「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

独り言~「部屋の広いは七難(しちなん)隠す」~

2012年04月27日 | 独り言

「夜目遠目笠のうち」(よめ、とおめ、かさのうち)とは、「夜見たのと、遠方から見たのと、笠をかぶっているのを覗き見たのとは、女の容貌が実際よりも美しく見えるものである」ことを意味する(広辞苑)。

同じような言葉に「色の白いは七難(しちなん)隠す」というのがあって、女の肌の色が抜けるように白ければ、少々不細工でも美人に見えるというたとえだが、これらは実際にそのとおりだから昔の人は実にうまいことを言う。

その伝でいけば、オーディオでは「部屋の広いは七難(しちなん)隠す」。七難とはご承知のように「さまざまな欠点」をいう。

以下、その顛末を記してみよう。

以前のブログで「困った、自治会の役員の成り手がいない」と、こぼしたことがあったが、「擦った揉んだ」(スッタモンダ)のあげく、ようやく22日(日)開催の総会で”ぶっつけ本番”で会員たちの意見を集約して自治会の存続が決まり、役員は各組選出の組長(10名)の順番制でいこうと決定。

昨年3月に起きた「東北地方の大震災」の影響が大きかった。いざ、災難が起きた時は「遠くの親戚よりも近くの他人」というわけで、もっと自治会活動を通じて日頃からご近所とのコミュニケーションを図らねばというわけ。

これでようやく4年間の会計役から解放された。月2回の夜の会合、ときどきになるが早朝の交通安全、夜の防犯パトロールに駆り出され、その上に年間60件ほどに上る収入、支出の会計帳簿の整理など大変だった。

こんなことなら、何も(会計役を)引き受けなければよかったわけだが、何せ現役時代、税金で飯を食わせてもらったという弱み(?)があるものだし、こんな住みやすいところに居住させてもらって、何か貢献しなければという「仏心」を起こしたのが「運の尽き」だった。

それでも、いろんな方と知り合いになれたのは非常に良かった。こればかりはちょっとした財産で、微々たる報酬には代えられない。

まあ、そういうわけで最近はすこぶる気分が良くて、朝のウォーキングも”ちまちま”家の周りを動き回るのではなくて、解放気分で市営体育館に行くことが多くなった。

この体育館は地下に駐車場があって、1階が大ホール、2階に観覧席があって立体構造になっており、その観覧席の間を縫うように一周340mのランニングコースがある。雨降りのときなどには実に重宝している。

26日(木)の9時半ごろに到着して、マイペースで周回を始めたところ、広いホールの一部を借り切って一組の中年の男女が社交ダンスの練習をしていた。男女が公衆の面前で堂々と手に手を取り合うなんて、仮にルールだとしても、とても照れくさくて、自分に出来るような代物ではなく、したがって「社交ダンス」にも一切興味はないが、この際は伴奏の音楽が実に良かった。

2階席まで反響音が実に豊かに響いてウットリと聞き惚れながらウォーキング。いったいどういう装置で鳴らしているんだろうと、目を凝らして見てみると何と壁際に置いてあるのは小さなラジカセ!

「エーッ、こんなのありか」と思わず天を仰いだ。

こういうわけで改めて、オーディオにおける音響空間の重要性を考えさせられた。

もしかして広い平面と高い天井の部屋に恵まれさえすれば、オーディオシステムにこれほどまでに躍起になる必要性はないのではあるまいか。

つまり「部屋の広いは(オーディオシステムの)七難隠す」。

これまで(オーディオに)結構、資金をつぎ込んできたが、いっそのこと機器はすべて安物で間に合わせて、オーディオ専用の敷地と建物を購入するのも一つの選択肢だったような気がする。

土地はせいぜい30坪もあればいいし、何も凝った作りにしなくて天井の高い部屋が一つだけあればそれでいい。都会ならとても無理だが、地方なら土地代はそれほどでもないし、自宅から1時間以内に行ける距離ならさらにグッド。

まあ、夢だけど、完全に実現不可能の夢でもないので考えるだけでも楽しい。いわゆる「男の隠れ家」である。

それにしても、オーディオシステムを揃える順番として、一般的に言われているのは好みのスピーカーを決めるのが一番先にきて、次にそれをうまく駆動する相性のいいアンプがきて、ということになるわけだが、部屋の容積がそもそも一番先に立ちふさがる最大の難関ではないだろうか。

オーディオは「感性」だが、機器の性能は「物理の法則」によって左右される。その間を橋渡しするのが「バランス感覚」のような気もするのだが。

体育館で聴いたラジカセの音から、思いもよらぬ妄想が膨らんでしまった。

 


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オーディオ談義~「手がかかるシステムほど可愛い!」~

2012年04月24日 | オーディオ談義

「手がかかる子供ほど可愛い」とは、巷間よく聞く話。

現実に我が家には一人娘がいるが、出来、不出来は別にして、一人前の社会人として現在に至るまで心配をかけられた記憶がない。けっして無関心主義ではないのだが、まあ、男の子と違って女の子とはそういうものだろう。

したがって、前述の言葉をこれまで実感したことがなかったが、現在2系統のオーディオ・システムを比較しつつ使いこなす中で、手塩にかけたオーディオ・システムは自分の愛する子供みたいな存在だという前提のもとで言わせてもらえれば、子供をシステムという言葉に置き換えると「手がかかるシステムほど可愛い!」と思う今日この頃。

ここで改めて現在の第一システムと第二システムの紹介をしておこう。

共通の機器はCDトランスポート「ワディア270」 → DAコンバーター「ワディア27ixVer3.0」 → バッファーアンプ(真空管式) → 「分配器」(4分配)。ちなみに「バッファーアンプ」は特注品で、「デジタル臭さを無くすための機器」として大宰府のMさんにわざわざ作ってもらったもの。

これ以降の第一システムはクロス200ヘルツ(6db/oct)のもとで、低域用アンプ「ケンウッド01-A」(パワーアンプに改造済、左右両チャンネルに各1台)、スピーカーはフォステクスのSLE-20Wが3個、ボックスは自作)、中高域用アンプにWE300シングル(モノ×2台)、スピーカーは「Axiom80」といったラインアップ。

第二システムはアンプがPX25・1号機、スピーカーはフルレンジの「Axiom301」(エンクロージャーはタンノイのウェストミンスター)、サブ・ウーハーにヤマハのYST-SW515(左右各1台)で140ヘルツ以下を補強。

