タイトルについて一言・・。
明日からもう10月というのに一向に涼しくならないので、まだ体感的には「晩夏」といってもいいだろう。
「対決」という言葉は穏やかではないが、オーディオ愛好家同士の「聴き比べ」というものは、「さあ、どうだ・・、すっかり手の内を見せたんだから率直な感想を聞かせてくれ!」と、まあ心理的に「対決」に近いものがありますな(笑)。
その「対決」に至る経緯を振り返ってみよう。
「別府に行く用事が出来ましたので、よろしかったら聴かせてください」と、県央(別府からクルマで1時間ほど)にお住いの「YA」さんからご連絡があったのは28日(木)の午前中のことだった。
たしか3か月ぶりくらいかな。
「ハイ、いいですよ・・、具体的に何時ごろになりそうですか?」
「午後1時前にはお伺いしたいと思います」
「わかりました。よろしかったら、以前聴かせてもらった245シングルアンプを再び持ってきてもらえませんか? とてもいい音だった記憶がありますからね」
咄嗟にこういう言葉が出たのだから、よほど強く印象に残っていたのだろう。
忘れっぽくて、衰えていくばかりの脳だが、「いい音」の記憶だけはなかなか消えないものとみえる(笑)。
「ハイ、わかりました。持っていきます」とご快諾。
よし、我が家のアンプとの一騎打ちだ・・。
YAさんはおよそ30年にわたる真空管アンプビルダーさんで、出てくる音の評判がいいので完成するたびにまるで羽根が生えたようにもらわれていく。
我が家でも真空管式「プリアンプ」をこの3月に作ってもらったが、いまだにエースとして活躍中で、とかく目移りしがちな自分には極めて珍しい事象。
真空管は「E80CC×2本」(タングスラム)、整流管は「EZー81」(英国:エジソン・マツダ)で、3か月前にカップリング・コンデンサーを「マイカ・コンデンンサー」に代えたところさらに特上のサウンドが出現。
な~に、自分で勝手にそう思うだけだが・・(笑)。
12時40分とやや早めにお見えになったYAさんに初めに聴いていただいたスピーカーはグッドマンの「TRIAXIOM」(口径30cm:同軸3ウェイ)だった。
ちなみに、本日のシステムの前段は「DPーUB9000」(ブルーレイ) → (SAECのRCAデジタルコード) → DAC「エルガー プラス」(英国:dCS) → 「プリアンプ」・・という構成。
これで、「You Tube」と「CD」を聴くというもので、我が家ではベストの組み合わせといっていい。
で、この「TRIAXIOM」をぜひ「245シングルアンプ」で聴いてみたかった・・。
というのも同じグッドマンの「AXIOM80」が試作されている中、テスト用のアンプとして使われていたのが「245シングル」と聞いたことがあり、あの瀬川冬樹さんも「245」を使われていたそうだ・・、さらに古来から有名どころの真空管アンプビルダーさんたちによると、数ある古典管の中で一番音がいいのは「245」だそう・・。
で、真打の「245」は「後のお楽しみ」ということで、ず手始めのアンプは「PX25シングル」(出力管はドーム型)。
スピーカーの出自に合わせて、英国製の「出力管」ということで聴いていただいた。
「聴きやすい音ですね・・」ということで、可もなし不可もなしという感じ~。
とはいえ、はじめから「気に入らない音です」と「反旗を翻す」お客さんは居ないだろうが・・(笑)。
次にアンプを代えてみた。
「71Aシングルアンプ」・・。
使っている真空管に工夫をこらしていて、前段管が「AC/HL」(初期版:エジソンマツダ)、出力管は「71A」(レイセオン:赤ラベル付き)、整流管は「OKーX213」(メッシュ・プレート)。
「透明感といい、高音域の伸び具合といいこちらのアンプの方が好きです。」と、YAさん。
「なるほど・・、次はいよいよご持参された245シングルと行きましょうかね」
木工技術の方もハイレベルで理想的な木製のケースに黒色塗装をされている。
さあ、「245」と「71A」の一騎打ちだ・・!
以下、続く。
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テレビの故障により新しい機種に代えたのがおよそ2か月前のこと。
すると「You Tube」(以下「Y」)が簡単に選局できるようになったのでこのところ「Y」で音楽を聴くことが多くなった。(「お前は時代遅れだ」という声が外野席から聞こえてきそう・・)
で、問題は音質である。何しろ痩せても枯れてもオーディオ・マニアだからね(笑)。
テレビ本体から「光」ケーブルでデジタルアウトし、手持ちのDAコンバーターに入力して聴き比べたところ、これはオーディオ仲間と確認済だが、音質は「CD」の方が100点だとすると、「Y」が90点と、やや落ちるがこのくらいの差なら「音出し」や選曲の自由自在さから考えると、「Yで十分だ」というのが当面の認識である。
ただし、困ったことが一つある。
「Y」の検索で、たとえば比較的よく聴く「マーラーの4番」を打ち込むとズラッといろんな指揮者たちの演奏が出てくるのだが、はたしてどれを選択して聴いたらいいのやら~。
たぶん、名盤から駄盤(?)までいろいろだろうし、音質も様々なのだが、これらをすべて聴くというわけにもいかない。いくら指揮者が違うとはいえ、同じ曲を何回も聴けないし、第一時間がもったいない。
で、何らかの各盤に対する「指針」が欲しいところだ。
とはいえ、音楽評論家にしても(オーディオ評論家もそうだが)、これまで自分の経験から照らし合わせると、ピタリと好みが合致するケースはごく稀であり、あまり当てにならない・・。
しかし、「無いよりはマシかな」と、いうわけで先日大分市郊外の大型書店にクルマを40分ほど走らせた。
本書は、クラシックの名盤と称されるものが、600曲に亘って8名の評論家により点数制で順に列挙されている。
たとえば前述した「マーラーの4番」では、
「T・トーマス指揮」以下「アバド」「シャイー」「ハイティンク」「バーンスタイン」「ラトル」・・といった具合。
で、その一方「Y」に表示された指揮者を見てみると「アバド」「ハイティンク」「バーンスタイン」「ラトル」と勢ぞろいなのには驚いた。
とりあえず大好きな指揮者「ハイティンク」盤を初めて聴いてみたが、やはり素晴らしかった。名盤の「魔笛」と同じで、こういう明るく伸びやかで肩の力が抜けた演奏が大好き・・。
いずれにしても、これではCDを買うどころか、いろんな名演をより取り見取りで一挙に楽しめるのだから、「Y」を利用しない手はないですよね!
