「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽談義~「シベリウスのヴァイオリン協奏曲」

2009年02月28日 | 音楽談義

オーディオ専門誌で、アンプ製作などメカニック関係の記事が主体となっている「無線と実験」の最新号を見ていたら、巻末の方にCD紹介のコーナーがありアメリカのヴァイオリニストのヒラリー・ハーン「シベリウス/シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲」が2008年のベストCDなる(音楽評論家の)コメントがあった。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲には目がないのでこういう記事を見付けると心穏やかではない、早速HMVを覗いて例の「3枚セット割引」に便乗して以下のCDを注文。1週間もしないうちに配達された。

                 
            1                 2                3

1 「ヒラリー・ハーン プレイズ・バッハ」 録音年次:1996~1997年

この盤は彼女のデヴューアルバム「バッハ無伴奏ソナタ・パルティータ集」にあたるもので、ディアバゾン・ドール賞を受賞して話題となったもの。何だかわけが分からない「知る人ぞ知る賞」のようだが、鮮烈なデヴューを果たしたともいえるもので、以前オーディオ仲間のM崎さんからコピー盤を譲り受けていたものだが気に入っていたのでこの際改めてオリジナル盤を購入したもの。演奏の可否は別として録音(音質)は抜群でヴァイオリンの冴え渡った音色には陶然とさせられる。

 「エドガー ヴァイオリン協奏曲/ラルフ・ヴォーン・ ウィリアムス ザ・ラーク・アセンディング」 録音年次:2003年

いわゆる「SACD/CD盤 」と称されるもので、通常のCDトランスポート(ワディア270)でも聴ける。バックのオーケストラがコリン・デーヴィス指揮ロンドンシンフォニーとあったので購入する気になったもの。

 「アーノルド・シェーンブルク/ヤン・シベリウス ヴァイオリン協奏曲」録音年次:2007年

CD3枚が入った梱包を開けるとまず本命のシベリウスのヴァイオリン協奏曲をいの一番に聴いてみた。ヴァイオリンの出だしのソロを聴いただけで、オーケストラとの(音量)バランスがまずとれていることにひと安心。ワディム・レーピンの同曲録音で苦い思いをしたのでつい神経質になってチェックしたものだが、ヴァイオリン協奏曲の場合はホントに難しい。

とにかく最新録音なので音質が抜群にいいのが最大のメリット。しかし、非常に残念なことに音楽的には胸を打つものがない。ただヴァイオリンが鳴っているだけで感銘を受けるにはほど遠い演奏。

これまでこのヴァイオリン協奏曲には特別に思い入れがあって、ヌヴー、ハイフェッツ、オイストラフ、アッカルドと一流どころを聴きこんできたので北欧のリリシズムと郷愁をどう表現するかは分かっている積もり。

この程度なら、ワディム・レーピンの演奏のほうが音質は劣るがまだ魅力がある。ハーンは1979年生まれということなので今年で30歳前後。まあ、レーピンとは7歳の開きがあるので年齢的には十分情状酌量の余地あり。逆に健闘しているという見方も出来るかもしれない。

クラシック音楽の伝統がないアメリカ出身のヴァイオリニストがこれから長い目で見てどういう変容を遂げていくかということになるのだろう。とりあえず、ブラームスのヴァイオリン協奏曲をデ・ヴィートと抱き合わせで注文しているのでそちらの方をじっくりと聴いてみて感想を改めて持ち越しすることに。

以上、私見とはいえ大胆な感想でした。


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音楽談義~チェロの響き~

2009年02月26日 | 音楽談義

不況の嵐が吹き荒れて何かと暗いニュースが多い昨今だが、このたび日本映画「おくりびと」がアカデミー賞(外国語賞)を受賞したのはホントに明るいニュース。

未だ観てないので、内容について語る資格がないが、映像にプラスして非常に効果的だと話題になっているのが全編を流れる
「チェロの響き」だという。

ヴァイオリン、ピアノなんかと比べてやや地味な楽器の印象を与えるチェロだが、じっくり耳を傾けているとハートを揺さぶるような豊かな響きでもってじわっと琴線に触れてくるものがある。

