「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「AXIOM80」鳴らし方の一考察

2014年05月31日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

前回の解説の中で「AXIOM80によって初めて瞬間(表現)を体験し、以後、バスレフ(共振)とホーン(残響)に決別した。」との記載があり、「瞬間(表現)」とは耳に馴染みのない言葉だし、実際に「AXIOM80」をきいたことのない人はピンとこないだろうが、このユニットの高速応答ぶりについてまことに“言い得て妙”である。

スピーカーがすっかり消えて無くなってその存在を意識させず「ただ音楽だけに浸れる」それが「AXIOM80」である。

解説者の実体験に基づいた詳細な説明がさらに続く。

<私流の鳴らし方>

まず速度型領域の補正を行う。スピーカーが800Hzより-6db/octで降下しているから、RIAAの様に-6db/octの補正回路を挿入しイコライジングを行う。これで初めてフラットな再生が可能となる。


このままでは超低域まで補正が効いているから、50Hz近辺よりoct/-18dBのサブソニックフィルターを設ける。AXIOM-80は電気信号の追従性が群を抜いて優れている。

カートリッジの数Hzの揺らぎも完全に追従するので、これを避けるためにフィルターは不可欠。50Hz以下の信号は補正の+6db/octとフィルターの-18dB/octで最終的にスピーカーは50Hzよりoct/-12dBで降下する、現在はデジタル時代であるためサブソニックは極少であり-6dB/octでも大きな問題にはならないだろう。


この状態で初めてバランスの取れた音質となる。速度型領域に共振も残響もない。あれだけヒステリックだった音質も、透明度の高い澄んだ音質の中での高速応答の小気味良さは比類がない。

<AXIOM-80 その生い立ち> 

AXIOM-80、その生い立ち、詳細は不明である。文献によると第二次世界大戦中にはすでに存在していたが、やがて終戦となりGoodman社より販売される様になった訳だが、このAXIOM-80だけがGoodmanの製品群の中でも異質な存在で、したがって設計製作社は全く記録がない。昔の大戦中にこれだけ立派な製品が完成されていた事が脅威である。

実は私の推測で確かな証拠は無いが、このスピーカー用途は潜水艦のソナーのモニター用ではなかったか?、っと思う節がある。と言うのも、二アフィールド的に耳元にセットし、真空管アンプの電源を入れると、真空管のヒーターが温まり、真空管内部の電極が熱膨張で伸びてゆく金属音が克明に聞こえる。それもかすかにでは無く、自分があたかも真空管の内部に居るが如く明瞭に聞こえる。もしソナーのモニターが用途ならば、特異な周波数特性も高速高感度も納得がいく。 

<AXIOM-80 迷信?>

AXIOM-80は誕生が古いが、決して骨董品の類ではない。現在でも通用するのは勿論の事、なかなかこれを凌ぐ代物にはお目にかかれない。比較的類似の物を探すと、次項のESL-57とかリボン型スピーカーの様に付帯音が着かない構造の物が似ていて、それだけ高性能である。

ところが世評では駆動するアンプに、WE300B等直熱三極管シングル無帰還の様なアンプがベスト、という評価となっている。確かに嫌な音のしないこれ等のアンプは聴き易い音質となるのは確かが、内部抵抗の高いアンプは低音が膨らみ気味でよく響くのが、AXIOM-80の優秀な電磁制動を妨げる方向にあるのでAXIOM-80に関する限り心情的なノスタルチックは捨てなければならない。

小手先の誤魔化しは総て白日のもとに音として表現してしまう。

その後のAXIOM-80> 

AXIOM-80は1970年末期再生産のレプリカが発売された、しかしこのレプリカはオリジナルと比べ相当異なった製品となってしまった。

最も異なる部分は速度型領域の周波数が800Hz近辺まで確保されていたものが200Hzまで低下した事だ。考えられる原因として、第一に磁束密度の低下、第二に支持系の抵抗増大、第三に振動系質量の増大、等でAXIOM-80が持っていた大きな特徴が著しく損なわれている。

実際現物を調べたところ、ベーグライトのカンチレバーも厚みの大きなボテッとした材料に変わり、デリケートなフリーエッジ・ダンパーの特徴は損なわれている。振動系のコーン紙も周辺の一体R形成では無く円錐状の切りぱなしとなっており、磁束密度の差はこの時期未だガウスメーターを持っていなかったので不明だが、その他の手抜きを見る限り怪しいものだ。

その変わりと言っては何だが、裸のままの特性は速度型領域が800Hzが200Hzに低下したため、一寸聴きには聴き易くなった、要するに極普通のスピーカーに近くなり、あの高速高感度の特徴は大部分失われている。

AXIOM-80を我が物とし、鳴らし方も満足し安定した状態を保っている。もうこれ以上を望んでも一般市販のスピーカーではいくらお金を出してもこれに適うものはない。

そんな時、良からぬ考えが頭をよぎる。この驚異的ともいえる速度型領域である800ヘルツの周波数をさらに高い周波数まで上げ、さらに高速度に対応したらどうなるのか?ここから先は前人未到の領域である。

以下略。

と、まあ長くなったが以上のような解説だった。「AXIOM80」を骨の髄までしゃぶり尽くした方の一考察として傾聴に値すると思う。

次回では今回の落札劇についてちょっとしたストーリーが待ち受けていたので詳述しよう。

以下、続く。

    


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オークションに出品された「AXIOM80」4本

2014年05月29日 | オーディオ談義

今回も前回に続いてネットオークションの話。

現在「AXIOM80」を2セット所有しているが、両方とも復刻版なのがやや残念なところ。出来ることなら「オリジナルユニット」をせめて1セット欲しい~。なぜならオーディオの世界では、復刻版がオリジナル製品を上回る例は一度も聞かないから(笑)。

しかし、「AXIOM80」(オリジナル)愛好者のKさん(福岡)は次のように言って慰めてくれる。「な~に、気にするほどの違いはありませんよ。むしろ低音域などは逆にしっかりした音が出ているくらいです。」とのことだが、持たざる者の僻みは根が深い(笑)。

そこで、日頃の思い断ちがたく、1週間に1度くらいの割合でオークションで「AXIOM80」で検索していたところ、努力の甲斐あって何と「AXIOM80」が4本まとめて出品されているのを発見!しかも1952年物というからマニア垂涎の「オリジナル」に間違いない。

      

ちなみに上記が最初期の「AXIOM80」である。(このオークションの現物写真ではない)

このところ、オークションで乗り気になった商品は必ず事前にKさんに相談することにしている。Kさんは間違いなく真空管に関しては日本有数といってもいいくらいの詳しい方だし、旧式のSPユニットにも実に薀蓄が深い。

朝一の携帯で「AXIOM80が4本も出品されてますね」と、報告すると「知ってますよ。しかし、ちょっと程度が悪そうですね。長期間、陽の当たるところに放っておかれたみたいです。大阪の修理専門店で手に負えるかどうかがカギでしょう。」

さすがにKさん、ちゃんとアンテナを張って承知しておられたが、オリジナルをもう1セット欲しいと言っておられた割にはあまり乗り気が無さそうなご様子。

「う~ん、入札に参加しようか、どうしようか?」実に迷うところである。

出品元が九州管内なら程度を調べるために現物確認に行ってもいいくらいの価値があるが、神奈川となるとちょっと遠すぎる。まあ、「のるかそるか」の覚悟で、価格の上がり具合で判断することにした。ちなみに、価格の方は今のところ67500円なり。

オリジナルで程度のいいものなら、4本で軽く50~60万円が相場といったところだが、このユニットの魅力に心から惚れ込んだ人ならこれ以上の値段がつくことも十分あり得る。このユニットでないと出ない音があるというのは、凄い魅力である。

このオークションから少しでも情報を拾い上げようと、説明文を熟読すると「AXIOM80」についての詳細な解説は「こちら」という誘導があったのでクリックしてみると、これまで知らなかった情報が沢山記載されていた。

近年、物忘れがひどくなりつつあるので、後日のために記載して残しておくことにした。以下のとおり要約してみたわけだが出典が不明だし、著者がどういう方かも判然としないので、その点は言わずもがなだが読者のほうで自分なりに消化していただきたい。

自分の感想では相当のベテランの方のようで、内容には信頼が置けると思っている。そうじゃないとわざわざ引用しないが(笑)。

なお、かなりマニアックな内容なので興味のない方には、以下の内容は退屈だと思うがどうか悪しからず。

<名器解説:Goodman AXIOM-80>
 

スピーカーの概念を根底から覆えされたAXIOM-80、これにより初めて瞬間(表現)を体験、以後、バスレフ(共振)とホーン(残響)に決別した。

高速応答の速さは比類がない。この様な高性能は未来の未知の形態であって然るべきだが、古い時代のフルレンジというに似つかわしくない機構に驚く。 性質は振動系の動作が速度形であり、通常の使用方法は通用しない。駆動するアンプは内部抵抗の低い高性能でないと真の価値は引き出せない。

構造的にはフリーエッジ、フリーダンパーであり、エッジ&ダンパー部分にはそれぞれ3点のベーグライト製カンチレバーで吊られている。そのカンチレバーは板バネ状にセットされ、前後ストローク方向にバイアスがかかっており、バイアスは中点位置でバランスが保たれる構造になっている。現在開発中の超伝導スピーカーとも一脈通じる設計思想であり「エッジ、ダンパー」レス構造の元祖と言える。

磁束密度は強力で17,000ガウスを誇り、当時としては製造可能な最大限の値であろう。振動系のコーン紙は軽量かつ硬質であり、その先端は強度アップのためR状に整形されており、その特異な構造のため軽量コーンにもかかわらず共振周波数(f0 )は20Hzと低い。 

