「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

新しいデジタル機器の到着

2018年10月30日 | オーディオ談義

我が家のオーディオの軌跡を振り返ってみると、およそ50年ほど前のアナログ・レコードに始まり1980年代初頭のCDの登場によってデジタル系に移行してからほぼ40年近くになる。

その間つぶさにずっと音楽媒体の推移を見守ってきた。

つい先日の新聞には、完全に潰えたはずのレコードが再び盛り返してレコードやプレイヤーの売れ行きがいいという記事が目に入ったが、オーディオの世界は視界不良の面が実に多いことに驚かされる。

もう一つの例を挙げると、ずっと昔の真空管素子からTR素子に代わったときにも「これからのアンプはTR素子一色の時代になる」と、まことしやかに言われたものだが実際にはそうならなかった。

当時のラックスの「SQ38FD」真空管アンプなんか、販売中止になったり復活したりで右顧左眄(うこさべん)し、実に信念がない動きをしていたが(笑)、今では真空管素子関連の機器の方がオークション市場をずっと賑わしているほどで、我が家においても絶対的な真空管党に属している。

自宅で音楽を鑑賞するのにオーディオ機器は必需品だが、「芸術にいい悪いの順番はない、あるのは好きか嫌いかだけだ。」と喝破したのは誰だったろうか。

物理学にプラスして好悪の感情が混ざってくるオーディオの解明の難しさといったら「推して知るべし」でとうてい一律に割り切れるものではない


身近なオーディオ仲間においても、今やレコード党とCD 党が半々くらいなので、ときどき「またレコードを始めませんか」と誘われることもあるが、音の良さは十分わかるものの今さらという気がしてどうしても敬遠してしまう。

フォノモーター、アーム、カートリッジ、イコライザーアンプ、そして肝心のレコードの収集などを考えると「突っ込むお金+手間」に気が遠くなってしまいそう(笑)。

その反動のせいか、ますますデジタル系にのめり込んでいる今日この頃。

つい最近オークションで落札したのが、先日のブログ「秋になると活発に動き出すオーディオの虫」でも紹介した「Phasemation D/Aコンバーター HD-7A192」だった。

      

手ごろな価格とデザイン、そしてアップサンプリング出力の機能に期待したのが動機だった。

我が家に到着したのは25日(木)の午前中だったが、玄関先ですっかり顔なじみになった愛嬌のいいヤマトの兄ちゃんから手渡しで梱包を受け取った瞬間「軽すぎる!」と一抹の不安が脳裏をよぎった。

「オーディオ機器の目方は音質に比例する」のは一面の真理である。デジタル機器だし、ま、いっかとすぐに気を持ち直した。もう、つべこべ言ってみてもどうしようもないんだから~(笑)。

さっそく梱包を解くと「中古品」といいながら「新古品」とでもいうべきか、新品同様で保証書まで入っていた。

さっそく所定の置き場所に設置し関係機器と接続して試聴してみた。

注目はCDトラポ(CEC)のアップサンプリング出力「44.1×4倍=176.4KHz」に対応できるかどうかの一点に尽きた。

胸を弾ませながら島田祐子さんのCDを聴いてみると何と読み込まない!もう絶望的な気分になったねえ、いったい何のために購入したんだ・・。

しかし焦りながらもどうにかこうにか闇雲に動かしていたら突然、音が出だした。結局、CDトラポの方を通常のCD「44.1KHz」で出力させるとDAコンバーター側で「176.4KHz」に自動的にアップサンプリングしてくれた。これでメデタシ、メデタシ。

肝心の音質の方は「44.1KHz → 88.2KHz → 176.4KHz」と回転型スイッチでグレードアップするごとに音が柔らかくなり肌理(きめ)が細かくなって流石は「176.4kHz」と心から素晴らしいと思った。

このブログの搭載日はご承知のとおり本日の30日(火)だが、この時点でもはや5日間が経過しているものの今のところ一点を除いて不満らしきものはない。その一点とは次回で明らかにしよう。

それはともかく、この上は既存のdCS(イギリス)のCDトラポ(44.1kHz)とDAコンバーターとの音質比較に興味が移っていく。

アンプとの相性テストを含めて28日(日)の午後にオーディオ仲間と比較試聴したのでその結果を次回のブログで報告するとしよう。

オーディオ機器のお値段を持ち出すのはあまり品のいいことではないが定価でいえば
「500万円 VS 60万円」の一騎打ちである。

実に興味深い結果に、仲間ともども深~い感慨(?)にふけったことだった。

以下、続く。

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オーディオ機器はすべて「ブリティッシュ」で

2018年10月28日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

いつまで経っても仕事をやめようとしない我が家のカミさんに「おい、いい歳をして世間体もあるからそろそろ辞めたらどうだ。」と言っているが、どうやら仕事が楽しくてたまらないらしく聞く耳を持たない。

この辺は怠け者の亭主とは正反対で、性格的にも陽と陰の「プラス・マイナス=平穏」のまま46年間の長きにわたってどうにか保っているんだろう。これで、オーディオに理解さえあれば言うことなしなんだけどねえ(笑)。

そのカミさんが9時ごろ(24日)仕事に出かけたので、ようやく作業に取り掛かった。膝まずいての作業が大半なので作業着に着替え、腹を据えて右側のスピーカーから攻略に入った。

丁度「ワールドシリ~ズ」の初戦が行われており、「レッドソックス VS ドジャース」を別のスピーカーでときどき観戦しながらの作業である。

裏蓋の16個のネジを外してJBLの「D130」(口径38センチ)を取り出した。いやあ、覚悟はしていたもののズシリと重たい!

「長いことお世話になりました。」とつぶやきながら代わりにワーフェデールの赤帯マグネットを取り付けようとしたところ、補助バッフルのネジ穴が大き過ぎてワッシャーが合わない。さあ、たいへん~。

一つのユニットに4個のネジ穴があるので全体で8個の大きめのワッシャーを確保しなければならない。手持ちの道具箱から見つけ出すのがたいへんだった。最悪の場合、作業着のままお店に駆け込むことも覚悟したがどうやらきっかり8枚が見つかった。

たったこれだけのことに思わぬ時間がかかってしまったが、こういうハプニングはスピーカー弄りには付きものである。

   

これが取り付け後の画像で、どうにか右チャンネルの分が済んだのは1時間後だった。まあ、こんなもんでしょう。

このユニットのエッジはご覧のとおり前後の振幅運動がしやすいように「ゆったりとした”たわみ”」がある。これが秀逸な赤帯マグネットともに「いい音」を出す秘訣だと睨んでいる。

続いて息もつかせず左チャンネル側に移った。今度は左手の方が主な出番になるが右利きなのでどうも作業がやりにくい。それに4個のネジ穴のうち1か所でも強く締めると他のネジ穴が合わなくなるのでこちらの方がよりシビアだった。4か所ともネジを浅めに止めてから順次対角線に沿って六角ナットで強く締めていった。

これもだいたい1時間程度で終了した。計2時間ほどなので予想したよりは早かった。むしろ前日の補助バッフルの作製の方に時間がかかったほど。

さあ、いよいよ待ちに待った音出しである。一番気になっていたのは、口径38センチのユニットから口径30センチへの変換なので量感がプアにならないかというその1点に尽きる。

丁度ワールドシリ~ズが中盤の6回ごろに差し掛かっていたが、アンプを切り替えて聴いてみた。

「LCネットワーク」によって分岐した低音域(~8000ヘルツ)を受け持つワーフェデールには「300Bシングル」アンプ(モノ×2台)を、高音域(8000ヘルツ~)を受け持つデッカの「リボン型ツィーター」には「171シングル」(トリタン・フィラメント)アンプを持ってきた。

結線も無事済んでさあ、運命のスイッチオン。

あれっ、JBLとはまるっきり音の響き方が違うぞ~!

