「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽界における「いじめ」

2024年07月27日 | 独り言

「このハゲ~ェ~」    「違うだろーーーっ」。

7年前にテレビ音声から流れ出たこの罵声が日本列島を震撼させたのをご記憶だろうか。

当時の「T」衆院議員(女性)が車中で運転中の私設秘書を怒鳴りつけ、殴打する音までもが録音されていたのだから誰もが驚いた。いやしくも国民の代表である国会議員がこの有様だ。

しかも彼女の学歴が「桜蔭高校」(女子の名門高)~東京大学法学部~ハーバード大学院という華麗なものだったからいっそう拍車をかけた。

それ以降、選挙の候補者を推薦するために立派な学歴を紹介しても「その方は学歴はいいんでしょうけど、人格的に大丈夫なんですか?」という風潮が広まったのは間違いない。

個人的には、これは「学歴神話の崩壊」だと思っている。「学歴だけで人を判断する」ことへの社会的警鐘として、以降も語り継がれていくに違いない。

ただし、政治の世界に限らず「いじめ」は大なり小なりどんな世界にもあるようだ。

日本人として初めてウィーン・フィルハーモニーを指揮した
岩城宏之さん(1932~2006)の著作に「いじめの風景」(朝日新聞社刊)
というのがある。


一言でいえば「指揮者には音楽以外にも管理能力というものが要る
」という話だがまずは、
「叱り方の難しさ」。

一般的に中高年になって管理職になると部下の叱り方は誰もが当面する課題で、ことさらに意識しないで自然体に任せるのが一番いいのだがこれがまた結構難しい。

しょっちゅう叱ってもただの口やかましいオッサンになるし、それかといって逆に遠慮して叱らないでおくと”なめられて”しまう。

それに叱り方もいろいろあって、ある種の人間性が問われるところがあり、「叱り方=管理能力」という一面がたしかにあるのは間違いない。

ところが、音楽の世界でも「指揮者=管理職」、「オーケストラ楽員=部下」という構図の中で会社や役所とそっくり同じことが繰り返されているというのだから驚く。

☆ 指揮者の叱り方の実例

楽員のちょっとしたミスを指摘し、それを直し、あるいは自分の解釈に従って演奏者の演奏法を変えさせるのは指揮者の大切な役割で、練習ではいつもやっていることだが、これがときには「いじめ」と紙一重になる。

誰もが大人数の中で一人だけミスを指摘されて注意されるのは快くないが、あえてそれをするのが指揮者の仕事。問題はそのやり方で往年の名指揮者トスカニーニとカラヤンが実例として挙げられている。

トスカニーニの叱り方

全員の前でよく注意し、怒り、ときによっては出て行けと怒鳴ったそうで、クビにされた楽員がのちに演奏会の楽屋に爆弾を仕掛けたという話も伝わっている。

何回も注意をしたあとに、しまいには癇癪を爆発させて「アウト!」と叫ぶと、その途端にその楽員がクビになったという。

現在は世界中でオーケストラのユニオンが発達してそういうことはありえないが、指揮者にとって古きよき時代といえども、トスカニーニのワンマン、独裁力は抜きん出ていた。それでも、彼が指揮する音楽が素晴らしかったから許されていた。

カラヤンの叱り方

非常に民主的にその人を傷つけないやり方がカラヤンだった。たとえば、練習で第二ホルンの音程が悪いとすると、パッとオーケストラを止(と)めてヴァイオリンのほうに向かって自分の解釈を伝えてこうしてくれと注文する。そうしながら、ホルンの第一奏者に向かって目配せをするのだそうだ。

こうしてオーケストラの誰にでも個人的に皆の前で恥をかかせることはしなかったので、非常に働きやすく楽員から凄く人気があった。帝王として君臨したカラヤンの背景にはこうした楽員への心配りがあった。

☆ 若い指揮者へのいじめ

同じ人間同士に生まれていながら、片方は指揮者、片方は楽員で、楽員にとってどんなときでも指揮者の一挙一動に注目し従わなければならないというのは本来面白くないはず。

だから指揮者がちょっとした統率上の油断をしたり、音楽的に納得できないことが続くと当然反発する。

その反発は指揮者とオーケストラの力関係によって種類が変わってくるが指揮者が大変若くて新人の場合は集団での”いじめ”になることが多い。

職業上のいびりは学校のいじめと違って可愛げがなく、指揮者という職業をあきらめる新人が後を絶たないという。

いじめの実例 1

ある若い指揮者が日本のあるオーケストラを指揮したところ、練習中いろいろと難癖をつけられた。約百人対一人だし、若い指揮者の欠点というのは無数にある。

どんなことでもケチがつけられる。しまいには練習中にその指揮者はボロボロ涙を流して泣きながら最後を終えたそうである。

後日、岩城さんはその指揮者を呼び出してこう注意した。

「オーケストラの前で涙を流すヤツがあるか。どんなに悔しくても、悔しい顔を見せるな。泣き顔を見せたら、オーケストラは面白がって、ますます君の言うことを聞かなくなる。尊敬しなくなる、軽蔑する。それだけだ。泣きたいなら練習が終わって、一人で部屋で泣けばいい」

いじめの実例 2

今度は別のオーケストラの話で、例によってある若い指揮者をさんざんいびったところ、その指揮者は気が強くて、しまいには腹を立て、棒を叩き折って投げつけて出てきてしまい、音楽会をキャンセルした。

逆にいびったほうのオーケストラは非常に感心した。見所のあるやつだ、おもしろい。この指揮者はそのオーケストラにその後もよく指揮を依頼されたということだった。

以上のとおりだが、オーケストラといえば「芸術の創造」という高邁な理念のもとに
俗世間を超越した存在かと思っていたが所詮は人間の集まりで、「いじめ」や「管理能力」なんて陳腐なものが横行しているとはちょっとガッカリ

しかし、政治家なんかよりはまだマシかな~(笑)。


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日常生活の「恐怖の的」

2024年07月23日 | 独り言

音楽&オーディオ愛好家にとって耳の機能が衰えるというのはもう言わずもがなだが ”恐怖の的” である。とにかく「音がいいとか悪い」とか以前の問題として、音が聴こえてこなければ音楽の楽しみようがない。 

したがって経年劣化は仕方なく受け入れるとしても、努力のしがいがあってせめて耳の機能を今のまま維持できればというのが現時点での最上の願いである。

先日のNHKテレビによると、難聴になる一番の原因は「耳は臓器の一部であり血流による栄養補給が疎外されること」だとされていた。

その要旨を再現してみると・・、
 

☆ 音が聞える仕組み

人間の耳の奥にある蝸牛(かぎゅう)という器官に有毛細胞が並んでおり、入り口に近い有毛細胞が高音を感じ、奥の方にある有毛細胞が低音を感知して振動し脳に伝えて音として認識される。

加齢とともに高音が聞きづらくなるのは入り口に近い有毛細胞が高音も低音も感知して振動するので傷みやすいというのが定説。

☆ 先入観による「音韻修復」
 

男女10人による混声合唱団に対して実験が行われる。いずれも日頃音楽に親しみ耳に自信のある方ばかり。実験の内容はノイズをずっと聞かせて、その中に「さくら、さくら」のメロディが隠されておりそれを聞き分けることが出来た人が何人いるかというもの。

その結果、10人中8人がメロディが聞えたと手を挙げたがこれが大間違い。実はメロディは何ら含まれておらずタダの雑音ばかりで結局、聞えた8人というのは「気のせい」だった。

これはオーディオでもよくある話。

たとえば他家で、お値段が一桁違う高級なオーディオ装置の前に座らされ、見た目の豪華さも手伝っていかにも「いい音」を聴いた感じになるのだが、実は左右スピーカーのプラス・マイナスの結線が間違っていたり、ツィーターの片方が鳴っていなかったりすることはままある話で、いかに先入観が人間の聴覚を誤魔化すかという好例だ(笑)。

☆ 難聴のリスク要因とは?

