「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

カラスの一群は人生の縮図

2021年11月30日 | 独り言

昨日の11月29日(月)は娘の誕生日だった。年来の宝塚歌劇の大ファンで「熱中ぶり」からいえば、オヤジの「音楽&オーディオ」と、どっこいどっこいである。

「凝り性」の遺伝子は間違いなく受け継がれているようだ(笑)。


夜になって電話してみた。

「今日は誕生日だね、11と29は素数だから割り切れない貴重な数字なんだよ~。仕事の方はどう?」


「ハハ、11と29なんて変わり者の数字かもね(笑)」と一笑に付したあとで、四方山話に移って、何かのはずみで宝塚歌劇団で活躍していた「檀 れい」さんの話に及んだ。


ご覧の通り凄い美人だが、「檀 れい」さんの「首の短かさ」について言及があった。

人の身体の特長について詮索するのはあまり趣味のいい話ではないが、まあ親子なので。

「ちっとも短くないじゃない、ごく普通だよ」と言うと、「宝塚はいろんな歌劇をするので、ときには軍服などの”詰襟”姿になることもあり、そういうときに首がひときわ長くないと映えないのよね」と、言うので成る程そういうことかと納得。

また、こういうことも言う。

「檀さんは宝塚在籍当時のトップ娘役では、完全に”花総まり(はなふさまり:伝説の娘役)”さんの後塵を拝していたのに、今となっては映画や、テレビに引っ張りだこで男性たちからも超人気。

それに引き換え花総さんは現在、
宝塚時代の活躍に比べてあまり陽が当たらないみたい。

宝塚ではトップ役にスポットライトが当たるように周囲がお膳立てしてくれるけど、一般社会に出ると違うのよね。人生長い目で見ないとほんとうに分からないね~」

この話で、ふと似たような趣旨のことが昔読んだ東畑精一〔とうばたせいいち)氏の「私の履歴書」の一節にあったのを思い出した。

日本経済新聞社の「私の履歴書」といえば、周知のとおり「功成り、名を遂げられた」方々の公の卒業証書みたいなもの。

東畑さんといえば農業経済学の泰斗であり政府の税制調査会長などの要職も勤められ、「農業基本法」(1961年)の生みの親でもある。

早速、図書館に行って確認してみたところ「結び~老馬とカラス」と題したところに、記憶どおりその記述があった。

        

ちょっと長くなるが引用させてもらおう。

「昔から老馬知夜道と言われた。老馬は御者の案内がなくとも、夜道を知っており、行くべきところに無事に着くのである。その老練さを述べた言葉であろう。

駿馬と老馬とどこが異なるかと聞かれても困るが、ただ重要の一点の相違がある。駿馬は夜道をかけることができないのだ。

現代、ことに政治や国際関係には昼間もあるが夜もある。それにもかかわらずチャキチャキの駿馬ばかりいて、老馬が少ないように思う。~略~。

東洋の心は駿馬のみでは征せられない。


次に思い出すのはカラスのこと。

子供仲間が夕刻、遊びに疲れて屋敷のそばの石垣に腰をかけていると、カラスの一群が飛ぶのに飽いてねぐらに帰ってゆく。

それをながめながら、「後のカラス、先になれ、先のカラス、後になれ」と呼んでいると、ときどきその通りになり、われわれは快哉を叫んだものである。またいつでもはぐれカラスが一、二羽は後から飛んでいった。

この履歴書を書きつつ(※昭和54年)、過去を顧みると、どうもこのカラスの一群はわれわれの人生の一つの縮図のようにも思われる。

小学校から大学まで、幾多の同級生、同窓生があるし、また社会に出ても共に仕事をした多数の人々がある。長い間のそれらの人々を思うと、わたしはカラスの一群の動きを思わざるを得ない。

幼少時代に頑健なもの必ずしも長命せず、かえって弱々しい男が今も健在である。俊秀のもの、卒業後数十年の後には凡骨と化しているのもある。

鈍重なカラスが長年コツコツと仕事に励んでいて、見事な成果を挙げて真っ先のカラスとなっているのもある。

そうかといって、はぐれカラスがいつまでもそうではなくて、はぐれ仲間で立派なグループを作り、結構楽しんでいるのを見るのは愉快である。

どうしてこうなのか。

歳月は人間の生涯に対して黙々たる進行のあいだに猛烈な浄化や風化の作用や選択作用をなしているからだ。

こう思うと、ある瞬間、ある年代だけを捕えて、むやみに他人や事態を評価したり判定したりすることの皮相なのに気がつく。

他人の先頭に立っていると思っている間に落伍者となっておるとか、その逆とかは日常しばしば見られることである。

いそいではいけない。静かにじっと見つめる要がある。ことに怱々忙々何十年を経てきた自分自らを凝視するのが大切である。

人生はただ一度、繰り返すことが出来ない。美人ならぬ老馬を天の一角に描きながら、また人生のカラスの大群をじっと見つめながら、腰痛をかかえて座しているのが昨今の私である。」

こういう”ご大層”なことを自分のような”一介の市井の徒”が言ってみても何ら値打ちもないが、人間と学問の道を究められた重鎮の言だからこそ随分と重みがある。

とはいえ、自分にとって「冴えない人生」を挽回する時間がもはや燃え尽きようとしているのがほんとうに残念だ(笑)。



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激しく情感が揺さぶられるような起爆剤が必要です

2021年11月29日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

とうとう「AXIOM80」(オリジナル版)を容れた「自作の箱」改造のやむなきに至ったのは既に記述どおり。


自作の箱の底板にグッドマン(英国)の口径30㎝のユニット「AXIOM150マークⅡ」(以下「マークⅡ」)を張り付け、サブウーファーとして低音域を床面に放射させようという虫のいい魂胆だったがこれは失敗した。

こんなヤワな箱(板厚1.5cm)に二つのユニットを納めるという発想がそもそもの間違いで、実際に音を出してみたところ、お互いの背圧が邪魔し合って何とも「奇妙な音」に変身した。

あっさり諦めてこのユニットをそのまま「重し」代わりに使うことに方針転換した。ヤワな箱の剛性が増すことだろうし、ついでに「ドロンコーン」代わりになってくれたらめっけ物だが。

というのも、この「150マークⅡ」のコーン紙は薄くて軽いのでAXIOM80の背圧効果により微妙な振幅を期待したいというわけだが、「バッフルの前面に「2cm×50cm」の隙間を作っているので無理でしょう」とは、オーディオ仲間のYさんのご託宣だった。

そう、2週連続でYさんがお見えになったのである(笑)。

それはともかく、この「重し」を容れ、2㎝の隙間を作った箱に内蔵した「AXIOM80」(オリジナル版)を聴かれて感心されるばかり。

「明らかに復刻版に比べて極めて繊細な再生振りですね。おそらくこのスピーカーの右に出るユニットはないでしょう。それに以前よりもたしかに響きが自然になってますよ。2㎝の隙間と重しの相乗効果でしょう」

とはいえ、Yさんのご自宅のシステムといえば、マークレヴィンソンのアンプを売り払って「デジタルアンプ」(30万円)を購入したり、口径10cmのフルレンジのユニットを長岡式のボックスに容れたりで、凄い財力なのに「AXIOM80」を絶対に購入しようとはなさらない。