人によって評価はまちまちだろうが今のところ自分の採点では第一システムが90点、第二システムが80点といったところで10点の開きはかなりの重みだが第一システムが長男とすれば第二システムが次男に該当する存在。

端的に言えば、跡取りの長男は頼みになるお利口さんというところだが次男はやんちゃ坊主といった印象。

ところが、今のところ1日のうちでオーディオシステムのスイッチを入れている時間を仮に10時間とすると第二システムを聴く時間が圧倒的に多くて、9時間程度とすれば第一システムは1時間程度でほんの”お義理”程度。

ご承知のとおりオーディオ機器はわずかの時間でもときどき通電した方がコンデンサーなど機器の部品にとってメンテナンスに有効というのでやむなくという感じ。

本来なら「いい音」で音楽を聴くために、せっせと努力して機器の性能を向上したのだから成績のいい長男の方に聴く比重がかかって当たり前なのにどうも聴く気にならずあまり愛着が湧いてこないのだから不思議。

一方、音質ははるかに落ちるものの、次男の方が「もっと音が良くなる方法が何かあるはず」といつも気になって、いじり回しているせいか、接する時間が多くなって自然と愛情が湧き起こってくる。

これは一系統のシステムだけで楽しんでいる音楽愛好家にはとても理解不可能だろうし、オーディオ・マニア特有の微妙な心理なのかもしれない。

とにかく「システムの音は8割方程度の完成度に留めておく方が楽しい」なんて、これはまた、たいへんな「言い草」だが現在の実感だからどうしようもない。システムはどこかにまだ音が良くなる可能性の余地を残していた方が”やりがい”が出てくるものなのである。

とはいっても、第二システムがフルレンジのスピーカーなので、たった1台のアンプで音が大幅に変わる面白さも無視できない。

4台の真空管アンプ(いずれも三極管シングル・ステレオ)を出力管ごとに列記すると、「2A3」、「PX25・1号機」、「PX25・2号機」、「VV52B」だが、「ああでもない、こうでもない」と日替わりみたいに入れ替え実験しているが、ユニットのエージングの進展で次第に相性の良し悪しが変わっていくのも大きな刺激である。

それもアンプだけでなく使ってある真空管の初段管(電圧増幅管)でコロッと音が変わるのだからもうたまらない。

先日のブログ「いい音と魅力的な音の違い」で、初段管「12AU7」(=ECC82)の実験のところで述べたように、「ムラード」「シーメンス」「東芝」「フィリップス」「ラックス」「テレフンケン(ダイアマーク入り)」「RCA(クリアトップ)」の中で「RCA」が我が家のシステムでは相性がダントツだと記したところ、すぐに奈良県のMさんからメールが届いた。

「オーディオ専門誌”無線と実験5月号”に真空管12AU7のテスト結果が別冊特集によりタイミング良く掲載されていて、RCAの評価が抜群ですよ」という内容。(要旨)

すぐに、手に入れようと本屋に駆け込んだところ「地方」の悲しさで、1軒目はたった1冊の在庫なのにすでに予約済み、2軒目でようやくゲットした。

    

3名のオーディオ評論家の評価がいずれも極めて高く、うち最も辛口だと目される岩村氏は「リファレンスのテレフンケンよりも良かった」とおっしゃるのだから、まったく我が意を得たり。あまり自信が持てない自分の耳もまんざらではなさそうで、ついうれしくなった。RCAブランドへの信頼感が一層増したのは言うまでもない。

しかし、今のところRCAの手持ちは4本なので少々心細く、すぐにオークションで6本(いずれもクリアトップ)を落札(21日)したのは言うまでもない。これでまず命が枯れ果てるまで大丈夫だろう。それにしても予想外に安かったのには驚いた。

これで、5月の連休後に我が家の3台の真空管アンプの改造をしていただいた恩人の奈良県のMさんが遠路はるばる我が家に試聴にお見えになる予定なので受け入れ態勢がバッチリ整った。

とにかく、3台のアンプすべてが通電中、スピーカーに耳をピッタリくっつけてやっと「サーッ」というノイズがわずかに聞えるという「SN比のお化け」みたいな優れものだが、この際、長男と次男の出来具合の差や真空管アンプ4台の比較のみならず幾多の12AU7の試聴結果の「ベスト・アンサー」をいただく楽しみに今からもう胸がワクワク~。

 


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独り言~N響アワーの改編~

2012年04月20日 | 独り言

これまで毎週チェックしながらも、気に入った内容のときだけ観ていた日曜日の夜9時からの定時番組「N響アワー」(NHK Eテレ)がこの4月から「ラララ♪クラシック」という番組に改編された。

従来は女性の司会者のもとクラシック評論家が曲目の紹介をして実演を放映するという決まりきったスタイルだったが、ややマンネリ化の印象が拭えなかったので今回の肩の凝らない印象を持たせる新しい趣向にはなかなか期待が持てる。

4月1日(日)の第一回目はベルリンフィルの第一コンマス(コンサ-トマスター)の「樫本大進」(33歳)さんが登場。ロンティボー・コンクールで史上最年少の17歳で優勝し、30歳で世界最高峰のオーケストラのコンマスに就任という日本が生んだ”とびっきり”のヴァイオリニストである。

そんな年少なのに周囲からのプレッシャーはないのですかという問いに対して、「ベルリンフィルには”いい音楽家か、悪い音楽家”という判断があるだけで年齢は関係ありません」という模範解答。

「マーラーとかブルックナーの曲目を演奏したくても彼らにはヴァイオリンの独奏曲がないので、ベルリンフィルで基本的な勉強をしようと思いました」との将来を見据えた発言が頼もしい。

たしかベルリンフィルの日本人のコンマスは「安永 徹」さん以来2人目である。

番組の中で「四季」(ヴィヴァルディ)や交響曲第5番(ショスタコーヴィッチ:佐渡 豊指揮)などの曲目が紹介されていたが、聴いている途中から樫本さんが弾いているヴァイオリンの由来を知りたくなった。とうとう最後まで番組の中で明かされることがなかったので、たしか以前のブログに登載したことがあったはずとバックナンバーを探してみると「ヴァイオリンあれこれ」というタイトルだった。