しかも「1280円」(1か月あたり)を払いさえすれば、宣伝をスキップできるのだからありがたい事この上ない。
もうひとつ、いいことがあって「映像付きの音楽」なので、美人の指揮者や演奏家が登場してくると心がウキウキしてくる~(笑)。
たとえば、このところよく聴く「ボレロ」(ラベル)の指揮者。
「アロンドラ・デ・ラ・パーラ」(メキシコ出身)。
「耳」に加えて「目」の保養になる~。
もう、たまらん・・(笑)。
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成功哲学の啓発本としては、カーネギーの名著「人を動かす」が有名だが、コヴィー博士によって書かれた「7つの習慣」も負けず劣らずのようだ。
何しろ40か国以上の言語に翻訳され、全世界で2千万部をこえるベストセラーとなっているほどで、7つの習慣は「人生のOSである」とまで評されているという。
このほど、たまたま図書館で借りる機会があったので、ざっと拾い読みしたところ、なかなか参考になることが多かった。
若いうちに読んで、その後に「7つの習慣」を拳拳服膺(けんけんふくよう)していたら、今よりももっと「マシな人間」になっていたかもしれないと思わせる節が大いにありますな(笑)。
以下、要約してみると、
7つの習慣のベースには「インサイド・アウト(内から外へ)という基本的な考え方がある。
つまり、「影響を受けるより影響を与えるという考え方で、人生の扉は、中から開くことしか出来ない。」
この考え方をベースに、成功の鍵を握る「7つの習慣」が示される。これらは単独で独立して存在するものでなく、それぞれが深く関連している。
全体が大きく3つに分類されており、以下7つの習慣のそれぞれの分類と、名称を全て列挙してみよう。
<私的成功>(依存から自立への成長を促す)
第一の習慣:主体的である
第二の習慣:終わりを思い描くことから始める
第三の習慣:最優先事項を優先する
<公的成功>(信頼を元手に人と協力体制を築き、より大きな成果の達成を目指す)
第四の習慣:Win-Winを考える
第五の習慣:まず理解に徹し、そして理解される
第六の習慣:シナジーを創り出す
<再新再生>(すべての習慣を支える己の肉体、精神、知性、社会・情緒を研ぎ澄ます)
第七の習慣:刃を研ぐ
以上、これらが「習慣」とされている理由は、「人格は繰り返す行動の総計である」というアリストテレスの言葉によって示されている。
だから「優秀さ」とは、ひとえに単発的な行動にあらず習慣なのである。
とまあ、要所をごく簡潔に抜粋してみたものの興味のある方は通読をお薦めします。
そこで、「7つの習慣」に触発されてオーディオで「習慣化」していることを羅列してみた。
つまり「その人のオーディオの個性は繰り返す行動の総計である」というわけ。
ただし、けっして読者に押し付けようとは夢にも思ってないし、そういう自信も持ち合わせていないので念のため~(笑)。
1 オーディオの電源は家庭内の電源と一線を画すために、外部から200V電源を引き「降圧トランス」を使って「200V → 100V」にして、専用電源にする。
2 音質に大きな影響を及ぼすSPボックスは自作あるいは市販品を改造して、自分の気に入った音を出す。メーカー製は「コスパ」が常に念頭にあるので信用できない。たとえば「ネットワークの部品」などがお粗末・・。
3 SPユニットは能率が高めの古典型を主体に使う。グッドマン、ワーフェデールなど・・。すると「小出力のアンプ+古典型スピーカー」の理想形が完成する。
4 レコードは音がいいのは分かっているが、気に入った音を出そうと思えば膨大な手間とお金がかかるので使わない。むしろ、使い回しの便利さなどを考え合わせると「デジタル・オーディオ」で十分。
5 スピーカーを駆動するアンプは古典管を使った真空管アンプに限定する。言い換えると、倍音が無味乾燥な「TRアンプ」は一切使わない。
6 ケーブル類は負荷が少ないLANケーブルを主体に使う。
7 オーディオ機器に100%は求めない。音楽ソースに応じて代えてやる余裕を持つ。それに「脳はマンネリを嫌う」ので周期的にシスステムを交換する。
と、いったところですか・・。
で、これら「7つのオーディオ習慣」に裏打ちされた音の形容としては、
「装置全体の音が澄んでいて透明感と柔らかい雰囲気で満たされ、楽器の音色がそのまま素直に表現されているような音。
当然、音の立ち上がりと立下りが早いうえに奥行き感がある。いわば彫りの深さとでも言うべきか。
さらに、音の消え去っていくときの余韻が音響空間の中で漂うような雰囲気とともに暗闇の中にす~っと溶け込んでいく感じ。」
まさに夢の世界ですね。
はっきり言って無理だろうけど少しでも近づきたい・・、「持ち時間」が音を立てて少なくなっているけどね~(笑)。
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南スコットランド在住の「ウマさん」からお便りがありました。
「コロナのせいで自粛していたホリデーを四年振りで再開し、今、地中海はアドリア海に浮かぶ小さな島パクソスに滞在している。
こちらの人が、懐具合いに応じて地中海に出掛けるのは、ごく普通のこと。座席指定さえない激安航空が、ほんの2、3時間で、天気の悪いスコットランドから、太陽燦々の地中海へ運んでくれるんや。
おのおの方、地中海をお安く楽しんでいるウマさんが羨ましいかい?チッ、ちゅうかい?
ギリシャ領のこの島パクソスは、観光客誘致の為のインフラ整備など特にしていないせいか、その素朴さがとても快適な雰囲気を漂わせている。コートダジュールのカンヌやニース、モナコなどのスノッブなリゾートより、このパクソスのほうがよほど良い。
ビーチの美しさ、海の水の透明度の高さには目を見張ってしまう。それに、連日、雲ひとつない蒼穹の空。ま、この世の楽園と言えるかな。
ビーチに於ける僕の楽しみはね、何と言っても読書です。
今回携えた本は「音楽とオーディオ」の小部屋の主に教えて頂いた、ミステリーの蘊蓄?満載の「米澤屋書店」…..もう、めっちゃ楽しみでござるのよ。
そして、ワクワクニコニコしながらビーチに座った。脇にビールとワインをはべらせて…..
さ、さあ、読むぞー!
と、ところがや!
な、なんちゅうこっちゃ!
僕の読書の邪魔をする方がおるんや。それも一人や二人とちゃう!
腹が立ったんで、思わず叫びそうになってしもた…..
ちょっと!ちょっとちょっと!
オタクらええ加減にしなはれ!
そこら、ウロウロすんのやめてんか!
ト、ト、トップレスで!」
ということでした。
ウマさん、久しぶりのバカンスを大いに満喫してくださいね~。
それにつけても、南スコットランドから地中海へ ”一っ飛び” (ひとっとび)・・、日本でいえば九州から北海道へ行くような感覚ですかね(笑)。
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ご存知の方も多いと思うが「パレートの法則」という言葉がある。
ある事象の2割が、全体の8割を生み出しているという状態を示す経験則である。別名「20:80の法則」ともいわれている。
以前のブログ「女流ミステリー作家」で「柚月裕子」さんの著作「パレートの誤算」でも話題にしたことを、もしかしたら覚えている方がいらっしゃるかもしれない。
分かりやすいように、主な例を挙げると、
☆ WEBサイトは2割のページにサイト全体の8割のアクセスが集中する
☆ 売り上げの8割は全体の2割の顧客で占められている
☆ あるソフトウェアの利用者の8割は全体の2割の機能しか使っていない
☆ 勤務時間の2割でその日のアウトプットの8割を実現している
そして、ふと思いついたのが「世界中の富の8割が2割の大富豪に集中している。」
振り返ってみると現役時代に職員研修の業務に当たっていたことがある。
たとえば講師を招聘して対象人員が100名の研修をやったとすると効果測定のために研修後の感想文を収集してみると研修の意義や内容をきとんと理解していた人数は20名程度でここでも「パレートの法則」が当てはまっていた。
残りの80人はいわゆる「箸にも棒にもかからない」連中ということになる(笑)。
ちなみにご存知の方も多いと思うが「啐啄同時」(そったくどうじ)という禅語がある。
鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」(そつ)と言います。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、これを「啄」(たく)と言います。
そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれます。これを「啐啄同時」と言います。これは鶏に限らず、師匠と弟子、親と子の関係にも学ぶべき大切な言葉です。
要するに働きかける側と働きかけられる側の両者の呼吸が合わねばことはうまく運ばないという意味だが、万事そういうことなんでしょう。
そして現在の我が身近な事例で当てはまるのがブログのアクセス数である。
現在、1日あたりの当ブログのアクセス数は平均して「850 IP」前後である。そして加入している「ランキング」のバナーにポチッと押してくれる数はせいぜい170前後である。見事に2割程度に落ち着いている。
つまり、残りの8割は「知らんふり」なのである。「暇つぶしに読んでやっている」という姿勢が見え見えだな~(笑)。
タダで読んでんだからその見返りにポチッとぐらい押せよ・・、それが嫌なら読むなっ!
