「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~「檀流クッキング」

2009年04月24日 | 読書コーナー

3月にNHKBSハイで放映されていた「私の一冊 日本の百冊」は本好きにはこたえられない番組だった。

各界で活躍する著名人それぞれが
「心に持つ特別な”一冊”を熱っぽく語る」のもとに一人20分程度の時間で順次紹介していくもの。

もちろん音楽の場合と同じで、好きな曲目も人それぞれに広範に亘っており好き嫌いはつきもので「エッ、こんな本のどこがいいの」といった本もあることはあったが全体的に興味深く拝見した。

とりわけピッタリきたのは作家の北方謙三氏の「李稜」(中島 敦著)についての感想で「この本はできるだけ言葉を少なくし直截的な表現を避けて
文章の行間に主人公たちの痛切な思いを込めている」というもの。これは文豪ヘミングウェイの文体に共通するものだそうだ。

「行間から登場人物の意を巧みに読みとらせて読者のイメージを際限なくふくらませる」なんてことは作家として究極の手腕ではなかろうか、な~んて。

自分に言わせてもらうと、これはモーツァルトの作品と同じで彼の音楽にはムダをそぎ落とした数少ない音符の中に無限の宇宙があってこれに相通じるものがあるように思う。

「シンプル・イズ・ベスト」は人間の生き方をはじめいろんな「ものごと」に共通するもので、自分の趣味で言えば「オーディオ」「魚釣りの仕掛け」なんかにも「シンプルさ、素朴さ」の中におうおうにして「最高の機能」を見出すことがある。

さて、もう一冊印象に残ったのが唐沢俊一(作家)氏が推す
「檀流クッキング」。

数ある料理本の中では極め付きの一冊だそうで、著者は作家の「檀 一雄」氏(故人)。女優にしては珍しく気品があって知的な雰囲気を持つあの「檀 ふみ」さんのお父上である。

唐沢氏の表現が実に適切なのでそっくりお借りしよう。

「男の料理本、最高峰!食べるということは人生そのものだ。とにかく楽しく細かいことにこだわらないのが檀流。手順を書いてあるだけなのに料理の一つひとつに檀さんの人生がシンクロしてくる。僕も自分が作り食べてきた料理っていうものを書き残しておいて次の世代に食べてもらいたい、そんな気にさせられる本です」。

番組の中では、「豚のレバーとニラいため」が紹介されていたが、これが実においしそう。

こういう本はずっと手元に置いて読みたいのでさすがに図書館で借りて読むというわけにもいかず早速、市内の書店を2~3軒回ったが地方の悲しさでいかんせん在庫が貧弱でまるで見当たらない。

仕方なくネットのアマゾンで検索し注文した。「檀流クッキング」を購入する人は同じ著者の「美味放浪記」も合わせて読まねばということがネット情報で見かけたので同時に発注。

                          

いずれも「中公文庫」だが、それぞれ3日ほどで自宅に到着した。これからじっくり読んで檀さんの料理を見よう見真似でチャレンジしてみる積もり。

最後に檀さん流の
「豚のレバーとニラいため」の料理法を紹介しておこう。

「豚のレバー200グラムばかりを食べよい大きさにザクザク切って、10分くらい水につける。血抜きをするわけだ。その肝臓の水を切り、お茶碗かドンブリに入れて、ニンニクトショウガを少しばかりおろし込み、お醤油を少々、お酒を少々振りかけて20分ばかりほったらかす。下味をつけるわけだ。
さて、中華鍋の中にラードを強く熱し、レバーにカタクリ粉を振りかけて指で混ぜ、煙をあげる中華鍋の中に放り込む。レバーの表面が焼けて火が通った頃、ザクザク切ったニラを放り込んで一緒に混ぜる。ニラがシンナリしかかった頃、醤油を大匙一杯、鍋の中に入れる。醤油がからみついた時に火をとめる。強い日で手早くやるほど、おいしいはずだ。」