このスピーカーの異例とも言える特徴は、約800Hzより低い周波数は-6db/octで降下している事だ。また800Hzより高い周波数特性はピークディップの連続でやや高域上昇の傾向にある。

この特異な特性はお世辞にも良いとは言えない。このままではあたかもLPレコードのRIAA補正無しの如く、低音の全く出ない状態で、歴代このスピーカーのオーナーを最も悩ませた要因である。

低域不足を補うため、誰しも考える事はバスレフの様に共鳴箱を用いたり、ホーンロードを低い周波数までかけレベルアップを行ったりしたが、ことごとく無残な結果となった。

実はこの800Hzより低い周波数の-6db/oct領域、この帯域は振動系の動作は速度型であり、過渡特性はたいへん優秀である。したがって800Hzより降下しているというより、速度型が800Hzの高い周波数までカバーできている、と解釈するのが適切だ。これが実現できているスピーカーはまさに恐るべき高性能といっていいだろう。


AXIOM-80をベストに鳴らすためには、この良質の速度型領域をバスレフ(共振箱)やホーン(残響)で劣化させてはいけない。エンクロージャーは共振がなく、振動系に空気負荷がかからない状態でなければいけない。具体的には無限大バッフル、次いでJIS箱の様に超大型の箱、になる。低音が出ないからといってアコースティクな小技は最終的に最悪の結果となる。 

AXIOM-80の指定エンクロージャーに、Goodman社は有限エンクロージャーにARU(アコースティク・レジスター・ユニット)を装備した物がある。
このARU設計者は当時Goodman社の E・J・ジョーダンだ。動作はあまり知られていない様なので解説しよう。


前面に開口があり一見バスレスの変形の様に見えるが、動作はバスレフの要素は無く、仮想無限大バッフルもしくは背圧のかからない仮想大型密閉箱となっている。開口に付けたARUはその開口が共振周波数を持たない構造となっており、インピーダンスもfoのピーク1つのみになっている。

具体的な構造は前面に全体に金網に覆われ、中央部分は金網そのままだ、このままでは共振してしまうが、その淵には通気性のある繊維が貼られていて、開口であってもそれはおぼろげな開口で共振を上手に逃げている。


かって【ラジオ技術誌】で発表された「フェルト箱」とも一脈通じるところがあり、こちらは箱自身が共振点を持たない。試聴結果はさすがに良く似た音色だ。

結果、有限の箱でありながら、振動系から見るとあたかも無限大バッフルの如くの動作となる。ただしバスレフの要素がないから低域の増加は全く期待できない。800Hzより-6db/octの下降そのままだ。

<私流の鳴らし方>
 

さて、ここまではAXIOM-80の解説だったが、これからは私流の鳴らし方をご披露しよう。ただし、この試みは約30年以上も前で、未だ音楽ソースの主流はLPだった頃で現在ではサブソニック等の配慮は軽度でよろしいだろう。

以下、続く。


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ネットオークション 二題

2014年05月27日 | オーディオ談義

☆ アッテネーター

当面これといって必要なものが見当たらず、一応間に合っているオーディオ機器だが、いつものクセで何か掘り出し物はないかとネット・オークションを覗いていたら目に触れたのが〇〇電子の「アッテネーター」。

オーディオで厄介なのは「磁界」対策と「振動」対策で、肉眼で見えないから始末に悪いが、このメーカーの製品は筐体が人造大理石になっていて、当然のごとく磁界の影響に細心の注意を払っている。一事が万事で、このことだけをとってみても「(オーディオが)分かっている」メーカーである。

現在の入札価格を見てみると、22500円なり。以下、「リアリティ」を持たせるためにあえて金額を前面に出させてもらおう。

このくらいの額ならと一気に「落札」モードに入って41000円で入札したところ案の定、「現在の最高額入札者」のメールが届いた。

「よし、よし、このままほっとけば、軽く落札だろう」とたかをくくっていたら、そうは問屋が卸さなかった。どこかの誰かがすぐにそれ以上の高値を付けた模様で早々に「高値更新」のメールが届いた。

以前、オークションで落札するためのノウハウ本を読んだことがあり、その中で「気合で勝負」というのがあった。

どういうことかというと「どうしても落札したい商品があったら、誰かが入札したときに間髪を入れずそれを上回る高値で入札すると、相手方は“凄く熱心な奴がいる、おそらく高値になるに違いない”と、戦意を喪失する」とあった。

まったくそのとおりで、一気に諦めムードになってしまった(笑)。

それにしても、プリアンプならいざ知らず、たかがアッテネーターなのに、はたしてそんなに魅力があるものなんだろうかと疑問が湧いたので、急いで〇〇電子さんのホームページを覗いてみた。

該当の商品は、XLRとRCA兼用の高級アッテネーターでメーカー価格は税抜きで115000円なり。エッ、そんなにするの、道理で~。とにかく使ってあるボリュームが高級品である。メーカーの解説を覗いてみよう。
                

「従来からパッシブ型プリアンプを販売させていただいておりましてご好評をたまわっております。使用しているボリュームは私共の全機種に搭載している国内で最も信頼性が高いアルプス電気製の"RK27"という二連又は四連のタイプです。

左右相互偏差(ギャングエラー)は-60dbまで絞ったときMAX3dbで殆どの場合十分な性能ですし音質的にも満足出来るものです。これ以上のものは他社には存在いたしません。

但し時として最小音量の場合(アンプのゲインによりますが)の偏差を何とかしたいと想う事も御座います。
これを解消するには抵抗の組み合わせによるロータリースイッチ方式或いはアルプス電気製の超高級真鍮削り出しの"RK50"の採用しかありません。

私共では数年の実験を繰り返した結果"RK50"の採用に踏み切りました。
-80dbまで絞っても左右相互偏差は3dbMAX(実測してみて驚いております)という驚異的性能で、廻した時の感触も抜群です。」

根が単純で、メーカーの宣伝文句をすぐに信じ込みやすいタイプである。

「これは良さそうだ」ということで、RCA専用のアッテネーターをついクリックして買い物籠へポイッと放り込んだ。半日とおかずに、メールが来て「納入は5月30日の予定です。」どうやらこれからボリュームを注文して組み立てるらしい。

いまだに「アッテネーター」と「プリアンプ」のどちらを使うか、選択に迷っているが今回のアッテネーターは高級ボリュームなだけに非常に楽しみではある。

ちなみに、この出品されたアッテネーターの落札価格は55000円だった。定価の割には安い!XLR兼用でなければ最後まで入札に参加したのだが。

☆ プリアンプ

さあ、次にプリアンプ。注目のマッキントッシュの「C22」(復刻品)が、何と梱包状態の新品のままオークションに出品されていた。

                      

マッキンのC22といえば、3年ほど前に大分のお寺で開催されたSPレコードの試聴会のときに、使われていて惚れ惚れするような音で鳴っていた。もちろんすべてのシステムのバランスが良かったのだろうが、「C22」が悪ければこういう音は出ない。

その時の音が耳にこびりついているので、簡単にほっとく手はない。ただし、オリジナルと違って復刻品なのでその辺がどうかと一抹の不安がある。こういうときはいろんな方のご意見を拝聴するに限る。

まず我が家のアンプのお師匠さんであるMさん(奈良)にメールを送った。

「お久しぶりです。現在オークションでマッキンのC22プリアンプが未開封品として出品されてます。出品元もたしかですし、食指が動きます。もし購入した時に、一度聴いてみて、改造の要があるとなればお願いしたいのですが、その気はおありでしょうか(笑)。いつもお願いする時ばかりの手前勝手なメールですがどうかご一考の程、お願いします。」

すぐに返信のメールが届いた。

ある方が、言ってました。

<名器は所有するものでなく預かるものだという意識があまりにも希薄ではないでしょうか。名器に手を加えるなど、もってのほかです。ヴィンテージ・オーディオの中の名器とは文化財と言っても過言ではありません。・・・・。>

この意見に賛同しております。ましてや未開封品とのこと!もし聴いて好みでなければ、処分するか飾りにしてください。

なお、C22も初期型でなければ、真空管の回路構成からして違いますし別物のようです。お知り合いの方にC22(復刻品)を使っている方がおられましたら、一度試聴にお借りしたら如何でしょうか?」

ごもっともです。ただし、借用するとなると落札期日までにはとうてい間に合いそうにないので、今度はオーディオ仲間のKさんにお伺いしてみた。すると、全般的にやや否定的なご意見だった。

現にC22(復刻品)を使用されている方もいらっしゃるだろうし、お気を悪くされるといけないので、ここでは詳細を省くが、いさぎよく諦めることにした。

「大山鳴動してネズミ一匹」とは、このことだった(笑)。

ちなみにこの「C22」(復刻版)の落札価格は326000円なり。おそらく販売当時の定価を上回っているのではなかろうか。

今さらながら根強い人気に驚くが、落札終了の10分前では252000円だったのに直前のたたき合いで何と10万円もアップ。どうやら極端に熱くなった人たちによって凄絶なバトルが展開されたようだ。

まるで、ただ「春の夜の夢の如し」(平家物語)

 


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久しぶりにスケール感を求めて

2014年05月25日 | オーディオ談義

いつも我が家に閉じこもって微視的な音をきいていると、何だか八方ふさがりの閉塞状態になりそうなので、たまには巨視的な音をきかせてもらおうとおよそ半年ぶりにAさん(湯布院)宅に出かけてみた。5月21日(水)午後のことだった。

