「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

連休中の素敵なプレゼント

2024年04月30日 | オーディオ談義

昨日(29日)の昼下がりのこと、玄関のチャイムがピンポ~ン。

連休を利用して帰省している娘が「私が頼んだコクヨの手帳が届いたんだわ・・」と玄関先へまっしぐら~。

娘がネットで注文した手帳というのは「コクヨ」の「ソフトリング」という代物で、これまで使った中でいちばん使い勝手が良いとのこと。



余談になるが・・、「コクヨって漢字で書くと、どういう字か知ってるかい?」「いや、知らない・・」「国の誉(ほま)れ」って書くんだ・・、国が社名になるくらいだから由緒ある会社ってのが分かるだろう」「へ~ッ、お父さんは雑学の大家だねえ」

ふ~ん、雑学ねえ・・、あまりうれしくもないか(笑)。

それはさておき、(娘が)喜び勇んで小包を開封したところ、出てきたのは奇妙な小道具・・、「アレ~っ、私こんなもの頼んでないわ・・、あっ、メモが入っている・・、これはお父さん宛てよ~」

エ~ッ、今度はおいらが驚く番だ・・(笑)。



このたび「音の館」をオープンされた「T」さん(静岡県)からだった。

メモには「プレゼントです。コンデンンサーにバイアスを掛けてその振動を押さえます。音がクリアーになります。」そして、ご丁寧にも接続方法がこと細かに図示されている。

プレゼントをいただく資格を持ち合わせていないが、思い当たるのは一つだけ・・(笑)。

こういう小道具はあまり信じないことにしているが、熟達した電気技師として、そして鋭い耳の持ち主の「T」さんのことだから頭から信用して、さっそく図示通り取り付けた。

実験の対象となったのは「175ドライバー」(JBL)で、1700ヘルツほどでローカットしているコンデンサー(イギリス製)に取り付けた。



そして、さっそく「You Tube」で「エンヤ」の「カリヴィアン・ブルー」を聴いてみて腰を抜かさんばかりに驚いた。

音の静けさと透明感がこれまでと まるっきり 違う・・、そして両方のスピーカーの間に広がる深~い遠近感が実に心地よい!

試しに、左側を外した状態で聴き比べてみると、右側のスッキリ爽やか感が断然優っているのが如実に感じ取れた。

さっそく、「T」さんに打電した。

「プレゼント無事に届きました。ありがとうございました。さっそく175ドライバーで試しみたところ、SN比が随分良くなった感じがします。ブログで紹介させてもらっていいでしょうか?」

すると、次のような返信があった。

「どうぞ、どうぞ紹介してください。ツイーターの感度が良ければクリアーな音になります、中音でも効果ありかも知れません。

JBLが10年位前のエベレストで実行していたのでどんな回路か ? と思い実験してみました、

私の所ではこの装置を入れると手放せません、外すと二日酔いのお父さん的な音に戻ります(笑)。」

天下の「JBL」が実行していたものですか・・・、納得です。

それにしても、こういう「小道具」で音が 極め付き で良くなるんだから、オーディオの闇は果てしない・・、そして、電気に詳しい方のアドバイスは必須ですね。

前回のブログ「ブログを18年間続けている理由」に、さっそく追加しておかなくちゃ~。

「ときどき、素敵なプレゼントに恵まれる!」(笑)。



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ブログを18年間続けている理由

2024年04月29日 | 独り言

「ブログを18年間続けている理由って何?」と、問われたらどう答えようか・・。

「各テーマについて共感や示唆を受ける仲間を増やしたい、 幅広く読者を獲得してささやかな社会貢献ができれば幸い、 そして自己顕示欲がまったく無いと言ったらウソになる・・」といったところだろう~。

したがって、読者からメールをいただくといつも感謝の念に包まれます。

つい先日も、「本のお薦め」の中で触れた、「作曲家と映画音楽」について、読者に広くご意見を求めたところ、さっそく南スコットランド在住の 粋人「ウマさん」 から「示唆」をいただきました。

深く感謝しながら紹介させていただきます。

タイトルは「音を削る大切さ」

音楽と映像に関して、武満さんに印象深い言葉があります。(武満徹 エッセイ選 小沢純一編 ちくま学芸文庫より。下線はウマ)

映像に付加する音楽に対して、非常に冷静な方であることが伺えます。
 
「映像に音楽が付せられることで、映画全体としての心象は、また別のリアリティを得る。相乗する視覚と聴覚の総合が映画というものであり、映画音楽は演奏会場で純粋に聴覚と通して聞かれるものとは、自ら、その機能を異にする。

飽くまでも、映画音楽は演出されるものであり、そこには、常に、自立した音楽作品とは別の、抑制が働いていなければならない
 
「時に、無音のラッシュ(未編集の撮影済みフィルム)から、私に、音楽や響きが聞こえてくることがある。観る側の想像力に激しく迫ってくるような、濃い内容を秘めた豊かな映像に対して、さらに音楽で厚化粧を施すのは良いことではないだろう。ー 中略 ー むしろ、私は、映画に音楽を付け加えるというより、映画から音を削るということの方を大事に考えている
 
「わたしなりの映画音楽の方法論を語ると、ハリウッドの人たちは、なんとも不思議なものに接したような驚いた表情で、大仰に、Very intereting を連発した。そして、『アメリカの作曲家は一曲でも多く音楽を挿れたがるのに、あなたはまるで反対を言う ー中略ー おかしなことを言う人だ』
 
「わたしが、映画音楽から、仲々、足を洗えないでいるのは、実は、こうした自分とはまるで違った考え方や感じ方の人たちと、一緒に、夢を紡ぐことの面白さが、とても貴重なものに思われるからで、無駄をしたと言う思いなどない」
 
「そして今自分の仕事場に戻る。これからの孤独な作業に対して、これまでより、一層、新鮮な気持ちで、向かい合えるような気がしている」

「武満 徹」さんの当事者ならではのコメント、そしてエッセイを読破されたウマさんの蘊蓄(うんちく)にも感心・・、内容についても深く考えさせられました。

「音を削る大切さ」を敷衍(ふえん)すると、オーディオの究極の目的「スピーカーの存在を無にする」作業にも繋がりそうですよ(笑)。

そして、ほかの話題「沈黙を強いられる美」についてもメールが届きました。

前述のウマさんからは

「何と言っても「オーロラ」です。言葉など出てきません。ただ跪きたくなる神々しさに我を忘れてしまいました。
フィンランドのロバニエミで観た超幻想的な光景には呆然でしたね。

帰途、ヘルシンキ空港内にある熊本ラーメンで、やっと我に帰りました。」とのこと。



そして、モーツァルト愛好家のYさんからは「万里の長城からの眺め」でした。



(両方とも画像はネットからです。)

両者ともスケールの大きな「天空と地上のパノラマ」ですね
・・、簡単に行けないところが残念・・(笑)。

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究極の美を求める心

2024年04月28日 | 独り言

昭和の時代に活躍した評論家「小林秀雄」さんのエッセイに「美を求める心」というのがある。

「絵画や音楽をどう鑑賞したらいいのか」について、若い人向けに書かれた本だが、その一節に次のような言葉がある。

「美には、人を沈黙させる力があるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。絵や音楽が本当に解るという事は、こういう沈黙の力に堪える経験をよく味わう事に他なりません。

ですから、絵や音楽について沢山の知識を持ち、様々な意見を吐ける人が、必ずしも絵や音楽が解った人とは限りません。」


で、ブログ主から噛み砕いて言わせてもらうと「絵や音楽は頭で理解するものではないし、言葉で表現するものでもない。ただ、ひたすら見つめ、そしてじっと耳を澄ませながら対象と虚心坦懐に向き合いなさい」。

誰にでも「美を求める心」があると思う・・、
たとえば自分の場合に当てはめてみると、「美しい調べと音」を日夜追いかけているつもりだが、それを
どう表現すれば読者にわかってもらえるんだろうかと思うことが再々ある。

言い換えると、「こんなことを言葉遊びしてもしょうがないんだけどなあ」、と虚しくなる気持ちが無いと言えば嘘になる~(笑)。

それに引き換え「聴覚」に比べて「視覚」に訴えるものは恵まれている。何しろ対象が豊富だし、一目見るだけで わかりやすい し広く共感を得やすいのが特徴だ。

たとえば美しい写真、絵画、そしてふるいつきたくなるような美形を観て、思わず沈黙させるような力・・。

まずは、高校時代の同窓生カメラマン「T」君が撮影した
「桜並木の夜景」



そして、絵画では江戸時代に活躍した浮世絵師「歌川広重」の名作「蒲原 夜の雪」がいちばん好き。



夜にかけて雪がしんしんと降り積もるこの情景をじっと見つめていると、何だか魂が雪景色の中に吸い込まれそうな感覚を覚える。

そして最後に「美形」・・。

映画女優では若い頃の「若尾文子」が究極の美形だと思っていたが、ちょくちょく「ミステリードラマ」などに出演している「笛木優子」には思わず息を呑み言葉を失ってしまうほどの衝撃を受けた!



