「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~「信じるか、信じないか」~

2011年01月28日 | オーディオ談義

これまで鳴り物入りで展開されてきたテレビの「地上デジタル」方式への切り換えがいよいよ今年の7月24日〔日)へと迫ってきた。

あと半年ということで刻々とタイムリミットが近づいているが、その切り換え状況の現在の進捗率は全国でおよそ90%という。

我が家の場合は現在5台のテレビのうち4台が地デジ対策完了済みなのでどうにか平均レベル。

つい最近、食堂の小さなテレビ(13インチ)に地デジチューナーを接続したが、なかなかきれいな画像。

これまでのアナログ画像にもそれほど不満を抱かなかったが、こうして比べてみるとデジタル画像の優秀さはつとに明らか。

100人中、100人ともがアナログ画像よりもデジタル画像のほうが「ずっといい」と、きっと言うに違いない。

ところが、これが「音質」となると少々話が違ってくる。

いまだに「CDの音」(デジタル)よりも「レコードの音」(アナログ)のほうが「いい」という方が沢山いるのは一体どうしたことだろうか?

実際に身の回りの友人、知人のうちいまだにレコードを熱心にやってる人が数多くいるのでその辺の状況は身につまされるほどよく分かる。

デジタル「画像」の優劣に比べて「音質」ではどうしてこうもはっきり差がつきにくいのかホントに不思議。

そもそも「画像」と「音質」とでデジタル技術の完成度は違うのだろうかなんて素朴な疑問が湧いてくる。

まず「画像」の場合はたとえば被写体に人間を例にとると、顔色の自然さとか髪の毛の1本1本がどれだけ鮮明に写るかなど優劣の判断基準が比較的しっかり把握できるのが大きなメリット。

ところが「音質」となると「良し悪し」の明確な基準がしっかりしておらず、各人の好みも手伝ってその差が分かりにくいところにも一因がありそう。

そもそも「目」と「耳」の機能に違いがあるのも一考すべき余地がある。

オーディオ仲間で物識り博士のMさんにズバリ訊いてみた。

「仮定の話ですが完璧に調整されたアナログの音と同じく完璧に調整されたデジタルの音では果たしてどちらが音がいいんでしょう?」

「理屈ではデジタルのほうがいいに決まっているが、CD発足のときにフォーマットとかが専門家不在のままあまり煮詰めないでスタートしたため、いまだに不完全さを引き摺っているなあ。現実的には今のところ完璧に調整されたレコードの音の方が一枚上なんじゃない。」

「ただし、完璧に調整されたといってもアナログでホントにいい音を出そうと思ったら中途半端なお金では無理。もし同じお金をかけるのならCDのほうが断然有利だろうね~。」

結局、アナログにしてもデジタルにしてもいい加減のところで妥協せざるを得ず、現時点で論争に終止符を打つことは無理のようだ。

とにかくこの分野については「百家争鳴」でいろんな議論があろうが、自分のような過去のオーディオの全盛時代を知る人間にとって、今日の惨憺たるオーディオ人口の現状は実に淋しいものがある。

「電気回路を利用した機器で芸術を鑑賞する」という、無機的な機械と芸術のコラボレーションが出来る至高の役割を担ったオーディオは、ずっと「キング・オブ・ホビー」〔趣味の王様)と呼ばれてきたが今では悲しいことに「死語」になりつつあってトンと聞かない。

こと、ここに至った原因のひとつに「レコード」から「CD」に移り変わって音に味わいが少なくなったことも挙げられるように思う。

たとえばレコードが再生できる周波数レンジは最高域にかけては際限が無いがCDが再生できる周波数レンジは最低域の20ヘルツから最高域の2万ヘルツと枠にはめられている。

先日読んだ音響関係の本に「人間の耳は2万ヘルツ以上の音を聴き取るのは難しいが、その替わりに皮膚がその役割を果たしており2万ヘルツ以上の情報を
感じ取って脳に伝えている」と書いてあった。

これからするとオーディオ装置と向き合うときは出来るだけ肌を露出して聴くのがいいようで、その点夏場なんかは最適のはずだが。

とにかく「音の世界」はまだまだ分からないことが多い。

「音」がいまだに科学的によく解明されていないものだから、オーディオに至っては「いい音」を得るためにそれこそいろんな迷信めいたものが存在するのも故無しとしない。

結局「信じるか、信じないか、それが問題だ!」



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オーディオ談義~「返却したプリアンプ」~

2011年01月25日 | オーディオ談義

レコードからCDの時代への移り変わりは30年ほど前からだが、それに伴ってレコードの時には必需品だった「プリアンプ」の役割が徐々に見直されてきたのは周知のとおり。

自分のシステムの場合は特にDAコンバーターにボリューム機能がついているので、ここ10年ほどは本格的にプリアンプを使用したことがない。

とはいえ、やはり人間にはときどき現状打破というかマンネリズムから脱出したいという気持ちがどうしても沸き起こることがある。

基本的に脳は変化を欲している!