重複するが随分昔の記事なので一部を紹介すると次のとおり。

オーディオ装置の一部を入れ替えたときに、まず試聴するのはピアノ独奏、ヴァイオリン独奏、ヴォーカル、オーケストラでこれらが気持ちよく鳴ってくれると調整がうまくいっている証拠。

いずれのソースともそれぞれにクセがあってなかなか再生が難しいが、音色とともに情緒的な感性に訴えかけてくる点ではヴァイオリンという楽器に尽きるところがある。
 

以前のブログで「ヴァイオリンの魅力」を投稿したところ、呼応してS県のKさんから「ヴァイオリンあれこれ」と題したメールをいただいたので引用させてもらおう。(出典:「ヴァイオリンとチェロの名盤、本間ひろむ著、平凡社新書)

19世紀はじめに登場したパガニーニがヴァイオリン演奏に”超絶技巧”でもって人々を驚かせ、その後の1世紀はヴィルトオーゾがメインストリームを歩む時代になる。その中心にいたのがロシア楽派のヴァイオリニストたち。

エルマン、ハイフェッツ、ミルシテインといった巨匠たちからオイストラフへと受け継がれたロシア楽派の特徴は、運動量の多いボウイング(弓使い)によって豊かな音量を生みダイナミックな表現をするところにある。

しかし、現在ではロシア楽派のボウイングを採用するヴァイオリニストはごく少数で、フランコ=ベルギー楽派の”自然で合理的なボウイング(両手を含む体全体のバランスを重視する)が世界的な趨勢になっている。細かなニュアンスを表現するのに適したこの奏法は同時に美しい音色を生み出す。

さて、名手たちが使用しているヴァイオリンを調べてみると・・・・・。(ひとりでいくつもの名器を所有している場合があるので、これしかないということではない)。

アルトゥール・グリュミュオ-

ストラディヴァリを美しく歌わせたヴァイオリニストのひとり。彼の愛器は、「ジェネラル・デュポン」などストラディヴァリの名器だったが、年齢を重ねるとグァルネリ・デル・ジェスも弾くようになった。因みに彼の弾くモーツァルトのヴァイオリン協奏曲4番と5番の第二楽章は霊妙な美しさを湛えていて聴くたびに胸が震える。コリン・デービス指揮のもとの古い録音だが間違いなく史上最高、いまだにこれを凌駕する演奏はないと思う。

ヨゼフ・スーク

1710年製のストラデヴァリの名器「レスリーテイト」

オーギュスタン・デュメイ

クライスラーの愛用した1721年製のストラディヴァリ

ナタン・ミルシテイン

1716年製のストラディヴァリ「マリア・テレサ」

ギドン・クレーメル

1730年製のグァルネリ「エクス・ダヴィッド」

マキシム・ヴェンゲーロフ

1727年製のストラデイヴァリ「クロイツェル」

千住真理子

ストラディヴァリの名器「デュランティ」

五嶋みどり

グァルネリ「ギブソン」

諏訪内晶子

ハイフェッツの愛器1714年製ストラディヴァリ「ドルフィン」

樫本大進

1722年製のストラディヴァリ「ジュピター」

神尾真由子(NHKBSハイ「強く、強く」より)
 

先般のチャイコフスキー・コンクール・ヴァイオリン部門の優勝者、1727年製のストラディヴァリ

ところで、あのパガニーニが持っていた1742年製グァルネリ・デル・ジェスの名器「カノン(大砲)」はパガニーニの死後故郷のジェノヴァの博物館に寄贈されて厳重に保管されている。

しかし、ヴァイオリンは適切な保存のために時折演奏されなければならない。20世紀に入ってからカノンは選ばれたクラシック演奏家が弾く栄誉を与えられてきたが、2002年、ジャズ・ヴァイオリニストとして初めて、レジーナ・カーターがジェノヴァ市の招聘によりカノンを弾いて録音したCDが生まれた。

「パガニーニ / 夢のあとで」がそれで、やはり名器の響きは素晴らしく、(カーターが)聴き惚れてしまったとのことだった。

            

ところで、今後「ベートーヴェンのソナタ全曲弾きたい」という樫本さんには年齢的にみても、まだまだ豊かな将来が待っていてどういう変貌を遂げるか楽しみ。抜群のテクニックなのはもう分かっているので、あとは「芸格」をどう向上させるかということだけだろう。

そして、「ラララ♪クラシック」の4月8日の第二回目は「天才モーツァルトの素顔」、第三回目の15日は「藝術の都 パリ」といずれも興味を引かれる内容だった。

テーマに統一性がないのが変化に富んでいそうで面白い。これからもすべて録画してずっと消さないでおく積もり。


 


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オーディオ談義~「いい音」と「魅力的な音」の違い~

2012年04月17日 | オーディオ談義

「あの人は”いい人”なんだけど、人間的な魅力となるとイマイチなんだよねえ」という言葉を聞いたことがあったり、実際に思ったことがある人は結構多いのではあるまいか。

ちなみに役人の世界では「いい人」とは仕事ができない人間を指し、「あいつはワルだ」は最高の褒め言葉で仕事ができる人間であることを意味する。

一般的に”いい人”のイメージとは、どこといって欠点もなく他人に危害を加える恐れもないかわりに、それかといって取り立ててアピール力がないようなタイプで、一方、魅力がある人の場合は欠点もいろいろある代わりに、それを補って余りあるような長所があるタイプだろう。

広辞苑では「魅力」のことを「人の心を引きつける力」とあるが、やはり「いい人」と言われるよりは「魅力的な人」と呼ばれたいものだ。

オーディオの世界でも同じことが言えるように思う。

「いい音なんだけど、どうもいまいち魅力が足りないんだよねえ」というケースがよくある。これは不特定多数向けに製作された市販品に多いような気がするが、冒険が嫌いで無難なタイプを選ぶのが好きな人なら、それはそれで、良しとすべき。

代わって「オーディオ装置のスイッチを入れる度に胸がわくわくするような音」を出すケースは、一歩間違えると波乱万丈の世界といってもいいが、自分は完全にこのタイプに当てはまる。

日常の生活スタイルでは完全に無難なタイプを自覚しているものの、その反動で「せめてオーデイオぐらいは波乱万丈に」という思いが心の中のどこかにあるのかもしれない。

無難なタイプであれば、「いい音」とされているタンノイ・ウェストミンスターからオリジナルユニットを取り外し、他のメーカーのユニットを取り付けるようなバカな真似はしないはず。

つい最近、知人から譲り受けた「Axiom301」のSPユニットを鳴らし始めてからおよそ1週間、つくづく以上のような思いを抱いている。

このSPユニットを鳴らし始めたときは、それほどでもなかったが、毎日10時間以上鳴らし始めて3~4日目あたりから随分、音がこなれてきた。それは、それは、もう聴き違えるほど。

思わず”うっとり”するような音で、とりわけ、中高域部分の分解能は言うに及ばず、繊細さと抜けが素晴らしい。こういう音なら多少の欠点は目を瞑っても十分に許される。これからずっと、こういう音を楽しめるのかと思うと、まったく言うことなしだが、「Axiom80」の霊域にはまだまだ道は遠い!