と言いたいところだが、もし自分が読者側だったら、そしてスマホで見ているとしたら多分押さないだろうなあ。だいいち面倒くさいし、ウィルス感染も心配だしね~。
したがって、ポチッと押すのは面倒やリスクを顧みないほどの「共感的かつ犠牲的精神の持ち主」なのだ・・、となると8割方を謗るよりもむしろ2割方に感謝しなくては~。
まあ、一事が万事で日常生活のいろんな局面で「5人に1人」の確率が通用していると思っていれば、無用の ”いら立ち” もしなくて済みそうだね(笑)。
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今朝の温度は24℃と、前日よりたった2℃下がっただけなのに体感上はとても肌寒く感じた。
あと10日程でもう10月なんだから、当たり前か・・。
秋といえば、物思いの秋、哀愁の秋・・、楽器でいえばピアノでもなく、管楽器でもなく、どこか愁いを帯び「むせび啼く」ようなヴァイオリンの音色こそがふさわしい・・。
で、ヴァイオリンの魅力を伝えるスピーカーといえば「AXIOM80」が最右翼だが、我が家の状況でいえばいまだに十分鳴らし切っているとは到底思えず、自己採点では80点くらいかなあ。
まずは、箱の大きさや「ARU」(背圧調整器)の仕組み、そして相性のいいアンプの選択などに工夫の余地があると考えているが、まあ息のあるうちはたぶん無理かもねえ・・(笑)。
それだけ、山の頂が高いというか、簡単に攻略できないスピーカーだが、読者からもメールをいただくことがある。
「たしか過去記事の中で「バイオリンの美しさといったら、古今東西AXIOM80の右に出る者は無い・・・(だったかな?)」とありました。
そうなんです・・、なんとか「ヴァイオリンの妖しい魅力」を引き出して堪能したいものです。
で、これが20億円のヴァイオリンです。楽器の王様ですね・・。
改めてヴァイオリンの魅力についてはいろんな著作があるが「諏訪内晶子」さんの「ヴァイオリンと翔る」が面白かった。ちょっと紹介してみよう。
まず「第二章のヴァイオリンという楽器」について。
ヴァイオリンの音色の個性を決める要因については、「どのような弦を張るか」について、G,D,A,Eの4本の弦のうちたった1本の張り方の違いで全体の音色が一変するほどの繊細さで、さらに4本の弦すべてが同一メーカーが良いとも限らないそう。
ほかにも、「弓との相性」「顎当てや肩当ての素材による音の変化」「演奏者の体型、骨格、指の長さ、太さ、柔らかさ、感性」などがあるが特に本体のツクリがものすごく複雑・・。
たとえば、様々な種類の自然木が膠(にかわ)によって接着されて組み立てられており、湿気や湿度で微妙に音が変わるし、表板と裏蓋をつなぐ「魂柱」や4本の弦を支えている「駒」の位置がコンマ何ミリかずれただけでも音が変わる。
このように極めて複雑かつ巧緻なつくりのヴァイオリンも結局のところ名器中の名器となると「ストラディヴァリウス」と「グァルネリ」に尽きる。
前者は高音部に輝くような気品を持ち、後者は深々とした低弦の魅力がある。
第5章の「音の彼方にあるもの」では、「オイストラフ」(旧ソ連邦)についての記載がある。
ウィーンフィルのコンマスだった「キュッヘル」氏によると、これまで幾多の名演奏家と共演したがそのうちもっとも感銘を受けたのがオイストラフだったそう。
完璧な技巧を持ちながらそれを誇示するような演奏は一切せず、もてるすべてをひたすら作品の正しい解釈と表現のために捧げたとのこと。
オイストラフは大好きなので、久しぶりに我が家での集中演奏会を開いてみた。スピーカーはもちろん「AXIOM80」。
モーツァルト「V協奏曲1番」 ベートーヴェン、ブラームス、シベリウスの「V協奏曲」 プロコフィエフ「V協奏曲1番」 ブルッフ「スコットランド幻想曲」
実に弦が柔らかくてしなやかで大家の風格です!
オイストラフは比較的「若死に」で60歳半ばで亡くなった。
一説によると当時のソ連邦の外貨稼ぎのため世界各地の演奏会に休む間もなく駆り出され、とうとう疲労困憊して心臓発作を起こし異国で客死したとのこと。
可哀そうなオイストラフ・・。
しかし、命尽きるとも演奏した作品は永遠の生命を持っているので愛好家の心の中でずっと生き続けることだろう。
それにしても、かくも繊細巧緻なヴァイオリンという楽器の魅力を発揮させようと思えば、スピーカーにも「繊細巧緻の極み」を求められるのは至極当然のことですよね。
というわけで、このまま幕を引きたくないんだけど、何か起死回生の手がないものか・・(笑)。
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オーディオ愛好家と一口にいっても、低音域を大事にする「低音派」、以下「中音派」、「高音派」、そして「全体派」など様々だが、大別するとすれば「低音域にこだわる」タイプと「高音域にこだわる」タイプに分けられそうに思う・・。
で、自分の場合はまず高音域が気になるタイプで、澄み切った青空のように抜けきった透明感がないとまず音楽を聴く気になれない。
おそらく1万ヘルツ以上は聴こえないはずだけど、すごく気になります(笑)。
ただし、この透明感を出すのは出来のいい「ツィーター」と良質の「真空管アンプ」があれば可能で、比較的容易に達成できる・・、と思っている。
で、問題は低音域である。
およそ30ヘルツあたりの低音域を屈託なく出すとなると、システムも大掛かりにならざるを得ない。
限られた部屋のスペースの中で、箱、ユニット、アンプなどそれなりに準備しなければならず、満足できる低音域の確保となると「一筋縄ではいかない」と常々思っている。
「低音域」にこだわらなければ随分と身軽になれるんだけどなあと、思うこと再々だが「フル編成のオーケストラ」のファンダメンタルな弦のユニゾンがそれらしく聴けないとなると、それはもうオーディオではないように思う。
で、読者で横浜在住の「K」さんから、ちょくちょくメールをいただくが、どうやら「低音重視派」の方のようで、つい最近次のようなメールのやり取りをしたので、記録に留めておくことにした。
「音楽は低音の上に構築されてる」と考えてます。そう低音が大切 (大好き)、なんといってもBASSです。
讃美歌を例にとればBASSの旋律が基底にあり、ソプラノ アルト テナーを支えてる。ビートルズもベースラインがきれいな曲が多いのですが、これはポールマッカートニーがベーシストだったからかな?
BASSは「切れのよい低音、ふわっと響く低音、陰で支える低音」と種類が多く、そのためSPの得手不得手が現れてしまい、一本(一組?)で全てを満足は…無理かな。
箱の大きさはとても大事と思ってますが、響きがあいまいになる可能性もあると感じます。クラッシックならオートグラフのようなバックロードを利かせたSPは合うけどその他のジャンルには???(でも一度は置いてみたい、絶対に無理ですが)
やはり箱は部屋の次に影響すると思ってます。「箱一つの私」が言うのは僭越かな・・。」
そこで、次のように返信した。
「たしかに低音の鳴らし方にオーディオの難しさがすべて反映されているように思います。となると、やはり「箱」ですか・・。
大きな箱を作って、音楽ソース次第で内部の寸法を短縮出来たり、伸ばしたり~。理想ですね!」
すると、すぐに返信があった。
「貴兄の「箱のサイズを自由に動かす」すごいアイディアです。(Kさんは設計士・・)以前設計の時に検討したことですが、学校は授業の内容で学生の数が変わるので、部屋の大きさを簡単にしかも美しく変えられることはできないか検討したことがあります。
私の経験でも授業の多い日は良いサイズの教室から埋まります。【特に偉い教授に選択権があります】
非常勤の授業は ”10人なのに「大教室」”、これとてもやりにくい(話す側からですが多分学生も)よってサイズ変更が我々のテーマになったのですが・・、加えて教室の天井高さも変えられないか!