調味料が「カップ半分」とかいろいろと細かいことを指定しないのがいいところで、豪快そのものでかつ野性味があってホントに食べたくなる。

改めて人生において「食べる」ということの意義を問い質したくなる本だ。


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オーディオ談義~「スクラップ&ビルド」~

2009年04月22日 | オーディオ談義

先日のブログ「iTunesがひどいことに」の中で「iTunes」の「ミュージック・ライブラリ」に半年以上かけて1500曲ほどの曲目を溜め込んでいたところ、(パソコンの)「iTunes」を開いた途端に一方的にデータを破壊されたうえに題名(たとえば交響曲の第一楽章と第二楽章とかの区分)がそれぞれにバラバラになって飛び散ってしまったことを紹介した。

その後、しばらくたってやっと気を取り直して毎日コツコツと一曲ごとにジャンル分けから始めてアルバム名とアーチスト名の記載などの修復作業に取り組んでいるが、やはり大変根気の要る作業である。

とにかく、順番ごとにあちこち捜し出すのが大変で
ブログに記事を登載する暇がなかなか見つけ出せないほどの遅々とした進行具合。

しかし、改めてこうした編集作業に取り組んでみると全然聴く気にならないような余分な曲目まで「iTunes」に取り込んでいて、これまで結構無駄な取り組みをしてきたことが分かったのでそういうものはアッサリと抹消しているが、丁度全体を見直すいい機会になったことも否めない。

「スクラップ&ビルド」という言葉があるが、都市再生事業なんかもそうだが物事は一旦徹底的に破壊することから始めて新たな出発をすることも場合によっては「必要かな」という気にもなる。

いつのことだったかあるオーディオ雑誌に掲載されていた記事だが、あの未曾有の阪神大震災でオーディオ装置を徹底的に破壊された関西の愛好家が、文字どおりゼロから出発してその挙句ウェスタンのアンプとスピーカーを手に入れてその音質に大満足して「破壊されてかえって良かった」なんて結果オーライの都合のいい(?)コメントを読んだことがあるのを憶い出した。

人間という動物は基本的に保守的な体質を持っておりやはり何かのきっかけや後押しがないと徹底的な破壊はそうそう簡単にできるものではない。

このエピソードは
「禍福はあざなえる縄の如し」につながるように思う。「この世の幸不幸は、よりあわせた縄のように、常に入れかわりながら変転する」(広辞苑)については人生経験の豊富な方にはキット思い当たることが大いにあるに違いない。

自分のオーディオ装置の場合でも徹底的に総入れ替えするにしても、”あれ”と”これ”だけはせめて残したいという代物があるがそういう気持ちが大きな発展を阻害するんだろう。

たとえば手持ちの10年以上使用しているワディアのDAコンバーター(27ixVer3.0)やCDトランスポート「ワディア270」なんかのデジタル機器は日進月歩の時代なので、今ではこれ以上の音質を持つ機器が安くて発売されているにもかかわらず、昔大枚のお金をつぎ込んだというそれだけの”しがらみ”で後生大事に取り扱っているのは「笑止千万」ということかもしれない。

さて、話は「iTunes」に戻って今となってはいっそのこと手持ちのCDから取り込んだ曲目は(有料の配信音楽から取り込んだ曲目を除いて)すべて抹消してみようかという気になっているところ。

作業が面倒くさくなってきたこともあるが、もうひとつの一因としてオーディオ仲間のM崎さんから耳寄りなニュースをもらったことにもよる。


これまたいつぞやのブログの話だが「CDから取り込んだ曲目」と「配信音楽から取り込んだ曲目」の同一曲目を「iPod」で比較試聴したところ明らかに配信音楽のほうが音質が優ることを登載したことがあるがその主な原因の一つとして、CDをパソコンに取り込むときに音質の劣化が起こると(推測だが)紹介したことがある。