          

五月晴れの中、30分ほどで到着。はじめにプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲(ヴェンゲーロフ演奏)をきかせていただいたが、思わず「これだけの大型システムをよくぞ、うまくまとめましたねえ。」

経験上、大型システムほど鳴らしづらいことを知っているので、本心から出た言葉である。音の入り口は現在アキュフェーズのセパレート型のCDシステムだが、これをdCSとフランス製の最新鋭のDAコンバーター(「ジャン 平賀」氏関係者が開発したという非売品)との改変計画をお持ちのようで、「今よりもきっと良くなるはずです」と、声を弾ませておられた。

個人的な意見だが、これほどのシステムとなるとどこか1か所ぐらい“隙”があった方が、愛嬌があるような気もするのだが(笑)。

持参した村田英雄のCDなどをひとしきり聴かせていただいた後に、今度は2階に上がって3系統のシステムをきかせていただいた。

はじめに、ナショナルの8PW1(通称ゲンコツ)を中域に用いた3ウェイシステムを鑑賞した。

                         

シュワルツコップの「オペレッタ」をきかせてもらったが、「もうこれで十分ですよ」という印象を受けたが、同じ曲目を次にJBLの5ウェイシステムを聴かせていただくと、さすがに一段と音質がグレードアップした。

          

中音域はJBL2441(375の後継機種)だったが、ダイアフラムはチタン製だそうで、実にいい鳴りっぷり。

Aさん曰く「これまでいろんなユニットを使ってきましたが、JBLのホーンドライバーが最高だと思います。10.4センチ口径のダイアフラムの威力は凄いです。アダプターを使ってウェスタンの15Aホーンに繋ぐと、どういう音が出るかちょっと興味がありますね。」

たしかに、CN191・クリプッシュ・コーナーホーンを同時にきかせていただいたが7センチ余口径のドライバーではどうしてもカバーできない音があるようだ。CN191は、これはこれで持ち味があるのだが、JBLシステムの元気の良さにはちょっと押され気味の印象を受けた。

まあ、基本的にアメリカ・サウンドとイギリス・サウンドの好みの違いもあるのだろうが。

それにしても、Aさん宅には4系統のシステムが置いてあるのだが、いずれも実にうまくまとめてある。熱心かつ綿密に調整された跡が伺えたが、Aさんの音づくりの基本理念は「音の重心がしっかりしていること+広大なレンジ」に尽きると思った。

と同時にせっかく「AXIOM80」ユニットをお持ちなのに、どうしても使おうとされない理由の一端が垣間見えたような気がした。

さて、他家の音を聴かせていただくときに常に頭の中で基準になっているのは「我が家の音との違い」だが、その点、ウェスタンのシステムには及びもつかないものの、JBLシステムとクリプッシュ・ホーンとは何とか同じ土俵の上で勝負できるような気がした。

同じCDをかけて早く我が家の音と比較せねばと、帰途の車のアクセルをつい踏み込みがちになってしまい、何と往きと比べて5分も短縮して25分で我が家に到着。

我が家の「刻印付き2A3真空管アンプ+JBL375ドライバー」の元気の良さを改めて確認してホット一息(笑)。
 


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音楽とは電磁石のようなものだ

2014年05月24日 | 音楽談義

昨日(23日)、およそ2か月ぶりに我が家に試聴にお見えになった大分市にお住いのMさん。部屋に入られるなり「最近、ブログ・ランキングを一つに絞られたみたいですね。」

思わず苦笑しながら、それが、まあ、“かくかく、しかじか”と、かいつまんで話し
たところ「それ(脱退)は正解でしたね。関わり合いにならないのが一番ですよ。」

「ええ、結果オーライで喜んでます」(笑)から始まって「オーディオ・マニアもいろいろですねえ」と、必ずしも高尚な趣味を楽しんだり権威のある職業に携わっている人たちが、すべて高潔な人間ばかりかというと“そうでもない”という結論に落ち着いた。

たとえば、オーディオ・マニアと違ってより「資質の純度」(?)が高そうな音楽家だって、古今東西、作曲家や指揮者などのおかしな話をよくきくし、かなりのバラツキがあるのは否めない。

ここでふと思い出したのが、1935年に往年の名指揮者ブルーノ・ワルターが行った「音楽の道徳的なちから」についての講演。

これは、往年の名ピアニストであるエドウィン・フィッシャーの著作「音楽観相」(1999.5.31、みすず書房刊)の巻末に収録されていて、たしか、随分以前のブログにも投稿したが、どなたも既にはるか忘却の彼方にあるだろうから再度投稿させてもらおう(笑)。

                           

「音楽に道徳もへちまもあるか」という方が大半だろうがまあ、聞いてほしい(笑)。


というのも、かたくるしいタイトルに似合わず、内容の方は意外にも音楽に対するワルターの気取らない率直な思いが綴られたもので、およそ80年前の講演だが現代においても十分通用する内容ではないかと思う。

以下、自分なりに噛み砕いて要約してみた。

はじめに「果たして人間は音楽の影響によってより善い存在になれるものだろうか?もしそうであれば毎日絶え間ない音楽の影響のもとに生きている音楽家はすべてが人類の道徳的模範になっているはずだが」とズバリ問題提起されているところが面白い。

ワルターの分析はこうだ。

 恥ずかしいことながら音楽家は概して他の職業に従事している人々に比べ、べつに少しも善くも悪くもない。

 音楽に内在する倫理的呼びかけ(心の高揚、感動、恍惚)はほんのつかの間の瞬間的な効果を狙っているにすぎない、それは電流の通じている間は大きな力を持っているが、スイッチを切ってしまえば死んだ一片の鉄にすぎない「電磁石」のようなものだ。

 人間の性質にとって音楽が特別に役立つとも思えず、過大な期待を寄せるべきではない。なぜなら、人間の道徳的性質は非常にこみいっており、我々すべてのものの内部には善と悪とが分離しがたく混合して存在しているから。

以上、随分と率直な語りっぷりで「音楽を愛する人間はすべて善人である」などと「我田引水」していないところが大いに気に入った。いかにもワルターらしい教養の深さを感じさせるもので「音楽の何たるか」を熟知している音楽家だからこその説得力ある言葉。

実は自分も、すべて人間はいろんな局面によって変幻自在の顔を見せるものであり、一時(一事)的な事柄をもって善人とか悪人とか決めつけるのは“危なっかしい”判断だといつも思っている。

あの音楽の美に溢れた素晴らしい作品を生み出したり、演奏したりする音楽家が「どうしてこんな恥ずべきことを」なんていうのは過去において枚挙にいとまがないくらいで、一時的な血迷い事はザラである。

肝心の音楽家でさえこうなのだから、ましてや音楽を聴くだけの愛好家に至っては推して知るべし。したがって、ワルターが言うところの「音楽=電磁石」にはまったく共感を覚える。

と、ここで終わってしまうとまったく“味も素っ気も無い”話になってしまうが、これからの展開がワルターさんの偉いところであり感じ入るところである。

「それでも音楽はたぶん我々をいくらかでもより善くしてくれるものだと考えるべきだ」とのご高説。音楽が人間の倫理に訴える”ちから”、つまり「音楽を聴くことで少しでも正しく生きようという気持ちにさせる」効果を信じるべきだと述べているのだ。

ワルターは「自分の希望的見解」とわざわざ断ったうえで音楽の持つ倫理的な力を次のように分析している。

 音楽そのものが持つ音信(おとずれ)

「音楽とは何であるか」という問いに答えることは不可能だが、音楽は常に「不協和音」から「協和音」へと流れている。つまり目指すところは融和、満足、安らかなハーモニーへと志向しており、聴く者が音楽によって味わう幸福感情の主たる原因はここにある。音楽の根本法則は「融和」にあり、これこそ人間に高度な倫理的音信(おとずれ)をもたらすものである。


自己勝手流だが、およそ以上のような内容だった。興味のある方はぜひ原典を一読されることをお薦めする。

このワルター説では「音楽の持つ道徳的な力」の根源は「協和音、ハーモニー、融和にあり、結局、音楽の役割とはそれらを通じて人々が幸福感を得ることにより無用の対立を防いで社会を住みやすくすることにあるというのが趣旨のようである。

その意味ではこの世で音楽ファンが一人でも増えることは潤いのある社会に向けて何がしかの一歩前進ということになろう。

したがって音楽の素晴らしさを説いたり、それを聴く道具としてのオーディオの喧伝をしたりすることも、たとえわずかでも社会貢献としてそれなりに意義のあることかもしれない。

な~んて、これはちょっと手前味噌かな(笑)。
 


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「お値段の割には」というエクスキューズ

2014年05月22日 | オーディオ談義

先日の午後、およそ1か月ぶりに試聴にお見えになられたオーディオ仲間のAさんが持参されたのは、愛聴盤の1900年代前半の名テノール歌手たち4名を収録したCD。

           

たしか、以前のブログでも紹介したことがあるがとにかく顔ぶれが凄い。「マルティネッリ」「ペルティーレ」「ジーリ」「ヴォルピ」を納めたもので、まるで「夢の饗宴」。

とはいっても、およそ80年ほど前に活躍した歌手たちだからご存知ない方が大半だろう。

当時の荒廃した世相のもと、娯楽の少なかった時代に置かれた音楽芸術の存在価値と熱心な聴衆に支えられて切磋琢磨する芸術家たちのレベルの高さを彷彿とさせるアルバムである。声量の豊かさとか気合の入れ方などにおいて、とても現代のテノール歌手たちが及ぶところではない。