「真似をしたくない」という意地もここまでくれば大したもんです(笑)。

何はともあれ、我が家の真打「AXIOM80」(オリジナル版)が数あるSP群の中で主役の座に躍り出たのはうれしい限り。

これも遠因を辿ると、小型スピーカー「PL100」(英国:モニターオーディオ)を購入したことに始まる。

ほんのちょっとした「きっかけ」から始まった連鎖反応に何だか運命的なものを感じている。

実際に列記してみると、

「PL100」 → 「SPスタンド」 → 「JBLユニット」 → 「箱の前面バッフルの隙間の重要性」 → 「AXIOM80(復刻版、オリジナル版)の両者を容れた箱の見直し」

といったことになる。身びいきかも知れないが「結果オーライ」でした。

あっ、そうそう、「AXIOM80」といえば、メル友の「H」さん(神戸)がこのほどオークションで「AXIOM80」のオリジナル版を「30万円」で落札された由。

「H」さんは自分と同じ大学のご出身で、長いことファッション関係のお仕事をされており美的センスにうるさい方である。

羨望の的だった「AXIOM80」(オリジナル版)がオークションに出品されるたびに根気よく「30万円」で入札されていたところ、いつも圏外だったのが今回は珍しくギリギリセーフで予想外の最高額となり無事落札できたと喜ばれていた。

ちなみに我が家の場合は10年ほど前のこと、たしか「36万円」前後だったと記憶しているが、「H」さんによるとひところより「値下がり気味です」とのことだった。

そして、実際に到着して鳴らしてみたところ「極上品」とのことで、かっての持ち主だった相手側との連絡も密にされており、この上ない満足感に浸っておられるご様子。

さらに「AXIOM80をもっとうまく鳴らそう」と周辺の真空管アンプの球を入れ替えたりで全面的に見直しされたそう。

「ジャジャ馬」との名称どおり、うまく鳴らすのがことのほか難しく「このユニットを持つ者は人生を過つ」とまで言われているAXIOM80だが、どうかこのまま順調に推移されることを祈るばかりである。

いずれにしても、オーディオを楽しむためには激しく情感が揺さぶられるような「起爆剤」が必要のようですよ

「人生を楽しむ」のだってそうですけどね(笑)。



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「後頭部の一部が痺れる感覚」を追い求めて

2021年11月28日 | 音楽談義

このブログの配給元である「グーブログ」には「アクセス解析」という項目があってその一部に過去記事のランキングが日替わりで掲載されている。

先日、そのランキングの上位にあったのが「オペラ魔笛の想い出」だった。2009年に投稿したものなので今から12年も前のブログだ。

エーッ、こんな昔のものまで目を通している方がいるんだと驚いたが、どういう内容かさっぱり忘れていたのでざっと目を通してみるととても真面目な内容なのに我ながら驚いた(笑)。

現在のようにオーディオに偏った記事とは大違いで、自分で言うのも何だが音楽を愛する真摯な姿勢が垣間見えるような気がして、これこそ我が「音楽&オーディオ」の原点なんだと、思わず感慨にふけった。

そういうわけで、「昔日の真面目な面影」を知っていただくために、以下のとおり一部修正のうえ再掲させてもらいました。

「音キチ」からのイメチェンにつながれば何より幸いですが~(笑)。


オーディオ専門誌「無線と実験」の読者交換欄を通じて「アキシオム80」を譲ってくれた千葉県のSさんとはその後もメールの交換をときどき行っている。

お互いに「音楽&オーディオ」好きなので話題は尽きず毎回、Sさんがどんな内容を送ってくるのかが愉しみだが、先日のメールは次のような内容だった。題して「魔笛の想い出」。

Sさんの友人のNさんは美大を卒業後ご夫婦でドイツに留学、画家として将来を嘱望されていたが精神を病んで極度のウツ症状となり帰国後病院通いをしながら最後はとうとう自殺されてしまった。

当時の14年前のクリスマスの頃、丁度SさんがNさんご夫婦とお会いする機会があり、内田光子さんのモーツァルトのピアノソナタのLPを買ってプレゼントしたところ奥さんが「ありがとう、今は魔笛なの、魔笛ばっかり聴いてるの」と力説されていたのが最後の想い出となってしまった。

そこで、このメールに大いに触発されて返信したのが次の内容だった。

モーツァルトの創作活動の集大成とも言える魔笛のあの「透明な世界」と「人間が消えて失くなること」とが実に”しっくり”きていて胸にジンときました。たしかに魔笛の世界には人間の生命を超越したものがあってとても言葉なんかでは表現できない世界なんですよね。

自分にも是非、「魔笛の想い出」を語らせてください。

あれは丁度働き盛りの37歳のときでした。それまで、まあ人並みに出世の階段を昇っていたと思っていたのですが、その年の4月の異動で地方に飛ばされてしまいました。

今となっては「そんなくだらないことに拘ってバカみたい」ですが、人生経験の浅かった当時はかなりショックでした。

結局、片道1時間半の道のりをクルマで2年間通勤しましたが、1時間半もの退屈な時間をどうやって過ごすかというのも切実な問題です。

丁度その当時コリン・デービス指揮の「魔笛」が発売されクラシック好きの先輩がカセットテープに録音してくれましたので「まあ、聴いてみるか」と軽い気持ちで通勤の行き帰りにカーオーディオで聴くことにしました。

ご承知のようにこの2時間半もの長大なオペラは一度聴いて簡単に良さがわかるような代物ではありません。

最初のうちは何も感銘を受けないままに、それこそ何回も何回も通勤の都度クセのようになって何気なく聴いているうち、あるメロディが頭の中にこびりついて離れないようになりました。

それは「第二幕」の終盤、タミーノ(王子)とパミーナ(王女)との和解のシーンで言葉では表現できないほどの、それは、それは美しいメロディです。この部分を聴いていると後頭部の一部がジーンと痺れるような感覚がしてきたのです。

そう、初めて音楽の麻薬に酔い痴れた瞬間でした。こういう感覚を覚えたのは魔笛が初めてです。ベートーヴェンの音楽もたしかにいいのですが、強い人間の意思力を感じる反面、ちょっと作為的なものを感じるのですが、モーツァルトの音楽は天衣無縫で俗世間を超越したところがあって生身の人間の痕跡が感じられないところがあります。

魔笛という作品はその中でも最たるものだという気がしますが、文豪ゲーテが晩年になってモーツァルトの音楽を称し「人間どもをからかうために悪魔が発明した音楽だ」と語ったのは実に興味深いことです。

それからは「魔笛」の道一筋で、とうとう病が嵩じて「指揮者と演奏」が違えばもっと感動できる「魔笛」に出会えるかもしれないと、44セットもの魔笛を収集してしまいました。これも一種の病気なんでしょうね~。

ちなみに、我が家のすべての魔笛を引っ張り出してみました。

左からCD盤、DVD盤、CD(ライブ)盤です。

                       

ただし、あれからおよそ40年近くなりますが、あの「ジーン」と頭が痺れるような感覚はもう二度と蘇ってきません。おそらく感性が瑞々しい時代特有の出来事だったのでしょう。

今振り返ってみますと、37年間の宮仕えでつらかった失意の時期が自分の精神史上最もゆたかな豊饒の実りをもたらしてくれたなんて、まったく人生何が幸いするか分かりませんよね。

「人間万事塞翁が馬」という”ことわざ”を自分は完全に信用しています。人生って結局この繰り返しで終わっていくんでしょう~。

これから、久しぶりに魔笛を聴いてみようと思います。トスカニーニ盤、ベーム盤(1955年)、デービス盤、クリスティ盤どれにしましょうかねえ。

と、以上のような内容だった。

現在のように「音楽&オーディオ」に熱心なのも「夢よもう一度」で再び「後頭部の一部が痺れるような感覚」を追い求めているからだが、たとえ今後どんなに「いい音楽、いい音」に巡り会ったとしても、あの感性の瑞々しい時期に遭遇した衝撃的な出会いにはとうてい敵わないような気がしている。

当時のお粗末なカーステレオの音でそういう「痺れる感覚」を味わったのは実に皮肉ですけどねえ・・(笑)。



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どうしてオーディオはこんなに楽しいんだろう!

