「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ロシア人の寿命が短い理由~改訂版~

2022年02月28日 | 独り言

ずっと以前に投稿した「ロシア人の寿命が短い理由」は、折に触れ過去記事ランキングに登場してくるので、いわば「ロングラン記事」になっているが、ここ1週間ほど「ウクライナ侵攻」やオリンピックの「ドーピング」問題のせいか特に大きな波が打ち寄せている。

で、内容についていささか古くなったので、(たとえばロシア人の平均寿命の統計数値などが)正確を期すうえで「改訂版」を出しておくことにした。

それでは、以下の通り。

ピアニストの「エフゲニー・キーシン」、ヴァイオリニストの「ワディム・レーピン」ともにまだ50歳前後と芸術家としては比較的若年ながらも現代のクラシック界を背負って立つほどの逸材だが、いずれもロシア出身
というところが共通項だ。

文学界の頂点に位置するドストエフスキーをはじめ昔から幾多の優れた芸術家を輩出してきた「芸術大国ロシア」。

ただし日本ではロシアという国に対してあまりいいイメージを抱かない方が多い。自分もそうだ。

第二次世界大戦終了時に日ソ不可侵条約を踏みにじって、まるで火事場泥棒のように北方領土を強引に奪った事実は歴然として残っている・・・。

表と裏の顔の落差が激しそうな国だが、なにしろ興味のある国なので何でも知っておこうと日頃からそれとなくアンテナを張っているところに、なかなか面白い本が見つかった。

「ロシア人しか知らない本当のロシア」(日経新聞社)

                                      

著者の「井本沙織」さんは、モスクワ生まれ。ソ連崩壊直前の1991年に中央大学の研修生として来日、98年経済学博士、02年日本に帰化、05年より内閣府、06年大和総研入社とある。

完璧な日本名だが本書を通読してみるとロシア人のようで、
現代のロシアの実状を知るには実に分かりやすいと思える書籍。

第一章 オンリーイエスタデイ 様変わりした祖国

第二章 ロシア経済を救ったのは火星人?

第三章 ソ連の風景 ロシアの暮らし

第四章 新生ロシアの祝祭日事情

第五章 ロシアは資本主義国になったのか

この中で一番興味を引かれたのは第三章の中の「ロシア人はなぜ寿命が短いのか」というくだり。

ロシアの人口は1993年の1億4860万人をピークに減少傾向にある。

2000年では1億47百万人、2010年では1億46百万人、そして2014年のクリミア併合で約3百万人増えたが、それでも2020年では1億46百万人に留まっている。

国際連合の世界人口予測(06年)によると、ロシアの人口減少のスピードは日本を上回って推移し、2050年時点では1億783万人とピーク時の約4分の3に縮小する。21世紀末には半減するという悲観的な予測もある。

その人口減少が加速している要因だが出生率低下という先進国共通の問題だけではなく異常に高い死亡率
が挙げられる。

ロシア人の平均寿命は男性がおよそ68歳、女性が78歳
で、世界でもトップクラスの日本の81歳、87歳と比べて短命ぶりが際立っている。(WHO:2021年版「世界保健統計」)

高死亡率の原因は一概には言えないがアルコールが原因の一つであることは明白とされている。

一人あたりの年間消費量は英国と並ぶ水準だが、英国はビールが主流なのにロシアはウオッカなどのスピリッツ(蒸留酒)が70%超でアルコール度数が高い酒の大量摂取が心臓血管疾患、肝硬変の要因になっている。

おまけにロシアは離婚率も高いがその最大要因もアルコール中毒が51%を占めている。

ソ連解体後の社会・経済的な混乱に伴うストレスからの逃避による飲酒、それと「ウオッカが安すぎる」ことも一因とか。

要約すると以上のとおりだが、あの広大な国土に人口が日本と同じくらいというのがまず驚きだが、何といっても男性の寿命が日本とは13歳も違っていて68歳というのは要注目
である。

平均的なモノサシになるが自分などはロシアに生まれていればとっくの昔にこの世に存在していない勘定になるのでホントに身につまされてしまう。

本書は女性の視点から書かれたものなのでアルコールの摂取に厳しい見方をしているが、ああいった厳寒の地ではアルコールを止めろといっても皮下脂肪に恵まれた女性は別として男性はとても無理だと思う。

以前のブログ
「寒い地域でイスラム教が広まらなかったのはなぜ?」で書いたとおり、厳寒地では身体を中から温めて寒さを凌ぐ習慣が根強くアルコールは生活必需品並で、豚肉のタブーには耐えられても禁酒というタブーにはイスラム教といえども耐えられなかったというのがその理由だった。

結局、アルコール摂取という高いハードルを前にしてロシアにおける高死亡率改善の難しさが伺えるところだが、こういう状況を踏まえてロシアの男性は「短命」
に対してどういう人生哲学を持っているのだろうかとつい気になってしまう。

厳寒、荒涼たる大地などの厳しい外的要因と否応なく短く終えてしまう人生は「芸術」などへの内省的なアプローチの密度の濃さと決して無縁ではないような気もする。

そういえばロシア出身の芸術家といえば男性に限られており、女性はいっさい見かけないが自分が知らないだけかな~。

最後に、今回のウクライナ侵攻について思うことはただ一つ。

それは「独裁者を作らない、万一出てきても暴走をチェックする仕組みをつくっておくこと」、その点アメリカは議会や世論がよく機能している。

お隣の中国では「毛沢東」で懲りて、主席の任期を「2期10年」に定めたのに、またもや「3期以上」の野望を持つ主席が登場している。そしてさらに悪いことに暴走をチェックする機能も持っていない。

経済面では進展したけど肝心なところが抜け落ちた国だと思う。言論の自由はないし~。

これを「砂上の楼閣」という。と、偉そうに言っちゃいました(笑)。


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安価なアンプに対して「痩せガエル 負けるな・・」

2022年02月27日 | オーディオ談義

先日の記事「いい音よりも魅力的な音と言われたい」(2月24日)の続きです。

何しろ「オーディオ」関連記事はこのブログの「レーゾン・デートル」なのに読者の反応がいまいちなので、どうしても”とびとび”の投稿になってしまう。(前の記事の内容を)もう忘れたという方もおられるかもしれないが、どうか悪しからず(笑)。



この画像のシステムをいかに魅力的に鳴らすか、前回は「スピーカー編」(以下「SP」)だったので今回は「アンプ編」といこう。

以下、例によってグダグダと自画自賛めいた話が続くので気になる方はここでストップして撤退をお勧めします!(笑)

で、SPとアンプは運命共同体なので片方が変わると音質もガラッと変化するが、あえて言えばSPが主役でその介添え役がアンプだと思っている。どちらが大切かといえばやっぱりSPでしょう(笑)。

まず、フルレンジの「スーパー10」(口径25cm)を鳴らすのに適当なアンプとなると、95db以上の能率の高いユニットだけに9台近い手持ちのアンプの中でより取り見取りの状態で、ついうれしい悲鳴を上げたくなる。

こういう時は日頃からあまり出番の少ないアンプを持って来たくなるので「6FQ7プッシュプル」の満を持しての登板だ。



超シンプルなつくりで、一番お金がかかっていないけど音質の「お気に入り度」では上位に入る不思議なアンプである。

履歴を簡単に述べると、当初は「チャンデバ」用として知人に作製を依頼したが、運よくオークションで「TRIAD」(トライアッド:アメリカ)の小型出力トランスが手に入ったのでパワーアンプへ方向転換。

当初は前段管「6SL7」、出力管「6SN7」で聴いていたが、どうしても「倍音成分」の素っ気なさが気になって、球を交換してみたくなった。

となると、変換用ソケットの出番なので3種類ほど買い込んだ。「6FQ7→6SN7」「12AY7、12AX7→6SL7」「5687→6SL7」といったところ。

いろんな球を試行錯誤した結果、大当たりだったのが「6FQ7」(RCA:クリアートップ)と「12AY7」で、前者を出力管、後者を「前段管」に起用したところ、信じられないほど倍音が豊かになって「6SN7」「6SL7」コンビとは大違い!

