「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

愛聴盤紹介コーナー~シベリウスのヴァイオリン協奏曲~

2008年01月27日 | 愛聴盤紹介コーナー

オーディオ環境も随分良くなってきたようだし、これからは意欲的に音楽を聴いて愛聴盤を紹介していきたい。

さて、ヴァイオリンはとても好きな楽器の一つだが、ヴァイオリン・ソナタとなると真冬のせいもあって何だか肌寒い感じがしてきてあまり聴く気になれず、腰をすえて聴くとなるとやはり協奏曲に尽きる。

この
「愛聴盤紹介コーナー」ではこれまで、モーツァルト、ブラームスといった大物達のヴァイオリン協奏曲を相次いで取り上げたが、フィンランドの国民的な大作曲家シベリウス(1865~1957)の名品とされる「ヴァイオリン協奏曲」も外すわけにはいかない。

現在の手持ちの盤は次のとおり。(番号の横が演奏者:録音時期順)

ジネット・ヌヴー  ジュスキント指揮  フィルハーモニア交響楽団
  録音1946年
 

カミラ・ウィックス  エールリンク指揮 ストックホルム放送交響楽団
  録音1951年

ヤッシャ・ハイフェッツ ヘンドル指揮 シカゴ交響楽団
  録音1959年

ダヴィド・オイストラフ オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
  録音1959年

ダヴィド・オイストラフ  ロジストヴェンスキー指揮 ソヴィエト国立放送交響楽団
  録音1965年(ライブ)

サルヴァトーレ・アッカルド  コリン・デービス指揮 ロンドン交響楽団
  録音1979年

この「ヴァイオリン協奏曲作品47」は1903年、シベリウスが37歳のときの作品で、
第一楽章 アレグロ・モデラート(約16分)
第二楽章 アダージョ・ディ・モルト(約8分)
第三楽章 アレグロ・マ・ノン・タント(約8分)計約32分で構成されている。

第一楽章に最大の重点が置かれ、独奏ヴァイオリンの登場のしかたが非常に魅力的で女流ヴァイリニストのレパートリーに必ず入っているといっていいほどの人気作品。

シベリウスの音楽については五味康祐氏の名著
「西方の音」(118~127頁)に詳しい記述がある。

「フィンランドの民話と伝説と、心象風景への愛をうたいあげ、シベリウスといえばフィンランド、それほど強烈な個性を彼の音楽に育ませたのは母国への愛そのものだった。しかし、後半期の作品に楽想の枯渇が見られることからその音楽的生命と才能は三十台の後半で咲ききるものだった」(要約)と例によって五味さん独自の辛らつな考察が展開されている。

その意味では、このヴァイオリン協奏曲はシベリウスの創作の絶頂期に位置する作品ともいえる。

シベリウス自身も若いときにヴァイオリニストを志し、挫折して作曲家に転じたのでヴァイオリンに格別の愛着を持っていたことから、北欧の憂愁が全編を覆い、超絶技巧と独特の透明感が絶妙に絡み合って、極めてレベルの高い作品となり北欧音楽最高傑作の一つといわれている。

この作品を自分がはじめて聴いたのは湯布院のAさん宅でアッカルド盤だったが独奏ヴァイオリンの息の長い旋律、冷たく暗い音感が実に印象的で、聴き終わったときに深い感銘を覚えた。

早速、同じアッカルド盤を購入したが当然それだけではあきたらず以後、例によってコツコツと同曲異種の盤を集めて上記のように6セットとなってしまった。

一演奏あたり約30分、全体をとおして聴いても約3時間前後と充分集中力に耐えうる時間なので、比較する意味で6セットを年代順に一気に聴いてみた。

【試聴結果】

フランスの女流ヴァイオリニスト・ヌヴーは1949年に航空事故のため30歳で亡くなったがいまだにその才能を惜しむ声が多い。若年のときの国際コンクールでヌヴーが第一位、二位がなんとあのオイストラフだったのは有名な話で同世代の中では才能が抜きん出ていたという。

この盤については、たしかな技巧、高貴な気品、底流にある情熱、第二楽章の瞑想的な演奏にはほんとうに胸を打たれる。女流にしては実に線が太い。しかし、何せ当時のことなので録音がいまいち。もちろんモノラルで周波数の最低域と最高域をスパッとカットしていて、ノイズはまったくないがオーケストラの音が人工的で物足りない。はじめから独奏ヴァイオリンとして聴く心積もりが必要。

シベリウスは92歳の天寿をまっとうしたが、生存中の晩年アメリカの女流カミラ・ウィックスの演奏を聴いて「理想の名演」と賛辞を贈り自宅に招いて歓談のときを過ごしたという。
いわばこの盤は作曲家お墨付きの演奏ということだが、何といってもおおもとの楽譜作成者の後押しがあるのは強力で、音楽市場での売れ行きもよいようだ。
それはそうだろう。この協奏曲を愛好するものであれば作曲家自身が推薦する演奏を絶対に素通りするわけにはいかない。

