「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

よき友三つあり

2017年10月31日 | 独り言

昨日(日本時間:2017.10.30)のMLBのワールドシリーズ第5戦「アストロズ VS ドジャース」は、稀にみる好試合だった。

抜きつ抜かれつのシーソーゲームで打撃戦を展開し、結局5時間以上に及ぶ熱戦の末「13対12」でアストロズの勝利に終わったが、これまで限りなく野球の試合を観戦してきたが間違いなくこれがベストゲーム。生きているうちにこんなに「手に汗握る」試合に巡り会えてほんとにラッキーだった。

閑話休題

日本文学史上有数の随筆文学とされる「徒然草(つれづれぐさ)」(1330年:兼好法師)。

およそ700年前に書かれたものだが「人生の教訓」や「警句」などがいたるところに散りばめられており、現代にも通用することばかり。

たとえば誰もが関心を持つ「生老病死」(第155段)についてこういう記述がある。

「生まれること・老いること・病・死。これらが移り来る事は、季節以上に速い。四季はそれでもやはり決まった順番があるが、死ぬ時期には順番がない。死は前からばかり来るものではない。いつの間にか、後ろに迫っている。

人は皆死ぬことを知っていて、待っていても、それほど切迫した状態ではない時に、自覚なしにやって来る。沖の干潟ははるか遠いといっても、足元の磯から潮が満ちているのと同じである。」

人生の本質は昔から少しも変わっていないことを思い知らされるが、
第117段には「持つべき友達」として3つのタイプが挙げられている。

「よき友三つあり。一つはものくるる友、二つには医師(くすし)、三つには知恵ある友」

世俗とは縁を切ったはずの兼好法師にしては「ものくるる友」とはやたらに現実的だが(笑)、まあ「気前のいい友達」というぐらいの意味だろう。そのほかの「医師」も「知恵ある友」も今の物差しでも十分理解できる。

これを自分に当てはめるとどうなんだろうと考えてみた。

「よき友三つあり。一つは気前のいい友、二つにはオーディオに詳しい友、三つにはパソコンに精通した友」と、いったところかな(笑)。

先日、急にパソコンがうんともすんとも動かなくなった。目を付けたオークションの落札日が目前に迫っているので流石に慌ててしまった。

毎日、朝から晩まで酷使しながら6年近く経過しているパソコンなのでおそらく寿命だろう。すぐに近くの大型電気店に駆け込んで「買い換えるので今日中に何とかできませんか」。

質素倹約をモットーにしているけれど、毎日多大の恩恵を被っているパソコンの
代金だけは少しも惜しいとは思わないのが不思議だ(笑)。

スムーズに商談成立し、お手頃のパソコンを購入することにしてその日の夕方には専門スタッフが設定に来てくれた。

ほっと一息。

どうにか新しいパソコンに馴染んでくると急に欲が出てきた。古いパソコンに保存していた映像やメル友との過去メール、登録しておいた膨大な「お気に入り」の記事などを引っ張り出して新しいパソコンに移せないものか・・。

ふとMさん(大分市)の顔が浮かんだ。アンプの製作にメチャ精通した方だが、たしか友達のパソコンを修繕したという話を小耳にはさんでいたことを思い出した。

連絡してみると「早く相談してくれれば良かったのに~。おそらく新しいパソコンを購入しなくて済んだと思うよ。」

翌日、さっそく我が家にお見えになって故障したパソコンを弄り回してもらいデータをすべて引き出して新しいパソコンに移行してもらった。凄いっ!

おまけに、ハードディスクを入れ換えてもらって故障したパソコンが見事に蘇ったのには感激。こんなことなら新しいパソコンを購入する必要がなかった!

まあ、2台体制の方が安心ではあるが・・。

「パソコンは消耗品なので故障はつきものだと考えておいた方がいいです。いつ故障してもいいように予備のハードディスクで2台ともバックアップしておきましょう。」

まことに至れり尽くせりなので、感謝のあまり「手間賃と材料代を支払いますので遠慮なく仰ってください。」

「ああ、ハードディスクの代金だけいただいときます。オークションでまとめて落札したので安上がりで済みました。」とのことで、ほんとに雀の涙の金額をお支払いした。

まったく、Mさんは理想的な「よき友」である(笑)。

また、パソコンの修理のさなかに話が弾んでTRアンプに及び、Mさんは自作マニアなのでご自宅に在庫が山ほどあって、そのうちの1台をお借りすることになった。

   

TRアンプで鳴らす「低音域」にはかねがね試してみたいと思っていた。以前、ケンウッドの非磁性体アンプ「01-A」を持っていたが、図体が大きすぎるし、重すぎるしで持て余したので処分したが、これなら気軽に使えそう。

画像右側の大きなトランス2個はインピーダンスのマッチング用とのこと。このTRアンプは4Ω出力がベストなので8Ωと16Ωのスピーカーをつなぐときに結線するものだが、同時に暴走が起きた時のスピーカーの破損防止も兼ねている。

「それなら安心ですね」と、JBLのD130「イン・ウェストミンスター」(500ヘルツ以下)に繋いで鳴らしてみた。

ちなみに500ヘルツ以上を分担する「AXIOM80」(ウッドホーン付き)を駆動する真空管アンプは「PX25シングル」。

TRアンプと真空管アンプの組み合わせとなると音色の違いが一番の懸念材料だったがMさんともども「まったく違和感がありませんね~」 。

明らかに低音域の駆動力が向上し量感と引き締まったレスポンスに恵まれて、ストラヴィンスキーの「春の祭典」(ゲルギエフ指揮)のスピーカーが壊れんばかりの低音を久しぶりに堪能した。

JBLのD130(口径38センチ)は能率が103db(カタログ上)もあるくせにかなりのハイパワーアンプで鳴らさないと思い通りに言うことをきいてくれない。このユニットを使っている方ならきっと思い当たるはず。

「これ、気に入りましたのでしばらく貸してくださいよ。」「ああ、いいですよ。」

まったくMさんは究極の「よき友」なのだ(笑)。

  



 


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「昔の指揮者は良かった」症候群

2017年10月29日 | 復刻シリーズ

「昭和33年」(2006年12月、布施勝彦著、ちくま新書)という本がある。
                                             

著者の執筆動機が表紙カバーに次のように書かれている。

「映画”ALWAYS 三丁目の夕日」を見て多くの中高年と、なぜか20台の若者までが”あの頃は良かった”と涙を流した。昭和30年代を黄金期とする言説がある。あの頃は日本が一番輝いていた、貧しかったが夢と希望のある時代だったという。だが、本当にそうだったのだろうか?」

こういう問いかけのもとに、本書は昭和33年当時の政治、経済、社会、国際情勢などを具体的に数字を交えて一つ一つ克明に追っていく。そして結局のところ世界で最も豊かな先進国の一つとなった今の日本の方がはるかに生活しやすく、人々も幸せに暮らしていると分析し、過去への幻想を切り捨てて未来志向へと切り換えなさい、というのがその趣旨だった。

人間は押しなべて「あの頃は良かった」と過去を美化しがちな傾向があるのは否めない。

いわば、「昔は良かった症候群」。

それも、”昔は”と言うくらいだからそろそろ人生のゴールが見えてきた中高年層にその比率が高いだろうし、さらには当時を振り返ることで自分の「若さ」が持っていた可能性や夢といったものを懐かしむ側面もきっとあるに違いない


さて、「この昔は良かった症候群」に関連して、つい音楽の世界を連想してしまった。


たとえば、指揮者の世界。

トスカニーニ、フルトヴェングラーなど1950年代前後を中心に活躍した往年のマエストロたちに対する賛美はいまだに尽きない。

フルトヴェングラーは先年の「レコード芸術」で50人の評論家と読者による名指揮者ベスト・ランキングで堂々と第1位に選ばれており、トスカニーニも第4位と健闘しているほどで、だれもその卓越した指揮振りに口をはさむ者はいない。

                                 

それに比べて今の指揮者の評価は一般的に「スケールが小さくて小粒だ、芸術性に乏しい」などの厳しい評価が後を絶たない。

「昔の指揮者は実に良かった」!