大リーグ最古の球場である「フェンウェイ・パーク」(ボストン)のざわめきの情報量が多くなったようだ。豊かで奥深い響きという表現に尽きるが、初めのうちはあまりの違いにちょっと戸惑ってしまった。

耳が慣れずについていけない印象も受けるが、確実に「好みの音」に近づいていることは実感できた。こんなことなら早く取り換えておけばよかった(笑)。

ただし、それから本格的な低音域と高音域の音量のバランス合わせがたいへんだった。

JBLのユニットは能率が「102db」もあったが、ワーフェデールはせいぜい「97db」あたりだから、結局「300B」と「171」の両アンプともフルボリュームで折り合いがついたが、それからの「アンプ転がし」が実に楽しかった。

いろんなジャンルのCDをかけながらワーフェデール用のアンプをとっかえひっかえテストしてみたが、やはり大型スピーカーならではのスケール感には見る(聴く)べきものがあった。

これまでの「実験用のシステム」から一躍我が家を代表する「メインシステム」に昇格する資質ありと睨んだので、ほとんど全ての機器を「オール・ブリティッシュ」で統一することにした。

最終的なメンバーは次のようにした。(ブリティッシュ・ブランドは色付け

<音の入り口部分>

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS)、DAコンバーター「エルガープラス」(dCS)

<増幅系>

真空管式プリアンプ「真空管はBRIMAR(STC)のECC83×3本」

パワーアンプ1号機(~8000ヘルツ)は「PX25シングル」

パワーアンプ2号機(8000ヘルツ~)は「171シングル」で前段管は「ナス型のAC/HL」(英国マツダ)

<変換系>

スピーカー(~8000ヘルツ)はワーフェデール(イン・ウェストミンスター

スピーカー(8000ヘルツ~)はデッカの「リボン型ツィーター」

            


以上のとおりだが、この中の主役はやはり「ワーフェデール」で、
その存在感は群を抜いておりこのユニットで大半の勝負が決まっている感がある。

スピーカーの名門タンノイさんのシステムを「素人」が弄るなんてと「眉を顰める」向きがあることも十分承知しているし、過去にも読者から「けしからん」と猛烈な抗議を受けたことも実際にあるが、この音を聴いていただければ「改造やむなし」と十分納得していただけるのではあるまいか。

お蔵入りになったJBL「D130」の復帰はもうありえないと現時点で断言してもいいだろう。どなたか要りませんかね(笑)。

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魅惑の「ブリティッシュサウンド」

2018年10月26日 | 音楽談義

前回からの続きです。

我が家のオーディオの歴史的な転換点ともいえる今回のSPユニットの交換は結果から先に言えば大正解で大いに血沸き肉躍るものだった。

あまりにも「素敵な音」が出たためにブログの更新を忘れるほど夢中になったといえばご理解していただけるだろうか(笑)。

振り返ってみるとワーフェデールのユニット「赤帯付きマグネット」の取り付けは、かねてからの懸案事項としてずっと意識してきたのだがどうしても踏ん切りがつかなかった。

      

交換したとしても「前のユニットの方が良かった」と、まるで「長か半か」の博打みたいなものだし、それに実験だと割り切るにしては作業がたいへん~。

         

重さ100kgを超える大型のエンクロージャーをゆさゆさ揺り動かして後ろ側にやっと入り込めるほどのスペースを作り、16個の裏蓋のネジを外して重量のあるユニットを外し別のユニットを取り付ける。補助バッフルのネジ穴合わせも1mmでもずれるとアウトだし、考えるだけで気が重くなる作業である。

文字通り「老骨に鞭打っての作業」でよほどの「音への情熱」がないと無理(笑)。

つい最近のブログにも搭載したが、メル友さん(関東地方)が仰っていたように、

「一流の作曲家と演奏家が紡いだ音楽を「いい音」で聴いてやらないと失礼に当たりますよね。
時空を飛び越えて我が家で聴ける第一級の演奏を良い音で聴く幸せは何事にも代える事が出来ません。」           

そうなんですよねえ、十分わかります(笑)。

もうひとつ、強力な後押しになったのはこのほど新装なった「PX25シングルアンプ」と「トライアクショム」(グッドマン)のコンビの魅惑的な「ブリティッシュサウンド」だった。こんな凄い音を聴かされると、我が家のシステム全体を「イギリス一色」に染めたくなるのは当然の成り行きだった。

作業の詳細、そして気になる試聴結果は後回しにすることにして、ここで「ブリティッシュサウンドって何?」という原点に立ち返ってみよう。

まあ「一介のオーディオ愛好家」の勝手な思い込みだから「ワン・オブ・ゼム」として受け取っていただければそれに越したことはない。

まず「ブリティッシュ・サウンド」の特徴を一言でいえば「微妙な陰影を表現でき、人の心に寄り添ってくれる音を出す」ことに尽きる。一聴するだけではとても地味だし、けっして大向こうを唸らせる音ではないが、聴けば聴くほどに琴線に触れてくるものがあって音楽&オーディオをこころから愛する人にだけ通じる何かがある。

そして同じ島国としての国民性なのかイギリス人の気質は何となく日本人と合っているような気がしてならない。

作家の五味康介さんが著書の中でいみじくも指摘されたように「音楽=音には民族の神が宿っている」
ので好きな音の傾向もきっと同じはず

そこで改めて「イギリス人の特徴と性格」を検証してみよう。(ネットからの引用です)

1 他の人との距離を保ちたがる  

親交的で情熱的、誰彼構わずスキンシップを求めてくることが多いヨーロッパ諸国の中でイギリスは他人とに距離をしっかりと保ちたがる傾向があります。過度なスキンシップを極端に嫌うため、スキンシップが大好きな国から来た人達は「嫌われている?」と勘違いしてしまうほどです。

2 アメリカを軽視している
  

同じ英語を話す2つの大国イギリスとアメリカ。特に敵対しているわけではないのですが、イギリス人は愛国心が非常に強いです。「英語を話す=アメリカ人」と思い、イギリス人に「アメリカ人ですか?」と尋ねると不機嫌になってしまうこともあるので注意が必要です。

3 人間性を非常に大切にする
  

オックスフォードやケンブリッジ大学など世界でも名高い有名大学のあるイギリスですが、真面目で頭が良いだけでは成功しないと言われています。スポーツで優秀な成績を収めている、ボランティア活動に力を入れているなど、勉強や真面目さに加えて人間性がよくなければ難関大学は合格できません。人間性を非常に大切にする国と言えます。

4 島国気質
  

日本と同じ島国で、しかも国土がアメリカやオーストラリアなどと比べて極端に狭いため、自国で全てをまかなうことができず、輸入に頼ることが多い国です。他のヨーロッパ諸国のように車で簡単に行き来できないので、他国の文化をすぐに吸収することができず、独自の文化が栄えている国です。他国の情報が入りにくい分、おしゃれなどもヨーロッパの中では比較的質素ないでたちと言えます。

5 表現が婉曲的
  

ストレートに自分の主張を表現することが多い外国人の中で、イギリス人はオブラートに包み、柔らかく、遠回しに表現することが多いです。こういった点では表現方法が日本に似ているところがあります。同じ島国であることが関係しているのかもしれません。 