結局この盤を購入した自分も間違いなくその一人で、この際じっくりと聴いてみたが、ヴァイオリンもオーケストラも軽量級の一言。盛り上がりに欠けており、胸が震えてくるような湧き上がる感動を何ら覚えなかった。ヌヴー盤には、「はるかに及ばず」というのが正直な印象。失礼な言い方だが壮年期のシベリウスなら「ウィックス=ベスト」論も説得力があるのだろうがというのが大胆な意見。

専門誌の評価が高くいわば本命の登場である。さすがにハイフェッツ。冷ややかな抒情、鋭い音感、壮麗明快な技巧において非の打ちどころがない演奏。怜悧な精密機械ぶりが北欧の雰囲気とマッチしている感があるがはっきりいってこれは自分の好みではない。また指揮も含めてオーケストラがタメのきいていない感じの演奏で盛り上げ方が希薄。総合的にみて満たされない思いがする。

オイストラフが51歳という全盛時代の終盤に位置する演奏。アメリカ演奏旅行中に収録されたもので、ヴァイオリンの冴えは相変わらずだが、オーケストラがやや目立ちすぎで両者の息がいまひとつ合っていない印象。それにアメリカのオーケストラでは森と湖の国、冷たい空気に満たされた北欧フィンランドの雰囲気は無理だというのが感想。

オーケストラが控えめで、きちんとヴァイオリンの引き立て役に回っており好ましい印象。オイストラフも④に比べてエネルギッシュで元気がある。これはライブ盤だがやはり地元の利なのだろうか。全編を北欧の寒々とした自然を思わせる抒情味が貫いている印象で、こちらの演奏の方が④よりずっと好き。
第二楽章のアダージョではオイストラフの思うがままの独壇場で北欧風の憧れと郷愁がそこはかとなく漂っていて実に気持ちがいい。

さすがにコリン・デービス(指揮)、盛り上げ方も充分で独奏ヴァイオリンの引き立て方を知っている。オーケストラに限ってはこれがベストだと思う。アッカルドはこれといって不満はないのだが、やや小粒で線が細い印象がする。ヴァイオリンの音色にもっと厚みと太さが欲しい。しかし、第二楽章のアダージョはなかなか聴かせる。アレグロよりもアダージョの方が得意のようだ。

ひととおり6セットを試聴した後に、どうも気になって再度①のヌヴー盤だけを聴き直してみた。

ウーン、これは凄い演奏、もうまるで次元が違う!言葉では表現しにくいがここにはハイフェッツもオイストラフからさえも伺えなかった音楽の生命力のようなものがある。”人を心から感動させる神聖な炎が燃えている、こういう演奏が聴きたかったんだ!”そう思ったとたんに年甲斐もなく目がしらが熱くなった。

この空前絶後の演奏の前には、録音の悪さも、オーケストラの貧弱さもまったく帳消しでこの盤をNo.1にすることにまったく「ためらい」を覚えない。

ヌヴーのこの録音はシベリウス存命中のときなので作曲家は当然この演奏を知っていたはず、その上でウィックスを「理想の名演」としたわけだが、なーに、作曲家であっても一時的な意見なんて知ったこっちゃない、自分の感性を信じ、自分なりの引き出しを持つのみである。

それにしても、こうやって他の演奏者をひととおり聴いた後(あと)でなければ
ヌヴーの真髄に触れることが出来なかったのは一体どういうわけだろう?

とにかく、ヌヴーは今回の試聴で大収穫だったが、今更ながら有り余る才能を残しての早世はほんとうに惜しまれる・・・・。

彼女に
人の2倍明るく輝き、人の半分しか燃えなかった炎というある墓碑銘をそっくり捧げよう。

なお、この協奏曲はどうも女流との相性がいい気がする。ほかにもムターやチョン・キョンファが評判がいいようなのでいずれ取り寄せて聴いてみたいもの。

                 
     ①ヌヴー盤         ②ウィックス盤           ③ハイフェッツ盤     

                 
     ④オイストラフ盤       ⑤オイストラフ盤        ⑥アッカルド盤


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オーディオ談義~CDレンズのクリーニング~

2008年01月25日 | オーディオ談義

今回は、ふとした過失が結果的には「どんど晴れ(めでたし、めでたし)」となった話。

現在使っているCDトランスポートの
「ワディア270」(アメリカ製)を購入してから2年半ほど経つが、まだ一度もレンズをクリーニングしたことがない。オーディオ仲間によるとレンズはCD盤の信号を読み取る極めて重要な役割を果たしているので、少なくとも1年に1度くらいはこまめに綿棒でクリーニングをする必要があるとのこと。

必要性は充分わかるのだが、残念なことにこの「270」はレンズが簡単には拭けそうにない場所に位置しており、引き出し式のトレイなので外部からは見えず、もしクリーニングとなると機器の上蓋を取らねばならない。