さて、チェロ演奏で一番有名な作品といえば、
「バッハの無伴奏チェロ組曲(全六曲)」だろう。バッハが音楽的に高い境地に達した時代の作品とされ、同時にチェロに最高の演奏技巧を発揮させたもので、当時はチェロに独奏楽器としての地位が与えられておらずその名手もいなかったので、四弦のチェロではなく六弦のヴィオラ・ダ・ガンバ(膝でひくヴィオラ)のために作曲されているのでチェロで弾きこなすのは至難の技とされる。

演奏については、パブロ・カザルスの歴史的名演が有名でバッハの死後長く眠っていたこの曲集が復活したのはまずもってカザルスの功績。

しかし、正直言って昔はときどき聴いていたのだが近年では精神が軟弱(?)になってしまって、あまり聴ける状態にはないのが自分でも残念。高校時代の同窓「S藤君」が今もって愛聴しているのには自然とアタマが下がってしまう。

一昨年、仲間の杵築市のM崎さんともどもO市の老年のオーディオ愛好家を訪問したときに
「クラシック音楽は結局バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、この3人に尽きる」と述懐していたのをつい想い出す。オーディオ装置の音はいまいちで感心できなかったがその音楽観は傾聴に値する。

一言でいえば、「バッハは神の声を聴いて祈りを捧げる音楽、ベートーヴェンの音楽を好むのはロマンチスト、モーツァルトは”な~んちゃって”音楽なのでとらえどころがなく本格的に愛する人間はカメレオンのような正体不明の人物」とは自分の独断。

さて、現在チェロに関する手持ちのCD盤はと探してみたところ次のとおりだった。

                
          1                 2                3

                     
                 4                    5

 バッハ「無伴奏チェロ組曲」 演奏 パブロ・カザルス(1876~1973:スペイン)
  録音年次:1936~1939年
  カザルスがスペイン生まれというところにキーがあって、旧来のクラシック音楽の
  伝統に囚われることなく素手で自分の芸術を創りあげた凄みがあって、野生的、
  原始的なエネルギーに満たされ、宇宙的なスケールを持った演奏とされる。
  SP時代の録音をCD化したものだが音質の悪さなんかまるで吹き飛ばす勢い。

 バッハ「無伴奏チェロ組曲」 演奏 ムスティフラフ・ロストロポーヴィッチ(1927
  ~2007:アゼルバイジャン)
  録音年次:1992年
  カザルスを崇拝していたロストロポーヴィッチの満を持したデジタル録音でチェロ
  愛好者から久しく待ち望まれていた盤

 
シューマン&サンサーンス「チェロ協奏曲」 演奏 ジャクリーヌ・デュ・プレ(194
  5~1987:イギリス)
  録音年次:1968年
  治療法のない難病とされる「多発性硬化症」のため、わずか42歳で花の生涯を
  終えたデュ・プレを今でも惜しむ声が多い。彼女が弾くバッハの無伴奏組曲を是
  非聴きたかった。

 
「ヨーヨー・マ プレイズ・モリコーネ」 演奏 ヨーヨー・マ(1955~ :中国)
  録音年次:2003年
  母は声楽家、父は指揮者兼作曲家、パリで生まれニューヨークで暮らすヨーヨ
  ー・マはハーバード大学を卒業して人類学の学位を取得しているという絵に描い
  たようなハイソサエティ出身のエリートで彼の演奏には常に知的な雰囲気が漂っ
  ている。しかし、いささか上品過ぎて人の魂を荒々しく揺さぶって感動を与える、
  あのカザルスのような迫力という点ではどうだろうか。
  しかし、モリコーネ(映画音楽の作曲家:イタリア)のような抒情的な音楽とよくマッ
  チしていてこれは今のところ愛聴盤。

 「風のかたみ」~宮澤賢治へのオマージュ~ 演奏 藤原真理(1949~:日本)
  録音年次:1992~1993年
  藤原真理さんは桐朋学園で斉藤秀雄氏に師事し、1971年の「日本音楽コンク
  ール」で大賞とチェロ部門第一位を獲得した才媛。あの高名なフルニエ、ロストロ
   ポーヴィッチにも師事したというし日本人チェリストの第一人者といってもいいの
  では。この盤は音楽と日本の自然が溶け合った癒し系の名盤。

