「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽談義~サバリッシュ指揮のオペラ「魔笛」~

2012年02月24日 | 音楽談義

先日の19日(日)の夜のこと、新潟県の「S」さんという初めての方から実に”うれしくなる”メールが届いた。ご本人の了解なしの掲載だが、匿名なので大目に見てもらうことにして、大要、以下のような内容だった。

「貴ブログを読んでオペラ”魔笛”(モーツァルト)を見直したくなり、わざわざプロジェクタを購入した。所有していた”魔笛”は昔懐かしいレーザーディスクによるサバリッシュ指揮の1983年の録画で、10年くらい見る機会がなかったが、これからじっくりとオペラ鑑賞を楽しみたい。貴ブログのおかげでオーディオと音楽にやる気が復活してきた。」

こういうメールをいただくと、つくづくブログを続けていて良かったと思う。ブログを始めて5年が過ぎるが、大した内容でもないのにご覧になる方も随分増えてきて、たいへんありがたいことだが、昨年あたりから、自分はいったい何のためにブログを続けているんだろうと思いが、ときどき、過(よぎ)るようになった。

まあ一種の馴れからくる倦怠期みたいなものだろうが、こうして「初心忘れるべからず」という気持ちを想起させるメールをいただくと「よしっ、がんばろう」という気分になる。

実を言うとこのブログを始めた動機そのものが、「魔笛」の素晴らしさを広く世に伝え、最終的には「魔笛」に魅せられた愛好者ばかりが集まった全国的な「魔笛倶楽部」を創ろうというのがそもそもの発端だった。

しかし、ブログを開始して3か月も経たないうちに「魔笛」に関する材料が種切れとなり、仕方がないのでオーディオや読書などの話題を盛り込まざるを得なくなって、いつの間にかブログの性格が変質してしまったというのが偽らざるところ。

今や(自分のブログの)メインになっているのは「オーディオ」だが、たしかに面白くてたまらない趣味には違いないが、この分野には「先達」(せんだつ)がそれこそ”ごまん”といるのを十分承知している。

正直言って、自分のような”ひよっこ”がとても太刀打ちできるような世界ではないし、それに、人によって「好み」や「環境」があまりに違うので広く共感を呼ぶ話題としてはちょっと無理があるように思っている。

たとえば、自分がどんなに「いいシステムだ、いい音」だと力説しても、「僕はラジカセやヘッドフォンで聴く方が好きです、箱庭の世界のような音が好きなんです」と言われればそれまでの話。

その点、あらゆる民族共通の言語ともいうべき音符の世界は共感できる幅が大きいのが利点。「死ぬということはモーツァルトを聴けなくなることだ」と述懐した天才物理学者の「アインシュタイン」を始めとして、老いも若きも、貧富の差もなく、秀才も鈍才も関係なく、そして人種を問わず万人が同列に楽しめる趣味なんて、この世に音楽を除いてほかにあるんだろうか。

さて、そこでサバリッシュ指揮の「魔笛」。

Sさんに刺激を受けて、久しぶりにじっくり聴いてみようかという気持ちになった。

手元にある「魔笛」の40数セットの中からすぐに見つけ出した。CDとDVDが各1セット。サバリッシュ指揮の魔笛は中庸を得ていて、今でも”すこぶる”いい印象が残っている。

              

写真左側のCDは1973年の録音で1987年にアナログ録音をデジタル化したもの、右側のDVDは1983年の録音だから新潟のSさんがお持ちのレーザーディスクと同じ音源のはず。

オーケストラは両方ともに「バイエルン国立歌劇場管弦楽団」で1973年のCD盤は配役が凄い。主役の「王子」役があのペーター・シュライアーで、「道化」役がワルター・ベリー、そして「高僧」役がクルト・モルときていて男性陣が超一流の布陣である。

一方、DVD盤の方は「夜の女王」役が「エディタ・グルヴェローヴァ」で「王女」役が「ルチア・ポップ」ときている。CD盤と比較して今度は女流陣が万全の体勢というわけで、グルベローヴァは史上最高の「夜の女王」だし、ルチア・ポップは比較的若いうちに壮絶なガン死をとげたが、透き通った張りのある歌声(ソプラノ)はまさにトップクラス。

21日(火)から試聴に入ったが、何せ2時間半の長大なオペラだから、手元の二つのシステムを駆使して効率よく聴くことにした。

まずCD盤の試聴から入り、全二幕のうち第一幕を「Axiom80」を主体としたクラシック向きの第一システムで聴き、次に第二幕はJBLの3ウェイ・システム(ウーファーを容れたボックスはタンノイ・ウェストミンスター)で構成した第二システムで聴いてみた。

第一システムによる「魔笛」の第一幕は言うことなしだった。当然アナログ録音をデジタル化したハンディがあって最新のデジタル録音の音質を期待できないのは残念だが、シュライアーたちの全盛期の張りのある歌声を堪能できた。

またサバリッシュはまるで大学教授みたいな風貌をしているが、奇を衒うことがなく誰もが安心して音楽に浸れる正統派で、この魔笛もまったくスタンダードだった。たしか以前はN響の指揮者もやっていたので日本のファンにもお馴染みのはず。

問題は第二システムによる第二幕の試聴だった。日頃、テレビの試聴とジャズを聴くときに大活躍しているシステムだが、歯切れが良くスピードがあって小気味よい音で、あれほど完璧だと思っていたのに、クラシックになると、どうもいまいち。

音が前に出て来すぎるのだ!