さらにイギリス人の特徴をよく反映しているものとして、タイトル「イギリス人のおちょぼ口」(日経新聞:2000・2・2)を紹介してみよう。

当時、イギリスに興味があって切り抜いていたものだ。

「イギリス人には同じヨーロッパでもいろいろ変わったところがあるとよくいわれる。なにしろナポレオン軍に占領されなかったほとんど唯一の国である。しかし、オックスフォードの社会心理学者のピーター・コレットが「ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ」(草思社)で、そのイギリス人の顔つきに注目しているのはユニークだ。

ヨーロッパでイギリス人の話になると必ずといっていいほど誰かが独特の「こわばった上唇」のことを持ち出すという。それは彼らの決意のかたさや感情の抑制の資質をさす比喩にもなっているらしい。その原因は英語の発音にあるとか、歯の手入れが悪いせいだとまことしやかに説かれてきたそうだ。

コレットによると「革張りになったような」とも言われたイギリス人の顔はこの半世紀にだいぶ大陸の人間の顔に近づいてきたが、それでもはっきりした特徴がある。たとえば、口の両端を斜め上に引くかわりに真横に引いて微笑む。また、表情を休止しているとき口をすぼめている。いずれも感情を抑えているような印象を与えているのだが、特に後者の「おちょぼ口」というのは面白い。

口は手と並んで典型的な外界関係器官である。握手をあまり好まないイギリス人は人と会うとき手を握らなくて済むように後ろ手にしていることがあるが、口もすぼめて外界との関係から防御しようとするのだろう。

何か考え込むときや、不平、不満があるときなどに口をすぼめることは日本人にもよくある。声を上げる口を収縮することで自己抑制し、自分に閉じこもろうという意思のあらわれだろう。そんな「おちょぼ口」を何でもないときにしている人が多いというのはイギリス人の思慮深さと特別な対人感覚をよく示しているといえる。~以下略~。」

以上のとおりだが、そんなことはどうだっていい、もったいぶらずに早く作業結果を載せろという読者が大半だろうと想像するので次回こそはきっと・・(笑)。

以下、続く。

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秋になると活発に動き出すオーディオの虫

2018年10月24日 | オーディオ談義

我が家ではなぜか秋になると「オーディオの虫」が活発に動き出す(笑)。

まず一つ目は今後使う見込みのなくなったオーディオ製品の整理が挙げられる。不要な機器が死屍累々なので、知人に頼んでオークションへ出品してもらっている。

たとえばDAコンバーター、SPユニット、古典管など。

これらの落札価格は購入時のせいぜい1/3ぐらいにしかならないが「残る2/3は楽しみ賃」と思えばありがたいもので、オークションはまことに助かる。

当然のことながら売りっぱなしということではなくこれらを軍資金に新たな機器の補充もゆめゆめ怠ってはいけない(笑)。

このほど、10月22日(月)に落札したのが「Phasemation D/Aコンバーター HD-7A192」だった。

      

デザインに惹かれて落札したのは後にも先にもこれだけで、何だか感性をピ~ンと刺激されてしまった(笑)。

プラスアルファとして半年ほど前に購入したCECの「CDトランスポート TL3 3.0」のアップサンプリング出力「176.4kHz」に対応できそうなのも魅力だった。

振り込みが済んだので2~3日後には到着の予定で、既存のdCS(イギリス)のCDトラポとDAコンバーターとの比較が愉しみ~。

そしてオーディオの虫が動き出した2番目はSPユニットの交換。

我が家の実験用システム「ウェストミンスター」にはこれまで25年間ほどにわたって骨の髄までしゃぶり尽くすほど楽しませてもらった。

当初内蔵されていたタンノイさんのユニットは貧弱なフェライトマグネット付きだったので音に締まりがなくて散々だった。早々に諦めてSPユニットをいろいろ入れ替えてきた。

補助バッフルを使ってAXIOM80、グッドマンの301、フィリップスのアルニコマグネットタイプなどいろいろ実験してきたが、このところ3年ほどはJBLのD130(口径38センチ)で落ち着いてきた。

今のところ音質に
まったく不満はないが、久しぶりにウェストミンスターから本格的な「ブリティッシュサウンド」を引き出してみようかと思い立った。

このほど新装なった「PX25シングル」アンプと「トライアクショム」(グッドマン)のコンビから大きな刺激を受けなかったといえばウソになるなあ(笑)。

D130から入れ替えるのはワーフェデール(イギリス)の赤帯マグネット(口径30センチ)である。

「赤帯マグネットに駄作無し」との言い伝えがあるが、振るいつきたくなるほど「いい音」が出るのは実証済み。現在4本収集しており、そのうちの2本を活用することにして昨日(10月23日)は補助バッフルの作成に余念がなかった。

  

今日(24日)の午前中には取り付け完了の予定である。さあ、どんな音が出てくるか、軽く100kgを超える重量級の箱なのでいやがうえにも胸が高鳴る。

早く作業に取り掛かりたいのはやまやまだが、家内からどうせ眉を顰められるだけなので、出かけた後の9時過ぎぐらいから動くとしよう(笑)。

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ピンチはチャンス~後編~

2018年10月23日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

オーディオの愉しみというのは「好きな音楽を好きな音で聴ける」ことに尽きるが、そのほかにも新しい機器を購入したりあるいは改造した後で「はたしてどんな音が出るんだろう」と、興味津々で耳をかたむける瞬間にあると言っても過言ではあるまい。

この心理はオーディオ愛好家であれば手に取るように分かりますよねえ(笑)。

まったく胸がわくわくする瞬間だがその結果、出てきた音に「喜ぶ」かそれとも「哀しむか」の確率から言えば我が家の場合は五分五分といったところだろうか。まことに「丁か半か」の博打みたいなものだといえないこともない(笑)。

その点、今回改造を終えて到着した「PX25シングル」アンプの場合は、博士の秘術を尽くした入魂の作品なので良くなっていることは確実だが、それがどの程度までかというのがハイライトである。

デジタルカメラのご機嫌が直ったみたいなので画像を挙げておこう。

     

前段管は「SX112」(トリタンフィラメント)だから不足はない。トリタンフィラメントのスピード感と情報量の多さは酸化被膜フィラメントがとうてい及ぶところではない。

繋いだスピーカーは「AXIOM80]と並んで我が家の至宝ともいえる「トライアクショム」(グッドマン:イギリス)だ。

     

ここで思うのがオーディオ愛好家には2種類のタイプがあって、期待どおりの好きな音が出てきたときに「笑いが止まらないタイプ」ともう一つは逆に「しんみりして感涙に咽ぶタイプ」(笑)。

前者はネアカ、後者はネクラといったところだが、自分は秘かに後者に分類されると自覚している。

改造後の「PX25シングル」と「トライアクショム」の同じイギリス勢同士の組み合わせを聴いて「やっとここまで来たか!」と思わず涙ぐんでしまった。

ブリティッシュサウンドの神髄とでもいうべきか、音にそこはかとなく気品が漂うのが何よりも素晴らしい!イギリス人というのは老獪というのか、やっぱり一括りに出来ない人種だなあとつくづく思い知らされる。

それに周波数レンジが広くなっており低音域の沈み込みが明らかに違う。また改造前は無音時にごく微かにブ~ンというハム音がしていたのがまったく皆無となっている。

念のため「どこをどう弄ったのですか?」と博士にお訊ねすると「前段管の切り替え部分の抵抗を整理してシンプルにしたことと、リップルフィルター関連のコンデンサーの容量を3倍にしました。」