通常教室は3mですがこれを変更したい。例えば音大では(高校も同じでしょうけど)ピアノ練習室の天井は低くても良いが、アンサンブルは4m欲しい、けど練習なので講堂は使えない・・。
箱でのチャレンジ、期待します。」
という「やりとり」でした。
スピーカーボックスの内部(縦、横、奥行き)の空間を音楽ソースに応じて外側から自由自在に調整できる・・、
たとえば、オーケストラの時は「バックロードホーン」へ、そして小編成やボーカルの時などはもっと内部空間を縮小する・・、そういうボックスが出来ないものか。
どこか器用な大工さんはいないかなあ(笑)。
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「音楽&オーディオ」に比べると、映画については「親しさも 中くらいなり・・」だが、何しろかっての青春時代の娯楽の中心が映画だった時代を知っている人間である。
少し思い出すだけでも「七人の侍」「東京物語」「ワーロック」「ベン ハー」・・・
今でも無関心ではないし、それに「爽やかで清潔感がある」女優の出演ともなると、ついウットリ(笑)~。
その映画関連の本でたまたま借りてきたのが「映画監督放浪記」である。
「東大卒しか監督になれない」といわれた東映で、「高卒」「大工の倅」とそしられながら、関本郁夫は監督になる。
そして、映画とテレビの現場を必死に渡り歩き、スケバン映画、テレビドラマ『金田一耕助の傑作推理』や山村美紗シリーズ、映画『極道の妻たち』を撮りまくる。
一九七〇~二〇一〇年代、関本が職人監督として、東映、日活、角川、テレビ業界でいかに生き延びたか——これは誰も書かなかった日本映画とテレビドラマの汗と涙がにじむドキュメントだ。」
とは、この本の紹介記事である。
それほど期待もせずに、ざっと目を通し始めたが、業界の秘話というかエピソードには事欠かず、途中から「ホンマかいな・・」と本腰を入れ、目を皿のようにして読み耽った。
2つほどご紹介しよう。
☆ 巨匠「内田吐夢」監督の逸話(379頁)
「内田吐夢」監督といえば、日本映画の重鎮で「飢餓海峡」「大菩薩峠」「宮本武蔵シリ~ズ」などの大型作品がある。
六尺近い偉丈夫で、どこか日本人離れした風格があり、名作を連打したことから、撮影所の人たちは敬愛を込めて ”巨匠” と呼んでいた。
関係者が小田原に住む巨匠のアパートに行った。「人生劇場 飛車角と吉良常」の監督依頼のためだった。アパートの前で車から降りると、どこからともなくノミで木を打つ音が聞こえてくる。
巨匠の部屋に近づくとますますその音は大きくなる。巨匠の部屋のドアの前で何度となく声をかけたんだが、返事がない。今日訪ねることは伝えてあったのでドアを開けた。
扉の向こうに木にノミを打つ巨匠の姿がある。訪問者をまったく無視してただ「木」にノミを打つ。
関本、巨匠はノミで木に何を彫っとったと思う?
「わかりません」「女のオマンコや」「え!?」
「人生劇場・・」は ”おとよ” という女をめぐる飛車角と宮川の三角関係の話や。その頃の巨匠はいくつやったかな。70歳は越えとったやろ。でも、まだまだ俺には色気はある。
だから「人生劇場・・」は撮れる、と監督を引き受けることを口では言わず、木彫りのオマンコで示しよったんや。さすがに巨匠、作品も凄いがそういう演出もまた凄い。
とまあ、こういう類の話が続々と登場してくるんだから・・、ハハハ。
映画人はストレートな表現をする人が多いみたいですね(笑)。
内田監督といえば俳優「高倉 健」を育て上げた監督としても有名だ。こういうエピソード(ネット)がある。
「内田が目をかけていた若手の一人が、高倉健だった。内田の指導はかなり厳しかったといわれるが、後年、高倉は監督を「自分に背骨を入れてくれた人」と語っている。アイヌ民族の悲劇を描いた「森と湖のまつり」(昭和三十三年)は、二人が初めて組んだ作品。内田は高倉健にこうアドバイスした。
「時間があったら活字(本)を読め。活字を読まないと顔が成長しない。顔を見れば、そいつが活字を読んでいるかどうかがわかる」(高倉健著『想』より)」
もうひとつ、
☆ 名監督の元から名監督は出ない
不思議だね、これは・・。東映にしても内田吐夢さんの下からいい監督が出てる? あるいは田坂具隆さんの下から出てる? 今井正さんから出てる? 伊藤先生の助監督からも出てないでしょう。
溝口さん、出ていない、小津さん、出ていない・・。不思議だね。だから僕は人に話すときは「皆、師匠が吸い取ってしまいよるんや」と、言うて冗談にしとるんやけどね(笑)。
といってね、じゃあそういった関係はいらないか・・。いらなくないですね。あの、小説を書く人でね、少なくとも日本の古典から読み込んでいかない人があるんだろうか。
そして、西洋の古典を勉強しない人があるだろうか。映画だって同じことですよ。映画界の良き先輩たちの仕事を吞み込んでいかない人が、ない・・ないじゃないかというようにならないと、アカンなあ(笑)。
日本映画界の監督や俳優たちの裏話に興味のある方にはお薦めの本ですよ~。
最後に・・、
本書に登場する映画人たちは「がん」、それも「進行がん」であっという間に亡くなる方が非常に多い気がした。定時退社などの規則正しい生活とは無縁の職業なので、その辺に原因があるのだろうか。
それに、複雑な因縁のある人間関係や移り気な聴衆を相手にした興行成績のハズレなどのストレスも大いに関係がありそう。
華やかだけど「太くて短い人生」か、あるいは平凡だけど「細くて長い人生」のどちらがいいのか、考えさせられる・・。
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前々回の「エース級3台のアンプの聴き比べ」の続きです。
オーディオは理論通りにいけば世話はないのだが、実際に鳴らしてみないと判らないことの方が多い・・、少なくとも我が家では~。
何しろ、部屋の形状や電源事情を抜きにしても使用機器などの組み合わせや音楽ソースの違いなどでガラッと豹変するのが楽しくもあり、悲しくもあり~。
で、我が家では実験、実験そしてまた実験あるのみと、割り切っているが、少々気になるのでこの際とばかり「Y」さんにかまをかけてみた。
「いつもシステムをくるくる代えているので、こいつは何をやってんだ、腰の据わらない奴だと誰からも思われているでしょうねえ・・」
「いえいえ~、オーディオを心から楽しんでいると思われているはずですよ・・」と慰めてくれたが、額面通りに受け止めていいのかどうか~(笑)。
実験その1 「CD盤」と「You Tube」の違い
これは、ここ2か月ほど「You・・」に親しみだしてからずっと気になっていることで、自分ではさほど変わりはないと思っているけどね。
で、実験に使ったブルーレイ「DPーUB9000」は「CD」と「You Tube」の両方が再生できるので、Yさんが持参した「井筒香奈江」のCD盤と「You・・」とを比較試聴した。
もちろん、DACの「エルガー プラス」は同一。
「CDが100点だとするとYou・・は90点くらいですかね。この程度の差ならわざわざCDを聴かなくても良さそうですよ」と、Yさん。同感です。
音出しなどの便利さにかけては「You・・」が圧倒的に有利なので「悪貨は良貨を駆逐する」といっても良さそうだ(笑)。