しかし、本当にそうなのだろうか?「昭和33年」のようにいたずらに過去を美化しているだけではないのだろうか。


と、いうわけで、現代の指揮者を客観的に見てみると、一番大切とされる「作曲者の意図を理解して忠実に再現する能力」は往年のマエストロに比べて少しも遜色はないように思える。

たとえば、自分の知っている範囲では、「春の祭典」を聴いて度胆を抜かれたワレリー・ゲルギエフ、「魔笛」のDVDを視聴して感心したフランツ・ウェルザー・メスト(現クリーブランド管弦楽団音楽監督)、ヨーロッパで活躍されている大野和士さんもオペラの指揮で多彩な才能を発揮されている。

しかし、残念なことに昔とは決定的に違うところがあって、それは当時の指揮者たちが絶対的な権力を持つことが許されていたこと。

トスカニーニなどは練習中に楽団員たちに”のべつくまなく”罵詈雑言を浴びせ、絶対服従を強いた。その結果当時の録音を聴くとよく分かるが、楽員たちが一糸乱れぬまるで軍隊の行進のように緊張しきって演奏しているのがよく分かる。

楽団員全員の神経が張りつめた「緊張感あふれる演奏」、ここに指揮者のカリスマ性が生まれる余地がある。

フルトヴェングラーも似たようなもので、楽団員たちが「マエストロの指揮にならついていける」と、心酔していたからあのような神がかった演奏が達成できた。

これに比べて、今の指揮者たちは当時とは時代背景がまったく変わってしまっているのがお気の毒~。すっかり民主化という波が押し進められ絶対的な地位が失われて、団員たちとの距離もすっかり近くなってしまった。

ユニオンという背景もあって、音楽以外の雑用も気にしなければならず、これでは指揮者が自分の個性を十二分に発揮しようがないのも事実。

それにもう一つ決定的な違いがある。

1950年代前後は周知のとおりクラシックの黄金時代とされているが、「芸術(クラシック)と娯楽の境界」が現代と比べて比較的はっきりしていたので、指揮者に対する尊敬と称賛が自然に注がれていた。

それに引き替え、現代は両者の境界というか垣根が徐々に低くなってきていて、まあ平たく言うとクラシックが地盤沈下したのか、あるいは全般的な娯楽の質と量が向上したのか、それとも両方の相乗効果か、いずれか定かではないが、どうかするとクラシックが娯楽並みに「コマーシャル・ベース」や「暇つぶし」の感覚で扱われるようになっている(ブルーノ・ワルター談)。これでは指揮者の社会的に占める位置づけも当然変わろうというものだ。

結局、「昔の指揮者は良かった」というのは事実だろうが、「当時は取り巻く環境に恵まれていたからね」というエクスキューズが必要な気がするがどうだろうか。


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AXIOM80の鳴らし方の一考察と実験

2017年10月26日 | オーディオ談義

どんぐり ころころ ドンブリこ 「小池」にはまって さあ大変  「枝野」が出てきて こんにちは みなさん 一緒に遊びましょう

今回の総選挙(2017.10.22)はこの童謡に尽きる(笑)。

閑話休題

先日(10月13日)、愛知県からお見えになったSさんとの会話の中でとても興味のある事柄を伺った。

SさんはTRアンプに精通された方だが、その製作にあたって毎日、1日の初まりに「今日はここぐらいまでにしておこう」と作業の進行度合をあらかじめ定めておくそうだ。

時間の余裕を確保することで、焦るあまりの凡ミスの防止や何かしら改良点の発見につながることが多々あるとのこと。

人間は休んでいる間に「脳」の方で勝手に記憶の定着や情報整理をやっていると何かの本で読んだことがあるが、それと似たようなことかもしれない。

自分にも思い当たる節がある。スピーカー周りの工作をしていると、早く音を聴きたいばかりについ焦ってしまい最後の方は「やっつけ仕事」になって、後になって改良点が見つかったりするがもう「後の祭り」になることが往々にしてある。

つまり、何が言いたいかというと「拙速は禁物だ」ということ。

そういうわけで、フルレンジとして使っているAXIOM80にウッドホーンを取り付けるときも同じ轍を踏むまいと用心した。

口径30センチのフィリップスのユニットをウッドホーンに取り付けてから、意識して1日間隔をおいてから、いよいよ作業に着手した。

簡単に済むだろうと思っていたら想像以上に大変で左右両チャンネルの作業に4時間ぐらいかかった。

グダグダ書くよりも画像をご覧になった方が手っ取り早い。

    

作業の手順だが、まずウッドホーンにAXIOM80を取り付け、そのウッドホーンごと今度はバッフルに取り付けるという二段階に分かれる。いろいろとノウハウがあるが、いちいち書く程の事でもないので省略する。第一、面倒くさい(笑)。

理論上のメリットは次のとおり。

 取り付けネジをいっさい使っていないのでユニットのフレームの歪みは皆無

 ショートホ-ンの効果で音の空振りが少なくなるし、かつバッフルに当たって跳ね返る間接音の軽減も見込めるので音像がシャープになる

 エンクロージャー内部でのユニットのコーン紙に対する定在波の干渉が被せたホーンのおかげで抑えられる

と、いいことずくめ。これは一石三鳥だっ!

通常、オーディオはどこかをいじるとプラスとマイナスの両面性が出てくるのが当たり前だが、このケースではプラス面ばかりでマイナス面が見当たらないというのも珍しい。

とはいえ、一番の問題は実際に出てくる音だ。これまで限りなく「理屈倒れ」を経験してきたので、こればかりは聴いてみないとわからない。

ハラハラ、ドキドキ、ワクワクしながら出てきた音は・・・。

ウ~ン、いったいどういう表現をしたらいいんだろう。

イメージとしていえば、「眉間にしわを寄せた神経質そうなタイプ」から「満ち足りた表情をした好々爺」に変身といった感じかな(笑)。

肩の力が抜けた「ごく自然な佇まい」に深く感じ入った。コーン紙を使っているのに「紙臭い音」がしないのは、エッジレスと強力なマグネットの賜物だろう。

これで十分だと思ったがさらに欲が出て次の二つの対策を講じた。

 吸音材とのマッチング

「小袋に入れた羽毛の吸音材」をエンクロージャーの中に2個張り付けた時と、取り除いてユニットの真後ろに1個張り付けたときとで比較してみると、前者はやや沈んだ音になり、後者だと明るめの音になった。好き好きだが自分は2個のときの方が良かった。念のためすべて取り払うと明らかに音がキャンキャン気味になってアウト。

 駆動するアンプとのマッチング

もともと、たいへん神経質なユニットなのでアンプを選ぶことで有名だが、今回はさほど選り好みをしなかった。

とっかけひっかえ試してみると、「周波数レンジ」では「WE300Bシングル」、「音の質感」では「171シングル」、「長時間気楽に聴ける」点では「371Aプッシュプル」がよかった。こうして適応できるアンプの幅が広がったのはありがたい。

中でも小出力であることから所詮は脇役に過ぎないと思っていた「171シングル」の善戦が光った。

   

オール・ナス管で、左から前段は「AC/HL」(英国マツダ:最初期版)、出力管は「171」(トリタンフィラメント)、整流管は「480」(SPARTON:メッシュプレート仕様)、そしてインターステージトランス内蔵。

「メッシュプレート仕様の整流管を使うと全般的に極端にノイズが減って澄み切った音が出ます。改造した甲斐がありましたよ。」(北国の真空管博士)

これまで「フルレンジで鳴らすAXIOM80」のベストの音を目指していろいろやってきたが、我が家に限っての話だがようやく「山の頂に向かって九合目ぐらいには辿り着いたかな」という感じ。

以上、ささやかな一考察と実験だったが「AXIOM80」に興味のある方の一助になれば幸いです(笑)。



 


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ウッドホーンへの執着

2017年10月24日 | オーディオ談義

全国的に見ても九州は方言の宝庫だと思うが、その中でも独特の「博多弁」に対して一般的にどういう印象が持たれているんだろう?

