「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

眼に蓋あれど耳にふたなし~その2~

2017年04月30日 | 復刻シリーズ

(前回からの続きです)

「苦情社会の騒音トラブル学」という本は、読んで字のごとく「騒音トラブル」に対して様々な角度から分析した学術専門書だった。

図書館で、ふと見かけた「騒音トラブル」の文字が気になって、手に取ってざっと目を通したところタメになりそうだったので借りてきたが、実際に読み出すと想像以上に堅苦しい内容。とても半端な覚悟では読みづらいこと間違いなしなので、けっして万人向けではない。
                          

著者の「橋本典久」氏は、大学教授でご専門は音環境工学。

「騒音トラブル」といえば一般的に、二重窓にしたり防音室を作ったり、とかくハード面から考えがちだが、本書では「概論」「音響工学」「心理学」社会学」「歴史学」「解決学」といった、様々な角度から同じような比重で分析されており、視野の広さを感じさせる。

とりわけ、心理学の面から騒音問題を考察している部分がとても面白かった。以下、そっくりそのまま「受け売り」として抜粋させてもらおう。なお※部分は筆者が付け足した部分。

 騒音の定義とは音響用語辞典によると、端的には「いかなる音でも聞き手にとって不快な音、邪魔な音と受け止められると、その音は騒音となる」。このことは騒音が極めて主観的な感覚によって左右されることを物語っている。これではまるでセクハラと同じである。

※ 好ましい異性からのアプローチはセクハラやストーカー行為にはなりえない。同様に、好ましい相手が出す音は当人にとって騒音にはなりにくいというのは興味深い!(笑)

 上記の定義を別の表現で示せば「”うるさい”と思った音が騒音」となるが、なぜ”うるさい”と感じるかは学問的に明らかにされていない。音量の大きさが指標となるわけでもない。たとえば若者はロックコンサートの大音量をうるさいとは思わないし、また風鈴の風情ある小さな音でもうるさいと感じることがある。複雑な聴覚心理のメカニズムが騒音トラブルを生む大きな要因となっているが、これは今後の重要な研究課題である。 

 明治の物理学者「寺田寅彦」は次のように述べている。「眼はいつでも思ったときにすぐ閉じられるようにできている。しかし、耳の方は、自分で閉じられないようにできている。いったいなぜだろう。」これは俗に「眼に蓋あれど、耳に蓋なし」と称されるが、「騒音トラブル」を考えるうえで、たいへん示唆に富んだ言葉である。 

 人間の体はミクロ領域の生体メカニズムからマクロ領域の身体形態までたいへん精緻に作られており、耳に開閉機構がない事にも当然の理がある。これは人間だけではなく、犬や猫などほとんどの動物が基本的に同じだが、その理由の第一は「外敵への備え」である。敵が発する音はもっとも重要な情報源であり、たとえ眠っているときでも常に耳で察知して目を覚まさなければいけないからである。

 騒音トラブルの相手とはつまり外敵にあたる。その外敵が発する音は自分を脅かす音であり、動物的な本能の働きとして否応なしに注力して聞いてしまうものである。こういう聴覚特有の働きが、現代社会に生きる人間の場合でもトラブルに巻き込まれたとき現れてくるのではないだろうか。

 こういう話がある。「ある著名な音楽家が引っ越しをした先で、どこからか子供のピアノの練習音が微(かす)かに聞えてきた。そのピアノは、練習曲のいつも同じ場所で間違うのである。最初のうちは、また間違ったというぐらいであったが、そのうち、その間違いの箇所に近づいてくると、「そら間違うぞ、そら間違うぞ、やっぱり間違った」と気になり始め、ついには、そのピアノの音が聞えてくると碌に仕事も手につかなくなった。その微かにしか聞こえないピアノの音はいつしか音楽家にとっては堪えがたい苦痛になり、ついには我慢できず、結局、また引っ越しをする羽目になった」。

 なぜそんなに微かな音を一生懸命聞いてしまうのか。それは普通の人には何でもない音であるが、音楽家にとって間違った音というのは一種の敵だからである。敵に遭遇すると自然に動物的な本能が働き、敵の音を一生懸命に聞いてしまうのである。これは音に敏感とか鈍感とかの問題ではなく動物としての本能であり、敵意がある限り、このジレンマからは逃れることができない。

※ これを読んでふと思いついたのだが、もしかして、常に生の音に接している指揮者や演奏家にとって電気回路を通したオーディオの音とは「不自然な音」として外敵に当たるのではないだろうか。
音楽家にオーディオ・マニアがほとんど見当たらないのも、そもそも「聞くと不快になる」のがその理由なのかもしれない。 そして、気の合う仲間のオーディオは「いい音」に聞え、そうでない人のオーディオは「ことさらにアラを探したくなる」のもこの外敵意識が微妙に影響しているかもしれないと思うがどうだろうか。

 一方、敵意がない場合はかなり大きな音でもうるさくは感じない。たとえば先の阪神大震災の折、大阪の淀川堤防の一部が液状化のため破壊された。大雨でも降れば洪水を引き起こしかねないと、昼夜を分かたず急ピッチで復旧工事が行われたが、数週間にわたるこの工事騒音は近隣の住宅にとって大変大きなものだったろう。

しかし、当然のことながら、夜寝られないなどの苦情は一切寄せられなかった。むしろ、夜に鳴り響く工事の騒音を復旧のために一生懸命働いてくれる心強い槌音(つちおと)と感じていたことであろう。

とまあ、いろんなエピソードを挙げればきりがないほどだが、281頁以降の肝心の「騒音トラブルの解決学」を見ると、初期対応の重要性が指摘されており、手に負えないときは公的機関の相談窓口も紹介してあるが、法曹界には「近隣関係は法に入らず」という格言があるように、あまり当てにはできないようだ。

結局、「騒音トラブル」対策の要諦は「その1」の冒頭に掲げた「ピアノ殺人事件」のように、「迷惑かけているんだからスミマセンの一言くらい言え、気分の問題だ・・・・・・」に象徴されるようである。

誰にとっても「人間は不可思議な生き物、この生き物を理解することは一番難しくて永遠の課題」だが、なるべく日頃からご近所とは仲良くとまではいかないまでも、せめて「外敵と見做されないように」工夫することが、騒音トラブル回避の要諦のようだ。


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眼に蓋あれど耳にふたなし~その1~

2017年04月29日 | 復刻シリーズ

昔、昔、そのまた昔、日本が高度経済成長を遂げている華やかりし頃の昭和49年(1974年)、神奈川県のとある県営住宅で「ピアノ殺人事件」が起こった。

4階に住む無職の男性(46歳)が階下のピアノの音がうるさいと、33歳の母親と、8歳、4歳の2人の娘の計3人を包丁で刺し殺した実に痛ましい事件である。季節はうだるような暑さの夏。

被害者の部屋には黒光りした真新しいピアノが置いてあり、その隣の部屋には「迷惑かけているんだからスミマセンの一言くらい言え、気分の問題だ・・・・・・」との犯人が残した鉛筆の走り書きがあった。逃走した犯人は3日後、自ら警察に出頭したが、その後、自首したにもかかわらず死刑判決が確定した。

この事件は”いたいけな”幼児までもが2人も犠牲になるという、あまりの惨劇のためまだ記憶に残っている方がいるかもしれないが、「騒音」が「殺人」に至るほどの深刻な問題になることを提起したものとして当時、世の中を震撼させ、その後もずっと語り継がれている。

オーディオ装置で毎日、音楽を聴いている自分にとっても、それほど広大な家に住んでいるわけでもなし、「騒音問題」はとても他人事では済まされない問題である。世の中には音楽好きの方もいれば興味のない人もいる。いや、むしろ興味を持たない人の方が多いが、そういう方にとっては音楽は単なる騒音に過ぎない。

そこで、折にふれ、直接、騒音被害を蒙る対象の”向う三軒両隣”に対して、「うるさくないですか?」と訊ねることにしているが、「いいえ、全然~」という返事が異口同音に返ってくる。

「ウソをおっしゃいますな!」

近所付き合いの手前、きっと遠慮されているに違いないと、およその察しはつく。あまり甘えてばかりでもいけないので、お客さんが来たとき以外はできるだけ控えめの音量で聴くことにしている。

組織で働くときの上司と部下、そして自宅の隣近所は残念なことに自分で選択することはできないものだが、たまたま、(隣近所が)”いい人たち”に恵まれて「ほんとうに運が良かった」と胸をなでおろしている。

気の合わない人間と一緒に働くことになっても2~3年ほど辛抱すれば、異動があって顔を見なくて済むようになるが、隣近所ばかりは簡単に家を売って逃げ出すわけにはいかない。

丁度、日本にとって「一衣帯水」の地「中国」や「韓国」をイヤだからと避け続けるわけにはいかないようなものである。


都会のマンション暮らしでオーディオを楽しまれている方には、両隣のほかに上下の階が加わるので「騒音トラブル」がもっと切実な問題であることは想像に難くない。

したがってオーディオ愛好家は”すべからく”「騒音」に対する加害者、被害者の両方の立場から、日頃それなりの知識を蓄えておくのも悪くはあるまいと思う。

というわけで、「苦情社会の騒音トラブル学」という本を紹介しておこう。冒頭の「ピアノ殺人事件」も本書からの引用である。

                          