まずJBLシステムで聴いたところ、改めてペルティーレというテノール歌手の張りと艶のある声にぶったまげてしまった。何せSP時代の録音だから音質は良くないのだが、そんな瑕疵なんか「いっさい問題じゃないよ」と吹っ飛ばすほどの歌いっぷり。

専門家筋では「ジーリ」の評価が高いようだが、この盤をきく限り「歴代最高の称号を贈っていいほどのテノール歌手ですね。あの伝説のデル・モナコより上ではないでしょうか。」と二人で頷き合ったことだった。

このCDはAさんがカナダへ旅行されたときに当地のCDショップで手に入れられたそうで、日本では未発売かもしれない。

一般にはまず馴染みのないペルティーレだが、いったい世の中にどれだけ浸透しているんだろうかと「テノール歌手ペルティーレ」でググってみたところ、さすがに世間は広い。

隠れた音楽通はいらっしゃるもので次のようなブログがあった。無断だが勝手に引用させてもらおう。

「アウレリアーノ・ペルティーレ (Preiser 89072) 1927~1930年の録音集。

納得のいく上手さ。張りがあるけど柔らかい声。鳴りも申し分なく上に乗っている。熱を感じさせる歌いっぷりだが過度には崩さず、一つ一つの音の扱いが丁寧。フレージングがとてもイタリア的だが嫌味ない。

柔軟性や鳴りや息の使い方等どこかが突出しているということがなく、どの面から見ても落ちのない一流であり適度なイタリア的歌心をも備えている。理想的とまでは言わないが聴いていて非常に納得いく歌手。

“アンドレア・シェニエ”の“Un di all'azzurro spazio”目当てで買ったんだが、期待に違わぬ演奏だった。もうちょっとあそこがこうなら、とか思うところは残っているのだが、イタリアのオペラアリアとしての歌と自分の感性、趣味の違いだろう。趣味が違うのに聴いて得心のいく演奏だったのだから凄いものだ。」

とにかく、演奏家にメチャ厳しかった指揮者トスカニーニが(ペルティーレを)重用したというから実力は折り紙つきである。

ところで、この時に使ったCDトランスポートは「ラ・スカラ」(dCS)だった。耳ざといAさんがすぐに気付かれて「アレッ、この前とは随分音が変わりましたね。」

「そうなんです。以前はバランス・デジタルコードでDAコンバータ-と接続していたのですが、BNCコードに替えてみたところ、こういう音になりました。」

感心されたように「ラ・スカラ」に歩み寄って後ろ側の接続部分を実際に確認された。

「PADのコードを使ってありますね。中音域のヌケがとてもいい感じです。今となるとワディア270は普通のCDシステムの延長線上にある音でしたが、ラ・スカラとなるとまるでレベルが違いますね。こうなると我が家もCDシステムを見直したくなりました。」

明らかにご謙遜である。ご自宅のあの雄大なスケール感豊かな音を聴かせていただくと、やれSACDとかハイレゾとかいうのが次元が低過ぎてバカバカしくなってしまうから不思議(笑)。

その一方、我が家のような“並み”の標準的なシステムでは最も劣化した機器のところで音が平準化する傾向にあるので何よりも凹部分を作らないのが肝心。要はバランスというわけで、どこか一か所でも手を抜いたら即アウト(笑)。

ところで、ここで関連して「オーディオ機器の評価」について一言述べておこう。

オーディオ誌やネットなどでいろんなオーディオ機器の評価がなされているが、その背後には常に省略されている言葉があると思っている。それは「お値段の割には」
というエクスキューズ。

どんなに「性能がいい」と高い評価を受けている機器であっても、そこには「お値段の割には」という言葉が隠されていると思った方が無難。実際にこういう言葉を使うと夢も希望もなくなるので省略されているだけの話だから(笑)。

値段がピンからキリまでバラツキがあるオーディオ機器だが、使用する側としてはこの辺をしっかりわきまえておかないととんでもない勘違いの元になる。

我がオーディオ人生をふり返ってみても、このエクスキューズに気が付かなかったばかりにオーディオ誌の「絶賛!」につい釣られてしまい、散々な無駄遣い(授業料かも?)のオンパレードになってしまった。もちろん、全体のバランスを無視したむやみな一点だけの突出も意味がない。

賢明な読者の方々はまずそんなことはないと思うが、どうか素朴で信じ込みやすかった自分の轍を踏まれませんように老婆心ながら申し添えてみました(笑)。
 


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昼間に活躍した「焼酎」

2014年05月21日 | 独り言

去る18日(日)の午後のこと。音楽をききながらゆったりくつろいでいたところ、庭いじりをしていた家内が手を押さえて、オーディオルームに飛び込んできた。

ほんの、あっという間の瞬間だったそうだが大きなムカデに噛まれてしまい、患部(親指)がズキンズキンと痛むという。休日なので医療機関に駆け込むわけにもいかず、近くの知り合いの皮膚科のお医者さん宅に電話するもあいにくの不在。

仕方なく急いでネットで「ムカデに噛まれたときの治療法」でググってみた。

日頃、偉そうにして威張っているが困ったときだけ“しおらしく”頼りにして来るので実に困ってしまう(笑)。

いろんな治療法が記載されていたが、大きく分けると「アイシング」ともう一つは「熱に弱い毒なので(毒を)押し出して暖める」の二つに分かれている。まったく正反対なので困ってしまうが、はじめアイシングをやってみたところ、どうもはかばかしくない。ムヒなどの効き目のありそうな軟膏も置いていないしと、こんどは焼酎を使ってみることにした。

                          

耐熱グラスに入れた焼酎を電子レンジで暖めた後、その中にしばらく親指をつけていたところ、これが見事に功を奏して痛みが解消し快方に向かった。

半日経っても懸念した後遺症もなく、腫れもおさまり、「どうもありがとう」と、ニッコリ感謝されたが、な~に、1日もすればケロリと忘れてしまうんだから(笑)。

しかし、焼酎は夕方だけではなくて昼間にも活躍することに感心した。いろんな使い道があるもんだ。

翌日、家内がご近所の数人の朝のウォーキング仲間にこのことを話したところ、皆さん一斉に「これは、たいへんいいことを聞きました。」と感心されたそうだ。

これから頻繁に害虫が活躍する時期がやってくるが、困ったときは「焼酎」というわけで、読者の皆さま、万一の時のために頭の片隅に留め置かれてはいかがでしょう。まあ、すべてに効くというわけではないでしょうが~。

今回は久しぶりにショート・ストーリーでした。
 


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近未来、モーツァルトの新作オペラが聴ける!?

2014年05月18日 | 音楽談義

オヤジに似て、大のミステリーファンの娘からもらった冊子「2014年版 このミステリーがすごい!」。

「よろずのことに気をつけよ」(2014.2.21付)で紹介したように、この本では2013年に発行されたミステリーのうち国内版、海外版に分けてベスト10が紹介されている。

国内版の1位が「ノックス・マシン」(法月綸太郎」、2位が「教場」(長岡弘樹)だった。すぐにネットで図書館に予約したところ、待つことおよそ3か月、ようやく1週間ほど前に「予約本が準備できました」と、メールが入った。

留置期間を過ぎて横流しされると勿体ないので、すぐに取りに行って持ち帰り、このほど2冊とも読破したが、両者とも短編集だったので少々がっかり。たしかに佳作には違いないが、そう取り立てて「傑作」というほどのこともないというのが正直な読後感だった。

むしろ、先月(4月)の下旬に福岡へ「キーシンのピアノリサイタル」を聴きに行ったときに往復の電車の中で読んだ「贖罪の奏鳴曲」(中山七里)の方が面白かった。「切り裂きジャックの告白」もそうだったが、この作家の本はいずれも面白いのにどうも玄人筋の受けがイマイチのようで何とも不思議。

          

まあ、音楽の好みと同じでミステリーも人によって好みが違うのは如何ともしがたいところ。

さて、ここからいよいよ本題に入ろう。

上記で紹介した短編集の中の「ノックス・マシン」だが、その内容をかいつまんで報告しておくと、

近未来の話で2058年の出来事が舞台になっている。主人公は中国人で「数理文学解析」の研究に打ち込む青年である。(なぜ中国人が主人公なのかは非常に面白い理由があるのだが、ここでは触れない。)

「数理文学解析」とは、もともと詩や小説作品に用いられる単語や成句の頻度分析から始まった学問で、計算機テクノロジーの飛躍的な進歩にともなって、その対象は語句のレベルから始まって、文章の成り立ち、さらには作品構造の解析にまで引き上げられ、作家固有の文体を統計学の手法によって記述することが可能になった。

そして、人間の手を借りない完全に自動化された物語の創作、すなわち「コンピューター文学」の制作が開始されるようになり、シェイクスピアやドストエフスキーの新作が次々に発表されて権威ある評論家たちが渋々、その質の高さを認めざるを得なくなったというのがこの物語の設定となっている。

以上のとおりだが、実に面白い着想である。

世界文学史上最高の傑作とされるが、惜しくも未完に終わった「カラマーゾフの兄弟」の続編が、ドストエフスキーになりきったコンピューターによって制作されるかもしれないなんて、まるで想像もできない夢物語のようだが、現在のように留まることを知らないコンピューターの進化を考えると何だか実現しそうな気もする。

さあ、そこで我らがモーツァルトの登場である。

わずか35年の短い生涯に600曲以上も作曲した多作家だが、あと少しでも長生きさえしてくれたら人類は「魔笛」以上のオペラを手にしたかもしれないと思うのは自分だけだろうか。

オペラには幸い脚本というものがある。登場人物の台詞と動作と心理描写などがこと細かく記載されているが、これらを手掛かりにコンピューターがモーツァルトになりきって音符の流れを解析し旋律を作って、新作のオペラを作曲するってのはどうだろう!