一例をあげると「何ばしようとな」(何をしているの)、「どげんもこげんもなかろうもん」(どうもこうもないでしょう)、「しゃあしかー」(うるさいなあ)

「都会なのに喋りが田舎っぽい」、あるいは「いかにも方言らしくて味わいがある」などと、おそらく毀誉褒貶相半ばだと思うが、その中に「のぼせもん」という言葉がある。漢字では「逆上もん」と書く。博多生まれの博多育ちなので小さい頃から馴染んでいる言葉である。

良く言えば「情熱を持って物事に取り組む熱い博多っ子」であり、悪く言えば「調子に乗ってすぐにいい気になる軽薄な人間」という意味だが、一般的には後者の意味で使われることが多い。

そこでオーディオの話になるが、裸のAXOM80用<500へルツ~>のウッドホーンが絵に描いたようにうまくいったので、このところすっかり「のぼせもん」になってしまった(笑)。

先日のこと「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って、再度大分市郊外の大型「DIY」店へ出かけてみた。

今回の目的は口径30センチのユニットが納められる比較的大きめのウッドホーンと、フルレンジで鳴らす比較的小さめの「AXIOM80」(フルレンジ)用のウッドホーンの2種類の植木鉢の探索である。

例によって広い売り場にはサイズの違う物が沢山あって、より取り見取りで「口径30センチ用」と「25センチ用」の紐を押し当てるとすぐにサイズがピッタリのものが見つかった。

自宅に戻るとさっそく工作に取り掛かった。もう楽しくて、楽しくって~(笑)。

まずはフィリップス(口径30センチ)のユニットの取り付け。

グダグダと書くよりも画像が一番手っ取り早い。

        

植木鉢の中にすっぽりユニットを収めるだけだから実に簡単。少しばかりノウハウがあるが面倒くさいので省略(笑)。

   

置き場所はとりあえずウェストミンスターの横に置いて後ろ側の狭い空間を利用することにした。

さあ、いよいよ音出しへ~。

オッ、想像以上にいいじゃないか!(笑)

フィリップスらしい繊細さが如実に感じ取れるし、フレームがやや貧弱で薄っぺらなのでネジ止め(8か所)をまったくしていない効果がモロに出てきたようだ。

これで十分だと思ったが、JBLのD123(口径30センチ)にしたらどういう音が出るんだろう。

つい興味に駆られてスペアとして保管していた2号機のJBLの「D123」(8Ω)を使ってみることにした。

アメリカ系のユニットは箱の力を借りようとせずにユニット自体で強引にものをいわせようとする傾向があるのでもっとうまくいくかもしれない。

ユニットの交換が簡単にできるので大いに助かる。

    

あれっ、低音域の伸びはさすがだが高音域への伸びが明らかに足りない。これはいけませぬ~。このユニットはフルレンジと銘打ってあるもののツィーターとのセットが不可欠のようだ。

フィリプスの方がずっとバランスがいいので、すぐに元に戻した。


この鳴らし方の最大の利点としては、ユニットの素の味が味わえるし、いっさい「音がこもらない」ところにある。SPユニットは箱に入れて鳴らすものという先入観が蔓延しているがこういうアプローチだって大いに見直されていいと思う。

これは平面バッフルや後面開放型を使った鳴らし方とも明らかに違うが、「箱鳴りによって音像がぼやける」のが嫌いな方にはお奨めかもしれない。

さて、次はいよいよフルレンジとして使っている「AXIOM80」のエンクロージャーにウッドホーンを取り付ける話である。

さあ、あの気難しいAXIOM80さんが機嫌よく鳴ってくれるかどうか、もう胸が高鳴るばかり~(笑)。

 


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オークション情報~2017・10・22~

2017年10月22日 | オークション情報

オーディオの世界で徒に馬齢を重ねているものの、一方では利点もあるようで、たとえば有名ブランド名を聞いただけでその製品がどういう傾向の音質かおおよそ推察できるようになった。

連綿として続くメーカーのポリシーがきちんと製品に反映されていることに歴史の重みをズシリと感じるが、世界中の数あるオーディオブランドのうち頂点を極めているのが「ウェスタン・サウンド」(アメリカ)だ。

何しろ歴史あるウェスタン社が製作したスピーカーや真空管などはずっと超一流の名前をほしいままにしており、全盛時代の平家(平安時代)のように「平家にあらずんば人にあらじ」をもじって「ウェスタンにあらずんばオーディオにあらじ」とばかりに鼻息が荒い(笑)。

たとえば第二次世界大戦中に軍の通信用として使用された真空管300Bは、人命がかかっているので国策として政府がお金に糸目をつけずに拠出してウェスタン社に作らせたこともあって音質から耐久性まで出力管の王様としていまだに君臨している。

しかも、当時は真空管の材料の中に現在では使用禁止の「放射性物質」などが使われているという噂もあったりで、現代の技術をもってしても再生産は不可能と言われている。

国内では、とことん突き詰めたウェスタンマニアが「うじゃうじゃいる」が(笑)、我が家でもメインとなっている真空管アンプは「WE300Bシングル」なので、ささやかながらその一角にそっと加わらせてもらっている。

このアンプがないと、我が家のオーディオは途端に色褪せてしまうほどの存在感があるが、
その希少な300B真空管が、このほどオークションに大量に出品されていたのをご存じだろうか。

知っている範囲で、300Bの刻印(1940年代前後)モノが4本、1950年代のモノが5本と同一人物からの出品で、これだけ一挙にまとめて出品されるのはまことに珍しい。しかも、ペアではなく1本づつの出品なのでなかなか飛びつきやすい。

さすがに心穏やかならず久しぶりに色めき立った(笑)。刻印は持っていないので、お値段次第だがぜひ欲しい!

刻印というのは真空管のベースの部分に「WESTERN」という印字がプリントではなく刻み込んであることをいう。オークションにもめったに出品されないし、もし程度のいいものならペアで100万円前後が相場である。

こういう高価で希少管の入札には古典管の生き字引である「北国の真空管博士」に相談するに限る。

すると、「取引している業者さんから最近伺った話ですが、これまでは主に海外からの調達に頼っていた古典管ですが、国内で買ってくれという方が多くなったようです。どうやらマニアの高齢化現象のようで、もう必要が無くなったから手放すというのが理由だそうです。300B真空管については今晩オークションの画像をじっくり見させてもらってご返事します。」とのことで、翌日に次のようなご返事があった。

「出品された真空管はすべて測定値が付いてないのであくまでも画像から推察したものです。まず刻印物ですがいずれもかなり使い込んでますね。管の上部に独特のスモークがかかっています。おそらくオーディオ用に使ったものではなくレギュレーター用などで酷使した形跡が伺えます。止めておいた方が無難でしょう。

ほかの1950年代のものでは、2本が程度が良さそうです。番号は〇番と〇番です。ただし実際に鳴らしてみないと何とも言えませんけどね。」

「いやあ、どうもありがとうございました。そういうことなら刻印物は止めておきます。1950年代の2本は入札価格の推移をみて判断してみましょう。」

落札日は17日(火)の夜10時だった。いつも早寝だがこの日はそういうわけにもいかず、ミステリー「失われた図書館」を読み耽りながら、9時半頃からパソコンにくぎ付けになった(笑)。

すると、落札時刻間際になって見る間に入札価格が上がるわ、上がるわ。これではちょっと手が出せませぬ~。

結局、博士ご推薦の程度のいい300B(1950年代)は24万円で落札された!

一方、程度の悪い300Bは12万円程度だったので、入札者たちは実に目が高いと感心した。まったく生き馬の目を抜く世界ですよね~。

それと程度が悪いとされていた刻印物がいずれも40万円前後で落札されていたのには驚いた。

翌日、博士にご注進に及ぶと、「300Bは使いこなしに独特のノウハウがあってとてもうまく鳴らすのが難しい球なんですけどねえ。あんなに程度が悪そうな刻印物がそんなに高値だったとは驚きました。刻印を使っているというだけで気分的に高揚して、いい音だと信じ込む効果も無視できませんが(苦笑)」

「そうなんです。オーディオは気分で左右されるところが大いにありますし、所詮は自己満足の世界ですからねえ。それにしても300Bの高騰状態がこんなに続くとビンボー人にはますます縁遠くなるばかりですよ。」

我が家にはWE300Bのあまり程度がよろしくない「1951年」製が2本、息も絶え絶えの1967年製が1本、元気印の1988年製が2本ある。

どうか「我が命尽きる」まで300Bの寿命が先に来ませんように~(笑)。



 


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オーディオは「見た目の第一印象」も大切

2017年10月20日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

「見てくれを良くする」ことを理由に500ヘルツ以下(12db/oct)をカットした裸の「AXIOM80」にウッドホーンを取り付ける話になって木製の植木鉢でピッタリのものが見つかった。

       

音響効果の方もバッチリだと思うが(笑)、締め付けるネジの類はいっさい使っておらず、ユニットのフレームの歪みとはまったくの無縁状態というのが最大のメリットだし、それにホーンのおかげで背後からの音の回り込みも幾分か防止できる。

取り付けの完了報告をうけて県内に滞在されていたSさん(愛知県)が再度13日(金)の10時ごろにお見えになった。


「よくもまあこんなものを見つけましたねえ。これはもう奇跡ですよ!」

「いやあ、これもアドバイスをいただいたおかげです。グッドタイミングでした。」

と、エールの交換をしてから(笑)、二人してマルサリスのトランペットに聴き入った。

Sさんから「これは素晴らしい!ずっとトランペットらしくなりましたよ。これなら弦楽器に加えて管楽器も十分いけます。まったく値段良し、見かけ良し、音良しの3拍子ですね。」という言葉をいただいた。

いくら他人の言葉であっても「臆面もなく誉め言葉を鵜呑みにして書くな」と、一部からお叱りを受けそうだが、「ありのままに」が(ブログの)モットーなのでどうか許してほしい(笑)。