実験その2 ブルーレイとCDトラポの違い
今度はさらに上流に遡って「ブルーレイ」と「CD再生専用のトラポ」(CEC:TL3 3.0)との比較をしてみた。
その結果、お値段はCDトラポの方が上なのだが、さしたる優劣の差は見受けられずブルーレイの大健闘で終わった。
実験その3 「AXIOM80」と「075ツィーター」の一騎打ち
井筒香奈江のCDばかりではワンパターンなのでジャズのCD盤を聴いてみたところ、「あまり元気がないですね・・、075ツィーター」に代えてみましょうか。」
そこで、右側から2番目の「2ウェイシステム」が登場。すると圧倒的にこちらの方が良かった。もうシンバルの輝きが図抜けている。
バイオリンやアコースティック系の楽器などの「擦(こす)る音」には強いけど「叩く音」となるとイマイチの「AXIOM80」・・。
「AXIOM80といっても、やはり万能ではありませんね、そもそも、オーディオ機器に万能はありえないんじゃないですかね・・」
そして、最後に登場したのがこのシステム。
実験その4 雄大なスケール感を求めて
クロスオーバーは、ハイカットが「200ヘルツ」、ローカットが「900ヘルツ」で「175ドライバー」(JBL)が担っている。
「200ヘルツ」と「900ヘルツ」では差があり過ぎて中抜きが心配されるが、その間のギャップを箱のバックロードホーンの響きでカバーしているようで違和感は感じない。
「実に屈託のないゴージャスな音ですねえ。ドイツのお城に黄金の間というのがあって、そこでの演奏会を思わず連想しました」と、Yさん。
どうやら本日一番のお気に入りシステムみたい。
今回の実験を通じて・・、やっぱり、最後にオーディオの行き着き先は「箱」かなあ(笑)。
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このところ、起床時の室内の気温がず~っと「26℃」が続いていたが、2~3日前から28℃へ逆にアップ。
秋が近くなっているのにもうガッカリ・・、九州の夏はしぶとい。
昨日のこと、真空管のことで「北国の真空管博士」に連絡したところ「早朝の気温が20℃以下になりましたよ」。
え~っ、もう布団が要るじゃないですか!
閑話休題
1 18歳と81歳の違い
さて、9月の第三週の日曜日は「敬老の日」。
我が町内会も昨日(17日)「敬老会」が開催された。
有資格者は70歳以上だが、おいらはどうも集団が苦手なので(笑)出席しなかったが、生まれつき陽性の家内は出席した。
宴たけなわになって、カラオケの出番となり「〇〇さん、どうぞ歌ってください」
「はい、私は歌が上手だけど歌いません。その代わりにトークをします、18歳の反対は何歳ですか?」
その問いかけに対して、打ち合わせ通り「81歳!」という声が大向こうから挙がったそう。
それでは、「18歳と81歳の違い」を読み上げます。
1 恋に溺れるのが18歳 風呂で溺れるのが81歳
2 道路を暴走するのが18歳 道路を逆走するのが81歳
3 心がもろいのが18歳 骨がもろいのが81歳
4 偏差値が気になるのが18歳 血圧・血糖値が気になるのが81歳
5 まだ何も知らないのが18歳 もう何も覚えないのが81歳
6 自分探しをしているのが18歳 皆が(徘徊している)自分探しをしているのが81歳
7 お手入れをして虫歯0なのが18歳 入れ歯なので虫歯0なのが81歳
8 未来の夢を語るのが18歳 過去の栄光を語るのが81歳
場の雰囲気が大いに盛り上がったそうだ。
2 雑学あれこれ
「雑学大好き」人間にとってピッタリの本に出くわすのが楽しみの一つ。
盛り沢山の質疑応答の中からいくつか取り出してみよう。
☆ なぜご祝儀は奇数がよいとされるのか?
「結婚祝いや入学祝を包むときに。いつも悩まされるのがその金額だろう。結婚祝いなら新郎新婦との関係や披露宴の内容、年齢によってずいぶん違ってくる。
ただし、いくら包むにしても共通しているのが奇数へのこだわりである。2万円、4万円より、1万円、3万円の方が縁起がいいとされる。
特に結婚祝いでは、偶数は「割れる」にも通じると、敬遠されている。このように、偶数よりも奇数にこだわるのは中国思想の影響である。
中国では昔から、陰陽の考えが基本になっており、奇数には、陽、明、表などのイメージがあるとされる。つまり積極的な面をあらわし、めでたい数字とされている。七五三の祝い、三々九度、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句など行事や祝い事も、奇数にちなんでいる。
これに対して、偶数は陰となり、陽の当たらない数字とされた。この考えが日本にも伝わり、祝いの席では偶数を避けるようになったのである。」
まことにごもっともな答えだが、個人的には「縁起の良し悪し」だけではどうも説明がつかないように思う。
たとえば、身内や知人の葬儀に列席するときに「ご香典」を包むわけだが、4千円とか6千円とかの偶数を包む人は先ずいないはず。たとえば比較的近い縁者の場合なら3万円、ご近所などの知人の場合などは3千円、5千円といったところだろう。
葬儀とは亡くなった人を弔う儀式だからけっして縁起がいいとはいえないのに、ここでも奇数が用いられているので、これは上記の答えでは解釈できない。はたしてどう考えればいいのだろうか。
そこで、出てくるのが「素数」という概念である。
周知のとおり、「素数」とは「自分以外の数字でこれ以上割ることが出来ない数字」のことで、具体的には2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31・・・・・とアトランダムにずっと続いていく。ちなみに、2という数字は偶数では唯一の素数である。
この素数は若い数字では頻繁に出現するが数字の桁数が大きくなるにつれてまばらにしか出てこない。その出現する順番の法則を解明しようとしたのが、いまだに数学界最大の難問とされる「リーマン予想」である。
素数は「数の原子」とも呼ばれている。原子がはたして貴重かどうかは見解が分かれるところだろうが、モノの本質に行き着くという点では疑いを容れない。たとえば2、4、6などの偶数に比べて3、5、7の方が値打ちのある数字にみえないだろうか。
ちなみに自分の誕生日は3月7日。3と7は素数だし、膨大な数の精子の競争を経て奇跡的に生まれてきたわけなので(誰でもそうだが・・笑)、縁起をかついで日常生活では可能な範囲で「素数」を大切にすることにしている。
よく考えてみると私たちの身の回りは四六時中、数字に取り囲まれているが皆さんもやむなく何らかの数字を選択しなければならない局面に至ったときは、「数の原子=素数」を頭の片隅に置かれたらいかがだろうか。
☆ 日本の地名は、なぜ漢字二文字が多いのか?
「いまから1300年ほど前に、地名は二字にせよという命令が国から下り、その名残である」
☆ 会社に出す手紙はなぜ“御中”と書くのか?
返信用のはがきや封筒にはよく「〇〇会社 行(宛)」と、印刷してあるが、そういう場合はその行(宛)を消して「御中」に直すのが常識である。
なぜかというと、これは御社へ手紙を出すのですが、担当者などのお名前が分かりませんので、会社の中のどなたかにお出ししますという意味である。
☆ とてもヒマそうな古書店がつぶれないのはどうして?