肝心の「μ(ミュー)=増幅度」は前者が20前後、後者が50前後とそれぞれ「6SN7」「6SL7」とあまり変わらないのに、音質に力強さと華やかさがあって圧倒的~。

ときどき「300B」アンプの前段管に起用されている「6SN7」や「6SL7」を見かけるが、試しに変換用ソケットを使って他のミニチュア管を試してみることをぜひお勧めします。少ない投資額なのに音質が様変わりしますよ。コスパ抜群だと思うんだけどなあ~(笑)。

フルレンジの次は、「70ヘルツ」以下(-6db/oct)を受け持つウーファーといこう。

JBLの「D123」(口径30cm)は能率が「100db」近くあるのでアンプにとって鳴らしやすいはずなのに意外とアンプを選り好みする。

おそらく「コーン紙」が重たいせいだろうと思っている。その点、イギリス系のSPは箱をうまく利用する傾向にあり、「コーン紙」が薄くて軽いので音声信号に対する反応が速くて比較的軽い低音になるが、総じてアメリカ系のユニットは力任せにぐいぐい押してくる傾向にある。  

で、数ワットクラスのシングルアンプでは手に負えないので我が家で一番の力持ちの「EL34プッシュプル」アンプ(出力30ワットクラス)の出番となる。



倍音成分の表現力にいささか問題があるアンプだが、低音域専用として使うのにはもってこいである。このアンプも他のアンプに比べてさほどお金がかかっておらず、前述のアンプに次いで2番目くらいの安上がり~。

奇しくも今回は「安価だけどお気に入りのアンプ」コンビのお出ましとなった。

「痩せガエル 負けるな一茶 ここにあり」といった心境ですかね(笑)。


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名曲プロコム・ハルムの「青い影」

2022年02月26日 | 独り言

つい先日の読売新聞の訃報欄に載っていた記事。



名曲を生み出した「ミュージシャン」に合掌です。どんな人でもガンには勝てませんねえ・・。

それにしても、プロコル・ハルムの「青い影」とは懐かしい。青春時代に何回となく繰り返し聴いていたお気に入りの曲だった。

ネットにはこう書かれていた。

「バッハの旋律をモチーフにした印象的なオルガンのイントロとソウルフルなボーカルが人気を博しロックのスタンダード曲となった。」

たしかに・・。

ほかにも賛辞が続く。

「生前、ジョン・レノン(ビートルズ)はこの曲をお気に入りの一つとして挙げており、人生でベスト3に入る曲、今の音楽業界でこの曲以外は聴く価値がない、とまで語っていたという。

またこのメロデイーは日本のアーティストにも大きな影響を与えており、松任谷由実(ユーミン)はこの曲をきっかけにして音楽を自作するようになったという。

山下達郎も当時ラジオでこの曲を聴いてすぐさまレコードショップへと走り、購入したその日に100回は聴いた、と語っている。」

と、いった具合。

ポピュラーの世界でも何曲も中途半端なヒットを出すよりも、たった1曲でも強い印象を与えるほうが長く名が残るようだ。何せ新聞に訃報が載るくらいだから。

クラシックで「一発屋」といえば「幻想交響曲」(ベルリオーズ)みたいなものですか(笑)。

何はともあれ久しぶりに「青い影」を聴きたくなったので「ひかりTV」の「ミュージック」部門で検索したところご本人が歌ったオリジナル版は存在しなかった。

そのうち、もしかして手持ちの「オムニバス盤6枚組」(いろんな歌手のヒット曲を詰め込んだ盤)に入ってなかったかなあと微かな記憶が蘇ってきた。

で、CD棚を漁って探してみたところ、ありました!



1960年代のヒット曲を網羅したCDだが、そのトップバッターに「A WHITER SHADE OF PALE」があった。

さっそくブルーレイに取り込んで試聴。



なお、この曲は歌詞が難解なことで知られている。興味を惹かれてネットでググってみるといろいろあったが、一番ピッタリと思ったのがこれ。

「私たちは軽やかにダンスを踊ったんだ フロアを車輪が横切るようにね ちょっと船酔いを感じてたけど 周りのみんながもっと踊れって囃し立てるんだ 部屋はもっと賑やかになって天井が抜けちゃうんじゃないかっていうくらい 私たちはもう少し飲もうって ウェイターを呼んだら トレイを持ってきたんだ そのすぐ後のことだった 浮気についての話をすると 彼女の顔は最初血の気を失いみるみる青白くなってなっていったんだ
彼女は言った 理由はないわ 真実は見てのとおりよ だけど僕はなんていうべきか悩んだ 彼女をそうさせたくはない 16人のヴェスタの巫女のひとりに罰を受け 沖に流されるようなもの 僕は目を開けていたのだが何も見えていなかったのかもしれない」

どうやら「付き合っていた彼女が浮気し、それを引きとどめたくて悩んでいる」という趣旨のようで、タイトルの「青い影」は浮気をそれとなく指摘された彼女の顔がみるみる血の気を失い青白くなっていったことに由来するみたい、ですよ。

哲学的なメロディに比べると「な~んだ」という感じだが、歌詞の意味を知ったのはこれが初めてだった、英語がとんと苦手なものでして(笑)。

なお、これがきっかけとなってそのほかの「オムニバス盤」5枚すべてをブルーレイに取り込んで往年のヒット曲に耳を傾けて懐かしい青春時代を振り返った。

プラターズ「煙が目にしみる」 フランク・シナトラ「夜のストレンジャー」 ナット・キング・コール「モナリザ」 ファッツ・ドミノ「ブルーベリーヒル」 テンプテーションズ「マイガール」 ジミー・ディーン「ビッグ・バッド・ジョン」 キングストン・トリオ「トム・ドゥーリー」 ボビー・ルイス「トッシン&ターニング」 ブルック・ベントン「ザ ボールウィーブル・ソング」 トミー・エドワーズ「イッツ・オール・イン・ザ・ゲーム」・・

ずいぶん記憶力が衰えたのに、はるか昔の曲目はよく覚えている。どうやら「情動」が絡んだ記憶は別物のようですね。

当時は福岡市に住んでいたのだが、米軍がらみの飛行場が市内にあったので「FEN」(極東放送:FAR EAST NETWORK)が放送されており、毎週土曜日の夜8時から30分間、最新の「ビルボード誌・ヒット20」を、茶の間のお粗末なラジオにかじりついて聴いたものだった。

音質なんてどうでもよかった「あの頃」が懐かしい・・・(笑)。


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「いい音」よりも「魅力的な音」と言われたい

2022年02月24日 | オーディオ談義

「あの人は”いい人”なんだけど、人間的な魅力となるとイマイチなんだよねえ」という言葉を聞いたことがあったり、実際に思ったことがある人は結構多いのではあるまいか。

ちなみに役人の世界では「いい人」とは仕事ができない人間を指し、「あいつはワルだ」は最高の褒め言葉で仕事ができる人間を意味する。

重ねて言えば、一般的に”いい人”のイメージとは、どこといって欠点もなく他人に危害を加える恐れもないかわりに、それかといって取り立ててアピール力がないようなタイプで、一方、魅力がある人の場合は欠点もいろいろある代わりに、それを補って余りあるような長所があるタイプだろう。

広辞苑では「魅力」のことを「人の心を引きつける力」とあるが、やはり「いい人」と言われるよりは「魅力的な人」と呼ばれたいものだ(笑)。

オーディオの世界でも同じことが言えるように思う。

「いい音なんだけど、どうもいまいち魅力が足りないんだよねえ」というケースがよくある。

これは不特定多数向けに製作された市販のオーディオ製品に多いような気がするが、冒険が嫌いで無難なタイプを選ぶのが好きな人たちなら、それはそれで結構なことに違いない。