そうそう、肝心のウッドホーンのお値段の方だが1個2千円として2個で4千円で済んだのだから「遊び道具」としては上出来だ。

今回の発想の出発点は、聴覚的な音質うんぬんよりも(システムへの)視覚的なアプローチだったのがとてもユニークだった。

やっぱりオーディオシステムは見た目の第一印象も大切で、裸のAXIOM80に対する違和感を率直に指摘してくれる仲間がいて助かった。

下記の画像のように裸のときよりもずっと見栄えがいいと思うのだが、ちょっと身びいきかな~(笑)。

                  

午後からは趣向を変えて、アンプを「PX25シングル」にしてスピーカーは「AXIOM150マークⅡ+デッカのリボン型ツィーター」に切り替えた。JBLを鳴らした時にはWE300Bシングルアンプと組み合わせてアメリカ勢同士の組み合わせだったが、今度はイギリス勢同士の組み合わせとなった。

二回目のご訪問となるSさんが初めてお聴きになるシステムだが、歌謡曲をよくお聴きになるとのことなので、「同感です。このところ私もよく聴いてますよ。歳を取るとだんだんクラシックが重たくなって歌謡曲が良くなりました。」と言いながら「ちあき なおみ」「フランク永井」と順に聴いていただいた。

フランク永井の「夜霧の第二国道」には思い出があって、小学校の高学年のときにバス旅行があり、道中誰もが歌うことになり順番が来たので当時流行っていたこの歌謡曲を歌ったところ(オールドミスの)先生が眉を顰めながら「そういう歌をどこで覚えたの?」。

そりゃそうですよねえ、小学生が歌詞の意味をよく分からないまま「つらい恋なら、ネオンの海へ・・」と歌うんだから~。

今、振り返ってみると「赤面もの」で当時から「TPOをわきまえる」ことがたいへん苦手だったようだ(笑)。


話は戻って、Sさんから「これはまさに癒し系の音ですね。実をいうと、こういう音が一番好きなんです。デッカのリボン型ツィーターがよく利いてますね。とても品のいい音に仕上がってます。これまで真空管アンプの音に興味がなかったのですが、ここで聴かせていただいて俄然ヤル気が出てきましたよ。」

そこでこう申し上げた。

「真空管アンプにも弱点があって、ちょっと低音域の応答性が良くないです
ね。その点TRアンプの方が一枚上だと思います。しかし、中高音域の倍音の美しさに惚れ込んでいますので仕方なく使ってます。音に迫力をお求めになるのならTRアンプの方がいいと思いますが・・・」

いずれにしても、Sさんはイギリス系の音がお好きだったのには驚いたが、内心では思い入れのあるJBLではなかったので少しガッカリ(笑)。

しかし、さすがはグッドマンとデッカのコンビで持ち味を存分に発揮してくれてハッピー。つい最近、市販のネットワークを使って「クロス4000ヘルツ,12db/oct」のもと4000ヘルツ以上をデッカに持たせて際立たせたのが功を奏したようだ。

我が家では「心を癒してくれるサウンドを求めるのならグッドマン」、「活力と元気に満ち溢れたサウンドを求めるのならJBL」に、はっきりと色分けできる。

Sさんとは半年後の再会をお約束して午後2時ごろにお別れした。これから実家のある福岡へ向かわれる由。

お帰り際にシステムの写真を撮られて「半年後にどう変わっていますかねえ。」とのことだったので「もうこの辺で十分のような気がしてきました。そろそろオーディオは打ち止めにしようかと思ってます。」

つい悟ったような言葉を口にしたが、はてさて、どうなることやら・・・(笑)。

 


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AXIOM80用のウッドホーン

2017年10月18日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

遠路はるばる愛知県からお見えになったSさんから試聴会(2017.10.11)で示唆をいただいた「AXIOM80にウッドホーン」を取り付ける話だが、思い立ったが吉日とばかり、翌日(12日)材料探しに「DIY」店に駆け込んだ。

朝一番にまず「AXIOM80」の直径を計測すると25センチだったので、同じ長さの紐をハサミでカットしてポケットに忍ばせた。本日の材料探しは寸法が合うかどうかが「すべて」である。

別府市内には大型の「DIY」店は無いので、お隣の大分市までクルマで50分ほどかけて到着。

初めに頭の中に思い描いていたのは円形の大きな木製のごみ箱を代用することだったが、すべてプラスティック製だったし、寸法も合わないのでやむなく方向転換して、植木鉢売り場へと向かった。

とても品数が豊富で、初めに目についたのが素焼きの植木鉢でずっしりと重量感があって、直径の方も用意していた「紐」を当ててみると、どうにかいけそうだ。

これを第一候補にしてさらに広い店内をうろつくと格好の木製の植木鉢が目に入った。「紐」を押し当ててみると見事にピッタリ。これだこれだと小躍りして購入することにした。

レジで並んで待っていると、近くの老夫婦づれのご婦人の方が洒落た植木鉢ですね。室内で使われるんですか?」「ハイ、そうですよ」すると「私の家は庭が広いので・・・」

いったい何が言いたいんだろう?

「私の家は庭が広いのでそんなものは外で使います。」としか解釈のしようがない。

カチンと来たので「これは加工してスピーカーに取り付けるんです。」と言ってやった。

そのご婦人、さすがに当惑気味で「?」とした顔をしていたが、そっと離れていった。まったくもう見栄と虚栄心ってやつは・・・。

とはいえ、人を謗る資格を持ち合わせていないのが残念(笑)。

自宅に戻るとさっそく作業に取りかかった。まず、植木鉢の底のプラスティック性の部分のネジを6か所外すとすっぽり取れたので、裸のAXIOM80を入れてみると、きつ過ぎず、緩すぎずでなんと奇跡的にピッタリ。取り付けネジなどユニットを固定する道具はいっさい使わずに済んだ。

まるで、あつらえて作ったみたい。論より証拠で取り付け後の画像がこれ。

       

見かけはバッチリだと思うが、問題は音響の方だ。板厚は1.2センチだが、いったいどんな音がするんだろうと、ワクワク・ハラハラ・ドキドキ~。

いざ音出ししてみると、意外にも冴えない感じ。ホーンを付けたのだから音響効果が上がるはず、したがってボリュームを絞った方がいいと判断したのだが、実は逆だった。ボリュームをぐっと上げると見違えるほど元気のいい溌溂とした音になった。

音の浸透力が裸のときとはまるっきり違うし目を見張るホーン効果に、ああ、良かった!!

さっそく、まだ県内に滞在されているSさんの携帯に「例の件うまくいきましたよ」と、ご連絡すると、「それはぜひお聴きしたいですね、明日(13日)の午前中に再度お伺いしていいですか?」

一つ返事で「ハイ、どうぞ~」(笑)。

以下、次回へと続く。

 

 


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オーディオ愛好家のご来訪~2017.10.11~

2017年10月17日 | オーディオ談義

今年(2017)の4月に、遠路、愛知県から初めて我が家にお目見えになったオーディオ愛好家のSさん。TRや真空管アンプの製作・修繕はお手の物だし、耳の方もとても鋭い方である。

この11日(水)に里帰り(福岡県)を兼ねて半年ぶりに仲間のMさん(大分市)ともども我が家にお見えになった。

この6か月の間に我が家のシステムはすっかり様変わりしたので、試聴の結果どういうご意見が飛び出すのかとハラハラ・ドキドキ・ワクワクしながら1か月ほど前から首を長くしてお待ちしていた(笑)。

試聴盤として予定しているのは、このところ頻繁に登場しているウィントン・マルサリスの爽やかなトランペットだが、これにマッチしたスピーカーの選定に異論が飛び出すかなど興味は尽きない。

     

おりしも当日の朝一番に我が家に到着したのが「チューブ・オーディオ・ラボ」さん(新潟県)が製作された「13FD7」のプッシュプルアンプだった。

      

去る10月上旬に開催された「真空管オーディオフェア」(東京)に出品されて好評を博したもので、試聴用としてフェア終了後に我が家に送付していただく予定になっていた。

まさにグッドタイミング、午後から一同で試聴させてもらった。使用したスピーカーはエース級の「D123+ホーン型ツィーター」。

「とてもレンジが広くて元気がいい音ですね。プッシュプルならではの力感も十分だし、これならどんなソースにも対応できそうです。」というのが一同揃っての印象。

大好評のうちに1時間ほど試聴してから、切り替えて「WE300Bシングル」アンプへ。

     

途端に音がぐっと渋くなってしまい、一聴するととても地味な印象を受けるが、Sさんのお言葉を借りると「こちらの方が音に品がありますね。」

「まだこのアンプは出来上がったばかりなのでもっとエージングが進むと、音がこなれてきっと品がよくなることでしょう。」と申し上げたが、WE300B(1951年製)と比べるのはいくら何でもちょっと酷だ(笑)。