ところが、この精密機器は極めて厳重に密封してあり、表側にはネジ一つさえも見えず、とにかくとっかかりが分からずとても素人では手が出せそうにない堅牢な感じ。

そうなると結局のところ、機器をメーカーあて送付することになるが、クリーニングだけのためにというのも何だかもったいない。おそらく送付、返送の期間も含めて2週間程度では済まないと思うし、その間は音楽が聴けない。ずっと以前に同じワデイアのDAコンバーターのヴァージョン・アップをしたときは3ヶ月ほどかかってしまった苦い記憶が染み付いている。

音が飛ぶとか、音がこもって聞こえてどうしようもないといったときぐらいまではまあ我慢するかと諦めていたところ、怪我の功名というかまったく偶然の機会が訪れた。

それは22日の午後のこと。ちょうど仲間のMさんも来ていて二人でいろいろとアンプにとって必要悪とされるコンデンサーを部分的にカットしたりして試聴している最中のこと、急ぐあまりトレイにCD盤をややぞんざいに置いて蓋を閉めたところ、これが原因となって何と、内部で噛みこんでしまったようで、ウンともスンともいわなくなった。これは大変、購入以来、初めてのトラブルである。これも自分の軽率さが招いたもの。

早速、オーディオ・ラックから重たい「270」をふうふういいながら引っ張り出してコツコツと叩いたり、縦、横、斜めにしてみてもCD盤がどうしても出てこない。

こうなればもう仕方がない。残された手段は一つ、壊れてもともとと機器の分解に思い切ってチャレンジすることにした。こういうときに分解修理に手馴れたMさんがいてくれるので実に助かる。

最初どこから手をつけていいのか分からず、いろいろと試行錯誤が続く。迷った挙句底面の4隅のスパイクを取ってみたところ、あったあった!キーとなるネジが隠されていた。それも下から上まで貫通する16cmほどの長さのネジ。早速、4本とも6角レンチで取り外したがそれでも上蓋が開かない、よく見てみるとさらに同じ直径のネジ穴が縦、横の中央付近に4箇所ある。このネジも同じ長さの貫通ネジ。

全て取り外すと、ようやく上蓋が外れた。初めて見る内部である。さすがにワディアだけあってなかなか丁寧なツクリで大事な回転部分のベースには磁気を帯びないように見事な銅板が必要箇所にきちんと貼ってある。

次にトレイの部分に注目。CD盤が簡単に外れないはずでスタビライザーとトレイの間で不自然な格好で、きつく噛みこんでいるのが良く見える。指で強く押すと正常な位置に戻った。これでようやく機器が正常に作動してCD盤が出てきた。

折角開けたのだから、ついでに
レンズの掃除に移った。Mさんが拡大鏡でレンズを覗いてみたところ、”やっぱり曇っている”との一言。乾いたままの綿棒でそっと拭いてもらった。こういう場合でも「無水エタノール」は使わない方がベターとのこと。これでようやく懸案事項が解決し愁眉が晴れた。思わぬトラブルが結果的には良い方に導いてくれた。本当にツイている!

ネジを全て入れ込んで組み立てなおして、「270」を再びラックに入れ直して、早速試聴に移った。

今日の作業は、次の2点でその効果の確認である。
真空管アンプの諸悪の根源といわれるコンデンサーをカットしてゲインを下げた
 PX25アンプとWE300Bアンプの2台
レンズのクリーニング


☆ヴィバルディの「ヴィオラ・ダ・モーレ」
ヴァイオリンとヴィオラとチェロの演奏位置の確認と高域の素直さがポイントだが、見事合格。

☆ゲーリー・カー「日本の調べ」(コントラバス)
6番目の「椰子の実」が実に良かった。「これはバッハ、ベートーベンなどと同じレベルで鑑賞できるほどの名曲だな~」とMさん、「この曲はもともと歌詞の方も実にいいですよね~」とワタシ。(作詞:島崎藤村、歌詞→末尾参照)。

音の良し悪しを離れて曲の鑑賞に入れるのは、いい音が出ている証拠。今日の作業の効果は絶大だったようだ。

日頃、辛口のMさんが「これほどの音はなかなか聴けない」と初めて肯定的な言葉を洩らされた。
後日、たまたまお見えになった湯布院のAさんも「音の佇まいが随分良くなった~」とコメントされた。

どうやら我が家の音も人さまから少しは認められるような音質に近づいてきたようだ。現状の範囲で、お金を使わないで残されている音質向上対策があるとすれば、機器同士を結ぶピンコードの接続部分のハンダ付けぐらいだが、これはかなりの思い切りを要するので保留中。

こうして音質環境が向上したのでこれからは迷いを捨ててひたすら音楽に没入するのみだが、さて、これ以上の欲が出なければいいのだが・・・・。

                                                             
                                                             引き出し型トレイ

最後に「椰子の実」の名歌詞を。

名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ

故郷(ふるさと)の岸を 離れて 汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

(もと)の木は 生(お)いや茂れる 枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚(なぎさ)を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば 新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)