「クラシックは明るめの音でスピーカーの後方に広がり、ジャズは暗めの音で前に出てくるのが理想」とは、オーディオ仲間のM崎さんの持論で、自分もまったく同感。

両者の音楽の成り立ちからして、この理由はきちんと説明がつく(長くなるので省略させてもらう)が、明るめの音かどうかは主観の相違もあって譲れるものの、後方に広がる音、前に出てくる音、これだけは自分にとって音楽を鑑賞するうえで絶対に妥協できない生命線である。

どうも原因は中高域ユニット(JBLのLE85+075)を鳴らしている真空管アンプにありそうだ、とはおよそ推測がつく。このアンプを替えてやれば概ね決着はつきそうだが、はてさてどうしたものか・・・。

ここにきて第二システムを完全にジャズ向きのシステムとして、この先ずっと割り切ってしまうかどうか、思わぬ決断を強いられることになった。第二幕を引き続き聴きながらしばし黙考。


やはりどう考えても自分は70点主義の凡庸な人間である。とても100点か0点かという豪放磊落なタイプではない。
結局、第二システムのアンプを入れ替えることにして、「思い立ったが吉日」とばかり、すぐに作業開始。結局、奈良県のMさんから修理していただいた「虎の子」的存在の「PX25・1号機」を持ってくることにした。

この「PX25・1号機」は第一システムの「Axiom80」に使っていたので、その後釜には甲乙つけがたしの「WE300B」(モノ×2台)を据えることにした。

何だか「魔笛」の鑑賞の途中からオーディオ実験みたいになってしまったが、入れ替え作業が小1時間ほどかかっただろうか、改めて第二システムで再度聴く「魔笛」は、舞台が後方にきちんと位置するようになって実に聴きやすくなった。アンプを入れ替えて正解かな。また、改めて気になるジャズ(「A列車で行こう」デューク・エリントン楽団)も聴いてみたが、このくらい鳴ってくれるならまあ良しとしなければ・・・。

ということで、初日の21日はどうにか終了。

そして2日目の22
日(水)はいよいよDVDの視聴。ハイビジョンDVDレコーダーとシャープの液晶テレビ「アクオス」(45インチ)による画像のもとに、音声の方は今度は第一幕を第二システム、第二幕を第一システムという順番で聴いた。

今回は前日と違ってまったくの様変わりで、オーディオ装置をあまり意識することなく純粋に「魔笛」の世界に浸ることができた。

CDと違ってDVDは台詞が日本語で画面に表示されるので大いに助かる。圧巻だったのはグルヴェローヴァ扮する夜の女王の登場シーンとその歌唱力、そしてポップが高僧ザラストロの面前で許しを請いながら歌うアリアの部分、「パ、パ、パ」の二重唱、堂々たるフィナーレといったところで、これだけでもこの「魔笛」を聴く価値があると思った。全体的に見てもこれは間違いなくAクラスのDVDである。音質もさすがにフィリップス・レーベルだけのことはあった。

ただし、通常、オペラを鑑賞するのに映像は欠かせないものだが、「魔笛」に限っては音楽があまりにも素晴らしいので映像は一度ぐらい見ておくといい程度で、普段はCDだけで鑑賞しても十分だと思う。むしろ自分はCDで目を閉じて場面を頭の中で想像しながら聴く方が好きである。

今回は改めて「魔笛」の素晴らしさを堪能できたと同時に、図らずも第二システムも見直しができて、これもこういう”きっかけ”を与えてくれたSさんのおかげだと心から感謝である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独り言~医者は生涯に人を10人殺す~

2012年02月21日 | 独り言

陛下の心臓外科手術が18日(土)に行われ、無事終了し、術後の経過も順調とのことでまったく慶賀の至り。

手術翌日の日曜日の午前中に運動ジムに行くと、いつも挨拶程度で済む80歳前後の”おじいちゃん”がわざわざ話しかけてきて「陛下の手術がうまくいってよかったなあ」と我がことのように喜んでいたので、改めて国民的な関心事であることが伺えたが今回の治療について「オヤッ」と思うことが2点ほどあった。

以下、勝手に思っているだけなので間違っていたら悪しからず。

1 「心臓バイパス手術」を選択した理由について

以前のブログにも記載したように自分も心臓疾患の既往歴がある。昨年1月に心臓カテーテル手術により3本の冠動脈のうちの1本に狭窄した箇所がありステント(網目状の管)を2本直列に埋め込んでいるので、今回の手術方法についてはたいへん興味を持った。

通常、心臓の冠動脈の一部が狭窄したときに取られる方法は「薬物治療」「ステント治療」「バイパス手術」の3つがあるが、薬物治療程度で治癒すれば世話はないが、まずは後者の二つが代表的的な治療方法とされている。

そして「ステント治療」なら1泊2日の入院で手術自体も比較的簡単に済むのに、陛下の場合はどうして入院から退院まで2週間もかかり、さらに若干の危険を伴う複雑な「バイパス手術」にされたのだろうかというのが疑問の一つ。

陛下の心臓手術ともなると日本で最高峰の知識と技量をもつ医師団が英知を集めて検討したはずなので、今回不採用になった「ステント治療」には何か公に出来ない欠陥があるのだろうかと、我が身に照らし合わせてちょっぴり不安と心配にかられた次第。

そこで、ネットで「ステント治療」と「バイパス治療」の比較を調べてみると、我が国の心臓外科学会においても果たしてどちらがいいのか論争が続いているのが分かった。

いずれを選択するのがいいのか、患者の容態次第というところもあって、どうやら簡単に結論が出せない問題のようで、18日(土)午後6時頃からの医師団の記者会見において報道各社から「なぜステント治療よりもバイパス手術を選んだのか」という質問が出るものと期待していたが不発だったので、医師団の見解がとうとう分からずじまいだったが、18日のネットの記事でようやく判明した。

結局、宮内庁によると今回の手術の対象となった冠動脈の狭窄した部分に「ステント」を挿入したとしても、将来、別の箇所の狭窄が心配されたので(根本的な治療として)「バイパス手術」を選択したとのことで、陛下のご年齢(78歳)からして全体的に血管の傷み具合がかなり進行していたことを伺わせる内容だと思った。