すると、あるときネットで「結婚~第一子出産」の記事が躍っていたので、フ~ン・・(笑)。


しかし、こういう女性を伴侶にすると疲れそうな気がするので「高嶺の花」として見ているのがいちばんかな・・。

さて、読者の皆様にとって視覚的に「沈黙を強いられる美」があるとすればそれは何でしょう?

どうかもったいぶらずに、何でもいいので気軽に教えてくださいな~(笑)。

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本のお薦め

2024年04月27日 | 読書コーナー

さあ、今日(27日)から胸躍るゴールデンウィークです。とはいえ、ブログ主は 毎日が日曜日 の人間なので、普段と変わりなしですが(笑)。

むしろ、温泉観光地なので県外からどっと観光客が押し寄せてきて、道路が渋滞するのでかえって迷惑・・、そこで、期間中は 読書三昧 で行くことにしました。

さて、ミステリー作家「宮部みゆき」さんは「蒲生邸事件」を読んでからずっと気になっている存在。

その宮部さんが「読売新聞」日曜版(2015~2019)
に連載されていた「お薦め本」をまとめた「中公新書」がこれ。



ブログ主が ぜひ読んでみたい と思った本をメモしてみた。

☆「闇からの贈り物 上下~あっぱれ!新米女性刑事」(ジャンバンコ)

発端は幼い子供を含めた一家4人惨殺というショッキングな事件。しかも捜査が始まるとすぐに不穏な事実が判明する。被害者家族の夫と現場に残された物証から浮上した第一容疑者と彼の雇った弁護士は過去の未解決事三少年誘拐事件の被害者とその遺族だったのだ・・。主人公の女性刑事の人物造形が素晴らしい!

といった調子。

☆ 「音と身体のふしぎな関係」(ホロウィッツ)

「耳とは何かを考えてみよう。耳は分子の圧力変化を感知する器官だ。私たちは耳が音楽や車のクラクションを聞くことを想像しがちだが、耳が真に 気づいている のは振動である」~中略~

たとえば、映画「ジョーズ」のあまりにも有名なメインテーマ。あの低音の心拍のような曲が流れると、映画の内容を知らない人でさえ何か不穏なものが現れそうだと感じるのはなぜだろう。それはね、あの曲が よりにもよってチューバで演奏されるからなのです。

チューバは非常に低い音を出せる楽器で、生体力学的進化論ではより低い音はより大きな音を意味する。生物が つがい の相手を探す場合は大きな声を出せる個体は好ましい対象になる、ただしそれ以外の場合では大きくて低い声を出す動物は、貴方より大きな 何ものか であって、だからあのテーマ曲を聴くと、私たちは本能的な警戒感を喚起されるのだ・・。

ブログ主から

より深い低音の持ち主は女性にもてそうですね・・(笑)、さらにオーディオシステムでも本格的な低音を出そうと思ったら、スピーカー(ユニット+箱)がどうしても大きくなりますよね。他家でも本格的な低音を聴かされると、まず「恐怖心or警戒心」が先に立ちます・・(笑)。

ほかにも、本書には読んでみたい本がたくさん紹介してあって、昨日(26日)図書館に行って「在庫」分を借りてきました。



そして、もう一冊紹介・・。

☆ 「大楽必易(たいがくひつい)~わたくしの 伊福部 昭 伝~」



「大楽必易 大礼必簡(たいがくひつい たいれいひっかん)」とは,中国の古典『礼記(らいき)』の言葉で、「すぐれた音楽がわかりやすいものであるように、すぐれた礼儀は簡素なものである」という意味です。これを常に自身の戒めとしていたのが 伊福部 昭(いふくべ あきら) という作曲家です。」

音楽評論家にして慶応大学教授の「片山杜秀」(かたやま もりひで)氏の、これは たいへんな労作 だと思う。

作曲家「伊福部 昭」(いふくべ あきら:北海道)といえば、何といっても往年の名画「ゴジラ」のテーマ音楽で知られている。

ほら、中高年にとって「ジャジャジャッ、ジャジャンッ・・」と畳みかけてくるような音楽を聴くだけで、途方もない大きな怪獣が現れてくるような予感に襲われます、そうまるで「ジョーズ」のような・・(笑)。

本書は片山氏が若いころから謦咳(けいがい)に接された伊福部氏の音楽家としての生涯に言及したものだった。

音楽好きにとっては興味ある事項が満載。

たとえば・・

「バルトークの近代的自意識は鼻持ちならない、ストラヴィンスキーにはそれがない、そこがいい、バルトークの嫌いな人間はストラヴィンスキーが好きで、その逆も真である。両方好きな人間がいれば、その人は虚偽である」(伊福部氏 談)

といった調子~。

で、調子に乗ってブログ主から・・、

「バッハの線香臭さは鼻持ちならない、モーツァルトはそれがない、そこがいい、バッハの嫌いな人間はモーツァルトが好きで、その逆も真である。両方好きな人間がいれば、その人は虚偽である」 アハハ・・。

著者は「あとがき」の中で、伊福部氏をモーツァルトに比肩しうる作曲家として礼賛されている、だがしかし・・、冷静に見てどうなんだろう?

代表作とされる「シンフォニア・タプカーラ」「日本狂詩曲」を「You Tube」で聴いてみたが、どうも「?」だった。

己の感性が貧弱なのかもしれないが、何だか「映画音楽」っぽいなあ・・(笑)。

ふと「コルンゴルト」(1897~1957)という作曲家を思い出した。オペラ「死の都」のアリア「マリエッタの歌」は絶品だと思うが、幼少のころからモーツァルトの再来と謳われたものの、大戦後に生活のため映画音楽に手を出してから次第に評価が下がっていった。

作曲するときに映像に縛られてしまう癖がつくと、(作曲に)必要なイメージを湧き起こす才能が枯渇していくのではあるまいか。

本格的な 音楽の創造 を目指そうとするなら、作曲家は(映像付きの)「映画音楽」とは共存出来ないと思うのだが、どうなんだろう・・。

「眼と耳の優先順位」にも関わってくる問題だが、広くご意見を求めたいと思います~(笑)。



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「酒とアンプの違い」とは

2024年04月26日 | 独り言

先日の「読売新聞」の朝刊に、芥川賞作家の「町田康」(まちだ・こう)さんが投稿されていた。



小見出しは「酒はアンプ 性質を増幅」。細かい字で読みづらいだろうから関係部分を抜き書きしてみると・・、。

「人によって酒とはなになのか、ということがある。ある人は酒は百薬の長といって酒を善きもののように言う。ところが別の人は命を削る鉋(かんな)と悪し様に言う。いったいどちらなのか。

自分が酒を飲んだときの状態をいま振り返ってつらつら考えるにこれはどちらも正しい。

どういうことかというと、酒はオーディオ装置などに組み込まれているアンプ、すなわち増幅器ということである。

増幅器は入ってきた信号を増幅、すなわち大きくしてスピーカーに伝える。これによって私たちは大きな音で音楽を聴くことができる。

同様に酒は、私たちの元々持っている性質を増幅する。もともと人が好きで人と仲良くしたいという心を持っているのだが、普通の状態だとそれが微弱でなかなか人に伝わらない。