一方では「プリアンプ不要論」を展開しつつも、それとは裏腹に「性能のいいプリアンプを導入するともっといい音になるかもしれない」という身勝手な発想をし、ひ
とたびそういう気持ちになるとなかなか制御しきれなくなるのはオーディオマニアならご承知のはず。

それかといって高価な買い物だし、いきなり購入して「ハイ、駄目よ」ではお金がもったいない。

馴染みの東京のショップのSさんにメールで問い合わせてみたところ次のような返事が返ってきた。

プリアンプの優秀な物は、パワーアンプに比べ非常に少ないのが現状です。Mark Levinson  No.26SLは、現在でも第一級の音がします。

現在弊社の在庫の中でNo.26SLと肩を並べる物としては、Cello  ENCORE PRE L2 ぐらいでしょうか。 クレルのプリアンプは、昔から、今一歩です。やはり、パワーアンプが得意のメーカーです。

Sさんによると、ご好意でこのマーク・レヴィンソン「No.26SL」を1週間ほど無料で貸し出してくれるという。

このプリアンプは1991年発売開始の製品で当時の定価がたしか190万円ほどだった。基盤をテフロンにしているせいか「音がいい」と評判で専門誌でも絶賛に次ぐ絶賛。

実を言うとずっと以前、ものすごい誘惑に負けてこのプリアンプ〔中古品)を購入し2年ほど所有していたことがある。

身分不相応の持ち物だったがそれなりにマーク・レヴィンソンという「ブランド」(?)を楽しんだものの、ワディアのDAコンバーター(27ixVer3.0)がどうしても欲しくなり、泣く泣く下取りに出したという思い出がある。

およそ13年ほど前の話。

さて、Sさんのご好意により試聴させていただく「No.26SL」の到着は我が家の「怖い人」が居ないときを見計らって平日の11日〔月)に設定。

実は、まだ試聴していないにもかかわらずもうこの時点でほとんど購入する気持ちに傾いていた。

問題は資金だが手元不如意なものの、不要な機器の「下取り」などで何とか対応する心積もり。

予定通り到着した現物を目の前にしてざっと「取り説」に目を通してシステムに接続
           
           

このプリアンプは電源スイッチが無いのでずっと24時間電源を入れっ放しのタイプ。こういうところはワディアのDAコンバーターと同じ。

省エネに逆行だが、音質のことを考えると仕方がない。当然、
本来はエージングが2~3日は必要ということになるのだがそれを割り引いての試聴となる。

試聴盤のトップはつい最近購入した「富田勲の音楽」~新日本紀行~。

テレビのテーマ音楽は数あれど、NHK放映の「新日本紀行」〔昭和38年~57年)は今でも空前絶後のレベルに達していると思う。この曲を聴くと心が生まれ育った故里に還っていきそう。


なお、現在放映中の朝ドラ「てっぱん」のヴァイオリンが奏でるさわやかなテーマ音楽もなかなかのもので、ずっと昔の「あぐり」も良かった・・・。

話は戻って、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲などいろんな曲を試聴した後の第一印象だが「期待したほどではないなあ」というのが正直な感想。どうやら頭の中で美化し過ぎていたらしい。

オーディオ仲間のMさんから「どんなにいいプリアンプを入れても余計な接点〔RCA端子)が増えるので絶対に音の立ち上がりと鮮度は落ちるよ。タンノイあたりのSPだと差が分かりにくいが、センシティブなアキシオム80だとはっきり結果を出すはず。」と警告(?)を受けていたので覚悟の上だったが、やはりいつもの鮮度になれた耳にはちょっと物足りない。  

ただし、「上品な雰囲気」は紛れもなく存在するのでこの辺はプラス面とマイナス面との凌ぎあい。

まだエージングも完全じゃないし結論を出すのは早計、しばらくこの状態で聴いてみようかなあ」と、とりあえず悠長に構えてみた。

後はいつものとおり音質と価格とのバランスを自分なりにどう折り合いをつけていくかということになるが・・。

ところが翌日の12日を境にそれどころではなくなってしまった。

前々回のブログで紹介したように午前中に「心臓CT造影検査」の結果をカミさんと一緒に聞きに行ってそのひどい画像にガックリ。

もう気分的に「オーディオ」どころではなくなってしまった。

しかも「No.26SL」の1週間の貸し出し期間が入院予定期間を含めると軽くオーバーしてSさんにご迷惑をかけることになる。

ほんとうにタイミングが悪すぎた。

12日に病院から帰るとすぐにSさんにメールを送っていさぎよく元箱に納め、期待を裏切って心苦しいので気持ちばかりの「志」を同封して返送した。

折り返し、Sさんからビックリされた様子で「大丈夫ですか?どうかお大事に~」と今度は携帯にかかってきて心理的に救われた。

結局「No.26SL」とは再び縁が無かった、残念!
   