エッ、リップルフィルターって何? 素人の悲しさでサッパリ(笑)。

それはさておき、これには後日談があって博士から「実はアンプの裏蓋をつけ忘れてしまいました。そのままだと芸がないので私のお気に入りの「6SN7WGT」(シルヴァニア:クロームトップ)を2本同梱して送付しておきます。」

    

以前、我が家の「6SN7GTアンプをグレードアップしたいのでいい真空管を教えてください。」とお訊ねしたところ「6SN7はピンからキリまでありますが、コスパから考えますとシルヴァニアのクロームトップといったところでしょう。手元に10本以上ありますので2~3本なら譲ってあげてもいいですよ。」

「ハイ、そのうちお願いします。」で終わっていたのだが、何とタダで手に入ってしまった。

まことに初めから終わりまで「ピンチはチャンス」だった(笑)。

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ピンチはチャンス~前編~

2018年10月22日 | オーディオ談義

オーディオ機器を使っていると残念ながら故障(ピンチ)は付きものだ。

とりわけ我が家の場合は1日で10時間以上は確実に稼働しているのでなおさらだ。たとえば真空管の寿命到来をはじめハンダの劣化による接触不良やトランスの断線など枚挙にいとまがない。

そういうときはほんとうにイライラするしガッカリするが、結果的に振り返ってみると逆に「いい方向」に転ぶことが多いのが我が家の特徴だ。

まことに「ピンチはチャンス」を地でいっている気がしてならない(笑)。

今回もそうだった。顛末を記録しておこう。

「ガリガリ、バリバリ、ギャギャ~ン」と、真空管アンプ「PX25シングル」のスイッチを入れたとたんにメチャ凄い音がして慌ててスイッチをオフしたのはたしか1年前くらいのことだった。

原因は出力管「PX25」の故障だとすぐにわかった。

急いで我が家の真空管の主治医「北国の真空管博士」(以下「博士」)に送付して診断してもらったところ「管内のエアリークですね。修繕は不可能です。」との冷徹な宣告があった。

自分でいうのも何だが「かなり高価で希少な真空管」を失ってがっくりきたが「どうせ消耗品なので仕方がない」とすぐに気持ちを切り替えた。

そして今度は1か月ほど前のこと、同じ真空管アンプのスイッチをオフしたときにキュイ~ンという変な音がする。これも出力管が原因だろう。我が家ではPX25真空管は鬼門だなあ!

二度とあのギャア~という凄まじい音を聞きたくないのですぐに「博士」にご相談すると、「エアリークの可能性が高いですね。使わない方がいいです。波及的に大切なトランス部分などが故障する可能性がありますよ。」

「PX25真空管の音はたいへん気に入っているんですがどうもちょっと”もろい”ようですね。残りがあと6本ほどありますがこの際なので寿命の測定をしていただけませんか?」

すると、「ハイ、いいですよ。まとめて送ってください。それから私が以前に改造したそのアンプですがインターステージトランスにUTC(アメリカ)の「A19」が使ってありますよね。

いいトランスですがPX25にはちょっと規格が小さすぎるように思います。心当たりのトランスがありますので入れ替えるともっと良くなるような気がしますが。」

一も二も無く「ぜひお願いします」と、乗り気になったのは言うまでもない(笑)。

博士は本業の農業のかたわら「ご母堂」の介護、そしてたくさんのバックオーダーを抱えておられているのでご多忙の中たいへん申し訳ない気がするが、このアンプばかりは乗りかかった船として許していただくことにしよう。

そして待つことしばし、測定の結果「真空管はすべてOKでした」とのことでうれしい限り。

ただしアンプの方は紆余曲折があったみたいで、お目当てのインターステージトランスをわざわざ手に入れられて2個ほど試されてみたものの、結局「UTCのA19には及ばず」とのことで「A19をよりよく生かす」方向へと方針変更。

この辺はとてもシビアで安易な方向に流されない博士に心からの信頼感を覚えた。

ほどなくして「裏技回路を含めてありとあらゆることをやってみました。ご要望があったハムノイズの軽減もどうやらうまくいったと思います。まあ、聴いてみてください。」

ようやく1か月ぶりぐらいに戻ってきた「PX25アンプ」に、懐かしさのあまり頬ずりしながら(笑)さっそく試聴に入った。

ここでPX25真空管アンプの画像をと手持ちのデジタルカメラでパチリとやろうと思ったらウンともスンとも動いてくれない。どうやら故障したみたいだ。カメラには興味が無いので安物のデジタルカメラを使っているがもう7年以上くらいになるので寿命かな~。

そこで以前撮った画像を再掲させてもらおう。

    

このアンプ群のうち上段右側の大型の「ナス型真空管」が挿入されているアンプがそれである。

スピーカーをグッドマンの「トライアクショム」(イギリス)にして、期待に胸を弾ませながらさっそく聴いてみたところ・・・・。

以下続く。


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秋の夜長の読書~3冊~

2018年10月21日 | 読書コーナー

天高く馬肥ゆる秋は「音楽&オーディオ」にもってこいの季節だが読書だって負けてはいない。秋の夜長に任せて最近読んだ本を3冊ほど挙げてみよう。

☆ 「最高齢プロフェッショナルの教え」 

             

漫画家、パイロット、ギター職人など、「その道」を極めた最高齢のプロフェッショナルたち15名の人生哲学を収録した本だった。

最高齢というだけあって、年齢的にも最高が103歳、90歳代が5名、80歳代が7名と後期高齢者が大半を占めるが、さすがに、並外れた苦労を実際に積み重ねて来られた方々だけに、その人生観も浮ついたものがなくズシリと胸に響いてくるものがある。

いずれの方々ともに、若い頃に人生設計とかの細かい計算をせずに、ただ「無我夢中になって打ち込む」、「人との出会いを大切にする」、「破天荒とも思える冒険をする」、そして「結果なんて後からついてくる」という前向き思考が共通点だった。

また男性陣は年齢からして若い頃に「兵隊」にとられた方が多くて、あのときの理不尽な鍛われ方に比べると、どんな苦労だって”へっちゃら”という言い方が目に付いた。

こういう「たくましい」人たちの話に触れると「自分はマダマダ甘い」とツイ反省してしまう(笑)。
 

一番興味を惹かれたのは「ギター職人」の「矢入 一男」氏〔78歳)。

「ヤイリギター」の創設者で、これまでギターのブランドには疎くて「ギブソン」ぐらいしか知らなかったが、「ヤイリギター」は海外の著名人も使っているブランドと初めて知った。

コメントの中にこういう行(くだり)があった。

「そのへんの安いギターは丈夫な合板でできています。でもヤイリギターのもとになるのは、天然の木そのままの無垢材です。そうなると、いい音で鳴るギターを作る以前に、壊れないギターをつくることが問題になります。」

「壊れないということは丈夫だということだ。しかし、丈夫だということは、ギターがよく鳴らんということでもあります。そこで試行錯誤しなけりゃならない。いい音で鳴る繊細な”つくり”をしていて、しかも壊れないギターが目標です。」

ポイントは「丈夫さ」と「いい音」とは基本的に両立しないことが当たり前のこととして実体験的に述べられていること。

楽器とスピーカーは似たようなものなので、これは何だかオーディオにも通じるような話。

たとえば許容入力が大きくて、まるで工業製品みたいな頑丈なユニットからは大味な音しか出てこない。

したがって「丈夫さ」と「繊細な音」の両方が簡単に手に入ると考えるのは間違いで、このあたりは「オーディオの盲点」ではなかろうか、とさえ思う。

その点、我が「AXIOM80」は、なんて書き出すと「我田引水」となって読者から嫌われるだけなのでこれで打ち切り~(笑)。


☆ 「黒い家」 

                 