海の日の 沈むを見れば 激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙

思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお) いずれの日にか 国に帰らん


 


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音楽談義~ピアノ調律士さんとの試聴~

2008年01月23日 | 音楽談義

1月21日(月)は拙宅のピアノの調律の日。アップライトのしがないピアノだが現在は誰も弾く人間がいないので応接室の部屋の隅に置きっ放しになっている。

したがって、調律は必要なさそうだが少なくとも一年に一回程度はこまめにやっておかないと、いづれ大きな故障につながる可能性があり、そのときはかえって高くつく恐れがあるとのこと。

これまでは二~三年に一回程度のペ-スで調律をしてもらっていたが今回から長兄の知り合いのTさん(妙齢・超美人・残念(?)ながら新婚ホヤホヤ→写真)に比較的割安で調律をお願いできることになり、小雨混じりの空模様が思わしくない中わざわざ福岡から見えていただいた。

10時40分頃から調律を開始し、ネジの錆磨きや、直径5mmほどのフェルト5枚の交換、掃除など付帯作業もあって12時10分頃に終了。ワタシの目前で懇切丁寧に解説しながら調律していただいた。普段ならここで昼食をどうぞということになるのだが、午後は湯布院方面に次の予約が入っているので、なかなかあわただしいご様子。

それではせめて、我が家のオーディオ装置を聴いていただいてピアノの音が正しく鳴っているかどうかを教えて欲しい旨あつかましくお願いすると気持ちよくご快諾。

本音を言えば、ピアノの調律よりも自分のオーディオ装置の調律の方が大切なのだ。だって、それはそうだろう。ワディアのCDトランスポート(270)とDAコンバーター(27ixVer.3.0)を合わせた額だけでもピアノの値段よりも3倍以上するんだから・・・・。

この際、是非プロの専門家の意見を聞かせてもらおう、それも調律士さんという日頃
オーディオとは無縁の素直な耳で実際に聴いてもらう機会など滅多にあるものではない。

生のピアノの音と我が家の電気回路から出る音の違い、いわば限界なるものをくれぐれも遠慮せずに率直に教えて欲しい旨お願いして試聴に入った。

まずは、最近頻繁に聴いているモーツァルトピアノ協奏曲25番第二楽章から。約5分ほど聴いてもらって「どうです、ピアノは自然な音が出ているでしょうか」と高鳴る心臓の鼓動を抑えながら、ややうわずった声(?)でお尋ねしてみた。

「ぜんぜん不自然な音ではないですよ」とやさしくおっしゃっていただいたが、「欲を言えばもう少し
低域の下の方へと音の伸びが欲しいですね、そうすると全体的に音の広がりと開放感がもっと出ると思います」とおっしゃる。

ウーム、なかなか厳しい指摘!この時点では低域の音量をやや絞った状態にして聴いていたので、思わずボリュームに飛びつくようにして最大限に上げた状態にやり直して、もう一度同じ箇所を聴きなおしてもらった。「良くなりましたね~」とおっしゃったが、これはいささか、気休めに慰めてもらった感じ。

以前から気にはなっていたが、やはりあのグランド・ピアノの深々とした低音を38cmウーファーから出すのは至難の技と思い至った。スピーカーの箱に少しばかり工夫した我が家の装置でもこれが限界というものだろう。音色に不自然さがないだけ良しとしなければ・・・・。

もし対策を講じるとすれば、
スーパー・ウーファーを追加して30ヘルツぐらいから下をブーストするぐらいだろうか。余分のアンプが1台あるし、出力端子にも余裕があるのでやる気になれば出来ないこともないがここはひとつじっくりと仲間の意見を聞くことにしよう。

続いて、マリア・ジョアオ・ピリスが弾くモーツァルトのピアノ・ソナタK.475。腹にズシーンと力強く響く打鍵音に始まるソナタである。しばらく聴いておられて、ふと「ピアニストの息づかいが聞こえてきますね」といわれる。

ピアニストは鍵盤から指を上げるときに大きく息を吸う訓練を受けているそうで、「はじめは楽譜をめくる音かと思いましたがよく聴いてみると演奏者が吸う息の音で随分繊細でかすかな音を再生していますね」と今度は褒めてもらった。

限られた時間の中、早々にピリスを切り上げて、今度はジャズでビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」の1曲目マイフーリッシュ・ハートを。「トリオのせいかピアノの音を意識して丸くして主張を抑えていますね。ベースの音が素晴らしくよく録れています」とのご感想。

最後に、ヴァイオリンも大好きとのことでグリュミオーが弾くモーツァルトのヴァイオリン協奏曲5番第二楽章。「よく響くヴァイオリンですね~、ヴィブラートをかけているのがよく分かります」、「そうですね、楽器はストラディヴァリ」ですとワタシ。

曲の途中で、とうとうこらえきれずに一番気になっている質問を。「ヴァイオリンとピアノの音ですが、我が家の装置ではどちらが生の音らしく聴こえますか」と祈るように聴いてみた。