お値段からすると大善戦と言っていいのでこれから十分楽しませてもらうが、比較的おとなしいスピーカー、わが家でいけば「AXIOM150+デッカのリボン型ツィーター」と相性が良さそうな気がする。D130の低域用(500ヘルツ以下)に使うのも面白そうだ。

とりあえず、本日は「WE300B」アンプでずっと聴きとおすことにした。

1時間ほど試聴してから今度はスピーカーを切り替えて「AXIOM80」にしたところ、「スピーカーの存在が消えて無くなりました!」と、錯覚を覚えられたようでエッジレス・ユニット特有の音離れの良さにSさんもひときわ感心されていた。

「この音ならトランペットだって十分いけますよ」との、お言葉だったので改めて「D123・・・」に戻すと、「やはりこちらの方が上ですね。質感に厚みがありますし音の伸びも違います。」

やっぱり(笑)。

最後に我が家で唯一の大型システム「JBLのD130+裸のAXIOM80」の試聴に移った。チャンデバにより真空管アンプ2台を使った2ウェイマルチ方式で鳴らしている。


「これまでとスケール感がまるっきり違います!それに何といっても音にゆとりがあるので長時間聴いても疲れを覚えない気がします。ただ、ちょっと見た目があまり良くありませんね。裸のAXIOM80には何だか違和感を覚えてしまいます。」

「はい、たしかに大型システムの良さは感じますが、個人的にはちょっと大味になるところがあると感じています。もっと低音域がシャープに締まってくれると鬼に金棒ですがこれはもう無い物ねだりでしょう。それと見かけの点ですが、今閃いたのですがAXIOM80にホーンを取り付けるといいかもしれませんね。さっそく探してみましょう。」

3人でみっちり4時間ほどの試聴会だったが、心残りは裸のAXIOM80を入れ替えて待機中のテクニクスのウッドホーンを聴いていただきたかったのだが、Mさんから「作業が大変でしょうし、AXIOM80で十分だと思いますよ」とのことで見送りとなった。残念。

ところで、裸のAXIOM80に対して見かけが良くなるようにホーンを取り付ける話だが、その後予想だにしない展開を見せて、見かけどころか音響効果に絶大な効果を発揮し、大化けすることになるが、その顛末とやらは次回以降にしよう。

どうかお楽しみに~(笑)。

    





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SPユニットのネジ締め付けノウハウ

2017年10月15日 | オーディオ談義

毎年のようにノーベル文学賞の候補に挙げられている作家の村上春樹さんだが今年も逃がしてしまった。残念!その村上さんが次のような言葉を残している。

「世の中には2種類の人間がいる。カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)を読んだ人間と、もう一つは読んでいない人間だ。」

この分類をオーディオに当てはめてみよう。

「オーディオ愛好家には2種類の人間がいる。市販のスピーカーをそのまま使う人間と、もう一つはそれを改造したり新たに製作する人間だ。」

スピーカー周りの工作は音質の変化の度合いといい、奥の深さといいオーディオの究極の楽しみだと思っているが、惜しいことにエンクロージャーを含めて市販のスピーカーをそのまま使っている人が圧倒的に多い。

市販のスピーカーなんて営利を目的としたメーカー側のコストを優先した妥協の産物に過ぎないと思っているが、まあ、中途半端に取り組むのなら市販のものを使う方が無難であることは間違いない。

いずれにしろ、「上から目線」の発言は不愉快だと言われそうだし、人それぞれなので無理強いはしない方がいいだろう(笑)。

さて、そういう方々には以下の話は無縁だと思うのでどうか読み飛ばしてほしい。

先日のブログ「AXIOM80の究極の使い方」(2017.10.10)で、主なテーマとなったSPユニットのネジ締めについて、メル友の「I」さんから次のようなメールが届いた。


「裸で鳴らす利点は、〇〇様が書かれている通りだと思いますが、表現を変えると、「ユニットの振動板を歪めないための方法」とも言えるかと感じています。 

本格的に裸で鳴らしたことのない私が言うのも何ですが、オーディオ仲間のボロトレーン邸の13㎝励磁型フルレンジは、アルミのマスを背負い、フレームはバッフルに接していません。

氏が懇意にしているハヤシラボのリファレンススピーカー(シーメンスのフルレンジ)は平面バッフルですが、やはりフレームはバッフルに接していません。 

古くはオイロッパのバッフルへの取り付けも非接触ですし、ドイツヴィンテージフルレンジはガスケットを介して取り付けますが、締める強さは「落ちない程度に弱く」と、これは「ペンションすももの木」のオーナーの言です。 

ユニットの振動板をストレスフリー状態に保つ方法が、フレームとバッフルの非接触すなわち裸なのかと・・・。どんなバッフルに取り付けても、フレームは歪み、振動板も歪むということでしょうか。 

一方、JBLは強固なバッフルに強固に固定する手法です。それによりアタックの強さを確保しているような気がします。 

もしかしたら、裸で駆動するということは”弦楽器のための究極の鳴らし方”なのかもしれませんね。」

以上の通りだったが、SPユニットのネジ締め一つとってみてもケースバイケースで、そのノウハウは果てしないようだ。

たとえばJBL(口径38センチ)の場合には思い当たる節があって、過去に締め付けたつもりの8か所のネジのうち2~3所が緩んでしまい弱音のときにビビリ音が出たことがある.

あんなにガッチリとして強固なフレームなのにネジの締め方ひとつでコーン紙が歪むのかと驚いたが、明らかにJBLはネジをがっちり締め付けた方が良かった。

AXIOM80の場合は、「落ちない程度に弱く」均等に締めるのがコツだろうが、アタック音のときにビビらない程度に締める頃合いが実に難しそうだ。

ところで、市販のスピーカーの場合は故障しないことが大前提なので、きっとネジをガチガチに締め付けているに違いない。

長年我慢して根気よく鳴らし込んでいくと、だんだんと音が良くなってくる話をよく聞くが、理由の一つとして経年劣化で取り付けネジが程よく緩んできて「いい音」が出るのかもしれない(笑)。


 

 


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管楽器の魅力

2017年10月13日 | 音楽談義

つい先日、メル友の「I」さん(東海地方)からお借りしたウィントン・マルサリスのCD「バロック デュオ」。

          

「トランペットってこんなに爽やかな楽器だったのか。開放的でブライトな響きの中に一抹の哀愁味を帯びているのがたまらなくいい。

それにクラシックでありながら、自由闊達で堅苦しいところがない。これがジャズトランペッターならではの持ち味だろうか。」
、たいへん月並みな言葉だがカルチャーショックとでもいうべき感覚に包まれながら連日耳を澄まして傾聴している。

あまりの素晴らしさに「I」さんからお借りしたCD盤をお返しするのが名残惜しくて、とうとうネットを通じて新しく購入してしまった(笑)。

これまで、クラシック主体に聴いてきたので「ヴァイオリンがうまく鳴ってくれないと絶対にダメ」というのが我が家の(オーディオの)ポリシーだったが、それがちょっと揺らいできてしまった。

管楽器の魅力をメチャ満喫したい!(笑)

一般的に楽器というのは、大雑把に分けると「こする音」「たたく音」「吹く音」に分類できると思う。

言わずもがなだろうが「こする音」というのは、ヴァイオリンに代表される弦楽器群、「たたく音」というのはピアノやティンパニーなどの打楽器群、「吹く音」というのは、管楽器群となる。

ちなみにピアノが打楽器なのか弦楽器なのかは諸説あるみたいだが、学術的には「有鍵弦打楽器」と称されているそうだ。

音楽ジャンルの視点からいくと、クラシックは「こする音」の割合が高いし、ジャズは「たたく音」と「吹く音」の割合が高い。

またもや「クラシック VS ジャズ」の様相を呈するわけだが、これらの「こする」「たたく」「吹く」音にまんべんなく対応できるオーディオシステムというのは残念なことにまだ無い。

もちろん、それはちょっとおこがましいけれどハイレベルでの再生という条件付きだが、たとえば「こする音」は得意だが「吹く音」には弱いとか、「たたく音」には強いが「こする音」は苦手といった調子。

その伝でいけば我が家のAXIOM80は「こする音」にはメチャ強いのだが「吹く音」となると悪くはないもののホーンス型ピーカーには一歩も二歩も及ばない。

その辺にポイントを絞って言及してみよう。

先日、近くにお住いのオーディオ仲間のYさんがお見えになったので、前述のマルサリスの「バロック デュオ」をテスト盤にして我が家のスピーカーを軒並み聴いていただいた。