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読書コーナー~「濫読」~

2011年01月23日 | 読書コーナー

ここ10日間ほど入退院をはさんで生活環境が激変。

こういうときに「何時でも」「どこでも」「手軽に」対応できる趣味は何といっても「読書」に尽きる。(麻雀ゲームも楽しんでいるが・・)

この機会にと図書館から借りてきて、そのままにしておいた本を読み漁った。ザッと挙げてみると次のとおり。

 「下町ロケット」(新刊:池井戸 潤)  「再会」(横関 大)  「訣別の森」(末浦 広海)  「ミステリーの書き方〔新刊)」  「エッジ(上下巻)」(鈴木 光司)  「ポーツマスの贋作」〔新刊:井上 尚登)  「闇の底」(薬丸 岳)  「島田 荘司全集Ⅲ」  「民宿雪国」(新刊:樋口 毅宏)

やっぱりというかミステリー系が多い中で一番面白かったのは「下町ロケット」。

            

本書のあらすじだが「宇宙科学開発機構」に勤める主人公の「佃 航平」はロケット開発の優秀な技術者だったが、打ち上げの失敗とともに責任を負って退職する羽目となり、父親の後を継いで今では”しがない”下町の工場経営者に転身。

それでもロケット打ち上げの思いは断ちがたく地道に研究を続けて、技術開発の生命線ともいえる「バルブ」の特許を取得。

その特許をめぐって大手メーカーと競合しながらあの手この手で宇宙ロケットの夢の実現にまい進していくというスト-リー。

とにかく中小企業と大企業と取引銀行との虚虚実実の駆け引きが面白く、最後は中小企業が勝つというのが痛快で、読後感がことのほか爽やかで心地よい。

著者の「池井戸 潤」氏は慶応を卒業後、大手銀行に就職するも途中から作家に転身という経歴を持つ。

平成10年に、銀行の内幕を描いた「果つる底なき」〔この作品もとても面白い!)で「江戸川乱歩賞」を受賞している。この賞は「賞金1千万円」の魅力とともに推理作家の登竜門として有名。

過去にも井沢元彦、高橋克彦、東野圭吾といった錚々たる作家たちを輩出している。

池井戸氏はたしか一昨年だったと思うが「直木賞」受賞の最短距離に恵まれたが直前になって選考委員の一人「渡辺淳一」氏が「この作品に賞を与えるなら自分は選考委員を辞退する」と猛反対したため受賞ができなかったというたいへんお気の毒な経緯がある。

実力がある作家なのでそのうち必ず陽の目をみることだろう。

次に
「再会」「訣別の森」はいずれも前述した江戸川乱歩賞の受賞作。前者が平成22年、後者が平成20年といずれも近年の受賞作。

「再会」の著者「横関 大」氏は毎年一作づつ仕上げるという自ら課したノルマのもとに見事8回目で栄冠を獲得。

さすがに8作目ともなると、文章がこなれていて読みやすくストーリーに自然と引き込まれていく。

幼なじみの男女4人に共通の憎むべき人間がいて、その人間がある日射殺される。使用されたのは23年前に殉職した警官の銃で、実は四人がタイムカプセルに隠したものだった。犯人は果たして四人のうちの誰なのかが謎解きのテーマ。

登場人物の心理描写が卓越していてハイレベルの作品といってよいが後半の解決に導かれる大事なポイントで偶然を利用した「ご都合主義」が顔を覗かせるのがちょっと惜しい。難点はここだけ。

「訣別の森」はドクターヘリ、自衛隊、知床の自然環境保護問題などを巧みに絡めたスケールの大きな作品。ミステリーと冒険小説を合わせたような印象。

しかし、残念なことに登場人物の心理描写が浅く、雄大な情景描写に負けている。ミステリーは登場人物の掘り下げがないと話にならない。ストーリーの展開も後半に至ってややダレてくる。

これはまだ経験の乏しい作家によく見られるパターンで同年に同時受賞した「誘拐児」〔以前のブログで紹介)のほうがずっといいと思った。

「ミステリーの書き方」はミステリーファンやこれからミステリー作家になろうとする方は一度目を通しておいたほうがいい極めて有為の書。

功なり名を遂げた作家たちがテーマごとに懇切ていねいにミステリーの書き方を指導してくれる。

鈴木光司さんの「エッジ」は平成20年の作品で、ある日ある時、いきなり「神隠し」のように人間が消えていくというホラーがかったストーリー。

「神隠し」は現実に日本各地で起こっており、永遠の未解決事件として実際にいくつか存在している。

殺人事件なんかよりももっとタチが悪いと思うが、その原因を純粋な科学的アプローチにするのか、人為的な誘拐(北朝鮮による拉致など)にするかで随分と視点が違ってくる。

本書では地球の「磁場」を利用した「神隠し」がテーマだが、読んでいてそれなりにグイグイ引き込まれていく。真偽の程はともかく退屈しない本だった。

「ポーツマスの贋作」は日露戦争を終わらせるために1905年に行われた日露講和会議(アメリカのポーツマス)が舞台となる。

日露ともにこれ以上、戦争を続けられない母国の事情のもと、自国に有利な条件で交渉を締結するために情報戦が展開されスパイが暗躍、葛飾北斎の肉筆画などが小道具として登場して芸術的な香りも漂う。