2021年11月27日 | オーディオ談義

10年ほど前のこと、その当時交流のあった方からこう言われたことがある。

「そろそろオーディオを卒業して音楽に専念したらどう?どうせキリのない世界なんだから」

どう返事したか定かに覚えてないが、おそらく「そうですねえ」ぐらいの相槌を打ったことだろう。

オーディオは音楽を聴くための道具だから、「目的=音楽」と「手段=オーディオ」が混同してはいけない、つまりオーディオが目的になるというのは道理に合わないことは百も承知だった。

とはいえ、分かっちゃいるけど止められない(笑)。

およそ50年以上になるが、いまだにオーディオを卒業できないのだからもう無理ということがハッキリしてきた。

どんなに「好みの音」が出たとしても、もっと「手間暇」かけて磨き上げたいという気持ちが止むことはないのでよほど(オーディオが)好きなんだろう。

それに、結果はどうであれ「持ち主」のすることに何も文句も言わずに唯々諾々としたがってくれるのはこの世の中でオーディオくらいのものだろうし~(笑)。

というわけで、ちょっと”くどい”かもしれないが連続してオーディオの話で前回の「ピタリとハマったSPボックスの工夫」の続きです。

ちなみに、この記事はかなり反響を呼び、いつもはアクセスが1日あたり「950UU」前後だが、「1176UU」と大幅に伸びたし、メル友の横浜のKさんからは「ミステリー並みに面白い、早く続きが読みたい」というありがたいメールもいただいたところ。

さしてお金のかからない身近な工夫が広く共感を呼んだのかな~。

余計な話はこのくらいにして先を急ごう(笑)。

前面バッフルの下部に1cmの隙間を作ることで大きな効果が得られたので、第二弾としてもう一つの自作の箱に目を付けたのは前回のブログで既述したとおり。

これが「AXIOM80」(初期版)が入っている箱。軽く共振させることを狙って市販品では求められない「厚さ1.5cm」の薄板を使っている。お金はかからなかったけど時間はかかった労作である(笑)。



前面のバッフルはご覧の通り1/3あたりで上下二段に分かれていて、今回は下段の最下部に2cmほどの隙間を空けようという算段である。

外部から見えない底板には既に20cm四方の「ARU」(背圧調整器)を付けている。

下段はこれまで一度も外したことがなかったのだが、(黒色の)塗料が接着剤の役割をしていてがっちりこびりついており外すのにたいへんだった。

バッフルと本体の境目にマイナスドライバーを数か所あてて頭の部分を木槌でトントンと叩いてようやく外れた。

それから鋸で2㎝の部分に沿って切って、左右両方とも作業を済ませるのに1時間ほどかかった。

これで「2cm×50cm」の新たな隙間が出来たことになる。おそらく「背圧」(裏側に出る音)が気持ちよく出てくれることだろう。



さあ、いよいよ試聴である。絶対に音が良くなると確信していたが、たしかに~。

「爽やかな風が吹きぬけていくようなサウンド」といえばいいのだろうか。

次から次に「ブルーレイ」でいろんな曲目を頷きながら「ええ音やなあ~」と惚れ惚れしながら聴いていったが「新世界より」(ケルテス指揮)の冒頭部分のティンパニーの部分にさしかかると「もう少し低音域の重量感が欲しいなあ」。

「AXIOM80」に重低音を求めるのは「比丘尼に陽物を求めるようなもの」(司馬遼太郎氏)だが、もうちょっと何とかならないものか。

そこで、思い切って底板の「ARU」を外しその空間を利用して同じグッドマンの「AXIOM150マークⅡ」(以下「マークⅡ」)を下側に向けて取り付けることにした。

「サブ・ウーファー」として使おうという魂胆である。それも床面に音を放射させるというユニークなやり方で。

「百聞は一見に如かず」で、ご覧の通り。



メチャ重たい重量級の大きなマグネットが威容を誇っている。さあ、大ごとになってきましたよ~。

以下、続く。


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ピタりとハマったSPボックスの工夫

2021年11月25日 | オーディオ談義

前々回のブログ「スピーカースタンド革命」からの続きです。

これまで頭の片隅にもなかった「スピーカースタンド」(以下「SPスタンド」)の登場によって我が家のオーディオの景色がずいぶん良くなったような気がしている。

そこで、調子に乗ってこの「SPスタンド」を精一杯有効活用しようと、新たに編成したのがJBLの2ウェイシステムだった。



日頃「メイン」として聴いている「AXIOM80」とは対極的なサウンドだが、これはこれなりに新鮮味があって十分聴けるシステムである。

そこで、「他の人はどう思うかしらん」と、このシステムを編成した翌日にオーディオ仲間のYさんに聴いていただいたところ、5分もしないうちに「AXIOM80を聴かせていただけませんか?」

「エッ、それはないでしょう、もっと時間をかけて聴いてくれませんかね」と、喉元まで言葉が出かかったが辛うじて思いとどまった(笑)。

Yさんはとにかく「ネットワーク」や「チャンデバ」を使ったスピーカーに対して最初から拒否反応を示される。そして、我が家では「AXIOM80」以外のシステムは、はなから受け入れようとはなされない~。

まあ、個性としてそれもありなんでしょうが・・・(笑)。

しかし、JBLのシステムにチャレンジしたおかげで新しい発見があったのでそれを忘れないように書き止めておくとしよう。

というのも、「D123」(JBL:口径30センチ)を容れた箱の下部に背圧の抜け道として「縦幅 1cm × 横幅40cm」の隙間を作っておいたところこれが実に巧い具合に作用して小振りの箱にもかかわらずかなり本格的な低音が出てくるのに気が付いた。

これはもしかして「AXIOM80」を容れた箱にも応用が利くのじゃあるまいかとピ~ンと閃いたねえ!(笑)。

「思い立ったが吉日」とばかりさっそくバッフルの位置をずらして1cmの隙間を作ってみた。

面積は「1×40=40平方cm」となるが、円形で換算すると(円の面積は)「πr2乗」だから口径およそ「7cm」に相当する。

自己流の「ARU」(背圧調整器)として既に背面のバッフルに口径10cmの穴を開けているのだが、今回は前面のバッフルに追加の「抜け穴」となる。

どういう結果になるか、まったく「やってみなくちゃ分からん」状況だったが、「な~に、拙けりゃ元に戻せばいいさ」ぐらいの軽いノリだった。

10分ほどの簡単な作業を終えて聴いてみたところ、何とまあ「AXIOM80」の音がこれまでにないほど屈託なく朗々と鳴り響いた!!