しかし、ここに至るまでに取り組んだ対策もバカにならない。

以下、参考までに列挙してみると。

1 駆動するアンプの真空管の交換

現在使用しているアンプは「VV52B」というチェコ製の近代管(三極管シングル)を使用している。

                     

初段の電圧増幅管(ちなみに2段目はML4)に使っていたミニチュア管の12AU7(ヨーロッパの呼称ではECC82)の銘柄をいろいろ取り替えて実験してみた。ポピュラーな球なので比較的手に入りやすいので助かる。

ムラード、シーメンス、東芝、フィリップス、ラックス、テレフンケン(ダイアマークあり)、RCA(クリアトップ)

その結果「RCA(クリアトップ」がダントツだった。まったく音楽の表情が一変するほどで、豊かに、そして抜けが極めて良くなる。たかが初段のミニチュア管なのにこんなに変わるなんて信じられないほどで、やはり真空管アンプは球一つで様変わりする恐ろしい世界であると痛感した。

それだけ、「Axiom301」が極めてセンシティブで、微妙な違いを明確に出すことは言うまでもない。ただし、全体的に使っている機器との相性があるので、あくまでも我が家のシステムではという限定つき。どうか真に受けないように。

2 バッファーアンプのコンデンサーと真空管の交換

今回のシステムではプリアンプの代わりに特注のバッファーアンプ(ボリュームなし)をDAコンバーターとパワーアンプの間に挿入している。

                     

このアンプも真空管式の特注品だが、音質を左右する箇所のコンデンサーの使用にあたっては特にこだわりを持って、「マイカコンデンサー」が使えるようにわざわざ配線を外に引っ張り出してもらっている。

普通のコンデンサーと比べてこの「マイカコンデンサー」を使うと「音の抜け」が極めて良くなるのでこればかりは絶対に手放せない。

このマイカコンデンサーの値は「0.075μF」だが、今回はフルレンジ用(Axiom301)に使うので、中低音域の補強用として奈良のMさんのアドバイスにより同じ仕様のものをもう1セット購入してパラで接続してみたところ、全体がみるみる豊かになってうれしい悲鳴。完全にこれで決まり~。

同時に使用している真空管の「6FQ7」もいろいろ交換して試聴してみた。

RCA:6GU7,GE:6FQ7,エレハモ:6CG7,東芝:6CG7,RCA:6FQ7(クリアトップ)

ここでもやはりRCAのクリアトップが一番相性が良かった。「クリアトップ」は値段が少々高いけど性能は定評があるだけのことはある。

と、まあ、手を変え品を変えいろいろやってみた結果、現在は手放しで万歳の心境だが、こういう面白みはトランジスターアンプでは絶対に味わえないので、多くの選択肢が許された真空管アンプならではの楽しみ方である。

 


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オーディオ談義~Axiom301の装着完了~

2012年04月12日 | オーディオ談義

千葉県のSさんからいただいたSPユニット「Axiom301」をタンノイのウェストミンスターに装着する補助バッフルなどの準備が整ったのが9日(月)の夕方。

このユニットが到着したのが7日(土)の午後だったのでかなりの速攻である。

どちらかといえば気ぜわしい性格だが、オーディオとなるとさらに拍車がかる。何しろ早く音を聴きたくて一心不乱。


10日(火)の朝から、いよいよ本格的な取り付け作業開始。

ウェストミンスターの大きな図体を手前にずらして、後ろに回り込めるスペースを最小限開けた。こういうときに「胸の薄いやせ形人間」は助かる。ネジを10本以上ドリルで取り出してから、裏蓋を取り外す。

タンノイのユニットは別にして、エンクロージャーの”つくり”の精度は卓越している。1㎜以下の隙間もなくピタリと本体に納まって
いるので、ネジをとっても裏蓋を外すのにはちょっとしたコツがいる。こればかりは実際にやってみた経験がものをいう。

しかし、これまでもう何回、裏蓋を開けたり閉めたりしただろうか。そのせいで随分、いろんな箇所に傷がついてしまった。オークションに出すつもりは毛頭ないが、もはや売り物としては完全に落第だろう。

次は8本の大きなネジで取り付けていたJBLの「D130」(38cm口径)を慎重に取り外す作業。一番心配していたのは、取り付けネジの頭がつぶれてドライバーが空回りすることだったが、つぶれかかったのが1本あっただけで、どうにか無事完了。

次に本日の作業のハイライトとなる「Axiom301」の取り付け。オリジナルのタンノイ「HPD385」の型紙をとって4本のネジ穴の位置をピッタリ合わせたつもりだったが、そこは素人工作の悲しさ。

3本まではどうにかネジ穴が一致したが、1本だけ位置がずれてしまいどうしようもない。ドライバーや鑿(のみ)を駆使して新たな穴を開けて応急処置。スピーカー内部の狭い空間での作業なのでやりにくくてしようがない。何とこの作業だけで4時間近くもかかってしまった。想像以上にたいへんな作業である。

右チャンネル側が終了したのが丁度12時ごろで、昼食どきだったが熱心に取り組んだためか不思議と腹が空かないので、続いて左チャンネル側の作業に移った。

今度は要領がだいぶ呑み込めたので、意外と早く作業が済んだがそれでも2時間ほどかかっただろうか。

                       

収まり具合は写真でご覧のとおりバッチリである。オリジナルの38cm口径ではユニットの外側の一部が隠れてしまうので、まるでこのユニット(30cm口径)のために造られたようなエンクロ-ジャーである。