目的はトランペットの響きをどのスピーカーがうまく出してくれるか、その一点に尽きる。

   

ざっと紹介しておくと、左から「AXIOM80」(最初期版)、「JBLのD123+ホーン型ツィーター」、「AXIOM150マークⅡ+デッカのリボン型ツィーター」、「JBLのLE8T」(最初期版)そして奥に鎮座しているのが「JBLのD130+AXIOM80(裸)」(イン・ウェストミンスター)。

このうち、Yさんともども(トランペットが)ベストの鳴り方だと一致したのが
画像左側から2番目の「JBLのD123+ホーン型ツィーター」だった。

今のところたいへんなお気に入りで、これまで50年近くオーディオをやってきたが、ようやく快心のシステムに巡り会えた気がしている。


我が家では日替わりメニューのようにシステムの組み合わせが変わるので、忘れないようにメモっておこう。

まずCDシステムはdCS(イギリス)のセットを使い、真空管式プリアンプ3号機(E180CC×6本)、パワーアンプはWE300Bシングル(1951年製オールド、前段管は171・トリタンフィラメント仕様、銅板シャーシ)。

肝心のスピーカーだが市販のネットワーク(高音域のボリューム調整付き)を使いクロスオーヴァーは1200ヘルツ(12db/oct)。

ちなみにエンクロージャーは自作で、底板に30センチ四方の穴を開けて目の詰まった金網を敷き、簡易的な「ARU」を施している。

< ~1200ヘルツ >

JBLのD123(口径30センチ:16Ω初期型グレータイプ)ユニット

< 1200ヘルツ~ >

テクニクスのホーン型ツィーター(EAS-25HH22)

これで聴くトランペットが爽快そのもので、さすがのAXIOM80といえどもホーンタイプの鳴り方にはとうてい及ぶべくもなかった。

「ホーンとはスピーカユニットの空振りを防ぐためのものと思うと一番理解しやすい。広い空間で大声をだしても声は届きにくいが、メガホンや手をホーン状にして声を出すとより遠くまで明瞭に声が届くのを人は経験上知っているだろう。ホーンスピーカーの原理もそれと全く同じで小さい口径で空振りしてしまう音波を能率よく空間に放射するためにある。」(ネット)とあったが、ホーンの威力に今更ながら感心した。

まあ、そういうわけで、わが家ではこれから弦楽器のときは「AXIOM80」、管楽器の時は「JBLのD123 +ホーン型ツィーター」、そして全体的にゆとりをもっておおらかに聴きたいときは「JBLのD130+裸のAXIOM80」(イン・ウェストミンスター)の出番となる。

スピーカーをいくつも使っていると、「どうしてそんなに必要なのか?移り気で腰が定まらない男だ。」などと眉をひそめる向きもあろうが、我が家のオーディオは「総合医といろんな専門医が分かれている総合病院みたいなものです」といえば、その辺のご理解の一助になるだろうか(笑)。

 

 


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AXIOM80の究極の使い方

2017年10月10日 | オーディオ談義

ネットというのは過去のアクセス履歴を踏まえて個別の対応をしてくれるので大いに助かる。

たとえば、パソコンの画面の一部に自動的に好みのオーディオ機器(オークション)を提示してくれるので、実に賢い限りだが、もちろん、ときには「知らぬが花」の方がいいかもしれない(笑)。

そういう中、SPユニット「AXIOM80」が出品されているのが目に留まった。

「究極の使い方」というタイトルが銘打ってあり、日夜「AXIOM80」のベストの使用法について頭を悩ませている人間にはとうてい見過ごせないタイトルである。

オーディオに限らず、出来るだけ多くの情報に接することがその道の上達の早道であることはたしかだろう。

個人の「AXIOM80」愛好家が長年のノウハウの限りを尽くした興味深い内容にさっそく立ち入ってみよう。

まず、画像から先に見た方が分かりやすい。

     

次に、解説文がこれ。

「私が高校生の頃、AXIOM80を使われていた瀬川冬樹氏がAXIOM80を絶賛されていた記事を読み、親にねだってこのSPを購入しました、もちろん、BOXもヤマハ製の指定箱でした。

SP鳴らしは、車の運転と同じで腕がいることを自覚されました。カローラは誰でも運転できますが、チューニングされたレーシングカーはそれなりの腕がないことにはその性能が発揮できません。

AXIOM80はカローラではなくチューニングされたレーシングカーに近いSPだったと今では思ってます。WEなどのSPもしかりだと思います。無謀にも、この高校生は免許を取ったばかりなのに、レーシンガカーを運転しようとしたのです。

AXIOM80は非常にならしにくいスピーカーと言われおりますが、それは超軽量コーン紙が鳴らすハイスピードな音と絶対的に出ない低音にあると思います。

ヴァイオリンを鳴らしたらこのスピーカーの右に出るものはない!言われる名器ですが、逆にジャズはまずならないといわれます。

数多くのSPBOXを試してみましたが鳴らしきることはできませんでした。そこで例えばアルテックの515のような、これまた軽量のコーン紙による低音ユニットを使い、でもこれも低音が出ないことで有名ですが、B&Wのノーチラスのように低音を補正すればと考え、80は弱いところを捨て、20μFぐらいのコンデンサーで低音を切って使ったところ、すべてのジャンルで素晴らしい音楽が聴けるようになりました。

その時の80は写真のようにマグネット部分でユニットを固定するという方法です。515はネットワークなしの出しっぱなしです。

私が所有する80はかなり古いオリジナルの80ですが,すべてこの写真のようにサブコーンが光っているタイプです。ただ友人がこれまた古い80を7本ぐらい持ってますが,サブコーンが光ってないとか、7本全部が違うタイプですので80はよく見ると本当に種類があるのだということが実感されます。私は光っているタイプこそ間違いなくオリジナルだと思いますが光ってないタイプも存在します。

スピーカーボックスは必要悪といわれますが、事実、ほとんどのスピーカーはバッフルもつけずに裸で鳴らすと、素晴らしい音がします。

しかしそれに気を良くしてちょっとでもバッフルを付けて鳴らすと、あれっというほど普通の音になってしまいます。このようなことは今まで何度もありましたが、それでも裸で鳴らした時、それぞれの良さはさらに発揮されるようです。

その考えからこのようにマグネットでユニットを支えるという方法を考えたつもりでしたが、この方法ははるか90年も前にWE社が使っていたことを知った時、先人の知恵の素晴らしさを知りました。」

以上のとおりだが、際立った個性を持つAXIOM80は幾多の人たちを惑わせつつ様々なドラマを演出してくれるようで、もはや一介のオーディオ機器という立場を越えて、まるで血と肉が通っている生き物のような存在感を見せてくれる。

あまりにも熱がこもった解説文の書きっぷりに、つい魅せられてしまったが「SPボックスは必要悪です」に対して「まったくそうなんですよねえ!」と心から共感を覚えると同時に「裸で鳴らす手法」に対して「そういう手があったのか」と意表をつかれた思いがした。

そういえば、以前、「AXIOM150マークⅡ」(口径30センチ)を修繕に出して戻ってきたときに裸でテストしたところ、あまりの澄み切った音に思わず息を呑んだが、箱に容れて聴くとその透明感が影も形も失くなってしまったことを思い出した。

根が単純男だし、チャレンジ精神だけは富んでいるのですぐに我が家なりに「裸で鳴らすAXIOM80」に挑戦してみた。

平面バッフルから取り外したAXIOM80を2時間ほど細工して、ありあわせの材料に取り付けたのが次のとおり。

       

マグネットの部分で支えているのは同様だが、冒頭の画像のようにガッチリ(マグネット部分で)固定してユニットのフレームを宙に浮かせるともっといいのだろうが、今回は早く試してみたいばかりに応急的な手法を取った。

ちなみに我が家ではチャンデバで周波数500ヘルツあたりでローカット(12db/oct)しているが、これは上記の解説文にある「コンデンサー20μF」が丁度500ヘルツぐらいでのローカット(6db/oct)と符合する。

ずっと昔にAXIOM80を平面バッフルに付けてフルレンジで鳴らしたところ、低音域が混入してすぐに故障した苦い経験があるが、今回は500ヘルツあたりでローカットしているので安心して鳴らせる。

実をいうと、どうせ平面バッフル時とあまり変わらんだろうと「たか」をくくっていたら、音がたしかに変わったのである。

それもいい方に!

AXIOM80が持つ本来の能力、たとえば音場の遠くまで見通せるような透明感とハイスピード感が際立ってきた。

やっぱりこれは凄いユニットだ!