いわばミステリーとスパイ系が合わさったような内容で小村寿太郎〔全権大使)などの歴史上の人物もそれなりに描かれてかなり引き込まれる。

しかし全体の読後感となると本書の弱点が見えてくる。

主人公がストーリーの途中でいろいろと入れ替わってどうも焦点がつかみづらい


それに国の運命を左右するほどの重々しい歴史上の出来事に対してフィクションの部分があまりにもチャチで軽すぎるという印象を受ける。

両者のバランスがよくない。題名に期待したがその割りに物足りない本だった。

 


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独り言~「命の値段はプライスレス」~

2011年01月11日 | 独り言

健康維持のため、いつも朝食後に散歩するようにしているが12月の初旬頃から「上り坂」にさしかかると胸が圧迫されて息苦しくなるような自覚症状が出る。

あまり身体が丈夫なほうではないので日頃用心しているのだが、どうもおかしい。

急に寒くなって血管が収縮し、血のめぐりが悪くなっているというのが素人なりの判断だが、まあ、そのうち寒さに慣れてくればどうってことはないだろうと高を括っていたものの、どうやら症状が治まる気配がない。

これは「どうもただ事ではなさそう」と大事をとって病院で診てもらうことにした。たぶん心臓か肺のどちらかに原因がありそう。

ちなみに94歳になる母は69歳のときに心筋梗塞を患って大騒ぎした記憶がある。我が家系は心臓が弱い、同様に気も弱い(?)ようだ。

こういう重篤な病気につながる場合は、病院選びは慎重にというわけで県下の医療事情に詳しい友人に相談したところ、「心臓なら最新のCTシステムが整備してあって医者もそろってるO病院がいいよ」とのお墨付き。

片道クルマで1時間ほどの不便なところだが、早速、メールで病院とやりとりの末、年明けの5日(水)に初診決定。

早朝から血液、肺機能などいろんな検査をやったが最後に「心臓エコー」を撮ってもらった。これは通常の人間ドックにはない検査。心臓の弁などの動きを診るそうでこれで異常が分かればありがたいことだが。

散々待たされた挙句、ようやく12時過ぎに検査結果をもとに医師による診察開始。

「どのくらいの坂道で息が切れるの?」なんて話をしながら、結局「動脈硬化で冠動脈が細くなって心臓機能が衰えている可能性がありますので造影CT検査をお勧めします。しかし問題はお金がちょっとかかるんですよねえ・・・。4万円前後ですが」と遠慮がちにおっしゃる。

「この際ハッキリさせておいたほうがいいので、受けましょう」と心にもなく快諾。早いほうがいいと勧められるままに検査日を7日〔金〕に決定。

当日は6時間ほどかけて二つの検査を実施するそうで、まず午前中に「RI(心筋シンチ)検査」によって冠動脈から心筋への血流や心筋の機能状態を調べる。

午後は「造影CT検査」で造影剤を静脈から投与して最新のCTシステムによる128枚のマルチスライスで心臓の断層撮影を行うというもの。

おお、怖(こわ)!

ずっと点滴をしたままの状態なので昼食用のオニギリを2~3個準備しておくように言われた。

当日は流れ作業みたいに順調に検査が終了して思ったほど痛くも苦しくもなかったが、午後に受診した巨大なCTシステムの正面上部に堂々と誇らしげに「SIEMENS」(シーメンス)と銘打ってあったのが何となく印象に残った。

「マザー機械は今でもドイツだよ」と機械系を履修した甥っ子が言ってたのを思い出した。改めてドイツの底力を垣間見る思いがしたが、真空管中心の弱小メーカーだと思ってたシーメンスだが見当違いも甚だしい。

その日の夜になって、独身を謳歌している娘から電話があった。

「お父さん、検査の結果はどうだった?」

「今日は検査だけで、結果は後日、家族同伴の上で説明すると言ってるよ。検査費用がたいへんでねえ、お父さんはもう破産しそうだよ。お金を貸してくれないかなあ。いずれ返すからさあ。」

「病院にかかるお金なんて大したことないでしょ。足りなかったらいくらでも貸してあげる。命がかかってるんだから、そういうお金はプライスレス(priceless)よ。ただし、オーディオに使うのなら貸してあげないからねッ!」

ウーム、さすがは我が娘、オヤジの手練手管をすっかり見抜いていると感心した。

やれやれ、マークレヴィンソンのプリアンプ「No.26SL」の財源をどう捻出しようかなあ~。とほほ・・。


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オーディオ談義~「オークションに登場したアキシオム80」

2011年01月09日 | オーディオ談義

マークレヴィンソンのプリアンプ(「NO.26SL」)のことでオーディオ仲間のMさんと相談していたところ、耳寄りな情報が入った。

「オークションにアキシオム80が出品されているの知ってる?」

「エッ、それはたいへん。値段はいくらになってましたか?」

「8万円だよ。しかし、入札者が何と70名だ!」

「思ったより安いですね。しかし、落札間際になると競り合いが凄いでしょうねえ」

早速ネットオークションを開いて検索。

すぐに見つけ出した。何と出品者は最低価格を設けずに千円でスタートという気前よさ。

もしスペアを持っていなければ是が非でも入札に参加するところだが、あいにく千葉県のSさんから一昨年の6月に1ペアを譲ってもらっているので今回はあっさり見送ることにした。