さあ、いよいよ注目の音出し。音量を十分に絞って真空管アンプのスイッチオン。試聴ソースはとりあえず放送中のテレビ番組。

あれっ、左チャンネルから爽やかな音が聴こえるものの、右チャンネルから音が出ない。裸のユニットで試聴したときはきちんと鳴ってくれたのに、これはいったいどうしたことか。

コードの接続不良、真空管アンプの故障を疑い、左と右のコードを差し替えたりしたがどうやら異常なし。やっぱりユニットに原因がありそうである。


重労働の後でもあり、あ~あ、と思わず腰が萎えそうになった。しかし、ほかの誰も当てに出来るわけでもなし、自分が動かないと事は進まない。

渋々だがまたもや重い腰を上げて、右チャンネルの裏側に回って、ドリルでネジを開封。”複雑な故障でなければいいが”と祈るような気持ちで、小分けした羽毛の木綿袋を取り除いたところ、なんとプラス端子(ねじ込み式)に接続していたSPコードが外れていた。

接続後に、内部スペースに吸音材の羽毛をぎゅぎゅうづめに押し込んだときに外れたのだろう。やっぱりネジ締めよりも接続端子にきちんと「半田付け」をしておけばよかったと”ほぞ”をかんだが、今さら左チャンネルと違ったことをするわけにもいかないので、再びコードをネジ込んだ。

それにしても原因が簡単だったので助かった。ユニットの複雑な故障なら楽しみは当分お預けで、専門の修理店行きの憂き目をみるところだった。

今度は慎重に、羽毛を詰め込んで裏蓋を閉じた。さあ、これで大丈夫。

まず真空管アンプのPX25・1号機で鳴らしてみたが、スッキリ爽やか、抜けがいいとはこういう音を指すのだろう。マグネットが強力なので反応が素早くてシャープな音である。クラシックだけでなくジャズにも十分いけそう。概ね8割方満足といったところだが全体的に中高域に偏っている印象を受ける。

このエンクロージャーだからもっと中低域が伸びてもいいはずだが、どうも箱鳴りを念頭に置いたユニットなのかもしれない。やはり奈良県のMさんが教えてくれた「A.R.U」方式のエンクロージャーも一考の余地がありそうである。

アンプの非力のせいかもしれないので、とりあえず替えてみようかと、以前、奈良県のMさんから修繕していただいたVV52B真空管シングルアンプの登場。我が家の真空管アンプのうち最も出力が高くて低域にも比較的、力があるアンプ。

このアンプの投入で随分良くなったが、まだまだ。

何事も実験だと、今度はDAコンバーターとメインアンプの間にバッファーアンプ(真空管式)を入れてみたところようやく、中低域部分に好ましいふくらみが少しばかりだが出てきた。

これで、どうにか聴ける状態になったところで、頼みの湯布院のAさんに試聴していただこうと連絡したところ、16時ごろにお見えになって二人で試聴。

ソースは最近よく聴いているベートーヴェンの「大公トリオ第三楽章」(オイストラフ・トリオ)、ニュー・サウンズ・スペシャルの「追憶のテーマ」など。

「いやあ、天井知らずのように音がスッキリと伸びていますねえ。随分昔、秋葉原でこの「Axiom301」と「トレバックス」のツィーターで聴かせてもらった時のことを思い出しました。当時、購入しようか、どうしようか随分迷ったものです。ピアノの音が特に素晴らしいです。こういう音は好きです。気に入りました。このユニットを持っておられた千葉県のSさんという方は音がよく分かる人ですね。これからエージング次第でもっと良くなってくると思いますよ。」

まずは合格点をいただいたが「以前のJBLの3ウェイシステムと比べるとどうでしょうか」とストレートにお訊ねすると、ウ~ンとためらわれたのち、短く一言、「音の佇まいが違いますよね~」。


それぞれに長所と短所があって総合的な判断が難しいところだが、無い知恵を絞り、丈夫でもない身体を使って、散々苦労したが、どうにか報われた格好で、しばし自己満足感に浸った。

これからサブウーファーを付け加えるのも使いこなしの一つの方法だが、JBLの3ウェイシステムや「Axiom80」の第一システムとの比較についても冷静に判断しなくてはならない。

果たしてこれからのエージング次第でどのように変身していくかな。

 


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オーディオ談義~いよいよ工作開始~

2012年04月10日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

このたび千葉県在住のSさんから頂いた「Axiom301」は久しぶりにオーディオマニアとしての血を騒がせてくれた。

到着早々に真空管アンプ(WE300Bシングル)で小出力のテストをしたのち、日を改めて昨日、今度はボリュームを大きめにして試聴したところ、その一段と澄み切った音色に思わず陶然となった。

低域がどうとか、高域がどうとかをまるで超越したような音で、ただ全体の音の清澄感だけが強く印象に残った。エンクロージャーに容れていない裸のユニットの状態でこんなにいい音なら、それなりのエンクロージャーに容れてやると、”ぶッたまげる”ような音が出そうな気がする。

しかし、マグネットの大きさからして中途半端なエンクロ-ジャーではとても御しきれないユニットだと第六感が耳元で囁く。

よし、思い切って現在JBLのD130(38cm口径)を容れているタンノイ・ウェストミンスターのボックスを利用してみようかと思い立った。

現在のJBLも実に気に入った音を出していてたいへん名残惜しいのだが、「Axiom301」ではどういう音が出てくるか、そちらの誘惑の方が優る。周波数レンジでは明らかにJBLの3ウェイシステムに軍配が上がるが、音像定位、全体の清澄感では逆に上回るはず。

オーディオの先達として尊敬している五味康祐(作家:故人)さんは何よりも低域の清澄感を大事にされていた方だが、著作の中で「周波数レンジなんてくそくらえ」とおっしゃっていたのが強く印象に残っている。この機会に「レンジ VS 定位、清澄感」との勝負が実体験できるとはたいへんありがたいこと。

まったくオーディオ冥利に尽きる実験だが、これもSさんの思わぬプレゼントのおかげだとひたすら感謝。


そして、いよいよ9日(月)の朝からウェストミンスターのエンクロージャーに取り付けるための工作を本格的に開始。まずバネワッシャー、ボルト類の寸法を測って近くのホームセンターに走った。