1 加  齢 → 1.6倍  2 高脂血症 →  1.9倍  3 糖尿病 → 3.7倍  4 腎臓病 → 5.9倍

科学的な根拠として有毛細胞の根元に並んでいる「ダンス」細胞に正常な血液によってきちんと栄養補給がなされていないことが難聴につながる大きなリスク要因であるという。

結局、
難聴予防の王道とは日頃の生活習慣において極めて地道な「腹八分」「継続的な有酸素運動」に優る対策はないという次第。

以上の「年寄じみた話」は若い人には縁のない話だが、どのみちいずれは遭遇するわけだから今からでも予防するに越したことはありませんからね~(笑)。



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買い物は他人の好みで

2024年07月22日 | 独り言

お読みになった方も多いと思うが、先日の読売新聞の紙面に次のような記事があった。

      

「ジョン・メイナード・ケインズ」(英国:1883~1946)といえば「ケインズ学派」を成したほどのマクロ経済学を象徴する「巨人」だが、株式投資に当たって当時「美人投票」という説を唱えていた。

「自分が最も優れていると考える企業の株ではなく、他人から最も人気を集めそうな企業の株を推し量り、勝馬に乗るのが有効だとする考え方。当時、英国の新聞紙面上で行われていた美人コンテストにたとえた。」

これには次のように分かりやすい実例があげられている。

小見出しは「買い物 他人の好みで」

「良いブランドだから、他の人も欲しいと思うはず。東京・銀座で都内に住む女性が価格を気にするそぶりを見せずに約2万円のパンツを買った。

何度か着て飽きたらフリーマーケットアプリでの転売を考えているという。自分がほんとうに欲しい服より、後で売ることを見越して中古市場で売れやすい服を買う人が増えている~三菱総合研究所~」

とのこと。

そういえば、クルマを購入するときだってそうですね。たとえば「色」だが、「ホワイトやブラック以外のクルマだと、下取りするときの価格が落ちますよ」と販売員さんからアドバイスを受けたことが何度もある。そういうわけでもないが、これまで乗り継いできた車はいずれもホワイト一色(笑)。

さて、これを前置きにしていつものようにオーディオの話に移ろう。

我が家のケースだが、オークションで大いに惹かれた機器を落札するときに、万一ハズれた場合でも中古市場で高値がつきそうかどうかをまったく考慮しないと言ったら嘘になりますな~。

以前のブログ「オークションの不思議な法則」でも述べたとおり、転売したときは不思議にほぼ手取りが4割落ちの価格になるので、結局「楽しみ賃が4割だった」との話をご記憶だろうか。

たとえば、10万円で落札した機器をしばらく楽しんでから飽きがきて再度オークションに出すと6万円で落札されるので、差額の4万円が楽しみ賃というわけ。


つまり、冒頭の話のような例が実際に自分にもあるわけだが、もちろん基本的には「ほんとうに欲しい」が先行し、それに付随して市場価値が高ければ「言うことなし」というわけで、現実としておそらく皆様もそうだと思う。

そこで、ふと思ったのが「はたしてオーディオ機器の実力がきちんとオークション(中古市場)の相場に反映されているのかどうか」、これは実に興味深いテーマだと思いませんか?(笑)

結論から言えば、オークション市場は流石に「生き馬の目を抜く世界」とみえて、ほぼ正確に機器の実力と相場が拮抗しているように思える。

たとえば、先日の事例としてタンノイの「モニター・シルバー」(口径30センチ)がオークションに出品されていた。

  

タンノイのユニットは周知のとおりマグネットの部分の色によって「ブラック」→「シルヴァー」→「レッド」→ 「ゴールド」 →「HPD」・・と変遷していくが、巷の噂によると音質もこの順番に沿っているとされている。

実際に福岡市のSさん宅でコーナーヨークに入った「シルヴァー」(口径38センチ)を以前聴かせていただいたが、透明感が際立っていて他のタンノイとはまったく一線を画すものだった記憶がある。



横にあるのは「AXIOM80」である。

というわけで、「このタンノイ・シルバーを値段次第では手に入れてもいいかな、ハズレてもそれほど損はしないだろう」との皮算用で注意深く入札価格の推移を見守った。

落札当日まで3万円前後だったので、あわよくばと乗り気になっていたら、何と直前からみるみる上がって最後は33万円へ~。SPユニットとしてはかなりの高値で、もっと若ければ参戦したけどね~(笑)。

やっぱり皆さんはよくご存じで、実力というか評判が市場価値ときちんと見合っていることに感心した。

ただし、そういうシビヤ~な世界でも穴場というか「お買い得」もあるように思える。

一言でいえば、それは「機器の図体」に尽きる。

どういうことかといえば、市場価値の観点から我が家のオーディオ機器を見回すと、いずれもドングリの背比べでそれほど自慢できるものは無い。

この20日(土)にお見えになった「Y」さんですら、我が家のオーディオルームを見回しながら、「いざ売るとなると二束三文でしょう!」と辛口を宣うたが唯一ユニークと思えるのがウェストミンスターの大型の箱である。


重さが100kgを越えるうえ、大きさからいっても現在の住宅事情にはまったくそぐわないし、中身の方もオリジナルからすっかり改造しているのでオークションでの価値はほとんど無いに等しい。

ところが、実際に使ってみるとこのくらい強力な武器も無い。

どんなにいろんな手立てを講じたとしても、大規模編成のオーケストラを聴くとなると、結局大きな箱の威力の前には無力感を感じてしまうことが再々である。

少なくとも我が家ではワーグナーの音楽はこの箱じゃないと聴けない・・。

したがって、オークションで大きな箱を見つけたらお値段もさほど伸びないことだろうから、事情が許す限り真剣に検討するに値すると思いますよ~。

もちろん、最後はあなたの熱意次第ですけどね~(笑)。



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ありがたいメル友さんたち

2024年07月20日 | 独り言

つい先日のブログ「もったいない精神の追放」について、オーディオ機器の始末に絡んでメル友の「K」さん(横浜)からメールをいただいた。

私も「オーディオ機器高価買いとります」のTV広告を観ましたが「これだけの」ことができるのは「安く買って高く売る」すなわち価値がわからない遺族を言いくるめて「たたき買い」するみたいです。

聞いた話ですが(自身で調査してません)今国産のオーディオ製品は海外で高く売れるらしいですよ。

私は信頼しているオーディオ屋さんの責任者に「死んだら一式引き取り次の方に」とお願いしてます。」

「ほう、いいこと聞いた!」とダボハゼみたいに飛び付いた(笑)。

「なるほどですね・・、海外向けのブローカーが暗躍してますか。その、オーディオ屋さんにわたしも依頼しておこうかな・・。よろしかったら、ご紹介ください。」と依頼。

すると、すぐに返信が届いた。

それはK市で事業されている「O取締役」です。

私は真空管に目覚めるのが遅く、Oさんとは2011年ころからのお付き合いですが、(
Oさんが)東京出張時に拙宅に寄っていただいたのですが、たまたま「Thorenseプレーヤを譲り受けたが調子が悪い」と話したところ「できるかわからないけど持って帰ってチェックしてみましょう」と。

その後「以前プレーヤ開発時に世話になった技術者に集まっていただき問題点は抽出できました」、そして戻ってきた製品は「完璧」で安心して音楽を楽しめてます。費用は4万円弱!(交換部品程度)

誠実さはピカ一、信頼できる方です。ご検討いただければ「つなぎ」ます。(真空管にも明るい方です)。」

さっそく返信。

「とてもありがたい話です! まとめて面倒見てもらいたく繋いでいただきたいと思います。ところで、O様はいくつぐらいの方ですか? 私よりも確実に〈死への)順番が後の方なんでしょうね?(笑)」

以下、当事者のOさんからのメールも絡んできて話が進展していったが、内容の紹介まではOさんのご了解を得ていないので非公開とさせていただきます。

実にありがたいことで、ご親切なKさん・・どうもお手数をおかけしました!