そこで酒を飲むとこの気持ちが増幅され、人と心を通わせることができるようになる。これは酒の美点である。

ところがアンプは音量を上げるだけであり、その特性を変えるものではない。アンプを通したからといって嫌な音がいい音になるわけではない。

同様に酒は私たちの中にある、人間としての嫌な部分を増幅する。これが酒の難点である。嫌いな音楽を好きな音楽に変えたうえで増幅してくれるアンプがあればよいが、そんなものはない。

だから元々、よい性質を持っている人は酒を飲み、これを増幅するのがよい。そうでない人は止したほうがよい。

さて、私はどちらであったか。それは言わぬが花でしょう。」

というわけで、今回のテーマは酒。

私たちにとってはたいへん身近な存在で、誰にでも大なり小なり酒にまつわる失敗談があるはずだが「飲み方次第で毒にも薬にもなる」のは周知のとおり。

そこで「酒の功罪」について整理してみると、まず「功」の面から、

1 コミュニケーション・ツール(人間関係の潤滑油)

2 精神安定(リラックスとストレス解消)

3 生活習慣を予防(食欲の増進、血管の拡張)

4 「適量だけ飲む人」が「死亡率低下の効果」が最も高い

そこで適量というのは次のとおりとされている。

ビール(中瓶1本500ml)、日本酒(1合)、焼酎(コップ半分)、ウィスキー(ダブル1杯60ml)、ワイン(グラス2杯200ml)

次に「罪」の面からいくと、

多量の飲酒によって引き起こされるのが「身近な人に迷惑をかける」「交通事故や暴力」「アルコール依存症」「メタボ症候群」「生活習慣病」「ガンの誘発」(つい最近の記事にも酒はDNAを傷つけてガン化するとあった)

といったところ。

我が家ではこのところ晩酌で「日本酒」「焼酎」「ワイン」「ウィスキー」の「少量」を日替わりメニューのように飲んでいるが、まるでオーディオとそっくりで移り気なところはどうやら性格的なものらしい(笑)。

ところで、オーディオ愛好家の皆様は冒頭の町田氏の「酒はアンプ・・」を読んでどういうご感想をお持ちでしょうか?

そう・・、引っ掛かるのは「アンプは音量を上げるだけであり、その特性を変えるものではない。アンプを通したからといって嫌な音がいい音になるわけではない」の個所だ。

これは間違いですね。

我が家ではアンプを換えることはまさに「死活問題」で「嫌な音がいい音になる」のをこれまで数限りなく経験してきているし、さらには真空管の種類によってさえも増幅の密度というのか音の質感が明らかに違ってくる感想を抱いている。

言い換えると、「唯一無二の音」(原音or好きな音)があって、それへの近づき方が(距離感も含めて)違うという表現が正しいかもしれない・・。


つまり、アンプは単なる増幅装置にあらず、その役割はオーディオにおける「壺中の天」ともいうべき愉しみ方にあるのだが、その一方で世間一般の認識とはそんなものかと、何だか淋しくなりますなあ・・(笑)。



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世の中には 二種類 の人間がいます

2024年04月25日 | 音楽談義

「世の中には二種類の人間がいます。カラ兄を読んだことのある人と読んだことのない人です。」



「ひとつ、村上さんでやってみるか」を読んでいたら、79頁にあったのがこの言葉・・、著者は村上春樹さん。ちなみに「カラ兄」とは「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)のこと。

まるで「敵か味方か」みたいに、こうやってものごとを単純化するととても分かりやすいですね(笑)。
                       

印象に残ったので、引用してみたわけだが「カラ兄」を読むと人生観が変わるという話をよく聞く。「将来、カラ兄のような長編小説を書きたい。」というのが
村上さんの願望だそうだ。

実は先年、娘から「お父さんも読んだ方がいいわよ」と、「カラ兄」(岩波文庫版、全4冊)を受け取ったものの、いまだに部屋の片隅にツンドク状態になっている。

何せブログの更新をはじめ何かと忙しくてね~(笑)。

それにもうこの歳になって人生観が変わっても仕方がないし・・、ま、諸々が一段落した暁には、ひとつ腰を据えて読んでみようかな。


さて、文学の最高峰は衆目の一致するところ「カラ兄」で決まりのようだが、クラシック音楽の最高峰は何だろうか?

あれやこれや言ってみてもクラシック音楽を峰にたとえると、年代順に行けば、登りやすい足場を築いたバッハに始まりモ-ツァルトという頂上を経てベートーヴェンという広大な裾野で終わるようなもの。

で、真っ先に浮かぶのは「マタイ受難曲」(バッハ)だろうが、個人的に思い入れが強いのはオペラ「魔笛」(モーツァルト)である。

またか~(笑)

600曲以上もの膨大な作曲を手がけたモーツァルトだが、その中でも深い感動に満ち溢れたハイテンションの感覚を味わうには何といっても魔笛に指を屈する。40年以上にわたってモーツァルトをひたすら聴き込んできた専門家が言うのだからこれは間違いない(笑)。

さしずめ、冒頭の言葉をもじると「クラシックファンには 二種類 の人間がいます。魔笛を好きになる人と、そうでない人です。」

心強いのは(魔笛には)強力な応援団がいること。けっして孤軍奮闘ではない。

かの畏れ多きベートーヴェンはモーツァルトの最高傑作は「魔笛」だとして、のちに「魔笛の主題による12の変奏曲」を作って献呈しているし、文豪ゲーテだって「人間どもをからかうために悪魔が発明した音楽だ」と述べているし、「五味康祐」さん(故人、作家)だって個人的に好きな曲目のランキングで堂々とベスト1に挙げられている。

どうやら玄人筋に評判がいいようだ。そりゃそうで2時間半に亘る長大なオペラなので、いかに幾多の名曲に恵まれているとはいえ、ずっと聴き通すのに根気がいるのはたしかで初め~て聴く人にはちょっと敷居が高すぎる。

それに真正面から「さあ、聴いてやるぞ」と意気込んで向かい合うと空振りになること請け合い。“ながら族”で聴いているうちに、何となくメロディが耳に焼き付き、そしてだんだん深みにはまっていく。そして最後はもう魔笛を聴かないと夜も日も明けない、このパターンが一番自然だ。

「クラシックという広大な森に分け入ったからには魔笛を好きにならないと大損をしますよ~。」と、声を大にして叫んでおこう。


とはいえ実際に試聴するのはこのところ年に3~4回に留まっている。

若い頃から魔笛に淫してしまいCD、CDライブ、DVDなど、もっといい演奏はないものかと、とうとう50セット近く買い集めて(おそらく日本一のコレクションだと思う!)聴きまくってきたので、耳が倦んでいる面もある。いかなる名曲でも聴き過ぎると敬遠気味になるのは音楽ファンなら先刻ご承知のとおり。


そしてつい先日、魔笛を久しぶりに堪能した。たまたま昔の録画番組を整理していたら見つけたもので、クラシック専門番組「クラシカジャパン」(637チャンネル)による放映を録画したもの。

指揮はアーノンクール(1929~2016)。これは2012年ザルツブルグ音楽祭の出し物で非常にユニークな演出で大きな話題となったもの。


アーノンクールといえば「古楽器演奏に固執する個性派」として知られ、異端のイメージが抜けきれず・・、実はこれまでイマイチだと思っていたのだが、この魔笛は別で違和感なく溶け込めた。歌手たちも若手が主体でまったく名前を知らない歌手ばかりだったが、たいへんな熱演で力量不足を感じなかった。

しかし、「アーノンクールはこんなに “まとも” だったかな?」と疑問を覚えたので、1987年に録音した手元の魔笛(CD盤)を改めて聴いてみた。

            

144分間ずっと耳を傾けたがあまりにも立派な演奏に胸を打たれた。歌手たちもグルヴェローヴァをはじめ超一流ばかり。

アーノンクールは当時とまったく変わっていない・・、過ぎ去っていく時間の中で自分だけが “置いてきぼり” をくった感じ。自分はいったい何を聴いていたんだろう?