そういう状況を踏まえたうえでのM崎さんのご指摘になるのだが我が家のパソコンはノート型ではなくデスクトップ型のため「CDの取り入れ口が縦型になっている」のがネックになっているとのこと。

やはりCD再生のような高速回転を要するものは水平で回転させてやるのが精度として正確無比であり、縦型の回転では重力の問題もあって不自然なのはいうまでもないところ。そもそもこの部分に音質劣化の原因があるのかも。

そこで、その対策としてパソコンのUSBに接続できる(水平型の)CDプレーヤーを別途購入して再生音楽をパソコンに取り込み、そのファイルを「iTunes」に取り込むことが考えられる。一旦コツさえ覚えれば簡単な作業になりそう。

目下、参考書を片手に勉強中だがこれが可能になれば「iTunes」に保管しているCD経由の曲目をすべて抹消して新たな取り込み作業が必要となる。これも結構時間がかかりそうだが音質がよくなるのであればやらざるを得ない。

結局、今回のデータ破壊が思わぬ方向に行きつつあるが「吉と出るか凶と出るか」くれぐれも「禍福は・・・・」のようになってくれるといいのだが、ヤレヤレ・・・。


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独り言~ハイブリッドカー~

2009年04月18日 | 独り言

交通機関が不十分極まりない地方に住んでいると、クルマの存在価値ははかりしれない。

文字通り日常生活の大切な足となっているので、故障がいきなり来ないように小まめな点検を欠かせず、定期的なオイル交換などに心がけているが、先日2万5千kmごとに取り替えているエア・クリーナーの汚れが限界となったのでディーラーに寄ってみた。

交換そのものは実に簡単だったが、ついでに小石が跳ね返って車体に当たった傷などが数箇所あったのでペイントしてもらいながら「このクルマを今、下取りに出したらいくらぐらいする?」と雑談風にサービスマンに聞いてみた。

「そうですね、5万円もいけばいい方でしょう」とのつれない返事。どう低く見積もってもせめて50万円ぐらいはするだろうと思っていたのでこれには愕然。

「いくらクラウンといってもとても無理です。年式と走行距離からいくと既に廃車のレベルになっています」。

現在乗っているクルマは2000年1月に購入したクラウン・アスリートV(2500ccターボ付き)で走行距離18万9千kmの代物だが未だ外観も捨てたものではなく、カーナビ付きで馬力も280psと十分、乗っていても快適そのもので異音は全然ないし、燃費が7km/ℓ前後といまいちなのが玉に瑕だがこの見積もりにはどうも腑に落ちない。年甲斐もなくときどき(信号待ちの)「交叉点グランプリ」に参加するがほとんど負けたことがない程のターボ特有の充実した加速感!

                

十二分に乗れる状況なのに~。クルマは走行能力と値段が一致していないところがネックというか穴場的なところがある。そもそも新車価格がちょっと高すぎるんではないだろうか、な~んて。

実を言うと、最近ハイブリッド・カーが相次いで発売されているのでやや食指が動いているところ。

ホンダのインサイト、レクサスのRX(450h)、そして5月には本命トヨタのプリウスのモデルチェンジが控えている。プリウスは排気量も1800ccと拡大され馬力も一段とアップしているそうでなかなか期待が持てる。

それにエコカーということで優遇税制が適用され自動車取得税、重量税合わせて25万程度の減免が見込める(3年間限定)のもプラス要因、したがって下取り価格が50万円ぐらいいけば、考えてみようかと思っていた矢先だっただけに5万円ではとても無理そう。

しかし、これ以上(自分の)クルマの価格は下がりようがないので乗れば乗るほど得という考え方もあるわけで寿命が来るまで乗って乗りまくるというのが今のところ一番賢い選択のようだ。