そして、次は前回のブログ「裁判の現実と闇の底」について、南スコットランド在住の「ウマさん」からのメールを紹介させていただこう。

かつて司法試験を目指した人間の想いとして、三点ほど挙げたい。

1  僕の周りにいた人間の中で、人間的魅力のある人物が司法試験に合格したケースもあるが、こんな奴が合格するのかと憤然とした経験も少なくない。つまり、ひたすら勉強勉強で、社会の喜怒哀楽など知らない人間が、難関の試験を経て法曹界に入り、そして、人を裁く…

2  冤罪の発生は、警察や検事の面子や思い込みが、その背景にあるケースが少なくない。

僕自身、冤罪の経験があります…
昔むかし、大阪は阿倍野で、買ったばかりのホンダのナナハンで走ってた時、前を走ってたホンダカブが、女の子が乗る自転車に追突して逃げよった。

僕はひっくり返って泣いている女の子を起こし110番に通報した。ところが、その女の子は警官に、僕が追突したと証言した。頭が混乱してたのはわかるけど、そりゃあんまりや。

阿倍野署に連れていかれ、取り調べの警官は、てっきり僕が追突したものと思い込んでる。そこで…

女の子が乗ってた自転車を起こした時、リムに絡まったカブのカウルの破片を拾ってポケットに入れてたのを警官に見せた。

そして、ラッキーだったのは、高校のラグビーの先輩が阿倍野署に勤務していたので彼を呼んでもらった。

彼が「事故を起こして知らぬ存ぜぬを言う人間ではない」と強く言ってくれたことと、女の子も「そう言えば中年の男やった」と証言するにおよび、めでたく冤罪が晴れたんです。

冤罪は「思い込み」によるものとつくづく思いました。

3  ある精神科医のコメント…凶悪犯罪を起こす人間は、人間的情操や情緒の形成があまりなされていない。それらを育むのが、音楽であり、読書であり、美術や映画などである。

したがって「音楽とオーディオ」の小部屋の主どのや僕などは、凶悪犯罪をしでかすことはないと言えますね。よかったよかった。ホッ。」

さっそく返信。

「貴重なアドバイスありがとうございます。当時者にならないとわからない冤罪の危険・・、実際にそういうことが起こりうるんですね! 今さらながら 疑わしきは罰せず の真意がわかりました。いちばん悪いのは無罪の人間が有罪になることなんですね~」

以上、メル友さんたちにご教示いただき感謝の至りです!



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「コネ社会」の現実と功罪

2024年07月17日 | 独り言

もう10年以上も前の話だが、「みの もんた」というテレビの司会者がいたことをご記憶だろうか。

で、彼の次男が窃盗容疑で逮捕され、あっさり自供したことで責任を取る形で当時の人気番組「朝ズバッ」などを降ろさせられたのが大きな話題となった。


30歳を越えた社会人の子どもが不始末をしでかしたからといって、はたして親が責任をとらねばならないのか・・、しかし「みの」に対する世間のバッシングは相当なものだった。

庶民にはとても考えられないような高給取りなので一部「やっかみ」も混じっていたようだが、日頃から高飛車で威張ってたとの風評もあって“日頃往生”の面もあったのかもしれない。


それはさておき、このニュースに関連して明らかにされたのがこの次男が親のコネで「日本テレビ」に就職していた(現在は退職)こと。これにはちょっと考えさせられた。

ちなみに「みの」の長男も某テレビ局に勤めているそうだ。周知のとおりテレビ局は就職試験の最難関とされているのに、政治家や芸能人の子供たちがウヨウヨしているそうだから驚く。


人生は始めから最後までそれこそ、大なり小なり「選択の連続」だと言っても過言ではないが、振り返ってみるととりわけ大きな分岐点になるのが「学校(専門コース)」「就職」「伴侶」だと思う。

その重要な「就職」の選択にあたって個人の才覚と努力には何ら関係のない「コネ」がおおっぴらに通用するというのは、社会の活力を維持していくうえで非常に好ましくない! とは思いませんかね。

「機会均等は民主主義の基本だ」と、声高に叫びたくなるほど(笑)。

しかし、世の中の「コネ」に対する考え方や現実にどのくらいまかり通っているのかという実態を知っておきたい気もするところ。

そういうときに目に留まったのが新聞の下段によく掲載されている週刊誌の見出し。

当時の「週刊ポスト」に「こんなにコネがまかり通っている日本というシステム」~持っている者だけが得をする~。

                 

週刊誌は滅多なことでは購入しないのだが、発売初日にわざわざ書店に出かけて行って手に入れてきた。

結構、物見高いのである(笑)。さっそく特集記事の部分を(32~37頁)を 話半分 の気持ちで読んでみたところ、「コネ」に対する認識がチョッピリ改まった。


「政界、官界、財界のトップ人事からこれから本格化する学生の就職活動戦線まで、日本社会ではあらゆる場面に“コネ”という見えざる力が働いている。それはこの国の絶対悪なのか、あるいは必要悪なのか。建前と本音が複雑に絡み合う“コネがまかり通る社会”の功罪を徹底的に解明する。」

相変わらず週刊誌独特のトーンが冒頭から炸裂~(笑)。

そして「不思議なことにそれほどコネに対する嫌悪感や批判が国民に共通しているのとは裏腹に、大真面目にコネをなくそうと言い出す人は少ない」

オヤオヤ、どちらかといえば「コネ肯定論かな?」と、読み進むうちにとうとう次の箇所へ。

「実は“コネ採用”は企業にとっていいことづくめ。むしろ海外の方が濃密なコネ社会という現実がある。」

テレビ局、広告代理店などはコネ採用の最たるもののようで、「スポンサー関係からの縁故採用によって、安定した広告料が見込める」というから、もう “何をか言いわんや” 。

出版界の老舗「岩波書店」の採用基準は「岩波書店発行の著者の紹介状あるいは書店社員の紹介があること」だそうで、「コネくらい自分で作ってこい」というわけ。

結局、「コネによる採用や出世は不公平だとする意見が正論であることは間違いない。だがコネがまかり通る社会が脈々と続いている理由は、コネによって築かれる “都合のいい仕組み” を、多くの日本人が認めているからで、その矛盾した2つの考え方に折り合いをつけることこそコネ社会を生きる重要な知恵なのかもしれない」

に集約されるようです。

したがって、コネとはまったく無縁の「音楽&オーディオ」の自由平等のもとで額に汗する努力が確実に報われる世界はやはり素敵だとは思いませんか・・、ただし「財力」がかなり 幅を利かせている のがちょっとシャクだけどね~(笑)。



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日頃から「いい音」で聴いてはいけない

2024年07月13日 | 独り言

「21世紀は文明の衝突になる」と予告したのはS.P.ハンチントン元ハーバード大学教授だが、いまだに「イスラム教」と「他宗教」との対立は世界各地の紛争の火種になっている。