ところで、”たまたま”だが、つい最近読んだ中に「両刃(もろは)のメス」という本がある。

                              

著者は大鐘稔彦(おおがね なるひこ)氏で、京大医学部を卒業後、外科医として約6000例に及ぶ手術経験の中から忘れがたいエピソードを赤裸々に綴ったエッセイだが、若気の至りで手術がうまくいかず患者を死に至らしめた事例もこだわりなく挙げてあるのが実に正直(?)で特筆すべきところ。

そして、本書の107頁(「我が憧憬の赤ひげ」)に次のような箇所がある。

「医者は生涯に人を10人殺す」

何とも物騒な言い草だが、多少の自嘲と自戒をこめて、医者の仲間うちではいわば”公然の秘密”として囁かれる。

もう厭だ、もうメスを捨てようと、しくじるたびに抑うつ状態に陥ったその都度、蘇ってくる一つのイメージと言葉がある。

「赤ひげ」こと、江戸は小石川養生所の医師・新井去定と、彼が町へ往診に出かけた時に行く手を阻んで恐喝に及んだ無頼漢どもに放った台詞(せりふ)である。

「人殺しなら、俺の方がしてるぜ」


というわけで、どんな名医だって未熟な時代があったはずで、そういうときに実験台になった患者は運が悪いとしか言いようがないが、自分に限ってはそういう運命を免れたいと思うのが人情というものだろう。

したがって、都会とは違って地方に住んでいる自分の場合、もし「心臓バイパス治療」が必要と言われても、経験の少ない医師が執刀するとなったら大いに”ためらった”であろうことは想像に難くない。つまるところ自分の心臓疾患の選択肢は「ステント治療」しか残されていなかったと今にして思うのである。

2 執刀した医師団の構成

「オヤッ」と思ったことの2番目は、過去、昭和天皇のご病気の際には、いつも東大医学部の医師団が治療にあたってきた経緯があるが、今回の陛下の手術には順天堂大学の医師団が加わったのが目を引いた。

「皇室お抱え」のイメージが浸透している東大医学部が陛下の心臓手術に他の大学の医師団と組むなんて前代未聞の話で、これは「完璧な心臓バイパス手術は私どもでは自信がありません」と最初から白旗を掲げたようなもので、
「研究と臨床は別物だとしても、あの誇り高い天下の東大医学部が私大に応援を頼むなんてよくもまあ~」というのが率直な印象。

しかし「陛下の命の万全な保障」と「大学のプライド」を天秤にかけるとしたら、まったく比較にならないので今回の連合チームを組む発想にしても言いだしっぺは東大側にあったのは間違いなかろう。

順天堂大学の医師団の中心となった天野医師(56歳)はネットによると、受験浪人3年を経て日大医学部に入学した”雑草派”だそうだが、4000例以上という豊富な手術例に裏打ちされて「オフポンプ」(心臓を動かしたままの手術)の第一人者とされている

結局、通常のバイパス手術程度なら東大のお医者さんだってお手の物だろうが、患者の心臓に負担をかけないので術後の経過が非常に良いとされる「オフポンプ」手術となると、天野医師の「神の手」の応援を必要としたというのが真相なんだろう。

今回の異例の起用は、どこの大学を出ていようと卒業後の研鑽こそが大切という好例で(自分にそういうことを言う資格はまったくないが!)、我が国の医学界に大きな刺激を与えたことは間違いあるまい。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽談義~「モーツァルトで免疫力を高めよう」~

2012年02月16日 | 音楽談義

長いこと低迷している景気のしわ寄せもあるのだろうが、相変わらずストレスに満ち溢れた現代社会において精神をリラックスさせるための音楽療法が注目されている。

音楽といってもいろんなジャンルがあるし、作曲家にしても様々だが、取り分け「モーツァルトの音楽」に、より高い健康効果が認められるというのが次の本。

「モーツァルトで免疫力を高める、老化を防止する、快眠へといざなう!」 2005年8月25日、(株)角川SSコミュニケーションズ刊

                                     

著者の
和合治久氏は埼玉医科大学短期大学教授、国際比較免疫学会アジア・オセアニア会長、日本比較免疫学会副会長、専門分野は免疫音楽医療学で日本における第一人者。

モーツァルトは自分も大好きな作曲家だが、聴いていて気持ちが良くなるから聴いているだけで、これまで健康効果を期待したことなんかまったくないが、本書は医学的な見地からモーツァルトの音楽の魅力を解明しようと試みているのがやや新鮮で興味を引かれた。

以下、本書を引用させてもらおう。

モーツァルトの名曲になぜより高い健康効果が認められるのか、それは次のように判明している。

人間の意志とは無関係に作動する自律神経の中でも身体をリラックス状態に導く副交感神経を刺激する音の特性が豊富にバランスよく含まれている。

その特性を具体的に挙げると次の3点。

 音の高い周波数(3500ヘルツ以上の高音)がよく含まれている

 自然の音と同じ一定のリズムを保ちながら「変化のある音=”ゆらぎ”」に満ち満ちていること

 倍音(音と音とがぶつかり合ってさらに高い周波数になる)と呼ばれる音の特性が交感神経(ストレスなどを喚起する)の働きにブレーキをかけること

の”ゆらぎ”については、さらに解説が必要と思う。

たとえば、夏のひんやりしたそよ風は強くなったり弱くなったりする不規則性が人間の生体リズムと一致して涼しく感じるが、扇風機の風は人工的で一定の強さしか吹かないため心地よく感じず「その違い」とのこと。

この3点を基軸として本書は次により構成される。

第1章 なぜ病気になるのか? なぜ眠れなくなるのか?