もっとも、この年末には「プラグイン・ハイブリッド」という高性能のリチウム電池搭載のクルマがトヨタから発売されるそうで、家庭用電源で充電できるタイプなので省エネカーとしてはこちらの方がもっと先進的。

実用レベルとして排気量がどのくらいかが問題だが「ハイブリッド→プラグイン・ハイブリッド→電気自動車」は必然の流れなので「じっくりと見極めて待つ」ことも選択肢の一つ。

追記

2009年4月20日(月)付け朝日新聞朝刊「GLOBE」に「エコカー」の特集が組んであり、その記事によると三菱商事の推計では2020年時点で電池を使う広義の電動自動車市場のうち、ハイブリッドが約60%、プラグイン・ハイブリッドが約30%、純粋な電気自動車は10%程度と記載されていた。

個人的に思うのだが、ガソリン用の内燃機関に係る部品製造の中小企業の裾野が広いので、失業問題の側面もあって最終的な「電気自動車」への舵取りは「徐々に」ということではなかろうか。


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オーディオ談義~「低域の再生スピードとは?」

2009年04月16日 | オーディオ談義

このところ音信が途絶えているオーディオ仲間のM崎さんに久しぶりに連絡をとってみた。

「お元気ですか~、依然として音楽を聴いてますか?」

「もちろん!毎日4~5時間は聴いてるよ」

「エッ、そんなに聴いていてよく飽きがきませんね」

「毎日いろんな種類の違った音楽を聴いていると飽きがくるなんてことはないよ~、大体○○さん(自分のこと)は
凝りすぎて同じ音楽ばかり聴きすぎるんじゃないの

因みにM崎さんは大のクラシック愛好家でジャズやポピュラーにはほとんど見向きもされない方。

それにクラシックといってもバッハなどのバロックからモーツァルト、ベートーベンなどの古典派、それにロマン派、現代音楽まで極めて間口が広い愛好家で、そういう背景もあって自分に対して「同じ音楽ばかり聴きすぎる」という手厳しい(?)指摘には正直言って返す言葉がない。

たしかにお気に入りの曲目、たとえばモーツァルトの「魔笛」「ピアノ・ソナタ」、ベートーベンの「ピアノ・ソナタ32番」やブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」などについてはとことんのめり込んで徹底的に指揮者の違う同じ曲を沢山集めてどれが自分にとっての「ベスト1」に該当するか確かめないと気がすまないところがあり、その分、外(ほか)の面がおろそかになる。

いわゆる「凝り性」というやつで「オーディオ」「読書」「魚釣り」なんかにもその性癖がよく表れており、それは決して好ましい面ばかりではないことも自覚しているところ。


それにしてもいろんな楽器がガチャガチャとうるさく鳴るだけの「現代音楽」にはどうしても追随できそうもないが、その点を申し上げるとM崎さんはそれは手持ちの「オーディオ」装置の音の響きの差だという趣旨のことをおっしゃる。

つまり現代音楽の良さは旋律ではなく音の響きにあるので聴いているオーディオ装置次第で好きにもなるし嫌いにもなるとのこと。ということは我が家のオーディオ装置は「響きが悪い」と暗に指していることになるが、もちろん、そういう(失礼な)ことはストレートには言われないが話の行き着く先はそういうことになる。

因みにM崎さんのスピーカー(SP)は「アポジー」というリボン型の平面スピーカーを2セット重ね合わせて聴いておられ、アンプは往年の名器「ケンウッド01A」(低域用と中高域用に2台:いずれもパワーアンプに改造)である。

              「アポジー」    

やや専門的な話になるが通常、低域用に用いられるSPユニットの素材はコーン紙が大半を占めており、自分の場合もJBLの130A(口径38cm)を長年使っているが、M崎さんの持論では大きな口径のコーン紙は(前後に振動するときに)それ自体の重さによって音声信号への応答性に問題があり中高域の信号に対して遅れ気味になるのでまず使う気にならないとのこと。