以下、次回に続く~。


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待てば海路の日和あり

2017年04月27日 | オーディオ談義

4月16日(日)付の「読売新聞」の書評欄に次のような一節があった。

「今、人間から最も失われつつある行動は<待つ>だと聞いたことがある。閲覧したいページにアクセスできない十秒間を、電車が来ない五分間を待てない自分を私は知っている。

初動の売り上げが芳しくない本はすぐに書店から消え、ノルマを達成できない社員はすぐにクビになる。待てない私たちは、短期的に結果を出すことを求められ、長期的な目線で何かに向き合う機会を手放しつつある。」

どうやらこれに輪をかけるように歳を取ればとるほど短気になる傾向があるようだ。

その一方、気長に待つことに関しては「待てば海路の日和(ひより)あり」という諺があり、「いらだたずに待っていれば早晩幸運が到来する。」(広辞苑)という意味だが、こういうノンビリした言葉が時代の風潮に合わず段々と縁遠い言葉になりつつあることを実感する。

そこで、我が家のオーディオの話に移ろう。辛抱強く待っていたら幸運が到来したという話である。

いつもの我田引水なので「またか」とウンザリする向きもあろうが、ま、付き合ってみてくださいな~(笑)。

まず、話の順番として気長に保管していた「材料」が二つあってそれが大いに功を奏したのでそれから解説してみよう。

☆ トライアッドのプッシュプル用トランス

今でもそうだが大好きな真空管に「71A」というのがある。80年ほど前に製造され、ラジオ用の真空管(アメリカ)として大活躍した球だが、徒らに帯域を欲張らず、とても素直な音質で大掛かりなトランスなども必要ないのでとても鳴らしやすい真空管だ。

気難しいスピーカーに出会って困ったときは「71Aアンプの出番ですよ~」が仲間うちの合言葉になるほどだが、そういうこともあって3年ほど前にオークションで手頃な「71Aプッシュプルアンプ」を見つけて落札した。

さっそく音出しをしてみたが、澄んだ音色は相変わらずだったが惜しいことにパワー不足でその点がちょっと物足りなかった。71Aに責任がないことは分かっているので、これはてっきり出力トランスに原因があると睨んで「トライアッドのプッシュプル用トランス」を手に入れた。

トライアッドといえば、知る人ぞ知るトランスの名門なのでずっと大切に保管して交換の機会を伺っていたが、なかなかチャンスに恵まれなくて仕方なく倉庫に眠っていた。

次に二点目の材料はこれ。

☆ チャンネルデヴァイダーの試作品

6年ほど前のことだが、当時何とかタンノイのウェストミンスターをうまく鳴らしてみたいと思い評判の悪いオリジナルのネットワークを排して、チャンネルデヴァイダー(クロス1000ヘルツ)を知人に作製してもらったのだが、惜しいことにノイズがあって、即戦力というわけにはいかずそのうち他のユニットを使ったりでとうとう出番が無くなってしまった。ま、そのうち何かの役に立つかもしれないとずっと倉庫に保管してきた。

そして、この長いこと干されてきた両者がいよいよ運命的な合体をするときがやってきた。この立役者はこの3月に我が家にお見えになった熟練のアンプビルダー「Kさん」(大分市)だった。

10日ほど前にKさん宅へ「この二つですが折角ですから何とかなりませんかね?」と持ち込んだところ、「どうしてもこのトランスを生かしたいということであれば交換するよりも新たにアンプを作り直した方がいいでしょう。
このチャンデバの試作品ならシャーシも電源トランスもそのまま使えますので何とか組み込めそうですよ。トランスの容量からすると初段管は6SL7に、出力管は6SN7に、整流管は5Y3GTがいいでしょう。」

流石にアンプづくりの熟達者だけあって話がとんとん拍子に進み、提示された球もすべて手持ちの球ばかりなので「是非お願いします。」と即決。

そして胸をワクワクさせて待つことおよそ1週間。信じられないスピードの元に「出来上がりましたよ~」とのご連絡に喜び勇んで取りに行った。こういう時のスピード感は大歓迎(笑)。

           

お値段の方だが、部品がほとんど自前だったこともあって、ほんの手間賃だけにしてもらったのはとても有難かった(笑)。

アンプの概要を記しておくと、手前の2本が初段管の「6SL7」(シルヴァニア:1940年製の軍用でマグネシウムゲッター仕様)、真ん中が整流管「5Y3GT」(アメリカ:レイセオン)、奥が「6SN7」(アメリカ:ボールドウィン)、出力トランスは上述したトライアッド(アメリカ)のプッシュプル用で青色のケースに収容。

肝心の音だが、GT管とは思えないほど想像以上に奥行き感というか深みがある音が出てきてビックリ。しかもとても力感があってクリヤーだ。

真空管もトランスもすべてアメリカ系なのでジャズにはもってこいの印象で、
もしかして我が家の71A系アンプを凌いでいる可能性があると背筋がヒヤリ。

加えてスイッチ・オンの状態でスピーカーに耳をくっつけてもウンともスンともいわないほどの無音状態でSN比が抜群。

我が家のメインアンプの一角となる資格を十分持ち合わせており、これは畢竟Kさんの長年にわたるアンプづくりのノウハウとトライアッドのトランスが大きく寄与しているのは間違いない。

そういったわけで、今回ばかりはまさに「待てば海路の日和あり」だったという次第(笑)。 


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JBL「D130」ユニットの復活

2017年04月25日 | オーディオ談義

「魔が差す」という言葉がある。

たとえば、ほんのちょっとした出来心による犯罪を起こしたときなどに「つい魔が差してしまった」とかよく使われているのでご存知の方も多いだろうが、確認のため広辞苑を引くと「悪魔が心に入り込んだように、ふと普段では考えられないような悪念を起こす。」とある。

ただし、「魔が差す」ことは何も悪いことばかりではなく一方では他人に迷惑をかけさえしなければ人間らしさの証明みたいな気もするところで、ご愛嬌で済めばそれに越したことはない。

ましてやオーディオにおいて思わぬ効果が・・、というわけで我が家のオーディオに関して「つい魔が差してしまった」話に入ろう(笑)。

きっかけは、つい先日のブログ「3系統のアンプ+スピーカーのセレクター」で記載したように我が家のスピーカーのコードを直径1.2mmの単線に代えてしまったことにある。

まずは取り換えがしやすい3系統のSPコードをすべて交換したところ期待通りの効果を発揮したので図に乗って、残るはいよいよタンノイ・ウェストミンスターのエンクロージャー内部の配線だけとなってしまった。

ところが、この大型スピーカーを相手とした作業となると何とも気が重くなる~。

100kgをゆうに超える大きな図体を“よっこらしょ”と動かして裏側に入り込み、18本の裏蓋のネジを開けなければいけない。そして重たいユニットを取り外して「ハンダごて」でSPコードを外して新たに取りつける。これら一連の作業を考えただけでウンザリだが、「好みの音」に一歩でも近づくためにはやらずばなるまい。

これはマニアとしての義務である。無知は仕方がないが、分かっていてやらないのが一番悪いんだから。法律用語では前者を「善意」といい後者を「悪意」という。

そしてここで「つい魔がさしてしまった。」(笑)

どうせ困難な作業をやるのなら、いっそのこと内蔵されているユニットも変えてみよっか!

「エッ、つい最近入れ替えたばっかりじゃないか」と驚く向きがあるかもしれない。

以下は、仕方なく自分を納得させるための後付けの理由である。

現用中のタンノイさんのオリジナルユニット(口径38センチ)はたしかに「いい音」なんだが、こう言っては何だが「普通の音」の範疇に留まっているのが口惜しくもある。

長年オーディオの泥沼に深く浸かってきたが、正直言ってこんな音が集大成だとしたらちょっと心残りがする。どうせなら「ハッとするような美しい音」を出してあの世とやらへ行きたいものだ。そのためにはユニットを変えるのが一番手っ取り早い!