第2章 なぜ、モーツァルトが効果的なのか?

第3章 モーツァルトが眠りにいいのはなぜ?

第4章 モーツァルト音楽療法の効果を高める聴き方

第5章 モーツァルト音楽療法Q&A

第6章 免疫力を高める、老化を防止する、快眠へと誘う!モーツァルトCD曲目紹介

このうち、特に興味をひかれたのが次の点。

☆ 聴覚は心臓が停止した30分後まで残っている感覚

人間は外部からの刺激を聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚という五感でキャッチしているがその中で聴覚は最後まで生き残っている感覚で心臓が停止した後も30分間くらい働いている。したがって、意識のない病人の枕元で悪口を言ったりするのはとんでもないこと。(そんな人はいないだろうが・・・)

聴覚が休みなく働くことは(危機をいち早く察知するという点で)動物にとって極めて重要な機能で五感全体が脳に送っているエネルギーのうち85%以上が聴覚によるもの。

☆ 音楽の周波数と脊髄の位置は対応関係にある

脊髄は頭頂から尾椎(尾てい骨)まで、ピアノの鍵盤のように並んでいて、周波数の違いにより反響する部分が異なる。
尾椎は250ヘルツ前後、腰椎は250~500ヘルツ程度、胃のあたりが1000ヘルツ、胸椎が750~2000ヘルツ、頚椎が2000~3000ヘルツ、延髄から上は4000ヘルツ以上で、高い周波数ほど脊髄の上の方に反響する。低い音がズーンとお腹に響くように感じるのもこれで説明がつく。


さて、第5章では、モーツァルトの音楽以外ではバッハにも同様の効果が認められ、さらに「グレゴリオ聖歌」にも”ゆらぎ”が豊富とのこと。楽器では、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、オーボエなどがそうで、ピアノの場合は背骨にツボ刺激を与えるような響きを持っている。

第6章では音楽療法の効果を高める曲目が具体的に10曲紹介してあった。

因みに、自分が勝手に推奨する「これぞ癒しのモーツァルト」
ヴァイオリン協奏曲全曲、フルートとハープのための協奏曲、クラリネット五重奏曲、オペラ「魔笛」。

全国的にインフルエンザが猛威を振るっているが、日頃からモーツァルトを聴いて免疫力を高めておこう!
                                                                                                   
                      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書コーナー~「寿命の予測」~

2012年02月14日 | 読書コーナー

ときどき、「自分はいったい何歳ぐらいまで生きるんだろう」と思うことがある。

あっさり死んでしまうとせっせと収集した真空管やオーディオ機器が「主」を失うので、「もったいない」精神から発したものだが、先日、一粒種の娘とウォ-キングをしているときに、「お父さんが死んだら、オーディオ機器はすぐに売り飛ばしてしまうんだろうねえ」と鎌をかけてみたら、「ううん、ずっと使うつもりよ。しかし故障したときに困るから、誰か扱い慣れた人を紹介しておいてね」という現実的な言葉に”本気度”が伺えてまずはひと安心。

そのうち、我が家のオーディオ・システムの音声信号と電源系統の「流れ図」を作成して、スイッチを入れる順番などを書いておかねばと思いつつ、まあ、あまり急ぐこともあるまいという希望的観測だが果たして・・・。


自分の寿命ばかりは「神のみぞ知る」といったところだが、2~3年おきに”こっそり”利用しているのがイギリスの権威ある科学専門誌
「ネイチャー」に出ていた寿命の算出方法。

翻訳のうえ掲載されていたのは
「ボケるボケないは生き方できまる」(2007年3月5日、大和書房刊)という本で、著者は東京大学教授の石浦章一氏。

さて、あなたの寿命は現在の状態で何歳ぐらいになるだろうか。興味のある方は次により試算を。

基本は76歳、次の質問に回答して合計した数字に76を加えた数字があなたの寿命。+は寿命増加要因、-は減少要因。該当しない項目は0。

 あなたは今何歳ですか。30~50歳なら+2、51~70歳なら+4。

 男性なら-3、女性なら+4。

 200万人以上の都会に住んでいるなら-2、1万人以下の町なら+4。

 自分の祖父母の一人が85歳を超えていたなら+2、二人とも80歳を超えていたなら+6。

 両親のどちらかが50歳以前に心臓疾患で亡くなっているなら-4。

 兄弟姉妹や両親が50歳以下で、がん、心疾患、糖尿病になっているなら-3。

 年収1000万円以上を稼いでいる人は-2。

 大学卒は+1、大学院卒は+2。

 65歳以上で今働いているなら+3。

10 連れ合いがいるなら+5。

11 現在独身は-3、25歳から数えて独身時代が10年以上続いているなら、10年ごとに-3。

12 現在の仕事が机上の仕事は-3、身体的運動が必要な仕事は+3。

13 週5回、30分以上の運動を続けているなら+4、週2~4回なら+2。

14 1日に10時間以上寝る人は-4。

15 性格として、リラックスタイプは+3、緊張タイプは-3、幸せと思うなら+1、不幸せと思うなら-2。

16 この1年間に制限速度オーバーでつかまったことがあるなら-1。

17 1日に1合以上の酒を飲む人は-1。

18 1日にタバコ2箱以上吸う人は-8、1~2箱なら-6、半分から1箱なら-3。

19 標準体重より20Kg以上肥満なら-8、
     〃     10Kg~20Kg肥満なら-4、
     〃      5Kg~10kg肥満なら-2、
※自分の標準体重=23.5×自分の身長m×自分の身長m

20 あなたが40歳を超えた女性で毎年婦人科医に診察を受けているなら+2。

以上の質問項目により、自分の寿命を計算してみたら、何と予想外の長生きで「82歳」と出た!