さて、次はオーディオの話だがチェロの響きに合うスピーカー(SP)はいわずと知れた「タンノイ」独特のバックロードホーン・システムである。あの1000ヘルツ以下のブーンと豊かに膨らむ響きはタンノイの十八番(おはこ)とされるもので他のSPではなかなか出せない。

しかし、ジャズを聴くときはこの辺の立ち遅れ気味の低音が逆に難点となって原音に忠実な再生とはいえなくなる。自分のシステムは今のところジャズとクラシックの両にらみでチェロとは相性がいまいち。近年「無伴奏組曲」を聴く気がしないのもその辺に一因が。

オーディオ・システムによって鑑賞できる音楽が制限されるなんて本末転倒で困った話だが・・・。

 


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読書コーナー~読書あれこれ~

2009年02月24日 | 読書コーナー


 「誰も知らない語源の話」(2009.1、KKベストセラーズ)  

著者の「増井金典」氏は滋賀短期大学名誉教授で日本ペンクラブ・日本語学会会員。語源に関する著書が多くかなりの専門家のようだが、「誰も知らない・・」なんて、ちょっとデリカシーに欠ける表題だと思う。世の中には結構「語源マニア」がいるんだから。

まあ、あまり角をたてずにいくつか興味を引いたものを挙げてみる。

・ 「浮き足立つ」(うきあしだつ)
浮き足とは「かかと」が上がることをいう。「カカトを浮かせて立つ」が語源。そんな立ち方では、腰がすわらず、逃げ腰になるので落ち着きを失った態度をいう。

・「ピカ一」(ぴかいち)
語源は、「ピカリと一枚だけ」。花札用語で、光物(20点札)が手持ちの札の中に1枚だけあることから、一般に、同類の中で飛びぬけて優れていることに使う。

・「敗軍の将兵を語らず」(はいぐんのしょうへいをかたらず)
「敗戦は、もっぱら指揮官である自分の責任で、部下の兵卒の罪ではない」意味だと思っている人が多いが間違い。これは中国の諺で「兵」は兵卒ではなく兵法、戦術のこと。「失敗したものはその事について意見をいう資格がない」というのが語源。

・「ほとぼりが冷める」(ほとぼりがさめる)
”ほとぼり”とは「ほ(火)+とぼり(余熱)」。比喩で「興奮、世間の目、関心」をいう。時間が経過して感情の高ぶりが次第に消えていくのを「ほとぼりが冷める」という。

「芥川賞を取らなかった名作たち」(2009.1、朝日新聞出版)

著者の佐伯一麦(さえき・かずみ)氏は1959年生まれで海燕新人文学賞、野間文藝新人賞、三島由紀夫賞などを受賞、著書多数。

作家として名を成そうと心がける人たちにとって若い時分に「芥川賞」を受賞できるか否かは文字どおり死活問題。前者の場合、以後、どんな駄作を発表しようと「芥川賞受賞作家が書いた本」というレッテルがついて回るのはイメージ的に随分とプラスだと思うから。いわば
「終身免許」みたいなもの。

本書には、当時芥川賞をもらっても当然とされたのに受賞できなかった名作11編が納められている。

・太宰 治「逆行」
・北條 民雄「命の初夜」
・木山 捷平「河骨」と小山 清「をぢさんの話」
・州の内 徹「棗の木の下」
・小沼 丹「村のエトランジェ」
・山川 方夫「海岸公園」
・吉村 昭「透明標本」
・萩原 葉子「天上の花ー三好達治抄ー」
・森内 俊雄「幼き者は騾馬に乗って」
・島田 雅彦「優しいサヨクのための喜遊曲」
・干刈 あがた「ウホッホ探検隊」

このうち自分が知っているのは太宰治、吉村昭、島田雅彦の三氏ぐらいであとはまったく知らない。

吉村昭氏の著作は以前から愛読しているが、芥川賞の候補作になりながら落選したのはエッセイなどで知っていたが具体的に4回落選したというのははじめて聞いた。

「透明標本」で三度目の芥川賞候補に挙がったのは第46回、昭和36年下半期。このときは宇能鴻一郎の「鯨神」が受賞した。当初、二作受賞だと日本文学振興会から連絡が入り、吉村さんは次兄の車に乗って文藝春秋に向かう。社に着いた途端に、痛々しそうに自分を見る周りの視線から、自分が落選したことを知る。これは前代未聞のことだがそれでも以後、腐らずに書き続けたのは本当に偉いと著者は述べる。