次に、ウェストミンスターにSPユニットを取り付ける穴をむやみに開けたくないので、オリジナルのタンノイのユニット(HPD385=口径38cm)を引っ張り出してきて、「Axiom301」を取り付けるための補助バッフルの製作とネジ穴の調整を試みた。

           

参考までに写真左が「Axiom301」のユニット(口径30cm)で右がタンノイ「HPD385」(口径38cm)のユニット。ご覧のとおりマグネットの大きさがまるで違う。したがって、口径は8cmも小さいのに「Axiom301」の方が持ち重りがした。

そして、昼食抜きで一心不乱になって取り組んだ結果、ようやく午後になって補助バッフルが1本だけ形を成してきた。

         

補助バッフルの成形もさることながら、ネジ穴を4か所、同じ位置にするのに、オリジナルのHPD385の型紙を取ったりしてすごく時間がかかったが、これでどうやら目途がついてきた。

とりあえず手元にあった1.5cm厚のラワン材の合板を試験的に補助バッフルに使ったが、これで実際にエンクロージャーに当てはめてみて、うまくいけば、いずれはもっと厚くて上質の材質に作り替えるつもり。

これまでウェストミンスターのエンクロージャーにはオリジナルのユニットをはじめ、JBLの「130A」(口径38cm)ユニット、「アキシオム80」(口径20cm)ユニット、そしてJBLの「D130」(口径38cm)ユニットを容れて散々楽しんできたが、これほど、このエンクロージャーをいろいろ利用してきたのはおそらく自分くらいのものだろう。

                         


何せ重さが100kg以上あるし、長大なバックロードホーンが利用できてそこそこ低音も期待できるし、このくらい信頼出来て便利なエンクロージャーはちょっと見当たらない。

参考までに拙い経験からだが使いこなしのポイントを一つだけ挙げておくと、クロス周波数だけはオリジナルどおり1000ヘルツ前後にすること。なぜならフロントホーンの形状が1000ヘルツ以下を1つのユニットでまかなうように設計されているから。以前、500ヘルツ付近でクロスさせたところ、ひねくれた音になって散々な目にあってしまった。

今回の「Axiom301」のクロス周波数(同軸2ウェイ)は、資料によると再生周波数が30~16000ヘルツとあるだけでよく分からないが、たぶん1000ヘルツ以上だろうと思う。とにかく実験なので先ず試聴することが先決。悪ければ元に戻して新しいエンクロージャーを作ればいいだけの話。

そのときは、奈良県のMさんから教えていただいた「ARU」方式に挑戦してみるのもいい。

とにかく、このエンクロージャーをタンノイのユニットだけに限定使用するなんて実にもったいないような気がするのだが、一途なタンノイファンからは顰蹙をかっている可能性もある。

まあ、何事にも万事控えめで、チャレンジ精神が旺盛なのはオーディオだけなので、熱意だけでも大目にみてほしいところだが。

 


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独り言~到着したAxiom301~

2012年04月08日 | 独り言

前回のブログの続きです。

千葉県にお住いのSさんから「Axiom301」を譲っていただくという話だが、「果報は寝て待て」とばかり逸る気持ちをぐっと抑えて待っていたところ、早くも7日(土)の午後2時ごろにいきなり到着してうれしい悲鳴。

すぐに、梱包を解いて取り出したところ想像以上にどっしり重くて大きなユニットに驚いた。公称では口径12インチで、実寸は31.5cm。

         

Sさんの話によると20年間もオフィスの納戸にしまってあったとかで、湿気のために程度が悪いとご謙遜されていたが、何の、何の、極上の状態でいうことなし。

こんなに立派なユニットをあっさり譲っていただいて、ほんとうにいいのだろうかと少し気が引けるが、いずれきっちりと穴埋めをさせていただくとして、いったいどういう音がするんだろうと期待感の方が先行する。

念のため、真空管アンプ(WE300Bシングル)で、出力テストをしたところ2本ともまったく不具合無し。能率がいいので小出力の真空管アンプで十分いけそうだし、インピーダンスが8Ωと通常の値なので出力トランスの端子の接続変更をしなくていいのも大いに助かる。

問題はどういうエンクロージャーに容れるかである。再生装置で最も困難な問題の一つとされているのは低音域をいかに完全に能率よく再生させるかにあり、この問題を解決するうえで重要な役割を果たすのがエンクロージャーである。


どんなユニットにしろ無限大の壁バッフルが一番いいに決まっているが、現在の部屋の状況ではとても無理なので、次善の策として何らかのエンクロージャーを見繕う必要がある。


参考のため、ネットオークションを覗いてみるとタイミングよく「タンノイⅢLZ・イン・キャビネット」が出品されていた。ただし、ユニット(HPD295=12インチだからAxiom301と寸法がピッタリ)が修復不可能のボロボロ状態で、純粋にエンクロージャーだけの値段になるが、その時点では入札価格が15,000円前後だった。

よし、このくらいの価格なら手が出せそうとすぐに20,000円で入札に参加したが、「あなたが最高価格です」に気を良くしたものの、何と半日もしない間に追い越されて入札価格がグングン伸びていく。

まるで天井知らずの様相で、おそらく想像だが「ⅢLZ」を国産箱に容れて楽しんでいる方が、この際とばかり何とかオリジナルのエンクロージャーに収めようと応募されているのだろう。


改めて、「ⅢLZ」の人気に驚いたが、タンノイに限らずSPユニットはエンクロージャー次第で音がすっかり変わるのでその気持ちはよく分かる。

こういう上昇気流の展開では、とても自分には落札の目はないとあっさり諦めがついた。また、このエンクロージャーのサランネットの材質がどうも目の詰まったビニールみたいな感覚で腑に落ちなかったのも回避した要因の一つ。ずっと以前に使っていた時からそうだった。

結局、このエンクロージャーの落札時の価格は84,000円(4月5日23時6分終了、入札参加61件)だったが、個人的には、実力よりもむしろタンノイの「ブランド価値」の方がかなりの割合を占めているような気がしているが、どうだろうか。

こういうわけで、いよいよ「Axiom301」用のエンクロージャーを自作する決心に弾みがついた。

吸音材として使用する予定の小分けした木綿袋入りの羽毛はたっぷりと保管してあるし、あとは木材(今のところパインを考えている)を購入してカットしてもらうだけだが、エンクロージャー内部の定在波を防ぐために箱形ではなくて菱形にしたいのはやまやまだが工作が難しそう。