もしかして、当時に比べてオーディオシステムを一新したせいかな~(笑)。
 



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落札できなかったのは 「幸 or 不幸」のどっち?

2024年04月24日 | オークション情報

日頃の読者ならご存知の通り、我が家にはスピーカーや真空管アンプが溢れかえっており、置き場所に困るほどでもう飽和状態に達している。

それに、いまさら新しい機器を揃えたとしても時間的にあとどれくらい楽しめるのか・・、もはや自明の理である。

ところが分かっちゃいるけど止められないのが、オークションでの「掘り出し物」漁り~(笑)。

いまだに、性懲りもなく毎日チェックしているのだから執念というのか、惰性というのか・・、習慣は
恐ろしい。

そして、つい最近 網にかかったのがこのアンプ。



タイトルは「GEC(英国)LS7 パラシングル セパレートアンプ」

真空管「LS7」を使ったシングルアンプは我が家で「AXIOM80」用のベストアンプとして君臨しているエース級のアンプである。これがパラシングルとなると、パワー感も一層増して妙なる響きを醸し出すに違いない。

しかも開始価格が「1000円」となると黙って見逃す手はないよなあ・・(笑)。

オークションの解説にはこうある。

ベテランビルダーさんの手によって丁寧に組上げられたアンプです。
本LS7の単管ラインアンプで中高域が綺麗で透明度があり好印象だった事からパラシングルで組み上げたアンプです。

小出力ではありますが、特段の不満を感じることなくフルレンジユニットで聴いておりました。
アンプの台数が増えてしまい整理目的から出品させて頂きます。

詳細は避けますが、使用部品は海外の著名品を奢り配線材(ヴィンテージ単線)含め手抜きは無いと自負しております。
内部写真を参照下さい。

シャーシはグリーンハンマートーン仕上げのとても綺麗なシャーシで製造中止となり入手は不可能になりました。
尚、使用時間は極少です。

*予備球として揃えたGEC LS7 新品4本をお付けします。

●概要
前段:TELEFUNKEN RE904/MH4
出力管:GEC LS7
整流管:PHILIPS Miniwatt AZ1
電源トランス:PMC-55FM
CHトランス:米MOTOROLA 25K83552-C
INTトランス:LIST特注品 (10KΩ 1:1)
OPTトランス:PMF6WS-3525
●サイズ
W350xD205xH170mm

以上のとおり。

欲しくて、欲しくてもうたまらん‥(笑)。

長年の勘から「上限価格13万円」くらいならいけるんじゃないかな・・、そこでじっくり入札の推移を見守りながら、落札当日の夕方になって乾坤一擲の勝負とばかり「13万円」の値札をパソコンに打ち込んだ! すぐに「あなたが最高値です」のお知らせが踊った・・。

こうなると、もうかなり頭に血が昇っていますね・・(笑)。

そして、いつものように20時ごろから白河夜船で後は結果待ち~。

翌朝(22日 月)、4時ごろに起床してパソコンを開いて一番にメールをチェック・・、無情にも目に飛び込んできたのは「高値更新」!

え~っ、ダメだったのか・・、急いで落札価格を見ると「13万1千円」也~。たった千円の差だった。まあ、ラストの叩き合いともなるともっと上がったかもしれませんがね。

残念は残念だけど、どこかでホッとしたのも事実・・、整流管のソケットを交換して「80」が使えるようにしないと、など「取らぬ狸の皮算用」で落札後の改造の手間が待ち構えていたので~。

潔く諦めて気を取り直すことにした。

これだけたくさんのアンプ(9台)があるのに、落札したとしてもはたしてどれだけ出番があったのかな・・、むしろ落札できなかった方が良かったんじゃないの~(笑)。



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何が飛び出してくるかわからない ブログ

2024年04月23日 | 独り言

「質よりも量を優先だ」とばかり毎日ブログを更新していると、それだけ話題も広範となり読者からメールをいただく機会が多くなった。

大半が読み捨てにする方々ばかりだからとても ありがたい ことである・・、なにしろブログのネタにもなるし~(笑)。

今回もとてもご熱心なモーツァルトファンの「Y」さん(ご住所不明)から、メールをいただいた。

先日のブログ「音楽鑑賞は音と音の間に横たわる沈黙を聴きとることで昇華する」という、日頃に似ずかなり大上段に振りかぶった音楽談義に関する話題だった。

そして、いただいたメールの内容がこれ・・、匿名ということで無断掲載お許しください。

「音楽鑑賞は……」の記事、拝読しました。

サティには、「あなたが欲しい」などのお洒落で、素敵な曲もありますが、ほとんどが 似たような音形が空間に漂っているような感じの音楽ですね。

これは、ワーグナーやマーラーによってある意味限界を迎えつつあった、ベートーヴェン以来の"主張する"音楽(ロマン派)に対するアンチテーゼでしょうね。

この音楽に影響を受けたドビュッシー(彼はサティより年上ですが)による「新しい音楽」が20世紀の "音楽多様化時代"の基になって行きます。

なので、「ペリアスとメリザンド」はワーグナーを聴く時とは逆に フランス人の"日常の会話"を聴くような感じで接すると楽しいかもしれません。(笑)

あ、そうそう
私のモーツァルト ピアノソナタの愛聴盤は クラウス旧盤とヘブラー旧盤です。」

さっそく返信メールで謝辞を述べるとともに 「クラウス」と「ヘブラー」のソナタをぜひ聴いてみます と誓った(笑)。

「リリ・クラウス」女史と「イングリッド・ヘブラー」女史・・、両者とも名だたるモーツァルト弾きとして知られている。

こういうときに「You Tube」はほんとうに便利がいい。CDを購入しなくても簡単に聴けるんだからね~。

さっそく検索して聴いてみたところ、どうもテンポと間合いについて微妙に肌が合わない・・、両者ともそう感じた~。

良いとか悪いとかいう問題ではなくて、感覚的に「合うか合わないか」に尽きるし、何とも解決しようのない「食い違い」でもある。

試しに、同じ「You・・」で「ピリス」を聴いてみたところ、これこれ・・と溜飲を下げた。



日頃聴きなれているせいかなあ・・。

音楽の好み、そしてオーディオの音質だって意見が一致することは極めて稀なことかもしれないですね・・、人それぞれ耳の形が違うように感覚も違う!

そして、南スコットランド在住の 粋人「ウマさん」 からも「上から3年、下から3日」の後半で触れた「フェルメール」の絵画についてメールをいただいた。

「とても懐かしい名前を見ました。
日経新聞文化欄の「流れる」でフェルメールの解説を書かれた東多江子さんです。

もう、かなり昔のことになります。保育社のカラーブックス・シリーズで、確か「味の散歩、大阪・神戸・京都」と云う文庫本だったと思います。

巻末に、僕を含めた数名の座談会が掲載されてるんですけど、その中に、僕や東多江子さんが酒の話を語り合ってるんです。当時、彼女は、確かNHKのドラマの脚本を書いておられたと記憶しています。


「音楽とオーディオ」の小部屋は、何が飛び出してくるかわからないですね。いやあ、驚いた。」

いやあ、そうですか! 文中にある「東多江子」さんてとても こなれた 文章を書く方だと感心していたら、そういうことでしたか・・。



そして、「何が飛び出してくるかわからない」という言葉は、このブログにとって 最高の誉め言葉 だと受け止めさせていだきます・・、何といってもこのブログは内容よりも人の意表を突く意外性が持ち味だと思ってますからね~(笑)。


 

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面白うて やがて哀しき オーディオかな

2024年04月22日 | オーディオ談義

言わずもがなだが、「音を音楽に変換」するのは脳である・・、したがって一日中音楽ばかり聴いていると脳が疲れてしまう。

そこで、息抜きのために(テレビで)映画、ドキュメンタリー、ドラマなどの出番がやってくる。

光回線を利用した「光テレビ」(NTT)を導入してから早くも10年以上になるが、大いに重宝している。

何しろチャンネル数が多いので(37チャンネル契約)映画やドラマが見放題だし、「TVガイド」により録画予約が簡単にできる~。



で、先日のこと、かってシリ~ズ(10回)で放映されたテレビドラマ「陸王」が放映予定なのを見つけ、かねて「好評」ぶりを聞きつけていたのですかさずまとめて(10回分)を録画~。

いやあ、メチャ面白かったです! 