3ペア持っているので1ぺアぐらいはオークションに出品しようかと迷っていたが、とんでもないと思い直した(笑)。

さて、素人なりに裸で使う良さを考えてみた。

 これまでバッフルに80をがっちり締めつけていた4本の取り付けネジが曲者でこれが悪さをしてユニットの自由闊達な振動を阻害していた。

 80から出た音が(取りつけた)バッフルに当たって跳ね返る間接音と直接音とが微妙に混じりあって若干ながら音の濁りが生じていた。

ほかにもあるかもしれないが思いつくのはこの程度。

もちろん、裸で鳴らすマイナス面もあってユニットの後ろ側に出た「逆相の音」がバッフルがないために正面に回り込みやすくなって「正相の音」を邪魔することも当然予想されるが、80の周波数分担域は「500ヘルツ~」だから、低音域と違って比較的波長が短いため回り込みの懸念もそれほどではなかろうという希望的観測も働いている。

かくして、我が家での80の使い方は次の二通り。

 AXIOM80に低音は期待せず、(低音域だけ)別のユニットに持たせる。

 従来どおりフルレンジで鳴らす

何だかんだ言ってみても、簡単にフルレンジを諦めることはしない(笑)。適切なプリアンプとパワーアンプそしてエンクロージャーを得られればそれなりの良さがきっとあるはずとの思いは変わらない。

なお、1の場合だが難題はAXIOM80に組み合わせる低音域のユニットとの相性にあって、どういうユニットを選ぶかが文字どおり死活問題となる。

解説文の中にあるのは口径38センチのアルテックの515だが初期のアルニコ・マグネットタイプならベストだろう。さらにこの場合は500ヘルツ付近でアルテックをハイカットした方がいいと思う。

ただし、このアルテックの初期版はペアで15万円前後(オークション相場)とメチャ高価なのが残念。そのうち機会があればチャレンジしてみたいが、ウェストミンスターの裏蓋を開けてのややこしい作業を思い出すとあまり気が進まない(笑)。

現時点での我が家ではJBLのD130(イン・ウェストミンスター)なので割り引く必要があるがタンノイさんのユニットよりはずっとマシだろう。

真空管アンプ2台を使って、このスタイルで聴き始めてから今日で10日ほど経ったが、まだ際立ったアラが見つからないのはとてもいい兆候に違いない。

近日中に県外からお客さんたちがお見えになるので、再度「AXIOM80 VS テクニクスのドライバー・ホーン」の聴き比べをやってみよう。


 


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オークション情報~2017.10.7~

2017年10月07日 | オークション情報

真空管愛好家と切っても切れない関係にあるネットオークション。

もう15年近く利用しているが、おかげさまで滅多に手に入らない稀少な真空管を手に入れることが出来たりして、もはやオークション無しでは我が家のオーディオシステムはとうてい成り立たないほどだ。

したがって、今でも掘り出し物がないかとユメユメ怠りなく見張っているが、真空管ではないが実に興味深い出品物があったので紹介させてもらおう。

☆  Wadia 27iX   Version 3.0 Decording Computer  完全完動 

         

解説文にはこうあった。

「10年前になりますが、私がまだ、デジタルに浸かっていた頃にワンオーナー品を購入したワディア WADIA Wadia 27ix Dの最終アップグレードバーションです。
 
DcsもVerdi のCDトランスポートを始め、マスタクロック、DDコンバーター、DAコンバーター、等すべてを所有、最終的にはマスタークロックはクロノス、トランスポートは別にクラッセ CLASSE OMEGA SACD、プリアンプは CLASSE OMEGA PreAmp MkⅢを所有していたとても懐かしい時代です。   
 
勿論、完全完動品です。 」

以上のとおりだが、出品者はたいへんなハイエンドの愛好家のご様子で、当初の設定価格は53万円だった。

定価からするとおよそ1/3だが、中古の相場からすると明らかに高いっ!

オークションの出品価格というのは出品者の性格を推し量る物差しの一つになる。

たとえば高過ぎるときは強欲そのものだし、低すぎるときは世間知らずだし、常識的な価格のときは良く言えば現実的で真面目な人、悪く言えば抜け目のない人といった印象を受ける(笑)。

したがって、この出品者に対しては強欲な人だというのが第一印象だったが、ここから思わぬ展開を見せてくれた。

およそ2週間ほどの期間が過ぎて、当然の如く53万円では皆無の反応だったわけだが、それにしびれを切らしたのだろうか、今度は一転して75、000円の低価格からスタート!
随分思い切った変わり様に少々驚いた。これは捨て身の覚悟だ。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあるが(笑)。

流石に、このスタート価格には反応が良好で入札者が殺到し、結局、最終落札価格は429,000円に落ち着いた。

これには参った!

実を言うと、2か月ほど前に知人に頼んでそっくり同じものをオークションに代理出品してもらったところ、落札価格は30万円前後だったのだ。

口惜し~い。何と10万円以上もの差がついてもうガックリ(笑)。

それにしても、いったいどうしてこんなに差が生じたのか?

明らかに当方の作戦負けだった。


深~い反省とともに今後のオークションへの戦略をこう定めた。

出品するときは、はじめに相場よりもずっと高い価格を設定する。そして周知期間を十分置き、商品の高額イメージを植えつけたうえで、改めてぐっと低い価格を設定して入札者が飛び付きやすい状況を設定してあとはじっと待つだけ。
つまりポイントは次の3点に尽きる。

 商品の周知期間を十分取って出来るだけ沢山の人の目に触れるようにする

 その間、高額イメージを植えつける

 何といってもオークションだから改めて相場よりも低い価格を設定して入札者の競争心理をうまく煽る 

と、単純に考えたわけだが、もちろんこの作戦は商品そのものに魅力がないとまったく成り立たないのが残念なところ(笑)。


 
 
 

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ウィントン・マルサリスの「バロック デュオ」

2017年10月05日 | 音楽談義

2~3日おきにブログの記事を登載していると、「すべて当たり~」というわけにもいかないようで、かなり極端にアクセス数が上がったり下がったりする。

別にどちらに転ぼうと得にも損にもならないわけだが、ありふれた日常生活に変化をもたらしてくれる意味では大いに刺激になっている(笑)。

例を挙げてみると、おそらく好評を博すだろうと意気込んだ記事がサッパリだったり、逆に軽く流した記事が好評だったりで本人の思惑と外れることが多いが、前者にしろ後者にしろ冷静に理由を推し量るとそれなりの思い当たる節があるので読者の見立てはなかなか鋭くて侮れないと思っている。

そこで、つい先日登載した「作曲家を演じようとした孤高のピアニスト」の話になるが、久しぶりに本腰を入れたつもりの音楽論だったが、どうせこんな「小難しくてややこしい話」は絶対に敬遠の憂き目にあうだろうと思っていたところ、何とまあ意外にも大好評だったのである!

閲覧数の結果が「2031」PV、アクセス数は「658」IP、順位は「611位」(277万ブログ中)と、近年稀に見る好成績だった。

このブログの読者はオーディオ偏重派ばかりだと思っていたが、意外にもクラシック愛好家も多いんだとついうれしくなってしまった。しかもなかなかレベルが高い。

偉そうに、そこまで言うか!(笑)

この音楽論の登載の動機についてだが、日頃からオーディオ関連の記事が圧倒的に多くて「この人は単なる音キチだ」と(読者から)思われているだろうから、ちょっと目先を変えてみたのが真相だが、よし、これからは音楽関連の記事を増やしていこうと大いに励ましになった。

そういうわけで、調子に乗って今回はウィントン・マルサリスの「バロック デュオ」といこう。

如何にジャズに疎いといってもマルサリスほどのビッグネームになるとちょくちょく記事で見たり噂を聞いたりでとても気になる存在だった。

そういう中、メル友の「I」さんから画像付きで次のようなメールが届いた。

        

「当方、ジャズをLP・CD合わせて400枚ほど所有しています。少ないですねー。まあ、厳選(笑)ということにしてください。

400枚のうちほとんどが、1950年代60年代の演奏です。この時代は、バップ、モード、フリー、アヴァンギャルドの多彩なジャズスタイルが高度に熟成したため名演奏の宝庫になっています。  

1970年以降から現代の演奏までもできるだけ聴くようにはしていますが、黄金期に匹敵する演奏は多くはない・・・と思っています。もちろん一介のジャズファンの感じるところです。 
 
そんな中で、ちょっと苦手だったウィントン・マルサリスの、私の好きな演奏に巡り合えました。 
 
写真の上のCDは、クラシックでリリックソプラノのキャスリーン・バトルとのバロック・デユオです。ずいぶん前に購入したCDですが、マルサリスはクラシックの方が向いていると感じていたころのものです。 
 
今回巡り会えたのが下の2枚です。 
 
左側 自由への誓い   FROM THE PLANTATION TO THE PENITENTIARY
 
右側 ジャック・ジョンソン UNFORGIVABLE BLACKNESS 
 
ウィントン・マルサリスのジャズには「黒人以外にジャズがわかるか!」というところを感じてきましたが、この2枚はさらに過激です。真っ黒です! 
 