しばらく考えておられたが、「強いて言えばヴァイオリンでしょう、ヴァイオリンは純音ですが、ピアノは平均律の音という違いがあります。ピアノの生の音は聴く位置によって音が汚くなることがありますが、この場合は一番いい位置で聴いている感じできれいすぎます」とのことだった。

以上のようなコメントをいただいて、本日の目的はおおむね達したようなもの。いささか割り引いて聞くとしても我が家のオーディオはどうやら間違った方向には進んでいない様子で、これでひと安心。これもオーディオ仲間のお陰と心から感謝、感謝。

深く霧がかかって運転しずらい湯布院までの行程をくれぐれも気をつけてと念を押しながらTさんのクルマを見送った。

                         

 


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オーディオ談義~クロスオーバーの見直し~

2008年01月15日 | オーディオ談義

昨年の11月末に91歳の母が足の骨折で入院していたが、ようやく快方に向かい1月7日にリハビリ専門の市内の病院に転院できた。

非常に静かな環境で新しくてゆとりのある病室、懇切丁寧な説明、スタッフの充実、職員の行き届いたマナーなど
理想的ともいえる病院でこういうところに入院できた母の運の強さに驚くばかり。

現在、午前午後各1回のリハビリ訓練を行っているが、受け持ちの理学療法士さんともすぐに仲良くなったようで話が弾み、どうやら音楽好きのようでワタシのオーディオ好きが話題になったとみえ是非聴かせてくれとの成り行きに。

毎日、病室に通っているので母からこれを伝え聞き、早速「いつでもどうぞ」と言っといてと答えたものの、全然面識がない初めての方のご来訪にはやはり普段よりも慎重にならざるを得ない。

さぞ、いい音だろうと随分期待して来られるだろうから簡単に失望させるわけにはいかない、よし、ここがこれまでのオーディオ人生の腕の見せどころ。

いつ見えてもいいように、帰宅すると早速、日頃散らかしているオーディオ・ルームの掃除と整理整頓にとりかかった。それが終了すると、いまだにしっくりこない
クロスオーバーの見直しに取りかかった。

オーディオをやり始めてから40年ほどになるが、いい音だと満足するときがあれば、一方でこれが40年もかけて到達した音かとガッカリすることがある。交互にこれの繰り返しで、要するにいまだに不安定な状態が続いている。常に何かしら不満がつきまとうのはおそらくオーディオ愛好家の業のようなものだろう。

また、一方では音は耳ではなくて脳で情報処理しているのでいつも同じような音では単調さを忌み嫌う脳の機能も関係しているのかもしれない

さらに最近、福岡にいる長兄がやって来て我が家の音を聴いてクビをひねりながら、帰ってしまったのもやや響いている。

とにかく、これまで我が家の音に感心したことがなく、ワタシのお下がりのアンプを使っているクセに自分の家の貧弱な装置(国産箱入りの15インチ・タンノイ)の方が上だと言うのだから始末に終えないが、オーディオはつぎ込んだお金に比例するとは限らないのでやはり気になってしまう。

いろいろ考え合わせると、どうもこれまで中庸の無難な音を狙いすぎてきたような気がする。もちろん、オーディオは人間の可聴周波数帯域(20~2万ヘルツ)をまんべんなく一定の密度の音で満たすのが基本中の基本だが、そのバランスを踏み越えない範囲で今回は世界中で我が家だけしか聴けないオンリー・ワンのような音を目指してみようかとトライしてみた。

いささか、専門的な内容になるが次のとおり。

まず基本線の延長として、中域(JBL375:16Ω)の帯域のクロスオーバーをいじってみた。現在下限を500ヘルツ前後でカットしているが、12マイクロ・ファラッドのコンデンサーを追加して思い切って350ヘルツ前後まで下げてみた。あくまでも低域の上限(300ヘルツ前後)とのからみになるが中低域の厚みを増すことが狙い。

次にオンリー・ワンの音にする工夫。我が家の装置のセールス・ポイントは何といっても高域(JBL075)だろう。超重量級のステンレス・ホーンをまとった075を真空管それも4300B単独で駆動しているのは、決して自慢するわけではないがこの日本でもそういないだろう。

現在でもクセのない素直な音が出ているが、中域の375の上限が5000ヘルツ前後ということもあり、現在使用中のフィルム・コンデンサー(メーカー:指月)に加えてウェスタンのオイル・コンデンサー(黒)を追加し、現在の下限7000ヘルツ前後を5000ヘルツ前後まで一気に下げて受け持ち範囲を拡大してみた。もちろん接続はハンダ付け。

それにフィルムとオイルの
異種のコンデンサーの並列接続も面白い試み。両方のいいとこ取りができるといいのだが・・・。やってみて良くなければ元に戻すだけのこと。命までは取られないだろう。とにかく、オーディオはやってみなければ分からないところがかなりある。