貴志祐介氏の作品はほとんど読んでいるが、どうしてこんなに面白いんだろうと、堪能しながら息もつかせず読ませてもらった。

第4回日本ホラー小説大賞受賞作だが、「恐怖の連続、桁外れのサスペンス、読者をいまだかってない戦慄の境地へと導く衝撃のノンストップ長編」という宣伝文句は決して誇張ではない。

主人公は生命保険会社で保険金支払いの査定を担当しており、保険金を騙し取ろうというワルたちと次から次に対面する。

そして、とうとう、ある顧客の家に呼び出され、子供の首吊り死体の第一発見者になってしまう。それからが信じられないような悪夢の連続。
 

この顧客が悪魔のような人物で、保険金目当てに自分の子供を殺して自殺に装ったり、夫の両腕を切断して保険金詐欺を目論んだりという極悪非道ぶり。

最後には命をかけた凄惨な対決となるが勧善懲悪で終わるのがせめてもの救い。とにかく、途中であまりの怖さに該当部分をつい飛ばし読みするほどの迫真性がある。

また著者は作家になる前に社会で組織勤めをしたことがあるだけに、仕事への取り組み方とか上司と部下の間の機微に触れる描き方が実にうまい。

「ホラー小説大賞」に恥じない作品なのでまだ読んでない方は一読されても損はなし。

☆ 「作家の値段」(2010.10)

                

著者の「出久根 達郎」氏はたしか作家と古書店主をかねておられる方。

本書は「藤沢周平」氏から「吉行淳之介」氏まで24名の作家たちの初版本を中心に市価の状況を詳細に記した本。

基本的に初版当時のままの美本、帯付きの状態での価格になるが、どなたの家でも意外と押入れの中から簡単に発見できそうな本が実は何万円もしているというのが新鮮な驚き。

本書を読むと、とても十把ひとからげで古書を廃品回収に出す気になれず事前に綿密に調べたくなるほど。

ちなみに、高額な値のついた主な作品を興味のある作家、一作品に絞って挙げると次のとおり。

大仏次郎(「ふらんす人形」昭和7年新潮社刊、帯付きで60万円以上)

谷崎潤一郎(「小説二編」大正4年、三生社刊、函付きで50~60万円)

芥川龍之介(「羅生門」大正6年、阿蘭陀書房刊、25~30万円)

井上靖(「闘牛」昭和25年、帯付きで35万円前後)

なお中年以降の誰もが「青春の書」として挙げるであろう「あすなろ物語」(新潮社)は昭和29年の帯付きで2万~2万5千円。これなんか、もしかするとどこかにありそうな感じ。

松本清張(”或る小倉日記伝”収録の「戦国権謀」昭和28年、15万円前後)

萩原朔太郎(「月に吠える」大正6年初版本で200万円)

井伏鱒二(「父の罪」大正13年、60万円)

与謝野晶子(「みだれ髪」明治34年、130~150万円)
 

中原中也(「山羊の歌」70~80万円) 

開高健(「あかめであ めらんこりあ」昭和26年、40~45万円)

手塚治虫(「新宝島」初版500万円)

さすがにこの辺のレベルになるとやっぱり「在りそうに無い」のが「稀観本」たる所以かなあ。


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「無理が通れば道理が引っ込む」?

2018年10月20日 | オーディオ談義

1週間ほど前に搭載した「チャンデバとLCネットワークの混成旅団」(2018.10.11)のアクセスがいまだに衰えず、根強い人気を保っている。

この1か月あまり、ランキングの応募先を「クラシック部門」に変えたのでイメチェンを図ろうと音楽関係の記事を若干増やしてみたが、やはり古くからの読者にはちょっと「?」なのかもしれない(笑)。

          

さて、「・・混成旅団」については画像のシステムに適用したものだが、ありきたりの手法ではなく「無理が通れば道理が引っ込む」式の異質なやり方なのが興味を惹いた可能性もある


もともと、「定評のある機器を使って決まりきった音を出す」のがイヤなタイプである。人に迷惑をかけることもないんだから、できるだけ自分なりの個性を発揮して好きな音を創造できたらいいなあといつも心がけている。しかもあまり経費をかけずに~(笑)。

ただし「AXIOM80」と「古典管」は例外で、こればかりは素人の浅知恵が及ぶところではない。

さて上記の「混成旅団」のどこが異質かというと、

 プリアンプの2系統の出力を同時に使うと音に力感が無くなる

 チャンデバ(中音域)とLCネットワーク(中低音域)の音を混ぜ合わせると音が濁ってしまう

理論的にはそうだろうが、実際に聴いてみるとなかなか”いける”ので「これでいいじゃないか!」と開き直ること1週間あまり。

だが、しかし・・・。

「無理が通って道理が引っ込んだままでいいのだろうか」と、やっぱり気になってきた(笑)。

そこで現時点で最善の策と思われるものを講じてみることにした。時間はたっぷりあるので実験は望むところだ。

まずプリアンプの問題点についてだが、このシステム専用のプリアンプをもう1台使うことにした。

これは知人から作ってもらったもので「ジャディス」(フランス)の回路に12AX7を6本使っておりブラックゲートの電解コンデンサーがたくさん使われているのでパワー感あふれる音を出す。これなら出力2系統を同時に使っても被害を最小限度にとどめてくれるはずとの皮算用。

次にチャンデバとLCネットワークの混成旅団を解消することにした。両者の優劣についてはこれまでも論議が尽きないが、あくまでも「我が家においては」という条件付きのもと「LCネットワークに一日の長がある」と認めざるを得ない。

低音や高音がどうのこうのという問題ではなく音の奥行き感というか彫りの深さが違うし、響きも豊かになる。

この辺はもう感覚の世界になってしまうのでうまく表現できないがチャンデバだと「すっきり」し過ぎるし、両スピーカーの間のステージ(舞台)感もどうしても希薄になってしまう傾向にある。

ジャズならいざ知らずクラシックを本腰を入れて聴くとなるとやはりステージ感を最優先するというのが我がポリシーだ。

そこで、中低音域に準じて高音域もLCネットワークを使うことにした。

以下、ちょっとマニアックな話になるので興味のない方は読み飛ばしてください。

          

これが高音域を8000ヘルツでローカット(ハイパスフィルター:-12db/oct)できるパイオニアのネットワークで、ネジ式の取り付け金具を縦に入れ替えると8000ヘルツでハイカット(ローパスフィルター)もできるという両刀使いなので非常に便利。

低音域は従前どおりムンドルフ(西ドイツ)の無抵抗コイル(0.15mh)を使って6000ヘルツあたりでハイカット(-6db/oct)したまま。

肝心のボリューム調整だが、デッカの能率が低いのでパワーアンプのボリュームを全開し、D130用のパワーアンプは同様にボリュームの位置を13時頃にしてバランスが取れた。

これでシステムの流れは次のようになった。

周波数8000ヘルツ以下(-6db/oct)

プリアンプ → パワーアンプ(300B×2台) → JBL「D130」(イン・ウェストミンスター)

周波数8000ヘルツ以上(ー12db/oct)

プリアンプ → パワーアンプ(171シングル:トリタンフィラメント) → デッカ「リボン型ツィーター」

         