ちなみに、日本人の平均寿命は2010年時点で男性79.64歳、女性86.39歳。


さて、この寿命テストからいろんな健康対策が浮かび上がってくる。とにかくプラス項目を大きく伸ばし、マイナス項目を減らすことに尽きる。

マイナス要因が極めて大きい(最大-8)のは18のタバコと19の肥満。タバコの害はもう周知の事実で言わずもがな。

肥満の害は最高水準の医療技術と経済力を誇るアメリカ人の平均寿命が世界ランキング10位外という結果が物語っている。(あのハリケーン・カトリーナの被災地ニューオーリンズでの被害者たちの肥満のテレビ映像がいまだに目に焼きついて離れない!)

摂取カロリーを3割減にするとクモからサルに至るまで寿命が3割延びるそうだ。

の項目では年収が高いのにマイナス要因とは意外だが、それだけストレスの影響を考慮したもの。14の寝すぎは逆にストレスが少なすぎる点が考慮。の都会暮らしは空気や水の汚染とストレス。1011の結婚と独身問題もストレス、外食と栄養のバランス、規則的な生活などが考慮。

7、8、12については職業によって寿命の違いがあることをうかがわせる。郡山女子大学の森一教授によると宗教家は寿命が長いというデータがある。ずっと昔の奈良時代の頃でも僧侶の平均寿命は70歳前後。

僧侶の長寿の要因は「過食を避け心身の修行に励んだこと、森林浴効果や読経・説教による精神の安定、それにプラスして規則正しい生活、永続的な仕事、世のためになっているという生きがい、世俗のストレスから離れるといったこと」が挙げられるそうだ。

なお、レイ・カーツワイル著の「ポスト・ヒューマン誕生」の417頁に古代からの平均寿命が記載されていたので参考までに記載。
        

クロマニヨン人の時代   18歳
古代エジプト         25歳
1400年ヨーロッパ     30歳
1800年ヨーロッパ     37歳
1900年アメリカ       48歳
2002年アメリカ       78歳

1900年までの遅々とした寿命の延びに比べて、1900年からたった100年の間に30歳も伸びたことに注目。

私たちは実に恵まれた時代に生きている!

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独り言~ネットオークションの「掘り出し物」~

2012年02月11日 | 独り言

いやあ、久しぶりにネットオークションで真空管の「掘り出し物」を手に入れることができた。まさにルンルン気分~。

と、ここで先ず、自分なりの「掘り出し物」とは何かを定義しておこう。

それは「相場よりもずっと安い価格」、「性能がいいと定評のあるもの」、「滅多に市場に出回らないもの」、この3つを兼ね備えたものを意味している。


そして、今回ゲットしたのはRCA「12AU7 クリアートップ」。

                         

とりあえず、落札した経過を得々と(?)述べさせてもらおう。

開始日時     1月31日

開始時の価格  2,000円(4本)

終了日時     2月5日(日) 21時55分

落札価格     3,600円

電圧増幅管の「12AU7」(ヨーロッパでの呼称は「ECC82」)は真空管アンプの初段管に使用されることが多く、我が家でも5台保有の真空管アンプ(いずれもパワーアンプ)のうち4台に使用している。つまり常在戦場に8本(1台2本×4台)必要となるのでスペア管を確保しておく必要があるため、1週間に一度くらいは必ずネットオークションに「12AU7 ECC82」で検索をかけている。

しかし、どこかの「心ない業者」が連続して何頁にもわたって出品しているのにまったく閉口するが、ようやく合間を見つけて目についたのが「RCA12AU7 クリアートップ」で、しかも4本まとめて出品されている。

一般的に真空管の黄金期は良い職人と良い材質に恵まれていたことにより戦前から1960年代までとされている。1970年代に入ると品質が落ちるので、(あくまでも通説だが、実体験上ではそのとおり!)自分が狙っているのはヴィンテージ管と称するもので、この1960年代までに生産された真空管のうち現代に引き続き残されたものである。

アメリカの「RCA」は1919年に創立された古い歴史を持ち、真空管のメーカーとして世界的な名門企業で、ブランドとして申し分がない。これまで実際に「6FQ7」、「6SL7GT」(いずれも電圧増幅管)、「2A3出力管」、「5V4G整流管」などを購入して使用してきたがすべて期待を裏切られたことがなかった。

出品されている「12AU7」も1960年当時の製品とあり、しかも「クリアートップ」ときている。これは特別に音質に配慮されて製造されたもので、ゲッター(メッキ部分)が真空管の内のサイドにあるため、頂上が透明なのでこう呼ばれているが、とりわけ「美音」とされており高域はより美しく透明感があって極めて繊細という定評がある。

そういうわけでこの「クリアートップ」は通常のRCAブランドの同種の真空管よりも2倍以上の価格で、しかも稀少管なので滅多に市場には出回らない。いわばマニア垂涎の的の真空管である。自分は実際に「6FQ7」のクリアートップを購入して使ったことがあり噂どおりだったのでその値打ちは十分、分かっている。

オークションで最初に2、000円(4本)という価格を見たときに「エッ、冗談でしょ!」。

しかも実測値付きで、廃棄値56に対して4本(双三極だから8極)とも95以上でほぼ新品同様である。おまけに出品者の評価も「良い評価」が1500をオーバーしていて、悪い評価が0なのは実に安心できる。

これは滅多にない「掘り出し物」だと直感し、一気に戦闘モードに突入したのは言うまでもない。

すぐに「ウォッチリスト」に登録して毎日、入札価格の推移をチェックしていたが、大幅に値上がりするだろうと予想していたのになかなか上昇しない。「おかしいなあ?」と首をひねりながら、入札者7名、価格も2700円程度のままでとうとう5日の入札最終日の夜へと突入。

これはてっきり、(目に見えない強敵が)落札終了寸前に駆け込み入札で一気に決着をつけようという腹づもりだろうとおよそ予測がついた。これまで散々この手で欲しくて、欲しくてたまらない真空管を奪われてきている。

今回もまあ、たぶん無理だろうと諦め気味に、「宝くじは買わなければ当たる可能性がない」し、「オークションも入札しなければ手に入る可能性がない」ので、「11,000円」という貧乏人としては精一杯の最高価格を奮発して入札し、そのまま就寝。予想では軽く2万円は越えると踏んでいた。

翌朝、起きるなりメールを見ると、何と自分が落札者になっているではないか。しかも終了価格が3,600円!