また、大きさを「ⅢLZ」並みにすると、その寸法は
幅38cm×高さ58.3cm×奥行き24cm。

我が家の第三システムとして使うので、スペースからしてこのくらいの大きさがもう限界だろう。



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独り言~Axiom301がやってくる!~

2012年04月06日 | 独り言

どちらかといえば用心深い性質(たち)なので何事にも常にスペアを準備することをモットーにしている。

とはいえ、さすがに「カミさん」のスペアを準備する(?)というわけにはいかないが、オーディオの世界においてその癖が全開中。


たとえば、アンプが故障した場合、さしたる技術をもっているわけでもないので修理に出さざるを得ないが、その間「音」が聴けないとなると毎日が暗澹たる気持ちになるので、使用中のトランジスターアンプ(低域用3台)のスペア(同じ型番のケンウッド01-A)を3台準備しているし、真空管アンプ(中高域用)に至っては、使用中の3セットのほかに2セットをいつでも使えるようにしている。いずれも3極管のシングルアンプ。

システムの中核となるDAコンバーターだってワディアの「27ixVer.3.0」をスペアとして中古品を1台保管中。

                           


スピーカーだって負けてはいない。タンノイ・ウェストミンスターのボックスだけ利用してJBLのD130を装着して3ウェイシステムにしているが、万一故障した時にはすぐにタンノイのオリジナルユニット(同軸2ウェイ)を装着可能の状態。

一番懸念していたのは第一システムの「Axiom80」でこのユニットばかりは50年以上前の製造なので、もちろん市販されておらずオークションや専門誌の「売ります、買います」欄で手に入れる以外に方法はない。「日野オーディオ」(東京)に置いてあるという話を聞いたことがあるが、"また聞き"
だが値段の方がちょっとバカ高い~。

このユニットはものすごく”つくり”が精巧で、繊細な音を出すことにかけては”ピカ一”だが、その反面すぐに壊れやすくて、ちょっと太めの低域信号をいれ続けると雑音が出だしてもうダメ。すぐに専門の修理屋さん行き。

これまでに、岡山にある専門店に2回ほど修理に出しているが、それだけに絶対にスペアの獲得は至上命令だったが、幸いオーディ専門誌「無線と実験」の「売ります、買います」欄に掲載されていた千葉県の「S」さんを通じてようやくスペアを獲得できた。およそ4年ほど前のことだった。

爾来、「S」さんとは1か月に1回ぐらいのペースでメールの交換をしてきたが、このほど長年続けてこられた出版関係のお仕事を”たたまれる”ことになり、オフィスの整理をされていたところ、3日ほど前に次のようなメールが舞い込んできた。
 

 ようやく春めいてまいりました。

寒がりの僕にとっては願ってもない待ちに待った季節です。

さて、オフィスの片付けを少しずつ始めております。

○○さん(自分のこと)はアキシォム80にご執心でしたが、「301」はお使いになったことはございますか?

オフィスの納戸にワンペアありまして、もしご興味ありましたらお届けします。

実は、まだ一度も鳴らしたことはありません。

それなりに期待して買ったものの、どんな音なのかも分からないのですが、○○さんのアンプでドライブしたらかなりの音が出るのではと思います。


家に持って帰る荷物にも限度があり、勝手ですがおたずねした次第です。

折り返し、当方から次のようなメール(要旨)を送らせてもらった。

「301を聴いたことはありませんが、グッドマンの製品なら間違いないと思います。非常に興味があります。ぜひ鳴らしてみたいです。そこで率直にお訊ねしますが、お礼はいかほどしたらいいのでしょうか?」

とにかく、現在手元には使っていないユニットが”わんさ”とあるし、数万円単位の出費となると現役ではない身なのでちょっと厳しい。お値段次第では失礼ながらお断りする腹積もり。

ちなみに現在手元にあるユニットはすべて20cm口径のユニットでアルテックの「403A」が4ペア、リチャードアレンの「ニュー・ゴールデン8」が1ペア、ジェンセンの「P6P」が1ペアといった具合だが、今のところ使う目途はまったく立っていない。

すると間髪を入れず、次のメールが入ってきた。


お金はいりません。アキシォム80の時、ユニットに不都合があり○○さんにご迷惑おかけしていますので、その穴埋めということで使ってみてください。なにしろ20年間お蔵入りだった代物ですから、時々逆さまにしてコーンがおかしくならないようには気遣いましたが、実際どんな状態か自信ありません。

近く梱包して発送いたしますので、それこそ「ご笑納」ください。

廃業記念に旅をしたいと思っています。今度こそ、○○さんの音に出会いたいと思っています。

実にありがたいお話である。

すぐに「お言葉に甘えます。送料はもちろん着払いでお願いします。旅行の日程が固まり次第ご連絡ください。歓待します。」と、メールをうったのは言うまでもない。

それにしても4年前のことをきちんと記憶しておられるのに驚いた。たしか「Axiom80」をペアで当時、格安の13万円で購入したものの、到着早々1個のユニットに不具合があったので専門店に修繕に出して15,000円かかったのだが、この件はもうすっかり忘れてあるものと思っていた。

普通、人間は「貸し」となるといつまでも覚えているものだが、「借り」はすぐに忘れてしまいがちなのに、改めてSさんの律儀な人柄が忍ばれる。

Sさんは「Axiom80」を3ペア持っていたほどの方だからオーディオマニアには違いないが、どちらかといえば音楽優先の方でモーツァルトのピアノ・ソナタをこよなく愛されている方だが、早く我が家に来ていただいて、ぜひ譲っていただいた「Axiom80」の音を聴いていただきたいものだし(使いこなしの方は大いに自信がある!)、観光案内と夜の一杯も楽しみで今からワクワク。

さて、手に入る予定の「Axiom301」をネットで調べてみると、「80」ほどの評判ではないにしろ、同じAxiomシリーズの一環で強力マグネットによる同軸2ウェイ、口径が30cmのユニット。聴かない前から古き良きブリティッシュ・サウンドを彷彿とさせるが、何せ(同軸2ウェイなので)音源が一つで済むというのは音像定位の面から実に大きな魅力である。