どうしてこんなことになったかというと、票が割れて、宇能さんと吉村さんが同数になり二作受賞も仕方がないだろうという雰囲気の中で吉村さんが呼び出された。しかし、最後の最後になって選考会を欠席していた井伏鱒二に電話で意見を聞いたところ「二人のうちなら宇能鴻一郎のほうがいい」ということになり長い選考の結着がついたという。

後日、吉村さんはもし自分が芥川賞を取っていたら歴史小説に手を染めなかったと公言しているが、今となっては日本文学界にとって吉村さんが芥川賞を受賞してなかった方がよかったといえるそうで自分も一読者としてそのとおりだと思う。

なお、吉村さんの奥さんで同じ作家の津村節子さんが昭和40年に「玩具」で芥川賞を受賞されているのでご本人の”悔しさ”もひとしおかと思う。

それにしても、あと一歩で芥川賞を取れなかったばかりにすっかり朽ち果ててしまった作家たち、あるいはそれをバネにして逆に盛り返した作家などさまざまだが、後者の例はほんの一部に過ぎず、その意味ではホントに罪深い「芥川賞」ではある。

とうとう芥川賞とは無縁のままに終わったある作家は、今でも発表の日になると酒を飲んで大荒れに荒れるという逸話を読んだことがある。

『「不良」長寿のすすめ』(2009.1.24、宝島社新書)    

著者の「奥村 康」氏は順天堂大学医学部教授で免疫学がご専門でサプレッサーT細胞の発見者。

本書に書いてあることは別にそう目新しいことでもなく、一口で言えばストレスが多いと免疫細胞が働いてくれずガンなんかに罹りやすいといった内容。

たとえば昨年73歳で「肺ガン」のために亡くなったジャーナリスト・筑紫哲也さんは生前こう言っていたという。

「18年間、生のニュース番組に出続けて、「~ねばならない」という「マスト」の多すぎる日々だった。さらに毎晩、毎晩撮った番組VTRを見直しては「なぜあんなことを言ったのか」と思い悩んだり、自己嫌悪に陥ってはさらにストレスをためて、気の休まることがなかった・・・・。」(28~29頁)

生きていく上で全然ストレスがないのも問題だそうだが、筑紫さんのように仕事に真剣に取り組む人ほどストレスをためやすい傾向があるのでそういう人はご用心。


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音楽談義~フランスの管楽器奏者~

2009年02月15日 | 音楽談義

2月14日(土)付けの朝日新聞の朝刊を見ていたら、三面記事の下の方にちょっとした死亡欄があって次のような記事があった。

ジャック・ランスロさん(仏のクラリネット奏者)
7日、心不全で死去、88歳。
フルート奏者の故ジャン・ピエール・ランパル氏と並び、フランスの管楽器界を代表する存在だった。浜中浩一、横川晴児両氏をはじめ、日本でも多くの後進を育成。楽器の改良にも貢献した。

近年とんと名前を聞くことがなく存在さえもすっかり忘れていた「ジャック・ランスロ」だが、88歳とはなかなかの長寿を全うしたことになる。「管楽器奏者は肺活量がモノをいうので若い頃からその辺を鍛えていたのが長生きの原因ではないか」というのが自分の憶測。

たしか「西方の音」(五味康祐著)だったと思うが、
フランス人に管楽器の名手が多いのはフランス語の発音(唇や舌の使い方)が管楽器の演奏にマッチしていて幼児の頃から訓練されているからなんて記載があったのをふと思い出した。

そういえばポピュラー音楽のジャンルに入るが、自分の好きなトランペット奏者の「ジャン・クロード・ボレリー」もフランス人。

さて、ランスロといえばモーツァルトの「クラリネット協奏曲」(K622)が有名で、これは同じフランス出身のフルート奏者
ランパル「フルートとハープのための協奏曲」(K299)とカップリングになっているCD盤がある。

                        
             「フルートと・・・」                 ボレリー

ただし演奏曲目としては「フルートと・・・」の方が有名で、これは昔から極め付きの名曲、名演(ランパル~ハープのラスキーヌ~パイヤール指揮)とされていて、モーツァルト・ファンでこのCDを持っていない人はモグリであると断言しても差し支えないほど。