古書店にはふつうそれほどお客が入って繁盛しているとは思えないが、そうつぶれることもなく営業を続けている。いったいなぜだろう?実を言うと、古書店は店頭で売っている古書の売り上げで喰っているわけではない。
売り上げの多くは研究機関や学者、作家らから注文があったときに、何十冊、何百冊もの本を持ち込み相当な額の商いを成立させているのだ。昔、作家の司馬遼太郎氏が歴史小説を書くとき、トラックで運ぶほどの古書を買い集め、古書の相場が動いたという話は有名だ。
「久しぶりにお見えになりませんか? いろいろ聴いていただきたいシステムがありますので・・」と、オーディオ仲間の「Y」さんに連絡したのは昨日(土曜日)の午後のことだった。
いつものように「ハイ、わかりました」。
目的は、先日のブログ「制御不能のスピーカー」で搭載していたように、「AXIOM80」と相性のいいベスト・アンプの選択が課題として残っているのでそれを解決するため。
な~に、オーディオは自分さえ満足していればそれで済む趣味だが、一段と高いレベルに到達しようと思えば、仲間の忌憚のない意見を求めた方がいい、とは長年の経験が教えてくれる。
とはいえ、自分だけかもしれないが・・(笑)。
俎上のアンプは3台で、鳴らした順番で行くと右から「6AR6シングル」(三極管接続)、「WE300Bシングル」、「PP5/400シングル」。
ここで鳴らしたシステムの状況を記載しておかないとね・・。何しろすぐ忘れるので(笑)。
前段機器は「DPーUB9000」(パナソニックのブルーレイ再生専用プレイヤーで、You Tube受信可能)で、これからデジタルケーブル(SAEC)で「エルガー プラス」(英国:dCS)に繋ぐ。サンプリングは「24ビット:96KHz」
これからプリアンプ2台へ接続。
1 RCA出力系統から「プリアンプA」 → 「6AR6シングル」等へ
2 バランス出力系統から変換ケーブルを使って「プリアンプB」 → 「EL34プッシュプル」アンプ → 「ウェストミンスター」(サブウーファー100ヘルツ以下)
で、テスト盤はYさんが持参されたもの。
エッ、「井筒 香奈江」さん・・。初めて名前を聞く歌手である。
「オーディオ愛好家の中では優秀録音として有名ですよ。」とYさん。
「あっ、そうですか・・。このアルバムはYou Tubeで出てきませんかね~」
検索すると、たちどころに出てきたのでYさんも ”お口をあんぐり” で、「もうCDは要らないですね・・」
で、聴いてみるとたしかに優秀録音だけあって、歌手が目の前で歌っているような錯覚に襲われた。
「さすがにAXIOM80です、ベールが一枚も二枚も取り払われた感じですね・・」
このシステムとソースの同一条件下で3台のアンプを聴き比べてもらった。
「まったくどれもこれも似たような音ですねえ・・。強いて言うなら、6AR6アンプはホンダのフィットで高速道を走っている感じですが、他の2台はクラウンで疾走している印象を受けました」
なるほど・・。
こうなると「WE300B」と「PP5/400」の一騎打ちになるが、「実力伯仲で判断はつきかねます」とのこと。
これ以上詰めると「無粋」になりそうなので、まあ、そういうことにしておきましょう・・(笑)。
で、この際とばかり面白い実験をしてみた。
ずっと前から気になっていた件で、同一の曲目で「CD」盤と「You Tube」の音質比較で、はたしてどのくらいの違いがあるか。
もちろん、「CD盤」の方が上だろうが、「You Tube」がどのくらい肉薄しているのか・・。
以下、続く。
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日本文学史上有数の随筆文学とされる「徒然草(つれづれぐさ)」(1330年:兼好法師)。
およそ700年前に書かれたものだが「人生の教訓」や「警句」などがいたるところに散りばめられており、現代にも通用することばかり~。
たとえば誰もが関心を持つ「生老病死」(第155段)についてこういう記述がある。
「生まれること・老いること・病・死。これらが移り来る事は、季節以上に速い。四季はそれでもやはり決まった順番があるが、死ぬ時期には順番がない。死は前からばかり来るものではない。いつの間にか、後ろに迫っている。
人は皆死ぬことを知っていて、待っていても、それほど切迫した状態ではない時に、自覚なしにやって来る。沖の干潟ははるか遠いといっても、足元の磯から潮が満ちているのと同じである。」
人生の本質は昔から少しも変わっていないことを思い知らされるが、第117段には「持つべき友達」として3つのタイプが挙げられている。
「よき友三つあり。一つはものくるる友、二つには医師(くすし)、三つには知恵ある友」
世俗とは縁を切ったはずの兼好法師にしては「ものくるる友」とはやたらに現実的だが(笑)、まあ「気前のいい友達」というぐらいの意味だろう。そのほかの「医師」も「知恵ある友」も今の物差しでも十分理解できる。
これを自分に当てはめるとどうなんだろうと考えてみた。
「よき友三つあり。一つは気前のいい友、二つには音楽&オーディオに詳しい友、三つにはパソコンに精通した友」と、いったところかな(笑)。
1 気前のいい友
やっぱり気前のいい友はありがたいですね。
実例を挙げると、我が家のオーディオ電源をすべて担っている「200V → 100V」用の降圧トランスやDAコンバーター用の電源として「リチウム充電用トランス」(ソニー製)などは仲間からタダでもらったものだが、今でも重宝している。
ほかにも、日頃から大活躍しているLANケーブル類は格安で調達させてもらっている。
ご迷惑でしょうから、あえて個人名の特定は控えさせてもらいますね~。
2 音楽&オーディオに詳しい友
つい先日、仲間からもらったのがモーツァルトのCDを100枚分ほど収納した「USB」メモリー。ご丁寧にも曲名がプリントされていて大助かり。
テレビやBDプレイヤーに挿しこんで聴いているが、管楽器中心とあって高周波が多く含まれており、おかげさまで夜はぐっすりと眠れるし、ストレスとは無縁の生活なのもこのUSBのおかげかな(笑)。
あっ、そうだ! クルマの中で聴いてもいいかもね~。
3 パソコンに詳しい友
毎日のニュースの閲覧、ブログの投稿、オークションでの利用、メールの受送信などパソコンから受ける恩恵は果てしない。
ところが、毎日酷使しているせいかこのパソコンは急にうんともすんともいうことを聞かなくなることがときどきある。さらには見慣れない警告が突然出てきて更新などを要求してくる。
さすがに慌てますね~。こういうご時世だから、うかつに乗ったりすると敵の術中にはまるので用心、用心。
そういうときに頼りになるのが「M」さん(大分市)で、すぐに駆け付けてくれて、何とかしてくれる。
たとえば、独自ルートでの新しいパソコンの調達、古いパソコンからのデータの移行、ハードディスクを入れ替えて予備のパソコンを作るなどで、現在は「余裕の4台体制」というのはうれしくなる。
「パソコンは消耗品なので故障はつきものだと考えておいた方がいいです。いつ故障してもいいように予備のハードディスクでバックアップしておきます。」
感謝のあまり「手間賃と材料代を支払いますので遠慮なく仰ってください。」
「ああ、ハードディスクの代金だけいただいときます。まとめて購入したので安上がりで済みました。」とのことで、ほんとに雀の涙の金額で済む。
とまあ、以上のとおり「良き友」に恵まれて実にありがたいし、ほかにもいろいろ助けてもらっている方は枚挙に暇がないほどで、感謝の念を忘れたことはありませんです、はい・・。
ただし、翻ってよく考えてみると、相手方からは自分ははたして「良き友」に映っているのかな~(笑)。
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夏の花といえばサルスベリ(百日紅)が大好き。
連日の猛暑にもめげず、けなげにも満開の花を咲かすので感心の至りだったが、これが契機となってブログ仲間のMさんからいろいろと教えてもらった。
「サルスベリは30種ほどあって約100日くらい咲き続けるといわれますが、次々と咲いていくので、ずーっと咲いているように見えるだけ・・・。
< 散れば咲き 散れば咲きして 百日紅 > 加賀千代女(かがのちよじょ)」
左から「別府公園(再掲)」「Mさん宅のお庭(画像借用)」「朝のウォーキングコース」で見かけたサルスベリ。ブログに花の画像が登場すると武骨なオーディオ機器とは違って一転華やかになりますねえ(笑)。
しかし、今となっては色が褪せたり、はかなく散ってしまったりで、もはや全盛時の面影はない。来年まで楽しみに待つことにしよう。
「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり。」(林 芙美子)。
この言葉をネットでググっていたら、どなたかの次のような文章が目に入った。
「花のいのちは短くてもの悲しい。泣ける悲しさではなく、涙が出てくる悲しさでもない。やはり物悲しいとしか言い様のない悲しさである。
人間の存在はある視点からみると、物悲しい存在であると言えるのだろうか。さしずめモーツアルトの音楽などはその代表格である。美しい、そして物悲しい。」
そうなんです!