で、現代人にとって世界中にあるいろんな宗教に対して無関心であることはもはや許されない状況になっているが、その一環としてずっと以前のブログで
「寒い地域でイスラム教が広まらなかったのは戒律によりアルコールが禁じられていたのが原因」という趣旨のことを書いたことがある。

そして、同様に疑問に思ったのが
「豚肉を食べることが禁止されている理由」。

これはイスラム教だけでなく、ユダヤ教でも同様だが、豚肉の赤身は(2007.6.7:「脳によく効く栄養学」)のところで記載したとおり、精神の安定に必要なセロトニン生成の原料となるトリプトファンの割合の含有量においてトップクラスの食物とされているので、栄養学上これを食べないというのは実にもったいない話。

合理的な理由を是非知りたいと思っていたところ、たまたま朝日新聞社発行の月刊誌(「一冊の本」)
を見ていたらその理由が詳細に記載されていた。         
                            
「宗教聖典を乱読する 5 」~ユダヤ教(下)~(61~65頁)著者:釈 徹宗氏

豚は食材として大変効率がいいのは周知の事実。中国料理では「鳴き声以外は全部使える」といわれているほどである。栄養価、料理のバリエーションなどとても優れている食材をわざわざ避けるのは生物学的にも不自然だし、人類学的にも一つの謎となっている。

この豚肉がなぜ禁止されているのかは昔からラビ(ユダヤ教の聖職者)たちの間ですら論争が続いている。様々な理由づけを列挙してみよう。

 美味しいものを避けることによって、大食の罪を諫めた。美味しいからこそ食べない!

 豚は雑菌が多く、当時の保存法では問題が多かったため食することが禁じられた。これは今でもよく使われる説明で、雑菌が発生・繁殖しやすい風土というのも関係している。

 異教徒の中で豚を神聖視する人たちがいたので差異化を図った。

 豚という動物が悪徳を表すイメージからタブーとした。たとえばひづめが割れているのは「善悪の識別が出来ない」などで、宗教はシンボルが重要な概念になっている。

 合理的説明は不可能。食規範はまったくの恣意的であり何の秩序もないという説。

 克己心や人格を形成するためという説。つまり不合理な禁止により結果的に人格が鍛錬される。これは1と関連している。

 食事のたびごとに神への忠誠を再確認させる。

以上のとおり、さまざまな理由づけがなされているが、人間の生理(食、性、睡眠など)にまで価値判断が持ち込まれているのは宗教だけが持つ特徴であり、その背景としては人間の本能がもろくて簡単に壊れやすいことが念頭に置かれている。

たとえば、「好物を見たら、満腹でも食べてしまう」「繁殖以外の目的で性行為をする」といった行動はほとんど人間だけの特性といえ、人間以外の動物は本能の働きにより、過剰な行動には自動的にブレーキがかかる。

ライオンが満腹のときは目の前をシマウマが通っても襲わないというのはよく聞く話で、「自分の生存を維持するための行動」「自らの遺伝子を残すための行動」が基本となっている。

結局、それだけ人間というのはエネルギーが過剰であり旺盛なので一歩間違うと人間という種自体を滅ぼす危険性を有している

その意味で、人間は本能が壊れやすい動物であればこそ、その過剰な部分をコントロールしストッパーの役目を果たしているのが「宗教」である。

したがって、「なぜ、豚肉を食べないか」に対する最も適切な答えは「神が禁じたから」となる。つきつめればそこへと行き着いてしまう。

ユダヤ教にはさまざまな宗派があるが共通基盤があって、それは「唯一なる神を信じ、安息日や食規範などの行為様式を守ること」にある。

この基本線に関してはどの宗派も共有している。そして敬虔なユダヤ人にとっては、「律法を守ることそれ自体が喜び」
なのである。

以上のとおりだが、「自分を律するために、あえて美味しいものを食べない」というのは、まったくの「眼からウロコ」で、それからすると総じて「仏教徒」たるもの、ちょっと自分に甘すぎて「快楽主義」に走り過ぎるきらいがあると思いませんかね・・。

で、最後にこれが言いたかったのだが「オーディオ愛好家は自分を律するために、日頃から“いい音”で聴いてはいけない」な~んちゃってね(笑)。



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反響が大きかった音楽関連の記事

2024年07月11日 | 独り言

前々回のブログ「読書コーナー~音楽の本~」は予想外にも反響が大きくて「アクセス」も好調だった・・、何がヒットするかいまだにどうもよくわからない(笑)。

こういう記事ばかり書いているといいんだろうけど、調子に乗って続けてしまうと「またか・・」と飽きられてくるだろうし、その辺の兼ね合いがなかなか難しい。

「賢いものが生き残るとは限らない、強いものが生き残るとは限らない、ただ変化するものだけが生き残る」(ダーウィン「種の起源」)だそうで、このブログも内容はともかく「絶えず変化する」ことをモットーにしています、あっ、そういえばオーディオもそうでしたね(笑)。

で、その反響とやらを時系列で紹介させてもらうとしましょう。

まずは南スコットランド在住の「ウマさん」からメールをいただきました。

「こちらのクリスマス…、お店はパブ以外すべて休み。街の目抜き通りは閑散としていて、人通りはほぼありません。
一年で一番重要な日、クリスマスは家で過ごします。何年か前、たまたまクリスマスの当日、所用があって、家族一同、街に出たときの写真がありました。

ご覧の通り、日頃賑やかな街の目抜き通りに、人通りはまったくありません。



日本におけるクリスマスの「はしゃぎ方」とは大違いのようですね!

次いで、メル友の「YO」さんから、「レクイエム」の名盤についてご教示いただきました。

「私もフォーレとモーツァルトのレクイエムは好きですね。良く聴くのは
フォーレがサマリー盤、モーツァルトはシュペリンク盤です。
モーツァルトの方は是非CDで聴いていただきたいです。驚きますよ(笑)」

「驚きますよ」という言葉にメチャ弱いのでさっそく「そんなに音がいいのですか?」と問い合わせたところ「CDのボーナストラックが素晴らしいとのこと」 なるほど・・。

そして、最後はプロカメラマンOBのKさんからだった。

「暑い日が続きます。家内がやっているシニア劇団員の中にも 最近新型コロナ感染者が2人出ています。

公演も近いことですので 皆さん元気で練習の成果が出せるように祈らずにはおれません。

運よく家内ともども 子供、孫達は感染経験者が結構いますのに かかる事も無く ありがたい事と思っています。

私のつたない写真が添付されていましたが まあ多くの人達に楽しんでもらえたら良いかなあと言うところです。

これからも時々メール差し上げる事があると思いますが その時の写真普通にブログ主様のメールの最後に載せていただいてもかまいません。

人により写真の雰囲気も変わってきますので 良いんじゃないでしょうか。今回は 友人の方も撮っておられる被写体ですが どうぞごらんになってください。特別に撮りにいったんではなく 偶然庭先で見つけた蝶です。

後輩達の中には 趣味の集まりの方たちが作っているクラブで教えているのが何人かいますが 私は会社時代で此の世界からはおさらば、ただ習性なんでしょう 

旅行先や自宅周辺で目の前に心留める景色を見てしまいますと 思わずシャッターを押してしまいますので定年後24年、何枚かの作品が残っています。添付できるのは 其の中からです。又楽しみにしていただければありがたいです。

宗教曲ですか、モーツアルトやフォーレのレクイエム、定番どおり ベームとコルベです。

ただベームは 我が家では美しくは響いてなく 合唱のところの再生が難しい。

アリエル ラミレスのMISA CRIOLLA(ミサ クリオージャ(南米大陸のミサ)ホセ カレーラスが歌っているCD(PHILIPS) 聞いておられますか。

ヴァティカン公会議で ミサは必ずしもラテン語に限ることなく諸国語で行っても良いとなってアフリカ ブラジル、アルゼンチンなど各国からミサ曲が誕生したそうですね。

雪の中ではない 真夏のクリスマス また面白いです。
此の曲が気にいって 私は夜寝る前になど時々聞いています。
レコードのベームのとは違って音が良い。凡人には 矢張り良い録音で聞けるのがありがたいです。」

ホセ・カレーラスのCDぜひ聴いてみたいです!

