送」が始まるとお知らせの文書が9月下旬になって届いた。

これまでは音楽業界に遠慮して「SD」(標準画質)放送だったのが、いよいよ「HD」放送へと、ハイビジョン並みの画質による放送に踏み切ったものとみえる。

よし、よし、業界側に顔を向けるのではなく、顧客を大切にする姿勢というのは大歓迎である。

とはいえ、何故この10月1日からという疑問がつきまとう。いろんな理由があるのだろうが、時期的にピタリと符合することがある。

≪販売または有料配信されている音楽や映像について、その海賊版をダウンロードする行為が、平成24年10月から刑罰の対象となります≫

平成24年10月1日からは、個人的に利用する目的であっても、「海賊版」について、それが販売または有料配信されている音楽や映像であることと、違法配信されたものであることの両方を知りながら、自分のパソコンなどに録音または録画(ダウンロード)した場合には、刑罰として、「2年以下の懲役または200万円以下の罰金(またはその両方)」が科されることになります。(政府広報より抜粋)

オオ、コワ!

つまり、違法ダウンロード行為の厳しい刑罰化が音楽業界への担保となって「HD放送」への切り替えが行われたというわけだが、まあこれはあくまでも推測の域を出ないところ。

さて、お知らせの文書によると、これまでのチャンネルは「736」チャンネルだったが、「HD放送」の新たなチャンネル番号は「637」となるので、視聴希望者は「スカパー!カスタマーセンンター」へ問い合わせしてくださいとのこと。

高画質・高音質が大好き人間なので(誰でもそうだろうが!)すぐに飛びついた。電話で申し込んだところ、問い合わせ内容に応じて番号の選択をさせられた挙句、「ただ今、たいへん込み合っております。再度かけ直してください」。やれやれ。気長に取り組むことにしよう。

そして、次の日に電話したところまたもや同じような案内が。時間帯によって込み合うのかもしれないと、様々な時間に電話してみるも同じ結果なのでさすがに、頭にきてしまった。

スカパーはサービス悪い!番組改編の時期ぐらいは電話機と担当をたっぷり増やせよ!

ようやく3日目くらいに通じたが、それでも人間の対応はいっさいなしで、すべて電話番号のボタンを押すだけの処理だった。新しく申し込むチャンネル番号を押してください → 「6、3、7」、(元に戻って)解約する番号を押してください → 「7、3、6」。

いったいこんなことで、はたして無事に手続きが終了したんだろうかと半信半疑のうちに、10月1日(月)を迎えた。朝起きて一番に専用チューナーのスイッチを入れると、テレビ画面に「このチャンネルの視聴契約が確認できません」との文字が浮かび上がった。「第一段階よし」と声に出して、次に「637」チャンネルを押すといつも見慣れた「クラシカ・ジャパン」が放映中。

どうやら契約手続きがうまくいったようで、ほっと一息。

さて、当面する一番の興味は「SD放送」と「HD放送」の画質と音質が、はたしてどれくらい違うかということである。

フッ、フッ、フ、それが格好の比較する番組材料があったのである。

それはムター女史の「ブラームス ヴァイオリンソナタ全集」(1時間20分)

周知のとおり「クラシカ・ジャパン」は同じ番組を日を替えて何回も放映するのでウンザリするが、上記の番組をSD放送により9月27日(木)に録画していたにもかかわらず、ついウッカリしてHD放送により10月2日にも重複して録画していた。

ということは、両方の番組を比較視聴すればたちどころに画質・音質の差が分かるというわけである。

           

これは「HD放送」の画像だが、カメラが悪いのか、腕が悪いのか(笑)、チョット左側がボケてしまったが気にしない、気にしない。実は画像なんか問題にしていないのであると言いたいところだが、予想以上にはっきりとした違いが見てとれた。

SD放送はベタっと映像がテレビ画面に張り付く感じで平面的な印象を受けるが、「HD放送」となると映像がひときわ鮮やかに、そして立体的に見える。これは誰が見ても違いが分かるほどだった。

さあ~、焦点は
何といっても「音質」である。我が家のシステムで違いが分かるかなあと、息を潜めて集中しながら聴き比べてみるとやはり違いが感じ取れた。ただし画像ほどの差ではない。

音量を上げたときにSD放送はウルサク感じたが、HD放送では歪が少ないのかウルサク聴こえなかった程度。まあ、そのくらいの違いだが、気になると言えば気になる。これは物理的にかなり大きな負担となってのしかかる。

今年の7月にスカパーと契約してからこれまで「SD放送」で録画した番組は91本。ちなみに使っている2.0TBのハードディスクに占める容量は12%を占め、残量は88%となっている。

これからこの91本の番組についてHD放送で再放映されるたびに録画して、旧くなった番組を順次消去していかなければならないのである。たいへんな手間だし時間を喰うが、やっぱりマニアたる者、やらざるを得ないだろうなあ~。


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オーディオ愛好家のご来訪~最終回~

2012年10月03日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

今回のお客さんお二人のうち「Y」さんは「ジャンルを問わず何でも聴きますよ」という方だったが、「U」さんはジャズ・オンリーの方のようである。我が家のシステムは完全にクラシック向きなので内心、トホホ~