以上、結局、低域~中域、中域~高域のクロスオ-バー前後の重なり部分を”疎”から”密”にしたということ。

こうして約1時間ほどかけて作業が終ると早速試聴開始。
おそらくお見えになる方は若い方と聞いているのでジャズを中心に選んでみた。
ソニー・ロリンズの
「サキソフォン・コロッサス」
ビル・エヴァンスの「ムーン・ビームス」「ワルツ・フォー・デビイ」
マイルス・デビスの「カインド・オブ・ブルー」

最後に、クラシックでアルビノーニの「オーボエ協奏曲」(ニ短調)とモーツァルトのピアノ協奏曲25番で締めくくり。この25番はグルダ(ピアノ)とアバド(指揮)とウィーンフィルの組み合わせ。

ここにきて、思わず試聴を忘れて聴き耽った。ことに第2楽章の部分は静謐な美しさに溢れ”モーツァルトの音楽ここに極まれり!”と久しぶりに魂が高揚するのを覚えた。彼の音楽はオペラに尽きると思っていたが、これだからうかつに断定は出来ないと思った。ただし、全体の完成度ではなくて部分的という限定付。

さて、オーディオに戻るとして、ツィーター(高域)の帯域を拡大したのでスッキリさわやかに空間が広がって音の抜けが随分良くなったのが第一印象。しかも不自然感がないので、むしろこれまでの高域の帯域が設定ミスで狭すぎたようだ。それに中低域の厚みもたしかに増したのが確認できた。以上、狙いがバッチリ当たったというよりも正常な姿に一歩近づいたようで、こうまで的中すると手放しで嬉しくなる。

それに面白いことに気付いた。
これまでは、ジャズを聴くときはシンバルを鮮明にするために高域専用のボリュームをクラシックのときよりも一目盛り上げていたのだが、今回のクロスオーバーの変更で逆にジャズのときはクラシックのときより一目盛り下げるようなった。一体どちらが正解なのかよく分からないが、現在の方が理にかなっているような気がする。

こうして、いつ来てもらっても自信を持ってお迎えすることが出来るようになったが、この気持ちの余裕は大きい。

結果的に、怪我の功名でこうした見知らぬ方のご来訪予定がきっかけで波紋のように音に対する新しい発見と工夫に結びつく。これだからオーディオを通じての出会いは本当に有益、かつ、楽しみになる。

                        
      上の黄色が指月のフィルム・コン             075ツィーター
 


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読書コーナー~女子の本懐~

2008年01月09日 | 読書コーナー

「女子の本懐」~市ヶ谷の55日~(2007.10.20、文春新書、文藝春秋刊)

著者:小池百合子(1952~ )

エジプト国立カイロ大学卒。テレビのニュースキャスターを経て1992年参議院議員当選。その後衆議院議員として活躍、環境大臣、防衛大臣等を歴任。

ブックカバーには防衛省(庁時代を通じて)初の女性大臣として防衛事務次官や首相官邸などを巻き込んだ攻防の末、辞職、その際「女子の本懐」の言葉とともに55日間の防衛大臣を退いた著者が
今だから明かせる胸の内を緊急出版と書かれてある。

表題の「女子の本懐」は昨年2月に亡くなられた
城山三郎さんの名著「男子の本懐」が念頭にあることはいうまでもない。

自分がこの本に持った興味は、唯一つ、小池さんが前次官の守屋氏を退任させる攻防の内幕を知りたいことに尽きる。

この本は防衛大臣就任の1日前の2007年7月3日から8月27日まで56日間、毎日克明に記載された日記(風?)によって展開される。

それぞれの日ごとに内容があってよくもまあ、こう毎日いろんな行事があるものだと驚いてしまうが、女性に似合わず(?)あまり感情的にならずに淡々と綴ってあるところに小池さんのバランス感覚を見る思いがした。

さて、現在収賄容疑で逮捕拘留されている前次官の守屋氏、在職中から業者とズブズブの関係を結びつつゴルフ三昧で役人最高位のポスト事務次官に就任するなど防衛省は一体どういう役所なのかと驚いてしまう。

こういうところが財務、通産、自治(現総務省)といった一流官庁に比べて三流官庁と揶揄される所以で、人材不足も背景にあったと思うがこういう人物を要職(官房長、次官)につけた当時の上司にも責任の一端があるように思う。

もちろん、「防衛庁」から「防衛省」への昇格にあたって守屋氏の功績があったことはたしかだろうが、役所はポストで仕事をする面が多分にある。守屋氏でなければ出来なかったということではなかろう。

通常2年、長くても3年とされる事務次官の在任期間を5年も勤めるという常識では考えられない守屋氏を退任に追い込むくだりはやはり面白かった。

2007年9月1日からスタートする新しい防衛省の組織の活性化のために事なかれ主義を排して、あえて次官人事に手をつけた小池さんの勇気と英断はもっと評価されてしかるべきと思う。