最後に、ありがたいことに写真が添付されていたのでご紹介させていただきます。



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暑い、暑い・・、懐かしのヒット曲集

2024年07月08日 | 独り言

このところ連日35度以上の猛暑が続いている。はたしてもう梅雨が終わったのだろうか・・、という疑問がつきまとうが、天気予報を見ると今週の後半から雨模様なのでそんなに甘くはないらしい。

昨日(7日)のこと、あんまり暑いので午後のウォーキングを久しぶりに公園に移すことにした。日影が多いので、家の周囲より少しはマシだろうとの思惑。

クルマに乗り込んで車内の温度表示を見ると何と「38℃!」~。

15分ほどで到着して公園に入ってみると、さすがに人が少ない。



ウォーキングを開始してみると、木立を縫って「そよ風」が吹いており、想像以上に快適だった。

夏のウォーキングはこれに決めた・・、しめしめと40分ほどで切り上げてから自宅に戻るとさっそくオーディオ機器のスイッチをオン。

さっそく「You Tube」を検索。

公園の「そよ風」に誘発されて、お目当ては往年のヒット曲「そよ風の誘惑」。歌手は「オリヴィア・ニュートン・ジョン」・・。2年ほど前に「乳がん」で73歳で死去、まだ若いのに・・、合掌。



それにしても、大ヒットしたこの「そよ風の誘惑」は名曲だと思う。

原題は「Have You Never Been Mellow」。英語は不得手だが「あなたは憂鬱になったことなんてないの?」という感じかな~。

それがどうして「そよ風の誘惑」というタイトルになったのか・・、実に上手い付け方だと思う。

それに反して実に拙いタイトルだと思うのが「白い渚のブルース」。

1960年代初頭に「ビルボード誌」で1位を獲得したヒット曲だが、しんみりと哀愁を帯びたクラリネットの音色が実に美しい。イギリスのテレビドラマのテーマ曲だったそうで、いかにもイギリスらしい内省的な雰囲気に満ち溢れている名曲。



クラリネット奏者は「エッカー・ビルク」(自作自演)だが、学生時代にこのレコード(シングル盤)を何度聴いたかわからないほど愛聴した。

そして原題は「Stranger On The Shore」・・、直訳すると「渚の見知らぬ人」~。

これがどうして「白い渚のブルース」というまことに陳腐なタイトルになるのか、もう歯がゆくて、歯がゆくて・・(笑)。あえて「白い渚」に拘るとすれば「白い渚の異邦人」ぐらいかな~。

調子に乗って、ほかにも往年のヒット曲を次から次にサーフィンした。

「ウォーク・ドント・ラン」(急がば回れ)。



このレコードのジャケットは実に懐かしいという方が多いのではなかろうか・・。

そして真打は「Walk On By」。歌手は「ルロイ・ファン・ダイク」



ウェスタン風の軽快なロック調の曲目で、女声のバックコーラスが冴えわたっている。どんなに探しても見つからなかった曲目でもう諦めていたのだが、やっと見つけました!

さらには「パッツィ・クライン」(飛行機事故で死亡)の「アイ・フォール・ツ・ピーシズ」・・。

「You Tube」万~歳!(笑)



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今を大切にしよう

2024年07月06日 | 独り言

「孝行したいときに親は無し」・・、誰しもが耳にタコができるほど馴染んだ言葉だと思うが、改めてその意味は「親の気持ちがわかるような年になって孝行がしたいと思っても、もう親はいない。 親の生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することが多いということ。」(大辞泉)

これを、無理やり「音楽&オーディオ」にこじつけると、「いきなり難聴が襲ってきて音楽を楽しめなくなることがあるので健常な今のうちに大いに楽しんでおこう」。

なぜこういう心境に至ったかというと、昨日(5日)見知らぬ方から次のようなメールをいただいたから~。

匿名ということで、無断でご紹介させていただきます。

「こうして 初めての方に メールするのは 初めての事です。はじめて此のブログを読ませていただいたのが1年前ぐらいでしたか。

オーディの話、他の色々な話題などなど 毎日楽しみにしています。

私、84歳 音楽を聴き始めたのは 60年以上前。

親父にねだって買ってもらった当時 トライアンプと言っていた FM,プリ、メインアンプが一緒になっていた

機器(モノーラル)でした。

パイオニア製で、まだ福音電気と呼ばれていた頃の話です。

勿論FMもモノ放送の時代。FM放送が始まって直ぐの頃です。

39800円でしたか、無論 真空管でした、それにクライスラーの20インチウーハー+高音セットのボックス。

これは1万円だったはずです。高校3年の時です。うれしかったですね。

それから現在までーーー。

今は、球のアンプ使用、SPUで 聞くのは90㌫がレコード。クラシックが60㌫他ジャズ、歌です。

4年前から片方の耳が突発性難聴にかかってしまいほとんど聞こえず、昔感じられていた演奏会場の雰囲気、演奏者のたたずまいなど わかりにくくはなっていますし、高音も聞こえなくなってきて寂しいかぎりです。 

ブログ主様も いずれは経験されるかもです。今の幸せを大切になさってください。

今日メール差し上げたのは、オーディオの話ではなく(こちらは又いつか お聞きしたい事など多くありますのでその時によろしくお願いいたします) 何時も 載せておられる写真の事でです。

今日の写真も気に入りましたが ご本人様が撮っておられるのでしょうか。すばらしい写真が何時も載っていますので 文章もそうですが楽しみにしています。

私も新聞社の写真部で35年間 毎日仕事にしていましたので 撮影の苦労などもよく理解できるんですが。

最初はスピグラ、3年後ぐらいからニコンになって、フィルムもモノクロからカラー、現像も皿現像から自動現像へ。そして撮影機材も露出設定、ピントも自動、昔はこれがちゃんと出来るのがカメラマンの最初の腕でした。

作品のセンスなどは 其れからの話でしたね。
最後の2年ぐらいでしたか、デジタルに変わり、あらゆるものが自動になってきて卒業でした。

考えれば 私達の年齢が 映像機材の進化、変化をすべて経験している最後の人間です。

私の5年後の後輩達はもうスピグラ、シートフィルムの皿現像の世界は知らない時代でしたから。

これからもよろしく、又メール差し上げます。

写真、7-8年前に家内とスキー旅行に行った時の写真です。ごらんになってください。」 

以上のとおりです。

「人生」そして「音楽&オーディオ」の大先輩からこうしてメールをいただけるなんて、ブログ冥利に尽きます!