「モーツァルトの音楽は悲しさが(涙が追いつかないほどに)疾走する」とは、よく聞かされる言葉だが、彼の音楽の中に “そこはかとなく漂うもの悲しさ” が感じとれれば、(鑑賞力が)合格ラインに到達していることを日本有数のモーツァルト通が保証しよう(笑)。
さらにモーツァルトの音楽は“もの悲しさ”とは別に、より高い健康効果が認められることをご存知だろうか。
この本の一節に次のような記述がある。(155頁~)
「JBL者の社長、ポール・ベンテがJBLの(最高機種の)エベレストD66000を設置したリビングで最初にかけた一枚は何だったのだろうか? と気になったので聞いてみると、すぐに立ち上がって取り出してきた一枚のCDがモーツァルトのヴァイオリン・コンツェルト3番&5番だった。」
なぜ、この曲目だったのかというわけだが、実に興味深い話なので少々長くなるが引用させてもらおう。
「耳鼻咽喉科医のトマティス博士による研究によると、人は生まれたばかりのときは完全な聴力を持っているが、成長する過程でひどく叱られたときの先生の声や嫌な思いをしたときの音、何か衝撃的なことが起こったときの雰囲気や人の声などに対して、耳はひとりでにその周波数をシャットアウトしてしまう習性がある。
つまり、いつのまにか知らない間に身体に聴こえていない音(周波数)の部分が出来てしまう。イヤだという思いを耳が体に入れまいとするからである。そのことが自律神経を正しく刺激しなくなり、具合の悪い箇所を呈してしまう。
トマティス博士はこの聴力の障害を回復するために音楽を用いる。そのため、人間の身体に影響を及ぼす音について、地球上のあらゆる音源を研究したのである。
風の音から水の音、各国の民族音楽、ジャズからポップス、バッハやベートーヴェンやワグナーなどを辛抱強く丁寧に試してみたのである。50年にもわたるその臨床と実験の結果、体に効果のある音は、何とモーツァルトただ一人だけであり、”モーツァルトの音楽でなければならない”という結論であった。(正しくはグレゴリオ聖歌とモーツァルト)」
ただ惜しいことに、この文章には「なぜ効果があるのか」という理由が書かれていない。そこで他の文献から拾ってきたものを掲載しておこう。モーツァルトの音楽の特性として次の3点が挙げられている。
1 音の高い周波数(3500ヘルツ以上の高音)がよく含まれている
2 自然の音と同じ一定のリズムを保ちながら「変化のある音=”ゆらぎ”」に満ち満ちていること
3 倍音(音と音とがぶつかり合ってさらに高い周波数になる)と呼ばれる音の特性が交感神経(ストレスなどを喚起する)の働きにブレーキをかけること
この中でも特筆すべきは2の「ゆらぎ」で、これこそモーツァルトの音楽の核心で交響曲第39番の第四楽章などはその最たるものだろう。
ところで、前述の文中にあるイヤな思いをしたときの音の話だが子供の頃に大人から上から目線でガミガミ叱られた記憶がある人は、大きくなっても上から降ってくる音には拒絶反応を示すそうで、一般的にオーディオシステムにおいても目線(耳線)の上から音が降ってくると何となく居心地が悪くなるのもそういうことを踏まえると判るような気がする。
さて、そのモーツァルトの音楽の中でも顕著に効果があったのが「ヴァイオリン協奏曲の3番と5番」ということだったが、じぶんに言わせればモーツァルトのヴァイオリン協奏曲は1番から5番まで、いずれも似たようなもので別に特定する必要もなく、すべてひっくるめて「ヴァイオリン協奏曲だ」との思いをずっと持っているので特に何番とかにこだわる必要はあるまい。
現在のCD盤の手持ちはグリュミオー、フランチェスカッティ、レーピン、オイストラフ、ハイフェッツ、オークレール、クライスラー、シュタインバッハー、ムターといったところだが、「You Tube」では山のように(演奏者が)出てくるのでいくらCDを持っていても意味はない(笑)。
いずれも一流の演奏者ばかりで自分ごときに優劣を論ずる資格はないし、録音が悪いので聴く気にならないという気持ちにならないのも不思議。
この辺が明らかにほかの作曲家とは違う・・。
「オーディオを超越した音楽、それがモーツァルトだ!」と、声高らかに叫びたいところですね(笑)。
「ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲群は正座して聴かなければいけない」という言い伝えがある。
なぜなら・・、
その後の作曲家たちが手も足も出ないと嘆いたほどの完成度の高さを誇り、そしてリスナーにとっても「ハイ、まことにごもっともです!」と、ひたすら頭を垂れて拝聴するような曲風だから~。
(とりわけ6楽章の構成をまとった「14番 作品131」は晩年になってようやく巨匠が到達したいかなる形式にも縛られない自由闊達な境地が伺える。)
で、どうやら我が家のスピーカーにも似たようなのがあるようでして・・(笑)。
これらの中で右端にあるスピーカー・・。
他のスピーカーは持ち主の思うがままに「制御」している(と思っている)のだが、この「AXIOM80」ばかりはどうもそういう気にならない。
「お前は俺を上手く鳴らす能力があるのか・・」と、いつも問い掛けられているような気がして「ある種の畏怖感」を覚えさせられてしまう。
言い換えると、制御不能のスピーカー。
したがって、(このブログで)めったに登場させることがないのは、きっと読者もお気付きのことだろう。
まあ、1セットくらいはこういう「恐れおののく」スピーカーがあってもいいでしょうよ、「頂門の一針」という意味で・・(笑)。
で、このスピーカーと付き合ってもう20年以上になるがもう何度「血(お金)と汗(手間)と涙(後悔)」を流したことか・・、せめて「出てくる音」がその量に比例してくれるといいのだが、けっしてそうとは限らないのがうらめしい。
市販の箱ではどうしても上手く鳴ってくれないので、とうとう板厚「1.5cm」の箱を自作したし、底板には「20cm×20cm」の穴をあけて独自の工夫した「ARU」を付けているし、(箱の)軽量というハンディを克服するために大量の鉄筋を箱の寸法に合わせて切断し四方に敷き詰めている。
で、昨日は珍しく久しぶりに聴く気になった・・。いったい、どういう風の吹き回し?