ちなみに、ここでモーツァルトが残したオペラを挙げてみよう。(あいうえお順)

「アポロとヒャアキントス」「イドメネオ」「劇場支配人」「賢者の石、又は魔法の島」「後宮からの誘拐」「皇帝ティートの慈悲」「コシ・ファン・トゥッテ」「第一戒律の責務」「ドン・ジョバンニ」「偽の女庭師」「バスティアンとバスティエンヌ」「羊飼いの王様」「フィガロの結婚」「ポントの王ミトリダーテ」「魔笛」

馴染みのないオペラを含めて、何と15ものオペラを作曲しておりコンピューターの解析材料(音符、台詞、登場人物の描写など)としては十分な量である。

また、その昔、モーツァルト関連のエッセイで(たしかドイツ文学者の「小塩 節」氏だったと思うが)、8歳の頃に作曲した一節が、亡くなる年(1791年)に作曲された「魔笛」の中にそのまま使われており、「彼の頭の中でそのメロディが円環となってずっと流れていたのでしょう。」とあって、それを読んで深く、深く感銘を受けたことを覚えている!

「三つ子の魂百までも」で天才モーツァルトなら、その“曲風”は生涯を通して変わらなかったに相違ない。まさにコンピューターによって解析するには最適の作曲家ではなかろうか。

こうしてみると、音符は文字と同様に記号の一種なのだから「数理文学解析」と「数理音符解析」(?)とを合体して、モーツァルトになりきったコンピューターが新作オペラを作曲するなんてことが何だか夢物語ではないような気になってくるから不思議。

まあ、自分が存命中は無理な相談だろうが(笑)。

とはいえ、モーツァルト好きのS君(高校の同級生)に言わせると、おそらく「コンピューターがモーツァルトにとって代わるなんて、それだけで”嫌だ”なあ」と、眉をひそめる顔が彷彿と浮かんでくる!

 


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「高次倍音」の魅力

2014年05月14日 | 音楽談義

前回からの続きです。

NHK・BS番組「名器ストラディヴァリの秘密」について、再びU君から次のようなメールが届いた。

「同番組の内容から、お知らせしたい続きがまだあるので、皆さんにメールしようと思っていたところです。その一つは、ストラディバリ再現に向けて、現代の名工数十人と科学者がワールドワイドにタッグを組み研究する様子が流れましたが、当方が特に注目したのは、ヴァイオリンの音を周波数分析した図表を皆で検討している様子でした。

その図表の横軸は、200Hz~9000Hzとなっていましたが、この周波数範囲を見て“なる
ほど”と合点した次第です。ヴァイオリンの音色の違いを知る上で必要にして充分なこの範囲で同じ周波数成分を示すように作れば同じヴァイオリンが作れるという訳です。当方も時々周波数分析をしていますが、どういう環境(無響室?)で、どれ位の距離から、どういうマイクを使い、どういう周波数分析ソフトを使ったのか等々、興味は尽きません。」

ところが、この意見に対してOH君から問題提起がなされた。


「人間が好む楽器の『音』(響き)は《高次倍音》が多く含まれている程、より好まれると聞いています。そうすると9000Hzでは20000Hzに遠く及ばず、人が好む<ストラディバリウス>の楽器(倍音)を分析するには不足するのではないか・・と思われます。

同じ高さ(音程)の音なのに、その音を出している楽器を聞き分けることができるのは、含まれている「倍音」の比率が楽器によって異なるのが理由です。簡単な例を引けば<二杯酢>か<三杯酢>か味覚で判断できるようなものでしょうか・・・。

同じ<三杯酢>なのに、<ストラディバリウ酢>だけは格別に旨い・・・少なくともその原因の一つが『高次倍音』の含有量にありそうであれば、その領域まで計測してみる価値はアルと思うのですが・・・。」

すかさず、U君から自説を補強するメールが届いた。機械と音楽の専門家同士のやり取りは実に興味深い。


「聴覚を味覚で例えるに当たり、その対象をOH君の好きな日本酒ではなく「酢」としたことで、<ストラディバリウ酢>を引っ張り出した訳ですね。読み進むうちに、えっ?どうして“酢”なんだろうと一瞬思いましたよ。

《高次倍音》が多いということは、波形が複雑 (反対に、単純=サインカーブ=純音)だという事です。どんなに複雑に見える波形でも“フーリエ級数”という、サインカーブを組み合わせた数列で表現出来ます。言い換えればいかなる波形でも色々なサインカーブの集まりから成っているということです。

9000Hzと20000Hzの問題ですが、人間の可聴帯域の上限は20000Hzとよく言われますが、これは若くて特に耳の良い人が、特にコンディションの良い時に聴く (というより何か圧迫感を感じる) ことが出来ると言われています。すなわち人類の聴ける最高周波数なのです。(現時点で当方は10000Hz付近から怪しい)

そしてこれらのテストは純音で行われるので、周波数分析の横軸に目盛られた数値とは少し異なると考えて良いのではないでしょうか。」

以上の“やりとり”でもって、ようやく一件落着(笑)。

ここでちょっと補足しておくと、周知のとおり楽器の音は「基音」と「倍音」とで成り立っている。

ヴァイオリンの基音はおよそ「200~3000ヘルツ」で、倍音を含めた周波数帯域となると、およそ「180ヘルツ~1万ヘルツ以上」とされている。

比較する意味でピアノの例を挙げると、基音はおよそ「30~4000ヘルツ」、倍音を含めた周波数帯域は「30~6000ヘルツ」とされているので、明らかに高音域が頭打ちになっている。

このことからもヴァイオリンが持つ「高次倍音」の魅力が推し量られ、その音色からしていろんな楽器の中でも別格の存在であることが分かる。

したがってヴァイオリンの再生に特化したSPユニットがあっても少しも不思議ではないが、それは手前味噌になるが「AXIOM80」に尽きる。ヒラリー・ハーンの「プレイズ・バッハ」を一度でもきいてもらえればそれは分かる(笑)。

            

なお、ずっと以前に観た「ストラディヴァリ」の関連番組では、ヴァイオリンに塗る「ニス」に秘密があるとかで、独自の調合をしたニスで実験をしていた科学者がいたがその後、いっさい話題にならないのでおそらく決定打とはならなかったのだろう。

長いことオーディオをやっていると「電気回路による音」と「楽器が出すナマの音」とは明らかに一線を画しており、(前者が後者に)とうてい追いつけそうにないのがマニアとしては虚しいところだが、その一方、科学がどうしても人間の感性技を凌駕できないのが痛快といえば痛快。

何といってもキカイよりも“人間さまの感性(耳)”の方が上であることの証明なんだから(笑)。

最後に、個人的なメールのやり取りをそっくりそのまま当方のブログに掲載することについて、快く承諾してもらった仲間たちに心から感謝です!
 


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名器「ストラディヴァリ」の秘密

2014年05月12日 | 音楽談義

「先日、NHKのBSでストラディヴァリの番組がありました。ご存知かと思いますが、ストラディバリとはイタリア・クレモナで名工ストラディバリが製作したヴァイオリンの名器で、それを扱った番組でした。ゴールデンウィーク直前の放送でしたが、ご覧になった方はおられますか。」

                        

これは、去る4月5日(土)に我が家に試聴に来てくれた高校時代の同級生たち(福岡組3名:U君、S君、O君)うちのU君から、音楽家のOH君を含めて4名に対する配信メール。

しまった!どうやら貴重な番組をウッカリ見逃してしまったようだ。「残念です。観ていません」と返信したところ、
S君からさっそく反応があった。

「観ました、聴きました、且つ録画しました。面白く興味深い内容でした。色々な角度から検証していましたねぇ~。それでも、人間の歴史の中で科学万能の現世においてさえも再現出来ない様ですね。職人魂(霊)の為せる 技(術)でしょうか?」

続いて、桐朋学園大学を卒業して指揮者として武者修行のため渡欧したOH君(現在は福岡で音楽アカデミー開設:ブログ  jmc音楽研究所最新情報 ←クリック可能)から興味深いメールが入った。

「私の留学はザルツブルグ・モーツアルテウム音楽院の夏期講習から始まったのですが、ザルツブルグ音楽祭を初めて聴いたのがカラヤン指揮の<アイーダ>でした。(幸いなことに、宿の主人がチケットをゆずってくれたのです)

全ての点で余りにもスゴくて《ブッ飛ばされた》ことを覚えています。この時、舞台上で演奏された(古代の)トランペットがYAMAHA製だと聞きました。ヤマハが管楽器を手がけた最初の事例でしたが、結果は良かったと思います。

この時、ヤマハはヨーロッパの金管楽器の名器を入手して、全ての部分の厚みの変化や、金属の質などをコンピューターで分析しながら開発したと聞きました。この方法で、それ以後のヤマハの金管は優れたものを作っています。

その後、ウィーンのスイートナーのクラスで学んだのですが、あるとき日本から帰国したばかりのスイートナーがヴァイオリンを抱えて教室にやってきました。

“使ってみて欲しいと言われて、ヤマハから預かって来た”と言って楽器を生徒に見せ、ヴァイオリンの生徒が弾いて“うん、いいイイ”と言っていました。

後で聞いた話ですが、ヴァイオリンの銘器をコンピューターで詳しく分析して、そのように作ろうとしたそうです。しかし、どうしても本物に近い楽器にまでは作れなかったようです。金属では成功したのですが、(自然の)木が相手ではコンピューターも分析しきれなかったように思います。