以前よりもずっと抜けが良くなって伸び伸び感が出てきたし、弱点だった低音域の量感も心なしか増えた感じ。というか、物理的にはそれほど変わらないのだろうが、聴感的に「低音不足」を感じさせない音という表現のほうが正確だろう。

どうやらこれまでの背面バッフルに開けた口径10㎝の「ARU」だけでは足りなかったことがこれで判明した。

シマッタ、早く気付くべきだったなあ~。

限りなく実験を繰り返した緻密な「メーカー製」と違って「自作」なんだから「試行錯誤を限りなくやらないと駄目じゃないか!」と、自分を厳しく叱った(笑)。

と、同時にたったこれだけのことで音が激変する「AXIOM80」のデリカシーに改めて感服した。

それにしても、こんな小さな箱なのにこれまでの長い「AXIOM80」の付き合いの中では一番気に入った音が出たことに驚いた。

ちなみに箱の内部は「定在波」を防ぐためにこのようにしている。



いずれにしても今回の工夫はJBLのシステム編成のおかげで気が付いたことになる。

そして、この「上首尾」にすっかり酔い痴れてしまい「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って、もう一つの「AXIOM80」(オリジナル版)が入っている自作の箱にも同じことを試してみることにしたのは必然の成り行きだった(笑)。

以下、続く。



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読書コーナー~健康情報は8割疑え!~

2021年11月23日 | 読書コーナー

19日(土)から日曜日にかけての温泉地・別府市内は県外ナンバーのクルマがうようよしていた。福岡、熊本、宮崎、そして山口ナンバー・・。

どうやら新型コロナが下火になって、観光客が戻ってきたようだ。久しぶりに開放感を味わいたい気持ちがよくわかりますね。

ただヨーロッパや韓国ではいまだに猛威を振るっているようで油断できないが、なぜ日本だけが収まっているのか専門家の間でもはっきりした理由はわからないそう。

家内の「かかりつけの医師」によると「マスクとワクチンの相乗効果でしょう」とのことだが、たしかにいろんなショップや図書館を回ってもマスクをしていない人がまったく見当たらないし、ワクチンの接種率もたしか先進国ではNO.1だとか。

フランスなどでは「ワクチンを打たない自由」を求めてデモをするというから、やはり日本人は何かにつけ真面目な国民性なんですねえ。

言い換えると、いろんな情報を「信じ込みやすい」性質と言えるのかもしれない。

そういう中、「健康情報は8割疑え!」というユニークな本に出会った。



いつも週刊誌の広告などの「健康情報」をすぐに鵜呑みにする自分には耳の痛い話だが京都大学教授の書いた本ならと読んでみる気になった。

だらだら書いても仕方がないので、興味のある事項を抜粋してみた。

 ネットで信頼できる情報を得るためには?

「たとえば何かの病気について知りたければ病名の後にスペースを空けて関連のあるキーワードを追加してみる。「糖尿病 症状」など。

この方法を「AND検索」といい、2つのキーワードの両方を含むサイトが検索結果に表示されるので知りたい情報により近いサイトがヒットする。

さらに、より信頼度の高いサイトに辿り着きたい場合は「病名」の後に「根拠」と入れて検索するとよい。

 ネット情報の信頼性を確認するにはここをチェック!

1 どこが出している情報か

個人や特定の企業の情報には偏りや誤りがある場合がある。官公庁や自治体、大学病院などの医療機関、あるいは大きな学会などの大規模の情報のほうが信頼性が高い。

2 いつの情報か?

その記事がいつ書かれたのかを確認する。情報にも「賞味期限」があることをお忘れなく。

3 記事の内容の情報源はどこか?

その内容にかかわる根拠となる情報源、出典などの引用元が明記されていることが大切。引用が少ないサイトは参考にする優先順位を低くした方がいい。

 テレビの健康・医療情報はエンターテイメントとして付き合う

メディアはすべて構成されたものである。構成というのはメディアを作っている立場の人たちが自分たちの考えや主張に視聴者をうまく誘導していくためのさまざまな工夫や演出のこと。

そして、その内容は「すべて正しい」でもなく「すべて誤り」でもない。とても巧みな形で構成されている。

生け花の世界では「虚実等分」という言葉がある。自然のままの花を扱う「実」と、枝葉を落として形を整える「虚」を折り合わせていくのが「生け花」ということだ。

テレビもそれと同じようなものと考えれば「虚」があることを責めるのはお門違いなのかもしれない。ただ、どうしても「正しさ」よりも「楽しさ」が優先されがちで「虚」の部分が増えやすいことには注意が必要だ。

したがって健康・医療の情報番組を見るときにはエンターテイメントだと割り切って情報の内容は「そういうこともあるかもね」程度にお付き合いすることをお薦めする。

とまあ、以上のようなことを抜き出してみたが、はたしてご参考になりましたでしょうか?(笑)

「伸び切ったゴム」が用を足さないのと同様に、すべからく物事の対象を「エンターテイメントだ」と割り切る気持ちの余裕も必要なのかもしれませんね。

そういう意味では、このブログも「エンターテイメント」ですからくれぐれも「鵜呑み」にしないようにね、特にオーディオ情報に関しては「8割疑え!」ですよ(笑)。


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「スピーカースタンド」革命

2021年11月21日 | オーディオ談義

連日更新しているブログだが「当たり」もあったり「外れ」もあったりで、なかなか思惑通りにはいかない。

読者にとってはどうでもいいことだろうが、筆者としてはなるべく興味を惹く記事が多いに越したことはない・・(笑)。

つい先日投稿した「きっかけを大切になくては」はありふれた内容(?)だったにもかかわらず
予想以上に好評(アクセス)を博した。

つまり「当たり!」だったわけだが、どうやらタイトルの「きっかけ」という言葉が功を奏したような気がする。

人生を左右するポイントは何も「計画」どおりいくわけではなく「きっかけ次第」とか「成り行き次第」とかも結構あるので共感を得られたのだろうか。

そして、オーディオだって「きっかけ」が大きく左右することをこのほど嫌というほど体験させてもらった(笑)。以下、経緯を述べてみよう。

10月中旬に我が家にやってきた「PL100」(英国:モニターオーディオ)。



「横、縦、奥行き」の寸法がまことに小振りだったので、必要に駆られて仕方なく「スピーカースタンド」(以下、SPスタンド)を購入したところ、(材質が響きのいい「楓」(かえで)だというが)これが実に想像以上の音響効果をもたらしてくれた。

本音を言うと、「PL100」もいい買い物だったと思うがそれは「きっかけ」に過ぎず、それと同等以上の効果があったと言っても過言ではないほどの存在感を誇っているのが現状だ。



というのも、実際に使ってみると従来と比べて何かしらすっきりした爽快感が音響空間に漂ってくるのである。逆に言うと不要な響きが減ったのかもしれない。

主な原因として勝手に想像するのに、ユニットの下側の空間が空いているせいなのか、SPスタンドとの共鳴が上手くいっているせいなのか、それともほかにも原因があるのだろうか、こればかりは定かではない。

いずれにしろ、次から次にスピーカーが生き返ってきたのはうれしい限り。

たとえば自作の箱に容れた「AXIOM80」(復刻版)、「リチャードアレン」がまるで水を得た魚のように生き生きと躍動しだした。

そして、この「SPスタンド」効果に大いに着目してどうしてもチャレンジしてみる気になったのがJBLの「ユニット」だ。

2~3日ほど迷っていたが、とうとう思い切って金曜日(19日)の午後にやっちゃいました!