実は定期的に行っている「血糖値の検査」結果がとても良かった・・、合併症予防のための目標数値を珍しく下回っていて、日頃から心臓血管に不安を覚える人間にとってはまことにうれしい限り。
いわば「生活態度がこのペースでいいんだ」という安心感は何ものにも代えがたい。
長生きするのは「はた迷惑」だろうが、もっと「音楽&オーディオ」を楽しみたいのでね(笑)。
というわけで、よっしゃ~、オーディオもドンと行こうや・・。
ま、要するに単純な人間なんですね(笑)。
さあ、こうやって思い切って据え付けた以上は最高の音質で聴きたいものだ・・。
メチャ感度のいいスピーカーであり、駆動するアンプ次第でころっと態度が豹変するのでなかなか慎重な選択が求められる。
で、我が家で「AXIOM80」を鳴らす資格のあるアンプといえば、どうなんだろう・・、定評もお値段もあまり当てにならない気がするけどな~(笑)。
で、今回はめったに出番がない「PP5/400シングルアンプ」を登場させてみよっか~。
この出力管は「お盆」と「正月」用として日頃は神棚に飾っているのだが、寿命との相談もあってぼちぼち出番があってもいいだろう(笑)。
前段管は「GSXー112」(トリタン・フィラメント)、出力管は前述どおり「PP5/400」(初期版:英国エジソン・マツダ)、整流管は「WE422A」(1957年製)となかなか凝った構成。いずれも簡単には手が入らない代物ですぞ!
実は、ここに至るまでに紆余曲折があって、たとえば前段管は「3A/109B」に、出力管は「PX25」(ナス管)に、整流管は「378」(ムラード)にしたりと「ひと騒ぎ」だったが、ようやくこのスタイルで落ち着いた。
で、肝心の音質は・・。
なかなかのもので、おそらく「WE300Bシングル」「6AR6シングル」より上を行くんじゃないかなあ~。
こればかりは脳に「希望的な色彩を帯びたフィルター」がかかっているので、オーディオ仲間の冷静な判断を待った方が良さそうだ。
それに「AXIOM80」がそんなに簡単に屈するとは思えないしね~。
で、あえて言わせてもらうと「AXIOM80」を鳴らすのに、三極管の双璧ともいえる「PP5/400」と「WE300B」、そして「6AR6」(三極管接続だとPX4と同等)で試せる強運の持ち主って、世の中にはたしてどのくらい居らっしゃるんだろう~。
おっと・・、最後になってとうとういつもの「地」(自画自賛)が出てしまった(笑)。
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このところ起床時の室内温度計はまるで計ったようにきっかり26℃を指し示している。
いつもブログを拝読している「T」さん(東海地方)のお宅では25℃ということで、別府の方が1℃高い。
たった1℃とはいえ、えらい違いでTさんは肌寒く感じるほどと仰っているが、九州ではまだまだ涼しさが実感できない・・。
さて、先日久しぶりに音楽愛好家の「K」さんからメールをいただいた。(匿名ということで無断転用、お許しを!)
「オーディオ機器もCDも、人の評価や人気よりも、自分の耳と判断力で良いものをさがし出そうと思いながら、許 光俊氏の評論には、ついのせられていくつか買いました。ケーゲルのアルルの女と、キョンハの四季と。
そして、さらにベルティーニのマーラー交響曲全集がお買い得価格になっているのを見て、迷いながらも注文しました。明日、届く予定なので楽しみです。」
「芸術の秋」の足音が微かに伝わってくる時節柄、思い出深い曲名が出てきたりすると、つい感慨に耽ってしまう・・。
ずっと昔の学生時代(福岡)の話だが、長兄が持っていたレコードの中にオッテルロー指揮の「アルルの女」があった。
当時のことなのでチャチなステレオ装置だったが、音の良し悪しなんかにはいっさい興味もなく、ひたすら音楽だけで十分満足していた時代で、レコードのライナーノートを繰り返し読みながらこの曲を聴き耽ったものだった。
その後、オークションで、やっとの思いでオッテルロー指揮のCD盤(外盤)を競り落としたので、長兄に連絡してそのライナーノートをコピーして送ってもらった。
余談だが、このオッテルローさんはジャケットにあるとおりの自動車狂で、スピードを出し過ぎて事故で亡くなってしまった。当時からすでにオランダ最高の指揮者として君臨し、さらに将来を嘱望されていたのに惜しいことをしたものだ。
さて、このライナーノートから、かいつまんで記してみよう。
≪アルルの女≫はドーデが書いた「風車小屋だより」(短編集)の第六番目に出てくる物語で、自ら脚色して三幕物の芝居として仕立てあげた。これに作曲したのがビゼーだったが、初演は大失敗。ドーデはこう嘆く。
「ああ!もうだめだ。半年の骨折りと、夢と、疲労と、希望、これらいっさいが、たった一夜のガス燈の焔に、焼けて、消えて、飛び去ってしまったのだ。」
しかし、本当に価値のある作品はいつまでも埋もれているはずがなく、初演から13年後に再演され、今度は大当たりをとって今日までフランス演劇の重要なレパートリーとなっている。
芝居の「あらすじ」は、ご存知の方も多いと思うが次のとおりである。
「アルル近郊の町の旧家の長男”フレデリ”は20歳の青年。父はすでに亡く、母と白痴の弟、それに老僕の4人暮らし。あるとき闘牛場で知り合った妖艶な”アルルの女”に心を奪われてしまう。
しかし、その女は牧場の番人の愛人だった。フレデリは家族の猛反対にあって、仕方なく諦めて幼馴染の農家の娘との結婚話を進めるが、アルルの女が牧場の番人と駆け落ちすると知り、嫉妬と絶望のあまり塔の頂上から身を躍らせて自殺する。その亡骸を見ながら老僕がつぶやく。”ごらんよ。恋で死ぬ男があるか、ないか・・・・”」
もちろん音楽も良かったが、当時まだ未成年のスレていない初心(うぶ)なハートにはストーリーの方がショックで、いまだ知らぬ大人の世界への興味も手伝って「人間は恋のために死ねるのか!」と、その狂おしい情熱に大いに心が揺さぶられたことだった。
こういう思い出があるから、「アルルの女」にはひときわ”こだわり”があり、小林利之氏(音楽評論家)が推薦する演奏をコツコツと収集した。
トスカニーニ盤、クリュイタンス盤、マルケヴィッチ盤、オーマンディ盤、デュトワ盤。
いずれ劣らぬ名演だが、真打がこのたびKさんが購入されるというケーゲル盤で同様に「許 光俊」氏の評論を読んで共感を覚えた勢いでオークションで外国盤を手に入れた。
たしかオッテルロー盤を購入したときと同様に、当時この盤は「廃盤」になっていて、それはもう高値を呼んでおり諦めようかと随分迷った。
この曲はクラシックには珍しくサキソフォンが使われており、それが牧歌的な”いい味”を出しているが、賑やかさの中にも哀れな結末に収束していく物悲しさが全編に漂っている。
体制側の幹部だったケーゲル(東ドイツ)はソ連邦の崩壊とともに拳銃自殺を遂げた指揮者だが、まるでそれを予感させるかのように全体に哀愁を帯びて心の中に染み入ってくる味わい深い演奏。さすがに定評どおりの名盤だけのことはある。
しかし、それ以上に心情的にしっくりくるのはやはり「オッテルロー」盤だった。
感受性豊かな若い頃にひとたび脳裡に深く刷り込まれた演奏は、その後どんな名演が出てこようと、覆るのは難しい。
あの日、あの時、あの場所で聴いた音楽・・。
どうやら個人的な「思い出」と「音楽」とは深い部分で分かち難く結びついているものらしい。
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