また、ヤマハの工場に行った時、聞いた話ですが、スタインウェイを入手して、全てバラバラに分解してから、組み立て直すと<ヤマハの音>になってしまったそうです・・・やはり職人(名工)の『感性』が重要な鍵を握っているのでしょうか。」

すると、S君から再度のメールが配信。

「大変興味深い面白い返信を頂きありがとうございます。随分前から銘器の解析は為されているんですねぇ~。U君ご紹介の番組でヤマハの例が取り上げてありました。銘木を銘器のレベルまで経年変化させる技術でした。

その他、世界各地での取り組みが紹介されてましたが少しずつ近づいてはいるけれども、まだまだ人間の感性技には遠いようですね。将棋の世界ではコンピューターが人間を負かしているようですが、こうはなりたくないですね~。」

そういえば人間の感性技が重要なカギを握っている例として往年の名器とされる「マランツ7」にまつわる話を思い出した。

「マランツ7」といえば、1950年代の初めに市販のアンプにどうしても飽き足りなかった大の音楽好きの「ソウル・B・マランツ」氏(アメリカ)がやむなく自作したプリアンプの逸品である。

ある専門家がそっくり同じ回路と同じ定格の部品を使って組み立ててもどうしてもオリジナルの音の再現が出来なかった曰くつきの名器だと、ずっと以前のオーディオ誌で読んだことがある。

この「マランツ7」は一時所有して実際に使っていたものの、真価が発揮されるのはフォノイコライザーなので現在はレコード愛好家のO君の手元にある。

感性技が求められるオーディオ機器の典型的な例として挙げてみたわけだが、これを敷衍(ふえん)すると、一つの課題が導き出される。

それは「オーディオ機器の製作に携わる方は少なくとも音楽愛好家であって欲しい!」

大学の工学関係科を卒業したというだけで音楽に興味を持たない人たちが(メーカーで)機器づくりに携わることは、まるで
「仏(ほとけ)作って魂入れず」、使用する側のマニアにとってはもはや悲劇としか言いようがないのだ(笑)。

さて
、「ストラディヴァリ」関連のメールのやり取りはこれで終わりではない。さらに興味のある論争が続くが、長くなるので次回へ持越し~。

それにしても今回のブログは随分と“楽”をさせてもらっている。コピーをし“貼り付け”して、upすればいいだけだから。他人の褌で相撲を取らせてもらって、まことに申し訳なし(笑)。

 


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「音の重心」の違い

2014年05月11日 | オーディオ談義

去る5月2日(金)のKさん(福岡)との試聴会で「AXIOM80」(オリジナル・エンクロージャー入り)をきいていた時のこと。駆動しているWE300Bアンプ(モノ×2台)の真空管を「1950年代製」(オールド)と1988年製とに切り替えて「聴き比べ」をしていたところ、後者の音の方が明らかに高域方向にエネルギーが偏っていることに今さらながら気が付いた。

「真空管(出力管)は製造年代が新しいものほど音の重心が上がりますね。」と言ったところ、Kさんも「まったく同感です」。

同じウェスタン製でもこれほどの差があるのだから、他の真空管は推して知るべしで、少なくとも手持ちの真空管すべてにこの現象は通用する。

以下、自分の体験談だがまず、RCAブランドの「2A3」にしても後期の製造品ともなると、お気に入りの「刻印付き2A3」(1940年代)と比較した場合、まったく別物で重心が見事に(?)といっていいほど上がる。

この現象は1970年代以降に製造された真空管にだいたい当てはまる。1960年代のものは辛うじてセーフなので、真空管はおよそ1970年前後が境目となって「様変わりする」というのが偽らざる自分の感想である。

相性などもあって新しい製品が古い製品よりもいいとは限らないのがオーディオの面白いところだが、さしずめ真空管などはその最たるものだろう。何といってもコスト削減のための「量産化」が原因だと思っている。「悪貨は良貨を駆逐する」(グレシャムの法則)とはこのことかな(笑)。

もっとも、「重心の上がった音が好き」という人もいるだろうから、こればかりは個人差があって「いい悪い」の話ではないのだが、自分の場合は重心の上がった音は、「ちょっと聞き」にはいいのだが、長時間きいていると耳が疲れてきてしまう。「AXIOM80」は高域にちょっとクセがあるのでなおさら。

それだけならまだいいのだが、そのうち機器をスイッチ・オンするのが何だか億劫になってくるから不思議。

この歳になって自然とオーディオから遠ざかってしまう代償には何物にも代えがたく、影響は甚大なので“よほどの例外”を除いて1970年代以降に製造された真空管には手を出さないことにしている。

ところが、その“よほどの例外”破りをつい最近、やってしまった~(笑)。

去る4月28日にオークションで落札した2A3真空管(ペア)がそれ。

            

出力が3ワット前後の「2A3」は、能率が110db前後のJBLユニットにはもってこいの代物で、音が暴れず使い道が多いのでいつもオークションでアンテナを張っているが、偶然みかけたのが「ZAERIX」(ザイレックス)ブランドの「2A3」。

ご存知の方もあると思うが「ザイレックス」とはメーカーではなくて商社(イギリス)の名前で、中味の方はムラードなどいろんなブランドの欧州系の真空管を中心として販売している。

このブランドの製品は実際に「6SL7GT」「ECC88」「PX25」などを使ってきたが、品質や耐久性などに一度も期待を裏切られたことがない。今ではザイレックスと聞いただけで、いかにも「いい音がしそう」と涎(よだれ)が出てきそうになるくらい(笑)。

おまけに真空管のベースが茶色になっており、経験上、黒色よりも当たりの確率が高い。したがって、この「2A3」は「即買い」だと思ったが念のため真空管の生き字引のKさん(福岡)に相談してみた。

「ザイレックス・ブランドの2A3がオークションに出品されてますが、どんなもんでしょうか?箱にはKさんの真空管アンプ御用達の〇〇オーディオの名前が記載されていますよ」

「〇〇オーディオさんが扱っているモノなら間違いないと思いますが、念のため店主に確認してみましょう。」

そして「やはり〇〇オーディオさんが取り扱った品物に間違いありません。30数年前にヨーロッパからごく小数を輸入した中の逸品だそうです。信じられないほどの値段ですからこれは絶対に買いですね。」

30数年前といえば、うまくいけば1960年代の製品の可能性もある。

しかも、この3月に購入した「刻印つき2A3」(1940年代)の1/2の価格だから、これはとんでもない掘り出し物。しかも即決価格になっているので迷うことなく落札した。たぶん、よく事情を知らない方が出品されたのだと思う。もしかすると故人となったオーディオマニアの遺品整理かもしれない。そのうちいずれ自分のケースもありうるかと思うと身につまされるが(笑)。

5月2日(金)の午後に現物が到着したので、丁度居合わせたKさんにお見せすると、日光にかざして仔細に点検された後に「これは新品に間違いありません。まったく詐欺みたいな値段で手に入れましたね~。」と、うらやましそうなご様子。

詐欺とは人聞きが悪いが、生き馬の目を抜く世界では実利優先に勝るものはない。「フッ、フッ、フッ」。

翌日、アンプの整流管を引っこ抜いてエージングを実施したが、実際の音出しは後日の愉しみにとっておくことにした。もちろんオークションの評価は「非常に良い」をクリックして取引相手に発信。「良品でした。機会がありましたら、またよろしくお願いします。どうもありがとうございました。」

これで「2A3」のストックはたっぷりとなったので、後顧の憂いなく使用できるが、欲を言えばあと1台(2A3の)専用アンプが欲しいところ。
 


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音像の違い

2014年05月09日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

去る5月2日(金)の試聴会での「新しい発見」の第2弾となります。


☆ メインアンプのボリュームは必要なのか?


ご承知のとおりアンプには大きく分けると、プリアンプ、メインアンプ、そしてそれらの機能を併せ持ったプリメインアンプの3種類がある。

我が家の真空管アンプのうちメインアンプは7台あるが、すべて付属しているボリュームは外してもらっている。購入したときにボリュームが付いているのもあったが、すべて改造の時点で奈良のMさんにお願いして取り払ってもらった。

一般的にメインアンプのボリュームは「百害あって一利なし」で、音質に悪影響を及ぼすし、音量調整の機能はプリアンプ(アッテネーター)側で行うので(取り払っても)支障なしと、ずっと思ってきた。

ところが、Kさん所有の真空管アンプはすべてボリュームが付属している。今回ご持参された「VT25Aアンプ」も例外ではない。

           

写真の水色で囲んだ部分がボリュームの部分。Kさんほどの耳の持ち主がメインアンプのボリュームをそのまま放っておかれるのが不思議でたまらなかったので思い切って申し上げてみた。もちろん、相手が初対面の方なら遠慮して言わないが、もう1年以上ものお付き合いでお互いに気心も知れているつもりなので~。

「ボリューム部分は音質に悪影響を及ぼすので取り払ってはいかがでしょう?」

すると、こう返事が戻ってきた。

「私もそう思って、お師匠さん(アンプの製作者)に申し上げたところ、“このボリュームの品質は十分吟味してあるし、インピーダンスを安定させる役割を持っている。それに、プリアンプを使う場合にはお互いのボリュームの最適の位置で調整できるメリットがあるので外さない方がいい”とのことでした」。

ボリューム機能にインピーダンスを安定させる役割があるとなれば話は別。

実はメインアンプにボリュームを付けることの可否について、いろんな文献でもいまだにきちんとした公式見解を拝見したことがない。これはどうやら古くて新しい課題のようで、使うボリュームの品質にもよっても意見が分かれるのだろうが、はたしてケース・バイ・ケースなのだろうか。