2ウェイ仕様で編成してみようと、クロスオーヴァーは7000ヘルツにとった。となると、ムンドルフの「ゼロ抵抗コイル」とウェスタン製の「コンデンサー」の出番だ。

ユニットはいずれもJBLで「D123」(口径30センチ)と、7000ヘル以上(-6db/oct)を受け持つ「075」ツイーターの組み合わせ。

「075」は久しぶりの出番になるが、我が家においてはいつのまにか不死鳥のようによみがえる不思議なツィーターだ(笑)。

「D123」を容れた自作の箱は「密閉箱」のように見えるが、下部に僅かに1cmの隙間を作って「背圧」(ユニットの後ろ側に出る音)を逃がしている。

これで、ワクワクしながら聴いてみると「やっぱりJBLは捨てきれないんだよなあ~」(笑)。

歯切れのいい低音と切れ味鋭く響き渡るシンバルの輝きは、やっぱり「JBL」じゃないと無理・・。

それに500ヘルツあたりから「ダイヤフラム+ホーン」を使うとどうしてもヴァイオリンの音色が金属的な響きになって、明らかにクラシックには向かないがクロス7000ヘルツにするとこれが免れるのも利点。

ちなみに使ったアンプは低音域が「2A3」シングルアンプ、「075」は能率が「110db」もあって小出力のアンプでいいので待ったましたとばかり「371」シングルアンプの出番。



前段管が「A411」(独:ヴァルボ)という「バリウム昇華型フィラメント」の持ち主で、メチャ繊細な音がしまっせ~(笑)。

ルンルン気分で翌日(20日)の土曜日に、久しぶりに近隣のオーディオ仲間のYさんに来ていただいて試聴してもらった。

すると・・・。

以下、続く。



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押しつけがましくないフランス音楽

2021年11月20日 | 音楽談義

いつもの運動ジムからの帰途のことだった。

夕食まで時間があったし晩酌にはちょっと早すぎるので(笑)、本屋に立ち寄ったところさりげなく店内に流れていたBGM
がモーツァルトのピアノソナタだった。

「ああ、いいなあ!」と、思わずウットリして立ち尽くしてしまった。

モーツァルトの作品の中では非常に地味な存在だが聴けば聴くほどにモーツァルトの素顔が顕わになる音楽であり、一度ハマってしまうと病み付きになる音楽でもある。

自宅に戻ると関連のCDを引っ張り出した。

      

当時一番耽溺したグールドに始まって、ピリス、内田光子、アラウ、ギーゼキング、シフとサワリの部分を聴いてみたがこの年齢になると自然体の演奏が一番ピッタリくるのだが、その点グールドはあまりに個性が際立っていてちょっと「押しつけがましい」気がしてきた。

当時はグールドでなければ夜も昼も明けなかったのに、年齢によって好みが変わってくる典型的な例ですね。

というか、むしろ長い宮仕えを終えて15年ほど完全な
自由を満喫すると、ことさらに「押しつけがましさ」が気になるのかもしれない。

さて、その一方ピリスはまことに中庸を得ていて、普段着のままの気取ったところが無いし何よりも「音楽心」があってたいへん好ましい。

「音楽は普段の生活の中で味わうものです。何も着飾ってコンサートに行く必要はありません。」が、彼女のモットーだが、この演奏も等身大そのままのモーツァルトを聴かせてくれる。

そして、この「押しつけがましくない音楽」で連想したのが「生きている。ただそれだけでありがたい。」(新井 満著:1988年芥川賞)
の中の一節。

                     

この中でなかなか興味深いことが書いてあった。(61頁)

著者が娘に対して「自分のお葬式の時にはサティのグノシェンヌ第5番をBGMでかけてくれ」と依頼しながらこう続く。

「それにしても、何故私はサティなんかを好きになってしまったのか。サティの作品はどれも似たような曲調だし、盛り上がりにも欠けている。淡々と始まり、淡々と終わり、魂を震わすような感動がない。バッハやマーラーを聴く時とは大違いだ。

だが、心地よい。限りなく心地よい。その心地よさの原因はサティが声高に聴け!と叫ばない音楽表現をしているせいだろう。サティの作品には驚くほど音符が少ない。スカスカだ。音を聴くというよりはむしろ、音と音の間に横たわる沈黙を聴かされているようでもある。

沈黙とは譜面上、空白として表される。つまり白い音楽だ。サティを聴くということは、白い静寂と沈黙の音楽に身をまかせて、時空の海をゆらりゆらりと漂い流れてゆくということ。

毎晩疲れ果てて帰宅し、ステレオの再生ボタンを押す。サティが流れてくる。昼間の喧騒を消しゴムで拭き消すように。静寂の空気があたりに満ちる。この白い壁の中には誰も侵入することができない。白い壁の中でたゆたう白い音楽。」

以上、これこそプロの作家が音楽について語る、まるでお手本のような筆致の文章で、自分のような素人がとても及ぶところではない(苦笑)。

サティ(フランス)の音楽の素晴らしさが充分に伝わってくる文章だが、総じてフランスの音楽には押しつけがましさがない印象を受ける。

たとえば、ドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」もしかり。

そこで「フランスとドイツの音楽の違い」についてネットでググってみたらこういう投稿を見つけた。

「私はピアノ弾きですが、(フランス音楽について)ピアノの音質の視点から言えば、透明感ときらめき でしょうか。

また具体的なものより、雰囲気的なものを大事にしていると思います。そこにある空気やオーラです。


ちなみに対照的なドイツなんかは安定・重厚さ・深みといった印象です

よって指のタッチもずいぶん変わってきますが、空気感のあるフランスには さらっとした音を作る為のタッチを追求する必要があるでしょう。」

以上のとおりだが、音楽の3大要素といえば周知のとおり「リズム、メロディ、ハーモニー」に決まっているが、これに「得(え)も言われぬ雰囲気、空気感」を付け加えてもいいような気がするが、ちょっと同列に扱うには異質のような気もするし・・。

皆様はいかがお考えですか?



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大谷選手の「MVP」授賞に思う

2021年11月19日 | 独り言

本日(19日)の午前8時35分に大リーグ機構から「大谷選手」のMVP授賞が発表されるそうです。

現在の時刻は3時間前ですが、な~に、もう決まったようなものです(笑)。

何よりも一番に祝福の言葉を捧げたいが、ちょっと変わった「切り口」からその功績を讃えてみよう。

さて、ときどき歴史上に「If」(もしも)があったらと、考えることがある。



本書の151頁にも「もう一つの世界史」という項目立てがあった。

つまり日独伊が「第二次世界大戦」に勝っていたらという気宇壮大な想定である。

そうなると、

1 トルーマン、チャーチル、スターリンは戦犯として処刑

2 アメリカは東西に分断され、東部はドイツ、西部は日本が統括

3 ワシントンD・Cに巨大な壁が建設される

4 日米安保条約が結ばれハワイとカリフォルニアに日本軍基地が集中

5 先進国首脳会議のメンバーはドイツ、日本、イタリア、満州国、インドの5か国(G5)

6 日独冷戦が勃発

7 21世紀、スマートフォンの裏にあるのは「アップル」ではなく「カキ(柿)のマーク

解説してみよう。とはいっても、あまり偉そうに言えるほどの知識を持ち合わせていないけどね(笑)。

まず7の「柿」のマークの件だが柿の原産国は「日本」である。学名も「KAKI」になっている。

したがって、日本が戦勝していたら「スマホ」の裏に「林檎」ではなく「柿」のマークが付けられても不思議ではない。

次に5の先進国首脳会議のメンバーだが「満州国」が入っているのが目を引く。

「満州国」とは「五族協和」「王道楽土」の理念のもとに戦前の日本が主導した新しい国造りだった。

この「五族協和」とは、「日本人、漢人、朝鮮人、満州人、蒙古人」を指し、これらの民族でスクラムを組んで欧米列強に対抗しようという構想だった。

これをさらに押し広げたのが「大東亜共栄圏」(八紘一宇)構想である。

今から90年ほど前のこと、こういう荒唐無稽なことを日本人は本気で考えていたんですねえ。

これには「白色人種は黄色人種を仲間に入れてくれない」という「人種」問題が根っこにあったのだが、結果としては現在のように「民主主義」と「共産主義」のイデオロギーの違いによる分断の方向へと進んでいる。