作品の方は旅先での母親の死という悲運に見舞われたパリ時代(二度目)の22歳のときのもので、ある貴族とその娘さんが共演するための曲目として作曲を依頼されたもので典雅で叙情的な旋律、とりわけ第二楽章なんかはいつ聴いてもウットリさせられる。

さて、肝心のランスロによるクラリネット協奏曲の方だがこれもいい演奏だとは思うが、ひと昔前はレオポルト・ウラッハ(ウィーン)の演奏したものが極上とされていた。しかし、惜しいことに録音年次が古くてこれはモノラル録音。

レコードから焼き直したウラッハの「クラリネット協奏曲」のCDを持っているので、早速ランスロとウラッハを聴き比べて見た。両方の演奏ともにずっと以前に購入して既に聴いてそれなりの感想を持ってはいるのだが、その頃とは随分とオーディオ装置も変わったことだし印象も様変わりすることだって当然ありうる。

とにかく、クラリネットは柔らかく甘美で聴き手を自然に森の情景へと誘い詩人にしてしまう不思議な楽器である。

                        

             クラリネット協奏曲            クラリネット五重奏曲

さて、「ランスロ追悼」の意味をこめて、贔屓(ひいき)してやりたいが、やはり当時聴いたときと同じ印象で音質(録音)は劣るものの晩年のモーツァルトの内面的な渋さ、あのオペラ「魔笛」にも共通した透明感を求めるとなるとウラッハに一日の長があるように思う。

特に第二楽章のアダージョの深く精神的な味わいは「モーツァルトが死の近いことを予感しつつ作曲した辞世の歌」とされているが、いたずらに感傷に流されることなくふくよかでゆったりとしたクラリネットの音色が自然に拡がっていくのはウラッハならではの冴え。

ウラッハ以後のクラリネット奏者では、ランスロも含めてプリンツ、ライスター、シュミードルなどの名手がいるが近年ではどういうアーティストがいるんだろうかと思って手持ちの「ウィーンフィル・ベルリンフィル最新パーフェクトガイド」(2008.9.1、音楽の友社刊)をひも解いてみた。

すると現在はウィーンフィルの首席がエルンスト・オッテンザマーで、ブルリンフィルではヴェンツェル・フックスがソロ活動をやっているようだ。いずれも聴いたことがないが両者ともにウラッハを凌いでいるといいのだが。


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オーディオ談義~理想的なオーディオシステム♯2~

2009年02月13日 | オーディオ談義

このところすっかり内田康夫さんの推理小説「浅見光彦シリーズ」にハマってしまって、次から次に読み漁っている。

さて、そのうちの一冊「札幌殺人事件」の中ほどに次のような記載があった。”飲み屋のママさん”による諺(ことわざ)として紹介されていたもので、なかなか巧みな比喩だと思ったのでそのまま解説(引用)してみよう。

「月の出を待つ曜日」

「灯(ひ)ともしごろの曜日」

「ブルー曜日」

「気まぐれな曜日」

「ゴールド曜日」

月曜日は会社の仕事が溜まっているせいか、お客の出足が遅い

火曜日はその反動のように夕暮れとともにお客が訪れる

水曜日は中だるみで閑古鳥(かんこどり)が鳴く

木曜日はその週によってまったく読めないほど波がある

そして、金曜日こそは文字どおり「お金」になる日

というわけ。どうです、思い当たる節がありませんか?

思わず現役時代の頃の
「花金」(花の金曜日)という言葉を想い出してしまった。卒業した今では「毎日が日曜日」で、すっかり曜日の感覚が遠のくばかりである。贅沢な悩みかもしれないが、やはり一抹の淋しさも隠せないところ。

その
花金」(2月13日)だが、久しぶりに高校時代の同窓で現役でバリバリ働いているM平君との飲み会が待ち受けている。

閑話休題。

さて、先日のブログ「理想的なオーディオシステム」の中で、クラシック音楽からジャズまで広範な音楽を満足して聴こうと思ったら少なくともスピーカーシステム(以下「SP」)は「三とおり」ほど要るとの話をしておいた。