原作があの「池井戸 潤」(半沢直樹シリーズ)さんだから面白くないはずがない・・。

老舗の「地下足袋(じかたび)」専門の零細企業が、長距離ランナーの命ともいえる「ランニング シューズ」の製造に新たに挑戦し、既存の業界に殴り込みをかけて成功するという サクセスストーリー。

とにかく、「七転び八起き」というのか、障害が起こるたびにめげずに挑戦していく姿勢に胸を打たれた・・。

物事に対する熱意と簡単に諦めない挑戦、人と人との巡り合いの大切さなど考えさせられることがいっぱい詰まっている!

で、「熱意」と「挑戦」といえば、我が家のオーディオの歴史がそうなんですよねえ・・(笑)。

もちろん、「相手」が文句を言わない、言えないのが 良くもあり悪くもあり~(笑)。

オーディオの目的は一言でいえば「好きな音楽を好きな音で聴く」ことに尽きるが、家庭で好きな音を実現しようとするとなかなか手強くてまずは「泥沼」を覚悟しなければならない。

そして・・、結局その「成果」となると「血(お金)と汗(努力)と涙(失敗)」の量に比例することを悟る。

で、血(お金)に恵まれないブログ主にとって残されたものは「汗」(努力)しかない・・、これが「熱意」と「挑戦」する気概に直結するというわけ~。

そこで、具体論に入ってこの程取り組んだ実例を挙げてみよう。

我が家には6系統のスピーカーがあるが、それぞれ順にコツコツと手なずけていってようやく残ったのが一つになった。

まあ、 手なずける といっても所詮は自己満足だし、加齢によって高音域の聞き取りが劣化しているのは疑いようもないが、その辺は長年鍛えられた脳が「音を音楽に変換する」ときに、勝手に補正していると思っている。

真偽のほどはわからないけどね・・(笑)。

で、残ったスピーカーというのがこれ。



グッドマンのユニットが入った箱を改造して、口径25cmの低音専用のユニットを納めている。ハイカットはムンドルフのコイルを使っておよそ700ヘルツに設定~。

ちなみに、このユニットはかってのデンオンのシステムの片割れだが、れっきとした「アルニコ マグネット」の持ち主である。落札価格はたしか「5000円」前後だったと思うが・・、何しろ格安である。



で、中高音域はJBLの1インチの「175ドライバー」である。JBLは大型の2インチ「375」や「LE85」を使ったこともあるが、いちばん気に入っているのがこの「175」で、弦楽器にやさしいのがその理由。

始めは、画像のとおり弁当箱みたいに大きなコンデンサー(22μF)を使ってローカットを900ヘルツあたりに設定したのだが、中低音域の厚みには満足したものの、ウーファーとの干渉でアンプのボリュームを上げられず、弦楽器の高音域がイマイチ冴えない・・。

そこで、ローカットを上げることにして英国製のコンデンサー(12μF)を使って、1700ヘルツあたりに設定。



いやあ、これで八方丸く収まりました・・(笑)。

あらゆる音楽ソースを3日間にわたって聴き流したが、一点の瑕疵も無し~。

そして、駆動するアンプもあれこれ試してみたが最終的に落ち着いたのはこれ。



左が「175」用として「3A/109B(STC)シングル」アンプ、右がウーファー用として「371Aプッシュプル」アンプ。

ウーファーの箱が大きいせいか、サブウーファーの出番が不要なのもありがたい。サブウーファーなんて使わないに越したことはないからね~。

これで、6系統のスピーカーがすべて「90点」体制になって万歳~。

これも「熱意と挑戦」の結晶だよなあ・・、とはいえ挑戦する対象がなくなってしまい一抹の寂しさも漂ってきた。

そこで、俳聖「芭蕉」の句をもじって一句。

面白うて やがて哀しき オーディオかな(笑)



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「上から3年、下から3日」とは

2024年04月21日 | 独り言

日経新聞は「経済記事」の充実もさることながら、「文化面」も負けず劣らず充実しているように思う。

現在、文化面の看板記事「私の履歴書」には元新日本製鐵の社長だった「三村明夫」氏が投稿(1か月)されている。

その中に「上から3年、下から3日」という言葉があった。

どういう意味かといえば、

「人を判断するのに上から見れば3年かかるが、部下として仕えれば上司の長所も短所も3日で分かる」という格言だそうで、この言葉は今に至るまで私自身への戒めである・・、とのこと。

ブログ主にも組織で働いた経験がありますぞ・・、往時を振り返ると、今でもどっと「冷や汗」が出てきます~(笑)。

文化面は「私の履歴書」以外にも見るべきものがあり、一例として以前に「流れるシリーズ」というのがあった。


    

この「シリーズ」の掲載の趣旨はといえばこうである。

「音楽や映画は「時間芸術」と呼ばれる。作品の時間を支配するのは作り手だ。

絵や小説はと言うと、時間は鑑賞する側が握っている。静止する絵画の中に「流れる」ものを見つけ、自分だけの時間を味わうのも楽しいかも!と選んでみた。(脚本家 東多江子)

「時間芸術」という言葉は馴染みが薄いが、音楽や映画などは鑑賞側の受け入れ態勢にお構いなくひたすら終幕まで突っ走っていく。

主導権は終始「作り手」側にある。

これに因んでジャズ史上では最も有名な言葉がある。

「音楽を聴き終わったらそれは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」(エリック・ドルフィー)

その一方、絵画や彫刻は静止したままの状態でどれだけ時間をかけようとゆっくり鑑賞者を待ってくれる。逃げも隠れもしない「やさしい芸術」である。

で、この「流れるシリーズ」の一環として「紳士とワインを飲む女」(フェルメール)掲載されていた。

                     

解説は次のとおり。 

「この女性、いけるクチと見える。ワイングラスには一滴も残っていない。

傍らの男性は、ボトルに手をかけ、「どう、もう一杯」と言い出しそうだ。女性へ注がれる視線が、そのタイミングを伺っている。

かつて絵画には「寓意(ぐうい)」があったそうだ。この絵なら、椅子の上のリュートは「愛」を、テーブルの上の楽譜は「調和」を象徴し、さらにステンドグラスに描かれている手編みを持つ女性は「節制」を意味するのだという。

つまり目の前できゅんきゅんするメロディなんかつま弾かれて、にわかに気持ちが近づいていくのはわかるけど、軽々しく貞操を破っちゃいけませんよ、といった大人の警告が仕込んである? しかし、戒めがきついほど、若い子の好奇心は膨らんでいくものだし!

絵を凝視すれば描かれた男性の視線は、この絵の中で唯一「流れる」エネルギーだとわかる。その視線を、女性は無視しようとしているが、グラスを置いたとたん、きっと言うにちがいない。

「もう一杯、いただくわ」

(1659~60年、油彩、カンバス、66.3×76.5センチ、ベルリン絵画館蔵)

文中にある「寓意」(ぐうい)とは・・。

聴き慣れない言葉だがその意味は「他の物事にかこつけて、それとなくある意味をほのめかすこと。」(広辞苑)

意図する側もされる側も「知恵」が要りそうでたいへんですね・・、ボケ防止にはよさそうだが(笑)。

現代はとかく忙しくなってストレートな物言いが当たり前で間接的な言い回しは敬遠されるばかりなので「寓意」はますます縁遠くなっている。

たとえば、「そんな もったいぶった言い回し じゃなくてハッキリ物を言え・・」といった調子(笑)。


この絵画で面白いのは「楽器」が「愛」を表し、「楽譜」が「調和」を表し、「手編み」が「節制」を表していること。

「楽譜=音楽」⇔「調和=ハーモニー」というわけで、当時の音楽のイメージはハーモニーというわけですかね・・。

最後に我がオーディオ機器の寓意を記してみよう。

前段機器の「CDトラポやDAコンバーター」は(どんな色にも染まらない)「沈着、冷静、精巧」を表す

増幅段であるアンプは(愛情を注ぎこんでくれる)
情熱」を、そして変換系であるスピーカーは「楽器」みたいなものだから当然(包み込んでくれる)「愛」ですかね(笑)。

「沈着冷静」「情熱」「愛」と「3拍子」が揃うとなると、オーディオも人間並みだねえ・・(笑)。



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「音の館のオープン」に寄せて

2024年04月20日 | オーディオ談義

2週間ほど前だったろうか・・、いつも拝読している「T」さん(東海地方)のブログにこういう情報があった。



Tさんがウォーキング中に出会った「お寺」の掲示板にあったそうだが、思わず まったくその通り と膝を叩いてしまった!