4本で3,600円だから1本が900円という信じられない価格。これだから「オークションはやめられない」と小躍りしたのは言うまでもない。

ネットオークションで「真空管漁り」を続けてもう10年以上になるが、当時と比べて、オークションの世界も随分世知辛くなってまさに「鵜の目鷹の目」の世界、近年は「掘り出し物」はまったく期待できないと諦めていたがこういうこともたまにはあるんですよねえ・・・・。

しかし、実際に現物が手元に到着しないと「とらぬ狸の皮算用」だが、すぐに出品者から振込先の連絡が入り、ネットバンクで支払いを完了すると火曜日の午後には早くも真空管が無事到着。迅速な対応は実にありがたい。

さっそく、最近修繕してもらったばかりのPX25・2号機の初段管「ムラードECC82」を外し、付け替えて試聴開始。

その結果だが、この原稿を書いている時点まで3日間ほど連続して試聴しているが、自分の耳にはどちらがいいとも悪いともまったく判断がつかず、「どちらもいいよねえ」。両者とも音の印象が実に似ているのである。

しかし、値段的にはムラードは今では1本の価格が1万円近くするはずなので、それに対してRCAは900円だから圧倒的な差があるからお買い得感は満点。

とにかく、これで最上級の「12AU7」が4本、コレクションに加わったのでこの型番に限ってはまったく後顧の憂いなし!

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオ談義~「球ころがし」~

2012年02月07日 | オーディオ談義

ブログを始めてから早いもので、もう5年が過ぎたが、初めのうちはもの珍しさもあってこまめに2日に1回のペースで投稿していたものの、この頃はちょっと”ネタ切れ”気味で3日~4日に1回の更新へとペースダウン。

それでも原稿作成のためにパソコンに向かう時間がバカにならないが、カミさんや娘からは「相変わらず何の得にもならないことばかりして~」と揶揄(やゆ)されながらも、まあ、暖かく(?)見守ってくれている。

さて、「得になるか、ならないか」は傍目には金銭的な動きが一切ないので、まるでムダ働きのように映っているのだろうが、実はこのブログのおかげで「有形無形の得」をしていることをカミさんたちは一向にご存じないのが痛快と言えば痛快。

果たしてその「有形無形の得」とは?

一言でいえば「全国津々浦々の音楽愛好家・オーディオマニアの方々との交流」がそれで、このブログがなければ絶対に知り合いになれなかった人たちがいろいろ点在している
のだ!

その中で、とりわけ「有形の得」をさせてもらっているのが奈良県にお住いのMさんである。

バッハの「マタイ受難曲」をことのほか愛好され、グレン・グールドが弾く「イギリス組曲」などのCDを貸してもらったりして、懇意にさせていただいて、もう3年以上のお付き合いになる。しかも、アンプづくりの達人で、これまで全面改修してもらった真空管アンプが3台にものぼるがいずれも完璧な仕上がりで、大いに助かっている。

クラシック好きのうえにアンプ製作者ときているから、まったく理想的な技術者さんである。

と、ここで、この両者を兼ね備えるとなぜ「理想的」なのかをちょっと補足しておくと、自分なりの見解で言わせてもらえば、組み立てたばかりのアンプが「果たしてどういう音がするのか」、こればかりは製作者にとっても未知の存在で、絶対に試聴と調整が欠かせないが、その時に判断基準となるのが「音楽マインドと優れた耳」というわけで、たとえばコンデンサーの値を替えたり、銘柄を替えたりと、「微調整」によってはじめて「いい音」がするアンプが出来上がるもの。

仕上げが非常に大切というわけだが、とにかくMさんが手を入れたアンプは音楽性が高くて、そのうえ滅茶苦茶にSN比が良く、「ハム音」のハの音も一切聞えてこないのが大きな特徴。SPユニットに耳をピッタリくっつけてようやくサーッという音がかすかに感じ取れる程度なのだからその腕前たるや”もの凄い”。

さらに、ありがたいのが「修理のお礼」で(あまり大きな声では言えないが)、自らは遠慮してご請求されないので、いつもこちらの言い値どおりの「雀の涙」程度でお茶を濁しているものの、いつの日かまとめて「ご恩返し」をせねばと考えている。

今のところ、もっと気候が良くなってからの温泉付きの我が家への別府招待旅行をご提案中だが、いまだに色よい返事をもらえていない・・・。

さて、Mさんには厚かましくも2週間ほど前に4台目となる真空管アンプの修理をお願いしておいたところ、この3日(金)の午後に無事完了して我が家に戻ってきた。

このアンプは14年ほど前に、あるマニアの方に製作してもらったものだが、いろんな接続箇所の腐食が進んで雑音が出だしたので全幅の信頼を置くMさんに全面的な改修をお願いしたもの。

                   

左が半年ほど前に修繕していただいたアンプ(PX25・1号機)で、右が今回、全面改修をしてもらったアンプ(PX25・2号機)。

いずれも、三極管の世界ではウェスタン社の「WE300B」と並び称されるイギリス製の「PX25」を出力管としたアンプで、第一システムの中高域用SPユニット「Axiom80」に限定して使用しているもの。