こういう連鎖反応的な思考のもとに、決意を新たに倉庫から引っ張り出してきたのがJBLのD130ユニット(口径38センチ)だ。

ずっと以前にもチャレンジしたことがあるのだが、あの時はまだ若かったし、今では経験を積み重ねたので失敗した理由もおおよそ分かっている。な~に悪けりゃ元に戻すだけの話。命まで取られることはないんだから(笑)。 

       

ちなみに左側の画像がタンノイのユニット、右側がJBLの「D130」で、共に口径38センチだがJBLの方がコーン紙の取り付け角度が浅いので応答性が良いことが分かる。

取り付け用の補助バッフルもちゃんと保管していたので即実行に移った。

それでも作業には両チャンネル分なので半日ほどかかった。

           

一番時間がかかったのは、つい最近のブログにも記したように真空管専門誌「管球王国」の受け売りで、内部に厚いフェルト生地の吸音材の代わりにティッシュペーパーを張ることだった。オヤッと興味を惹かれたことは何でもチャレンジする、その心意気や良し(笑)。

SPユニットの構成は次のとおり。ネットワークはパイオニアの2ウェイ用の「DN-6」(クロス4000ヘルツ:12db/oct)を使用。

<低音域:~4000ヘルツ>  JBL「D130」ユニット

<中音域:4000ヘルツ~>  ミダックス(グッドマン)ドライバー

<高音域:味付け>       JBL「075」ツィーター(マイカコンデンサーの「0.075μF」でローカット)

便宜上、以上のように区分したが正式な周波数帯域の呼称は以下のとおりなので参考のために記載しておこう。

最低音域(30~60ヘルツ)、低音域(60~100ヘルツ)、中低音域(100~200ヘルツ)、中音域(200~500ヘルツ)、中高音域(500~1000ヘルツ)、高音低域(1000~2000ヘルツ)、高音域(2000~4000ヘルツ)、高音高域(4000~8000ヘルツ)、最高音域(8000~16000ヘルツ)

中音域が意外にもかなり低い周波数に設定されているし、全体的に見て1000ヘルツまでが音づくりの主戦場であることが分かる。ただし、もちろん各帯域は音の領域だからスパッと数字的に割り切れることはなく隣通しに互いに侵入し合っていることは言うまでもない。

いずれにしても今回はユニットの交換がバッチリうまくいった。クロスオーバーを4000ヘルツにしたのがキーポイントである。これまで失敗した理由は(クロスオーバーを)1000ヘルツしたことにあった。

もちろんオリジナルユニットならそれがベストだが、毛色の違うJBLのユニットを起用するとなると、タンノイさんのエンクロージャーのフロントの独特のショートホーンが悪さをするので4000ヘルツあたりがベストだろうと踏んだわけだが、見込み通りだった。

大型スピーカーならではの雄大なスケール感、前述したように口径38センチにもかかわらず音声信号に対する応答性が早くて小気味よく弾んでくる独特の中低音域の歯切れの良さはJBLの独壇場だと深く感じ入った。

ミダックスのドライバーとD130の能率がうまくマッチングしてアッテネーターを入れないで済んだのも大いに助かった。この音なら小編成から大編成まで何でもござれで「鬼に金棒」だろう。

総合的に見て、ようやく我が家のスピーカー群と横一線に並んだ感があるので、結果的には「魔が差してほんとうに良かった」(笑)。
 


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疲労医学の研究

2017年04月24日 | 復刻シリーズ

今や春たけなわだが、今年の冬を振り返ってみると体感的にことさら寒かったという記憶がある。

たとえば、以前は毎日のようにトレーニングジムに通っても全然疲労感を覚えなかったのに、今年の冬は2~3日に1回ほどは何となく気が進まない日があって、そういうときは用心をとって休んでいた。もっとも、これは何も寒さのせいではなくて寄る年波のせいかもしれない。

そういうわけで、自覚症状だけに頼っている自分の体調が果たして医学的に見て「いい状態なのか、悪い状態なのか」いまいち判然としないのがどうも不安なところ。

つまり、現状が果たして「トレーニングのやり過ぎなのか、逆にやり足りないのか、あるいはこれを乗り越えるともっと体力が増強できるのか?」という選択肢がどうもよく分からない。

こういうときに自分の現在の「疲労度」がピタリと何らかの数値で示されれば十分納得して休養を摂るか、あるいは運動を続行するのかその辺の按配がうまくいくのにと思う人は意外に多いのではなかろうか。

その点、人間に比べて金属材料の「疲労度の測定」は十分に調査研究が行われているようだ


もちろん致命的な箇所における金属疲労によって飛行機が墜落したり、架橋が崩落したりして多数の人命が一度に失われる危険性があるので”ゆめゆめ”放置できない分野である。

金属の疲労とは、破壊力以下の微小応力が繰り返し負荷されることによって機械的強さが低下し、破壊する現象。

いささか専門的な領域になるが次の技術用語によってきちんと分類されている。もちろん本の受け売りだが題名は忘れてしまった。

1 疲労強度
一定回数の周期的応力を負荷した場合に破壊に抗する最大応力

2 
疲労寿命
疲労破壊にいたるまでの応力負荷の繰り返し数

3 
疲労限度
無限に繰り返し負荷しても疲労破壊を起こさない応力振幅の最大値

この指標によって現在、多くの材料の綿密な研究がなされたうえで膨大なデータが蓄積され構造物の建造や機器の生産における安全設計にきちんと反映されている。

ところが、残念なことに私たち人間の身体にとってこれらのような「疲労強度」、「疲労寿命」、「疲労限度」に当たるような指数が何一つ分かっていないのが実状である。

「人間さまよりも金属の方がそんなに大事なのか?」なんて思いたくなるほどだ。

もっとも、人間にとっての疲労は肉体的疲労のみならず精神的疲労も加わるために
物理的な測定が難しいし、個々の人間によってストレス耐性も違うので万人共通のスタンダードが設定されていないのもよく分かる。

もし人間の疲労メカニズムが深く解明されて各人ごとに簡単な検査で疲労度の数値が客観的なデータとして把握できるようになればあの電通の新入社員のような過労死などの悲劇は起こらなくなるし、もっと安心できる平和な世の中になるに違いない。

これに関連して、以前のブログで「オーバートレーニング症候群」
について紹介したことがある。

これは、スポーツ医学の見地から、トレーニングのしすぎによる一種の慢性疲労の状態を指したもので、主な症状は次のとおり。

基 本 症 状  
疲労感+パフォーマンス低下

その他の症状  
たちくらみ、動悸、息切れ、体重減少

重症になると   
不眠、意欲低下、うつ状態

これらの症状を客観的に見分ける方法として
「朝起きたときに脈拍をとる習慣を身につけると良い、疲労はまず脈拍に表れ、1分間に5~10拍以上増えていればトレーニングを控えたり抑える」。

これは朝日新聞の日曜版に掲載されていた記事だったが、そうはいっても脈拍を毎朝とるのも面倒だし、ときには心配事や家族との”いさかい”の名残で血圧とともに異常に高くなっている場合だってある(笑)。

それにヤル気満々の頑張り屋さんにとってはいろんなマイナスの自覚症状を、むしろ怠惰な自分自身を許すまじとして叱咤激励の発奮材料に使う場合だって十分あり得る。

というわけで、たとえばの素人考えだが血液検査には実にいろんな検査項目があり「好中球」「リンパ球」などの免疫指数があるので、これらを動員させて総合的に疲労度を判定できる指標があると現在の自分がどういう状態か即座に分かるし、今後の健康維持にとっても大いに役にたつ。

これはいわば、「予防医学」の範疇に入るのだろうが「疲労医学」
をもっと掘り下げて調査研究してもらえると病気の予防にも効果があってが医療費の抑制にもつながると思う。

ただし、むやみに長生きを願望し「大きな塊が年金を食いつぶす」と評判の悪い”団塊の世代”以降は「世の中に役に立っている就労者」を除いて医療費は保険適用外が妥当だろう。

自分なんかはもちろん適用外に区分されるし、そもそも早く死んだ方が世の中のタメになるのは間違いなし(笑)。
           


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マーラーの音楽からジャズとクラシックの再生を考える

2017年04月22日 | 音楽談義
つい先日、メル友の「I」さん(東海地方)から興味深い内容のメールが届いた。

ちなみに、ブログで情報発信をやってるせいで全国各地からメールをいただくが長続きしているのは「I」さんだけである(笑)。


「〇〇様にクラシックの話を持ち出すのは、ケンカを売っている(笑)ようなものですが、ご意見を聞かせていただけましたら幸いです。
 
当方、実は、マーラーが好きです。マーラーの交響曲を聴いていると、巨大な室内楽を聴いているような気分になります。なぜ室内楽のように聴こえるのか。よくわかりませんが、たぶん、指揮者なしで、奏者の間合いで演奏する方が合っているような気が・・・。
 
普段そんなふうに思っているところへ、先月NHKTVで、交響曲第4番室内楽版の放送がありました。演奏者はパリ管弦楽団&紀尾井シンフォニエッタ東京の10人編成です。室内楽版があったんだ!!
 
演奏は素晴らしかったです。初めは、やはりバイオリンとビオラはもう少し人数がほしいかなとも感じましたが、聴いているうちに「そんなことはない、これでいい」と納得できました。
 
その後、FMでも同じコンサートの放送がありました。音を比較してしまいました。どちらかと言えば、FMの方が好きな音ですね。今のTVやFMの放送は、マスターはデジタルとアナログどっちなんでしょうか。その後、DA、ADの変換はどのようになっているのでしょうか。知る術もないところですが。
 
ということで、マーラーの室内楽版についてどう思われますか。また、1番と4番はともかく、マーラーの交響曲はなぜあんなに長いのでしょう。長いことに必然性はあるのでしょうか。(音楽家の失業対策?失礼!)