すかさず、ある人から異論があって完璧なSPが”ひとつ”あれば、どんな音楽でも十分鳴らせるはずとのご指摘をいただいた。

基本的には各人の音楽の聴き方に関連してくる話なので”人さまざま”で諸説があって当然とも思うが、まあ音楽の聴き方はどれが一番いいとは簡単に言えないところ。

自分の場合、よく言われている話だが
「クラシックは明るめの音でSPの奥の方に広がって展開する」、「ジャズは暗めの音で前へ前へと出てくる」を一応モットーにしている。

以前にも書いたことがあるがクラシック音楽の伝統は、教会や劇場の中などで演奏者の”直接音”と壁や天井に当たって跳ね返ってきた”間接音”とが微妙に入り混じって聴く音楽であり、ジャズは「ストリート・ジャズ」(街路演奏)という言葉にもあるように直接音、つまり楽器の音色そのものを楽しむ(もちろんリズムも)音楽だと思うから。

常日頃こういう聴き方を念頭に置いていれば、およそクラシックとジャズの
十全な鑑賞がそもそもハナっから両立できないことは分かっていただけるかと思う。

もっとも、クラシック・オンリーにしてジャズを聴くようにしなければオーディオも随分と楽なのだがあの「シンバル」のチリーンといった澄んだ音や「ベース」の分厚い音なんかはやはり「オーディオ・マインド」を大いに刺激してくれるので簡単に捨て去るわけにはいかない。

ところがである。つい先日(2月8日)、太宰府市のマニア宅に所要があってお邪魔し、丁度いい機会とシステムの音を聴かせてもらったところ、実にうまい具合に鳴っていた。

「音が奥に広がる」とか「前に出てくる」とかいった表現ではとても追いつかず、「録音されている音が忠実に再現されている、いわゆる”原音再生”とはこういうものか」という印象で、まるでオーディオ装置を意識させない音とでも言おうか。

そのシステムの概要だが、部屋の一部を天井から遮断して全面バッフルで仕切り、SPはウェスタンのホーンを交えて4ウェイ、アンプは自作のドデカイ真空管式(WE300B)で電源部は別、オリジナル製作品の「タイム・アナライザー」の真空管はSTC、コンデンサーは東一(銅箔)、そしてソースはレコードとCD。

まず、「この演奏(録音)の年代を当ててみませんか」とヴァイオリンのCDを鳴らされた。一聴して針音ノイズがするので古いSP時代の録音だと分かったがそれにしてはヴァイオリンの音色が実に鮮明に聞こえるので1940年前後でしょうと言ったところ「残念でした~」。

何と1926年の演奏だとおっしゃる。ヴァイオリニストはあの伝説の
フリッツ・クライスラーで曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。

何とも気品があって言葉に言い尽くせないほどの「ふくよかな音色」でクライスラーの芸格が現代に蘇ったとでもいうべきもの。SP盤をCDに焼き直したものだがこういう音で聴ければ懐古趣味だけでなく音楽としても十分鑑賞できる。

それにしてもこのシステムの再生能力には驚く。4ウェイということは低域から高域までの可聴帯域(およそ20ヘルツ~2万ヘルツ)を再生するのにSPユニットが4個あるということだが、各振動板の位置が前後まちまちなのにもかかわらず音像定位に不自然感がないし、
「低域の遅れ」が無くてそれぞれの帯域のスピードが見事に整っているので「4つのSPユニット間の位相の調整はどのように解決しているのですか」とお訊ねしたところ、得たりや応と「各SPからの逆起電力をきちんと処理すれば関係ない」とおっしゃった。

この辺になると自分にはまったく手が出ない電気技術の粋を極めた世界になるが、独自の工夫によるネットワークの構造やコンデンサーなどの部品をよく吟味して電気の流れやロスをきちんと把握し制御していればこういう音になるということらしい。

たとえ理屈がどうであれ、この音がハッキリと証明しているのでイヤでも納得。我が家の音も「逆起電力」の処理をきちんとやれば、随分と音が良くなるのだろうが、さてどこをどうすればよいものやら。

「とりあえず、あのアンプの電源をこう変えたら・・・」なんて思案に耽りながら帰途についたが、つい「好天の高速道」を飛ばしに飛ばして大宰府~別府間が何と1時間15分だった。


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音楽談義~ヴァイオリニスト「ワディム・レーピン」

2009年02月10日 | 音楽談義

若手ピアニストのエフギニー・キーシンを「仰ぎ見る大天才」と評したのは高校時代の同窓生で音楽家のO畑君だが、同じくお薦めだったのが今度はヴァイオリニストの「ワディム・レーピン」。