前任の自民党のボスだった久間大臣のときには退任を固めていた守屋氏が小池さんが大臣に就任したところ「女性大臣組み易し」とみて一転、留任の意思を固めちゃっかり自分は次官留任として小池さんに人事案を提出するところは、役人の浅ましい自己保身の姿が生き写しとなって何だか見苦しい。

小池さんが環境大臣のときの炭谷茂次官のときは、まず自らのクビを差し出した上で人事案を作ってきたそうで、同じ役人といっても人となりがこれほど違う。

”企業は人なり”という言葉があるが、役所もまたそうなのだろう。

ところで、このバトルの結果だが、結果的には喧嘩両成敗のような形に終わった。小池さんは内閣改造で閣外に去り、守屋さんは次官を退任、そしてそのあとは周知のとおりの大転落。

さて、今やアメリカでは女性初の大統領を目指してヒラリー・クリントンさんが頑張っている。先日のアイオワ州の党員集会の指名では第3位に甘んじたがこのままでは終わるまい。

小池さんが総理の器かどうかはよく分からないが、現在の時点で「もし」という言葉が許されれば実績からして女性としては一番近い位置にあるのかもしれない。まだ50代の若さだから、今後の活躍を見てみたい。

                                
 


 


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読書コーナー~模倣犯~

2008年01月05日 | 読書コーナー

年末に大阪から帰省する途中の娘が、危うく降りる駅を乗り過ごすところだったという。車中で読んでいた本があまりに面白くてつい引き込まれてしまい、我を忘れたらしい。

その面白い本の題名は「模倣犯」(宮部みゆき)。2001年の作品で平成17年に新潮文庫で5冊に分かれて出版されたもので、これまでもちらっと噂には聞いていたがあまりの分厚さに面倒くささが先にたち敬遠していたものだが、身近でそう聞かされると食指が動く。

”宮部みゆきの本はこれだけ読んでおけばいいよ”と娘から父親へリレーされた文庫本(第一分冊)の帯封の裏にはこう書かれてある。

「模倣犯」が獲得した主なタイトル

 「このミステリーがすごい!」2002年版NO.1
☆ 「週間文春ミステリーベスト10」2001年第1位
 「毎日出版文化賞特別賞」
☆ 「芸術選奨文部科学大臣賞文学部門」受賞

「このミス」と年末恒例の「文春ミス」ともに第1位とは掛け値なしにすごい!こうなると大のミステリーファンとして見過ごすわけにはいかない。

宮部みゆきの本は1冊だけ、ずっと以前に「蒲生邸事件」(97年日本SF大賞)を読んだことがある。筋の展開には感心したが素人っぽい会話文にいまいちの感想を持ったが、この「模倣犯」は果たしてどうだろうか。

大晦日に外泊許可をもらって母を病院から連れ帰るなど年末年始はドタバタして、ようやく2日から読書開始。

ウーム、なかなか面白い!密室ものなどの謎解きのトリックではなくて、犯罪者、被害者の心理を実に丹念に描いているいわば社会派サスペンスとでもいうべき小説で、一人娘を誘拐された家族の無念と心情がこれでもかというように抉ってある。文章も不自然さが無い。

ただ、登場人物がやたらと多いのに閉口する。巻頭に登場人物の紹介コーナーが無いので誰が誰だかときどき分からなくなる。この点、読者サービスが行き届いていない。

「武上というのは誰だっけ」「それは刑事さんよ、分からないときはいつでも聞いて」と並んで読んでいる娘にときどき教えてもらいながらまたたくまに一番分厚い第一分冊を読破。

余勢をかって第二分冊もバタバタと読み上げたところ娘はまだ第三分冊にかかったばかりで1日半で追いついてしまった。内容の理解はともかく、読むスピードにかけては人後におちない。

結局、第三分冊の奪い合いになったが、腕力ではこちらが有利だが「お金を出して買ったのはワタシよ」と頑強に抵抗されたので”それもそうだ”としばし待つことになった。

暮れの忙しい31日に
「坂の上の雲」(司馬遼太郎:文庫本八分冊)を娘が購入するのに運転手として付き合ったので、そっちを先に読めばいいじゃないかと恩をきせてみたが、どうしても読みかけの推理小説を中途で放り出すにはいかないらしい。

結局、娘の読了待ちでのペース・ダウンとなって、4日までに第三分冊までを読み終えた。第二、三分冊は犯人側の心理状態と行動が描かれているがややしつこさと冗長さを感じて第一分冊ほどには軽快さがないし引き込まれない。刑事がいっさい登場してこないのも面白くない。(娘も同意見で二と三は一冊にまとめてもよいくらいと言う。)

果たして、第四、五分冊でどのくらい面白さを挽回できるのだろうか。

新年早々こういう調子だから、どうやら今年も相も変わらず読書と音楽と釣りで明け暮れそうな予感がする。

なお、娘が本とともに持ち帰ったCD盤があって5296(こぶくろ)という題名のアルバムで2007年のレコード大賞受賞曲「蕾」が収録されている。レコード大賞なんてどうでもいいが今頃どういう曲が評価を得て受賞しているのだろうという興味はある。