目の前の幸せに気付こうとせずに、やたらにわが身の不幸を嘆く・・、オーディオだって、 いい音 が出ているのに巧みに難点を見つけて嘆く悪い癖がある・・、まさにこの「ブログ主」が該当する~(笑)。

そういう「T」さんの 音へのこだわり と 耳の鋭さ にはブログを通じていつも舌を巻いているが、使用されている機器類にも大いに工夫の跡が偲ばれ、その中の一つが「LAN」を使ったケーブル・・。

  

まだ一度もお会いしたことがないのに、ピンと来るものがあって厚かましくもケーブルの作成をお願いしたところ「一つ返事」で作成していただいた。

爾来、この3年あまり「RCAコード」と「SPコード」に関してはいっさい迷いなしのままで今日に至っている。

とりわけ「4.5m」という長さにもかかわらず 音の劣化が感じられない SPケーブルの使い勝手の良さには大いに感謝している。

その「T」さんがこのほどゴールデンウィークに入る27日(土)から「音の館をオープン」されるとお聞きして、 このブログでよければぜひ宣伝させてください と オーディオ文化の普及と浸透のために自ら買って出ました(笑)。

そんじょそこらではめったに聴けない「音」が聴けますよ!

何しろオーディオ専門店では聞けない珍しい機器群を4つの部屋で展開されているそうなので、ぜひ一聴する価値ありです~。

概要は次の通り。

営業形態
通常は土、日だが平日でもブログ「ボロトレーンの日記」のコメント欄に希望日時を書き込んでくれればご希望に合わせます。

来訪者のご持参のCD、LPを掛けます・・、飲み物はコーヒー、日本茶、ノンアルコールビールを用意します、自由に聴いてもらい、運営協力費の寄付をお願いしたいです(800円)。

名称 店名「ボロ」(作曲家「ボロディン」由来)

場所 静岡市葵区古庄6丁目3-3

連絡先 携帯090-5197-8852(田中)

新東名の新静岡インターから13分の所です。

以下、ご参考までに写真を4点あげておきます。

  

  

凄いの一言ですねえ・・、今すぐにも すっ飛んで 行きたいところですがいくら何でも九州からではねえ~(笑)。

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音楽鑑賞は「音と音の間に横たわる沈黙」を聴きとることで昇華する

2024年04月19日 | 音楽談義

前回のブログ「オーディオ情報は8割疑え」は今年いちばんのヒット(アクセス数)となりました。

「エンターテイメント」としての「虚実の割り切り方」がどうやら大いに共感を呼んだようですね・・。

ブログ主にしても個人的な「思惑 → 誘導」に色濃く彩られた日頃のオーディオ記事の「禊(みそぎ)」が済んだような気がして、何だかホッとしてちょっと気が楽になりました~、所詮は錯覚なんでしょうけどねえ(笑)。

で、音楽記事の方はどうなんだろう?

やっぱり「似たり寄ったり」かな・・(笑)。

というわけで、実験台として「音楽鑑賞は音と音の間に横たわる沈黙を聴きとることで昇華する」について、ひとくさり~。

昨日(18日)の午前、「サツマイモ」(昼食用)の買い物ついでにオーディオ関係の本でも立ち読みしてみようかと本屋さんに立ち寄ったところ、さりげなく店内に流れていたBGMがモーツァルトのピアノソナタだった。

「ああ、いいなあ!」と、思わずウットリして立ち尽くしてしまった。

このところご無沙汰気味だったピアノソナタ(全20曲)だが、脚本家「石堂叔郎」氏は次のように述べている。

「一生の間、間断なく固執して作曲したジャンルに作曲家の本質が顕現している。モーツァルトのピアノソナタは湧き出る欲求の赴くままに、何らの報酬の当てもなく作られた故か不思議な光芒を放って深夜の空に浮かんでいる」

モーツァルトの作品の中では非常に地味な存在だが聴けば聴くほどにモーツァルトの素顔が顕わになる音楽であり、一度ハマってしまうと病み付きになる音楽でもある(笑)。


急いで自宅に戻ると関連のCDを引っ張り出した。

      

感受性が豊かだった30~40代の頃はたびたび感涙に咽んだものだが、この年齢になるとスレッカラシになってしまい涙の一滴も出てこないが、それでもやはり相性がいいのだろうか、相変わらず琴線に強く触れるものがある。

当時一番耽溺したグールドに始まって、ピリス、内田光子、アラウ、ギーゼキング、シフと聴いてみたがこの年齢になると自然体の演奏が一番ピッタリくる・・、その点グールドはあまりに個性が際立っていてちょっと押しつけがましい気がしてくるのも事実。

その一方、ピリスはまことに中庸を得ていて、気取ったところが無く何よりも「音楽心」があってたいへん好ましい。年齢に応じて好みの演奏家も変わるのだろうか・・。

「音楽は普段の生活の中で味わうものです。何も着飾ってコンサートに行く必要はありません。」が、彼女のモットー(テレビで言ってた!)だが、この演奏も等身大そのままの音楽を聴かせてくれる。

このソナタを久しぶりに堪能させてもらったおかげで、このところオーディオに傾いていたマインドが振り子のように音楽に戻っていったのはメデタシ、メデタシ。これが「音楽とオーディオ」の本来のあるべき姿なんだから(笑)~。

そして、「音楽の押しつけがましさ」で連想したのが以前読んだ「生きている。ただそれだけでありがたい。」(新井 満著:1988年芥川賞)
の中の一節。

                     

「61頁」に著者が娘に対して「自分のお葬式の時にはサティのグノシェンヌ第5番をBGMでかけてくれ」と依頼しながらこう続く。

「それにしても、何故私はサティなんかを好きになってしまったのか。サティの作品はどれも似たような曲調だし、盛り上がりにも欠けている。淡々と始まり、淡々と終わり、魂を震わすような感動がない。バッハやマーラーを聴く時とは大違いだ。

だが、心地よい。限りなく心地よい。その心地よさの原因はサティが声高に聴け!と叫ばない音楽表現をしているせいだろう。サティの作品には驚くほど音符が少ない。スカスカだ。音を聴くというよりはむしろ、音と音の間に横たわる沈黙を聴かされているようでもある。

沈黙とは譜面上、空白として表される。つまり白い音楽だ。サティを聴くということは、白い静寂と沈黙の音楽に身をまかせて、時空の海をゆらりゆらりと漂い流れてゆくということ。

毎晩疲れ果てて帰宅し、ステレオの再生ボタンを押す。サティが流れてくる。昼間の喧騒を消しゴムで拭き消すように。静寂の空気があたりに満ちる。この白い壁の中には誰も侵入することができない。白い壁の中でたゆたう白い音楽。」

以上、これこそプロの作家が音楽について語る、まるでお手本のような筆致の文章で、自分のような素人がとても及ぶところではないですね~(苦笑)。

サティの押しつけがましさのない音楽の素敵さが充分に伝わってくるが、実は、文中にある「音と音の間に横たわる沈黙」については思い当たる節がある。

以前、クラシック音楽の大先達だった五味康祐さんが生涯に亘って愛好された曲目をベスト10として掲げてあるのをネットで拝見したが、第1位の「魔笛」に続いて第2位にランクされていたのがオペラ「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー)。

