「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

果てしない「音楽の泉」

2023年02月15日 | 音楽談義

前回からの続きです。

神奈川在住の「I」さんが熱心を通り越して猛烈なクラシックファンなのに、なぜオーディオにはさほどご熱心ではないのか・・、本題とはちょっと逸れますが格好の実例が生じたので便乗して自説を述べさせてもらいましょう。

先年のこと、「演奏家がオーディオに関心を持たない理由」について投稿したところ、ある「メル友」さんから次のようなご教示をいただいた。

私も貴方同様にいつも「聴衆・観客」の一人で、演奏をした経験は皆無なのですが、あるピアニストと話をしていて貴方とまったく同じことを感じました。

彼女は、私が持ち込んだiPodスピーカーのトランジスタ・ラジオと変わらぬ貧しい音響にすぐに感激して”良い音ですね”と言うのです。聞かせた演奏の特徴もズバリ言い当てて楽しんでいます。身体がすぐに反応します。

私が感じたのは、随分と想像力が豊かなんだなあということでした。元の音を想像して実際の演奏の様子をすぐに復元できるようなのです。その復元を楽しんでいる。とても我々のできることではありません。

オーディオは単なる「手がかり」に過ぎない。想像による復元のために最低限の情報を提供してくれればよい。それで充分だと思っているようです。彼ら音楽家にとっては(オーディオとは)その程度のものでしかないようです。

また、オン・ステージで演奏する側では聞える〔というより身体で感じる)「音」そのものが違います。他方、我々が求めるオーディオの「音」は客席の音です。

この二つは決して同じではない。そして彼ら演奏家は客席でどう聞えるかをあまり気にしていないのではないか。どうもそう思えてならない。我々との間には、越えがたい溝があるのではないかという気がします。~以下、略~


非常に興味深い話です、演奏家(熱心な音楽愛好家も含めて)にとって、オーディオの役割がおぼろげながらも見えてくるような気がします。


つまり、クラシックを鑑賞するうえでオーディオは単なる手がかりに過ぎず、それを媒体とすることで脳内で豊かな想像力を働かせているリスナーが現実に存在しているんです!

そういえば五味康介さんの著作「西方の音」の中でフォーレの音楽を聴いて海浜で貴婦人に抱かれているシーンを妄想するくだりがあるが、豊かな想像力を磨くとはそういうことなんでしょうか。

いくら「いい音」とか「悪い音」とかいってみても、結局「いい音楽」とはリスナーの頭の中で創造するものなのだ・・・。

おっと、身の程知らずで少し「上から目線」になったかな~(笑)。

とまあ、そういうわけで「I」さん、オーディオに熱心ではないからといってけっして引け目に感じることはありませんからご安心を~。

ついでに、オーディオ愛好家の立場から一言弁解しておくと、音楽を深く追求するというよりも、音の変化によって音楽の様々な表情を浮かび上がらせて楽しむということになりますかね・・。

それから、前回のブログで登場した東独のピアニスト「ペーター・レーゼルのコンサート」について、「I」さんから「音楽評論家、東条碩夫さんのブログ(該当部分)をご案内いたします。」と追加のメールがあったので紹介させていただこう(抜粋)。

「昔、旧東独系の演奏家が出していたこういう真摯な音色は政治体制の変化とともに雲散霧消してしまったが、それでもこのようにそのDNAを脈々と受け継いでいる演奏家が少なからずいるのは、うれしいことだ。~中略~。

そしてソリストは、これも旧東独出身のレーゼル。彼の真摯で深みのある情感、独特の温かみを感じさせる語り口、安んじて心を委ねられる演奏は、もちろんモーツァルトやベートーヴェンなどでも感動を呼び起こしてくれたが、ブラームスの音楽ではそれがいっそう強いものになる。

アンコールには、なんとモーツァルトのピアノ協奏曲第27番の第二楽章が演奏された。たっぷりと遅いテンポを採ってじっくりと歌い上げたその演奏は、むしろ耽美的なほどであり、底知れぬ陶酔感を与えてくれた。ソロとオーケストラを含めて、これだけ深い味のあるブラームスとモーツァルトをナマで聴ける機会は、もう私には二度とないかもしれない。」

以上のとおりだが、いやはや「ペーター・レーゼル」なんて初めて名前を聞くピアニストですが絶賛ですね。自分が知らないだけでこういう名ピアニストがごろごろいるかもしれないと思うと何だか焦ってきますよ(笑)。

前回のブログで紹介した「I」さんのメールの中で、「モーツァルトという大天才の作品には、自分の知らない名作がもっとあるだろう、それを聴かずにこの世を去るのはあまりにもったいない」というコメントが強く印象に残っているが、演奏家も曲目も含めて「音楽の泉」は果てしないです。

いずれ、稿を改めて「浅学非才」なりにもモーツァルトの隠れた(あまり有名ではない)名曲があれば紹介してみたいですね・・。

あっ、そうそう、想い出話を含めて広く投稿を歓迎しますよ(笑)。



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