さっそく「写真のプロ」宛て次のような返信を差し上げました。

「メールありがとうございます。人生そして音楽&オーディオ歴の大先輩に拙ブログをご愛読していただき恐縮と感謝です。大いに励みになります。

わたしは馬齢を重ねて当年77歳になりますが、難聴どころか持病がありますのでいつ天に召されてもおかしくありません・・、お説のように今を大事にしたいと痛切に感じます。

それから、写真の件ですが高校時代の同級生(神奈川県)の配信から借用しています。

ニコン・カレッジに長年通っているベテランです。カメラは当然のごとくニコンといってました。

今後ともご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。お写真楽しみに待ってます」

そして、ご愛読歴「1年」ということでまだ日も浅い方・・・、「(過去ブログの)複製大いに有効!」と意を強くしましたぞ(笑)。

最後に、同封されてきた「素晴らしいお写真」をご紹介させていただこう。




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「休載」するのと「複製」するのとどちらがいいですか

2024年07月04日 | 独り言

ときどき読者からメールをいただくが、「知らん振り」の方々が大半の中、いつも感謝しながら読んでいる。

昨日(3日)は、馴染みの「K」(横浜)さんからだった。

「レグラ・ ミューレマンを知らずお恥ずかしい。スコットランドのウマ様そして〇〇さん推薦なら勿論聴かねばと・・。今日アマゾンから届くはず。明日は休み、じっくりと聴かせてもらいます。

「英国人は握手嫌いゆえ手は後ろに組む」、なるほどチャールズ王で頭に浮かぶのは”後ろで組んで歩く姿”(ジャケットのポケットに手を入れても浮かびます。

(私は小学一年の時「ズボンのポケットに手を突っ込むのは紳士ではない。ポケットに手を入れたいなら上着のに」と教えられたが後にこれは英国の小学生への教育と知りました。)

今日「は」と「が」の使い方を(記憶では以前貴兄のブログで拝読と思うのですが賢明な〇〇さんが同じ話題出すと考えられぬので、誰かほかの方から聞いたのか?)ともかく使い方再確認で、感謝。」

さっそく返信~。

「レグラ・ミューレマンですが、拙文を信用していただいて感謝です!それにしてもCDを買うのはもったいない・・、「You Tube」で聴けないのですか?

もしできないのであれば、すぐに試聴できる環境整備をした方がいいと思います。なにしろ、タダで音楽を聴ける時代が到来しているんですから利用しない手はありません! 簡単ですよ。電気店でも相談にのってくれると思いますよ。

それから「は」と「が」の使い方ですが、ブログのネタに困って昔のを引用しました(笑)。

ブログを「休載」するのがいいか、過去の「複製」がいいのか、いつも悩んでいますが、いまのところ後者を選択しています。Kさんはどちらがいいですか?」

すると、折り返し次のメールが届いた。

「早速にありがとうございます。CD購入は「CDがなくならないように」と(大げさですが!!!)

You tubeはTVで観れますが、オーディオとは繋いでません。オーディオのスイッチは私が入れる(入り切りの順番、ワイフは理解せず)ので~。

ワイフのCD鑑賞用には小さなシステム与えてますが、CDはわたしのシステムで聴きたいといい、今はラジオしか聴いてないようです。

「本は三回読む」高校教師の教えですが、〇〇さんのブログはためになるものばかりゆえ「三回」繰り返し可・・、繰り返しは意義あり、これに異議はありません。」

アハハ・・、まさか「忖度」(そんたく)されてないですよねえ(笑)。

コツコツと繋いできて今や19年目を迎えたブログだが、初め頃の意欲はどこへやら・・、惰性も手伝って近年では新規と複製とが入り混じりながら「(この程度で)ま、いっか」が口癖になっている。

ちなみに複製といっても、およそ5年以上前の投稿に絞っているし、内容も今風に合わせて「加除修正」しているのはいうまでもない。

で、肝心の読者のアクセスだが、新規も複製もほとんど変わらないのがやや救い~。

これは憶測になるが1日当たり1000人の読者の内、「これは復刻版だ・・、この人サボってる!」と気付いている方が6割程度、残りの4割はフレッシュな気持ちで読まれているのではないかと踏んでいる・・。

まあブログの出来がいいからといって、別にご褒美をもらえるわけでもないしねえ~(笑)、自己満足の世界なのでペンを放り投げるときまで余命と相談しながらこのスタイルでいかせてもらうとしようかな~。

それに「K」さんから「3回まで複製可」のお墨付きをもらったことだし~、大いに心強いです(笑)。



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イギリス人の おちょぼ口

2024年06月29日 | 独り言

いつぞやのブログで紹介したことがあるが、メル友さん(関東地方)からの次のようなお便りをご記憶だろうか。

「一流の作曲家と演奏家が紡いだ音楽を「いい音」で聴いてやらないと失礼に当たりますよね。
時空を飛び越えて我が家で聴ける第一級の演奏を良い音で聴く幸せは何事にも代える事が出来ません。」           

十分わかります・・、オーディオ推進の原動力の一つといっていいでしょう。

そこでの話だが、我が家のオーディオはときどき混成旅団的にクラシックには縁遠い「JBL」系統に浮気しているのが実状・・、とはいえ、どうせ短期間で終わる熱病みたいなもので(笑)、そのうち自然と「ブリティッシュ・サウンド」に回帰するのが常~。

あっ、そうそう・・それで思い当たったのだが、今時分の梅雨のじめじめとした季節には、爽やかさを求めて「JBL」サウンドへ向かう傾向がありますな・・(笑)。

それはさておき、改めて「ブリティッシュ・サウンドって何?」という原点に立ち返ってみよう。

以下、「一介のオーディオ愛好家」の勝手な思い込みだから「ワン・オブ・ゼム」として受け取っていただければそれに越したことはない・・。

まず「ブリティッシュ・サウンド」の特徴を一言でいえば「微妙な陰影を表現でき、人の心に寄り添ってくれる音を出す」ことかな~。

一聴するだけではとても地味だし、けっして 大向こう を唸らせる音ではないが、こういう音じゃないと伝わってこない音楽があることもたしかで、クラシックをこころから愛する人にだけ通じる何かがある・・。

そこでの話だが、同じ島国としての国民性なのかイギリス人の気質は何となく日本人と合っているような気がしてならない。

作家の五味康佑さんが著書の中でいみじくも指摘されたように
音楽=音には民族の神が宿っている」ので好きな音の傾向もきっと同じはず。


そこで改めて「イギリス人の特徴と性格」を検証してみよう。(ネットからの引用)

1 他の人との距離を保ちたがる  

親交的で情熱的、誰彼構わずスキンシップを求めてくることが多いヨーロッパ諸国の中でイギリスは他人とに距離をしっかりと保ちたがる傾向があります。過度なスキンシップを極端に嫌うため、スキンシップが大好きな国から来た人達は「嫌われている?」と勘違いしてしまうほどです。

2 アメリカを軽視している
  

同じ英語を話す2つの大国イギリスとアメリカ。特に敵対しているわけではないのですが、イギリス人は愛国心が非常に強いです。「英語を話す=アメリカ人」と思い、イギリス人に「アメリカ人ですか?」と尋ねると不機嫌になってしまうこともあるので注意が必要です。

3 人間性を非常に大切にする
  

オックスフォードやケンブリッジ大学など世界でも名高い有名大学のあるイギリスですが、真面目で頭が良いだけでは成功しないと言われています。スポーツで優秀な成績を収めている、ボランティア活動に力を入れているなど、勉強や真面目さに加えて人間性がよくなければ難関大学は合格できません。人間性を非常に大切にする国と言えます。

4 島国気質
  

日本と同じ島国で、しかも国土がアメリカやオーストラリアなどと比べて極端に狭いため、自国で全てをまかなうことができず、輸入に頼ることが多い国です。他のヨーロッパ諸国のように車で簡単に行き来できないので、他国の文化をすぐに吸収することができず、独自の文化が栄えている国です。他国の情報が入りにくい分、おしゃれなどもヨーロッパの中では比較的質素ないでたちと言えます。