我家の、JBLが鳴るミニミニジャズ喫茶のテーブルの上に黒人家庭のソウルフードが置いてある・・・のかと錯覚してしまいました。」

以上のとおりだが、残念なことにマリサリスのCDは持って無いのであつかましくも「お借りできると幸いなんですが」と、恐るおそる申し出たところ「いいですよ~」とご快諾!

メル友はほんとうにありがたい(笑)。

すぐに我が家に届いたので聴いてみたが、このうち「バロック デュオ」がとても気に入った。マルサリスってクラシックもいけるんだ!

彼の履歴をググってみると、何とジュリアード音楽院卒で家族全員が音楽家というエリートだった。道理で~。

いずれにしろ門外漢がジャズマンについていろいろ言っても仕方がないのでこのCDに関する3名の方々のレヴューを紹介させてもらおう。
 
「ウイントン・マルサリスは楽々と吹いているので、トランペット吹奏は難しくないのではと思う向きもいるかもしれないが、とんでもない。彼ほどトランペットで歌っている奏者は他にいない。ハイトーンからペダルトーンまでの跳躍や細かなパッセージ等に、無理や苦しさが一切なく、心から音楽を感じる。」

「本CDの以前に、『バロック・トランペットの響き』というタイトルで、エディタ・グルベローヴァと共演しており、本CDと重なる曲目もあるものの、興趣が異なるので両CDともお勧めである。印象としては、エディタ・グルベローヴァは澄み切っていて、キャスリーン・バトルは明るさの中にも少し哀調ありといったところでしょうか。重なる曲目について、リピートで、ウイントンは前CDではそのまま繰り返しているのに対して、本CDでは繰り返しでアレンジを加え変化をつけている点も楽しめます。特に、ヘンデルの「アン女王の誕生日のためのオード(頌歌)〜永遠の源よ」は、神々しい曲で癒されます。」

「華麗なるバトル嬢の歌声とトランペッターマルサリス氏の壮麗な演奏。それが品のある選曲と相まって、聴いていると
まるで自分がヨーロッパのお城の広間に入るような気分になります。贅沢なCDです。「ソプラノとトランペット」と聞くと、何だかうるさそうですが、ぜんぜん!気分を高揚させてくれる一枚です。」

といった調子で、クラシックファンにもお薦めのCDであることはたしかです。

「I」さんには感謝とお返しの意味を込めて、グレン・グールドの「ピアノ・ソナタ」(モーツァルト)を聴いてみませんかと、お誘いしたところ、次のようなメールが届いた。

「モーツアルトのCDのお誘いありがとうございます。グールド゛ですが、実は大好きなピアニストです。クラシックのピアニストでは1にグールド、2が無くて3にピレシュです。
 
LP時代は、ベートーベン5番のピアノ版をオーディオ的に大音量で鳴らしていました(笑)。大ファンになったのは、CDのゴールドベルク変奏曲(1981年録音の方)を聴いてからです。
 
その後、モーツアルト・ピアノソナタ全集、平野啓一郎編集のゴルデングールド(ゴールドベルク変奏曲の1954年録音を含むバッハ関係)、比較的最近ではTHE GLEN GOULD EDITION(ヘンデルとバッハのチェンバロ曲)等を図書館から入手して楽しんでいます。
 
グールドの音楽から、乱暴にもジャズピアニストを連想すると、逆説的に(あまりに違いすぎて、却って近くなる?)セロニアス・モンク、オーソドックスにビル・エヴァンスでしょうか。
キース・ジャレットは?という人がいるかもしれませんが、ノーノー!全然チガイマス! ワタシ、キースキライデス。ついでにオスカー・ピーターソンもキライデス。
 
グールドに言わせれば「ジャズと絡めるな」でしょうが、ピレシュ女史からは、こんな連想は生じませんから、グールドの偉大な存在の証ということで許していただけたらと思います。 いやー 音楽あってのオーディオですね。」

以上のとおりで、大のグールドファンとは恐れ入りました!それではCDの代わりに「カボス」を送らせていただきま~す(笑)。

それにしても、隠れたグールドファンって多いんですねえ・・・。



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ウッドホーンの誘惑~その4~

2017年10月03日 | オーディオ談義

先日、投稿した「ウッドホーンの誘惑~その3~」の続きです。

すでに、お忘れの方も多いと思うがこの表題の記事の後半に掲げておいた宿題がず~っと気になっていた。

それは「テクニクスのドライバー VS AXIOM80(平面バッフル付き)」の聴き比べ。

先週、その機会がようやく巡ってきたので結果を記録しておこう。

もちろん独りでは心許ないので(笑)、いつものように仲間(二人)に来ていただいて、試聴しながら丁々発止のやり取りを行った。

具体的な実験の中味については画像を観る方が手っ取り早い。

             

ちょっと景色がゴチャゴチャしているので説明すると、一つのシステムを次のとおり二通りに使い分けしたもの。

1 3ウェイシステム「JBLのD130+テクニクスのドライバーホーン+JBL075ツィーター」

 2ウェイシステム「JBLのD130+グッドマンAXIOM80」

はじめに1のシステムを試聴し、その後テクニクスのドライバーホーンを脇に押しやって、2のようにAXIOM80(平面バッフル付き)を載せてみたのがゴチャゴチャの理由だ。

実験の狙いは両者の優劣を決めるのではなく、それぞれプラス面とマイナス面があるので各自の意見を出し尽くそうというもので、最終的にどちらを取るかは(プラス面とマイナス面を差引きして)リスナーにお任せと相成る。

結論からいくと、1はジャズを聴くのであれば100点満点、クラシックを聴くのであれば80点ぐらい、一方、2はクラシックを聴くのであれば95点、ジャズを聴くのであれば85点ぐらいと議論が落ち着いた。

なかなか微妙な採点状況だ(笑)。

このうちハイライトは1の場合にジャズで100点、クラシックで80点と後者で大幅に点数を落としたことで、その一番の理由は「音の余韻が乏しい」ことに尽きた。

そりゃそうでしょう、音切れが早いのが特徴の金属のダイヤフラムを使ったユニットに音の余韻を求めるのは「比丘尼に求めるに陽物をもってするようなもの」(司馬遼太郎著「歳月」)だろう(笑)。

以下、いつものように独断と偏見を交えて勝手に言わせてもらうと、

クラシック音楽の鑑賞と余韻の表現力とは切っても切れない関係にあると思っている。

楽節の終わりなどでサウンドが空間のなかにス~ッと消えていき、そこはかとなく漂う余韻と静寂に浸りつつ「ああ、いい音楽だなあ」と、一緒にその感興を楽しむところに音楽鑑賞の醍醐味がある。

余韻は教会やコンサートなどで天井や壁に当たって跳ね返ってきた間接音と、楽器からの直接音とが微妙に織り交じった音楽にはつきものだ。

その一方、ストリート・ジャズという言葉にもあるようにジャズは楽器から出た直接音を主体に楽しむ音楽であり、余韻なんてどこ吹く風だ。

そこで当然のごとく、問題が発生する。

音切れのいいダイヤフラムを使ったユニットはジャズでは抜群の威力を発揮するが、クラシックではそれが逆にマイナス面となって働く。「あちら立てれば、こちら立たず」で、今回がその端的な例となる。

一般的にリスナーを大雑把に分けるとすると「クラシック派」と「ジャズ派」、そして「どちらも聴く中間派」に分けられるが、自分のような、そこそこの「中間派」にとってはこれが一番困る(笑)。

もちろん「いいシステムともなるとクラシックもジャズも両方うまく鳴ってくれるはず」という根強い説もあるが、自分はこの説には与(くみ)しない。

「クラシックとジャズの両方を満足して再生できるシステムは難しい。」という思いが正直なところだ。一番いい例がタンノイさんのオートグラフで、これでジャズを聴こうなんて誰も思わないだろう。

この意見にはそれぞれに賛成、反対と分かれるだろうが、これまで「完璧なシステム」なるものをまだ聴いたことがないので現時点での断言は差し控えておこう。

まあ、そういうわけで本日は「テクニクスにするか、AXIOM80にするか」決定的な結論は出ず仕舞いで、むしろますます混迷の度が深まってしまった。

1で聴くジャズの爽快感はちょっと捨て難いし、それかといって我が家の場合、日常聴くのはクラシックが大半だしね~。

オーディオを色分けして割り切るのはホントに難しい(笑)。

 


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