こんなSPユニットをスペア以外に余分に死蔵するのは罪悪に近い。たとえて言えば滅多にカギを開けない倉庫の中で名画を保管するようなもの。

それにしてもこのユニットがオークションに出品されるなんてまったく想像できなかった。要らん世話だが出品者はどういう理由で手放されるのだろうか。

「音質に飽きがきた」「低域に不満がある」「高域が鋭すぎる」「故障がち」あるいはストレートに「換金したい」など。

もし音質に不満があるのなら、いかようにも工夫が出来るSPユニットなので是非思いとどまるようにとお節介をやきたいところだが「換金」目的だと仕方がない。

それだと業者に出すよりもオークションの方が値段が上がって大穴が出る可能性があるので分かる気もするが。

とりあえず以前から熱心に欲しがっていた福岡のKさんに連絡してみた。Kさんは我が家に試聴にお見えになったとき、すっかり「アキシオム80」にノックアウトされた方。

ちなみにこの出品者はこれまでの取引が400件以上なのに悪い評価がひとつも無いというのもKさんに連絡した理由のひとつ。

もし落札できたとしても、でたらめの出品者にでも当たれば、Kさんから恨まれるのは当方なのでこういう連絡は慎重にならざるをえない。

「やあ、お久しぶり~。あれからアキシオム80は見つかった?」

「教えていただいた東京の○○オーディオに連絡したところペアで35万円と言われました。拡大写真を見せてもらいましたが程度がイマイチでしたので購入しませんでした」

「35万円とはいくらなんでも法外だな~。まあコーン紙が違う初期のユニットかもしれないけどね。それは別としてオークションにアキシオム80が出品されてるよ。よかったら覗いてご覧。今のところ8万円だけど入札者が70人!」

「そりゃあ、相当競り上がるでしょうねえ。しかし、落札できたとしてもボイスコイルとか大丈夫ですかね。ちょっと程度が心配ですね。」

「もし悪かったときは、岡山の専門業者に修理してもらえばいいよ。僕は既に2件修繕してもらったけど、うまく直してもらったよ。」

「そうですか、早速ネットを見てみます。」

たしかにKさんのように不安が先に立つのも分かる。出品者の顔の見えないオークションとはそういうものだが「虎穴に入らずんば虎児を得ず」なのでこの辺は難しいところ。もうほとんど運試しのようなものだろう。

ちなみに、このオークションの写真と紹介記事を掲載させてもらおう。

 

写真を見ていただければ分かる通り、かなりの美品になると思います。 

もう名実ともに憧れのユニットですよね。
超スピーカーマニアの方も欲しがる、今となっては幻のユニットですよね・・・・。 
写真が全てです。 売り切ります。
 
エッジも紙?ですから、一生もんだと思います。
いまのウレタン系は、いずれエッジの交換時期がくると思いますが(面倒)、このビンテージユニットは安心です。 
 
もちろんかなり古い物ですから傷などあります。
新品ではありませんのでご承知おきください。
 
ワンオーナー品です。〔原文のまま)

「エッジも紙?」という表現から、この方は「アキシオム80」のことを知らない方だと分かる。おそらく身内の方にご不幸などの事情があって売りに出されたもので、これは名器が世に出る典型的なパターンかなあ~。

さて、改めての個人的な話だが、この「アキシオム80」の魅力についてはいまだに語りつくせない思いがある。

このユニットを愛用している方のうち、どなたかのブログに「人生を誤らせるスピーカー」という表現があったが、ほんとうにその通り。

中域から高域にかけての繊細で”えもいわれぬ音色”にひとたび魅了されると、もうだめ~。ほかのスピーカーを認めたくないようになる。少なくとも自分はそうだった。

ただし、故障がしやすい上に鳴らせ方が難しい極めて神経質なユニットなのでいつも気苦労が絶えない。
まるで毎日ご機嫌を取り結びながら聴いているようなもの。子供は手がかかるほど可愛いというが・・・。

このユニットをうまく使うためのノウハウを目的とした「同好クラブ」を以前、ブログで呼びかけたところ、わずかに3~4名の方からメールをいただいたくらいでガックリ。

しかし、今回のオークションで潜在的かつ根強い人気があるのが分かってまずはひと安心。

このユニットの素晴らしさをもっともっと広めていくのが自分に与えられた使命だと勝手に思っているが、このユニットには自然とそうさせるものがあるのが不思議~。


 