5 表現が婉曲的
  

ストレートに自分の主張を表現することが多い外国人の中で、イギリス人はオブラートに包み、柔らかく、遠回しに表現することが多いです。こういった点では表現方法が日本に似ているところがあります。同じ島国であることが関係しているのかもしれません。 

というわけです。

さらにイギリス人の特徴をよく反映しているものとして、タイトル「イギリス人のおちょぼ口」(日経新聞)を紹介してみよう。

「イギリス人には同じヨーロッパでもいろいろ変わったところがあるとよくいわれる。なにしろナポレオン軍に占領されなかったほとんど唯一の国である。しかし、オックスフォードの社会心理学者のピーター・コレットが「ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ」(草思社)で、そのイギリス人の顔つきに注目しているのはユニークだ。

ヨーロッパでイギリス人の話になると必ずといっていいほど誰かが独特の「こわばった上唇」のことを持ち出すという。それは彼らの決意のかたさや感情の抑制の資質をさす比喩にもなっているらしい。その原因は英語の発音にあるとか、歯の手入れが悪いせいだとまことしやかに説かれてきたそうだ。

コレットによると「革張りになったような」とも言われたイギリス人の顔はこの半世紀にだいぶ大陸の人間の顔に近づいてきたが、それでもはっきりした特徴がある。

たとえば、口の両端を斜め上に引くかわりに真横に引いて微笑む。また、表情を休止しているとき口をすぼめている。いずれも感情を抑えているような印象を与えているのだが、特に後者の「おちょぼ口」というのは面白い。


口は手と並んで典型的な外界関係器官である。握手をあまり好まないイギリス人は人と会うとき手を握らなくて済むように後ろ手にしていることがあるが、口もすぼめて外界との関係から防御しようとするのだろう。

何か考え込むときや、不平、不満があるときなどに口をすぼめることは日本人にもよくある。声を上げる口を収縮することで自己抑制し、自分に閉じこもろうという意思のあらわれだろう。

そんな「おちょぼ口」を何でもないときにしている人が多いというのはイギリス人の思慮深さと特別な対人感覚をよく示しているといえる。~以下略~。」

というわけです。

このたび、「天皇陛下」が雅子様とご一緒に8日間にわたるイギリス訪問をされていますが、同じ島国同士だし、似通った国民性を持つイギリスとの交流がもっと促進されるといいですね~。

南スコットランド在住の「ウマさん」・・、ご意見をお聞かせくださいな(笑)。



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文章に必要な「リズム感」の伝達

2024年06月27日 | 独り言

明治から大正・昭和にかけて「小説の神様」と謳われた文豪「志賀直哉」(1883~1971)に「リズムとマンネリズム」というタイトルのエッセイがある。その一部を紹介してみよう。

1 偉れた人間のする事、いう事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。

自分にも同じものが何処かにある、それを眼覚まされる。精神がひきしまる。こう
してはいられないと思う。仕事に対する意志を自身はっきり(あるいは漠然とでもいい)感ずる。

この快感は特別なものだ。いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。一体何が響いて来るのだろう。

2 芸術上で内容とか形式とかいう事がよく論ぜられるが、その響いて来るものはそんな悠長なものではない。そんなものを超絶したものだ。自分はリズムだと思う。響くという聯想でいうわけではないがリズムだと思う。

3 このリズムが弱いものはいくら「うまく」出来ていても、いくら偉らそうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下らない。小説など読後の感じではっきり分る。作者の仕事をしている時の精神のリズムの強弱問題はそれだけだ。

4 マンネリズムが何故悪いか。本来ならば何度も同じ事を繰返していれば段々「うまく」なるから、いいはずだが、悪いのは一方「うまく」なると同時にリズムが弱るからだ。

精神のリズ
ムがなくなってしまうからだ。「うまい」が「つまらない」という芸術品は皆それである。い
くら「うまく」ても作者のリズムが響いて来ないからである。

以上のとおりだが、モーツァルトの音楽を聴くといつもワクワクして心が弾んでくるのもこの得(え)も言われぬ「リズム感」が伝わってくるからに違いない。

それに引き換え、天と地ほどに差があるのがこのブログ~(笑)。

文章も内容も陳腐化する一方で、大切な「リズム感」が読者に伝わっているかどうか非常に心もとない・・。

              

ここは「名文」を引用して自戒としておこう。なぜ名文なのかは賢明な読者のことなのできっとお分かりになるはず・・。

「1943年初め、中国戦線に展開していた支那派遣軍工兵第116連隊の私たちの小隊に、武岡吉平という少尉が隊長として赴任した。早稲田大理工科から工兵学校を出たインテリ少尉は、教範通りの生真面目な統率で、号令たるや、まるで迫力がない。

工兵の任務は各種土木作業が主であり、力があって気の荒い兵が多い。統率する少尉の心労は目に見えていた。

1944年夏、湘桂作戦の衛陽の戦いで、敵のトーチカ爆破の命令が我が小隊に下った。生きて帰れぬ決死隊である。指揮官は部下に命じればよいのだが、武岡少尉は自ら任を買い、兵4人を連れて出て行った。やがて大きな爆発音がした。突撃する歩兵の喚声が聞えた。爆発は成功したのだ。


決死隊5人は帰ったが、少尉だけが片耳を飛ばされ顔面血まみれだった。なんと少尉が先頭を走っていたという。戦後30年たった戦友会で武岡少尉に再会した。戦中と同じ誠実な顔をされていた。大手製鉄会社で活躍、常務となって間もなく亡くなった。」

以上のとおりだが、蛇足になるだろうけど なぜ「名文」なのか・・。

それは、武岡少尉に対する「誉め言葉」がいっさい無い・・、「戦中と同じ誠実な顔をされていた」だけに留めている。

つまり、わかりきったことや余計なことが省かれているので、「文章でいちばん大切なリズム感がストレートに伝わってくる」ところにあるそうです! 

あっ、そういえばモーツァルトが幼少の頃に教育者だった父親から「作曲するときに無駄な音符を使うな!」と徹底的にしごかれたそうですよ。

拳拳服膺(けんけんふくよう)しなくちゃね~(笑)



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明日は明日の風が吹く

2024年06月25日 | 独り言

他愛ないことだがいつも迷うことが一つある。

それは自宅周辺のウォーキングに出かけるときに、真空管アンプのスイッチをオンのままにするか、それともオフにするかどうか。

何も電気代の心配をするのじゃなくて(笑)、アンプひいては真空管にとってダメージが少ない方を選択したいという思いからである。



スイッチの入り切りによる電圧変動が与える影響はアンプ自体にとって負担になるだろうし、その一方真空管は消耗品なので点灯時間が少なければ少ないほど寿命が延びる。

さあ、オンとオフのどちらを選択しようか。

何だか出かけるときのエアコン・スイッチの「オン・オフ」と似てますね(笑)。

雑誌で見かけた記事によると、(エアコンは)1時間前後を目安にそれ以上家を空けるのならスイッチオフ、それ以内ならオンのままという内容だったが、アンプも似たようなものかな。

ちなみに、真空管に詳しい方によると、

「真空管、とりわけ古典管はあなたが想像している以上にタフですよ!寿命の心配をするよりもむしろエージング不足を心配したほうがいいと思います。ジャンジャン使って本来の能力を発揮させるべきです。」

そういえば、近代管については何度も球切れを経験したが、古典管に限っては球切れを滅多に経験したことが無いことに思い至った。

とりわけ「STC」ブランド(ロンドン・ウェスタン)については「ときには他の球と交換して楽しみたいのに故障しないので困るという悲鳴が上がっている」(販売業者談)というほどの丈夫さで知られている。