これまで1号機で十分満足していたのだが、万が一、故障したときのことを考えて予備として完璧な状態で持っておこうと、2号機をMさんに送付してとりあえず試聴してもらったところ「小編成に限っては素晴らしい音ですが、1000ヘルツ以下の音があまり出ていないようです。全面改修となると部品代に相当かかりますが、どの程度の予算を考えてますか?」と打診があった。

真空管アンプの部品代を下手にケチると後々の”はね返り係数”が大きくなるし、今回のアンプはとりわけシンプルな回路なので最高級の部品を使ってもらう方がいいと判断し、思い切って「天井知らずでお願いします」。

その後3~4日ごとにメールで進捗状況の報告があって、部品の方は「9ピン真空管ソケット(金メッキ仕様)、カソード抵抗にはデールのメタルクラッド、スプラーグのコンデンサー、線材にベルデン」などを購入された由で、画像つきの説明なので実に分かりやすい。

Mさん独自のスタイルの大きな特徴は回路の「左右独立電源」にあり、これまでの真空管アンプもいずれもそのポリシーで統一されており、今回も同じ回路にしてもらったが、2~3日間のエージングの結果により大編成もバッチリというわけでご納得のうえ送付していただいた。

まず、絶対といっていいほど自画自賛をされない方だが、今回のアンプに限っては珍しく「音のランクが上がったかと思います。まあ、聴いてみてください」とのメールに元気百倍!

さあ~、3日(金)の到着直後の15時ごろから試聴開始。

「凄い!実に反応が早くて音離れがいい。スピード感にあふれる音、おまけに音に華やかさがあるがけっして安っぽくならない。これならクラシックだけでなくジャズでも十分にいける」というのが第一印象。

期待以上の仕上がりに大満足だが、さらに欲が深くなっていろんな役目を果たしている真空管を随時交換して音の雰囲気の変化を探ってみた。

いわゆる「球ころがし」。

今回の対象は「初段管」、「出力管」、「整流管」の3種類で、この組み合わせとなると膨大な数になるが、これまでのノウハウのもと、相性のよさそうな組み合わせはおよそ分かるのでかなり絞れた。

とにかく金曜日の午後から、月曜日まで、丸3日間、食事と運動の時間を除いて飽きもせずにあれこれ
続けるのだから、カミさんから「変人、奇人」扱いされるのも仕方がない。

まずは「初段管」の「12AU7=ECC82」から。

テレフンケン、シーメンス、東芝、JAN,そして新品同様のまま10年以上もエースとして大切に温存してきた「ムラード」と、差し替えてみたところ、好き好きの範疇だろうが、やはり「ムラード」が一番バランスが取れているように思えて見事合格。 

次に出力管「PX25」の比較に移った。オリジナルのイギリス製「GEC-VR40」とチェコ製の「RD27AS」(PX25同等管)との聴き比べ。

後者はこれまで1号機に挿していたものだが回路や出力トランスが変わるとどういう反応を示すのか大いに興味がある。

試聴してみると、この2号機に限っての話だが、「RD27AS」(直筒管)はレンジが広くなって躍動感も増すが、何もかも隅々まで容赦なく照らし出すような趣で、もっと陰影が欲しい印象を受けた。

こういう点ではさすがに「GECーVR40」はイギリスのゼントルマン風に節度があって、細かな襞の陰影でさえも思慮深く再現する風で実に好ましい鳴り方。音色の艶も一枚上のような印象を受けたのでこれに決定。さすがはオリジナルだと思った。

最後に整流管の方だが、これもマルコーニの「5U4G」、STCの「5R4GY」(いずれも直熱管)、RCAの「5V4G」、ウェスタンの「422A」(いずれも傍熱管)といったところをいろいろ試してみた。

                       

整流管の銘柄変更は出力管や初段管などのように顕著な差は見られず、むしろ規格数値とのマッチングに要注意といったところだが、この中ではウェスタンが音が浮わつかず実在感を示す趣があったのでこれに決定。

以上のとおり、いろいろ球を差し替えながらたっぷり遊んで真空管アンプの音の変化の面白さを満喫させてもらった。

今年の冬も昨年と同様に実に寒気が厳しいが”冬来たりなば春遠からじ”、このアンプが我が家のオーディオ・ルームに一足早く春の息吹をもたらしてくれたようで、大いに心が弾んだ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書コーナー~「シューマンの指」~

2012年02月03日 | 読書コーナー

「奥泉 光」氏(1994年芥川賞)の著書「シューマンの指」(2010年10月)を一読したところ、久しぶりに作家による情熱的な音楽論に接した印象を受けた。

                               

「シューマンの曲はどれもそうだけど、一つの曲の後ろ、というか、陰になった見えないところで、別の違う曲がずっと続いているような感じがする、聴こえていないポリフォニーというのかな」(37頁)という言葉が、まるで通奏低音のように全編を貫いていく。

周知のように一昨年の2010年はショパンとシューマンの生誕200年だったが、世の中はショパン、ショパンと騒ぐばかりでシューマンは一顧だに(?)されなかったのはまだ記憶に新しい。

この風潮に抗するかのように、大のシューマンびいきでシューマンへの愛を語らせたら人後に落ちない奥泉氏は音楽ミステリを絡ませながらも本書の中で、ここぞとばかり「シューマン論」を展開する。

この「シューマン論」については生半可な人間が中途半端に要約するよりも、興味を覚えた方に限っては直接、本書を読んでもらう方がずっといいと思うので、このブログでは例によって、書評やあらすじは抜きにして本書の中から印象に残った言葉をピックアップしてみよう。

著者は早々と15頁で本書の主人公をして次のように述懐させる。「シューマンのピアノ協奏曲イ短調op54はモーツァルトによって豊かに開拓されたピアノ協奏曲のジャンルの中で最高傑作だが、実際に聴くこともなく30年の間、心の中で聴いてきた」