このメールに対して次のように返信した。

「いつも当方の拙いブログに付き合っていただきありがとうございます。
そこでマーラーの話ですが・・。過去に好きになったこともありますが以下はあくまでも「現時点」での個人的な意見です。

マーラーは元々指揮者として大成した音楽家ですが、作曲の方はイマイチだと思ってます。ま、モーツァルトなどに比較すればの話ですが・・・。

大編成の曲目が多いのですが、それに意味があるのかなと思ってます。むしろ中身の薄さをカバーするためにコケオドシ的な要素もあるのではないかという気がします。ちょっと辛口ですが~。また、ときおり魅力的な旋律が出てくるのですがどうも部分的で持続しません。

また長さの方もこれまた大編成と同じで必然性があまり感じられません。

したがって私には縁の薄い作曲家です。ただし、「大地の歌」の最終楽章にはいつも胸を打たれます。マーラーはこれ一曲だけで十分だと思います。この件は8年前のブログ「大地の歌8枚の試聴盤」(2009.11.28)に記載しています。

これに対して「I」さんから返信。
「ご回答ありがとうございました。早速「大地の歌」を聴きなおしました。(バーンスタイン・ウィーンフィル・キング・ディースカウ)
この曲は最終楽章だけでもひとつの作品として充分ですね。ということは、全楽章の作品としての在り方・必然性が薄いということにもなります。
 
今回、お話を伺って、なぜマーラーの交響曲を巨大な室内楽と感じてしまうのか、理由が少し見えてきました。
素晴らしい素材を内包している割には、交響曲としては構成に難がある(失礼!マーラーさん)ということでしょうか。
そこで、演奏家に素材を生かして欲しい・・・「室内楽」を聴きたい、となってしまうようです。
 
似たようなことを、チャイコフスキーにも感じます。また、パガニーニに対しては、誰もが思うことではないでしょうか。
もっとも、パガニーニの5番・6番の協奏曲のオーケストレーションは後世の作曲家の手によるもののようですが、あまり良くないですね。オーケストレーションには大変な才能が必要ということでしょう。
 
以下は、門外漢であるジャズファンの、世間知らずの戯言とお聞き流しいただきたいのですが、現代作曲家は、オリジナルの作曲もいいけれど、古典のアレンジをもっとしてみたらどうかと思います。
 
ジャズやポップス風ではなく、クラシック音楽の現代の技法を用いてです。新たな楽しみが生まれると思います。私が知らないだけで、音楽界では行われているのかも知れませんが。
 
今回はありがとうございました。クラシックには「曲」と「演奏」という2面があるのでまだ嗜好が分散していいのですが、ジャズでうかつにこのような嗜好をいうと、人間関係が悪くなりかねません。ジャズには演奏=演奏者しかありませんので。」

ジャズ愛好家の「I」さんからはいろいろと示唆をいただくことが多い。

たとえば、ジャズとクラシックの再生の違いについて、前者では「勢い」が重視され、後者は「ハーモニー」が重視されるので両者に対してオーディオ的には異なるアプローチが必要だと気付かされたのもその一つ。

ジャズの再生は「何でもあり」のようでオーディオ的には欠点になるところが聴感上ではむしろ長所になったりして、個性という言葉で片付けられるのがとても楽ちん。

その一方、クラシックとなると人間の耳は押しなべてハーモニーの違和感にはとても敏感に感じやすいので、家庭で十全に聴こうと思ったら、まず泥沼の世界を覚悟しなければならない。

こんなことを書くとジャズ・ファンからバッシングを受けるかもしれないが(笑)。

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ベストの組み合わせ

2017年04月20日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

Mさん(大分市)からお借りしたプリアンプ3台は我が家のシステムに大きな波紋を呼び起こした。

何しろ我が家のパワーアンプ3台、スピーカー4系統の混戦模様のシステム群に新たにプリアンプが3台入って来るのだから組み合わせが無数にあってベストの組み合わせを探すのがたいへん!

オーディオ三昧もいいが、行き過ぎて偏執狂になってしまっては元も子もないと我ながら心配するほどの恵まれ過ぎた状態だ(笑)。

そういえば去る3月中旬に娘(福岡市)が新しいマンションに引っ越すというので3泊4日の日程で加勢に行ったが「お父さんは何回も同じことを言うようになったね。ちょっとオーディオのやり過ぎじゃない。もっと、ほかの趣味も見つけたらどうお~。」
と無慈悲なことを言われてしまった。

オイラから「音楽とオーディオ」を取ったら何も残らないぞ~(笑)。

それはさておき、こういう大混戦の状態から抜け出すためには他人の手を借りるに限る。
先週の15日(土)にYさん(別府市)に来ていただいて試聴会を開いた。

音というのは個人ごとにフィルターがあるので、こういう混戦状態のときは他人の感覚を加えることでより公平な判断が出来ようというものだ。とはいっても、自分の耳にあまり信用を置いてないというのもあるのだが(笑)。

すると想像したとおり複雑に絡み合った糸が快刀乱麻のように見事に解決した。

次から次に機器をとっかえひっかえの試聴会だったが、Yさんのご意見が大いに参考になったし、それについ最近新たに導入した3系統の切り換えが出来る「アンプ+スピーカー」のセレクターが大活躍。こういうときに絶大な威力を発揮したのでまったく導入のタイミングが良かった(笑)。

重要な試聴結果といえども、つい忘れてしまいがちなので後日のためにメモしておこう。

 お借りしたプリアンプ3台のうちTRアンプの2台は少し「TR臭さ」があった。好き好きだろうが、どうせならプリもパワーも真空管アンプで統一した方がいいようだ。

 3台のプリアンプの中では改造された「クリスキット」(真空管式)がベストだった。我が家で現用中の「大西式プリ」よりもさらに情報量が多かった。とりわけ中高音域の繊細さ、透明感が際立っていたがとても40年ほど前の製品とは思えなかった。

 この際とばかりCDトランスポート2台の聴き比べも行った。dCSの「ヴェルディ・ラ・スカラ」とソニーの「555ES」だが、いずれもSACDの再生が可能の代物だが、dCSの方が比較にならない程優っていた。音のクリヤーさが断然違う。ま、お値段の差からすると当たり前の話だが何とも面白くない結果に終わった。

どうやらデジタル系の機器はお値段と性能が見事に比例しており両者の逆転現象はとうてい無理のようで、「柔よく剛を制す」の痛快さが味わえないのは残念。

 同じことがDAコンバーターにも通用する。dCSの「エルガー プラス」とワディアの「27ixVer.3.0」との比較をしてみたが、悲しいくらいに前者の方がすべての面で上回っていた。なにも比較しなければワディアも十分聴けるのだが・・・。

というわけで、最終的に我が家のベストの組み合わせは次のようになった。

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS) → DAコンバーター「エルガー プラス」(dCS) → プリアンプ「クリスキット」(改造分) → パワーアンプ「171シングル」(トリタンフィラメント仕様:インターステージトランス入り) → スピーカー「AXIOM80」(最初期版)

なお、テスト盤として使ったのはYさんが持参された珍しいCD盤だった。

          

同じ曲目を収録したCD盤が2枚あって、片方は普通のCD、もう片方は「UHQCD」(Ultimate High Guality CD)といって、CD盤の材質が違っており、メーカーによるとあのクリスタルディスクに迫る音質らしい。

近年、CDの売り上げが減少の一途を辿っているがメーカー側もこの状況を打開しようとあの手この手で復活を試みているようでパソコンオーディオに馴染めない自分にとってはとてもいい傾向だ。

それはそれとして、とても意地悪なYさんがいきなりテストをすると言って、ブラインドで両方のCDを鳴らして「ハイ、どちらがいい音でしたか?」と尋ねるので、「こちらの方がいいです。」といって結果を訊いたところ、何と普通のCDの方だった。

赤っ恥をかいたわけだが、それほど自分の耳は退化しておりあまり当てにならない!(笑)

さて本題に戻ってお借りしたプリアンプの内ベストだった「クリスキット」である。我が家の中枢的な存在となった暁にはもう簡単に手放すわけにはいかない。難点はノイズが出がちなアンプとのことで独自の改造を施してあるのが功を奏しているようだ。

          

Mさんとの残留交渉や如何に、ヤレヤレ(笑)。
 


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「OTL真空管アンプ」の音に驚く!

2017年04月18日 | オーディオ談義

オーディオの楽しみといえば機器群を縦横に使いこなしながら「いい音、いい音楽」を楽しむことにあるのはもちろんだが、もう一つそれに伴う人的交流も見逃してはならない要素だ。

何の縁もゆかりもない人間同士が大好きな趣味を通じて知り合いになり親睦を深めることはほんとうに素晴らしいことだといつも思う。

去る3月中旬に初めて我が家に試聴にお見えになったKさんとMさんのご両人だが、今度はMさんについて記録しておこう。

「どういうシステムで聴かれているんだろう」と、興味津々で訪問したのが先週の4月12日(水)の午前中のことだった。

別府市内の我が家からは40分ほどのところで、大分市内の中心部からはクルマで10分ほどの閑静な住宅街にあり広大なお庭に恵まれて「
お屋敷」にふさわしい佇まいだった。

Mさんはアンプの自作歴が40年以上にもなり、どちらかといえば音楽を聴くことよりも製作の方に力点を置かれた方で、1台出来上がって無事音が出てくるのを確かめると、次にはもう1台の製作に取り掛かるというわけで、オーディオルーム兼作業場にはこれまで作ったプリアンプとパワーアンプが数知れず。

このほかにも倉庫に保管したり他家にも預けてあるというから驚く。

「オークションに出品して処分すればいいじゃないですか」と言ってみたのだが、「いろいろ煩わしくて面倒だし、小銭を稼いでも仕方がないでしょう。」
とのことでその気持ちはかなり分かる(笑)。

さて、肝心の音である。

        

数あるアンプの中で2台のOTLアンプには度胆を抜かれてしまった。左側のアンプは「6C33C」、右側は「6080」と、まったくお馴染みの無い真空管だったが音は素晴らしかった。音場の見通しがいいというか、透明度が抜群。

「OTLアンプってこんなにいい音がするんですか!」

おっと、「OTLアンプって何?」という方がいるかもしれない。ちょっと長くなるがネットから引用させてもらおう。

「Output Trans Less(OTL) とは、増幅特性を悪くする出力トランスを使わず回路の工夫で直接つなぐ回路のことを指します。

トランジスター回路ではトランジスターの内部抵抗であるインピーダンスが低いので、市販のオーディオアンプは、価格にかかわらずこのOTL回路です。

しかし真空管回路では真空管の内部抵抗が高いので、直接スピーカーにつなげることができないので、必ず出力トランスを使用します。また高電圧がスピーカーのボイスコイルに流れて焼損するのを防ぐためにも必需品です。

しかし、出力トランスを使うとそれがフィルターとなり、低い音域や高い音域が再現できなくなり、それが音質にこだわる真空管アンプマニアには不満でした。

そこで真空管をたくさん使って、内部抵抗を低くする回路を自作して、出力トランスを使わないOTL回路の真空管アンプで聞く真空管マニアが増えました。

40年ほど前にはオーディオ雑誌で自作回路がよく紹介されていましたが、高性能半導体が安くなり、真空管アンプが消え、高音質トランジスターオーディオアンプが出現すると、OTL式の真空管アンプは忘れ去られました。

OTL真空管アンプはダンピングファクターという低音の歯切れをよくするためには効果が高いが、回路が複雑で、出力トランスがないので増幅能率が悪いので10ワット程度しかとれず、能率の悪い外国製スピーカーは鳴らせず、このOTL真空管アンプに適合するスピーカーセットが少なく定期的にバイアス電圧を調整する手間もかかるので、市販のOTL回路であるトランジスターアンプに其の役割をバトンタッチしました。」

以上のとおりだが「能率の悪い外国製スピーカー」とか内容的には「?」の点もあるが、ま、自分は回路に関してはズブの素人だし全体的にそういうことにしておきましょう(笑)。

それにつけても真空管アンプには必須とされる出力トランスも「必要悪」だし、コンデンサーだってそうだし、オーディオ機器ってのは全体的に「必要悪」の塊りですねえ~。そもそも電気回路を通じて生の音に近づこうなんて了見そのものに無理があるのだろう(笑)。

じっくりと2時間ほど堪能させてもらってから、あり余るアンプ群からとりあえずプリアンプを3台お借りすることにした。

本命の「OTLアンプ」はいくらなんでも初訪問時から貸してくださいとはとても口に出せなかった。初めから厚かましい人間とは思われたくない(笑)。後日の楽しみに大切にとっておこう。

              

貸していただいた3台のプリアンプを我が家のオーディオルームに設置してみた。上下の2台がTR式で真ん中の真空管式が1台で「クリスキット」というブランドだった。いずれも40年近く経つ代物のようだが中身は改造してあって、不要な信号回路はすべて遮断してあるとのこと。

3台のアンプを試聴してみたところ、いずれも水準を突き抜けた優れものだったがその中でも「クリスキット」がメチャ凄かった!!!

以下、続く。 


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3系統の「アンプ+スピーカー」のセレクター

2017年04月15日 | オーディオ談義

日常生活の中で何でもないありふれた出来事が、あとになって振り返るとそのときが非常に重要な局面や大きな転換期であったりすることがよくある。

とまあ、ちょっとシリアスな書き出しをしてみたが、所詮はオーディオがらみの話なので大したことはないが(笑)。

日頃からブログでこまめに情報発信をしているせいか、我が家には「音を聴かせてください」というお客さまがときどきお見えになるが先月(3月)中旬にお見えになったKさんとMさん(大分市内)との新たな交流の機会がまさにそれに該当した。

その後、1か月足らずの間に我がオーディオライフに多大な影響を与えることになるのだが、そのときはまったく知る由も無かった。

ご両人ともに非常に年期の入ったアンプ・ビルダーさんだが、
まずはじめにKさんの件から経緯を記してみよう。

アンプづくりが趣味で50年以上のキャリアを持っておられるKさん宅を先日訪問したときのこと、アルテックの「A7」と三菱のダイヤトーン(NHK仕様)を聴かせていただいたときに、スイッチひとつで切り替えられるセレクターを使っておられた。

いちいち接続コードを繋ぎ替えなくていいのでとても便利な代物だが、何といっても驚いたのが音の劣化がほとんど目立たなかったことだった。

我が家では3台の真空管アンプと4系統のスピーカーが入り乱れていて、いちいちSPコードを切り替えるのが面倒なことこの上ないが、セレクターを使うと音の劣化が気になるのでずっと導入をためらってきた。

しかし、このKさんのセレクターなら使えるとパッと閃いたねえ(笑)。

詳しく伺ってみると、市販品のセレクターは切り換えスイッチの接触面積が小さくて満足できなかったので、わざわざ接触面積の大きなロータリースイッチを見つけて自作されたとのこと。

切り換えスイッチあるいはコードとターミナルの締め付け強度と接触面積の多寡は、音声信号を伝達するうえでなおざりにされがちだが、音質を左右する重要な要素なので、そこまで配慮されているのなら間違いなしと踏んで「よろしかったら、これとそっくり同じものを作っていただきませんか。」とお願いしてみた。

「同じものがあるかなあ?」と思案顔のKさんだったが、「メーカーに問い合わせてみて、あれば作ってみましょう。」

そして、待つこと1週間ほどが経ってKさんから「セレクターが出来上がりました。」

「エッ、そんなに早く」と胸躍らせながらさっそく出掛けて行って持ち帰った。

               

アンプが3台、スピーカーが3系統の切り換えが出来る優れもの。接点が大きいのでスイッチの切り換え時にずっしりした重量感があるのも非常に頼もしい。

さっそくSPコード用として事前に購入しておいた「銅製の単線」(40m:直径1.2mm)を所定の長さに切り分けてガッチリとネジ止め。

      

2段構えの立体構造になっていて、手前側がアンプ(1,2,3)、奥がスピーカー側(A,B,C)となっており、SPコードの接続がしやすいようになっている。

ちなみに我が家ではSPコードをいろいろ試してきたが銅製の単線がベストだった。何よりも音が滲まないのが特徴で大いに気に入っている。これまでドイツ製の直径0.3mmの単線を使ってきたが今回のセレクターの導入を機会に思い切って直径1.2mmに替えた。ケーブル専門のお店から購入したがメチャ値段が安かったので、どうやら電線用みたいだ。

な~に構うものか、オーディオは何でもありなんだから(笑)~。

アンプ側の3台の内訳は「PX25シングル」「71Aプッシュプル」「171シングル」の3台を繋ぎ、スピーカー側はグッドマン系とタンノイ系の2系統にした。設置場所に制約があるのでグッドマン系の3台はバナナプラグでその都度差し替えることになるが仕方がない。

とにかくモノ忘れしたように便利になった。これまで切り替えが面倒くさくてつい「PX25」アンプに偏りがちだったが、これでまんべんなく3台のアンプを駆使できるので(PX25アンプの)寿命もきっと伸びることだろう。

肝心の音の劣化の方も自分の耳では分からない程なので、これで十分。

Kさんにはもう一つ、我が家で廃棄処分寸前のものを有効利用して改造していただくことになったが、それは出来上がってからのお楽しみで、後日報告させていただこう。

次はKさんに続いてMさんの方だが12日(水)に大分市内のご自宅を訪問させていただいたところ、凄い音にビックリ~。しかもプリアンプを3台も貸していただくことになって大喜び~。

以下、続く。
 


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オーディオ愛好家のご来訪~2017.4.9~

2017年04月13日 | オーディオ談義

 つい先日のこと、次のようなメールが飛び込んできた。 

「こんにちは、はじめまして。レコード及びオーディオ好きなのでブログ愉しく拝読させていただいてます。私は5~6年程前に東京から引っ越して別府に来ましたが同じ別府ってことで吃驚しています。

そこでよろしければぜひ試聴させていただけないかとメールした次第です。昔から気になっている名器AXIOM80の音を聴かせて頂ければ幸いです。〇〇〇…(携帯の番号)」 

N本さんという方だった。

「名器AXIOM80の音を聴かせて欲しい」とあれば、非常にツボを押さえた物言いなので強力に心が揺り動かされる(笑)。

メールで返信するよりも携帯に連絡した方が手っ取り早いので、すかさず番号をプッシュ。

「初めまして、どうぞよろしく~。毎日オーディオ三昧なのでいつでもどうぞ」と申し上げていろいろお話を伺ってみると、何とお兄さんが現役時代の仕事で大いに接触のあった方で「エッ、N本さんの弟さんですか!」

お兄さんはクラシックがお好きで15年ほど前に一度我が家にも試聴にお見えになった方だった。ホントに「縁は異なもの味なもの」。

いっぺんに距離が縮まったわけだが、2~3日後にそのお兄さんから「弟がお邪魔しますのでよろしく~」と連絡があって、「いやあ、驚いたよ。まさかN本さんの弟さんだなんて・・・。いつでも大歓迎ですからどうぞ。」

そしてお見えになったのが先週の4月9日(日)の10時半頃だった。

「いやあ、どうもはじめまして。」

大柄の堂々たる体格をはじめ、雰囲気などがお兄さんとソックリなので二度ビックリ(笑)。

さっそくオーデイオルームにご案内して音出しをする前にお話を伺った。忘れないようにメモっておこう。

 CDの音にどうしても満足できず、レコードをそれも海外のオリジナル盤に絞って収集されている。

 好きな音楽はクラシックからジャズ、歌謡曲までジャンルを問わず

 現在は別府市内の中心街で「ワインバー」を経営されている。「ソムリエ」の資格をお持ちとのことで、ワインを口に含んだときに広がる豊潤な香りと味わいがオーディオシステムから出てくる音を聴いたときに感じるものと相通じるものがあるそうだ。

 真空管アンプが好きでスピーカーはフルレンジを愛好され、ご自宅ではJBLのLE8Tなどを愛好されている。つい最近、憧れのグッドマンのAXIOM301を手に入れられたとのこと。

以上、とても音にウルサイ方のようで、はたして我が家の音に満足していただけるかな~(笑)。

我が家の4系統のスピーカーを切り替えながら順次聴いていただいた。明快な口調ではっきりと感想を述べられる方だった。

聴いた順番からいくと、

 AXIOM80(自作のエンクロージャー入り)

「はじめてAXIOM80を聴きましたが、ツクリが違うせいかたしかにこれはこれまで聴いたことのないような音の出方がします。まったく喩えようのない音ですね。ボーカルや小編成以外にもオーケストラだって結構聴けますよ。」

どうやら合格したようだ(笑)。

 AXIOM150マークⅡ(グッドマンの指定箱入り)

「これはとてもいい音ですね。大いに気に入りました。これこそグッドマンの音だと納得の一言です。」

とても満足されたご様子なのでCDを切り替えるタイミングを失い、本日では一番長時間の試聴となった。

 タンノイ・ウェストミンスター

「いっぺんにスケール感が拡大しました。何だか大きな戦艦が押し寄せてくる印象です。しかし、私にはチョット気取り過ぎているようで馴染めない印象を受けます。」

 フィリップスのフルレンジ(グッドマンの指定箱入り)

「たしかに、いい音なんですけどハッとするような美しさが無いような気がします。」

端的に言えば、おおよそ以上のようなご感想だったが、前半戦があまりにもうまくいきすぎたせいか後半戦は苦戦そのものだった(笑)。

N本さんが仰るのには「スピーカーをいろいろ切り替えるよりも、1台のスピーカーに絞っていろいろアンプを取り換えながら聴く方が好きです。」

たしかに、初めてのお客さんに短時間で4種類ものスピーカーを入れ代わり立ち代わり
聴いていただくのは、音をゆっくり味わい方に対して忙し過ぎるようで当方としてもちょっと配慮が足りなかったようだ。

もし自分が相手の立場だったら、4種類ものスピーカーを短時間で入れ替わり立ち代わり矢継ぎ早に聴かせられるとウンザリするのは間違いない(笑)。

「いやあ、どうも失礼しました。スピーカーを切り替えると音の変化が大き過ぎて全体的な印象が散漫になるのは否めないですね。

それと、
何かの本に書いてあったのですが、人間にたとえて言えばスピーカーは顔とかの外見に該当し、アンプはそれに精神を吹き込む役割だとありました。アンプの交換による音の変化はワインの味わい方と相通じるものがありそうですね。」

最後に、特筆すべきは今回の試聴を通じてCDの音を見直していただいたことだった。

「チャンとしたCDシステムを使うとレコードと遜色のない音がするんですね!」

そうなんですよ~(笑)。

ざっくばらんな忌憚のないやり取りでたいへん楽しい試聴会だった。

最後に本日使用したシステムを記載しておこう。

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS) → DAコンバーター「エルガー プラス」(dCS) → 真空管プリアンプ「大西式」 → 真空管パワーアンプ「PX25シングル」 → スピーカー「4系統」

「これからお役に立てることがあれば何でも遠慮せずに言いつけてくださいね。」

「是非お願いします。」と、またの再会を約しながら帰途につかれた。
 


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ツィーター騒動記

2017年04月11日 | オーディオ談義

我が家にデッカのリボン型ツィーターがやって来てからおよそ3週間が経った。

          

当初のほとぼりも収まって、ようやくいつもの沈着冷静な自分を取り戻した今日この頃(笑)。

この間、例によって「ああでもない、こうでもない」と悪戦苦闘し、さながら暇つぶしにはもってこいだったが、この歳になるとどうも健忘症気味なので失敗例を後日のために記録に残しておくことにした。

とはいっても懲りずにいつも同じ失敗を繰り返すのだが、結果的に思わぬ余禄に恵まれたのもご愛嬌だった。

なお、オーディオは周知のとおり「物理学+感性」の世界だといえるが、各人でまったく異なる感性は言うに及ばず、肝心の物理学にしてもあまりにも変動要因(部屋の音響特性、機器や部品などの性能)が相互に複雑に絡み合い過ぎて、あらゆるケースに当てはまるような決め手になる「公式」を導き出すのはとうてい不可能である。

したがって「これが絶対」という思い込みはとても危険だし、何よりも柔軟性がとても大切だと思っている。

そういうわけで、以下の事例も我が家だけに通用することなので個人的な主観も大いに入っていることだし、けっして真に受けないようにしてくださいね~。

さて、それでは本題に入って、システムの基本形はフィリップス(口径30センチ:フルレンジ)+デッカのリボン型ツィーターとしよう。

☆ フルレンジ・ユニットの周波数を分割してはいけない

パイオニアのデヴァイディング・ネットワーク「DN-6」(クロスオーヴァー4000ヘルツ:8Ω仕様)を使って、フィリップスを4000ヘルツでハイカット(12db/oct)し、デッカにウェスタン製のオイル・コンデンサー「2.19+1.0=3.19μF」を使って6000ヘルツでローカット(6db/oct)して3~4日間聴いたみたところ、悪くはなかったがどうもシックリこなくてこれはアウト。

メーカーが研究を重ねて設定したフルレンジの周波数をネットワークを挿入して無理矢理分割すべきではないと肝に銘じた。もし、そうしたくなるときはアンプ側に責任がある。

☆ ツィーターを出しゃばらせてはいけない

そこで、今度はフィリップスをフルレンジとしてそのまま活用し、デッカだけ上記のコンデンサーでローカットして3~4日ほど聴いてみたが、今度は高音域が屋上屋を重ねたようにウルサクなってこれもアウト。

というわけで、最終形はフィリップスをフルレンジで鳴らし、デッカは極小値のマイカコンデンサー「0.075μF×2=0.15μF」でローカット(6db/oct)してようやく収まりがついた。

そういうわけでデッカはまるで「蚊の鳴くような音」しか出てこないが、これがあるのと無いのとでは空気感の再現に大違い。

以上でデッカのツィーター騒動は一段落。

これに味をしめて、我が家のスピーカーは全体で4系統あるが、「AXIOM80」を除いて、すべてのユニットにツィーターを付け加えることにした。

「柳の下のどじょうを何匹も狙った」わけだが、
次の「AXIOM 150マークⅡ」(グッドマン)にはどういうツィーターを付けようか。

           

弦楽器の再生に優れたグッドマンにはコーン型ツィーターが一番合いそうなので候補として手持ちの中から3個選んでみた。

左からドイツ製(緑色)、真ん中がワーフェデール、そしてグッドマンの「楕円型」。この楕円型はつい先日、仲間から「遊んでみてください」といただいたものだが、さすがはグッドマン同士の組み合わせというか、これが一番相性が良かった。

コーン型ツィーターで一番気になるのはシンバルの響き方で、シンバルを鳴らすのだけは金属製のダイヤフラムを使ったツィーターに限るとずっと思ってきたが、今回はコーン型にもかかわらずシンバルの響きがとてもリアルだったのには驚いた。

また「AXIOM150マークⅡ」は、もともとフルレンジというよりもいうツィーターと併用するように設計されているのでパイオニアのデヴァイディングネットワーク「DN-7」(クロスオーヴァー4000ヘルツ:16Ω仕様)を使ってみたところ、これがバッチリ。

とても豊かな音が出てきて、「AXIOM80」とはまったく対極の世界にあるような音で、両者を足して2で割ると理想郷なんだがなあ~。

「思いどおりにいかないのは生きてる証拠よ」とは、88歳で亡くなった祖母の口癖だったがせめてオーディオぐらいは
思い通りにいってほしいものだ(笑)。

最後にタンノイ・ウェストミンスターにもJBL「075ツィーター」を追加。これも出しゃばらせては最悪なのでマイカコンデンサー1個「0.075μF」を使って録音現場の空気感の再現だけに留めた。

これもバッチリ(笑)

           

以上、なにはともあれ我が家のツィーター騒動記でした。
 


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花薫る 春らんまん

2017年04月10日 | 独り言

昨日(4月9日)の別府は気温が20度と上昇し、久しぶりに薄着に着替えて軽快そのもの。寒さは人一倍苦手なので、ようやく春の到来を実感。

春といえば花の開花時期だが、我が家のガレージのすぐ脇に植えている「紫モクレン」が若木のため遅ればせながらようやくつぼみが開き気味。

             

朝一で、まず本の返却期限が過ぎていた隣町の図書館へ行ったが途中の街路では桜が満開。

           

15分ほどで図書館に到着。9時半開館だが、ジャストだったので本日第一号のお客さん。

      

例によって濫読なので手当たり次第に新刊ばかり漁った。

戦国の風雲児「織田信長」を語るときに常に引き合いに出される「信長公記」(しんちょうこうき)を借りられたのは幸いだった。いつかは目を通しておきたいと思っていた本だった。

ミステリー3冊を含めて計8冊借りてから帰途についた。

午後からはウォーキングのためクルマで15分ほどの別府公園に着くと百花繚乱。

          

         

咲き誇ったピンクの「ミツバツツジ」にウットリ!

「願わくは 花の下にて 春死なむ ・・・・」(西行法師)
 


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美人は得をするか「顔」学入門

2017年04月09日 | 復刻シリーズ

今回の「復刻シリ~ズ」は6年前に登載した「美人は得をするか顔学入門」である。それでは以下のとおり。

「顔」のことを話題にする資格はサラサラないが、「人は見た目が9割」という表題の本があるように単に両親からもらっただけの「顔」のために人生の「幸せ度」が大きく左右されるのはなんとも納得がゆかない話だと、昔からずっと思ってきた。

そう、自己の努力とはまったく関係ない「生まれつきの顔」のせいで~。

たとえば、超「就職氷河期」の昨今、面接で若い人たちが次から次に振り落とされているのを見聞すると心からお気の毒に思う。

人に与える印象に何がしかの影響を及ぼすのはやっぱり「顔」というのは争えない事実だから、次第に自己嫌悪の罠にはまりやすい虞が十分ある。

そもそも「顔」とは人間にとってどういう意味とか位置づけを持っているのだろうか。

「美人は得をするか、”顔”学入門」(2010・9)集英社新書)は、そういう疑問に社会的、科学的な見地からアプローチした文字通り「”顔”学」そのものの本だった。

           

著者の「山口真美」さんは現在、中央大学教授で「日本顔学会」の理事。「日本顔学会」なんてあることを初めて聞いたが巷には眼や耳鼻咽喉の学会があるだろうから、とても大切な顔の学会があってもいいのかも
(笑)。

そして、本書を読んで顔に対するこれまでの認識をすっかり改まってしまった。

結論から言えば
「この社会で生きていく上で顔の美醜はそれほど問題ではない、表情の豊かさこそがはるかに重要です。」と、いうわけ。

そこで、「表情の豊かさ」とは何か、というわけで本書の読みどころは後半にある。

「第4章 第一印象は顔が決め手か」と「終章 顔を巡る、もう一つのお話~自分の顔を考える~」に著者の主張は集約されている。

表題の「美人は得をするか」の回答らしきものもこの第4章で出てくる。

読解力不足のせいもあって「隔靴掻痒」の感を免れないだろうが、せめてポイントと思しきものを抜粋しておこう。

☆ 顔の進化

目、鼻、口と言った感覚器官が集中する場所が顔と定義すれば、そもそも顔は、口から進化したといわれている。

口はエネルギーを摂取する器官であるから、身体の前にあると便利。そのため口のある方向が生物の進行方向になった。

顔はたくさんの脂肪と筋肉がからまるようにして出来上がっている。筋肉には二つの役割があって、それは表情を作ることと、食べ物を噛み砕くことにある。

☆ 表情こそが、その人の顔である

表情をあらわす顔は様々な筋肉で出来ている。長年の生活の積み重ねによって顔への筋肉のつき方は変わり、さらに歳を取れば、それが明確な皺となってあらわれる。

顔の筋肉は、その人がどんなものを食べ、どんな表情で人生を過ごしてきたかをあらわす証のようなもの。

つまり人相は柔軟に変えられるものであって、もって生まれた骨格による人相だけでその運命が決まるわけではない。

「年をとったら自分の顔に責任を持ちなさい」。


☆ よい顔、悪い顔

顔の社会的な役割とは、まず、その人が誰であるかを知るための必要な看板として、次にその人が今、どんな感情を抱えているかの情報を提供するためにある。

取り分け感情的な情報の提供は社会の中ではとても重要なメッセージ。

「よい顔」とはこの大切なメッセージを表現できる顔であり、悪い顔はその逆。

入社試験や入学試験で面接があるのは、姿かたちや表情からこうした社会的な処世術が出来ているかどうかを試している。

以上のとおりだが、世の中にはいろんな駆け引きを要するケースで心の動きを相手に悟られないために意識的に無表情を装うことが多々あると思うが、そういうときでさえ顔の筋肉の使い方がなかなか難しい(笑)。

なお、表題の
「美人は得をするか」の回答だが、それほど単純なものではない。そもそも美人の定義がひとくくりにできないのが難点。

もし、美人が標準的な造作の美しい顔だとすると、それは美しいだけに終わってしまい、いずれ飽きられ、忘れ去られてしまう。

したがって、その人の持つ個性的な魅力〔表情)こそが人の記憶にずっと残っていくものだが、魅力とは人それぞれで受け止め方が違ってくるので、結局、スパッとした答えは出されていない。

最後に、謎かけをひとつ。

「防犯カメラの機能の向上で整形外科医が繁盛すると解く」 
そのこころは?

つい先日のNHKテレビで東京で開催されたセキュリティ・システムの展示会が報道されていた。

たくさんの防犯グッズが紹介される中で取り分け印象に残ったのが「防犯カメラ」にコンピュータと連動させて人の顔と氏名を記憶させるシステムが 完成したこと。

たとえば、カメラが該当人物を部屋の入り口で認識すると「○○さん、いらっしゃいませ」と声を出して案内するシステム。

たった一つの表情でも記憶させておくと、三次元の映像で解析して”うつむき顔”でも”横顔”でも認識するというから驚く。

それが、本書によるとさらに進化していて「指名手配」の顔写真を全国の防犯カメラに連動させ、コンピュータによって自動的に犯人を割り出すというSFまがいの便利なシステムが研究途上にあるという。

したがって将来はあらゆる主要なポイントに防犯カメラを置いておくだけで「指名手配犯」が次々にキャッチされることに。

おそらく将来は全国的に警察官の配置も様変わりすることだろう。

何せこちらが捕まえに行かなくても、相手から「飛んで火に入る夏の虫」

そうなると、指名手配犯も用心して「顔」の整形をするために整形外科医に行くというわけ。

ただし、本書によると人間の顔で一番重要なのは「目、鼻、口の配置〔間隔)」で、この整形をするとなると莫大な費用がかかってしまう~。

結局、違う顔に生まれ変わるのが一番手っ取り早いようだ(笑)。


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気になるアンプ

2017年04月07日 | オーディオ談義

先日(3月31日)、「九州ハイエンド・オーディオ・フェア」(福岡市)に行って帰りの車中のことだった。

「今日の音に太刀打ちできるスピーカーとなったら、部分的にしろ我が家では透明感に優るAXIOM80しかありませんが、もうちょっとボリューム感たっぷりに鳴ってくれたら言うことなしなんですけどねえ。低音域の量感に期待するのは無い物ねだりなんですが、それにしてもねえ・・・。

これまでさんざん真空管アンプで駆動してきましたがその辺がどうもうまくいきません。そこでときどき真空管アンプ以外で鳴らしてみたらうまくいくかもと思うことがあります。

さしずめ、アキュフェーズのA級アンプあたりで一度試してみたいですがどうでしょうかねえ。」

と、何気ない雑談の中で申し述べたところ、Yさん(別府市)から、「アキュフェーズのA級アンプなら我が家にありますよ。試聴用に持って行ってもいいですよ。」

「エッ、それは願ったりかなったりです。ぜひ一度お願いします。」

そして、翌日のこと「今日は土曜日だしYさんは仕事がお休みのはずだが」と、思いを巡らせて連絡。

「昨日の今日で悪いんですが例のアキュフェーズのアンプ、貸していただくわけにはいきませんか。」

「ハイ、午後なら時間が空いているんで午後2時ぐらいになりますがお伺いします。」

さあ、興味深い実験が出来ると、早くもハラハラ・ドキドキ。

もしメチャいい音が出たらどうしよう、これ以上オーディオにお金を突っ込むのも考え物だしなあと、早くも取り越し苦労が始まるんだから世話はない(笑)。

          

ヨッコラショと腕力のあるYさんでも息を継ぎ継ぎしながら運び込まれたA級アンプがこれ。想像以上に大きくて重くて見た目が立派。

国産最高級とされるアキュフェーズの製品はお医者さんが愛好していると、よく聞かされるが見かけはともかく肝心の音はイマイチというか自分の好みに合わないとの印象を長いこと持っているが、A級アンプとなると果たしてどうなんだろう。