かなり大きめのボックスを作って羽毛の吸音材を使い、背圧の逃がし方を工夫すればまともに鳴らす自信はあるのだが、
何せオーディオルームのスペースが問題。

さて、どこに設置しようかな~。おっと、その前にカミさんによく説明して「けっして購入したわけではないからね」と念を押しておかねば。


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オーディオ談義~「いい音の基準は疲れない音」~

2012年04月03日 | オーディオ談義

オーディオマニアとは1日のうちでどのくらいの時間、システムのスイッチを入れておくものだろうか。

これは会社などに勤めている人、あるいは自由業、さらには現役を引退してたっぷりと時間がある人など、置かれた環境によって様々だろう。

たとえば前者の場合、土曜、日曜などの休日は別にして、平日の夜のうちのせいぜい3~4時間程度充てることができれば上出来だろうし、一方、後者の場合ともなるととても大きな時間が割り当てられることになる。

自分の場合で言えば、早朝5時頃に起床してすぐにテレビ番組試聴にセレクトしてスイッチオン。朝食や朝風呂に入っている間もつけっぱなしで、9時頃に運動ジムに出かけるときに、ようやくスイッチオフ。これで4時間。

10時半ごろに帰宅してまたもやスイッチオン。昼食をはさんでNTTの「光TV」で「麻雀番組」や録画などを観ながら14時半ごろにスイッチオフして自宅の周辺をウォーキング。これも4時間。

16時ごろに再び、スイッチオン。夕食をはさんで音楽鑑賞に浸りながら21時ごろに就寝するときになって、ようやく「おやすみなさい」とスイッチオフ。これは5時間。

こうして、日によって多少の波はあるもののスイッチオンの時間を通算してみると少なくとも1日10時間程度にはなる!

一つのシステムだけでこんなことをやっていると、早晩、故障の憂き目を見るのは火を見るより明らかだが、なにせ二つのシステムを交互に使い分けしているので大いに助かっているものの、それにしてもシステムの真空管がかなり悲鳴を上げていることは間違いない。

余談になるがつい先日、懇意にしている電気屋さんが太陽光発電システムの売り込みにやってきた。その話によると普通、二人暮らしの家庭は1か月の電気代がせいぜい12,000円程度というのだが、我が家の場合は、それをはるかに上回っており、「この分なら太陽光発電の初期投資を回収するのに十分採算が取れますよ」と熱心に勧められた。

「我が家の電気代と他家との比較はカミさんには内緒にしておいてね」と、そっと耳打ちしながら、前向きに検討することを約束したが、相変わらず「内なる敵」はオーディオにとって強敵なのである。

話は戻って、とにかくこれだけの時間をオーディオに利用していると、「うらやましい」と思う方がいるかもしれないが、その反面、ときにシステムのスイッチを入れるのにどうも気が進まないことだってときどきあるのが実状である。

そういうケースとしては、まず病気などで体調がすぐれないときで、とても「音楽」どころではないし、こういうときはマイペースでいける読書の方がはるかによろしい。次に何らかの理由により十分に睡眠がとれないときなども頭の回転が鈍くなるし、気分も重たくてそれどころではない。

ところが、体調もいいし、睡眠不足でもないときでも、一度聞いた後にある程度の時間を経て再びシステムのスイッチを入れようとしても何だか億劫に感じるときがある。なぜか”そういう気”にならないのだから不思議。

結局、「音」は「鼓膜の振動」を通じて脳で聴く(情報処理する)ものなので、脳自体が疲れているのだろうとおよそ推測がつく。

しかし、「脳がなぜ疲れるのだろう?」と考えるうちに、これはシステムの方に明らかに問題がある、そう、再び喜んで聴く気にさせてくれないような耳障りな音を出しているに違いないと、ようやく最近気が付いた。

長年、オーディオをやってきて今頃気づくなんてかなり鈍感である。

とはいえ、少なくとも自分では「いい音」だと判断している一方で、脳の方が意識下で勝手に拒否反応を示すなんて、そういうことが現実にあり得るんだろうか。

つまり、意識上にある「判断」と意識下にある「脳」とのアンバランス。こういう厄介な問題があるからオーディオは難しい。

「直感は誤たない、誤るのは判断だ」と言ったのは文豪ゲーテだが、「直観」とは広辞苑によると「説明や証明を経ないで、物事の真相を心でただちに感じ知ること」とある。いわば感覚的な世界。


このことに関して実に興味深い本がある。「超自然なオーディオハイファイ音の第一歩」(著者:大熊三郎氏、1998.8.31)である。

                             

本書の15頁に次のような記述がある。

「人の耳には常に外界から種々様々な音が耳に入っている筈である。しかし、我々はそれを意識することなしに生活している。この無意識下にある音の中に、その人の意に合わない音、つまり、排除したくなるような音を常時聞かされていると、人間の脳の中で排除する努力が常時行われる。本人は意識していないから、結果として、あとから、あとから、と容赦なく精神的圧力が加えられるため、無意識のうちに、疲れを覚えてくる。これが”聞き疲れ”の正体である。

諸先輩の中には、”聞き疲れ”の背景も考慮せずに、オーディ機器について「高音のレベルが上がっている、すなわち聞き疲れする」というように、物事を短絡し、簡単に考えている方がいる。」

後段はちょっと余計だが、往々にして「聞き疲れ」と「高域の出過ぎ」を直接結び付けて考える傾向があるのであえて記載してみた。

さて、我が家の場合の”聞き疲れ”の正体だが具体的に言うと、第二システムのJBLの3ウェイシステムの3つのユニットのバランスが該当しているのだが、何せマルチ・チャンネルなので駆動するアンプが3台もあって”いじる”ところがやたらに多いものの、ボリュームのレベルを適正に調整したり、クロス付近のコンデンサーをマイカコンデンサーに変えたり、アンプの真空管の銘柄を替えたりしてどうやら”大過なき”を得ているのが実状。

とにかく、我が家のように長時間聴く場合は「いい音の基準は疲れない音」にならざるを得ないが、その判断の根拠はシステムのスイッチへの距離感というアナログ的というかきわめて心理的かつ抽象的な事象に求めているというわけ。

いわば意識下にある現象が”頼り”となっているものの、一方では物理学の粋ともいえるオーディオ機器との対比が実に面白いが、皆さんの場合も体調不良以外にオーディオシステムのスイッチから何となく”遠ざかりたい気分”になっているときは「疲れる音」になっている可能性があるので要注意である。

 


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