しかるに、オーディオ装置のスイッチを入れる度に胸がわくわくするような気に入った音を出すケースは、一歩間違えると危険な落とし穴にはまったり波乱万丈の世界に展開する可能性があるが、楽しむという観点からはもってこいで、自分は完全にこのタイプに当てはまる。

日常の生活スタイルでは完全に平凡で無難なタイプを自認しているものの、その反動のせいか「せめてオーデイオぐらいは波乱万丈に」という思いが心の中のどこかにある。

その証拠に、もし無難なタイプであれば「いい音」とされているタンノイ・ウェストミンスターからオリジナルユニットを取り外し、他のメーカーのユニットを取り付けるような「バカな真似」はしないはずだから。

で、このところ我が家独特の「魅力的な音=音楽に没入できる音」に嵌ってしまい、珍しく1週間以上のロングランが続いているので後日のために記録しておこう。

まずは「世界でただ一つ」と自負しているスピーカーから。



大型の赤帯マグネットつきの「スーパー10」(英国:ワーフェデール)を、たまたまネジ穴がピタリとハマる「木製の植木鉢」に容れてフルレンジ(後面開放)で鳴らしているが、購入時に新品同様だったので鳴らせば鳴らすほど音がこなれてくる感じ。

以前のことだがオーディオ仲間から「マグネットが強力なのでまるでホーン型のように音が飛んできますね」と言われたことがある。クラシックもジャズも両方いける二刀流タイプ。



口径25cmだが箱が無いだけに低音が足りないので既成の箱に「D123」(JBL:口径30センチ)を容れて補強している。

以前は「フルレンジ+ツィーター」派だったが、高音域の聴き取りが甘くなった(と思う)この頃では「フルレンジ+サブウーファー」派へと、ちゃっかり方向転換している(笑)。

で、勝負どころは(サブウーファーの)ハイカットの数値である。
文字通りこのサウンドの生死を左右するほどの大事なポイントになる。



それこそ、ああでもない、こうでもないといろいろ試してみたが、ようやくコイル2個を使って「12+6mh=18mh」により「70」ヘルツあたりに落ち着いた。

それより上に設定すると「フルレンジ」の中低音域に被り過ぎるし、下に設定すると「フルレンジ」との繋がりが薄くなり過ぎる。

肩落ちは「-6db/oct」だから、「70×2=140ヘルツ」までに6db減衰するし、「140×2=280ヘルツ」までに12db減衰となる。

このくらい減衰させると、中低音域の「分解能の確保」につながる、と思っている。

複数のユニットを使うと、どうしても「それぞれの周波数帯域との繋がり具合」が課題となるが、全体の音質を大きく左右する要素として「中低音域の分解能の確保」が一番じゃないかなあ~。

次に使っている「フルレンジ」用と「サブウーファー」用の2台のアンプへ移ろう。

以下、続く。



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学歴社会の崩壊

2022年02月23日 | 独り言

「人づくり(教育)は国家百年の大計」と言われているが、ことに日本のような資源に乏しい国では「人材の発掘・育成」が極めて大切なことは周知のとおり。

はたして現在の「教育制度」が時代にマッチしているのかどうか
、そんな御大層なことを一介の「市井の徒」が心配してもどうしようもないが、先日の「日経新聞」に「学歴社会の崩壊」という興味あるテーマが投稿されていた。

投稿者は「小宮山 宏」氏で、現在の肩書は「三菱総合研究所理事長」で、東大工学部教授、学長を歴任された方である。

インタビュー形式だったが紹介させてもらおう。

問「技術やルールが大きく変化するなか、教育は変わりましたか」

答「正直、変化のスピードに追い付いていない。年長者が知識を若い人に教える教育はもう成り立たなくなっている。たとえば、小学校でプログラミングを教えようとすると教師にはできない。これが現状だ」

「欧州では高校卒業後、いったん働いてから大学に入るという動きが広がる。スウェーデンだと大学入学の平均年齢は20台半ばになっている。仕事を経験して学ぶべきことを理解したうえで高等教育を受けることができる。学び続ける好例と言えるだろう」

問「日本の横並び教育で創造性は育めるのでしょうか」

答「変化に向けた兆しはある。たとえば鹿児島・種子島では人工知能(AI)や農業、気象など様々な分野で20大学の教授や学生たちが実験に取り組み、そこに中学生や高校生が加わっている。生徒たちは最先端を目の前で見て体感している」

「そこから未来の社会をどう作り上げていくか、地元首長たちを交えて議論している。教員と生徒という関係ではなく、世代を問わないで一緒に考えて討議する場所を作ることが大切だ。」

問「産業界からはスキル人材を求める声も強いです」

答「いわゆる学歴社会は実質的には壊れている。最近、高専の学生を採用して失敗した例はない、東大卒は成功例がだいたい半分と、企業人から聞いた。高専は今ではAIを学べるところもあり多様さがある。」

「米国では理系トップのマサチューセッツ工科大からコミュニティカレッジまで幅広く高等教育機関がある。それぞれ得意な分野や特徴がある。教育の均質性を重視するのではなく、教育機関の多様性が変化し続ける時代のカギになる」

という、内容だった。

折しも、昨日(22日)地元の夕方のテレビで「高専」の合格発表を放映していた。倍率「1.8倍」と普通高校に比べて非常に高いし、しかも「女性の比率が4割」と昔とは様変わり。

「高専」(高等専門学校:在学期間5年)の人気が高い!

これは明らかに学歴が単なる「箔付け」になっていない傾向を表している。

なお、上記の内容でちょっと気になるのは「工学系」に偏った「ものの見方」のような気もするところで、はたして法律、経済、文学などの「文科系」はどうなんだろうか。

こういう分野での「学歴社会崩壊」はまだ起きてないんじゃないかな~。

「理系」と「文系」のクロスオーバーは至る所でなかなか難しそう。

いずれにしても、高校をいったん出てから社会で仕事を経験し学ぶべき対象を定めてから大学に入り直すという柔軟性には諸手を挙げて賛成。

企業もいたずらに「即戦力」を求めるのではなくて、将来への人材投資と割り切って学費を負担してあげるくらいの度量が必要だろう。

しかし、現実的な問題として社会の荒波に揉まれる中ではたして受験勉強を継続できるかどうか、よほどご本人の強い意志が必要だろう。

少なくとも「お酒」は大敵ですね~(笑)。

また、そういうケースで個人的なライフサイクルからすると「結婚」できるのは何歳ぐらいになるんだろう。

いろいろ課題が多そうだねえ。


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次代へ引き継ぐべき古典管

2022年02月22日 | オーディオ談義

前々回に投稿した「男心と春の空」では、1920年代に製造された整流管「OK-X213」が登場して「予想外の展開・・、以下続く」と、いかにも「もったいぶった」終わり方をしてしまった。反省してます(笑)。



どうか蓋を開けてみてガッカリされませんように~。

さて、オーディオの楽しみはそれこそ千差万別だが、共通しているのは「微妙な違いを追い求める」ことにあり、弄れるところが沢山ありそうなレコードプレイヤーやスピーカーなどと対象が尽きないが、真空管アンプの「球転がし」もそのひとつ。

用途別では出力管、電圧増幅管、整流管(交流を直流に変える役割)といったところで、野球にたとえて大胆に言えば1番バッターが電圧増幅管、出力管がエース兼4番バッター、整流管は全体を統括する「監督」といったところかな。

真空管の中では一番消耗度が激しいとされており、寿命が尽きるのも早いとされている整流管。プロ野球の監督も選手と比べると短命ですね。

で、前回と今回では「整流管転がし」で音質の変化を楽しもうということだが、整流管はアンプ全体のSN比に直結しており「チームカラー」やすっきり爽やかな「透明感」に大きく寄与しているのでゆめゆめおろそかにできない球である。

定評のある整流管となるとオークションでも引っ張りだこで驚くほどの高値を呼んでいるが、それだけ実感されている方が多いともいえる。

ここから本論に入ります。

この「OK・・」をこれまで大切に保管していたのだが、前回で述べたように初めてWE300Bに挿して試聴したところ、透明感に満ち溢れた何とも品のいい音が飛び出してきた。



「さすが!」と唸って、さっそく購入先の「北国の真空管博士」にご注進。

すると「それは、たしかにいい音でしょうが・・。300Bアンプに使うにはちょっと規格に無理がありますよ。

そのままだと整流管の寿命が早く来ますから、使うならやっぱり71系アンプをお薦めします」と、つれない返事(笑)。

ウ~ム、まったく予想だにしない展開になった。ブログで延々と自慢してやろうと思っていたのに~。

いくら規格外とはいえ「いい音」の前には理屈もへちまもないとも思うが結局、真空管が先にくたばるか、それとも自分の命が先に尽きるか・・、ですね。

その兼ね合いになるのだろうが、どちらが大切かといえばやっぱり希少な真空管でしょうよ。

何しろ二度と生産できない貴重な文化遺産なんだから、こういう100年前の球を状態のいいまま次の世代に引き継ぐことは真空管愛好家の義務といってもいいくらい。

(自分でいうのもおかしいが)なかなか殊勝な考え方だと思うが、本音をいわせてもらうと、この真空管が人手に渡って「魅力的な音」を出そうものなら、死んでも死にきれない気がするなあ(笑)。


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無心になれるかどうか、それが問題だ

2022年02月20日 | 音楽談義

昨日(19日)は朝から小雨がしとしとと降り続いたが、遠くの方から微かに「春の足音」が聞こえてくるように感じた。

早く暖かくなって欲しいなあ・・。

心臓に持病を持っている高齢者にとって寒さは血管が縮むので大敵である。実はここ2週間ほど「心臓に何ともいえない”もやもや感”」があったので行動を控え目にしていたのだが、ここ2~3日寝る時も含めて1日中「首巻」をしていたらすっかり症状が軽くなった。

首筋の血管って大切なんですね~。



閑話休題

さて、指揮者にしろ、演奏家にしろ音楽に携わる人物の著作は非常に参考になることが多いので、図書館で見かけたら必ず借りてくることにしている。

                   

そういう中でも女性ヴァイオリニスト「千住真理子」(せんじゅ まりこ)さんは雰囲気が好きな演奏家の一人なので「ヴァイオリニストは音になる」(時事通信社)を興味深く読ませてもらった。

父が慶応大学名誉教授、母が教育評論家、長兄が日本画家、次兄が作曲家、ご本人は慶応大学哲学科卒というまるで絵に描いたようなエリート一家である。

血筋がいい人はそれだけで説得力がありそう(笑)。

本書は音楽や音響を主な題材にしたエッセイ集だったが、207頁に「バッハは自分を消さないと弾けない」との小見出しのもとに次のような記事があった。

「バッハは私の人生そのものであり、私の心の中にある聖書、神でもある。バッハは一生追い続けていくと思うのですが、バッハを弾くときというのは<お坊さんがミソギをする心境ってこんなかなと思う>そこまでいかないとバッハが弾けないと思っています。

それはどういうことかというと、<自分を表現しよう>と思ったら弾けなくなるのがバッハなのですね。<こう弾こう>と思ったら弾けなくなるし、<こういう音を出そう>と思ったら弾けない。つまり自分というものをいっさい消し去らないと、バッハは入れてくれない。バッハの世界に入れません。

要するに<無になる>ということなのですが、これは大変難しい。これこそなにかお坊さんの修行というのが必要なのかなと思ったりします。<無になったぞ>と思った瞬間は、なったぞと思ったことがもう違います。ふっと無になっていて、するとまた邪念が出てくるのですね。

<あ、次は、二楽章はこう弾こう>と思った瞬間にまた自分に戻ってしまう。<どうやって自分を捨てるか>というのがバッハとの闘いで、たぶん私は生涯バッハを弾くたびに、そうやって修行をしていくのだなと思います。それでも好きな曲がバッハですね。」

以上のとおりだが、「どうやって自分を捨てるか=無になる」というのは、文豪「夏目漱石」が理想とした境地「則天去私」(天に則り、私心を去る)に通じるものがあると思うし、自分の拙い「人生経験」を振り返ってみてもたいへん身につまされる問題だった。

たとえば、人間同士の様々な関係をはじめとして、いろいろ思い当たる節が多いし、このブログの主題になっている「音楽&オーディオ」だってソックリ当てはまると思う。

なぜなら、王様は音楽でありオーディオは召使いに過ぎないので、(音楽の前では)オーディオは存在感を消して「無」になってもらわないといけない。

言い換えると「スピーカーの存在を意識させない音」これが、オーディオのあるべき究極の姿だといつも思っているが、これが油断するとつい出しゃばってきて主役になってしまうのが難点だ(笑)。

さて、これまでいろんな作曲家の音楽を手広く聴いてきたものの、しっくりこないのがバッハの音楽である。嫌いじゃないんだけど進んで聴こうとは思わない。

「平均律クラヴィーア曲集」をはじめバッハの残した作品は、後続の作曲家達にとって常に教科書であり御手本だったという意味から「音楽の父」とも称されるバッハ。

バッハが自分のレパートリーに入ると音楽人生がもっと豊かになるのは確実なので、これまで世評高き「マタイ受難曲」をはじめ、「ロ短調ミサ」などに挑戦してみたが、その都度「お前は縁なき衆生(しゅじょう)だ!」とばかりに場外へはじき出されてしまう(笑)。

「いきなり高い山を目指すのでなくて、手頃な山から始めたらどう」という「ありがたいアドバイス」を読者からいただいたこともある。

そういう自分に最後のチャンスが巡ってきた。同じ千住さんが書かれた新聞記事にこういうのが載っていた。                       

          

バッハの「シャコンヌ」の素晴らしさに言及しつつ、「4分半を過ぎたあたり、小さい音で音階を揺らしながら奏でるアルペジオの部分。涙の音が現れます。~中略~。

巨匠といわれる演奏家のCDをひととおり聴きましたが1967年に録音されたシェリングの演奏が別格です。完璧で心が入っていて、宇宙規模でもあり・・・。すべて表現できている。<神様>ですね。」

う~む、ヘンリク・シェリング恐るべし!

幸いなことに、シェリングが弾いた「シャコンヌ」を持ってるんですよねえ(笑)。
                  

何といっても千住さんがべた褒めするシェリング演奏のシャコンヌ、もういつ頃聴いたのかはるか忘却の彼方にあるCDだが、バッハの音楽に溶け込める最後のチャンスとばかり、この程じっくり耳を傾けてみた。

「涙の音」が聴こえてくればしめたもので、ひとつのきっかけになってくれればありがたい。

だが、しかし・・・。

真剣になって耳を澄ましたものの、この名演からでさえも「涙の音」どころか、そのかけらさえも感じ取れなかった、無念!

やっぱりバッハは鬼門で、そもそもバッハとモーツァルトの両立は難しいのかもしれない。

バッハを愛好する人でオペラ「魔笛」が死ぬほど好きという方はこれまでお目にかかったこともないし聞いたこともないし~、で、まあ仕方がないかと自分を慰めておきましょうかね~(笑)。


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男心と春の空

2022年02月19日 | オーディオ談義

オーディオ記事からしばらく遠ざかっていると、過去記事ランキングでその関係の記事がやたらに多くなってくる。もしかして読者から(オーディオ記事を)待望されているのかな(笑)。

で、意気込んでそういう筋の記事を搭載するとアクセスの伸びがそれほどでもないというのがこれまでのパターンだった。

いったいどうなってんだろう。

もしかしてオーディオ記事は「専門的すぎる」として嫌われているのだろうか(笑)。

まあ、照準の当てようがないけど目先を変えることを主眼に置いて今回は久しぶりに「オーディオ」記事といきますか。


さて、「女心と秋の空」
という言葉がある。

「(男女関係において)女心がいかに移ろいやすいかを秋の空になぞらえたもの」とされているが、もともとは「男心と秋の空」とも言ったそうですよ。

で、季節的な移ろいやすさにかけては「春の空」も負けず劣らずなので時節柄「男心と春の空」と、いかに男心が変わりやすいか、
我が家のオーディオを例にとって眺めてみよう。

このところじっくり耳を傾けていたスピーカー「トライアクショム」(グッドマン:口径30cmの同軸3ウェイ)。



渋い茶色のコーン紙がいかにも品よく映り、薄くて軽そうだし反応のいい音が出そうな感じ。

5年ほど前にオークションで手に入れたが、20年以上にのぼるオークション歴の中で「トライアクショム」を見かけたのはこれが最初で最後だった。乾坤一擲の勝負だったなあ(笑)。

以前に述べた「9割・90点主義」(いまだにロングラン記事です!)からすると、まったくドンピシャリのSPである。

「家庭で音楽を聴くのならこれで十分だね」と「緻密さと緩み」が程よくマッチングしたサウンドを堪能させてもらった。

ちなみに、「緻密なサウンド」だけだと次第に耳が疲れてくるし、「緩いサウンド」だけだと論外だから両者が程よく入り混じった感じが大切だと思っている。

ほら、クルマのハンドル、ブレーキ、アクセルなどに限らず何事にも「緩み」は必要でしょうが~(笑)。

駆動するアンプは「WE300Bシングル」。

ところが、1週間ほど経った頃に何の前触れもなく朝起きぬけに突然「AXIOM80が聴きたくなったなあ」。

これだから「男心」はもう・・(笑)。



手軽に持ち上げて入れ替えやすいように、本体の左側面と右側面に金具を取り付けているので、ものの5分もあれば簡単に入れ換え可能。

「やっぱりAXIOM80じゃないと出せない音があるんだよねえ!」と、しばらく悦に入っていたが、そのうちやたらに中高音域が神経質な響きになっていると感じるようになった。

もちろん主な原因は「AXIOM80」にとって役不足の感がある「小振りの箱」(自作、板厚:1.2cm)にあるのはわかっているが、その辺を何とか緩和できないものかと例によってオーディオ・マニアの習性でアンプを交換してみることにした。

「鶏肉を裂くに牛刀をもってする」という故事があるが、要は適材適所ということで、300BアンプはこのSPボックスにとってちょっと「牛刀」のような気が当初からしていた。

で、代わりのアンプとなると「困ったときの71系アンプ」の出番である。



久しぶりの出番なので概要を述べてみよう。

前段管は「AC/HL」(英国マツダ:初期版のナス管)、出力管「371」(カニンガム:トリタンフィラメント)、整流管「80S」(RRIMAR)、インターステージトランス内蔵といったところ。

自画自賛になるがこれほどの古典管、それも1930年代前後の希少管を一堂にそろえたアンプはおそらく日本でこれ1台だけだと思うし、音質も超がつくほどの一級品ですぞ!(笑)

久しぶりに電源スイッチを入れたので30分ほどからが真価を発揮してくれるだろうと踏んでいたのだが、300Bのときに比べて随分聴きやすくなったものの、それでもやや「AXIOM80」特有の自己主張の強い神経質さが漂ってくる。

まだまだ、だなあ・・。

どうも、整流管「80S」の性能が良すぎて(?)「何もかも洗いざらい白日の下にさらけ出す」感じで、もっと「AXIOM80」の個性を抑え気味にしてほしい印象を受ける。

で、外れて「もともと」とばかり、かなり使い古した「ナス」管の「80」に差し替えたところバッチリと狙いが当たり、穏やかで品のあるサウンドへ変身。

改めて、へ~っ、整流管でこんなに音の調整ができるんだ・・。結局「一連のシステム」との相性が良かったのだろう。

整流管の使い方にも「ひと工夫あり」というわけだが、となると「整流管の球転がし」も面白そうだなあ(笑)。



ふと、プレート部分がメッシュ構造になっている古典管「OKーX213」を思い出した。

たしか今から100年前の1920年代に製造された球である。アメリカ製だがメーカーは不明。「当時はラジオ用の真空管メーカーが雨後の筍のように生えていた時代なので、そういうガレージメーカーの一つでしょう」(北国の真空管博士)。

規格上は著名な「80」や「274B」の代用品として使えそうな4本足のピンである。

これって、「WE300Bシングル」にも使えそう。というのもこのアンプはピン足が違う2種類の整流管をさせるようになっているので。

さっそく「274B」を「OK・・」に差し替えてみた。



さあ、お膳立てがそろったので「371アンプ」に代えて「300Bアンプ」の試聴だ・・、といきたいところだがいくら何でも変わり身が早すぎるので、せめて2~3日は遠慮しておこう(笑)。

そして、待ちに待った2日後に鳴らしてみたところ、まったく予想だにしない展開が待っていようとは、その時は知る由もなかった!

以下、続く。


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今よりも時間が2倍あるといいなあ

2022年02月18日 | 独り言

作家の「加賀乙彦」さんは著書「小説家が読むドストエフスキー」の中で「20世紀以降の作家はすべてドストエフスキーの両肩の上に乗っている」と、述べられているが、それをもじって「すべてのミステリ作家はコナン・ドイルの両肩の上に乗っている」といっても過言ではあるまい。

なぜなら小説の中で事件の解決役となる「探偵」あるいは「警察関係者」のスタイルはすべてシャーロック・ホームズの影響を大なり小なり受け継いでいるから。


ホームズは周知のとおりイギリスの作家コナン・ドイル(19世紀)が生んだミステリーに登場する名探偵である。

誕生してから150年以上も経つのにいまだに人気を誇っているので、何か人を引きつけるサムシングがあるのだろう。時代背景からして古き良き大英帝国を彷彿とさせる雰囲気が全編に漂っていることも魅力の一つ。

開高 健さん(芥川賞受賞、故人)のエッセイの中で「ホームズ物はいまだに飽きがこなくて面白い。同じイギリスが生んだ女流ミステリー作家アガサ・クリスティと比べるとかなり違う。」といった趣旨のことを述べられていたが、まったく同感。

そういえば、このところ何かとホームズと縁がある。

まず、図書館から借りてきた「シャーロックホームズの蒐集(しゅうしゅう)」がとても面白かった。

                

小編が6つ収められている。「遅刻しがちな荷馬車の事件」「結ばれた黄色いスカーフの事件」「ノーフォークの人狼卿の事件」「詮索好きな老婦人の事件」「憂慮する令嬢の事件」「曲馬団の醜聞の事件」。

題名からして面白そうだが、予想に違わず一気読みさせてくれた。

これまで古今東西のあらゆるミステリーに精通していると自負しているし、ホームズのパロデイ物もいろいろ読んできたが本書は間違いなくAクラスに位置する。

次に映像分野でのホームズの話。

現在、NTTの光回線を利用した「ひかりTV」と契約しており、邦画や洋画などを含めておよそ30チャンネルほどの番組があるが、最近はビデオの方も充実している。

「シャーロックホームズの冒険」(シリーズ全41話)が自由に観られるのはありがたい

コナン・ドイルは短編集として「シャーロック・ホームズの冒険」「シャーロック・ホームズの帰還」「シャーロック・ホームズの最後のあいさつ」の3冊を出しているが、このシリーズは原作に忠実に編成されたもので、シリーズ中の最高傑作とされる「赤髪連盟」ももちろん収録されている。ホームズ役として演じているのは最も評判がいいジェレミー・ブレット(故人)。

         

一話完結型で52分のドラマだが、時代考証を裏付けるセットなど非常に豪華だし、細部まで行き届いておりけっして安直なツクリになっていないのがいい。

とまあ、オーディオ、読書、パソコン、テレビ・・・そして運動と、毎日目が回るほど忙しい。

今よりも時間が2倍あるといいんだけどなあ(笑)。
 



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よき友五つあり

2022年02月17日 | 独り言

我が家には3台の古いパソコンがある。

1台はブログを主体に日常用として使用し、もう1台はネットラジオ「モーツァルト専門チャンネル」用として使い
、残りの1台は予備としてCDのコピーなどに使っている。順に「A」(東芝)「B」(富士通)「C」(東芝)と名付けておくとしよう。

このまま平穏無事にいけば何も不都合は起きないのだが、ブログ用に使っているメインのパソコン「A」の反応スピードがこのところやたらに遅くなってきた。たったの5年ぐらいしか経っていないのに~。

麻雀で牌(パイ)を切るときに、長時間考え込む人に対して「お~い、だれか週刊誌をもってきてくれ」と冷やかすことがあるが、それよりも遅い感じ(笑)。

いくら何でも、もう我慢の限界と潔くAを引退させることにした。 

となると、ブログ用のメインとして「B」か「C」を代用するしかない。

とりあえず「B」に狙いを定めたが、これまでせっせと取り込んできた「ピクチャー」を「B」に内蔵させないと画像なしのブログになってしまう。

そこで、頼りになるのがパソコンに詳しい「M」さん(大分市)。

「HDD(1T)を持っていきますので、Aの画像をBに取り込めませんか?」

「ああ、お安い御用ですよ」

クルマで40分ぐらいのご自宅に行って「ものの10分」ほどで無事終了。

これでようやく快適にブログができると喜んだのもつかの間で、今度はBの代用としてネットラジオに使っている「C」の画像が出てこなくなった。

一難去ってまた一難。またもや「M」さん宅へ駆け込むと裏蓋を開けて調べてくれたが「これはちょっと手に負えませんね」

「そうですか、使えるのが1台だけでは不安なので中古のパソコンで結構ですから調達して使えるようにしてくれませんかね。メーカーは使い慣れた富士通で、そして画面が大きめの17インチでお願いします」

3日程経ってから「パソコンが到着しました。今からご自宅に伺ってパソコンを使えるようにします」

画像の移動、ネットワーク接続(Wi-Fi)など順調に済んで、快適なパソコン環境が実現した。

ところが、翌日になって急にブログの原稿の文字が打ち込めなくなったのには驚いた。あちゃ~。

急いでMさんに連絡すると「おそらくキーボードの故障だと思います。さっそく送り返してお金を返金させるか、代用品を遅らせるかしましょう」

そして、3日後のことMさんが2台のパソコンをもって我が家に現れた。

「あれっ、2台もどうしたんですか?」

「それがですねえ、相手側に返金しろと言ったら勘弁してくれって言うんですよ。その代わりおまけに1台のパソコン(15インチ)を余分につけますからというので勘弁してやりました」

Mさんはどちらかといえば、見かけも性格も「硬派」に属するタイプで、地声も野太くて迫力があるので、きっと相手がビビったに違いない(笑)。

もちろん、1台ゲットのつもりが2台になったのだから大歓迎である。

そそくさと作業していただき、2台とも使えるようにしてもらった。

メデタシ、メデタシ。

今からおよそ700年前の鎌倉時代の古典「徒然草」の中で「兼好法師」は次のように述べている。

「よき友三つあり。一つは物くるる人、二つには医師、三つには智恵ある友」

我が家ではこれらに加えて「パソコンに詳しい友」「オーディオに精通した友」の「よき友五つあり」といくかな~(笑)。


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バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト以外の作曲家の存在意義とは

2022年02月16日 | 音楽談義

つい先日のブログ「生きててよかった!・・」で紹介した次の言葉。

「20世紀前半に名を馳せた著名な数学者「リトルウッド」(イギリス)は、たいへんな音楽好きでも知られたが、「バッハ、ベ-トーヴェン、モーツァルトの音楽が大好きで、それ以外の作曲家の曲を聴いて時間を無駄にするには、人生は短すぎると考えていた。」

さっそく、メル友の「K」さん(横浜)から反応があって「この言葉を聞いて、現状のままでよいのだと安心しました」という趣旨のメールが届いた。

で、「もう60歳を過ぎると自分のスタイルを無理やり変えてむやみに手を広げることもないでしょう」と返信しておいた。

もちろん「オーディオ」とは別の話ですよ~(笑)。

こういう事例は実は音楽の分野だけに留まらないようですよ。

たとえば「文学の世界」でも同様の話があって、

「村上春樹インタビュー集」~夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです~という本があって、1997年から2011年にかけて、19本のインタビューが紹介されている。

               

185頁に音楽ファンにとっては実に興味のある問答が収録されている。

「20世紀の偉大な文学作品の後にまだ書くべきテーマがあるでしょうか?文学にはもはや書くべきテーマも、言うべきものごともない、という意見に同意されますか?」と、一人の外国の愛読者が発する実に厳しい問いに対して村上さんはこう答えている。

「バッハとモーツァルトとベートーヴェンを持ったあとで、我々がそれ以上音楽を作曲する意味があったのか?彼らの時代以降、彼らの創り出した音楽を超えた音楽があっただろうか?それは大いなる疑問であり、ある意味では正当な疑問です。そこにはいろんな解答があることでしょう。」

とあり、以下長くなるので要約すると

「音楽を作曲したり物語を書いたりするのは”意味があるからやる、ないからしない”という種類のことではありません。選択の余地がなく、何があろうと人がやむにやまれずやってしまうことなのです。」とある。

文学的には、村上さんが理想とする書いてみたい小説の筆頭は「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)で、小説に必要なすべての要素が詰まっているそうで、そのことを念頭に置いて解答しているわけだが、興味を引かれるのは冒頭の話との関連性。

ぴったりと符合しますね!


「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの3人組に対して、はたして他の作曲家の存在意義とは?」

これはクラシック音楽における永遠のテーマでしょうよ。

「ほかにもブラームス、ワーグナー、マーラー、ブルックナーなどが居るぞ」と、いかに声高に叫んでみても前述した三人組の質と量による重量感にはまったく抗しようがないのも、なんだか虚しくなる事実である。

しかし、村上さんの言葉を借りれば、存在意義があるとかないとか、そんなことを考えること自体が無意味だということになる。

作曲家・作家の創造者側の視点と鑑賞者側の視点がすれ違っている印象を受けるのだが、そこをどういう風に折り合いをつけたらいいのか、皆様はどう考えられますか。




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音楽が脳にもたらす効果

2022年02月15日 | 音楽談義

11年前に亡くなった母は長寿(94歳)だったが、残念なことに最後の数年間は「認知症」だった。正常な判断力を無くした母を傍から見るのはつらかった。

したがって認知症は「親の仇」だと思っているが、発症の主な原因は「脳細胞の中にアミロイドベータが蓄積されることによるもの」とされている。

結局、認知症にならないためには「予防」と「アミロイドベータの発生を阻害する、あるいは排出する薬の発明」がカギを握っているが、後者は数ある薬会社がしのぎを削っている段階だがまだ正式認可に至らないようだ。

そうなると今のところ「予防」しかないが、どういう生活スタイルがいいのか興味あるところ。
            

で、東北大学の教授が書いた「生涯健康脳」は、「生涯にわたって脳を健康に保つ」ためのノウハウを分かりやすく説いた本だった。


この種の書籍は巷に氾濫しているので、ワン オブ ゼムのつもりで読んでみたが、さして目新しいことはなかったものの、それでも自分にとって有益な情報を以下のように切り取ってみた。

☆ 脳の最高の栄養素は知的好奇心

脳の健康維持のために欠かせないのが毎日の30分の有酸素運動とともに、知的好奇心が挙げられている。

たとえば探究心、冒険心、追求心などワクワク、ドキドキが脳の中の神経伝達物質であるドーパミンを活性化させて脳全体をとても元気にする。

したがって知的好奇心を大いに刺激する趣味を持つことは脳にとって素晴らしい効果をもたらす。

☆ 音楽は脳の報酬系を刺激する

音楽を聴くととても良い気持ちになります。ここでもまた脳の中では凄いことが起きているのです。脳はご褒美をもらったような状態になっているのです。音楽を聴くと脳の<報酬系>と呼ばれる領域が活発になることがカナダの大学の研究で分かっています。

報酬系というのは詳しくお話しすると、欲求が満たされたときに心地よいという感覚を与える神経伝達物質を放出する神経系のことです。

会社で給料が上がるなどの良いニュースを聞くととても良い気持ちになってヤル気が出たりしますが、欲求が満たされると予測することでも脳は活性化するのです。

報酬系の領域が活性化されると、灰白質の体積が増えるという報告もあります。よく褒めて伸ばすという事例がありますが、まさにそれに当たります。

つまり、音楽を聴くと欲求が満たされたり、褒められたりしたときと同じような心地よい気持ちに自然となるのです。

また音楽を聴くと一部の領域だけでなく多くの領域の働きが活発になることが分かっています。音楽を聴くだけでも脳にとっても良いのです。

したがって、脳にとって音楽は<百利あって一害なし>なのです。

とまあ、そういうわけで日頃から音楽を聴くこと、そして、しょっちゅうオーディオ機器を入れ替えてハラハラドキドキすることは認知症予防のためにとってもいいことが分かった。

したがって、これからも「音楽&オーディオ」をひときわ熱心に続けていこうと固く心に誓った次第(笑)。 

で、いつぞやの「サイエンスZERO」(NHK Eテレ23:30~)では「音楽が脳にもたらすうれしい効果」を放映していた。

アメリカの上院議員(女性)が演説中に拳銃で脳を狙撃され幸い命はとりとめたものの失語症になってしまったが、音楽療法で発声方法を試みたところ劇的に回復した実例が紹介されていた。

音楽式の発声療法によって「右脳」(音楽などを司る脳)と「左脳」(論理的な脳)との連携がうまくいったからだそうだ。

またハードロック好き、クラシック好き、ジャズ好きの3人の治験者を例に5曲を聴かせてそのうち部分的に脳が好反応を示した小節をもとに「AI」で好きな音楽を創造して聴かせたところ「好きな音楽」が必ずしも「脳が心地よいと感じる音楽」と一致しないことが判明した。

この興味深い事実から音楽愛好家は「好きな音楽」に拘らずあらゆるジャンルに亘って幅広く聴くことが脳のためにいいことが導き出されていた。

自分は勝手に「モーツァルト・マニア」を自称しているが、ほかにもジャズ、ポピュラー、歌謡曲など、もっと意識的に幅を広げた方がよさそうですねえ(笑)。


 


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真空管の「スリル」と「サスペンス」

2022年02月13日 | オーディオ談義

現在愛用している真空管アンプ「WE300Bシングル」だが、出力管は1988年製の「300B」を使っている。



1940年代ごろから製造されてきたほどの由緒あるWE300Bだから1988年製は比較的新しい年代の製造である。


ただし、古いのがいいのか、新しいのがいいのか、同じ300Bの型番でも音質が違うとされており、諸説あって古い時期に製造された「オールド」は経年劣化のため管内の真空度が落ちていて本来の能力を発揮できていないと言われたり、その一方では1980年代のものと比べて部品の精度やツクリが違うので音も断然いいはずだとされている。

どちらがホントなんだろうかと迷うが、オークションの相場で推し量ると「オールド」のほうが2倍ほどの高値が付くので、おそらくこれが最大公約数的な見方なんだろう。

で、我が家では「オールド」が1本だけある。ロット番号が「6713」だから「1967年第13週」(以下「67年物」)の製造になる。



まずは希少管ともいえるが、惜しいことに「ゲッター」が薄くなっており、知人から「明日をも知れない命」と宣告されている(笑)。


ちなみに「ゲッター」というのは真空管内のガラス面に張り付いている鏡面状の灰銀色をしたもので、その働きはガス分子と反応・結合して壁面に吸着させ、空間から除去するものでガス分子をゲット(捕獲)するという働きから出た言葉。これが薄くなったり白くなったりすると管内の真空度が保てなくなるのでオシャカとなる。
                  

とはいえ、WE300Bは長寿命なことで有名で、指定された規格通りに使用してやれば永遠にといっていいほど故障しないという伝説がある。

したがって、この「67年物」はいったいどのくらいの寿命があるんだろうというのが目下の最大関心事。

もしオークションに出品すれば、欠陥品とはいえおそらく甘く見積もっても「10万円」はいくかな・・。

さあ、どう始末つけようか。

変わり映えのしない日常生活には適度な「スリル」と「サスペンス」が必要だと思うがこの真空管などは、格好の対象である。

ここで、ちょっと横道にそれるが「スリル」と「サスペンス」という言葉のニュアンスだがどこがいったい違うのか。

巷間では「顔の見えない真犯人を捜し出すのがスリル」、「真犯人がわかっていてじわじわと追い詰めていくのがサスペンス」だといわれている。

真空管でいえば「名も無き真空管の能力を計測するのがスリル」「有名な真空管が定評通りかどうかを見極めるのがサスペンス」かな(笑)

この「67年物」の場合、性能はわかっているが寿命のほうが「?」なので「スリル」と「サスペンス」が混在しているといえよう。

で、現用の1988年物はおそらく我が命尽きるまで故障しないと思うので、とうとう先日のこと、痺れを切らして右チャンネルの1本だけ「67年物」に差し替えて聴いてみた。

やっぱり1988年製の左チャンネルの音と違うんですよねえ、これが・・。

何だか右チャンネル側の音の重心が下がって落ち着いた響き具合だ。

個人的な意見だが「歪成分」が少ないと音の重心が下がる傾向にあると思っているが(聴感上かもね・・)、近代管に比べて古典管ほど重心が下がる傾向にあるのはこれまで散々経験したとおり。

で、このまま1週間ほど聴いていたところ、右チャンネルからガサゴソとノイズが発生しだした。

あれ~、とうとう寿命が来たのかとにわかに色めき立った。

急いでアンプのスイッチをオフにして右と左の300Bを入れ代えたところ、やっぱり右チャンネルからのノイズが消えない。

ああ、よかった、どうやら「67年物」の故障ではないようだ。

となるとスピーカーかな。

一難去ってまた一難、「AXIOM80」(オリジナル)は「繊細さが売り」だが壊れやすいことでも定評があり、低音域への過大入力は細心の注意を払っているので”まさか”。

で、「AXIOM80」に代えて「リチャードアレン」のユニット(後継20cm)に入れ替えたところ、やっぱりノイズが消えない。

ああ、よかった!これで、出力管、スピーカーともに故障がないことがわかって一安心。

結局、ノイズの原因はプリアンプのバッファー用の1本
にあった。上蓋を開けると1本の管の中が白っぽくなっていたのですぐにわかった。

この球は長期間使用した覚えもないし、「ムラード」の「M8136」だから絶対大丈夫という先入観があったので盲点を突かれた印象だが、一番安上がりの故障で済んだのでよかった。

それにしても、オーディオ機器の故障の時に、いつも最悪のケースから順番に考える癖がついた人間はあまり心臓によくないですね、おそらく長生きは無理でしょうよ(笑)。

PS(追伸)

昨日(13日)このブログを一読された「北国の真空管博士」から次のようなコメントがあったので記録に残しておく。

★ WE300Bの製造開始は1936年です。1956年の中ごろに「フィラメント」を変えてますので、もし「オールド」というならそれ以前のものでしょう。

★ WE300Bはとても丈夫な球です。ゲッターが薄くなってもフィラメントがその代わりをすることがありますよ。

★ あなたの300Bアンプはごく軽い動作に設定していますので「67年物」でもかなり寿命があると思います。十分使えると思います。

というわけで、オークションに出品するのはもったいないので止めておこう(笑)。




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生きててよかった!地位も名誉もお金も何にも要らない

2022年02月12日 | 音楽談義

「神秘に満ちた数、素数。 何というその美しさ。 世紀をまたぐ最後の超難問”リーマン予想”の謎に迫る天才数学者たちの挑戦、人間味あふれる姿」と、背表紙に書いてあったのが「素数の音楽」(マーカス・デュ・ソートイ著)。