しかし、人種問題の火種はまるっきり消え去ったわけでもなく現代においても欧米人が日本人ひいてはアジア人種を心から暖かく迎えているのかといえば「?」だと思っている。

その昔、日本人がヨーロッパの街を歩いていたら唾を吐きかけられたという逸話があるが、現代ではさすがに表立ってそんなことはないだろうが・・。

欧米人のアジア人に対する優位性の認識を覆すには産業、学術、芸術、スポーツなどの分野で互角あるいは凌駕するほどの実力を見せつけるしかないが、そういう点でMLBの「大谷選手」は最高の外交官の一人ですね。

前提が長かったがようやく「大谷選手」に辿り着きました(笑)。

今年の成績は本塁打が46本、投手で9勝(弱小球団で)と、華々しい活躍だったが、他の選手たちにも影響を与え、打者でありながら「僕もリリーフぐらいなら投手が出来る」という選手がちらほらと志願しているそうだ。

そりゃそうですよねえ、学生時代は「投手で4番バッター」のような選手たちが大リーガーになっているんだから。

大リーグに「二刀流」という革命をもたらしたのだから、この度の「MVP」授賞は当然のことです。

大谷選手は日本の「至宝」です!

とはいえ、彼の頭の中にあるのは「野球」のことだけで前述のような民族意識なんぞはこれっぽっちもないだろうが、それでいいんです。

来季の活躍を心から祈ります。メチャ楽しみです。



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出力管「4300B」(STC)のほろ苦い思い出

2021年11月18日 | 独り言

毎晩20時頃までにはだいたい就寝しているのだが、「早過ぎる」と思われる方が大半かもしれないですね。

ただし、早朝3時半ごろには起きるので典型的な「早寝早起き」タイプだと自認している。

さて、今日(18日)も3時半ごろに起きて、さて「何を書こうか」とパソコンに向かって「グーブログ」を開いたところ「メンテナンスのため一時的にサービスを停止しています。時間は0時~5時(予定)」とある。

ありゃまあ・・。

このところ、連日投稿しているのだが「今日は止めとこうかな」と、いつもの「サボり癖」がつい顔を出す(笑)。

まあ、時間つぶしにとオークションに出品されている真空管やスピーカーを閲覧してみることにした。

いつものように「STC」や「goodmans」といったブランドを打ち込んでみると、「STC」では出力管「4300B」が2ペア出品されていた。



欲しいことは欲しいが、お値段が20万円前後なのでもっと安くならないかなあ・・(笑)。

実はこの「4300B」には苦い思い出があって・・。

あれは40年以上も前になるだろうか、真空管オーディオを始め出してからまだほやほやの時代である。

西も東もまだよくわからない初心者なのにやたらに背伸びしていた時期で当時「名管」と称される「WE300B」や「STC4300B」にもつい手を出してしまった。

ところが案の定、鳴らし切れないまま「大したことないなあ」とうっかり格安で「下取り」に出してしまったのである。

今思えば、それは「球」のせいではなくアンプの設計回路や出力トランスとの相性の問題だったと分かるのだが、当時はまったく知る由も無かった。

分をわきまえず、徒に「背伸び」したことが非常に高い授業料についたことになる。

その後、「WE300B」は買い戻したとはいえ、「4300B」についてはいまだに縁がないままである。

「WE300B」が故障すれば「4300B」を購入してもいいんだけど、実は中国製の「4300B」やエレハモ(ロシア)の「300B」も結構「いい音」がするんですよねえ(笑)。



現在はご覧の通り「エレハモ」を装着しているのだが、前段管「371」(トリタンフィラメント)と相性がいいのだろうか、本家本元の「WE300B」と負けず劣らずの音質なのである。

年齢のせいか高音域の聴き取り能力が衰えたせいもあるかもしれないが(笑)。

というわけで、「4300B」(STC)がますます遠ざかるばかり~。

と、ここまで書いたところで適当な長さになって「ブログ」がひとまず完成しました(5時半)。

実際のメンテナンスの解除は4時半だったのでおよそ1時間かけての労作です。

今回はひときわ焦って苦労(?)しましたのでぜひポイントをポチッと押してくださいね(笑)~。



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「きっかけ」を大切にしなくては

2021年11月17日 | 独り言

先日のブログで触れた「アバ」(スウェーデン)の新曲「Don’t Shut Me Down」。

まず40年ぶりの新曲ということに驚いたが、「アバ サウンド」ともいうべきハーモニーの美しさにもすっかり心を奪われた。

そこで改めて「アバ」のアルバム「ゴールド」を聴いてみることにした。

「ブルーレイ」に収納しているので「頭出し」が実に簡単。

1曲目の「ダンシング・クィーン」から19曲目の「ウォータールー」まで全曲聴き通した。



すると16曲目の「One Of Us」にどんぴしゃりとハマってしまった。

2時間ほど「リピート設定」にして続けざまに飽きもせず聴き耽ったが(スピーカーはAXIOM80)、美しい女声ハーモニーがひたすら琴線に触れてきて「これこそアバ サウンドの真髄だ」との思いが込上げてきた。

しかも全盛時代の作品とあって「声の張り」が明らかに違っている。伸び伸びとしている。

これほどの名曲をこれまで知らなかったのは実に迂闊だった、と同時にたまたま運動ジムで拾った新曲「Don’t Shut Me Down」がその「きっかけ」だったことになる。

まったくどこにダイヤモンドの原石が転がっているかほんとうにわかりませんねえ(笑)。

次に二つ目の「きっかけ」といこう。

先日(11月10日)の「試聴会」についてだが、こういう「一発勝負」の場になるといつも後で後悔することが必ずと言っていいほど出てくるので困る(笑)。

たとえば「あの真空管を使っていたらもっといい音になっていたのに~」といった具合。

実は今回もそうだった。



スピーカー「AXIOM80」を鳴らすときに使った「WE300Bシングル」アンプだが、お客さんたちが辞去された後のこと「おかしいなあ、もっといい音のはずなんだけどなあ」・・(笑)。

アンプの工作に関して素人同然の人間が弄れるところといえば前段管の交換ぐらいしかない。

そこで、長らく保管していた「371」(カニンガム:トリタンフィラメント)を引っ張り出して交換してみたところ、やたらにノイズっぽい音がする。

いつぞや「北国の真空管博士」が仰っていたが、「1930年代前後の旧い球はピンが酸化被膜している可能性が高いですよ。」

そこで、「ネヴァダル」の出番だ。



油分が浸みこんだ綿をちぎって、丁寧に4本のピンを磨き上げてからティッシュペーパーできれいに拭き取った。ペアだから8本のピンを磨き上げたことになる。

そして、改めて挿し込んで聴いてみたところ腰を抜かさんばかりに驚いた。

ノイズっぽい音が見事に解消されて、きらきらと光り輝くような音に変身した、これは素晴らしい!