五味さんほどの方が愛好される音楽だからさっそく聴いてみようと指揮者の違うCDを2セット(ハイティンク盤とアンセルメ盤)購入して聴いたところ、これがサッパリだった(笑)。
           

気の遠くなるような長い静寂の中を登場人物がぼそぼそと囁くようにつぶやく、まことに冴えないオペラで、メロディらしいものもなく盛り上がりにももちろん欠ける。五味さんほどの方がこんな曲の何処が気に入ったんだろうと正直言ってガッカリした。

しかし、今となってみるとこれはサティの音楽とそっくりで、五味さんはもしかすると「音と音の間の沈黙」を聴かれていたのかもしれないと思えてきた・・、いや、きっとそうに違いない。

この沈黙を聴きとるためには、聴く側にも心の準備として自己の内面と静かに向き合う「静謐感」が必要であることは、クラシック音楽ファンならきっと思い当たるに違いない。

で、「音楽鑑賞は音と音の間に横たわる沈黙を聴きとることで昇華する」なんてことを偉そうに書くと、すぐに馬脚が現れそうなのでこの辺でお終いにしておくのが無難かなあ~(笑)。 


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オーディオ情報は8割疑え

2024年04月18日 | 独り言

このところ土曜から日曜にかけての温泉観光地・別府は県外ナンバーのクルマがうようよしている・・、福岡、熊本、宮崎、そして山口ナンバー。

どうやら新型コロナが収まって観光客が戻ってきたようで、久しぶりに開放感を味わいたい気持ちがよくわかりますね。

ただ欧米諸国に比べると日本だけなぜ死者数が少なく収まったのか専門家の間でもはっきりした理由はわからないそう。

家内の「かかりつけの医師」によると「マスクとワクチンの相乗効果でしょう。今でも人混みの中に入るときはマスクをした方がいいですよ」とのことだが、たしかにいろんなショップや図書館を回ってもマスクをしていない人がほとんど見当たらないし、ワクチンの接種率もたしか先進国ではNO.1だとか。

フランスなどでは「ワクチンを打たない自由」を求めてデモをしたというから、やはり日本人は何かにつけ真面目な国民性なんでしょうねえ。

言い換えると、いろんな情報を「信じ込みやすい」性質と言えるのかもしれない。

そういえば、宣伝を鵜呑みにしてコレステロールを下げるために小林製薬の「紅麴サプリ」を呑んだ人たちが、亡くなったり腎臓障害を起こして大変な騒ぎになっていますね。

迂闊に民間のサプリは飲めない・・、頂門の一針として肝に銘ずべきでしょう。

そういう中、「健康情報は8割疑え!」というユニークな本に出会った。



いつも週刊誌の広告などの「健康情報」をすぐに鵜呑みにする自分には耳の痛い話だが京都大学医学部教授の書いた本ならと読んでみる気になった。

だらだら書いても仕方がないので、興味のある事項を抜粋してみた。

 ネットで信頼できる情報を得るためには?

「たとえば何かの病気について知りたければ病名の後にスペースを空けて関連のあるキーワードを追加してみる。「糖尿病 症状」など。

この方法を「AND検索」といい、2つのキーワードの両方を含むサイトが検索結果に表示されるので知りたい情報により近いサイトがヒットする。

さらに、より信頼度の高いサイトに辿り着きたい場合は「病名」の後に「根拠」と入れて検索するとよい。

 ネット情報の信頼性を確認するにはここをチェック!

1 どこが出している情報か

個人や特定の企業の情報には偏りや誤りがある場合がある。官公庁や自治体、大学病院などの医療機関、あるいは大きな学会などの大規模の情報のほうが信頼性が高い。

2 いつの情報か?

その記事がいつ書かれたのかを確認する。情報にも「賞味期限」があることをお忘れなく。

3 記事の内容の情報源はどこか?

その内容にかかわる根拠となる情報源、出典などの引用元が明記されていることが大切。引用が少ないサイトは参考にする優先順位を低くした方がいい。

 テレビの健康・医療情報はエンターテイメントとして付き合う

メディアはすべて構成されたものである。構成というのはメディアを作っている立場の人たちが自分たちの考えや主張に視聴者をうまく誘導していくためのさまざまな工夫や演出のこと。

そして、その内容は「すべて正しい」でもなく「すべて誤り」でもない。とても巧みな形で構成されている。

生け花の世界では「虚実等分」という言葉がある。自然のままの花を扱う「実」と、枝葉を落として形を整える「虚」を折り合わせていくのが「生け花」ということだ。

テレビもそれと同じようなものと考えれば「虚」があることを責めるのはお門違いなのかもしれない。ただ、どうしても「正しさ」よりも「楽しさ」が優先されがちで「虚」の部分が増えやすいことには注意が必要だ。

したがって健康・医療の情報番組を見るときにはエンターテイメントだと割り切って情報の内容は「そういうこともあるかもね」程度にお付き合いすることをお薦めする。

とまあ、以上のようなことを抜き出してみたが、はたしてご参考になりましたでしょうか?

「伸び切ったゴム」が用を足さないのと同様に、すべからく物事の対象を「エンターテイメントだ」と割り切る気持ちの余裕も必要なのかもしれませんね。

そういう意味では、このブログも「エンターテイメント」ですからくれぐれも「鵜呑み」にしないようにね・・。

特にオーディオ情報に関しては「8割疑え!」ですよ~(笑)。


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真空管の生涯

2024年04月17日 | オーディオ談義

名曲「4つの最後の歌」を遺した作曲家「リヒャルト・シュトラウス」に「英雄の生涯」という曲目があるが、それにちなんで今回は日頃お世話になっている真空管の生涯について。

3年ほど前のこと「高級オーディオ フェア」(福岡)で軽く500万円以上もするTRアンプをいくつも聴かせてもらったことがあるが、倍音が何だか蒸留水みたいに味気なくて貧弱そのもの・・、結局出来のいい真空管アンプには及びもつかないものだった。

爾来、いっさいの迷いなくひたすら「真空管道」へ~(笑)。


で、真空管を愛すればこその心理だろうが、ときどき真空管と人間の生涯を重ねたくなることがある。両者とも「寿命」という共通の運命に支配されているのでそう無理筋でもないと思うがどうなんだろう。

まず人間の生涯を大まかに分けると「幼年期~壮年期~老年期」に分けられるが、寿命を80年としてその内訳を順に「15年~40年~25年」としよう。

これを真空管に当てはめてみると、
球の種類(電圧増幅管や整流管など)もいろいろあるし、ブランドによっても違うし、アンプごとのプレート電圧のかけ方も様々だろうが、十把一からげに大まかに時間単位でいくと寿命を6000時間として幼年期が1000時間、壮年期が3000時間、老年期が2000時間といったところかな~。

人間に比べると幼年期が短いのが特徴で人間の幼児教育にはとても手間と時間がかかるのがわかる(笑)。


さらに人間の場合、己がどの年期に属するのか把握するのは簡単そのものだが、真空管ともなるとはたしてどの時期に相当しているかこれを見分けるのが実に難しい。

なにしろ、人の手を転変とするのが宿命なので見分するだけでは判定できない。

壮年期に当たるのならもちろんいいが、もし老年期に入ったとするといったいどのくらいで「姥(うば)捨て山」に行かせるか、その時期を常に意識せざるを得ないのが課題だ。

で、そもそも真空管は初代のものほどツクリが良くて音質もいいとされているのをご存知かな・・、年代でいけば1940年代前後~。

ちなみに、「WE300A」の初期版なんかはオークションで160万円(ぺア)で取引されている。
 

    

およそ80年以上経っても管内の真空度が高いので鮮烈な濃いブルーが色鮮やに浮き出ていますね・・、よほどツクリがいいんでしょう!