これでクラシック、歌謡曲、童謡などを聴いてみたところ、なかなかいい雰囲気になってチャンデバのときよりはたしかに一歩前進。しかし惜しいことに「サキコロ」(ジャズ)のシンバルがイマイチだった。チャリ~ンという華やかさが足りない。

この上はさらに実験を進めてツィーターのテストをやらずばなるまいて。

JBLの075と175そしてワーフェデールのコーン型ツィーターの三者が今や遅しと出番を待っている。

また楽しみが増えたな~(笑)。

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「四つの最後の歌」CD盤希望者のその後の顛末

2018年10月19日 | 独り言

先日搭載した「人生を変えた10の名曲~後編~」の末尾に記載していた「四つの最後の歌」(リヒャルト・シュトラウス)のCD希望者の募集の件のその後について。

もう忘れたという方が多いかもしれない(笑)。

         

ご覧のとおりバーバラ・ボニーのCDが2枚あったので「郵送料込みで1枚お譲りします。」と、(希望者を)募ったわけだが、記事の搭載翌日にさっそく申し込みがあった。

関東地方のKさんという方で「タンノイ愛好家=クラシック愛好家」さんだった。カラヤン指揮でヤノヴィッツが歌った「四つの最後の歌」を既に持ってあるという。

第一号という熱意に打たれてKさんに進呈することにした。ちなみにその後希望者は現れなかったので正解だった(笑)。

ついでなので「シュワルツコップ」のCDもいかがですかと問い合わせたところ「ぜひ」ということで〇〇して一緒に送ったところ、数日後に次のような試聴結果のご感想をいただいた。
  

「ボニー盤及びシュワルツコップ盤の試聴をしました。 

ピアノ版で聴くのは初めてでした・・・ それを踏まえての
バーバラ・ボニー盤の感想です。 
 親密性に溢れており「ピアノ版も大いに有りだ!」と思いました。 

 伴奏という枠では収まらず二人の共演による演奏で大いに魅了されました。  

やはりボニーの歌は上手いですね~  
「夕映えの中で」の終わりではピアノが実にミステリアスなエンディングでツァラトゥストラの終曲を思い起こしました。 

 一般にR・シュトラウスはオーケストラの業師という異名がありますがこの曲に関しては中々どうしてピアノ版の方が本筋ではないかと。。  

同梱して頂いたシュワルツコップ盤は「オヤッ」というほど柔らかく眠気を誘う演奏でした。  
上記は演奏だけではなく録音も安心して聴ける状態で気持ちの良さに関してはこれが一番でした。 

 という訳でグンドラ・ヤノヴィッツ/カラヤン盤をもう一度聴き返しますと大ホールで朗々と歌うさまは流石なんですが、悪い意味で高踏的で敷居の高さを感じてしまった次第です。  

上記3枚は各々アーティストが魂を込めて演奏した(録音した)のですから相応のオーディオ装置で聴かねば失礼に当たりますね・・・ 。
 
なので手前味噌では有りますが、オーディオとは一生縁が切れないと再認識した次第です(笑) 。
 
時空を飛び越えて我が家で聴ける第一級の演奏を良い音で聴く幸せは何事にも代える事が出来ません。  
拙文読んで頂き有難うございました。  
このような文章を書く機会を与えて下さった〇〇様には改めて感謝の言葉しかありません。 

 それではごきげんよう。  

追伸 本日聴いたシステムのご紹介をします。  
TANNOY GRF(MG)英国オリジナルエンクロージャー  
アキュフェーズ A60×2 (モノラル使用)  
ジェフローランド シナジーⅡ  
アキュフェーズ DG 58  
アキュフェーズ DC801  
エソテリック P0 S(VUK)&G‐0(マスタークロック)  
アキュフェーズ PS1200  
上記は長男のシステムです(現在、彼は横浜に単身住まいであり私が管理しております)

以上のような内容だった。

熱心にクラシックを聴き込まれている方だなあと節々から伺えるが、どうやらバーバラ・ボニーが気に入っていただけたようでひと安心。

それにしても凄いシステムですね!ご父子揃ってのオーディオ愛好家とはうらやましい。どんなにシステムに贅を尽くそうと後顧の憂いがありませんからね~(笑)。

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いろんなケースで通用する「パレートの法則」

2018年10月18日 | 独り言

ご存知の方も多いと思うが「パレートの法則」というのがある。

ある事象の2割が、全体の8割を生み出しているという状態を示す経験則である。別名「20:80の法則」ともいわれている。

以前のブログ「女流ミステリー作家」(2016.1.22)で柚月裕子さんの著作「パレートの誤算」でも話題にしたことをもしかしたら覚えている方がいらっしゃるかもしれない。

分かりやすいように、主な例を挙げると(ネットからの引用)、

☆ webサイトは2割のページにサイト全体の8割のアクセスが集中する

☆ 売り上げの8割は全体の2割の顧客で占められている

☆ あるソフトウェアの利用者の8割は全体の2割の機能しか使っていない

☆ 勤務時間の2割でその日のアウトプットの8割を実現している

そして、ここでふと思いついたのが「世界中の富の8割が2割の大富豪に集中している。」

結構思い当たる節がある方も多いのではないだろうか(笑)。

振り返ってみると現役時代に職員研修の業務に当たっていたことがある。

たとえば講師を読んで対象人員が100名の研修をやったとすると効果測定のために研修後の感想文を収集してみると研修の意義や内容をきとんと理解していた人数は20名程度でここでも「パレートの法則」が当てはまっていた。

残りの80人はいわゆる「箸にも棒にもかからない」連中ということになる(笑)。

ちなみにご存知の方も多いと思うが「啐啄同時」(そったくどうじ)という禅語があって、「広辞苑」の解釈ではあまりにも素っ気なさ過ぎるのでネットから引用してみた。

鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」(そつ)と言います。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、これを「啄」(たく)と言います。

そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれます。これを「啐啄同時」と言います。これは鶏に限らず、師匠と弟子、親と子の関係にも学ぶべき大切な言葉です。

要するに両者の呼吸が合わねばことはうまく運ばないという意味だが、万事そういうことなんでしょう。ただし、長期的な視点では机の引き出しに部分的にも収納しておくと何時かは役に立つかもしれないので、いちがいに残りの8割を排斥するわけにもいかない(笑)。

そして現在の我が身近な事例で当てはまるのがブログのアクセス数である。

現在、1日あたりの当ブログのアクセス数は「850 IP」前後である。そして加入している「ランキング」にポチッと押してくれる数はせいぜい170前後である。見事に2割程度に落ち着いている。

つまり、残りの8割は「知らんふり」なのである。「暇つぶしに読んでやっている」という姿勢が見え見えだ(笑)。

しかし、もし自分が読者側だったら、そしてスマホで見ているとしたら多分押さないだろうなあ。だいいち面倒くさいし、運営元の不備を突いたウィルス感染の心配も100%ないとは限らないからね~。

したがって、ポチッと押すのはリスクを顧みないほどの「共感的かつ犠牲的精神の持ち主」であって、現状の2割というのが精一杯というところだろう。

一事が万事で、お互いの顔が見えないネット社会では「5人に1人」の確率が通用していると思っていれば無用の”いら立ち”もしなくて済みそうだ(笑)。

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「RS289プッシュプルアンプ」のその後の経過について

2018年10月17日 | 独り言

2か月ほど前の8月中旬に「チューブ・オーディオ・ラボ」さん(新潟県)からお預かりした真空管アンプ。

         