つまり低域信号の再生スピードと中高域の信号の再生スピードが合わないためそのクロス部分で音がきれいに重なり合わず響きが濁って聞こえるというわけ。

それに湿度の高い時期になるとコーン紙が益々湿気を含んでしまい重くなっていくのでさらに音質に要注意といったところ。

まあ、口径の大きいコーン紙を使った低域用ユニットはいいにつけ悪いにつけ独特の低音による持ち味(?)があり、それがいいという人もあって好みの問題でもあるのだが・・・。

もっとも、低域の質感つまり音階がはっきりしていて、それに量感が加わり、さらに中高域との音声信号とのつながりがいいとなれば、それがオーソドックスなオーディオの理想の姿といってもよかろう。

我が家の場合は前述したように口径38cmの低域用ユニット一発なのでその辺はいまだに満足出来るレベルに達しておらず今後の課題としていずれ何らかの対策を講じたいものだと楽しみにしている。ただしM崎さんによると自分が現在使っている中高域のユニット「アキシオム80」のスピード(応答特性)に対抗できる低域用ユニットは”そうそうはない”とのこと。

最新の高級スピーカーの動向を見ると、その対策として口径20cm前後のユニットを縦に片チャンネル4個ほど並べてボックスに入れ質感と量感の両立を図っているものが多いようだ。

口径が小さくなるほど音声信号への応答性が良くなるのでその理論は理解できるところ。ただし、4個をパラでつなぐと低インピーダンスの問題があり、アンプにとって大変な高負荷となるので口径25cmクラスのカーボン製みたいなごく軽いユニットを2個でもいいと思う。

自分でもヤル気になればユニットを購入しボックスを自作出来ないことはないし、経費もそれほどかかるとは思わないが、今の大きなボックス(ウェストミンスター)の始末に困るのが何といっても第一の課題で次に仰々しい改造になるので目立ちすぎてカミさんの目が気になるのが第二の課題。


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独り言~WBCの後遺症~

2009年04月05日 | 独り言

ホットニュースだが何とあの精密機械のようなイチローが出血性胃潰瘍のため開幕から8試合ほど休場するという。大リーグに来てたしかまる8年になるがこういう長期間の欠場は初めてのはず。

胃潰瘍とくればその原因が「ストレス」と考えるのが一般的。となればその遠因はWBCにあることは明白。決勝で勝負を決める快打を放ったものの、そこに至るまでの経過が良くなかった。

絶不振を極め、限界説までささやかれていたがひときわ高いプライドの持ち主のイチローが傍からうかがい知れないほど内心にスゴイ葛藤を覚えていたことは想像に難くない。

本当に気の毒である。野球選手にとってWBCの出場はボランティアみたいなものなので早く良くなって欲しいと日本のプロ野球ファンなら誰もが思うことだろう。

それにしても、4月3日に開幕した日本のプロ野球ではWBC出場選手たちの不調が目立つようだ。楽天の岩隈は1勝を上げたものの、不調を訴えて90球前後で早々と降板。日本ハムのダルビッシュも昨年カモにしていた楽天戦で初回に打ち込まれて3点を計上して敗戦投手。

日頃パリーグの試合は縁がないのだが、WBCのおかげでパの選手を覚えてしまい、最近導入した「ひかりTV」GAORAチャンネルで「日本ハム×楽天」のナイター中継をしっかり見てしまった。ダルヴィッシュと岩隈といった一流投手の投げ合いを見逃す手はない。

とにかく日本中が注視し熱狂し応援していたWBCの出場選手たちだが、日の丸を背負ってのプレーに相当のプレッシャーがかかっていたのだろうし、あるいは劇的な勝利による「燃え尽き症候群」なのかもしれない。

これまで、プロ野球選手は1年を6ヶ月(4月~10月)で過ごすいい商売だと思っていたが、こういう実例に接するとシーズンオフの残りの6ヶ月をいかに有効に過ごすかが実は次のシーズンへの重要なステップに繋がっていたといっても過言ではなさそう。