さっそく結線して試聴に入った。

システムの流れは次のとおり。

CDトランスポート(dCS) → DAコンバーター(dCS) → 真空管プリアンプ「大西式:ファインメットコア出力トランス」 → パワーアンプ「アキュフェーズA級式」 → スピーカー「AXIOM80」(最初期版:自作エンクロージャー)

音が鳴り始めてから二人ともしばらく「・・・・・・」。

そして異口同音に「どうもパッとしませんねえ。」。真空管アンプに比べてまったくいいところが無い(笑)。

Yさんが「プリアンプと相性が悪いのかもしれませんね。外してDAコンバーターと直結してみたらいかがでしょう。」

それもそうですね。さっそく1.5mコードを使って直結。

ちなみにDAコンバーター「エルガープラス」のボリュームは「0~ー60db」まで調整可能だが、「-10db」あたりから明らかに情報量が少なくなっていく。

微小電流を扱うDAコンバーターのボリュームは出来るだけ絞らない方がいいというのが我が見解だが、やむを得ないときはせいぜい「-10db」あたりにして、一方でパワーアンプのボリュームを絞って音量を調整するのが使いこなしのコツだが、今回はそういう悠長なことをやってられない。

直結すると明らかに音が改善した。「やっぱりプリアンプと相性が悪かったんですねえ」と、二人して納得だがそれにしても、わざわざ真空管アンプを排してA級アンプに交換するほどのこともない印象を受けた。

たしかに中低音域の厚みは増したが、肝心の中高音域の艶というか独特の光沢がまったく失せてしまうのだ。あのアキュフェーズ独特の冷たい金属みたいな肌触りがたまらなくイヤ~(笑)。

やっぱり真空管アンプ全盛時代に作られたSPユニットをそれ以外のアンプで鳴らすのはお門違いのようだ。むしろタンノイ・ウェストミンスターと相性がいいかもしれない、というわけでしばらくこのA級アンプを置いていただくことにした。

それにしても今回の実験で「AXIOM80」は真空管アンプで鳴らすに限ると確認できたのは大きな収穫だった。Yさん、ありがとう。

そういうわけで、このユニットにもっと豊潤な音を求めるとなると、エンクロ-ジャーをもっと大きくするとか、真空管アンプをシングル方式からプッシュプル方式にするとか、まあその辺だろう。

まだまだ研究の余地が沢山あるようで、このユニットの限界をおいそれと簡単に諦めるわけにはいかない(笑)。

そういえば「チューブ・オーディオ・ラボ」(新潟県)さんはローサーの「PM6A」を大きな箱に容れて信じられないような豊かな音を出しておられるそうで、駆動してあるアンプは「PX25プッシュプル」とのこと。

現在、好評を博しているテレビ球を使った「6FD7シングル」アンプの製作が一段落したら、今度は「6FD7」アンプのプッシュプル方式に取り組まれるとのことで、「完成後の第一号の試聴は是非我が家で」とお願いしておいた。

メチャ楽しみ~(笑)。


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世界最高の音を聴く!

2017年04月04日 | オーディオ談義

つい先日のこと、オーディオ仲間のYさんから「福岡でオーディオ・フェアが開催されますので一緒に行きませんか」とお誘いを受けた。

「温故知新」というわけで、古いオーディオ機器ばかりではなく最新のオーディオ事情を知っておくのも悪くないので「ぜひお願いします。」と一つ返事。

「3月31日~4月2日」の3日間にわたって開催されるそうで、混雑を避けて初日の31日(金)に参加ということで、当日はあいにくの雨模様にもかかわらず予定どおり午前8時半に出発。参加人数は4名なので1台のクルマで間に合った。

具体的なオーディオフェアの概要は次のとおり(ネットからの引用)。


マックス・オーディオが主催する九州最大のオーディオイベント『九州ハイエンドオーディオフェア2017』が、3月31日(金)~4月2日(日)の3日間にわたって福岡国際会議場にて開催されている。

同展示会は11の部屋に分かれて、50社以上に及ぶオーディオメーカーや輸入商社が参加。各部屋では試聴デモの実施や、充実した販売コーナーも展開される。

オーディオ製品がフェア特別価格で販売されるほか、CDやLPソフトのコーナーをはじめ、音元出版の刊行物の販売も行われている。


主催者であるマックスオーディオの代表・大原晴三氏は、今年で14回目を迎える同イベントに関して次のように語る。
今年のテーマは“出会い”です。

この福岡でのイベントは14回目を迎え、小倉でのイベントに至っては30年以上続けています。マックスオーディオが常に大切にしてきたのはお客様との出会いです。

いま世の中はインターネット販売が主流になりつつありますが、ネット販売が広まれば広まるほど、相反して我々のようなお客様と出会って説明していく商売も、今まで以上に重要になってると確信しています。そういった意味でも今年は原点に立ち返ったイベントにしていきたいと思います。

お客様との出会いを大切にして、目に見える形で対面でしっかりと製品を説明させていただく、そんな3日間にしていきたいと思います。

     

ユーザー目線に立って考えれば、一つのブランドや製品を取り上げて試聴イベントを行うよりも、同じ価格帯の製品を比較する試聴会の方が間違いなく面白い。聴き比べるということがオーディオの原点であり、楽しみであると思っています」と大原社長は語る。

概要は以上のとおりだが、たしかに近年のオーディオはネット販売によって人的交流が希薄になっていることは事実だし、確たる「座標軸」や「ものさし」がいっさい無い世界なので「聴き比べが原点」という趣旨にももろ手を挙げて賛同。

当日はおよそ6時間にわたって各ブースを回ったが、オーディオ好きにはこたえられないまったく夢のようなひと時だった。

撮影禁止ではなかったので写真を撮らせてもらったうちの1枚がこれ。

          

とても凝ったツクリのスピーカーだったが、今風の特徴を如実に表わしているので代表的な例として取り上げてみた。

会場には細長い縦長の形状に小口径のウーファーが2発というスタイルが圧倒的に多かったが、あくまでも私感だがこの2発というのに問題あり。

マンション・オーディオの室内環境に対応し、また、音の量感を稼ぐためにやっているのだろうが、その一方、マイナス面もあって中低音域の質感がどうもイマイチで何だか音が濁って聴こえる。

「日頃〇〇さん宅でAXIOM80などのフルレンジを聴き慣れているせいか、どうも違和感を覚えますね~。」と、仲間たち。

「昔、ウーファー3発で鳴らしたことがありますが最終的にはうまくいきませんでした。低音域の分解能はすべてを支配しますのでウーファーは1発に限りますよ。」と、したり顔の自分(笑)。

上記の画像でも左から順に天文学的な数字で値段が上がっていくが、音は逆に左が一番気に入った。

今回の見学で白眉だったのは「G1 GIYA」(ジーワン ギヤ)というスピーカーだった。

         

お値段が900万円と文字どおりハイエンドだが、これまでのオーディオ人生の中で一番素晴らしい音だと思った。

音を形容する言葉として周波数レンジ、分解能、奥行き感、艶などいろいろあるが、すべてに亘って最高クラスで、こういうバランスで音は出すものだと深く脳裡に刻み込んだ。

係の方が「世界で最高の音です。」と胸を張っておられたが、たしかにさもありなん。

仲間のNさんから後日、次のようなメールが届いた。

「G1 GIYAは凄かったですね。さっそくネットでググってみました。製造元は南アフリカのVivid Audio社でステラヴオックス・ジャパンが輸入販売をしています。開発者のローレンス・ディッキーは英国のB&W出身とのことです。」

このスピーカーの周辺機器も凄かった。

         

レコードプレイヤーが光カートリッジなどの周辺機器も含めておよそ1000万円(笑)。

高級機には珍しいベルト・ドライブ方式だったので理由を係の方に伺ってみたところ「アイドラー方式は太い音が出るのですが原音再生には向きません。ダイレクトドライブ方式は私らのような弱小メーカーには理想のモーターが作れません。結局、消去法でいくとベルトドライブ方式に落ち着いてしまいます。」

「昨年12月に発表されたそうですが、このプレイヤーは年間どのくらいの生産台数を見込んでいるんですか?」と質問。

「40台くらいですかね~。最高のプレイヤーということで中東、中国など世界中から引き合いが来ています。」

このシステム全体ではパワーアンプ(700万円)なども含めて4000万円近いお値段だったが、世界中の大金持ちを相手にすれば十分成り立つ商売かもしれない。

こういうシステムに接すると、いつも戦前の古典管や往年のツィーターなどの細部にこだわっている古色蒼然とした我が家のオーディオが何だかチマチマしたものに思えてきたのも事実だが、それはそれとしてむしろ部分的には優っているところもあるのではという気になった。

身びいきかもしれないが、お値段からすると大健闘である。

この会場を後にするときに、ふと、古典管を使ったアンプと古いフルレンジ・スピーカーによるシンプルなシステムのデモンストレーションを会場の一部でやってみたくなった。

「オーディオは何でもあり」なので、こういう企画もかえって斬新で面白いのではないだろうか。
 

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