「鼓膜を震わせることだけが音楽を聴くことじゃない。音楽を心に想うことで僕たちは音楽を聴ける。音楽は想像の中で一番くっきりと姿を現す。耳が聴こえなくなって、ベートーヴェンはよりよく音楽を聴けるようになったんだ」

ウーム、これは「音楽鑑賞の本質的な問題」ではなかろうか。本書の中で一番心に響いた言葉で、実は自分にも大いに思い当たる節があるのである。

あれは忘れもしない、不本意な異動で冷や飯を食わされたときだったから、たしか35歳のときになるが、片道1時間半の長距離通勤の行き帰りの自動車の中でオペラ「魔笛」(モーツァルト)を聴く中、第二幕におけるタミーノ(王子)とパミーナ(王女)が仲直りするシーンで、音響空間の中に溶け入るように消えていく弦合奏を聴いているときに後頭部の一部がジーンと”痺れるような感覚”を覚えてしまい、どうもその感覚が日常生活の中でしばらく頭の中から消えて失くならず、どうかすると仕事中でさえもふと手を休めた時などにその弦合奏とともに”痺れるような感覚”が蘇ってきて困った(?)ことがあった。

「いい音楽」とはずっと後に尾を引いていくものだと、このときはじめてわかったが、この感覚がどうしても忘れられず、狂気と熱情を狩り立てて様々な演奏の「魔笛」のフルセットを買い求めていく原動力となったのは否めない。

作家の五味康祐さん(故人)の名著「西方の音」にも、満足なオーディオ装置を買えない貧乏な青年(五味さん)がシュワンの音楽カタログを見ながら想像の世界の中で音楽を聴く”名シーン”が展開されているが、実際に聴いていないのに心で聴くとはこういうことかと思ったことだった。

こういうことを書いていると、つくづくオーディオの役割とはいったい何だろうかと考えてしまう。

一般的に私たちはいったん好きになった音楽はとことん、まるで骨までしゃぶり尽くすように何回も聴くものだが、どんな名曲だって、そりゃあ何回も聴けば飽いてくるのは当たり前で、そういうことの繰り返しの中で私たちは記憶の中から次々に自分の名曲を失っていく。

名曲に親しむために苦労してオーディオを買い求めたのに、一方では(オーディオが)名曲を失う役割をも果たしているというこのパラドックスをどう理解すればいいのだろうか。

煎じ詰めるとオーディオとはいろんな音楽を聴くための単なる入り口に当たる役割を果たしているに過ぎず、いったん気に入った音楽が出てくればいたずらに淫することなく心の中でそっと鳴り響くようにするのが本当の「音楽愛好家」というものかもしれない、な~んて思うのである。

いつのまにか、ちょっと堅苦しい独りよがりの精神論みたいになってしまった。主観的な話なので、どうか真に受けないように~。

さて、シューマンという作曲家は正直言って音楽史の中でさほど重要な役割を果たしているとも思えず、これまであまり親しむ機会を(あえて)持とうともしなかったが、本書を読んで大いに触発され、せめて「ピアノ協奏曲op54」でも聴いてみようかと手持ちのCDを探してみた。

”やっぱり、持っていないかなあ”と諦めかけたときに、ふと以前「ディヌ・リパッティ」(ピアニスト)の4枚セットを購入していたことを思い出だして引っ張り出すと”ありました、ありました!”。最後の4枚目のCDにグリークの「ピアノ協奏曲」とセットで収録してあった。

                           

さっそく聴いてみると、音が出た瞬間に「な~んだ、モノラル録音か~!」。

そりゃあ、そうだろう、なにせ1948年の録音(カラヤン指揮)なんだから仕方がないよねえ。しかし、不思議なものでしばらく聴いているうちにまったく気にならなくなって演奏の方だけに惹き込まれた。人間の耳は実に都合よくできている。

「どこかで一度聴いたことがあるよなあ」というのがこのピアノ協奏曲の印象だが、それ以上の感慨は特に覚えなかった。どうもリパッティとオーケストラとの息が合ってないような気がしてならず、他の演奏を聴くと好きになるのかもしれないが、とりあえず奥泉さん、ゴメン。

その替わり、続けて聴いたグリークのピアノ協奏曲(1947年録音)には全身全霊で痺れてしまった。

録音状態もシューマンのものよりずっと良かったが、その演奏たるや形容のしようがないほどで、まったく”ロマンに満ちあふれた素敵な演奏”の一言に尽きる!やっぱり「リパッティ」にはとてつもない歌心がある。

あまりの素晴らしさに参考のため「ステレオ名曲に聴く」(小林利之著)を見ると、何とリパッティの演奏が「群を抜いてすぐれた演奏」とあるではないか!

「グリークの音楽の、そくそくと身にせまる甘くはかない清冽な詩情をキリリと引き締まった抒情性と美しいタッチで表現していて、聴くものの胸に訴えかけてくる。ほかのどのレコードも及ばぬ美しさです」。まったく、さもありなん。

当分の間、この名曲・名演奏を簡単に失わないように1日1回に制限して聴くことにしよう~!?

最後に、本書でもう一つ印象に残る言葉があったのでぜひ紹介させて欲しい。

「ベートーヴェンは、ピアノ・ソナタというジャンルを完成させた。後期の、とりわけ最後の作品111のc-Moll(ツェーモル→ハ短調)は明らかに破壊だろう?偉大な完成者が自分で解体してみせるところまでやり尽くしたジャンルで、後から来た人間に何ができるだろう?それへのシューマンの解答が、小曲集形式なのだ。」(31頁)

作品111の熱狂的なファンの一人として、こういう言葉を聞くとなぜかもう胸が締め付けられて”切なくなる”のである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする