「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

難聴予防の王道

2023年07月31日 | 独り言

昨日(30日)のブログ「耳のトレーニング」は珍しく盛況で、望外の好調なアクセスだった。

日頃のオーディオ記事の「不人気ぶり」とは大違いなのに呆れるやら、悲しくなるやら・・。

娘(他県に在住)からも、「お父さんのオーディオ記事はさっぱりわからない」と言われるが、あまりにも専門的過ぎてついていけないのかなあ~。

そもそも、いまどき「真空管オーディオ」なんてね・・。


いずれにしても、読者はこういう(オーディオ以外の)記事が好きなんだと認識したので、さっそく
「鉄は熱いうちに打て」とばかりに、追い打ちをかけてみよう。

題して「難聴予防の王道」

先日、オーディオ仲間(福岡)と連絡を取っていたら高音域の聞き取りの違いが家族との会話を通じて分かったりしてガッカリさせられると言われていた。

自分もそうで「お父さん、少し耳が遠くなったんじゃないの」と家人から指摘されるがしばしばである。「エッ、エッ・・」と何回も聞き直すからだそうだ。

こういう耳では偉そうに「オーディオ記事」なんて書けないなあ~(笑)。

まあ、昔取った杵柄(きねづか)で、勝手に「脳が補正」しているんでしょうけどね。

いずれにしても、誰でも「難聴は避けては通れない課題」なんだから、いまのうちから予防して少しでも遅らせるに越したことはないでしょう。

で、ずっと昔の記事「難聴予防の王道」から抜粋させてもらうとしよう。

音楽&オーディオ愛好家にとって耳の機能が衰えるというのは”恐怖の的”である。とにかく音がいいとか悪いとか以前の問題として、音が聴こえてこなければ音楽の楽しみようがない。 

したがって経年劣化は受け入れるとしても努力のしがいがあって、せめて耳の機能を最低限維持できればというのが現時点での最上の望みである。

2008年5月放映のNHKテレビ「ためしてがってん」では難聴になる一番の原因は「耳は臓器の一部であり血流による栄養補給が疎外されること」だとされていた。

その要旨を再現してみよう。

      

左から「有毛細胞」、「ダンス細胞」そして「難聴のリスク」である。
       

☆ 音が聞える仕組み

人間の耳の奥にある蝸牛(かぎゅう)という器官に有毛細胞が並んでおり、入り口に近い有毛細胞が高音を感じ、奥の方にある有毛細胞が低音を感知して振動し脳に伝えて音として認識される。

段々と高音が聞きづらくなるのは入り口に近い有毛細胞が高音も低音も感知して振動するので傷みやすく、加齢、騒音の聞き過ぎによるのが原因というのが定説。

☆ 先入観による「音韻修復」
 

男女10人による混声合唱団に対して実験が行われる。いずれも日頃音楽に親しみ耳に自信のある方ばかり。実験の内容はノイズをずっと聞かせて、その中に「さくら、さくら」のメロディが隠されておりそれを聞き分けることが出来た人が何人いるかというもの。

その結果、10人中8人がメロディが聞えたと手を挙げたがこれが大間違い。実はメロディは何ら含まれておらずタダの雑音ばかりで結局、聞えた8人というのは「気のせい」だった。

これはオーディオでもよくある話。

たとえば他家で、お値段が一桁違う高級なオーディオ装置の前に座らされ、見た目の豪華さも手伝っていかにも「いい音」を聴いた感じになるのだが、実は左右スピーカーのプラス・マイナスの結線が間違っていたり、ツィーターの片方が鳴っていなかったりすることはままある話で、いかに先入観が人間の聴覚を誤魔化すかという好例だ(笑)。

☆ 難聴のリスク要因とは?

1 加  齢 → 1.6倍  2 高脂血症 →  1.9倍  3 糖尿病 → 3.7倍  4 腎臓病 → 5.9倍

科学的な根拠として有毛細胞の根元に並んでいる「ダンス」細胞に正常な血液によってきちんと栄養補給がなされていないことが難聴につながる大きなリスク要因であるという。

結局、前述したとおり難聴予防には
「生活習慣病の予防が大切」というありふれた結論だった。
 

以上のとおりだが、「難聴予防」は「健康で長生き」につながるようですから、皆さん日頃から用心しましょうね~。 



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耳のトレーニング

2023年07月30日 | 独り言

「音楽&オーディオ」を愛する人間にとって「耳が遠くなる」ことほど辛くて悲しいことはない。

自分などは、そうなるともう死んだ方がマシとさえ思うが、悲しい現実として「聴力は20歳ころをピークに徐々に低下しはじめていき、65歳以上の4人に1人、75歳以上の2人に1人は補聴器が必要な状態だ」と、ショッキングな書き出しで始まるのが本書
「耳トレ!」である。

                      
 

大学教授で現役のお医者さんが書いたこの本には「耳の健康」に対する情報が満載で実に”ため”になる本だった。

以下、とりわけ興味を引いた点を自分自身のために忘れないように箇条書きスタイルで整理してみた。

なお、※の部分はブログ主の勝手な独り言なのでけっして鵜呑みにしないようにね(笑)。

☆ 難聴の大きな要因は「騒音」と「動脈硬化」

2007年10月、日本の国立長寿医療研究センターから「加齢と難聴には相関関係がない」というショッキングなニュースが発表された。主として難聴に関係していたのは「騒音」と「動脈硬化」の二つだという。

「騒音」の原因には「騒音職場」とともに「ヘッドフォン難聴」「イヤフォン難聴」が挙げられ、
一方の「動脈硬化」は言わずと知れたメタボリック・シンドロームである。

この二つは日常生活の中で十分予防が可能だが、今の段階から一人ひとりが心がけていかない限り、近い将来「大難聴時代」がやってくることは必至だ。

☆ 日本語は世界一「難聴者」にやさしい言語

どの国の言語にもそれぞれ固有の周波数帯というものがあり、母国の言語を繰り返し聞いて育つうちにその周波数帯以外の音を言語として聞き取る脳の感受性が失われていく。

そのため生後11歳くらいまでには母国語を聞いたり発音する能力に特化した脳が出来上がる。

日本語で頻繁に使われる周波数帯は125~1500ヘルツで、英語は200~12000ヘルツと随分と違う。日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。

したがって、英語民族は高齢になると早い段階で高い音が聞き取りにくくなって不自由を感じるが、日本人はすぐには不自由を感じない。その点で日本語は世界一難聴者にやさしい言語である。

※ これは一人で二か国の言語を操るバイリンガルの「臨界期」が10歳前後と言われる所以でもある。

また、英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高音域にデリカシーな響きをもったものが多いが、これで謎の一端が解けたような気がする。

その一方で、とかく高音域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がる。


☆ 聴力の限界とは

音の高い・低いを表す単位がヘルツなら、音の強さや大きさ(=音圧レベル)は「デシベル(dB)」であらわす。
 

人間が耳で聞き取ることのできる周波数の範囲は「20~2万ヘルツ(空気中の1秒間の振動が20回~2万回)」の間とされているが、イルカやコウモリなどは耳の形や構造が違うのでこの範囲外の超音波でさえ簡単に聞き取れる。 

ただし人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。

※ 人間の耳は一人ひとりその形も構造も微妙に違うし、音を認知する脳の中味だって生まれつき違う。したがって同じオーディオ装置の音を聴いたとしても各人によって受け止め方が千差万別というのが改めてよくわかる。

自分でいくら「いい音だ」と思ってみても、他人にとっては「それほどでもない」という日常茶飯事のように起こる悲劇(?)もこれで一応説明がつくが、音に光や色彩感覚があるように感じるのは超高音域のせいだったのだ!

☆ 音が脳に伝わるまでの流れ

耳から入った空気の振動は外耳道と呼ばれる耳の穴を通り、アナログ的に増幅されて鼓膜に伝わり、アブミ骨などの小さな骨に伝わってリンパ液のプールである蝸牛へ。そこで有毛細胞によって振動が電気信号に変換され、聴神経から脳に伝わる。これで耳の中の伝達経路はひとまず終了。

この電気信号が言語や感情と結びついた「意味のある音」として認識されるまでにはもう少し脳内での旅が続く。

電気信号が聴神経や脳幹を経て脳内に入ると、まず、大脳の中心部にある「視床」に送られる。ここは、脳内の情報伝達の玄関口となっている。視覚、聴覚、皮膚感覚などあらゆる感覚情報が必ず通る場所で、単純に音だけを聴いているつもりでも、様々な感覚情報とクロスオーバーしている。

また「視床」を通過すると音の伝達経路は「言語系ルート」と「感情系ルート」の二つに大きく分かれる。前者は最終的に「言語野」に到達するが、後者は大脳の一次聴覚野を通らず、いきなり「扁桃体」に直結していて「イヤな音」「うれしい音」というように音を直感的・情緒的に受け止める。

※ 音楽を聴くときにカーテンなどでスピーカーを隠してしまったり、あるいは目を瞑って聴いたりすると、機器の存在を意識しないでより一層音楽に集中できるのは経験上よく分かる。

さらに、直感的なイメージとしてオーディオマニアが音楽を聴くときには主として「感覚系ルート」がはたらき、それ以外の人たちが(音楽を)聴くときには主として「言語系ルート」が働いているように思うが果たしてどうだろうか・・・。

ほかにも本書には「音楽好きための難聴予防テクニック」など貴重な情報が満載で、末永く「音楽&オーディオ」を楽しみたいと思われる方は是非ご一読されることをお薦めしたい。

  

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シンプルに始まり、シンプルで終わる

2023年07月29日 | オーディオ談義

これまで何回も書いてきたので「またか!」と言われそうだが「魚釣りはフナ釣りに始まってフナ釣りに終わる」という言葉がある。

幼い時に近くの川で興じた魚釣り・・、仕掛けをはじめ何から何までシンプルの一言に尽きるが、壮年になると凝った仕掛けになりクルマを使っての遠出、大きな獲物と、何もかもが大掛かりになり、そして老境に差し掛かると、本質への理解が深まるとともに無駄の排除へと繋がり、それに体力的な問題も手伝って、再びシンプルな釣りに還っていく・・。

オーディオも似たようなものではなかろうか。

けっして上から目線で物申すつもりはないが、50年以上オーディオ遍歴を続けて、酸いも甘いも嚙分けてきたつもりだが、このところ「オークション」で小口径のユニットに目が向いて仕方がない。

スケール感豊かな音もいいが、音声信号に対する反応が早くてシャープな音像にも心惹かれるのだ。

「二兎を追う者、二兎を得る」というわけだが(笑)、その対象は「口径20cm」クラス・・、そして見事に発見。

国産の東芝製で「ウーファー専用」、しかもお値段が安い!(笑)。

落札価格が何と「千円単位」ですよ~。もちろん「アルニコ・マグネット」付き。

そして、無事落札し、北海道からほどなく到着。



あれ~っ、半田の痕が無いので新品だっ!

ウーファー専用なのでハイカットはせいぜい2000ヘルツ前後だろうか。もちろん必要悪の「コイルが不要」というのがうれしい。

ただし、ユニットの二つの端子に「+」の表示がない・・、やれやれ手間なんだよねと乾電池を持ち出して試してみる。プラス同士が合っていれば「正相」でユニットのコーン紙がすっと前に出てくるのでわかる。

さあ、これにどういう「ツィーター」を噛ませようか・・。



3000ヘルツあたりから使えるツィーターとなるとワーフェデールの「スーパー3」(口径10cm)かなあ。ごらんの通り赤帯マグネット付き。

瞬く間にセッティングが完了した。



そして、想像以上の音質に驚いた!

また、「いつもの自画自賛か!」と呆れられそうだが、いやホントなんだってば~(笑)。

まず、小気味よく反応してくる低音に惚れ惚れするし、量感も想像以上に豊かで素晴らしい。

そして、ツィーターの「スーパー3」がこれまたGOODで、プリアンプにマイカ・コンデンサーを組み込んでから初めて鳴らしたが、叩く音はさすがにJBLに一歩譲るが、擦る音は抜群で何倍も良い。

というわけで、資質は十分に確認したのであとは相性のいいベストのアンプを組み合わせてやりたくなる・・、それほどの魅力を放っている。

何と2日がかりで「ああでもない、こうでもない」と、アンプの上げ下ろしで腰が痛くなるほどだったが、ようやく決定したのがこのコンビ。



「ウーファー」には久しぶりに「PX25シングル」を、そして「スーパー3」には「6AR6シングル」(三極管接続)で決定。

目を瞑って聴くと、こんな小ぶりのシステムからとは信じられないくらいの豊かな音が出ますよ~。

しかも音像がシャープで躍動感もある。

さっそく仲間に聴いてもらうとしよう。

「オーディオ仲間を泣かすのに刃物は要らぬ、小口径ユニットで十分」と思うんだけどなあ~(笑)。


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「署名入り」の記事は当てにならない?

2023年07月28日 | 独り言

前々会のブログ「薔薇の名前」で、最後に「ウンベルト・エーコ」氏の言葉を載せた。

「インターネットに対する批評感覚を鍛え、何でもかんでも鵜呑みにしないことを覚える鍛錬が必要だ。つまり、真偽をたしかめられない情報をチェックする方法を学ぶことだ」(204頁)

インターネットの記事が信用できない根拠の一つに「署名入りではない」つまり「責任の所在がはっきりしていない」ことが挙げられる。

ところが・・。

「外山 滋比古」(とやま しげひこ:お茶の水大学名誉教授)氏のエッセイ「新聞大学」に、次のような箇所がある。(84頁)


    

「新聞はそろって日曜に読書のページ、書評のページをこしらえている。読書好きの人への手引きとして新聞はユニークである。3ページから4ページがそれに当てられるが、取り上げられるのは専門書が多い。

そうでなくても堅い本ばかりが取り上げられているから読者には今一つ物足りないのである。面白い、というような書評にはあまりお目にかからない。書評に署名があるからである。かっては、無署名が普通であったが今は肩書付きの名前が出る。

署名が有る無しなど、呑気な人は問題にしないようだが大違いである。

匿名の方がいい書評ができる。身分を明かした原稿にはいろいろのシガラミがまつわりやすい。著者への気兼ねもある。出版社への配慮もある。縁のある出版社の本を悪く書けば面白くないことになる。


というのが、普通の人の思惑だろう。著者との関係もデリケート。本当のことを書けば社交上おもしろくないことになるという心配をしないほどの人物は書評などしない。」

つまり「署名がある書評はいろんなシガラミがあるので本当のことを書いていない。したがってあまり当てにはできない。」というわけだ。

署名のないネット情報と比べて、それが公器となる新聞の「書評」ともなると、すっかり攻守ところを変えるらしい(笑)。

実はなんでこんなことを話題に持ち出したかというと、やっぱりオーディオがらみの話になってしまう・・。

これを読んで真っ先に脳裡に浮かんだのがオーディオ評論家の存在だ。オーディオ機器に対する評価のケースとまったく似ている!

以下、我が経験に照らして遠慮なく言わせてもらおう。署名無しだからほんとうのことが言える(笑)。

今でもオーディオ愛好家の間で語り継がれているように1970年代はオーディオの全盛期だった。我がオーディオ人生の黎明期と丁度重なっていた時代である。

国内では「トリオ、サンスイ、パイオニア」がオーディオ御三家として君臨していた夢のような時代だった。今となってはこの御三家は影も形もない。

いずれにしろ当時は夢中になって
、それこそ鵜の目鷹の目でいろんなオーディオ雑誌を読み漁ったものだったが前述のようにたいへんな活況を呈していたオーディオ業界において評論家といえばメーカーや販売店にとってまさに神様のような存在だったといえる。

なにしろ、その発言次第でオーディオ機器の売れ行きが左右されるのだからどうしようもない。

一読者としても、当時のお気に入りだったタンノイに関する記事などは活字に穴が開くほど何回も読み耽ったものである(笑)。

で、オーディオ評論家の発言に一喜一憂しながら、まともに受け止めていたので、つい甘言に釣られてしまい、いろんなオーディオ機器を買い漁ってはガッカリして二束三文で下取りしてもらい、また新たな機器を購入するという「アリ地獄」に陥ってしまった。

素直に記事を信用してしまった自分が愚かだったのだろう。評論家だっていろんなシガラミの中で記事を書いていたであろうことは今となっては容易に想像できるのに・・。

さすがにオーディオ専門誌側も反省したのだろうか、「ブラインドテスト」(機器のメーカー名を伏しての試聴テスト)なるものを実施したケースもときどき見受けたが、名もしれぬ三流メーカーが評価が良かったりして”ちぐはぐ”さが目立ちこの種のテストは自然に立ち消えとなった。

むしろ評論家がブランドの先入観に左右されることが証明され、かえっておかしな結果になったことは想像に難くない(笑)。

しかし、いたずらに評論家を謗るわけにはいかず、私たちだってある程度ブランド名に気分的に左右されていることは、きっと身に覚えがあるはずだ。

いずれにしても、こういう失敗を前向きに考えて現在に至るまでの授業料だと割り切ればいいのだろうが、あまりにも高くつきすぎた感があって、今となっては悔しさだけが強烈に残っている(笑)。

大いに懲りたのでここ20年ほどはオーディオ雑誌はあまり読まないし、たまに読む機会があったとしても半信半疑のまま活字を追っている。

当時の評論家諸氏は大半が鬼籍に入られているか、あるいは引退されており、現代のオーディオ評論家の実状がどうかは知らないが、いろんなシガラミのもとでホンネが吐けない状況が昔と現在とそれほど変わりがないであろうことはおよそ推察できる。

したがって、読者に対してオーディオ雑誌の内容をむやみに信用しない方がいいですよと、老婆心ながら申し上げておこう~。

むしろ、しがらみのない無記名のネット情報の方が信用できますよ・・、おっと、これは手前味噌かな(笑)。



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テレビの故障  → ピンチはチャンス

2023年07月27日 | 独り言

去る23日(日)のこと、オーディオ仲間のYさんが辞去されてからテレビ(ソニーの55インチ)の調子がおかしくなった。

画面の文字が「二重写し」になってしまう!

いったん、テレビの電源を落とし、しばらく経って電源を入れると、きれいに映るのだが、それも一時的なことで5分ほど経つと再び「二重写し」に~。

明らかに故障だね。

さて、いつごろ買ったのかなと、過去の日記帳をめくったところ2017年の5月7日に購入していた。

やれやれ、たったの6年か・・。

そういえば、近くの大型電気店で購入したときに応対してくれた店員さんの言葉が蘇った。

「日本で組み立てたのとは違って東南〇〇〇なのでおそらく7~8年ぐらいの寿命だと思います」

「まあ、いいか」と、当時はあまり気にしなかったが見事に予言が的中したことになる(笑)。

ただし、自分にも非がありそうだ。

実は、近年「テレビ」に「ブルーレイ」の画面を映し出して音楽を聴くことが多くなったのでメチャ「酷使」している・・、6年間、ほとんど1日も欠かさず8時間以上も点けていたら、そりゃ悪くなりますわいなあ~。

いずれにしても、テレビが無いとにっちもさっちもいかないので、翌日の24日(月)にその電気店に出かけて映像を見比べながら店員さんと交渉した。

結局「ソニー」にするか「パナソニック」にするかだったが、「すぐに納入できます」が決め手になって「ソニー」(有機EL 65インチ)に決定。

店員さん曰く「7年前あたりは業界が苦しい時だったので雑なツクリでしたが、現在はしっかりしてますよ。」

まあ、信じることにしよう(笑)。

25日(火)の午前中に3人がかりで搬入して、結線からチャンネル設定まですべてやってくれた。

何しろ「HDMI」接続が4機種にのぼるのでたいへん。

ブルーレイ2台(うち再生専用1台)、光テレビチューナー、クラシック専門チャンネル用レコーダー

テレビの「デジタル音声出力」(光端子)を分配器(3分割)で、3台のDAコンバーターに接続しているが、さっそく、無事再生できるかどうか再生してみたところ見事に合格。



そして、アレッ、音が良くなっている気がする。

静けさが増している 音が澄んでいる、音の粒子が細かくなって詰まっている感じがする、音に艶が出てきた・・等々。

6年間でDAC部分などのデジタル系が改良されたのだろうか。

それと、画面が「55インチ → 65インチ」になると、縦10cm、横10cmそれぞれ伸びるのでやはり迫力が違う。

不意の出費は痛かったが、どうやら「ピンチはチャンス」だった!

そして、テレビの寿命と自分の寿命のどちらが先に来るか、神様、教えてくんないかなあ(笑)。



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「薔薇の名前」~読書コーナー~

2023年07月26日 | 読書コーナー

「ウンベルト・エーコ」(1932~2016)ってご存じですか?



「イタリアの小説家、エッセイスト、文芸評論家、哲学者、記号学者。イタリア共和国功労勲章受章者。

1980年に発表された画期的歴史小説『薔薇の名前』の著者として最もよく知られる。同作品はフィクションの記号論的分析、聖書分析、中世研究、文学理論の要素を盛り込んだ知的ミステリーである。」

いずれそのうち「薔薇の名前」をぜひ読んでみたいと思っているが、映画の方は「ショーン・コネリー」主演のもとにメチャ刺激的だったのでずっと記憶に残っている。

「閉ざされた中世の厳粛な修道院の中で行われた連続殺人とその犯行の謎を解き明かすストーリー」

で、このほど図書館の新刊コーナーで見かけたのがこれで、「薔薇の名前」の解説本である。



19頁にこんなことが書いてあった。

「エーコは書き上げた原稿を読んでもらった出版社の友人から最初の100頁が非常に難解であるため縮めるようアドバイスを受けたが、ためらうことなくこれを断ったという。


修道院の中に入り込み、そこで七日間を過ごそうという読者は修道院のペースを受け入れなければならないというのがエーコの主張であった。

「ある小説に入り込むのは山登りにとりかかるようなものである。呼吸のリズムを学び、ペースを整えなければならない。さもなくば、やがて息を切らし、取り残されるであろう」

プロローグに続いて、修道院の外観に始まり敷地内の建物の配置や様子、聖堂の彫刻群などの克明な描写は、中世という舞台に入り込むための「苦行ないしイニシエーション」のような機能を果たしていて、そこをくぐり抜けた者だけが「薔薇の名前」の深みへと降り立っていくことができるというのだ。

ブログ主(註)

これまで新刊を借りてくる都度、初めの数ページを見てこれは退屈で面白くなさそうだと放り投げていたが、厳に慎まねばと思いましたぞ!(笑)。

そして「202頁」には「書物は 何を伝えるか」という小題があった。

「私たちにとって書物とはいったい何だろうか。現在電子書籍の利用が拡大する中、紙の本は絶滅するかもしれないとも指摘されている。しかし、エーコは私たちが紙の本を読まなくなることはないだろうと言う。

グーテンベルクが活版印刷術を発明し、印刷本の利用が拡大した15世紀半ば以降、羊皮紙の冊子本がなくなったわけではなく、引き続き売り買いの対象となっていた。

これまで新たな実用的なメディアが登場するたびに、習慣的に用いられてきたメディアは変化を強いられながらもそれと併存してきた。絵画は写真によって滅びはせず、写真は映画によって滅ばなかった。

映画はテレビの普及の後も続いている。つまり、選択肢が広がったということなのだ。

エーコは言う。「書物は車輪と同じような発明品です。発明された時点で進化しきってしまっているんです。」「物としての本のバリエーションは機能の点でも構造の点でも、500年前と何ら変わっていません。本はスプーンやハンマー、鋏と同じようなものです。」

アルファベットなど文字の発明も同じである。一度完成してしまったら、それい以上なかなか進化のしようがない。本とはそれに勝るものをもはや想像できないほどの完成された発明品なのだ。

スマホやタブレットの途方もない便利さは言うまでもない。だが、もしも何らかの事態で電気が失われてしまったら・・?

紙の本は昼なら太陽の下で、夜であってもろうそくを灯せば、読むことができる。」

そして、エーコは続ける。(204頁)

「インターネットに対する批評感覚を鍛え、何でもかんでも鵜呑みにしないことを覚える鍛錬が必要だ。つまり、真偽をたしかめられない情報をチェックする方法を学ぶことだ」(204頁)

このブログだって「盲信しないようにね」と言いたいところだが(笑)、個人的な考えを言わせてもらえば「幹」の部分と「枝葉末節」とを大胆に切り分ける感覚が求められると思っている。

つまり、「枝葉末節」に少々のミスや誇張があっても大勢に影響はないんだから、気にしない、気にしない・・。

このところ、やたらに「重箱の隅を突っつく」ような人が多くなった気がする(笑)。



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憎たらしくて、そして、ありがたい存在

2023年07月25日 | オーディオ談義

このところ、例のマイカ・コンデンンサー騒動で「いいな、いいな・・」が続いているが、こういう自己満足に浸るときというのはこれまでの経験からみて危険がいっぱいで「落とし穴」にハマることが多い。

いわば「停滞」という「落とし穴」・・(笑)。

オーディオは自分さえ良ければ、他人がどうこう言おうと耳を貸す必要がない趣味だが、やはり「唯我独尊」だとねえ・・。

で、久しぶりに近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんの率直なご意見をお伺いすることにした。

フルート奏者として日頃から「生の音」に親しまれているので、音質に対する鋭い指摘に舌を巻くことがしばしばである。

「どうです、いい音でしょうが・・」と自慢気な気持ちで聴いていただくときに限って、容赦ない舌鋒のもとに自負心が木っ端微塵に打ち砕かれてしまうので、憎たらしいというか、ありがたいというか・・、ゆめゆめ油断できない存在だ(笑)。

今回もいささか身構えながら「(プリアンプに)マイカコンデンサー取り付け後」の音を聴いてもらった。

登場したスピーカーは次のとおり。



聴いた順番に挙げると、

1 AXIOM80(復刻版) 2 AXIOM80(オリジナル版) 3 PL100(英国:モニターオーディオ) 4 JBL「2ウェイシステム」

実はこれ以外にも、よく聴いているシステムがあって、それは「ウェストミンスター(フルレンジ)+デッカのリボンツィーター」の大型システムで、音質なんか気にせず長時間ゆったりと安心して音楽に浸れるところが気に入っているのだが、明らかにYさん好みではないので端(はな)から除外している。

いわば、これが「本妻」にあたりあとは「妾」のような存在といっていいが、「妻妾同居」は多彩な変化があってとにかく楽しい(笑)。

そして、駆動したアンプは「フルレンジ」あるいは「高音域部分」はYさんのたってのご希望で「6AR6シングル」(三極管接続)を、そして低音域部分は「371Aプッシュプル」をあてがった。



で、スピーカーは最初から先手を打って「AXIOM80」(以下「80」)聴いてもらった。

「復刻版はやや神経質というか響きが足りないように思います。その点、オリジナル版はさすがに響きが豊かです。やっぱり真打ですね。ただし、ユニットを容れてる箱のせいかもしれませんが・・」

たしかに・・、1軒の家に「80」が2セットも要らないよなあ、と復刻版の存在意義に疑問符が灯ったので後日の課題としておこう。

それはひとまず置いといて、敏感な「80」なのでこの際とばかりSPケーブルを「ウェスタン製の単線」「銀製の単線」「LANコード」(東海地方のTさん作成)の3種類を付け替えて比較試聴したところ「LANコードがいちばん自然な響きですね」

次に、聴いていただいたのが「PL100」だ。

フルレンジ主義者のYさんにとって「クロスオーバーが2800ヘルツ」のシステムなんて不倶戴天の仇みたいなものだが、以前聴いていただいた時も散々の酷評だったが、今回は様変わりしたので驚いた。

「凄くいいですね、リボンツィーターの音が映えてます。これはAXIOM80に匹敵する音ですよ! Kというオーディオ評論家がレイ・オーディオの大型システムからPL100に代えたというのも頷けますよ」

これも、ひとえに「マイカコンデンンサーのおかげかな」(笑)。

そして、お帰り際にJBLの「2ウェイシステム」でジャズを聴いていただいたところ、これが想定外の大喜び~。

「スカッとした屈託のない音で、聴いてて楽しくなる音ですね。よくもまあ、175ドライバーをここまで調教しましたね・・、やはり擦る音は別にして叩く音はJBLの独壇場ですね」

計3時間ほどの試聴だったが、この日は万事順調だったので、いやあ、メデタシ、メデタシ・・。

最初から謙虚な姿勢で臨んだのがよかったのかな(笑)。

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「角瓶」と「ジョニ黒」

2023年07月24日 | 独り言

先日、光テレビで日本映画を観ていたら放蕩無頼の作家(役柄)が愛人宅で横着なことを言っていた。

「なんだ、(サントリーの)角瓶しかないのか・・。ジョニ黒ぐらい置いとけよ~」

我が家では毎日ささやかな晩酌を続けているが、愛飲しているのはその角瓶だ(笑)。

昔はもっぱら「マッカラン」だったが、そのうち節約志向がすっかり身について、このありさま・・。

で、その角瓶が何と7月になって大幅な値上がりで2000円近い値段になっている! そして、そのお店では「ジョニ黒」が2500円とずっと据え置きのままで、そのくらいの差なら買ってみようかな・・(笑)。


 で、その味の差といえば「ジョニ黒」は最初飲んだときは「やたらにスモークっぽいな~」だったが、そのうち飲み続けているとだんだん違和感がなくなってきた。

で、どちらのウィスキーが上かとなると、正直言っておいらの「駄舌」では分かりませ~ん(笑)。

しかし、国産ウィスキーも結構いい線を行ってるような気がしますよ~。

だって、海外のウィスキーは関税がかかっているので、日本国内では割高になっているはず、すると角瓶との価格差はあってないようなものだからイメージ的には遜色がないし、肝心の味覚の方だって好き好きだろうから。

で、「角瓶とジョニ黒の差を段階的に考えてみよう」と、無理難題を承知で「チャットGPT」に押し付けてみた。

すると、

「"角瓶"と"ジョニ黒"は、共に日本で広く知られているウィスキーブランドですが、それぞれ異なる特徴と品質を持っています。以下にその違いを段階的に解説します。

1 製造者

"角瓶"はサントリーが製造しているウィスキーで、一方の"ジョニ黒"は正式には"ジョニーウォーカー ブラックラベル"と呼ばれ、ディアジオが製造するスコットランドのウィスキーです。

2 原料

 両者ともにウィスキーですが、"角瓶"は主にコーン(トウモロコシ)を原料とする穀物ウィスキーとモルトウィスキーをブレンドしたもので、それに対して"ジョニ黒"はモルトウィスキーとグレーンウィスキーのブレンドです。そのため、味わいや香りにはそれぞれ特徴があります。

3 熟成期間

"ジョニ黒"は、最少12年以上熟成させたウィスキーのみをブレンドして作られています。一方の"角瓶"の熟成期間は明示されていませんが、通常、様々な熟成期間のウィスキーがブレンドされています。

4 味わい

"ジョニ黒"は深みのある味わいと独特のスモーキーな香りが特徴で、コクと余韻を楽しむことができます。対して"角瓶"は、口当たりが軽やかで、フルーティな味わいとやわらかな香りが特徴的です。

5 価格

一般的に、"ジョニ黒"は"角瓶"よりも価格が高く、高級感があります。ですので、"ジョニ黒"はギフトや特別な日のお祝いなどによく選ばれます。

以上のように、"角瓶"と"ジョニ黒"は製造者から始まり、原料、熟成期間、味わい、価格まで多くの面で違いがあります。それぞれの特徴を理解し、あなた自身の好みや用途に合わせて選ぶことが大切です。」



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和気あいあいの演奏から「いい音楽」は生まれない

2023年07月23日 | 音楽談義

このところ、MLB「大谷選手」についての報道が喧(かまびす)しい。トレード期限(8月1日)が迫る中で、シーズン後の本人の「FA」も絡んだ話なのでメチャややっこしい話になっている。

そもそも「エンゼルス」の成績が良くてプレーオフの進出が濃厚であればこんな騒ぎは起こらないのにね。

エンゼルスの監督がこう言っている。「みんな和気あいあいと楽しそうに野球をやっているので成績もきっと上向きになるはずと信じている」

え~っ、ちょっとおかしいんじゃないかな。

大谷選手が入団してから今年で6年目になるので、ずっと注視してきたが「このチームの体質は甘い」という感じがしてしかたがない。

野球で勝つためには「投手力、守備力、打撃力」のバランスが必要だが、このチームはあまり当てにならない「打撃力」ばかりを重視して高額の契約金で選手を引っ張ってくる。

もっと、投手力と守備力を重視すべきなのに・・。

そして、チームに「緊張感と厳しさ」が足りないためかエラーがメチャ多い・・、そういうことにまだ気が付かないのか!

とまあ、日本の片隅で部外者がどう喚こうと効き目はないけどね(笑)。

という導入部のもとに、「和気あいあいの演奏からいい音楽は生まれない」といこう。

このブログはオーディオ関係の記事が半分以上を占めているが、
正直言って「オーディオ・マニア」と言われるよりも「音楽愛好家」と言われる方がうれしい。

女性が「仕事ができると言われるよりも、可愛いと言われたほうがうれしい」のと同じかな(笑)。

そういえば、これまでたくさんのオーディオ愛好家とすれ違ってきたが長続きしている人は「心から音楽が好き」という人が多かった。

このブログでいつも小難しい理屈を振り回しているようだがシンプルに言えば、ただただ「好きな音楽」を「好きな音」で聴きたいというだけのことである。

というわけで、今回は音楽ネタということで・・。

いつぞやのブログで、独裁者のようだった指揮者トスカニーニを引き合いに「指揮者とオーケストラの関係が和気あいあいの雰囲気ではいい音楽は生まれない」なんて生意気なことを書いたものの、所詮は音楽現場に疎いズブの素人の「たわ言」と受け止められても仕方がない。

そこでオーケストラの一員それもコンサート・マスターとして第一線でバリバリ活躍している方に応援してもらうことにしよう。

語るのは矢部達哉氏(1968年~ )。

90年に22歳の若さで東京都交響楽団のソロコンンサートマスターに就任して大きな話題を集めた現役のヴァイオリニストである。97年NHK連続テレビ小説「あぐり」のあの美しいテーマ音楽を演奏した方といえば思い出す人もあるかもしれない。

 

この本の第4章「指揮者はオーケストラを超えていたら勝ち」に対談形式で述べられていた内容である。

 指揮者とオーケストラが仲良し友だちみたいだと奇跡的な名演は生まれにくいのですか?

生まれにくいと思う。結果的には練習のときに僕が指揮者から怒鳴られて嫌な気持ちはしたけど、その演奏会を思い出すと幸せなんです。

その指揮者をものすごく尊敬するし、尊敬の気持ちって一生消えない。仲良く和気あいあいとやった場合に、芸術的な深みのある演奏をした記憶がないんです、残念ながら。

ものすごくいい演奏ができるのは一年に一度か、運がいいと二度、三度かもしれない、そういうときはある種のストレスとか、負荷がかかって舞台にいるんです。

すごい緊張かもしれないし、このメロディを綺麗に吹くことができるかどうかっていう瀬戸際かもしれない、そういうことを感じながらみんなが次々にクリアすることが積み重なって奇跡が起こることがある。


ある意味で、そういうストレスとか負荷を与えてくれる指揮者でないと、名演はできない。みんながご機嫌で全然ストレスがなくて、いい指揮者だな、この人はなにか居心地がいいよなっていうときはそこそこしか、いかないです。

だから、今まで僕が経験した、素晴らしかった演奏というのはいい意味でのストレスは沢山ありましたよ。指揮者からの音楽的な要求が高くて、自分やオーケストラがそこまで行かれるかどうかを考えているときは精神的にプレッシャーがかかるけど、それを乗り越えたときにいい演奏ができる。

☆ コンサートマスターにとって、指揮者とはどのような存在なのですか?

指揮者って本当にミステリー。指揮者がいなくても演奏はできるがレベルをもっと高いところまで持っていくためには、やっぱり指揮者は絶対に必要。

レベルの高いオーケストラには、音楽に対する確固たる信念と個性を持った一流の器楽奏者が沢山集まっています。だから、指揮者はオーケストラの存在を超えているんじゃないかと思わせる人が勝ちなんです。

それはおそらく勉強とか経験とか、耳がいいとかスコアがよく読めるとか、そんなことではダメかもしれない、というのが僕の意見。

「生まれたときからそういう資質がある人じゃないと指揮者にはなれない」と、ある人が言っていますが、指揮者になれないのになっちゃっている人が意外に多いんです。「この指揮者は本物だ」と思える人はひと握り。

本物の指揮者だったら、音楽を離れたときにどんな人なんかあまり気にしない。音楽がものすごく出来て、しかも人間的にもバランスが取れている指揮者なんて、ほとんど聞いたことないです。

本物の指揮者は人並み外れているっていうのが僕の考え。そういう能力があって我々やお客さんに喜びとか幸せを与えられる指揮者なら意地悪だろうとお金に汚い人だろうとかまわないんです。

以上、関連箇所の抜粋だが、随分と歯切れのいい発言でこれが指揮者に対するオーケストラ側のおよその見解とみてもいいかもですね。

ところで、以上の話は「演奏」という言葉を「仕事」に置き換えると音楽の世界だけではなく私たちが一般的に働いている職場にも通じるような話になる。

たとえば「なあなあの仲良しクラブみたいな職場ではいい仕事が出来ない」とは在職中にもよく聞かされた話だが、ともすれば穏やかな方向へ流されがちだった我が身にとってはいささか耳の痛い話である。

組織の世界では単なる「いい人」では済まされないことが多い。

「厳しい上司と忠実な部下」という構図が当たり前のように求められるが、ストレスを受ける部下にしてみれば迷惑千万な話で「居ないのが一番いい上司」と言われる所以だろう。

「あいつは悪(ワル)だ」とレッテルを張られることはひとつの勲章といってもいいが、そこはそれ本人の人徳とも微妙に絡んできて「いい人」と「ワル」との兼ね合いがなかなか難しい。

結局のところ、最後の決め手となるのは「組織への忠誠心」と「人間的な誠実さ」にあるような気がするが、その辺が才能が優先する音楽芸術の世界と大きくかけ離れているところですかね・・。

いずれにしても現役を引退した身分だから、すっかり気楽で勝手気ままの言いたい放題です(笑)。


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偶然に左右される人生

2023年07月22日 | ウマさん便り

「届きました、感謝!」の言葉とともに、次の画像が添付されていた。



先日、投稿した「読書コーナー」で採り上げた「先生!」に、いたく共感されて、わざわざ本書を日本から取り寄せられた「南スコットランド」在住の「ウマさん」からだった。

(記事の内容を、ひいてはブログ主を)信用していただいて「ありがとうございます」。

本の代金と日本からの送料を合わせると・・、懐の傷み具合をお察しします(笑)。

そして、次のメールでは・・。

「池上彰編「先生」の前書きに、かなり考え込んでしまいました。
先生って、人の人生を左右するかも知れない存在なんですよね。

僕は中学一年の一番最初の英語の授業で新任の先生と一悶着あり、その後、その先生の授業をほとんど一学期中ボイコットしてしまった。最初の英語の成績はもちろん零点です。今、なんでスコットランドにいるんやろ?

後年、奈良芸術短期大学で、臨時の講師をしたことがあります。秘書学概論という全然面白くない教科だったせいか、女子学生たち、階段教室で寝てましたね。

その短大は、四国や九州など西日本の、割とええとこのお嬢さんが多かったせいか、机の上にはルイ・ヴィトンがかなりありました。

で、「皆さん、テキストをしまってください。今日は、ルイ・ヴィトン少年の話をします」

そしたら、あんた、一斉に起き出すではありませんか。「この先生、なんなの?」ってな感じでしたね。

「家が貧しかったルイ・ヴィトン少年は、14歳の時、パリに奉公に行けと親に言われ、ノルマンディから歩いてパリに向かったんです。途中、お腹が空いてフラフラ…行き倒れになっちゃった。

ちょうど、倒れたところの家から出てきたおっちゃんに助けられ、馬具を作っているその家のお手伝いをすることになった。つまり、その家で、革を扱うことが、今日のルイ・ヴィトンの始まりとなったんです」…女子学生諸君、まあ、実に熱心に聴いてくれましたね。


大阪へ帰る近鉄電車には、今、授業に出ていた女子学生が3名ほどいました。彼女たちが「先生!阿倍野で、一杯やりません?」「よっしゃよっしゃ」…いとも簡単にお誘いに乗っちゃってさあ、彼女たちと阿倍野の「明治屋」へ…

はじめ「先生!」「先生!」と呼べれてたんやけど、そのうち「セ〜ンセ!」「セ〜ンセ!」になっちゃった(ような気がする)。

この「セ〜ンセ!」のあとには、カッコの中に点々が付く…「セ〜ンセ!(………)」
この点々は何か?と言うと…「セ〜ンセ!(このスケベ…)」

思わず、アハハと笑ってしまいました。

それにしても世界に冠たる「ルイ・ヴィトン」の始まりってそういうことでしたか・・。

人生というのは偶然に左右されることが結構ありますね。

「伴侶の選択」に至るいきさつなんか最たるものでしょう。

「あの日、あの時、あの場所で」の偶発性が痛切に偲ばれます。

おっと、「痛切」という言葉は拙いかなあ・・(笑)。

最後に久しぶりに「チャットGPT」の出番です。

「人生は偶然に左右されるのか、段階的に考えてみよう」と打ち込んでみたら、次のような回答が返ってきた。

以下のようなステップが考えられます。

1 遺伝的要因

人生の最初の要素として、私たちは遺伝子によって特定の身体的特徴や性格傾向を受け継ぎます。これは偶然の産物であり、自分で選ぶことはできません。遺伝的な要因は、将来の健康や感情への影響を持つことがあります。

2 出生地や家族環境

誕生する場所や家族環境もまた、偶然によって左右されます。親や周囲の環境によって、教育、価値観、文化的な影響を受けることになります。これらの要素は、将来の選択肢や機会に影響を与えるかもしれません。

3 教育と経験

偶然の要素として、私たちは学校や社会での経験を通じてさまざまな知識やスキルを身につけます。教育の質や偶然の出会いによって、将来のキャリアや人生の方向性が変わることがあります。

4 社会的要因

社会的な要因も偶然の要素となります。社会の価値観、文化、経済状況、政治状況などは、個人の人生に大きな影響を与える可能性があります。特定の時点での社会的な潮流によって、個人の成功や失敗が左右されることがあります。

5 偶発的な出来事

人生には、偶然の出来事がつきものです。偶然の出会い、災害、健康問題、経済的な変動など、予測できない出来事があります。これらの出来事は、人生の転機となることがあります。

6 選択と決定

偶然の要素は存在しますが、人生には自分で選択することができる側面もあります。選択と決定は、偶然にさらされる状況に対して、どう対処するか、自分の人生をどう方向づけるかに大きな影響を与えます。

このように、人生は偶然と選択の相互作用によって形成されます。偶然の要素は避けることができない一方で、自分の選択によって未来を形作ることもできるのです。柔軟性を持ち、自分の選択をよく考えることで、偶然に対処し、自分らしい人生を歩んでいくことが重要です。



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「色気のある音」を求めて

2023年07月21日 | オーディオ談義

ブログを創るときにいつも「タイトル」をどうしようかと思い悩むが、今回は「失われた時を求めて」(プルースト)をもじって、「色気のある音を求めて」。

文学的な香りは皆無ですけどね~(笑)。

さて、おそらく前々回のオーディオ記事「突然やってきたバラ色の日々」の内容に「半信半疑」の人が多いのではないかと推察している。

「プリアンプに使っているコンデンサーをマイカ(雲母)に代えたくらいでそんなに変わるんかいな? だいたいこの人の記事はいつもオーバー気味だし眉唾物なんだよな~!」

アハハ、当然の反応です
。人間はそのくらい懐疑的な見方をする方が正常だと思いますよ(笑)。

ところが・・、それがほんとうの話なんですよねえ。もちろん自分の感覚の範囲内での話ですけどね。

改めてシステムにおけるプリアンプの威力を思い知ったわけだが、そういえば、空前絶後の名器とされるプリアンプ「マランツ7」のオリジナルに近い完動品が今でも200万円近い価格で取引されているのも「むべなるかな」~。

で、これまで使っていたコンデンンサーは某有名ブランドの「フィルム・コンデンサー」でペアで2万円の代物だから一応「高級」ランクに属すると思う。

で、マイカに代えてからの音の違いといえば比較試聴して初めて分かったが、主に高音域に顕著な違いが見られて、前者の場合は解像力に不足はないもののやや人工的な響きで素っ気ない印象を受ける・・、で、マイカの場合はしっとりと潤いを帯びつつ、独特の光沢というか艶があってそこはかとない「色気」が漂ってくる。

それはもう年甲斐もなく「振るいつきたくなる」ほどのレベル~(笑)。

結局、50年以上オーディオに打ち込んできたが、気に入った音質の落ち着く先といえば、人間の情感に切々と訴えかけてくる「色気の有無」になるんじゃないかな~


「色気」という俗な言葉をあまり使いたくないのだが、どうも適当な言葉が思い浮かばない・・、許してね(笑)。

さて、こういう変化を目(ま)の当たりにすると、ず~っと出番のないスピーカーについ「食指」が動く。


英国の名門「モニター・オーディオ」が誇る「プラチナム・シリーズ」に属する「PLー100」の登場です。

お値段を持ち出すのはけっして本意ではないが(笑)、発売当時の定価は「50万円」で、それを3年ほど前にオークションで手に入れたものだが落札価格はヒ・ミ・ツ。

このブログは「オヤジの無事の便り」として、娘が読んでいる可能性が高いので母親に注進されると、ちょっと拙い(笑)。

しかも、たまたま今日(21日)から娘と落ち合って「宝塚観劇」(二泊三日)に行く予定だからまことにタイミングが悪い。

で、このSPはクロスオーバーが「2800」ヘルツで、画像でお分かりの通り「リボン型」(2800ヘルツ以上)となっている。

「リボン型」の音は大好きで、デッカの「リボン・ツィーター」を溺愛していることもあってすぐに飛び付いたというわけだが、実際に聴いてみると、最高音域への伸びとか透明感ににちょっと不満を感じて、なかなか出番がなく「髀肉之嘆」(ひにくのたん)をかこっていたが、そのうち環境が変われば本領を発揮するはずと、ず~っと辛抱強く待っていた。

オーディオは機が熟するのをじっと待つ忍耐力が必要ですぞと、偉そうに言いたいところだが、「小ぶり」なので置き場所に困らなかったことがいちばん大きい(笑)。

さあ、プリアンプの高音域が様変わりしたので、「PL-100」も生まれ変わるかもしれないという期待と不安でワクワク、ドキドキ~。

ただし、この近代的なSPは高出力の「TRアンプ」による駆動を想定しているみたいで能率は「88db」と低い・・、で、かなりパワーのある真空管アンプが必要だ。

そこで、いろいろ試行錯誤をした挙句、最終的には次のとおりとなった。

以下、いささかくどくて専門的かもしれないが・・。

DAC「Aー22」(GUSTARD)から、2系統の音を出す。(RCA端子とバランス端子を利用)

<2800ヘルツ以下>(バランス端子)

プリアンプ(マランツ7型) → パワーアンプ「6AR6シングル」(三極管接続)



前段管はこれまで補助アダプターを使ってミニチュア管を挿していたが、今回は明らかにオリジナル仕様の「6SL7=ECC35=CV569」(STC:左端)がいちばんよかった。

<2800ヘルツ以上>(RCA端子)

プリアンプ「マイカ内蔵型」 → 「6A3シングル」


先日の試聴会で使った「175ドライバー」(JBL)ですっかり味を占めたので再び「6A3」の出番。

そして、この組み合わせで筆舌に尽くしがたいサウンドが生まれた!

こんな小さなユニットからこんな低音が出るのかと驚くほどの豊かな響きが迸り出て、もちろん、サブウーファーなんかお呼びではない!

そして、肝心の2800ヘルツ以上が素晴らしかった。ヴァイオリンを始め、管楽器やボーカルの生々しさに度肝を抜かれた。

小型SPならではの音像定位のシャープさは言うに及ばずで、これだからオーディオは止められない!

これは我が家でいちばん「バランスの取れた音」かもしれないなあ・・。

自画自賛が果てしなく続きそうなので、この辺で打ち切った方が良さそうだね(笑)。



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この世はすべて「上には上がある」

2023年07月20日 | 独り言

この世で物事にはすべて「上には上がある」ということを、歳をとればとるほど肌身に沁みてわかってくる。

オーディオだって我が家よりも「いい音」を出しているご家庭はごまんとあるに違いない(笑)。

そして、生きていくうえで大切な「知能=頭脳」だって、ピン(最上等)からキリ(最下等)まであるのはご存じのとおりですよね。

もちろん、これは人間の価値とは別の話だから誤解なきように~。

で、今回は「ピン」を取り上げてみよう。


小さい頃から神童と謳われ、日本の学歴社会のトップを極める東大法学部を首席で卒業(履修科目が全優クラス)、国家公務員試験を1番で突破、在学中に司法試験を1番で合格、これを「三冠王」と称するそうだが、これに該当したり、準ずる連中が政府の「財務省」にはゴロゴロしているそうな。

「こんなに頭のいい連中が考え抜いた政策なら、どんな結果になっても仕方ないよなあ~」という気にいつの間にかさせられてしまう。もちろん自分だけかもしれないが(笑)。

さて、ここまでが導入部なのだが、こういうハイレベルの連中ばかりが集結した「旧大蔵省」の出世競争とは一体どういうものだったんだろうか?

20人前後が一斉に入省し、段々とふるいにかけられ最後に事務次官という究極のポストに至る過程でどういう風に優劣の差がついてくるものだろうか?

すべてハイレベルの連中だから「頭の良し悪し」はもちろん「決め手」にならない。

あとは「運」と「人間的な魅力」などが微妙に交錯して出世にどの程度反映されるのか、はたまた入省時の成績の順番がどのくらい影響するのか。

このテーマに実際の事例をもとに正面からアプローチした本〔文藝春秋刊)がある。

                 
 

著者「岸 宣仁」氏は以前、読売新聞の記者で経済担当をしていて、記者たちをとかく敬遠して口が堅い大蔵官僚から何とか情報を引き出すために必死で努力された方。

「省内人事」の話を持ち出すと
「あれほどぶっきらぼうだった官僚たちがにわかに身を乗り出すようにして会話に乗ってくる」ということから、
必然的に(官僚たちと仲良くなるために)どうしても人事情報に精通しなければならなかったそうだ。

「役人は出世と人事ばかりに興味を持っていて”けしからん”、もっと世のため人のためになることばかりを考えろ」
と思う方はまあ世間知らずの狭量な方だろう。

「金儲けがイヤで国のグランドデザインを描くために大蔵省に入った」といった高尚な気概がほとばしり出る官僚たち・・、「出世と人事」はエネルギーの根源であり人間の本性に根ざす不変のテーマだと理解してやる寛容さが必要。

ほら、ずっと以前に歴代総理の指南役だった安岡正篤〔故人)氏の「エネルギーがなければ善も悪もない」という言葉があるでしょう~。

さて、本書の中で具体的に挙げられたいくつかの次官競争の実例から「勝者の決め手」となった事柄を導き出すのは実に多種多様で至難の業だが、概ね共通項というか、印象に残った内容を箇条書きで記してみた。

 どこかにハンドルの遊びがあるような人間のほうがトップの器として相応しい。たとえば、どんなに忙しいときでも趣味を見つけて”ゆとり”を大切にしたり、相手を最後の最後まで追い込まないような人物。

 若い頃はキラキラ輝いていたのに、上に行くほど守りに入って光を失うタイプと、逆にポストや年齢を積み重ねるごとに光を増し、いぶし銀のような輝きを放つタイプの二つがある。

「センスと、バランス感覚と、度胸」が揃った人物。

「センス」の良さはあらゆる人物評価の根本にある基準となる。

「バランス感覚」とは足して二で割る手法ではなく全体の均衡点、釣り合う部分を見極める能力。加えて人を見る目の公平無私さも必要。

最後に「度胸」
とは「胆力」のこと。線の細い秀才が大半を占める大蔵省にあって、この部分が他に差をつける最後の切り札。度量の大きさや懐の深さに通じるもの。

「入省成績と出世」について、実例として挙げられているのが前述した三冠王に加えて外交官試験がトップと空前絶後の四冠王だった「角谷」氏と入省時の成績が二番だった「尾崎」氏の次官争い。

結局、尾崎氏が「人望」が決め手となって勝者となった。最終的に「情」が「理」に優った例として、以後「公務員試験1番は次官になれない」と語り継がれ、次官レースのひとつのジンクスとされている。

そのほか「ノンキャリアを使いこなせる人材」など枚挙にいとまがないが長くなるので省略。

で、「ハンドルの遊び」があるような人間は官僚だけの世界ではなく、一般社会でも通用しそうな印象を受けますね。

ちなみに自分は「ハンドルの遊び」が多すぎてダメなタイプでした(笑)。

最後に、現在のような「財政破綻の責任」について次官だった武藤氏の(本書の中の)言葉が印象的だった。

「我々が本当に強かったら、日本の財政なんてこんなふうになっていませんよ。国、地方合わせての膨大な借金なんてね。要するに大蔵省主計局は常に敗戦、敗北の歴史です。僕に言わせれば、政治と闘って勝ったためしはないんじゃないの、正直な話・・・」

さて、どうなんでしょう・・、額面通りに受け取っていいのかなあ。



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長かった梅雨の思い出

2023年07月19日 | 独り言

今年(2023年)の梅雨は異例ともいえるほど早く始まった(5月下旬)ので、殊更長く感じたがようやく開けたようで、ひと安心。(まだ「梅雨明け宣言」はないが・・)

とはいえ、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

さて、今年の梅雨の思い出といえば・・、

1 中型犬の迷い込み

10日ほど前のこと、梅雨末期の大雨が九州地方を襲った。一晩中、稲光が走り、雷鳴がゴロゴロ・ドカ~ンと響き渡ってまことにうるさかった。

そして、あいにくその日に限って車庫のシャッターが故障し半分程度しか閉まらなかったのがこの出来事の重要な伏線となった。

いつものように、早朝5時ごろのことだったがブログを創っていたところ家人が慌てて駆け寄ってきた。

「ゴミを捨てようと裏口のドアを開けたら大きな犬がいるわ・・」

「え~っ・・」どれどれと、ドアを少し開けて覗いてみると、つぶらな瞳をしたかなり大きな犬が申し訳なさそうにこちらを見ている。



ネットからの画像ですが、これとよく似た犬でした。

「これは人懐っこいから飼い犬だな・・、おそらく雷に驚いて逃げ出したんだろう。心当たりがないし、どうしようもないな。このまま出ていくのを見守るしか仕方がないだろう」

しばらくすると、雨がしとしと降りそぼる中で道路に出て徘徊しだした。

可哀そうだな、と思うけど手の施しようがない。

その日の夕方、ウォーキング中に出会った知り合いに訊ねてみると「どなたか通報したみたいですよ。パトカーが出動して犬を誘導してました。飼い主が無時見つかるといいんですが・・」

そして、翌日のこと、家人の友達の話として「飼い主が見つかりました」とのことで、ひと安心。

結局、歩いて50mほどの近所の犬だったが、日頃からこまめに犬の散歩をされている方なら、見覚えがあるので「いの一番」に通報してあげたのにね。

犬を飼われている皆様、雷鳴に驚いて逃げ出さないようにしっかりガードしましょうね。そして犬のお散歩もお忘れなく・・。

2 素敵な音楽ですねえ

1週間ほど前のこと、早朝のウォーキングから帰ってきた家人がこう宣うた。

「顔見知りの方が、我が家の前を通るときにいつも素敵な音楽が鳴っているので楽しみと言ってたわよ」

「ほう、そうか・・、それならもっと大きな音で聴いてもいいかもな~」

梅雨の時期はエアコンに頼るまいと一日中窓を開け放していて、音楽もボリュームを出来るだけ絞って秘めやかに聴いているが、こういう話を聴くと非常に心強い。

少しは社会のお役に立っているのかな(笑)。

で、いつも聴いている音楽はクラシックだが、パソコンで「モーツァルト専門チャンネル」をはじめ、ブルーレイで「ヴァイオリン協奏曲」(モーツァルト)を聴くことが多い。



「ムター」のヴァイオリンで「1~3番」まで、そして「3~5番」を「グリュミオー」で聴くが、これらのヴァイオリン協奏曲は「ながら聴き」にはもってこいのソースである。

なぜかといえば、ケッヘル番号が200番台初期ということは20代の前半に作曲されたものなので、後期の作品のように内省的なところがなくただただ美しさを愛でておればそれで済むから~。

最後に・・。このところ日中の温度が35度くらいになりましたので、さすがに午後になるとエアコンが活躍しています(笑)。

3 黒ニンニクの作成

梅雨とはあまり関係ないが、ちょうど古くなった炊飯窯で黒ニンニクを作り始めたのが梅雨が始まった5月下旬のことだった。

きっかけは、「がん予防にはニンニクがいちばん」という記事を見たからだった。こういう健康情報にはすぐに飛びつくもののいつも「三日坊主」に終わるのが常だが今回は比較的長く続いている。



火事が心配なので火の気がなく雨で濡れないところに中古の「炊飯窯」を置き、厚めの新聞紙にニンニクをくるんでず~っと保温状態に~。

そして1日に1回ほどひっくり返して10日ほどすると出来上がり。



生のニンニクは胃を痛めるが、黒ニンニクだとそういうことはなく毎食後1かけらのペースで食べている。

で、肝心の効能だが・・。

実は、恥ずかしい話だがこのところ「湿疹(かぶれ)」が背中や腕の裏側に数か所出来て、ウォーキングを終えてから汗などの刺激によってかゆくてたまらなかった。

医者(皮膚科)に行っても「塗り薬」をくれるだけで根本的な治療は無理。

で、かぶれの原因をネットなどで調べてみると、かなり複雑なメカニズムのようで、大いに「免疫系」が関係している模様。

ところが・・。

黒ニンニクを食べだしてから3週間ほどすると見事に治ったんですよねえ。まだ皮膚に褐色痕は残っているが、いっさい痒くならないのだからこれはうれしい悲鳴。

で、治った原因で思い当たる節といえば「黒ニンニク」の効能ぐらいしか浮かばない。

個人差はあるだろうが、皮膚病で悩んでいる方は「黒ニンニク」は試してみる価値ありだと思いますよ。

なお、市販の「黒ニンニク」はメチャ高いです。生ニンニクの3倍くらいしますから、自宅で作るのがいちばんでしょう。

また、生ニンニクは地元産にこだわって、毎週一回クルマで40分ほどのところに買いに行ってます。

それにしても、「音楽&オーディオ」をはじめ、図書館通いや読書、そして健康対策など毎日「目が回る」ほど忙しい。

時間が2倍あるといいんだけどなあ(笑)。


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突然やってきた「バラ色の日々」

2023年07月18日 | オーディオ談義

前々回の「245シングルアンプの登場」の続きです。

遠路お見えになったYAさんにいろんなスピーカーを試聴してもらったところ、結局、お気に入りのスピーカーはシンプルな構成のJBL「2ウェイシステム」に落ち着いた。

英国のスピーカーがひしめく我が家では唯一の亜流といっていいが、こればかりは好き好きなので「是非もなし」。



いわば、翳りを帯びた英国系のサウンドを溺愛する人間と、アメリカ系の屈託のないサウンドを愛好する人間との越えがたい溝を感じたといえばそれまでの話だが(笑)、たしかに我が家のJBLシステムはかなりいい線を行っているように思いますよ~、自画自賛だけどね・・。

で、このシステムの概要について、

低音域は「D123」(口径30cm)を「700ヘルツ」でハイカット、中高音域は「175ドライバー」を「2000ヘルツ」でローカットしている。

で、YAさんが持参された「245シングルアンプ」で「175ドライバー」を鳴らし、「D123」は我が家の「EL34プッシュプルアンプ」をあてがった。

すると「245」と「175」の相性が抜群で、まるで澄み切った青空のような見事なサウンドが出現した。

「175の魅力全開です、こんな音が出たのは初めてです!これならもうツィーターは要りませんよ、245とはとても相性が良さそうですね」と、思わず上ずった声を上げた。

一時期、「175」に高域不足を感じて「075」(ツィーター)を加えたことがあったが、こうなるとまったく悪夢のような出来事だった。

「ツイーターが必要だと思うときはそれは音の透明度が足りないからだ」と、ずっと昔のこと、あるベテランから聞いた言葉が実感となって湧き上がってくる。

そして、ふと我に返って、この「245」に太刀打ちできるアンプといえば、我が家では「WE300Bシングル」ぐらいしかないよなあ・・。



さっそくYAさんにお断りして、「245」から「WE300Bアンプ」に交換して耳を澄ましたところ、悪くはないんだけど「245」に比べてスピード感が少し落ちる感じがした。

そこで「WE300B」を「6A3」と交換した。この両球は通常互換性がないのだが、我が家のアンプに限っては定格が許容範囲に収まっているとのこと。

「6A3」といってもピンからキリまであるが、現在の手持ちは初期版の「刻印」付きのもの・・。

そしたら、即座にYAさんから思いがけなく絶賛の言葉が放たれた「ウ~ン、これがベストですよ!


自分も「はやる気持ち」を抑えて、ぐっと控えめに(笑)「どうやら245と遜色ないようですね」

フルレンジを鳴らすときは「WE300B」を、中高音域だけを鳴らすときは「6A3」という棲み分けが必要のようだ。

それからは、ジャズを聴きながら「まったり心」で「四方山話」へと移ったが、何かのついでに「プリアンプのコンデンンサーをマイカコンデンサーに変えたら音が見事にグレードアップしましたよ」とYAさんから情報提供があった。

「エッ、我が家にもマイカコンデンサーがありますよ。よろしかったらここで付け替えてくれませんか。試してみる価値がありそうです・・」



何しろ、YAさんから作っていただいた「プリアンプ」だから話は早い。定格数値もほぼ許容範囲だし、比較的大柄なマイカを収めるスペースもたっぷりあるのでさっそく、交換作業へ。

半田ごて、配線材そしてニッパー・・、と道具立ては揃っているのだが、いきなりの話なので「ためらい気味」だったYAさんだが、執拗な申し入れを仕方なく聞いてもらった感じかな~(笑)。

およそ30分ほどかかっただろうか。



これが裏側から見た交換後のプリアンプ。左の真空管は「整流管」の「EZ-81」(英国:エジソンマツダ)。

そして、肝心の音だけど、これがまあ・・、期待した以上の仕上がりでまったく非の打ち所がない。とりわけ、音響空間の中で楽器の余韻がまとわりつくように漂い、ス~ッと消えていく様が見事だった。

YAさんも自ずから感嘆しきりで、真空管オーディオにおける「コンデンンサーの重要性」をつくづく思い知らされた。

そして・・、

本日(18日)の時点で交換してからまる5日経ったわけだが、まるで夢のような「バラ色の日々」が続いている。

プリアンプが変われば、それに応じて相性のいいパワーアンプが変わる、するとスピーカーまで生き返ってくる・・、まるでドミノ倒しのように我が家のオーディオはドラスティックな変化を遂げたのだからまったく「一寸先は闇」ですね。

たった1ペアの「マイカ・コンデンンサー」の持つ破壊力に慄(おのの)くばかりだが、その変化の内容についてはこれから、おいおいと明らかにしていこう。

このところ心が弾んでどうしようもない、まったく年甲斐もなく・・(笑)。



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脳の闇~読書コーナー~

2023年07月17日 | 読書コーナー

脳科学者の「中野信子」さんは、テレビ番組の「英雄たちの選択」(NHK BS)をはじめ、ちょくちょく拝見しているが著作も多いようだ。



46頁に「迷わない人は信用できない」という、自分のような凡夫には心強い言葉があった。

「人間は社会的な存在である以上、もちろん一人で生きていくわけにはいかない。どんなに孤立して自給自足をしていても、何らかの形で同種の個体の他者とコンタクトをとらざるを得ない。

新生児が自立して生きていくことのできない生物種である。成長も極めて遅く自立して次世代を作るようになるまでには十何年もかかってしまう。

人間として生まれた時点で同種の誰かに頼らざるを得ない、そういう状況に追い込まれている。そしてその都度、他者に合わせて生きる必要がある。

にもかかわらず、他者に合わせて生きざるを得ないことや、自分ではない誰かの基準で自分の人生を生きるような振る舞いを殊更に攻撃して軽蔑するような風潮があるのは不思議だ。

たとえば、いいね!を求めることをクズだと無批判に言い捨てる言説はそう珍しいとはいえない。面白いくらいに「自分の意思を貫け!」「創造性を鍛え、他人と違うことに挑戦せよ!」「リスクを取れ!」という煽り文句が次から次へと出てきて、ものすごいスピードで消費されていくのを目にする。

人間は、迷い、戸惑い、誰かに合わせ、人の言葉を聞かなければ選択も決断もできない。そういう生き物だ。

もしそうでない人がいたとしたら、その人の脳は普通ではない。迷いも戸惑いもせず、誰に合わせることもせず(ブレない、などと称賛されることが多いだろう)、人の言葉を聞かず、決断力があり、我が道を行く「迷わない人」がいたら、真っ先に私はその人のことを疑う。

その人のことを仮に「信用できない人間」フォルダにこっそり分類して観察しようとするだろう。そうしてある程度の期間、様子を見ながら、その人がほんとうに人の言葉を聞かず、合わせることを厭い、迷いも戸惑いも感じない人なのか、それともそう見せかけておくことで大衆の称賛を得ようと媚びているだけの人なのかを探るだろう。

残念ながら、多くの「迷う人」は「迷わない人」のことがとても好きだ。「迷う人」は自身に戸惑いや迷いが生じることを恥じていて、できれば「迷わない人」になりたいと願う。

「迷わない人」に憧れ、その振る舞いを一時的に真似ようとしたりする。たいていの物事を遠目で見てしまう私からすれば、もったいないな、と思わないでもない。ほんとうは、迷うことの方がずっと高度で、美しい機能なのに。

ブログ主:音楽やオーディオでしょっちゅう選択を迷っているので、これは非常に心強いコメントですね(笑)。

もう一つ、48頁には「ブランドと権威を認知する脳の働き」というのがあった。

「ペプシ・チャレンジ」という有名な実験がある。まず、ペプシとコカコーラをラベルを見せずに中身だけ被験者に飲んでもらい、どちらが好きか選ばせる。

ラベルを見せずに飲ませると、ペプシを選ぶ人が多かったという。一方で、ブランド名がわかる状態で被験者にそれらを飲ませると、コカ・コーラを選ぶ人の方が多かったという。

これは興味深い結果だろう。味の好みとブランドの好みは必ずしも一致するわけではないのである。

この研究は一言でいえばブランドの力が脳に与える影響を調べたものである。

すると(長くなるので部分的に要約すれば)脳機能領域の一部の働きにより「脳はブランドと味とを別々に処理している」ことが確認された。

ブランドやラベルや第三者のお墨付きなど、外部の権威を表す何かによって自分の判断が左右されてしまうことを人間はなぜか恥ずかしいことだと感じるようだ。

恥ずかしいどころか醜い振舞であり、一部には唾棄すべき性質と断言する人すらいるようでもある。

しかし、前述の実験からはブランドや権威を認知し、これによって選好が変わることは重要な脳の働きの一つだということが示唆されたことになる。

ブランドを認知して活性化する「腹内側前頭前皮質」(vmPFC)は「社会脳」と俗に呼ばれる領域の一部である。いわば社会の空気を読んだり、相手の思いを察したりするような機能を担う場所である。

この機能が正常に働いているとき、私たちは誰かの思いを無意識に察し、自分の好みすら蓋をして、考えを曲げ、ブレて、迷う。

これほど精密なことを生理的にやってのけているというのに、その高度な機能を「内省」して「恥じる」のである。

そもそも生まれながらに矛盾を抱えるよう仕組まれているとは、実に面白い設計ではないか。

誰かがブレる様子を目(ま)の当たりにするとき、なんと精妙な器官/機関が働いていることだろうかと、むしろ感動すら覚えてしまうこともしばしばである。

ブログ主:いやあ、興味深いですねえ。

オーディオでは「ブランド」と「投資額」の二つが「脳の闇」になっています


たとえば、「有名ブランドだから悪い音が出るはずがない」「高価だからきっといい音が出るはず」等々・・。

心あるオーディオ愛好家の間では、これらは「自分で音質を判断できない輩」として軽蔑の対象になっているが、一概にそうも言ってられないようですよ(笑)。



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