一般的にオークションなどで見かけるメインアンプ(真空管式の場合)にはほとんどボリュームが付属してあるように見受けるが、妙にこだわる自分の方がおかしいのかな(笑)。

いずれにしても、「これが絶対いい」とは“いちがい”に決めつけられないのがオーディオなのかもしれない。

☆ 音像の違い

個性的なタイプのオーディオ・マニアと交流していると、ホントに勉強になる。

今回お見えになったKさんはボーカルを中心にどちらかといえば小編成のジャンルがお好きな方で愛好されているスピーカー「AXIOM80」からして、オーケストラなどの大編成の音楽の再生には向いていない。まあ、聴けないことはないが・・。

したがって、Kさんが好まれる音像は「細身で縦長の二等辺三角形」といっていい。

Kさんの長いオーディオ遍歴を伺うとアルテックやJBLの大型システムなどを使用されてきたそうで、「リアルさには感心したものの、官能的な部分で飽き足らなくなりました」というわけで「AXIOM80」一辺倒になられたとのこと。その中でとりわけ気にされているのが低音域のスピード感である。

「モッタリした低音はすべてを台無しにします」と手厳しい。

我が家で「AXIOM80」の中低音域を補強している「SLE-20W」(エッジレス)についても、その使用には非常に懐疑的で「同じエッジレスとはいえスピードが合ってないので、出来るだけSLEー20Wを控えめに鳴らした方がいいと思います」。

まあ、ウェスタンの「VT25A」アンプで鳴らすときはそれでもいいのでしょうが(笑)。


その一方、随分長いお付き合いになるAさん(湯布院)は、どちらかといえばワーグナーなどの大編成のジャンルがお好きな方でズッシリとした重低音域のもとでスケール感豊かに構築される鳴らし方がお好み。現用システムがウェスタンの555+15Aホーンに口径40センチのウーファーの組み合わせがそのことを証明している。


したがって、Aさんが好まれる音像は「ピラミッド型」の三角形である。他家の音を評価されるときは必ず「三角形の大きさ」を提起されるほどで、たとえば小さな三角形の音だと「これは綺麗ごとの世界です」と“にべもない”(笑)。

両者とも好きな音像がここまで極端に分かれているうえに、それがちゃんとシステムに反映されていることが実に興味深い。

さて、肝心の自分はといえば、「AXIOM80」の細身の二等辺三角形も好きだし、JBL・3ウェイシステムの「ピラミッド型」も絶対に手放すつもりはない。この両者があればどんなジャンルの音楽にも対応できると思っている。

しかし、実を言うと好みの音像はちゃんとあるのだが、それは、ヒ、ミ、ツ!(笑)


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新しい発見

2014年05月08日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

去る5月2日(金)の試聴会を通じて、新しい発見がいろいろあったので項目ごとに振り分けてみた。

☆ テスト盤

他家での試聴や自宅のシステムで機器を入れ替えたときなどに使用するテスト盤については、日頃聴き慣れているCDがはたしてどんな音で鳴るのだろうかというわけで、「テスト盤=愛聴盤」というのがおおかたの相場といってよかろう。

この日(2日)の試聴会でKさんが持参されたのは、かってソプラノ歌手として一世を風靡したシュワルツコップの「オペレッタ・アリア」、そして村田英雄と加藤登紀子の「ベスト盤」。

            

「エッ、村田英雄ですか!」と、Kさんのレパートリーの広さに驚いたがヒット曲「夫婦春秋」(第2トラック)をきかせてもらったところ「ドスの利いた声」が実にいいし、メロディにも惚れ惚れしてしまった!歌謡曲にはやはり日本人の琴線に触れるものがある。

爾来、クルマに乗っているときなどにも、つい「つ~いて、来いと~は・・・」と、
自然に”くちずさむ”有りさまで影響力は多大。これこそ後に尾を引く音楽!加藤登紀子の「黒の舟歌」もよかった。

とにかく「AXIOM80」できくボーカルはどうしてこうもうまく鳴るのだろう~(笑)。

また、Kさんが「レコード盤のときは擦り切れるほど聴きました」と言われる「シュワルツコップ」だが、全盛期における声の伸びは類を見ないものがあって感嘆の一言。

しかし、「モーツァルトの歌曲集に収録されている“老婆”ではもっと凄い歌唱力を発揮しますよ」という話になって、我が家にある「老婆」を一緒に聴いたところ、音が出たとたんに「アツ、これは国内プレスですね。シュワルツコップの歌唱力が台無しです。」と、一刀両断。

以前からこの国内盤には録音に不満があったのだが、たちどころにきき分けるKさんの耳には驚いた。次回のご来訪のときに別のプレス盤を持ってきてもらうことになったが、音質次第で歌手の芸術性が左右されるのだからCD盤の選択にはくれぐれも要注意。

それにしてもオーディオ・システムには可能な範囲で万全を期しているつもりだが、そもそもCDの選択にまで配慮しなければいけないのだから自宅でまともに音楽鑑賞をしようと思ったらたいへん(笑)。

☆ CDトランンスポートの聴き比べ

結論から言えば、先日購入した「ラ・スカラ」(dCS)がこれまで使用してきた「270」(ワディア)を軽く一蹴した。Kさんによると「音の開放感が違います」。

           

これにはちょっとした“わけ”があって、「ラ・スカラ」とDAコンバーター「ワディア27ixVer3.0」との接続を当初「AES」(バランス・デジタルコード)にしていたところどうも位相に問題があるようでしっくりこないので、仕方なくBNC接続に切り替えたところようやく不自然感が収まった。

両機種とも同じ「2番ホット」であることを確認して接続したのだが、どうも不思議。去る4月13日の試聴会でも「AES」接続だったため「ラ・スカラ」がイマイチで、主に「270」できいてもらったのもそういう理由だった。

デジタル機器同士の接続は通常では、1位がAES(バランス)接続、2位がBNC接続、3位がRCA接続とされており、トスリンク(光)接続ともなるとまったくの論外だが、我が家の場合はBNC接続がベストだった。AES接続も万能ではないことを心に刻んだが、おそらくdCSのDAコンバーターとの純正組み合わせとなると話が違ってくるのだろう。

こうなると早くdCSのDAコンバーターを手に入れたいが、何といっても先立つものが・・・(笑)。

それにしても「ラ・スカラ」をきかれていたKさんが「我が家の音に比べるとCDシステムの差を痛感します」
との、何気なく洩らされた言葉がいまだに耳に残っている。

これまで1年以上にも及ぶワディア「270」の試聴のときにはCDシステムの違いについては“これっぽっち”も言及されなかったので、どうやら「ラ・スカラ」の実力は抜きんでているようだ。

購入して正解だった(笑)。

なお、ほかに二題ほど残っているが長くなるので次回へ持ち越し~。

 


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音は生き物だ!

2014年05月06日 | オーディオ談義

たしか寺島靖国さん(ジャズ喫茶店主にしてオーディオ評論家)の著書だったと思うが、「オーディオは常に機器を入れ替えて変化をつけていないと元気が出てこない」という趣旨の表現があって、自分にも思い当たる節があり思わず「同感!」と苦笑したものだった。

それに倣って言わせてもらうと「このところ(自宅に)お客さんがお見えにならないのでどうもオーディオに元気が出てこない」(笑)。

筋金入りのオーディオ仲間たち(福岡から3名)のご来訪が4月13日(日)だったので、あれからおよそ3週間あまり。

ブログの中身の方も仕方なく、音楽記事などを織り交ぜながらどうにかお茶を濁していたところ(笑)、同じ「AXIOM80」を愛好するKさん(福岡)からご連絡があって「5月2日(金)はご都合いかがでしょうか?」。

“いやあ、いいも悪いもありません、どんな用事があってもオーディオが最優先ですよ~”と、内心つぶやきながら、ただ一言「どうぞ、どうぞ~」。

2日間ほど余裕があったので、どうせ隙間だらけなのは分かっているもののシステムの点検に怠りなし。

幸い、当日は天が味方して朝からまさに「五月晴れ」。しかし、もちろん「好事魔多し」という側面もある。

行楽日和の高速道路には落とし穴があって、覆面パトカーがウヨウヨしているのだ!

懸念していたところ、案の定、我が家にご到着後(13時過ぎ)の話では「先行する白の旧型〇〇〇〇に不穏な気配を感じて、ずっとおとなしく追尾していたところ、プリウスが勢いよく追い越して行って、即座に拘束されアウトでした。」

いやあ、スピードを出さなくて良かったですねえ!