プロ野球選手の精神面を含めたデリケートな体調管理と調整の難しさを改めて思い知らされるし、大リーガーの主力選手たちがシーズンへの対応を基本において相次いでWBCへの出場辞退をした気持ちもよく分かるような気がする。

今回のイチローの休場は全米メディアのトップ(スポーツ)ニュースとして報じられたそうだが、今後のWBC開催においても微妙な影を落とすことは必至の情勢。

つまり次回のWBCに対して大リーグの球団側が大切な商品である看板選手たちの出場をより厳しく制限してくる事態も当然予想され、球団と選手との「契約書」にも「WBCへの不出場」が謳われる可能性があるし、あるいは開催時期の問題が再度浮上し現在のような3月開催からシーズン終了後の11月開催説へと再燃するきっかけになるかもしれない。

今後のWBCの前途は波高しである。


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音楽談義~「音楽と絵画は一緒?」~

2009年04月04日 | 音楽談義

「音楽とオーディオ」が取り持つ縁で、メールの交換をしている高校時代の同窓生たちが福岡から我が家のオーディオ装置の試聴にやって来てくれた。

S藤君、U都君、O畑君の3名。いずれも昨年4月のメンバーと同じだが、そのうちO部君は重要な職責を担っているため日程の都合がつかず残念なことに今回はお留守番。

3月30日(月)というのは年度末も押し迫っての平日ということで何とも中途半端な日になるが、大分の
「ふぐ刺し」がそろそろ終了の時期になるという理由で半分決まったようなもの。

結局、今回の訪問目的も「聴く気半分」「食い気と飲み気半分」といったところだが、音楽を聴いた後で音質やオーディオ装置の批判(?)をしながら気心の知れた友だちと泊り込みでワイワイ言いながら春の宵に一献傾けるというのは至福の楽しみである。

別府インター近くのレストランで待ち合わせし、満開の桜並木を通って我が家まで先導し13時頃から試聴を開始。

最初の試聴盤は最近聴くことの多いワディム・レーピンが弾く「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」。そもそもワディム・レーピンを知るきっかけになったのはO畑君のブログによる推奨なのでもちろん異論のないところ。

やっぱり”レーピンはいいなあ~”と一同傾聴したが、音楽家(桐朋学園大学卒で指揮科専攻)のO畑君は”オーディオ”にはまったく無関心だが、この装置ではヴァイオリンの弓の”返し”がはっきり分かるほど実に鮮明に再生しているなあと感心していた。

ただし「指揮者は誰?」、「リッカルド・シャイー」だけどと答えると「ゲヴァントハウスの演奏にしてはドイツ的な重厚な響きが足りない」。

また、S藤君はレーピンにいたく感心し、この演奏を聴くと定評のある「オイストラフ」でさえ必要ないとまで極言する。(ブラームスのヴァイオリン協奏曲に限っての話だが)。

ただし、「アキシオム80」(中高域専用のSPユニット)の個性である高域の独特な響きが一長一短あって6000Hz前後で少し暴れ気味とはオーディオに造詣の深いU都君の弁。

この辺はたしかに論議があるところでジャズのシンバルなどの生々しい再生にはピッタリ向いていて大きな魅力の一つになるが、クラシックの場合にはやや歪みすぎの印象を与えるのかも。難しいところだがクラシックもジャズも両方聴きたいと欲張っている装置なのでこれは承知の上で片目をつぶらざるを得ないところ。

次の試聴盤は、これまたO畑君推奨のピアニスト「キーシン」による
「ショパンのバラード一番。」名曲である。一音出ただけで、「スタンウェイ」だなとO畑君。じっと聴いていたS藤君はヴァイオリンよりもピアノの音の方が(この装置では)「自分の好み」だと”さりげない”一言。