古典管で由緒あるテレフンケン(ドイツ)の出力管「RS289」を4本使った凄いアンプだった。

我が家の既存のアンプではどうしても出てこない低音域の伸びに驚愕しつつ欲しくて欲しくてたまらなかったが、その一方では寄る年波には勝てずこれから楽しめる時間も限られているし、手元にあるアンプも沢山あることだしでとうとう涙を呑んで諦めた。もちろん懐具合も影響していないと言えばウソになる(笑)。

このアンプは我が家の手を離れて福岡県内のマニアの間を転々とした後、「チューブ・・」さんのところに無事戻り、先日(10月7~8日)開催された「真空管アンプオーディオフェア」(於東京)へ出品された模様。

丁度、うまい具合に新品の真空管やコンデンサーなどのエージングが済んだことになる(笑)。

いわば絶好調の状態で試合に臨んだわけだが、その首尾(評判)やいかにと期待していたところ、終了後の10日(水)にわざわざ「チューブ・オーディオ・ラボ」さんからご連絡があって、ほかの大概の出品者が近代管を使っていたのに、当ショップでは古典管を使っていたので大いに注目を浴びたとのこと。

お客さんが入れ替わり立ち代わりで、おまけに即決で他のプッシュプルアンプも売れた由。


「それは良かったですねえ」と、心からお喜びを申し上げておいた。

販売用の真空管アンプをまとめて製作するとなると古典管はどうしても量の確保に限界があるので、近代管を使うしかないが、悲しいかな近代管を使ったアンプでこれまで満足のいく音を聴いた験しがない。

真空管は用途別にいろんな種類があって、たとえば電圧増幅管、出力管、整流管などがあるが、これらのうちで1本でも近代管を使うと即アウト!

真空管アンプは一人でも異端者がいると全体がダメになってしまう。それほどシビアな世界である。

おおかたの近代管はどうしても古典管の持つ「ふっくらとして艶やかな音=色気のある音」には程遠いのが実情だ。まあ、こればかりは「好き好き」なので外野席でいくら喚いたとしてもいいも悪いもないわけだが・・・。

ただし、近代管を使ったアンプの音を聴いて「これが真空管アンプの音か」と、簡単に決めつけないでほしいというのが古典管愛好家の切なる願いである。

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音楽家がオーディオに熱心ではない理由~補完編~

2018年10月16日 | 音楽談義

2週間ほど前のブログ「音楽家がオーディオに熱心ではない理由」(2018.10.3)の内容だが、例によってすでに忘却の彼方にある方が大半だろうと思う(笑)。

タイトルに関して、身近な例では桐朋学園を卒業後、渡独して指揮者「チェリビダッケ」の薫陶を受けた高校時代の同窓生をはじめ、プロと称される音楽家でオーディオに熱心な事例を未だ見聞したことがないので素直な疑問をメル友さんのお知恵を拝借してまとめたものだ。

我がブログについてはいつも仕上がりが不揃いなので搭載後に自己採点しているが、これは優良可でいえば良というつもりだったが、意に反して鋭く盲点を突いてこられた匿名のメールをいただいた。

もちろん初めてメールをいただく方である。興味を持って拝読させてもらったところ実に「ごもっとも」と思ったので、ここに公開させていただき以前のブログを修正補完させていただくことにした。中途半端な記事に真摯に対応していただきほんとうに感謝に堪えない。

内容にはお褒めの言葉もあったりして、そういうことまで臆面もなく公開するのかと読者からお叱りを受けそうだが「一字一句ありのまま」ということでどうかお許しいただきたい。

なお、メールをいただいた方には「ぜひ公開させてください。」とお断りを入れている。

それでは以下のとおり。

「音楽&オーディオの小部屋」さんへ

いつも楽しく愛読させていただいております。貴兄の飽くことなき音の探求にはひたすら敬服しております。私も復刻版とはいえAXIOM80を使っていますのでたいへん参考になっています。

このユニットは貴兄がおっしゃるとおり「低音をどうするか」が要諦ですので迷いは尽きませんね。が、なぜか、よく言われていますような「鳴らすのが難しい」とはあまり感じたことがありません。

要求水準が低いのかもしれませんが、素直な良いスピーカーだと思っています。

本題が後回しになってしまいました。

この度の「音楽家がオーディオに熱心でない理由」ですが、貴兄の箇条書きされた内容、また、メル友さんの「手がかりに過ぎない」は、なるほどと感心しました。

全て当てはまるような気がします。が、決定的なことが漏れているのではないかと思いました。

ここでの「音楽家」が「プロ」なのか「アマチュアにちょっとプラスアルファ」なのかわかりませんが私には「彼らには決定的に時間が足りない」のじゃないかと思います。

「人様が演奏しているのなんか聴いている暇があったら練習しなくてはいけない」のだと。

「1日でも練習をサボったらそれが聴衆にわかってしまう」と言ったのは、ピアニストの誰だったか・・・。晩年のホロヴィッツだったかもしれません。

卑近かつ低次元な話で申し訳ありませんが私も30代末から十数年間ピアノ教室に通いつつ練習していましたが趣味とはいえ発表会の前、数か月は余暇はすべて練習に費やしました。(それにしては「ヘボ」でしたが)

そんな私でも「一日でも練習をサボったら、二日分後退してしまう。」と脅迫観念に囚われたものです。

ましてや、プロともなれば1曲を仕上げるのに、数か月いや年単位でしかも1日じゅう寝食を忘れて練習が必要でしょう。そのプレッシャーたるや如何ほどのものか・・・。想像するだに恐ろしい。

たしか内田光子さんだったと思いますが「1日8時間は」とインタビュー記事にあったような記憶が・・・。

でも、この辺のプロ事情は文献などで貴兄の方がよほどお詳しいことと推察いたします。

また「音楽家」がiPODの音に”いい音ね”って簡単に感激するのは実は彼らなりのリップサービスで真意は「プロでないあなたたちこそ音楽をほんとうの意味で楽しんでいるのね!」ってことでしょうか。

私も先生から「生徒さんこそいろんな音楽を知ってて楽しんでるのよね~」ってマジで言われたことがあります。

そうなんです!彼らは自らが演奏するジャンル以外の音楽に関しては無知であることを強いられているのです。

しかも、最も多感な時期にず~っと。これも「決定的に時間が足りない」からでしょう。

また「彼らは客席でどう聞こえるかはあまり気にしていない」も、たぶん違うような気がします。

彼らの関心事はただただ「自分の演奏が聴衆にどう聞こえ、かつ訴えかけるのか」では、無いでしょうか。

何しろそれが「プロがプロたる所以」なのですから・・・。

ここでも「一日でも練習をサボったら聴衆にバレてしまう」という苦悩に満ちた告白が思い起こされます。

以上、一つの意見として気軽にお聞き流しくだされば幸いです。

たいへん失礼しました。」

以上のようにたいへん理路整然としたメールだった。さすがにAXIOM80の愛好家だけのことはありますな(笑)。

このブログの読者にこんなにレベルの高い方がいらっしゃるなんてまことに光栄の至りだが、これから意識してレベルアップしなければと思った次第。もう無理かもしれないが(笑)。

それにしても音楽家になら(れ)なくてよかった、肝心の音楽が楽しめないなんて何のことかわかりませんよねえ。

ふとモーツァルトの逸話を思い出した。

モーツァルトが死の床に就いていたときに、当時上演されて大当たりしていたオペラ「魔笛」に思いを馳せながら時計を見て「そろそろ夜の女王の出番だなあ。肝心のときに自分の才能をゆっくり楽しめないなんて情けない・・・。」と、思わず涙したというもので、その代わりといっては何だが後世の人間が大いに楽しませてもらっている。