キーシンが見事に的中したこともあり彼の推薦とは相性がいいみたいなので「間違いなし」と踏んでつい最近取り寄せたのが次の2枚のCD。

                      
                  ☆                   ☆☆

   ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」ほか   
     ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団 指揮:リッカルド・シャイー
     レーベル:ドイツ・グラモフォン

☆☆  モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲2番、3番、5番」  
     WIENER KAMMER ORCHESTER 指揮:ユーディ・メニューイン
     レーベル:エラート

いやあ~、参りました。それほどに素晴らしかった。O畑君はどうしてこんなにいい若手のアーティストを次々に知っているんだろう?

朝、昼、晩と三度の食事並みに熱中し興奮して連日傾聴しているが、こういうことは近年ホントに珍しい。あくまでも自分の感想だが彼の弾くヴァイオリンは音色が豊かで艶があって抒情味もありしかも音程が正確無比。

やっと自分が大好きな往年の女流ヴァイオリニスト
「ジネット・ヌヴー」に取って代わる才能に出会ったと言ってもいいくらいだが、強いて言えば、ヌヴーとオイストラフを足して2で割った印象でどちらかといえばオイストラフに近いがSPの「アキシオム80」で聴くヴァイオリンの音色はひとしおで「聴覚」にとってもウットリとさせられて実にいい耳の保養になっている。

この魅力的な「ワディム・レーピン」について調べてみた。

生年は奇しくもキーシンと同じで1971年、それも同じロシア出身でキーシンはモスクワでレーピンはシベリア。

5歳でヴァイオリンを開始、11歳でヴィエニヤフスキ・コンクールで金賞、17歳でエリーザベト王妃国際コンクールで史上最年少で優勝。

使っているヴァイオリンは1708年製のストラディヴァリウスでかって名手のサラサーテが愛用していたものという。

かってのヴァイオリニストのユーディ・メニューインが「私が聴いた中で最も優れた完璧なヴァイオリニスト」と激賞している。

もっとも、どんなコンクールに優勝しようと、どんなに有名な人間が褒め称えたとしても演奏が気に喰わなければ無視するのみだが、ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」もモーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲」もいずれも特上で聴きながら惚れ惚れするほどの仕上がりぶり。

特にブラームスのヴァイオリン協奏曲は交響曲並のスケールと内容を持った作品だが「ベートーヴェンを超え得ない己が才能に暗澹としながらも作曲を続けざるを得なかった」誠実なブラームスの悲哀を十分感じさせるものだった。まったくこの年齢でこの演奏、言うこと無し・・・。

とにかく数あるクラシック音楽の楽器の中でも双璧とされるのが「ピアノ」と「ヴァイオリン」という楽器だが、伸び盛りのキーシンとレーピンが健在であればまず安泰、今後この二人を軸にクラシック界は展開していくと予言しておこう。

それにしても「キーシン」といい「レーピン」といい、ロシアはどうしてこう
「けた外れのアーティスト」を次々に輩出するのだろうか。

レーピンを大いに気に入ったのでHMVをさらに調べてみたところ10枚組のCDボックスがあった。中ではモーツァルトのヴァイオリン協奏曲がダブってはいるが
「シベリウスのヴァイオリン協奏曲」はこのボックスを購入しなければ聴けないので「購入GOサイン」をクリック。

折り返し、発送は3月1日の予定というメールが入った。

ところで話が全然変わるが、大分県内の魚販店で「禁止されているふぐの卵巣」を販売して2人が中毒になったことがNHKの朝のテレビニュースで
全国放送(2月9日)されていたのはご存知の方がいるかも。

中国産品を国産品と偽るいわゆる偽装の問題などもあって今や「食の安全」は大きなテーマである。

本県ではこの身近なニュースにより、みんな怖がって「ふぐ」を買おうとしないものだから、ほかの「ふぐ」販売業者が大迷惑。うちのカミさんは逞しい(?)ものだから、この際に乗じて値引き交渉をして格安でフグを仕入れてきた。

おかげで9日の夕食は久しぶりに「ふぐチリ」を堪能しました。我が家ではこの騒動の余得にちゃっかり預かりましたです、ハイ。


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