早速聴いてみたがこれがさっぱり。あくまでも個人的な感想だが学芸会に毛が生えたような歌唱力とメロディで、とても鑑賞にたえる代物ではない。いくら音楽は好き好きといってもこれはちょっと・・・・・・。しかし、このCDものすごく売れているみたいだから自分が時代に遅れているのかもしれない。

                                   






 


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番組試聴コーナー~作家・石田依良の独創の秘密~

2008年01月01日 | 番組視聴コーナー

と    き    2007年12月25日(火) 23時~23時30分

チャンネル    NHK総合

番 組 名    ドキュメント「考える」~ベストセラー作家・石田依良の独創の秘密

過去、直木賞を受賞し、大変な売れっ子作家の石田さんは、沢山の取材(毎月20~30本)と原稿(毎月300枚)の締め切りで毎日大忙しだがそれでも小説のネタは尽きないという創作力の旺盛な作家。またその一方で極め付きの
モーツァルト・ファンとしても知られる。

著書「アイ・ラブ・モーツァルト」の中でオペラ「魔笛」(クリスティ指揮)やグレン・グールドが弾くピアノ・ソナタが大好きとのことで珍しく自分と好みがピッタリ一致するので大いに注目している作家である。「魔笛」が好きな人それも作家となるとほんとうに珍しい。

その石田さんの創作力の秘密に迫ったのがこの番組でNHKはなかなかユニークな企画をする。まずアプローチが少々変わっていて、NHK側から石田さんにミッションとして与えられたのは「自殺願望を持つ少女が自殺をやめたくなるような童話」を創作せよとの命題。同時にしばりをつけて広辞苑を無作為にめくって目をつぶって指で押さえた3つの言葉を童話の中に使うのが条件。

その結果、3つの言葉とは「がちょう」「草書」「光学」。創作の期限は48時間。

早速、石田さんが構想にとりかかるが、ここで彼の独創の秘密の一端が明かされる。
石田さんは創作にあたって
心を2段階で使うそうで、

理性の段階

さらに下の段階(無意識) → 自分の中にいる他人のような存在で彼、あいつといった存在
に分けられ、①と②の関係は①から②の彼に材料を渡しておけばひとりでに②から答え(ストーリー)を出してくれるような結びつきを持っているのだという。そして、本格的に執筆するときは①と②の二人で一緒にライブをしている感じになるのだそうだ。


そして興味深いのがプロット(構想)と執筆の過程で活用するBGMの音楽。今回ではプロットを考えるときに聴く音楽は主人公(自殺願望の少女)を踏まえて夫に先立たれた女性の悲しそうなボーカル。

そして執筆するときにかける音楽は、何とグールドが弾くモーツァルトのピアノ・ソナタ。グールド独特のタッチが創作意欲をかきたてるとみえる。

なお、余分な話だがちらっと見えた部屋のオーディオ装置がすごい。スピーカーはウィルソン・オーディオでCDプレーヤーはマーク・レヴィンソン!

そして最終的に出来上がった童話が面白かった。「人生に絶望して11歳7ヶ月で自殺すると決意したお姫様がお供のがちょうを連れて豊かな光の国へお別れの旅をするが、がちょうの自殺と亡き祖父が残した草書体の手紙をみて自殺を思い止まるというストーリー。」しばりとなる三つの言葉がきちんと童話の中で生かされている。

さてこの番組のポイントは
心の二段階活用である。37歳で作家デヴュー、43歳で直木賞受賞という遅咲きの作家である石田さんの独創の根源となる心の二段階活用は果たしてどのような過程を経て形成されたのだろうか?

この番組を見る限り、小中学生の頃に図書館の本を大量に読み漁り、小さい頃から自分を真剣に見つめる日記をずっとつけ続け、大学卒業後はフリーターなど各種職業を転々としてもがいていた過程で自然と身に着いたものらしい。

本人の言によると結局、若い時期に徹底的な
自分探しの旅をしたことが実を結んだようで、そういうことならフリーターをやっていても意義がありそう。そういえば、”自分という人間が何者であるか、それを証明していくのが人生”という言葉をつい思い出した。

また、心の二段階活用で思わず連想したのがモーツァルトの作曲の様子。小林秀雄氏の著作「モーツァルト」によると、まるで手紙でも書くみたいに、人と話をしながらあるいは鼻歌を歌いながら作曲していたという。

自分の中に別の自分がいるように、音楽の全体構成が頭の中に一瞬にして浮かびあがり、あとはそれを引き出して五線譜に書き写していくだけだったというが、石田さんの創作過程も似たようなもので無意識の部分の彼を活用するというところに両者ともに相通じるものがあるようでなかなか興味深かった。

                 
        石田依良氏       広い部屋での執筆        全体のプロット

           

 


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