ピアノはクラシックもジャズにも共通の楽器だがヴァイオリンはクラシックオンリーの楽器なので、この発言は自分にとってむしろ望むところ。

さて、手持ちの2曲を聴き終わったのでここでご持参のCDをかけてはと伺ったところ、O畑君がやおら取り出したのが、作曲家セルゲイ・プロコフィエフの「スキタイ組曲<アラとロリー>作品20。

指揮者はセルジュ・チェリビダッケ。           

チェリビダッケは、かってベルリン・フィルの常任指揮者をカラヤンと争ったほどの大物だがO畑君は卒業後ドイツに留学してこのチェリビダッケに師事していて随分と厳しい指導と練習だったそうだが、そのチェリビダッケの個性が最もよく発揮された曲目だという。1975年録音で演奏はシュトゥットガルト放送交響楽団。

この曲目の聴きどころは、各楽器の音の強弱と響かせ方にあり、横一列に並んだオーケストラの中で楽器ごとの音色が見事な遠近感をもって表現されることにより、演奏を聴いているとまるで「一幅の絵を見る思い」がするところだという。

ずっと以前、何かの本で「音楽と絵画の鑑賞は一緒」という言葉を見かけたことがあるが、「ナルホドそういう意味だったのか」とようやく合点がいった。

作曲家の手になる楽譜を演奏という行為で鑑賞する音楽(間接芸術)と画家が描いた作品を直接鑑賞する絵画(直接芸術)の違いこそあれ「いい歳をして今ごろ分かるなんて」と笑われそうでいささか遅きに失する感があるが、これまでメロディー主体の感性でもっていろんな曲目を追いかけていたのに、「こういうクラシックの鑑賞法と楽しみ方もあるなんて」と新たな発見。やはり凡人には独りよがりの世界は禁物であると痛感。

あとは、ジャズ好きのU都君が持参したCD盤キース・ジャレットの「スタンダーズ・ライブ」(1985年パリでの録音)、「モントルー・ジャズ・フェスティバル」(エリック・クラプトンほか4名)によるバンド”レジェンズ”の奇跡のステージをDVDで鑑賞したがいずれもいい録音で楽しませてもらったがこういうジャズを聴くと不思議にウィスキーかブランデーが欲しくなる。

その後、途中から合流したM平君の口ききで利用させてもらった湯布院の別荘に場所を移して「ふぐ刺し」「地鶏料理」「各地の銘酒」などを持ち込んで5人で夜遅くまで談笑したが、録音技師によって左右されてしまう再生音楽の限界などの話題から、とうとう眼、耳、鼻、歯などが衰えていくと残るは舌ということで
「人生最後の楽しみは酒」という話になってしまい海外旅行の豊富なO畑君から各地のとっておきのブランディーやウィスキー、ワインなど薀蓄の披露があった。

自分は「マッカラン18年」に格別の思い入れがあるがお酒談義は別の機会に譲るとしよう。

「マッカラン18年」 シングルモルト スコッチ・ウィスキー 

さて、翌日(31日)はかねて予約してお願いしていた湯布院のA永さん宅を4人で訪れてウェスタンの555ドライバーと15Aホーンを聴かせてもらった。チェリビダッケ指揮の「ブルックナーの8番」をはじめいろいろと聴かせてもらったが、相変わらずスケールの大きい図太い低音を堪能させてもらった。

「音のレンジ」を追いかけずに、一貫して「音の分厚さ」で勝負するA永さんのようなオーディオ愛好家は稀な存在だし、こういう力感のある音は全国でもそうそう聴くことは出来ないはずで貴重な体験として自分も紹介のしがいがあったというもの。

しかもA永さんはいまだに現状の音に満足することなくご自身の理想の音を求めているいわば「音の求道者」、マニア垂涎の真空管「DA100」の超ど級アンプの製作などにも意欲をみせられているので将来聴かせてもらうのが楽しみ。


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