ただし、当時は現代では使用禁止となっている「放射性物質」を一部に使用していたという、まことしやかな噂があります・・。

メーカー側にしてみると開発時は音質の良さを広くPRしなければならないので手間はかかるが音が良くてSN比に優れる高級な材質や丁寧なツクリになるが、そのうちひと通り行き渡ると途端にコスト優先で手を抜きたがるのはどこの国でも同じ(笑)。

なにしろ「(コストを度外視して)いい製品を作るメーカーほど早く潰れる」という悲しい伝説が横行しているのが、この業界の特徴である。

したがって音質はそっちのけでコストダウンを図って開発費を回収しようとばかり安価な材質、簡単なツクリへと移行してしまうのが常套手段である。まあ、耐久性への対策も含まれているんだろうが、音質的にけっして良くないのは同じこと。      

ちなみに「有識者」に真空管の寿命のノウハウに関して伝授していただいたので紹介しておこう。

「真空管は頻繁にON-OFFを繰り返しますと著しく寿命を縮めます。真空管の寿命があとどれくらいあるのか推定するのは非常に難しいです。Hickok社のチューブテスタでライフテストを実施するのが最も簡便な方法でしょう。 

ライフテストはHickok社の特定のモデルのみで可能ですので機種の選定は重要です。ライフテストが可能な最も安価なモデルは533型と思います。現在私は533型を使用しています。 
 
539Cが最も有名な高級機種なのですが、完動品はメチャ高いです。WEタイプは更に高価で故障時のメンテナンス費用も相当にかかります。 
 
最も有名なチューブテスタTV-7はHickok社の設計ですが、ライフテストができないのが難点です。」

というわけ~。


我が家では真空管アンプのスイッチのオン・オフは慎重にしており、半日以上連続運転というのは日常茶飯事である。

で、2時間以上家を空けるときはオフ、それ以外のときはオンの状態にしている。スピーカーだって鳴らせば鳴らすほど箱の木の細胞が一定方向にこなれてくるはず・・。


これって迷信かな~(笑)。



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もっとオペラに親しもう

2024年04月16日 | 音楽談義

「オペラは歌詞の意味がどうもよく分からないので敬遠しているんだ・・」

ずっと昔のこと、とある熱心なクラシック愛好家がこんな呟きを漏らされていたことが、妙に記憶に遺っている。

日本人が食わず嫌いも混じってオペラを敬遠している理由もそこに尽きると思うが、ブログ主の場合は「魔笛」(モーツァルト)によってすっかりそのイメージが覆ってしまった。

歌詞の意味なんか分からなくても構わない・・、オペラとは登場人物たちの役柄、心理、感覚、身体、動き、旋律、ハーモニー、そして音響空間などの総合芸術なんですから・・、というのがその理由。

オペラがレパートリーに入ると音楽人生が充実しますよ~(笑)。

格好の本があります。




解説にはこうある。

オペラには、他の芸術にはできないことが、できるのです。
世界を音楽で表現する総合芸術「オペラ」。

400 年の歴史持つこの素晴らしい芸術は今、制作者たちの拙劣な活動によって、作品の価値を下げられ てしまっているのではないだろうか。

本書は、誰よりもオペラの可能性を信じる演出家ミヒャエル・ハンペによる、本当のオペラを知りたいと思う者たちへ向けた講義である。

オペラが持つ重要な要素の数々について、過去の名作品や、
オペラに関わる人物の言葉等をふんだんに引用して歌うように語り、「オペラとは何か?」という問いの答えに迫る。

すべてのオペラ愛好家、制作に関わる人々、そしてオペラ嫌いや、オペラを知らない人にも読んで欲しい。
読めばオペラの見かたが変わる、画期的なオペラの手引き書。

著者:Michel Hampe(ミヒャエル ハンペ) オペラ演出家・舞台美術家、ケルン音楽大学教授。

というわけだが、表題の中に「学校」とあるように、先生(オペラの専門家)が生徒たちに教えるような調子で全編が貫かれている。

何といっても本書で一番印象に残ったのが「モーツァルト礼讃(らいさん)」に終始していることだった。

たとえば68頁。

「多くがモーツァルトからの剽窃(ひょうせつ)だ」と、オペラ “ばらの騎士” を観たある人が作曲家のリヒャルト・シュトラウス(1864~1949)に言いました。シュトラウスは平然と、“そうですよ、もっと良い人がいますか?”と答えました。

事実、モーツァルトは最高のオペラの師匠です。すべてを彼から学ぶことができます。彼に関しては“ごまかし”は利きません。オーディションでは歌手の長所も短所も数小節で分かってしまいます。」

といった調子。

次に、彼のオペラが持つ社会性に注目せよとの指示が72頁に出てくる。

たとえば、モーツァルトのオペラに必ずといっていいほど登場する下層階級の人物。いつも下積みのタダ働き同然なので高貴な人々に対して常に反感を抱いているが、その下層階級と上層階級との間でもたらされる何がしかの緊張感が彼のオペラの中で劇的な効果を生じている、とのこと。

そういえば「魔笛」にも、しがない“鳥刺し”のパパゲーノが貴族階級を皮肉る台詞が沢山出てくるが、このオペラは単に美しいメロディに満ちているばかりと思っていたが、こういう鋭い社会風刺の側面にも配意すべきだと改めて気付かされた。

ただし、モーツァルトの下層階級に対する眼差しは実に暖かい。パパゲーノや黒人奴隷のモノスタトスのアリアなどは滑稽さだけではなくて、ほのぼのとした温かさ、優しさが漂っているのが不思議~。

これは本書には載っていないがモーツァルトが当時の階級制度に対して常に不満を持っていたことはこれまでの彼の言動から明らかである。

貴族や権力が大嫌いで、芸術家としての自分の才能に対するプライドがあり、大司教や貴族といった権威に対する反発心が人一倍強かった。


たとえば傑作オペラ「フィガロの結婚」に次のような一節がある。

「単に貴族に生まれたというだけで“初夜権”(召使が結婚した花嫁の初夜を領主が奪う権利)を振り回す伯爵に対して、フィガロは「あなたは、それだけの名誉を手に入れるために、そもそも何をされた?この世に領主の息子として生まれてきた、ただそれだけじゃないか!!」

と辛辣なセリフを投げかける。このオペラが当時、上演禁止になった所以である。

当時は現代からすると信じられないほどの階級社会だったことを彼のオペラを鑑賞するうえで忘れてはならない・・。

最後にもう一つ。「音が多すぎる・・・・」(94頁)。

「音が多過ぎる、モーツァルト君、音が多過ぎますよ」と、皇帝ヨーゼフ二世は≪後宮からの誘拐≫の初演後にモーツァルトに言った。

それに対してモーツァルトは「丁度それだけ必要なのです、閣下」と答えた。

皇帝の言わんとするところは「モーツァルト君、君のやり方はよろしくないですね。君は表現すべき多くの要素を音楽(オーケストラ)に委ねています。性格、状態、気分、表現の微妙な差異、それから無意識のことまでも、それらの要素は本来舞台上のオペラ歌手の役割です」だった。

これはオペラの本質にかかわる事柄でもある。そもそもオペラとは「音楽によって表わされる物語」だが、どんなオペラでも次のような問題点を孕んでいる。

すなわち「大切なのは話の内容か、音楽か?オペラ歌手とオーケストラのどちらが重要か?それらは補完しあうのか?どちらに優先権があり、片方が完全に黙り込んでしまうのか?」というもの。

この相互関係は作曲家によって、オペラによって、そして場面によってさまざまだし、常にその真意が汲み取られなければならない。

音符をまるで言葉や文字のように自由自在に操ったモーツァルトのことだから、「オペラは音楽が主導すべきです」と、舞台表現においても音楽重視となったことは容易に想像がつきますね。

というわけで、本書はこれから「もっとオペラに親しんでみようかな」という方々にとっては、ご一読されてもけっして時間の無駄にはならないと思います~。

とはいえ、もし読む時間があったとするなら世界最高峰のオペラ「魔笛」に耳を傾けられることの方をお薦めします。

「You Tube」に仰山ありまっせえ・・、これほどの名曲ともなると演奏なんて よりどりみどり ~(笑)。



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