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独り言~「イチローと松井」~

2011年01月07日 | 独り言

アメリカ大リーグ(MLB)の話だが、日本人選手の落ち着き先も岡島投手のレッドソックス残留を最後に概ね決まった。

イチローはもちろん不動のマリナーズだが、焦点だった松井秀樹は周知のとおり「アスレティックス」に決定。

つい最近のネット情報によると、故障がちの膝の状況が例年になく良いそうで、高校時代の恩師山下監督にも
「調子はいい。見ていてください」と強気発言をしたとのこと。

あまり大口を叩かない松井がそれほどまでに言うのならと、今年の活躍が愉しみ~。

松井は昨シーズン中、ソーシア監督から”代打の代打”を送られたりして嫌がらせ(?)をされていたので、まず「エンゼルスの残留はなし」と早くから踏んでいたので予想どおり。

松井がどの球団に行くのか、もしかすると重量級のバッターが不足するマリナーズに決まれば「イチロー」と「松井」の共演が見られ、日本のテレビ局もMLB中継が随分楽になるがと興味深く見守っていたが、やっぱりというかマリナーズが最後まで手を挙げることはなかった。

この球団どうやらイチローと心中することに決めているらしい。

何しろイチローは馬が合わない監督を更迭に追い込むほどの看板選手。監督の代わりはいても、イチローの代わりはいないというわけで、球団は彼の活躍できる環境づくりに余念がない。

取り分け、同じ日本人選手を獲得する場合なんかはイチローの気持ちを忖度(そんたく)して動いていることは間違いなし。

そこに起こった今回の松井の移籍話。


イチローはボールにバットを当てることがうまい天才的な短距離バッター、松井はボールを遠くに飛ばすのがうまい長距離バッターと両極端のタイプだが、野球に対する考え方も性格のほうも正反対ともいえるほど違う。

何もかもが対照的なこの二人の間柄は表面的には「大人の対応」をしているものの、本当はどうなってるんだろうと、これまでずっと興味を抱いてきたが今回の動きを通して透けて見えるものがあるように思った。

まず松井の側から。

昨年12月17日付けのネットの記事にこうあった。

<仰天契約発覚!松井秀トレード拒否権>

アスレチックスと1年契約を結んだ松井秀喜外野手(36)が、契約条項にマリナーズやオリオールズなど6球団へのトレード拒否権を盛り込んでいることが16日、分かった。

 マリナーズ、オリオールズ、ブルージェイズ、ロイヤルズ、インディアンス、ツインズ。松井がシーズン中の移籍を拒んだ相手は、ツインズ以外はいずれも近年、厳しい戦いを強いられ、各地区の下位に低迷しているチームばかりだ。

エンゼルスからFAになった今オフも「出場機会」と「プレーオフの可能性」を求めて移籍先を模索した。アスレチックスとの契約条項に、6球団へのトレード拒否権を盛り込んだのは、松井らしい選択でもある。

トレード拒否権は松井本人の意思で破棄できるとはいえ、“日本人コンビ”の実現は難しそうだ。

以上のような記事だが、〔松井が)マリナーズなどへのトレード拒否権を〔契約書に)盛り込んだ理由として「下位に低迷しているチーム」となっているが、果たしてこの理由を額面どおりに受け取っていいものかどうか。

勝手な憶測だが
「イチローが居るマリナーズには行きたくない」という松井の本心が見え隠れするといえば”うがち過ぎ”だろうか。

次にイチローの側から。

10年連続200安打達成という前人未到の大記録を携えて、今や「野球殿堂」入りが確実になり、MLBの球史に残る大選手になったイチロー。

年始早々の元旦のNHKーBS1で特集番組があった。

「イチロー 遥かなる旅路~大リーグ10年目の現在地~」と銘打って、19時から20時50分までイチローと糸井重里、住吉美紀アナ(ネットによると今年の3月末でNHKを退職してフリーの予定)によるフリートーキング。

番組を観た感想だが、イチローは野球に対する姿勢が随分とストイックでその努力には大いに敬服したものの、個人的な印象を率直に言わせてもらうと、あまり深いお付き合いをしたくないタイプ。

イチロー独自の”こだわりの美学”が自分にはどうもついていけないし、肌にも合わない。もちろん好き嫌いの範疇に属するので細かい理由は述べない。

ひとつ言わせてもらうと、こういうタイプは他人と共同作業で何事かを成し遂げるのが難しいように思う。したがって松井のポリシーとも当然合わない。

マリナーズに入団して10年にもなり、チームリーダーとして他の選手を引っ張り、毎年優勝争いに参画してもおかしくないのに、チームの成績がずっと低迷しているのがその証明。
 

とはいえ、野球はそもそも個人記録優先か、チームの勝利が優先かという価値観が別れるスポーツだから良くも悪くも、この二つを体現しているのがイチローと松井。

今シーズンはこの二人が持ち味を発揮して、イチローが11年連続200安打達成、松井のアスレティックスがワールドシリーズ優勝ともなると万々歳だが、果たしてその行方は~。


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読書コーナー~「暮らしの中の左右学」~

2011年01月06日 | 読書コーナー

私たちの日常生活の中であらゆる場面に影響を及ぼしている「左」と「右」との区分。

日頃、当たり前のことと受け止めて特に意識することはないが改めてその意義に気付かせてくれたのが次の本。
 
「暮らしの中の左右学」(2009.10、東京堂出版) 