しまった、お客さんたちにこの球で聴いていただくと良かったのになあ~、後悔先に立たず。

しかし、日常聴くぶんにはこれで良かったので「試聴会」がいい「きっかけ」になったことになる。

ま、いっか(笑)。



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読書コーナー~漫画の世界~

2021年11月16日 | 読書コーナー

2~3日おきに図書館に出かけているが、目的は興味のある新刊書探しなのはもちろんだが、もう一つあってそれは野外の駐車場から歩いて長い階段を昇りハーハー息を切らしながら2階の「新刊書コーナー」に辿り着くこと。

少しでも血糖値を下げるために丁度いい運動になっている(笑)。

そして、このたび出会った新刊書がこれ。



著者「今野 浩」氏の略歴となると、都立「
日比谷高校」~東大工学部卒~大学教授とくれば、まさに絵に描いたような日本のエリートである。

御年81歳になられるそうだが、その著作(まあ、エッセイ風とでもいいますか)となると実にくだけた話が多くてとても面白い。

それに私生活においても赤裸々な話が包み隠さず述べられてあって、著者にとって都合の悪い話は書かないという「気取り」がさらさらないのに感心する。

そういう調子だからこれまで「筆禍」事件が2件あったそうだが、膨大な著作の割には「2件」は少ないと思うが、自分も過去のブログで1件だけ「筆禍事件」(?)があった。

8年ほど前のことだが「オーディオ関係ランキング」の上位者からブログの内容について「はしゃぎ回っている」と攻撃を受けたので、つい反撃してしまったのだが、今となっては実に「大人げない」ことをしたと反省しきり。

「おバカさん(屈折した心理の持ち主と言い換えてもいい)と一緒の土俵に上る」のも結局同列のバカだったんだよねえ、こういう輩は相手にしないのが一番だったのに(笑)。

さて、話は戻って著者はプッチーニ、ヴェルディ、モーツァルトなどのオペラに親しまれておりとても親近感が持てたが、漫画も大好きだそう。

「エッ、一流のエリートが漫画ですか!」と言いたいところだが決して馬鹿にしたものではない。

たとえば、ずっと昔に読んだ裁判所のれっきとした「判事さん」のエッセイに目を通していたら、電車の中で熱心に劇画「ゴルゴ13」を読んでいたところ、丁度前に立っていたのがそのとき担当していた事件の担当弁護士で、びっくりしたような顔で目を丸くしていたなんて記述があって、思わず笑ってしまった。

そういえば、現岸田内閣の副総理である「麻生」さんも「ゴルゴ13」の大ファンだと聞いている。

そして、本書の中で絶賛されていた漫画が「手塚 治虫」氏の「アドルフに告ぐ」だった。手塚治虫さんといえば「漫画の神様」とされているほどのお方。

そんなに面白いならと、さっそく図書館に行って借りてきた。



第二巻まで読んだが大人向けのかなり難しい漫画である。子供の頃に熱心に読んだ「鉄腕アトム」とは大違い。

「ヒトラーの祖先が実はユダヤ人だったと証明する文書の行方を軸としたストーリー」が展開していく。

「正義とは何かが主題の作品。それぞれの立場で正義を盾に憎しみ合い、延々と争いが止まない。人間の愚かさを凝縮させて描き出している。 殺戮、迫害、暴力が支配した一世紀近く前の人類史の出来事だが、今も形を変えて国や民族の間で争いは絶えない。手塚治虫の残したメッセージはとてつもなく重い。」(ネットから)

時間に恵まれた方は一読されても面白いかと思います。



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理屈や常識だけでは割り切れないオーディオの面白さ

2021年11月15日 | オーディオ談義

前々回の「オーディオ愛好家のご来訪」からの続きです。

言わずもがなだが、オーディオ愛好家にとって他家の音を聴かせてもらう「試聴会」は大きな楽しみの一つである。

部屋の広さもシステムの中味も日頃から聴いている状況とはまったく違うので何よりも音に新鮮味があるし、もし参考になるところがあれば可能な範囲で取り入れることもできる。

ただし、個人的にはうかつにアプローチできないようなデンジャラスな側面もあると秘かに警戒している。

というのも、「観光(国の光を観る)とは訪問者側と受け入れる側との異文化の接触である」と言われているが、オーディオにもそっくり通じるところがあるように思うのだ。

訪問者側からすると「好きな音」の背景には生まれてきてからの膨大な情報と体験があってそれに独自の感性が裏打ちされているわけで、その一方、訪問を受ける側にも同じくらいの蓄積があって、試聴会とは独自のオーディオ文化同士の激しいぶつかり合いだと考えてもおかしくはないだろう。

つまり、試聴会が「お互いの持つ文化」のつばぜり合いの場だとすると、うかつに他人に音を聴かせるのが怖くなる~。

なぜなら「何だ、この程度の音か!」とお里が知れてしまうから(笑)。

とりわけ我が家ではブログでいつも偉そうに(?)書いているので反動が激しそう。

まあ、「そんなに深刻に考えなくてもいいんじゃない」という向きが大半かもしれないが(笑)。

いずれにしても「お互いの好きな音が一致することは極めて珍しい」し、さらには、持ち主に面と向かって「この音は嫌いです」なんて言う人もいないだろうから、どんな誉め言葉があったとしても話半分くらいに受け止めておくのが無難だろう。

ちなみに「いい音」と「好きな音」はけっしてイクオールではないと、自分なりに使い分けをしている積り。

つまり「いい音」とは「無味乾燥で蒸留水のような音」を含めて万人に通用するような普遍的な音をいい、「好きな音」とは「色気」があって胸がキュンと締め付けられるような音であり、個々の人間の情動を深く揺さぶり、感性に強く訴えかけてくるような音のことを指す。

当然の如くオーディオ愛好家が相手にしているのは「いい音」ではなく「好きな音」のはずだと理解しているのだが・・。

というわけで、こういう前提のもとに2時間に亘ってまず「AXIOM80」「PL100」「リチャードアレン」と3つのスピーカーを順次、入れ替えながら聴いていただいた。

端的に言うと、「AXIOM80」には澄み切った青空のような爽やかな音を期待し、「PL100」にはバランスが良くて全帯域に亘って密度の濃い音を、「リチャードアレン」は小気味よく反応しつつ英国製らしい品のいい音を聴きとっていただければ幸いだ。







それでは、試聴中の訪問者(3名)の率直な「つぶやき」をアトランダムにあげてみよう。

 3台ともそれぞれ持ち味があってなかなか捨て難い。

 品行方正の長男が「PL100」だとすると、中庸を心得た次男が「リチャードアレン」、屈託のない「AXIOM80」が三男(末っ子)というところでしょうか。製作年代からするとまったく逆になりますが。

 PL100の方がAXIOM80よりも高音域が伸びていますよ。

 (お一人の方から)私はこの中ではAXIOM80が一番好きです。

 サブウーファーのボリュームをもっと落としていただけませんか。

 DAコンバーターですが「Aー22」よりも、「エルガー プラス」(英国:dCS)の方が熟女の色気みたいなものが漂ってきて、私はこちらの方が好きです。

前々回のブログの終末に「意外な展開が待っていた」と記述していたのはこのDACの違いのことを指す。

片や最新のデジタル技術に裏打ちされ、定評のあるチップ(旭化成のAK4499)を使っているDACだし、片や20年以上も前の旧式のDACだけどお値段となると月とスッポンみたいに違う。

前者は「14万円」程度だし、後者は発売当時の定価では「250万円」の代物だ!

やはり「腐っても鯛」というわけですか!

「デジタル機器に限っては日進月歩の技術のもと最新のものがいいに決まっている」と思っていたが、実はそうでもないようで・・。

やっぱりオーディオは理屈や常識だけでは割り切れないところが面白い(笑)。



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とうとう罠にかかりました!