               

「素数と音楽」に、どういう関係があるのかと興味を引かれて読み始めたところ、数学については素人なのに、実に分かりやすく書かれている。

おっと「素数」ってのはお判りでしょうが「2,3,5,7,11、13,17・・」と、これ以上素因数分解が出来ない数を指す。

ちょっと、しつこいようだが桁数が多くなればなるほど突然に「素数」が出てきたりするが、平たくいえば、この数値の並びの規則性を探求するのが数学界最大の難問とされる「リーマン予想」だ。

本書によるとどうやら「素数」と「音楽」は「美」という共通項で深く結ばれているようだが、それはさておき188頁に次のような箇所があった。


「20世紀前半に名を馳せた著名な数学者「リトルウッド」(イギリス)は、たいへんな音楽好きでも知られたが、「バッハ、ベ-トーヴェン、モーツァルトの音楽が大好きで、それ以外の作曲家の曲を聴いて時間を無駄にするには、人生は短すぎると考えていた。」

ウ~ン、これはクラシック音楽愛好家にとっては大なり小なり思い当たる人があるかもしれないですね。

自分などはもっとラディカルに「モーツァルト以外の作曲家の曲を聴いて時間を無駄にするには、人生は短すぎる。」と、思うことがときどきある(笑)。

10年ほど前に購入した「モーツァルト全集」(CD55枚組)は今でも愛聴盤だが、モーツァルトを聴いていると、あの「天真爛漫」で「天馬空を駆ける」ような世界にどっぷり浸かってしまい、楽聖ベートーヴェンの曲目でさえも、何だか作為的で不自然に思えてくるから不思議。

最晩年の傑作、オペラ「魔笛」にトチ狂ってしまってからおよそ40年が経つが、モーツァルトは「モー卒業した」どころか、次から次に新しい発見が続いてまだ山の頂にはほど遠い気がしている。

改めて、そう認識させられたのが「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」(K.165)。わずか16分ほどの小曲だが中身は濃い。



音楽ソースは「ザルツブルグ音楽祭」での録音画像で「HDD」に収録したもの。指揮者は大好きな「トン・コープマン」。  

「アレグロ~アンダンテ~アレグロ」の構成だが、特にアンダンテがこの世のものとは思えないほど美しい。

こんな音楽を聴かされると「生きててよかったなあ!地位も名誉もお金も、な~んにも要らない」という心境になる。もちろん一時的にだが(笑)。

ケッヘル番号が100番台だから、おそらく初期の作品だと思ってググってみると、何と17歳のときの作品だった。

そんなに若いときからこんなに美しい曲を作るんだからまったく脱帽である。

ほかにもケッヘル100番台は「ディベルティメントK.136」(これもコープマン指揮がいい)という名曲もあるし、名画家にしても名作家にしても「”若描き”にとてもいいものがある」という言葉が見事に当てはまる。

そういえば、つい先日亡くなられた「石原慎太郎」さんにしても「功なり名を遂げた」晩年の奇妙に落ち着いた作品に比べて学生時代のデヴュー作「太陽の季節」の「新鮮な息吹の迸り」に優る作品はとうとう出てこなかった。

さて、この「K165」は宗教音楽だが、音楽家にとって「神への思い」は様々のようで、有名なバッハの「マタイ受難曲」は何度チャレンジしてもどうしても馴染めないものの、それでも心から神への信仰の厚さと敬虔な祈りが全編を通して伺われる。

しかしベートーヴェンでは「ミサ・ソレムニス」などを聴いていると、神への敬虔な祈りは聞こえてこない。どうも彼は神の言葉よりも自分の音楽の方がさらに高い啓示だと思っている節がある、と、いつも感じる。

そして、肝心のモーツァルトの宗教音楽「K165」についてだがバッハのような「神への敬虔な祈り」が前面に出てこないのが特徴で、むしろ「神」と「人間」が混然一体となった「人間賛歌」のような趣を呈している。うまく表現できないけど・・。

本来、宗教的声楽曲だった「モテット」をこれほど瑞々しい生命の躍動感に満ち溢れた音楽へと昇華するモーツァルトの才能には、もうただただ「ひれ伏す」しかありませぬ~(笑)。



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オーディオにおける「芥川賞」と「直木賞」

2022年02月11日 | 独り言

2月8日(火)のこと、ようやく15日間の「喪」(休館日)が明けて、勇躍「県立図書館」に行こうと身支度をしていたところ、「デコポン(みかん)を買いに行くので付き合ってくれない?」と、カミさんのご託宣。

お付き合いのある人たちに配りたいのだという。

断ろうものなら、たちまちご機嫌が悪くなって散々皮肉を浴びせられるのが落ちなので、「そんなことは前の日に言えよ」と内心舌打ちしながらもさりげなく「ああ、いいぞ~」(笑)。

行く先は一度行ったことがあるミカン農家で、クルマで片道50分ぐらいのところ。



この画像は配り終えた後の残りだが、普通のミカンに比べて形が少し変わっていて、頭の部分が「出べそ」みたいになっているが、糖度が高いのが特徴。

結局、図書館行きは午後になったが、コロナのせいで閑散とした館内の中を「新刊コーナー」に真っ先に駆け付けたところ「(新刊が)山のように入っているかもしれない」という期待は無残にも打ち砕かれた。

2週間前と変わり映えがしない本が陳列されていてガッカリ。

仕方がないので10冊の持ち株のうち4冊ほど借りた。新刊が3冊と司馬遼太郎さんのエッセイが1冊。



さて、本にちなんだ話になるが先日投稿したブログの中で「伊坂幸太郎さん」に触れていたところ、大ファンを自認される「I」さん(東海地方)から次のようなメールが届いた。

「伊坂幸太郎は純文学と大衆文学のクロスオーバー作家と言われているようですね。

そういう意味では「重力ピエロ」は純文学寄り、「アヒルと鴨のコインロッカーは」中間くらいかと思います。

それぞれ、作家の4作目と5作目に当たります。

純文学=解決しない・・解決できない・・作品は発表されたら読者のもの。だから、あなた考えてね。

大衆文学・特にミステリー=解決(説明)する・・作品に厳密さが求められる。読者とのゲーム。

の違いかなと思います。

この観点から、村上春樹は純文学ですね。海外では「春樹は提示しない(からノーベル賞に該当しない)」ともいわれているようですが、ボブ・ディランがもらえる賞なんて、要らないですよ。

伊坂幸太郎は30作品読みましたが、上記2作のほか、

16作目「ゴールデンスランバー」(大衆文学)は輝いていますね。私は涙しました。

一方、11作目の「週末のフール」(純文学寄り)はいまだに、わたしの喉に骨がひっかかっています。

大衆文学派の雄、7作目の「グラスホッパー」と続編たる21作目の「マリアビートル」 身近に感じる快作「陽気なギャング・・」シリーズ。

いろいろと楽しんでいます。

 

今は「ヨルガオ殺人事件・上」を読みだしたところです。海外ミステリー独特の「序」の部分をやっと通り抜けました(笑)

下巻の方は、予約者がゼロです。なんで?」

といった内容でした。ありがとうございました。

ノーベル賞のうち「文学賞」と「平和賞」に限っては「眉唾物」だと思ってますので同感です。

純文学と大衆文学の色分け論は興味深いですねえ。

「純文学」が解決しない、解決できないテーマを扱っているとしたら、「オーディオ」はまさに「純文学」に値すると思いますよ。

さらに、突き詰めるとクラシック向きの「優れた音」なら「芥川賞」を、ジャズ向きの「優れた音」なら「直木賞」を進呈すると言ったら叱られますかなあ(笑)。


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