                 

著者は「小沢康甫」(おざわ やすとし)氏。

民間企業の勤務経験を持つごく普通の学者さんではない方。個人的な興味のもとに長いこと「左右の探求」を
両脇
に抱え込んで「病膏肓」(やまいこうこう)に入られた方である。

とにかくあらゆる分野にわたって「左」と「右」の概念が追求される。
たとえば、「衣服の右前・左前」「男雛・女雛の並べ方」「野球の走者はなぜ左回りか」「人は右、車は左」「イスラムの右優越」など。

とても全部を紹介しきれないので興味を覚えた部分をごく一部抜粋してみた。

☆ 語源を探る

 → ”口”と”ナ”からなり、「口を使い、手を用いて相助ける意」。のちに”佑”(助ける)が本義となり「右」は単なる右手の意となる。

熟語として「天佑」「佑筆(貴人のそばで文書を書く人)」など。

 → 工具の意を表す「工」と”ナ”からなる。のちに”佐”(助ける)が本義となる。工具を左手に持って仕事を助ける意。

熟語として「補佐」「佐幕」。

筆者註:こうしてみると我が県のお隣の「佐賀県」という県名はたいへん語源がいい。「賀(祝うこと)」を「佐〔助ける)」とある。それに比べてわが大分県は「滑って転んで大痛県」と揶揄されるのが関の山!

左右はとかく左翼・右翼のように対立の関係で捉えられがちだが字源をたずねると左右双方から人や物事を助けていく、或いは左右相補ってことが進む点にこそ真骨頂がある。

次に、言い回しの由来を。

 左うちわ

安楽な暮らしのたとえ。利き手でない左手で仰ぐと力が弱く、いかにもゆったりしている。そこから差し迫っていない、余裕のある暮らしに意味を通わせた。同様の例として、最も信頼する有力な部下を指す「右腕」がある。

 トラック競技の左回り

現在、陸上競技の競争は「規則」により
「走ったり歩いたりする方向は、左手が内側になるようにする」
とある。

根拠は不明だが有力な説が7つほどあって、そのうちの一つがこれ。

 男性の場合、「睾丸」の左右のうち左の方が低い位置にあり、心臓が左によっていることもあって重心は左にかかる。走るには重心寄りに、つまり左に回った方が楽。

男性にとって日頃まったく意識しない「睾丸」の左右の違いを指摘されて本当に「目からウロコ」だが、これについては別項の「人体ウォッチング」にも次のようにある。

「睾丸」は一般に左の方が右よりも低い位置にある。大島清氏(生殖生理学)によると、その率は日本人で75%、米国人で65%。

その理由をこう述べる。

大半の人は右利き、つまり左脳優位であり右の挙睾筋〔睾丸を上げる筋肉)を収縮させるので右の睾丸が吊上がり、左側が相対的に下がった状態になる。つまり、左右の脳に差のあることが睾丸の高さの左右差をつくり、歩いても走っても激しい運動をしても、睾丸同士が衝突しないようにできている。

左右の睾丸が重なったりぶつかったりすれば、双方とも傷つく恐れがある。睾丸は精子の製造工場だから、これは由々しき一大事。左右差は子孫を残すための「天の配剤」といえる。

以上のとおり、本書は「左右」学の薀蓄(うんちく)極まるところ、通常まったく意識しない人体の微小な差異にまで及び、まことに新鮮味があって面白かった。


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オーディオ談義~「取り消したいと思うブログの記事」~

2011年01月03日 | オーディオ談義

ブログのことだが、これまで足掛け4年ちょっとでおよそ640本ほどの記事を投稿してきた。

コツコツと2~3日おきの更新を続けてきて量的にはまあまあの線だが、質的には全て満足しているわけでは決してない。

中には投稿した後になって「修正したい」あるいは「削除したい」と思う記事が出てくることがしばしば。

「音楽」「読書」「独り言」などは主観的なことを書いておけば済むので、「こんなことを書かねばよかったのに」ということはまずありえないのだが、問題は「オーディオ」関連の記事。

この分野はある程度の理論、実践経験などの裏打ちが必要となるが、全国的に多士済々の方々の中、取り立ててこの道を極めているわけでもないので、誰が考えても「おかしい」と思えるような内容が散見されることだろう。

もちろん前述したように投稿した後に判明するワケだが、もう「後の祭り」でたいへん困ったこと。

そういう記事は、取り消す気になれば簡単にワン・クリックの「削除」で一巻の終わりだし、修正も可能だが、
どうせ「ブログ」なんて「一度読んでしまえばそれまで」という一過性の代物に過ぎないのが通り相場。

全文が間違っているわけでもないので、何もそこまで神経質にならなくてもと、横着に構えてついそのまま放置しているのが実状。

ところが、そういう「気になる記事」に限って、意外や意外、バックナンバーとして読者に読まれていることが多いのである~。

まあ、昔の亡霊に出会ってゾッとする感じといえばよかろうか。そういう記事がひとつに限らずいくつかある。

ちなみに、過去のどういう記事がどれだけ読まれているかは、ブログの
「アクセス解析」→「ページごとの閲覧数」で、毎日更新されており、早朝にチェックしているのですぐに分かる。