中高音域を受け持つSPユニット「AXIOM80」は、しなやかさの面ではGOODだが、”ガツン”と来るアタック音の力強さや音の厚みという点ではチョット物足りない。ジャズにもっとも必要な「力強いスイング感」に欠けるという意味で明らかにジャズ向きではない。

はたして専門家の耳に我が家で鳴らすジャズはどう聴こえるんだろうと、ホリー・コールの「temptation」、アート・ペッパーの「meets THE Rhythm Section」(ビクター xrcd盤)、そして我が家の試聴用リファレンスとなっているソニー・ロリンズの「SAXOPHONE COLOSSUS」(ビクター xrcd盤、以下、「サキコロ」)を次々にかけてみた。

           

そういえば、サキコロに関して9/29に奈良のMさんからメールが入ってきたのを思い出した。

「近くの開放倉庫店で偶然見つけました。半額セールでもジャズ盤はいい値段で、7,000円の半額3,500円でした。レコードのタスキには2,200円の定価表示、〇〇さんが試聴用リファレンスにされているとのことで購入しました。3曲目のストロード・ロードが気に入りました。モノラルもまた良いものですね!!」

「サキコロがそんなに安かったとは驚きです。実にいい買い物をされましたね。流石に”ゲルダー”の名録音となるとステレオとかモノラルとか、もう次元を越えてますね。むしろモノラルの方が聴きやすいみたいです。」と、すぐに返信したがサキコロをいずれレコードで聴いてみたいという誘惑にはとても抗いきれそうにない。

さて、ジャズの次は再びクラシックに戻ってヒラリー・ハーンの「プレイズ・バッハ」(ヴァイオリン)、内田光子さんの「ピアノ・ソナタ30番~32番」(ベートーヴェン)。

最後に映像の視聴に移って「クラシカ・ジャパン」(CS放送)で録画したムター女史の「ヴィオリン・ソナタ」(モーツァルト)を鑑賞してもらった。

時間はあっという間に流れていって、もうお昼どき~。

お二人とも、具体的に我が家の音に言及されることは無かったが、きわめて「実験的なシステム」だとの感想をお持ちになったことは間違いない。試聴席が暖まらないほどと言っても過言ではないほどシステムをしげしげと、そして珍しげに見て回っておられた。

そういえば我が家のシステムは音の入り口に当たるデジタル系の機器を除いて、すべて既製品を改造したり他人に作ってもらったり、そして独自に編成したものばかりなので市販品のままなのは一つもない。初めての方にはいかにも異質な印象を与えたことだろう。

ここで、手前勝手なオーディオ論をひとくさり。チョット堅苦しくなるがまあ、聞いて欲しい。


メーカー既成の製品を最上のものとしてそのまま使うのか、あるいはためらわずに改造しようとするのか、さらに大げさに言えば初めから(性能に対して)疑惑の眼(まなこ)を向けるのか、いずれの姿勢を選択するかでオーディオに対するアプローチは随分違ってくるように思う。

もちろんどちらが”いい”とか”悪い”とかいうことではないし、双方にそれぞれ言い分があると思うが、自分はここ10年ばかり明らかに後者の立場をとっている。

正直言って音楽に興味のない連中が機械的に作った可能性がある既製品はどうも信用する気になれない。もちろん中には誠実な製品もあるだろうし、あくまでも確率の問題として考えるべきなのは分かっている。それに、定評のあるメーカーであればまず間違いないのだろうが、それでも信頼のおける製作者が手を加えた製品や自作の方が安心して使用できるから、こればかりはどうしようもない。

オーディオ機器への信頼の目安を思いつくままに挙げてみると、「ブランド」、「価格」、「オーディオ評論家の意見」、「世間の評判」、「信頼できる知人・友人の薦め」、「実際に試聴してみた結果」のいずれかだろうが、おそらくプライオリティはそれぞれ人によって違うことだろう。

これまで散々失敗してきた経験から言わせてもらうと、つくづくオーディオに権威主義は必要ないと思っている。どんなに一流のブランドでも好みの音を出してくれない機器に対して無理に自分から寄り添っていく必要は毛頭ないし、そういうときは思い切って機器をいじって自分の好みに持っていく方がいいのではあるまいか。もちろん失敗する可能性もあるので修復できる範囲という条件付き。

オーディオ製品は明らかに一般的な工業製品とは違う役割を担っている。それは電気回路を通して音楽を創りだしハーモニーを奏でて人間の心の中に奥深く潜む情感を揺り動かすという極めてデリケートな役目である。そもそも機器に血が通ってなければ人間のハートを動かすなんてとても無理な相談。

「僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として世界を生きているのだ。」(村上春樹著「意味がなければスイングはない」)

いつも自分の世界に閉じこもって黙々と取り組んでいるオーディオだが、日頃の自己勝手流を客観的に眺める機会を得られたのは今回の収穫だった。

どうやらオーディオの世界に限っては「文明の衝突」(サミュエル・P・ハンチントン教授、著)は有意義のようである。

「Y」さんには我が家にわざわざ来ていただいたので、今度はこちらから7日(日)の午後に湯布院のAさんともども訪問させていただくことになった。アキュフェーズの高級システムに加えてフルートの音色も楽しみだが、自宅からクルマでわずか10分ぐらいのところだから大いに助かる。


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