ついでにKさんから「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」みたいに〇〇〇〇の悪口が飛び出した。

「いつぞやのブログにも書いてありましたが現行のクラウン(アスリート)のフロントグリルはまったく趣味が悪いですね。どうも中国での売れ行きを考慮したデザインみたいですよ。」

目からウロコだった。「そういえば、中国の金満家たちが好みそうなデザインですね~。」

まあ、全面的ではないにしろ、何かしら経済大国・中国での売れ行きを考慮したデザインであることは疑いの入れようがないように思える。これまでのトヨタのデザイン路線とは明らかに一線を画している。

今さらながら国内の遊休地の取得をはじめ、そこかしこに有形無形となって中国マネーの影が日本人の生活の中に忍び寄ってきていることに思わず慄然としてしまう。これからはもっとグローバルな視点を持たねば。

それにしても、いかに営利主義とはいえメーカーのポリシーはいったいどこにいったのか、ただ儲けりゃそれでいいのか!ただし、もし自分が経営者だったらたぶん同じことをするだろうが(笑)。

ところでオーディオだって、中国マネーが席巻してオーディオ界の至宝とされる「ウェスタン製品」が核となって投資の対象となり激しい高騰を招いているのは周知の事実。たとえば名管WE300Bの刻印もの(1930年代)は程度のいいものなら軽く7桁に達するのだから驚く。

音楽どころかオーディオさえもよく分からない連中がむやみやたらに参入してきたら、この小さな市場は混乱の極みでひとたまりもない!「ささやかな楽しみを奪わないでくれ」と叫びたくなるが、そもそも、「音を出して何ぼ」の名品が死蔵されるのは可哀想だし、もったいない。

実は今回の試聴会の主役となったのはそのウェスタンの真空管である。

            

今回の試聴でKさんが満を持して持参されたのが「VT25A」シングルアンプ。

現在、自作のエンクロージャーに容れた「AXIOM80」を駆動している真空管アンプは大のお気に入りの「刻印付き2A3」(1940年代)。今のところまったく不満なしの状況だが、このウェスタン製「VT25A」アンプ(出力1.5ワット)に入れ替えたところまるで別次元の音がした。

いつも中低音域の量感にやや物足りなさを覚える「AXIOM80」だが、それだってこのユニットの持ち味の一つだと思っていたところ、それが一気に解消して分厚い響きになったのだからもうたまらない。原因はスピーカーではなくてアンプだったのか!

このVT25A(直熱三極管)はずっと以前は軍事通信用として使用されていたもので、細かい仕様は軍事機密として同盟国のイギリスにさえも秘匿していたという。そのため、アンプ用として使用する際にも回路上の適正なプレート電圧などは秘中の秘で、この設定を間違うとキンキン、キャンキャンした音が出たり、球の寿命が短くなったりで碌なことはない。

この辺りが「VT25A」が定評のあるWE300Bに比べて使いづらく、今一つ評判とならない所以だが、このアンプはその辺を熟知した熟練者の手になるそうで、回路をはじめ電源トランス、出力トランスなどがうまくマッチしてツボに嵌ると「さすがにウェスタン!」。

「ウェスタンの音には生命力がありますね!」とKさんが述べられたが、「生命力」という表現に非常に新鮮なイメージを受けた。たしかにウェスタンならではのこういう音をきくと、低音や高音がどうしたとか、音に1枚ベールがかかっているとかの形容が陳腐に聴こえてしまう。

音を形容する言葉はいろいろだが、「生命力」という一言でそれらすべてを包含し超越できることにようやく気がついた。オーディオを40年以上やってきてこれなんだからもう~(笑)。

もっとも
、勝手に「生命力」なんて言ったところで、こればかりは実際に体験していただかないとイメージが湧いてこないと思うので何ともはや残念。「百見は一聴に如かず」。

ずっと以前に読んだオーディオ誌で「人間にたとえるとスピーカーは顔や外形に該当し、それに精神を吹き込むのがアンプだ」とあったが、どうやら精神よりは「生命力」という言葉の方がもっとふさわしい気がする。

音は生き物だ!

今回の試聴で改めてアンプの重要性に認識を新たにしつつ「ウェスタン製真空管」に脱帽したが、「刻印付き2A3」もきっといいところがあるはずなので絶対にあきらめないぞ~
(笑)。

最後に、KさんはCDトランスポート「ラ・スカラ」(dCS)を購入してから初めてのご来訪だったので、いい機会だとばかりワディアのCDトランスポートと比較試聴をしてもらったがはたして軍配はいかに?

以下、続く。
 


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罪深い遊び

2014年05月03日 | 音楽談義

「罪深い遊び」というタイトルに思わずドキッとされた方もいるかもしれない(笑)。残念なことに音楽がらみの話です。したがって期待ハズレかもしれませんがどうか悪しからず~。

さて、音楽にしろオーディオにしろ「聴き比べ」は実に楽しい。

音楽の場合、出所は同じ楽譜なのに演奏によってこんなに印象が変わるのかという驚きは新鮮そのもので、次から次に買い求めて違う演奏を楽しみたくなる。

オーディオだって使う真空管(初段管、出力管、整流管)によって、音がクルクル変わる「球転がし」ひいては「アンプ転がし」果てには「スピーカー転がし」などの「音遊び」はまさに究極の愉しみとして絶対に欠かせない存在だ!

ところが、その「聴き比べ」を「罪深い遊び」だと断罪している本を見かけた。興味を引かれたので以下、解説してみよう。

「許 光俊」氏の音楽評論は歯切れがいいのでいつも愛読している。まさに一刀両断、音楽評論家によくありがちな“業界”におもねった雰囲気がみじんも感じられないのでとても清々しい。

初見の方がいるかもしれないので「許 光俊」氏の情報についてざっとお知らせしておくと(ネット)、

「許 光俊(きょ みつとし:1965~ )は、東京都生まれのクラシック音楽評論家、文芸評論家。ドイツ文学、音楽史専攻。近代の文芸を含む諸芸術と芸術批評を専門としている。慶応義塾大学法学部教授。」

氏の最新作「クラシック魔の遊戯あるいは標題音楽の現象学」(2014.2.10刊)がその本。

              

本書の冒頭(プロローグ)にこうある。

「聴き比べは、罪深い遊びである。さまざまな演奏家が研鑽と努力の末に成し遂げた仕事(そうであることを祈りたいが)を、これは駄目、あれは良いと断罪する。それはクラシックの愛好家に可能なもっとも意地悪で、もっとも贅沢な遊びである。どうして多くの人々は知らない曲を知る代わりに同じ曲を何度となく聴き直して喜ぶのか。

ベートーヴェンの“第九”を100回聴く代わりに、せめて未知の作品を20曲聴いたら、新たなお気に入りが見つかるかもしれないのに。~中略~。

聴き比べは、陶酔ではなく覚醒へ向かおうとする。信じることではなく、疑うことを本分とする。満足を得ようとして不満を得る。」

さらに「演奏の歴史とはまったく驚くべきことに、演奏家がいかに楽譜を無視し、自分の感覚や想像力に従ってきたかという歴史である。」とあり、そういう醒めた視点から4つの曲目について延々と「聴き比べ」が展開される。

自分は非常に
信じ込みやすいタチなので「成る程、成る程」と素直に頷きながら、つい“お終い”まで読み耽ってしまった。

とにかく、その「聴き比べ」というのが中途半端ではないのである。

1 ヴィヴァルディ「四季」(春)~演奏家のエゴの痕跡~

「精神が欠落した音楽の空白を埋めるかのように、様々な演奏者の録音が山積し(演奏の)実験場と化している。」と、著者は相変わらず手厳しい。「虎の威を借りる狐」ではないが(笑)、自分も先般60枚にも及ぶ曲目を聴いての印象として「バロック音楽は聞き流しが適当な音楽」のような気がしてならない。もちろん、いいとか悪いとかの話ではなく、こういう音楽が好きな人がいても少しも構わないので念のため。

「イ・ムジチ合奏団+フェリックス・アーヨ」を皮切りに、何と24もの演奏の「聴き比べ」が紹介される。とても半端な数字ではない。それぞれの演奏に対して的確なポイントをついた辛口の指摘がなされていて、著者の音楽への造詣の深さと分析力には脱帽する。

こういった調子で、2 スメタナ「わが祖国」(モルダウ)~内容を再現したがらない指揮者たちの反抗~については、極めて民族的な(チェコ)音楽にもかかわらず、「アメリカのオーケストラ」の心なき演奏への嘆きなどを交えながら、23もの演奏の聴き比べ。

圧巻の3 ベルリオーズ「幻想交響曲」~自我の中で展開する私小説~に至っては、37もの演奏の「聴き比べ」。

作曲家自身のベルリオーズが残した楽章(5楽章)ごとの解説があまりにも“微に入り細にわたっている”ため、演奏家にとってはそれが“がんじがらめ”となっていっさいの想像力が許されず、両者の間に創造的な緊張関係が起きることはないとあり、「今さらながら、かくも多くの下らない演奏が氾濫している事実に呆れるしかない。」(216頁)。

というわけで、「言葉では表現できないことを生々しく伝えることが出来る芸術=音楽」の役割について改めて一考させられた。

4 ムソルグスキー「展覧会の絵」~時間的経験と肉体的経験~は省略。

本書の読後感だが、「聴き比べ」とはたとえばA、B、Cと違う演奏がある場合にA、B、Cの差異を問題にするのではなく、「Aと作品」、「Bと作品」といった具合に常に演奏と作品の関係を追及しながら、基準となるものをしっかり据えて対比しつつ、あえて演奏同士の間には上下関係をつけようとしていない。」
ことに感心した。

本来、「聴き比べ」とはそうあるべきものなのかもしれない。

翻ってこれをオーディオに当てはめてみるとどうだろう。

いろんな真空管を差し換えて音質テストをするにしても、音楽における作品のような確たる羅針盤があるわけでもないのでハタと困ってしまう。もしかすると、このことがオーディオ界において単なる「主観に基づいたもの」が「評判」となり、大手をふるって独り歩きする所以なのかもしれない。

音質を左右する要因はいろいろあって、「音響空間を支配する部屋の広さ」、「音源」、「アンプ」、「スピーカー」などの条件次第で真空管だって生き返ったり死んだりするから、「これはイイ」とか「あれはダメ」とか、早計な判断はムチャということが分かる。

これからは「聴き比べ」を「罪深い遊び」にしないように“心がけ”なければ(笑)。 


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