そういった「気になる記事」の中で最近「アクセス」がやたらに多いのが
「プリアンプはもう要らない?」(2010・6・22付け)という記事。

正直に白状すると、これはやや後悔している記事。

記事の要旨は
「レコードからCDの時代になってプリアンプは不要になった。オーディオ・システムにおいて余分な電子回路は少しでも減らしたい。シンプル・イズ・ベストはオーディオの世界でもきちんと当てはまるはず」といった調子。

まあ、今でも決して間違いとは思わないが、「プリアンプはもう要らない」と歯切れよく書きすぎたという思いが最近とみに強くなっている。

正しくは、「プリアンプ」だけに言及せず「パワーアンプ」「スピーカー」との相互の関係も含めてシステム全体の広い視野から考察すべき題材だったろうと今では思う。

もっと具体的に言えば、十全な性能ではない「パワーアンプ」「スピーカー」を使っている場合(自分も含めて、そういうケースが圧倒的に多いと思うが)、その欠点をプリアンプが何がしか補う傾向にあれば、マイナス面よりもプラス面を勘案してむしろ積極的に活用するほうが現実に近い方策ではなかろうか。

したがって「プリアンプが必要か不要かはまったくケース・バイ・ケースで結局のところ各人の判断による」という感じで結んでおけばよかった。

ともあれ、過去の記事がこれだけ注目を浴びるというのもCD時代における「プリアンプ」のオーディオに占める位置付けがいまだに確固となっていない証左だろう。

実を言うと最近になって、自分も質のいい「プリアンプ」を使って積極的に「音作り」をしたほうがいいのではないかと大いに迷っている最中。

しかし、過去の記事とまったく相反することを実行に移すとなると、何となく居心地の悪さを覚えてしまい、「この記事は都合が悪いので取り消したい」というのがホンネというか真相なのである。

とはいえ、一度読まれた読者の記憶までは取り消せないのが何といってもつらいところ!


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独り言~「一年の計は元旦に」~

2011年01月01日 | 独り言

あけましておめでとうございます。どうか、本年もよろしくお願いします。

さて「一年の計は元旦にあり」
なんて言葉を、近年あまり聞くことが少なくなった。とかく世の中、予測不可能のことが多くなったせいがあるのかもしれない。

4年半ほど前に10年満期の証券「ドル国債」を購入したところ当時は為替レートが1ドル114円だったのが、今では80円をちょっと上回る程度。

今のところ「損失」は計り知れない!

あと
5年半で満期になるが、「どうかこれからは円安傾向に向いますように~」と、祈るばかり。

さて、今度は自分の守備範囲内での話だがひそかに志していることが三点ほどある。

 オーディオ

オーディオで音質に決定的な役割を果たすのは周知のとおりスピーカー〔以下、「SP」)だが、そのSPを年内中に一部組替えてみたいと思っている。

もちろん、不動の位置を占めている「アキシオム80」はそのままにして、低域用の「フォステクスのユニット3本」を「アルテックの403Aユニット3本」に入れ替える予定。

             

とはいってもこればかりは試聴してみないと分からないので旧ユニットを永久追放するのではなくて気分転換という意味での差し替え。

今のフォステクス〔口径20cm)はエッジレスなので決して不満はないのだが、アルテック〔口径18cm)にしたら最低共振周波数が高いのでもっと良くなるかもしれないという欲張りがなせる業である。


既にもう準備はできている。ユニットの6個は確保しているし、先日、業者に頼んで取り付けのためにアルテック用の補助バッフルも6本作ってもらった。

          

入れ替え作業としては半日もあれば充分だろう。その気になれば何時でも「GO」だが果たしてどんな音がするか、今からもう胸がワクワクしている。

 ブログの継続

ブログを始めてから早くも丸4年が経過したが、おかげさまで次から次に各地の「メル友」に恵まれた。

たいへんありがたいこと。

つい最近も新たに名古屋の方とメールの交信を始めて早1ヶ月あまり。

「アキシオム80」と、同じ製造元のグッドマンの3ウェイのSPを愛用されていて、アンプの方も銘菅「PP5/400」や「WE300A」の真空管アンプを自作のうえ愛用されているとのこと。

大いに勉強になりそうで今さらながら「情報発信」の大切さを噛みしめている。

これからも着実に2~3日おきの更新を目指して頑張るぞ~。

 健康

健康あってこその「オーディオ」であり「ブログ」なのでとても無関心ではおられないのが実状。

昨年の後半に体調を崩してしまった苦い記憶がある。

腰痛、帯状疱疹、悪玉コレステロ-ルの増加といったことが次々に襲ってきた。

煎じ詰めると「肉体的な疲労」と、それを「感知する感覚」とのアンバランスが原因だったので今年はこまめに、そして早めに検診を受けることにしよう。

以上、取るに足らない3つの「志」でした。


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