2021年11月14日 | 独り言

あまり定かではないが数年くらい前からときどき天井裏で小動物がごそごそと這いまわっている。何しろ音がするので気になって仕方がない。

ただし、1~2週間に1回程度なので面倒くさくて「まあ、いいか」と放置していたところ、このところの寒気のせいか頻度が増えてきた。

とうとう堪えきれなくなって、ネット情報により市内の駆除業者に実際に天井裏に入ってもらい退治するための費用を見積もってもらうことにした。

撮影した画像を見ると、現場は惨惨さんたるもので小動物の糞がまき散らかされていたり、暖房材が食い破られていたりで、侵入口の塞ぎ、清掃クリーンなどを含めて全部で「38万円」かかるという。

「エ~ッ、高すぎる!」(笑)。

見積書には項目ごとに単位が「一式」と大雑把に書かれていたが、こういうときは要注意であることを体験的に知っている。

懇意にしている近所の方に相談してみると、「ちょっと高過ぎますね、別の業者を知ってますよ」と、二番目の業者を紹介していただいた。

すると、全部で「6万円くらいで済みますよ」「あ、それならお願いします」と、とんとん拍子に話が進んだ。

「まず、小動物の捕獲をしますので数か月単位での駆除になることを覚悟してください。おそらくイタチかテンだと思います。それが済んでから清掃作業を行います」

さっそく、天井裏に罠を仕掛けてもらった。餌は近くの「セブンイレブン」で買ってきた「鶏のから揚げ」だ。これがメチャ好きだという。人間もそうだが(笑)。

「罠にかかったときは猛烈に暴れまわってガチャガチャ音がするのですぐにわかります。その時は連絡してください。」

そして、5日ほど経った頃だろうか12日(金)の朝5時ごろに「あっ、かかったわよ~」と、カミさんの黄色い声が弾んだ。

急いで駆けつけると、炊事場に近い天井裏の部分で、ガチャガチャと檻をも壊すような猛烈な勢いで暴れ回っていた。

20分ほど猛烈な音が続いていたが、それからはことりとも音がしなくなった。

「逃げたんじゃないでしょうね」と、心配するが「そんなにヤワな檻じゃないだろう、な~に諦めただけさ」

業者が来たのは午後になってからだった。

「テンでしたよ」



想像以上に大きかったので驚いた。「成獣は40センチ」(ネット)とあるが、子供じゃないことはたしかだ。

しばらく眺めているとつぶらで可愛い目をしていて何だか可哀そうになってきた。

「これどうするんですか?」「水に漬けて殺すか、あるいはこのままにしておいてもストレスで2~3日で死にますよ。」

遠くの山に行って放すのもありだけどなあ・・・・。

業者によると過去にもたびたびテンを捕獲したそうだが、多いときは1軒で次々に8匹も捕獲したそうで、「おそらくまだ何匹もいると思いますよ」。

とても悠長なことは言ってられないようだ(笑)。

問題は天井裏への侵入経路だが、足跡から判断すると塀から車庫の屋根に上りそこからジャンプして家の屋根に這い上がってちょっとした隙間から忍び込んでいるという。

動物は住み心地のいい場所に執着心を持つので、ちょっとした防御ぐらいでは簡単に突破されるという。つまり捕まえるのが一番というわけ。

「今度は車庫の屋根に飛び乗る場所に罠を仕掛けましょう」。

「野良猫がかかる可能性がありますがどうしましょう」

「その時はすぐに連絡してください。放してあげます」

というわけで、運動ジムで顔見知りにこの情報を流したところ、「まあテンが居るところに住んでるの・・」、「よほど田舎ね」と言わんばかりの顔をされた。

しまった、言わなきゃよかった(笑)。


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オーディオ愛好家のご来訪~2021・11・10~

2021年11月13日 | オーディオ談義

小型SP「PL100」に接する”きっかけ”を与えてくれた「YA」さん(豊後大野市)にはいつも感謝の念を抱いているが、そのYAさんから電話があった。

「10日の水曜日の午後にお伺いしていいでしょうか?全部で3名になりますが」「はい、いいですよ。どうぞ~」

さあ、とばかり火曜日から室内の整理整頓にかかった。今の散らかり様だとお客さんたちに不快な思いをさせるだろうし、少しでもスペースを開けた方がサウンドの響きも良くなるはず。

そこで、とりあえず不要なCDや機器類を一時的に「隣の応接間」に避難させることにした。

すると、我が家のお目付け役が舌鋒鋭くこうほざいた。

「どうせ要らないのならいっそのこと処分したらどう」「うん、まあそのうちにな・・・」と言葉を濁さざるを得なかった。オーディオのこととなるとどうしても立場が弱くなる(笑)。

当日は、寒気の襲来とともにどんよりとした「曇り空」だったが、雨が降らないだけ良かった。

YAさん、Kさんは前回もお見えになったが「O」さんは初めてで「こちらこそどうかよろしくお願いします」

YAさんはこの4か月ほどで3回目のご来訪となる。

ご自宅では下記の画像のとおり堂々とした本格的な「JBLの3ウェイシステム」を愛用されており音もすこぶるいいが、我が家の自己勝手流の変則的な鳴らし方にかなり興味がおありと見える。



今回聴いていただくのは「3系統のシステム」と決めていたので冒頭にその旨申し上げた。

トップバッターはグッドマンの「AXIOM80」(復刻版)、2番手が本命の「PL100」(モニターオーディオ)、最後が「リチャードアレン」。(あとになって気が付いたがすべて英国製のSPである)

基本的なスタイルはいずれもコイルやコンデンサーをいっさい使わずに「全帯域」を一つのスピーカーで鳴らし、それに低音域を補強するためにサブウーファー(コイル使用)を付け加えるというもの。

そして鳴らす順番だが、ずっと昔のブログに「順番への思惑」を投稿したことがあるが、要は「演目の中で2番目に本命をもってくる」というものでそれを忠実に踏襲した(笑)。



駆動するアンプは「WE300Bシングル」で、サブウーファーの「ウェストミンスター」には「EL34プッシュプル」アンプを充てた。

テストCDは持参された「アン・バートン」。



CDトランスポートは「CEC」のベルトドライブ方式で、DAコンバーターは「A-22」(GUSTARD)によるハイレゾ「176.4Khz」で受けた。

ちょっと話が逸れるが画像の「AXIOM80」については、このほどメル友の「I」さん(東海地方)から次のようなアドバイスがあったばかり。

「PL100の猛威、凄まじいですね。ウェストミンスターとの組み合わせは最高だと思います。値段を考えてもハイエンドに負けていません。

反面、AXIOM80が可哀そうな気がしてます。

”余計なお世話”ですが一言だけ。AXIOM80の箱について。

幅の狭い、比較的コンパクトな箱でフロントバッフルの角を丸くする、という形にするとPL100に対抗できるのではと思います。低域はもちろんウェストミンスターです。

ハイエンドSPの傾向として(ご存知だと思いますが)、フロントバッフルの面積が小、幅が狭い、角が丸い・・ヴィヴィッドオーディオのGIYAがそうですね…というものです。伊豆高原の「Myu」さんの和太鼓スピーカーもそうです。

そして、後ろ、左右の壁から離して設置すると・・・広大な音場、明確な定位が得られるようです」

以上のとおりだが、ご提言まことにありがとうございます。

低音域は「サブウーファー」に任せればいいので、箱の容積にお構いなしにフロントバッフルの面積を少なくするのは理に適った方法だと思います。

あとは「手間とヤル気」だけですが・・(笑)。

それはさておき、ご一同注目のもとにいよいよ「真剣勝負」に移った。

すると、実に意外な展開が待っていた。

以下、続く。


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