もう10年以上使っているのに びく ともしないSTCの「3A/109B」だが、総じてツクリの精度はあの「ウェスタン」と匹敵するかそれ以上だそうですよ~。




というわけで、取り越し苦労とはこのことかな~。

(真空管を)使うだけ使ってダメになったときはその時に考えることにしよう。


名作「風と共に去りぬ」(原作:マーガレット・ミッチェル女史)のラストシーンでヒロインのスカーレット・オハラはこうつぶやく。

「明日は明日の風が吹く、何も先のことを思い煩うことはないわ!」

「Tomorrow is another day」

どうやら男性よりも女性の方が前向きだし逞しいようですよ~(笑)。



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表向きの顔 と 内向きの顔

2024年06月24日 | 独り言

昨日(23日)のブログ「音楽をタダで・・」は久しぶりの快ヒットだった・・、したがって朝から気分がいいです(笑)。

で、具体的に言えば・・、つい先日の「オーディオ関係の記事」が「465位」(グーブログ:318万件中)とガクンと大不評だったのが、今回は「287位」と大躍進でものすごい落差・・、「それがどうした!」と言われそうだが、やはり多くの人が興味を示してくれたことに対して素直にうれしくなる・・、もうアクセスに一喜一憂して自己満足に耽る歳でもないんだけどね~(笑)。

そこで、ふと「ユートピア」(湊かなえ著)の一節を思いだした。


「何で多くの人から認められたいなんて思うんだろうな。他人の評価が欲しくて作品に向き合っているうちは、多くの人どころか自分自身ですら心底満足できるものが作れないってことに、どうして気が付かないんだろう」           

なかなか含蓄のある言葉だと思うが、やはり読者あってのブログ・・、「表向き」は素知らぬ風を装っても、「内向き」ではアクセスが気にならないと言えば嘘になりますわいなあ~(笑)。

あっ、そうそう関連して・・、何かの本に書いてあったが、プロ野球選手がヒットを何本も打って活躍したんだけど試合の方は惜しくも逆転負け・・、するとみんなの前では一様に悔しがって見せたが、家の布団の中では秘かにニンマリ・・、アハハ(笑)。

実は、人間には表向きの顔と内向きの顔があるようでして・・、音楽趣味だって同じことが言えるかもしれませんよ~。

というのも、他人様のブログを読んでいて折角高尚なことが書いてあるのに、聴かれているジャンルが冴えないと(微妙な表現になりますが・・)、ガッカリしてオーディオまで低級に思えることを何度か経験したことがある。

「音楽に貴賤は無い」と思うけどやはり・・。

オーディオシステムが人間の「身体」に該当するとすれば、それに「魂」を吹き込むのは聴いてる音楽だという考え方もまんざら外れてはいないように思える。

そこで、ブログの中ではいつも ええかっこしい を心掛けているのが実情だ(笑)。

ただし、システム調整用のテスト曲となると話は別ですよ~。

我が家の場合、テスト用として使っているのはいろいろあるが、代表的な曲目を挙げるとエンヤの「Caribbean Blue」・・、冒頭の弦(?)の深~い一撃とスーッと奥の方に広がっていくサウンドの細かな表現力と透明感を目安にまずはシステム改善の良否を判断している。

長年この曲目に耳が馴れているので、一聴しただけでおおよそシステムの欠点が分かるところが気に入っている。

それと、カーペンターズの「オンリー・イエスタデイ」の冒頭のドラムとシンバルの響き方で低音と高音のバランスを取っている。

以上は物理的特性からのアプローチだが、その次は情感的な面からのアプローチになる。

好きな音で好きな音楽を聴くといつも胸がキュンとなって独特の切なさがこみあげてくるが、そういう意味での仕上げは何といっても「歌謡曲」の節回しが適している。

琴線に触れてくるかどうかがポイントだが、「美空ひばり」の「別れの一本杉」と「思案橋ブルース」なんかは最高! 島田祐子さんも素敵~。

とまあ、以上のとおりだが、日頃モーツァルトやマーラー、ワーグナーばかり聴いているように思われているかもしれないが、内情はこの通りです。

やっぱり「表向きの顔」と「内向きの顔」は違いまっせ~(笑)。

それにしても、音響の最終調整には小さい頃からずっと馴れ親しんだ日本語の歌がいちばんいいというのも日本人たる宿命なのかなあ(笑)。



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日々雑感

2024年06月10日 | 独り言

<夏まじか>

今朝(10日)のこと、最近日課にしている「起き抜けの自己流体操」をしていたら耳元で蚊がブ~ン・・、慌てて中断して「蚊取り線香」を点けた。

もう蚊が出てくる季節になったんですねえ・・、目前に迫った梅雨入りは後半に大雨が降るといってるし、今年の夏は猛暑だそうですよ~。

で、夏にちなんだ芭蕉の俳句の中から お気に入り を三つ、

閑かさや 岩に沁みいる 蝉の声

面白うて やがて悲しき 鵜舟かな

夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の後

芭蕉が詠むと、なぜか夏という季節の中に哀感がこもっていて涼しく感じます~。

芥川賞作家「五味康佑」さんによると「芭蕉のたった一句に長編小説が負けることがある」そうですよ~。

<ヒラリー・ハーンが弾いているヴァイオリン>

つい先日のブログ「仏(ほとけ)作って魂入れず」で紹介したブルッフのヴァイオリン協奏曲・・、演奏者はとびっきり上手い「ヒラリー・ハーン」



このヴァイオリンは、文中で当てずっぽうに「ストラディ・ヴァリウス」だろうと決めつけていたところ、南スコットランド在住の「ウマさん」からご親切にもメールが届いた。

「ヒラリー・ハーンのブルッフは僕も大好きで、ちょくちょく聴いてます。デヴューの頃と今とあまり変化がないのは、モーツァルトを彷彿とさせますね。

かなり以前に彼女のヴァイオリンのことを調べたことがありますが、1864年の「ヴィヨーム」だと、聞き慣れない名前を知りました。三大名器以外にも優れたヴァイオリンがあるんだなあと驚きましたね。


五島みどりさんは1992年から2000年まで ストラディバリウス を使用していましたがそれ以降は グァルネリ です。

彼女も凄い方ですが、日本フィルの木野雅之が「みどりは、小さい時からのあまりにも過激な練習のせいか〇〇がない」

〇〇で思い出しました…やはり木野の話です…

イヴリー・ギトリス、マルタ・アルゲリッチ、それに木野の三名が共演した時、楽屋前の通路で、アルゲリッチが何かにつまずいてひっくり返りました。その時、彼女のショルダーバッグから、中身が通路に散乱し、木野がそれらを拾ってあげたけど、その中に〇〇用品があったそうです。(笑)」

以上のとおりでした。

奔放な男性関係で有名な「アルゲリッチ」(ピアニスト)だけど、「バッグ」の中に「避妊用具」は無かったのかな~(笑)。

それにしても、ハーンの弾いてるヴァイオリンは「ヴィヨーム」でしたか・・、恥ずかしながら初めて聞く名前!

さっそくググってみると、



「Jean-Baptiste Vuillaume :  (1798年 - 1875年)は、フランスの弦楽器製作者で多くの賞を受賞した。彼の工房は3,000以上の楽器を製作した。」とある。

下世話な話だけど取引価格となると・・、有名オークションで3700万円で落札されたそうです。

数億円もする「ストラディヴァリ」からするとかなり落差がありますが、まあ、どんな名器でも演奏者次第で凡器にもなるわけですから、ハーンほどの練達者が弾いたらきっとヤマハでもいい音が出ると思うんだけどなあ~(笑)。



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