すべての芸術作品は創作者の犠牲の上に成り立っていると言えないこともない。

可哀そうなモーツァルトよ、どうもありがとう。どうか安らかに眠ってくださいな。

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欲の「ひとかけら」もない(オークションの)出品者~後編~

2018年10月14日 | 独り言

前回からの続きです。

オークションで落札した希少なツィーターの修理を無事終えたところ、前回記載した通り出品者のTさん(東海地方)からとてもご親切なメールが届いたので、感謝しながらこう
返信した。

「後々まで気にかけていただきほんとうにありがとうございます。既に修理済みですが実は修理していない方に若干不安定な箇所があります。願ってもない話なのでぜひテストさせてください。よろしかったら1台だけの交換も可能でしょうか?」

「ハイ、もちろんいいですよ。」ご快諾の返事あり。

ほどなく到着したが、ラベルの有無を除いてそっくり同じものだったのでさっそくテストしてみた。

    

デッカのリボン型ツィーターを外して代わりに載せてみたのが上図で、5000ヘルツでローカット(チャンデバ)しているもののテストなのでバッフルにも付けず裸で鳴らした。

試聴盤はマルサリスの「バロック・デュオ」とコレルリの「Op6:合奏協奏曲」

     

トランペットとボーカル、そして弦楽器合奏群のコンビでこの二つを聴けばツィーターのクセはおおよそ分かる。

すると、とてもいいじゃないか!(笑)

やはりイギリス系のユニットは品がいいしホーン付きのデッカと比べると能率が高いのもいい。管楽器の咆哮は一歩譲るもののヴァイオリン合奏の響きはこちらが優勢かもねえ。

また、このツィーターはバッフルに付けて鳴らすよりも裸のままで鳴らした方がいいことに気が付いた。大発見である。

そこですぐに行動に移して「LE8T」の上に載せていたツィーターのバッフルも外して裸にした。

           

以前よりもずっと音の切れ味や音像定位が良くなったし、いやあ、まったくの僥倖でこれもTさんのおかげ。

バッフルから外したツィーターの効果に喜びながら、ウェストミンスターの上に載せた方もとてもうまい具合に鳴ってくれるのでTさんにご相談した。

「今のところ調子がいいようで不安なく鳴っています。もしこれもペアで購入させてもらうとしたらどのくらいのお値段を考えられていますか?」

すると「オークションの落札価格を基準にしてそれから修繕代の半分を引いた額で結構です。何しろ古いものですからもっと試聴されたうえで結論を出されたほうがいいですよ。」

オークションの落札価格がとてもお買い得だったのに加えて1/4も値引きしてもらえるので、この話「乗った」!(笑)

ほんとうに欲の「ひとかけら」もないTさんだった。この世知辛い世の中で一服の清涼剤になりましたよ~。

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欲の「ひとかけら」もない(オークションの)出品者~前編~

2018年10月13日 | 独り言

欲望と打算が渦巻き「生き馬の目を抜く」ようなネットオークションの世界。

とは、ちょっと表現がオーバーかな(笑)。

いずれにしても相手の顔が見えないだけに常に不安が付きまとうオークションだが貴重なSPユニットや真空管の掘り出し物がときどきあるので、無視するわけにもいかず利用しだしてからもう15年以上になる。

その間、不穏当な表現だが結果的に「騙された」と思うことが「ときたま」あって、出品者に対して不愉快な思いをしたことがあるが、そういうときは「安くていいものをと、欲の皮が突っ張った自分にも半分責任がある。」と言い聞かせてきた。

その一方ではずいぶんご親切な出品者がおられたりもする。そのうち、つい最近出会った事例を紹介させてもらおう。

もちろん当事者には無断での掲載だが、悪人に仕立て上げる話ではないのできっとご理解をいただけると思う(笑)。

以前、ワーフェデール(イギリス)のコーン型ツィーターをオークションで購入したことがある。それほど古い話ではないので、読者の中には記憶のある方もおられると思う。

          

スピーカーの性能を大きく左右する巨大なマグネットに多大な敬意を払い、絶対にいい音が出ると信じて即座に落札した。出品者は東海地方の仮にTさんとしておこう。T さんからは以前にも口径30センチのユニットを4本ほど購入したことがあってとても安心できる方だった。

期待通りの音だったが、3か月ほど経ってから片方のツィーターから強い音が入ったときにノイズが発生することに気が付いた。残念至極だがぜひ修理したいと思った。しかしとても旧くて珍しいツィーターなので修理できる工房はおのずと限られる。

そこでTさんに連絡して修理先の候補をご教示していただいたところ、その際に「申し訳ないので修理代の半分ほどを負担し
ましょうか」とのお申し出があった。

「ご配慮ありがとうございます。落札後の期間も相当経っていますし当方で負担しますからご心配無用ですよ。」と、返事しておいた。

その後、修理も無事完了しJBLの「LE8T」の上に載せて使用していたところ、つい先日Tさんからとてもご親切なメールが届いた。

「過日お譲りした Wharfedale Super 3 ツイーターの件です。「シャリつく」ため、修理が必要なようだとのこと。手元に予備がなかったため、対応できませんでしたので、イギリスの知人に依頼をしておきました。

なかなか見つからなかったようでしたが、10日ほど前に送られてきました。しばらく当方でチェックしましたが、特に問題はないように思われました。

(SPボックスに)組込み品のようでラベルはありませんが、もし、〇〇様の方で修理がまだということでしたら、お送りいたしますので、こちらの1組を使ってみていただけますでしょうか。

こちらの方がよろしいということでしたら、交換していただいて結構ですが、いかがいたしましょうか。お手すきの折にでもご連絡いただければ幸いです。」


以下続く。

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「母親の胎内で羊水に浸っている」ような歌声

2018年10月12日 | 音楽談義

先日の早朝、寝ぼけ眼で「日経新聞」をめくっていたらパッと目が覚めるほどの広告に出会った。

           

やっとみつけたぞ!

大好きな島田祐子さんのCD全集を探し始めてからもう何年ぐらいなるんだろう。

きっかけは20年ほど前に購入した「心のうた 日本のうた」という「抒情愛唱歌大全集」だった。

クラシックも好きだが「抒情愛唱歌」も大好きである。幼き頃の想い出に対する郷愁はいくつになっても捨てがたい。やっぱし日本人なんだから~。

           

この中に収録されていたのが島田祐子さんの「花の街」「芭蕉布」だった。その歌声たるや何と表現したらいいのだろう。

たとえて言えば「母親の胎内で羊水に浸っているような感じ」とでも言えばいいのだろうか(笑)。

生を受けた者であれば誰もが体験しているものの何せ胎児のときだからその感覚を覚えていないし、表現できないことは分かっているが、島田祐子さんの声はまさにその頃のことを思い出させるような声・・・。

まあ、人間が一生のうちで一番安心できて心地よいといえる時代ではなかろうか。

こんなに「ふくよかな声」を持つ歌手がいたのかと、それから血眼になって「島田祐子さん全集」を探し求めたがとうとう見つけることができずもう諦めムードだったのでまさに欣喜雀躍。

さっそく電話で注文して1週間ほどで到着。

   

待ちに待った島田祐子さんの歌声を朝に夕に聴いて毎日が至福の時間となっている(笑)。

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