「You Tube 」でクラシック音楽を聴いていると、素人の耳ながらも「この演奏イマイチだなあ」と思うことがときどきあります。
もちろん、謗るつもりは毛頭ありません。寸暇を惜しんで日夜練習に励まれている演奏家に対して基本的に敬愛の念を持っていますが、やはりどうせ聴くなら上手い演奏を聴いてみたいというのが人情でしょう。
こういう玉石混交の世界において、偉大な作曲家たちを輩出してきたドイツではその辺を厳しく峻別しているようです。
「ドイツ国家演奏家資格」・・、いかにもドイツらしい四角四面の堅苦しそうな言葉です。こういう資格を演奏家に与えることで「一流とそれ以外」の区分をしているようなんです。
「チャットGPT」さんに訊いてみました。
「ドイツ国家演奏家資格」というのは、ドイツの音楽教育制度において非常に高度な演奏家資格で、ドイツ語では「Konzertexamen」と呼ばれます。
これは、音楽大学(Musikhochschule)で修士課程(通常、修士号またはディプロム)を修了した後、さらに特別に選抜された優れた学生だけが受験できる最高位の演奏資格です。この資格は通常、以下のような特徴があります:
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目的:プロのソリスト、またはトップレベルの演奏家としてのキャリアを目指すため。
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入試:非常に厳しい。通常、特別なオーディションや推薦が必要。
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課程内容:演奏技術・表現力をさらに磨き上げることに特化しており、学術的な授業よりも実技中心。
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修了試験:通常、大規模な公開演奏会(コンサート)形式の試験が行われ、審査員と一般聴衆の前で演奏します。
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修了後:国家レベルで「演奏家」としての最高水準を公式に認められることになる。
つまり、「ドイツ国家演奏家資格」というのは、ドイツ国内外で「トップ演奏家」として認められるための、非常に名誉ある資格なんです。
というわけです。
ドイツでは国家的な見地から独自の制度にもとづき先人の遺した偉大な遺産(楽譜)を簡単に穢(けが)されないように、さらには音楽芸術の表現にあたってきちんと一定の水準以上に保持していく仕組みをちゃんとつくっているんですねえ。
文学や絵画ではどんな小説や絵を描こうと始めから個人独自の創造の世界なので自由勝手なのですが、楽譜の存在が前提となる(間接芸術としての)音楽に限って成り立つ話でしょう。
さすがにバッハ、ベートーヴェン、ブラームス(「ドイツの3B」)、ワーグナーといった大作曲家たちを輩出した国だけのことはあって、音楽芸術に対する考え方、位置づけがまるっきり他国とは違っているようです。
ここで、20世紀における指揮者のひとりブルーノ・ワルターの警告を少々かた苦しくなるが引用してみましょう。
「いまや芸術に対して社会生活の中で今までよりも低い平面が割り当てられるようになって、その平面では芸術と日常的な娯楽との水準の相違はほとんど存在しない。
本来芸術作品が持っている人の心を動かし魂を高揚させる働きに代わり、単なる気晴らしとか暇つぶしのための娯楽が追い求められている。
これらは「文明」の発達によりテレビやラジオを通じて洪水のように流れ、いわゆる「時代の趣味」に迎合することに汲々としている。
こうなると文明は文化の僕(しもべ)ではなくて敵であり、しかもこの敵は味方の顔をして文化の陣営にいるだけに危険なのだ。」
やや回りくどい表現ですが、一言でいえば「もっと芸術に対する畏敬の念や位置づけ、支えをしっかりしてほしい」ということでしょう。
さすがにドイツでは「国家演奏家資格」を通じてこういう風潮を防止し、音楽芸術を大切にしていく姿勢を鮮明にしているところがやはりご立派です。
因みに、この国家演奏家資格を持っているだけで芸術家として認められ、ビザの更新にあたっても特別室に案内されるなど下にもおかぬ待遇だそうです。
こういう姿勢は音楽家を尊敬されるべき職業として高い位置づけにしている、あるいはしていこうとする狙いを明確に物語っていますね。
翻って、日本ではどうでしょうか。
あえて似たような制度といえば、「日本芸術院」というのがありますが、第三部の「音楽・演劇・舞踊」部門でも音楽家は極々一部の存在で、過去では「岩城宏之」〔故人:指揮者)さんくらいのもので、名誉職としてはいいかもしれませんが音楽の発展に寄与するという面ではとても実質的に機能しているとは言いがたいですね。
したがって、テレビで演奏会を放映するときなどに「ドイツ国家演奏家資格」をお持ちの演奏家がいれば積極的に顕彰してあげればいいと思いますがどうなんでしょう。
とはいえ、日本では一流とされている演奏家の間でも有資格者がどのくらいいるんでしょうか・・。「渡航の手間」とか「今さら受験して落ちると恥ずかしい」のもあってメチャ少ない気がします~(笑)。
そもそも日本ではクラシックとかオーディオはたいへんマイナーな存在なので、音楽家を育てるよりもむしろ愛好者の裾野を広げることのほうが先決のような気がします。
ほんとうの音楽好きで表現力に優れた音楽評論家とか”商売気”抜きのオーディオ評論家たちがもっと増えるといいですね~。
何か妙案はないものでしょうか。「チャットGPT」さん、教えて~(笑)。